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クリスチャン・フェローシップ・オン・ザ・インターネットのコミュニティー掲示板
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ユダ / 大垣 引用

ユダ。3-4節。教会の中にイエス・キリストを否定するような異端の教えが出てきた場合には、早急に戦う必要がある。しかし、イエスを否定するような極端な教えでなければ、何かの教えが異端であるかどうか認定することは難しい。このようなことは、基本的に、個人が決めることではなく、教会全体として決めるべきことだと思う。

5-7節。主は自由意志を与えられて、主を信じないことを選択する人々や天使たちをさばかれる。

8節。異端の教えをする偽教師たちは、真理からそれて、夢を見、快感を求める欲にかられて肉体を汚し、権威ある者を軽んじ、御使いたちをそしった。

9-10節。御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて悪魔と論じたとき、相手をののしりさばくようなことをしなかった。イエスが十字架につかれて、ののしられたとき、黙っておられたことを連想します。ミカエルと対照的に偽教師たちは自分には理解もできないことをそしった。

11-13節。偽教師たちは、正しいことをした弟を憎んだカイン、この世の利益を愛したバラム、神に与えられた権威を軽んじたコラのようであった。彼らは実を結ばす、恥をみます。

14節。アダムから7代目のエノクが預言したように、偽教師たちは主が千万の聖徒を引き連れて来られるときに、さばかれる。

17-19節。使徒たちが前もって語ったように、終わりの時には聖霊を持たずあざける者どもが現れる。

20-21節。聖霊をいただいた信仰者は、キリストのあわれみを待ち望み、信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ちたい。

22-23節。疑いを抱く人々をあわれみながら、罪は忌み嫌うべきである。

No.3988 2008/03/31(Mon) 12:09:36

Re: ユダ / 亜衣瑠 引用

緒論で著者についてを興味深く読む。主の兄弟ヤコブの兄弟としているから、このユダも主の兄弟である。なるほど。また、十二使徒の一人のヤコブの子ユダとは別人である、と。
これらを読んでいると、兄弟、家族など、血縁の関わりによるはたらきや力、伝達していく力、浸透していく影響などを思わされた。まず、人はその家族によって多大な影響、教育を受けるのだなー、とあらためて思わされる。もちろん、イエスの福音については、それらとは隔絶した次元のこととなってはいるが。しかし、すでに主の兄弟ヤコブも手紙を書き、さらにユダもこのようにはたらき、主の母であったマリヤは弟子ヨハネのもとに託された・・・その絆、そのつながりを軽んじることは、いのちの源を考えても到底できないことである。それは無視しようにも無視できないことである。一方、「家族」を思うとき、当然「神の家族」を思う。なぜなら、この世の家族は天の御国の家族のありようを思い起こさせるに役立つ姿として意味を持つから。思えば、わたしたちは皆、アダムを先祖に持つ大きなひとつの家族であり、また、イエスを通しイエスにつながり父なる神のもとへとつながる(つながりたがる、つながりたい願望を持つ)ひとつの家族なのだ。うれしく微笑みのもれることである。であるなら、一切の理由はない。―たとえば、愛さなくてはいけない、大事にしないといけない、教え合い敬い合い仕え合わないといけない・・・等々の義務感は飛んで、それははなっから当然それが自然でそれが当り前でそれが良い姿で皆がそれにより幸せになることである。皆が微笑むことである。神のご意思そのものであるから。イエスが受肉され、人の世に人としてお生まれになりヨセフとマリヤの家族にお生まれになったことの大きな意味を思い、そして感謝します。

この書を読もうとしてページをめくり、目に留まった文字があった。それは16節の「ぶつぶつ言う者」の文字である。ぶつぶつ言うは、まさに警告である。

3節 この手紙執筆の目的が「救い」についてから「信仰の戦い」へと変更されたことが印象深い。何事でも、人の当初の目的が何らかの作用により変えざるを得ないことは間々あることである。

5節 「すっかり知っているにしても」この語句の前にはさらに「すべてのことを」までついている。わたしたちは「知っている」と思うとき、ほんとうに危険なことであることを知らされる。また、「知っている」ことを「やっている」か「生きている」かがそれより重要なことで、わたしたちにとってはそれは、イエスの道を生きているか、ただそれに尽きる。

6節「自分のおるべき所を捨てた御使いたち」 わたしたしのおるべきところはどこでしょうか。ヨハネの福音書に書いてあることを読み返します。
「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。」(ヨハネ12:26)

