08965

diario al viento

でぃありお・ある・びえんと
2015/1 メール変更しました。vientomustang66、@マーク以下はexcite.co.jpです。
2006/8より、「風の航海日誌」の更新は止まっています。
こちらには時々出てきます。

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いいツアーだった。 / お京
「また来て!」とUNIT21の子達(すっかりファンになりました)に言ったら
「来年くるよ!」と。
ほんとかしら。だといいなあ。

いいツアーでした。

いろんなものが違って見え、いろんなものが違ってきこえた。
ある意味、なんか生まれたてのようなすがすがしい気分。大好きな、青みがかった朝の光。
この歳でこういう幼稚なこと言うと、笑われそうだけど。

不思議なことに、なんだかとても自由な気分。
なにから自由になったのかはわからない。
ここ10年ばかりのうちで一番、素の自分に戻れたみたい。
今回のツアーでちょっと心が脱皮したかも。

思えば最初に元亭主にとっつかまってから、人間というものにまた心をひらけるようになるまで、長い、長い道程(笑)
いや、その前はもっと問題外に人見知りだったから、それ以前からかな。
いきなり生身の人間に土足で接近されても心はひらけなかったでしょうから、
すべてを乗り越えて心に流れ込む、生きた音にはとっても感謝。

誰にも甘えず、つっぱらかって生きるなら、これまでわたしがしてきたように、「女装した中性の魂」であるほうがずっとラク。
つかまえず、つかまらない。
だけど、生身の人間としては、自然に女として呼吸するほうがラクなんだなーと、
そんなタンジュンなことも忘れるぐらい、長い長い道程。
だけど、そのほうが、たぶん、自由なの。
自分本来の、素に近いという意味で。

あんま、カッコつけるのはやめることにしました(笑)
てっか、たぶん少しずつ弱い面出してないと、
かえってどこかで一気に崩れるかもしれない、と今回の10日間で思いました。

***

最終日東京、FORWARDのラスト2曲。"Never Lost Yourself"(今のわたしには本当に必要なこと!)から"Love?"

「Never lost myself」と、FORWARDを聴きながら心底思った。
女に戻ることは、lost myselfどころか、本来の自分自身への回帰。
だけど、女であることには、少なくともわたしの場合、時々、
「lost myself」が混じるのではないかと思う。
そこが男であるFORWARDとの違いなのかも。
ただし、lost myselfとなる瞬間は、自分で選ぶ。

音が胸に突き刺さる。ステージの柵の上に立って歌ういしやを見上げながら、心の底から歌った。憑物が落ちるようだった。
自分を救うのは自分だけれども、時々(いやしょっちゅう)、音に助けてもらいながら、わたしは生きる。
さまよいながら、自分を見失うまいとしながら。わたしはしのぶ、しのびとおせる。
いつか、「大好き」のなかに溶けて消えることができるその日まで、どうか音よ、響いていて。

・・・そんなわけで。「皆勤賞ですね、おつかれさまでした」と
ヒデカズさんに言われたけど(今回のツアー、あらためてヒデカズさんファンになりました)
そして終わってみれば、たしかにそうなんだけど、
最後まで、よくまあくたばらずに回れたなあって感じ。我ながらびっくり。
黄金の日々、苦くて甘い日々、とことん自分を試された日々。
一生忘れられない10日間になりました。
No.982 - 2008/09/11(Thu) 12:25:27
CROSSFACE / お京
下のカキコには、あんまりCROSSFACEが出てこないけれども、
今回のツアーを聴きながら、
彼らが走り続けるなら、わたしはついていく!とあらためて思った。

今回のツアーは、わたし、ギターサイドで聴いている。
CROSSFACEのギターとドラムの組み合わせとしては、歴代で一番今の二人が好きだ。
そしてオオサカ氏。
今に始まったことではないが、何が起ころうと、ステージをしっかりモノにする、
ハプニングは予想がつかずのライヴを
文字どおり、ライヴ(生)として叩きつけるこの人の歌と存在は、やっぱり特別だ。
(歌詞といいうたといい、わたしにとって現役のPUNKヴォーカルのベスト3なのだ)

