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西部邁に勝った!思ったきのう / ドリパン
 多摩川で投身CENSOREDされた西部氏冥福を祈る理由はない。
 最近の右の思想家はみんな頭がおかしい。
 かっての江藤淳氏も西尾幹二氏もすごく尊敬しはするが、もちろん福田恆存在氏もしかりだが、小林秀雄氏ほどの女性を信奉する叡智を持たないからか、実に下らぬつまらぬ持論を延々と展開する。
 要するに老人ボケの極みでしかない。それでもって太宰のように川で入水したり、江藤さんのように妻に先だたれCENSOREDしやがる。あれほど江藤さんがCENSOREDしたとき、俺にあいつはバカだよねーとほざいた西部大兄が、ああたのひとの傲慢さがどこいいの?若いねぇ、関西人はだからめくらが多いとかぬかしやがって。ww
 そういうあんたも江藤さんとおなじように女にはぐれて死んだやおへんか!

 あほな女ほど自分を守ってくれる、そういう意識が西部にはなかった。言葉本来の上品なフェミニズムを知らなかった。
 どくされまんこおおおおおおおおおおおおおおおと叫ぶだけのなんちゅうかなあ、まじめな女性礼賛を持てなかったから。

 もっとCENSORED、西部よ、あんたは敗北者に過ぎない。



 多摩川の 水の淵さえ 心路


 たまがわの みずのふちさえ こころみち


    視覚芸術、特に西欧絵画を錯覚していはった
                 西部大兄に捧ぐ

 雨後
No.2345 - 2018/01/22(Mon) 04:08:55
Re: 西部邁に勝った!思ったきのう / mac_anarudo
右も左も分からない当方ですが
右も左も括ることなどどうでも良いと思います
そんなところに属して視野狭窄して
自我と自己愛の閉じこもるようなナルシシズムに陥って、最後は口悪く下品な言葉で乗ろうことこそ惨めなものはありませんね。

お互い、視野を広げ俗物的ならないよう
人生を生きてみましょう。

西部邁先生の死は、彼の人生の1ページしかありません。
そんなことよりも、彼の残した言葉をどう捉えるか、それを論じて後の世に活かすことではないでしょうか?


>  多摩川で投身CENSOREDされた西部氏冥福を祈る理由はない。
>  最近の右の思想家はみんな頭がおかしい。
No.2356 - 2018/02/15(Thu) 09:27:39
訂正 / mac_anarudo
☓「乗ろう」
◯「呪う」

失礼しました。
No.2357 - 2018/02/15(Thu) 09:31:49
夢の中 / ドリパン
 皮肉にもノーベル文学賞作家の大江さんが、かって地球上の唯一の神の国として称賛した北朝鮮が、彼の「万延元年のフットボール」の作品の主人公のように、冷戦時代の戦略核兵器におびえて、蛸壺のような穴を掘って引き籠り、やがて肛門を虐め辱めの憤死を敢行させる元凶となるなんて。
 いかに作家の政治認識がとろく、僕たちはまた、核の機微というか、不条理な抑止力についても、その全人類的不可能性の始まりも、まだ知らない。
No.2353 - 2018/02/13(Tue) 01:23:00
大江健三郎先生ですか / mac_anarudo
先生は嘗てこんな言葉を
以下引用
「秦郁彦は、1967年の中国の核実験の成功について大江が「(キノコ雲を見守る中国の研究者らの表情を)いかにも美しく感動的であった」と評していることを批判した」

然し、大江先生は賛美などしていない事が伺える言葉を発していました。
「中国の核実験を写したフィルムを深夜のテレヴィに見た時、僕をおそった暗い恐怖感のことを僕は永く忘れることがないだろう。

それに続く文章は、
・見た目はいかにも美しく感動的な光景だが、
・しかし本当は恐ろしく悲惨なものなのだ、
という対比を語っている。この後半を切れば、当然ながら、文章の意味は逆になってしまう。
"いかにも美しく感動的であった"という一節だけが切り取られるのは、恣意的な引用による印象操作の、露骨な、わかりやすい例だといえる。

