08965

diario al viento

でぃありお・ある・びえんと
2015/1 メール変更しました。vientomustang66、@マーク以下はexcite.co.jpです。
2006/8より、「風の航海日誌」の更新は止まっています。
こちらには時々出てきます。

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仕事人 / お京
最近、社外の同業者との仕事が楽しくて仕方ない。

特に、メインプレイヤーの面々は、
それぞれにナンバーワン!という感じの水際立った仕事ぶり。

国際交渉経験が豊富なひと。
優秀で熱血漢のキャリア官僚。
ヨーロッパで長らく仕事していて、日本に帰ってからも、本能的に美味い料理と酒の店を見つける天与の才を持つひと(彼のおかげで飲み会が多い)。
皆の話を聞いて、穏やかに上手にまとめるひと…

それぞれ仕事の苦労はあるわけだけど、
できることをちゃんと見つけてきちんとやる。
好奇心も強い。
エキサイティングな仕事してる。
一緒にいて気分が明るくなる。

わたし、それぞれの仕事ぶりのファンだ。
そしてわたしの仕事のファンもいてくれることが嬉しい。

お互い、安心してチームで闘える、という、
仕事というゲームでの最高の戦友。

仕事だけというわけでなく、
それぞれオフも楽しんでいて、
仕事上人生上の経験も豊富だから、
仕事後にチームで飲むのが楽しくて仕方ない。

本当の意味で、頭の良い人たちなのだなと思う。

…先日、他の業界の招待で、六本木ヒルズというバブリーな場所で
たけしの兄上(日本トップクラスの有能な化学者)の講演会と懇親会に
そのメンバーで招かれ

ぶっつけでいきなりスピーチ振られたりと
波乱の展開だったけど、
言いたいこと言って、
笑い取って帰ってきた(笑)

懇親会おひらきのあとは、チームで場所を移して飲み会
その後はアニソン縛りで一番縛りのカラオケ(笑)
(先週もやった)
気が付くと終電までいた。

同じ言葉が通じる。
似たレベルの毒舌家で、
好き嫌いの感覚が近い。
仕事ぶりが、わたしが10代の頃、
こんな仕事人になりたい!と思った姿にすごく近い人も。

お互い認め合った同士で、
素直に相手に感嘆できるのが楽しい。

ウィットに富んだ同じ言葉で笑い合え、
互いに相手を信頼して仕事を任せ合える
有能な仕事仲間でありたいと思う。
晴れやかに、できれば周囲に惚れられるような仕事をしたいと思う。


30代アタマぐらいまで、
仕事って好きじゃなかった。
好き嫌い以前に、なんかよくわかんなかった。

雇用機会均等法が出来てまだ日が浅く、
周囲もどう仕事させていいかわからなかったらしい。

自分のしていることの位置付けがわからなくて、
上司に理路整然と、3分間きっかりで食ってかかったこともある(笑)

特許の明細書やアメリカ公取委の特別裁判所のレポート。
んなもん訳させて誰か読んでる?
上司の自己満じゃん!

今思うと、
すっごく、ヤな部下(笑)

…今、少し大人になって振り返ってみても、
当時わたしが「仕事」としてやっていたことが、
誰かの、あるいはビジネスの役に立ったとは到底思えない。

だけど、わたし自身にはものすごく役に立った。
入り組んだ英語の特許明細書の、
わけわかんない技術用語にしゃにむに取り組んでいるうちに、
いつのまにか、
どんな英語を持ってこられても、
論理的に読み解く
(論理が壊れていれば指摘できる)
能力が身に付いた。

