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詩篇72篇 / 大垣 引用

詩篇72篇。「ソロモンによる」という頭書の原語のへブル語は「ソロモンのために」とも訳せるそうです。20節に「ダビデの祈りは終わった。」とあることから、この詩篇はダビデが王となるソロモンのために作ったのではないか、と思います。

1-8節。ダビデはわが子ソロモンと、遠い未来のイエスを重ねあわせて、この詩篇を書いたようである。王が、神の義により公正に民をさばき、弱者を救い、永遠に世界を統治するように祈っている。

どうか、王の王であられる、僕たちの主、イエスさまが、僕たちをいつも支配してくださいますように。

9-18節。世界中からイスラエルの王にみつぎ物が集まり、すべての国々が彼に仕える。これは、王が弱者や貧しい者をあわれむからである。人々は彼によって祝福される。

どうか、多くの人々がイエスさまに仕え、イエスさまによって祝福されますように。

18-19節。第2巻の終わりの締めくくりのことば。

No.4255 2008/08/01(Fri) 06:47:28

Re: 詩篇72篇 / 亜衣瑠 引用

父ダビデが愛息ソロモンのために神に祈った詩であろう。

わがたましいの救いを叫んで祈ったトーンとは やはり異なる 優しさと思いやりが溢れている

伝道の書に見えるソロモン王は このように祈られていても
世界の誰よりも優れた知恵者であっても
あこがれの君ではなかった (さぞやお美しかったでしょうけど)

讃えられる方はお一人
18節
ただ一人驚くべき御業を行う方を。

偉大な王ダビデが祈っても 息子王のシナリオは この御業を行う方に委ねられる。

No.4275 2008/08/03(Sun) 05:03:50
士師記11章20節まで / 沙耶香 引用

今日は士師記11章20節までを読みます。

2節に
ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたは他の女の子だから、私たちの父の家を受け継いではならない。」
とあるが、エフタが遊女の子であることなんか、エフタの責任ではないはずなのだが・・・。

8節に
すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻ってきたのです。あなたが私たちと一緒に行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体の頭になるのです。」
とあるが、エフタからすると、都合のいい言い分であるという気がしますね・・・あきれてしまいます。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ22章61-65節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様野語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、65節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様に悪口を浴びせていると、後で自分に返ってくるんだ。

No.4227 2008/07/26(Sat) 19:44:22

Re: 士師記11章20節まで / 大垣 引用

>エフタが遊女の子であることなんか、エフタの責任ではないはずなのだが・・・。

そうですね。こういうことを人間が判断材料にするとき、ろくなことにならないと思います。マタイ1:5にある主イエスの先祖のラハブはヨシュア記2:1にあるように遊女でした。

No.4229 2008/07/27(Sun) 03:43:46

再士師記11章20節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度士師記11章20節までを読みます。

7,8節の
エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、私の父の家から追い出したではありませんか。あなたがたが苦しみにあったからといって、今なぜ私のところにやってくるのですか。」
すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻ってきたのです。あなたが私たちと一緒に行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。」
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ22章66-71節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、70節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様は神の子です。ただ一人唯一の神です。

No.4272 2008/08/02(Sat) 18:00:39
大垣さん、どうもです / レーシェル 引用

親の愛という点では、解りやすい例え話としては、
親が子供に、「勉強しろと」うるさく言います、しかし、当人の子供は、「ムッチャうざい」といいながら親の言うことを聞きません。

よくある事でしょ! 

親の愛情としては、各家庭での価値観はちがえども、子供の将来の幸せのことを考えての動機があったとしても、子供が自分の将来の幸せがわかりません、そのような、生きている時間のギャップがあることは確かですから、

この中で、「親」=「神」に入れ替えて、「子供」=「人類」に入れ替えて考えてみてください、どう思いますか?