新しいベースのマコトさんを急遽迎え、ぴりっと心にしみる、やけどしそうな音で、ツアーを進んでいくCROSSFACE。
わたしはついていくだろう、彼らの旅路に、それが終わらない限り。
そして心からのエールとリスペクトを送りたい。
わたしは好きだ。何があろうと、今を生き続けるバンドが心から好きだ。
No.980 - 2008/09/03(Wed) 17:19:54
狼RINGツアー、はじまりました / お京
8月29日、新潟にて。
「お京さん来たの!」と弁慶氏が笑う、
「はい。来ました」とそそくさと客席に。
「お京さん、あの、物販あるよー」とたっつ君か呼びに来る。
「えーーっ!!なんでいるのよ!」というとこれまた笑う。
「顔見るとMUSTANGききたくなるじゃん!慎也さんもいればいいのにー!」と、ついつい憎まれ口。

上に来てた一般服を脱いで、首の前でクロスしたビスチェのひもに
ヒデトシさんのテキサスみやげのCRUDEバッヂ(だって落としたくないんだもん!)つけて
物販に戻ると、弁慶さんが指差して爆笑する「お京さん、それ、CRUDEバッヂ・・・わははは、わははは」
そんな笑わなくたっていいじゃん!こういうでっかいひとに笑われると、ふっとばされそう。
Tシャツを買うと「ポスター付けるよ。たっつたっつ、ポスターどこ?」
ポスターはきっちり包まれたまま、物販の机?になってる。出そうとしてぐるぐる、あたふた。
「たーっつ!」弁慶さんが平手でたっつ氏のあたまをぴしゃんとやる。
このひとたち、ほんといたずらっこみたいだ。
ヒデトシさんも出てきて爆笑する「お京さん、それ、やらしい」
「・・・そういう言い方、ある?」全員爆笑「あるよ!」
ツアーがはじまるときの、はしが転げてもおかしいようなハイ状態。幸せ。

まだ若い(21,2歳)のツアー勢は、でかい!あまり広くないWOODYに、私より頭ひとつ近く大きく横もしっかりしてるのが10人近くいると、狭い。ちょっと新鮮。

新潟のトップはBLOWBACK。弁慶さんがどまんまんなか最前で踊る。
生き生きした、晴れやかな音。やっぱり彼らは、遠く旅して自由になった。
実はこの日のライヴNo.1!は、わたしにとって新潟勢だったのです。自分でもびっくり。
至福の時間。
大好きな人たちと同じ場にいて、大好きな音の中で、共に踊る。

ツアー組は飛び入りもあって(TOLAR)ここはUNIT21のメンバーの一部がやってるバンド(MUSTANGとCRUDEみたいな感じ?)。
わたしはUNIT21が好き。
何の予備知識もなく、ひょろっと聴いたわけだけど、素直に踊れる、血が騒ぐ。
客席に下りて弾きっぱなしのベースに、勢いとリズムのいい、若々しいヴォーカル。
わたし、これまであまりマメにアメリカのバンドをチェックするほうじゃなかった(どちらかというと若いときからUKのほうが好き)けど、
最近日本に来る現役のアメリカのバンドには、わりとはずれがない。

そしてCRUDE、ああ、だけど現実感がない。
待って待って待った後のライヴは、えてして最初、うれしすぎて頭が働かなくなる。
おまけに新潟で、新潟は何せ客席も最高なのだ、パイン君が先頭に立ってひっぱってるから。
もう、アタマの収拾がつかない。
間違いのない音、いい風が吹いてくる。その風を追って走る。
「I LOVE新潟!」弁慶さんが叫ぶ。

でこの日は、CIDER77がまたかっとんだ出来。めちゃめちゃR&Rで、オペックさん冴えまくりで、ここ何度か聴いたうちで一番よかった。
「テキサス行って来い!」とパイン君が叫ぶ。「行くよ!どこへだって!」とオペックさん。
うん、これならどこにだっていけるよ!

***

二日目横浜。娘にリクエストされたパエリアを仕込んでからあわてて出かける。
この日はやたらとバスドラに穴があく日で(UNIT21、CRUDE)、
UNITのドラム直すときなんか、コバちゃんヒデトシさんたっつ君とオールスタードラムスタッフ(写真取ってるお客さんがいた。気持ちはわかる(笑))
だけどライヴとしてはこの日の方がさらによかったかな。True Bravery(弁慶さんのアルペジオで始まる曲)、久々にきいた。
身体がとろけるようなギターの音。このひとのギターの音はほとんど反則だ。

***

三日目豊田の炎天下、3時はじまりのところ、結局スタートは4時半近くに。
豊田市は行きにくいし、できれば新幹線のあるうちに帰りたい。
時々場所が変わるけど、この日は駅のすぐ近くの、屋根のある広場みたいなところでコンパクトに。(前にやった、ほんとにかんかん照りのとこじゃなくてよかった。)
横浜からコバちゃんが来てる。さすがだ、横浜兄貴(笑)