7−8節 戒めとして、わたしたちに与えられた教えとしてロマ6:12−13を繰り返し読んでいます。読みなさい、と示されました。

9節 脚注を読み偽典『モーセの昇天』の記事を興味深く思う。

10節 参照箇所のピリピ3:19を読む。「彼らの神は彼らの欲望」「彼らの栄光は彼ら自身の恥」

12,13節で表されることがらは 4節他で書かれるサタンの力の影響の表現に思う。
不敬虔、放縦、好色、肉欲、本能、利益、→ 自分だけを養う、風に吹き飛ばされる水のない雲(参照箇所箴言25:14を読む)、実を結ばない枯れに枯れて根こそぎにされた秋の木、自分の恥のあわをわき立たせる海の荒波、さまよう星、まっ暗なやみ、滅び

3,17,20節の冒頭での呼びかけ「愛する人々よ」が印象的に響く。愛をもって、イエスの心で語りかけ、警告を発し、真の道を思い起こさせようとする神の意志を語っていると思います。わたしたちは神の愛のうちに自分自身を保つ者たちである。わたしたちは永遠のいのちに至らせる、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望む者たちである。

(21節)また、わたしたちは、福音のためならば火の中をくぐってでも助け出すべき兄弟(未来の兄弟)がいて、イエスのあわれみを持ち合わせ、しかし、逆向きのエネルギーに対しては強烈に忌み嫌うことも命令されている。そのように神がされた。

25節 アーメン。

No.3990 2008/04/01(Tue) 07:21:38
?Vヨハネ / 大垣 引用

?Vヨハネ。ガイオはヨハネの伝道によって回心したのでヨハネの信仰の子どもなのだろう。モーセの律法ではこの世のことに関することが、キリストの十字架以後の霊的なことをさし示すことが多いと思う。旧約でこの世の血族としての子孫が重視されたことは、十字架以後は霊的に信仰による子供が重視されることをさし示すのだろう。そして、霊的な子孫と血族としての子孫が一致することもあり、それは天に御心のなるように、地にもなって素晴らしいことなのだと思います。キリスト者たちが信仰によって霊的にたましいの幸いを得ているように、この世的にも健康に恵まれ、幸いであれば素晴らしいことだと思う。ヨハネもガイオの健康を祈っている。しかし、同時に最も大切なことは、永遠の霊的な幸いであることを覚えておきたい。

当時は、いろいろな教会を訪れる伝道者たちがいたようである。?Uテモテ4:8でテモテは伝道者と呼ばれている。ガイオが聖い愛によってもてなして、次の旅のために送り出した兄弟たちは、伝道者たちだったと思う。かしらになりたがるデオテレペスという人は、伝道者たちやヨハネの教えや指示を受け入れなかった。これに対し、伝道者たちをもてなす人たちは、彼らの同労者になることができる。

11節の「善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者です。」というところが印象的です。

No.3981 2008/03/30(Sun) 12:17:35

Re: ?Vヨハネ / 亜衣瑠 引用

?Vヨハネ
イエスの愛を現す器のヨハネがイエスの愛を身をもって伝え、その実りがイエスの愛の目に見える姿となって、ガイオ、その友人、教会の兄弟たちにと伝播していく。イエスの真理が真理の力によって全うされていく。しみわたる愛は神の愛である。

No.3986 2008/03/31(Mon) 12:00:39
申命記18章 / 沙耶香 引用

今日は申命記18章を読みます。

3節に
祭司たちが民から、牛でも羊でも、いけにえをささげるものから、受けるべきものは次のとおりです。その人は、肩と両方の頬と胃とを祭司に与える。
とあるが、肩と両方の頬と胃とを与えるというのは牛や羊の部分のことですよね?でもこの文章だと、その人の人間の部分のようにとれるが・・・私は文章がなかなか読解できないので、そう思ってしまうだけかもしれないです。

10節に
あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせるものがあってはならない。
とあるが、火の中を通らせるものって何だろうか?と思って脚注を見ると、人身御供か、火の中を通った結果で犯罪の有無を確認するという魔術的判定かだと書いてあります。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章14-18節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、17節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様のいろんな奇跡の御業がでてきますね・・・

No.3953 2008/03/18(Tue) 20:22:14

Re: 申命記18章 / 沙耶香(管理人による再投稿) 引用

今日はもう一度申命記18章を読みます。

13節の
あなたは、あなたの神、主に対して全き者でなければならない。
が印象に残りました。

14節に
あなたが占領しようとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきたのは確かである。しかし、あなたには、あなたの神、主はそうすることを許されない。
とあるが、やはりどんな偶像もよくない。主に遣え、神様だけを見上げないといけない。

