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all 我が先人達は謙虚で、そしてなによりもひたむきだった。ただひたすらに天平の甍。 - SOBA - 2010/10/01(Fri) 15:52:38 [No.179]
Re: 我が先人達は謙虚で、そしてなによりもひたむきだった。孫文と梅屋庄吉 - miyakowasure - 2010/10/17(Sun) 01:00:02 [No.192]
北方領土:「露のシグナル見逃す」 東郷元欧州局長が分析 全文引用・毎日JP  - miyakowasure - 2010/11/04(Thu) 11:39:38 [No.198]
私の夢ですが。  - ぽっきー - 2011/08/21(Sun) 17:55:51 [No.240]


Re: 我が先人達は謙虚で、そしてなによりもひたむきだった。孫文と梅屋庄吉 (No.179 への返信) - miyakowasure


梅屋庄吉の考えは、「日本と中国は、お互いに言いたいことを自由に話し合えば分かり合える」というものであった。


孫文と梅屋庄吉



下記から引用させていただきました。

梅屋庄吉伝
http://liffey2.ld.infoseek.co.jp/rekishi/umeya/

     ↑
歴史のページ
http://liffey2.ld.infoseek.co.jp/rekishi/

     ↑
湘南エイト会のページ
http://liffey2.ld.infoseek.co.jp/


孫文(1866-1925)
国の革命家、政治家、中国国民党の創設者、指導者、中華民国
の創始者として国父と称された。

広東の農村の貧しい農家に生まれ、12歳の時にハワイの長兄
のもとへ行き、教会学校で西欧の近代教育を受けた。

その後洗礼を受け医学を学ぶ。この期間、後の革命運動に
つながる様々な人物と出会い、影響を受ける。

1892年、広州で医者として開業するが、社会変動の波の中、
救国の思いにかられ、ついに革命を決意する。

秘密結社を組織し、投獄、亡命をたびたび経験しながらも活動を続け、
総理にまで登りつめた。その後も数度の革命を起こし、
波瀾万丈の人生を送りながら近代中国の基礎を築き上げていった。


孫文(孫逸仙)と宋慶齢


中国近代革命の父孫文と宋家三姉妹の次女・宋慶齢は、
日活の創始者・梅田庄吉の支援を受け、この地で結婚した。

ちなみに宋嘉樹の三女は蒋介石夫人の宋美齢であり、
挙式の場所は孫文が寄寓していた梅屋庄吉邸(新宿区百人町2−23)
であった。
その時期は 1914年11月25日もしくは1915年10月とされて判然としない。

孫文はその当時、頭山満や犬養毅などに多くの政治的支援を受けていた。
現在この跡地は現在、スポーツ会館や学生の家及びJR大久保寮となっている。

*車田譲治「国父孫文と梅屋庄吉」六興出版に拠る

日比谷公園内「松本楼」

明治36年6月日比谷公園開設と同時にオープン。
当時の最ファッションの場でもあり高村光太郎の”千恵子抄”
にも1シーンとして登場しています。
また、大正デモクラシー以降は創始者梅屋庄吉が中国革命の父孫文
を援助したなど歴史があり、
ロビーには梅屋邸で宋慶齢が弾いていた国産第1号ピアノがあります。


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東条英機に抹殺された梅屋庄吉


「日活」の創設者・梅屋庄吉

長崎出身の貿易商であった梅屋庄吉(1868〜1934年)は、
中国革命をなし遂げた孫文の支援を行い、日中友好に生涯をささげた。

梅屋庄吉の考えは、「日本と中国は、お互いに言いたいことを自由に
話し合えば分かり合える」というものであった。

しかし、アジアの孤児を目指す当時の陸軍と意見が合わず、
陸軍の東条英機により、歴史上から抹殺された。

「からゆきさん」に習った写真技術で財をなす
長崎でコメ投機に失敗した梅屋庄吉は1893年(明治26年)、
コロンブス島に来た。日本人は「からゆきさん」のほかは、船乗り
などわずかな人々しかおらず、絶好の逃避行先だった。

南国情緒あふれる島で、のんびりと過ごしただろう。次第に元気を
取り戻し、中国や東南アジアの各地を転々とする。

その途中で、庄吉は「中村トメ子」にめぐり会い、シンガポールに住んだ。
「中村トメ子」は、「からゆきさん」の一人であったようだ。
「中村トメ子」は、上海に渡り英国人と暮らしている間に写真技術を習った。
それを庄吉に教えたと思われる。

庄吉は後に日本映画界の風雲児と呼ばれる。トメ子との出会いが、
写真を手がけるきっかけとなり、それが映画への出発点となった。

「君は兵を 我は財を」


孫文と梅屋庄吉が出会ったのは
1895年。孫文の恩師、
カントリー宣教師の引き合わせだった。
庄吉27歳。孫文29歳の時だったという。
相照館2階の1室で語り合った。

梅屋庄吉は、その後、写真から映画に転身、帰国して
「日活」の前身となる日本活動写真株式会社を創立する。
事業で得た巨額の利益は
革命のために投じた。
その総額は、現在の貨幣価値に直して「2兆円」ともいわれる。