この日のUNITは特によかった。ステージなんかない路上で、がんがん踏み込んで弾きまくる。アンコールもかかる。いいね、このバンド。
だけどおまわりも引き寄せられてくる。やれやれ。
次のCROSSFACEの時には、パトカーで来て「解散しなさい!」
音でかき消す。途中、どこから電源をとってたのかわからないけれど、弦モノの音だけ、2度ばかり電源が落ちる。
口三味線で、そのまま続ける。またこういうシチュエーションの中のオーサカ氏は、いつにもましてかっこいいのだ。逆境を跳ね返す、鋭い存在感。
やがて音が戻ってくる。最後まで、きっちりやった。

またしてもポリがステージ周りでなんか文句言ってる。
そんなとこで文句言ってるより、さっさとやらせたほうが早いのにねぇ。

そしてCRUDE。CRUDEのときにも一瞬、弦の電源が落ちたけれども、やりきった。
CRUDEもまた、こういうシチュエーションで輝きを増すタイプ。
「自由を目指そう!」弁慶氏が叫ぶ。やってる方も客も、同じ高さの路上で向かい合う。
ポリのおかげで、むしろ客席もなおさら盛り上がったかもしれない。
わたしたちは今ここにいるのだ。音を絆にして、今この瞬間を愛して。
見ればいい、わたしたちは今ここでめいっぱい生きている。
ドラムの向こうに、どっしりとゆるぎなく座るヒデトシさん。
ヒデカズさんが、弾きながら、ふっと顔をあげて、とても素直な笑顔を客席に向ける。
あんまりにも邪気のない、不意打ちのような笑顔で、驚きながらも、笑顔が伝染する。
弁慶さんは弾きまくり、時にギターから手をはなしてはばたくように全身で叫ぶ。
なんてライヴだったろう!もちろんアンコールがかかる。
彼らが選んだのは「心」
いい音だった。風が渡る路上で、その音はいくつもの心をつつみ、空へとのぼっていく。
聴いていると解き放たれ浄化されるような音だった。
今回のツアーで、今のところこの日がわたしにとって最高かも。

ここでもう耳と心が満腹し、時間もなくなってきたので列車に飛び乗る。
ごめんなさい、オーダー、見られなくて。

***

四日目名古屋、この日は住民票をうつして住宅ローンの最終契約、それから慶応病院に眼の定期健診。ジャケットを着込んで臨む。
なんてめまぐるしい一日だったろう。昼間の予定だけで、精神的に疲れ果て、暑くて倒れそうになった。
おまけに病院では、医者が席をはずしてなかなか戻ってこない!6時半スタートなんだぞ!(こっちの都合ですが)
診察が済むと、散瞳剤がきいて眼の焦点がさだまらないまま、はしってはしって名古屋に向かう。途中何度もハックに電話するが、順番はなかなか決まらない。ええいままよ。
ハックに着いたのは7時15分ごろ、まだ眼がおかしく、一瞬迷うが何とかたどり着く。
「今何やってます?」「これからCROSSFACEはじまります」あああ!なんとかぎりぎりでまにあった。
パンプスのままギターサイド最前にもぐりこみ、ジャケット着たまま踊る。
そうわたしの一日は二度はじまる!なんてぇ一日だろう。

CROSSFACEが終わると、後ろに下がってパンプスを脱ぎ、カンフーシューズにはきかえる。
あまりにタイトなスケジュールで、もはやアタマがもうろう、ちょっとよろよろする。
「お京さん、仕事あと?ちょーっとおそいんでないの?」
からかうようにたっつ氏が笑う、えーい無茶言うなよ!でもしあわせ、ここにいられてしあわせ。

この日のCRUDEもよかった!やっぱツアーはじまるとどんどん調子が上がってくる。
わたしはCRUDEまで見て、新幹線最終に飛び乗って帰った。名古屋滞在、正味3時間なり。

***

そして昨日が京都。無我夢中で気がつかなかったけれど、6連発ライヴだ。こっちも死にそう。
ところが、気がつくといつのまにか慎也さんまで客席に!
最初わたし、MUSTANG恋しさに幻を見るようになったかと思ったわ。

時間切れ。これからパイプ69にはしります。
No.979 - 2008/09/03(Wed) 17:08:19
信頼とは関係ないといったけれども / お京
たぶんわたしは、リズムでひとを判断しているような気がする。
一番わかりやすいのは、踊りや音楽のリズム。
でも文章にも、話す言葉にもそれは出てきて、もちろん街にもリズムはあって、
どうもそれを手がかりに、気持ちをひらいたり、ひらかなかったりしてるらしい。

