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申命記15章 / 沙耶香 引用

今日は申命記15章を読みます。

1節に
7年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。
とあるが、7年というのは何か意味があるのだろうか?と思って、脚注を見ると、7年を一区切りと考えているようだ。

2節に
その免除のしかたは次のとおりである。貸主はみな、その隣人に貸した物を免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、神が示される哀れみを実行しないといけないというようなことが書いてあるが、隣人というのは近所の人のことかな?近所の人やその兄弟からは取り立ててはならないというのはどういうことから出てくるのだろうか?うーん?よく分からない・・・
あれ?兄弟というのは実兄弟のことだと思っていたのだが、脚注に同胞イスラエル人とあります。えーーー?同じ故郷の人という意味かな?

17節に
あなたは、きりを取って、彼の耳を戸に刺し通しなさい。彼はいつまでもあなたの奴隷となる。女奴隷にも同じようにしなければならない。
とありますが、これはそのままだとすごいけれど、どういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、耳は従順、とは家の象徴を表しているらしいが、比喩だと思っていたが、そのままみたいだ。ヘブル人の奴隷の場合は必ずしも過酷ではなかったと書いてあります。ヘブル人の奴隷ってすごかったんだなーーー。今こんなことできる人いるのだろうか?

21節に
もし、それに欠陥があれば、足なえか盲目など、何でもひどい欠陥があれば、あなたの神、主にそれをいけにえとしてささげてはならない。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、牛や羊の雄の初子についての規定らしいから、足なえや盲目というのも牛や羊のことかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章39-44節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、43,44節の
ときに、12年の間長血をわずらった女がいた。だれにも直してもらえなかったこの女は、
いえすのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止った。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様は本当にゆいいつの癒し主救い主です。素晴らしいです。

No.3943 2008/03/12(Wed) 20:46:27

Re: 申命記15章 / 大垣 引用

2節の「兄弟」とはイスラエル人という意味だと思います。今なら信仰によってクリスチャンがお互いに兄弟姉妹とされているように、十字架以前のイスラエル人は、アブラハム、イサク、ヤコブの血による子孫として、お互いに兄弟とされていました。

17節の耳とは僕は耳たぶだと思うので、今の人がピアスするのと、それほど変らないのではないかと思っています。

21節は、牛や羊のことです。このモーセの律法の規定では、いけにえの外見的な欠陥に関してです。しかしイエスがご自分をいけにえとしてささげられたときには、イエスは罪を犯したことがない、という意味で欠陥がなかったことが重要でした。

No.3944 2008/03/13(Thu) 12:15:05

再申命記15章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記15章を読みます。

6節に
あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。
とありますが、これは多くの国々を支配するから貸すだけで借りることはないということだろうか???

7,8節に
あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟の一人が、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。
進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。
とあるが、なかなかこんなことする人はあまりいないですね・・・

9節に
あなたは心に邪念をいだき、「第7年、免除の年が近づいた。」と言って、貧しい兄弟に物惜しみして、これに何も与えないことのないように気をつけなさい。その人があなたのことで主に訴えるなら、あなたは有罪となる。
とありますが、これは貧しい人に貸していて免除の年が近づいているから与えなくてもいいと思ってしまうことに対していっているのだろうか?でもこういうことが主に対して有罪になるなら、ほとんどの人が有罪になると思いますね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章45-49節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様のかたられるべきお言葉をお語り下さい。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・・
何度か読んでいると、47,48節の
女は、隠しきれないと知って、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスにさわったわけと、たちどころにいやされた次第とを話した。
そこで、イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
やっぱり癒し主イエス様を信じてすがりつくと癒していただける。私もいつかきっと・・・と信じて期待して感謝します。

No.3945 2008/03/13(Thu) 21:07:13
申命記14章 / 沙耶香 引用

今日は申命記14章を読みます。

1節に
あなたがたは、あなたがたの神、主の子供である。死人のために自分のみに傷をつけたり、また額を剃り上げたりしてはならない。
とありますが、これは何が言いたいのだろうか?と思って、脚注を見ると、服喪の仕方だと書いてありますので、納得です。

6節に
および、ひづめが分かれ、完全に2つに割れているもので、反芻するものは、すべて食べることができる。
とあるが、反芻するって前にも出てきたがどういう意味だろうか?と思って、辞書を引くと、一度飲み込んだ物を、胃からもう一度口の中に戻してきてかむことだそうだ。胃から戻せるなんてすごいなーーー。

21節に
あなたがたは自然に死んだものを、いっさい食べてはならない。あなたの町囲みのうちにいる在留異国人にそれを与えて、彼がそれを食べるのはよい。あるいは、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。
子やぎをその母の乳で煮てはならない。
とあるが、子やぎをその母の乳で煮てはならない。って一体どういうことだろうか?と思って、脚注を見ると、カナンの異教的儀式で行われていたことで神様は厳禁されたそうですね・・・

27節に
あなたの町囲みのうちにいるレビ人をないがしろにしれはならない。彼には、あなたのうちにあって相続地の割り当てがないからである。
とあるが、少し前にもレビ人が相続地の割り当てがないので、ないがしろにしてはならないことが書いてありました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章29-33節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると33節の
悪霊どもは、その人から出て、豚にはいった。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖にはいり、溺れ死んだ。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
悪霊に入られると元も子もないですね・・・悪霊が入ってこないように、しっかりイエス様とつながっていないといけない。

No.3938 2008/03/10(Mon) 22:52:17

再申命記14章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記14章を読みます。

2節の
あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んで御自分の宝の民とされた。
が印象に残りました。

21節に
あなたがたは自然に死んだものを、いっさい食べてはならない。あなたの町囲みのうちにいる在留異国人にそれを与えて、彼がそれを食べるのはよい。あるいは、外国人に売りなさい。あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。
子やぎをその母の乳で煮てはならない。
とあるが、イスラエルの民に自然に死んだものを食べてはならないと言っているものを、在留異国人や外国人に食べさすのはいいというのは何だかちょっとおかしいような気もするが・・・

