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   コテファテ再録3 - アズミ - 2011/05/24(Tue) 21:56:45 [No.352]
天幕模様U - 咲凪 - 2011/05/24(Tue) 21:57:20 [No.353]
天幕模様V - アズミ - 2011/05/24(Tue) 21:58:00 [No.354]
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その他大勢のためだけの - きうい - 2011/05/24(Tue) 22:07:00 [No.366]
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透る射界X - 咲凪 - 2011/05/24(Tue) 22:11:58 [No.368]
透る射界Y - アズミ - 2011/05/24(Tue) 22:13:42 [No.369]
執終の王T - アズミ - 2011/05/24(Tue) 22:14:30 [No.370]
抵抗と救難 - きうい - 2011/05/24(Tue) 22:15:10 [No.371]
執終の王U - アズミ - 2011/05/24(Tue) 22:15:51 [No.372]
宿命の帝王 - きうい - 2011/05/24(Tue) 22:16:32 [No.373]
執終の王V - 咲凪 - 2011/05/24(Tue) 22:17:10 [No.374]
執終の王W - アズミ - 2011/05/24(Tue) 22:17:53 [No.375]
暫時の会談 - きうい - 2011/05/24(Tue) 22:18:51 [No.376]
少女偽曲W - アズミ - 2011/05/24(Tue) 22:19:33 [No.377]
天幕模様X - ジョニー - 2011/05/24(Tue) 22:20:10 [No.378]
暗く蠢く - ジョニー - 2011/05/24(Tue) 22:20:36 [No.379]



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コテファテ再録3 (親記事) - アズミ

3スレ目。

[No.352] 2011/05/24(Tue) 21:56:45
天幕模様U (No.352への返信 / 1階層) - 咲凪

 舞子を病院へと送る救急車を見届けた後、マリナは康一等と合流して七貴邸へと戻っていた。
 道すがらマリナは康一の腕の損壊を見た。
 既に診断は済んでいる、止血と痛覚遮断の処置を施し、傷を隠すようにコートを羽織っている。

 対峙した狐耳のサーヴァントとそのマスターを倒さなかった事について、康一は何も言わなかった。
 否定も肯定も無い、ただ「そうか……」と呟いただけだ。
 彼自身の消耗が大きい為だとマリナは思ったが、今回の戦いでお互いに令呪を一つ使ってしまい、またサーヴァントの宝具の開示までしてしまっている。
 後悔は無い、だが損失も大きかった、康一が押し黙るのも無理は無い事だとマリナは思ったのだ。

 得たモノもある、マリナの英霊の真名とクラスはライダーである事が判明した事だ。
 彼は架空の英霊、聖書に次いで全世界で発行された物語の主人公だ。

 エル・キホーテ。
 より通りの良い名ではドン・キホーテと呼ばれているのが、彼だ。
 狂気に陥り、自らを騎士と思い込み、痩せたロバに跨って、農夫を従者として連れた、騎士道狂。

 しかしドン・キホーテは架空の存在だ、人の想念は架空さえ英霊にしてしまうのか、それとも今回の偽・聖杯による影響かはマリナにも判らない。
 だが、納得はあった、彼の召還をマリナは触媒をもちいずに行った為、呼び出される英霊は“彼女と最も似通った”英霊である筈なのだ。
 あぁ、と納得する思いがマリナにはある、架空の騎士は、虚実とは切り離せない自分にはピッタリだと、そう思ったのだ。

 ――と、すれば、あの深紅の夢の主もまた――。



「それで、私は手伝っても良いの?」

 七貴邸のリビングへと戻った康一にまずマリナは尋ねた。 
 無論、康一が負った損壊に関しての事だ。
 あの戦いの折、康一を診ていたマリナは英霊2名に先んじて彼自身から彼の身体の事を聞いていた。
 彼の身体を修繕する、という事は彼の持つ礼装を扱うという事に他ならず、魔術を秘匿せねばならない魔術師にとっては自らの手の内の開示に他ならない。
 マリナがこうして尋ねるのはそういう事だ、いかに同盟関係とはいえ、おいそれと手を触れて良いものでは無いのだ。

 彼の身体についての説明もそう、これは、彼の口から語られねばならない。
 負傷を負っていた英霊達の治療はマリナが滞りなく行ったのだが、傷が癒えてもランサーの顔が浮かないのは康一の為だ。

 ライダーは既に霊化して控えていたので、その場に居た2名の女性の視線が康一の顔へと注がれた。
 彼からの説明と、返答を待つ視線だった。


[No.353] 2011/05/24(Tue) 21:57:20
天幕模様V (No.353への返信 / 2階層) - アズミ

 治癒魔術というのはその必要性ゆえに研究は進んでいるものの、専門で扱う人間は少ない。
 魔術は他の意志が介在する人体には極めて通りが悪く、治癒魔術はその命題に真っ向から反する技術だからである。成果が上がりにくいのだ。
 マリナの魔術はそうした前提条件を踏まえれば、まず驚異的な精度と言っていい。また、同じく康一の身体も『治療しやすい』構造であったが、それにしたところで消失した腕をまるまる一本作りだすのは不可能である。
 ……そして、それで問題もない。

「……だからそんな面ぁすんなって」

 康一はげんなりと、治療……いや、『補修』を行おうとする彼を覗きこむランサーに言った。

「し、しかしっ……!」

 舞子を救急車に任せ、七貴邸に戻る途中、康一らはセーフハウスで『部品』を回収したのだが、その間ランサーは謝罪するやら戸惑うやら、まるで親とはぐれた子供――いや、飼い主とはぐれた犬?……のように狼狽しまくった。
 ……まぁ、その経歴を鑑みれば仕方のない反応ではあるのだが、あまりマリナたちに見くびられるような様は見せないで欲しいとは、思った。
 その隣にはマリナとライダーの姿がある。今後、緊急時のことを考えると彼らに自分の構造と治療法を知らせておくのは必要なことだと思ったからだ。
 マリナは礼装の秘匿についてしきりに気にしていたが――まぁ、それについては康一とて偉そうなことは言えない身分だし、そもそも元の製作者はとっくに亡くなっている。構いはしないだろう。

「ちゃんと治るから。そこで見てろ」

 昼間購入した組み立て式家具で構成した『メンテナンス台』に腰かけ、セーフハウスで回収したバイオリンケースほどの鞄を開く。
 中にあったのは……。

「それは――義手、か?」

「あぁ、そんじょそこらの義手よりよく動く」

 取り出して、まるで人間の腕そのものかのように精巧なそれを台に固定した。
 肩の先に来るようにすると、その径といい形状といい、康一本人の腕と判別がつかない。……いや、判別がつかないのではなく。

「そうか……今までの腕も」

「腕だけじゃないさ」

 縫合用の『糸』を出しながら、康一は肩をごきごきと鳴らした。戦闘でだいぶ疲労が蓄積している。他の部分も診た方がいいか。

「腕も、足も。頭も。見える部分は全部」

 二人のサーヴァントはぎょっとしたように康一を見る。ただ一人、前もって事情を説明されていたマリナだけは、少し居心地の悪い表情だった。

「俺の身体は、ギミックで出来てるんだ」

 



 畸形嚢腫、という症例がある。
 最も高分化な胚細胞性腫瘍であり――つまるところ、組みあがらなかった人間の出来損ないの部品が母体などに腫瘍として居残ってしまう病気だ。

 康一は、それだった。

 皮膚がなかった。骨がなかった。目がなく、歯がなく、消化器が全く存在しなかった。
 そのくせ人並の脳と循環器、生殖器などの一部の内臓はきっちりと備えていた。……それらに由来する22の魔術回路も。
 志摩の家は魔術回路の喪失による家の没落に危機感を抱いており、その対策を幾らか母体に施していたらしい。恐らくはこの稀有な症例もそれゆえと思われるが……まぁ、それは余談だ。

 結論から言えば、志摩の家は康一になるはずのモノを『標本』として扱うことにした。
 どうやら生まれ持った属性が特異なものであると解ったからだ。……でなければ、きっと単なる腫瘍として切って捨てられただろう。別段、おかしなことではない。畸形嚢腫は人間のパーツを含むが、人間ではない。

 だが、師はそうは思わなかったらしい。

 アトラス院に籍を置いていた師は医療方面にも造詣があったらしく、畸形嚢腫の摘出に立ち会い、そしてそのままそれを奪取して逃走した。
 『標本』が欲しかったわけではない。
 師は、その人間の出来損ないに、自らが組み上げた身体を与えた。あまつさえ、子のように愛し、育てた。……きっと、康一が強硬に求めなければ魔術に触れさせさえしなかっただろう。

 志摩康一は死んだ人間だ。
 何故ならば彼には何も無かった。
 ただ財産が無いのでは無く、彼には本当に何も無かったのだ。腕も、脚も、瞳や耳や舌ですら。
 何一つ持たずにこの世に産み落とされた彼には本来は名前すら持って居なかったのだ。

「だが、全てを――師が与えてくれた」

 語り終えた康一に、マリナが口を開いた。

「――まだ」

「ん?」

「まだ、アンタが聖杯を求める理由、聞いてなかったわ」

 マリナの表情には幾許かの同情があった。指摘すればムキになって否定するだろうが。
 マリナは、努めて無表情に問うた。

「アンタの望みは、身体を手に入れること?それとも――その、お師匠様を」

「……きっとそういう余計なことを考えさせちまうから、俺は今まで黙ってたのさ」

 自嘲するように、康一は言って、首を振った。

「――今の身体は気に言ってる。頼まれたって替えてやる気はない」

 この身体は、大切な人がくれたものだから。師が確かに愛してくれた証としてくれたものだから。
 ならば、この身体に不足などない。志摩康一の身体は、これ以外には在り得ない。

「師を取り戻すことは――まぁ、考えないではなかった。でも、ダメだ。……ダメだろう、そんなもの」

 聖杯にかける願いは、聖杯戦争という儀礼を通過する以上、須く人の死の上に成り立つ。

 その願いは、当然のように人の血に汚れている。

 それが悪いとは言わない。
 血に塗れずに生きていくことなど出来ないし、その覚悟出来ないなら魔術師などやるべきではない。
 だが。他者の、自分の大切なモノの死を、こちらの勝手で血に塗れさせていいのか?
 そうして帰ってきたモノを、自分は本当にあの師と同じに見れるのか?

「……そいつは、俺には無理だ」

 『糸』で継いだ左手を何度も握り、具合を確かめる。
 触覚正常、神経正常、タイムラグ許容範囲内。

「だから、俺の聖杯戦争は協会が寄越した、ただの仕事だ。
 ……だが、命がかかっている以上、手抜きや容赦をする気はない」

 康一の向ける視線に、マリナは思わず目を逸らした。
 彼の言葉は、マリナがあの消耗したサーヴァントを前に勝利ではなく友人を選んだことを責めているように彼女には聞こえた。

「……だから、後悔しないように戦え。そのままな」

「そのまま?」

 聞き咎めて、思わずマリナは鸚鵡返しをした。

「……怒ってないの?さっきのこと」

「何で怒らなくちゃならないんだよ」

 康一は呆れたような顔をした。

「お前は友達を見捨てて聖杯を得るのを良しとせず、結果として友達をちゃんと助けたんだろ?」

 なら、あの戦いは勝ちと思っていいじゃないか、と康一は言う。
 定めた目的を満たしたなら、その行動は無駄ではなかったのだと。

「俺たちは対等な同盟だ。お前に払えない代償を要求はしない。
 お前は、よくやったよ。俺も助かった。有難う」

 マリナは、その言葉にイラついた。我ながら不当な怒りだとは思ったが、偽らざる怒りだった。

 ……狡い。

 なんでこいつは、こうも悟ったようなことを言えるのだ。他者の功績を認め、己の過失を認められるのだ。
 たいして歳も違わないくせに。
 これじゃ、なんだか自分が子供のように見えるではないか。

「アンタって、狡いわ」

 マリナの短い言葉をどう取ったのか、康一はただ、苦笑を返すだけだった。


[No.354] 2011/05/24(Tue) 21:58:00
天幕模様W (No.354への返信 / 3階層) - アズミ

 コツコツと古めかしい時計が時を刻む。
 康一に与えられた部屋は本来、応接間に使われるべき場所のようだった。――つまり、魔術師が外的に成り得る相手を最初に通す部屋。
 もっとも、本来の用途には久しく使われていなかったと見えて、部屋の片隅には衣装ケースや本棚が強引に寄せられている。物置として使っていた部屋を強引に片付けたようだ。

「まぁ、眠れりゃ御の字だよな」

 改めてソファに身を沈める。
 時計に目をやれば、既に午前1時を回っていた。

「……二日目にして――酷い日だったなぁ」

 サーヴァントと2度も戦闘。うち一人は取り逃がし、令呪と宝具を使ってまで倒したもう一人は本当にサーヴァントだったかも疑わしい。
 まぁ、いい。『過失に囚われるな』だ、志摩康一。
 今は明日に向けて体力を――。

「……主」

「なんだ、ランサー?
 流石に眠い、手短に頼む」

 瞼も開かぬまま、康一が応じる。
 正直、疲労は限界だった。昼間はどうせ動きが制限されるし、行動は夕方からでいいかもしれない。

「重要なことです。先刻使用した宝具ですが」

「あぁ」

「……どうやら、不具合があるようです」

「――なんだと?」

 流石に聞き咎めた。上体を起こしてランサーを見る。
 主の傍らに控える騎士の表情は、深刻だった。

「魔力消費が本来より多く、威力が低下しています。
 今回は令呪とライダーの宝具の助けがあったため、本来と同程度の威力が出せましたが……」

 確かに先刻の一撃は申し分ない威力だった。城塞を一撃で破砕するほどの魔力の奔流――いわゆる、対城宝具という分類に当たる。
 しかしランサーの推測によれば、現在、彼女の槍の威力は対軍宝具――せいぜい歩兵1個大隊を飲み込む程度まで落ちているらしい。

「原因は解るか?」

「直接の原因は――解りかねます。召喚時に何か不具合があったのかも……」

「……まぁ、それは否定できんな」

 今回の聖杯戦争はあの黒いサーヴァントもそうだし、ライダーの記憶喪失、7クラスに当てはまらないサーヴァント……などなどイレギュラーには事欠かない。
 となれば、宝具が本来の威力を発揮できないぐらいの不具合で済んだのはむしろ幸運な部類かもしれない。

「……オーライ、いざとなったら令呪でなんとかしよう。……マリナ達にも明日、伝えておく」

「は。……それと、もうひとつ」

「まだあるのか……?」

 眉をひそめて問う康一に、ランサーは少し恐縮そうに言った。

「……宝具を使用した分の魔力を補充しておきたいのです」

「あぁ――なんだ、そんなことか。そうだな、どうすればいい?」

 サーヴァントにはその膨大な必要魔力を自己生産する機能が存在するが、それを駆動させるためのキーとなる魔力はマスターから供給されなければならない。
 本来の魔力供給は今も問題なくなされているが、宝具の使用で過剰に消費したため追加で補充しなければならないのだろう。
 手段は――まぁ、いろいろあるが。

「……手……」

「手?」

 ランサーは、おずおずと片手を差し出してきた。
 差し出したそれが初めてフォークダンスに臨む小学生もかくやというほど、尋常でなく震えている。

「手を、握っていて……いただけませんか」

「……そりゃ、構わんが」

 眼前の手を軽く握る。
 籠手と手袋を外した手は僅かにしっとりとしている。……師や姉の手に比べれば、固くて大きな手だと思った。

「このまま寝てればいいのか?」

「は、はい」

「……そのまま一晩中立ってちゃ辛いだろ。隣使えよ」

 直立不動でソファに寝そべった康一の手を握るランサーに苦笑して、隣にスペースを空ける。
 少々キツいが、まぁ床で寝るよりはマシなはずだ。

「は――では、失礼します……」

 すとん、と隣に座るランサーは酷く緊張した様子だった。
 ……こんなに異性に免疫のない英霊も珍しいのではないだろうか。英雄、色を好むという言葉さえあるというのに。

(あぁ――でもそういえば、聖杯に辿りついたパーシヴァルは童貞なんだったか?
 いや、でも、確か白鳥の騎士ローエングリンって息子が――……)

 混沌とした思考のまま、康一はついに疲労の限界を感じて意識を闇に落とした。

「――……おやすみなさいませ。
我が主(マスター)」

 最後に薄れゆく視界に見た従僕の表情は、微笑んでいた気がした。





 志摩康一が見る夢は、大方2つに分けられる。
 母の胎内にいた記憶。
 どういうわけだか漠然と己が誰にも愛されず、生まれることさえ許されぬことを悟った自分は、全てを怨んでいたように思う。

 死ね。父親が言った。
 出来損ないめ。人並にもなれぬ半端者め。死んでしまえ。死んで、そこを明け渡せ。

――嫌だ。

 諦めましょう、と母が言った。
 貴方は生まれてはいけなかった。私を恨んでもいい、父を憎んでもいい。
 けれど、死んで。今度こそ、ちゃんと人間として生まれてきて。
 
――やめろ。

 彼の領土に侵入してくる針や刃に抗った。

――死にたくない。

 何故、憎むのだ。まだ何もしていないのに。生まれてすらいないのに。善も悪も知らないのに、この身は悪と決められているのか。

 嫌だ。死にたくない。殺さないで。

 きっと、それは最も原始的な怨恨だった。生まれる前から存在を否定されたことに対するの、根源的な憎悪。
 きっと、だから見ることが出来たのだ。
 アレを。
 最早、記憶の礫砂に埋もれてしまったアレ。……いやそもそも、言葉として表せるほど理解もしていなかった概念。

 「」。

 そうだ。敢えて表現するなら、そんなモノ。
 もう思い出すことも少なくなった。この夢を見るときだけ、古傷のように心の奥から疼いて這い出てくる。

 もう一つの夢のせいだ。
 師と姉……家族との、人間的な生活。その思い出。
 あれほど抱いていた怨恨と嫉妬、憎悪と悪意は『志摩康一』として生まれ落ちてすぐにさっぱりと洗い流されてしまった。
 人並の愛情と引き換えに、根源的被害者の権利は失われた。
 いや、手放したのだ。忘れ去ろうとしたのだ。
 
 「」のことも。

 アレは、まだそこにあるのに。





 夢を、見た。
 母親の胎の中でも、家族との生活でもない。
 康一にしては珍しい、自分と縁もゆかりもない荒唐無稽な夢だった。

 石造りの壁と、豪奢な飾りで構成された、礼拝堂のような場所だった。
 昔、観光で訪れたノイシュバンシュタイン城を思い出す。……あぁ、そうか。ここは城の中か。

「――ガラハッド卿!」

 叫ぶ声に、我に帰る。
 視線を動かすと、礼拝堂に見覚えのある人影を見つけた。

(ランサー……?)