それは、今、わたしが仕事する上での、
最大の財産のひとつだ。

それがふとわかったのは、ごく最近のこと。

当時の上司にそんな深慮遠望かあったとはとても思えず、
たぶん苦し紛れのわりふりだったのだろうけど、

少なくとも、部下を潰そうとは思ってなかったのだな。

その意味で、仕事人としてのわたしを育ててくれた会社には感謝している。

ただし!会社の名前は変わらないけど、
わたしが育つのをクビにもせずに気長に待ってくれた会社は、
今わたしがいる会社ではない。

…今の日本がマズいなと思うのは、
ひとが育つのを待つ余裕がないことかな。

育つ側も、自分自身が育つのを待てない。

最初から全部小器用にやってもらおう・やろうなんて虫が良すぎ。
視野の狭い人間を作るだけ。
つまんない。
お互いに不幸。

ゆっくりと、育とうよ。

***

フラットで、視野が狭くない。

わたしが応援する若手のバンド連も、
わたしが敬愛する仕事チームのメンバーも、
その点が共通してる。

仕事してて良かったなと思うのは、
好き勝手に遊んでいただけではたぶん持てなかった、
新しい視点を持てたこと。

逆に、遊び倒し踊り倒す中で、
仕事だけしていたら絶対に持てなかった
いくつもの視点も持てた。

心が窮屈なのが何より嫌い。

仕事は、確かにわたしの時間を拘束するけれど、
別の視点、
そして仕事でもなければ、
たぶん、口をきくことすらなかったような人たちとの
(良くも悪くも)出会いをもたらす。

実はこの点は、ライヴ通いと全く同じ。

世界が広がれば、心はそれだけ自由になる。
偏見や、狭苦しい思想から。

人間として魅力を感じるかどうかは、
わたしにとって、
そのひとが何をしているか、してきたか以上に、
どのようにしているか、かもしれない。

何をしていても、開けた心を持つことはできる。

そういう人たちに、わたしは寄り添いたい。

そんなわけで、仕事も、いつのまにか
最高の気散じのひとつになっている。

…文系サラリーマンの仕事は、基本的に、
自分のモノ(作品)としては残らない。

仕事人である間は、もちろん、
キャリア、という形で身に添うわけだけれど、
リタイヤしたら自分の経験としてしか残らない。

…その感じが、
生きて在るうちにしかその真髄が伝わらない、
踊り手の在り方となんだか似ていて

わたし、踊るように仕事してる。

仕事してて、ホント、良かった。

仕事してる時間は、なんだかんだ一日のうちで長いので、
仕事が楽しい、と思える今は、
実はかなり幸せなのかもしれないな。
No.1094 - 2013/01/24(Thu) 13:09:59
チェリオ@長野ジャンクボックス、2013年1月5日 / お京
インランパブリックス「コウキョウノカク」のレコ発ツアー初日…
チェリオ。

インドネシアの友達のバンドの曲、カバーです、
と言ってインドネシア語でやった、
「わたしたちの傷」
という曲…

スマトラ大地震の津波を歌った曲だそう。

「わたしたち」は、
まだ、誰も、あれを曲に出来ない。*

だけど今日のライヴは、
わたし、インドネシア語わからないけど

他人ごとでないってことは、ストレートに伝わってきて

わたし、毎回、チェリオのライヴに通い詰めたりはしていないけど

チェリオは、信頼できるバンドだなってしみじみ思った。

*補足:
友人より、GAUZEには、あの地震を歌った曲が2曲あると聞きました。
さすがだな。その在り方を尊敬しています。
No.1093 - 2013/01/08(Tue) 10:42:05
ゆく年来る年 / お京
2012年は…
なんか、いろいろ見つめ直す一年でした。
自分は何が好きなのか。
何を信頼するのか。

これまで好きだと思っていたもの全てを
好きでいられるわけじゃない。

だけど、好きだと思えることが、
まだあることに感謝します。
2013年もよろしく。

***

なんとか踊れるようになったので、
わたし、魂と身体は元気。
師匠の病院のリハビリ室、それが今の場所。

自分は動けなくても、他者の身体で、まだ踊りを創り続ける師匠見てて、つくづく思う。

踊り手って、なんて馬鹿な生き物なの?
半世紀、日々修行の果てに、何もかたちが残らない。
録画はあるけど、生身の踊りの半分のオーラもない、ただの記録。
人生のフィナーレに、師匠、
ここで、わたしで、
ホントにいいの?って。