16節に
これはあなたが、ホレブであの集まりの日に、あなたの神、主に求めたそのことによるものである。あなたは、「私の神、主の声を2度と聞きたくありません。またこの大きな火をもう見たくありません。私は死にたくありません。」と言った。
とあるが、これはどういう意味だろうか?全く意味不明だと思って、脚注を見ると、モーセのような預言者がイスラエルのうちから起こされるようになったのは、あのホレブでの出来事に基づいているとあるが、ホレブでの出来事って何だろうか?と思って、前頁のホレブのところに、18-16、出3-1、申命記9-8、申命記29-1、マラキ4-4とあるので、開いてみます。
脚注に5-23-31とあるので、これも開いてみます。
ホレブ山で火が燃えたときの様子が書いてあるのかな?
うーん・・何だかよく分からない・・・

20節の
ような人がいたら本当に困りますよね。

22節に
預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。
とあるが、これは偽預言者だということかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章19-23節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、23節が気になるので、これをもう何度か読みます。
「自分を捨て」というのが肝心ですよね。自分を捨てないとイエス様についてはいけない。

No.3957 2008/03/20(Thu) 11:39:40

Re: 申命記18章 / 大垣 引用

3節は牛や羊の部分のことです。

16節は横の注にあるように、出エジプト記20章18-19節のことだと思います。出エジプト記では、モーセが十戒を授かった山はシナイ山と呼ばれていますが、申命記ではホレブと呼ばれています。

22節は沙耶香さんの書かれたとおり、偽預言者のことだと思います。

No.3958 2008/03/20(Thu) 11:48:53

Re: 申命記18章 / 沙耶香 引用

16節の横の注??文章ではなく、節に注があるなんて始めてみました。申命記5・23-27、出20・18-19とあります。
うーん、読んでもよく分からない。

>>モーセが十戒を授かった山はシナイ山と呼ばれていますが、申命記ではホレブと呼ばれています。

ということはシナイ山=ホレブなの?

No.3961 2008/03/20(Thu) 18:34:22

Re: 申命記18章 / 大垣 引用

ホレブについては、詩篇106篇の19節と脚注を読んでみてください。

No.3978 2008/03/30(Sun) 11:02:58

Re: 申命記18章 / 沙耶香 引用

うん、脚注に明瞭な答えが書いてありました。

No.3985 2008/03/31(Mon) 11:23:38
申命記22章 / 沙耶香 引用

今日は、申命記22章を読みます。

1節の
同族のものっていうのは同じ故郷のものだろうか?と思って辞書を引くと、同じ血筋、血縁関係らしい。兄弟親戚という意味だろうか?

5節に
女は男の衣装を身につけてはならない。また男は女の着物を着てはならない。すべてこのようなことをする者を、あなたの神、主は忌み嫌われる。
とあるが、普通に考えたらそうだろうけれど、でも現代の性同一性障害の人とかはどうしたらよいものなのだろうか?何も好き好んでそうなりたくてなっているわけではなくて、本当は女性なのに男性で生まれてきた・・・うーん、難しい。

6,7節は
比喩だろうか?

8節に
新しい家を建てるときは、屋上に手すりをつけなさい。万一、だれかがそこから落ちても、あなたの家は血の罪を負うことがないために。
とあるが、私にはありがたい節である。私は身体的にも障害者でふらつき歩きづらく、ちょっとしたことでつまづきやすい。階段や廊下やいろんなところに手すりをつけてバリアフリーにして欲しい。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章54-58節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、57節が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、イエス様についていくのが一番いいに決まっている。

No.3970 2008/03/27(Thu) 01:07:47

再申命記22章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記22章を読みます。

1節と4節は何だか同じようなことを書いていますね・・・

6,7節に
たまたまあなたが道で、木の上、または地面に鳥の巣を見つけ、それにひなか卵が入っていて、母鳥がひなまたは卵を抱いているなら、その母鳥を子と一緒にとってはならない。
必ず母鳥を去らせて、子を取らなければならない。それは、あなたがしあわせになり、長く生きるためである。
とあるが、母鳥を先にさらせて、子をとると何で幸せになり長く生きられるのだろうか?

13節以降は、
何だかいろいろ淫らなことが書かれていますが、このようなことは聖書で書くべきものなのだろうか?と思ったが、人の書いたものだったら、そう疑問を持ってもいいが、神様が書いたものだから、何か意味があるんだろうと思います。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章59-62節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、62節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やはり主イエス様だけを見上げて生きていくことが一番大切だ。

No.3971 2008/03/27(Thu) 17:53:55

Re: 申命記22章 / 大垣 引用

1節の同族の者とは、「同じイスラエルの民」か、あるいは「同じ部族の者」という意味だと思います。イスラエルには12部族がありました。沙耶香さんは、どちらだと思いますか。

6,7節は比喩ではないと思います。人間にはささいなことに関する定めに思えますが、神は、人間にはささいなこと、と思えることも大切にされているのだろうと思います。だから、自分の考えではなく、神のお考えに聞き従って6,7節に聞き従うイスラエル人は祝福されたのだろうと思います。

聖書にある13節以降のような箇所を読むときは、「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。」(テトス 1:15)が参考になると思います。

No.3973 2008/03/28(Fri) 12:11:50

Re: 申命記22章 / 沙耶香 引用

>>1節の同族の者とは、「同じイスラエルの民」か、あるいは「同じ部族の者」という意味だと思います。イスラエルには12部族がありました。沙耶香さんは、どちらだと思いますか。

同じイスラエルの民かな?

