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震災瓦礫=放射能汚染瓦礫ではない / id
河野太郎のブログから一部転載
ttp://www.taro.org/2012/02/post-1159.php

さて、黒岩知事が受け入れを表明した震災がれきの発生地の岩手県宮古市は、福島第一原発から260km離れています。川崎市や横浜市は、むしろ宮古市よりも原発事故地に近いぐらいです。
福島第一原発からの距離を比べてみると、
宮古市  260km
横浜市  253km
川崎市  242km
相模原市 254km
横須賀市 267km

そして、2012年1月28日の空間放射線量率の最大値は
宮古市  0.052マイクロシーベルト/時間
茅ヶ崎市 0.047マイクロシーベルト/時間

つまり、宮古市は、福島第一原発の事故の影響を神奈川県よりも強く受けたわけでもありませんし、現在の放射能濃度は神奈川県とほぼ同じレベルです。

No.296 - 2012/03/19(Mon) 10:05:43

今のうちに撤退しておいたほうが・・ / 水上雅敏
理性が感情に負けてばかりもいないでしょうから、今後、こういう自治体も徐々に出てくるかもしれませんね。となると、先に瓦礫を受け入れたほうが馬鹿を見ることになる。交付金が降りたとしても、住民の瓦礫を受け入れた自治体への反発は強まるだろうし、受け入れなかった自治体やその住民への嫉妬も起きて、国民間に対立がおきてくるかも知れませんね。

まだ遅くは無いと思うから、前のめりの政府のやることにはついていかないほうがいい。

No.295 - 2012/03/19(Mon) 00:04:15

徳島県 / 水上雅敏
すばらしい、最先端! 日和見的でなく県民(?)に対しても、このようにしっかりと意見を言い返せるのもいいですね。
No.294 - 2012/03/18(Sun) 15:47:32

自治体はホットなプロパガンダよりもクールで役に立つ情報を提供せよ! / 榊山裕子
徳島県のサイトにがれき受け入れ問題に対する興味深い「回答」があります。

ttp://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652

挑発的な言葉を使ってのプロパガンダ合戦に怒りを通り越して厭世的な気分になりかけていたので
「徳島県としては、県民の安心・安全を何より重視しなければならない」というまっとうな見識、
挑発に乗らない冷静な大人の対応に、少しホッとした、というのが正直な感想。

No.293 - 2012/03/18(Sun) 02:53:56

気骨ある自治体を見たい / 水上雅敏
ここでidさんの言われたようなことがはっきりしない限り、「うちは受け入れません」、と表明する知事なり市長がいればあっぱれ、なんですがね。すばらしい自治体だ、と思う人々が集って、自治体の人口も増えるかも知れません。

山口県人としては、山口県知事も今期限りだというし、支持母体は自民党で、今は民主党政権だから、今こそそういうことを言って気骨のあるところを見せるチャンス、減り続ける人口を増やすチャンスだと思うのですが・・。

そういえば、広島はどう考えるのでしょう? 原爆落とされた為、ともかく原子力は持ち込ませないということで、広島への電力の供給を山口県の上関原発に頼ろうとしている、といううわさがある(本当かわかりませんが・・)くらいの県だから、がれきも入れないのか、あるいは、逆に連帯感から受け入れるのか・・。

No.292 - 2012/03/17(Sat) 23:47:01

がれき処理 / id
この件については、政府が各地方での処理を推進しているので気になっています。
各地に連帯感を求めるような論調も気になります。

1.放射能汚染の程度と安全性
2.瓦礫の量と処理方法・処理能力・処理時間
3.運搬コストと処理コスト
4.地元雇用対策
5.がれき処理利権
6.政府発表の信頼感のなさ
7.地元の要望

以上を踏まえて判断する必要があります。
1についてはしきい値有り派なので気にならないのですが、
後の項目は判断材料がないので意見表明できません。

No.291 - 2012/03/17(Sat) 20:04:04

中野さん / 藤田博史
祖母の息子は、祖父の息子でもあります。ここで重要なのは父の系譜と母の系譜を峻別することです。そうすることで、前者は掟の系譜であり、後者は情念の系譜であることが見えてきます。さらにいうなら、父から受け継ぐ「姓」は血統の系譜であり、そこへ付加される「個人名」は欲望の系譜として捉えることもできるでしょう。
No.290 - 2012/03/17(Sat) 01:40:11

