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クリスチャン・フェローシップ・オン・ザ・インターネットのコミュニティー掲示板
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?Uペテロ3章 / 大垣 引用

?Uペテロ3章。1−2節。信仰をいただいた僕たちは、神の信仰への導きの記憶を呼びさまし、旧約聖書にある預言者たちを通して神が語られたみことばと、使徒たちや使徒に近いキリスト者たちを通して語られる主のみことばを思い起こしたい。そのためには、教会に入り込んだにせ教師たちからの誘惑に対して心を奮い立たせる。

3-4節。神のみことばをあざける者たちは、自分たちの欲望と、自分の目に正しいことに従って生活し、キリストの再臨の約束をあざける。

5節。この節を創世記1章1-13節と比べると興味深い。この5節の「天」が創世記1:8で創造の第2日に造られ、天と名づけられた大空であり、この5節の「地」が創世記1:10で第3日に造られた地であるだろうと思う。そしてもし、創世記1章の創造の「一日」が神学的な象徴でなく、期間ならば、24時間の一日ではなく、「天は古い昔からあり」から分かるように、かなり長い期間を表わすことが分かる。海はへブル人の文化で悪の象徴であるそうなので、地が水から出て、水によって成ったということは、創世記1:9-10とあわせて、地と悪の関連を連想させる。

6節。ノアの洪水は主が起こされたので、悪の象徴である水さえ支配されている主の御力ということと、主が水によって、当時の世界をさばいて滅ぼされたということを思います。黙示6章1-8節の4頭の馬のさばきのことを連想します。

7節。今の天と地とは、みことばによって、火に焼かれるためにとっておかれている。へブル12:29の「私たちの神は焼き尽くす火です。」というみことばとあわせて考えるとき、キリストの再臨の後のさばきは、神が自らされる、ということとの関連を思います。

8節。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」キリスト者たちは、主の再臨を2千年近く待ち望んでいるが、これは、主にとっては2日のようである。僕たちは「終わりの時」(へブル1:2)に生きていることを忘れないようにしたい。

9節。主は、ひとりでも滅びることを望まず、忍耐深く、主を無視したり主をあざけったりする人間たちが悔い改めて、神に心を向けるようになるのを待っていてくさっている。

10-11節。しかし、主は必ず再臨される。その日に備えて、僕たちは聖い生き方ができるようになるように、心を変えていただいていく必要がある。

12-13節。時間的には、主の再臨がいつであるか、父なる神はすでに決めておられる。しかし、因果関係の意味では、僕たちは、より聖い生き方をすることで、主の日が来るのを早めることができる。僕たちは、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望みます。

14節。僕たちは、しみも傷もない者として、平安を持って御前に出られるように励みたい。

15-16節。主は多くの人々の回心と、信仰者たちの聖化を、忍耐を持って待っていてくださる。聖書の内容を曲解して、自分自身の滅びを招かないように、教会内のにせ教師に注意しつつ、真理の柱であり土台である(?Tテモテ3:15)信仰者全体としての教会の聖書解釈を土台として、聖書のみことばを読んでいきたい。

No.3917 2008/03/03(Mon) 12:04:56

Re: ?Uペテロ3章 / 亜衣瑠 引用

考えてみると、きのう2章の背教の預言や警告について読んだ意味は深く大きかった。ハンドブックの記述に 破壊的異端、有害な道、肉欲に歩むこと、背徳の僕などの言葉が、この世についてではなく、教会の指導者について言われていることに注意、とある。また、第一の手紙で、教会に、外部から来る迫害に耐えるようにと励ましたのに対し、この第二の手紙では、内部に起る腐敗に抗するようにと警告している、と。 ほんとうに、人の(わたしの)重大な問題は 常に内面、奥深いところにあって、だからだれもが人ではなく主に頼むほか術はない。それは、詩篇139に証しされるとおりであることを再確認する。
「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」
ハンドブックの著者は、キリストの福音が、教会の多くの面でその形式や教理のがらくたによって人の目から隠されている、としている。がらくたの信仰になりませんように。
2章、3章をとおして言われることは「備えはいいか?」ということです。「いつ来てもいいのか?」「あなたの準備は整っているか?」・・・・対し、「待ってください!!!」
それはおかしいはず、本来「来てください、主よ!」ではなかったか?まさに黙示の最後のとおりに。しかし、3章11節に自分を照らし合わせると、いや、まだわたしに用意がなされていません。いましばらく日を与えてください、と申し上げたい気持ちになる。それがきょうからならきょう整えられるよう願い出ます。

8節の「この一事を見落としてはなりません」は ガラテヤ6:7のみことばを思い起こさせます。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。」
そして、この世(今の天と地)は、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びの日まで保たれるようにされている(7節)という厳粛な神の意図。
どうか主の忍耐をいま一度願い出ます。

17節「よく気をつけ」の参照箇所?Tコリ10:12を読む。「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。」さらにその参照箇所ロマ11:20前後を読む。目に留まるのは、「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを」神のいつくしみの中にとどまること。その愛の峻厳のヨハネ15章を読む。

