08924

diario al viento

でぃありお・ある・びえんと
2015/1 メール変更しました。vientomustang66、@マーク以下はexcite.co.jpです。
2006/8より、「風の航海日誌」の更新は止まっています。
こちらには時々出てきます。

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旅人からのレクイエム / お京
去年、2014年10月31日の夕方。
友人から連絡があった。
別件の、軽やかなメールの最後に、ぽつりと

新潟のユズルさん、亡くなられたそうです。
お疲れ様でした、と。

ユズル君。新潟のBRISTOL CHAOS、そしてその後はEQUALIZEのギターヴォーカルだった。

酒癖の悪い子だった。
喧嘩の話もよく耳にした。
ライヴ中も、よく酔っ払って客席で暴れまわり、
でも音に対する反応は抜群、キレのいい動きだった。
そして何よりも、舞台の上では華があった。

でも、実は、わたし、その知らせに驚かなかった。

新潟のライヴでも、近年、ほとんど見かけなかった。
聞こえてくる噂は、なんだかしんどそうなことばかり。
だから、わたしも、まず「お疲れさまでした…」とつぶやいた。


最初に新潟で会った頃。
たぶん、最初の頃は、「駅どっちですか?」とか
「ここから駅まで何分ぐらいですか?」とか、
旅人の道迷い言を尋ねられるひとりだった。
必ず夜行であわてて帰るわたしを見ていて、
「大変そうだなあ。でもホント、ライヴ好きなんだなあ」と思っていたそうだ。

わたしは、ライヴでは旅人だ。
普段住んでる場所から離れた場所にライヴに通う場合だけでなく、
住処に近い南関東でも。
わたしは、音楽の聴き手だから、
基本的に、演者ともお客さんとも、音楽が聴きやすい距離を本能的に保とうとする。
ライヴハウスは、楽しむ場所で、
ややこしい人間関係を持ち込む場所じゃない。
ま、それが客の特権だわね。

それでも、ライヴ中の行動見ていれば、
こいついいな、ってのはある。
ライヴハウスの外では知らない。
でも、わたしは、ライヴハウスでよく顔を合わせる素敵な音楽バカとして、
ユズル君が好きだった。

ライヴの合間や、夜行列車までの時間、たわいないことを話した。
ユズル君は、大阪のNIGHTMAREのギター、まこちんが大好きだった。
NIGHTMARE好きに悪い奴はいない、とわたしは思った。

アースダムが出来て、まだ2、3年の頃だったか、
ひとつの地方のバンドばかり出すイベントがあって、
確か、静岡、新潟あたりで終わってしまったけれど、
すごくいい企画だった。
確かBRISTOL CHAOSは、新潟ナイトに出ていたと思う。
EQUALIZEは、たぶん都内では演らなかったんじゃないかな。

BRISTOL CHAOSが消滅して、EQUALIZEを始める頃。
新しいバンドのことを、興奮していろいろ話してた。

たぶん、その頃、お父様が亡くなられたとかで、
どういう巡り合わせか、いろいろ話した記憶がある。
家族のこと。仕事のこと。音楽のこと。来し方、行く末。
とめどなく、重くなく、でも、真剣に。

2008年夏の百鬼夜行の頃が、EQUALIZEのデビューだったんだっけ。
この掲示板を探してみたら、なんとその時のライヴ日記が、まだ消えずに残っていたから、
抜粋して、当時名前を伏せてたところは戻して再録します。

***

しばらくは、EQUALIZE、頑張っているみたいだった。
ワンマンやったりしてたし。
確か、NO PROBLEMが新潟に行った時に、ツアー組と一緒に、また、ゆずる君ちにお世話になった。

ただ、なかなか都合が合わなくて、
そうこうするうち、BLOW BACK/EVEのせいちゃんが倒れたりして新潟でのPUNKのライヴ自体減り、
EQUALIZEを見る機会はほとんどなかった。
それでも新潟のライヴに行けば、ゆずる君とはちょいちょい顔を合わせた。

それがいつの間にか、新潟のライヴハウスで見かけなくなり、
誰に消息を尋ねても、言いにくそうに言葉を濁されるようになった。


わたしが最後にゆずる君に会ったのは、東海地方のとある街のライヴハウス、予期せぬ出会いだった。
「おぅ、久しぶり!」と言われて一瞬わからなかった。
「えーっ!?どうしてここにいるのよ」
ゆずる君は何やらぼそぼそ言ってたけどよくわからなかった。
ライヴ中だし、終わったら話そう、と思っていたら、
たぶんライヴ中に、ひっそりいなくなっていた。

たぶんそれが、わたしがこの世でゆずる君を見かけた最後だった。
いつのことだったろう。
たぶん、2013年の後半頃?だったかな。
もう、それすらも思い出せない。


最近、あまりにも会ってなかっただけに、
亡くなった、と言われても実感がわかなかった。
何故、という気も起こらないぐらい…

どこで、どうして、何が掛け違ったんだろうな。

呆けたみたいに、実感わかない。


2014年10月31日金曜日、
知らせを聞いてから、わたしはアースダムに出かけて、

誰ともその話はせず、あくたれで思い切り踊った。
わたしはまだ、ここで生きていて、
目の前に、聴きたいと思えるバンドが生きてる。

どうして誰も、彼に届かなかったんだろうな。

アースダムにいる時に、
CBのおかやんからメッセージが入った。

ユズル、逝っちまったのか
と。
そうか。逝っちまったんだよな。
それでもやっぱり、実感がない。


11月の5日だったか。ゆずる君追悼は、12月18日木曜日に決まった、と友人から連絡があった。

実は、追悼があること自体に驚いた。
だって追悼するぐらいなら、その前に出来ること、あったんじゃない?

なんだかやるせない気分。

追悼は、亡くなった人のためのものじゃない。
生き残った人たちが、区切りをつけて先に進んでいくためのもの。
わかってはいるけれど。
そしてわたしも、実感がないまま、
工業会の定例会を「なし」にして、新潟に行く算段をつけながら、
同様に、自分自身のために追悼に行こうとしているのだった。
No.1145 - 2015/03/28(Sat) 18:15:23
何処から、そして何処へ / お京
一昨日、2015年1月21日13時30分。
仕事中に、公衆電話から電話がかかってきた。
こういうことするのはあの方しかいない、と思って出たら、当たり、
フラメンコの先輩だった。
ケータイの充電が切れたという。

先生が、今日午前中に亡くなられた、と、
義理の息子さんから連絡が入りました。
わたし、4時過ぎに病院に伺いますから…

すぐに、他のお弟子さんたちにも連絡した。

連絡があった時にはもう亡くなられた後で、
わたしはそのまま連絡係をつとめて仕事を続け、
終わってから病院のお片付けに伺った。

つい先日まで、一緒にご飯をいただいていたのに、
脳梗塞で嚥下能力が落ちたら、1ヵ月足らずの間に急速に弱られて。

覚悟はうすうすしていたけれど
昨日今日とは思はぬものを
なんだか未だに、全く実感がない。

***

2014年12月28日早朝5時19分。
フラメンコの内弟子格の先輩から、ショートメッセージが届いていた。

先生がなんだか変です。
今日様子を見にいって来ます。
今年顔見に行けそう?

これだけでは状況がわからなかったので、
そこまで深刻な状況でないと良いと願いつつ、
その日は神戸のDISTARD企画に行った。
他のお弟子さんたちにも連絡を入れてから。
何か連絡あったら飛んで帰る心積もりで。


何度か連絡してみたけれど、
先輩と連絡がついたのはその日も夜遅かった。
雨の降る、冷たいライヴハウスの外で、先輩と電話で話した。

この日は水分補給出来る程度に落ち着かれたそう。
ただ、目を開けたまま眠っていらっしゃる?のでこわい、と。
京子ちゃんの顔が見える、
なんて言うから、わたし、心配になっちゃって…

とりあえず、翌日午後に伺うことにした。

固形食は召し上がれないので、お見舞い品などはお気遣いなく、
お時間あればお顔だけ見せにいらしてください、
と、他のお弟子さんたちにも連絡した。


今思えば、この時から、最終幕が始まっていたのだな。
薄々、そう感じながらも、どこかそう思えない自分がいた。

公私共にかけがえのないパートナーだった女師匠が、
3年ほど、男師匠とは別の病院に入院した末に亡くなられたのが7月末。
気丈に振る舞われていて、
納骨の頃には、レストランで食事会をするぐらい。

その後も、若い頃に患った肺結核が再発したりして
(うつらないタイプということだった)
短距離、ホームから病院に移られたりしたけれど、
お見舞いに伺っては、夕食は集まったメンバーで持ち寄りパーティ、
ついそのひと月前まで、しっかり召し上がっていた。

***

12月29日。年末のあわただしい家事の合間をぬって、
お見舞いに伺った。
別のメンバー二人がが先にお見舞いをしたあと。
彼女たちからは、「そこまでお悪い感じはしない」というメールを受け取っていた。

彼女たちとちょうど入れ違いぐらいのタイミングで、わたしは師匠の部屋にそうっと伺った。
静かな、整頓された明るい部屋のベッドで、
半ば目覚め、半ば眠っておられた。
思ったより顔色も良く、
自然な赤味もさしていて、
今日明日どうこう、はないな、と思った。良かった、と。

言葉は、ほとんど交わさなかった。
師匠は、脳梗塞の後遺症で、機能的に、込み入った発話が難しくなっておられた。
わたしも、ゆっくり、はっきり、おだやかに、
ありきたりのことしか話さなかった。
正直、先輩がいらっしゃるまで、どうやって間を保たせたらよいかとも思った。
ただ、静かに、ベッドの脇に座っていた。

師匠の手が泳いでいたから、ふと、手を伸ばすと、
師匠の痩せた手が、しっかりとわたしの手を掴んだ。
驚くほどしっかりした力が、手から伝わってきた。

長いことフラメンコギターを弾いていらした爪は、
今もきれいに手入れされ、
余分な肉のない、なめしたような皮をかぶった、
骨張ってはいるものの、繊細な手。

そのまま30分あまり、じっと手を握っていた。
座ったままの状態で、ちょっと体制がつらかったから、
時々身体の方は姿勢を変えながら、
ずっと師匠に手を預けていた。

不思議な気がした。
握っている手の力だけが、
師匠をこの世に留めているような気がした。
今日明日ではない、と思いたかったけれど、
師匠はおだやかに、最後の黄昏の坂を下り、あるいは登り始めている、と。

そのままの姿勢で、白い天井をながめた。
師匠が毎日毎夜、眺めているであろう天井。
この、白い部屋で、師匠は何を考えていらしたのだろう。

師匠を訪問してから小一時間ほど経って、先輩がいらした。
なんとなく、おひとりにするのが忍びなかったから、
先輩にバトンタッチ出来て良かった。

それが、わたしが師匠とゆっくり対話した最後だった。
音声の言葉は交わさなかったけれども、
あれが、あの時の師匠とわたしに出来る精一杯の対話だったと今も思う。

***

明けて、2015年1月5日。
師匠の94歳の誕生日。
仕事始めから怒涛の仕事と格闘していたわたしは伺えなかったけれど、
都合のつくお弟子さんたちが集まって、
ささやかなお祝いをした。
皆で撮った写真を送ってもらった。
和やかな写真だったけれど、
その後、友人がこっそりメールしてきた。

3階に移ったし、先生、あまりよくなさそう、と。

それまでの最上階の部屋から、3階へ。
3階は、ナースセンターがあって、何かあったらすぐ駆けつけてもらえる。
逆に言うと、ホームが、何かあるかもと考えている状態を意味していた。

先輩は、毎日のように通われた。
時々、不安になるみたいで、
夜中2時過ぎとか夜明け前とか、時ならぬ時間にメッセージが入った。

1月9日。仕事帰りに、先輩からこんなメッセージが入った。

先生の状態は少し良くなった様にみえますが、
いつ終わりが来てもおかしくないと施設で言われました、と。


翌週、連休明け1月13日。
仕事あと、新年のご挨拶に伺った。
ご挨拶をしたら、師匠は、ほとんどすぐ、という感じで眠られた。
先にいらしていた先輩が、
安心したのね、と。
しばらく見守ってから、そうっと失礼した。
それが最後になった。

後で目を覚ましてから、
あれ?京子さんは?と訊かれたらしい。

別のメンバーは、その後の日曜日、1月18日にお見舞いに行き、
フラメンコの話をしたという。

ぎりぎりまで、意識は実にクリアで、
本当にぎりぎりまで、踊りに関わっていらした。
能う限り。

***

そして1月21日。
スタジオ関係者は、誰もその場に立ち合わなかったので、
師匠の最後の様子は、わからない。
でも、それまでのように、自然に、眠るように境界を越えられたのだと信じている。

残る側は寂しいけれども、
師匠は人生をまっとうされた上での大往生だった。
長患いしたわけでもなく、
亡くなるまで意識がはっきり。
できればこういう死をCENSORED。時が来れば。

でも、まだ全然、実感ないの。
たくさんの記憶、経験、言葉の詰まった豊かな本が、
ばたん、と閉じてもう二度と開けない感じ…
師匠に限らないけれど、
あの膨大な記憶や思いが、
本当にあとかたもなくどこかに散って消えてしまうんだろうか。


師匠たちは、生前、フラメンコ界の派閥?を嫌っていたせいで、
知る人ぞ知る、という存在で、一般受け、という意味では決して恵まれてはいなかった。

内弟子格の先輩が、この先の打ち合わせをしながら、
本物はいつか必ず日の目を見て評価されるわ、
と、自分に言い聞かせるように言った。

絵や文章や彫刻、ライヴではない曲や音源、
そういうものなら死後の再評価もあり得る。

でも、残念ながら、踊りの場合、
それはとても難しい…
踊りは、なまもの。
わずかな映像に残ってはいても、それは生身の踊りとは違う。

まあ、そのはかなさ、というかどうしようもなさが、
わたしは大好きなのだけれどね。


告別式は、1月24日。

師匠を見送り、
それから、PIT BARで開催される、畏友タケイの初企画に行こう、と。


以前、師匠が口ずさんでいたフラメンコの一節を思い出す。

俺は死を怖れない、
なぜなら、それは…
自然だから。
No.1144 - 2015/01/23(Fri) 03:23:03
始まりの時 / お京
2015/1/18(日)
THINK AGAIN presents"MY WAR FEST" @高田馬場Club PHASE

ステージと、それから客席後方にフロアライヴスペースをしつらえ、13時スタートノンストップ16バンド!
ここ数年の大きい屋内イベントではダントツ!
企画全体の空気がすごく良かった。
ありがとう、THINK AGAIN

MUSTANGのライヴは、イベント後半、ステージで。
すごく良かった。
泣かなかった。笑った、いっぱい笑った。

ライヴが全て終わった後、
MUSTANGのドラム、ふとし君が客席にひとりでいたので、訊いた。

お疲れさまでした。
やっぱり、今日が最後?

はい。
とつとつと、でも、きっぱり言った。

そか。じゃ、お餞別。

甘党下戸のふとし君にチョコレートと、彼がMUSTANGにいた間のライヴ日記的なもののプリントアウトをあげた。

元気でね。

帰るんスか。

うん。

またね、と言えないと、別れの挨拶っていきなりわからなくなる。

軽く手を上げて、振り返らずに帰った。

人がごちゃごちゃだったので、弁慶さん慎也君には、挨拶しないで帰った。
彼らには、また会えるはず。

ライヴ中、
また必ず帰ってきます!
と弁慶君は叫んでいた。
今は、その言葉を信じよう。
わたしの愛する、MUSTANG。


ふとし君のヘルプ、実はこれまでにも何回か、「いついつまで」ということはあって、
そのたびに延長になっていた。

でも、今度という今度は、わたし、12月20日のライヴ聴いて、どっちにせよ本当におしまいかも、って思った。
ここまできてしまったら、少なくとも、ヘルプという立場ではもう続けられない。
もし、続けるとしたら、その時はとことん関わるつもりで正式にメンバーになるしかないだろう。
音も、関わり方も、もうヘルプじゃなかったもの。
毎日毎日、練習して…

続けて、なんて、わたし、言えない。
心からのありがとうとリスペクトだけ。

でも、気がついたら、ありがとう、は言いそびれちゃったな。

多分伝わるでしょう。伝わってほしい。
元気でね。ありがとう。

***

ふとし君がやめる、と昨年12月20日に聞いて以来、
彼がMUSTANGで叩いていた間にあったあれこれを振り返ってた。
ぐずぐず引きずってたことなんかも含め、気持ちの大掃除。

あらためて、わたしにとって、函館って大きいんだなあって思った。
そこは全く変わってなかった。

なんか、ここ3年あまりのうだうだが吹っ切れたみたいで、
今はすごく晴れやかな気分。

MUSTANGも極寒ツアーも、どうなるのか、今はわからないけど、
ありがとう函館、って感じ。

どれだけほど時間がかかろうと、わたしは、また、MUSTANGのライヴを聴ける日が来るのを待とう。


今年はわたし、とにかく、新しく、踊れる場所を探さなきゃ。

それから、これまで何度かやろうとしてやめていたけれど、
新しいライヴ日記サイト(多分ブログ形式)も始めようかと。
久しぶりに、残業続きの忙しい仕事の合間をぬって朝3時起きして、
仕事以外で他人に見せる文章を大量に書いてみたら、
また、きちんと文章を書きたくなって。
考え方が引きこもらないよう。

そしてやはり、過ぎていく音と瞬間はいとおしい。
忘れない、と思った瞬間も、やはり次々上書きされてしまうのだ。
瞬間を掴まえておくことはできないけれど、
のんべんだらり、過ぎゆくままに生きるのも、なんだかもったいないないような気がして。

ここ何年か、わたし、始めることより、
いろいろ終わらせることにエネルギーを吸い取られていた気がする。
今年は、始まりの年にしたいわ。

そんなわけで昨日は、とても晴れやかな気持ちだった。
そして、燃え尽きて帰った。完全燃焼。

今日も、晴れやかに燃え尽きたまま。

午後はよりによって、わたし、都内某所の会館で、工業会主催のセミナー(木戸銭1万5千円、A席ならバレエか、海外のフラメンコが観れる値段よね)の講師。
木戸銭取る以上、値段以上のものを持って帰ってほしいから、
プロとしては、外せない仕事。
叫び過ぎて、声がハスキー。ヤバいヤバい(笑)

わたしは、同時にいくつもの世界に生きてる。
昔は、仕事は、遊びに行くためのシノギ、と思っていたけれど、
今は、本気で向かい合える場所がいくつもあって良かった、と心から思う。
今日みたいな日は、特に。

では、また、ライヴで。
No.1143 - 2015/01/19(Mon) 09:35:20
「お京のライヴ日記」2014年12月20日(土)「MUSTANG NIGHT」@函館小屋 / お京
久しぶりに、書いてみた。
明日、高田馬場Club PHASEでのライヴが、このMUSTANGのファイナルなのであれば、
明日が過ぎたら、もう、書けないから。

おひまな時に、どうぞ。

***

「お京のライヴ日記」
2014年12月20日(土)「MUSTANG NIGHT」@函館小屋

わたしがこれまでに聴いた中で、一番長い、MUSTANGのライヴだった。
アンコール合わせて16曲、という、破格の長さだった。

あたたかく大きな音が出る。
ギター、ベース、いつの間にか3つの音が絡み合って自由に走り出す。
ライヴ本編が始まる前の、この即興演奏の一時が好きだ。
このMUSTANG、いつのまに、こんないいバンドになっていたんだろう!