No.4239 2008/07/29(Tue) 11:10:23

Re: 大垣さん、どうもです / 大垣 引用

レーシェルさん、分かりやすい例え話をどうもありがとう。

この例え話で、神と人に命令する場合と、僕が息子に命令したり助言したりする場合を比べると、僕の場合には、特に2つの大きな違いがあります。僕は基本的には子の幸せを思って言うわけですが、完全に純粋ではない思いが入ってきます。それと、神は人の能力や性質を完全に理解して命令するわけですが、僕は子を完全に理解しているわけではないので、僕が子に助言したり命令するとき、それが子にとって適切でないことがあります。

具体的に思いうかぶのは、息子が高校のときです。当時、僕も息子も、まだキリストに出会っていませんでした。息子は僕の専門の経済学が好きだったので「金融経済学者になったらどうか。」と僕は助言しました。僕は基本的に息子の幸せのためになると思って言ったわけですが、今から考えると、そう言った僕の動機には、純粋でないところがありました。ひとつには、当時、僕は才能を使って有名になることが、人生の意味と考えていました。それで、息子に幸福になってほしい、と思う心に、息子が有名になってほしい、と思う心が混じってしまっていました。また、金融経済学者になると、給料が経済学者の中でも一番高いので、息子にお金持ちになってほしいという気持ちも混ざっていました。

それと、息子は、高校まで算数や数学がよくできたので、僕は彼が、金融経済学のための高等数学の才能があるだろうと思ったのです。ところが、後になって分かったのですが、息子の才能は別のところにありました。それで、僕の助言を受けて、金融経済学者になることを目指して大学の経済学部に入った息子は、とても苦しい経験をすることになってしまいました。

No.4240 2008/07/29(Tue) 12:23:40

Re: 大垣さん、どうもです / レーシェル 引用

私がここで言いたい事は、親の心子知らずという事です。

子たる人類が、聖書の使い方が、親である神の目的に合った使われ方をしているかが、「疑問なのです」と言いたいのです。

あくまでも、子供目線で判断するのではなく、親目線で判断してくださいと言う事です。

No.4243 2008/07/29(Tue) 14:44:36

Re: 大垣さん、どうもです / 大垣 引用

神の愛を人間が知るのは、本当に難しいことだと思います。ひとつには、人間が短期の快楽を求めたがり、神の愛は、この世ではなく、永遠の幸福を人間に与えようとしておられる、というタイミングの問題が大きいと僕も考えています。

聖書の使い方ということでは、神は、人間が聖書を通して神との交わりをすることを望んで聖書を人間に与えられたと思います。僕が日本に一時帰国したときに指導を受けている戸村先生という牧師は、このことを強調されています(戸村先生の許可を得たので実名を書いています。)戸村先生は、「聖書を読むのではなく、聖書に読まれなさい。」という風にこのことを表現されることが多いです。

ところが、僕が「聖書に読まれよう」としても、なかなか難しいです。どうしても、自分の聖書解釈を読み込んでしまうことが多いです。聖書解釈については、戸村先生は、「自分の聖書解釈に確信を持つが、絶対視しない。」と言われています。

レーシェルさんが、聖書信仰と神信仰を区別しておられるように、クリスチャンが自分の聖書解釈を絶対視してしまい、聖書解釈を信仰してしまって、神の愛からかけはなれた方向に行ってしまう、という問題によく注意する必要があると常々思っています。

No.4245 2008/07/29(Tue) 22:33:37

Re: 大垣さん、どうもです / レーシェル 引用

凄く難しい聖書解釈をしていますね。

私が思うに、その聖書解釈は目隠しをして綱渡りをしているような印象を感じます。

確実に渡れるようにしたらいいのにと思います。

No.4250 2008/07/30(Wed) 10:59:39
詩篇71篇 / 大垣 引用

詩篇71篇。この詩篇はダビデが年老いてから書いたのだろうと想像して以下を書きます。

1−3節。ダビデが年老いてから、若いころ、試練のときに書いた詩篇31:1−3を思い出して祈っているのだろう。

主よ。僕はあなたに身を避けています。あなたの義によって、僕を救い出してください。どうか、僕の住まいの岩となり、強いとりでとなって、僕を救ってください。

4−8節。ダビデは主の力によって、奇蹟的に数々の困難から救い出され、イスラエルの王となった。ダビデはこの世での主の救いを賛美している。

神なる主よ。僕は生まれたとき、あなたにいだかれたのに、若いとき、あなたにそむいて、あなたとともに歩きませんでした。あなたが、僕を自分の悪の道より救い出してくださった奇蹟を賛美して、感謝します。