(No Subject) / 中野雅哉
「日本の父」は、父である以前にまず「祖母の息子」なのです。
No.289 - 2012/03/16(Fri) 20:08:06

補足 / 水上雅敏
以下で言った、甘えを禁止する父、とは、言葉で語らせず有無を言わさない(黙れ!というような)父のことです(理不尽な頑固親父的な)。論理的に語らせる・論理的な語りを許すようにして象徴界を支え、想像界を切断しようとする父ではなくて。
No.288 - 2012/03/16(Fri) 17:34:23

想像的な三つ巴における支え合い / 水上雅敏
「想像的な強い父(φ)―Great Mother(i(a))―自我m」が想像的な三角形を為して、互いの存在をむしろ支えあっているのだと考えます(あるいは、Great Motherを「(想像的)ファルスを持った母(i(a)+φ)と考えると、そのファルスの部分が先ほどの三角の想像的父であり、先ほどの三角のGreat Motherはそれを覆う包みのような部分(i(a))ということになります)。いわば、母への甘えを禁止する強い父があってこそ、その彼岸に本当だったら甘えさせてくれる母の像の存在を想像し続けることが出来る、そして、実は自分こそ母を満たせるφであって母は本当は自分を求めているのだけど父(φ)が禁止していて母と一体になれていないだけ(-φ)なものとして、自我の想像も維持し続けることが出来る、となっているのだと考えます(禁止されるほど生き生きした自我感覚を持てるようなもの。見るな!といわれると見たくなる、という気持ちが活性化されるような)。もし、そういう父が居なくて母に近づければOKかというと、逆に、実は私を求めてくれていたと思っていた母の像などもなかったのだとなってしまい、現実界・無に自我が消滅してしまう(鏡に近づきすぎると自己像が見えなくなるような。水面に映った自分の鏡像<鏡像と言う意味では、ここを母の像とも言い換ええるでしょう>に飛び込むことで死んでしまったナルシスのような)危機に出会うことになります。言い換えれば、この三者はこの構造で想像的ファルスを支えあっているのだ、と考えます。簡単に、平たく言ってしまえば、「絆」によって甘えたくなるような人々は、一方でもともと強い父を必要としている、ということです。今回の場合は、想像的父が「絆」という甘えをいわゆる「禁じる」という形で禁じているのではないのですが、「お前らまだまだ絆に到達してないぞ!(まだまだφになってないぞ、-φだぞ!」という形で、「完璧な絆に没入している状態・完璧な絆(それこそ全能な想像的ファルスφ)を得ている状態」という母子一体の幻想的な目標を作り上げると共に、そこから距離をとらせている(まだ到達してないぞ!)という意味での「禁止」が石原氏、橋本氏によって行なわれている、あるいはそのようなものとして何割かの想像的三角を求める人には受け取られ活用され喜ばれている、ということかと思います。もし象徴的父(父の名)、そして象徴的連鎖を十分発動しえていれば、無を象徴化できるわけですから、こういう想像的三角に頼る必要はないわけですが。
No.287 - 2012/03/16(Fri) 15:12:25

正誤表 / 榊山裕子
誤) まるでその「申し子」が「手先」のように、
正) まるでその「申し子」か「手先」のように、

No.286 - 2012/03/16(Fri) 12:39:02

日本人にとって父とはなにか? / 榊山裕子
汚染地域内でがれきは処理すべき、という考え方にわたしも賛成です。
がれき受け入れを情緒的に肯定する人々が、声高に自らの正当性を語るのを見るにつけ、
たしかに、ユング的な言い方を借りるならば、ここには、Great Mother が君臨しているようにも見えます。

しかし、それならば、強いこと、「父」的であることを期待されている、
あるいはそうであるように見せることに熱心な、石原慎太郎氏や橋下徹氏が、
Great Mother と対決するどころか、まるでその「申し子」が「手先」のように、
率先して受け入れを表明し、また、それが「強い」「男らしい」「決断力」として
評価されている(らしい)のは、何故なのでしょう。


参考資料:

橋下大阪市長ウォッチ 
がれき受け入れ要請の首相を高評価 「すごい覚悟持たれた決断」
ttp://www.j-cast.com/2012/03/12125167.html

橋下氏 がれき処理遅れ要因は憲法9条
ttp://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120305-913206.html

がれき慎重派に「情けない」 屈辱の日本に失望感
ttp://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120222/waf12022220570035-n1.htm