…だけど。
踊り手は、それでいいんだろうなあ…
今この瞬間を、
踊りと触れ合って生きていられたら、
それだけで。

旅路の終わりまでに、
わたしも、
生身と共に消えていくことを怖れない勇気を持てますように。

***

2012年3月にベイシティーズストリートが閉鎖して
ライヴハウスがなくなった函館。

函館勢はあれから、山の中の練習小屋を大改造して、
ライヴができるスペースに作り変えたという。

お京さん、来たら見違えるから。
22日が、新しい小屋の初日だから。
お京さんには来て欲しい。

…いつもながら、なんたるDIY?ャ
なにもないところから、
今自分が持ってる力を最大限使って
最善を尽くす彼ら。

でも、もともと置かれていた厳しい状況を、
その極端な体育会系ノリで、
さらに自ら厳しいものにしてきた面も見てる。

行くかどうか迷いましたが…
行きました。
2012年12月22日。

函館の山中…
バスの終点から、
人家もなく、バスも通らず、人通りもない道を2キロほど?

雪道は歩けないと思ったので、
バスの運転手さんに頼んで
終点にタクシーを手配してもらったのですが

タクシーの運転手さえ、
目印がわからず、
山の中の、工業団地と緑地公園とゴルフ場しかないとこにとりあえずぽつんと降り

迷子になりましたが、
雪明かりと月明かりのおかげでなんとか無事…
(メンバーに救出された)

MUSTANGとCRUDEが文字通り手作りした、山中のライヴスペース、
びっくりするぐらい、ちゃんとライヴハウスでした。

生音っぽい。
ミキサーとかなくて、全部ステージ側調整だけど、
まろやかな、あたたかい音。

しかしこの小屋、やはり一般には一切宣伝してなくて

ライヴのクオリティはめちゃめちゃ高いのに
彼らとまず知り合いじゃない、素の客がひとりもいない。
もともと単なる客、はわたしだけかも…

だから、音が出てる間以外は、
なんとなく居場所に困った…

わたしはやっぱり開けた場所のほうが好き。

CRUDEは、もう、ツアーなら海外でできる。
自分たちが好みの音で、
好きな連中だけ招ける場所も築いた。
素直にすごいと思うし、
潔いとは思うけど…

函館の知人が言う。

ハードコアが、なんだか最近、
新聞とかで、懐かしのなんとか、10枚組、みたいのあるでしょ、
なんだかあれみたいになってきた気がする、と。

ハードコアが一貫して好きなひとの発言だけに、心が痛んだ。

…確かに、長く続けてるバンドの中には、
若き日のセルフコピーみたい…
と感じてしまうバンドも、正直、ある。
(ずっと好きだったバンドを
もはや好きだとは言えなくなるのは、
正直、つらかった)

だけど、そうじゃないバンドもちゃんといるよ!
ハードコアは、懐メロじゃない!
今を生きてる音も、ちゃんとある。

ただそれは、わたしが、
たまたま、今の(数は少ないかもだけど)勢いある生音を
じかに聴くことができる場所にいるからで

たぶん、日本のかなりの場所が、今はそうではない…

函館では、もはや若手はライヴに来ないし、
若いバンドが(インラン除いて)ツアーに来ない。

だからこそ、それぞれの場所を照らすバンドの存在は貴重なんだ。

…函館、ライヴ後に、
メンバーと同じ職場の若い人が

マジ感動しました!嫁に見せたいっす。
こんな世界があるなんて知りませんでした!
と言ってた。

彼らの音には、そんな力がある。

本当は、その機会を、知り合いうち限定ではなく、
見ず知らずのひとにもひろげてくれたらいいのに。

ひろげても、来るかどうかはわからないけど、
偶然ってわからない。
機会さえ閉ざしたら永遠に出会えない…

閉じないで。
せめて音楽だけは。

絆、絆と言いながら、
ほとんどの場合、実は仲間うちでの結束を固めてるだけの、
(悪くすると「仲間」以外、最初から排除する)
ますます硬直しつつある、今の日本の中で。

***

翌2012年12月23日。
気持ちを切り替えて笑いたくて、
神戸108に行きました。

FROM THE DARKSIDE the fifth
(1)ORGANISM
(2)マサカリ(和歌山)
(3)END OF SEEDS(三重)
(4)ACROSTIX(四日市)
(5)DISTURD