11節と最後の18節を特にきょうのわたしへのギフトとして受けます。
「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」
「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」

No.3919 2008/03/03(Mon) 12:57:32
?Uペテロ2章 / 大垣 引用

?Uペテロ2章。1節。イスラエルの中ににせ預言者が出たように、教会の中にも、自分たちを買い取ってくださった主を否定するにせ教師が現れるようになることをペテロは預言している。ユダの手紙4節では、この預言はすでに成就していると思う。

2節。教会の中で多くの人たちがにせ教師の好色にならい、そのために、真理の道がそしりを受けることになる。

3節。にせ教師たちは貪欲なので、ついてくるクリスチャンたちからお金をまきあげたりして、彼らを食い物にする。にせ教師たちは、いずれさばきを受けて滅ぼされる。

4-9節。主が、ロトをソドムから救い出されたように、敬虔な者たちを誘惑から救い出される。主が、ソドムとゴモラの町を破滅に定められたように、不義な者どもを、さばきの日まで懲罰に置かれる。

10節。汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちには、特に厳しい懲罰を受ける。彼らは御使いたちをそしる。

11節。御使いたちは、権威を侮る者たちよりも、勢いにも力にもまさっているが、主の御前に彼らをそしったりしない。

12節。あなどる者たちは、自分が知りもしないことをそしる。

13−16節。預言者バラムは不義の報酬を愛し、主の御心に反してイスラエルを呪いそうになった。主はろばの口を開いて、預言者が主に逆らうことをはばまれた。そのように、にせ教師たちは、正しい道を捨ててさまよっている。

17-19節。にせ教師たちは、肉欲と好色によって、他のクリスチャンたちを誘惑します。にせ教師たちは、肉欲や好色によって誘惑し、肉欲や好色を満たす自由を約束します。しかし、人は肉欲や好色に征服されれば、その征服者の奴隷となる。

20-23節。信仰によって主イエスを知ってから棄教するならば、結果は始めよりも悪い。へブル書10;26−31に似た意味の聖句があります。

No.3915 2008/03/02(Sun) 16:21:38
?Uペテロ1章 / 大垣 引用

?Uペテロ1章。1節。僕たちはペテロや他の使徒たちと同じ信仰を受けた。

2節。神と主イエスを個人的により深く知ることによって、恵みと平安がますます豊かにされる。

3節。主イエスの、神としての御力は、永遠のいのちと敬虔に関するすべてのことを僕たちに与える。聖霊を通して僕たちの中に入ってくださったイエスが罪の誘惑と戦われ、善い行いをされる。

4節。僕たちは、本来は滅びる者であったが、イエスの恵みにより、滅びを免れ、神のご性質にあずかるものに変えられる。ヨハネ15章1-10節にあるように、イエスはぶどうの木で、僕たちは枝です。木と枝は一体になる。

5-7節。僕たちは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えたい。信仰をいただいたとき、罪からはなれて徳を得たい。そして聖書を学んで知識を増したい。知識を持つと高ぶることが多いが、自制したい。試練があっても、神の愛と全知全能の力の知識を持っているのだから忍耐したい。そして敬虔に神に聞き従う生活をし、主にある兄弟姉妹を互いに相手を大切にしたい。そして神を深く愛するようになりたい。

8-10節。このように信仰の道を進んでいくものは、つまずかない。進んでいかないものは、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまった。

12-13節。人間はあまりに弱い存在なので、すぐに忘れてしまう。主にある兄弟姉妹は、互いに5-7節のことを思い起こさせたい。

16節。使徒たちは、キリストの威光の目撃者である。

17-18節。ペテロたちはキリストの変貌を山で目撃した。

19節。キリストの威光については、イザヤ書などの預言のみことばに、確証されている。

20-21節。聖書の預言は聖霊に動かされた人たちが、神からの言葉を語った。だから、人の私的解釈を施してはならない。教会は真理の柱また土台(?Tテモテ3:15)なので、自分の聖書の読みは、他の信仰者たちとつきあわせていかないといけない。

No.3912 2008/03/01(Sat) 13:29:12

Re: ?Uペテロ1章 / 亜衣瑠 引用

緒論でもハンドブックでも、この著者についてシモン・ペテロか否かという問題を取上げている。が、ここ今目の前にあるみことばを聞くとき、その議論について、少なくとも今のわたしには大きな問題ではない。 書かれてあること、聞くべきことをもらさず聞きたい。そして糧とし、そのように生きるように自分が変わるように、と願いつつ読みます。

1節 「わたしたちと同じ尊い信仰」 そう、わたしの信仰はペテロのいただいた信仰と同じ尊い信仰であることを忘れない。

4節 わたしたちが信仰によりいただいた全ては、「世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」 いまはまだ、もちろんその性質にはとんでもない距離があります。しかし、その距離が縮まり、やがては極めて接近し同質のものとなっていく、という道がすでに備えられています。感謝します。

5−7節 このものすごい(最強の)足し算!