あなたたちが何を考えている人かは知らない。
けれどあなたたちのリズムは、知っている。
それは、わたしの心をひらく。(または、ひらかない)

たぶんこれが、わたしのライヴハウスでの他人との接し方の基本のような気がする。
No.978 - 2008/09/03(Wed) 16:57:35
心の旅路:海にひとでを流しに行った(8月27日) / お京
娘と一緒に魚屋へ、並んでいるイカのパックに、ひとつ、星型のかけらがまざっていた。
「ハハ。これ買って」彼女の物好きは、今にはじまったことではない。

好物のシーフードカレーを食べてから、とりのけておいたそのかけらをしげしげ見た。
ひとで、の一部、らしかった。
ところが、どう考えても生きているはずがないのに、手のひらにのせると、なんだかむじむじする。
「え、何これ。・・・持ってみて」
「・・・何これ。うそー。ハハ、海に返してきて」(ワタシは使い走りかい)
そうは言っても仕事日には、なかなかそんなヒマはなく、二日ほど、塩水ごと小皿に入れといた。

「ハハ。返してきて。お願い。
生きてても死んでても、なんかここに置いとくと良くないような気がする。
取り返すために津波が来ちゃうとか」
「しょうがないなあ、わかったよ。それで気が済むんだったら返してくる。
もう二度と、妙なの入ったサカナ、買いたがるなよ」

小さなタッパーに入れてかばんにしのばせて仕事に行った。
家の近所の小さな川を渡るとき、突然、不思議なぐらい、なまぐさい海の匂いがした。
・・・やっぱり、返したほうがいいものなのかもしれない。よくわからないけれど。

そんなわけで、仕事から戻ったその足で、ひさしぶりに、夕暮れの鎌倉の海に行った。

***

日はずいぶん短くなって、6時半過ぎに鎌倉についたときには、あたりはもう薄暗がり、
鎌倉は、夜が早い。7時にはかなりの店が閉まり、あたりがちゃんと暗くなる。
いやだなあ。こんなに暗くなってから、得体の知れないもん持ってひとりで海に行くのいやだなぁ。
でもしょうがない。海へと続く鶴岡八幡宮の参道を、神社とは反対に向かって急ぐ。
急ぎながら、はっと気付いた。わたし、暗い海がいやなんじゃない。
暗くなってから鎌倉を歩くのが嫌なんだ。

鎌倉は、ずっと近所だった。ちょいと長いこと自転車に乗りつづけることを覚えて以来、
わたしの定番の休日散歩コースだった。
ただ、どこから入るにせよ坂だの切りとおしだのを通らなければならず、
観光地で、遅くまで開いてる店もろくになく、大きな道でも途中が真っ暗になるので、
あまり遅くまでいることはなかった。
遅くまでいたのは、時として泊りがけで来てたのは、そうだ、結婚する前の夏から秋にかけてだ。

だから、暗い鎌倉が嫌だったんだな。

幸い、今は夏で、海が近くなると、いかにも海といった感じのカップルが、夏の余韻を楽しんで歩いている。
砂浜に閉まっている海の家の間には、まだ開いている海のレストランがあって、レゲエががんがんかかっている。
鎌倉の駅からの道を先に歩いていた、夏のスーツを着こんで荷物を持った老人が、
ひとり、砂浜に降りていき、そのまま靴も脱がずに波打ち際に進んでいく。
あれ。だいじょうぶかな。
とはいえ、妙なもん持ってひとりで仕事帰りに海に来ているわたしも、
もし誰かがはたから気に留めたなら「だいじょうぶかな」だったに違いない。

荷物を砂浜において、タッパーのふたをあけて、波打ち際に行く。
ざざっ。水がほとんど届かず、まだ流れていかない。
もっと海に寄る。ざざーっ。パンプスをはいたまま、波をかぶる。
タッパーに波が入り、そのまま中身をさらっていった。
ばいばい。

あ、でもなぜか、とても気持ちが軽くなった。

夜の砂浜で、間近に海を見るのはものすごくひさしぶり。
子供の頃は、夏になるとよく見てた。夜の波打ち際が、好きだった。
最近、暗い海辺といったら、遠征先で時間つぶしに立寄る港とか、窓からながめる伊豆の岩場ばかりだったな。
波がしらが、青白くひかっている。昔、誰かが、夜光虫かなにかだと教えてくれた。
とおくの岸のあかり。浜辺をもう少し上がれば、笑い声の上がるレストラン。
でもここは、とても暗く、とても静かだ。
ただ、海と、寄せる波と、砂と。