23節の
主が御名を住まわせる為に選ぶ場所、あなたの神、主の前で、あなたの穀物や新しいぶどう酒や油の10分の1と、それに牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつも、あなたの神、主を恐れることを学ぶ為に。
が印象に残りました。

28節に
3年の終わりごとに、その年の収穫の10分の1を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちにおいておかなければならない。
とあるが、3年の終わりごとって何か意味があるのだろうか?と思って、脚注を見ると、3年ごとの10分の1規定とある。これはどういう意味だろうか?3年というのは何か意味があるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章34-38節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、35節の
人々が、この出来事を見にきて、イエスの側に来たところ、イエスの足元に、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、イエス様の御業は本当に素晴らしくて恐ろしくなります。

No.3939 2008/03/11(Tue) 20:55:32

Re: 申命記14章 / 大垣 引用

21節。自然に死んだ動物の肉の規定について、イスラエルの民と在留外国人が別に扱われているのは不思議な感じがします。これは汚れということに関係すると思いますが、汚れとは原理を理解することがとても難しいと思います。それで、汚れに関する律法の規定は僕たちには理解しにくいのだろうと尾も負います。

28節の3年ごとも、なぜ3年ごとなのか、僕には理由が分かりません。ただ、主の言われること理由が分からなくても、主を信頼して従うことが信仰の対応だと思います。だから、理由が分かりづらく、説明していない律法の規定は、イスラエルの民が主を信頼しているかどうか、試すという意味が理由のひとつとしてあったのかもしれません。

No.3941 2008/03/12(Wed) 12:06:59
?Tヨハネ4章 / 大垣 引用

?Tヨハネ4章。1-3節。霊が人となって来たイエス・キリストを告白するかによって、神からの霊かどうか見分けることができる。ただし、マタイ9:29のように、悪霊たちもイエスが神の子であることを知識として知っている。イエスを告白するとは、イエスが神の子であるという知識を持っていることを告白するだけでなく、イエスを完全に信頼して自分の主とすることを告白することだと思う。霊がそのような告白をするまでに、長い年月がかかることもあると思われる。

4-6節。偽りの霊は、神から出た者たちの言うことに耳を傾けない。

7-20節。神は愛である。だから主にある兄弟姉妹が神の聖い愛で、きよらかに愛し合うことが大切である。僕たちには神を愛する力はなかったが、神がまず僕たちを愛し、御子の十字架によって僕たちの罪を赦してくださった。だから、神の聖なる無条件な愛を受けて、その愛で僕たちも兄弟姉妹を愛し、神を愛すことができる。もし、目に見える兄弟姉妹を愛していないなら、目に見えない神を愛することはできない。主を恐れることは知識の初めである(箴言1:7)。しかし、全き愛は恐れを締め出してしまう(18節)。例えば自分が地獄に行くことを恐れることが、信仰に入るきっかけになることがあると思う。しかし、信仰の道を歩んでいくとき、神の栄光だけを願う無我の境地に近づいて、恐れが行いの動機になることがなくなっていくのだろうと想像します。

No.3930 2008/03/06(Thu) 11:34:51

Re: ?Tヨハネ4章 / 亜衣瑠 引用

外は晴れている。神さまの恵みとあわれみとによってこんなにも青く美しい。遡ること5ヶ月 以前この章をこころに刻むように読んだとき、わたしの望みは「自分を消したい」だった。いろいろな意味で自分は要らないという結論が出た。聖書の学びを続けてきて、週毎の礼拝メッセージも合わせ、今よく考えるのは「我欲を断つ」ということだ。それは在るものがだんだん減っていって遂には無になる、というイメージとは異なる。我欲を断つとは、その数値がゼロになることではない。断たれているのだ。無縁になっているのだ。きっと、気持ちがあっても、まだ完全には断たれていない自分が、無意識のうちにその姿を想像し、そうなりたいの願望の一表現が「自分を消したい」だったのだろう。徐々に上空に煙が立ち昇るように消えてゆくのではない、パソコン画面で何行もの記事が一気にボン! と消えるように、決してフェイドアウトするのではない。一気に消滅だ。

1-3節 ヨハネ8:44が聞こえます。「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。」

4節「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」このみことばの輝く保証の力に感謝するものです。

5−6節 わたしたちクリスチャンは そこで一体どちらの声を聞くのでしょう?どちらに耳を傾けるでしょう。

7節 ヨハネの力のこもった熱いメッセージは内容もまた熱いものです。そして根拠も熱いのです。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。」  愛の源、それは神です。愛を辿ると神にたどり着きます。神を追求すると愛に辿りつきます。愛は神、神は愛。次の節につながってゆきます。

8節「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」

9−10節 愛の正体の説明です。われわれ人間の昔から親しんでいるこの世の愛とは異なる聖なる愛。罪のためにひとり子を遣わしてくださったという人知を超えた愛。それに従われた御子イエス。

11節 「神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」これは神の命令です。
Dear friends, since God so loved us, we also ought to love one another.

