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ジャックが笑う6 (No.26 への返信) - アズミ

 黒の騎士が疾走する。
 大剣が石畳を削りながら走り、掬い上げるような斬撃がジャックに襲いかかった。
 純戦闘用の自動人形の膂力で斬られれば、人体など大根より容易く両断される。

「ふむ」

 ジャックはバックステップで僅かに距離を取った。斬撃の風圧が前髪を揺らすほどの、余裕のない回避。
 夜の風を受けて滑空する白が、右側から肉薄する。メスを投擲して迎撃しようとしたジャックが、僅かに呻いた。

「もらった!」

 再び襲いかかる最大出力の荷電粒子の死神を、コンマ1秒早く身を落としたジャックがかわす。

「危ない、危ない。聊か今のはヒヤリとしたよ。
 今のが最後かな?」

「チッ」

 ジャックの指摘の通り、聊か無理をして最大出力を捻りだしたため、荷電粒子砲は今ので最後だ。
 だが全く無効に終わったわけでもない。今の一撃で、ジャックの外套に大きく欠損ができた。
 階差機関は一部でも崩壊すれば最早用を為さない。奴の魔法の大半は封じた。
 さらに。

「サヤ、『右側』だ!」

 先刻の一撃に、背後から見ていた知己はジャックの致命的な隙を見抜いた。
 右手の反応が鈍い。

「了解です、兄さん」

 サヤはその一言だけで察したか、黒を再び走らせる。
 ジャックの顔から余裕の笑みが消えた。

(気付かれたか)

 先刻、大我に切断されかかった腕は『癒着』でくっつけたものの、逃走しながらの乱暴な処置だったため完調とは言い難いのだ。
 白兵戦を挑まれた場合、これは致命打になりうる。

「――――!」

 幾条もの白刃が夜闇を引き裂く。
 袈裟がけに襲いかかった大剣をメスで受け流し、そのまま捻じ込むように黒の懐に飛び込んだジャックがその甲冑の如き躯体の間隙を狙って刃を閃かせれば、大剣を手放した鋼の腕がメスを弾き飛ばす。
 ジャックが残った右のメスで鋭い三連撃を放ちながら、片手を外套の下に引っ込めた。

――来る。

 必殺のトリガーを引いたのは同時だった。

「『切断』!」

 ジャックの左手が、電光石火の早業で魔法を黒の肩口に叩きこむ。
 『切断』。工業用、医療用として最もポピュラーな術式だ。効果は読んで字のごとく。分子結合を解除することで、如何なる構造体をも両断する。
 そう、如何なる構造体をも、だ。ポピュラーであるからといって、力不足な術式では決してない。熟練の近接戦闘技能と併用すれば、容赦なく必殺の威力を発揮する。

 黒の左腕が、肩から切断された。

「黒ッ!」

 操作するサヤが叫ぶが、当の自動人形は自我無き故の愚直さで構わずジャックの胸板に蹴りを入れた。

「がァッ……!?」

 180cmを越える長身が空を舞い、ビルヂングの壁面に叩きつけられる。
 自動人形の膂力で、充分な溜めのある蹴りである。肋骨の2、3本で済めば御の字だ。
 戦闘に堪える身体では、ない。

「終わりだ、『切り裂きジャック』」

 知己が言うと、ジャックは笑った。
 幾分力を失っていたが、依然として邪気のない笑顔だった。

「酷いなァ、殺されるかと思ったよ」

「殺しはしない。聞くことがあるからな」

 知己はサヤに黒を回収させ、ウィンストンを治療するように指示した。官憲を死なせると後が面倒だ。
 脇に控える白。荷電粒子砲抜きではさしたる戦闘力は無いが、それでも半死人を見張る程度なら十二分だ。

「何故こんなことを?」

「何故?
 ……まだ、思い出せないのかい?」

「正気で言っているのか、と聞いているんだ」

 問い返すジャックに、知己は苦虫を噛み潰すような表情で応じた。
 思い出せている。一度解けてしまえば記憶操作の後遺症など微々たるものだ。
 この男は、かつて知己に語った。