パンプス脱いで、砂を払った。
濡れた足に、砂がさらにくっついて、ますます収拾がつかなくなった。
砂のついたかばんをひろいあげ、娘に電話した「任務完了」

***

帰り道。コンビニのゴミ箱にタッパーを捨てて、
お返しに(?)りんごのお酒を一本買って、飲みながらふうわり駅に戻る。
浜の大鳥居、和田塚、そういえばわたし、行きには見かけた記憶がない。
いったいどこを歩いていたのだろう。いや、道はここを通った。
少なくとも、身体はここを歩いていたはず。
けれど、たぶんたましいは、半分ぐらい身体の外に出ていた。

ふり返らない。後悔もしない。
わたしは学んだ。ひとは自分がそうしたいと思うことは、できればなんだってする生き物なのだと。
それは善悪とは関係ない。信頼するしないも超えている。ただ、そういうものなのだ。
同時に学んだ。ひとによっては、どうしてもそうしたいと思えないこと、できないことがある。
わたしは、自分のしたくないことはしない。他人は、やりたいようにすればいい。
その他人自身以外の生き死ににかかわることでなければ。

けれどわたしは、この空気を覚えている。日の暮れがけの潮風と、くろぐろとした木の影。
たぶんわたしは、あのとき、この街にこころをひらいていたのだと思う。
そういえばこの前、新宿JAMのあたりを歩いた時もそうだった。
身体の表面がとけるような、うだるような空気の中、時々吹く、風。
その街を自転車でとおりぬけていた、20年近く前のわたし。
20年前のわたしも、そのときのわたしも、たぶん、街にこころをひらいていた。
こころをひらくというのだろうか?
自分の内側が、くるっとなかおもてにひっくりかえって外に出て、
なまなまと風に吹かれているような、あの感覚。
そしてそういうとき、わたしはいとおしいと思う。今、自分に触れている風を、街のざわめきを。

わたし、ケヤリムシかイソギンチャクみたい。
あたりを潮が満たせば、えらをひらき、触手をひらき、
何か大きなものが触れると、それとも潮がひくと
ぱっと殻にひっこみ、あるいはうめぼしみたいにちぢこまる。

考えたらわたし、音にも、そしておそろしいことに、たぶんひとに対しても、まったく同じ感覚。
心が、それとも感覚が、ひらくかひらかないかだけ。
昔は、ひらくための前提として「信頼」が必要なのだと思いこんでいた。
でも、少なくともわたしの場合、違うらしい。ただ、ひらく。ただ、ひらかない。
その次に、わたしは、自分をひらくものを「信頼」した。
たとえ一度でも自分のこころをひらいたものには、ついていった。
めったにひとにこころをひらかなかったから、ぞれで済んだのだろう。
結婚したのも、たぶんきっかけはその1年半ばかり前、20000Vで、ただいちど、こころがひらいたから。
ただそれだけのことだったのだ。

今は、そんなナイーブについていったりしない。
一度こころがひらいたからといって。
それが大人になるということ、だったのかもしれない。わたしには。
いや。今でも音にはついていっているのだから、
あいかわらず、どこか「おうごんのよーちえんじ」のままなのかもしれないな。

ただ、ひらく。ただ、ひらかない。
それだけ。それは「信頼」とは関係ない。
なぜって、風や音や街を、どう「信頼」するのだろう、
それを奏でるひと、そこに住むひと、それをもたらす雲や海を?
知ることではない。ふれた時間の積み重ねでもない。
今そこに、感じ取れるまま。それ以上でも以下でもない、わたしにとっては。
そしてわたしも、今あなたの目に映るまま。それ以上でも以下でもない、あなたにとって。

音を言葉であらわすのは、難しい。というより、まず無理。
わたしにわかることは、その音が自分にどう響いたか、
より単純には、わたしをひらいたかひらかないか。
そのあたりを言葉につづることはできる。あくまでも、音が自分に触れた部分だけ。
それ以上でも、以下でもない。
他者を知るのは、難しい。これもほとんど、無理かもしれない。
ひらいた時に、相手のこころのどこかに触れたと感じることもある。
その感覚は、文字どおり、わたしを生かす。
でもそういう瞬間によって、お互いを理解しあえたとは思わないし、
ましてかたちのある人間関係が生じたなどとは思わない。