>>聖書にある13節以降のような箇所を読むときは、「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。」(テトス 1:15)が参考になると思います。

うん、テトス1・15開きました。本当にそうですね・・・

No.3975 2008/03/28(Fri) 21:13:14

Re: 申命記22章 / 大垣 引用

1節は僕もイスラエルの民だろうと思います。

No.3976 2008/03/29(Sat) 11:47:01
申命記21章 / 沙耶香 引用

今日は申命記21章を読みます。

11、12,13節に
その捕虜の中に、姿の美しい女性を見、その女を恋い慕い、妻にめとろうとするなら、
その女をあなたの家に連れて行きなさい。女は髪を剃り、つめを切り、
捕虜の着物を脱ぎ、あなたの家にいて、自分の父と母のため、1ヶ月の間、なき悲しまなければならない。その後、あなたは彼女のところにはいり、彼女の夫となることができる。彼女はあなたの妻となる。
とあるが、これは何が言いたいのだろうか?
12節の髪を剃りのところに横の注があるので、見てみます。うん、丸はげにすることみたいですね・・・
捕虜の着物を脱ぎというのは、裸になるということだろうか?それとも捕虜用の着るものを脱いでほかのものに着替えるということだろうか?

14節に
彼女を意のままにしたとあるが、どういうことだろうか?と思って、横の注を見ると、申命記22・29.創世記34・2、士師記19・24を開いてみます。うん、辱めて一生面倒診なければならなくなったということ=結婚するということかな?うーん?何だかよく分からない。

21節の
町の人はみな、彼を石で打ちなさい。彼は死ななければならない。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。イスラエルがみな、聞いて恐れる為に。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章44-48節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、48節が気になるので、これをもう何度か読みます。
一番小さいもの・・・最も身分の低い者・・・私のことみたいだ。

No.3966 2008/03/25(Tue) 01:07:17

再申命記21章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記21章を読みます。

5節の
そこでレビ族の祭司達が進み出なさい。彼らは、あなたの神、主が、ご自身に仕えさせ、また主の御名によって祝福を宣言するために選ばれた者であり、どんな争いも、どんな暴行事件も、彼らの判決によるからである。
が印象に残りました。

22,23節の
もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、
その死体を次の日まで、木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章49-53節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様野語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、51,52,53節が気になるので、これをもう何度か読みます。
今飢えている、貧しいからといって悲観することはないし、今富んでいるからと言って、おごり高ぶっていてはならないと思います。貧しいから、仕事できないからと言っても、怠惰でしている場合じゃない場合は、主がそういうご計画を作ったんだと感謝して、必要が満たされるように経済が満たされるようにお祈りしているといいし、今富んでいる人は今の富を得られるような頭脳をもらったことを神様に感謝してささげているといいと思います。ま、この世的には開きが相当あっても、主の目から見たら変わりないのです。(と言い聞かせる)

No.3968 2008/03/25(Tue) 19:48:25

Re: 申命記21章 / 大垣 引用

13節は「着物を脱ぎ」ではなく、「捕虜の着物を脱ぎ」とあるので、裸になるという意味ではなく、捕虜の着物を脱いで、他の着物を着る、という意味だと分かると思います。

13節の「彼女のところにはいり」と、14節の「彼女を意のままにした」は、性交渉を婉曲的に表現していると思います。

No.3969 2008/03/26(Wed) 11:23:39

Re: 申命記21章 / 沙耶香 引用

>>13節は「着物を脱ぎ」ではなく、「捕虜の着物を脱ぎ」とあるので、裸になるという意味ではなく、捕虜の着物を脱いで、他の着物を着る、という意味だと分かると思います。

そりゃー管理人さんのように頭脳明晰な人にはすぐにわかると思うけれど、私のように稚拙な頭、その上活字アレルギーなために読んでいると何が何だか分からなくなってくる・・・これ理解しがたいかもしれないが、本当なんだ。普通の頭脳の健常者には分からないかもしれないが、私たち精神障害者や知的障害者は普通の人が分かるような簡単で単純なことも理解し得ないことが多いのです。ご理解くだされば幸いです。

No.3972 2008/03/27(Thu) 17:58:02
申命記20章 / 沙耶香 引用

今日は申命記20章を読みます。

4節の
共に行って、あなたがたの為に、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」
が印象に残りました。何でも上から主が見下ろしているんだ。