かなり長いこと、音は自在に絡み合い、
ふっと止まって
1曲目の「完全燃焼」が走り出した。

ドラムのテンポは、かなり速い。
そして真面目に、カチッとしてる。
その真面目さが良いと思いながらも、なじめなかった時期もあった。
でも今、この音は、こんなにもわたしを踊らせる。

ほとんど間を置かず、「ピエロ」
リズムの切り替えが見事だった。
きっぱりした、初期MUSTANGの曲。
「終わりじゃないさ」というリフレイン。
そうあってほしい。

小屋は、ステージと客席の間にほとんど段差がない。
手を挙げると、天井のでっぱりにぶつかる。
何度も何度も見てきたけれど、これが最後でも後悔しない、と彼らを見つめた。
腰を落としてベースを弾く慎也さん、
CRUDEの時とは明らかに、音とノリが変わる弁慶さん、
そしてかっちり叩くふとし君。

これまた間を置かずに、「BAD」。
ライヴが始まってからずっと、一瞬も流れが途切れていない。
こんなに、さらわれるような音だったっけ?
曲が終わり、しばらく弦の音が揺らいだかと思うと一瞬の沈黙、
間髪いれずにふとし君のカウントが入り、「箱館」

久しぶりに、本当に久しぶりに、このライヴがずっと続けばいいのに!と思った。
この音なら、わたし死ぬまで踊っていられる。
「間違いねぇ、間違いねぇ!」
隣で暴れているのは、ずっと函館のハードコアをみていたあっき君、
そしてCRUDEのメンバー。
「Step forward!Step forward!」
叫びと音があたりを包む。函館、函館、大好きな場所。

音が静まるや、聴きなれた弁慶さんのギターのメロディ、
「Get power」、今夜は本当に反則だ(笑)
実はわたしがふとし君とたっつ君の違いを一番感じるのが、この曲と「いかれたFUTURE」だった。
たっつ君のリズムには、奇妙な揺らぎがあって、
コケるととんでもなかったけれども、うまく乗ると、巻き込み、酔わせ、おぼれさせるようなリズムだった。
ふとし君のリズムは、しっかりきっちり、真正面から直球勝負。
真面目過ぎる、と感じたこともあった。
でも、いつの間にか、そこをまっすぐに突き抜けて、力あるリズムになっていた。
いつの間にか、今のMUSTANGには、このリズムしか考えられなくなっていた。

そのまま「POISON」、そして「中東」(とセットにはいつも書いてあるけれど、タイトルがわからない)。
音が遠のき、またあらためて始まる、その呼吸が絶妙だった。
きっぱりとしたふとし君の音、そして今のMUSTANGの独壇場。
「新曲」へと続いていく。

このMUSTANGを最初に聴いた頃には、わたし、ずっと笑えなかったんだっけ。
今は違う。心から、笑い、踊れる。

そして「いかれたFUTURE」。
なんだか不思議な華やかさがある音だった。
かっちりきっちりだった音が、もっと自由に踊るようになった。
(まあ、弁慶さんの音は、ずっと踊っていたけれどね)
わたしの耳が節穴だったのか?それとも、今日のライヴで彼らの音が変わったのか?
音の中に巻き込まれ、酔い、それでも目を開けたまま、
信じられないようなMUSTANGナイトを踊っていた。

これで最後なのかしら?
そう決めたなら、誰も何も言えない。
でも、一人の客としてわがままをつぶやくなら、
最後の最後に来て、やっと、死ぬまで聴きたい!と思えるような音になったね(笑)

次の曲への切り替えがまた、きっぱりしていて、
緩急自在のMUSTANGに、わたしは目を見張っていた。
これが最後だとしても、出会えてよかった。
あらためて心から好きになれた、新しいMUSTANG。
今なら言える、あらためて、わたしの愛する、今現在のMUSTANG。

しばらく、音が静まり、
弦がそれぞれ、音の調子を整える。
そして始まったのは、ミディアムテンポヴァージョンの「Drop in Thunder」!

大好きなこの曲、たぶん、ものすごく久しぶりに聴いた。
心がどうにかなりそうなぐらい、懐かしかった。
そして同時に、新鮮だった。
懐かしい、と感じる自分のことを、もう責めようとは思わなかった。
懐メロではなく、血の出るような「今」として聴けたから。
これまでこの音と生きてきたいろんな時間が、全部わたしの中にあった。
笑ったこと、泣いたこと、いろんな瞬間をくぐりぬけて、今ここに生きてる。
音が外からしみこみ、
意識が内側から抜け出し、
久しぶりに、音にとけた。

余韻もさめないうち、弁慶さんのギターが次の音を呼ぶ。「届け」
このひとの音色は、ものすごく豊かだ。
そしてMUSTANGでは、CRUDEの時とはまた違う、奔放な響きがある。
音に包まれ、押し流されるような感覚。
今この時だけの、リアルタイムの音だけが持つ力。

「Real Fight」、いったいどれほど時間が経ったのだろ。
時間の感覚はなくなっていたけれど、
それでも刻一刻と、夜が過ぎていく。
時間よ止まれ、と言えたなら。
でも、わたしには言えなかった。
時間が止まる時は、音楽が止まる時。
決して自分の手の中に抱きしめてはおけないから、
わたしはライヴが好きなんだ。
死ぬまで。

やっぱり、音の中でCENSORED
いつのまにか魂が音についていって、
音が消えていくあたりで、ふっと、この世におさらばしたい。

音の中で、もう一度、
わたしは自分の魂を見出した。
なくしてはいない、でも、普段は、特にここ何年かは、奥の奥にもぐり込みがちだった、魂を。
ただいま、わたしは、むき出しの魂のまま、音の中に帰ってきた。
泣かなかった。泣くのはもったいなかった。
笑いたかった。笑った。この音の中で。

本編締めは、Let's go MUSTANG。
本当に、やりたい!というアゲアゲの時にしか彼らがやらない曲。
最初の音が響いた時に思った。
ああ、このライヴも終わるんだな。
だけど、また始まって欲しい!

もちろん、今夜だって、これでライヴをおしまいにはしない。
アンコールに応えて「Why」
息もつかせない、鮮やかに生きてるその音。
一生忘れない。死ぬまで忘れられない。
そんな時間が流れていく、
血のように、流れていく。

ありがとう!
と弁慶さんが叫ぶ。
「あと1曲!あと1曲!」
「弁慶さーん!」
客席から声が飛び、CRUDEも彼らを帰らせはしない。

そして最後は、もういちど、
Let's go MUSTANGだった。
「Let's go!Let's go!Let's go!Let's go!」
たった一度の夜が流れていく。
同時に、たくさんの笑いが、たくさんの瞬間が重なって流れていく。
この音の中で過ごしたたくさんの時間、
その果てに、今生きている自分。
あたりに満ちているのは、大好きなMUSTANGの音。

時間よ、止まるな。
いつか必ず、わたしはまたここに来よう。

ありがとう、MUSTANG。
出会えて良かった。
今夜、ここにいられて、良かった。

セットリスト
1.完全燃焼(MUSTANG ROLL)
2.ピエロ
3.BAD
4.箱館
5.GET POWER
6.POISON
7.中東
8.新曲2
9.いかれたFUTURE
10.AJ
11.Drop in Thunder
12.届け
13.Real Fight
14.Let'Go MUSTANG
アンコール
15.Why
16.Let'Go MUSTANG

とりあえず…

燃え尽きた。

良い晩だった。

ふとし君、ありがとう。
お疲れさま。
君の選択に、幸いあれ。

***

函館…ハードコア人口が年々減って厳しくなる状況の中、
いくつかは自分たちの播いた種かもしれないとはいえ、
全て黙って受け止めて、踏みとどまり、
活動の場所も、文字通り自分たちの手で作り上げてきた函館勢。
種が芽吹いたぎりぎりの崖っぷちに、
有り得ないような見事な花を咲かせてきた。

なんだかんだ言っても、
不思議な縁で函館に通うようになってこのかた、
わたしは函館ハードコアという存在に、ずいぶん支えられてきた。

終わりじゃないさ、と思いたい。

どこへ行く、MUSTANG。
わたしの愛した、そしてたぶん、
いつの間にかわたしの人生の一部になったバンド。

良いお年を。またね。
No.1141 - 2015/01/17(Sat) 22:05:16
2014年12月20日(土)「MUSTANG NIGHT」@函館小屋 / お京
当日のメール記録より。

***

2014年12月20日6時41分

仕事は前日、19日金曜日も忙しかった!
そのさらに前日、18日に、久しぶりに新潟のライヴに行って、
どうにか夜行バスで帰り(雪でバスが運休するかと思った)
そのまま会社に行けば、ヨーロッパのクリスマス前の駆け込み仕事の洪水、
なんとかかたをつけて、遅刻しながらも社外での立て続けの会議、
そして気心の知れた最高の仕事仲間かつ飲み仲間たちと忘年会に繰り出す。
時間を忘れるぐらい、楽しい飲み会だった。

終電近くに駅に戻ると、
なんと!新宿で人身事故。
ほかの電車の終電から終電を乗り継いでなんとか帰宅した時には、もう午前2時を回っていた。

仕事飲み会に途中から合流した娘が、しみじみ言ってくれた。
ハハ、工業会出るようになって良かったね。
確かに忙しいし、残業多くなったけど、
すごく楽しそうだし、ライヴとはまた違った感じで生き生きしてる、と。

うん。わたしもそう思う。
いつの間にか、すごくいい仲間達にめぐりあっていた。

お風呂入って旅支度して、1時間仮眠。
真っ暗な中、チャリンコで駅に出て始発をつかまえ、
今、無事に羽田空港に。

しみじみ、充実した日々。
やっぱわたし、お京で良かったな、と思えるのだった。

さて、函館までひとっ飛び!

***

2014年12月20日17時15分

いつだったか、MUSTANGが、クリスマスに、金森赤レンガ倉庫のホールでブルーハーブとライヴやった時。

ベイエリアのおっきなクリスマスツリーを並んで見ながら

たっつ「…ツリーだね」
京「うん」

ど直球な不器用さが、懐かしい。

今年見たツリーは、あのときほど緑でも輝いてもいなくて

わたしはすぐに駅に戻って、
今は日吉営業所行きバスで終点を目指してる。

ライヴは18時から。

たっつ君はどこにいるんだろうな。
元気でいてほしいな。

てなわけで、ホテルで1時間だけ仮眠したものの、
これからライヴ&忘年会です。

***

2014年12月20日18時23分

いつものように、バスの終点から、
暗い道を懐中電灯片手にたどる。

でも、今回は、道に並行して、河川改修工事?道路工事?が進んでいた。
道の脇の雑木林が切り払われて、ずっと下の方の流れがはっきり見えた。
(新しい環状道路を造るらしいと後でわかった。)
土曜日、夕方とは言え、
ダンプが出入りして、工事が続いていた。
いつもは怖いぐらい人気がないのに、今日は違う。
でも、安心するより、なんだか違う場所に来てしまったみたいな気がして、
わたしはあの暗い道が懐かしかった。

慎也君は18時スタートと言ってたけど、ちょっと間に合わないな。
どうせ押すとは思いながら、ちょっと焦って道を急ぐ。

小屋に上がる坂の手前で、ギターの弁慶さんに見つかった。

前売りある?
ううん。

今年限りでドラムのふとし、やめるから、今日はMUSTANGナイト。
1月18日、東京でのライヴは、先に決まってたからやるけどね。

お疲れさまでした。
としか言えない。
よくぞここまで付き合ってくれた。

MUSTANGがどうなるかは、わからない。

18時スタートと言われてたけど、それはやっぱりあり得ず(良かった)

まだだけど、寒いから、
お京さん、中に入ってていいよ。

そこでわたしはひとり、
床に座り込んで楽器と遊んでるメンバーたちを見守りながら、
ソファーにちん、と座ってる。
ライヴ前の穏やかなくつろぎタイム。


BLOW BACKドラムね健太郎氏は、仕事中に台車に左足を轢かれ、足指2本を粉砕骨折。
BLOW BACKの予定はキャンセル、半年ぐらい出来ないときいている。
当然、2015年は、単独でも極寒ツアーはなし、だ。

どこへ行くのか、極寒の旅…

ともあれ今夜は、楽しみます。

***

2014年12月20日19時23分

MUSTANG、わたしは事実上の活動停止を覚悟しています。

本当は、たっつ君がいなくなった時に、
とっくにそうなっていたはずだった。

さっき、MUSTANGのCDがかかって…
わたしは、自由に叩いてる時のたっつ君の艶やかさを思い出していた。

どこで生きてる?笑ってる?

CRUDEのリハを見守りながら、
なんだか海外遠征に行った時みたいな気分だった。

CRUDEは…続けるんだろうな。
外の風が吸いたいな。

なんだか自分が、いくつもの時といくつもの場所に、
同時に生きているような気がした。

***

2014年12月20日20時54分

ひとつめ、CRUDEが終わった。
もう、間違いない!という音、
張りつめた、冬の風のような音だった。

そして、これからMUSTANG…

MUSTANGナイトということで、ずっと、大音量でMUSTANGが流れてる…
函館のライヴハウスで、大きな音で聴く、
その瞬間、瞬間のMUSTANGの音。
たっつ君が失踪してから封印して、聴いていなかった音源の数々。

身の置き所がない。
わたしのMUSTANGへの愛情は、たぶん今でもあって、
そして、身の置き所がない。

函館は、今日は雨が降るぐらい暖かな天気…

流れるは、懐かしい、数年前のMUSTANGの音。

懐かしい、と感じる時点で、
既にわたしの中では、その時のバンドへのリアルタイムの「好き」は終わっているはずなのに

今もなお、血が騒ぐ。
そして、悲しい。

どこへ行く、MUSTANG。
わたしの愛した、そしてたぶん、いつの間にかわたしの人生の一部になったバンド。
No.1140 - 2015/01/17(Sat) 22:03:23
3 YEARS with MUSTANG (4) 2014 / お京
「3 YEARS with MUSTANG」というタイトルで書き始めてから、「3 YEARS」とは言いながら、
かれこれ3年半ほど、今のMUSTANGを聴いてきたことに気がついた。
まあ、いいや。

古いメモをあさりながら、わたしはなぜこんなことをしているのだろう、とふと思った。
隠居は2012年のうちに撤回したので、「回顧録」でもなし。

たぶん、MUSTANGが現在進行形のバンドである間に、
自分にとってのMUSTANGを見つめ直してみたいから。
それにしても、わたし、ひどいへたれだったわね(笑)
特に前半は、泣いてばかりいたような気がする。

***

2014年最初のMUSTANGのライヴは、極寒ツアー2014からだった。

2014年1月31日(金)「極寒ツアー2014」@新潟ウッディ
BLOW BACK、MUSTANG、EVE、コネクションズ、KLAXONS

2014年2月1日(土)「極寒ツアー2014」@新大久保アースダム
FORWARD、HAT TRICKERS、SMASH YOUR FACE、VIVISICK、MUSTANG、BLOW BACK

2014年2月2日(日)「Fade-in RECORDS pre.”極寒MUSTBACK tour 2014″」@横浜・関内B.B. STREET
(1)DISKRIMINADOS(ジャバラのベース、JAM君がドラムやってるバンド)、(2)DE-CULTURES、(3)FLIPOUT AA、(4)SYSTEMATIC DEATH、(5)BLOWBACK(f.新潟)、(6)MUSTANG(f.函館)
op/18:00 st/18:30 adv/1800+1D door/2300+1D
BLOW BACKは20時50分スタート

