| 《2 「特待生」少子化時代(平成21年5月20日)》 ★主人公:野田学園中学・高校卓球部監督橋津文彦氏
『昨年11月1日、山口市内で地元中学生を対象にした卓球教室が開かれた。主催したのは同市内にある私立野田学園中学・高校』(中略)『部員は中高生合わせて8人。3か月前まで、橋津が指導していた宮城・仙台育英高校と系列中学の卓球部員だった。北京五輪代表の岸川聖也ら多くの一流選手を輩出し、全国制覇の経験もある名門からの“移籍”。指導者と選手がそろって所属先を移る例は、実業団スポーツにはあるが、高校スポーツではまれだ。』 最近、野田学園という名前が目立ってきたと思っていたら、仙台育英高校から監督と選手が移ってきていたのですね。同中学には、福岡県からも優秀な選手が行っているので、名前だけは知っていましたが、そのような背景があったとは全く知りませんでした。
『動機は突然下された特待生制度の廃止だった。』 廃部になったのではなく、また、生徒が学校から去らなくなったわけではありません。あくまでも、特待生制度の廃止ですから、新規に優秀な生徒を集められなくなったというものです。 私立学校が生き残るための経費削減策の一つに挙がったようです。監督や選手にとっては、はしごを外された格好です。自分の存在自身が否定された気持ちになったかもしれません。
『特待生制度の恩恵を受ける者は誰しも、宿命的なリスクを背負っている。存在を持ち上げられもするが、周囲の理解を得られなければ、ただの浪費として非難されるからだ。』 一度しかない人生。夢に生きるのか、現実を見つめるのか。どちらが良かったかどうかは神様しか分からないことです。どちらを選んだとしても、「こちらを選んでよかった。」と思い込む前向きな人間になりたいものです。
ラストは、次のように締めくくられています。
『橋津は多大な支援に結果で応えるつもりだが、心中ではこう思う。「学校はもう支えにならない。地域に根付くしか、生き残る道はない」卓球教室もその一環で売り込んだ。』(中略)『指導者が目線を変え、視野を広げなければ時代に切り捨てられる。地道に理解者を増やすことが、辛い過去に得た教訓だった。』 |
No.2333 - 2009/07/29(Wed) 20:53:45
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