7節の
ようなことを言っていると、結婚なんてできないじゃないですか?結婚後何があるかは予測できないのだから・・・うん、でも戦争という大きなことは要因になりえるかもしれないですね・・・でも愛し合っていたらそんなこと関係ないのではないですかね?でも男性が戦死した後ほかの誰かと結婚することはいけないんだ?知らなかった・・・

9節に
つかさたちが民に告げ終わったら、将軍達が民の指揮をとりなさい。
とあるが、将軍て誰だろうか?と思って、脚注を見ると、軍の指揮者たちらしい。将軍・・・冬将軍という言葉もあります。将軍という言葉はいろんなものに使われるのです。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章34-38節を読みます。
天におられるお父様神様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、35,36節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様って本当に雲の上の存在ですね・・・

No.3963 2008/03/22(Sat) 17:44:02

再申命記20章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記20章を読みます。

1節の
あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる。
が印象に残りました。やはりどんな状況下にあっても主が共におられるということを意識して主を見上げないと・・・

9節に
将軍が出てくるので、思い出したが、北朝鮮では、主席というかトップのことを将軍様と言っています。すごいですよね・・・でも日本も昔将軍がいました。今はトップは福田首相ですけれど・・・うーん、考えていると難しい。

17節の
聖絶って何だったっけ?と思って、横の注を見ると、民2・2,3:35、ヨシュア11・14とあるので、開きます。距離を置くということと、CENSOREDということと書いてあるように思いますが・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章39-43節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、41節が気になるので、これをもう何度か読みます。
本当不信仰で曲がった今の世ですね・・・

No.3964 2008/03/23(Sun) 07:37:16

Re: 申命記20章 / 大垣 引用

5-7節は、イスラエルが戦争をするときに、成人した男でも、特別の事情がある人たちは、戦争に兵隊として行く義務が免除される、ということです。7節は、女と婚約してまだ結婚していない男は、兵隊として戦争に行く必要がなく、家に帰ることができる、という定めです。男が戦死した場合、婚約者の女が他の男と結婚することを禁止しているわけではありません。

17節の聖絶とは、この場合、カナンに住んでいた民をすべてCENSORED、という意味だと思います。あわれみ深い主がこのような命令をされることはとても珍しいことです。特別な理由があったと思います。

僕たちキリストの十字架以降の信仰者にとっては、これは心の中の自分の悪を滅ぼすということに対応していると思います。

No.3965 2008/03/24(Mon) 12:00:18

Re: 申命記20章 / 沙耶香 引用

うん、心の中の罪・・・取り去っても取り去っても、出てくる罪・・・・本当に人間は罪深い生き物だ。

No.3967 2008/03/25(Tue) 09:10:41
?Uヨハネ / 大垣 引用

?Uヨハネ。ヨハネは夫人に対し、兄弟姉妹が互いに愛し合うこと、愛のうちに歩むことを願っている。そして、反キリストたちには、あいさつのことばをかけてもいけません、と教えている。

悪い行いをしている人に、あいさつのことばもかけない、ということは、僕たちが普通に思う「愛」ということと違っているように思われる。しかし、神の愛は、人間の親切とは全く違っていると思う。キリストの教えを受けながら、悪い行いをしている人を、神の聖い愛で愛するなら、悪い行いに加担して、その人が悪い行いを助長するようなことはしない、ということだと思います。?Tコリント5:5で、パウロが不品行の人をサタンに引渡し、その人の霊が主の日に救われることを願っているのとよく似ていると思います。

それから、あいさつもしてはいけない反キリストたちは、教会内部の人たちだと思います。?Tコリント5:12で、パウロが「あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。」と言っています。教会外部の人たちが悪い行いをしていたら、行いを助長してはいけないが、彼らにイエスを紹介するためには、キリスト者は、あいさつをするべきだと思います。

反キリストたちのことを思うと、教会内部の異端やカルトに十分注意する必要がある。しかしどのグループが異端やカルトであるかということは、基本的には個人が考えて決めることではなく、ひとつの教会の兄弟姉妹が祈りのなかで一緒に考えて決めていくべきことだろうと思います。

No.3952 2008/03/18(Tue) 12:33:59

Re: ?Uヨハネ / 亜衣瑠 引用

印象的なことばがちりばめられている。「真理」「命令」「愛」
6節 ?Tヨハネ4章、またヨハネの福音書15章、互いに愛しなさいのイエスの戒めを思い起こさせます。イエスから目を離さない、ヘブル12:2を思います。

No.3959 2008/03/20(Thu) 11:53:00
申命記17章 / 沙耶香 引用

今日は申命記17章を読みます。

2-6節で、
偶像礼拝をしている人は死刑に処するということかな?昔は偶像礼拝は死刑だったの?死刑とまでしなくてもいいのではないか?という気がしますが・・・

あーー、昨日家でかなりの騒動が勃発した。大体いつもうちの家では、何か勃発すると、私のせいになり、私一人を悪者にして責める。弱者だから、私一人をみなが責めるという図式ができてしまっている。いっつもだから辛い。でもイエス様共におられるから大丈夫だと言い聞かせている。
何で家族が一丸となって私一人を責めるのだろうか?家族というのは一丸となって協力しあわなければならないのではないか?最低!!