2014年2月4日(火)「関東ガラシャツ集会!!"極寒MUSTBACKTOUR2014"」@北浦和きゃら
(1) K.G.S.、(2) BLOW BACK、(3)三日月爆音団、(4)MUSTANG (6) PEST

2014年2月5日(水)「極寒ツアー2014」@会津Karan堂
己是、泥、KAT da Hide poet MUSTANG、BLOW BACK

2014年2月6日(木)-NAKED YEGGS Presents- NEO CLENCH THE FIST Loud.2「極寒MUSTBACK TOUR 2014 & RAPPA 1st Album レコ発 & NAKED YEGGS New Album レコ発」@仙台バードランド
Op/19:00 St/19:30 Ticket:前売当日共\1,800 (1Drink付)
【act】(1)ZIRASHI、(2)MUSTANG (函館)、(3)KINSMEN、(4)BLOWBACK (新潟)、(5)THUNDER TOMAHAWK、(6)RAPPA (盛岡)、(7)NAKED YEGGS

2014年2月8日(土)「極寒ツアー2014」@函館小屋
(1)CRUDE、(2)ANSWER、(3)MUSTANG、(4)BLOW BACK

始まるまでは、実はそこまで期待もしていなかった
(まず間違いなく、良いには違いないけど、全部回ろうなんて思ってなかった)
けれど、始まってみれば実に楽しいツアーで、 結局、全部通いました。

***

2014年1月31日(金)「極寒ツアー2014」@新潟ウッディ。
活動再開したKLAXONS、この日もとても良かった。
なにしろ、ヴォーカルの荒木君がまたステージ立つようになって良かった。
ライヴ中、荒木君が、ステージからいつも新潟に遠征している友人に「お誕生日おめでとう」したりして、
すごく温かいライヴだった。

曲作りで、ここ半年ほどライヴを休んでいたBLOW BACK。
ライヴで聴けた新曲は2曲だったけれど、
パインさんが相変わらずぶれていなくて、聴いていて幸せな気持ちになった。
「命に踊らされるのか、
踊っているのか。
踊ろうぜ!」とパイン君(結婚おめでとう!)が客席に呼びかけてはじまる新曲、Dance。
そう、BLOW BACKは、本当にぶれない。
生きたライヴが楽しく、いとおしくて幸せだった。

でも、もっと参ったのがMUSTANG。
去年よりずっと、「今のMUSTANGはこれだ!」になってた。
ますますバンドとして、のびやかな音になった。
全身で受け止め、全身で笑った。


2014年2月1日(土)「極寒ツアー2014」@新大久保アースダム。
わたしは遅刻して、ほとんどツアーバンドしか見なかった。
でも、なんて笑ったのだろう。今年の極寒ツアーは、大当たりだ。


2014年2月2日(日)「Fade-in RECORDS pre.”極寒MUSTBACK tour 2014″」@横浜・関内B.B. STREET
昨日もそうだけれど、遠征が立て込む時には、
近場のライヴの時には家事を終わらせてからでないと、何となく出掛けにくい。
遅刻していき、今日もフルで見ることが出来たのはツアーの2バンドだけ、そして胸いっぱいになった。

SYSTEMATIC DEATHの後で、おまけにここは横浜なので、
最初、BLOW BACKの時にはステージ前がガラ空きだったけど、BLOW BACK節はブレず、いいライヴだった。

でも自分でも意外や意外(ごめんなさい、MUSTANGのせいじゃない、わたしのせい)、めちゃめちゃ楽しかったのがMUSTANG。
実は、本日のMUSTANGの客席MVPは、(ザマクの)奥山君はともかく、なんとYOUさんだったと思う。
それも最初から最後まで客席最前ど真ん中で、ガチで踊っていらした。
身のこなしが軽やかで鮮やか、リズム感文句なしで、思わず見とれちゃった。
並んで踊っていたら、こっちまで幸せに、パワー出てきた。
彼はアンコールのlet's goの時も、ぐちゃぐちゃな最前列で軽やかに踊っていた。
ホントにそのライヴが好きで楽しんでいる感じ。
まわりにも火がついて、ものすごく雰囲気のいい客席だった。
この方、全然ぶれてない。やっぱりやっぱりYOUさんだ、と思って嬉しかった。

ライヴ自体も、正直、良かった。
今のMUSTANGは今のMUSTANGで、こういうのもありだ、と去年以上に思えた。

ライヴ後、ドラムのふとし君に、
「これはこれで、ありだと思えた。」
と言ったら、
「どういうこと?」
って訊かれた。

「今のMUSTANGは今のMUSTANGで、いいと思えた、ってこと。去年より、ずっと。」

ふとし君の目がが笑う。
「お京さん、やっと笑えるようになりましたもんね。」

こいつ…!(笑)
ライヴ中によく見てるなー。
MUSTANGのドラムは、正規だろうがヘルプだろうが、喰えないヤツと決まってるのかも(笑)
悪運強いMUSTANGは、ふとし君に叩いてもらえて、本当に本当にラッキーだったと思う。

でも、ふとし君の言う通りだった。
そう。去年は、わたし、
ふとし君が叩くMUSTANGの未来があるなら、見てみたいと思う、と言えただけだった。
でも、いつのまにか、MUSTANGのライヴ中に、また、心から笑えるようになってた。
ツアーの対バン目当てでも、ツアー先のライヴハウスとお客さん目当てでもなく
(白状すると、2013年の極寒は、行き先と対バンで遠征先を絞った)
純粋にツアーバンドが聴きたくて極寒ツアーを回ったのは、
たっつ君がいた最後のツアー、2011年以来初めてだった。


2014年2月4日(火)「関東ガラシャツ集会!!"極寒MUSTBACKTOUR2014"」@北浦和きゃら。
出演順、地元バンドとツアーバンド、見事に交互にしてきおった…
平日だというのにいつもながらスタートが早い、そして北浦和は仕事場から遠い!
K.G.S.に間に合うか微妙。
でも、必死で走ってなんとか間に合った。
そして、走って行っただけの甲斐のある、とても空気の良いライヴだった。

わたし、3年ほど、喪に服していたような気がする。
終わってしまった、遅ればせの子供時代への喪。
喪が明けてきて、心も耳もひらけてきた今年のMUSTANGは、
素直に、いいじゃんいいじゃん!と思える出来ばえ。

今、たっつ君に逢えたら。
わたしは、たぶん黙って微笑むだろう。

出会えて、わたしは良かった。
音楽しててくれて良かった。
楽しかった。たっつ君のMUSTANGを聴きに走ることが、あの頃のわたしの人生の張り合いだった。

今から考えても、不思議で仕方ない。
だけどあのひとの存在のおかげで、わたし、堂々と不器用でいられるようになった。
あの頃のわたしがあって、今のわたしがある。
今のわたしの何割かは、あの、不思議な日々の間に育った。

ここ3年ほど覚えがないぐらい、さわやかな気分。
音が、わたしをほぐしていく。


2014年2月5日(水)「極寒ツアー2014」@会津Karan堂。
いったい、ここ、どこ?
己是のベース、サトル君に尋ねた。

「神明通り、平ちゃんビル2階 karan堂 です。
出るのはマスタング、ブローバックと、地元から己是、泥(前にお京さん見たことあるとおもいます)と、もう一つKAT da Hide poet って言うラップのが出ます(こっちも前に見たことあると思います)。計五つ。
7時オープン、7時半スタートです。
ヨロシクお願いします!」

本日一番のキュンキュンは、フットワークが軽い、ライヴに対する見方のぶれない友人が、
昨日のきゃらでのライヴに感動して、急遽、仕事あとに会津に来たこと。
ところが、雪で電車が遅れ、どんどん遅れ・・・

己是が「到着したら始めましょう」と言う。ライヴがはじまったのは8時過ぎだった。
「今どこ?」「×時まで押すよ!」とショートメールが飛び交う。
彼女も、ほんの少し遅れたぐらいで間にあった。

ライヴはこの日も、ものすごく楽しかった。
あまりにもハイになったので、わたし、ハコ打ちにも残った。
どういう成り行きかは忘れたけれど、途中からとんでもないテキーラ大会になった。
わたしも記憶があやしくなったけれど、MVPは健太郎さん。いったい何杯飲んだのだろう。
どうやってビジネスホテルに帰ったか、全く記憶がないけれど、とにかく戻ってばったり眠った。
明日は東京で、ヨーロッパからのお客様と朝から会議だ。朝一番(5時)の磐越西線で帰らなきゃ。

・・・のはずが。
目が覚めると、えーっ今何時?
あわてて電子技術産業協会の事務局に「遅れます!」とメール。
シャワーを浴びる暇も、スーツに着替える暇もなく、
駅に走って、郡山までの高速バスに乗り込み、
バス停から猛ダッシュして乗り換え時間3分を制し(笑)、
真っ黒なつなぎと高所作業用安全靴のまま、10時からの会議に数分遅れで飛び込んだ。
(幸い、ヨーロッパからの客人も、わたしの正体をあらあら知っているので、笑い話ですんだ。)

会議後、参加者数名とパワーランチして、また仙台の極寒ツアーに戻った。


2014年2月6日(木)-NAKED YEGGS Presents- NEO CLENCH THE FIST Loud.2「極寒MUSTBACK TOUR 2014 & RAPPA 1st Album レコ発 & NAKED YEGGS New Album レコ発」@仙台バードランド

新幹線で早めについたら、盛岡の友人が駅で拾ってくれて、
NAKED YEGGSのベースヴォーカル、日下君がやっている中華料理屋「ホームラン軒」に連れて行ってくれた。
今日はこのあとライヴの日下君、コック帽と白い料理人の服が、きりりと決まっていてカッコ良かった。
仕事スタイルがばっちり決まる男はいいね。
地元の親子連れが、すっかりくつろいでいる。地域に根差したお店という感じで良かった。
料理も、すごくおいしかった。メニューも、そして「だしがらで適当に作った」というおつまみも。
近所にあったら、通っちゃうのにな。

バードランドに行くと、なんと鈍行列車を乗り継いで、豊橋のPUNXゴマちゃんが来てた!さすが♪
健太郎さんは完全に酒が抜けていない顔。
わたしも寝不足、けれどライヴはやっぱり楽しかった!

ライヴの後、知らない女の子が
「人違いだったらごめんなさい。もしかしてMUSTANGのDVDとかで前で踊ってるひとですか?」と。
はい(笑)
「後ろから見て、あの動きはきっとそうだと思いました。
めいっぱい楽しんでる感じで、こっちもテンション上がりました!」

……客冥利に尽きる。
そして、「極寒のお京」がいつのまにか復活したのだな、と嬉しかった。

ライヴが終わったのも乾杯が終わったのも遅く、友人に、新幹線始発まで、車の中で寝かせてもらった。
そしてまた、仕事に行った。


2014年2月8日、極寒ツアー最終日。
ところが今日は、東京も雪の予想。
雪の日の首都圏のJRは、全く信用ならないので、
予約していた新幹線をやめ、始発列車に飛び乗った。

函館についてから、都内の友人にメールしてみると、
都内にしては本当にひどい雪だったらしい。
早く出てきて、正解。

娘が、「吹雪だったよ」と。
北の人には笑われるでしょうけど、物珍しいみたい。

函館は、まだ降ってない。明日は降るかな?
まあ、こちらの交通は雪に強いのでいいけれど。

冬の函館は、不思議な場所。
まっしろな雪道で、歩く以外何か考える余裕もなく、ひたすら歩いているうちに、我に返る。

函館は、なんだかんだ言って、わたしの人生を変えた場所。
函館に通ううちに、わたし前よりずいぶん心がやわらかくなった。
前より、不器用であることに引け目を感じなくなったし、肩の力がずいぶん抜けた。
そして、自分の好き!に対し、素直になった。


2014年2月8日(土)「極寒ツアー2014」@函館小屋
(1)CRUDE、(2)ANSWER、(3)MUSTANG、(4)BLOW BACK

冬場の小屋に車なしで行くのは、やっぱりちょっと大変だった。
車ばかりで人が通らない道で、歩道が固まった雪の吹き溜まりみたいになってて、
雪の中から頭を出してるガードレールにつかまりながら、どうにかたどりついた。
皆、東京が大雪だったから、さすがに今日はわたしが来られないと思っていたらしい。

「来るわよ!極寒だから!」
とまた言える日が来るなんて思わなかった。
心から、そう言えて良かった。

ただいま、極寒ツアー。
わたし、どうやらまた、あなたたちと旅が出来そうだわ。
いつか健太郎君が言ってくれた、「極寒ツアーとセットのお京」が戻ってきた感じだった。

たっつ君のリズム自体は、今でも恋しい。
いつか笑って会えたらどんなにいいかと思う。

でも、それはそれとして、
動くことをあきらめない今の極寒メンバーたちと共に、また、これからも、冬の旅を続けたい、続けられる、と思った。

ただいま、MUSTANG。
結局、わたしやっぱりお京なんだな(笑)
ここにいるよ。

そんなわけで、お京完全復活という感じ。
なんだかとっても、胸いっぱいになるツアーだった。

とはいえ、大雪の予報をほったらかして脱出してきたので、家族には大ヒンシュク。
重い雪に慣れている、新潟のひとびとに雪かきの仕方を訊いた。
曰く、路面をスコップでこそげて雪を運ぶのではなく(重い&薄く残ったりして二度手間)、
ブロック状に切って一回一回投げて積むのが正解、だそう。

次の日も、羽田空港の除雪が出来なくて飛行機が飛ばない。
朝イチの飛行機のはずが、遅れに遅れて、家に着いたのは16時過ぎだった。

わたしの1年は、事実上、極寒ツアーから始まる。
そのペースが、戻ってきたような感じだった。

***

2014年後半。わりとコンスタントに函館のライヴがあって、嬉しかった。
なにせ、次の函館行の飛行機のチケットがハンドバッグの中に入っていると、
俄然、気分が上がるのだ。

ところがひどい目に遭った。蒲田のJ*B!!
6月28日出発でなく、29日のチケットよこしやがったー!(怒)
29日の始発で函館に行って、29日の始発で羽田に戻れるわけないじゃん、確認時は28日って言ったぞ!

とまれ、出発しようと思ったらこれ。なんてこったい。
本日、飛行機は満席。エアドゥでチケットを払い戻してこれから新幹線に飛び乗る。
障害があると燃えるタイプ(笑)困ったもんだ。
そしてなんとかライヴに間に合う時間に函館に着いた。

2014年6月28日(土)@函館小屋
(1)MUSTANG、(2)KKG、(3)CRUDE、(4)Down Hill Project(広島)、(5)ANSWER、(6)NEVER AGAIN

バスで小屋を目指す。
実は今日、どのバンドが出るか、小屋に着くまで全然知らなかった。

MUSTANGにせよCRUDEにせよ、聴けば、やっぱいいなぁって、確実に思うんだけれど
生音派のわたしは、これだけライヴ少ないと、音を忘れてしまいそう。
なんて、函館にまで通っておきながら、ぜいたくだな。
でも、もっと聴きたい。

結果的には、広島2バンド、札幌2バンド、計6バンドで、函館勢、特にトップのMUSTANGが良かった。

…が、さぁ!フタ開けるまで誰が出るかすらわからず函館来るってねぇ!
わたしも無謀というか博打というか。アホやんな。

Down Hill Projectっていう、広島の知らないバンド(向こうはこっちを知ってる)。
カチッと端正な、ロックンロールベースのハードコアに、
ツインヴォーカルでちょっとヒップホップの香りがする音(ハーパンとスニーカー系が似合う感じ)、なかなか良かった。

そしてトリのNEVER AGAIN。今年5月のマージナルのツアー@広島の時にもそう思ったけれど、
にっしん君の歌心全開!というライヴで、とても良かった。
ステージには納まりきらず、客席で思い切りベース弾きながら歌ってた。

***

2014年7月18日(金)。フラメンコの女師匠が亡くなったとの連絡が、社外での会議中に入った。
ずっと、覚悟はしていた。
まだ生きておられるのであれば、病院に行ったけれど、
抜け殻に会いに行っても仕方がないので、予定通り、仕事あと、四日市VORTEXのState Poisonのツアーに走った。
なんか変な感じ。覚悟していたのに、実感がない。

女師匠の告別式は、7月21日(日)の昼過ぎから、旧宅に近い目黒の、彼女が通っていた教会で。
四日市からの夜行バスを降りて、ほとんど始発に飛び乗り羽田空港へ。
エアドゥ空港カウンターで買った(もう二度とJTBは使わない!)函館行き7月21日朝イチの便を変更しに。
連休最終日だったのが幸いして、夕方のANA便を押さえることが出来た(AIR DO函館行きは1日二便しかなく、時間が合わなかった)
告別式の後、羽田空港に直行して、18時35分着函館空港からタクシーを飛ばせば、たぶんライヴには間に合う…はず。
喪服の下に、ライヴ着を仕込んで。

思えばわたし、ずっとそんなだったな。
師匠たちには、ライヴ通いの話など、ついぞしたことはなかった。
必要もなかったし、説明しても通じるかどうかわからなかったから、
おっちょこちょい(これはホント)でケガの多い子だ、と、最後まで心配されていた。
特に女師匠は、ご自分もおっちょこちょいでケガが多かったから、ほとんどお互い様だった。

