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No.470に関するツリー

   儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/0 - 咲凪 - 2011/07/28(Thu) 00:29:53 [No.470]
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/1 - 咲凪 - 2011/07/28(Thu) 01:01:34 [No.471]
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/2 - 咲凪 - 2011/07/28(Thu) 02:16:47 [No.473]
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/3 - 咲凪 - 2011/07/28(Thu) 11:08:54 [No.474]
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/4 - 咲凪 - 2011/07/31(Sun) 01:26:08 [No.479]
一瞬の虹色、永遠の灰色/1 - アズミ - 2013/07/14(Sun) 21:02:00 [No.551]
廻る祈りの遺灰(くれめいん) - 咲凪 - 2015/01/31(Sat) 02:00:23 [No.617]
一瞬の虹色、永遠の灰色/2 - アズミ - 2015/02/02(Mon) 22:43:47 [No.618]
一瞬の虹色、永遠の灰色/3 - アズミ - 2015/02/06(Fri) 22:12:06 [No.619]



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儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/0 (親記事) - 咲凪

※注意※このスレッドは本編スレッドではありません!

メインテーマ:snow tears/中川翔子


[No.470] 2011/07/28(Thu) 00:29:53
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/1 (No.470への返信 / 1階層) - 咲凪

 その書き込みは1999年5月4日、掲示板サイト『白夜』に書き込まれていた。

 白夜は自らの住処を離れるという事が無いタイプの“妖怪”向けに開設された掲示板だった。
 人の世の中で妖怪が生活するという困難は大小様々語りつくせぬ程に多い、白夜は妖怪達が体験した困難を語り、それを参考にして他の妖怪達が勉強し、時にアドバイスをする為に作られたサイトだった。

 ……だった、過去形である。

 妖怪と人間の共存を望まぬ者の手もあったろうし、面白半分の者も居ただろう。
 白夜という名の通り、真っ白い壁紙に黒い文字で書き込みが出来るだけの淡白過ぎる掲示板サイトは“荒れに荒れた”。
 荒れる、というのは暴言や関係の無い書き込み、公序良俗に背いた発言をしたり、などと掲示板の雰囲気を悪くし、参加者の邪魔をする事を指すのだが……これがまた、多いに荒れた。
 暴力的な言動は序の口、アダルトやグロ画像にリンクを張ったり、時にはウィルスを仕込まれる事さえあった。

 ……そして、妖怪が穏やかに過ごしていけるように、という淡い願いが込められたサイトは、あえなく閉鎖してしまう事になる。

――モノクロームのバランスは崩壊しました。

 見るのもウンザリするような暴言や何処に繋がっているかも判らないリンクの中に、こんなメッセージがある。

――モノクロームのバランスは崩壊しました。

――白が白であり、黒が黒として保って来た均衡が崩れたのです。

――本来ならば裏と表が入れ替わり、混沌としてしまう筈でした。

――しかし世には新たな秩序が生まれました。

――白は黒と交わり、黒は白を知ったのです。

――それは善ではありません、悪でもありません、結果に過ぎない。

――しかしそれは灰色になった訳では無いのです。

――白はやはり白であり、黒は黒にしかなれない。

――白と黒が並んだゼブラの世界が、今の世なのです。

――白と黒は混ざり合わないのです、灰色にはならないのです。

――私は灰色になりたい、私は灰色になりたい、白は嫌だ、白は嫌だ、黒は嫌だ、黒は嫌だ、私は灰色になりたい、白は嫌だ、黒は嫌だ、私は灰色になりたい、私は灰色になりたい、私は灰色になりたい、私は灰色になりたい、私は灰色になりたい、私は白は嫌だ、私は黒は嫌だ、私は灰色になりたい、私は黒は嫌、私は灰色、私は白は嫌、私は白黒は嫌、私は灰色になりたい、私は灰色になりたい。


――私は、灰色になりたい。


[No.471] 2011/07/28(Thu) 01:01:34
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/2 (No.471への返信 / 2階層) - 咲凪

 1999年、7月28日。
 掲示板サイト『白夜』は閉鎖から復帰した。
 とはいえURL、つまりサイトの住所は前と異なり、レイアウトも若干凝った物になっている。

 誰かが面白半分で作った“ニセ”二代目サイトというのが大体の見識であり、人間も、妖怪もまた二代目白夜には関心を寄せなかった。
 その甲斐あってというべきか、その所為でというべきか、白夜は当初の目的を離れ、無秩序な噂が書き込まれるサイトになっていた。
 例えば、人魚の肉を食って不老不死になった小説家が居るだとか、雪女がアイスの食べすぎで腹を壊したとか……そんな根も葉もないような噂が時たま書き込まれているだけの、暇人が暇を潰すのにも使わないようなサイトが、今の白夜だ。

――東京の殺人事件、妖怪の仕業だってよ
――はんにんつかまってますよ、にんげんだっていってる

 件の『二代目白夜』を出掛け前に確認したのだが、新たに加わった根も葉もない噂に、管理人が律儀にレス(返事の事だ)を返していた。
 漢字もカタカナも一切使わないひらがなオンリーの文字が読み難い事このうえない。
 以前会った時に読み難いので何とかしてくれ、と言ったら「これがわたしのすたいるだからきにしないで」と返された。
 その発言さえひらがなで聞こえて頭が痛くなる気がしたが、案外本人もひらがなのつもりで発音していたのかもしれない。