ひらいている。
ひらいているとき、自分に触れる音やこころのいとおしさ。
条件も、理屈もない。先のことも知らない。
ただ一瞬の、無条件のいとおしさ。
それがわたしを動かすエンジンで、同時に燃料。
一滴の水で、わたしは生きのびてきた。一滴、また一滴、
それがいつわたしに注いだものであっても、いや、
わたしに注ぐつもりで注がれたものでさえなくとも、
その一滴で何年も歩きつづけることができたのだ。
いつ届くともわからない、光の世界から落ちてくる有機物を
たまについばむだけで、生き続けることができる深海魚のように。

流れてゆけ、流れてゆけ。
何が流れていこうと、わたしは歩きつづける。
そういう瞬間は、もう二度とないかもしれない。
もしかしたら、相手のこころに触れたと感じたのは、自分の勘違いかもしれない。
けれどわたしは、自分のこころがひらけた瞬間がある、と言い切ることは出来る。
それがある時期の(あるいは今なお)自分を生かしたことも、感謝とともにこころに刻んでいる。
そして、いつまでもその瞬間を覚えている。自分もひとも街も、何がどう変わろうと、覚えている。
口にする必要もなく、確かめる必要もなく、
懐かしむでもなく嫌悪するでもなく、ただそこに、たしかにあった瞬間として、
記憶の砂浜にころんと転がる貝殻のように、覚えている。

***

いつのまにか、そばにいるだけで
自分でもどうしようもなく勝手にこころがひらくことに気付く。
いつからだろう。
自分でも、気がついていなかった。

わたしはあなたを全く知らない。
あなたはわたしの何でもなく、わたしもあなたの何でもない。
それでいて、いるとなぜだか本当に安心してしまうのだ。
わたしの意識のたづなを離れて、こころが勝手に安心する。
ただ、そこに、生きているということが、嬉しい。
これ以上、望むことなんかなにもない。

たとえまぼろしであっても、この感覚が、わたしを生かす。
この感覚だけが、わたしをひとの世につなぎとめる。

あえて話そうという気にもならず、
ただわたしは、そこにひらけたまましあわせに存在する。
もしかしたら、本来、わたしはこういう生き物なのかもしれない。
波の中に、黙ってふわふわとゆれている。

触れたらたぶん、やわやわした中身は殻にとびこみ、
同時になにもかも消えてなくなるような気がする。
だからわたしは見えない葉っぱを口にくわえる。
たぶん、今度という今度は、死ぬまで。

それだけ。それだけのこと。
旅路の果てに、今、わたしが立っている場所。
いや、今、自分が立っている場所が、いつだって旅路の果て。
歩くたび、果てはどんどんとおくなる。

いつかもし仮に、何もかもが今と違ってしまい、とおくなっていったとしても、
わたしは覚えているだろう。
藪のように生い茂るもろもろの思考の蔭に、その記憶は白い小石のようにひかるだろう。

***

ゆっくり家に戻ると、ぴくしぃがでっかい眼に涙をもりもりためて待っていた。
「ハハ。心配したよ。あれからどこ行ってたの。何かあったのかと思った」
・・・ごめん、ぴく。ちょっと、日常の中にぽっかりと開く、心の旅路をさまよっていた。
「嬉しそうだった?あれ」
「ひとでに嬉しそうもへったくれもあるかい。波につけたら、すーっと流れていったよ。」
「じゃあきっと、それって、嬉しかったんじゃないかな」
「そうかもしれないね。ま、何にせよ、海に返してすっきりしたわ」

***

次の日の朝早く、かなかなの鳴く声に窓を見ると、外は黄みがかったぴんく色。
まるで、火星の空みたいだ。もっとも火星は、こんなにしめっぽくないね。
ぴんくの空をぴろぴろと、小さなコウモリが何匹も飛び交う。

また、夜が明ける。
朝が来るごとに、わたしは生まれ変わり、新しい空気を吸い込む。

身も心も、だんだんすきとおっていけばいいのに、
いつか、「大好き」のなかにあとかたもなくとけてきえるそのときまで、ゆっくりと。
それはなかなかむずかしいから、せめて空気のようなものでありたい、
それもできれば、心地よい空気に、
そこにいることで、なにがしか、その場に風が吹くような。
No.977 - 2008/08/28(Thu) 19:16:18
そしてやっと週末から / お京
CROSSFACE、CRUDEのツアーがはじまります!
この夏は、これを支えにしのんだようなものです!

