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クリスチャン・フェローシップ・オン・ザ・インターネットのコミュニティー掲示板
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黙示3章 / 大垣 引用

黙示3章。1−6節。サルデスにある教会は生きているとされていたが、実は死んでいた。この世的には栄えた教会だったが、実は教会のリーダーたちの大部分を含む多くの教会員たちの信仰が死んでいたのだろう。そのサルデスの教会にも、その衣を汚さなかった者が幾人かいた。イスラエルの多くの民が偶像崇拝者になったときも、信仰を守った人々がいたことを思います。人間はとにかく真理からずれていきやすい。イエスに心を向けているつもりで、ずれた方に心を向けてしまうことは、すぐ起こる。

どうか、僕たちが勝利を得る者としてすべてを耐え忍び、再臨のときに白い衣を着せていただきますように。

7−13節。フィラデルフィアにある教会には少しばかりの力があった。僕たちはイエスに頼るのだから、さまざまな誘惑を受けるとき、少しばかりの力を持って耐え忍べば、イエスがともに耐え忍んでくださり、イエスが誘惑と戦ってくださり、イエスが誘惑に勝ってくださる。フィラデルフィアのキリスト者たちは迫害のときに忍耐することができたのだろう。さらにイエスは「あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。」と言われる。僕たちは、信仰をいただいたので、どのようなときも、イエスに心を向けて耐え忍び、信仰をしっかりと持ち続けたい。そうすれば、勝利を得る者となり、神の聖所の柱とされて、新しいエルサレム(21:22)から決して外に出て行くことのない祝福された者とされる。

14−15節。ラオデキヤの教会は、冷たくも熱くもなかった。イエスは「わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。」と言われる。だから、「冷たい」ということを、信仰の熱が冷めた状態とは解釈しにくい。ラオデキヤの近くには熱い水の出る泉と、冷たい清冽な水の出る泉があって、どちらも人の役に立ったが、ラオデキヤにはなまぬるい水の出る泉があり、その泉は役に立たなかったそうである。だから、キリスト者が熱いとはパウロのように熱い行いをする信仰者、冷たいとは、ルカ10:38−42でのマリヤのようにイエスの足もとで静かにみことばを聞いている清冽な信仰者のことだと思います。マザー・テレサが熱いとすると、病気で祈ることしかできなくて、マザーが「第2のテレサ」と呼んだという信仰者は、冷たい清冽なキリスト者だろうと思います。

17−18節。ラオデキヤの教会の人々はこの世の富で豊かであったらしい。そして、自分たちがいかに霊的に貧しい者たちであるか知らなかった。現在の日本は、歴史的に見ても、地理的に見ても、ずいぶんこの世の富で富んでいる。イエスは「貧しい者は幸いです。」(ルカ6:20より)と言われたので、僕たち日本のクリスチャンは十分に注意して、イエスの忠告を聞きたい。

19節。イエスは愛する者をしかったり、懲らしめたりしてくださる。愛する者が熱心になり、悔い改めて成長するためである。ヘブル12:5−11とアモス3:2を連想します。さらにヨブのように、罪を犯さなくとも、さらなる成長のために苦しみを与えられることもある。

20節。イエスは教会のクリスチャンたちに、「見よ。わたしは,戸の外に立ってたたく。」と言われていることに注目したい。僕たちクリスチャンの心を家とすると、多くの部屋があって、僕たちはイエスをいくつかの部屋に招きいれたとしても、まだ奥の方の部屋では戸を閉めている。イエスが戸をたたいてくださったときに、すぐにイエスを招き入れて、ともに食事をしていただきたい。

No.4032 2008/04/25(Fri) 11:54:19

Re: 黙示3章 / 亜衣瑠 引用

「わたしはあなたの行いを知っている。」・・・知られているわたしたち。
「あなたは、生きているとされているが、」・・・この世でこうして生をもっています。
「実は死んでいる。」・・・主にこのように宣言されたなら、ほんとうに死ぬ。生かせてください。
「目をさましなさい。」・・・みことばで目をさまします。目を覚まさせられます。覚まします。覚ましました。
「そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。」・・・そうですね、それができるためには、真にわたしが目を覚ますことが必要不可欠です。
「わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。」・・・はい、当然と思います。

ハンドブックも復習する。638ページでエペソについての記述で「この町の奇怪な生活」が使徒19章に描かれているとあるので、あらためて使徒19章を読む。魔よけ祈祷師の存在や銀細工職人の煽動的発言、そして32節には無秩序状態の悲劇的かつ滑稽な市民のようすがよくわかる。わたしたちのうちにおいて、同様のことが起こることのないよう、揺らがない信仰で進みきりたい。
ペルガモでは 聖書にとっても重要な素材となった羊皮紙が「パピルスを輸出するエジプトの嫉妬深い命令から解放されようとして発明された」とあるのが大変印象的である。文化の競争、宗教の競争、不要なプライドのぶつかり合い、しかし、そこから発明品も生れる。

4‐5節「白い衣」は印象的である。7章9節以降にあるように頻繁に登場するが、この「白さ」の意味の深さを思う。あなたの血によってしか聖められないわたしたちの罪を思います。