“慎太郎節”サク裂!がれき処理の反対派に「黙れ」

ttp://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20111105/plt1111051450001-n1.htm

No.285 - 2012/03/16(Fri) 12:32:40

フォトニック結晶 光メモリー / 水上雅敏
「フォトニック結晶」、とか、「光メモリー」で検索するとかなり面白いと思います。たとえば以下のアドレスのものなど。(電気信号に変換することなく光通信ができるということで、少し前朝日新聞に出ていたので知りましたが) ペンローズの議論とも全く無関係でもないかな??とも思いますので、一応のせておきます。

ttp://www.bcm.co.jp/itxp/2011/05/cat17/18000000.php
ttp://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080425/151078/
ttp://www.lfw-japan.jp/news2012/news_20120228_02.html
ttp://www.photonic-lattice.com/jp/Tech01_3.html
ttp://www.kuee.kyoto-u.ac.jp/~lab05/Photonic_Crystal.html
ttp://www.nims.go.jp/fineparticle/

No.284 - 2012/03/15(Thu) 04:19:42

独裁者の見えないファシズム そこに気づくにはいつも遅すぎる? / 水上雅敏
私も、ちょうどユングのことを考えていたところです。アニマに呑まれる・・とか。participation mystiqueとか(ユングが一部で洩らしていた言葉)・・。結局はトーテムとタブーでまとめられることかも知れませんが、久々にユングの本をとりあげると今の状況をよくなぞっているように思われる文章がありましたので少し長くなりますが抜粋します。(「Four Archetypes」C.G.Jung Bollingen PapebacksのThe Psychology of Rebirthの章 59-60p)。以下は自身を変容・再生させたい個人がグループと同一化して一見変容・再生できたようでも、結局幻想で、一人の小さな人間のままでしかない、という文脈で語られているところです。

Identification with a group. ・・(略)・・
it is the identification with a number of people who, as a group, have a collective experience of transformation. ・・(略)・・A group experience takes place on a lower level of consciousness than the experience of an individual. This is due to the fact that, when many people gather together to share one common emotion, the total psyche emerging from the group is below the level of the individual psyche. If it is a very large group, the collective psyche will be more like the psyche of an animal, which is the reason why the ethical attitude of large organizations is always doubtful. The psychology of a large crowd inevitably sinks to the level of mob psychology. If, therefore, I have so-called collective experience as a member of a group, it takes place on a lower level of consciousness than if I had the experience by myself alone. That is why this group experience is very much more frequent than an individual experience of transformation. It is also much easier to achieve, because the presence of so many people together exerts great suggestive force. The individual in a crowd easily becomes the victim of his own suggestibility. It is only necessary for something to happen, for instance a proposal backed by the whole crowd, and we too are all for it, even if the proposal is immoral. In the crowd, one feels no responsibility, but also no fear.
Thus identification with the group is a simple and easy path to follow, but the group experience goes no deeper than the level of one's own mind in that state. It does work a change in you, but the change does not last. On the contrary, you must have continual recourse to mass intoxication in order to consolidate the experience and your belief in it.
But as soon as you are removed from the crowd, you are a different person again and unable to reproduce the previous state of mind. The mass is swayed by participation mystique, which is nothing other than an unconscious identity. Supposing, for example, you go to the theatre: Glance meets glance, everybody observes everybody else, so that all those who are present are caught up in an invisible web of mutual unconscious relationship. If this condition increases, one literally feels borne along by the universal wave of identity with others. It may be a pleasant feeling--one sheep among ten thousand! Again, if I feel that this crowd is a great and wonderful unity, I am a hero, exalted along with the group. When I am myself again, I discover that I am Mr.So-and-So, and that I live in such and such a street, on the third floor. I also find that the whole affair was really most delightful, and I hope it will take place again tomorrow so that I may once more feel myself to be a whole nation, which is much better than being just plain Mr.X. Since this is such an easy and convenient way of raising one's personality to a more exalted rank, mankind has always formed groups which made collective experiences of transformation--often of an ecstatic nature--possible. The regressive identification with lower and more primitive states of consciousness is invariably accompanied by a heightened scene of life; hence the quickening effect of regressive identifications with half-animal ancestors in the Stone Age.