翌日、函館から戻ったら、(できればいったん荷物を置いて)
工業会に直行、仕事してから飲み会。
走り抜けよう。最後まで。

そして7月21日日曜日。女師匠の告別式は終った。
献花料一切不要、集まったのは彼女を本当に悼む人たちだけで、
故人の好きな賛美歌を歌い(めっちゃ乙女チックな選曲…彼女らしくて思わず微笑んでしまった)、
故人に合った聖書の句を読み(踊るに時あり…)、
故人のフラメンコ三昧の年譜を牧師さん(個人的交流あり、お宅にも、病院にもいらしたことがある)が振り返る(大正末年からなので長い)、
良い告別式だった。

入院されてからは、わりとすぐにおとなしくなってしまった彼女。
周りのおばあちゃんたちがラジオだテレビだ世間話だで元気な中で、
彼女には、趣味がなかった。フラメンコ以外なかったから、と。

納得してしまった。
そんな、一途なひとだったた。

天寿を全うしたひとの告別式なので、むしろすがすがしかった。

わたしは神とも仏とも縁がないけれど、
少なくとも、今日の式に関して言えば、わたし、葬式仏教より好きだな。
女師匠の母方は、天正少年使節の伊藤マンショの一族だそうで、ご両親も受洗されている、まあ、筋金入り。

ターコイズブルーにピンクのピコレースのついた、フリルいっぱいのドレスと白いマントンをかけた上に、
ピンク色のばらやトルコ桔梗を敷き詰めて、
女師匠らしい、華のある旅立ちだった。

歳を重ねることは怖くない、と、存在でもって伝えてくれた彼女。

彼女を見送って、これから函館に飛ぶ。

***

2014年7月21日(日)STATE POISON TOUR@函館小屋
(1)MUSTANG、(2) CRUDE、(3) State Poison(フランス)

喪服のまま、塩を小袋に入れて坂を上り、
弁慶さんに出会ったので「お清めをして」と頼む。
小屋について、喪服をたたみ、迷彩柄の動きやすい服に着替える。

State Poison。メンバーのBefaには、初めてCRUDEのライヴを聴きに行った時に、
ドイツのビーレフェルトからオランダのユトレヒトまで車で送ってもらった。
これまでで一番不思議な珍道中。
そして今、函館にいる。

ライヴは良かった。
でも今日は、わたし、どうかすると心がふわふわした。
いくつもの時間の中、同時に生きているような気がした。

ライヴ後、小屋から下界に降りて、あたりを少し歩いた。

星がめっちゃきれい。

そして懐かしいベイシティズストリートはいつのまにか駐車場になり
いつもドキドキしながら通った、ベイシティそばのローソンはつぶれていた。

それでもなお、函館ハードコアは生きている。
ありがたい。生きている。

でもわたし、やっぱりあまり正気じゃなかったみたいで、
小屋に忘れ物したりして、さんざんだった。

***

その次の函館行は、秋。

2014年9月20日(土)あくたれ&ANSWER北海道ツアー@函館小屋
MUSTANG、CRUDE、ANSWER、あくたれ

ツアーバンドふたつ、すごく良かった。
特にあくたれは、ギター2本にサックスにキーボード、人数的にもステージにはとても収まりきらず、
客席いっぱいに広がって、
四方八方から、生音に近いような音が飛んでくる。
こんな音を聴いたことはなかった。不思議。

この日はなぜだか、函館がものすごく懐かしかった。
なんだかんだ、函館は、今の自分の一部を作った場所なのだと。
最初はシャイで、そこを乗り越えると口の悪い函館勢。

そもそも函館/極寒に馴染むまで、わたし、他人とお酒を飲むことすらむしろ苦手だった。
たぶん、良くも悪くも今に近い自分になってなかったら、
仕事においても、呑兵衛で強烈な今の工業会のツワモノどものど真ん中には飛び込めなかったろう。

うぶすなの地面に触れて力を取り戻すように、
24時間ほどの函館滞在で、
かなりすっきり元気になった。

ネットカフェで夜を明かし、朝早く、バスに乗って街へ出る。
函館の朝は、いつだって美しい。
どんな時でも、わたしに力をくれる。

***

2014年10月25日(土)WARHEAD北海道ツアー@函館小屋
CRUDE、MUSTANG、WARHEAD

この日のライヴは、当時の日誌(「WARHEAD@函館、2014年10月25日」No.1130 - 2014/10/26(Sun) 15:22:11 )を参照。

MUSTANGとWARHEADは、次の日、札幌カウンターアクションだったけれど、
今回、日程が、新潟の羅生門の「BLOOD SMITH TOUR」と完全にかぶっていたので、わたしはそちらに走った。

***

2014年11月16日(日)マージナル映画上映会@函館小屋
ライヴは、CRUDEとMUSTANGだった。

今回の函館のライヴも、本当に良かった。特にMUSTANG。
新生MUSTANGとして、とても良かった。新曲?もあって。
バンドとして、また、まっとうに育ち始めた感じがして、嬉しかった。

マージナルの映画も、去年見たものから、さらにバージョンアップしていた。

中西監督が、マージナル、函館つれて来たいなぁ、でも夏じゃないと無理だなぁ、と。
昨秋、10月の東京に来てさえ、マイク、寒くて凍えて(!)
「寒い寒い」という曲まで作っちゃったそう(笑)
じゃあ、極寒ツアーとか、絶対無理ですね。

マージナル、また聴きたいなぁ・・・

久々に会う顔も結構、いて、嬉しかった。
ベイシティの頃、毎回のようにいたあっき君。
でも「お京さん、踊り方おとなしくなりましたね」と言われてしまった。


函館に来るたび、ふと思う。
どこにいるんだろうなあ。会えなくていいから、元気でやっていると知りたい。

いなくなって3年。
ふとし君が叩いてる今のMUSTANGも、
昔、MUSTANGというバンドが好きだったから、とかではなく、好きな自分がいる。
ふとし君が、決してたっつの真似をしなかったから。
そこは、ふとし君に感謝。

昨日聞いたら、ふとし君、たっつ君と同い年だった。
果たしてMUSTANGに正式加入したのか、未だに謎。
無理はしてほしくない。でも、MUSTANGは聴きたい。今は、この、ドラムで。

なんだかんだ言っても、愛する函館。
幸いあれ。

次回の函館は未定。となると極寒までないかもしれない、と思っていた。

極寒ツアーを指折り数えていた自分を思い出し

今また、いつのまにか、MUSTANGのライヴを待ちわびるようになった自分が今ここにいて

3年。
長いような、短いような。
No.1139 - 2015/01/17(Sat) 22:00:47
3 YEARS with MUSTANG (3) 2013 / お京
四日市への手紙(2013年2月17日)

…でもね。
やっぱり、完全隠居はしなくてよかったなって
しみじみ思った。

よかったな、っていうか…
結局、これが、自分に素直な在り方みたい。

本当に、今!聴きたいライヴだけは、とことん、聴く。
遠征してでも聴く。

…なんか違う、もう好きではいられない、
と思う日が、いつか来たとしても

大好きでいられる間に
大好き!を尽くしたことを
後悔したことは一度もない。

以前よりさらに厳選!にはなりましたが、
好き、に関しては、
もやもや、しなくなった。

わたしが隠居しかけた時、わたしを引きこもりから引っぱり出してくれたのは、
未来を感じることが出来るバンド/ライヴ/場所ばかりだった。
年齢に関わりなく。

未来の気配が、わたしを引きつける。
それだけ。

今はこれでいいや、と
ライヴに行って、いろんな人たちと、じかに話すたびに思う。

もちろん、その音楽が好きだから、ライヴに通うのですが

音源ではなくライヴなのは、
未来に向けて、
ひとりひとりの人間の今が交錯する場所だからかもしれません。

…土曜日(2013年2月9日)は、インランパブリックスの初VORTEX!ですが、
わたしは、今年は極寒ツアーに通わない代わり、
函館小屋でのBLOW BACK、MUSTANGの単発での共演を聴きに行きます。

何事もなかったように極寒ツアーに通うことはできない。
たとえ今回が最後であっても。

…ところで、わたし、来月半ば以降、
ちょっとした眼の手術を受けることになるかもです。

たぶん、手術自体はヘヴィなものではないのですが、
しばらく身動きとれないでしょう。

視界が暗くて、顔を上げてないと気が滅入る。
正直、試練はもうたくさん、とへたれる。

だけど、仕事して、踊りにいって
今できること、やるべきことをして

あたりまえのことが、あたりまえにできる幸せ。
やるべきことがあるのは、すごくラッキーなこと。

何があろうと、わたしは、
手持ちのものをフルに使って生きていくでしょう。

そんなわけで、わたしの今年初の四日市は極寒ツアーになりそうで(笑)
その先はしばらくわかりませんが

今年も遊びに行きますね!
みなさまによろしく。

お京

***

2013年2月9日。
もう10年近く、2月と言えば「極寒ツアー」で、
わたしは自分の1年のペースを「極寒ツアー」で作っているようなところがあった。
年1度、思い切り笑って過ごす時間。特別な時間。

去年は、いろいろ落ち込んでいて、極寒ツアーで遠征するどころか、近所に行くのさえやっと。
今年は、久しぶりに長めの(3週間ほど)西廻りの極寒ツアーがある。
でも、今年も、極寒ツアーでの「遠征」までは多分出来ない、と思っていた。
いや、遠征自体は、また、ちょいちょいするようになったのだけれど、
以前、極寒ツアーで訪れた場所に、特に冬場に行くと、
いろいろ心がさまよってしまったり。

今年(2013年)の極寒ツアーの初日は2月15日、京都ソクラテス。
でも、その前に、単発でBLOW BACKと函館小屋でやると聞いて出かけた。
極寒でなくBLOW BACKの単発ツアーのほうが、まだ心理的なハードルが低い。

久しぶりに函館で見るBLOW BACKとMUSTANGの競演で、わたし、「センチメンタルジャーニー」になるかなと思っていた。
ところが、道中はセンチメンタルジャーニーどころか、
爆睡しながらだったので、意外に平気だった。

だけど函館着くと、
みんながたっつ語(笑)話すんだよね。

こんな風にして、どこかで働いてるのかなー、とか
思ってしまうと切ない。
いや、元気に働いていてくれたらいいんだけど。

冬の函館に来るのはこれで最後かな、と思ったり。

うん。やっぱ来ちゃうと
センチメンタルジャーニーなのかもね。

そして、小屋での出演はCRUDE、MUSTANG、BLOW BACK。

MUSTANGのライヴ…

なんか、へんな感じ…(笑)

隣にBLOW BACK連がいる、
函館で聴く、
たっつ君のいないMUSTANG…

わたしにとっての「極寒」は、これでおしまいでいい!
と、途中まで思っていた。

そして、わたしが最初に好きになったMUSTANGは、
間違いなく、たっつ君がいたMUSTANG、なのだけれども

彼がいなくなってからライヴでやるようになった曲は、
そういうものとして良かった。
MUSTANGと思わなければ、
いや、別のMUSTANGと思えば。

未来があるなら、進めばいい。
わたしの知らない、MUSTANG。

一方、BLOW BACKは、間違いなく、素直に楽しめるライヴだった。
やっぱ健太郎君のドラムはいい。
BLOW BACKの、温度と密度の高い音が、固くなったわたしの心をいつのまにかほぐしていく。

単発ライヴかと思ったら、
いつのまにか極寒ツアーになってたらしく、
メンバーは、ステージで「極寒ツアー!」と叫んでいた。
まあ、そりゃ、普通にそうだよね(笑)

そう、来てしまえばやっぱり、
引きこもらずに来て良かった、と心から思えるのだった。

まあ、行って良かったわ。
今でもなお、いろいろ抜け出せない自分を思い知り、
同時に、今のMUSTANGと極寒ツアーに対する気持ち、向き合い方がクリアになった。
それだけでも、行く価値はあった。

でも、疲れたわ・・・


翌日曜日2月10日、飛行機で飛んで帰って、
長野の若手、インランパブリックスのツアーに名古屋で合流。

こっちは素直に、めちゃめちゃ楽しかった。
特に2月11日の、神戸でのライヴ…
めっちゃ良くて、ライヴ後、涙が止まらなかった。

今年の極寒ツアーとインランパブリックス「コウキョウノカク」ツアーは、思いっきり日程がかぶる。
やっぱり、今年はインランに行こう、と思った。

***

とか思いながらも、2013年2月15日、極寒ツアー初日、
京都ソクラテスに行ってきた。

この前、函館で、
わたしの知らないMUSTANGに未来があるなら、
好きになるかどうかまだわからないけど、
とりあえず見てみたい、と思ったから。

とは言え、最初はやっぱり、
たっつ君のいない極寒をどう聴いていいかわからず、
開演直前にひっそりと滑り込んだものの、わたし、ちょっと固かった。

ツアー組には、
インラン優先!と言い放ってあったので(非道い)、
すっとわたしが入っていくと、彼らがどよめく。

インランじゃなかったの?
今日はインランないの!

でも、彼らが笑ってくれて

…わたしだって、極寒を嫌いたいわけじゃない。

ライヴは、当時の日誌(「極寒MUSTBACK TOUR 2013初日、2月15日@京都ソクラテス」No.1100- 2013/02/16(Sat) 18:23:45)参照。

ライヴ後は、久々に会うWARHEADのドラム、アラッキンと、その家族と和んだ。
娘さんのお守りして(笑)
娘さんがママと帰ったあとは、アラッキンと凶悪な酒を飲んだ。

極寒ツアーを楽しめたことが嬉しくて、
好きになるかどうかは別として
今のMUSTANGの音に、少しずつ気持ちを開けるようになったことも嬉しくて

気がつくと、わたし、
御守りにしてた、ブルームーンストーンとアメジストのペンダントをなくしてた。

アメジストはいったん見つかったんだけど、
飲んでるうちに、またなくしちゃった。

一応、あったら連絡くれるよう、ライヴハウスに頼んでおいたけど、
石にも手放し時?があるのか、
これまでは必死に探したのに、
今回は、もう、いいやって思った。

わたしが決まったアクセサリー(石)を付け続ける時は、
たいがい、わたし自身が弱ってる時…

わたし、もうだいじょうぶ。
あのひとも、きっと。

そう思えたから

お疲れさま。ありがとう。
懐かしい京都ソクラテスのどこかに、ゆっくりと転がっていて。

…そんなわけで、
極寒ツアー初日、心から、行って良かったと思った。

***

2013年2月19日(火)、ネメシスを見に(笑)、博多の極寒ツアーに行った。
博多、天神パブリックスペース四次元。
ネメシスのギター、けーたくんが店長をやっていて、
移動式ステージを片付けるとステージと客席がフラットになる、こじんまりした粋な店。
ネメシスの企画をちょいちょい見に来るようになって、お気に入りの場所のひとつになっている。

ネメシスは、トップに出てきてエンジン全開!
いきなりスイッチが入る。彼らの音を聴くと、身体が勝手に動き回る。
そう、初めてハードコアのライヴに来た頃、そんなだった。
すごく楽しかった。
これで帰ってもいいや、と思うぐらい。

惡意も、最初のほうに出てきた。
ちゃんと最後までえのちゃんのギターでライヴをやった。
でも、微妙に元気がなかった(ただし、小出さんダリさんは、いつもながら良かった)。

その日の他のバンドのライヴ中、えのちゃんは、
未来なんてねぇんだよ!
と何度もマイク通して叫んでいた。


でも、この日は何より、自分でびっくり…
今の、新しいMUSTANGのライヴが、いいと思えた。
ヘルプドラムのふとし君が育っていくにつれ、
別のバンドとして育ってきたから。

ライヴの度に腕を上げているのがわかる。
その伸び方がハンパでない。特にツアー入ってから。

博多のライヴは、見事だった。
弁慶さんの弦が切れると、ふとし君が慎也君とアドリブ、
それがいい。
曲ではない、合間の遊びがいいバンドは、まだまだ伸びる。
普通なら、つまり、そのまま続くならね。

もちろん、わたしが以前に愛したMUSTANGと同じには決して聞けない。
別のバンドだもの。
わたしMUSTANGのライヴ中、笑わなくなった。
笑顔になれる音ではないから。
だけど、本気で向かい合える音だった。

今のMUSTANGの音も、
ふとし君に免じて好きになるかもしれない。

ライヴ後の、ハコでの打ち上げ。
ふとし君は、北国人独特の人見知りと、
ヘルプという立場のためか、(ついでに下戸)
打ち上げの席では、いつもひとり、控えめにひっそりしてる。

ひっそり隣にすべりこんで、外野抜きで真剣に訊いた。

「あなたは今回のツアーまでのヘルプだって前に聞いたけど、今でも?」
「はい。その先は、何も決めてないっす。」

「えと…わたしが好きなMUSTANGは、たっつ君が叩いていたMUSTANGなのね。」
「それはよくわかってます。」

「たっつ君個人が好きとMUSTANGが好きは別モノだけど、
たっつ君が叩いてることと、MUSTANGが好き!は大いに関係するのね。」
「それもよくわかってます。まだ連絡つかないんすか?」
「つかない。(つくわけないじゃん!!!)
年に2回、年賀状と暑中見舞いを実家に出して、
わたし生きてる、あなたも生きてて、
と伝え続けてはいるけど。」

「それは、でも、絶対、たっつにちゃんと伝わってると思いますよ。
連絡は来なくても。」
(気休めでなく、本気でそう言ってるのがわかった。
地元で彼を知ってる人間にそう言われて、心があったかくなった。)

「だといいけど。
でも、それはもう、MUSTANGとは関係ない、
わたしの問題だわ。

でね。客が言うことじゃないかもしれないけど
わたし、だから、MUSTANGは、もう、
知らない、別のバンドと思って聴いてるの。

で、別のバンドと思えば、これはこれで、ありな音なの。
どうするかはあなたが決めることだけど、
MUSTANGに未来があるなら、
わたしは聴いてみたいと思った。」

「ありがとうございます。」
「あなた自身より、音の方が先に、ヘルプじゃなくなってる。
バンドの音になってるの。
だから、訊いたのよ。」
「いや、MUSTANGは、ヘルプとかでなく、本気でかからないとだめだから、
本気でいってます。」

「わかるわ。(なんという純朴な真面目さ)
もし、たっつ君がいなくなったのでなければ、わたし、MUSTANGに入ってみたら、と言ったと思う。
だけど、無理はしなくていい。
ま、音自体はヘルプじゃないんだから、このまま続けてみるというのも手かもよ。
その方が、ややこしくなくていいかも。
やってみたければ、だけれど。」

「ありがとうございます。
まだ何も考えてないけど、
がんばります。
そう言われて嬉しいっす。」

「そこが困るの。あなたががんばってるのなんて、音聴きゃわかる。
函館はがんばりすぎる。
で、気付かないうちに無理しちゃう。
わたしは絶対、がんばってなんて言わない。

無理はしないで。
あなたはあなたのままでいい。」

…言いたいことはそれだけで、十二分に伝わったと思ったから、わたしはつと席を離れ、
外でネメシスのヴォーカル勇人君やけーた君と、本音でなごんだ。
えのさんのちゃぶ台返しの音に三人して飛んでって、掃除にかかるまでは(笑)

…ふとし君は、真面目で、地に足の着いた、侠気ある子だと思った。
ちゃんと言葉が通じる感じがした。

このツアー限りならそれで構わない。
だけど、少なくとも今のあなたの音には、
聴き続けたいと思わせる力がある。

それだけは、今回の極寒ツアーの間に
ライヴへの向き合い方で伝えられたら、と。


ネメシスは、今年中ばに、またシングル出してツアーしたい、と。嬉しい!