No.4044 2008/04/30(Wed) 10:02:07
申命記34章 / 沙耶香 引用

今日は申命記34章を読みます。

9節に
ヌンの子ヨシュアは、知恵の霊に満たされていた。モーセが彼の上に、かつて、その手を置いたからである。イスラエル人は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおりに行った。
とあるが、知恵の霊って一体何だろう?と思って横の注を見るとイザ11・2、ダニ6・3とあるので、開いてみます。
聖霊で満たされていることかな?と思います。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ12章47-51節を読みます。
天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、51節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、イエス様は案外意外なお方なのだ。

No.4038 2008/04/27(Sun) 22:04:41

再申命記34章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記34章を読みます。

11,12節の
それは主が彼をエジプトの地に遣わし、パロとそのすべての家臣たち、およびその全土に対して、あらゆるしるしと不思議を行わせる為であり、
また、モーセが、イスラエルのすべての人々の目の前で、力強い権威と、恐るべき威力をことごとくふるうためであった。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ12章52-56節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
本当、いつ時が来るのだろうか?時が来て欲しい。

No.4041 2008/04/28(Mon) 18:36:22

Re: 申命記34章 / 大垣 引用

1コリント 1:30に「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり」とあるので、神の知恵とは、キリストと考えられます。だから9節の「知恵の霊」は沙耶香さんのお考えどおり、聖霊のことだろうと思います。

No.4043 2008/04/30(Wed) 10:00:32
申命記32章残り+33章 / 沙耶香 引用

今日は申命記32章残り+33章を読みます。

50節に
あなたの兄弟アロンがホル山でシンでその民に加えられらように、あなたもこれから上るその山で死に、あなたの民に加えられよ。
とあるが、あなたの民に加えられよとはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、先祖達に加えられることで死を意味するらしい。へーー。

51節に
あなたがたがツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のほとりで、イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現さなかったからである。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、民20・1-13を参照にしたら良いと書いてあるので、開いてみます。水のないところに杖で水を出した奇跡ですね・・・

10節に
彼らは、あなたの定めをヤコブに教え、あなたのみおしえをイスラエルに教えます。彼らはあなたの御前で、かおりのよい香をたき、全焼の捧げ物を、あなたの祭壇にささげます。
とあるが、香なんてたくのは何か意味があるのだろうか?香のところに横の注が出ているので、民16・40,1サム2・28を開いてみます。
民の脚注のところにアロンの子孫以外のものが、主の前に近づき、香をたいてはならないことを覚える為とあります。主の前に何かを捧げるときに香をたくようだ。

12節に
ベニヤミンについて言った。「主に愛されているもの。彼は安らかに、主の側に住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」
とありますが、彼が主の肩の間に住むかのようにってどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、子が父の背に負われるように主の愛を受けることを意味するらしい。

19節に
彼らは民を山に招き、そこで義のいけにえをささげよう。彼らが海の富と、砂に隠されている宝とを、吸い取るからである。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、海の富とは海上貿易によって得る富のことだろうと書いています。ふーん、こんな昔に海上貿易があったんだーー。

24節に
アシェルについて言った。「アシェルは子らの中で、最も祝福されている。その兄弟たちに愛され、その足を、油の中に浸すようになれ。
とあるが、足を油の中に浸すなんて何かの比喩かな?と思って脚注を見ると、アシェルはオリーブをよく産したとあるので、比喩ではないのかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ12章36-40節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、40節が気になるので、これをもう何度か読みます。
本当思いがけないときに主は再臨されるのだと思います。早く早く再臨されて欲しい。だってこの世の中すさみすぎている。弱者には生きづらい。

No.4034 2008/04/25(Fri) 21:27:42

Re: 申命記32章残り+33章 / 大垣 引用

主はモーセに死海の対岸にあるネボ山から約束の地を見せられました。しかし、32章41節にあるように、民数記20章1−13節の場面でのモーセの罪の行いのため、モーセが約束の地に入ることはお許しになりませんでした。民数記のところで聞いたと思いますが、沙耶香さんは、このときのモーセの罪の行いは何だったとおもいますか?

33章6−25節で、モーセはイスラエルの12部族を祝福しています。24節を含めて、具体的なことに表現せず、比喩的な表現をしています。創世記49章1−27節でのヤコブの12部族の祝福と比べ、モーセはシメオン族のことは何も言わず、ヨセフ族のときに、エフライム族とマナセ族のことを話しているのに注意しておいてください。

エフライム族とマナセ族はヨセフの二人の息子の子孫です。創世記48章にあるように、エフライムとマナセはヨセフの息子たちで、エフライムが弟ですが、ヤコブはエフライムの頭の上に右手をおいて祝福しました。日本の神道はユダヤ教がもとになっているという説をとっている人たちの中では、天皇家はエフライム族という考えが有力なので興味深いと思います。

No.4035 2008/04/25(Fri) 22:07:05

再申命記32章残り+33章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記32章残り+33章を読みます。

>>沙耶香さんは、このときのモーセの罪の行いは何だったとおもいますか?

主に栄光を帰さず、自分の力で水を杖によって出したかのように見せたことかな?