12、13節に
不遜なふるまいとあるが、不遜な振る舞いとはどういう意味だろうか?と思って、横の注を見ると、申命記18・20とあるので、開いてみます。
申命記18・20・・・
ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。」
あまり意味がわからないので、「不遜」で辞書で引くと、思い上がりとかおごりたかぶりとかいう意味らしい。
14,15節に
王は、主が選んだもので、同じイスラエル人であることが条件だったというようなことが書いてあるが、主が選んだものというのは、これは絶対視はできませんね。主が選んだと人間が思う人ということですから・・・同じイスラエル人であることも条件だとあるが、別にイスラエル人じゃなくてもいいのに・・・と思うのは私だけだろうか・・・?何でイスラエル人じゃなきゃいけないのだろうか?

17節に
多くの妻を持ってはならない。
とあるが、この時代イスラエルは一夫多妻制だったんだ。でもあまり多くの妻を持ってはならないということかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章4-8節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様のかたられるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、6,7節が気になるので、これをもう何度か読みます。
やっぱり素晴らしいのはイエス様の御技だけですよね。やっぱり大本は主の力です。12人の使徒の上に立つイエス様の御技・・・・

No.3948 2008/03/16(Sun) 23:00:50

再申命記17章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記17章を読みます。

7節に
死刑に処するには、まず証人達が手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
とありますが、悪というところに横の注がついているのが気になりますので開いてみます。
申命記13・5・・・
その預言者、あるいは、夢見る者は殺されなければならない。その者は、あなたがたをエジプトの国から連れ出し、奴隷の家から購いだされた、あなたがたの神、主に、あなたがたを反逆させようとそそのかし、あなたの神、主があなたに歩めと命じた道から、あなたを迷いださせようとするからである。あなたがたのうちからこの悪を除き去りなさい。
17:12・・・
読みました。
19-19・・・
あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
1コリ5・13・・・
外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。

心の中の悪を取除きなさいということかな?

8,9節に
事件とか判決とか言っているが、この頃に裁判なんてあったのだろうか?と思って、脚注を見ると、中央法廷というところで、祭司とさばきつかさという人がいたらしい。うーん、よく分からないが、昔はこうだったのだろうなーー。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ9章9-13節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると11節が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様に直接神の国のことを話していただけるなんて幸せですね・・・

No.3949 2008/03/17(Mon) 19:04:00

Re: 申命記17章 / 大垣 引用

2-6節、沙耶香さんの書かれたとおり、偶像礼拝は、イスラエルでのモーセの律法では死刑でした。イスラエルは全ての民の祝福のために神に選ばれた特別な民の国でした。モーセの律法は、ただの昔の法律ということではなく、そのような特別なイスラエルに与えられた戒めです。神に特別に選ばれた民が、キリストの恵みなしで、神とともに生きていこうとするなら、偶像礼拝は死刑とするような厳しい戒めが必要になる、ということだと思います。

14-20節はイスラエルの王に関する戒めです。イスラエルほど特別な国でない現代のアメリカでも、アメリカで生まれたアメリカ人でないと、大統領になれない、と決まっています。他の国の出身の人が、アメリカの大統領になって、自分の国に有利になるように、アメリカの政策を決めると大きな問題が起こるということが考えられます。イスラエルの王をイスラエルの民から出すことは、これと同じような理由もあるのだろうと思います。

No.3951 2008/03/18(Tue) 12:32:20

Re: 申命記17章 / 沙耶香 引用

えーー、アメリカの大統領ってアメリカで生まれたアメリカ人でないとなれないの?うーん???そうなの?へーーでも今アメリカにすんでいたら、自分の生まれ故郷に有利になるように政策を決めるということは大統領にまでなってあるのだろうか?うーん??