9−14節。ダビデは年老いてから、試練にあって、敵からは「神は彼を見捨てたのだ。」と言われたのだろう。しかし、ダビデは主を待ち望み、主を賛美した。

神よ。僕から遠く離れないでください。僕が、どんなときも、絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美するようにしてください。

15−20節。ダビデは神の心をひとつにした王だったが、自分が神の義と救いを全部知っているわけではないことを知っていた。ダビデは神の御前に謙虚さを持っていた。ダビデは自分が最後のときに復活することを心の奥底で知っていたと思う。

主よ、あなたが僕にしてくださった素晴らしいことを、多くの人々に語り告げるようにしてくださいませ。あなたの力を次の世代に告げ知らせることができるようにお導きくださいませ。

21−24節。ダビデは神の義により、悪が罰されることを知って、主の義を立琴や歌で賛美した。

主よ、あなたの正しいさばきと、あなたの聖なることを、賛美します。僕が高らかほめ歌を歌えますように。

No.4228 2008/07/27(Sun) 03:37:31

Re: 詩篇71篇 / 亜衣瑠 引用

この方のもとになら、かくれんぼしてもつかまらない。
ずっと隠してくださるだろう。
主、と呼べる方をいただいて わたしたちは ほんとうに幸せです。
あなたを知らなかった長い日々 お赦しください。
これからの日々、あなたの賛美ができるこの口に感謝します。
あなたが義の方であること、救いの主であられること、
そして何より、愛でできた方であること 愛そのものでいらっしゃること
このことを はっきりと知ることのできる喜び
他に代え難い喜び

「わたしは、その全部を知ってはおりませんが。」

全部は知っていなくとも、それでもこんなに明らかにされました。
ありがとうございます。
それを知る、  この世に生まれ出て この世を生きている意味が
それによってあるのです。
麗しい愛の主

No.4248 2008/07/30(Wed) 01:50:21
士師記10章 / 沙耶香 引用

今日は士師記10章を読みます。

6節に
またイスラエル人は、主の目の前に重ねてあくを行い、バアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。
とあるが、いろんな神様がおられるのですね・・・真の神様はイエス様のみなのに・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ22章51-55節を読みます。
天のお父様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、51節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様が触られただけで癒されるという・・・素晴らしいですよね。

読んでいる途中で昔のひどいいじめを思い出した。ずっと辛かった。この世の中って本当弱者や劣っているものには冷たい。最近大分県教育委員会での不正が出てきているが、同じ点数なら口利きでというのはあるだろうと思っていたが、点数をかさ上げしたり、わざと下げたりしているなんて絶対赦せないですね・・・。そういう人が教師になっているんだから、いじめもなくならないはずだ。教育現場がすさんでいるのに、子供達もすさんでいくよ。イエス様が早く再臨してこの世の不正や理不尽さを取り去って欲しいです。

No.4217 2008/07/24(Thu) 21:55:30

再士師記10章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度士師記10章を読みます。

7節の
主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡された。
が印象に残りました。主の怒りが一番怖い。

15,16節の
すると、イスラエル人は主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたがよいと思われることを何でもわたしたちにしてください。ただ、どうか、きょう、私たちを救い出してください。」
彼らが自分達のうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。
が印象に残りました。主は悔い改めるとまた救おうとされるお方・・・どこまでも優しくどこまでも哀れみ深いお方・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ22章56-60節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが、一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
どうつくろっても、どう隠してもイエス様には分かります。

No.4225 2008/07/25(Fri) 22:23:28
沙耶香 さんへ / レーシェル 引用

この世の全ての女性が信仰をもって、自分を大事にする貞操観念を持ち続けてくれれば、地位向上し神様が求めた女性像が実現するに違いないと思っております。

現在の世界中の多くの問題は、女性本来の能力を発揮し切れていないのが原因だと思います。

可能性はあると思いませんか?