>>創世記49章1−27節でのヤコブの12部族の祝福と比べ、モーセはシメオン族のことは何も言わず、ヨセフ族のときに、エフライム族とマナセ族のことを話しているのに注意しておいてください。

へーそうなの?全くそんなことは覚えていないが・・・

日本の神道はユダヤ教がもとになっているという説をとっている人たちの中では、天皇家はエフライム族という考えが有力なので興味深いと思います。

えっ?天皇家とエフライム族は関係なさそうに見えるのに・・・全く分からない。

49節に
「エリコに面したモアブの地のこのアバリム高地のネボ山に登れ。わたしがイスラエル人に与えて所有させようとしているカナンの地を見よ。
とあるが、ネボ山というのがアバリム高地にあるということかな?地図にはアバリム高地は載っていないが・・・

2節に
彼は言った。「主はシナイから来られ、セイルから彼らを照らし、パランの山から光を放ち、メリバテ・カデシュから近づかれた。その右の手からは、彼らにいなずまがきらめいていた。
とあるが、いなずまがきらめいていたとはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、何だか比喩的表現みたいで、救いの威光をもって現れることが書かれている。

6節の
「ルベンは生きて、死なないように。その人数は少なくても。」
が印象に残りました。

17節に
彼の牛の初子には威厳があり、その角は野牛の角。これをもって地の果ては手まで、国々の民をことごとく突き倒して行く。このような者がエフライムに幾万、このような者がマナセに幾千もいる。」
とあるが、脚注を見ると、彼の牛の初子というのがエフライムのことのようだ。野牛の角って何だろうか?と思って横の注を見ると、民23・22、24・8、28・4、詩篇22・21、92・10とあるので、開いてみます。
角っていうのが力ということみたいで、野牛は民28・4を見ると、羊のことなのかな?うーん???分からない・・・

25節に
あなたのかんぬきが、鉄と青銅であり、あなたの力が、あなたの生きる限り続くように。」
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、アシェル族の住む町の防備が堅固であるようにとの祈りだと書かれている。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ12章41-46節までを読みます。
天におられるお父様神様イエス様、どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、45,46節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やっぱり普段から主に聞き従っていることが大切です。

No.4037 2008/04/26(Sat) 19:01:17

Re: 申命記32章残り+33章 / 大垣 引用

49節、アバリム高地はネボ山のあたりの高地で、ネボ山は高地からさらに高く突き出した山のようです。

17節、野牛は牛の一種で羊とは違います。

No.4042 2008/04/28(Mon) 23:10:36
上野 自由詩人くらぷ / 大垣 引用

以前にこの掲示板にも書き込みをされた、ごとうさんが、上野公園のホームレスの方々に給食伝道の活動をしているトポス教会で「上野 自由詩人くらぶ」という活動を始められました。

【CFI】の公式協力者として、ごとうさんのHPへのリンクを下記に貼り付けます。

http://afg2.blog74.fc2.com/

No.4039 2008/04/28(Mon) 12:41:52

Re: 上野 自由詩人くらぷ / 沙耶香 引用

うん、ごとうさん、覚えています。海外でご活躍されている方じゃなかったですかね?へー、ホームレスの方に力を入れている教会でもいろいろご支援されているんだ。素晴らしいですね・・・

No.4040 2008/04/28(Mon) 18:35:27
申命記32章47節まで / 沙耶香 引用

今日は申命記32章47節までを読みます。

35節に
復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。かれらのわざわいの日は近く、来るべきときが、すみやかに来るからだ。」
とあるが、これは最後の審判のことをいっているのだろうか?と思って横の注を見ると、2ペテ2・3、詩篇94・1、ローマ12・19、ヘブ10・30とあるので、開いてみます。
どれも復讐は私がするものだというようなことを言っていると思うけれど・・・

40節に
まことに、わたしは誓って言う。「わたしは永遠に生きる。
とあるが、主が永遠に生きるのではなくて、私たち主に導かれた人たちが永遠に生きるのではないのかな?と思って、脚注を見ると、主が誓われるときの慣用句だそうだ。

あーー、何だか辛い。もうそろそろ主が迎えにきてくれたらいいのに・・・

41節に
わたしがきらめく剣をとぎ、手に裁きを握るとき、わたしは仇に復讐をし、わたしを憎む者たちに報いよう。
とあるが、やはり最後の審判で悪いことをした人や主に逆らった人に裁きが下ることを言っているのだろうか?