9節 自分の以前の罪がきよめられていることを忘れてはなりません。

12‐15節 「私はいつもこれらのことを、あなたがたに思い起こさせようとするのです。」
「また、私の去った後に、あなたがたがいつでもこれらのことを思い起こせるよう、私は努めたいのです。」
このたましいの躍動がペテロにあったので、このみことばに触れることができて感謝します。思い起こさせてくださる神さまに感謝します。

16節「この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。」ペテロ・・・・ペテロが目にしたことのあまりの量と巨大さに目がくらむようです。

17節 神の実在は 腰を抜かすほどの驚きの瞬間であろうと想像しますが、それ以上に厳かさに満ちていることがすばらしいです。

20−21節 目撃者、証人である弟子ペテロを通して語られる神のご意志であろうと思います。「すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」 聖書が一体どういうものであるか、聖書の性質はどのようなものであるか、本質は何であるかを教えてくれる。神のみわざによる聖霊の偉大なるはたらき。はかり知れぬ神の御ちからを賛美します。

ハンドブックの4節についてのコメントに「この性質は、われわれの側では、最善の努力をして獲得しなければならない(5-11)」とある、まことにそうである、神さまは約束してくださった、その約束に応える者が神を愛し、神を信じる者なのだと思う。どうか、最善の努力を惜しみなくできる者としてください。

No.3914 2008/03/02(Sun) 16:20:22
申命記10章 / 沙耶香 引用

今日は申命記10章を読みます。

12,13節の
イスラエルよ。今、あなたの神、主が、貴方に求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、
あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。
が印象に残りました。

16節に
あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。
とありますが、心の包皮を切り捨てなさいとはどういう意味だろうか?と思って、脚注を見ると、心に割礼を受けなさいということだと書いてあります。神の御言葉を素直に受け入れるものになりなさいということだとも書いてあります。

22節に
あなたの先祖たちは70人でエジプトへ下ったが、今や、あなたの神、主は、あなたを空の星のように多くされた。
とあるが、空の星のように多くされたとはどういう意味だろうか?と思って横の注を見ると、申命記1章10節、28・62、創世記15・5,22・17とあるので、開いてみます。
申命記1・10・・・
あなた方の神、主が、あなたがたを増やされたので、見よ、あなたがたは、きょう、空の星のように多い。
この部分の脚注に、子孫繁栄のようなことが書いてあります。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章28―32節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、28節の
あなた方に言いますが、女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さいものでも、彼より優れています。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
キリスト者は高く評価されているのですね・・・私はクリスチャンになって初めて評価されて嬉しいです。

No.3909 2008/02/27(Wed) 20:07:05

再申命記10章 / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記10章を読みます。

3節に
そこで私はアカシヤ材の箱を一つ作り、前のような石の板を2枚切り取り、その2枚の板を手にして山に登っていった。
とあるが、前にもアカシヤ材というものがでてきたが、一体なんだっただろうか?と思って、横の注を見ると、出25・10,37・1とあるので、開いてみます。
出25・10・・・
アカシヤ材の箱を作らなければならない。長さは2キュビト半、幅は1キュビト半、高さは1キュビト半。
25章の5節の脚注に、説明があり、荒野で求められる最大の木のことだそうです。

10節に
私は最初のときのように、40日40夜、山にとどまった。主はそのときも、私の願いを聞き入れ、主はあなたを滅ぼすことを思いとどまられた。
とあるが、これはどういうことだろうか?と思って、脚注を見ると、9章18・25節の要約とあるので、戻ってみます。
9章18節・・・
そして私は前のように40日40夜、主の前にひれ伏して、パンも食べず、水も飲まなかった。あなた方が主の目の前に悪を行い、御怒りを引き起こした、その犯したすべての罪のためであり、
・・・それだけの悪を罪を犯したのですね・・・
25節・・・
それで、私は、その40日40夜、主の前にひれ伏していた。それは主があなたがたを根絶やしにすると言われたからである。
・・・罪を犯したから根絶やしにされないために、絶食したということかな?

17,18節の
あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、
みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。
が印象に残りました。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章33―38節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、37,38節の
すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持ってきて、
泣きながら、イエスの後ろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口付けして、香油を塗った。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
罪深い人でもイエス様と接触できて羨ましいです。私もイエス様に早く天で会いたいです。

No.3910 2008/02/28(Thu) 21:04:03
?Tペテロ5章 / 大垣 引用

?Tペテロ5章。1-4節。教会の長老たちへの勧め。強制されるのではなく、心を込めて、自分から進んで信者たちの模範となって、彼らを導くのが良い。そうすれば、長老たちは、永遠の栄光の冠を受ける。

5節。若い人たちは謙遜を身に着けて長老に従いたい。神はへりくだる者に恵みを与えられる。

6節。へりくだるとき、神の力強い御手の下にへりくだること。神にいただいたものを貶める自己卑下は、悪魔に頭を下げることになる。

7節。僕たちはちりから造られた。イエスと自分を比べるとき、自分がいかに愚かで罪深いか分かってみじめに思う。しかし、そのような僕たちを、宇宙を造られた全知全能の神が愛してくださり、宇宙全体からみてとるにたらないことについても、心配してくださる。神の愛は不思議だ。

