数ヶ月前「台湾うまれのヤマトナデシコ」を見つけ、全50頁を印刷、母は一気に読んでしまいました。
私の母は昭和3年明石町の旅館の長女として生まれ、樺山小学校、第一高等女学校卒業後、総督府に勤めていました。
樺山小学校と第一高女の同窓会は最近までよく開催されていましたし、10数年前は第一高女の同窓会が台北で開催され、子供の私も同行したことがあります。
3年前、母を連れて家族で台北旅行をした時、母が懐かしがったのはショーケイという食べ物でした。現地の旅行社に尋ねても誰も分からなかったのですが、第33回に書かれてあり、また台北楼もすぐ近くだったらしく、母はとても懐かしがっていました。
台北旅行の際、現北一女(旧台北第一高女)を見学させてもらったところ、卒業生として歓待してもらい、校長秘書とその姉(二人とも30歳台の卒業生)が、市内案内までしてくれました。家族一同驚くと共に感激した覚えがあります。
外地から引き上げて来た人は、どなたも実に深く歴史事実を体験されています。その子供として私も、いまだ元気な母からもっと多くの話を聞こうと思っている次第です。
ありがとうございました。 |
No.664 - 2013/09/24(Tue) 17:16:02
|