博多のEND OF POLLUTIONのベースの女の子は19歳(当時)、娘と同じ!

彼女らが言うには、つい一昨年ぐらいの博多は、
お客さんが減る一方で、ライヴに活気がなかったそう。
ネメシスはじめ、若いバンドが活発に動くようになって、
去年後半ぐらいから、ひとも増えて来たと。

彼女らの真面目さ、明るさは、
その日のライヴ中の「未来なんてねぇんだ!」という叫びとは対照的だった。

朝早くから清掃の仕事の勇人君は、朝5時まで、四次元で時間つぶし、
店長けーた君たちと、四次元でどんなイベントしようか盛り上がってる。

うちらライヴハウスじゃなくて「パブリックスペース」だから、
イベントもやりたいよね!
今年はお化け屋敷やろうよ!
じゃお化けやりたい!

去年は怪談やったらしい(笑)

皆がいろいろ楽しめる場に出来たら。

彼らの、地に足が着いた、
空元気ではない明るさが嬉しかった。

未来あれ、幸いあれ!と。

***

だけど、2013年2月23日土曜日、極寒ツアーの熊本に行こうかと思い、
準備万端整えて駅に向かう途中で、
たっつ君が叩いているMUSTANGの音と映像がフラッシュバックして止めた。

いきなり、前に進めるわけじゃない。
自分の心に正直に、ゆっくり行こう。

この日の企画、SOULCRAFTの坂本君に、

「今回は断念するけど
最近、わたしの周りの筋金入りの音楽ファンの間で、熊本、ひそかに話題です。
やっぱり、筋の通った音、聴きたいものね。
では、またいつか、できれば遠からず。」
と言ったら

「そう言われたら、なんにも無かった土地でやり続けて来た甲斐があります!
ありがとう! 嬉しいです。」…と。

ますます、心から、応援したくなる。

地に足の着いた、不屈の人びとに未来あれ、と。

***

というわけで、極寒ツアーを再訪したのは、2013年2月27日の大阪。
そこから

2013年2月27日(水)@アメリカ村キングコブラ
withマサカリ、ORGANISM、NIGHTMARE

2013年2月28日(木)@四日市VORTEX
with ACROSTIX

2013年3月1日(金)@浜松Gサイド
with ZONE、902、

2013年3月3日(日)@新潟ウッディ
with SOLPAATOS、SCLUM HALF

と極寒ツアーした。
行ってみたら、やっぱり楽しくて、もっと通っても良かったかなと思った。
でも、極寒ツアーとインランパブリックスのツアーを並行して見ることが出来たのは、良かった。
今、自分の立っている場所が見えたから。

この4日間のライヴについては、当時の日誌
(「極寒月2013」No.1103 - 2013/04/01(Mon) 11:41:37 アップロード)参照。

ともあれ、心から
良いツアーをありがとう
と言いました。

これが終わりなら、それでもいい。

わたしが愛した、
そしてたぶん今も、
別のバンドとしてなら愛せるMUSTANG。

***

2013年3月30日(土)@函館小屋。
弾き語りのソンスワニー、MUSTANG、CRUDE。

ふとし君ヘルプはこの日まで、と聞いていたので、
吉祥寺WARPでの羅生門のライヴを蹴って、函館に走ったというのに

(皆に、
あれ?羅生門はどうしたの?
と訊かれた)

ただし、MUSTANGは、ライヴの出来があまりにもすっぽ抜けてたんで、
これが最後なんて、絶対にありえない
…と思ったらアタリだった。
あとで訊いたら、まだしばらく、この顔ぶれで続くみたい。

苦笑するしかない。

ツアー終わって気が抜けたかな?
をいをい…だった。(聴いていて、ほとんど腹が立つぐらいの出来)

でも、続くことは嬉しかった。

CRUDEはいつも通り、間違いなく良かった。
だいたい、CRUDEが良くなかったことなんて、ない。

函館の客席は、独特。
お客さんたちは、CRUDEやMUSTANGと地縁でつながってる、
普通のしっかりした生活人で、すごく新鮮。

そして、めちゃくちゃあったかい。
通ってるうちに覚えてくれて、
「お京さん、うちのばあちゃんが作ってくれたおやきです。食べてください。」
なんて、次々おみやげをいただき、翌日の移動はお弁当不要だった。

ライヴに行くというより、まるで親戚に会いに行くみたいな感覚。
旅のはずなのだけれど、「ただいま、函館」と。


翌、2013年3月31日日曜日の札幌カウンターアクションでのSLANGサクマックス企画は
すごく良かった。
18時半スタートというのにお客さんたくさん、
ノリもよくて。

特にNO EXCUSE(東京)が、すごく良いライヴをやり
(真剣で、しかも視野の狭くないMCも良かった)

触発された?ノッカーズのアツシ君が、この15年で二度め?に言うセリフだという
(普段ステージでこんなこと言わねーけどよ)
最後まで楽しもう!
(これであと次は5年ぐらい言わねーからな!)
と、珍しくものすごく素直。

Think Againは、ここ何回かのライヴで、わたしの中で
「良いバンド」から
「好きなバンド」に昇格。

初めてちゃんと聴いたPITTRISK、かっこよかった。

最後は、めちゃめちゃ緊張して臨んだ
カウンターアクションでのSLANG…
良いライヴだった。

目当てのMUSTANGが、ちょっと気の抜けた出来だったので、
今回の北海道行きの本命は札幌だったなーと(笑)

***

4月末に目の手術をして、しばらく休んで、
System Fuckerの豊田野外スタジアムでの5月10日の企画からライヴに戻った。
見える世界が明るくなって、気持もずいぶん明るくなった。
何より、2013年に入ってからは、
社外で業界横断的にやる仕事で素敵な仕事仲間に恵まれて、仕事が楽しくてしかたなくなったのだ。
正直なもので、当時のメモを見ると、ライヴネタより仕事ネタのドキドキのほうがずっと多い。
開店休業状態の日誌「Diario al viento」には、
2013年3月の記載のあと、2014年2月の極寒ツアーまで、函館のバンドが登場しない。


2013年3月以降、函館ではずっとライヴがなくて、その次はたしか2013年9月21日(土)、
ACRISTIXのツアー@小屋だった。
ここ2年あまり、ともすると落ち込みそうになるわたしの心を救ってくれたのは、
ACROSTIXはじめ、三重のひとたちだった。
わたし、小屋でACROSTIX、聴いてみたかったんだ。
そして予想通り、すごく、似合ってた。

この時のMUSTANGは、前回、
3月の時みたいな腹の立つ出来(こんなことは本当に珍しい)ではなかったけれども、
なんだかますます、かっちりきっちりした方向に進化・・・
これはこれで悪くない、かっこいいのだけれど、
かっちり路線で横にCRUDEがいると、もう圧倒的に分が悪い。
セットで聴くと、もう断然、CRUDEの方が元祖でカッコいいのだもの。

ライヴも、その後の持ち寄りパーティも楽しかった。
函館のライヴは、始まる前も、ライヴそのものも、その後も、「お祭り!」という感じがする。
集まる人たちが皆、日常生活にしっかり足が付いているだけに、
なおさら、ライヴというハレの場、お祭りという感じがするのだ。
そして「おもてなし」ということであれば、函館小屋は、
日本、いや、世界に冠たる場所だと思う。

以前、たっつ君がやっていた炭火の世話を、今は弁慶さんがやってる。
前回の函館行きまでは、わたし、時々泣いてたのに、
あの頃の記憶が、もはや自分の中に何も呼び起こさないことに気がついて驚いた。
幼いころの、現実とも夢ともつかないおぼろな記憶に似ている。
楽しかったなー、幸せだったなー、元気かなー、と。
おまけに、視力がかなり衰えていた時期なので、顔の記憶がおぼろ。
だからますます、幼少期の記憶っぽい。

時間は過ぎていく。今も過ぎている。
ここを過ぎて、どこに行くのだろう。

次回の函館のライヴは、11月9日にFORWARDのツアー?だそう。
あ。博多のネメシスのライヴ(その日は名古屋RED DRAGON)とかぶってる・・・
今は、ネメシスに行きたいな。
CRUDEは沖縄でライヴがあるそう。うーん。沖縄かぁ。ひとりでライヴ聴きに行く場所じゃないわね。


今回は、久しぶりにインターネットカフェツアー。
翌、9月22日は日曜日。
バスの時刻を間違え、北国の初秋の美しい青みがかった朝の中を歩いた。
ベイシティの跡地も、こっそりのぞいてみた。
ようやくやってきたバスを拾い、函館駅へ。うたた寝をしながら、特急で札幌に向かう。
夢の中を横切ったのは、仕事仲間たちだった。

それでも、札幌北大植物園(札幌で昼間、時間があまるといつもここ)の
自然林、樹木園の中をそぞろさまよっていたら、札幌の風が…
ただ、函館の音が聴きたいだけで初めてカウンターアクションに走った時(2002年頃)と同じ匂いがした。
そしてまだ、血の中に、あの時と同じドキドキが。

何だろう、この感覚。

会いたい。不器用極まりない、わたしの恩人。
あの時から今に至るまでの間に、
武装を解いても生きていけるとわかったから、
昔より無防備だけども、昔ほどナイーブに傷ついたりしない、前よりずいぶんラクな今のわたしがここにいる。

林は静かで、行き交うひとも稀。
ひんやりした緑の風が、わたしの頭と心を冷やす。
そこを抜けて、ところどころブナやニレの生えた芝生(よりもヘビイチゴが多い)をさまよう。
日陰は、もう、半袖パーカーでは鳥肌がたつぐらい寒い。

戻れない。だからこそ、会えたらいいと思う、どんなにかいいと思う!

MUSTANGは、前を向いて進んでいく。あれはあれでいい。今は応援できる。
だけど、わたしが好きだったMUSTANGをMUSTANGたらしめていたのは、
やっぱり、たっつ君のドラムだったのだと、
バンドがようやく落ち着いてきた今、聴くたびに切に思う。


夕方、札幌カウンターアクションへ。
2013年9月22日(日)PROTESS presents【VARIOUS TRIBES】PROTESS 15YEARS ANNIVERSARY SPECIAL
(1)PROTESS、(2)ABSURD SOCIETY、(3)UNARM(東京)、(4)KKG、(5)MUSTANG(函館)、(6)ACROSTIX(三重)、(7)CHAOTIX、(8)GRIND SHAFT(東京)、(9)PROTESS
OPEN19:00 START19:30 / 当日のみ2000yen+1drink500yen

なんだかんだ、プロテス15周年、楽しんだ。
でも、寝不足で、座ったら最後、意識不明になりそうだった。

MUSTANGのライヴは、むしろ、今日の方がのびのびしてて良かった。
特にドラムのふとし君。
むしろ、なまじっかCRUDEとセットでやらない方がいいのかもしれない。
(今に始まったことではなく、以前からなんとなくそう感じていた。)

ACROSTIXは、今日もよかった。

ただ、PROTESSらしく、15周年とはいえ「お祭り騒ぎ」という感じではなく、
ライヴが終わるとサクッと解散。
昨日の今日だけに、よけい、クールに見えた。

翌9月23日は祝日。
翌朝早い飛行機で羽田に戻り、地元で荷物を入れかえて新幹線に乗り、
博多四次元でネメシスを見た。
函館、札幌、博多。充実した楽しい休日だった(笑)無謀っちゃ無謀だったけどね。

***

11月9日の函館には行かれないので、
今年はもう、函館のライヴは聴けないかと思っていたけれど、
2013年11月5日(土)、ジャバラがツアーしてきた。
(とはいえ、もともとオリジナルメンバーは函館出身のはず)
札幌のANSWERも出演した。
久々に聴いたANSWERのライヴは、ドキッとするぐらい良かった。

ジャバラ。この前函館で聴いたのは、いったい何年前だろう。
CRUDE、MUSTANG、RED LIGHTS、ジャバラの北海道ツアー以来じゃないかしら。

今、東京エリアで活動しているあの世代のバンドで、
いちばん隔てがなく、ジャンルや偏見の垣根なく、自由に「交流」しているのがジャバラだ。
東京エリアのバンド企画で、一番びっくり箱のように、何が出てくるかわからないのがジャバラ企画。
ここ何年か、彼らのライヴに行って、失敗した、と思ったことはない。
そしてこの日も。

もちろん、函館勢もいいライヴだった。
おまけに小屋での打ち上げでは、
サプライズ(本人たちも知らず)で、ジャバラのドラムのひとし君の結婚披露宴を。

手作りの、オーブン板全面で焼いたチョコケーキに、生クリームででっかく
「ひとし&あかね
HAPPY FOR YOU」
で、お二人でケーキ入刀。

函館のごついお兄さま方が、皆で結婚行進曲を口ずさみ、「チューしろ!チューしろ!」と責め立てる、
なかなかごついイベントだった。
ご馳走は、皆の持ち寄りと、小屋の外で弁慶さんが炭火で焼いた鹿肉。

ワイルドで楽しゅうございました!でもわたしは、完全に風邪をこじらせて死んだ(笑)
次の日、ライヴに行こうと思っていたけれど断念。


2013年には、もうわたしが函館に来る機会はなかった。
CRUDEは、12月7日(土)に岐阜県の柳ヶ瀬ANTSに来ていたから見に行ったぐらい。
(出演は(1)DIEAUDE(岡崎)、(2)OUTSIDER、(3)NOT A NAME SOLDIER、(4)CRUDE、(5)牙)


2013年11月15日(土)、ネメシスのツアーで四日市VORTEXに行った。
関西で写真を撮っている知人、ふゆきさんの写真集「PHOTO&DESTROY」がいつの間にか出ていて、
15日の夜遅く、VORTEXのフロアに置いてあったのをめくったら、1枚だけ、
ドラムを叩いているたっつ君の写真があった…
しばらく、ページをめくれなかった。

そのあと、豊橋のPUNX、ゴマちゃんが、
「たっつ、写ってるでしょ。涙出そうになっちゃった。」と。

涙出そうなのはわたしだ。

翌日、VORTEX開店と同時に即買いした。

そうは言っても、今のMUSTANGは、あの、今のMUSTANGでいい。
いや、あれしかない。あれがいい。

たっつ君が元気か、それだけでも知りたいと思うことは今でもある。
それでも、彼にMUSTANGに帰ってきてほしいと思ったことは、仮にそれが出来るとしても、
実はいなくなってから、一度もなかった。

わたしは今、ここで生きてる。
これまでに人生ですれ違った、たくさんの忘れがたい人たちも、
どこかの空の下、新しい今を生きていることを願う。
どの空の下にいようと、誰しも、今を生きるしかない。
幸いあれ。

(2014年に続く)
No.1138 - 2015/01/17(Sat) 21:53:48
3 YEARS with MUSTANG (2) 2012 / お京
2012年。娘の大学受験などあり、また、思うところあって、ライヴから足が遠のき、わたしは隠居状態だった。
正直、2011年末から、しばらく引退するつもりだった。
自分の「好き」が見えなくなってしまった。そして、「仲間」ってなんだろうとか。

わたしは「仲間」というより、長いこと、どこにいても旅人だったけど。

客にとって、ライヴハウスはがんばりどころじゃない。
ただ、「好き」以外ない場所、めいっぱい楽しむ場所、大切なところ。

だから、「好き」がわからなくなってしまった今、ライヴからしばらく離れて、
自分が頑張れるとこでがんばって、自分を立て直そう、と思っていた。
まずは閉鎖したフラメンコのスタジオの後始末、それから自分が踊れる場所をまた見つけること…
自分を建て直すまで、原則、ライヴ通いはお休み、と。