 アイツは最寄駅から数分歩いた先にある、湖底市にあるビルの一フロアを棲家として使っている。
 元々ビルそのものがアイツの祖母の持ち物だったらしく、それが巡り巡って今はあいつがオーナーになっていて、3っつあるフロアの最上階を独占しているという訳だ。
 電車に揺られていた数十分は冷房が効いていたが、一歩車外に出てしまえば真夏の気温と陽射しが容赦なく俺を襲った。
 ほんの数分とはいえ、噴出してくる汗と陽射しに少しだけ眉が寄るのを自覚しながら……俺は冷房がキンキンに効いたアイツの部屋を想像した。
 前に訪れた時に冷房が効きすぎて寒くなってしまったのを警戒して、少々夏だというのに着込んできてしまったのだ。
 着込んでいた上着を脱いで畳んで脇に抱えると、俺はハンカチで額の汗を拭きながらアイツの住むビルへと向かう、時刻は既に午後2時を回っていた、もう少し遅く着いても良かったかもしれない。

 湖底市は妖怪特区の一つ、つまり……人間と妖怪が共存する街だ。
 生まれた時から妖怪が周囲に認識されていた俺にはよく判らない感覚だが、当時はそれは揉めたらしい。
 だが俺は戦争を知らない世代で、“妖怪が居ない世界”を知らない世代だ、この湖底市の空気はむしろ馴染むとさえ思える。

 平日の昼間はまだ子供達は学校に行き、大人達は働いている時間の為、ちらほらと見かけるのは老人と妖怪(たぶん、という連中もいるが)、そしてスーツ姿の営業組だ。
 俺は今回の用事の為に会社に休みを貰っている為、サボりではない、断じて働いていない訳でもない。
 普段の真面目な行いのおかげで、上司も数日の休みを許可してくれた――おっと、途中のコンビニで手土産にビールでも買っていこうと思っていたのを忘れていた、慌てて買ってくる。

 ……片手にコンビニのマークが入った袋を提げて、俺は目的のビルの3階にある呼び鈴を押した。
 ややあって、「はい?」という声が聞こえる、相変わらず透き通るような声だ、それだけで少しだけ涼しくなったような気がする。

「理小路、俺だ」
「……だれだ」

 ひどい。

「宮野川だよ、宮野川幸助!、お前の高校のクラスメイトだった!」
「……あぁ、なんだ、こうすけか」
「この前も会って飯食っただろうが!?」

 その言葉に返事は無かった、その代わりにほんの少しの間を置いて目の前の扉がぎぃっ、と重い音を立てて開かれた。
 扉の隙間から部屋の中の冷たい空気がすぅっと漏れてくる、どうやら相変わらず冷房を効かせているらしい、まぁ、こいつの場合はそれも仕方の無い話だが……出てきた顔を見て、俺は思った。

「……きょうへいじつだよね、ひまなの?、こうすけ」
「自宅警備員のお前に言われたくねーよ……」

 見慣れた白い少女がそこに居た。
 肌は穢れの一切を拒絶するように美しく、健康的とはいえないが、儚い物が持つただそれだけで尊いと思わせる雰囲気を持ち、同じく白い髪は老化による白髪とは違い、きめ細かく。男の俺にはどうなってるのかすら判らないさらさらとした質感を感じさせる。
 大きな瞳がじっと俺を見つめ、整った唇が俺の名を呼んだ。

「っていうか、お前パジャマかよ、もう昼過ぎてんだぞ、2時過ぎだぞ?」
「いいじゃん、べつに……」

 だがコイツなぁ、性格が残念なんだよなぁ……。


[No.473] 2011/07/28(Thu) 02:16:47
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/3 (No.473への返信 / 3階層) - 咲凪

 理小路細(りこうじ・ささめ)は俺の高校の頃からの友人だ。
 最も、友人と言うと向こうは「くらすめいとだし」と、肯定とも否定とも取れる返答を返すので、向こうとしては不本意なのかもしれない。
 理小路……このパジャマ姿の少女が俺と同年代だなんて思う人が何人居るだろう。
 妖怪には人とは違う時の刻み方をする連中が多く居るが、理小路もまたその1人だった。
 同じ高校に通っていた、という事実から同年代だと勝手に思っているが、もしかしたら年上だという可能性も全く無い訳では無い。
 だが、彼女の見た目は端的に言えば、少女でしかない。
 低い背とあどけなさの残る顔は今も高校生か……中学生くらいか、それくらいの年齢にしか見えない。

 理小路は雪女らしい。

 らしい、というのはその事実と理小路の印象が、俺の頭の中でうまく結びつかないからだ。
 アイツは他の雪女のように、寒波を作り出したり、息を吹きかけて相手を凍らせたりという凄い能力は無いそうだ、昔本人が言っていた。
 理小路のとんでもなく可愛い容姿(というと苦笑いしか出てこないが)は彼女が妖怪だからだ、そもそも、人間と同じ理屈で彼女の肉体は成り立っていない。

「相変わらず冷房効いてんなー、涼しー……」

 理小路に部屋に通されると、部屋の中に充満した寒気が俺の身体を包んだ、外で多少汗を掻いていた俺には心地良いが、そのうち寒くなってくるのは容易に想像できる、早めに抱えた上着を着直す事にする。
 理小路は相変わらず薄いピンクの柄の無いパジャマのまま、「てきとうにすわって」と言うと、自分はテーブルを挟んだ座布団の上に座った。
 テレビにゲーム機が繋がれたままの居間は近代的で、人間の暮らしと基本的に差は無い。
 彼女に習って向かいの座布団に座ると、まずは買っておいた手土産の入った袋をテーブルに置く。
 理小路はその袋を見て「なに?」と小さく尋ねてきた。
 薄いビニールのレジ袋は中のビール缶の柄を浮かび上がらせていたので中身は察しているのだろう、視線に僅かな期待の色がある。
 コイツは外見に似合わず、結構酒好きだ、煙草は苦手で吸わないそうだが。
 やっぱりビールを買って来て良かった、と思って居ると理小路はレジ袋の中のビール以外の存在を目ざとく見つける、あぁ、それは……。