12節の脚注「そして、互いに愛し合うことによって、神が我々のうちにおられることが明らかにされ、愛が我々のうちにおいて成熟し、完成する。」神がわたし(たち)のうちにおられることはよく自覚しています。どうか、聖なる神の愛によって、現段階からさらに成熟し、完成へ導かれ高められますように。

13節 見たことのない神が自分たちのうちにいらっしゃることの「何か証拠を」と言い出す者たちがいるかもしれないから、わかりやすいように神さまはわたくしたちに聖霊をお与えくださったのではないでしょうか。

15,16節はパウロによれば、ロマ書の8章38,39節の表現に匹敵するように感じる。書き手がパウロからヨハネに変わると、このような表し方になる。
神は愛です。God is love. 何とわかりやすいことか。何と単純なことか。ついてきなさい、と言われる方の正体はこれなのです。これしかないのです。神は愛です。他に何がありましょうか。何か演説することがあるでしょうか。何か主張を繰り広げることがあるでしょうか。何か同意を求めることがあるでしょうか。何かがんばってやることがあるでしょうか。

17節 すでに最終結果が書かれている。「完全なものとなりました」「キリストと同じような者であるからです」そうなることを使徒ヨハネは知っていて書いている。すでにそうなることを神から聞かされていて、このように書ける。

20節 わかりやすいです。「目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」わたしは言うことになります。―わたしは目に見えない神を愛したいし、愛していると思っています。ですから目に見える兄弟を愛していないということはできないしあり得ないのです。

21節「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。」これは命令です。
Whoever loves God must also love his brother.
感謝の命令であり重い命令であります。

No.3940 2008/03/12(Wed) 11:53:35
申命記13章 / 沙耶香 引用

今日は申命記13章を読みます。

3節の
その預言者、夢見るものの言葉に従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなた方の神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。
が印象に残りました。いろんな試練も偶然ではなく神からのものなのか?

4節に
あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。
とあるが、本当にそうですね・・・何でも主にすがらないと・・・

5節に
その預言者、あるいは、夢見る者は殺されなければならない。その者は、あなたがたをエジプトの国から連れ出し、奴隷の家から購いだされた、あなた方の神、主に、あなたがたを反逆させようとそそのかし、あなたの神、主があなたに歩めと命じた道から、あなたを迷い出させようとするからである。あなたがたのうちからこの悪を除き去りなさい。
とあるが、これはどういう意味だろうか?反逆のところに横の注があるので、開いてみます。
エレミア28:16・・・
それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしはあなたを地の面から追い出す。ことし、あなたは死ぬ。主への反逆をそそのかしたからだ。」」
エレミア29・32・・・
それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしはネヘラム人シェマヤと、その子孫とを罰する。彼に属する者で、だれもこの民の中に住んで、わたしがわたしの民に行おうとしているよいことを見るものはいない。―主の御告げ。―彼が主に対する反逆をそそのかしたからである。」」
迷いださせようというところにも横の注があります。
申命記13・10・・・読みました。
悪のところにも横の注があります。
申命記17―7・・・
死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を取除き去りなさい。
22―21、22,24・・・
その女を父の家の入口のところに連れ出し、その女の町の人々は石で彼女を打たなければならない。彼女は死ななければならない。その女は父の家で淫行をして、イスラエルの中で恥辱になることをしたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男もその女も、ふたりとも死ななければならない。あなたはイスラエルのうちから悪を除き去りなさい。
あなたがたは、その二人をその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
殺されなければならないのところにも横の注があります。
申命記13・9、15・・・読みました。
申命記18・20・・・
ただし、わたしが告げよと命じていないことを、不遜にもわたしの名によって告げたり、あるいは、ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら、その預言者は死ななければならない。
エレ14―15・・・それゆえ、わたしの名によって預言はするが、私が遣わしたのではない預言者たち、「剣やききんがこの国に起こらない」と言っているこの預言者たちについて、主はこう仰せられる。「剣とききんによって、その預言者たちは滅び失せる。」
ゼカ13―3・・・なお預言するものがあれば、彼を生んだ父と鼻とが彼に向かって言うであろう。「あなたは生きていてはならない。主の名を使ってうそを告げたから。」と。彼を生んだ父と鼻が、彼の預言しているときに、彼を刺し殺そう。
結局は偽預言者たちは主の名によって追い出せということかな?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章19―23節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、21節の
ところが、イエスは人々にこう答えられた。「私の母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです。」
が気になるのでこれをもう何度か読みます。
脚注に、神の霊的家族に加えられた人々は、肉親や親族よりもキリストと近しい関係にあると書いてありますが、これは聖書の御言葉で、実行できる人なんて結局はいやしない。自分の肉親や親族よりも霊的家族のほうに目を向けようと御言葉にすがるが、なかなかできない。いや、こういう人はまだましだ。元々そんなの無視している人もたくさんいる。私は本当の家族には虐待されているので・・・信仰の家族にも同じかそれ以上のイエス様からの愛情を注いでくれたら救われる人多いと思います。

No.3933 2008/03/06(Thu) 20:32:24

Re: 申命記13章 / 大垣 引用

3節。偽預言者が何かのしるしや不思議を示し、それが実現することを主が許されるのは、偶然ではなく、主がイスラエルの民を試みるためであることが分かると思います。

試練は偶然に起こるわけではない、ということは、創世記37-50章のヨセフの話にもありました。ヨセフはねたまれて、自分の兄たちによって奴隷として売られるという試練を受けました。しかし創世記50:20で、ヨセフは、兄たちは悪を計ったけれど、主はそれを良いことのための計らいとなさったことを言っています。

5節では、イスラエルから悪を除くために偽預言者は死刑にしなければならないことが書いてあります。モーセの律法のイスラエルのこの世でのことは、キリストの十字架以降は、心の中でのことや、霊的なことに対応していると思います。だから、キリスト者は、自分の中の心の中の悪を除くようにすることが大切だと思います。

No.3934 2008/03/07(Fri) 14:08:57

再申命記13章 / 沙耶香 引用

>>キリスト者は、自分の中の心の中の悪を除くようにすることが大切だと思います。

うん、本当そうですね・・・

今日はもう一度申命記13章を読みます。

16節に
そのすべての略奪物を広場の中央に集め、その町と略奪物のすべてを、あなたの神、主への焼き尽くすいけにえとして、火で焼かなければならない。その町は永久に廃墟となり、再建されることはない。
とありますが、略奪物とは一体何だろうか?一般的に、どこかから奪い取ってきたものだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章24―28節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、24節の
そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様は本当に素晴らしいですね・・・風も荒波も静止することができるんだから・・・私もイエス様の栄光を現すことができるようになりたいです。今はその準備期間中かな?