 ランサーと見知らぬ騎士が、天を見上げている。
 天井はやたらに高かったが、中空……本来なら十字架が掲げられているであろうそこに、何かあった。

 色も形も無い。
 そもそも何も無い、ようにも認識できるし、『何も無いがある』ようにも思える。光の球にも見えるし、闇が蟠っているようにも見える。『穴』という表現は妥当な気がしたが、情報量はまともに何かが在る空間よりも多い。

「下れ、パーシヴァル卿!」

「あれが――あんなものが、聖杯だと言うのか!?」

 宥める見知らぬ騎士に抑えられたまま、ランサーが叫んだ。
 『聖杯』?

(違うよ、ランサー。あれは「」だ)


 あ――

    れ――?


 あぁ、そうだ。


 あれは「」だ。

 ちょっと違う――いや、『遠い』気がするけれども。周囲の空間に比べれば余程アレに近い。
 あぁ、なんだ。見つけたのがアレじゃあしょうがない。持ち歩けるようなもんじゃないものな。

 そもそもあんなもの、求めるほうがどうかして――


 あ。時間切れだ。


   なんか今、

         ズレ――。



 ――――暗転。


[No.355] 2011/05/24(Tue) 21:58:43
悟睡の日T (No.355への返信 / 4階層) - アズミ

 健康な睡眠には適度な運動が良い。眠りが深くなるし、その分、朝の目覚めもさっぱりする。

(……って言っても)

 珍しくぱっちりと目覚めたその目で時計を確認し、マリナは大きく息を吐いた。
 午前10時半。今日から連休だからいいものの、いつもなら完全に寝坊だ。

「寝過ぎたわ……ライダー?」

「此処にいる」

 即座に実体化して応える、赤眼の騎士。マリナの部屋は文字通り足の踏み場もなく散らかっているため、立つ場所に難儀しているのが今ひとつ格好つかないが。

「康一はどうしてる?
 ……まさか、一人で探索に出たりしてないでしょうね」

「いや、彼も先ほど起きたところだ。昨晩は大仕事だったからな。今は確か――……」

 マリナの鼻腔を、美味しそうな匂いが刺激したのはその言葉と同時だった。

「……キッチンで朝食を作っていたぞ」





 康一が勝手に冷蔵庫を覗くと、中は惨憺たる有様だった。
 まず生鮮食品は全て期限切れ。冷凍庫は限りなく空に近く、野菜室に至ってはまさにバイオハザード。転がっていた御浸しのような物体が萎びたほうれん草だと気づいた時は眩暈がした。
 視線を巡らせれば、キッチンに並ぶ調味料はやたら種類が揃っているものの全て新品同然。恐らく第三者が買い揃えさせたものの使う機会が一度もなかったに違いない。『一度も』無さそうなあたりに、主の絶対に料理をしない、という強い意志めいたものさえ感じた。

「……仕方ない」

 使えそうなのは米と味噌、賞味期限がちょっと怪しいまぁ大丈夫だろう――油揚げ、乾燥ネギ。
 おかず――たんぱく源が欲しいところだが、この様子では肉も魚も期待は――あ、いや。冷凍の干物があった。

「これならなんとか形ぐらいにはなるか……」

 康一は深く溜息を吐くと、コンロを捻った。
 ――聖杯戦争の間ぐらい、家事からは解放されるものと信じていたのだが。





「へぇ……」

 マリナが珍しく、心から感嘆したように食卓の上を睥睨する。
 並ぶのはネギと油揚げの味噌汁に白飯、鯵の干物。
 ……あまりの侘しさに作った当人は泣きたくなってくるラインナップだが、マリナは満足そうに笑った。

「アンタ、料理できるんだ」

「家事が出来る、というんだこういうのは」

 康一は半眼で言った。
 実際、料理らしいことは一切していない。味噌汁は料理といえば料理かもしれないが、別段工夫は何もしていない。これを『料理』と表現するあたりに七貴マリナの普段の生活が窺い知れた。

「まったく、女だからたぁ言わないがな、家事ぐらいしたって罰は当たらないぞ」

 とは言ってみたものの、考えてみれば彼の師も姉も似たようなレベルではある。だからこそ康一が家事を覚えたわけで、そのことに思い当ると我知らず涙が頬を伝って味噌汁をしょっぱくした。

「こんな侘しい飯で満足するって、お前いったい普段から何食ってんだよ」

「それはー……コンビニのお弁当とか……外食とか。
 だいたい、偉そうなこと言うけど」

 マリナは箸で康一の傍らを示した。行儀が悪い。
 康一がそれに従って視線を隣に移すと、そこでは野獣もかくやというほどのがっつきぶりで食事を平らげるランサーの姿があった。

「な、なんでふか?」

 ――イギリスの料理はマズい、というのは一般論としてある。
 実際他国人が面食らうほど雑な料理がまかり通っていることは事実だし、英国人でさえ自虐的なジョークとしてよく自国の料理のマズさをネタにする。
 理由は、幾つか挙げられる。
 まず美食文化がさっぱり育たなかったというのが一つ。酷い時期には食事などという行為に労力を払うこと自体が下賤とされたこともある。
 また、主な調理法は加熱処理で、肉類は焼くだけなどということも少なくないのだが、この加熱が食材の元の味が消え去るほどにまで行われる。おかげで食材本来の旨みや食感は完膚なきまでに鏖殺される。
 あとは単純に、癖の強い食べ物が無知な他国人に手痛い洗礼を与える。
 かくてイギリス料理は、世界でも稀有な『自国民が貶す不味さ』を完成させたのである。
 ――……それが何時頃からなのかは、研究の待たれるところであるが。

「……ちゃんと飲み込んでから話せ」

 どうやら、彼女の時代もまた、『そう』であったらしい。

「あ、はい!失礼を」

 ごくん、と咀嚼した料理を一気に飲み込んだ。
 かの誉れの高き円卓の騎士だというのにまるで野性児……あぁ、そういえばパーシヴァルは15歳まで森の中で育ったのだったか。

「主のお料理、大変美味でした。キャメロットの宮廷でもここまでの料理はなかなか。……これが家庭で食べられるとは、いい時代になったのですね」

 大変満足そうにいうランサーに、康一はもう何も言えなかった。


[No.356] 2011/05/24(Tue) 21:59:21
悟睡の日U (No.356への返信 / 5階層) - 咲凪

「宝具の不具合、ですって?」
「あぁ、俺もランサーも、昨日実際使ってみて知った事だ」
「そう、……参ったわね、問題山積みね」

 康一の作った朝食を平らげた後(ランサーは3杯おかわりした)、マリナと康一はランサー、ライダーを交えて今日の行動の相談をしていた。
 まず最初に康一が切り出したのがランサーから告げられた宝具の不具合についてだった。

 マリナのライダーも令呪を用いて補ったとはいえ、記憶障害という不具合を抱えていたのだから、その心配には覚えがあった。
 どちらがマシ、とは言わないが……。

「判っていると思うけど、私達はお互い令呪を一回切ってしまってるわ」
「あぁ、これ以上おいそれと令呪を使う事は出来ない、使う時は本当に……いざとなったらだ」
「そうね、宝具の運用以上に重視される状況っていうのはゾッとするけど、賛成するわ」

 二人は互いに刻まれた令呪を見た。
 昨晩の戦闘で3度の使用回数のうち1度を使ってしまい、その刻印の一角が失われている。

「ランサーも、それでいいか?」
「はい、そもそも宝具はそう頻繁に撃てるというものではありませんし……」
「あれって対城宝具よね、1度の使用に対しての魔力消費量はばかに出来ない筈だもの――そういえばライダー」
「ん?」
「貴方はどうなの?、貴方だって使ったんでしょ、宝具」

 マリナは昨晩の戦いで垣間見た風車風景を思い出した。
 康一も、ランサーもまたライダーを見た。
 ライダーの宝具の恩恵があれば、ランサーの宝具もまた本来の威力で発揮できる筈だ、おのずと期待も沸いてくるが……。

「すまないが、此方もランサーと同じだ、そう頻繁に宝具を使う事は出来ない」
「まぁ、そうよね……」
「しょうがないさ、この問題はこっちで何とかする」

 そう言って、康一は朝食に使ったテーブルにそのまま湖庭市の地図を広げた。
 湖庭市に来た日に市民館で手に入れたもので、湖庭市都市部の情報が書かれている。
 その隣に住宅街の地図も広げて、台所に転がっていた(本当に転がっていた)ペットボトル飲料のキャップを二つ、地図の上の七貴邸の上に置いた。
 キャップの上には黒いマジックペンでそれぞれ“ランサー”、“ライダー”と書いてある。

「これが、俺とお前だ」
「えぇ」
「そしてこれが志摩空涯、セイバー陣営だ」

 志摩空涯、と口にした康一の表情に感情の揺らぎは見られなかった。
 セイバー陣営を示したボトルキャップを、康一は先日彼等と遭遇した場所――地図上に置く。

「昨日の黒いの、あれは?」
「順当に考えればセイバーだ、だがあれは……」
「えぇ、“違う”わね」
「残るはアーチャー、キャスター、バーサーカー、アサシンだが……」
「あの狐耳のサーヴントね」

 康一は“?”と書いたボトルキャップを、地図の上の、黒い英霊と闘った場所においた。

「見たままの判断だけど……」
「いいさ、聞くよ」
「キャスターかアサシン、と私は思ってるわ」
「そうだな……」

 バーサーカーでは、まず無いだろう。
 アーチャーだとすれば、あの間合いで戦闘をしていたのは疑問が残る、だからキャスターかアサシンだ。

「あの狐耳、飾りでなければ狐に関わる英霊なんだろうが……」
「……安倍晴明、は違うかなー、どう見たって女だったし」

 狐にまつわる英霊を考えて、マリナは“母が狐である”という伝説を持つ陰陽師の名を思い出した。
 だがあの時対峙した狐耳のサーヴァントは、どう見ても女だった。

「母親の葛葉姫という線もあるが……」

 口には出したものの、康一自身その線は薄そうだと思っている。
 マリナも同じだ、仮にランサーと同じように安倍晴明が実は女だった、という考えも浮かんだが、やはりランサーのケースが特殊なだけだと直ぐに考えを改める。

「やっぱり街に出るしか無いんじゃない?」

 現状遭遇したサーヴァントやそれ以外の何かの考察も大事だが、新しい情報を手に入れる必要性が増すばかりだった。
 使い魔を飛ばす事も考えたが、日中の内はあえて自ら外に出る事をマリナは提案した。
 なぜならば――。

「食料も買い足さないといけないし……」
「……申し訳ない」

 七貴邸の冷蔵庫は凄惨な有様だったが、それに決定的にトドメを刺したのがランサーだった。

 もう米も無い。

 もう、味噌も無い。

 ――ランサーは3度、おかわりをした――。


[No.357] 2011/05/24(Tue) 22:00:00
悟睡の日V (No.357への返信 / 6階層) - アズミ

 湖底市の中心部やや南寄りに聳え立つ高いビルが、一応ランドマークともなっている湖底市の市庁舎である。
 バブル期の高層建築にありがちな維持費を考えていない無闇に高く豪華な構造のせいで最上部は保守の面で難があり空室が多い。
 ……その屋上ともなれば、『誰からも眼の届く位置でありながら、誰にも見咎められることはない』。

「――天候は快晴。風も無し。
 絶好の狩り日和だな」

 そこに、アーチャーのサーヴァントは居た。
 簡素な革鎧の上に、獣の皮を纏った赤毛の偉丈夫である。
 短く髭を蓄えたその容貌には自信家な内面を窺わせる笑みが張り付いていたが、それを差し引いてさえ万人を惹きつけるような精悍な魅力があった。

「獲物はセイバー、ランサー、ライダー、アサシン、バーサーカー……より取り見取りだ」

 風に揺れる髭を撫ぜ付けながら、アーチャーは背後の主を見やった。

「どいつから行く、パトリツィア?」

 呼ばれて、パトリツィア=エフェメラは風に流されるその長い栗色の髪を忌々しげに掻き上げた。
 年の頃は20になるかならないか。インド系を思わせる褐色の肌の美女である。
 ただ、必要以上に引き締まった表情は、男に近寄りがたい雰囲気を彼女に付随していた。

「――……どういう心変わりだ、アーチャー。
 この三日間、令呪を使われでもしない限り動かないと宣言したくせに」

「狩りには準備がいるものだ。
 弓をよぉく引き絞るのと、同じようにな」

 弓を引く構えを見せて、赤毛のサーヴァントが不敵に笑った。
 この弓兵は逐一仕草が大仰で、伊達男的な演出めいている。そんなところが質実剛健を旨とする家柄に育ったパトリツィアにはどうにもソリが合わなかった。

「準備?」

「狩人の仕事は獲物を見定めることから始まる。
 獲物の習性、能力、そして弱点。のみならず地形や気候、タイミング。
 矢を番えるのはそれらを全て見極めてから、だ」

「……三騎士ともあろうものが、随分と慎重なのだな」

「俺は狩人なんだ、パトリツィア。君とは少しばかり拘りが違うのさ」

 いっそ臆病と謗るような調子で息を吐くパトリツィアに、アーチャーは苦笑して肩を竦めた。
 大英雄は堅物な相棒に自分のやり方は受けが悪いことを悟っていたし、堅い女を解きほぐすのは嫌いでもない。

「……お前なら、真正面から戦っても奴らを皆殺しに出来るだろう」

 否。真正面からでこそ、この半神半人は無双の強さを発揮する、と言った方が正しい。
 この世全ての獣を射殺すとまで言われた最優の狩人は、しかし生前から毒や酒、大きな意味では女などの絡め手には滅法弱かったのだ。
 だというのに、この伊達男は敢えて絡め手で挑みかからんとする。
 何事も正道、王道を以って良しとするパトリツィアには理解し難い思考回路だった。

「――それは、俺の誇りに反する」

 頭上の蒼空の如く笑う英霊に、マスターは結局、折れた。

「……いいだろう。
 確か、相性のいいのはランサーとライダーだったな。そちらから片付ける」

「ふん?君は好物は後に残す方かね、マスター」

「先に手強い相手を片づけてしまったら、後は消化試合じゃないか。
 そういう時こそ思わぬ油断が生まれるものだし――」

 女はにこりともしなかったが、その纏う空気が鋭いものに変わったのを、アーチャーは感じた。
 自分とよく似た気配。

 好き好んで血を浴び、死を撒く者の匂い、だ。


「――……何より、面白くない」


 一陣の風が吹いた。

 太陽が南中しようとする、午後11時半。
 眼下の湖底市は、平穏を保っていた。

 今は、まだ。


[No.358] 2011/05/24(Tue) 22:00:38
民の太陽と (No.358への返信 / 7階層) - きうい

 「キャスタアアアアァァァァ!!」
 「バーサーカアァ!」

 廃モールに二人の術師の声が響く。

 細身の英霊が燃え盛る玉を打ち出せば、バーサーカーのマスターが棒の先から出る水流で消しつくす。

 水蒸気が白く煙る中を、同じく白い髪の少女が走る。
 その手には、不釣り合いなほど巨大な段平。

 『キャスター』が巨大な火の玉を放つ。
 バーサーカーのマスターがひときわ大きな声で叫んだ。

 「跳べ!」

 次の瞬間、地を蹴ったバーサーカーの体を強烈な水流が空へと押し上げた。

 『キャスター』が空を見上げ、杖を掲げる。
 しかし。

 「いかん!」

 今度は『キャスター』のマスターが叫んだ。
 空涯に破られた天井から、眩いほどの光が振った。
 それは『キャスター』の為した技だったが、しかし、宙に居るバーサーカーに逆光という有利を与えてしまう。

 「その首を喪門に晒せ!暗君!」

 見ればバーサーカーの腕の太さは倍ほどにも膨れ上がっている。
 その野蛮な膂力を十二分に引き絞り、バーサーカーは、『キャスター』に向かって剣を振り下ろした。


――――

 時は、三十分ほど前。

 「悪いな、こんな時間で。」
 「問題は無い。昼には太陽が、夜には星が、それぞれわたしに味方してくれる。」

 小太りで背の低い男と、やせぎすの背の高い男が二人、並んで歩いていた。

 「あれだ。」

 小太りの男が、橋口圭司とバーサーカーの砦を指さす。
 使われていないはずの駐車場に、何台もの車が止まっているのが見えた。

 「あれが、まずは一つ目。」
 「うむ。」


――――

 「おのれ……!」

 怒りに燃える眼で、バーサーカーが『キャスター』を睨みつけた。

 『キャスター』は剣が届くすんでのところで、飛びのいていたのだ。

 「……。退くぞ『キャスター』。」

 『キャスター』のマスターの腕は、微かに光っていた。令呪を解放した証だ。

 「どうやら思った以上に相性が悪い。」
 「逃がすと思うかよ!」

 橋口が槍の穂先を向けるが、小太りのマスターが古びた紙を広げると、彼らの姿は掻き消えた。

 「……キャスターか。」

 橋口は三尖刀を地に着くと、未だ残る白い蒸気の中、ふうと息を吐いた。


[No.359] 2011/05/24(Tue) 22:01:20
悟睡の日W (No.359への返信 / 8階層) - ジョニー

「……うっ」

「げっ……」

 そう漏らしたのは果たして誰だったか。
 勇治達とマリナ達、共につい昨日戦場で会ったばかりの敵同士。それが日中の街中で遭遇してしまった。

「……そう警戒するな、と言っても無理だろうが日中からやり合う気はさらさらないぞ」

 勇治が今戦う気はないと言うが、そもそも左腕に帽子で狐耳を隠したアサシンが抱きつき、右手で希の手を握っている。なんというか妹を連れての彼女とコブ付きデート中といった有様では、そもそも戦えもしないだろう。