No.283 - 2012/03/15(Thu) 00:40:14

あえてユングの言葉を借りれば / 藤田博史
日本人全体が「集合的無意識」として機能しており、そこには Great Mother が君臨しているように見えます。
No.282 - 2012/03/14(Wed) 21:05:21

名の無い宗教 / 水上雅敏
多くのフランス人はそうなのですね。人間として至極まっとうな考えだと思いますね。
日本では、「自分の合理的な思考をあえて押さえ込んできついものに従うのが倫理である」、というような、いわば倫理を押さえ込む倫理が流行りやすいようですね。

No.281 - 2012/03/14(Wed) 00:30:47

がれきのこと / 藤田博史
今回再会したすべてのフランス人が「汚染されたがれきを日本中にもってゆくことが信じられない」と言っていた。核汚染については未知の部分もあり、測定されているものはその一部に過ぎない。「未知の部分がある限り汚染地域内でがれきは処理すべきである」と言った意見が多数だった。
No.280 - 2012/03/13(Tue) 19:42:40

中野さん / 水上雅敏
>ソーカル君を恐れずに言えば、不完全性定理は「数学もただの言語だった」ということを明らかにしたものであるといえます。ラカン的に翻訳すると、「全てのシニフィアンがそれぞれのシニフィエと一対一対応する言語体系は存在しえない」ということ。ペンローズは図らずもその基本スタンスからスタートしている。

ここが、ちょっと私は違う意見を持つのです。それを語っていくと、実はそんなにちがっっては居なかった・・ということにもなるかもしれませんが、多分微妙に違う・・。これはまた後日書きます。

No.279 - 2012/03/13(Tue) 02:11:58

自分も苦しんでいればつながっていると思う幻想 / 水上雅敏
同じように苦しめばそこに絆があり、皆がつながっている、と思う気のせい。
ていのいい、個々人のエディプスコンプレクスからの罪悪感の処理にしか思えません。

がれきの合理的な処理をいろいろ模索しようともせず。政府も、どのくらい置き場に面積が必要で、除染不可能・居住不可能な地域の面積があるか、その地域だけでの処理は無理なのか、を数値で国民に知らせて国民にも考える機会を与えようともせず・・。

皆が戦争へと加担していく(あの人も戦争に参加し傷ついた、私もそうせねば・・)というのと似ていないかどうか・・。

「絆」という感状論のみでがれきを拡散すること、それが政府のリーダーシップだと勘違いしている姿勢。外国から見ると、ほんと、いい笑いものになるのではないでしょうか。

震災時の、人々の冷静で配慮した対応(それは合理的な姿勢であったとも思いますが)が外国から賞賛されたようですが、今回の瓦礫拡散は、外国からは感情論が合理性に勝ったというとてもナイーブな姿勢しか見えないのではないでしょうか?

「絆」と言って、ただ一緒に苦しむというのではなく、皆に一番良い方法を考えるのが本当ではないでしょうか。

No.278 - 2012/03/13(Tue) 02:07:20

水上さんへ / 中野雅哉
 そこで「脳自体の不安定さ」を対置するのではなく、もっと単純な、というかオーソドックスなラカン的考え方を適用してペンローズを読んでみてもいいのではないのでしょうか。ソーカル君を恐れずに言えば、不完全性定理は「数学もただの言語だった」ということを明らかにしたものであるといえます。ラカン的に翻訳すると、「全てのシニフィアンがそれぞれのシニフィエと一対一対応する言語体系は存在しえない」ということ。ペンローズは図らずもその基本スタンスからスタートしている。なので、私は、従来の人工知能学者とペンローズの「心」の捉え方の差異と、古典的言語学とラカンの「言語」の捉え方の差異には相等性があると考えます。ペンローズはたしかに一見「意識はコンピュータができないこともできる」というありきたりな主張をしているようにも見えますが、それは最終的に「意識」を特権化・神秘化して語ってしまうだけの中途半端な哲学者および科学者とは違うと思います。ペンローズの考える「意識」や「心」はむしろ、水上さんがいう「不完全な人間存在」換言すれば「言葉を-話す-存在」を存立根拠にした「色んな階層の数学がいつまでも不決定のまま行なわれているという構造」に近いと思います。

それにしても、藤田さんの「無意識も充分非アルゴリズム的活動をおこないます」という一言がずっとひっかかりまくったままですねえ。3/22にフジタゼミに行く予定なのでそのとき聞いてみます。

No.277 - 2012/03/13(Tue) 01:01:09

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