8-9節。僕たちの敵は悪魔である。悪魔が、食い尽くすべきものを探して歩き回っている。罪の誘惑に負けるもの、信仰の薄いものを狙っている。身を慎み、目をさまして、悪魔にすきを見せないようにしたい。また、自分の罪を直視して、罪と戦って、悪魔に立ち向かいたい。

10節。神ご自身が、僕たちをしばらくの苦しみのあとで完全にし、不動の者に変えてくださる。

No.3906 2008/02/26(Tue) 12:22:44

Re: ?Tペテロ5章 / 亜衣瑠 引用

1節 ペテロは長老であった。また参照箇所よりヨハネもまた長老であった。そして、長老であるとともに、キリストの苦難の証人でもあった。参照箇所ルカ24:48を読み、イエスが直接言われた重みを思う。

2−5節の勧めがあり、その前提として最も大切とも言える勧めが6節で言われる。
「へりくだりなさい」「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。」
次にくるみことばは わたしたちに一様に美しい希望のときをお与えてくださる。
「神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるのです。」
時を決めるのは神である。すべての高低を決められるのも神である。そして、それが一番良い。

7節 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
Cast all your anxiety on him because he cares for you.
繰り返すみことばです。麗しい保証を信じます。そして感謝します。

8節 「身を慎み、目をさましていなさい。」 ある時だけ気をつけて目を見開いても遅い。
マタイ24章のとおり「人の子は、思いがけない時に来るのですから」マタイ24:42にも同様の「だから、目をさましていなさい」があって目に飛び込んできます。そのことを、みことばによって知らされていて知ったのに、目を覚ましていないで日々過ごしているのなら、ヤコブ4:17でいうところの「なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」に当たるのだと思います。
「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」 一体、どれほどの強靭な敵でありましょう。どれほどの知恵を操り、どれほどのエネルギーで撃ちかかってくるでしょう! わたしたちは常にその攻撃にさらされている。意識して覚悟していなくてはなりません。常に矢面に立たされているとの意識を。しかし、わたしたちの主はどういう方、神はどなたでしょうか、同時に思います。
「あなたがたは、世にあっては、患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)勝利する神です。
ハンドブックの著者はこう書くのです。「それ以後も、ネロ以上の残忍なより広範な迫害が多くあった。そして無数のキリスト者がありとあらゆる種類の責め苦を忍んだ。このことを考える時、取るに足りない困難に落着きをなくす自分を恥じるべきである。」と。
初めてこの文を読んだときも 嗚呼、と思った。読む度にそう思う。そして今回もまた、「このことを考える時、」と読み進み、 自分のかかえるものが、まったく取るに足りない、まことに取るに足りないことであり、そんな自分を恥じるべきだ、と述べるハーレイ氏の強い勧告は当然であると同意するほかありません。

9節 わたしたちが悪魔に立ち向かう方法は 堅く信仰に立つ、それ以外ありません。永遠で最大最高の主導権を持たれる神その方が 先頭に立たれます。

11節「どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」 アーメン。このみことばのとおりになりますように。ハレルヤ!

No.3908 2008/02/27(Wed) 10:13:47
申命記9章残り / 沙耶香 引用

今日は申命記9章残りを読みます。

14節に
わたしのするがままにさせよ。わたしは彼らを根絶やしにし、その名を天の下から消し去ろう。しかし、わたしはあなたを、彼らよりも強い、人数の多い国民としよう。」
とあるが、「根絶やし」という言葉がよく出てくるが、自分を根絶やしにしろと語られたような気がしてきてしまいます。イエス様はCENSOREDを禁じているので、そんなことは絶対にないのだが、精神状態よくないとそういう風なサタンの声が聞こえてきます。

16節に
私が見ると、見よ、あなたがたはあなたがたの神、主に罪を犯して、自分達のために鋳物の子牛を造り、主があなたがたに命じられた道から早くもそれてしまっていた。
とあるが、鋳物の子牛って何だろうか?と思って、脚注を見ると、牛は多産の象徴だったらしい。それを偶像にしていたのだろう。

29節に
しかし彼らは、あなたの所有の民です。貴方がその大いなる力と伸べられた腕とをもって連れ出された民です。」
とありますが、伸べられた腕ってどういう意味かな?と思って、今までにも出てきたような気がして、聖書検索すると、申命記の4章34節で出てきていて、そこの脚注を見ると、神の救いを示す慣用的な表現であることが書いています。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章18―22節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語り下さい。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、21節の
ちょうどそのころ、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
天のお父様神様イエス様、私は今歯と歯茎とはぶが痛いですがイエス様は癒し主救い主であられますので、いろんな人の病の癒しをされてこられました。どうか私の歯も癒してください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・

No.3900 2008/02/24(Sun) 18:04:34

Re: 申命記9章残り / 大垣 引用

16節は横の注に出32・19とあるように、出エジプト32:1−24にあるモーセが十戒を与えられたとき、イスラエルの民が子牛の偶像礼拝の罪を犯したときのことです。

No.3901 2008/02/24(Sun) 22:26:19

Re: 申命記9章残り / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記9章残りを読みます。

21節に
私はあなたが作った罪、その子牛を取って、火で焼き、打ち砕き、ちりになるまでよくすりつぶした。そして私は、そのちりを山から流れ下る川に投げ捨てた。
とありますが、ここまでするか?という感じですごいですね・・・