「ふ、ん。確かに此処じゃ秘匿に引っかかるな」

 そんな勇治を何処か呆れ混じりに眺めながら、それでも油断なく康一が同意する。
 傍に立つランサーも、そして買い物袋を提げたマリナもすぐにでも動けるようにしている。

「秘匿もあるがそれ以前だな。いや、それよりもお前達に効いて欲しいことがある」

「敵の言葉を聞く馬鹿がいるか?」

 そのもっともな言葉に思わず苦笑を浮かべるが、勇治達としては聞いてもらわないと困る。

「こっちのクラスを教える。もし、その内容が信用できると判断して協力してくれるなら真名も教える」

 真名を教える。その言葉に一同が息を飲む。
 マリナが、マスターのそんな信じられない言葉に対するアサシンの反応を窺うが、うぅぅっとデートの邪魔された所為で可愛く威嚇しているだけだった。少なくとも真名をバラすのは納得済みらしい。

「それに、話の内容は昨日の黒いセイバーにも関することだ」

 勇治のその一言に、ランサーが強く反応する。

「それは、一体どういうことですか」

「それは同意と取っていいか?」

「………話を聞くだけ聞いてやる」

 ランサーの様子に、それでいいなと康一がマリナに確認を取り小さく頷くのを確認して同意を示す。

「……此処じゃなんだ。そうだな、人目を気にしないで済むカラオケでも言って話そう」







「まず最初に名乗っておく。俺は天川勇治、こっちは妹の希だ。言っておくが俺達は魔術師じゃない」

 カラオケの個室の一室。
 そこに一行が各々座ると勇治が口を開く。

「魔術師じゃない?」

「あぁ、魔術回路はあるにはあるが混血の一族だ。まぁその辺は後回しだな、それと彼女はアサシンのサーヴァントだ」

 言われ、礼儀正しくに一礼をするアサシン。
 マスター殺しのサーヴァントクラスに、康一達の緊張感が高まる。

「そして私が大師父キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ製作のスペシャルな魔術礼装、カレイドステッキのルビーちゃんです!」

 ポンと希のポケットから飛び出す、円の中に星型がある羽の生えたリング状のアクセサリのような物体。
 あはー、などと笑うその物体に勇治は頭痛そうに額に手を当て、康一達はポカンとしている。

「とりあえず、このルビーちゃんがあの黒いセイバー、黒化英霊に関して説明しますよ」


[No.360] 2011/05/24(Tue) 22:02:05
悟睡の日X (No.360への返信 / 9階層) - アズミ

 勇治の説明を受けた康一とマリナは、無言だった。

「信用できないか?」

「それ以前の問題だと思うが、普通」

 相手を信じられるか、ではなく、話の内容そのものを信じられるかが既に怪しかった。嘘か真かではなく、妄想かそうでないかを見極めるのが既に難しいレベルの荒唐無稽さだ。

「宝石翁ゼルレッチ……ねぇ」

 現存する『魔法』使いの一人。
 第二魔法『平行世界の運営』の行使者。『魔道元帥ゼルレッチ』『宝石翁』『万華鏡(カレイドスコープ)』『宝石のゼルレッチ』……彼を持つ異名は数えたらキリがない。同時に死徒27祖第四位でもあるが、まぁこれは彼の場合、余談だろう。
 魔法使いにしては俗世に関わることが多いため、名前自体はよく聞く。……同時に、それは俗世にとって傍迷惑な存在であることを示唆する。平行世界を自在に移動できるような存在が引っ掻き廻す問題は、例外なくこの世界に留まり続ける未熟な魔術師には手に余るのだ。
 ……あぁ、そう意味ではまさしくこの件はかの宝石翁的な問題ではあるのかもしれないが。

「――……いや、いい。とりあえず信じたことにして話を進めよう」

 眉間を抑えて康一は言った。マリナは相変わらず胡散臭げな眼差しである。無理もない。

「黒化英霊、ね……」

 確かに脅威では、ある。
 どうやら主に冬木市の第五次聖杯戦争に参戦したサーヴァントを模しているようだが、かの英霊たちは聖杯戦争史上最強のサーヴァントと言われている。
 それがマスターの制御なしに動いているのだというのだから、確かにぞっとしない話だ。

「……月に話を通すべきじゃないかしら。監督役が黙ってられる状態じゃないと思うわ」

 マリナの意見は妥当なものだった。
 康一とマリナでは手に余りすぎる。聖杯戦争の進行自体に支障が生じかねないほどの問題だ。となれば、監督役に判断を仰ぐのは理に適っている。

「そうだな、まずはそうする。
 だが、解決の役には立たないだろうな」

「……まぁ、そうね」

 マリナは苦い顔で首肯する。
 当然だが、監督役は……冬木のような例外はさておけば……聖杯戦争の参加者ではない。。
 で、ある以上サーヴァントも連れておらず、サーヴァントを連れていない以上凄腕の魔術師だろうが代行者だろうが、黒化英霊相手を武力行使で排除するのはほぼ不可能だ。
 必然、その行動は聖杯戦争を一時停止し、マスターたちに協力を勧告して黒化英霊に対処させるのが限界であろう。
 だが、そこには何の拘束力もない。監督役はあくまで中立の立場から実力者が派遣されるだけで、サーヴァントシステムや聖杯そのものには全く関与していない。監督役の方針に反しても何のペナルティも与えられないのだ。

「聖杯戦争を停止すると言ったところで止めてやる義理はどこにもない。
 ……むしろイレギュラーに対処する甘っちょろいマヌケがいるなら、そこを背後から奇襲するぐらいが合理的な戦略だろうな」

「そんな、ひどいの!何の関係もない人たちが傷つくかもしれ――」

「神秘に触れられもしない一般人なぞいくら死んでも痛痒も感じないのが基本的な魔術師ってヤツなんだよ」

 憤る希に、康一はしれと言ってアイスコーヒーを啜った。ミルクも砂糖も入れていないそれは、ほろ苦い。
 マリナもそれに異論は挟まなかった。彼女は大概、魔術師にしては――そう、善良な人間だが……魔術師の実状は理解している。魔術師というのは皆、元より道を外れた学徒なのだ。

「それをさておいても、お前らの言ってることは間伸びしている」

 康一は息を吐いた。
 諭してやる義理もないが、魔術師が如何なる『人でなし』かも解っていない状態でこうも迂闊に接触を取り続ければ、遠くないうちに命は無い。言うだけは言ってやるべきだろう。

「聖杯戦争の参加者は皆、叶えたい望みがある。
 『その為なら街一つを焦土にしたって構わない』、そんな前提を呑んででも通す……願いだ」

 康一は手元のカップに満ちた、黒い液体から視線を外さない。
 混じりけのない黒は好きだった。何者にも染まらぬ色。不変の色彩。……これを見つめていると、思考を揺らがせずに済む。

「例えば、悪党に殺された親を取り戻したいと願う子供がいるとする。
 例えば、世界のためにその恵まれた才と高潔な心を全て捧げた人生で、なお犠牲になった大切な人を護りたいと願った英雄がいたとする。
 そんな彼らにお前たちは不利な条件を飲めと言っている。……その切なる願いを遠のかせろ、と言っている」

 康一は対峙する勇治たちが気圧されているのを感じ、あからさまに肩の力を抜いた。
 ……別に弾劾をしようというわけではないのだ。

「……まぁ、そういう例もあるだろうってことだ。実際的には、もっと同情できない理由が多いだろうさ。
 とはいえ、そんなわけで協力は期待しないこったな。基本的に」

 気を取り直すようにコーヒーを飲み干した康一に、マリナは問うた。

「……それで、結局どうするの?私たちは」

「あん?……そりゃ、俺は協力するよ。
 どう考えても仕事の一環だからな、これ」

 康一はあっさりとそう言った。あまりに話の流れに反した判断で、その場にいる全員――いや、ランサーとライダーは涼しい顔をしている……が、呆けたように康一を見た。

「規模が全然違うが、要するにあの『血管』どもと同じだ。放置すれば魔術の神秘が世に晒される恐れがある。
 なら、それは阻止しなくちゃいかんだろ、魔術協会的には」

 康一に願いは無い。聖杯戦争はただの仕事だ。……もう少し切実にするなら、この世界にとって必要な仕事だ。
 ならば答えは一つだ。

「ランサー。お前はそれでいいか?」

 だがランサーには願いがある。聖杯を主にもたらすという、彼女にとって人生を懸けた願いが。
 だが、騎士は満足そうに頷いてそれを受け入れた。

「無論です。
 我が願いは名誉の回復。その為に、どうして民の危急を見過ごすなどという不名誉ができましょう」

 その答えは、実のところある程度予測していた。
 この騎士の生真面目さはもはや疑うところが無いし、その素朴な精神には全く惑いがない。
 清らかなる愚か者(Parsifal)。あぁ、まさしくその名の通り。

「……だが、マリナ。お前はどうする?」

 気を引き締めて、康一は問うた。
 それは、確かめておかなければならなかった。同盟を維持するにせよ、解消するにせよ。

「俺の願いが無いのは話した通り。だが、お前の願いはまだ聞いていない。話せないならそれでもいいが、俺としてはお前の『協力しない』権利をないがしろにするわけにはいかん」

 願い、に話が及ぶとマリナは少し動揺した。
 少なくとも切実な願いだろうと、康一は推測していた。この少女は魔術師にしては善良すぎて、まっすぐすぎる。根源の渦を求めるとか、世界を変えるとか、そんな超俗的な理由で動いているようには思えない。

「余計な問題は、俺に任せてもいい。それが俺の仕事だから。
 ……お前は、願いに邁進する権利がある」

 その先で、ここにいる人間すべてを薙ぎ払ったとしても。
 康一の言外の意志を、きっとマリナは悟っていたに違いなかった。


[No.361] 2011/05/24(Tue) 22:03:08
悟睡の日Y (No.361への返信 / 10階層) - 咲凪

 マリナの表情にはハッキリと苦悩の色があった。
 その手に令呪を得てより、他の6人のマスターの願いを踏みにじってでも、自らの願いを叶えるという気概も傲慢さも、確かに覚悟した筈だった、それでもマリナは、苦悩せずにはいられない。

 ――いや、苦悩を演じずにはいられない。

 その苦悩は正真正銘の苦悩であると同時に、演技でもあった。
 マリナは苦悩し、苦悩を演じ、そして視線をライダーに向ける。

「ライダー、貴方は良いの?、貴方だって、聖杯が必要なんじゃないの?」
「……いや」

 あるいは、マリナは救いを求めたのかもしれなかった。
 だが彼女の英霊は、その求めを理解してなお――。

「いや、私は聖杯そのものに興味は無い」

 ライダーははっきりした口調で言い切った。
 マリナの迷いは判っていた、それほど切実な願いを抱えている事も察していた、そしてライダーは、彼女が同じくらいに何かを見捨てる事の出来ない人間である事を理解していた。
 だからこそ、自分の真実で答えるしかなかった。
 今のマリナは、きっとどの道を選んでも何らかの後悔に向き合わざるを得ないだろう、ならば――せめて自らの心を裏切らない選択をしてほしいとライダーは願ったのだ。

 だが、ライダーは知らなかったのだ。

「……そう」

 マリナに切なる願いはある、だが――。

「不本意だけど、協力しない訳にもいかないでしょう、アンタとの同盟は有益だって事は証明されちゃったんだし、私だってこの街は気に入っているんだもの」
「――本当に、良いんだな?」
「良いわよ、二言は無いわ」

 それは七貴マリナの願いでは無く、マリナ・エレノアールの願いだという事を、康一も、ライダーもまだ知らなかったのだ。



 善は急げという言葉もあるように、方針が決まったからには行動を躊躇する理由は無かった。
 教会の月の元へと赴き、事情を説明し聖杯戦争に参加している全マスターに状況を説明する――。

 協力的なマスターが居る事を期待した訳では無いが、幾許かの配慮だけは期待できた。
 良識ある魔術師ならば、魔術の神秘が露呈する事は避けるべき事態である為、直接的協力は無いにしてもせめて傍観だけしてくれればという、せめてもの希望的な考えだ。

「――……」
「……マリナ、本当に良かったのか?」

 本人が二言は無いと言ったにも関わらず――相変わらず感情が表情に出る彼女であったために、康一はわかりきった質問をもう一度する羽目になった。
 マリナは無理やり顔に笑みを作ったが、それがどれだけ白々しいか本人は気付いていないらしい。

「言ったでしょ、二言は無いわ」

 それに、聖杯を諦めた訳でもない、とマリナは続けた。
 カラオケ店を出て、薄暗い路地を抜ける。
 誰よりも早く反応したのは――やっぱり、表情の優れない彼女を気にしていた、彼女の英霊だった。

「――マリナ!!」
「えっ――」

 薄暗く、人気の無い路地が災いした。
 弾く事は到底間に合わず、赤い瞳の英霊に出来たのはその身を盾にする事だけだった。
 ばつん、という貫く音だけがマリナの耳に響く。

「―――ライダー!?」
「――狙撃、されてるだと!?」

 あらゆる獣を確実に仕留める矢が、赤い瞳の英霊の背を貫いていた。


[No.362] 2011/05/24(Tue) 22:04:00
透る射界T (No.362への返信 / 11階層) - アズミ

 逡巡は一瞬だった。
 康一が弾かれるように『糸』を振るい、防壁を編み上げる。

「遮蔽を取れーッ!」

 張り巡らされたエーテルの糸は、しかしまさしく障子紙を破くように千切れて飛んだ。
 無音の破壊が路地裏に降り注ぐ。
 秒間六発。機関砲に比べれば乏しい回数だが、一本一本がただの矢でありながらコンクリートだろうが鉄板だろうが容赦なく撃ち抜く破壊力を持つとあっては、何の慰めにもなるまい。
 それでも、一行が手近な路地に転がりこむ程度の時間はどうにか稼げた。

「……市庁舎の上か」

 矢の飛んでくる方向から当たりをつけたのだろう。勇治が刃に映る高いビルを見て呟く。

「マリナ、ライダーの傷は?」

「……ダメ、心臓が破壊されてるわ!」

 マリナの顔に焦りが見える。
 治癒魔術に関して時計台でも比類する者が少ないほどの使い手が、焦っている。康一は医療に関しては門外漢だが、それでもライダーの傷が危険なのはそれで察した。
 さしものサーヴァントとはいえ、心臓を破壊されれば命は無い。高い戦闘続行スキルを持つ彼が意識を失っていることからも、まず致命傷と見て間違いない。

「ライダーの傷は、こっちで何とかする。
 できるな、ランサー?」

「――……可能ですが。よろしいので?」

 康一の言葉に、ランサーは少しだけ逡巡して応じた。
 ランサーの宝具が『あの槍』ならば、死んでいない限りは治せない傷は無い。治癒は彼女の伝説の、本領とも言えるのだ。
 彼女が迷ったのは、それが利敵行為であるからに他ならない。彼女としては吝かではないものの、聖杯戦争に容赦をしないと宣言した主にとっては、宝具を使ってまで潜在的な敵に塩を送るのは間違いなく問題だった。

「あぁ、やってくれ」

 康一はしかし、断固たる決意を以ってそれを命じた。
 一方でランサーの危惧を悟ってはいたのか、勇治らに向き直る。

「悪いが、囮をやってくれ。無理そうならそのまま離脱してもいい」

「……それはこっちを試している、と受け取っていいんだな?」

 勇治は視線を表に向けたまま、そう言った。
 つまり、康一はこの場を任せられないような相手なら協力は無しにする、と言っている。

「そうだ。目的がどうあれ、足手纏いはいらないからな」

「道理だな……解った、回避しながら市庁舎の西側に回る。
 ライダーの傷が癒えたら……」

「俺たちは東に回って後背を突く」

 意を得た康一の言葉に、勇治は深く頷いた。
 依然、射手がこちらを狙っているのは間違いない。ただ、初撃以外なら対処は可能だと見積もった。ライダーの胸を射抜いた一撃だけは鋭さの格が違ったが、それ以降はせいぜい鬼種の正面打撃と同程度の威力。この距離にしては驚異的だが、逆に言えばこの距離を保てば受け流しは可能だ。
 あとは、宝具を使われないことを祈るしかない。

「希、行くぞ」

「りょーかいなのっ!」

 この危急に遭って妹は元気なものだが、一方で一番頼るべき彼のサーヴァントたるアサシンは尻尾を丸めて震えている。
 ……あぁ、そう言えば彼女の真名は。

「……アサシン、矢除けの呪いなんかは」

「あったら射殺されてなんかいませんよぅ……」

 そりゃあ、そうだ。あまり期待はしていなかったが、息を吐く。
 アーチャーというクラスそのものが彼女にとって恐ろしく相性が悪く、反撃に出ることは出来そうにない。囮に徹するより他にないか。