問題は、こういう稚拙なトリックが、原文を確認しようとしない人びとーー私自身もそのひとりだったわけだがーーにはそれなりに有効だということだ。」

一部の言葉のミスリードは大江健三郎先生を支那の回し者の様に吹聴され、ネトウヨなる人がソレに迎合する。
やはり、愛国保守なる言葉をミランダにポピュリズムをアジテーションする人がいるということです。
我々は感情の劣化したB層にならないよう
言論を記した文言は最後まで目を通し、互いに話し合い答えを急がないことが大切なのです。

>  皮肉にもノーベル文学賞作家の大江さんが、かって地球上の唯一の神の国として称賛した北朝鮮が、彼の「万延元年のフットボール」の作品の主人公のように、冷戦時代の戦略核兵器におびえて、蛸壺のような穴を掘って引き籠り、やがて肛門を虐め辱めの憤死を敢行させる元凶となるなんて。
>  いかに作家の政治認識がとろく、僕たちはまた、核の機微というか、不条理な抑止力についても、その全人類的不可能性の始まりも、まだ知らない。
No.2355 - 2018/02/15(Thu) 09:20:13
西部さんの死と昭恵主義 01 / ドリパン
 

 現在の日本社会の情況について思うところを述べてみます。
 政治にあまり関心がなく言及できるほどのものは持ち合わせていません。

 しかし現在の日本社会で横行している悪とその上塗り現象は、たかだか傲岸不遜なポピュリストに過ぎない元大阪市長の橋下徹氏が、「恐らく不正はなかった」と平然とTVで言い放つ、あの自民党政権へのぶりっこぶりが、昭恵主義をさらに助長させています。

 卑しくも弁護士ならば、事実の検証を経て、証拠による明証性を以て、国民の耳目を集めるカレントな問題について発言しなければなりません。

 その点でおおよそ橋下氏の弁護活動も、法理に違背したかなり杜撰な論理と権力行使に偏った、つまり裁判官や法務省に受けの良いという意味ですが、依頼者のためではなく単に自己利益のための「政治活動」に類するものではなかったかと想像します。

 彼が時代の寵児となり、かってのホリエモン同様、僕の住む関西で一躍トリックスターめく存在になったのは、とてもわかりやすい政治スタイルを執ったからです。

 ちょうど10年前の平成20年1月、彼は183万票以上を集めて大阪府知事に当選しました。
 僕たち大衆にとって理解しやすい政治とは、フィギュア、つまり数字です。
 当時の自治行政の課題は赤字財政からの脱却です。

 その意味では確かに、彼以前の怪しげな使途不明金現象により、次第に酸蝕(正しくは蚕食でよろしいかと思いますが、酸化による金属疲労のイメージをこめこの言葉を使いました)を露わにした自民党出身の大田府知事と比較し、めざましい活躍ぶりでした。
 
 いくらの赤字がいくらの節約(主として職員の給与カット)で減少したか、いくらの税収増加により公共投資や教育・福祉行政へ、どれだけの資本が投下されたかなど、明確な数字を自身の政治手腕の成果として、強烈にアッピールすることでした。

 しかし後の歴史家は、党派性を嫌った庶民好みの「タレント知事」の存在を、どのように評価するでしょうか。
 昭恵主義のありふれた政治的風景に過ぎない彼の行状は、毎日TVを付ければ顔を出す、あの小狡く賢しげな弁護士センセの欲望に満ちた知性となんら変わりはないと思うのは漠だけでしょうか。 

 

 縁なく 心崩壊 猫肉球 カブリとぞ 噛む

 ゆくりなく こころくずれる ねこにくきゅう ガブリとぞ かむ


 雨後
No.2351 - 2018/02/10(Sat) 18:33:33
お久しぶりです / mac_anarudo
お久しぶりです。
マックCENSOREDドです。
ヤフーチャットのときはお世話になりました。