あーー辛い。イエス様イエス様イエス様イエス様・・・これからは辛いときはCENSOREDと思うのではなく、イエス様にぶつけます。イエス様助けてください。イエス様イエス様イエス様なんでこんなにしんどくするの?体調精神状態を崩して行くようにするの?何で何で?苦しい。助けて助けて!!神様イエス様イエス様イエス様イエス様楽にしてください。イエス様イエス様・・・ほかの誰も相手にしてくれないので、イエス様だけにすがりつきイエス様に救いを求めます。イエス様イエス様助けてください。

・・・癒しに通じるよみ方・・・
今日はルカ12章26−30節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度かよんでいると、30節が気になるし、この当たりはもう全体が気になるので、もう一度30節を重点的に全体を読みます。
天のお父様は必要をすべて知っているので、何も心配しないでイエス様だけを見上げたらいいと語られたような気がします。イエス様イエス様イエス様イエス様愛している。

No.4028 2008/04/23(Wed) 18:53:33

Re: 申命記32章47節まで / 大垣 引用

40節で「わたしは永遠に生きる。」とあることは、主が永遠に生きられるからこそ、主を愛して主と一体となる人たちは永遠に生きるようになる、というように考えると、理解しやすいように思います。

41節は、沙耶香さんの考えどおり最後の審判に関わることだと思います。

No.4030 2008/04/23(Wed) 22:47:37

再申命記32章47節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記32章47節までを読みます。

26節に
わたしは彼らを粉々にし、人々から彼らの記憶を消してしまおうと考えたであろう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?彼らを粉々??どうやって粉々にしたのだろうか?と思って脚注を見ると、背信のイスラエルの救いは、イスラエルの救いによらず、ただ、主の恵みと主の栄光のゆえに行われる。という説明があるが・・・イザ48・9-11、エゼ20,9・14・22,36・21とあるので、開いてみます。
主の名のために、主の名を汚さないためにということがよく書いてあると思うが・・・
背信はどういう意味だろうか?と思って辞書を引くと裏切りだそうだ。うーん、全体的にこの節がどういう意味をなすのかあまりよく分からないが・・・

42節に
わたしの矢を血に酔わせ、わたしの剣に肉を食わせよう。刺し殺されたものや捕われたものの血を飲ませ、髪を乱している敵の頭を食わせよう。」」
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、長髪というのが力強さを現すそうだ。へーー何だか以外なような気がするが・・・私は何だかしまりがないというような気がするのだが・・・長髪はもう一つ意味合いがあり、戦いのために神に誓願をかけて髪を切らない敵を表す場合もあるらしい。

・・・癒しに通じるよみ方・・・
今日はルカ12章31-35節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度かよんでいると、33節が気になるので、これをもう何度か読みます。
お金に余裕がある人は、自分や自分の家族にそれを使い込まずに人に施しをすればいいし、お金を持たない人はもしそういうほどこしを受けたらいつか返せるように祈ったり、その施しを受けた人の家族の為に祈り強めたらいいと思います。
世の中本当に助け合いが大事なのに、どうしてこの世の中はこんなにすさんでいるのか?ホームレスを襲撃したり、自分だってそういう風に泣く泣くなってしまう可能性だってあるのに、そういう人を襲撃して何が目的なのだろうか?
精神障害者を食い物にしている精神科医療関係者のみなさん、自分だってそういう風に生まれてきていた可能性はあるのですよ。逆の立場にたったらどう思いますか?
本当にみなこの世の中はすさんでいるが、すさんだことをしている人はきっとイエス様が裁いてくださると信じます。

No.4031 2008/04/25(Fri) 08:06:22

Re: 申命記32章47節まで / 大垣 引用

15-18節で、モーセは、イスラエルの民が自分たちを造られた神を捨て、裏切るようになることを預言しています。19-25節は、そのイスラエルの罪に対する主のさばきを述べています。26-42節では、主のあわれみにより、イスラエルが救われることを述べています。

26節は、イスラエルの罪は、主が民をこの世から消し去るほどのものであることを述べています。しかし、主がそうされないのは、27節にあるように、イスラエルの敵が、自分たちの力でイスラエルに勝ったと思い、主の御名をののしらないように、という理由であることが述べられていると思います。

No.4033 2008/04/25(Fri) 11:55:50

Re: 申命記32章47節まで / 沙耶香 引用

あー何だか難しいですね・・・

No.4036 2008/04/26(Sat) 07:34:52
申命記32章25節まで / 沙耶香 引用

今日は申命記32章25節までを読みます。

あれ?この章は箴言とか詩篇のように詩のようになっていますね・・・

4節に
主は岩。主のみわざは完全。まことに、主の道はみな正しい。主は真実の神で、偽りが無く、正しい方、直ぐな方である。
とあるが、よく主は岩と言われるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、岩は確固、力、安全を意味するそうだ。

11節に
わしが巣のひなを呼び覚まし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。
とあるが、何だかかわいい感じの詩だなーと思いますが、あまり意味がわからないので、脚注を見ると、舞いかけりというのが、親鳥がひなを思って、早く飛ぶように促す行為という意味だそうで、全体としては、比喩的表現で、わしがそのひなを守って訓練して育てるように、主は御自分の民を守り訓練し育てられるという意味みたいだ。

12節に
ただ主だけでこれを導き、主と共に外国の神はいなかった。
とあるが、これはどういう意味だろうか?外国の神??

15節に
エシュルンは肥え太ったとき、足でけった。あなたは貪り食って、肥え太った。自分を造った神を捨て、自分の救いの岩を軽んじた。
とあるが、クリスチャンの知り合いにエシュルンちゃんという子がいる。ここから名前を取ったのだろうか?