No.3954 2008/03/18(Tue) 20:25:43
?Tヨハネ5章 / 大垣 引用

?Tヨハネ5章。1節。キリスト者はキリストとともに十字架にかかって死に、神によって新しく生まれた。

2-5節。3節が鉛筆で囲ってある。神を愛するとは、神の命令を守ることである。驚いたことに、「その命令は重荷とはなりません。」何らかの命令を守りたくないという誘惑を受けたとき、誘惑に打ち勝つことができるのはイエスだけであることを知り8、イエスに戦っていただいて、自分は誘惑に負けないように静かに耐え忍んでいると良い。

6-8節。イエス・キリストは水と血とによって来られた方で、水と血と御霊があかしする。ここで水とはバプテスマのヨハネからイエスが受けられたバプテスマで、血とは、十字架の上で流された血であろうか。「水と血によって来られた」とはどういう意味か、よく分からない。

9-12節。神が御子についてあかしされたことがある。御子を信じる僕たちに永遠のいのちが与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということである。信仰により、御子を持つ者はいのちを持っている。完全に幸福になるためには、永遠のいのちを持つ必要があると思う。永遠のいのちを持たずにこの世でとても幸福な人は、自分がやがて死んでその幸福を失うということを考えるなら、完全に幸福であるとは言えない。

13節。ヨハネはキリスト者たちが、自分たちは永遠のいのちを持っているということを、よくわかることを望んでこの手紙を書いた。

14-15節。イエスの尊い血によって、自分はきよめられていると信じて、僕たちのたましいが大胆に父なる神の御前に出るとき、僕たちの願うことを神が聞いてくださる。だから神のみこころにかなる願いは、すべてかなえてくださる。14節を鉛筆で四角に囲ってある。

16-17節。不正はみな罪だが、死にいたらない罪がある。聖霊を侮辱する罪以外は、死にいたらない罪ということかと思う。兄弟が死にいたらない罪を犯しているのを見たら、その兄弟が悔い改めるように神に祈り求めればよい。

19節が印象的。今はまだ全世界は悪い者の支配下にある、と思います。

No.3942 2008/03/12(Wed) 12:35:06

Re: ?Tヨハネ5章 / 亜衣瑠 引用

ハンドブックを読み、この記事に感銘を受ける。「新生児は、自分が生れたことすら知らないが、彼は確かに生れたのである。成長するにつれて確信が生じる。キリスト者の信仰が次第に強くなり、後にはついに知識についての完全な確信の時が来ることがあり得るとわれわれは信じる。」
新生児はまたわがまま放題である。自分のことのみで生きている。息を吸い、おっぱいを吸い、その要求を泣いて伝え、伝わらなければ、さらに泣き、叶えられたらほほえんでゆるみ、解放されて手足をパタパタ いやだと今度はバタバタ。そのくりかえし・・・・
わがことのみ精一杯。
翻って、わたしはどうか?と。

1−5節 特に印象的な3節の祝福! 「その命令は重荷とはなりません」つづく4節に惹きつけられる「私たちの信仰」という文字。神さまは ほんとうによくぞわたしたちに尊い信仰を与えてくださいました。自分ではもうダメか・・・・と勝手に判断を下しそうだったとき、自分でのすべは何もありません、とお手上げ状態だったとき、信仰をお与えくださいました。その信仰によりイエスを信じ、十字架の意味を受け容れ、イエスさまの血によって救われました。先週の礼拝メッセージは「いのちでつながる」でしたが、自分に浮かんできたタイトルは「死んでつながる」でした。それは「自分に死んで」「自分に死んだ者が」つながる、という意味に読み替えてそうなるのでした。(聖書の箇所はヨハネ12章「一粒の麦」の箇所でした)

10節 信じる力はそれさえも神さまが与えてくださるように思う。しかし、「信仰の薄い人たち」(マタイ6:30)「信仰がないのは、どうしたことです」(マルコ4:40)などと主に指摘されることのないように!
すでに信仰によって、わたしたちが御子をいただき、永遠のいのちを持っていることを感謝します。わたしたちの願いは わたしたちを生かすこともいのちを奪うことも自由にお出来になる神に願い出ればよい。この方にのみ信頼していれば良い、それだけでまちがいはない、ということは、すでに神さまのわざを知らされ、見せられたわたしたちには十分な証しです。

18節「神から生れた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」サタンよ、残念でした。勝負は決まっているのです。
まことの神に向いてわたしたちが進む以上、サタンに勝ち目はありません。

21節 いきなりぶち切れるような終わりでおかしいな、とかつては感じたものでした。実際、格好をつけた文学作品にはありえないような終わり方でしょう。しかし、この最終警告はどんなに重い警告であり戒めであるか。神を愛してやまないヨハネが愛について、また神についてあふれる思いで書き綴った最後に 偶像を警戒することを最後のひとこととして書いたのは、それほどまでに、この警告が重要であるからだと思います。偶像とは木や金属を彫って神としたものだけに留まらない。こころの中で神と崇めるもの、拝むもの、それに対しひれ伏すもの、自分の全てに君臨しているもの、自分を支配するもの、それら全てが偶像となり得る。その中で、最も「たち」の悪いものが、「おのれ」というくせものである。「おのれ」にひざまずくとき、神を吹っとばし、神を踏んづけているかもしれないのだ。「くつを脱げ」とおっしゃる神であるのに。(出エジプト3:5)あなたのしもべの身分であることを喜び感謝しそして忘れないようにします。
「自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」(ルカ17:7−10)