――僕は愛する人形を完成させるために、人間の部品を利用する。


「禁忌人形に、生殖能力を持たせる?
 そんなこと、出来るはずがない。狂気の沙汰だ」

「狂気。はは、それを君が言うかね」

「言葉には気をつけろ」

 知己が低い声で警告する。生殺与奪を握られた状況で、なおこの態度のジャックに、彼はうすら寒い物を感じていた。

「『出来る』とも」

「なに?」

「君は間違いなく天才だが、3年前から足踏みしている君と違って、僕はこの3年間も弛まず研究を続けてきた。禁忌人形というものを、専門にだ」

 知己は眉をひそめた。
 3年。
 あのおぞましい研究を、3年も。弛まず?……なんて馬鹿げた勤勉さか。
 だが、出来る?出来る、だと?

「そもそも試したこともあるまい、君も。この帝都の人形師、誰一人として。
 出来ないと決めつけているだけだ。誰もが。誰もが、だ」

 ジャックは笑った。
 初めて、知己を、他の人形師全てを嘲るように笑った。

「なるほど、僕は狂人だ。
 だが狂人だから辿りつける領域というものが確かにあるのさ。
 僕には出来る。
 禁忌人形に子を孕ませることも。
 君の幼馴染を取り戻すことも、だ」

「――ッ!?」

 視界が真っ赤に染まった。
 知己は我知らず、ジャックの頭、その僅か10cmほど右の壁面に渾身の蹴りを叩きこんだ。

「マスター!?」

 白が叫んだが、一顧だにせずに知己はジャックを締めあげた。

「――……今、何と言った」

「取り戻せる、と言ったんだ。君の幼馴染を。
 取り返せる、と言ったんだ。君が最大の過ちと思っている、あの時間を」

「嘘を――」

「言う理由があるかね?今の僕に」

「そ……ん、な……」

 知己は狼狽した。
 目の前の狂人をどうすればいいのか、様々な考えが激流のように脳髄を駆け巡った。
 それを世迷言と否定して、殴り殺せばいいのか。

 それとも。

 それとも……。

「受け取りたまえ」

 知己の迷いに答えをくれてやるように、ジャックが懐から手帳を放った。
 思わずジャックから手を放し、それを受け取ってしまう。

「3年前の約束だ。
 君からいただいた資料は得難いものだったからね。
 今、その分を返そう」

 ジャックは懐からメスを出し、軽く振るった。
 石畳に切れ込みが走り、ジャックの周囲1mほどの地面が陥没していく。

「――僕は、君とは仲良くできると思っているんだよ」

 ジャックは笑った。
 相変わらず、邪気のない。
 それこそ、10年来の親友に向けるような屈託ない笑みだった。

 制止する白を尻目に、切り裂きジャックは地下水道の闇に消えた。





 禁忌人形は、『人間を部品として人形を作り上げる技術』あるいはその結実物である。
 つまり、綾を生かさんとした知己の間違いは禁忌人形という技術を選んだそのことにある、とジャックの研究メモは指摘していた。

 その技術の禁忌か否かではなく、そも目指す用途が異なるのだ、と。
 人形作りは構成する手順や事物が同じでも、その目標……『意味』を違えれば、異なる結果を生みだしてしまう。それが純然たる蒸気機械と自動人形の決定的な差だ。
 人形を作れば、人形が出来る。
 仮令、その部品が人間そのものであっても、その思考機関が完全なる保存の行われた脳髄であったとしても。
 それが人形義肢ではなく、禁忌人形である限り。
 完成するのは、人形だ。人形になってしまう。

 だから、今あそこにいる彼女は、人形の『サヤ』なのだ。人間の『綾』ではなく。魂が変質し、変質した魂は人間の精神と記憶を拒絶してしまった。


 それが、知己の間違いだとするならば。それを正す手段は?

 ……簡単だ。
 知己は『保存』したのだから。
 彼女は『死んでなどいない』のだから。
 依然、『彼女たるべき構造物』はそこにあるのだから。

 邪魔物を除けば、それでいい。

「馬鹿な……!」

 知己は激昂した。


「サヤを壊せ、だと……!?」


 ジャックが、どこかで笑った気がした。


[No.27] 2011/04/24(Sun) 22:45:31

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