No.3935 2008/03/07(Fri) 19:05:13

Re: 申命記13章 / 大垣 引用

16節、イスラエルの中でほかの神々に仕えるという悪を行う町があったら、その町の住民も家畜も全部CENSOREDということが律法でした。これが行われると、その町の住民が抵抗するので、律法を守るイスラエルの民との戦争になります。町の住民たちが死んだ後は、彼らの持っていたお金や家具などが残りますが、戦争なので、これらを「略奪物」と訳しています。

この律法の規定とは異なることですが関係することで、イスラエルの民が悪を取り除こうとして戦争になったときのことが士師記19−21章に書いてあります。

No.3936 2008/03/08(Sat) 06:21:37

Re: 申命記13章 / 沙耶香 引用

また士師記を読む機会がありますので、注意しておきます。

No.3937 2008/03/10(Mon) 19:46:40
?Tヨハネ3章 / 大垣 引用

?Tヨハネ3章。1-2節。僕たちは神の子供であるが、キリストの再臨の後の復活の体の状態はまだ明らかにされていない。

3節。キリストに対する望みがあるので、自分を清くしたい。

4-10節。信仰によって神から生まれた人となっても失敗するだろうが、それは子供が親の前で親が見てくれていると安心しながら、とんちんかんな行動をするようなもので、それは罪でさえない場合も多いと思う。ヨブがヨブ記19章25節で「私を贖う方が生きておられ」るという啓示を受けて、勇気をえて31章で大胆に神の前に出て自分の潔白を主張したとき、それは、「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くする」(ヨブ記38:2)とんちんかんな行いであったのだろうが、罪の行いではなかったと思う。しかし、心のこもらない外面的に宗教的な行いだけをしている人は、イエスが憎まれた偽善者たちのように、罪のうちを歩む。

11-12節。主にある兄弟姉妹が互いに愛し合うことが、キリストによって与えられた新しい神との契約の戒めである。カインのように、自分の行いの悪いものが、正しい行いをする兄弟を憎む。

13節。キリスト者は、信仰を持たない人たちに憎まれることを予測しておくべきである。

14-19節。キリスト者は、主にある兄弟姉妹を聖なる愛で愛するとき、自分が死からいのちに移ったことを知る。僕は、将来に天国に行くということの確信を持つより、今、いのちに移って、イエスの血によってきよめられ、父なる神に大胆に近づくことができる、ということを確信することが大切だと思う。愛する兄弟姉妹のために、この世での自分のいのちを捨てて、兄弟姉妹たちを救うことのできるイエスに従うとき、キリスト者の中に入ってくださったイエスが大きく働かれる。キリスト者の中のイエスは困っている兄弟姉妹をあわれんでキリスト者を用いて助けられる。

20節。人間は完全ではないので、イエスを見ている人ほど、自分の心は自分を責める。しかし、神の心は大きくて、しかも僕たちの弱さと不完全さをよくご存知なので、僕たちをイエスの十字架のゆえに赦される。

21-23節。イエスの御名によって僕たちを赦してくださる神と心をあわせるとき、僕たちは自分の弱さと愚かさと罪深さを赦し、自分を責めなくなる。そして、弱く愚かで罪深くても、大胆に神の御前に出るようになる。そして神と交わるとき、僕たちは、キリストの御名を信じ、互いに愛しあいなさいという、新しい契約の戒めを守ることになる。神は喜んでくださる。そして、神は僕たちが求めるものを何でも与えてくださる。

24節。神の命令を守ることは、自分の力ではできない。だから、神の命令を守るものは、自分のうちに聖霊が与えられ神がおられることを聖霊によって知る。

No.3928 2008/03/05(Wed) 13:05:57

Re: ?Tヨハネ3章 / 亜衣瑠 引用

通読の終盤に来てこの愛する書に触れることのできる恵みに感謝します。?Tペテロ、ヤコブ、そしてこの?Tヨハネは、自分にとってどんな時にも応えてくれる「頼みの綱」的書なのです。書き手の時代ということで言えば、イエスの福音のあとに生まれたわたしたちは
、大まかにはヨハネと同じ仲間となります。ですから、わたしたちに最も近いところで語ってくださっている書き手とも言えます。わたしたちの有り様を知っているという方でもあります。

1節 ふつうあり得ないことが(わたしたちが神の子どもである)起こる。御父の愛によって。この愛がどれほどのものであるか、どれほど・・・・・であるか、言い表すことば、形容のことばがない。

2節 「しかし、キリストが現われたなら」! この時、その時!を 待っているのです。しかし、同時に いや、待ってください、3節「キリストが清くあられるように、自分を清くします」・・・自分で清くなどできない、自分で清くするのではない。わたしたちは清くされていく者たち。キリストが現われるときは、突然。マタイ24:37で表されるように、「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」
泣いて歯ぎしりすることのないように。きょうこの瞬間までに主の日が訪れていないことをわたしは感謝します。毎日バプテスマされる心境です。

8−9節 悪魔と神は無縁です。ですから、神の子どもとされたわたしたちも 悪魔と無縁です。取り込まれることはないし、取り込まれようにも、そうはならないようにもはや出来ています。9節を愛します。
「だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。」
No one who is born of God will continue to sin, because God’s seed remains in him; he cannot go on sinning, because he has been born of God.
これは わたしたちクリスチャンに与えられた保証です。しかし、それは6節「キリストのうちにとどまる」ことが当然ながら前提です。

10節 兄弟を愛さないのなら、それは神から出た者ではないことを現す。その行い、態度が神からのものではないことを露わにする。

14節―
いのちとは、生きるとは・・・わたしたちを生かしてくださるためにキリストはご自分のいのちをお捨てになった。いのちを与えるためにご自分のいのちは捨てた。黙って殺された。何の罪もないのに、犯罪者として処刑された。
確かに神はこの世の性質と相反する、しかし、この世を愛され、人を愛してくださって、わたしたちの罪を取り除くためにキリストをお遣わしになった。キリストがいらしてくださらなければ、すべてが存在していない。いらしてくださって、そしてわたしたち罪人どもに殺された。

