読ませるためではない 捜索文学のすすめ(ポエムも可)
あとで客観的に見てその言葉の足りなさに 愕然とする小説であっても 自分が書いたものであれば、強烈で鮮烈な イメージがあるものです。 そのイメージの深みは誰でもなく己自身のみが 味わえるものであります。
誰にも理解できないその楽しみというのは ある意味では悲しいですが しかしその楽しさを追求していって ある瞬間にぽんと社会に出してみると 意外と意外な反応が返ってくるものです。
なぜそうなるかというと、 昔書きましたが、所詮人間は自分を通してしか 相手がわからないわけですが、 その前提には所詮相手も人間であるということが あるのです。 それならば自分の中で捜索して最高の面白さを 味わった挙句にそのかすをぽいと出してやれば 貸すくらいはその面白さが、伝わるというものです。
しかし、それは副産物であって、 強烈なイメージとそして書いて初めて気づくと思いますが 驚きを楽しんでもらえればと思います。
驚きとは、秘めたものなので、 秘めたものが多い人ほど それが溢れてくるでしょう。 溢れてくるものを創作すればいいのです。 お金のかからない趣味というものです |
No.432 - 2009/05/04(Mon) 01:23:48
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