「アサシン、風で射線を遮れ。同時に反対側の路地まで走るぞ」

 距離は10m強。平時の勇治にとっては一足で斬りかかれる程度の間合いだが、今は果てしなく遠く感じられた。

「……やれ!」

「気密よ、集え!」

 巻き起こる強風が市庁舎と通りを遮ると同時に、勇治と希、アサシンは修羅の巷へ飛び出した。





「……遮蔽を取られたか。素早いな」

 アーチャーが番えた矢を話さぬまま、呟いた。
 その表情は平時からは想像もつかぬほど怜悧であったが、同時にどこかその語調は楽しげにも感じられる。

「戦果は?」

 彼のマスターはその背後に、超然と立っていた。
 手には西洋剣と思しき剣呑なオブジェを携えている。サーヴァントに近接戦はまずもって自殺行為だが、必要であればこの女はそれをやるであろうことを、アーチャーは知っていた。

「初撃はライダーの心臓に命中した」

「仕留めたのか?」

「我が『女神の御手(ベテルギウス)』は必殺必中。
 如何に英霊と言えど、心臓を破壊されれば生きてはいられん」

 誇るでもなく言うが、しかしアーチャーの神経は依然、標的に注がれたままだ。

「――しかし、連中の動きは気になる。サーヴァントが仕留められたにしては動揺が少ない。
 今移動を始めた連中も、逃げたというよりは囮であるように思う」

 その言葉に、パトリツィアの胸は躍った。
 はっきり言って、現状は彼女らの圧倒的有利だ。このまま一方的に嬲り殺すことだって出来ておかしくない。狙撃とは、そういう圧倒的優位の上に成立する。
 だが、そんな状況でありながら奴らは動揺一つせず冷静に対処し、あまつさえ反撃への布石を打ち始めたという。

「成程。要するに」

「あぁ、思ったより『やる』ようだ」

――素晴らしい。こうでなくては。
 パトリツィアは手にした剣で屋上の床を一つ叩くと、踵を返した。

「ここは任せる」

「何処へ?」

「見物は飽いた。囮の方をこちらで遮蔽からいぶり出す」

「……サーヴァントも一人いる。あまり無茶はしないでもらいたいのだがな、マスター」

「無論、一人で戦うほど私も『欲張り』ではない」

 振り向いて、パトリツィアは獰猛に笑った。
 アーチャーの攻撃範囲は半径500mと言ったところ。射線が通る限り、その範囲内は彼の『交戦圏内』なのだ。たとえ、彼本人が遠く離れた市庁舎の屋上だったとしても。

「貴様も楽しめ、アーチャー」

「――はっ」

 アーチャーもまた、笑みで返した。
 向かい合う主と従僕はその根本で決定的に相容れないくせに、浮かべる表情はこんなにも似ている。

「やはり、お前はいい女だよパトリツィア」

 よかろう、楽しむとしよう。
 夜空で過ごした数千年の退屈の果てにようやく得た、この狩りを。


[No.363] 2011/05/24(Tue) 22:05:00
透る射界U (No.363への返信 / 12階層) - ジョニー

「コンパクトフルオープン!
 鏡界回廊最大展開!

 カレイドルビー、プリズマメグミ推参、なの!」

 ルビーが、アクセサリのような携帯モードからステッキとしての姿に戻り、希を光と共に変身させる。
 その姿はピンクを基調とした、如何にも魔法少女というべきヒラヒラとした薄いドレスと白い襟と一体化した翼風のマントのような服装で、魔法少女のコスプレとしか言いようのない恥ずかしいものだった。

 一般人に見られると見られると不味いが、既に勇治も刀を手に持っているし、アサシンも戦闘用のサーヴァントとしての服装に変わっているのでさしたる差はないだろう。

「さて、どうだアサシン?」

「アーチャーに動きはないですね。でも、射線上に出ればまた撃ってきますよ、ご主人様」

 まぁそれは仕方ないと頷く。
 今はこうして隠れているせいで狙えないが、わざわざ有利な場所を捨てる必要は何処にもないだろう。

「なら、予定通りだな」

 一同は出来るだけで射線上に出ないように市庁舎の西側に回り込むように移動していく。

「ご主人様!」

 そこはアーチャーの射線上ではなかったが、アサシンが結界に気づき叫ぶ。
 咄嗟に勇治は隣にいた希の首根っこを掴んですぐ傍の角に転がり込む。同じようにアサシンも跳びん込んでくると、聞きなれない重低音が響く。

「銃声だと!?」

 敵はまず間違いなくアーチャーのマスターか、その協力者。
 まさか魔術師が銃火器を使うとは思っておらず勇治は驚きの声を上げる。
 今まで勇治が斃してきた外道な魔術師は近代火器を嫌悪しており使う事はなかった。だが、確かに銃器は便利な武器だ、聖杯戦争で使う奴がいても不思議ではない。

「まだまだ見積もりが甘かったか」

 だが、銃声から判断しておそらくはハンドガン。
 携帯性を重視したのだろうが、それならばまだ対処の使用はある。

「お兄ちゃん、私なら撃たれても平気なの」

「そうです。物理障壁をちょっと強めれば拳銃ぐらいどうってことありません!」

 カレイドルビーにはAランクの魔術障壁・物理保護・治癒促進・身体能力強化などなどが常にかかっている。このランクは現代魔術大系のもの故にサーヴァント相手では完璧とはいえないが、現代の魔術師相手ならそう簡単に障壁を抜かれる事はない。
 少なくとも近代火器ならば機銃やさもなくばバズーカ砲辺りを持ってこられでもしない限りは致命傷を負う可能性はまずないだろう。
 なにより、この距離での撃ち合いはカレイドルビーの十八番である。

「……わかった。なら、合図と同時に攻撃してくれ、その隙に俺が飛びこむ。アサシンは希のサポートだ」

 敵が人払い系の結界を張っているとはいえ、ルビーの魔力砲で封殺では威力がありすぎて隠蔽に困る。なにより、希にはまだ人を殺す覚悟が出来ていないだろう。
 もし希に敵魔術師を殺す覚悟があるのならゲイボルクを使うのが一番早く、そして確実なのだが、それは無理だろう。
 それに一度限定展開(インクルード)したカードは数時間は使えない。此処にいるのが敵マスターでないならマスターやアーチャーとの戦いにも備えなければならない現状でゲイボルクという手札は切れない。

「三、二、一っ!」

 合図と共に希が角から飛び出る。
 希に銃弾が撃ち込まれる。魔術で強化でもされているのか想定よりも威力が高いが、それでも障壁を抜けるほどではない。

「あの辺だね、中くらいの散弾なの!」

 ステッキの先に魔力が集まり、ステッキを振るうと共に散弾状の魔力砲が敵が隠れていると思わしき場所を襲う。
 魔力弾着弾の砂埃が舞うその場所に、勇治が右手に刀を左手に短刀を持って駆ける。

 砂埃を切り裂き燃える弾丸が轟音と共に希に飛来する。

「うにゃぁぁ!? 障壁強化なの!」

 魔術障壁、物理保護共に強化した希を飛来する弾丸が叩き続ける。

「いたたたたたたたっ!!?」

 おそらくはマシンガンによるものだろうそれは、一発一発は小石を投げ付けられるような希にとって威力だが、それでもこの数では痛みは馬鹿にならないし、衝撃もかなりのものになる。
 よって、それから逃げようとしてしまうのはまだ10歳の子供によっては当然のことだろうが、それが裏目に出た。

「って、そっちは駄目ですよ!」

 アーチャーの射線上に出てしまった希を慌てて抱きかかえ、アサシンが別の路地に飛び込む。
 間一髪、放たれた矢が誰もいない地面に突き刺さるが、アーチャーの狩り場を挟んで路地と路地で勇治と分断されてしまった。

「ご主人様!」

 既に路地の向こう、視界から外れてしまった勇治に向かってアサシンが叫ぶ。
 その返事とばかりに金属同士をぶつけ合ったような甲高い音が向こう側から響いて来た。







 砂埃が晴れたその場所に、勇治とパトリツィアがお互いに剣と刀をぶつけ鍔迫り合いをしていた。
 あの時、銃弾が希のみを対象としていた為に勇治はそのまま飛び込み、そこでマシンガンに短刀を突き刺した。
 そのまま右手の刀で切りかかろうとしてパトリツィアの剣にそれを受け止められた。

「アーチャーのマスター、か?」

 鍔迫り合いをしたたまま、あるいは触れ合えそうなまでに顔が近いパトリツィアにしかし険しい顔で勇治が問う。

「えぇ、そうですよ。アサシンのマスター」

「っ!」

 断定された一瞬の驚愕。
 その隙を突かれて、蹴りと喰らい勇治とパトリツィアの距離が離れる。
 銃撃を警戒した勇治は、しかしパトリツィアはその手に持った銃を手放し、剣を構えなおす。

「英国貴族、パトリツィア=エフェメラ…アーチャーのマスターだ」

 突然の名乗りに、勇治は眉をひそめる。

「そっちは名乗らないのか? アサシンのマスター」

 まるで試すよう、そのものいい。
 一般的な魔術師とはまるで違うと勇治が判断した。銃器を躊躇なく使う点、こうしてわざわざ自分から出てくる点、そしてこの名乗り。
 今まで自分が相手してきた魔術師と同じと判断すれば、それは致命傷になりえると感じた。

「……天川勇治、知っての通りアサシンのマスターだ」

 言いながら、左手の短刀を鞘に納め、不死殺しの刀を両手で構えなおす。
 名乗り返した勇治にパトリツィアはそうでなくてはと、笑みを浮かべた。


[No.364] 2011/05/24(Tue) 22:05:39
透る射界V (No.364への返信 / 13階層) - 咲凪

 致命傷を受けたライダーは、まさに風前の灯火だった。

 マリナの治癒魔術は精密かつ高度なものであったが、奇跡で付けられた傷を癒す事は出来ない。
 ましてや、奇跡で受けたその傷は――すなわち、アーチャーの宝具を受けたその傷は、治癒の速度を大きく上回る程の致命傷だった。

「――そんな顔をするな」
「ライダー!」

 その絶大な傷を負って、なお英霊の口から出たのはマリナの身を思う言葉だった。

「――なんたる無様、だがあの攻撃、おそらくはアーチャー……」
「良い、良いから!、喋ったら傷が!」
「――あぁ」

 狼狽するマスターに、ライダーは苦笑した。
 まったくマリナの言うとおりで、少し喋っただけで、彼の喉の奥から血の塊が溢れてきた。
 なんという無様――彼女というマスターに恵まれて、自分の手は、またも届かないらしい。
 ライダーの苦笑は自嘲から来るものであったし、怒りから来るものであった、無論それはアーチャーに対してではなく、自分自身に対しての。

 彼は英霊だが、何も救えない英霊だった。

 闘わなければならない、救わなければいけない状況に居た、
 救わなければならない、救おうと思い立ち上がり、そして闘った。
 しかし、その想いの悉くは届かなかったのだ。
 ただ一人の手も拾いあげる事が出来ず、彼は絶望しながら英霊になったのだ。
 聖杯戦争で召還されても、同じ事の繰り返しであったと、彼は自嘲したのだ。
 潔く散るのが華と思いつつも、諦める事は出来なかった。

 最後に見た主の表情が、あんなに不安を抱えた顔では、どうして散る事など出来様か。
 出来はしない、出来るはずが無い、今まで誰一人救えなかった、だからこそ、誰かを助けられる自分を得る為に聖杯戦争に馳せ参じたのだ、ならばどうして――この娘の不安を拭わない、拭えない。
 彼の存在を支えていたのは、あるいはその感情故だったのかもしれない、それは怒りに似ていたが、明確に悲しみの念であった、深い深紅の――悲しみの念だ。

 だがそれも限界、もはや風前の灯火も、消えようとしていた――。

「まだ貴公は散る運命では無い」
「ラン、サー……」

 その黒い鎧の槍兵が居なければ、確実にそうなっていたであろう。
 その手にはいつぞや見た槍が握られていた、あの黒い英霊を討ち滅ぼした槍だ、さすがに瀕死の己にそれを振るうとはライダーも思わなかったので、ランサーの意図が掴みかねた。
 マリナもだ、この場で対城宝具を出した事で抗議の視線を康一に向けた。

「どういうつもり?」
「言った筈だ、傷はこっちで何とかするってな」
「だって……!」

 マリナが見たあの宝具は、対城宝具……武器の筈だ、傷を癒せるはずが――――いや。
 確かにあの時聞いた、あの槍の真名を、ならば、だとすれば――――マリナは康一に向けていた視線を槍兵に戻し、そしてその手の槍の穂先へと差し向けた。
 ライダーの傷へと当てられた槍の穂先は、斬りつける為では無いのは勿論、逆にそれは――慈悲深く、温かい赦しの手のようであった。

「貴公はまだやるべき事がある筈だ、私に見栄を切ったのだから、その意地を通して貰う」

 ランサーの脳裏に、偽りのアーサー王と対峙した時のライダーの言葉が過ぎった。
 やるべき事が判っている筈だ、とそう言っていた、随分偉そうに言われたものだとランサーは思ったが――あえて、その言葉を自分も選んだ。

「やるべき事は判っている筈だ、応えろ、ライダー!」

 路地の小さな一角に、清浄な光が満ちた、暖かい赦しの――――光が。



 アーチャーは弓に新たな矢をつがえる手を止めた。
 結果として不意を討たれずには済んだが――――東から彼に近づいてきた男は、元より不意を打つという戦い方を嫌う性分だ、振り向かれたのはむしろ好都合であった。
 ――――まぁ、あくまで彼の内心においてのみ、だが。

「貴様、なんでそこに居る」
「何故とはよく聞いたものだな、サーヴァントがサーヴァントの前に居るんだ、茶を飲みに来たという事はあるまいよ」
「違いない」

 アーチャーは男が意外と飄々とした言い回しをしたので、愉快そうにくっくと笑った。
 だが彼の内心には滾るものがある、目の前の敵に対する期待か、苛立ちか、それとも疑問か、あるいはその総てか。
 だが一番強いのはやはり疑問であった、何故、あの男がこうして目の前に立っているのか、本当に不思議であったのだ。

「だが、そういう問いじゃないんだ、判るだろ?。 ――――何故立っている、確かに貴様の心の臓、貫いた筈だぞ、ライダー」
「さてな、だが――――そうさな」

 アーチャーに立ち塞がる男、赤い瞳のライダーは槍を構えて、真正面から闘った方が強いこの男に、知ってか知らずか、真正面から立ち向かい――。

「やらなければいけない事は判っていたのでな、やらない訳には行くまい」
「そうかい!」

 アーチャーはライダーがあくまで回復の理由を明かす気が無いと悟ると、改めて臨戦の構えを取った。
 英雄になりきれない英雄と、英雄の中の英雄は、こうして――――対峙した。



Sword, or death

with What in your hand...?

Flame dancing,
Earth splitting,
Ocean withering...


[No.365] 2011/05/24(Tue) 22:06:16
その他大勢のためだけの (No.365への返信 / 14階層) - きうい

 「お酒もう一樽お願いします。」
 「お願いしますじゃない、バカ!」
 「わたくしはバーサーカーであってバカではございません。」
 「バカだバカ、お前は!」

 キャスターを退けた祝勝と、集めた同士の懇親会をやろう、としたところまでは、橋口も間違ってはいなかったはずなのだ。

 対キャスター戦では、火を扱うキャスターに対し橋口の三尖刀が十二分に防御を為したし、『名斬りの剣(王者を切り裂く勇者の剣)』の効果も上々で、キャスターの行動自体をかなり阻害出来、被害は施設を破壊される程度で済んでいる。
 逃げられさえしなければ、仕留め切ることもできただろう。

 上々の戦果である。上々の戦果ではあるのだが。

 「梁山泊全部呼ぶとはどういう了見なのか。」
 「ほのひほんしゅというおはけがおいひかったほへへひふふはほうと。」

 頬を左右に延ばされながら日本酒のおいしさを仲間に知らせたいからと弁明するバーサーカー。

 「醸造酒で無色透明というのが素晴らしいと思ったのです……。


 頬をさすりながら申し訳なさそうにするバーサーカーに、橋口はため息をついた。

 「俺が仙人食しか口にしている理由を知ってるか?」
 「仙人になるためではないのですか?」
 「食費を抑えるためだ!」
 「貧しいのですか?」
 「お前を召喚するためだーーー!!」

 肩を押さえてがくがく揺らす。

 「あ、あ、ダメ、ダメダメです揺らしては。」

 夫婦漫才だと百七星たちがはやし立てる。
 無論だが、夫婦な訳もない。

 「オゲエエエエエ……。」
 「うわああああああ!!」

 酔った妻の扱いも知らぬようでは、夫とは言えまい。

――――

 「じゃ、行ってくるから。」
 「はい。」

 酒宴の続くモールを背に、パジェロがエンジンを振るわせる。

 「留守は頼む。」
 「大丈夫です、九天玄女の加護がございますから。」
 「それは心強いな。」

 そう言って窓を閉めかけた橋口に、バーサーカーは、あっ、と声をかけた。

 「どうした。」
 「あの方々の召喚に魔力を使ってしまいました。
  九天玄女を呼べないかもしれません。」
 「しょうがねえな。」

 橋口が運転席のドアを開けると、バーサーカーが駆けよる。
 背の低い彼女を橋口の大きな腕が抱え上げ、桃色の唇に粘膜をあてがった。

 「……じゃ。」
 「はい。」

 アルコールで火照ったバーサーカーの顔が、微かに赤みを増すのを見た。

 バタン、と強めに閉じられたドアに、

 「行ってらっしゃいませ。」

 バーサーカーは深く抱拳礼をし、見送った。


――――

 湖底市市街地に向かうパジェロの中で、橋口はキャスターのマスターに思いをはせていた。

 あれは従兄だ。
 橋口凜吾の弟。次男坊ということで、自由な性格をしていた。家族ぐるみで会う時もいつも外出していて、顔もほとんど見たことは無い。
 珍しく顔を合わせた時は、珍しい海外土産を見せてくれたっけ。
 大学時代には学業そっちのけで海外を放浪したとも。

 「……どこかで、出会ったのかな。」

 自分のように。
 自分の異能を、異常を、才覚を目覚めさせてくれる、何者かに。

 自分とそう歳は変わらない。
 定職につかずにやっていくには余りにも厳しい年齢の筈だが、まあ、元気で良かった。

 ……兄の敵討ち、だとしても。

 聖杯戦争に参加できるほどの魔術師なのだ、独自の情報網なりなんなりはあるだろう。
 そうでなくても凜吾の弟。兄についての噂は嫌でも耳に入る。
 俺の戦術に気がついたとしても、一向に不思議ではない。

 そうでなくても、敵であることに変わりは無いのだけれど。


 どこに、と言うわけでもなく、偵察のためのドライブであった。

 バーサーカー――――宋江――――には、「機を見るに敏」という特殊な能力がある。

 『まるで描かれた物語のように』、己を主人公に天命が巡る。だから一人で留守を任せた。
 九天玄女の加護がある限り、『彼女が死ぬほどの事態は』『彼女の天運を覆す魔力が及ばない限り』まず起こらない。(そして彼女の天運を超える魔力を持つ相手には、そもそもの勝ち目が無い。)
 逆に言えば、自分が彼女と共にいる限り、苦手な敵と『出逢う』機会は減る。

 だから自分が彼女の元を離れた。
 『不運に見舞われる』ために。

 (「えーと、キャスター、アーチャー、ランサー、セイバー、アサシン……ライダーな。」)

 カーステレオをかけながら、状況を解析する。

 (「キャスターは確定……残り五騎。まえの玉のおっさんが一騎……あのネーチャンはキャスター以外の何かだな。
  後は……うーん、情報が足りない。」)

 志摩空涯がイレギュラーなサーヴァントを扱っているなど、とても考えには及ばない。
 それほどまでに、彼には情報が不足していた。
 その『出会いの無さ』は、バーサーカーがもたらした『幸運』のおかげでもあるのだが。

 (「つまりは、残りの五騎とは悉く相性が悪い、と……。」)

 結局、英霊は自分と凜土の二騎しか確定できておらず、残りはどこで何をしているのかもわからない。それでは戦いにならない。交渉の余地すらない。

 「!!」

 遠く聞こえた銃声が、彼の思考を一気に現実に引き戻した。

 「いるのかよ!」
 この街中で平気で銃をぶっぱなすチンピラが!