神戸に行くのは10年ぶり、
いや、もっとかもしれない。
だから、バンドメンバーはともかく、
お客さんはほとんど知らない。
だけど、ただ、音を聴きに集まった「お客さん」たちで、
わたしはなんだかほっとした。
わたし、ライヴでは旅人だから、閉じた場所にはいられない。
ここでなら、わたしは自然に、
見知らぬ旅人でいられる。

トップのORGANISMから、
とてもすがすがしかった。
年内限定で、三重のしんいちくん(BURST EDGE、TNA)がギターをヘルプしてるそのステージは、
相変わらずぶれずに、みずみずしく、心にひびく。

不思議なもので
彼らの歌は、年々身にせまるようになった。
聴き始めの頃はわたし、
もっと余裕こいて聴いてた気もするのに。

彼らが肌身で感じ取ってきたリアルは、
よそ事ではない。

ずっとマイペースで走りつづけるマサカリも

大好きな三重勢、
同じ時代を悩みながら、
それぞれに誠実に生きる若き仲間たち。
END OF SEEDS、そしてACROSTIXも…

こんなライヴに行くと
心から笑える。
その場にいる、知らないひとも含めたみんなの笑顔に、ほっとする。

わたしの「好き」の基準は、実はほとんど変わってない。
だから、上の世代を愛しつつ、
新しいやり方を模索してる若いバンドには、
心から共感できる。

四日市勢、博多のネメシス、長野のインランパブリックス、東京のサイレン…
彼らがいたおかげで、わたし、2012年も隠居しなかったわ。

ありがとう。
2013年もまた、一緒に笑えますように!

***

もう、うつむくのはやめよう。
だってあなたは、たぶんどこかで生きているのだもの。
嘆いたりしたら、ばちがあたりそう。

わたしはここで、
今わたしがやるべきと思うことをやりながら生きていく。
あなたはどこかで、あなたがやろうと思うことを。

いつかまた、笑って会えたらいいとわたしは思う。
だけど、そればかりはめぐり合わせ。
わからない。

それでいい。

わたし、生きてる。
あなたも、生きてて。

***

というわけで、今年もよろしく!
2012年の締めのライヴはディープカウント、
2013年年明け一発めのライヴはインランパブリックスの「コウキョウノカク」ツアー初日、
1月5日@長野ジャンクボックス、
14時30分スタートです!
No.1091 - 2013/01/04(Fri) 13:37:54
インランパブリックス(長野)ツアー2013 / お京
ただいまのお京のイチオシはこれ!
長野のインランパブリックスのレコ発ツアー。

インランパブリックスは、ROCK好きにはたまらない、
rock'n'rollベースのPUNKROCKバンド。
今20代半ばぐらい、
ここ4年ばかりでぐんぐん伸びてきました。
今、ちょうどバンドが昇り調子でめっちゃ勢いある。
一回一回のライヴにスリルも驚きもある、
まさに今が旬!のバンドです。

バンドが輝きを増していくのを目の当たりにできる、
生音好きにはたまらんツアーになると思いますよ。
お近くに来た時にはぜひ!

1/5(sat) 長野 CLUB JUNK BOX
☆チェリオ、あくたれ、エンドオブシーズなど、
たくさんのバンドが出てスタートも早いはず。

1/6(sun) 新潟 WOODY
17時半スタート、
羅生門、グリッターズ、ジャンキービジネスなど。

1/12(sat) 初台 WALL

1/13(sun) 和歌山 GATE

1/14(mon) 心斎橋 火影

1/20(sun) 浜松 G-SIDE
1/27(sun) 福井 VELVET
2/3(sun) 仙台 BIRD LAND

2/9(sat) 四日市 VORTEX
エンドオブシーズなど。これは行きますよー!
四日市大好き。

2/10(sun) 名古屋 Tiny7

2/11(mon) 神戸 BLUEPORT

2/16(sat) 北浦和 KYARA

2/17(sun) 中野 MOON STEP
ツアーFinal

2/24(sun) 横須賀 かぼちゃ屋

対バンや時間は、あとから追加していきますね!
No.1090 - 2012/12/21(Fri) 01:08:54
高円寺DOMスタにて / お京
2012年12月15日(土) [STREET NOISE]
サイレン、
DRIVERS SET(広島)、
あくたれ

