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all 湖底市の非日常 - アズミ - 2011/08/02(Tue) 23:21:42 [No.483]
湖底市の非日常・2 - アズミ - 2011/08/06(Sat) 01:07:36 [No.490]
日常の裏側・1 - りん - 2011/08/07(Sun) 02:15:48 [No.492]
非日常の使者 - ジョニー - 2013/02/02(Sat) 01:29:19 [No.504]


湖底市の非日常 - アズミ

 弱い雨が降っていた。

「……なぁ、考え直さないか。睦月の」

 かつて退魔師だった男は、腰を落としたままそう問うた。
 年の頃は40前。経験と肉体、双方揃って一人前となる退魔師としては、脂の乗った時期だ。使う術理が土地を対象にした広域型の呪詛でなければ、あるいは今も第一線で活躍できただろう。
 国家に認められた退魔師として。

「あの悪法さえ無ければ……お前だって」

 退魔師は、相対する男を指し示す。

「お前だって、まだ退魔師でやっていけたはずだ」

 睦月と呼ばれた男は、フンと鼻を鳴らして腰に下げたウィスキーボトルを手にし、煽った。
 仮にも戦闘態勢にある相手に対し、余りに無防備な所作であった――が、退魔師は動けない。

『グルルルルゥ……』

 退魔師と睦月の間に、灰色熊ほどもある山犬が一頭、立ち塞がっていた。
 丸太のように太い肢の先についた爪は、ナイフさながらに長く鋭い。大きな牙を備えた顎に至っては、一噛みで退魔師の胡瓜のように両断できるであろうことは想像に難くなかった。
 退魔師は体術にも一般人の足元にも及ばぬだけの心得があったが、相手が常識外の猛獣ではあまりにも分が悪い。加えて、頼りとする呪詛は、ことこの山犬という妖怪に限っては全く当てにならない。
 ……有体に言って、退魔師は詰んでいた。

「興味ないな」

 そして唯一の望みである説得も、ここに失敗が確定する。

「五体が満足なんだ。お前こそ他に幾らでも生業の道はあっただろう。……と、こんなヤクザな商売に堕ちた俺が言っても説得力はなかろうが」

 酒気を帯びた息を吐きだし、睦月は鋭い視線を送ってくる。
 獲物を見定めた猟犬の眼差し。……現役の頃から全く衰えていない。これほどの眼を出来る術師が、野に下り私立探偵などに身を堕していることが、退魔師には許せなかった。

「お前が矛を収めるなら、この場は見逃してもいい。……もっとも、外の捕り方連中は見逃しちゃくれまいが」

 雨に濡れたビルディングがサイレンを照り返し、二人の姿を赤く染める。彼らのいる廃材置き場を、十重二十重に囲む警官隊のざわめきが、蟲の羽音のように耳朶をざわつかせた。

「どうする」

 睦月は短く問うた。
 退魔師は一つ息を吐き、そして肩を落とした。

「どうせ此処までならば、介錯は睦月のお前に頼みたい。……同じ呪詛師の最高峰として名を轟かせた、『務憑』の一人に」

 睦月が眼を細めて退魔師を見る。
 その侮蔑と憐憫の入り混じった視線に、退魔師は謝罪を送った。

「すまんな。私は小器用には生きられなんだ」

 手放したウィスキーボトルが紐に釣られて腰元に落ちる。
 それを合図にしたように、山犬が地を蹴った。


「――莫迦野郎め」


 山犬の一撃で刈り取られた意識の末尾に、退魔師は忌々しげな睦月の悪態を聞いた。





「『呪い屋』っ!貴様、また現場に首を突っ込みおって!」

 退魔師を咥えた山犬を伴って廃材置き場を出た睦月を出迎えたのは、聞き慣れた桐代刑事の怒鳴り声であった。……全く、雨も降っているというのに、傘もささずに現場まで出張ってきた熱意にはほとほと頭が下がる。

「また違法な退魔行為を行ったんじゃなかろうな?」

 肩を怒らせて寄ってくる桐代の向こうで、退魔師らしき連中がようやっと車で到着したのが見て取れた。国家に統御されるがゆえの身動きの取れなさはあるにせよ、あまりにも初動が遅い。退魔師の質も落ちたものだと、睦月は内心嘆息する。

「またも何も。いつも通り、『探偵の職務の範疇』で対応させていただいた」

 言って、山犬に退魔師を下させる。
 殺すどころか、傷一つつけてはいない。失神しているだけだ。……即ち、『襲われたので正当防衛で対処した』という言い訳が十二分に立つ範囲で済ませた。
 と、なればたとえ山犬が人を殺傷するのに十分な体躯を備えていたとしても、彼らを違法性に問うことはできなかった。ヘビー級ボクサーの拳は殺人的な威力を誇るが、彼らの拳が公共の福祉の下、拘束されることはあり得ないように。

「……フン、そうらしいな」

 桐代はすっかり湿気った咥え煙草を吐き捨てて、睦月にパトカーを示す。

「事情は聞かせてもらうからな」

「あぁ、いつも通りな。解っているさ。……駆路(クロ)」

 睦月が促すと、山犬は咥えた退魔師を手近な警官に渡し、その場で一度、トンボを切った。
 どろん、という一昔のフィクションの忍者のような音と煙を残して着地すると、そこに居たのは身の丈3mを超える怪物ではなく、140cmそこそこの黒髪の少女。

「戻っていてもいいぞ」

「いえ、お供します……十三夜様」

 小さな歩幅で小走りについてくる少女に、睦月はそれ以上何も言わず、パトカーに乗り込んだ。
 少女……クロが座席に身を滑りこませると、桐代の憤りを代弁するようにパトカーが乱暴な運転で発進する。

「これで元退魔師が起こす傷害致死事件は、今月入って9件目だ。……そんなに退魔師って連中は血の気が余ってるのか?」

「『殺し屋』の末路なんて、こんなもんだろう。世間の憐れみも、ベトナム帰りほどには戴けないしな?」

 杉代刑事の悪態に、睦月は酷く自虐的な皮肉で応えた。
 現場を走り去るパトカーを視線で見送る駆けつけた退魔師の一人が小さくついた悪態が、微かに彼の耳朶に届く。


「野良犬め……」


 睦月は口を歪め それこそ『犬のように』嗤った。


[No.483] 2011/08/02(Tue) 23:21:42

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