 焦燥とは裏腹に、緩やかにハンドルを切る。


[No.366] 2011/05/24(Tue) 22:07:00
透る射界W (No.366への返信 / 15階層) - アズミ

 パトリツィアは、戦うことが好きだった……わけではない。
 彼女の源流は、愛に飢えた少女時代だろうと他人事のように推察している。
 彼女の家は代々軍人を輩出してきた家系で、女子が育つには『向かない』環境だった。家人は皆厳格で、遊びがなく愛情表現が下手だった。……下手だっただけで、愛してはくれていたのだ。それは当時も察していたし、今もそう信じている。

 ただ、愛に飢えてはいた。

 愛『される』ことと、愛『する』ことにに飢えていた。
 凪いだ風に抵抗を感じないように、エフェメラ家の愛は誰も癒しはしなかった。
 だからだろう。あの家の人々は、従うことと打倒することしか知らない。
 戦う時だけ、両親は彼女を自然に褒めることが出来た。彼女もまた、戦うことだけは誰よりも上手く出来た。

 だから、結局のところ。
 壊れていたのは彼女ではなく。彼女の両親でも、家族でもなく。

 ……壊れていたのは、エフェメラの家そのものなのだろう。





 ……『お楽しみ』の時間は、さほど無い。
 勇治と斬り結びながら、パトリツィアは冷静にタイムリミットを計算していた。
 彼女らが打ち合う場所は市庁舎の西側、やや南寄り。
 歓楽街の外れで、普段から昼間の人通りは少ないが、現在は『とある理由』で人影は絶無に近い。
 のみならず、人払いは行われている。魔術的なもののみならず、社会的にも。

(それでも、『別口』の介入はあるだろうな――……)

 ある意味で一般人のそれよりとびきり厄介な横槍が入る可能性が残されている。
 残された時間は、ざっと数分か。

「まぁ、いい――楽しむさ!」

 パトリツィアの剣が打ち合った刃の上を走り、鍔を叩いたのを合図にしたようにその剣先から焔を吐く。

「う――ッ!?」

 虚を突かれて勇治は身を捻った。至近距離で炸裂した火炎を回避しきってみせたその体術は驚嘆に値する。

(――が、隙だらけだ!)

 打ちおろすような追撃。
 パトリツィアは必殺を期したが、退魔は懐から抜き放った短刀の柄で受け止めて見せた。

「チッ――弔砲……!」

「させるかッ!」

 魔術を発動させんとするパトリツィアの足を刈り取るように、アスファルトの上を反転した勇治の刀が襲いかかる。
 すんでのところで天狗飛び。バク転一つで5mほどの間合いを稼ぎ、降り立った。

「――は。使うじゃあないか」

「……」

 勇治は油断なく刀を順手、短刀を逆手に構えて腰を落とす。

――……やりにくい。

 単純な剣術の腕なら、勇治が一歩先んじるだろう。魔術を含めても、幾らか分があると見た。
 ただ、幾多の道を外れた魔術師を狩ってきた彼の戦歴からしてもパトリツィアの戦闘法は特異だった。
 剣術と魔術が、同一線上に運用される。そもそも戦闘の手段として魔術を構築しているフシがある。本来学徒であり、その探求の果てに道を踏み外す魔術師にはいないタイプ。
 魔術使い。そう、確か奴らはこれをそう呼ぶのだったか。

「どうした?……来ないならこちらから行くぞ、サムライ」

 鋭い笑みを残影に残し、パトリツィアの刃が路地を駆け抜けた。





 万事に長けた英霊というのは、存在しない。
 魔術という専門技術を排除したとしても、全ての間合いに対応した英霊はそういない。そう、ライダーは思っていたし、生前数多の騎士道物語を乱読した彼の考えは実のところそう間違ってはいない。
 狙撃という絶対有為と引き換えに高度な熟練を要する攻撃を仕掛けてきた以上、近距離での打ち合いは幾らか落ちるに違いない。アーチャーである以上、最低でもクラス特性の点で戦力は漸減するはず。
 それがライダーの考えであったのだが。

「――見立てが甘かったな」

 一時、間合いを取ってライダーが独りごちる。
 彼が繰り出す馬上槍を、アーチャーは全て手にした棍棒で打ち払っていた。
 まるでセオリーのない出鱈目な手管であるが、体勢の整っていない無造作な一撃でさえ馬上槍ごとライダーの身体を吹き飛ばしかねないほどの『重さ』がある。
 ライダーは、己が培ってきた常識を躊躇いなく投げ捨てた。
 人間であった頃には考えもしなかったことだが、英霊の中にはさしたる鍛錬も理法もなしに人域を突破する手合いが稀に居る。

「神代の英雄――察するに、ギリシャに由来する英霊か」

「うん?――……まぁ、お前たちからすればそうなるかな」

 アーチャーは韜晦するでもなく、肯定した。
 マスターが釘を刺していなければ真名さえあっさり喋ってしまいそうなその口ぶりに、背筋が寒くなる。
 奴には、そんな小手先を物ともしない自信と、それを裏打ちする実力がある。

「俺の弱点は解ったか、ライダー?」

「いいや――まぁ、万全の条件など望むべくもない。戦いとはそういうものだ」

「『お前たちの』戦いは、そうらしいな。難儀なことだ」

 肩を竦めるアーチャーに、ライダーは足元に転がる鉄塊を軽く蹴り、反動で起こすとその背に跨った。

「おお、使うのか。
 この時代の馬を間近で見るのは初めてだ」

 面白い出し物でも見物するように言うアーチャーに構わず、ライダーは馬の心臓に火を入れた。
 見るのは初めて。あぁ、そうだろうさ。自分とて駆るのは初めてなのだから。
 相手の情報が読めない以上、自己を可能な限り高みに持っていくしかない。
 彼は『ライダー』だ。騎乗物の上にあってこそ本領を発揮する。それが愛用のものでなくても、時代を大きく隔てる物だとしても。
 ビルの壁面を駆け昇り、階段を遡るぐらいわけもない。

「ライダー、参る」

 1100ccの単車に跨り、馬上槍の騎士が駆ける。

「応さ!」

 アーチャーが振り上げた棍棒で迎えた。


――双閃が、爆ぜる。


 軌道こそ直線になったが、人類の英知が捻り出す馬力はライダーの一撃を、アーチャーの怪力に劣らぬ重さに押し上げた。
 常識で考えれば突撃後の騎兵には大きな隙が生まれるが、今のライダーにそれは通用しない。双輪が咆哮を上げ、彼の跨る鋼の馬が迅雷の速度で回頭する。
 襲いかかった馬上槍を、アーチャーはすんでのところで弾いた。

「ぬゥッ!?」

「――――、まだまだァ!」

 急停止から、薙ぎ払い。これまた騎兵の常道を外れた、人外の戦術。

「おォォウッ!?」

 さしもの神代の戦士もこれには対応しきれず、鉄塊に胸を強か打ち据えられて非常口に突っ込んだ。
 無茶な機動にいななくKATANAを宥めすかし、ライダーは油断なく槍を構えた。
 と同時に、この僅かの間に改めて路上に停められていたこの『馬』を調達してくれた康一に感謝する。
 最初は生物ですらなくなったこの時代の馬に面食らったものの、慣れてみればこの馬力と取り回しは実に得難い。人類の英知というのも舐めたものではないらしい。

「――……ふははっ」

 ぶち抜いたドアを退かして、アーチャーが立ちあがる。
 並の英霊でも無傷では済まない会心の一撃であったと自負しているが、傷を負った様子さえ無い。

「やるものだ、騎乗兵。キオスの獅子でもここまで俺を手古摺らせはしなかった」

「――……それが貴様の宝具か、アーチャー」

「おう、然り」

 隠すでもなく、アーチャーは己が纏う獣の皮を示して不敵に笑った。
 真名を開放した様子は無いが、尋常でない防御力。常時発動型の宝具か。

「この俺の『百獣征す証(キオス・レオ―)』。生半な攻撃では破れんぞ?」


[No.367] 2011/05/24(Tue) 22:07:38
透る射界X (No.367への返信 / 16階層) - 咲凪

 ライダーの駆るKATANAが再度の咆哮を上げてアーチャーに襲い掛かる。
 突きつけられる馬上槍はまたもアーチャーの棍棒にて弾かれ、まさに獣の如き唸り声を上げてライダーの駆る鋼の馬が急旋回し、もう一撃を放つも、それさえも弾かれる。

「――――ちぃっ!!」
「ふははっ、どうしたどうした?、次はどうする!?」

 ライダーの焦りとは逆にアーチャーの顔には戦いを楽しむ色があった、余裕や油断という類のものでは無い、純粋にこのぶつかり合いを楽しんでいるのだ。

「その馬は良いな、良いものだ――お前を倒したら頂くとしよう」

 ライダーの馬上槍は棍棒でいなされつつも、何度かアーチャーに打撃を与えていた。
 だがその一撃一撃が渾身のものであったにも関わらず――通用しない、一切のダメージをアーチャーに与える事が出来ずに居る。
 それほどの防御力を与える宝具「百獣征す証(キオス・レオ―)」の能力にライダーは焦りの汗を流した。

「冗談では無い――貴様が馬に乗った話など、聞いた事が無い」

 だが、キオスの獅子という言葉は決定的に彼の真名を表していた。
 そしてその宝具が毛皮ともなれば間違いない。

「キオスの獅子と言ったな、そしてギリシャの英霊ともなれば貴様の真名はただ一つに行き着く」
「ほう?」
「天に輝く星座に称えられた男、――オリオン、貴様だ」

 ライダーの言葉にオリオンは皮肉そうに微笑んだ、ライダーにしてみれば星座ともなるのは栄誉にも思えたのかもしれないが――そんなに良いものでは無い。
 何より、自分が最も忌み嫌う蠍もまた同じように星の座にあげられているのだ、良い気分の筈が無い。
 何より――それは彼の死因に直接繋がる記憶を呼び起こす。
 不愉快というよりも、寂しく虚しい記憶であった、愛する女神を悲しませた――そういう記憶だ。

「そいつぁ皮肉かい、ライダー」
「――いや、軽率だったな」

 オリオンの表情から、その想いを察したライダーは少しだけバツの悪い顔をした。
 生前からの悪癖だ、英雄の栄光を、ただ素晴らしいものであると思い語ってしまう。
 悪い癖だから直そうと思っているのに、生前からの習性はどうやら死んでも直らないらしい。

「良いさ、今俺は楽しいんでな、チャラにしてやるよ!」
「そうか――ならば、我が二つ名「ライオンの騎士」を持って応える!」

 ライダーは再び馬上槍を構えた。

「ライオンの騎士とは、俺をオリオンと知って吼えたものだな!」
「どうかな、私とて獅子に打ち勝った騎士だ、貴様に遅れを取るつもりは無い!」

 KATANAが今一度駆け抜けた。
 迅雷の速さではオリオンの「百獣征す証」を貫くには不足していた。
 ならばどうするか――迅雷が駄目ならば、稲妻だ。

「我が二つ名は「ライオンの騎士」にして「愁い顔の騎士」」

 ライダーの持つ騎乗の加護はKATANAに物理法則を超える力を与えていた、その威力はまさに迅雷のそれであったが、それでなおアーチャー・オリオンという巨星に届くには至らない。
 ならば――更なるパワーソースをライダーは内から引き出した。

 彼の二つ名「ライオンの騎士」はただの別名では無い。
 それは彼をまさしく「獅子に打ち勝つ騎士」たらしめる必勝の加護であり、彼の栄光への憧れが彼自身に刻み付けた消える事の無い呪いでもあった。
 その呪いは彼に――本来ならば彼が持たざる武勇を与える。

「虚構(ホロウ)――幻想(ファンタズム)!」
「ぐっ、――あっ!?」

 ――閃光の如き一撃が交差する。

 オリオンに油断は無かった、ライダーの一撃がオリオンの身を貫く事が無かったのがその証だ。
 逆に言えば――それがオリオンの脅威の程を示していた。
 彼が並の英霊では無い事は判っていた、だからライダーも二重の策を持って挑んだにも関わらず――彼を貫く事は、叶わなかったのだ。

「――ライダー、貴様」
「言った筈だ、私は「ライオンの騎士」、キオスの獅子とて獲って見せる」

 ライダーの神秘を持つ二つ名はライダーに本来持ちえぬ武勇を与える「ライオンの騎士」の他に「憂い顔の騎士」というものがある。
 彼が特定の相手との戦いにおいてのみ、彼本来の力を上回る力を発揮する――そういう、呪いだ。

「槍に魔力を纏わせるとはな――」
「良い先達が居たのでね――勉強させてもらった」

 事実――彼があの「黒い英霊」と闘って居なければ、今の一撃は彼には思いつかなかったろう。
 かの黒い英霊の剣の一撃は、ライダーの槍よりも遙かに重く鋭いものであった。
 その威力を支えているのが魔力放出という黒い英霊――いや、そのデザイン元となった存在、アーサー王が備えていた技能であった。
 それを模倣した形の黒い英霊との戦闘を経て――「ライオンの騎士」という幻想の二つ名を持つ彼はそれを再現して見せたのだ。

 ライダーの馬上槍はオリオンを貫く事は叶わなかった。
 だがその一撃は彼の棍棒を砕き、その腕にハッキリと傷を負わせていた――。


[No.368] 2011/05/24(Tue) 22:11:58
透る射界Y (No.368への返信 / 17階層) - アズミ

 勇治の最大の失策は、一度間合いを取ったことだった。

「構え――撃てッ!!」
 (En garde――Coup droit!!)

 パトリツィアが構えた剣から火線が走る。
 見切れない速度ではない。――が、同時に発射してからでは回避出来ない速度ではある。
 どうやら剣先以外に発射口は無いらしい。ならば銃と同じく、その砲口の向く先に身を置かぬように注意して体捌きを行えば決して当たりはしない。

「次、装填――薙ぎ払え!」
 (Une-deux――Remise!)

 ……が、当たらぬにせよ間合いを詰める隙が無いあたり、この魔術使いの技量も相当なものである。
 打てる手といえば短刀の投擲と魔眼を組み合わせて強引に隙を作ることだが、これは二度目は効かない。多分に賭けになる。

(焦れるな……これ以上ない好機を探り当てろ……)

 神経を針の如く研ぎ澄まし、火線をかわし続ける。速度のために威力を犠牲にしているらしく、よもや一撃で消し炭にはなるようなことはあるまいが……四肢の何処かに火傷を負えば、それによって生じる反応速度の遅滞は致命的なものになる。
 一手とて誤れない。
 焦れるな。

 だが、賽を振ったのは当の勇治でもパトリツィアでもなかった。

「氷天よ――」

 耳朶に届いた相棒の声に、勇治は機を見出す。逆手に持った短刀を反転させ、指先に構えた。
 その挙動の間を見逃さず魔術礼装の剣先が勇治を捉えるが――。

「――砕け!」

 勇治とパトリツィアの間に生まれ出でた氷塊が、彼の身代わりとなって火線に晒され、溶け消えた。
 視界の端に見えた、矢に射られる危険を承知で飛びだしたアサシンの姿に心中で喝采を送った。

「しィッ!」

 短刀を投擲。と、同時にその向こうにいるパトリツィアと視線を合わせる。

「――――ッ!?」

 短刀を凝視したまま、その顔が焦りに歪んだ。
 『束縛』の魔眼。勇治が生来得ていた力。ランクが低く、魔術師相手にはせいぜい一瞬の隙を生み出すのがいいところだが、近接戦闘ではそれこそが致命的になる。
 辛うじて弾いたパトリツィアに、防御を捨てて突進した。

「――これで王手だ!」

「お前がな」

「何ッ!?」

 パトリツィアもまた迎撃ではなく、剣を溜めた『攻撃』の構えを取る。
 切り札を残していたのは、向こうとて同じだったのだ。

「応射――咆哮せよ、我が砲門!」
 (Prise de fer――Ripostez!)