正直、他人と顔を合わせるのがいやになってしまったのだ。
仕事とか、やらなきゃならないことがあって顔を合わせるほうが気が楽。
「元気?」とか訊かれるのがつらかった。

***

2012年2月17日(金)。迷った末、横浜FADの極寒ツアーに行った。

BLOW BACKのギター、せいちゃん欠席。
理由はこの時点では知らなかった。普段はツインギターの5ピースのはずが、4ピース。

横浜FADに着いたら、MUSTANGの弁慶さんと鉢合わせ。
極寒ツアーといえば、これまでほとんど皆勤賞もので顔を出していたわたしが、
今回のツアーでやっと顔を出したのを笑顔で迎えてくれたのが心苦しかった。
(仙台に行った友人によれば、仙台でもわたしの不在について訊かれたらしい。)

そして、たっつ君のいない極寒のMUSTANGは、
覚悟はしていたけれど、わたしにとって、やはりものすごく、ものすごく寂しかった。
たっつ君のいないMUSTANGのライヴを、その前年、あれだけ何度も(たぶん皆勤賞だった)見てたくせに、
やっぱり極寒ツアーは特別で、
どうしてたっつ君がいないんだろう…と。

あのリズムがないと、寂しくて寂しくて、喪失感がキツくて、
泣くに泣けない、笑えない。

後で聞いたことだけれど、たぶん、ふとし君が1年は続けるというので少しほっとしたのか?
去年、北海道で聴いた時ほど必死な、がけっぷちのような音ではなかった。

新しいMUSTANGドラム、ふとし君のドラムは、これはこれで、良かった。すごくちゃんとしてる。
だけど、わたしにとって、笑顔になれない極寒ツアーのMUSTANGは試練だった。
以前わたしは、MUSTANGのライヴというと笑っていた。
今は、ニュートラルに音に集中しようとするのに精一杯で笑えない。
音が自分を踊らせるように踊る。それだけで精一杯で笑えない。

そのあとの、4ピースのブローバックが、もう天国に思えた(笑)
健太郎さんのドラム聴いて、「あ、極寒だ」と、初めてちょっとホッとした。

…だけど。しみじみ、
わたしにとって、MUSTANGは、そして極寒ツアーは、大きな存在だったのだな…と。

…ライヴが終わったあと、ふとし君に訊きました。

MUSTANGは、続いていくの?
はい。今回せいさん参加出来なかったから、来年リベンジで、それまでは…

あなた叩くの?
はい。とりあえず。

わかった…
がんばって。
わたし、他人に「がんばって」って言うのキライなんだけど、続けると決めたのなら。

はい。

良いツアーを。

笑えなかったけれど、MUSTANGが続いていて良かった、と思う自分がいた。

久しぶりに踊ったら、足の裏に水ぶくれ、おまけに20年以上前から行ってるライヴハウスから駅に行くまでに迷子になった(笑)
そして冷たい、雨もよいの空の下、近所の坂を自転車押して登りながら、
初めてぽろぽろ泣いた。

わたしの愛したMUSTANG。
どうか、良い旅を。

たっつ君。
どこにいても、あなたが自分の道を見いだせますように。


翌2012年2月18日(土)。
なんだかんだ、やっぱり新大久保アースダムの極寒ツアーに行った。
家事全部したあとで行ったので大遅刻、
ジャバラ途中からと、ツアーバンドしか聴けなかったけれど、行けて良かった。

自分を建て直すまで、原則、ライヴ通いはお休みだけれど、
今日行って、
立ち直ったら、またライヴに来られそうだ、と思えた。
明日に、つながる感じ。
行って良かった。

ライヴ自体は、楽しかった。
自分を建て直すまで、ライヴは隠居、という方針?には変わりはない。
だってやっぱり、ハードコアのライヴは、ある程度以上元気な人たちのためのものだと思ってしまうもの。
そこまで元気ではない時にライヴに出かけて、「いつも元気なお京さん」扱いされるとしんどい。
まあ、そんなこともある、わたしにだって。

それでも、一度行ってみたら、
誰にも会いたくない、
話したくない状態からは、少し抜け出せた。

だから、とりあえず、わたしを対ライヴ引きこもり状態から引っ張り出してくれた極寒ツアーには感謝。

隠居は、自分が、よし!と思えるようになるまで継続するけれど、
引きこもり隠居ではなく、
天気のよい日には散歩する隠居で行こうと思う(笑)

BLOW BACKギターせいちゃん欠席、は、北海道で転んで脚を折ったからだそう。

そしてやっぱり、函館ベイシティは、3月で閉店。
函館のライヴハウスはなくなる。

いろいろ、しみじみ。

ライヴ後、
BLOW BACKのベース、すぎちゃんに
(極寒ツアー)昨日からだねぇ…
と笑われた。

ごめん。立ち直るのに時間かかるの…(笑)

わかるよ。

…ありがとう。デリカシーある新潟連。


2012年2月19日(日)の極寒ツアーファイナル@新潟ウッディ、
途中抜けでもいいから顔出そうかな、とぎりぎりまで思っていた。
でも、受験生のハハを優先した。
ライヴがつまらない、とかいうことではなくて、
わたしが今やるべきことはこっち。

実はその朝、タッチの差で、帰りの夜行バス、最後の一枚が押さえられなかったのだ。
ああ、それはやっぱ、行くなっていう巡り合わせだったのだな、と。

試験はおしまい。
一番大変なのは娘だったけど
親としても、ひとつ、ちゃんとやり切った感じで
今日はとても晴れやかな気分。
これで最後すっぽかしてライヴ行ったら、中途半端だったよな、と。
(最初から全部すっぽかして極寒ツアー行くとかならまだしも(笑))

ただ、状況的に仕方ないとは言え、正直、極寒ツアーらしい、天井知らずのやりまくり感は、わたしが見た2回にはなかったような。
どちらもわたし、大遅刻だったからよくわからないけど。

それでも…
本当に、これをやるしかないんだな、と、聴いていて心から感じられるひとたちのことは
結局、他人事と思えず(笑)

わたし、立ち直ったら、
前ほど頻繁ではないにせよ気が向いたらライヴに顔を出して
自分の立ってる場所から、きっと見守り続けるんだろうなあ、結局。

そんなわけで、ひさしぶりに、函館行きの航空券がバッグに入っている。
3月30日、函館ベイシティーズストリートのファイナル、MUSTANGとCRUDEを聴きに。
本当は、2月の極寒ツアースタートでおしまいだと思ってたから、
極寒ツアーで遠征するつもりがなかったわたしは、去年の11月にベイシティにお別れしてた。
だけど、彼らがもう一度やるのなら、しっかりと見届けてきたいから。

***

2012年2月20日、夜遅く、フラメンコの先輩から電話が入った。

事実上閉鎖状態だったフラメンコのスタジオが、
いよいよ物理的にも消滅することになった、と。

女師匠は昨年から入院中で、復帰は望めず、
ひとり残っていた男師匠も、スタジオ兼自宅を売却して老人ホームに移ることになった…と。

あのスタジオは、ずっと長らく、わたしの帰る場所だった。
ずっと覚悟はしていたけれど、
ついに、その時が来たか、と。
「子育て」がとりあえず一段落したその日に。

今週、衣装やら靴やら、
スタジオに置いてあった一切を引き取りに行って来る。

昨年(2011年)、特に後半から、いろいろなことが終わっていく…

なにか、そういう潮時なんだろな。

これだけ終わりが続いたならば、次にはきっと、始まりが続くようになる。

師匠たちのスタジオがある限り、わたし、実は、他所で踊り始めることをどこかためらっていた。
スタジオの消滅は、本当に寂しいけれど、
もう旅立っていきなさい、と背中を押す、
師匠たちからの愛のメッセージだと思う…

どんなことにも終わりはある、終わらせなければならない時が来る、と言っていた師匠たち。

無駄にはしません。
本当にありがとうございます。

帰る場所は、もうない。
だけど、そんな場所は、わたしにはもう必要ないのかもしれない。
踊れさえすれば、そこはわたしの故郷。

こんな自由を望んだわけじゃなかった(笑)
だけど自由は、いつだって、望みもしないときに思いもかけない姿でやってきて、
わたしはいつも、生きるために、その自由と共に生きることを学んでいく…

それでもわたしは、朝を愛する。
だから、凍りつきそうな夜明け前、ゆっくりと、始まりに向かって歩いていく。
華やかな始まりではなくとも。
顔を上げて生きていくために。

***

2012年3月4日、娘の受験も無事終わって、行こうかどうか迷っていた
クラクションズ活動休止ライヴ@新潟ウッディ。
行ったはいいけど、人と顔を合わせるのがつらくて、ライヴハウスに入れずためらうことしばし(笑)

だけど、思い切って顔を出すと、こっちが面食らうぐらい、皆が喜んでくれた。
…たとえ落ち込んでいる時でも、わたしはたぶん、変わらずわたしのままである
ということへの驚きと喜び。

話した相手も、また特に話さない相手も、ほわっと温かくて

わーっと笑い転げるような派手な楽しさ、愉快さではなかったけど、
じんわり心があったまるようで

時々、新潟には顔を出させてもらおうかな、と思った。
わたし、ここにいてもいいのかな…と。

***

2012年3月30日(金)、ベイシティーズストリートでの、函館ハードコア最後のライヴ。
悔しいことに(笑)、わたしは今なお函館勢が大好きなのだと、
これも一種の愛なのだと、
大爆笑と共に痛感!

わたし、ベイシティラストライヴ、泣かなかった。
だって音が、終わるような音ではなかったのだもの。
むしろライヴが始まってからは、未来に向かって心から笑うことができた。
強がりでなく、それがどんな未来であっても生き抜こう!と。

わたしが最初に好きになったMUSTANGは、たっつ君のいたMUSTANG。
その事実は、一生変わらない。

だけどベイシティのラストライヴでのMUSTANGは、本当に良かった。
全然別のバンドとして、わたしは今のMUSTANGの音を好きになれた。
逆境に負けて欲しくないと思った。たとえその逆境の一部が、彼らが自ら招いたものだったとしても。

MUSTANGベースの慎也君、すごく良かった。
たっつ君がいなくなった後何回かのライヴは、慎也君のベースの音が必死過ぎて、わたしは聴いててつらかった。
行かないで!そこにいて!みたいな音で、音に引きずり出されて前で聴いてたけど、笑えなかった。
だけどこの日は、音がしゃんと立ってた。
普通に、ニュートラルに、ただそこで聴きたいから、わたしはそこにいた。

そしてドラムのひとし君、君はホントにヘルプなのか?(笑)
カチッとバンドの音になってた。いいリズムだった。

まあ、ヘルプという建て前で、実質メンバー、というかたちのほうが、今はまだいいのかもしれない。

アンコールは、ずっと封印されてた?「Let’go MUSTANG」
慎也君が、「函館、未来へ!」と叫んだ。
未来はまだあるのだと、不思議と思えた。
それがどんな未来であっても。

来年、もし極寒があるなら、わたし皆勤賞かもしれない(笑)
そのぐらい、いい音だった。

そしてわたしが知らないうちに、CRUDEが3月にヨーロッパツアーをしてたという衝撃!(笑)
その朝アムステルダムから戻って眠らずに直行でライヴ!だという。
あり得ない(笑)

今回、アメリカ行きは断ったという。

お京さん、パリあたりで絶対来ると思ってたのに。
と口々に言うメンバー。

知らなかったもん行けるわけないでしょ?
イギリス?パリ?
なにそれ、知ってたら行けたのに!
悔しい!

笑うCRUDE。

…実はこれまでのCRUDEの海外ツアー、事前に国内での正式アナウンスは一度もなく(笑)、
わたし、メンバーから「行くよ」とだけ聞いて、
あとは全部自力で海外の対バンにあたって日程探して行ってたんだよね(笑)

お京さん(極寒の)2月いなかったから。

あーもう、いーわよ!(笑)
わたしが2月に落ち込んでて函館来なかったんがいけないんでしょー!(笑)

知ってたら行きたかった!
と本気で思ってる自分に驚いた。
そして笑った。
わたしはまだお京なんだと、
「好き」は死んでいなかったのだと、
カタすぎる不器用すぎるCRUDEの修行の道(笑)を、今なおかたわらで見届けたいのだと、
同じ時代を生きたいのだと

心から思った!そして笑った。

同時にまた、CRUDEも、ひとまず乗り越えたのだなと思った。

わたし、正直、去年のCRUDEのライヴドタキャンには実は腹を立ててたし、
完璧主義が昂じて、バンドとしてはもう成り立たないんじゃないかとさえ思っていた。

だけど…
函館の試練、と
わたしの試練。
同じタイミング。シンクロ。

たまたま…
同じ時代に生まれ合わせ、そして出会い、
それぞれのやり方で、同じ時代を生きてる。

消えて欲しくないんだ。
同じ時代、共に笑いたいんだ。
死ぬまで。

もうハードコアとは距離を置きたい、ライヴにも来たくない、
なんて、去年、わたしに言ってた函館の世話人、カワグチ社長が
会社の若いもん連れてライヴに来てた。
社長とはもう会うこともないかと思ってたから、嬉しかった。
良かった…

もちろん、なにごともなかったようにはならない。
だけどそれぞれが、自分の立ち方を模索し、そして今も立ってる。

ところでこの先、函館でのハードコアのライヴは、当面、山中の彼らの「小屋」でやるという。

「なにそれ!
予定チェックできないじゃん、てか、車ないと行けないじゃん!」
「メンバーに電話で訊いてよ。」
「やだ、かけにくい。」
「じゃあ慎也に決まったら電話させるから。」
「………。」

しばらくして慎也君が満面の笑みでやってきて、
「お京さん、任せて! 連絡するから。」
「うん、よろしく。」
「たっつの実家の電話なら今わかるよ。」
「ちょっと待って!(ライヴの連絡でなくて)そっちの話ー?
たっつ君の実家の電話なんか要らんわ!」

皆、爆笑。

そして一杯の酒を飲み、ベイシティに感謝の気持ちを伝えた後、晴れやかに三々五々解散した。

その後、久しぶりにカワグチ社長と、彼の部下の兄ちゃんたちと、タクシーに乗って、懐かしい居酒屋、安寅(あんとら)に飲みに行く。
移転前はベイシティのそばにあって、いつも打ち上げはそこだった。

そしたら、2010年の極寒ツアーでわたしがツアー組に差し入れた、
中にサボテンが生えてるテキーラのビンが、空になってもキープされてた(笑)

カワクチ君以外ほとんど初対面の函館の若いあんちゃんたちと、飲みながらバカ話して笑った。
これまた、不思議な一夜。

そしてなじみのネカフェに戻って、晴れやかに爆睡した。

***

ライヴで吸い込み、踊りで吐き出す。
大好き!をエンジンに。
それがわたしの基本パターンだった。

もう、血が騒いで血が騒いで、踊りたくてたまらない。
踊りに対してはこの衝動があるけど、ライヴ通いに対しては全くない。
それがたぶん、わたしが何年でもライヴの「客」でいられた理由なんでしょうね。

わたしの送信アンテナは踊り。
フラメンコは長期戦。
一朝一夕には、踊りたい場所は見つからないだろう。
だけど、自分が踊るしかないとしみじみ思う今なら、わたしは焦らない。

そして受信アンテナだったライヴ。
大好き、は、まだ生きてたらしい。

…わたし、窒息しなくてすむ。生きていける、と思った。
今、自分にできることをしながら。

今日(2012年3月31日)はあいにく、朝から雨雪みぞれで、レンタルチャリで函館センチメンタルジャーニーというわけにはいかない。
市電一日乗車券を買って、温泉に行き、それから傘さしてぶらぶらして、ハセガワストアで焼き鳥弁当買って帰ろう。

いつか必ず、笑ってまた会おうね。

いつか。
なぜかそう信じることができる、晴れやかな昨日と今日。

***

そう、時々は思っても、わたし、2012年は全体的に低空飛行だった。
前半、心の支えだったのは、博多の若手、ネメシスと、四日市の友人達。

6月末、よく新潟に通う友人が、8月のMUSTANGの予定を教えてくれた。新潟ウッディでやるという。
でも、わたしは落ち込んでいて、
MUSTANGの予定をきいても、ときめかない自分がかなしかった。
これまでは、MUSTANGという文字を見ると反射的に心が躍ったけれど、今回は全然…。

…正直、あまり行きたくないと思った。
見たい、という気持ちより、めんどくさい、という気持ちが先に立つ。
ライヴハウスでひとと顔合わせるのがおっくう。
その前日の羅生門のライヴの方が、まだフラットに見れるだけ楽しい。

今のMUSTANGががんばってるのはわかる。
前とはまた違った、ある程度以上のレベルをクリアしたバンドになってきたのもわかる。
行くところまで行け、と思う。

でも、その旅路はもう、わたしが小走りに併走した、あの旅路の続きではない。

なんかあらためて
わたしにとってひとつの時代、季節?が終わった感じがした。

おまけに、やはり本調子ではなく、7月末には四日市からの帰り、夜行バスに乗ろうと急いでいて段差を踏み外し、
以前、大阪のライヴ帰りに骨折したことのある足を痛める。
前回は靭帯が切れずに骨が折れたけれど、今回は骨は折れずに靭帯が切れた。
ダサすぎ。