「こーら?」
「あぁ、面白そうなんで買ってきた、ビールは土産だ」
「きゅーかんばー……きゅうり、きゅうりぃ?」
「キュウリ、すげーだろ、つい買っちまった」

 胡乱げな瞳で緑色の炭酸飲料が入ったペットボトルを見る理小路を見て、買った甲斐を感じる。

「こんなのおいしいわけないとおもう」
「いや、河童とか好きなんじゃね、キュウリだし」
「それはかっぱをなめてる……いえ、すきかは、わからないけど」

 興が沸いて、2人でキュウリのコーラを飲んでみた、味は微妙だった、きっと河童もこれは御気に召さないだろう。
 理小路の口にも合わなかったようで、口直しとばかりにビールに手を伸ばす、真昼間だというのに全くの躊躇無し、さすがです理小路さん。

「あ、ちょっと待て、酒飲む前に本題を話したい」
「ほんだい?、あ、そっか、こうすけなにしにきたの?」
「俺が酒をお前に届けに来たとでも思うのか?、えっと、だな……」

 理小路は言葉を捜す俺を見て、きょとんとした顔をする。
 この様子だとまだ知らないのか、選ぶ言葉が、必然的に重くなる。
 ……だが、伝えない訳にもいくまい、俺はうつむきそうになっていた顔を上げて理小路の眼を見た、それだけで理小路は俺が真面目な話をしようとしているのを察したようだった。

「理小路、落ち着いて聞いてくれ」
「うん」
「……えっと……」

 面と向かうと、どうしても伝え辛い。
 電話で伝えなかった事には理由がある、コイツは昔から人付き合いが苦手で、外出もそんなに好きではない。
 電話越しだと断られてしまうような気がして、こうして本人の前に足を運んだのだが、いざ本人を前にして言葉がうまく出てこなかった、どうしても来て欲しいから、彼女の為に一日多く休みを貰ったというのに。
 理小路は言葉に詰まる俺を見つめて、俺の言葉を待っていた。
 そんな顔にふいに戸惑いの色が挿す。

「……わたしにほれた、とか?」
「いや、それは無い、ありえない」

 こっちは即答できます、理小路さん。
 いや、だってお前、すごい美少女だけど、俺がお前に恋しちゃったらそれは世間ではロリコンって事になるんだが。
 でも年齢的には合法なのか?、理小路は「けっ」と美少女にあるまじき呟きを漏らすと、「なに?、いいにくいこと?」と、俺に言葉を急かした。

 確かに、言い難いが、伝えなくてはいけない。

「理小路、落ち着いて聞いてくれ」
「それはさっきもきいた」
「……高崎が、死んだ」

 理小路の瞳が揺れる、心の動揺が俺にも見てとれた。

「たかさき……たかさきって、まさか……」
「あぁ、高崎修一……俺達の、友達の」
「どう、して……?」

 テーブルに身を乗り出し、問い詰めるような言葉が震える。
 動揺する理小路を見るのは、胸が痛む。
 だがそれでも、俺は高崎の告別式に理小路も参加して欲しいと思っていた、だからこうして訪れたのだ。

「びょうき?、じこ?、しゅういち、あんなにげんきだったのに、それとも――」
「自殺だ」

 「え」と、理小路の声……というより、驚きが吐息に感情の色を与えたような音が聞こえた。

「高崎は、自殺したんだ」


[No.474] 2011/07/28(Thu) 11:08:54
儚くも在る灰色(ぐれい)のセカイ/4 (No.474への返信 / 4階層) - 咲凪

 ――1990年10月14日。

 図書室の机を借りて理小路と高崎はオセロに興じていた。
 たまたま本を探しに来た理小路が物珍しくて、面白半分でオセロをやらせて見たのが俺達の付き合いの始まりだった。

 盤上ではいつも白い駒が黒い駒……高崎に追い詰められていた。
 白い駒は当然理小路だ。

 俺はてっきり妖怪にとって人間のゲームは未知の物なのかと思っていたが、「それくらいしってる」と語った理小路の実力は、まぁ、酷いものだった。
 “カドを取るのがコツ”というオセロの定石を知らないのか、連戦連敗、白い駒とは対照的に、黒星ばかりが並んでいる。

 根が素直というか、愚直というか、傍から見ていても理小路の打つ手は判り易かった。
 例えるならばノーガード戦法というよりは、子供の喧嘩だ。
 ボコボコ打って来て、ボッコボコに反撃される、そんな戦い方だ。

「……またまけた」

 がっくりとうなだれる理小路、どうやら決着が付いたらしい。
 初めてオセロに誘った時は、ちっとも興味は無さそうだったのだが、意外と負けず嫌いな所があるらしく、理小路はそれから時々図書室に顔を出すようになったのだ。

「それじゃあ約束通り、名前を貸してもらうよ」
「うん、わかった」

 理小路に勝った高崎は、笑顔で一枚の紙とボールペンを理小路に差し出した、入部届けだ。
 そもそも、俺達が図書室に居たのは俺と高崎が文芸部だからだ。
 とはいえ、文芸部は背部寸前になっており、部員は部の存続を願う高崎と、その願いで名を貸して、文字通り名ばかりの文芸部員になった俺だけだった。
 しかし部として認められるには5人のメンバーが必要になる、2人だけではどうしようもない、と思っていた所に、ひょんな事からこの雪女の少女が出入りするようになった事に高崎は目を付けた。

 俺が3連勝したら、文芸部に入ってくれよ。
 高崎が3連勝する前に言い出した事に、理小路は「いいよ」と悩む素振りも無く頷いた。
 俺は正直意外に思った、理小路とは同じクラスだったが、こいつは人付き合いが嫌いなタイプだと思っていたのだ。
 それとも負ける気が無かっただけだろうかと思ったが、負けた後の潔さを見るに、俺には彼女が勝っても入部を申し出たのではないかと思えた。

