三木稔先生。 お疲れ様でした。
三木先生は常に太陽のように周りを照らし、鋼の信念で目標を達成する方でした。
三木先生とは、黛敏郎先生について調べるうちに伊福部先生や古弟子会の皆さんとも交流させて頂くようになってからでもう10年近くになります。演奏会などでお会いするうちに、まだ東京音大のゼミで教鞭を執っておられた先生にゼミへの出席をお願いし、快く許可してくださってから毎週のようにお会いするようになりました。世界レベルの作曲家の仕事に間近で接したのは、かけがえない経験でしたし、そこで一生の仲間・友人を得ることができました。
僕が演奏会やCDの企画をするようになったのも三木先生に「君もやってみたら」と背中を押して頂いたのがきっかけの一つなのです。
日本史オペラを完成されてから「まるで無重力のようにふわふわしている」と念願の作曲を達成されて、その次の仕事に移るまでに気持ちを切り替えることができないことを話されていましたが、その後、宮城会の30周年のための箏合奏曲や、榎戸二幸さんの熱心な依頼に答えた箏ソロ曲、自身の追悼演奏会へ向けて長年取り組みたいと仰られていたレクイエム管弦楽改訂まで完成されて、80歳を超えても衰えることのない三木先生の不屈のエネルギーに驚嘆しました。
震災後は体調を崩されたようでしたが、当初《白鳥の歌》と告知されていた新箏ソロ曲を《新箏オーバード》と命名し(藤川いずみ委嘱)を完成されたときき、その後の作品もとお話していたところでした。タイトルを変更されたことからも、まだ新しい夜明けを考えているのだろうと思っていましたが、まさかこんなに早くお別れの日がくるなんて。まだ自分の中で整理がつきません。
太陽のような三木先生の元気な姿しか思い出せないのです・・・。
三木先生が末期がんで三ヶ月の余命宣告を受けてから、明日も生きて作曲しようと奥様で詩人の三木那名子さんの詩に作曲された《あしたまた》の歌詞がいま僕の頭を流れています。本当にありがとうございました。三木先生。
あしたまた とりのように さえずり あしたまた ライオンのように たくましく あしたまた はなのように うつくしく あしたまた たいようのように あたたかく あしたまた えがおで あしたまた あしたまた あしたまた あしたまた |
No.3130 2011/12/09(Fri) 00:27:04
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No.3131 2012/01/08(Sun) 10:32:36
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No.3132 2012/01/09(Mon) 16:22:49
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