18節「私たちは、ことばや口先だけ愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」
神の勧めは わりに単純です。

19−24節 神の命令を守っていきたい。神さまが喜ばれることをわたしも喜びたい。

No.3932 2008/03/06(Thu) 13:15:13
申命記12章残り / 沙耶香 引用

今日は申命記12章残りを読みます。

19節に
あなたは一生、あなたの地で、レビ人をないがしろにしないように気をつけなさい。
とあるが、レビ人ってそんなにすごい人なの?と思って横の注を見ると、申命記14の27とあるので、開いてみます。
申命記14の27を見てみたが、レビ人がそんなに重宝される理由は書いていない。何でだろうか?と思って、「レビ人」で聖書検索してみましたがかなり多いので・・・

23,24節に
ただ、血は絶対いに食べてはならない。血はいのちだからである。肉と共に命を食べてはならない。
血を食べてはならない。それを水のように地面に注ぎださなければならない。
とありますが、血を食べてはならない理由は前は別ことが書いてあったように思ったが・・・汚れとかそういう理由じゃなかったかな?

32節の
あなたがたは、私があなた方に命じるすべてのことを、守り行わなければならない。これに付け加えてはならない。減らしてはならない。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章9―13節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様野語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、13節の
岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うーん、こういう人がほとんどじゃないかと思います。その試練の度合いにもよるけれど、さほどじゃない場合は大丈夫だろうけれど、とてつもない試練が襲ってくるとみなそうでしょうね・・・でも必死でみことばを手放さないようにしています。弱い人ほどイエス様が恋しいですね・・・

No.3925 2008/03/04(Tue) 21:17:34

Re: 申命記12章残り / 大垣 引用

19節の横の注を見ると、14:27とあります。14:27を読むと、レビ人をないがしろにしてはならない理由は、レビ人には相続地の割り当てがないからであることが分かります。約束の地が12部族に割り当てられるとき、他の部族は割り当て地があるので、裕福です。レビ人は神に祭司として仕えたり、天幕の仕事をして神に仕える役をいただいた代わりに、割り当て地はないのです。このように、横の注には、その箇所を理解するのに、役にたつ関連する節が書いてあります。

No.3927 2008/03/05(Wed) 12:42:57

再申命記12章残り / 沙耶香 引用

うーん??彼にはあなたのうちにあって、相続地の割り当てがないからである。とあります。あなたのうちにあって???そこでつまづき意味不明だと思ったのだと思います・・・

今日はもう一度、申命記12章残りを読みます。

18節に
ただ、あなたの神、主が選ぶ場所で、あなたの息子、娘、男奴隷、女奴隷、およびあなたの町囲みのうちにいるレビ人とともに、あなたの神、主の前でそれらを食べなければならない。あなたの神、主の前で、あなたの手のすべてのわざを喜び楽しみなさい。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、手のすべてのわざが労働の実と書いてありますが労働の実って一体何だろうか?

26節に
ただし、あなたがささげようとする聖なるものと誓願のささげ物とは、主の選ぶ場所へ携えていかなければならない。
とあるが、主の選ぶ場所というのは主が何かの形で教えてくれるのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章14―18節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、14,18節の
いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心遣いや、富や快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。
だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
同じ御言葉でもいろんな取りかたがあります。とかくみな自分の都合のいいように解釈しがちです。これでは、イエス様嘆かれますが、人間は罪人だから仕方がないのだ。この世は本当におかしなところだ。

No.3929 2008/03/06(Thu) 01:18:19

Re: 申命記12章残り / 大垣 引用

18節。「あなたの手のすべてのわざ」とは、労働の成果として神が与えられたもので、17節のように穀物やぶどう酒や牛や羊などです。これらを独り占めにして、自分が正しいと思うところで食べたり飲んだりして楽しむのではなく、主が選ばれるところで、主の前に出て、息子や娘や奴隷たちやレビ人と一緒に食べたり飲んだりして楽しみことが主に喜ばれることでした。これはモーセの律法ですが、キリスト者も、労働の成果を、イエスの血によるきよめを信じ、大胆に神の御前に出て、家族や他の人たちと分け合って食べたり飲んだりして楽しむことが大切だと思います。

26節の主の選ぶところは、主がイスラエルに示されます。これはイスラエルの歴史で重要なポイントになります。聖書を読み進めていくときに、注意しているようにしてください。

No.3931 2008/03/06(Thu) 13:09:58
?Tヨハネ2章 / 大垣 引用

?Tヨハネ2章。1-2節。もし僕たちが罪を犯すと、父なる神の前でイエス・キリストが弁護してとりなしてくださる。だから、僕たちは「私を贖う方は生きておられる。」(ヨブ19:25b)と信じて大胆に神の前に出たヨブのように、キリストを信じて父なる神の前に出て、聖く変えていただき、罪を犯さないようになっていきたい。

3-6節。1:6にあるように、もし神と交わりがあるなら、やみの中を歩くことがない。だから、神の命令を守る。これは、1:6で書いたように、失敗しないということではないと思う。

7-11節。自分が神と交わっているかどうか、主にある兄弟を憎んでいるかどうか (9節)でテストすることができる。もし、主にある兄弟を憎んでいる場合は、11節のように、まだやみの中にいるので、自分の信仰と神との交わりを見直してみる必要があると思います。

12-14節。印象的なABA’BA”というパターンが使われている。自分の信仰と神との交わりを見直すなら、まず、Aとして、主の御名によって罪が赦された。自分の善い行いによるのではない。B.このことがキリストを個人的に知って、神と交わるための基礎である。次にA’として、信仰により、父なる神を個人的に知ったこと。次にBが繰り返される。最後にA”として、神と交わるようになったキリスト者が試練にあっても信仰を捨てず、神のみことばがキリスト者のうちにとどまるとき、キリスト者はサタンに打ち勝つようになる。ここで、このパターンは終わるが、やがて、キリスト者はさらに成長して、Bのように、キリストをよく知るようになる、ということが、書いていなくても、示されていると思います。