「なんか意外だな、お前結構付き合い良いんだな」
「ひとづきあいはきらい、……ほんとうに、にがて」

 俺が思わず言った言葉に、理小路は誤解を解くように静かに答えた、そして。

「でも、ひとがきらいなわけではないから」

 そう付け足して、柔らかく微笑んだ。
 人付き合いが嫌いというのは本当だろう、彼女は今、クラスでも孤立している。
 しかし人が嫌いでは無いので、文芸部の存続に力を貸してくれるという事らしい。

「お前、案外いい奴なんだな」
「…………あんがい?」

 理小路の眉が寄る、なにか問題のある発言だったろうか。

「気にしないで、幸助はこういう奴なんだ」
「うん、だいたい、わかってきた……」
「おいおい、なんだよそれ?」

 俺が抗議の声を上げると、高崎は何が面白いのかニマニマと笑みを浮かべ、つられるように理小路も小さく笑っていた。
 その間にも入部届けを書き終えたらしく、彼女はそれを高崎に手渡す。

「ありがとね、細ちゃん」
「……さんねんかん、だけだから」
「いや、長いだろ、3年間」

 俺のツッコミを他所に、理小路は「さんねんかんだけだよ」と繰り返した。

「がっこうっていいところね、さんねんかんだけの、おもいでだから」

 その言葉の意味を、当時の俺は全く判っていなかった。

 ――1999年、現在。

 高崎の死を知った理小路は涙の一つも見せなかった。
 それが不満という訳ではなく、むしろ心のどこかで安心を感じていた。

「告別式、参加してくれるだろ」
「でも……わたしは……」

 やはり、理小路は告別式の参加を躊躇っていた。
 その理由も俺は知っている、迷うのも理解している、だがそれでも高崎は高校生活を共にした友達だったんだ。
 あの文芸部の仲間達で送ってやりたいと思う気持ちは……たとえこれが俺のエゴでも、強いものだ。

「頼む、気の重い事を頼んでいるのは承知しているが……」
「…………」

 理小路は座布団から立ち上がると、ドアを開けて何処か別の部屋へと行ってしまった。
 気を悪くさせてしまったかと思ったが、すぐに戻って来た事で少し安心する。
 彼女の手には、一枚のオセロの駒が握られていた。
 あの図書室で打っていたオセロの駒だ、俺も一枚持っていて、俺の部屋の引き出しに大切に仕舞ってあるものだ。

「……しゅういちは、わたしがくることなんて、のぞんでないんじゃないかな」

 ぱちん、と音を立ててテーブルの上にオセロの駒が置かれる。
 白い面を上にして置かれた駒を俺はつまみ上げると、裏返して黒い面を上にし、またぱちんと音を立ててテーブルに置いた。

「そんな事は無い、アイツはお前の事が大好きだよ、判ってるだろ」

 それだけは、断言できた。
 高崎修一は理小路の事が好きだった、友達としても、一人の女性としても、好きだったんだ。


[No.479] 2011/07/31(Sun) 01:26:08
一瞬の虹色、永遠の灰色/1 (No.479への返信 / 5階層) - アズミ

 1999年、7月末日。

 安曇厚志は、高崎修一の告別式に参列していた。
 故人とはかれこれ10年近く顔を合わせていないが、高校時代の後輩であり、同じ文芸部の所属であった。
 高崎が出版関係に勤めていたためその死を伝え聞き、焼香の一つぐらいはあげておこうとやってきた次第である。

「本日は、わざわざ遠いところをありがとうございます……」

「いえ……高崎くんのこと、ご愁傷様でした。どうかお気を落とさず」

 お決まりの文句であるが、頭を下げる遺族と安曇の表情は沈痛だった。紋切り型の言葉しか出すことができない。そんなやり取りだった。
 彼らだけではない。告別式に参加する者は皆、例外なくその雰囲気に陰を負っている。
 湿った空気だった。諦めの乾きがなかった。
 さもあらん。高崎修一の死は穏便なものではなかった。

――自殺、だ。

 高崎修一は自殺したらしい。
 無論、葬儀で普通そういうことには触れないが、新聞の死亡欄にはその旨掲載されるし、そもそも自殺ともなるとどうしても噂になる。安曇もまた、高崎の死を聞き及んだ時点でそれを知った。
 老衰ならば、笑みがこぼれることもある。病死ならばまだ諦めもつく。が、事故死や自殺は、駄目だ。死者を悼む以外は許されない。悼むだけでも許されない。
 底無し沼のような、行き着く先のない悲しみが場を支配する。
 それに堪えかねるように、安曇は葬儀場を後にした。

「――――ふぅ」

 胃の中に沈殿する陰気を吐き出すように、一つ大きく息をつく。

「安曇先輩」

 と、不意に背後から呼び止める声があった。
 振り向くと、そこにはどこか見覚えのある顔があった。

「宮野川?」

 反射的に名前が口を突いて出た。
 遅れて、褪せた記憶を脳の奥から引っ張り出す。
 宮野川幸助。
 高崎と同じく、母校の文芸部に所属していた後輩だった。
 とはいえ、高崎ともども深い付き合いがあったわけではない。安曇が文芸部に所属したのは三年の春からで、多分に零細部への名義貸しに近かった。それなりに真面目に顔を出したが、受験も控えていたため実質、付き合いは半年ほどである。
 以後10年近くも会っていないのに、よくこちらがわかったものだと安曇は少し感心した。

「お久しぶりッス。先輩も来てたんですね」

「あぁ。仕事先で偶然、訃報を耳にしてね」

 そこで、会話が途切れた。
 元気だったか、とか、当たり障りのない言葉がいくつか浮かんだが、葬儀場の前だ。旧交を温めるには場が悪すぎる。
 安曇は腕時計をちらと見た。