引越しだの娘の定期試験だのでばたばたしているので、
どの程度顔を出せるか、わかりませんが・・・

でも楽しみ。すごく楽しみ。
No.976 - 2008/08/27(Wed) 20:21:44
No.966のカキコに追記 / お京
NIGHTMARE、結局、この顔合わせのステージは実現しないことになりました。

ベースが見つかって、動きはじめたNIGHTMAREを聴ける日を
いつまでも待っています。
No.975 - 2008/08/27(Wed) 20:19:34
だけど、なんのかんの言って・・・ / お京
やっぱりわたし、完全に禁断症状起こしてます。
MUSTANG。
聴きたい。すごく聴きたい。
この前のライヴから2ヶ月経過。あと何ヶ月待てばいいのかなあ。
性懲りもなくベイシティーズストリートに電話して「ハードコアの予定ありますか?」ときいたら
「全くありません」と言われ、覚悟はしてたけど、えらい気分が落ちた(笑)

来週から、CRUDEのツアーがはじまるのはすごくすごく楽しみ、
(アースダムで「CROSSFACEのツアーファイナルの前売りください」と言ったら
受付でも、チケット買うとこでも
「あ、CRUDEね」と言われた。わざわざCROSSFACEって言ってるじゃない!)
だけど、MUSTANGも聴きたいなあ!と。
MUSTANGの音の持つ、不思議な風の中で呼吸したい。
あの音の中で、思いっきり笑いたい。
・・・わたし、ぜいたく。

こんなテイタラクで、ホントに受験生のハハを優先して来年の極寒ツアーに行かないなんて芸当ができるんでしょうか?我ながらすごく不安。
それこそ、身体の中から魂だけがちょっとさまよい出て聴きに行ってしまいそう。(ごめん、ぴくしぃ!)
ここまでくると、なんか妖怪化してるかもね、わたし。
No.974 - 2008/08/22(Fri) 19:58:37
8月19日 / お京
火曜日(8/19)に、アースダム企画でNo Problemや
Super Friskyなどが出るというので、
突如思い立って、仕事着パンプスのまま行って踊ったら
かなりすっきりした。
(気がつくのが遅くて仕事場から出るのが遅れ、DANMUSHに間に合わなかったのだけが残念)
ものすごく気合入れて行くってんじゃなくて、ふらっとハコ企画に立ち寄って
ふうわりと音を楽しむのも、ほろ酔いって感じで、とても気持ちがほぐれた。

No Problem、なんだか、初めてライヴハウスで、若手のハードコア聴いたころの感覚を思い出した。
音もノリも荒削りで、何が起こるかわからなくて、生。
それが、新鮮。
その上、ライヴ後半で、Vo.の未来男君が、「くだらねぇと思うかもしれねぇけど・・・」と言って、「I Live Just My Life!」
ライヴの最後には、未来男君もナカさんも客席に飛び込んで、
ナカさんはいつのまにかベースと離れ離れになり
(あとでトラッシュのヒロシさんが「ベースを手放すな」と諭して?いた)
未来男君がそれを手にとって叫び、ざっくりと骨太にはじけるみたいにライヴが終わった。

踊ってたらOL仕様のサマーセーターがめちゃくちゃ暑かったんで、
ノープロブレムの迷彩Tシャツ(ここのTシャツのセンス、というかナカさんのセンスかな)買って着たら、さらにナゾなひとになってしまった(笑)

Super Frisky、なぜかこれまでわたし、タイミングが合わなくて
今の顔ぶれ(B.サクラちゃん、Ds.カキちゃん、G.AKUTAREのケイロウ君、Vo.ex.破廉恥のヨーコちゃん)で聴くのはたぶんはじめて、
R&Rが、理屈ぬきで素直に楽しかった。
ELEKIDZ(でいいのかしら)はキュートな女の子3人組、
ごくごくシンプルなPUNK、ふうわり楽しい。
そして最後がCHEERIO、そうたびたびはライヴに行かないけど、実は好きなんだよね、このセンス。

ライヴに通うだけが人生じゃなくて、
わたしの人生はすべて旅で、どこに行っても、どんな姿で何をしていても、わたしはどうしようもなくわたしで、
だけどわたし、ちょいちょい踊らないとうまく呼吸できないみたいなの。
泳がないと沈んじゃう魚のように。
No.973 - 2008/08/22(Fri) 19:48:00
また、8月17日がきて / お京
去年の暑さがうそのように涼しい一日、雨まで降ったりして。
・・・だけど。もうあのひとのことでは泣かないと思っていて、
そしてそれぞれのライヴは皆よくて、お客さんにも心得違いはほとんどおらず、
ライヴとしては楽しめるものであったにもかかわらず、