15-17節。この世や、この世にあるものは、永遠の天国と、その天国にあるものの、影にすぎない。影のほうを愛してしまえば、真実にあるものを愛することができない。たとえば、この世のいのちは永遠のいのちの影にすぎない。この世のいのちを愛してしがみつく人は、永遠のいのちを得ることができない。

18-23節。御子を否認する偽り者の反キリストたちは教会の中から出てきたようだが、もともと本当の仲間ではなかった。信仰によって聖霊に入っていただいた人は、だれでもイエスが神の子であるという知識を持つ。

24-28節。聞いた真理のみことばキリスト者にとどまるなら、キリスト者もキリストと父なる神のうちにとどまる。それが、永遠のいのちである。キリストのうちにとどまる人は、キリストの再臨のときに御前で恥じ入るということがない。

29節。義を行う者は、信仰によって新しく生まれ変わった人である。その人の中のイエスが、本当に純粋に父なる神に喜んでいただけるように、義を行う。

No.3923 2008/03/04(Tue) 14:19:19

Re: ?Tヨハネ2章 / 亜衣瑠 引用

?Tヨハネ2章
神さま わたしが罪を犯さないように助けてください。あなたを愛していますから、あなたの命令を守るようにされています。そのことを確かに現されるように助けてください。偽の信仰者に堕ちてしまいませんように。イエスさま お願いします。そして「こちらだ」と強くお示しください。わたしは迷わずそれに従えますように。

9節「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は」イエスは誰かを憎んだだろうか。イエスの憎んだのは神に敵対するもの―サタンだけ。神の進みを阻止しようとするものをのみ憎んだ。その他のすべて、特にすべての人を愛した。そして滅びから救ってくださった。光はイエスであるから光は愛です。ヨハネ12:36の「光を信じなさい」は目に見える光としての神とともに、愛の源泉であるイエスを信じなさい、イエスの愛、愛なるイエスを信じなさい、そしてそのように愛しなさい、と聞こえる。どうしてそのように愛せるでしょう・・・・それは12節「主の御名によって」「あなたがたの(わたしたちの)罪が赦されたからです。」

12−14節 勝利するのは初めからわかっている。神の勝利は最初から決まっている、よってあなたがた(わたしたち)も勝利するのが初めからわかっている。 なぜか???

それは15節、15−17節 が根拠であると思う。世を愛さない、世にあるものを愛さない。世を憎み、世の欲、すなわち我欲を憎むから、それらに勝利するのです。どちらについているかで勝負が決まる。ヨハネ12:25を思って繰り返し読みます。自分のいのちを愛してはいけないのか・・・そのいのちの源がどこか、で愛するか憎むかが180度変わってくる。イエスにとどまり、イエスによって真理を知り、それによって真の自由を得ることで(ヨハネ8:31−32)いただくのが愛するいのちだと思う。聞いたならとどまる。とどまって初めてぶどうの木としてつながり一体となる。そのときぶどうの木は真理であり愛となってみずみずしいフルーツをならせてくれる。永遠の実りであるからその実はつけてもつけてももいでももいでも枯れることがない。その実りの豊かな祝福は主イエスが再び来られるときにあります。そのとき、御前で恥じ入ることのないようにしっかりとキリストのうちにとどまっていますように。

No.3926 2008/03/05(Wed) 12:34:30
?Tヨハネ1章 / 大垣 引用

?Tヨハネ1章。1節。使徒ヨハネはいのちのことばであられる主イエスがこの世に人間としておられたとき、イエスの語られることを聞き、イエスを目で見、イエスを手でさわった。

2節、ヨハネら使徒たちは、イエスを見たので、あかしをし、永遠のいのちを伝えた。

3節。聖書を通してヨハネたちの手紙を読むものは、父なる神と御子キリストの交わりを主にある兄弟姉妹と持つ。

4節。よりよく父なる神と御子キリストを知るとき、僕たちの喜びが完全なものとされていく。

5節。神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。

6節。もし神と交わりがあるなら、やみの中を歩くことがない。これは、神と交わりのあるキリスト者が全く間違いを犯さないということではないと思う。人間とは失敗するものである。ダビデ王は、バテ・シェバと姦淫をし、その夫のウリヤと殺したとき以外は、主と心がひとつであったとあるので、神と交わりがあったのだと思う。そうであっても、ダビデは?T歴代誌21章で、サタンに誘惑されて人口調査する失敗をした。バテ・シェバとウリヤのことは、おそらくダビデがサウル王に命を狙われた厳しい試練の中で主と深く交わっていたダビデが、王となってしばらくして心がゆるみ、主に対する礼拝が形式的になり、主と本当には交わりがなかったためにダビデが犯した罪だろうと想像する。人口調査のときは、主と交わっていて、主が見ておられることをある程度は意識していたが、誘惑にかられて人口調査してもよいという思い込みから失敗したと想像します。

7-10節。もし僕たちクリスチャンが光の中を歩いているなら、失敗をしても、主との交わりを保ち、イエスの血によってすべての罪から僕たちはきよめられる。だから僕たちは自分たちの罪の性質により失敗をしても、そのことをごまかさずに直視し、神に言い表すことができる。そしてイエスの血によって、大胆に父なる神の御前に出て、神に近づく(へブル10章19節、22節)。神に近づくとき、僕たちは失敗に気づかされ、自分の力ではみじめに失敗することを知り、イエスの恵みに頼るようになる(ローマ7:24-25)。自分とほかの人たちと比べるのではなく、聖なるイエスと比べるとき、聖霊の助けによって自分が罪を犯したことに気づくはずである。