・・・・・・---−−−★



> 我が先人達は謙虚で、そしてなによりもひたむきだった。ただひたすらに天平の甍。
>
> YouTube説明:
> 1980年作品 
> 原作:井上靖 
> 監督:熊井啓 
> 主演:中村嘉葎雄 田村高廣 大門正明 
> 【コメント】20年以上前に月曜ロードショーで放映されたものをVHSビデオにて録画­したものです。テープの劣化が酷いのでノイズが至るところで発生します。モノラル録画­の為、音質を上げて編集しております。CMは全てカットしてます。
>
> 天平の甍 1/15
> http://www.youtube.com/watch?v=e6MF_0PE5qM&feature=related
>
> 天平の甍 2/15
> http://www.youtube.com/watch?v=RFxfShuKVVs&feature=related
>
> 天平の甍 3/15
> http://www.youtube.com/watch?v=JrkXohA3b8M&feature=related
>
> 天平の甍 4/15
> http://www.youtube.com/watch?v=Lnhwh_vShoc&feature=related
>
> 天平の甍 5/15
> http://www.youtube.com/watch?v=cPPUaP0u190&feature=related
>
> 天平の甍 6/15
> http://www.youtube.com/watch?v=MhBs74_j1t4&feature=related
>
> 天平の甍 7/15
> http://www.youtube.com/watch?v=IJMlh6pKJAw&feature=related
>
> 天平の甍 8/15
> http://www.youtube.com/watch?v=fzVkr5wEols&feature=related
>
> 天平の甍 9/15
> http://www.youtube.com/watch?v=gei1OEFgp7Q&feature=related
>
> 天平の甍 10/15
> http://www.youtube.com/watch?v=ycM6g8HJORo&feature=related
>
> 天平の甍 11/15
> http://www.youtube.com/watch?v=e6dysAQO_CA&feature=related
>
> 天平の甍 12/15
> http://www.youtube.com/watch?v=9JQS6vsZZ44&feature=related
>
> 天平の甍 13/15
> http://www.youtube.com/watch?v=kQZkJ-R060A&feature=related
>
> 天平の甍 14/15
> http://www.youtube.com/watch?v=V0L57VdzwJg&feature=related
>
> 天平の甍 15/15
> http://www.youtube.com/watch?v=NVM0Gh-dT7E&feature=related
>
>
> 「私は対米従属派と断固戦う!」 衆議院議員・国民新党代表 亀井静香 『月刊日本』 9月号
> http://www.asyura2.com/10/senkyo92/msg/907.html
> 投稿者 明るい憂国の士 日時 2010 年 8 月 23 日 23:02:17: qr553ZDJ.dzsc
>
> (略)
>
>  日本人は日清・日露の勝利から愚かになった
>
> ─── なぜ日本人は愚かになってしまったのか。
> 亀井 これは一朝一夕の問題ではない。今から100年以上前、日清・日露戦争に勝ったあたりから、国家としても、国民としてもおかしくなり始めたのだ。
>  それまで、日本は朝鮮半島、中国大陸から文明を享受する側だった。もちろん、大陸との間には文化的交流だけではなく、覇権争い、属国化への抵抗という外交的緊張もあった。だが、我々は大陸を侮るということはなかった。だが、日清・日露、そして韓国併合を経て、われわれ日本人は中国人をチャンコロ、韓国人をチョン、ロシア人を露助と公然と侮蔑するようになった。人間として、謙譲の美徳を失い、傲岸不遜になってしまった。自意識が肥大化し、自分たちはアジアの一員だということを忘れ、西洋列強の一員と自らを認識し、西洋帝国主義の真似をし始めた。
>  政治的にはこの国家としてのひずみは太平洋戦争での敗戦という形で訪れた。この敗戦の衝撃で、日本人は魂まで抜かれてしまった。GHQの占領政策の老獪さを指摘する論もあるが、私は、この敗戦を日本人として再生する契機として捉えることをできなかった我々そのものに、根本的な原因はあると考える。GHQによって我々が洗脳されたというよりも、日清・日露以来の騎り高ぶりの倣慢な心がそのまま続いていたのだ。それが、バブル経済、小泉改革による弱者切捨ての新自由主義の跳梁跋扈をもたらしたのだ。
>  戦前の日本の政策について、過酷な世界政治・経済状況下にあって、日本としてはやむをえないことだったとする論もある。なるほど、当時の政治指導者たちにとって、それらは苦渋の決断であったかもしれない。しかし、それは政策への弁護になりうることはあっても、日本国民の質的劣化への弁護にはまったくならない。
>  小泉改革とは、まさに第二の敗戦だった。金融の力で敗戦したのではない。我々日本人の心が根絶やしにされてしまったのだ。日本人の心とは何か。家族を大事にし、お互いに助け合うという精神ではないか。今、それがどこにあるか。111歳の方がすでに30年以上前に亡くなっていながら、その間、年金を受領していたという問題が発覚し、次々に同様の事例が指摘されてきている。自分の親を埋葬し弔うことよりも、黙って年金を受け取るほうが「経済効率がいい」と考えるような畜生道に日本人は堕ちてしまったことの象徴ではないか。
>  大相撲の世界でも問題が起きているし、畏れ多くも皇室にまつわる報道でも色々なことが取りざたされている。これらを一つ一つの現象として個別的に考えるのではなく、日本という国家、日本人という国民そのものが、何かおかしくなってしまったのではないか、取り返しがつかないほど魂が腐ってしまったことの表象として現れてきたのではないかと考えなければならない。
>
> (略)


[No.192] 2010/10/17(Sun) 01:00:02

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