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章23―27節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、27節の
その人こそ、
「見よ、わたしは使いを貴方の前に遣わし、貴方の道を、貴方の前に備えさせよう。」と書かれているその人です。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様が生きる、人生の指針。イエス様の道を進むと間違いなし。

No.3907 2008/02/26(Tue) 18:22:36
?Tペテロ4章 / 大垣 引用

?Tペテロ4章。1節。キリストが肉体において苦しみを受けられたのだから、キリスト者は迫害や困難を予測して、苦しみに対して自分自身を武装しておきたい。

2節。どうか、僕たちが、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになりますように。

3節。キリスト者にとって、好色、情欲、酔酒、宴会騒ぎ、偶像礼拝などは、もう過ぎ去ったものです。もう十分です。

7-8節。さばきの時が近づいているので、心を整え身を慎みたい。何よりもまず、主にある兄弟姉妹と熱心に愛し合うことが大切。愛は多くの罪をおおうからです。

10-11節。それぞれが賜物を受けているので、自分の賜物の優位性を主張するのではなく、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いたい。そうすれば、信仰者全体としての教会がひとつのからだとして機能するようになり、主の栄光が現われる。

12-14節。キリスト者は試練にあったとき、訓練のために、キリストの苦しみにあずかる機会を与えられたことを思いたい。

18節。神を敬う義人は、行いではなく信仰によって義とされていて、この信仰義認に基づいて、かろうじて救われる。

No.3904 2008/02/25(Mon) 10:34:26

Re: ?Tペテロ4章 / 亜衣瑠 引用

1節 キリストを思いなさい、キリストを愛する人々よ。キリストを忘れないように、イエスの愛を受けた者として。「あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」とあるが、わたしたちの最強の武器は 愛 である。これに勝つものはいない。真理のみことばも、イエスのこころも、何でできているだろうか? 「たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通」す(ヘブル4:12)鋭さは何ゆえか?それは愛の力による。イエスの愛を忘れない。ですから

2節 「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。」 わたしが信仰をいただいたときはすでに人生の時計の午後11時55分になっていたという感覚があります。この世の5分を 信仰の旅路の霊的な時間にしていただいて、きょうまでこうして過ごしてくることができました。のこり、あと何分、何秒でしょうか。そう長くはありません。かなりの長いときを あなたを知らずに、あなたを無視して生きてきてしまいました。しかし、5年前に わたしをしっかりと捕らえてくださったことを感謝いたします。11時55分になるまで3節でペテロが指摘するとおりのことをしていたと思います。そしてやはり3節でペテロが言い放つように、「それは過ぎ去った時で、もう十分です。」

4節 キリストを知らなければ、「不思議に思う」のは当然かもしれません。

7節 「万物の終わりが近づきました。」この自覚を持って毎日を過ごすことを忘れないように。「ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」祈ることでわたしたちは生きます。

8節「愛は多くの罪をおおうからです。」参照箇所の箴言を読む。
「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう。」(箴言10:12)

10−11節 一信仰者として、一教会員として、単にひとりの人、被造物として、即実践するべき教え、行動指針です。「それぞれ」が神の被造物であることをまざまざと知らされます。そして賜物をいただいたからには感謝して喜びをもって受け、それを喜びをもって用いて与え主にさらに感謝し、それを使うことによって互いに仕え合えることの喜びを感じるとき、ますますあなたを思って愛するでしょう。そのときこのみことばは実現しています。「それは、すべてにのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。」

12−13節 チェーン式の緒論ではこの2節を主題としています。特色としても「キリストの苦難が強調されている」とあります。
「愛する者たち。」もうサタンが狙いをつけました。「あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を」試みは休むことなく、弱まることもなく、イエスの愛が注がれる者たちに襲いかかっています。当然のことです。「何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく」それだけ神が愛してやまないという証しです。(ロマ8:38,39)「むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。」今、わたしが、苦しみにあずかれるから喜べるか、というと、できるだけ苦しみはお与えにならないでください、とお願いしたいです。しかし、キリストの栄光が現れるとき、喜びおどる者となりたいとも願っています。今はペテロがこの書を書いた当時のような「火の試練」はないでしょう。しかし、「世」と逆転した幸福を見出したキリスト者には 喜びとともに試練の連続でもあります。「世」に調子を合わせることが かえって不調を招くようになるからです。ですから14節のみことばを願い出ます。神の御霊が いつもわたくしたちの上にとどまっていてくださいますように。

18−19節 「かろうじて」のことばが胸に迫ります。救われたのはまさにかろうじてなのでした。ほんとうに わたしたちができ得ることは、ただこのお方のみ真実の方、創造者である方にすべてを、自分のたましいをお任せすることだけなのです。ゆだねるということは 罪人には意外にも、いえ、がんじがらめの自分信仰のゆえ、最も難しいことなのです。(だから、ノアに永遠のあこがれを持つのです)しかし、そのような人の考え、悲観さえ無用です。わたしたちは祈り、願います。感謝して祈り願います。(ピリピ4:7)