22節に
私の怒りで火は燃え上がり、よみのそこにまで燃えていく。地とその産物を焼き尽くし、山々の基まで焼き払おう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、よみの底までというのが主の錨から逃れることはできないという意味らしいので、全体的にも多分そういう意味だろうと思います。

24節に
飢えによる荒廃、災害による壊滅、激しい悪疫、野獣の牙、これらを、地を這う蛇の毒と共に、彼らに送ろう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って横の注の参考箇所を調べると、全体的には多分主の怒りは恐ろしいということが言いたいのだと思いますが・・・

・・・癒しに通じるよみ方・・・
今日はルカ12章16-20節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
あーー神様イエス様、CENSORED願望押し寄せてきました。取り去ってください。私は生きている価値なんてないんだ。CENSORED。最近流行の硫化水素ガスでのCENSOREDが気になります。トイレ洗剤と入浴剤を混ぜてガスを発生させたと言っていました。未遂にならないのだろうか?でも未遂になる可能性はゼロとは言えないですよね。未遂になった事件もあったので・・・早期発見されると未遂になりますでしょうね・・・いろんな人を巻き込んでしまう恐れがあるので、未遂になったら、何かの罪に問われる可能性もあります。あーーーイエス様体調精神状態よくないですが、きっと救い出してくださると信じます。
何度かよんでいると、20節が気になるので、これをもう何度か読みます。
自分だけの為にそういう風にしていると神様が取り去るでしょうね・・・でもこの世の中では、そういう風にずるい人もそのまま富んでいることはありえているので、永遠の目で見るとそうなるということかな?

No.4025 2008/04/21(Mon) 17:14:22

再申命記32章25節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記32章25節までを読みます。

2節に
わたしの教えは、雨のようにくだり、私のことばは、露のようにしたたる。若草の上の小雨のように。青草の上の夕立のように。
とありますが、綺麗で印象に残る詩ですね・・・

9節に
主の割り当て分は御自分の民であるから、ヤコブは主の相続地である。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って、横の注を見ると、1サム10・1、イザヤ63・17、エレミア10・16とあるので、開いてみます。
あまりよく分からない。前になんか出てきたような気がするが・・・

13節に
主はこれを、地の高いところに上らせ、野の産物を食べさせた。主は岩からの蜜と、堅い岩からの油で、これを養い、
とあるが、岩からの蜜、堅い岩からの油って何だろうか?と思って脚注を見ると、岩からの蜜は岩に巣くったミツバチの蜜らしい。堅い岩からの油はオリーブ油のことみたいだ。私なんかは簡単にオリーブ油と書いたほうがいいと思うのだが、主の恵みを奇跡的な描写で描いているらしい。

15節の後に
自分を造った神を捨て、自分の救いの岩を軽んじた。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、前に読んでいたときに気になったエシュルンというのは正しい者という意味だったんだ。知らなかったなー―。
岩は力、確固、安全を意味していると書いてある。この前もどこかでそう書いていたな。

・・・癒しに通じるよみ方・・・
今日はルカ12章21-25節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度かよんでいると、22節が気になるので、これをもう何度か読みます。
本当そうですね・・・イエス様が満たしてくださいます。イエス様と共にイエス様の道をイエス様と一緒に・・・イエス様イエス様・・・

No.4027 2008/04/22(Tue) 19:13:00

Re: 申命記32章25節まで / 大垣 引用

9節の「主の割り当て分」ということは、すべてが主のものであることを考えると不思議な感じがします。イスラエルの民がそれぞれ約束の地に中に割り当て分の地を主からいただくように、主もご自分の民をご自分の割り当て分として大切に思ってくださる、ということを表現しているのかな、と思います。

No.4029 2008/04/23(Wed) 22:45:22
申命記30章 / 沙耶香 引用

今日は申命記30章を読みます。

4節に
たとい、あなたが、天の果てに追いやられても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。
とありますが、天の果てに追いやられるってどういうことを言っているんだろうか?苦境にあるということだろうか?

10節の
これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るからである。
が印象に残りました。やっぱりこの条件をクリアしないと、祝福されない。

14節に
まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。
とありますが、本当にそうです。御言葉は聖書の中の遠く離れた物ではなく、日々の生活の中で実践することが大切です。そうすることでイエス様喜んでくださると信じます。

17,18節にも
偶像崇拝を禁じるようなことを言っています。本当にこのことは重要なことなのですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ11章49-54節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが、一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
イエス様を知るのはいろいろ難しいですね・・・

No.4014 2008/04/17(Thu) 21:24:36

Re: 申命記30章 / 大垣 引用

1-4節はイスラエルの民が律法に従わない場合、約束の地から民が追い散らされ、遠い天の果てまで追いやられたり、捕囚となるが、やがて、主がイスラエルの民を集められることを書いています。実際の歴史で、イスラエルの民は律法に従わなかったので、まず北イスラエル王国の指導者たち紀元前721年にアッシリアに捕囚とされ、次に南のユダの指導者たちも紀元前586年にバビロンによって捕囚とされます。しかし、主はユダの人たちが捕囚から解放されて約束の地に帰るようにされました。北イスラエルの人たちも、このころに約束の地に帰ったという説もありますが、僕は、北イスラエルの多くの指導者は、今でも多くの国々に追い散らされていると考えています。その場合、「天の果て」とは約束の地から見て、東の果ての日本かもしれません。日本人の指導層は、アッシリアに捕囚されていた指導者たちが古代に日本まで来たのが起源、という説もあります。