今都内でどれかふたつ選んでと意ったら個人的にはこのふたつ!
な、サイレンとあくたれ、
しかも広島から若手のDRIVERS SETというわけで、
久々のあくたれ企画、
15時スタート予定のスタジオDOMでのライヴに行ってきました。

…客はわたししかおりませんでした!(笑)

でも、楽しかったよ。
お互い、逃げも隠れもできない、
ホントにズブのスタジオで

ああ、こんなライヴ、
ずいぶん前の広島COREのツアーで遭遇して以来
久しぶりだ。

なにもないところから、育つバンドを見てきた。
お気楽な客として、
ただ、自分の好き!だけを道しるべに。

ないところから、育つバンドはいい。
だって育つしかないでしょ。

ずっと好きだったバンドを好きでいる方が
ハードル高いよ。
「昔好きだった」なんて理由でライヴ行きたくないもん。
「前も良かったし今もいい」と思えないと行けないもん。
昔好きだったから?
それって今のそのバンドにも、
今のそのバンドのお客さんにも、
昔そのバンドを本気で好きだった自分にも失礼!

わたしは今を生きたい。

でもって今日見たバンドは、
みんな今を生きてた。

スタジオだし、続けてライヴやるようには出来てない。
だけど、今、あるもので最善を尽くす。
あるものを生かそうとする人たちが
わたしは好きだ。
バンドに限らず。

今日このライヴのためだけに東京まできた、
広島のDRIVERS SETに乾杯。

ずっしり実のある、土曜の午後でした。
No.1088 - 2012/12/15(Sat) 20:10:22
EVE@新潟WOODY、2012年10月21日 / お京
日曜日、2012年10月21日。
体調が少し回復したので、
途中抜けの日帰りで、
新潟にEVEとBLOW BACKを見に行きました。

トップのEVEは、ギターのせいちゃんが完全復活で、
これまでサイドギターで要所要所をカバーしていたスギちゃん(BLOW BACKペース)が抜け、
元のトリオに戻ってました。

スギちゃんは最前にいて、
エフェクターとか、ちょっと不具合があると、
パッと飛んでいって直してた。
pine君は最前で、笑顔で踊ってた。

見ていて、胸が熱くなった。
せいちゃん本人が、まず一番がんばったのだとは思うけど、
こうやって、皆で乗り越えて来たのだと。

今を「最高!」にしていく努力。

「仲間」という言葉は、あまりに乱発されすぎて
なにが仲間なのやら、
個人的には軽く使いたくない言葉になってしまってるけど

ここではちゃんと、その言葉が生きてる。

少なくとも前回、10月7日のライヴで、EVEはトリオに戻っていたと
友人に聞いてはいたのですが

実際に、自分の耳と目で
トリオでも問題ないぐらい回復したせいちゃんを見て、
このためだけにも、本当に、この日行った甲斐があったと思いました。
とにかく、嬉しくて。

…お客さんは、正直、少なかった。

おまけにわたし、夜行バスで帰る体力がなかったから、
ツアーバンドは見ずに途中で抜けて新幹線で帰りましたが

それでも、新潟のライヴの空気はとてもあったかくて
EVEとBLOW BACKだけで、とても幸せな気分で帰れました。

ツアーだからとかでなく、
その土地だから行くのは、
今では新潟、四日市だけかな。

ちゃんと、ライヴ前、どきどきできる土地。

ナチュラルハイの時には天井知らず、
ナチュラルロー(ハイがあるならローもあるわ!)の時にも
無理せずいつの間にか微笑むことができるようになる場所。

そこが在ることに、
感謝。
No.1087 - 2012/10/24(Wed) 09:48:05
2012年10月20日、CROSSFACE復活 / お京
昨日、2012年10月20日。
四日市に遠出するつもりが体調悪くて断念、
代わりにウォールで、CROSSFACE復活を見てきました。