No.3905 2008/02/25(Mon) 21:32:15
Iペテロ3章 / 大垣 引用

Iペテロ3章。1-2節。みことばに従わない夫であっても、妻は夫をなじる行いではなく、自分が夫と主に服従することで、夫にきよい生き方で神に従うことのあかしをすることができる。

3-4節。外面的な美しさよりも、心の中の隠れた人がらの美しさが神の御前に価値あるものです。男性も女性の外面的な美しさばかりに心を奪われず、女性の内面的な美しさを見るようにすることが、神に近づいていくことになる。

5-6節。夫のアブラハムを主と呼んで彼に従ったサラは神に望みを置いた敬虔な婦人だった。 へブル11章11節で、サラが信仰の模範とされているとおりである。だが、サラの信仰が完璧だったということではないことが、創世記18章9-15節で分かる。キリスト者は自分が完璧になろうとするより、完璧なキリストに自分の中でより大きくなって生きていただくようにすることが大切だと思う。

7節。夫は妻が女性であって、自分よりも弱い器であるが、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬することが大切である。

8−9節。主にある兄弟は兄弟愛によって、心を一つにし、悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えたい。

10-12節。詩篇34章12-16節からの印象的な引用。舌をよく制御して、悪を言わないこと、偽りを言わないことが大切であると思う。

14-17節。キリスト者が義のために苦しみながら、心の平安と喜びをいただいていれば、まわりの人々の中には、なぜキリスト者が希望を持ち続けるか、興味を持って尋ねる人たちが出てくることが多いと思います。聖書を学んで、自分の希望について弁明する用意をしておきたい。そのときには、議論に勝つためではなく、主の栄光を求めて、優しく、慎み恐れて、正しい良心を持って弁明したい。

18節。キリストは、正しい方なのに、悪い人々の身代わりになって死なれた。

19節。難解な聖句。文脈から、キリストは、ノアの時代に神に従わなかった霊たちのところに、彼らを神のみもとに導くために行かれた、ということだと思う。

20-21節。ノアの洪水のときに、わずか8人の人々が水を通って救われた。これは、新約の水のバプテスマをあらかじめ示した型だった。

No.3902 2008/02/24(Sun) 23:11:51

Re: Iペテロ3章 / 亜衣瑠 引用

1-6節 呼びかけられています。「たとい、みことばに従わない夫であっても」そうなんです。まだわたしの夫は主を受け入れていません。まだ知らないのです。「妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。」最も力あるものは ときによってはことばではなく「ふるまい」であることも多い。イエスさまもそうであったと思う。「無言のふるまい」がそれほどの力を持つ根拠は 2節「それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。」ことばによって導くのでなく、導く方に従った態度を示すこと。それが夫が本来の所有してくださる方の所有物となるための道筋なのである。
それで、具体的には妻であるわたしはどのような姿であるかというと、4節「むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」「柔和で穏やかな」からまたしてもいつもどおり連想する。「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)忘れないように、いつ何時も。神さまが どんなに忍耐して待っていてくださったか。どんなに許容し、寛容のこころでひたすら待っていてくださっていたか。

6節のこのことばが 今回読んで大変印象に残る。「どんなことをも恐れないで善を行なえば」 単にサラに倣う、ではなく「恐れないで善を行なえば」とあるところ。善を行なうのに恐れなどないはずである。神が共におられるのだから。

8-9節 「祝福を受け継ぐため」わたしたちは召された。そうであるなら、神のご性質にあずかるのだから、9節「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず」になるのだろう。マタイでのイエスさまの教えを思い浮かべます。(マタイ5:48)

11節 善を行なうのには、悪から遠ざかっていなければならない。悪との戦いは、イエスさまに拠り頼みます。12節「しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」主に従い、神に従う妻であるならば、12節「主の耳は彼らの祈りに傾けられる」このみことばを固く信じ、感謝して夫に従おうと思います。できるでしょうか・・・きっとできます。

15節 喜びの勧めが書いてあります。「むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」 その備えを日頃から整えられますように。

18節 忘れないようにペテロがここにあらためて示してくださいます。
「正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」

20節 従いの人、信仰の人、ノアよ。こぎ手のない箱舟を黙々と造ったあなたは従いの手本でもあります。

21節 わたしたちはあなたからの恵みによって、そしてバプテスマによって明らかに救われました。バプテスマによってわたしたちは「正しい良心の神への誓い」をしました。それはあなたがくださった祝福のときです。「御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられる」キリスト・イエスの 父なる神への従いによって、神が復活させてくださり、それにより、こうしてわたしたちは罪と死から解放されました。感謝します。きょうも感謝します。そして永遠にあなたを賛美します。ハレルヤ。

No.3903 2008/02/24(Sun) 23:13:04
申命記9章13節まで / 沙耶香 引用

今日は申命記9章13節までを読みます。

2節に
その民は大きくて背が高く、貴方の知っているアナク人である。あなたは聞いた。「誰がアナク人に立ち向かうことができようか。」
とあるが、何でこんなこと言っているのだろうか?と思って、脚注を見ると、
40年前、イスラエルが、恐れて、主の命令を実行できなかった原因(1・28)とあるので、申命記1章28節を開いてみます。