No.4015 2008/04/18(Fri) 12:00:34

再申命記30章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記30章を読みます。

2,3節の
あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子供達も、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、
あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。
が印象に残りました。

6節に
あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。
とあるが、心を尽くし、精神を尽くしというのは3節と同じだ。

10節に
これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るからである。
とあるが、ここでも3節6節に続いて同じ、心を尽くし、精神を尽くしてという言葉が出てきます。

15節に
見よ。私は、確かにきょう、貴方の前に命と幸い、死とわざわいを置く。
とあるが、「命と幸い」と「死と災い」なんて全く正反対のものをおくのはなぜだろうか?どういう意味があるのだろうか?と思って脚注を見ると、二者択一を迫ると書いてあります。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ12章1-5節を読みます。
天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、5節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、真に恐れないといけないお方はイエス様だけですよね。人間はイエス様に比べると本当に無力で何の権威もない。死んだ後の方がはるかに長いことを考えると、やはりイエス様に従うのが一番いい方法なのだ。

No.4016 2008/04/19(Sat) 00:48:58

Re: 申命記30章 / 沙耶香 引用

へーーー、じゃ今の日本のルーツはアッシリアに捕囚されていた指導者達なのか??いろんな説があります。

No.4017 2008/04/19(Sat) 09:02:27

Re: 申命記30章 / 大垣 引用

ずっと祖先をたどっていくと、すべての人間はアダムとイブの子孫であると聖書に書いてあるし、科学的にもDNAをたどっていくと、すべての人間はミトコンドリア・イブというアフリカの一人の女性の子孫だそうです。だから日本人の祖先はどこからか日本に来たのですが、ある一時期に来たのではなく、いろいろな時期に朝鮮を通ってきたり、あるいは大陸から直接に海を渡って来たと考えられます。その中にアッシリアに捕囚されていたイスラエルの指導者たちがいて、優れた文明や武器によって、日本の指導者となり、旧約聖書にあるユダヤ教をもとに神道を始めたという説があります。一見すると、多神教の神々のいる神道と一神教のユダヤ教は全く違うようですが、神道にも天之御中主神という世界を創造したと思われる神の名があり、また、旧約聖書に出てくる御使いたちは、人間よりも強い力を持った霊的存在なので、神道の言い方では神々になるのかもしれません。神道とユダヤ教には、汚れの考えなど、いろいろな共通点があります。伊勢神宮での衛兵交代の時間や儀式などが、昔のイスラエルの神殿での衛兵交代のと同じであるそうです。日本人のルーツのひとつはイスラエルであるという説について多くの本が書かれています。

No.4018 2008/04/19(Sat) 11:35:57

Re: 申命記30章 / 沙耶香 引用

あーーいろいろと難しいですね・・・いろんな説があるし・・・

No.4026 2008/04/21(Mon) 19:06:06
黙示2章 / 大垣 引用

黙示2章。1-7節。エペソの教会は、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたこと、また、よく忍耐して、主イエスの御名のために耐え忍び、疲れたことがなかったことをほめていただいている。僕たちも、もっともらしい教えの偽りを見抜き、罪の誘惑に耐え忍び、イエスに誘惑に勝っていただいて、疲れないものでありたい。しかし、エペソの教会は、初めの愛から離れてしまっていた。出エジプトのときの感激をイスラエルの民がすぐ忘れてしまったように、信仰をいただいたときの感激を忘れることはたやすい。いつもイエスを求め、イエスの愛と恵みをより深く実感し、初めの愛よりも、より深いイエスの愛で、イエスと父なる神を愛するようになりたい。勝利を得る者に、イエスは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせてくださる。

8-11節。スミルナの教会は苦しみと貧しさの中でののしられていたが、永遠の神の御国では富んでいた。「貧しい者は幸い」(ルカ6:20)であるからだろう。それでも、主は悪魔が彼らをためして、彼らが十日の間苦しみを受けることを許される。悪魔によって聖い信仰をためされたヨブのことを思います。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。

12-17節。ペルガモの地にはサタンの王座があった。そして主に忠実な証人は殺されてしまった。このような信仰者のこの世での苦しみを見て、信仰を拒否したり捨てたりする人々は多い。だから、信仰を捨てなかったペルガモの教会の人々はイエスにほめていただく祝福を受けている。しかし、この教会には、預言者なのにこの世での利益を求める心が強く、偶像崇拝と不品行のつまずきをイスラエルに与えたバラムのような人々がいた。イエスは僕たちがこの世の利益や快楽を求めて、誘惑に負けそうになるとき、民数記22:1-35のように、ろばではなくとも、いろいろなことを用いて、僕たちが誘惑に負ける行いをするのをはばもうとしてくださる。僕たちは、いいわけしたり、正当化したり、目をそらしたりしないで、よく聞き従って悔い改めたい。勝利を得るものに、イエスは白い石を与え、それを受けるものと神のほかには誰も知ることのない新しい名をくださる(17節)。これは、無限の神を有限の一人の人は理解できないが、一人一人は、それぞれ、その人の個性によってしか知りえない神の性質を知るようになる、ということだと思います。その個性とは、非常に罪にずれていきやすい、また、自分でも一番いやだと思うような部分であることが多いだろうと想像します。