 視界を埋め尽くさんとする赫い殺意に勇治が選択したのは――特攻だった。
 受け身に回っても無駄だ。何一つとして間に合いはすまい。ならば、この体勢をフルに利用できる攻撃で以って、パトリツィアの攻撃そのものを潰すより他にない!

「間に合えぇッ!!」


 白刃が、奔った。





 槍が肩を抉るのも構わず放ったアーチャーの拳が、ライダーに襲いかかる。

(――防御を捨ててきたか!)

 狙いは読めたが、おとなしく食らうには余りに危険な剛腕だ。ライダーはKATANAを乗り捨て、そのカウルを蹴って跳躍した。
 後方に吹き飛ばされ、鋼の馬がその命脈を一撃の下に断たれる。

「――だがッ!」

「温いッ!」

 行がけの駄賃とばかりに宙返りしながらライダーが突き放った槍は、しかし失速した故にかアーチャーに容易く振り払われた。
 槍先をアーチャーに向けたまま、トンボを切って着地する。
 乗り捨てた単車は、アーチャーの向こうでスクラップになっていた。

「頂くのではなかったのか?アーチャー」

「皮を惜しんで獅子に食い殺されるような間抜けを演じてはマスターに立てる顔が無いのでな」

 不敵に笑むアーチャーにライダーは表情を変えなかった。
 が、拙い。
 馬を失ったことでライダーの攻撃速度と威力は漸減した。魔力放出を以ってしても『百獣征す証(キオス・レオ―)』を撃ち抜くのは難しいだろう。

(かくなる上は宝具しか無いが――)

 あれは聊か目立ち過ぎる。白昼のビル屋上で使用していい類のものではない。
 撤退するか。それともランサーらの到着を待つか?……否。その隙を期待できる相手ではなかったし、それを前提とするのは騎士の誇りにもとる。

(やるしかないか……!)

 腰を落とし、突進の構えを取る。先刻とは比べるべくもないが、少しでも攻撃速度は補わなければならない。
 対するアーチャーが取ったのは、これまた突撃の姿勢だった。獅子さながらに手足を地につき、力を蓄える。
 受け流すなどという思考は一切ない。攻防の技術などあり得ない。
 狩人に、相手を狩る以外の選択肢などありはしない。

(――化け物め……!)

 英雄というより、竜か巨人を相手にしている気分だった。
 それを狩った経験は無くもないが、今は愛馬も従者も側に無い。
 息を呑んだその時。

「なに?」

 アーチャーの身体を、赤い光が包んだ。
 見覚えは、ある。ライダーに記憶を取り戻した……そう、令呪の輝き。

「――……惜しいな。ここまでだ、ライダー」

「逃げるのか?」

「マスターのお呼びでは致し方あるまい。俺は女は待たせん主義でな」

 どうやら、別行動していたマスターに何らかの危急があったらしい。アーチャーの身体は空間を超えて主の元へ馳せ参じようとしていた。
 薄れゆく身体を眺めてから、アーチャーは笑う。

「……お前は俺の獲物だ、ライダー。また遭おう。他の雑魚に狩られてくれるなよ?」


 赤光が、ビルの屋上に瞬く。
 アーチャーの姿が跡形もなく消え去ったのを確認して、ライダーは槍を地に着いた。

「……命拾いしたことを、認めねばならないな」

 槍と鎧が、酷く重い。
 だが、このまま休んでいる暇は無さそうだった。

「ライダー!」

 崩れた非常口の奥から、彼のマスターの声が響く。
 その声音から、何か切迫した事態が進行していることを察した。

「どうした、マリナ!」

「『血管』が下に!
 ランサーと康一が戦ってるわ!」

 ――奴が撤退したのはそういうことか!

 歯噛みして、ライダーは駆けだした。

 彼らを見下ろす真昼の蒼天は、まだ暮れる予兆さえ見えない。


[No.369] 2011/05/24(Tue) 22:13:42
執終の王T (No.369への返信 / 18階層) - アズミ

 繰り出された針を回避し、白刃を振るう。また一体、ランサーの剣が『血管』を斬り伏せた。
 弱い。だが、微塵も油断は出来ない。
 見回せば、彼女の周囲にはまだ、同様に10体強もの赤い異形が海中の若布のように身をくねらせている。
 幽鬼のように迫ってくるその歩みは遅鈍の極みだが、とにかく尽きることのないかのようなその数が驚異の一言だ。
 敵は動きからして明らかにこちらを狙ってきている。アレが魔力を狙って人間の体液を捕食しているのなら、全身これ高密度の魔力の塊とも言えるサーヴァントは確かに絶好の獲物だろう。
 人気の近いこんな場所にこれらを放置するのもぞっとしないが、このままじりじりと擦り潰されては元も子も無い。
 撤退すべきだが、ライダーと、彼を呼びに行ったマリナを置いて行くわけにもいかない。それに、彼女の主はその為の足を探しに行ったままだ。
 どうにか、この場の連中だけでも片付ける必要があるが――さて、どうしたものかと思案するところに、頭上からライダーの声が響いた。

「ランサァァァッ!下を空けろっ!」

「――承知!」

 思案している時間は無さそうだ。手にした柄に意識を集中する。
 魔力で繋ぎとめられた刃の破片が、それに呼応するように互いの感覚を大きく取った。必然、刃全体のシルエットが伸展し、一般的な120cm程度のバスタードソードが、10m超もの長物に変貌する。


「罪を清め――贖い給え!」
 (entsundigt und gesuhnt!)


 先の沖田戦での一撃を彗星に喩えるなら、これは土星の環を彷彿とさせた。柄を薙ぐ動きに合わせて飛来する無数の破壊の断片が、ランサーを中心に円を描いて『血管』を撃ち貫き、引き裂いた。
 と、同時に倒れ伏した異形の屍の上に、隕石のように落下してきた何かが落着する。

「無茶をしますね、ライダー」

「そちらこそ。
 ……言うだけ言ってみたのだが、どうしてどうしてやるものだな、ランサー」

 落ちてきたライダーは立ち上がると、抱き上げていたマリナをその場に下ろす。

「康一はどうしたの?」

「主は撤退の為に移動手段を――」

 問うマリナに答えかけて、轟いたエンジン音に視線を移す。
 手近な地下駐車場から、ゲートを破ってミニバンが飛びだしてきた。

「全員乗れっ!」

 運転席から叫ぶ康一の一声に応じ、ライダーとランサーはマリナを伴って開きっぱなしのドアに向けて跳躍した。





 勇治の繰り出した刃とパトリツィアの放った光熱波は、両者いずれも襲うことはなかった。
 互いの背後に迫っていた、『血管』が切り裂かれ、あるいは燃えて落ちる。
 
「こいつらは……」

「どうやら、時間切れらしいな」

「何――?」

 まるで『血管』の到来を予想していたかのようなパトリツィアの言葉に、勇治は振り向く。
 が、彼女はそれに構わず、路地からやってきた黒塗りのセダンに軽やかに乗り込んだ。

「パトリツィア=エフェメラ!
 この状況を放置していく気か、貴様は!」

 敵に対するには間抜けな台詞だと自認したが、これだけの『血管』を自分たちだけで――しかも、人に気づかれぬように静粛に――殲滅するのは不可能に近い。
 だが、パトリツィアは鼻で笑ってそれに応じた。

「そういう台詞を吐くと言うことは、お前たちがなんとかしてくれるのだろう?」

「…………っ!」

 厚顔無恥甚だしい対応ではあるが、図星だ。
 それを悪いと思ったわけでもなかろうが、魔術使いは去り際に一言だけ残していった。

「人払いは残しておいてやる。だが、事態を収拾したければ早々に立ち去ることだな」

「なに……!?」

 走り去るセダンを追おうにも、この『血管』らを放っていくわけにもいかない。
 前日までの調査では、この『血管』は無差別に発生し、一般人だろうと構わず襲う……はずだった。だが、パトリツィアの口ぶりからすると……いや、現に周囲を取り囲む奴らの動きをみれば明らかに。

(狙いは、俺たちか……!)

 歯噛みする勇治をよそに、パトリツィアのセダンが2、3体の異形を撥ね飛ばして離脱していった。


[No.370] 2011/05/24(Tue) 22:14:30
抵抗と救難 (No.370への返信 / 19階層) - きうい

 トンネルを抜ければ、そこは血の雪国だった。

 そんな訳の分からないことを考えてしまうぐらい、橋口圭司は切迫していた。

 「俺のパジェロに触るんじゃねえ!」

 棒の先から出た水流が血管を押し流し、車から遠ざけられる。そのまま水流はグンと収束して勢いを増し、レーザービームさながらに血管の塊を打ち砕いた。

――きりが無い。

 銃声を聞いて駆けつけはしたものの、遠すぎた。そして、遅すぎた。
 マスターとサーヴァント達がもたらす濃密な霊の匂いに惹かれた、のかは知らないが、聖杯戦争の開始と同時期に発生し始めた「血管」達が、そこらじゅうにいたのだ。

 ビクリビクリと脈動し人に群がるそれは、餓えた単細胞生物のようにも思えた。
 いや、事実そうなのだろう。
 飢えを満たそうとする群体。それ以上でもそれ以下でもない。そしてこれは。

――聖杯戦争に「無くてはならないモノ」

 副産物などという甘いものなら、寧ろ討伐指令が魔術師たちに下っていたっておかしくは無い。
 『聖杯戦争には関わらない形で』、何者かが関わってきてもおかしくないはずだ。
 だが、そういう気配は無い。

 ならばこれは、聖杯戦争を為すパーツ、即ち、「聖杯そのもの」なのだろう。

 血飛沫を、得物に『巻き取りながら』橋口は考える。

 そして、血を水流の刃に変え、血管に向かって打ち下ろす。

 激烈な重さと速さを伴った水分が、血管たちを豆腐のように粉砕する。

 だが、まるで状況は打開できない。

 数が多すぎる。

 根があれば断つところだが、その気配は見えない。無意識の悪意の如く、どこともなく現れ、いくらでも涌く。

 橋口は覚悟を決め、パジェロに乗り込んだ。
 どの道、動かなければ活路は無い。そして、どうせなら偵察もしてしまいたい。

―――お前らが、悪意なら。

 開けた窓から棒を突きだし、水流の刃で前方を刈る。

―――俺がそれを呑みこむ。

 4WDが、災禍の中心へと走り込んでいった。


[No.371] 2011/05/24(Tue) 22:15:10
執終の王U (No.371への返信 / 20階層) - アズミ

 それは――本来、英霊ではなかった。
 命はなく、生命体であったことすらない。ただの流言。それを纏う概念。そんなようなものだった。

 それは、生命を食らう捕食者。
 それは、生命を冒す猛毒。
 それは、生命を辱める悪。
 それは、生命を終わらせる絶望。

 人の無意識にうねる混沌。世界の裏に設置された殺人する舞台装置。本来、人目に決して触れ得ぬモノだ。だが、7枚のカードとサーヴァントシステムが彼に姿と名を与えた。
 それは必然であり偶然。この聖杯戦争を埋める最後のピースとして、彼は運命に選ばれたのだ。

 局外騎(イレギュラー)。

 員数外にして必須要員。反則にしてルールの一部。

 それが彼のクラスだった。





「な、なんなの……これ……?」

 希とアサシンの前に立ち塞がる……というより聳え立つそれは、とかく巨大だった。恐らく全高にして10m弱。細身とはいえそれだけの大きさの構造体が動くと、ビルが丸ごと躍動しているような迫力がある。

「これも『血管』の仲間なの……?」

 大まかなデザインラインとしては『血管』のそれに通ずる。
 血管のような赤い管……犠牲者の血を吸う以上、実際血管なのかもしれない……が、針金細工のように絡み合い、全体像を形成する。内臓どころか骨や筋肉さえ絶無であるが、胸元で毛糸玉のように蟠る血管は、ひょっとしたら心臓のつもりだろうか?

「■■■■■―――ッ!!」

 『それ』が身を震わせて咆哮をあげる。
 『血管』が概ね人型を模していたように、『それ』は獣に見えた。草食獣の堅固さと肉食獣のしなやかさを併せ持った、自然に在り得べからざる四足獣。

「差し詰め血管獣ってところですかねー?」

 ルビーの呑気な声が、どこか遠くに聞こえた。希はステッキを握る手が震えているのを自覚する。
 これは、巨大なだけではない。爪も牙も無いが、これは明らかに――自分を殺し得る凶器を内蔵している敵だ。

「にゅあっ!?」

 血管獣が、唐突に動いた。
 振り下ろされた前脚に爪は無い。それどころか内部を支える骨も膂力を生み出す筋肉もなかったが、しかし威力を当たって確かめてみる気には到底ならなかった。
 強か打ち据えた、希が一瞬前まで立っていた地面が粉砕され……否、『塵と消えた』。
 まるで炭化したチラシを叩いたように、まるで抵抗せずに砕けて消えたのだ。
 拙い。あれは防御の硬さや厚さが意味を為さない。そう直感した。

「ルビー、身体強化を9、物理保護は1まで落として」

「まぁ、あんなんじゃ防御なんて無理無茶無用ですよね」

 定石から言えば危険極まりない指示に、しかしルビーは異論を差し挟まず従う。
 血管獣が腰を落とした。――突進してくる!

「くぅッ!?」

 技術も何もない幼稚な攻撃手段だが、巨体を以ってすればそれは如何なる技巧より脅威となる。
 路上に放置された自転車や街灯を蹴散らす血管獣を、希はすんでのところで回避した。

「斬撃……いくのっ!」

 魔力の刃が、飛んだ。
 血管獣はそれに気づいていたが、その巨体ゆえに回避は容易くない。魔力砲は狙い違わずその左前脚を深く薙いだ。
 ……が、有効打と誤認する間さえ無く、ビデオを巻き戻すように塞がってしまう。

「うにゅー!?」

「大きさに比例して復元力が上がったら、まぁ、ああなりますよね」

 それはルビーが言うほど容易い論理ではない。治癒する範囲が巨大になれば、当然同じだけ増大したエネルギーを要するのだ。魔術の産物だとてそれは物理と変わらない。
 だが、目の前の怪物はそれをやってのけた。
 つまりこの形態は巨大さと引き換えに何かを犠牲にしたのではなく、純然たる『血管』の機能拡大ということ――。

「言ってる場合じゃないのー!?」

 血管獣の背から、ずるりと夥しい数の触腕が生えた。一本一本が『血管』の腕ほどもあるそれは、やはりいずれも先端に針を備えている。
 それらがミサイルよろしく急激な速度で希に襲いかかってきた。

「うにゅぁぁぁ!!?」

 希が駆ける。
 退避してかわすのではなく、本能的に懐に飛び込んだのは流石と言うべきだった。
 これと長期戦はするべきではない。希のほうが先に疲労で動きが鈍る可能性が高く、一撃でも受ければ即死しかねない。さりとて、撤退するわけにもいかない。こんな怪物を、街中に放ったまま逃げるわけには――。

「クラスカード『ランサー』――」

 ランサーのカードをステッキに重ねる。狙うは敵の冗談のように単純な肉体構造、その唯一特異な部位。

「――限定展開(インクルード)!!」

 ステッキが宝具に姿を変えた。
 触腕の動きは希の動きより一歩遅い。背後を貫きながら迫ってくる針に焦燥を覚えつつも、彼女はこの一撃の必殺を半ば確信していた。

「刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)!」

 空間を、赫い軌跡が奔る。残った触腕がそれを迎撃せんと唸るが、無意味だ。否、そもそもこの宝具が描く『軌跡そのものが無意味』なのだ。
 真名を開放したが最後、ゲイボルクの穂先は『既に心臓に命中している』。槍を繰り出す動作も、辿る軌道も全てはその結果に辿りつく為の後付けに過ぎない。

「――し っ て る ぞ」

 だが。希に勝ち誇る声がした。
 ゲイボルクが血管獣の心臓に命中するまでのほんの刹那。希の視線だけが、それを捉えた。
 血管獣の背の上。触腕が寄り集まって形作る、人間の顔に。


「そ の や り は、 
 し っ て い る ぞ 」


 ゲイボルクが空を切った。その穂先が到達する前に、血管獣の心臓部がまさしく毛糸玉のようにほつれてばらばらになったのだ。
 必殺必中の宝具といえど、そもそも狙う対象が存在しなければ意味が無い。
 否、そればかりか。

「え――――?」

 狙いを外した赫い軌跡は、ならばとばかりに捻り曲がり、他ならぬ主の胸を穿った。

――何故?