「これからどっか、行かないか? 飯時には少し早いけど」

「……いいッスね」

 それだけ言葉を交わして、二人は並んで歩き始めた。



 その後、二人で同じ市内の蕎麦屋に入った。
 20代の若者が雁首を揃えて入るには聊か淡白な昼食だが、告別式の雰囲気に当てられたのかもしれない。どうにも、生臭を食う気分にはなれなかった。

「理小路も居ればよかったんですけど」

 宮野川と話したおかげか。今度はすんなりと思い出せた。
 理小路細(りこうじ・ささめ)。
 やはり文芸部に所属していた一人……つまるところ安曇の後輩にあたるが、人間ではない。雪女の一種だったと記憶している。高校生にしてはやや幼く見える少女だった。

「焼香だけあげて、さっさと帰っちまったんです。……あいつなりに堪えてたみたいで」

「仲良かったもんな、君ら。……高崎とはまだ付き合いが?」

「えぇ、俺は。理小路と高崎は疎遠だったみたいですけど」

 高崎・宮野川とはクラスメートで(少なくとも傍目には)仲が良く、どちらかといえば文芸部においては安曇のほうが浮いた存在であった。
 暫し、黙して蕎麦を啜る。
 笊の上が空いた頃合で、安曇は意を決して切り出した。

「――高崎は、なぜあんなことに?」

 僅か半年の付き合いであった安曇に、彼が自殺した理由を推し量ることさえ出来ようはずもない。
 ただ、物書きらしい繊細な人間ではあったように思う。
 そうした輩は多かれ少なかれそんなものだ。こういう言い方もなんだが、何が切欠で自殺したとしてもそう驚くことではない。『僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である』という奴だ。
 宮野川は首を振った。

「わかりません……少なくとも死ぬことを考えるほど悩みがあるようには見えなかったし」

 そういうのは表に出ないっていうし、当てにならないとは思いますケド、と続ける。
 だが言葉に反して、宮野川には何か心当たりがあると安曇は見た。
 自殺の動機かはわからないが、何かしら悩みがあったか。そんなところだろう。
 だが口に出さないのならば、敢えてそれに嘴を突っ込むこともない。

「そう、か……」

 それ以上は何も言わず、安曇は箸を置いた。



 その日、掲示板サイト『白夜』に一つスレッドが立った。
 誰もが荒らしとしか認識しなかった、意味不明で脈絡のないそれは、しかし管理人に消去されることもなく、一昼夜に渡ってネット上に存在し続けた。
 内容は、ただ一文。


――私は、灰色になった。


[No.551] 2013/07/14(Sun) 21:02:00
廻る祈りの遺灰(くれめいん) (No.551への返信 / 6階層) - 咲凪

――私は、灰色になった。

「……なんだぁ、そりゃ」

 高崎の告別式から2日が経った日の夜。
 式には出てくれたものの、あっさりと帰ってしまった理小路の事が気になり、彼女が管理運営をしている掲示板サイト「白夜」を覗いた俺は奇妙な書き込みを見つけた。

「灰色に、なった……ねぇ」

 言葉の意味は判らないが、何か言葉には出来ない不吉めいたものを感じる。
 吉兆や凶兆といった迷信……妖怪の存在が明らかになって以来、かつて迷信と思われてきた“予感”の類はそれまでよりも格段に信用されるファクターとなっている。
 ……が、俺自身が感じているこの胸騒ぎはそこまで大げさなモノではない、吉兆や凶兆を感じ取る能力など俺には無い、こんなものは所謂“気の所為”だ。
 日常のなんでもない場面であれば早々に忘れてしまうような、この些細な気の所為がやけに気に掛かるのは間違いなく、高崎の死が原因だった。
 高崎は気が合うとは言えない性格だったが、一緒にいると不思議と心安らぐ……理屈では無い、友だった。
 その友が死んだ、しかも自殺……俺は正直、悔やんでいる、あいつの事をもうちょっと、あと少しでも、気に掛けていられたら、高崎は死なずに済んだのではないのか?。

 俺は高崎を、死なせないで済んだんじゃあないのか?。

 取り戻せない過去は深い後悔となって、俺の胸の内に渦巻いている……。
 理小路の家を訪れてまで彼女を告別式に連れて行ったのも、この後悔という苦しみがあったからだ。
 今感じている気の所為と断じていいような嫌な感じが頭から離れないのも、きっとその苦しみからだろう、見逃してはいけないような気がした俺は、書き込みの投稿日時を確認した……高崎の告別式の日の書き込みだ。
 スレッドの内容は『私は灰色になった』という一文のみ、他には何もない。
 白夜は……すっかり根も葉もない噂や、くだらない四方山話が書き込まれる程度の、一部の人間・妖怪が世間話をする為のサイトだ、まったく意味の解らないこの書き込みは所謂荒らし行為のようなもので、管理人が削除してもおかしくない……が。
 件の書き込みが放置されているだけではなく、どうやらこの二日間の間……いや、俺が前に部屋を訪ねて以来、管理人である理小路の書き込みは見受けられなかった。

「…………電話にもでねーか」

 不安が大きくなった俺は理小路に電話をかけたが、聞こえて来たのはしばらくの待機音と、留守を知らせる為の録音だけだった。

『ただいまるすにしております、ごようのかたは、ぴーっというはっしんおんのあとに……』
「……録音までひらがなで聞こえらぁ……宮野川だ、用って事は無いんだが、あー……いいや、かけ直す」