それでも2012年8月4日(土)の羅生門@新潟ブラックピッグ、
2012年8月5日(日)のBLOW BACK&MUSTANGには、杖をついていった。
骨折じゃないので、病院から松葉杖の貸し出しはなく、自前の杖。
それもいわゆる「杖」(足の悪い時に使うような)より大きい、
男師匠にもらった、フラメンコでリズム取るためのやつ。
杖をついて踊った記憶はある。拍子が取れるし、第三の足みたいで、杖とか松葉杖で踊るのは嫌いじゃない。
ただ、松葉杖の方が、断然、踊りやすい(使い方間違ってるかもしれないが)。

足が悪くて新潟って、やることがない…(笑)
まだ腫れてるから長風呂もアウトだしなぁ。

しかし。ブラックピッグに出かけると、スクラムハーフのベースの子に
「あれ?今日はMUSTANG行かないんスか」と言われ、
「ライヴは明日なんぢゃ?」
と訊き返したら

「今日から来てますよ。
せいいちさんとこに来てます。」

…わたしMUSTANGの何なのサ(笑)
ま、オフのMUSTANGになんか、何の用もないのよね。
「わたしは客よ。
ライヴの時以外、出番はないわ。」
と笑った。
「ウッディには柵もないし、足がしんどかったら帰るわ。」

羅生門はトリ、ニュートラルに聴けた。
メンバーひとり怪我で欠席、4人編成。
羅生門には、いつだって良い風が吹いている。
笛も、和太鼓も、健太郎さんの張りのある歌声も、
全部が、まるで木立を吹き抜けるようにして身体の中を通り過ぎていく。
不思議な音だ。
余計なものは吹き飛ばされ、身も心も、浄化されていくようだ。

でも、見ててつくづく、
健太郎君は、BLOW BACKとは完全に別な世界を持っているからこそいいんだと思う。
(たっつ君も、弾き語り続けてたなら、また違ったかなぁ…)

しかし松葉づえと違って、このステッキは踊りにくい!
試してみたものの、柵またはステージの高さがある程度ないと踊れない。
ウッディに出かけてフラストレーションたまるようなら途中で帰ろうかな。
無駄に悪化させてもしゃあないし。

正直、MUSTANG聴きに行く、より
羅生門聴きに行く、と思って遠征するほうが
今のわたしにははるかにラク。余計なことを考えずに済む。

新潟に来る直前、夢に、めずらしくたっつ君が出てきた。
今回のMUSTANGのツアースタッフとして。

「ああ、バンドには戻らないけど、仲直りしたんだ?」と
わたしはちょっと離れたところから見守り

飛びついて泣きたいぐらいなのに
わたし、相変わらずなにも出来ないで静かに笑ってる。
たっつ君も。

ただそれだけのことが、
どれほどわたしを晴れやかにしてくれていただろう!

新潟ブラックピッグからの帰り際。
健太郎さんが言いにくそうに
「明日、MUSTANGだよ」
とつぶやく。

「うん。これからネカフェ。
メゲたら帰る。
お疲れさま!」
とバイバイした。

***

翌日。
行くあてもなく、足も悪く、朝から新潟中央図書館でうつらうつら、本に囲まれている。
(実は遠征先での時間つぶしに、よく図書館を使っている。)
ライヴの時間が近くなって、杖をついてウッディへ向かう。

2012年8月5日(日)「無政府やらんか」@新潟ウッディ
顔ぶれは、SOCIAL DESTROY SS、SCRUM HALF、The Glitterz、EVE、そしてBLOW BACKとMUSTANG。

大きな杖を持って現れたら、魔女みたい、と笑われた。

フタを開けたら、やっぱり新潟のライヴは楽しい。
そして何、わたし、あたかもMUSTANGのファンであるかのようなライヴ中のふるまい(笑)
あれはわたしが好きだったMUSTANGではないのに。

ううん、がんばってるのはわかるし、音だってあれはあれでいい。
だから頭と耳はわかっているのだけれど、
まだ心がついていけない。

はずなのに、
それでもいざ顔合わせてしまうと、まるで屈託のない小学生みたいで
しょうもないなぁって笑っちゃう。

笑っちゃう…

彼らの素直な稚気が大好きだった。
たぶん、たっつ君も。
弁慶さんのこと話すときの、信頼のような、憧れのような、あの感じ…
そして自分はどこか違う、とわかっていたのか、馬鹿騒ぎの中、ふっと静かになってた。

弁慶さんは弁慶さんで
「俺、いつもたっつに遊ばれてるような気がする」と言ってた。

いなくなったのは、ある意味正解なのかもな。
そばにいたら、情にほだされて抜け出せなくなる。

MUSTANG。
いざ、ライヴ聴いてしまうと、何も考えずに無心で音を楽しめる。
それだけの力のある音を出してる。

アレンジもかなり変わっていて、
むしろバンドとしては、たっつが自分を見失ってた最後1年あまりより、正直、いい。

なんだかんだ言っても、わたし、バンドとしては、好きなんだろうな。
一度限りのライヴの緊張感も、真剣さも、お祭り感も、しっかりと保っているから。

あと、BLOW BACKとセット、ってのが反則だね!
ライヴ中、隣が健太郎兄さんで、ホント、安心した。
ここにいられて良かったって思った。

今やれることをやるしかない、という一点で、
誰であれ、違いはない。わたしだって、他にどうしようもない。

やれやれ。
そして奴らがまだMUSTANGであることに、ちょっとほっとしてる自分もいたりする。

何もなかったようにはなれないし、なる気もないけど
つかず離れず、見守っていくのだろうな。
たぶん。ライヴ自体を楽しめる限りはね。
そしてライヴは楽しめた、心から楽しめた。良い音だったもの。今の音。

放心状態…

帰りしな、思わず、仙台野外の「ドンクレンチ」(去年、MUSTANG見に行って落ち込んだ場所)、
MUSTANGはどっちの日にでるのか訊いてしまった。
なんかまだ決まってないらしい。
おまけに会場も、今年予定していた定義山からまた例の蔵王えぼしスキー場に変わったとか。
やだやだ。わたしにとって、あそこは鬼門。

帰りしな、パインさんに
「次は17日に」
と言われた。
(8月17日「チェルシーの日」@新宿ロフト)

ロフトは行かないよ。(あのハコ、大嫌い)

…嗚呼。抜け殻みたいに、昔ながらのライヴハウスのお京が、わたしにかぶさる。
わたしはその下をかいくぐり、踊る自由へと走っていく。
なんとかムーンライトえちごに間に合い、無事、えちごの座席で丸まった。

無謀な二日間(笑)
しかも、間抜けな怪我をした自分のドジに腹を立てながらの。

…にもかかわらず。
なんだろう、この充実感は。

新潟マジックは、もちろんでかい。
だけどたぶん、MUSTANGマジックもある。

いまだにMUSTANGは、わたしのどこかに火をつける、らしい。
なんだかわたし、戦闘モードに入ってる。
なんかひさしぶりに、晴れ晴れと、お京。

ただ、函館の中の何かに、わたしの中の何かが、パシンと反応するだけ。
それこそ、業の一種かもしれない。
それを「好き」と言えるのかどうか、わたしにはわからない。
それでも、それでも、やっぱりわたしは、
今、現在を生きているバンドとしてMUSTANGが続いていることが嬉しかった。

***

いや、BLOW BACK、ライヴを見て心は動いたけれど、
ロフトのバーステージで杖ついて踊るのは厳しいなあ、と思って8月17日は断念。
ドンクレンチのCRUDE、MUSTANGも、
またキャンプ場でぼっちになるのかと思うとしんどくて、行かなかった。

***

2012年後半は、MUSTANGのライヴはずっとなかった。
CRUDEは、たしか沖縄と、それから東京で二回あった。東京には、行った。
今回のライヴメモはMUSTANG特集だけれど、CRUDEは、特別。


2012年10月27日(土) 「BURNING SPIRITS」
FORWARD、CRUDE (from 函館)、WARHEAD (from 京都)、THINK AGAIN

行って良かった。

…実はアースダム行くまで、気持ちが上がらなくて上がらなくて、
遂には胃が痛くなるわ頭痛がするわ
…登校拒否のコドモか。

なんだけど、アースダム着くなり
「覚えてる?8年ぶり!」
とスペイン語で。
CRUDEの二度目のヨーロッパツアーの時に一緒に回ったアンヘルでした。

…つか、ライヴ前に、この日本人ばかりの中で、よくわたしがわかったな。びっくり!
「CRUDEを見に来たの!」
とスペイン人御一行さま6人で。

「今日来れば、キオコに必ず会えると思ってた!」
もう、不意打ちでボーゼン。そしてスペイン人たちの計算のなさに感動。
自分がただCRUDE聴きたさにヨーロッパ行った時のこととか思い出して。

「今、スペイン、大変でしょ。だから今しか来られないと思って。」
アンヘルは、当時の彼(オランダ在住)と別れて、
今はこの状況でできるだけPUNKバンドを助けたい、とスペインで企画をやってるらしい。

…もう、ここでわたし、完全に火がついて、
この日の客席は、丸ごといただき!って感じ。
はるばる来たスペイン人たちを歓迎したくて。

…わたし、単純(笑)

わたしの、ライヴでの原点は、どこ?ここ。

久しぶりに、あそこまでめいっぱい楽しみました。
周りも巻き込む自家発電状態。

トップバッターのTHINK AGAINは、文句なく良かった。
9月の、初のヨーロッパツアーから帰って、わたし見るの初めて。

なにがどう変わった、というのではないけど、ツアーがしっかり実になってるのがわかる。
音の足元が、さらに安定したというか。

若々しくストイックでよかった。
華があって、素直にカッコイイ!と思える。


CRUDEのヒデトシさんが
「お京さん元気?」と来る。
「うん、まあ。あんま元気でもないけど、
(「すごく元気そうに見えるよ」とヒデトシ君)
今日はスペインのレディーたちが来てるから気持ち上がっちゃって」

アンヘルたちのこと。ヨーロッパツアーのこと。
函館を愛した日々。

ヒデトシさんは、ほかに生きようがないんだな、と納得させる生き方してる。
最前列で、目をきらきらさせながら子供みたいな顔で
WARHEADのライヴを待っているヒデトシさん見て、しみじみそう思った。

そしてこれまた、9月のFUKとのイギリスツアーから帰ったWARHEAD。
実は、わたし、ギターがえぶっつぁんに戻って嬉しいんよね。
コーキ君のギターも悪くなかった。
だけど彼、ベースの陽水君嫌いだったみたいで、
最後の頃は、どうかするとライヴが変にトゲトゲしてしんどかった。
今はそれがないから、安心して聴ける。

これまた新曲が出来ていて、
じゅんちんが、めっちゃラブモード入ってて、もう、ライヴは素直に聴けた。
昔は良かった、なんて言わなくて済む、ぱりっぱりに今の音。

それにじゅんちんは、素直になっても変な思想性なしに完全燃焼できるから、
こっちも余計に身構えずに済む。


…そしてCRUDE。
三分の2が新曲だった。
それもかなり渋い、ミディアムテンポの、ほとんどインストに近いぐらいの。

派手ではなかった。
力と技と勢いで押す感じではない。
むしろそれらをぐっと一回押さえ込んだところから出てくるような音。
わたしはいいと思った。

どこへ行くのだろう。CRUDE。
他人に聴かせられる音にこだわる、彼らの姿勢は、群を抜いてると思う。
やっぱり、わたし、CRUDEは好きだ。
音楽気違い、という、ただ、その一点において。


…さてスペイン人。
わたし、全然スペイン語話せなくなってた・・・
「キオコ、何年スペイン語話してない?」
とアンヘルに言われるほど…

悔しい!(笑)勉強するぞ!

しかもアンヘルは、わたしがフラメンコやってるのを覚えてて
(そんな話したの忘れてた)
CRUDEのライヴ直前に、
「今、ここで踊れ」という。

さすがに踊らなかったけど
そうかもね。フラメンコ踊ったほうがいいかもね。

わたしにしては珍しく、アースダムで乾杯して帰った。
すごく楽しい晩だった。
(そして風邪引いたらしく、今は耳の下と、全身の関節が痛い(笑))

***

もう一本、CRUDE.

2012年12月16日(日)「MENTAL BREAKDOWN JAPAN TOUR」@長野ムーンステップ
(1) THE SLOWMOTIONS/(2) BLACK AND WHITE/(3) CRACKS/(4) MORTAL FAMILY/ (5) FORWARD/ (6) CRUDE /(7) JABARA./ (8) FUK
OPEN 16:30 START 17:00 ADV 1800 DOOR 2500

日曜日16日、ムーンステップに、CRUDEとジャバラを見に行った。
この前にムーンステップでCRUDEを見た時(2011年5月末)が、
わたしが最後にたっつ君を見かけた時で

あの時から比べてしまうと、世界が灰色に見えて仕方ない。

ジャバラは間違いない!楽しかった。

CRUDEは…
この前、10月に東京に来た時も思ったけれど、
力任せの派手な音に走らず
ミディアムテンポのインストの曲が増えた。

冬の曇り空のような。
美しいけれど、寒々している。
真っ白な大地と、灰色の空の間に、
ひとり、黙って立ってる、みたいな。
モノトーン。 色がない世界。

凍てつくような厳しさの中、耳を澄ます。

将来に甘い希望なんか、まるっきり持ってない。
他人に「絆」を強要したりもしない。
ただ、己の力だけを頼りに
そこに、在る。

潔いけれど、
惹かれるけれど、
他者が容易には入り込めない世界。

彼らは何を目指すのだろう。
力尽きるまで、
ただ、自分たちの音を追って行くのだろうか。
その在り方には、本当に頭が下がる。

彼らと走った、冬のヨーロッパ。

たぶんわたしは、どんなことがあろうと、
あくまでも愚直に音を追うCRUDEというバンドのことは、
良きにつけ、つらきにつけ、
最後まで見届けるのかもしれない。

なぜ、そうなのかは、自分でもわからない。

不思議な、縁。

***

2012年12月22日(土)。
ライヴハウスがなくなった函館。
彼らはあれから、山の中の練習小屋を大改造して、ライヴができるスペースに作り変えたという。

お京さん、来たら見違えるから。
(12月)22日が、新しい小屋の初日だから。
お京さんには来て欲しい。

いつもながら、なんたるDIYだろう。
なんにもないところから、
今自分が持ってる力を最大限使って、最善を尽くす彼ら。

…たぶん宣伝とか、まるっきり考えてない。
誰もITやらないし、
不特定多数への宣伝もしないだろうし、
そもそもCRUDEかMUSTANGがやるときしか、小屋ではライヴしないと思う。

だいいち、到着までのハードルが高い(笑)
1時間に1、2本しかないバスに乗り、
函館駅から40分ぐらいかかる終点で降りて、
途中から、街灯もない砂利道(雪が降ったら、たぶん南国人には、どこが道でどこが斜面かわからない)を山中へ。
彼らは「歩けるよ」って言うけれど、
地図なんてないから、冬場行くならわたしは遭難覚悟かも(笑)
わたしは最悪、連中に助けを求めることができるけれど、これではまず、知り合いしか行かれない。
子供の頃こさえた、仲間内の秘密基地みたい。

CRUDEもMUSTANGも、外に出てやっと、
個人的に彼らを知らない、
ただ、音が聴きたいだけのお客さんが
普通に来るバンドになる。

ふつうはこんな極限にくる前に瓦解するところを
体力と精神力で乗り切っているのかもしれない…
いつまで?

負けない彼らを見守りながら、
わたしはちょっと寂しかった。
初めて遊びに行った時の函館で輝いていた、たくさんの笑顔。
屈託なく笑い合える子供時代を過ぎて、
たどり着いたのは、ここなのだな。

わたしの勝手な感慨だけれどね。
いつまでも子供でいられるわけじゃないしね。

その日のことは、当時の日誌(「ゆく年来る年」No.1091 - 2013/01/04(Fri) 13:37:54)を参照。
行って、良かった。

ふっきれた気持ちで飛行機で飛び帰り、
翌12月23日(日)には、神戸108のDISTARD企画、
ACROSTIXやEND OF SEEDS、ORGANISM、マサカリといった、大好きな顔ぶれを見に行った。
今年のPUNKのライヴは、これで締め!

***

四日市への手紙より(2012年12月24日)

音楽には、自由であってほしい。
ライヴには、ひらけていてほしい。

ライヴに来るとき、
わたしはいつも旅人。
いつだって異邦人。
だからわかる。
その場の空気が、閉じているか開いているか。

そこに心に触れる音があって、
音にとけて開けている人たちがいて、
空気が開けていたら、
どんな場所でも、
知り合いなんかいなくても、
そこはわたしの故郷。


とあるひとに、こんなことを言われた。
「ハードコアが、なんだか最近、
新聞とかで、懐かしのなんとか、10枚組、みたいのあるでしょ、
なんだかあれみたいになってきた気がする」と。

一貫してハードコアが好きだったひとの発言だけに、心が痛んだ。

…確かに、長く続けてるバンドの中には、自分の若き日のセルフコピーみたいになっちゃってるところも、正直、多い。
去年から今年にかけ、わたし、そんなふうに感じてしまうバンドからはひっそり足が遠のいた。
ずっと好きだったバンドを
もはや好きだとは言えなくなるのは、
正直、つらかった。

だけど、そうじゃないバンドもちゃんといる。
ハードコアは、懐メロじゃない!
今を生きてる音も、ちゃんとある。

ただそれは、わたしが、
たまたま、今の勢いある生音をじかに聴くことができる場所を知っていて、聴きに行くからで、
閉じこもっていたら、わからなかったろう。

だからこそ、それぞれの場所を照らすバンドの存在は貴重なんだ。

閉じないで。
せめて音楽だけは。

来年もまた、一緒に笑えますように!