No.3920 2008/03/03(Mon) 12:58:25

Re: ?Tヨハネ1章 / 亜衣瑠 引用

緒論、ハンドブックも合わせ読む。背景にある異端、あるいは異端的教えへの警戒、警告の意味は現代に生きるわたしたちに直結する戒めである。それは?Uペテロでも感じていた。
きょう、この手紙を読むことの意味に感謝して読んでいきます。まことにみことばは、読むその時その時に必要な力を与えてくださいます。神のギフトです。感謝します。

聖書のそれぞれの書の冒頭はそれぞれに印象的で それがどこから来たのか、やはり人間だけによるのではないと感じさせられるものですが、このヨハネの手紙 第一も1節から3節まで独特の内容と言い回し(表現)であると思います。特定の個人的五感による証言に始まって、五感を得た時から時を超越した証人たちの意味と目的、それを伝えた者、伝えられた者とのただ一点交わりどころである御父と御子イエス・キリスト。ヨハネの福音書の冒頭の霊の強さは余りに独特だが、(何かしら書かれたものであのように強烈なものは他にないのではないか)この手紙の冒頭も続けて読んで、何かしら不思議な思いのするものです。それにしても1節の生身の体験の表現は何とも言いようのないものです。そして3節「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」とはっきり書いてある。それに尽きるということです。

4節でいう 全き喜びは 5節が根拠と言えるでしょう。
「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」
すばらしい、そして完璧な神の表現なのだろうと思います。この一行を聞いただけで ああ、だからわたしたちはあなたを信頼することができます、光であられる神、暗いところが少しもない方、その方の導きに誤りはないと信じます。

6節 さあ、警告です。言っていることと行なっていることとが矛盾しているなら、それは偽の信仰者ということです。覚悟のいのちを生きているでしょうか。

7節 イザヤ2:5(「来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。」)が参照箇所になっているが、すぐ浮かぶエペソも印象的なみことばのひとつである。「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」
もし光の中を歩んでいないなら、足を一歩どこに踏み出すかさえ分かりません。どうぞ照らしてください。わたしたちは 踏み出す一歩が常に光の射す道に踏み出す選択をし続けて歩んでいけますように。光である方のところに常にわが身を置く選択をして生きますように。光であられるあなたの後をそのままくっついてゆく選択をして生きてゆきますように。

8−10節 参照箇所ヨブ15:14「人がどうして、きよくありえようか。」ロマ3章「義人はいない・・・」を引き合いに出すまでもなく、わたしたちはいくら先祖を辿っても、ルーツに「聖」や「義」や「真理」はない。ましてこのわたし自身にあるわけがない。ですから、闇の中で生きていくことはできないことを知りました。どうか、きょう、聖められますように。どうか、きょう、あらたに決心することができますように。神のみことばが確かにわたしのうちにあるということを このわたし自身が現す者となっていきますように。
単にみことばを聞くだけ、読むだけ、理解するだけの者に陥ることのないように。みことばに聞き従い、成長し、父なる神さまとイエスさまとの交わりを常に持って、後に続けますように。

No.3924 2008/03/04(Tue) 14:33:59
申命記11章 / 沙耶香 引用

今日は申命記11章を読みます。

2節に
きょう、知りなさい。私が語るのは、あなたがたの子供達にではない。彼らはあなた方の神、主の訓練、主の偉大さ、その力強い御手、伸べられた腕、そのしるしとみわざを経験も、目撃もしなかった。
とあるが、これはどういう意味だろうか?彼らとは先祖のことだろうか?

4節に
また、エジプトの軍勢とその馬と戦車とに対してなさったことである。―彼らがあなたがたのあとを追ってきたとき、葦の海の水を彼らの上にあふれさせ、主はこれを滅ぼして、今日にいたっている。―
とあるが、これはどういう意味だろうか?葦の海の水のところに横の注が、出14・27,28、15・10、詩106・11とありますので、開いてみます。
出14・27,28・・・
モーセが手を海の上に差し伸べたとき、夜明け前に、海が元の状態に戻った。エジプト人は水が迫ってくるので逃げたが、主はエジプト人を生みの真ん中に投げ込まれた。
水はもとに戻り、あとを追って、海に入ったパロの全軍勢の戦車と騎兵をおおった。残されたものはひとりもいなかった。
脚注のところに葦の海は紅海のことで湿地帯で、イスラエル民族が出エジプトの際、奇跡的渡渉を行った場所と言われているそうだ。
でもやはりこの文節の意味はわからない・・・

6節に
また、ルベンの子エリアブの子であるダタンとアビラムに対してなさったことである。イスラエルのすべての人々の只中で、地はその口をあけ、彼らとその家族、その天幕、また彼らにつくすべての生き物を飲み込んだ。
とあるが、これはすごいなーーー。地震かな?

16節の
気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。
が印象に残りました。

18,19節の
あなたがたは、私のこのことばを心と魂に刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。
それをあなたがたの子供達に教えなさい。あなたがたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。
は、前に同じようなことを書いてあるところがあったような気がするなーと思って、脚注を見ると、6章6―9節とほぼ同じだと書いてあります。

27,28節の
もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、
もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたのしらなかったほかの神々に従っていくなら、のろいを与える。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章39―43節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると42,43節の
彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。
では、ふたりのうちどちらがよけいに、金貸しを愛するようになるでしょうか。」
シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
これは例え話で多分天国に入るときに今までの罪を悔い改めによって赦されたことを言っていると思うのだけれど、本当にイエス様による悔い改めの恵みは素晴らしいですよね。
日々罪を犯している私たち人間は毎日毎日悔い改めないといけないです。

No.3911 2008/02/29(Fri) 17:44:56

再申命記11章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記11章を読みます。

1節の
あなたはあなたの神、主を愛し、いつも、主の戒めと、おきてと、定めと、命令とを守りなさい。
が印象に残りました。

13,14,15節の
もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、
「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。
また、わたしは、あなたの家畜のため野に草を与えよう。あなたは食べて満ち足りよう。」
が印象に残りました。主に聞きしたがっているといろいろと満たされるのですね・・・

21節に
それは、主があなた方の先祖達に、与えると誓われた地で、あなたがたの日数と、あなたがたの子孫の日数が、天が地をおおう日数のように長くなる為である。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると天が地をおおう日数というのが、永遠にという意味らしい。あなた方とあなた方の子孫がみな永遠にいられるようにという意味かな?