 録音にメッセージを残して、理小路にかけ直して貰おうと思ったのだが、自分が電話を掛けた理由を説明するのがどうにも気恥ずかしいというか、バカバカしい気がしてしまった。
 なんだか不安だったから電話をした、なんてメッセージを聞かれてしまうと、後で理小路にからかわれてしまうと思ったからだ。
 だが依然として、むしろ出不精の理小路が、こんな夜に不在だという事実が、俺の不安を一層に掻き立て、俺は一度下ろした電話の受話器をもう一度持ち上げて、電話を掛ける。
 しかし電話を掛ける相手は理小路では無い、本来こんな事を持ち掛けるのは気が引けたが、死んだ高崎を含めて俺達と関わりを持ち、なおかつ、こんな事を相談できそうな相手は“あの人”しか考えられなかった。

「……あ、どうも、宮野川ッス、夜分遅くにすいません、安曇先輩」


【Tips:白夜(びゃくや)】

1999年前半に存在した『妖怪の人間社会での生活を助ける事』を目的とした掲示板サイト。
しかし悪意ある者の荒らし行為が頻発し、とても正常に利用できる状態では無く、1999年5月10日に閉鎖。
便宜上『初代白夜』と呼ばれ、管理者は不明。

1990年6月24日に再開、『2代目白夜』と呼ばれるが、偽2代目サイトであるというのが定説。
世間の注目度は低く、荒らされても居ないが、利用者も少ないといった状況を維持している。
管理者は『理小路・細』、未分類妖怪、新種。

【Tips:未分類妖怪(みぶんるいようかい)】

この世で確認され、名称を与えられた各種妖怪のどれにも属さない妖怪を示す俗語、言葉を変えたUMAのようなモノ。
人間との接触を拒み、独自の生態を維持している『原種』、新たに生まれた新世代の妖怪『新種』の2種類が存在している。
この世に残る怪奇、純然たる畏れ、真なる妖怪、都市伝説、交わらぬ者、第三者、グレーの存在……等と、様々な呼び名がある。
原種は純粋に能力に優れており、新種は特異性が強い事が特徴。


[No.617] 2015/01/31(Sat) 02:00:23
一瞬の虹色、永遠の灰色/2 (No.617への返信 / 7階層) - アズミ

 安曇が理小路細の住むビルに到着したのは、宮野川とほぼ同時だった。

「安曇先輩、すいませんこんな時間に」
「いい。理小路は?」
「あ、さ、3階です」

 聊か困惑の色合いの強い宮野川に対して、安曇は果断だった。
 挨拶もそこそこに理小路の住む階を聞くと、非常階段に回り上り始める。
 その歩調は駆け足、と表現して構わないほど早いのだが、同時に奇妙なリズムを刻んでいた。
 両足を揃えたかと思えば左足を踏み出し、また両足を揃えたかと思えば右脚を踏み出す。見ているだけで足がもつれそうな足運びである。

「ゆっくりついてきて」

 安曇はもたついている宮野川を見て取ると、踊り場でそう言い放って再び階段を上り始めた。
 そもそも階段など上らずとも、正面から自動ドアを潜ればエレベーターがある。そちらで先回りしようか……と逡巡するものの。

「……、なんだろう」

 自動ドアを覗き込んだ瞬間、胃の底を引っ張られるような嫌な感覚を覚えて、やめた。
 時刻は真夜中。昼間のうだるような暑さは幾分和らいでいたが、エアコンの室外機が吐き出す熱気混じりの生温かい外気が肌に絡みついて不快極まりない。
 まるで見えない妖怪に吐息をかけられているようだ……と思わず想像してしまい、身震いした。
 同時に、安曇の妙に急いた様子を訝る。
 宮野川は、あくまで『念の為』程度の認識で此処に来た。嫌な予感はするのだが、逆に言えば根拠はそれだけだ。安曇に相談した時も、一笑に付されることを覚悟の上だった。
 だが、二つ返事で安曇は来た。そして、何かの確信を持って一直線に理小路の部屋を目指している。
 嫌な予感が、強くなった。

「安曇先輩、何か――――」

 3階で追いついた安曇の背に問おうとして、どう問うたものか言葉に詰まる。

「――――何か、マズいことが起きてるんですか?」

 刹那の逡巡の後、宮野川の口を突いたのはそれだった。

「マズいことが起きている」

 安曇は鸚鵡返しにそう答える。
 ふざけているのか、と思ったが、覗き込むとその表情は渋いものだった。
 自分で口に出した言葉を、改めて噛み砕きながら思考を巡らせている。そんな顔。

「郵便受けを見たかい?」
「郵便受け?」

 記憶を探る。自動ドアを覗き込んだ時に、視界には入ったはずだが。

「中身が溢れてた」
「あ」

 そうだ。そう言われてみれば確かに、どの郵便受けも中身がはみ出していた。
 案外ズボラな理小路はチラシの類を放置するため珍しいことではないのだが、1、2階はテナントで、それぞれ事業所が入っている。郵便受けを放置するというのは聊か考えにくい。

「こんな真夜中なのに全部の階でエアコンが動いてるのも妙だ。あと……」
「あと?」
「エレベーターが2階で点滅してた」
「……?」

 何がおかしいのか、理解しかねて眉をひそめる。
 点滅。2階で、止まっている……?