18-29節。テアテラの教会の人々と近ごろの行いは、初めの行いにまさっていた。信仰者は、イエスにだんだん近づいていくことによって、こうありたい。しかし、この教会にはイゼベルという預言者を自称する女の偽教師がいた。彼女の教えによって、イエスのしもべたちは誤りに導かれ、不品行を行い、偶像にささげた物を食べていた。そのように忌まわしいイゼベルにも、イエスは悔い改めの機会を与えられた。イエスのあわれみ深さ、忍耐深さを思います。現代では、偶像にささげた物を食べなくとも、やはり、唯一の神以外のものを崇拝したり絶対視したりする誘惑は強い。有限の人間には神を完全に理解できるはずがないが、聖書解釈なら理解できるので、特定の聖書解釈を絶対視する誘惑が大きいと思う。しかし、勝利を得る者には諸国の民を支配する権威が与えられる。

No.4009 2008/04/11(Fri) 12:41:10

Re: 黙示2章 / 亜衣瑠 引用

七つの教会に書き送ったうちの4つが2章にある。エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ。それぞれの特徴に応じて認める部分、非難する部分を挙げている。教会に、ということは印象的だが、もちろんこれを聞くわたしたち一人ひとりへのメッセージでもあるでしょう。

エペソ:忍耐をほめられている点はとてもすばらしく見習いたい。特徴的表現「耳のある者は・・・」そして耳のある者が耳のあるように聞いたとき、神はいのちの木の実を食べさせてくださる。

スミルナ:偽りごとの罪にある人々からののしられていた。来るべき苦しみを恐れずそのまま甘んじて受けることで、神はいのちの冠をくださる。

ペルガモ:信仰の堅さを認められている。バラムに通ずるような偶像礼拝の罪があった。そこから悔い改めるなら、神は必要をすべて満たし、この世から永遠へと移し変えてくださる。

テアテラ:行い、愛、信仰、忍耐、奉仕を認められる。しかしひどい不品行という非難すべき点がある。悔い改めないなら神はその民を滅ぼされる。まだ不品行の罪に巻き込まれないでいる者たち、神のわざを守る者たちには「諸国の民を支配する権威」をお与えになる。

No.4024 2008/04/21(Mon) 07:48:05
申命記31章 / 沙耶香 引用

今日は申命記31章を読みます。

6節に
強くあれ。雄雄しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
とあるが、私たちのオリジナル賛美の歌詞に、「強くあれ雄雄しくあれ。」とか「あなたを見放さず、あなたを見捨てない。」とか出てきます。こういう御言葉を引用してきたんでしょうね・・・私ももっと聖書を勉強して、賛美歌の歌詞がすいすいとかけるようになりたいなーーー。

あーー生きていくということは本当に私たち精神障害者にとっては至難の業で、苦しいししんどい。かと言って、死ぬのも至難の業です。今まで何度もCENSORED未遂をしてきたが、助かってしまっています。もうこれはイエス様とともに生きるしかないということですね・・・イエス様私を全面的に心身や経済をサポートしてくれます。イエス様一番頼りになる救い主・・・

15節に
主は天幕で雲の柱のうちに現れた。雲の柱は天幕の入口にとどまった。
とあるが、雲の柱って前にも出てきたが、どういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、主の顕現のことみたいだ。横の中を見ると、出13・21とあるので、開いてみます。
主の臨在をあらわす表現方法のようだ。

18節に
彼らがほかの神々に移って行って行ったすべての悪のゆえに、わたしはその日、必ずわたしの顔を隠そう。
とあるが、これは悪いことをしているとイエス様から祝福が受けられないということだろうか?

28節に
あなたがたの部族の長老たちと、つかさたちとをみな、私の元に集めなさい。私はこれらのことばを彼らに聞こえるように語りたい。私は天と地を、彼らに対する証人に立てよう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、法廷論争の形で言っていて、神が原告、イスラエルが被告、天と地は証人らしい。面白いなー―。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ12章6-10節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、10節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やっぱり最高権威の聖霊様。汚す者は赦されないのです。

No.4019 2008/04/19(Sat) 17:18:23

Re: 申命記31章 / 大垣 引用

16-18節は、イスラエルの民が主との契約を破るなら、主は御顔を民から隠され、民は祝福を受けられないだけでなく、契約を破ったときののろいを受けます。

No.4020 2008/04/20(Sun) 05:17:33

再申命記31章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記31章を読みます。

4節に
主は、主の根絶やしにされたエモリ人の王シホンとオグおよびその国に対して行われたように、彼らにしようとしておられる。
とありますが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、シホンとオグは最近イスラエルに負けたようだ。横の中を見ると、民数記21:23-25,33-35とあるので、開いてみます。