なんか、ものすごく、疲れた・・・
肉体的な疲れというよりは、なんだろう、なんか、放心してしまったというか。
3月11日のイベントのあともそうだったんだけど、なんだかふっと気が抜けてしまって、お盆明けの仕事始めがえらいしんどかった。

やっぱりいまでも、すれ違ったような気がして人ごみでふり返ってしまう。
ふり返るのはきらいなんだけれど、こればっかりは。

***

13日の新潟ウッディ、BLOWBACK。
そういえば、新潟のライヴに行く列車の中で、あのひとをみかけたこともあったな。
新潟、静岡エリアに行くと、いまでも、どうもあのひとにひょっこり会えそうな気がしてしまう。
この日は、ソメイヨシノのシェルさんが来てて、
ますます、ひとごみに、ふっとあのひとの影がよぎるような気がしてしかたなかった。

「One Word」のあと、盛り上がる客席を前にパイン氏が言う、
「俺たちとは切っても切れないあのひとは、
(そういえば去年、亡くなった後最初のBLOWBACKのライヴでのMCでもこう言っていた)、
切っても切れない、まったく切れない、大先輩、
切っても切れないスーパーヒーロー、チェルシー君が亡くなってもうじき一年、
新潟は、今日があるし、俺達もここにいて、
そういう感じで、ここで、BLOWBACKなりに、1曲やらせてもらいます」

そして「Cry of the City」をやった。
シェルさんもステージに上がって、客席からも、ユズル君たちがコーラスに回って。
途中のギターのメロディを、セイイチ氏が奏でる、生きた音。
ああ、いる、生きてる、すぐそばに来ている、さわれないだけで、やっぱりいる、と思った。

4月の浜松での「We love Chealsea」の時にも思ったけれども、
リスペクトをこめて演奏されるPAINTBOXの曲は、
なんてうつくしいんだろう。
はるかから呼びかける、すきとおるような、いとおしさ。

そしてそのあと「Left Hand」、「I Like Time」と続いて、ライヴが終わった。(なんて心憎いライヴなんだ)
見える世界と見えない世界のへだてを飛び越えて、行き交う音。
その音は、自然に心をほぐし、遠くまでさまよわせる。
遠く、いや、たぶん、近く、見えない世界のほうまで。

***

8月17日、「エトセトラです」と言って出てきたFORWARDが3曲だけ演った。
「Melt to Other Side」と「I Save Me」と「What's the meaning of Love?」
「見える世界の極みの向こう側に
突き抜け、トロットロに溶けていきたい・・・」
初めて聴いたそのときから、わたしの生(死)から切り離せなくなったうた。
あのひとは、どうやって向こう側につきぬけていったんだろう。

***

時々、ライヴのあとに思う。あのひとなら、なんて言うだろう。
時々、自分の行動、あるいは行動に出さないまでも考えていることを省みて思う。
あのひとなら、どんな無慈悲なツッコミを入れてくれることか。

あのひとに対しても、ほかのひとたちに対すると同様、
わたしはあまり話しかけることはなかった。
けれど、わたしが言わないことまで、
時には自分自身で気づいていないことまで、実に正確に見抜かれていた。
今になって、あらためて、ああ、あのひと、見てないようで怖いぐらいよく見てたなと思う。
(別に、わたしに限ったことではない。)
そしてわたしは、あのひとがあの世界にいてしっかり見ている、ということに、
自分でも気がつかないまま、長いこと、頼っていたのだなと思う。
迷ったときに遠くに瞬く、けれどゆるぎない、灯台の灯ように。

***

あのひとが弾いていた最後の時期のPAINTBOX、何が/誰が悪いというわけでは決して決してないのだけれども、
わたしはそのうたにどう向かい合っていいかわからずに、一歩引いて見ていた。
屈託なくその音を追うことができず、
そのことがなんだか申し訳ない気がして、なかなか前でライヴをきけなかったのだ。

この先、PAINTBOXが「戻って」きても、前できけるかどうかはわからない。
3月の時みたいに、一番後ろに下がって泣いてる(というか、涙が勝手に出てきた)なんてことは、さすがにもうないだろうけれども。
それでも、こうやって歌い継がれるPAINTBOXは、これからも聴きたいと思う、聴けたらいいと思う。
不意に吹いてきた風に、耳を澄ますように。
No.972 - 2008/08/18(Mon) 20:12:15
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