私たちはどこへ上っていくのか。私たちの身内の者達は、「その民は私たちよりも大きくて背が高い。町々は大きく城壁は高く天にそびえている。しかも、そこでアナク人を見た。」と言って、私たちの心をくじいた。」

アナク人って巨人だとみなに恐れられていたんだろうなーー。

5節に
貴方が彼らの地を所有することができるのは、貴方が正しいからではなく、また貴方の心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪い為に、あなたの神、主が、貴方の前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。また、主が貴方の先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たす為である。
とあるが、アブラハム、イサクになさった誓いとは一体何だろうか?と思って、横の注を見ると、創世記12・7、12・15、15・7、17・8、26・4、28・13とあるので、開いてみます。
12・7・・・
そのころ、主がアブラムに現れ、そして「貴方の子孫に、わたしはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。
12・15・・・
パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召しいれられた。
15・7・・・
また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルから貴方を連れ出した主である。」
17・8・・・
わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」
26・4・・・
そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、貴方の子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、貴方の子孫によって祝福される。
28・13・・・
そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは貴方が横たわっているこの地を、あなたと貴方の子孫とに与える。

うーん、子孫を祝福してカナンの地を与えることかな?と思うんだけれど・・・

6節に
知りなさい。あなたの神、主は、あなたが正しいということで、このよい地をあなたに与えて所有させられるのではない。あなたはうなじのこわい民であるからだ。
とあるが、うなじのこわい民って前に出てきたけれど、何だったかな?と思って、横の中を見ると、出32:9のところの脚注に説明があり、強情な民という意味みたいだ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章8―12節を読みます。
天のお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、9節の
これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群集のほうに向いて言われた。「あなた方に言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」
が気になるので、これをもう何度か読みます。
イエス様にこういう風に褒められたら本望ですね・・・

No.3893 2008/02/22(Fri) 17:59:41

Re: 申命記9章13節まで / 大垣 引用

5節の「誓い」は、沙耶香さんの書かれたアブラハム、イサク、ヤコブの子孫を祝福してカナンの地を与えるということが最も重要なことだと思います。さらに「地のすべての国々は、貴方の子孫によって祝福される。」というところも誓いの一部だと思います。

キリスト者は信仰によって、信仰の父アブラハムの子孫であり、祝福されて永遠の天国に「場所」(ヨハネ14:1−4)を約束されています。そして多くの人々がキリスト者によって祝福されます。

主のアブラハムへの誓いと、キリスト者への約束の対応をよく考えておくと、主の旧約聖書を通しての僕たちへのメッセージをより深く理解できると思います。

No.3896 2008/02/23(Sat) 09:56:44

再申命記9章13節まで / 沙耶香 引用

>>5節の「誓い」は、沙耶香さんの書かれたアブラハム、イサク、ヤコブの子孫を祝福してカナンの地を与えるということが最も重要なことだと思います。さらに「地のすべての国々は、貴方の子孫によって祝福される。」というところも誓いの一部だと思います。

じゃ地のすべての国々は、アブラハム・イサク・ヤコブによって祝福されるというのも約束なのかな?

ヨハネ14:1−4・・・
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
私の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
私の行く道はあなたがたも知っています。」

>>主のアブラハムへの誓いと、キリスト者への約束の対応をよく考えておくと、主の旧約聖書を通しての僕たちへのメッセージをより深く理解できると思います。

うーん・・・とするとキリスト者はかなり責任重大ですね・・・キリスト者はイエス様に選んでいただいているのだから・・・

No.3897 2008/02/23(Sat) 10:44:30

再申命記9章13節まで / 沙耶香 引用

今日はもう一度申命記9章13節までを読みます。

3節に
きょう、知りなさい。あなたの神、主ご自身が、焼き尽くす火として、貴方の前に進まれ、主が彼らを根絶やしにされる。主が貴方の前で彼らを征服される。あなたは、主が約束されたように、彼らをただちに追い払って滅ぼすのだ。
とありますが、いかに背が高く強いアナク人をも主の手にかかれば・・・ということかな?

5節の
貴方が彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しいからではなく、また貴方の心がまっすぐだからでもない。それは、これらの国々が悪い為に、あなたの神、主が貴方の前から彼らを追い出そうとしておられるのだ。
の部分が印象に残りました。一人間が正しいとか心がまっすぐだからというのは理由にならないということですよね・・・やっぱりイエス様の力ですよね・・・

12節に
そして主は私に仰せられた。「さあ、急いでここから下れ。あなたがエジプトから連れ出したあなたの民が、堕落してしまった。彼らはわたしが命じておいた道から早くもそれて、自分たちのために鋳物の像を造った。」
とあるが、鋳物の像って一体何だろうか?と思って、周辺を見渡すと、偶像のことみたいだ。

・・・癒しに通じる読み方・・・
今日はルカ7章13―17節を読みます。
天におられるお父様神様イエス様どうか今から読む聖書の聖句からイエス様の語られるべきお言葉をお語りください。イエス様の尊い御名によってお祈りいたします。アーメン・・・
何度か読んでいると、14,15節の、
そして近寄って棺に手をかけられると、担いでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われた。
すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。
が気になるので、これをもう何度か読みます。
死人を生き返らせることができるなんてすごい御技ですね・・・私も私の体を使っていろんな御業を現せるようになりたいなーー。

No.3898 2008/02/23(Sat) 18:13:29

Re: 申命記9章13節まで / 大垣 引用

>いかに背が高く強いアナク人をも主の手にかかれば・・・ということかな?