西部邁先生のご逝去
改めて哀悼の意を申し上げるとともに
先生のご意思と、今の世に提示した課題を探究していこうと思います。

東京MXの西部邁ゼミは、いつも楽しく拝見させていただきました。

話は変わりますが、あの弁護士さんですか
在特会の桜◯誠氏とプロレスまがいの
喧嘩ショーをやったB層主義者ですね。

在特会の言う在日朝鮮人の特権を許さない事もわかりますが、彼の議会主義を壊すアナキズムは目を覆うものがあります。

あの弁護士先生も、山口県光市の殺人事件の弁護団に懲戒請求を送れ等と大衆を煽動しましたね。

彼等のような、感情を劣化させる大衆が議会制民主主義を滅ぼすのでしょう。

昭恵夫人も疑獄として扱えないようでは、法治国家ではありません。
法の下の平等なら、裁判に掛けて白黒つける。
此れも被告原告とも平等な権利行使であることを
B層化した日本人にはわからないのでしょうね。
なにせ有罪率9割超えた国ならば、逮捕=有罪等という軽薄な人権意識ですから。

まだ、日本は支那の事を独裁国家等とレッテル貼りできる器じゃないですよ。

ニュース女子や虎ノ門ニュースなどで浮かれている人々は目覚めて欲しいですね。
No.2354 - 2018/02/15(Thu) 09:11:54
オイ君へ贈る / ドリパン


 切なげな二つ瞳に映ってる ママの笑顔に春近し

 せつなげなふたつまなこにうつってる ままのえがおにはるちかし


 雨後
No.2350 - 2018/02/04(Sun) 21:50:45
なぜ彼は絵画の様式概念で今を説こうとしたのか? 01 / ドリパン
 西部邁氏は昭和62年に『貧困なる過剰』のフォルマリズムの断章で以下のように、形式主義における記号の働きというよりは、その属性から、生死について定義した。
 

  人間の生は、生物的な生でもないし、記号的な生でもない。生命とか記号にたいして、幸か不幸か、意味を付与せずにおれないのが人間である。人間は生きることそれ自体には本質的な関心を持たない。そういう奇妙な動物が人間である。「よく生きる」こと、それが人間の本質的な関心なのである。


 シュレンジンガーの猫(https://atarimae.biz/archives/6734)は、生と死が量子力学的に「重なって」規定される。
 少なくとも確率的にフィティ・フィフティであるというモデルを措定し、原子核の構造上の斥力の矛盾によるパラドックスを提出した。
 それは放射性の原子核の崩壊現象は確率によって推定ならびに解釈される他なく、その統計上の抽象化は、生の意味の崩壊であるとも言える。
 彼の記号と抽象化とその一般性原理についての考えをリンクすれば、そのように言える。
No.2349 - 2018/02/04(Sun) 18:36:32
死者とおしゃべりするのは楽しい! / ドリパン
 文化というものは、よく言われるけれども、後ろ向きに前へ向かうこと。
 つまり背中を向けて未来へ進む。
 これはよく考えてみると、死んだだれかとなにかを頻りに語らいながら、答えをだしてみることなんです。
 西部さんはそれが多用多彩で、しかもラディカルだった。
 いつも過去を分析し、現在を知る基礎とした。特に野蛮なモダニストだったので、西欧近代のことにいつも熱中症気味だった。

 答えを急ぐ必要はない。

 結論からしたり顔して言うつもりはない、というほどの意味だけれど、僕なりの批判をすこしづつ明らかにして、生きている間にお弟子さんやとりまきの文化人知識人たちは彼を怖がっていたけれども、僕ははっきりと直言した。

 あんたは野蛮過ぎる。洗練と言うもんが身についてない。
 ん?タケシみたいにかな?
 ちがう、あのひとは言いも悪いも都会人で、自己嫌悪さえ洗練だと思ってる節があるやん。
 僕は、みんなの怖がる西部さんってのは、蛮性でもってるところがあると思ってるんや。自分でもそう感じてるんちゃうん?
 なるほど、そういうことをはっきり言うやつが身近におらんのだわ。

 許されれば、ゆっくり、死者と喋る快楽をここで披露してみたい。
 なぜ、彼は西欧の近代と視覚芸術に、特に惑わされていたか?
 ただのおのぼりさんみたく、イギリスやアメリカを無視できなかったのか?