No.4218 2008/07/24(Thu) 22:24:13

Re: 沙耶香 さんへ / 沙耶香 引用

世界中のすべての女性が信仰をもつ・・・???かなりありえない話のような気がいたしますが・・・。でもそうなるといいですよね。そうなると素晴らしいと思います。
可能性はイエス様にお任せしましょう。
私は何もかも普通の人より劣っている人なので、私なんかの意見は参考にはならないと思うのですが・・・。

No.4221 2008/07/25(Fri) 09:06:46

Re: 沙耶香 さんへ / レーシェル 引用

> 世界中のすべての女性が信仰をもつ・・・???かなりありえない話のような気がいたしますが・・・。でもそうなるといいですよね。そうなると素晴らしいと思います。
> 可能性はイエス様にお任せしましょう。
> 私は何もかも普通の人より劣っている人なので、私なんかの意見は参考にはならないと思うのですが・・・。


「私なんか」といわれるのは、神に対して親不孝な言い方ではないかと思いますよ、神は女性を創造の全てのものを集約した全ての愛情を注いで創られたのが女性なのですから、

女性という事にもっと自信を持ってください、お願いします。

女性は神の愛を受け止めるだけの大きな器を持った存在で、男性からすれば、究極に尊敬するべき存在なのですよ!

女性が神の愛を受けた時に輝く姿に男性は喜び男性としての存在意義を感じれるものだと思います。

ですから、女性の不幸な姿は、男性の存在意義の喪失となってしまいますから、女性は自身が最高の幸せを求める為の努力は惜しまないでがんばってほしいと思います。

No.4222 2008/07/25(Fri) 09:24:10
大垣さん、沙耶香さんありがとうございます。 / レーシェル 引用

罪の解明をしようとすると、その原因は失楽園の出来事を正しく分析しなければ理解する道はないと確信しています。

わたしは、キリスト教のりんご説はあまりにも幼稚な解説だと思っていますが、大垣さんは失楽園の物語から人類の罪をどのように理解されておりますか?

それに、罪が解らなければ、イエス=キリストの価値が見出せないのではないでしょうか?

女性がこの世を左右する大きな存在なので、沙耶香さんの感じている事は将来の日本に少なからず影響を及ぼしますのであなたの意見も貴重なので、重要な参考意見ではあります。

素直なご意見をこれからもよろしくお願いします。

No.4216 2008/07/24(Thu) 17:45:16

Re: 大垣さん、沙耶香さんありがとうございます。 / 大垣 引用

>それに、罪が解らなければ、イエス=キリストの価値が見出せないのではないでしょうか?

まさしくそのとおりだと思います。僕はキリストの恵みの価値について深く知りたいので、罪について深く知りたいと思います。僕は信仰を持つ前は、どんどん勉強して調べて考えれば自分の力で、知りたいことは何でも解明して理解できると思っていました。それで、信仰を持ってからも、ほぼ同じような考えで、祈りながら、勉強していけば、真理が理解できると思っていました。理解が大きく深まったと感じたとき、罪や恵みを完全に理解したと錯覚して、納得していたこともありました。そのようなときには、しばらく僕の理解の進歩はそこで止まってしまっていたと思います。しかし、しばらくすると、自分の理解より、さらに深い真理があることを神が示してくださいました。

そのようなことを繰り返していううちに、だんだん神の恵みも愛も自分の理解力が遠く及ばない深いものであることに実感を持って気がつかされました。だから、罪の本当の意味も、自分の理解力は遠く及ばないと考えています。

僕の神の理解は、本当に、薄っぺらな浅いものだと思います。それでも、僕が今の理解で満足せずに神を信頼して真理を求め続けるる限り、神がお導きくださり、だんだんより深い真理の理解を与えてくださるのだと信じています。

失楽園についてですが、まさに、罪の理解はここに始まると僕も思います。創世記2−3章の描写が、歴史上に現実に起こったことなのか、寓意であるのか、僕にはよく分かりません。僕は聖書が神のみことばだと信じていますから、歴史的な事実であるにせよ、寓意であるにせよ、真理を正しく描写していることを信じます。ただ、一人一人、みな違いますから、レーシェルさんが今の時点で、失楽園についての理解をさらに深めるために、別の失楽園の描写を神に求められるなら、神がそのような描写を与えてくださると信じます。