新しいドラム(群馬の突撃戦車やめて上京してCROSSFACE入ったシモ君)は、悪くはなかった。
(わたしの好みからすると、もうちょっと音に色気が欲しいかな(笑))

けど、まだぴたーっとバンドの音にはなってない。
絡み合い分かちがたいバンドの音になるまでには、
たぶんもう少しかかりそう。

まあ、これまでもさんざん脱皮を繰り返してきたCROSSFACEのことだから、
全く心配はしていません。

それより、オオサカ君が間違いなくオオサカ君で、
新曲もしっかり出来てたのが嬉しかった。

このひとは、歌わなきゃならない人なんだなと思う。
必然。
たぶん、だから、彼のうたは、
言葉ともども、すとんと胸に落ちるのだろう。

オオサカ君は、今やわたしにとって、
NIGHTMAREのマー君と並んで、
ハードコアの歌い手のベスト2。
関東では一番。

バンドの浮き沈みはあっても、
オオサカ君のうた自体には、驚くほど浮き沈みがない。
だから、これまでのところいつだって、今が最高!と言える。
RAW NECK、EVANCE通じて、ずっと。

これはすごいことだと思う。
もしかしたら、
オオサカ君が「うたわなければならないひと」であることの
副産物なのかもしれないけど。

オオサカ君のうたは、
たとえばアコギ1本、いや、
マイクを通さないつぶやきのようなうたであっても、
たぶん、オオサカ君のうただろう。

そしてわたしは、そのうたの行く先を聴き届けたいと思う。

ニュートラルで強い、うたの力。
オオサカ君のうたを聴いていると、
そんなものが確かにあるのだ、と思いたくなる。
No.1086 - 2012/10/21(Sun) 17:51:51
今、できること / お京
足を動かせるようになってからは、
時間的に可能な限り踊っています。

男師匠が暮らす病院のリハビリ室の固い床で、本式の靴も履けず、
(特別なシートを工夫して、やっと先週から、靴が履けるようになりました)
それまでの、柔らかい木の床の、良く音が響くきれいな広いスタジオで、
心ゆくまで練習できた日々が
どれほど恵まれたものだったか、
今になってよくわかる。

それでも、うたとギターと、師と踊る仲間、
本当に必要なものは、ここには何ひとつ欠けてはいない。

それに、適当なべた靴、仕事帰りにちょいと着替えたTシャツハーパンという、
以前なら考えられないカジュアルな(いい加減な?)スタイルで踊ることで

フラメンコは、道端でもどこででも、
衣装も靴も何もなくても踊れるんだ、
と、今さらながらに開眼。
実はワクワク(笑)
だって家でも公園でもどこででもできるのだもの。
学ぶことは、まだまだたくさんある。

…師匠のつくる踊りは、
自分の身体の自由が利かなくなり、
自宅も手放して老人介護施設に入ってからなおさら、
シンプルで美しくなった。
余計なものを削ぎ落とし、
自然な動きで、いつまでも踊っていたくなるような…

この日々に、踊る身体持って立ち合うことが
わたしの巡り合わせだったのだろうと思うほど。

…どれだけ師匠がこれから頑張っても、
こうしていられる絶対的な年数は、決して長くはない。

その間に、できる限りのものを、
それぞれの適性に合わせて伝えようとしているのがよくわかって

今、こうしていられる間に、できるだけ一緒に踊りたいと思う。
No.1085 - 2012/09/25(Tue) 07:24:04
Dreamtime… / お京
女師匠のお見舞いに行ってきた。
行こう行こうと思いながら、忙しさにまぎれ、ずっとご無沙汰していた。

…師匠は不思議なひとで、
若い時も美しい方ではあったけれど、
写真やビデオでみる限り、
お年を召してからの方が、
身体も表情もさらに垢抜けて、きれいになられた。

まっさらで、時々子供みたいな表情を浮かべ、
わがままで好き嫌いが激しくて怖いものなしで、
こうと思うと突っぱしっては、怪我も(人生という意味でも物理的にも)多かった師匠…