 痛みと恐怖を駆逐して、疑問だけが脳髄を満たしていく。
 希は力を失って落ちていく自分を、何処か遠い世界の出来事のように見つめていた。






 会社員、金山清吾が揺れに気付いたのは、午後1時半のことだった。

「……なんだ、地震か?」

 天井に吊られたLEDの電灯がゆらゆらと揺れているので気づいたが、戸棚の資料が落ちてきたりする様子はない。震度1か、せいぜい2だろう。
 この国の人間は地震に慣れきっている。金山はそれ以上特に気にすることもなく、数秒だけ静止して様子を見た後、デスクの下に隠れることもあるまいと判断して仕事を続行した。
 窓の外、遠くに映る血管獣の巨体には、ついに視線を向けなかった。





 湖底市西区に住む主婦、美作優子は愛犬の散歩中、妙に空が暗いのに気付いた。

「あら、ひと雨来るのかしら……?」

 と、訝っては見るものの、空には雲ひとつありはしない。
 この数年で、誰もが異常気象に慣れきってしまった。美作は散歩を早々に切り上げて洗濯物を取り込むことにすると、それ以上気にすることもなく家路を急いだ。
 東の空に走った閃光には、ついぞ目もくれなかった。





 盛大な音を立ててポリバケツやビールケースを蹴散らしながら、ミニバンが路地から突っ込んでくる。

「希ぃっ!」

 その小柄な体が地面に叩きつけられる、すんでのところでサンルーフから身を乗り出した勇治が受け止めた。
 希を受け取めるべくスピードを緩めたバンに触腕が迫る。

「うおおっ!?」

 康一の荒っぽい運転と、身を乗り出して振るったランサーの剣とライダーの槍による迎撃でどうにか切りぬけ、ガードレールに車体を擦りながらどうにか停車する。

「……んなくそっ」

 すぐに再発進させようとするが、今度は血管獣がその身ごと突撃を敢行してくる。ガードレールを凹ませて歩道に乗り上げた車体では回避できない!

「偽り砕く――十字の槍!」
 (ロン――ギヌス!)

 受け止めたのはランサーの放った対軍宝具の一撃である。
 身体の半分以上が吹き飛んだにも関わらず立ち上がろうと身をゆする血管獣を、容赦なく風車の風景が取り込み拘束した。

「ランサー、ライダー!?」

「奴を放置するほうがよほど危険です、マリナ」

 マリナの非難に、しかしサーヴァントたちは迷うことなく武器を構えて血管獣に対峙する。

「それに――街の様子が妙だ」

 ライダーが視線だけで、大魔術の『外』に在る歓楽街を睥睨する。
 静か過ぎる。昼間だから人がいない、というレベルではない。そちこちに人の気配さえするが、これだけの異常事態にも関わらず様子を見にさえ出てこない。

「人払い……ってレベルじゃあないな。あのバケモノの何らかの能力か」

 人目は気にしないでいい。問題は、そもそもが人目を気にしていては到底対処できない相手だ、ということ。

「ランサー、チビの治療を」

「……御意。しかし、宝具でつけられた傷です。主とマリナの協力がいります」

 本日3度目の使用になる。彼女の槍はその性質上、『身を削って使う』ようなことにはならないが、それでも負担が大きいことには違いない。治療魔術や通常の医療技術と併用して負担を減らす必要がある。

「なら、奴は俺が……!」

「いえ、いけませんご主人様」

 刀を手に立ち上がる勇治を止めたのは、誰あろう彼のサーヴァントだった。
 既に一行の前に立つライダーが首肯する。

「……そうだな。人間はあれと対峙しない方がいい。殺されるぞ」

 彼の言葉には根拠がなかったが、しかし確信はあった。英霊としての、根本に刻まれた機能が警鐘を鳴らしている。
 あれは、『人間が対峙してはいけない』類のモノだ。

「ライダー、皆さんの護衛をお任せします。この大魔術の起動は……」

「保って数分だが、できるだけ維持しよう」

 その言葉に満足そうに頷いて、アサシンはその身を血管獣の前に躍らせた。

「アサシン!」

 己を案じて呼ぶ主に、狐の尻尾が嬉しそうに揺れて応えた。

「ご心配なく。
 ここらでビシィッ!と活躍しないと、サーヴァントの有難味が失せちゃいますからね♪」
 
 眼前では、その埒外の復元力で半壊した血管獣の身体が元通りに構築されつつあった。

「いずこの誰とも存じませぬが、相当の呪詛使いとお見受けします」

 呪いと妖に通ずるアサシンなればこそ、その実体は見極められた。
 これは呪いだ。原始的で混沌とした、しかし強力な呪詛。埒外の再生力も大地を腐り散らしたのも、余人の認識を排除している力も、その根源は呪い。

「しかぁし!
 この妖狐(あやかしきつね)をさておいて、我ぞ呪詛の化身とでも言わんばかりのその有様、片腹痛し!」

 手の先に出現した鏡が、彼女を護るようにふわふわと滞空し始める。着物の裾から覗く華奢な脚が、荒れた大地を踏みしめた。

「呪い祟りは、古来狐に天狗、鬼の専門と相場が決まっております。
 人を呪えば穴二つという言葉の意味、ご教授して差し上げましょう!」

 その見栄切りに、応じたわけでもあるまいが。
 血管獣は一つ大きな咆哮を上げると、アサシンに向けて襲いかかった!


[No.372] 2011/05/24(Tue) 22:15:51
宿命の帝王 (No.372への返信 / 21階層) - きうい

 「おうええええ……!!」

 壁に寄りかかりながら、内臓をひっくり返すような嘔吐をする橋口圭司。

 『血管』達のいない方へと逃げた後、彼はパジェロのフロントガラス越しに、『その巨体』を見た。

 車を降り、地に三尖刀を突き、地脈を見た。

 
――――持って行かれた!

 龍脈と意識を接続した瞬間、生命を剥奪せんとする意思が彼の中に流れ込んだ。

 呪詛。

 死ね、苦しめ、命をくれ。

 血を抜かれ、代わりに泥を注入されたような感覚が彼を支配した。

 吐瀉物には、黒い『何か』が混じっている。仙人たる彼の力が、辛うじてその『毒』を物理的に弾きだせたのだろう。

 橋口は吐き気をこらえながら、手のひらいっぱいの松の実を一気に口に押し込み、嚥下した。

――――あれは、ヤバい。

 橋口の中の「魔性」が告げている。
 逃げたい。帰りたい。足が震える。

 けれど。

――――ここで帰って、意味などあるのか?

 あれは間違いなく、今回の聖杯戦争に関わるものだ。
 知らずにいる、ということは許されない。いつかは必ず対峙する。
 ならば、今逃げてしまったら、それは『自分ではあれに勝てないと宣言するようなものではないか』。


 そんなことは認められない。
 あれが『呪詛』なら尚の事、如何なる手を持ってしても叩き潰さなければならない。そのために聖杯戦争に参加したのだから。

 パジェロに乗り、アクセルを踏む。


――――冷静になれ。

 橋口は自分にいい聞かせた。

 銃声が聞こえた。
 ということは、マスター同士の対決があったのだ。
 そして、そのマスターたちは、あの、『悪意を煮しめたような巨大な血管』を『使役していた』のか?
 恐らくはノーだ。余波だけで人を殺戮せしめるような呪詛の塊など、まともな英霊(というのも変だが)な訳もない。
 狂化した英霊、というならまだわからないでもないが、自分がバーサーカーのマスターである以上、それもない。

 ならばあれは、純然たる魔物なのだ。

 そしておそらく、マスター連中はアレの退治、あるいはアレから逃走を図っている。

 回り道をしつつ、『血管獣』の目線の先へ向かうべくハンドルを切っていく。


――――

 「うおっ!?」

 左の角から現れたパジェロが、反射的に左へと切れていく。

 パジェロが停車し、降りて来たのは、長い棒を手にした背広姿の男だった。

 『こんなところに』いる。

 ただそれだけで、彼らはお互いの立場を最低限理解した。

 「……御覧の通りだ。」
 「ああ。
  自己紹介は、後の方がよさそうだな。」

 康一が肩をすくめると、背広の男が腰を低く落とし、棒を血管獣に向けた。
 その先端に、水が回転し渦を巻き始める。

 「よせっ!」
 「何?」

 康一が叫ぶ。

 「『あれ』には無駄だ。」
 「……自動呪詛返し(オートカウンター)か。」

――――余計なことをするな、被害がこちらに及ぶ。

 康一の切迫した声に、背広の男は言外の意味を読み取り、『あれ』の特性を改めて理解した。

 「あの娘っ子は?」
 「お前に言う理由は?」

 背広の男が血管獣に対峙するアサシンについて問うも、康一は警戒を緩めない。

 「……。
  あれを倒そうとしているなら、協力する。

  俺は、橋口圭司。バーサーカーのマスターだ。」

 信じてくれと言う代わりに、橋口は、棒から放った水流の刃でアサシンに向かう触手を一つ切り裂いた。


[No.373] 2011/05/24(Tue) 22:16:32
執終の王V (No.373への返信 / 22階層) - 咲凪

「バーサーカーのマスターですって……!?」

 橋口圭司と名乗った男をマリナは見る、自らをバーサーカーのマスターと名乗ったのだから、当然だ。
 彼が“こちら側”の人間だという事はマリナも察していたが、いざ耳にし、これまで接触を持ってこなかったバーサーカーのマスターともなれば声に出さずにはいられなかったのだ。

 圭司はマリナに視線だけを向けた。
 この場に居るサーヴァントは3体、圭司自身を除いた人間は4人、致命傷を受けている小さな娘はわからないが――まぁ、全員マスターと見て良いだろう。
 参ったな、と頭の中での呟きにしては小さく圭司は呟いた。
 協力する意向に変わりは無いが、3人ものマスターに己が手の内の三尖刀を見られた形になる、妥協の範囲内とは思うが――思考中断。

「おい、何とか出来るのか?」
「……わからん」
「わからんって……」

 圭司の問いに答えた康一はちら、と勇冶を見る、この場でアサシンの戦力の程を知っているのは彼だ、が――。
 戦いに入る前に、彼はアサシンを止めに掛かった、つまり彼は“アサシンが血管獣に挑む事を無謀”と判断したのだ。
 とはいえ、アサシンの自信の程を見ると、それがただの蛮勇であるようにも康一には思えない。
 だから、本当に“判らない”としか答えようが無いのだ。

「康一、そろそろこっち!」
「あぁ――判ってる、圭司さんって言ったか?」
「あぁ」
「俺たちは手が離せない、護りはあっちの槍のサーヴァントに任せてあるが――」

 康一の視線の先に居る致命傷を負った希を圭司は見た。
 こんな場に小さい子供が居るという反射的な不快感を感じたが、それをおくびにも出さずに喉の奥に飲み込むと。

「判った、槍の奴をフォローする」
「助かる!」

 助かる、という思いは実の所様子を見守っていたライダーも同じだった。
 血管獣を絡め捉えている自らの宝具を、少しでも長く維持する為には今は例え敵対する筈のマスターの手であっても借りたかった。
 先のアーチャーとの戦いでの消耗は、戦闘の密度に比べては少ないものであったが――ライダーは単一で血管獣に対峙するアサシンの背を見た。

 彼女に関する情報はライダーには殆ど無い、アサシンはその名の通り暗殺を旨とするクラスである故、正面きってのぶつかり合いに長けているとは思えなかった。
 ランサーはこれで宝具を使うのは3度目だ、これ以上戦力としてアテにする事は出来ない――――いや、誇り高い彼女ならばそれでも、という確証に近い予測があったが、それでも、これ以上ランサーをこの場の戦いに出すのは騎士の誇りにもとる、ライダーには出来ない。

 つまり、アサシンがしくじった時点で、闘えるのは自分だけとなる。
 己が単騎で血管獣と戦い、マスター達を逃がさねばならない。

 だからこそ、この場での圭司の助力がライダーには本当にありがたかったし、幾許か期待を込めた瞳でライダーはアサシンの背を見た――。


[No.374] 2011/05/24(Tue) 22:17:10
執終の王W (No.374への返信 / 23階層) - アズミ

 迫る血管獣の巨体。100tトラックにも勝るその威容は、キャスターの150cmそこそこの華奢な身体など紙屑のように吹き飛ばしてしまう――かのように、見える。
 だが、それは錯覚だ。
 アレの全ては呪詛。対象を弾劾し罵倒し破砕する悪意の塊。質量は問題にはならない。

「黒天洞――……」

 アサシンが掌に呪言を書き記すと、僅かに黒い波紋を残して血管獣が『突撃をいなされたように』その場に転がった。

「なっ……!?」

 誰のものかは解らないが、驚きの声が背後から漏れる。
 確かに、物理法則をまるで無視した絵面だ、仕方あるまい。実際にやってのけたアサシンをして、この異形の特異さ自体は驚きを禁じ得ないのだ。
 存在としては原始的な式神のそれを極限まで拡大したような構造だが、これほどの呪塊、地上に存在した話など聞いたこともないし、それ以前にこんなものが闊歩すれば抑止力に排除されるはず――。

(それとも、『これこそが』……?)

 倒れた血管獣の背中から触腕が伸びる触腕がアサシンの思考を遮る。
 狙いは大雑把で、アサシン諸共背後のマスターたちを吹き飛ばしかねない。……それを意図するだけの理性があるかは怪しいところだが。

「撃ち漏らしはお願いします!」

「よしきた!」

 ライダーが応じた。その隣に控えるバーサーカーのマスターも水の刃を振るう。
 アサシンはそれ以上背後を気にすることなく、疾駆した。あの触腕の攻撃をこちらに引き寄せる必要がある。あのぐらいの規模が彼女の反撃には『ちょうどいい』。

「炎天よ、奔れ!」

 アサシンの呪術が火炎を巻き起こし、血管獣の脇腹を灼いた。

「■■■■――――ッ!?」

 地を揺るがす悲鳴。
 血管獣のもたげた首が、アサシンを向いた。……やはり大方の知能は獣並だ。戦術的な駆け引きは知らないと見える。
 身を起こすものの、その巨体ゆえに急激な反転は出来ない。正面に見据えた敵以外は、やはり触腕で追い始める。

「はいはい、鬼さんこーちらっと♪」

 近接型クラスとは比べるべくもないが、アサシンのはしっこさはそれでも人類の及ぶ領域ではない。
 迫る触腕を呪術でいなし、かわし、あるいは建造物を盾にしながらその注意をマスターたちから引き剥がした。

「……この辺りが頃合いでしょうか、ね!」

 アサシンが足を止めると、ここぞとばかりに触腕が大挙して押し寄せる。あれ一つ取ったとて、直撃すればただでは済むまい。数が増えたので受け流すのも容易くはいかない。

「そんなに慌てなくても、お相手は一本ずつとっくりと――氷天よ、砕け!」

 冷気、炎、暴風。立て続けに放たれた呪術が物理事象を以ってそれらを迎撃していく。
 だが、血管獣の攻撃のほうが幾許か速く、幾許か手数が多い。ついには一本の触腕が弾幕を抜け、アサシンに迫った。
 その先端に鈍く光る針が、彼女の心臓を穿たんと突き進む。

「アサシン!」

「――細工は流々。後は仕上げをごろうじろ、です」

 マスターの心配をよそに、アサシンは迫ってくる凶刃に最早対処する様子すらない。
 右の指が、左掌に呪言を刻む。

「いざや散れ、常世咲き裂く怨天の花……」

 『それ』を間近に見たかの松尾芭蕉は自著にこう記している。――蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
 それは祟り神たる彼女の象徴。大地を冒す猛毒。堕ちたる日天の欠片。


「――『常世咲き裂く、大殺界』」
 (ヒガンバナ セッショウセキ)


 触腕が胸に触れた瞬間、破壊は刹那の間も許さず履行された。
 血管獣の身体が呪詛そのものであるなら、その全てが魔術を通す径路になっている。呪詛とはそもそういうもので、相手と直接径路が繋がるがゆえに強大な殺傷力と――反撃を直接受ける危険を常に内包する。

「今のあなたはダイナマイトを振り回して、導火線を火に突っ込んだようなものです」

 アサシンの言葉に従うように、触腕の中を『何か』が本体へ遡って行く。

「ぎ ―― が ――ッ!?」

 血管獣はそれをなんとか排除しようと己の触腕を攻撃するものの、遡るスピードに間に合わない。……無為なことだ。それが出来た術者なぞ、この国の呪詛1800余年の中で誰ひとりとして居はしない。

「これがいわゆる呪詛返し。
 呪殺者がしばしば呪詛を失敗しただけでなくそのまま死んでしまうことから、『人を呪わば穴二つ』、と古代の人々は表現したのです」

 アサシンがぴ、と人差し指を上げると、それが合図だったように本体に到着した呪いがその巨体を崩壊させる。

「勉強になりましたか?」


 まるで紙細工を引き裂くように。赤の巨体が一つ震えて、呆気なく散った。





 血管獣が崩壊して、数時間後。

「――退けたか」

 遥かに遠く。ビルの屋上から異形の砕け散った場所を睥睨して、空涯は独りごちる。

「アレの成長はまだ、英霊一人にどうにか満たぬ程度、と見るべきだろうな」

 傍らに超然と立つ己のサーヴァント……あのショッピングモールで現れた異装の男に、視線を向けぬまま空涯は問う。

「なればこそ、今の内に聖杯を満たさねばならん。
 ……『セイヴァー』、小聖杯はどうか」

 異装の男――セイヴァーは、手に携えた旗を見た。
 彼自身の容姿と同じく、国籍不明の異様な戦旗であった。大まかな様式は日本の陣中旗であるが、書かれている文言はラテン語。描かれた絵に至っては――……聖杯である。

「今しがた一人、入った。キャスターだ。『水増し分』のな」

「誰がやった?」

「アーチャーだろうよ。あれの矢を防ぐ手段はそうはない」

 セイヴァーの言葉に、空涯は顎を撫ぜる。
 現状としては、悪くない流れだ。聖杯戦争という儀式の進行度は遅いものの、今のところ決定的な誤りもない。

「どうする、空涯。……今ならランサーは取れるぞ」

 敢えてランサーの……志摩康一のサーヴァントの名を出したのは、彼流の嫌がらせに違いない。
 空涯はどうもこのサーヴァントの、逸話とは程遠い斜に構えた態度が好かなかった。無駄が多いからだ。

「まだ役に立つ。捨て置け」

 セイヴァーは己のマスターの巌のような表情を覗く。親子の情が微塵でも立ちいった様子はなかった。
 言ったままの理由で、この男は判断している。それだけ確認すると、異装のサーヴァントは霊体となって虚空に消えた。