No.4219 2008/07/24(Thu) 23:52:00
大垣 さんへ / レーシェル 引用

あなたの言い分では、「人間が罪人で生まれ、多くの人を殺戮する戦争は当然の事で、性倫理の混乱も、神の創造理想の人間の姿であり、人間が苦しみ悲しむ姿を見て神は喜んでいる」と言っているように聞こえますが。

そう言う事ですか?

それと、あなたにとって「人間の罪」はどのようなものなのですか?

No.4211 2008/07/23(Wed) 08:14:28

沙耶香 さんへ / レーシェル 引用

沙耶香さんも考えてみてくれませんか?

No.4213 2008/07/23(Wed) 23:05:38

Re: 大垣 さんへ / 大垣 引用

罪とは何か、ということは、この掲示板でかなりいろいろ話し合って考えたことがあるのですが、結局僕は、よく分かりませんでした。ごく基本的には、罪とは神にそむくことだと考えています。

僕の書いた考えは、レーシェルさんの解釈と全く違います。なぜ違うかということを説明するのは、それほど簡単ではありません。ひとつには、人間はどうしても時間に縛られて考えるので、僕は自分の考えを自分でよく理解できているとは思いません。

それでも、試しにたとえ話のように説明してみるなら、創世の前には、まだ時間は造られていなかったと考えます。その時間のない世界で、まず、神は心の中でアダムとイブを造られ、理想として、彼らが自由意志を持っていても、神にそむく罪を犯さないことを望まれた。それで、彼らがそむことを前提に、歴史を心の中で展開された。そして、神のひとり子キリストを心の中で世に送ってみられた。神は人間たちが、キリストのいうことに聞き従うことを理想とされた。しかし、人間たちは、キリストにもそむことが神には分かった。そこで、神は、そのことを前提に、キリストが十字架で死ぬこと以外に、人間を救う道はないことを見られた。そして、キリストの救いによって、やがて、信仰者たちが理想の新しい天と地に住むことを見られた。そこで、神は歴史のすべてをご計画された上で、時間を造られ、世界を造られ、人間を造られた。

人間の罪を、神は悲しみ、また、その罪が原因となる苦しみを神は一緒に苦しまれ悲しまれたと信じます。キリストの十字架を見れば、それは明らかだと思います。同時に、キリストの十字架のような苦しみも、人間の罪を前提とした神のご計画にあらかじめ入っていたと僕は信じます。

No.4214 2008/07/24(Thu) 08:26:10

Re: 大垣 さんへ / 沙耶香 引用

人間は罪人・・・
イエス様にきよめてもらいながら、イエス様に近づいていこうとしても罪の性質は残ります。
でも罪を悔い改めながら、生きていく姿をイエス様は喜ばれると思います。
答えになっていないかもしれない。私は管理人さんと比べても誰と比べても能力も劣るし、学歴もないし、活字アレルギーでなかなか聖書の内容もわからないし・・・苦戦している状態で、私なんかの意見は参考にならないと思いますが・・・

No.4215 2008/07/24(Thu) 08:36:24
士師記9章残り / 沙耶香 引用

今日は士師記9章残りを読みます。

37節に
ガアルはまたいった。「いや。人々がこの地の一番高いところから降りてくる。また一隊がメオヌニムの樫の木のほうから来る。」
とあるが、メオヌニムの樫の木とは何だろうか?と思って横の注を見ると、あるいは「ト者のテレビンの木」とあるが、ト者って何だろうか?テレビンの木って何だろうか?と思って辞書を引くと、ト者は載っていない。テレビンで引くと、テレビンチナというので出てきて、マツ科植物から採取される樹脂のことみたいだ。聞いたことないが・・・。