少なくとも好き嫌いの激しさと怪我の多さだけはわたしも似ていて

踊ろうと思った時に、真っ先に、偶然、師匠たちのスタジオに出会ったのは
わたしの人生にとって、本当に幸いだった。


渋谷駅から迷いながら病院へ。
受付で師匠の名前と病室を言うと、そんな名前の方はいない、と言われる。
どうやら、踊っていらした時のお名前とは、ほんの少し違う。
たぶんその方だと思うがこちらではわからない、
と言われ、一気に不安になる。

病室のフロアに上がる。
廊下には、まるで保育園みたいに、色とりどりの折り紙や輪飾りが貼ってある。

どうしよう。
どこだろう。

感じの良い看護士さんが
どなたですか?
と問う。番号と師匠の名字を告げると、
夕食前、車椅子でロビーに集められたお年寄りたちのひとりのところに
面会ですよ
と案内された。

最初、わからなかった。
眼はかろうじて開けていらっしゃるけれど、
表情は眠たげで、夢の霧の向こうにいらした。
わたしの顔も、見えているのかいないのか。

机の上にはメラミンのコップと、太い柔らかいストロー。

人違いだったらどうしよう、と思いながらごあいさつし、傍らの椅子に静かに腰掛けた。

ロビーのTVには大相撲の中継がついていて、
車椅子にちょうど合う高さの、白いプラスチックの食事机があつらえられ、
ちょうどベビー椅子みたいだった。
お年寄りたちは、明るい小花柄の、柔らかいビニールクロスの前掛けで、すっぽり覆われていた。

師匠が
すいません!すいません!
と看護婦さんを呼ぶ。
その声には、まぎれもなく師匠の声の響きがあった。

ああ、良かった。人違いじゃなかった。

と思うや、
なんですか?
と明るく訊いた看護婦さんに
このひと、何か言いたいみたいなんだけど。

何言ってんですか、ご面会ですよ、と看護婦さんは笑い、
わたしも笑いながら、もう一度ごあいさつする。

覚悟はしていた。
前もって、それとなく注意もされていた。
とろとろ眠っていらっしゃるから、思い出すのに時間がかかるかもしれない、と。

師匠がまた
お願いします!お願いします!
と言う。
看護士さんが尋ねると、
眠い。

もうじきご飯だから、もうしばらく起きていましょうね。

夢の世界の師匠の邪魔をしないよう、
わたしはひっそり、傍らに座っていた。

お年寄りたちは皆、思い思いにつぶやいたり、しゃべったりしていた。
前掛けをはずしたい、とちょっとごねるひと。
お父さん、お父さん、と、ずっと呼びかけてるおばあさん。(父だろうか夫だろうか)
かなりしゃんとしてるおじいさんもいて、相撲の感想をひとり、話していたけれど、
そのあと何分か置きに、
帰してください。
ここから帰してください。
と、看護士さんに繰り返していた。

おなかすいた。
眠い。
お父さん。
夢の中にいるようなお年寄りたちから聞こえてくる声は、
話しはじめの赤ちゃんたちのような、基本的欲求。

ざわざわしていたけれど、
あたりには夢のように眠気が漂い、
ふんわりと、柔らかかった。

Dreamtime。
ひとりひとりが、夢の中をゆっくり動く。


不意に師匠が、
あら、****さん!(わたしの本名)と言う。
はい!そうです。
ずいぶんお元気そうね!
はい。おかげさまで。
ご無沙汰していて、申し訳ございませんでした。

お食事、ご一緒してってください。
と看護士さんが言う。
運ばれてきた食事は、きれいなメラミンの器に入った、
五分ぐらいのおかゆと、
淡いきれいな色でいい匂いのする、
全部すりおろしたおかず。
ピンクはたらこ入りのマッシュ??
パステルグリーンのすりおろし青菜。
裏ごしされた、かぼちゃの煮付け。
しょうがの香りのする、くず仕立てでこぼれない透明なおつゆ。