「まだ点滅してる」

 安曇が指し示す先。3階のエレベーターは、確かにまだ2階で点滅している。
 そこでようやく理解した。“2階が待機階になっている”のではない、“2階に到着したまま動かない”のだ。

「…………、それは」

 背筋が冷えた。
 不意に、怪談の中に紛れ込んでしまったような、そんな感覚。
 いずれもたまたま、とは考えられる。
 たとえば郵便物。
 1、2階の事業所をよく知っているわけではない。宮野川が知らない間に潰れてしまったのかもしれない。あるいは、郵便物を放置するようないいかげんな企業だってあるかもしれない。
 エアコンやエレベーターもそうだ。
 2階の人が乗るのにもたついてずっとドアを開けているだけかもしれない。時刻は真夜中だが、業種によっては深夜残業だってあるだろう。

 ありないことでは、ない――――

(――――わけが、あるものか)

 宮野川は心中で吐き捨てる。
 一つだけならたまたまで済む異状も、二つ、三つと重なれば確固たる異常となる。
 原因はわからない。何が起きているのかはわからない。
 だが、断片的な結果だけが提示されている。
 何か、マズいことが起きている。
 安曇は神妙な足取りで、3階の通路に踏み込んだ。

「エレベーターを避けたのは念の為だ。非常階段を反閇(ヘンパイ)で祓いながら進んできたのも念の為」

 反閇、という名前には聞き覚えがあった。何かのワイドショーで見た気がする。素人でも出来る、魔除けの歩き方。妖怪と人が共存するこんな時代には、そんなオカルトも防犯テクニックとして広く紹介される。

「アテになるんですか?」
「熊避けの鈴ぐらいには」

 つまるところ、人食い熊には役に立たない程度。上手い表現だが、褒める気にはなれなかった。
 このビルの何処かに。明確に敵意を持つ何者かがいたとしたら。
 その時は――。

「行くよ」

 生唾を飲み込んだ宮野川を、安曇が促して進む。
 ちかちかと明滅する蛍光灯の灯りの下、実距離にしてたった10m足らずであろう距離をたっぷり5分はかけて進み、二人は理小路宅のドアに辿り着いた。
 宮野川が恐る恐る、インターフォンを押す。

「理小路」

 我知らず震える声で、宮野川は呼び掛ける。
 インターフォンにも呼びかけにも、応答は無し。
 安曇はそこまでで宮野川を下がらせると、片手に持っていたペットボトルの水をその場にぶちまけた。
 何をするのか宮野川が訝る前に、水が動いた。
 手も触れていない、風も吹いていない水溜まりの水が、波立ったのだ。そのままそれ自体が知性を持つ生物のように床を這うと、古びた鉄のドアの下を潜って部屋の中に入る。

「妖術、ですか?」

「こういう使い方が出来る、っていうのは秘密で頼むよ」

 水を操る妖術。さほどパワーは無さそうなのでこの妖術自体には違法性は無いのだろうが、行為はれっきとした不法侵入である。在り合わせの道具でピッキング行為をするようなものだ。
 程なく、シリンダー錠が回るがちゃり、という音が響いた。
 躊躇う宮野川を制して、安曇が取っ手を回し、ドアを開け放った。

 びゅう、と。部屋の中に向けて一陣、風が吹いた。
 理小路の部屋は相変わらず肌寒いほどの冷気で満ち満ちていた。気圧差で、生温い外気が中に流れ込んだのだ。
 眼球を撫ぜる冷やかな風に思わず目を窄め、そして――――

「な――――」

 宮野川は、絶句した。

 灰色だった。
 部屋の総てが、灰色だった。
 床、壁、天井。机、エアコン、冷蔵庫。脱ぎ散らかされたパジャマまで。
 総てが、塗り潰されたように灰色。

「理小路!」

 安曇の声にようやく我に帰り、それがディスプレイから漏れ出る光に照らされたが故だと気付く。

「宮野川、灯りを」
「あ、はい!」

 言われて、慌てて壁を弄る。果たして、いつも通り電気は点いた。
 そこにあるのは、いつも通りの冷ややかな雪女の部屋。
 いや、いつもの部屋とは相違点が二つ。
 一つは、部屋の主たる理小路細が不在であること。
 もう一つは。

「…………これは」

 灰色に染まった無人の部屋の真ん中で、ディスプレイに表示されていた、あのスレッド。

 ――私は、灰色になった。


[No.618] 2015/02/02(Mon) 22:43:47
一瞬の虹色、永遠の灰色/3 (No.618への返信 / 8階層) - アズミ

 サイレンが鳴っている。
 回転灯の刺々しい光が、ビルを赫々と染めている。

 ――何か、マズいことが起きている。

 それは解る。それだけは理解できる。だが、事態を何一つ呑み下すことが出来ないまま、宮野川は急転する事態をただ傍観するしか出来なかった。

「何が起きてるんです」

 もはや声の震えを隠そうともせず、馴染みらしい警官と何か話してきた安曇に宮野川は問うた。

「7人死んだ」

 安曇の回答は簡潔。そのくせ内容は理解しかねるほどに異常で、奇怪だった。

「1階で5人、2階で3人。3人はシンクに溜めた水に頭を突っ込んだまま溺死。2人は身体を折り畳んで入った冷蔵庫の中で凍死。1人は手首を切って自分で血を吸い尽くして失血死。1人はエレベーターシャフトとの隙間に挟まって轢死。ずっと2階で止まってたのはそのせいだ」

 聞いているだけで、気がおかしくなりそうな内容。悪夢の中としか思えぬ凶事。他人事としか処理できないホラー。
 だが、最後の言葉がギリギリ、宮野川の意識を正気に繋ぎとめる。

「全員が自殺と見られている」
「自、殺?」

 繋がった。
 その言葉だけで、宮野川と、彼の友人と、高崎の死と、この異常事態がか細い糸で繋がった。

「それぞれの死に他者が関わった痕跡がないのと、遺書が残っていた。パソコンのメモ帳だったり、懐の手帳だったり、書き殴った媒体は様々だけど……」

 内容は、全員一緒。


 ――私は、灰色になりたい。


「何が起きているんです!」

 宮野川は半狂乱になって叫んだ。
 警官や救急隊員が訝しげにこちらを見るが、最早知ったことではなかった。
 この異常事態を、一片であろうと構わない、僅かにでも理解できなければ次の瞬間にでも発狂してしまいそうだった。
 安曇は眼鏡の位置を直しながら、暫し逡巡した。
 そして、なるだけ宮野川を刺激しないように言葉を選んだ様子で、言った。