No.3950 2008/03/18(Tue) 12:20:19
申命記16章 / 沙耶香 引用

今日は申命記16章を読みます。

1節に
アビブの月を守り、あなたの神、主に過越しのいけにえをささげなさい。アビブの月に、あなたの神、主が、夜のうちに、エジプトからあなたを連れ出されたからである。
とあるが、アビブの月とは一体いつのことだろうか?と思って脚注を見ると、3,4月ごろのことらしい。
へーーー、過越しの祭りってイスラエルがエジプトから救い出されたときの出来事を記念するために制定されたものらしい。

3節に
それといっしょに、パン種を入れたものを食べてはならない。7日間は、それといっしょに種を入れないパン、悩みのパンを食べなければならない。あなたが急いでエジプトの国を出たからである。それは、あなたがエジプトの国から出た日を、あなたの一生の間、覚えている為である。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、過越しの祭りというのはアビブの月の14日の夕方から15日のはじめに過越しのいけにえを食べることによって始まりその日から7日間のことらしい。
悩みのパンというのは、エジプトでの苦難を思い起こす為のパンらしい。

4節に
7日間は、パン種があなたの領土のどこにも見当たらないようにしなければならない。また、第1日目の夕方にいけにえとしてほふったその肉を、朝まで残してはならない。
とあるが、朝まで残したら腐るからだろうか?

5節に
あなたの神、主があなたに与えようとしておられるあなたの町囲みのどれでも、その中で過越しのいけにえをほふることはできない。
とあるが、これは何でだろうか?どうして町囲みで過越しのいけにえをほふることはできないのだろうか?

9節に
7週間を数えなければならない。かまを立穂に入れ始めるときから、7週間を数え始めなければならない。
とあるが、これは一体どういうことだろうか?と思って、脚注を見ると、7週の祭りの規定のことで、小麦の初穂の刈り入れの祭りであるらしい。立穂って何だろうか?と思って、横の注を見ると、出22・6とあるので、開いてみます。
出22・6・・・
火災を起こし、それがいばらに燃え移り、そのため積み上げた穀物の束、あるいは立穂、あるいは畑を刷き尽くした場合、出火させたものは、必ず償いをしなければならない。
うーん、よく分からない。立穂で辞書を引くと、載っていなくて、立穂で検索しても筋違いのものばかり出てくる。

18節に
あなたの神、主があなたに与えようとしておられるあなたのすべての町囲みのうちに、あなたの部族ごとに、さばきつかさと、つかさたちを任命しなければならない。彼らは正しいさばきをもって民を裁かなければならない。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、イスラエルでは、身分や貧富の差によらぬ神の前での平等が命じられていると書いていますが、羨ましいです。私たち弱者はこの世的地位などによると一番低いですが、こういう風に平等に見てくれると嬉しい。今はこの世では居場所がないので・・・イエス様がかろうじて居場所を作ってくれたので、生きています。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章50-54節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、52節の、
人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、イエスにはそう見えたというのが大事なところです。イエス様をあざ笑っていると結局最後には自分が恥じをかく。

No.3946 2008/03/14(Fri) 17:56:19

再申命記16章 / 沙耶香 引用

今日は、もう一度申命記16章を読みます。

6,7,8節に、
過越しのいけにえでのことをいろいろ事細かく規定していますね・・・

13,14,15節に
仮庵の祭りのことがいろいろかかれていますね・・・

19節の
あなたはさばきを曲げてはならない。人を偏ってみてはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵のある者の目をくらませ、正しい人の言い分をゆがめるからである。
が印象に残りました。

21節に
あなたが築く、あなたの神、主の祭壇のそばに、どんな木のアシェラ像をも立ててはならない。
とあるが、前にも出てきたアシェラ像って一体なんだったかな?と思って横の注を見ると、出23・14-17、34・23と24、詩篇122・4、ルカ2:42とあるので、開いてみます。
うーん、よく分からないので、聖書検索してみます。
すると出34・13のところの脚注に、エルの配偶神だと書いてあって、偶像だということが判明しました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章55,56、9章1-3節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、55節が気になるので、これをもう何度か読みます。
死んでいた人間を生き返らせることができる・・・イエス様の素晴らしい御業ですね・・・

No.3947 2008/03/15(Sat) 19:54:10
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