「では引き上げるがいい。加賀の老人に見つかると手間だからな」

「あぁ、わかっている」

 黒の魔術師は踵を返すと、目の前に浮かぶ球体に軽く触れる。
 刹那の後、その姿はいずこともなくかき消えた。

 頭上には傾きかけた太陽。
 湖底市の長い一日が、ようやく暮れようとしていた。


[No.375] 2011/05/24(Tue) 22:17:53
暫時の会談 (No.375への返信 / 24階層) - きうい

 「……えげつね。」

 内部から炸裂する血管獣の姿に、あれがキャスターとして召喚されていなくて良かったと、心の底から思った橋口である。


――――

 「怪我人を抱えてる。早く戻りたい。」
 「分かってる。」

 言葉とは裏腹に、康一は『糸』の用意をしていた。

 回答次第では、今殺す。
 否、今『殺せる』。
 その選択肢は、七貴マリナに対してさえ、常に準備しているものだ。

 「何故わざわざ、アレの前に現れた。」
 「偶然だよ。偵察に来ていたら、戦闘の気配があった。」
 「理由にならないな。」
 「んー……。
  『拘り』、では、納得しないか?」

 顎をさすりながら言う橋口に、嘘を言う様子は見られなかった。

 「何を。」
 「正々堂々と……とまでは言わないが。
  漁夫の利で勝ちたいとは思わん。
  それに、『あんなもの』を無視して逃げたとなったら、俺は寝ざめが悪い。」
 「早死にするぞ。」
 「違いない。
  だが、お前らの倍は多分生きてる。だから許せ。」

 バンの中から、七貴マリナが天川希の治療をしつつ会話に耳を傾けていた。

 敵ではない。いや、敵ではあるが、今は敵対していない。
 本来利益を奪い合う存在であるマスター同士が共闘関係に至るには、それなりの利と理が必要だ。

 バーサーカーのマスターの、今回の行動は、評価に値する。
 だが、魔術師の人格というのは往々にして、余人の理解を超えるものだ。
 『いい人そう』と、『悪い人そう』という感覚は、魔術師を見る上で最も役に立たない評価基準である。


 「何故、英霊と一緒に来なかった。」
 「ん……。」

 当然の疑問に、橋口は唸った。その様子を見て、志摩康一は隠すべき何かがある、と確信する。

 「負傷していて動けない」
 「既に敗北しこの世にいない」
 「たまたまはぐれているだけで近くには居て、同じく偵察行動をとっている」

 言い訳は、いくらでもある。
 そのどれも、選ばなかった。

 「まあ、いいか。そちらの英霊も見せて貰ったことだし。」

 橋口は嘆息し、渋く笑った。

 「……白状すると、うちのバーサーカーは『運が強くて』ね。
  原理はわからんが、一緒に行動してると『不利な相手と出会えない』。情報不足で困窮してたところなんだ。」
 「そうか。」
 「そうだ。」
 「その運が強いバーサーカーと離れたところで、個別に殺されるとは思わなかったのか?」
 「それ以上に、敵の顔もわかんないってのが不利だと判断した。
  必要なリスクだ。こっちも戦術ってものがある、知らないうちに知らない奴に分析されるのはごめんだ。」

 間。

 「帰っても、いいかな?」
 「ああ。こちらも負傷者の手当てがある。」
 「俺も疲れた。」

 だいぶ、分かった。
 『戦術を必要とするバーサーカー』。――――同盟を組んでいる自分が言えた義理ではないが――――それなりに癖の強い英霊なのだろう。
 最近郊外に集まった多数の人の気配は、まあ、三分の一ぐらいの確率でこいつ。

 「じゃあ、次は万全の状態で出会おう。」
 「――――逃がすと、思ってるのか?」

 背を向けた橋口に、康一が言葉を投げた。

 「思ってるさ。」

 橋口は振り返って笑った。

 「お前も、『あの時俺の背を狙わない程度には』、拘りがあるようだからな。」
 「……俺も早死にしないようにするよ。」
 「是非そうしてくれ。」



 そして、パジェロは行った。


[No.376] 2011/05/24(Tue) 22:18:51
少女偽曲W (No.376への返信 / 25階層) - アズミ

 治療を終えた希をバンの後部座席に固定すると、康一は運転席に戻らずにライダーを見た。

「運転は解るか?」

「――まぁ、恐らくな」

 暫しの逡巡の後、頷く。
 ライダーのサーヴァントは大概、騎乗という乗用物を自在に操る才覚を備えている。自動車自体は初めて乗り回すとしても、先刻まで康一の運転を見ていた彼ならば並以上には操れるはずだった。

「行くのか?」

 ライダーの問いに、康一は頷いた。
 察しのよすぎる己のサーヴァントとの会話に、置いてけぼりを食らったマリナが慌てて遮る。

「い、行くってどこによ!?」

「『今後の準備に』、だ。
 ……夜には工房に戻る。じゃあな」

 康一はそれだけ言うと、背を向けて路地に消えていった。彼のサーヴァントは無言でそれに追随する。

「ちょ、ちょっと!」

「マリナ」

 引きとめようとしたマリナを、ライダーが制止した。

「宝具を、この短い間に三回だ」

 意図的に足らせていない言葉であったが、マリナはそれだけでどうにか察した。
 ランサーはこの一連の戦闘だけで宝具を三回も使用している。ただでさえ不調で負担の重い宝具を、三回。
 彼女の魔力はもう空っぽに違いない。エーテルで身体を構成するサーヴァントにとって、行きすぎたそれは致命的な問題だ。億尾も出さなかったが、内心相当キツかったのではないか。

「だったら!余計放って置くわけにはいかないでしょ!?」

 血管獣の突撃を防いだ一回を度外視しても、残りの二回はライダーと希のために行使したのだ。彼にとって、本来助ける義理のない相手に。
 大きな借りだ。ここで単独で動かせるような危険は冒させたくない。
 だが、ライダーは首を振った。

「ダメだ。彼がそれを辞したんだ。我々はそれほど彼に信用されていないし、そうあるべきなのは違いない」

 彼とてランサーに恩義は感じている。セイバーとの緒戦で受けた借りはアーサー王との戦いで返したつもりだったが、またしても大きな借りを作ってしまった。
 弱った彼らを襲うような騎士道にもとる行為は埒の外としても、彼らが回復するまで全霊を以って護るのが筋だとは思う。

 しかし、それを康一は良しとしなかった。

 さもあらん。同盟を結んでいても、最終的には……全てが首尾よく運び、聖杯の前に二組で立ったとしても……彼らとは敵対する宿命だ。
 必要以上に馴れ合うべきではない。……そして恐らくは、康一は『いつマリナたちが自分を殺しに来ても対処できる』、その距離を己に課しているのだろうとライダーは察した。

「なによ、それ……!」

 マリナは憤慨した。
 ライダーの言う理屈は解る。康一の判断は賢明だ。だが、彼が今まで『賢明な判断』に徹してきたわけではない。
 顔も知らない舞子の捜索に協力してくれた。サーヴァントが脱落しようという時に、危険を冒して助けてくれた。
 さんざいい顔をしておいて、『信用はしていない』?

「勝手な奴……!」

 マリナは憤慨した。
 康一の筋の通らない身勝手さに。そんな奴に借りを作る己の不甲斐なさに。

「……乗れ、マリナ。病院へ向かわなくてはならない」

 ライダーは大きく息を吐くと、主の背を押して助手席に促した。





 マリナらから姿の見えなくなったところで、ランサーがその場にくず折れた。

「ランサー!」

 康一が抱き起こすと、その身体は熱病に冒されたように熱い。サーヴァントの身体が熱病を患うはずもないが、魔力の過度の消耗が似た状態を引き起こしているのは想像に難くなかった。
 不調であるのは悟っていたが、まさかこんな状態を今まで隠し通していたとは。

「申し訳……ありません、主……」

「待ってろ、そこの車を頂いて行く」

 ランサーを助け起こし、路上に停められた乗用車に向かう。
 身を預ける主に、従僕は力なく笑った。

「きっと――今頃、マリナは怒っているでしょうね」

「あぁ……そうだな」

 ランサーの状態を考えれば、彼らと共に行動するのが安全ではあった。マリナもそう考えるし、彼女はたぶんその選択に疑問さえ差し挟まない。
 だが、それをしてはならない。彼女が望んだとしても、自分の側は最後に彼女の敵に成り得ることを忘れてはならない。
 それが、願いのない自分が願いのある彼女と相対する上で、通すべき筋だ。いや、あのバーサーカーのマスター風に言うならば、『拘り』の一端。

「悪いな、ランサー。苦労をかける」

 ドアのロックを外しにかかりながら、康一は沈痛な表情で謝罪した。
 康一とは違い、ランサーは聖杯を求めている。
 その先にかける願いがなくとも、聖杯を手に入れることに命さえかけるだけの理由がある。
 その彼女に自分の『拘り』に付き合わせるのは、正直なところ心苦しかった。
 ランサーは、ライダーと希を捨て置くべきだった。それでマリナは聖杯戦争から脱落し、勇治らの戦力は大幅に減ずる。……それが賢明な選択だ。
 だが、彼女は鷹揚に笑ってそれを否定した。

「言ったはずです。我が願いは名誉の回復。なれば――その過程においても、気高くあらねばなりません」

 だから、気にするなと彼女は言った。
 空言ではあり得なかった。現に彼女は命の危険と、命に替えても叶えたい願いをその誇りの犠牲にしている。

「あなたは、この私が誇るべき判断をしました。
 どうか、気に病まれることなきように――」

 だが、康一は思う。その誇りは、きっと報われはしない。
 康一はその気高さに足る主ではないし、彼女の主はもう、この世には存在しないのだ。

「――……ランサー」

 康一の言葉は、それ以上先を結ぶことがなかった。ただ、決意はした。

「ランサー」

「……はい」

「お前の宝具の不調、直せるかもしれん」

 決着をつけなければならない。自分と彼女の矛盾に。恐らくは彼女の力を奪い取っている、その矛盾に。相対しなければならない。
 驚いた表情で言葉を失うランサーに、康一はまっすぐな視線を向けた。

「お前の真名を、取り戻す」


[No.377] 2011/05/24(Tue) 22:19:33
天幕模様X (No.377への返信 / 26階層) - ジョニー

「本当に此処でいいんだな?」

 指定されたホテルの前に車を止め、問いかけてくるライダーに勇治が頷く。

「あぁ、天川は比較的濃い混血だからな。普通の病院は避けた方がいい」

 交わったモノの違いもあるんだろうが、いまだ強力な異能が発現する遠野に比べれば薄いんだが、それでも一般の病院は不味い。
 そう言っても、混血についてそこまで詳しくはないマリナは納得しきれない様子を隠しきれない。

「宝具使っての半分蘇生ですから、あとは治癒促進(リジェネレーション)を全開にすれば平気ですよー」

 血がちょっと足りないんで貧血気味かもしれませんが。
 衣装変えもステッキの顕現もしないままの転身をした状態でルビーが問題なしと太鼓判を押す。

「ルビーで足りたい分は、元々俺が持ってきたものがある。俺用だが、アサシンが手を加えれば問題ないはずだ」

「……そうですね。アレをああすれば…はい、お任せくださいご主人様!」

 勇治が用意していた医療品を思い浮かべて、なんとかなると判断したアサシンはポンっと胸を叩く。

「そういうことだ。ただ俺達は希に付きっきりになるから教会への説明は頼む」

「そういう、ことなら」

 渋々という風にマリナが頷くと、その了解を得てアサシンが希を背負って車を降りる。
 勇治とアサシンが視線をあせて、軽く頷きあうとアサシンはそのまま先にホテルへと入っていく。

「さて、とりあえず確認だ。黒化英霊とあの血管に関しては同盟だ、それはいいな?」

「えぇ、それはいいけど」

「あぁ、だが通常の聖杯戦争に関しての同盟じゃない。無論、一般人に手を出すようなマスターやサーヴァント相手なら喜んで手を貸す」

 聖杯戦争に関しての同盟じゃない。その一言にマリナとライダーの表情が真剣なものになる。

「元々俺は巻き込まれた口だ、聖杯に対する願いはない」

「なら……」

「だが、黒化英霊に対抗する為の戦力としてサーヴァント召喚を試みて、あいつはそれに答えてくれた」

 マリナの言葉をさえぎり、そのまま勇治は話を続ける。

「黒化英霊退治なんてサーヴァントに一文の得にもならないことにあいつは力を貸してくれた」

 勇治の脳裏に、つい先程のマスターである自分の制止を振り切って血管獣に立ち向かったアサシンの後ろ姿が移る。
 あの血管獣と対峙して、なおかつ自分達を庇うように戦った、あの背中を思い出す。

「俺はあいつに感謝してるし、その恩は返したい。つまり、俺はあいつの願いの為に聖杯戦争を戦う」

「……それって、宣戦布告?」

 マリナの険しい口調と表情にも、勇治は真剣な顔を向ける。

「そう取っても構わない。
黒化英霊や血管と戦うのは天川としての使命。
聖杯戦争を戦うのはあいつのマスターとしての義務と、あいつの願いを叶えてやりたいという俺自身の我儘だ」

 言って、勇治は内心苦笑する。
 個人的な感情から来る我儘など一体何年ぶりだろうか、しかも命懸けの我儘だ。我儘に命を賭けるなど次期当主として失格だろうなと思うが、それでもいいと思う自分に軽く驚く。

「勘違いしないで欲しいが、黒化英霊や血管の件が片付くまでそっちと敵対するつもりはない。ランサーにそのマスター、それとお前には希を助けてもらった借りがあるしな」

 話はそれだけだと言って、連絡先として携帯の番号を書いたメモを渡して車を降りて、勇治は振り返らずにホテルへと入っていく。


[No.378] 2011/05/24(Tue) 22:20:10
暗く蠢く (No.378への返信 / 27階層) - ジョニー

 暗い暗い場所にあって、その部屋よりも尚暗く淀んだ空気の若者が不機嫌そうにそこにいた。

「ふ、ん。空涯の若造がよもや小聖杯を用意してくるとは」

 若者でありながら、何処か老人染みたその男が忌々しげに呟く。
 閉じられたその左目に、彼の湖庭市に張り巡らされた網に掛かった、遠い地の映像が映っている。

「ワシの用意した聖杯ではなく、若造の聖杯に注がれるとは……まぁ、いい。どの道大聖杯は此方で確保してある」

 彼、加賀宗造の左目に一人の女性の姿が映る。
 加賀円、今の宗造の戸籍上の妹であり予備の胎盤。そして、宗造が試作品の小聖杯にした贄。

「生きた令呪も、この小聖杯も…予想より下回るな。予定通り、次回以降が本命と言いたいところだが……少々イレギュラーが多すぎる、次を開けるかどうか」

 黒化英霊にクラスカードの散逸。黒化英霊に関しては最強の駒を手に入れたので良しとする、カードの散逸も最終的にすべて自分の手に収まればよし。
 だが。

「局外騎か、よもやあのようなモノを……下手すればこの地の地脈が駄目になる、そうなれば次を開けん」

 次回以降を本命としてきたが、此処に至って次回以降を出来るかどうかが怪しくなってきた。

「ふん、ならば……此度の聖杯戦争に本腰を入れねばならんか」

 既に回収したクラスカードはアーチャーとライダーの2枚。だがその代償にヘラクレスは7度死んでいる。
 第五次聖杯戦争のバーサーカーよりも劣化しているとはいえ、それでもそこまで簡単に死ぬはずはないと思っていた。が、生きた令呪で縛った所為で能力が幾らか落ちていた、その所為で本来は喰らわずに済んだ宝具の直撃を受けて既に半分以上の命のストックが失われている。
 現状、生きた令呪の弓と黒化バーサーカーのヘラクレスは鬼札というにはいささか足りない。

「ランサーは混血の餓鬼、セイバーは志摩の小童、キャスターは英国の小娘……残りはアサシンだけか」

 こうなると既に黒化英霊がサーヴァントを減らすのは期待できないだろう。
 すっとアーチャーのカードを取り出す。

「小娘の従えるアーチャー、あれが破れれば……ワシ自らマスターとなるのも吝かではない、が」

 クラスカードと小聖杯に収まった英霊の魂、そして空いたクラスの枠。
 この3つがあれば宗造ならばサーヴァントを1体追加して従えるのは不可能ではない。そもそもこの地のサーヴァントシステムを構築したのは彼なのだから。

「やはり問題は若造の持つ小聖杯か」

 何処までも忌々しい。
 加賀の小聖杯にアーチャーの魂が収まればそれでいいが、その可能性は低いだろう。
 しかし、今の手札で空涯とそのサーヴァント2体を斃すのは不可能に近い。

「その前に、ワシの小聖杯に躾をせねばらんか」

 くつりと、宗造は左目に移る加賀円を見て嗜虐的な笑みを浮かべた。







 加賀円は、七貴マリナの家…つまりは七貴の工房に急いでいた。
 円はマリナと仲がいい訳ではない。それどころか、お互いに距離を取っているような間柄だ。
 だが、舞子という共通の親友がいる。

 円が急ぐのは、その舞子の為だった。
 マリナが死ねば、舞子が悲しむ。ただそれだけの理由で今円は命を賭けていた。

 加賀宗造の犯したルール違反。
 黒化英霊という定数外を、彼女の姉を生きた令呪として縛り従えた事。
 その黒化英霊のクラスはバーサーカーで、真名はヘラクレスであること。
 ヘラクレスの宝具である十二の試練のこと、すでに7度死んでいる事。

 これら、円が知りえた事を知らせる為に走っていた。

 円は知らない。
 この己の行動に対して既に宗造が動き出したことを。
 そして、自分の身体が加賀の小聖杯として弄られていることを。


[No.379] 2011/05/24(Tue) 22:20:36
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