16節に
主はモーセに仰せられた。「あなたは間もなく、あなたの先祖たちとともに眠ろうとしている。この民は、はいっていこうとしている地の、自分達の中の、外国の神々を下って淫行をしようとしている。この民がわたしを捨て、わたしがこの民と結んだわたしの契約を破るなら、
とあるが、この契約とは一体何だろうか?モーセの律法のことだろうか?横の注を見ると申命記12・20となっているので、開いてみます。
あなたの領土を広くされるなら、あなたが肉を食べたくなったとき、「肉を食べたい。」と言ってよい。食べたいだけ肉を食べれる。というようなことを書いてあります。うーん、肉のことなの?うーん、全く分からない・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ12章11-15節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、12節が気になるので、これをもう何度か読みます。
いうべきことや言うべきでないことはそのときに聖霊が教えてくれる・・・うーん、私は言うべきでないことまで言ってしまって墓穴を掘る・・・

No.4022 2008/04/20(Sun) 19:48:23

Re: 申命記31章 / 大垣 引用

16節にある契約とは、申命記1:6−29:1でモーセが約束の地に入る民に説明した契約だと思います。契約は1:6-3:29で説明されたようなことを民にされた主と民との間の契約で、民が守るべき律法は5章の十戒が主要なもので、6-26章は、十戒のそれぞれの戒めを詳しく説明した、という説が有力です。27:1-29:1にあるように、契約の律法を民が守れば主が民を祝福され、守らなければ民はのろわれます。

No.4023 2008/04/21(Mon) 07:34:49
申命記29章 / 沙耶香 引用

今日は申命記29章を読みます。

4節に
しかし、主は今日にいたるまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、神の恵みを理解する力も神からの賜物であるとあります。やっと今神様がそういう力をお与えくださったということだろうか?

5節に
私は、40年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身につけている着物は擦り切れず、その足の靴も擦り切れなかった。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、神の守りを誇張的に表しているらしい。

9節に
あなたがたは、この契約のことばを守り、行いなさい。あなたがたのすることがみな、栄えるためである。
とあるが、契約とはモーセの十戒のことだろうか?と思って、横の注を見ると、申命記4・6、ヨシュア1・7,8,1列2・3とあるので、開いてみます。
うん、モーセの律法のことみたいだ。

18節に
万が一にも、あなたがたのうちに、きょう、その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々に行って、仕える様な、男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。
とあるが、独創や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。とはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、これも偶像崇拝のことみたいだ。

19,20節の
こののろいの誓いのことばを聞いたとき、「潤ったものも渇いたものもひとしく滅びるのであれば、私は自分のかたくなな心のままに歩いても、私には平和がある。」と心の中で自分を祝福する者があるなら、
主はそのものを決して赦そうとはされない。むしろ、主の怒りとねたみが、そのものに対して燃え上がり、この書にしるされたすべてののろいの誓いがそのものの上にのしかかり、主はそのものの名を天のしたから消し去ってしまう。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、潤ったものも渇いたものも、ひとしく滅びる=砂漠の熱風がすべての植物を滅ぼす様子を言っているらしくて、偶像崇拝が前イスラエルの滅亡となることの比喩らしい。
ねたみというのがイスラエルとの契約関係を守ろうとしている主の熱心をあらわすらしい。
名を天のしたから消し去ってしまうは子孫をも残さないという意味らしい。
結局は偶像崇拝はいけないということが言いたいのかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ11章39-43節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様野語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、41節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、わざわざ買ったものよりうちにある物の方が気持ちがこもっているというときもあります。

No.4012 2008/04/15(Tue) 18:14:17

再申命記29章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記29章を読みます。

17,18節でも
書いてあるが、聖書のいたる箇所で偶像礼拝はいけないと書いてあります。よっぽどいけないのだろうし、またここまで書かれているということはそういう人が多いのでしょうか?うん、でも何でも偶像になりやすいそうなので・・・
雛飾りも偶像らしいし、そういいだすときりがないですね・・・教会のある人が好きで、その人ばかり見ていると、偶像礼拝だと言われたし、かなり難しい。

23節に
―その全土は、硫黄と塩によって焼け土となり、種もまけず、芽も出さず、草一本も生えなくなっており、主が怒りと憤りで、くつがえされたソドム、ゴムラ、アデマ、ツェボイムの破滅の様である。―
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、乳と蜜の流れる約束の地の荒廃。とあります。うん、乳と蜜の流れる地というのはよく出ていました。かなりいろんなものが収穫できて祝福される地という意味だったと思うけど、どうだっただろうか?と思って、「乳と蜜の流れる地」で聖書検索すると、エレミア11:5にあり、その脚注に神が豊かに祝福する地だと書いてあります。

28節に
主は、怒りと、憤激と、激怒とをもって、彼らをこの地から根扱ぎにし、ほかの地に投げ捨てた。今日あるとおりに。」
とあるが、根扱ぎとはどういう意味だろうか?とおもって、辞書を引くと草花を根をつけたまま引き抜くこと、根こそぎという意味らしい。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ11章44-48節を読みます。
天のお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいたが、一つに絞れなかったので、全体をもう何度か読みます。
預言者とイエス様の関係・・・難しい。

No.4013 2008/04/16(Wed) 17:26:42
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