 単純に言えば、知識人や専門家が嫌いでダメだと思っている分だけ、奇妙なことに自分の野蛮さを許せなかったからだ。

 そういうことどもについて、具体的なテクストから述べてみようと思います。


 死にざまを 問うなかれかし 益荒男ぞこそ 冬独人南無

 しにざまを とうなかれ ますらおぞこそ ふゆひとりなむ


 雨後
No.2348 - 2018/02/01(Thu) 17:46:09
静寂は脆弱、ボーターはボーダー / ドリパン
 すみません。
 あいかわらずの誤字脱字です。ふざけているのではなく、完全無欠のボケです。w
 しかも若いころからのアホさなので、いまに始まったことではないのはよく周知の事実。
 若年性アルツハイマーやんと、東京で会うたび笑われました。

 つづく
No.2347 - 2018/01/24(Wed) 11:15:44
西部さんのこと / ドリパン
 すこし真面目に西部さんの話でもしよう。

  https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201801220000368.html

  小林氏は22日、「西部邁氏は立派である」とのタイトルでブログを更新。「西部邁氏は『死生論』の中ですでに自決の予告をしていた。わしが『あとがき』を書くと、随分喜んでくれた。予告通りに自分で自分の人生に決着をつけるとは立派だ」とつづった。

 馬鹿な漫画家風情がなにを錯覚して偉そうにほざく。
 西部さんは、生前、三島を軽蔑してるように見せながら、学者によくあるアートやアーティストの不合理さに憧れていた。
 彼自身、もう死語となった「無頼派」(ぶらいは)という戦後直後の織田作之助、坂口安吾、太宰治などの静寂な作家達の如く、戦前と戦後のボーターで幼少時の国破れて山河在り状況下にあって、物心ともに不安定で貧しい生活にゆさぶれながら育った。

 僕が70歳で彼が78歳だから、揺籃期から小学校時代へかけての社会不安は、神戸の昭和20年代と北海道の昭和10年代後半期における辺境の山奥ではかなり異なる。
 安易に人間を信頼したり、未来を信じるだけの馬鹿でもなく、鈍いくせに自己の能力を過信する楽天的白痴エリートでもなかった。
 生まれついてのアホである僕は都会センスを自慢しない程度の礼節を持ち合わせている。
 しかし彼はあまりにも頭がよろしかった。
 自分が田舎もんで世界の中央で何が起こっているかを無視したり、時代の拘束にまったく思索が及ばない少年ではなかった、恐らく。

 音楽も絵画も文学も、実は、彼は、疎かった。
 世阿弥の「秘すれば華なり」を、謂わば”言語哲学だわな”とか、したり顔していうほど錯覚の人だ。
 かっこよく生きていくにはあまりにもまともでかつダサイ自分の過去にとらわれ過ぎていた。

 例の漫画家を愛したのは、単なる愛嬌でいつもながらの自虐趣味に過ぎない。
 だから、三島由紀夫の自決をカッコイイと感じるやつらがいれば、その真反対の泥の河にて入水をやらかす。
 ただの庶民として生きていくのがそんなにつらくてなお嫌悪があるならば、せんせせんせと東大教授とよばれるうちに、さっさと名誉の自害でもやればよかったに。
 