「俺の家に行こう。道中で、告別式以来俺が考えていたことを話したい」

 宮野川に、否やを言う気力はなかった。





「怖いかい?」

 助手席の宮野川に、運転しながら安曇が問う。
 握りしめた拳が、震えていた。
 怖い。確かに、怖い。消えた理小路を心配する余裕さえなかった。そんな自分に僅かに幻滅する程度には精神を復調させつつはあったが。

「まずは、敵をはっきりさせよう」
「敵?」
「そう、敵だ。僕たちは敵に攻撃されている。一つ事態を理解できたね」

 “敵”。
 安曇は、はっきりとそう言った。
 まずは問題を明確にせねばならなかった。不明であることは即ち恐怖だからだ。
 現出する死という致命的な事象が、恣意的な攻撃によるものなのか、それとも偶発的な事故、あるいは天災なのか。もし攻撃だとしたら、その相手は何者なのか。なにゆえに凶事を振りまくのか。
 それを詳らかにすれば、同時に事態に対し冷静さを取り戻すことが出来る。

「敵のことを、俺は“縊れ鬼”と呼んでいる」
「くびれ、おに?」
「そう、縊り殺す、の“くびる”だ」

 中国では“いき”と読む。古くは宋代の古書“太平御覧”などにも名が見られる。
 これらは冥界の死者が転生する際、その身代わりを用意するために生者を縊死させるものをいうが、日本におけるそれはもう少し抽象的で、簡潔だ。
 幕末の随筆に名が見られ、それによると江戸で役人が宴を開いた際、客である同僚の一人が急用があるのでと帰ろうとした。用事をしつこく問い質すと、首を括る約束をしたという。役人は同僚に酒をたらふく飲ませて引き留め、後に正気を取り戻した同僚に問い質すともはや首を括る気は無くなっていた。間もなく近隣で自殺者が出たとの報せが届き、役人は「縊れ鬼の仕業だ」と悟ったそうな。

「つまるところ、縊れ鬼とは自殺念慮を誘発する妖怪だ」
「そんな妖怪がいるんですか?」

 聞くだに恐るべき妖怪だ。
 そんな危険な存在なら今の時代、公安がマークするなり注意喚起するなり何なりされそうなものだが。

「いないよ」
「はぁ?」
「少なくとも現在そんな妖怪は実在が確認されてない。文献だけの存在だ。人を自殺させるから、仮にそう呼んでる」
「それじゃ何もわかってないのと同じじゃないですか」

 呆れたように言う宮野川に、安曇は嗤った。見えない敵に向けるような、不敵で攻撃的な笑み。

「名前もわからないよりは幾らか“怖くない”だろう?」
「それは、まぁ……」

 なんとなくは納得したものの、どこか釈然としないまま頷く。
 と、同時に気付く。

「……先輩は、少なくともその“縊れ鬼”の仕業だって思ってるんですね? つまり、高崎は」
「まだ断定は出来ない。でも、ただの自殺とは考えにくくなった」
 
 車が赤信号に捕まった。

「そう思った根拠は? 少なくとも警察は高崎の死を疑ってなかった。先輩があいつの死を不審に思ったのはなんでです?」

 宮野川は安曇から視線を外さずに問うた。
 もう震えは止まっていた。代わりに焦燥が心を支配している。
 自分たちの周囲で、何か致命的な事態が進行している。7人もの命を奪い去った何かが。それに既に高崎が犠牲になり、今また理小路が――――理小路。理小路は、大丈夫だろうか?

「俺も自殺したからだよ」

 あまりの告白に、再び胃が引きつった。
 安曇はコツコツとハンドルを指で叩きながら続ける。

「いや、未遂だ。当然だけど。昨日の夜、風呂に張った水に頭を突っ込んで溺死してたのを同居人に見つかった」

 溺死“しかかったのを”の間違いではないかと思ったが、敢えて指摘する余裕はなかった。

「なんで」
「なんでだろうな……当然、今は別に死にたいとは考えてないんだ。全く唐突に自殺念慮が巻き起こった。この点は伝承の縊れ鬼と符合するね」

 安曇は他人事のようにそう分析する。

「よく平然としてられますね」

 宮野川は呆れて言う。
 つい昨晩死にかけた人間の口ぶりとは思えない。まして、その原因に未だ直面している最中だというのに。

「怖い、とはまったく思わなかったんだ。たぶん一度標的になると精神力云々で抵抗は無理だな。……ただ、その時――」
「その時?」
「“灰色になりたい”と思ったんだ」
「またそれですか? なんなんです、それ」

 灰色。どうやらこれが一連の事件のキーワードであるのは間違いない。
 だが、安曇の答えは要領を得ないものだった。

「感覚的なものでうまく言葉で説明できない。今を維持しつつ、別の何かになりたい、同一化したいみたいな……うーん、しっくりこないな」

 そうこうしている内に、車は丘の上の住宅地へと入っていく。

「ともかく、暫く君は俺と一緒に行動したほうがいい。会社は休んでくれ……というか、公には行けないことになっている」
「公には?」
「さっきの俺たちは本来なら参考人として引っ張られる場面だ。現場に来てた桐代刑事が知り合いだったんで見逃してもらったけど、署まで任意同行した、という方向で口裏を合わせることになってる」
「あぁ」

 まるで刑事ドラマのような段取りだが、思い返せば安曇の著作で全く同じ展開が見たことを思い出す。成る程、こういうのは実際の経験を反映して書いているものらしい。

「同居人が一人いるけど……まぁ、適当によろしくやってくれ。たぶん理小路よりは幾らか難物だけど、悪い子じゃない」

 あの理小路よりか。宮野川は眠気で重くなり始めた頭に若干頭痛を覚えた。
 向かう先、安曇の家の並ぶ通りに、朝陽が昇り始めていた。


[No.619] 2015/02/06(Fri) 22:12:06
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