3節は、そういうことだと思います。

4−5節が印象的です。イスラエルの民が選ばれたのは、彼らが正しいからでも、心がまっすぐだからでもなかった。アブラハムの信仰のゆえに、彼の子孫が選ばれた。キリスト者たちが選ばれた理由も、やはり、彼らが正しかったり、心がまっすぐだったからではない。

No.3899 2008/02/23(Sat) 23:22:55
?Tペテロ2章 / 大垣 引用

?Tペテロ2章。?T-2節。僕たちが、信仰をいただいて、すべての悪意、ごまかしや偽善を捨てるとき、善い行いを始めるのではなく、まず、生まれたばかりの乳飲み子のように、みことばの乳を慕い求めると良い。そうして、自分の目に正しいと見えることを行うのではなく(士師記21章25節)。ルカ10;38−42でのマリヤのように、みことばを静かに聞けばよい。そうすれば、神が自分をどういう風に用いようとされているか、だんだん教えてくださる。

3節。僕たちはすでに主がいつくしみ深い方であることを味わっている。主の十字架によって、罪を赦されて、主の尊い血によって汚れをきよめていただいて、聖い父なる神に大胆に近づくことができる(へブル10:22)。

4-8節。主イエスは尊い礎石である。主に信頼する者は、決して失望させられることがない。僕たちはどのような困難にあっても、主の再臨の後の世界に望みを持っている。

9-10節。僕たちが選ばれて召されたのは、主イエスのすばらしいみわざを、僕たちが宣べ伝えるためである。

11-12節。この世の旅人であり寄留者である僕たちは、イエスの恵みによって肉の欲を遠ざけます。

どうか僕たちの中のイエスさまが、イエスさまの力によって、僕たちの罪の誘惑と戦い、勝ってくださいますように。

13-17節。僕たちは、主のゆえに、人の立てた制度に従いたい。主のゆえに、悪い制度に従わないということもあるだろうが、例外となるので、慎重に検討することが必要だと思う。

19-20節。罪を犯したために苦しみを受けるのは、何の誉れにもならないことだが、善を行っていて不当な苦しみを受け、それを耐え忍ぶことは、神に喜ばれることで、神が報いてくださる。ヨブは善を行っていて、何か特定の罪のためでない苦しみを受け、よくそれに耐え忍んで、大いに祝福された。

21-24節。キリストは罪を犯したことがないのに、十字架で苦しまれた。キリストの打ち傷ゆえに、僕たちはいやされた。

25節。僕たちはさまよっていたが、キリストのもとに帰った。

No.3894 2008/02/22(Fri) 21:27:57

Re: ?Tペテロ2章 / 亜衣瑠 引用

1−2節 「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求め」るためには、「すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨て」る必要があります。

3節に書かれるように「すでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっている」ので、その方のみことばに乳飲み子のように求めたくなるのに違いありません。

4−8節 「主のもとに来なさい」といつも呼ばれている。それは主ご自身から、また聖書にあるようにペテロを初めとする弟子たち、聖書の筆者たちが主の招きを伝えている。そして固く主に結ばれた兄弟姉妹たちがみことばを通して たゆまず招き呼んでいる。いしずえの石となるほどのものが、別の人々にとってはつまずき、妨げ、捨てた石となることの深い意味。

9−10節 神の所有物と自覚的になったわたしたちは 何のためにそのようなものとされたのか、目的があった。「それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」

11節 わたしたちは「旅人であり寄留者である」それはこの世でのほんの「まばたき」するほどの時間であろうか。「たましいに戦いをいどむ肉の欲」参照箇所を読む。
ロマ13:14「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」
ガラ5:16「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」

12節 最終的な祝福こそわたしたちが着くべきゴール

13−20節 ロマ13章を読むとこのペテロを、ここを読むとロマ書を思い起こします。代表選手とも言うべき二人のお弟子が、このことを大事にし重んじたということがわかります。神を恐れるがゆえの神の奴隷となって神に喜ばれる。神のみこころを行なうから。

21節 わたしたちへイエスのいざない。バプテスマの日にいただいたみことばのひとつです。

24節 わたしたちは 罪を犯したことのない唯一のお方、キリストが自分から負われた十字架によって罪から離れ、真のいのちに向きました。それによっていやされました。永遠のいやしをいただきました。それは次の25節で表されるとおりの実感、実体験でした。

25節「あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」

ただ、ただありがとうございます。感謝して受けます。

No.3895 2008/02/22(Fri) 21:45:55
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