 つづく
No.2346 - 2018/01/24(Wed) 03:13:41
冷戦時代の音楽 / ドリパン
dreamfullpants: GLENN GOULD
dreamfullpants: BACH MWV 988
dreamfullpants: きこえますか?
dreamfullpants: このピアニストは冷戦時代の演奏家の代表だと思っています
dreamfullpants: カナダの音楽家で チックコリアやボブ・ヂュランなど アメリカ合衆国から全世界へ 人気が広まった
dreamfullpants: でも後者たちのように 実際にアメリカまで降りてきて活躍したわけではない
dreamfullpants: あるときからスタジオ録音しかしなくなった ビードルズのように その意味でも 冷戦時代のアーティストと言える
dreamfullpants: 冷戦時代とは 1945年以降1989年までを言うんだけれども 現代史では
dreamfullpants: 日本では坂本龍一や大江健三郎が 少し事情は異なるけれども 活躍した時代です
dreamfullpants: YMOは80年代の初頭に活動をやめてしまった エレキバンドとしてはね
dreamfullpants: 大江もノーベル文学賞を獲得した作品は すでに80年代にはほとんど書けなくなっていた
dreamfullpants: つまり文化的な時代としは 続く2000年以降の電子が開いた新しい文化の間の氷河期だったと思えばいいWW
dreamfullpants: この作品もデジタルで再び収録されているけれども この作品がピークやね
dreamfullpants: 新しいユダヤ人の平均律 あどけなくて 実験的で ほんとうに遊べている バッハコンップレックスから解き放たれて
dreamfullpants: これほど新鮮なかつ快活でかつ非宗教的なバッハは知らない
dreamfullpants: ジャズが60年代にはいって公民権運動で死んだように 冷戦時代の音楽もこれで死にました アナログも死にました
dreamfullpants: つまりグレンは 自分がユダヤの血の末裔で ノルウエイのグリーグの親戚だということ そが一生涯頭から離れなかった
dreamfullpants: どこかしら直径のヨーロッパ人の文化文脈のメインストリームにいると自負してた
dreamfullpants: しかもロマン派を軽蔑していた!!
dreamfullpants: ベートーベンの演奏で有名になったのに W
dreamfullpants: ユダヤ人であることが一種の不幸であること たとえばナチスドイツによる悲劇的な民族浄化の対象になったというような 歴史的事実から解放されたとき このひとは終わった
dreamfullpants: きこえる?
dreamfullpants: 水がすきでね 70年代からのエビアンなど あの種のドリンクウォーターをファッションとして広めてしまった
dreamfullpants: 実はこれは資本主義が変化したことと重要な関連性がある その意味でも彼は冷戦時代の資本主義の反映だった
dreamfullpants: 極度の神経症で だから喉が渇いてたという説もあるくらい パニックになりやすい精神気質だった これもやはり時代の兆候
dreamfullpants: 村上春樹がいかれたマクルーハンにやはりいかれていた メディアは欲望であり心や思念をマッサージするというメデイア論ね
No.2344 - 2018/01/20(Sat) 02:51:25
ごめいわくをおかけしたかも / ドリパン
 ちゃむいでしゅね。
 他の方の発言を制するつもり、じぇんじぇんなかったのですが、何中華本中華♪〜、ほっこりぃラゥメ〜ンでも、すすりたぁい気分です。w

 昨日神戸のメリケンパークを訪れてみました。
 ブルーツースのヘッドフォンを両耳に被せながら、80年代のメリケンポップスをがんがん鳴らし、港の中の揺蕩う暗〜い海面を眺めた。
 10年もっと前かな、真夏の夜に詠った句を思い出した。


  丑三つに 笑う女と 波眠り

  うしみつに わらうおんなと なみねむり


 マジにそん時、モアイ像のならぶ壇の上で、女の人が煙草を吸いながら笑ってはった。

 人工大理石でしつらえられた壇の上に、抽象的なモアイが沖に向かって並ぶ像に背中をもたせ、なんだかやけっぱち気味に高笑いする声を、深夜の波音がどこまでも通奏低音のようにフォローして・・・、うねっている。

 観光用に製作されたモアイは、実際のモアイと違って、海を背にしていません。
 一段と高い矩形の壇は、実は、権力者である酋長の眠る棺なのですが、訪れる人は偽のモアイと、くすみながら光る大きなお墓に、死を感じることはありません。

 あの時と比較して僕はどう変わったのか、なんにもな〜いこの世は現在とどう違うのか?

 ちゃむちゃがチクチクして、AHAのTAKE ON MEを、ちょうど耳底で鳴らしはじめましたa


雨後
No.2343 - 2018/01/13(Sat) 22:32:08
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