お京より

PS
昨夜も実はそうでしたが、旅する先々で、
「お京さんいついつ極寒あるよ!」
と日程を告げられます。
皆、極寒にはわたしが必ず来る、と思って疑わない…

だから、最初に君が教えてくれて、先にしゅーんとしておいて(笑)本当に良かったよ!

(2013年に続く)
No.1137 - 2015/01/17(Sat) 21:42:18
3 YEARS with MUSTANG (1) 2011 / お京
2011年9月3日、DON CLENCH ROCK FESTIVAL@蔵王えぼしスキー場。
車なしで行こうなんて酔狂な奴はお京ぐらいでしょうが
白石蔵王から路線バス45分、
または仙台から高速バス70分ぐらいで
いずれも遠刈田(とおがった)温泉下車、
そこからはタクシーしかない。

その前MUSTANGを聞いたのは、2011年5月15日札幌カウンターアクション、
久しぶりに(ごめん)たっつ君のドラムがのびやかだった。
だからとても楽しみだった。

まだ明るい野外ステージで、久しぶりのMUSTANG。
・・・と思ったら、ドラムが違う?
信じられなくて、タバコを何本もすったけれど、気持ちは鎮まらなかった。
ライヴは聴いた。ちゃんと叩いていた。でも、でも、何があったの?

後の記憶は、ほとんどない。
知った顔はたくさんいたけれど、話しかける気力もなかった。
(そもそもキャンプ&ライヴに、ズブの客として単独参加した段階でぼっち決定だ(笑))
眠る場所に困って、楽屋のあるスキー場の管理棟(?)の廊下の隅に寝袋を広げてもぐりこんだ。
頭からスカーフをかぶって、黙って涙を流した。
函館のバンドで、メンバーがライヴに来なかったら、それは、身内に不幸があったか本人が大怪我か病気、さもなければ失踪したときだから。
ひとりで遠くに来て迷子になったみたいな、長い夜だった。

翌朝、CRUDEのヒデトシさんにきいてみた。
「たっつ、卒業」と言われた。
ヒデトシさんは、ちゃんと話してくれた。心から、感謝した。

BLOW BACKのテントに連れて行ってくれた。
「お京さん、たっつ、探しに行ってよ」とPine君が言った。

とりあえず、最後のバンドまでいたけれど、もうバスも無い。
タクシー呼んで白石蔵王駅まで行くしかない。
駅まで追い越しできない細道で、のろのろ運転の車が前にいたのでもう最悪。
白石蔵王に停まる東北新幹線は、1時間1本ぐらい。駅にも、まわりにも、見事になにもなかった。
放心状態で、どうにか帰った。

***

その2年ばかり前。
わたしはたっつ君に、たったひとつお願いをした。
「どうかわたしの目の前からいなくならないで。」
なんとなく、見ていて、あやうい気がしたのだ。
「いなくなりませんよ」とたっつ君は笑った。

気がついていたのに、どうして何も出来なかったのだろう。

9月17日。新潟県小千谷市山本山高原山頂の坂詰GIGに、BLOW BACKと羅生門を見に行った。
BLOW BACKのドラムで、たっつ君と仲がよかった健太郎さんと話した。
昔、UNIT21のツアーの会津で、健太郎さん、たっつ君、UNIT21のマット(たぶん)、わたしで乾杯した。
健太郎さんの音頭で、「俺たちは家族だ。いつか皆でアメリカをツアーしよう」と。

何も出来なかった、と言ったら、健太郎さんはきっぱり言った。
誰も、何も、出来やしないさ。

音の中で
あなたたちと出会った。
触れることはなくても、
最後まで、同じ音の中で、生きられたらいい、と
願うばかり。

叶わなかった。
あたりまえに続くことなんかない。
わかっていたはずなのに、その頃までのわたしは、MUSTANGの存在に精神的に頼っていた。
たとえ半年に一度にせよ、またライヴが聴けて、
帰るときには「またね」と笑える、と。
それだけでよかった。

今考えると、あやういのはたっつ君だけではなかった。
わたしもかなりあぶなっかしかったと思う。

***

よほど落ち込んでいたらしく、2011年後半は、
見たライヴの感想メモどころか、ライヴ予定のメモすらほとんど見当たらない。

2011年10月4日(火)DISCHARGE来日@札幌カウンターアクション。
ANGER、RAPPA(盛岡)、MUSTANG、CRUDE、SLANG、DISCHARGE。
実は、この時の記憶はほとんどない。MUSTANG、ちゃんとライヴやっているとは思った。

確かこの時のライヴ後、CRUDEのヒデトシさんに、実家のポストに入れてくれるよう、
たっつ君宛のメッセージを託した。
言いそびれたことがたくさんあったような気がした。
でも、今はどうでもいい、ただ、どこで何をしていても、幸せに生きていてほしい、と。

あとで聞いたら、機材車で皆でわいわい行って、ポストに入れてくれたらしい(笑)

***

2011年10月11日(火)あくたれ「No Master Tour 2011」@札幌カウンターアクション。
AKUTARE(東京)、KKG、ANSWER、The Knockerz、UKIGUNI、COSMOS、The Drunk BOi!S、ABSURD SOCIETY。

先月のショック以来、はじめて回るツアー。
素直に弱音も吐ける(めったに吐かないけどね)貴重な存在、あくたれのツアー。
今年は47都道府県、全部回る!という。
ツアー独特の、笑いにあふれた、「行くぞ!」という攻めの姿勢。
9月28日に初日だったから、かれこれ2週間が終わろうとしている。

来て良かった。久しぶりに笑った気がする。
ライヴ後も、カウンターアクションで飲んで、めずらしくツアー組と泊まり、
函館まで、機材車に乗せてもらって移動した。
途中、ちょっと泣いたりもしたけれど、彼らになら、素直に弱い顔も見せられる。(ごめんね)


2011年10月12日(水)あくたれ「No Master Tour 2011」@函館ベイシティーズストリート。
AKUTARE(東京)、KKG、ANSWER、The Knockerz、UKIGUNI、COSMOS、The Drunk BOi!S、ABSURD SOCIETY。
ベイシティの前に車が停まり、わたしがひょっくり出てくると、
「レディも一緒か・・・」とCRUDEヒデトシさんが笑った。

来てしまえば、ベイシティはベイシティだった。
なじみの顔ぶれ、なじみの場所、そして今の音。
でも、やっぱり、頭のどこかがしびれているみたいで、ほとんど記憶に残っていない。
駄目だな、わたし。超低空飛行だ。


こんな時に限って、この年の秋は結構函館バンドの予定があった。

2011年11月5日(土) 「燃えろ北国」 @函館ベイシティーズストリート。
CRUDE / MUSTANG / THE INRUN PUBLICS / JUNKIE BUSINESS
のはずが、CRUDEは出なかった。
ヘルプドラムのMUSTANGをまた聴いた。でもあまり記憶にない。
インランパブリックスの子たちの笑顔だけが救いだった。


11月19日(土)「PUNK-HELL-10」@札幌カウンターアクション。
NIGHTMARE(大阪) / CB(東京)/ 突撃戦車(群馬)/ CRUDE / SLANG / KKG / MOTIVELESS / CHAOTIX
大好きなNIGHTMAREの、二日間の北海道ツアー。
初日は心から楽しかった。CRUDE、出ないんじゃないかと思って、内心、心配していたから、
彼らの音が聴けて、すごく嬉しかった。

***

翌、11月20日(日) 「HARDCORE LIVE」 @函館ベイシティーズストリート。
CRUDE / MUSTANG / Nightmare / SLANG
ベイシティは閉店が決まっていると聞いた。
たぶん、来年2月の極寒ツアー初日が、ベイシティでのハードコアの最終日だと思う。
でも、自分は行かないと思っていたから、この日がわたしにとっての最後と決めていた。

日曜日の函館…

ライヴの前に、11月で、もう営業してなかったレンタチャリを倉庫から出してもらい、寒空の下、函館の街を駆けめぐりった。
亀田川沿いの道。東富岡のあたりからら慎也君ちの近所を通って、仕込み中のベイシティへ。
CRUDEのヒデカズさんに呆れられた。
これから赤レンガ倉庫戻るの?かなりあるよ?
うん、ダイジョブ!

…が。地図なしで道がわかる海沿いのバス通り選んで失敗(笑)とんでもない向かい風でチャリ走れない。
おまけにコインロッカーに手袋預けちゃってて凍えた。
しかも夏の昼間用チャリでライトなし、夕暮れの早い初冬の4時過ぎには往生した。

…だけど。
チャリンコで巡れて良かった。
わたしの愛した函館。いつかわたしの灰が眠るために戻ってくる街。
しばらく、さよなら。

…そして、ライヴ…
ヘルプとは言いながら、マスタングがめちゃめちゃかっこよかった…
がんばったんだな。

もちろん、わたしが愛したMUSTANGとは別物。でも、新しいバンドと思えばとても良かった。

ヘルプドラムのふとし君本人は、4曲目で足がつったと後で言ってたけど
腕の音もちゃんと出てたし、バンドの音に入ってきていた。
自在に呼吸し、波に乗ってゆるまったり加速したりした、予測不可能なたっつリズムとは違って、あくまできちんとしてるけどね。

最初1曲を一歩下がって聴いてたけど、久しぶりに、音の必死さではなく音自体に惹きつけられて前で踊った。
たっつ君が居なくなってから初めて、リズムキープだけじゃなくて腕も含めて踊った。
そしてあれから初めて、ライヴ中に泣いた。
たっつ君がいなくなったのではなくただ辞めたのだったら、ツアー行きたいかも、と思った。

良かった。
別れの前に、良いライヴがきけて、良かった。
涙が、止まらなかった。

ライヴ直後、ナイトメアのマー君が、
MUSTANG、かっこええなぁ…
と感嘆する。

そうね。ドラム辞めて、どうなるかと思ったけど…

涙がとまらなくて、次のCRUDEの始まる前も、ステージ前で泣いてた。

CRUDEは、少しまだ固かったけど、良かった。

CRUDE、わたしをライヴで日本の外にひっぱり出したバンド。
函館に来たおかげで、なんとわたしの人生は広がったことか。

ギター寄り最前列という、函館での定位置に久々に立って、先頭切って音に応えた。
最後に、愛を込めて。

感謝してる。
そして今なお、なんだかんだありがならも、わたしは函館を愛しているのだと思った。

ライヴの間に、本格的に粉雪が降ってきた。
初めて函館に来たのも、冬だった。
袖無しのまま、ひとり外にたたずんで降る雪を見上げた。函館が、見送ってくれてるみたいだ。

SLANGは、間違いない。
そして、もしかしたらわたしにとって最後になるかもしれない函館ベイシティでのライヴは、ナイトメアだった。
全員バテバテ、と、後でドラムの高山君は言ってたけど、
ぴぃんとテンション高いライヴで、完全に持って行かれた。

ナイトメア、我が戦友。
ありがとう。
何があっても、乗り越えてここまで続けてきたバンド、そしてその時その時の最高!を作ってきたバンド…

大好きな、AGAIN&AGAINをやった。
Never lose hope!
Future is just yours!

函館も、そうあれかし、と心から思う。
わたし、最後に函館で思い切り、ライヴに飛び込めて良かった…
ありがとう。

だけど、函館は…
MUSTANGは、
本当に、次の極寒で終わりかもしれないと思った。
ふとし君がMUSTANGに入ると決心しなければ無期活動停止だと(弁慶さん以外の)CRUDE連。

そのCRUDEも、今日はいいライヴだったけど、互いに距離感伺ってるような硬さがあった。

2012年2月11日以降の函館ベイシティでの予定自体、未定。(ベイシティにも、周囲から苦情が入るようになったみたい)
そして、これまでいつも函館のライヴにいたヒロ君もいなくなっていた。
いきさつは、聞かなかった。

残る人も、去る人も、それぞれに、自分の来し方と、これからどうするかを考え直す、試練の時だと
わたしが(別々に)話した、これまで函館の中核にいた人たちは、口々に皆そう言う。
言葉少なに。

次に会えることはある?と、函館の世話人、かわぐち社長に訊かれた。
「うーん…」
「お京、来年の予定は?」
「わからないわ。自分でも。
いつ立ち直れるか次第。
元気でね。」
「函館以外には、普通に行くんだろ?」
「うーん。東京、横浜は、もう隠居状態。
新潟も、来週で打ち止め。」

川口の兄貴は、自分もライヴを離れるとか言ったくせにわたしがそう言うと止める。
「たっつだってそれ知ったら悲しむよ。」
「うん…だから自分が立ち直って、聴きたいバンドがあれば帰ってきたいけど、
今、わたし、心が落ちてるの。
エンジンがかからない。
ライヴ行きたいとか、思えないのよ。
理由は何でも、今日みたいに来ちゃえばそれなりに楽しめちゃったりするんだけど。」

「そか…
お京、一見、落ち込んでるように見えないけどな。」
「あー、やっぱね(笑)
だから、今のうちに休んで、バランス立て直すの。
まずは、自分がこうしなきゃってわかってるところから…」
「そうだな。俺も今、荒れてっからな。
お京には、来続けて欲しいけどな。
もう名物だもんな。」

「(笑)わたし、お京のパロディにはなりたくないのよ。
だから、まずは休んで、バランス立て直すわ。」
「…んだな…」

ふとし君に、ひっそりと訊いた。

ツアーの後は?
まだ決めてません。

そう…無理はしないで。
無理を続けて耐えられなくなっていなくなるより、
ちゃんと普通に辞めるほうがよほどいいわ…

そうですね…

打ち上げの後、高山君ふとし君のドラム組と慎也さんちに行き、

慎也さんと、少し話した。
お京さんは、函館の音が好きなんしょ?CRUDE好きなんしょ?

うーん、カッコいいと思うのは、断然、CRUDE。
だけどね、好きだったのはMUSTANG。波はあって予想がつかなかったけど、良いときはめちゃめちゃ良かった。

…それ、たっつだよ。
いい時は、どんどん波を作ってくれて、俺らただ、それに乗ってりゃ良かったんだもん、何にもしなくて良かった。

くそ野郎だったけどね。
気持ちが後ろ向いてしまって、いくら話しても届かなくなったのさ。がんばるのを止めてしまった。

それは違う、
とわたしは思ったけど、そこは黙って聞いてた。
「この前のツアーの初日とか、確かに問題外だったし。」とだけ言った。

うわ、とひとし君がたじろぐ(笑)

お京さんよく聴いてるねー。お京さん本気だからさぁ。本気だから言えるんだよ。
本気じゃなきゃ、ケンカもできないし。

…それぞれが、その試練を乗り越えることができますように。
たとえ、もう会うことはなくても、それぞれの人生を荒廃させることなく、できれば穏やかに、幸せに、全うしてほしい。

中核5人のうちひとり消えたことで、予想は出来たことだけど、函館では何もかもが変わろうとしている。

たっつ君のせいじゃない。
ただあなたは、引き金を引いてしまっただけ。

originと九狼吽が来て、皆で笑いながら踊ってから、まだ一年と経ってない。
WILD TRIVEのツアーから、僅か半年。

…函館との日々。
屈託なく輝く笑いの日々の裏で、少しずつ崩壊は始まっていたのだと、思うことはとてもつらい…

でも、それが現実なら、乗り越えるしかない。

…ひとりなのは、わかってるさ。
だけど、自分が、そしてわたしの大好きだったひとりひとりが、こんなにももろく孤独な姿に見えたのは、初めてかもしれない。

でも、とりあえずわたしは歩く。前を向いて。
それだけ。だってくたばるわけにいかないもの。

行って良かった。
本当に行って良かったけど、つらい函館の旅でした。

(2012年に続く)
No.1136 - 2015/01/15(Thu) 06:22:53
MUSTANGの2015年ライヴ予定 / お京
2011年9月から、ふとし君のドラムヘルプで活動してきたMUSTANGですが、
ふとし君がヘルプを辞めるとのこと(2014年12月20日現在)。

MUSTANG withふとし君のラストライヴは、
1月18日日曜日、高田馬場フェーズにて、THINK AGAIN企画の予定です。

その先の見通しは、今のところ全く立っていないので、
MUSTANGのライヴを聴きたいひとは、
行けたらその時に聴いた方がいいと思います。


ありがとう、ふとし君、お疲れさま。
あなたの決心に、幸いあれ。

12月20日のライヴ、MUSTANGナイトは、
MUSTANGにしては破格に長い16曲。
本編締めと、アンコールの最後は、let's go MUSTANGだった。

とりあえず…

燃え尽きた。

良い晩だった。

***

函館…ハードコア人口が年々減って厳しくなる状況の中、
いくつかは自分たちの播いた種とはいえ、
全て黙って受け止めて、踏みとどまり、
活動の場所も、文字通り自分たちの手で作り上げてきた函館勢。
種が芽吹いたぎりぎりの崖っぷちに、
有り得ないような見事な花を咲かせてきた。

なんだかんだ言っても、
不思議な縁で函館に通うようになってこの方、
わたしは函館の存在にずいぶん支えられてきた。

終わりじゃないさ、と思いたい。

どこへ行く、MUSTANG。
わたしの愛した、そしてたぶん、
いつの間にかわたしの人生の一部になったバンド。

良いお年を。またね。
No.1135 - 2014/12/21(Sun) 11:09:37
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