22,23節の
もし、あなたがたが、私の命じるこのすべての命令を忠実に守り行い、あなた方の神、主を愛して、主のすべての道に歩み、主にすがるなら、
主はこれらの国々をことごとくあなたがたの前から追い払い、あなたがたは、自分達よりも大きくて強い国々を占領することができる。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章44―48節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、47,48節の
だから、わたしは言うのです。「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女は余計に愛したからです。しかし、少ししか赦されないものは、少ししか愛しません。」」
そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
罪深い人でも悔い改めたら赦されます。相当の罪を犯している人こそ悔い改めて天国に入れるという祝福を受けてもらいたいとイエス様は思っているはずです。

No.3913 2008/03/01(Sat) 18:16:53

Re: 申命記11章 / 大垣 引用

4章44節から26章19節のモーセの第2の説教は、約束の地を目前にして、40年間荒野をさまよったイスラエルの民にモーセが語っています。彼らの父の世代は40年間の間にほとんどの人々が死んでしまいました。しかし、彼らは子どものときに、出エジプトで主の奇蹟を経験しました。彼らの子どもたちの世代は、出エジプトの奇蹟を見たわけではありません。

4節にあるように、出エジプトのとき、イスラエルの民はモーセに率いられて分かれた海をわたり、彼らがわたった後、エジプトの軍勢をその馬と戦車は、民を追ってこようとしたが、海の水におぼれました。これは主の大きな奇蹟のわざでした。

モーセは、イスラエルの民に、彼らは主はこのような大きな奇蹟のわざを見たのだから、将来に、というのではなく、いま、主を信頼し、主の命じるすべての命令を守るように、と語っています。

キリスト者は、信仰によって罪から解放される、という奇蹟を経験したので、いま、主の命令に聞き従うようにしたいです。

No.3918 2008/03/03(Mon) 12:20:14

Re: 申命記11章 / 沙耶香 引用

うーん??何だかよく分からないというか難しいというか、なかなか私には理解不能です。

>>キリスト者は、信仰によって罪から解放される、という奇蹟を経験したので、いま、主の命令に聞き従うようにしたいです。

うん、これなら私も分かるし、本当に主の命令が一番確かだから・・・

No.3922 2008/03/03(Mon) 19:53:54
申命記12章16節まで / 沙耶香 引用

今日は申命記12章16節までを読みます。

最近は、私は体調精神状態が思わしくないので、ゆっくりペースなので、管理人さんに追い抜かれていますね・・・

8節に
あなたがたは、私たちがきょう、ここでしているようにしてはならない。おのおのが自分の正しいと見ることを何でもしている。
とあるが、これはどういう意味だろうか?と思って脚注を見ると、戦闘に明け暮れたモアブの地での混乱した礼拝のことを言っているらしい。なんだかよく分からないし、つかめない。

9節に
あなたがたがまだ、あなたの神、主のあなたに与えようとしておられる相続の安住地に行っていないからである。
とあるが、相続の安住地とは何ぞや?と思って、横の注を見ると、申命記4の21、ヨシュア11の23、申命記3の20、25の19
とあるので、開いてみます。
申命記4の21・・・
しかし、主は、あなたがたのことで私を怒り、私はヨルダンをわたれず、またあなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられるよい地にはいることができないと誓われた。
ヨシュア11の23・・・
こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てに従って、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。
申命記3の20・・・
主があなたがたと同じように、あなたがたの同族に安住の地を与え、彼らもまた、ヨルダンの向こうで、あなたがたの神、主が与えようとしておられる地を所有するようになったら、そのとき、あなたがたは、おのおのわたしが与えた自分の所有地にかえることができる。」
25の19・・・
あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしている地で、あなたの神、主が、周囲のすべての敵からあなたを解放して、休息を与えられるようになったときには、あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。これを忘れてはならない。
・・・うーん、代々続く相続の地のことかな?

12節に
あなたがたは、息子、娘、男奴隷、女奴隷とともに、あなたがたの神、主の前で喜び楽しみなさい。また、あなたがたの町囲みのうちにいるレビ人とも、そうしなさい。レビ人にはあなたがたにあるような相続地の割り当てがないからである。
とあるが、何でレビ人には相続地の割り当てがないのだろうか?とおもって脚注を見ると、イスラエル諸部族のうちに住みとあるから自分の家を持たなかったので、相続地の割り当てがないのかな?どうなのだろうか?

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章49、50、8章1―3節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、50節の
しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
うん、イエス様がおられるだけでは救われない。おられることに気づき、信仰を持つことで救われる。

No.3916 2008/03/02(Sun) 18:43:07

再申命記12章16節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度、申命記12章16節までを読みます。

2,3節に
あなたがたが所有する異邦の民が、その神々に仕えた場所は、高い山の上であっても、丘の上であっても、また青々と茂ったどの木の下であっても、それをことごとく必ず破壊しなければならない。
彼らの祭壇を壊し、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を火で焼き、彼らの神々の彫像を粉砕して、それらの名をその場所から消し去りなさい。
とあるが、これは偶像礼拝をやめろということが言いたいのだろうけれど、でもかなりすごいなーーー。祭壇を壊し、石の柱を打ち砕きって・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ8章4―8節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、8節の
また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」
イエスは、これらのことを話しながら、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と叫ばれた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様イエス様イエス様ただ一人あなたを見上げます。どうか私を救い出して欲しい。

No.3921 2008/03/03(Mon) 19:50:21
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