45節に
アビメレクはその日、一日中、町で戦い、この町を攻め取り、そのうちにいた民を殺し、そのうちにいた民を殺し、町を破壊して、そこに塩をまいた。
とあるが、「塩をまく」というのはどういう意味があってしているのだろうか?と思って、脚注を見ると、永遠の廃墟であることを示す象徴的行為だと書いてあります。うーん、普通に考えたら塩をまくというのは、きよめるとかそういう意味かと思っていましたが・・・。
申命記29・23、エレ17・6が関連箇所となっているので、開いてみます。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ22章41-45節を読みます。
天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、42節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、お祈りするときに、わたしの願いではなく御心のままにしてください。というのがいいです。自分の願いではなく、御心が最善策だから・・・。

No.4207 2008/07/22(Tue) 09:05:09

Re: 士師記9章残り / 大垣 引用

45節。塩はけがれをきよめる、ということと、永遠の廃墟、ということは関係があるように思います。人間は、イエスの尊い血できよめられないかぎり、どうしてもけがれがあるので、塩が大量にまかれたところには住めない、というようなことです。

No.4210 2008/07/22(Tue) 21:22:31

再士師記9章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度士師記9章残りを読みます。

31節に
トルマにいるアビメレクのところに使者を送って言わせた。「今、エベデの子ガアルとその身内のものたちがシェケムに来ています。今、彼らは町を、あなたにそむかせようとしています。
とあるが、トルマってどこだろうか?と思って脚注を見ると、アルマと同じらしい。アルマはシェケムの南8キロにある、ベート・リマと同定らしい。

44節の
アビメレクと、彼とともにいた一隊は突入して、町の門の入口に立った。一方、他の2隊は野にいたすべての者を襲って、打ち殺した。
が印象に残りました。

57節に
神はシェケムの人々のすべての悪を彼らの頭上に報いられた。こうしてエルバアルの子ヨタムののろいが彼らに実現した。
とあるが、ヨタムののろいとは何だろうか?と思って脚注を見ると、シェケムも滅び、アビメレクも滅びるということだそうだ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ22章46-50節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、48節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様を裏切るなんてふとときだけれど、人間はみな多かれ少なかれイエス様を裏切りながら生きているんだと思います。罪人はみなそうです。

No.4212 2008/07/23(Wed) 09:52:07
大垣 さんへ / レーシェル 引用

私は、アダムとイブが神の子供としてこの世の神の権限(三大祝福)を安心して相続させることが出来るほどの人格を確立しエデンの園の主人になるよう神は図ったのだと思います。そして、神の完全相対できる人間アダムとイブを育てる為にその教育役に天使長ルシファーを使わしたのだろうと思います。それで、本来は神様の祝福の元でアダムとイブは結婚する事を人類創造本然の始まりとしていたのが、神の計画に予定されていない出来事として、イブさんが天使長ルシファーの誘惑にのって、時ではない時に時の事を行ったとして、ルシファーの主導でアダムとイブは結婚をしてしまったので、アダムとイブは神様の完全相対の立場から背中を向ける事となったから、本来の神の完全相対として立ちうる人を立てるためにイエスを地上に送られて、人類を三大祝福圏に呼び戻すことが出来る道を造ろうとされたのだと思います。

そして、イエスが本来の神の目的(地上天国実現)を完全に果たすことが出来ていたならば、再臨主を待つ必要がなかったのではないでしょうか?

どう思いますか?

No.4206 2008/07/21(Mon) 23:20:37

Re: 大垣 さんへ / 大垣 引用

僕の考えでは、神は人間と違って時間に縛られないので、アダムがそむくこと、人間たちが神のひとり子イエスにさえそむくことを、神は創世のときから知っておられたと思います。たとえば、イザヤ書53章を読むと、イエスが僕たちのそむきの罪のために刺し通されることを、神はイエスが生まれるずいぶん前から知っておられたことが分かります。

しかし、創世の以前の論理的な順序みたいなものがあって、レーシェルさんが書かれたようなことを、神が創世の際に望まれていた、という面はあっただろうと思います。ただし、御心どおりにならなかったのは、子なる神たるイエスの力に限りがあったからではなく、人間の罪の責任だと思います。

No.4209 2008/07/22(Tue) 21:13:31
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