最初はスプーンでご自分で。
手がいつのまにか、思うように動かなくなってる。
でも、硬直はしていても、真っ白で本当にきれいな、師匠の指はそのままだった。

しばらくしてお疲れになったのか、食べさせてほしいとおっしゃる。
緊張しながら、ひとさじ、ひとさじ、さしあげる。
食べ物を口に含み、飲み込む、
ただそれだけのことが、実はどれほど不思議なことか。

時々、反応に戸惑いながら、最後は看護婦さんに少し手伝ってもらって食事が終わった。

寝支度が済んで、看護士さんが師匠をベッドに寝かせてくださる。
あのひと(わたしのこと)はどこ?
そこにいますよ、あのひとじゃなくてご面会の方でしょう?
と看護士さんが笑う。

今ごろ、目がぱっちりしてきましたね。
そうなの、このひと、わたしの生徒なの。

突然、霧が晴れたみたいに顔つきやオーラまで変わって、
元の師匠の顔になった。
これならわたし、
一瞬だって「人ちがいかも」なんて思わない。
それは本当に、信じられないぐらい一瞬の変化、
ああ、やっぱりあの夢の霧の向こうには、元の師匠が生きているんだ。

Tango、buleria、今やっている踊りの話をすると、
まるで若い娘さんのように
わたしも踊りたい!
とおっしゃった。

胸を突かれて

また、ご一緒しましょう。
手のこなしとか、また教えてくださいな。
なかなか、ああはできなくて…

師匠の腕や手の使い方の上手さ、美しさは、プロの中でもトップクラスで、
先年引退した、長らくスペインの第一人者だったクリスチナ・オヨスが
手なら彼女に習いなさい
とスペインの若手に言うほどだった。

だいじょうぶよ。あなた、やればできるわよ。

ついに、ぽろぽろと涙がとまらなくなって、向こうを向いた。

夢の霧の向こう側に、師匠はやっぱり、しっかり踊りを持っていった。

亡き祖母が、入院先の、引き出し式のサイドテーブルに向かって、「ピアノ」を弾いていた姿と重なった。

人生のフィナーレの、夕映えのような夢の霧の向こうに
わたしはなにを連れて行くのだろう。


やがてまた、とろとろと半ば夢の世界に戻りつつある師匠に
また、まいりますね
とおいとました。

握手したすべすべした白い手が、しっかりとわたしの手を握り、わたしは両手で師匠の手を包んだ。
長いこと。

バイバイ。またね。

夢色の廊下を抜け、外に向かった。
なにもかも柔らかい色合いで、穏やかで清潔で、
ここのお年寄りたちが放つ夢の匂いが、暗くなかったことは救いだった。
フィナーレのはずなのに、赤ちゃんみたいな気配がした。


一歩外に出ると、そこはようやく秋の気配の、ざわめく渋谷。

まるで遠い国から帰ってきたみたいに、家路をたどった。

Dreamtime…
全てのフィナーレに、幸いあれ。
No.1084 - 2012/09/22(Sat) 08:42:15
実は / お京
この夏はライヴ帰りに夜行バスに乗り遅れそうになり段差を落ち、
以前骨折したとこを
今度は靱帯断裂…

自分のドジさ加減にめっちゃ腹立つ。

だいたいくっついたかなと思ったので、杖ついて、
今し方、SLANG@横浜関内BBストリートに行ってきました。

楽しかった!

だけど教訓。
靱帯切ったら、
SLANG最前列には、リハビリ終わってから行きましょう(笑)

ノーマスターツアーには杖なしで行こうと思ってたけど
リハビリ終わるまで、ライヴは杖あったほうが身のためかな(笑)

…それはさておき。

北海道からめっきり足が遠のいたせいで、
SLANGは久々でした。

演奏はずれなし、だけでなく
MCもはずれなし、ですSLANGは。

聴いてると、背筋が伸びる。
KOさんが話すことなら、素直に、真剣に聴ける。

つくづく、他人に伝わるのは、
思想でも主義主張でもなく、
そこにいる、人間なのだなあ、と思う。

緊張したけど、
ほっとした。

良かった。
そこに、SLANGが在って。
No.1083 - 2012/08/31(Fri) 22:39:52
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