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   こてふぁて・りろーでっど - アズミ - 2013/02/10(Sun) 21:19:38 [No.505]
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こてふぁて・りろーでっど (親記事) - アズミ

 鼠よ、回せ。

 秒針を逆しまに。
 誕生を逆しまに。
 世界を逆しまに。

 覆水は盆に帰り、緞帳は再び降りる。

 役者は散り散り、脚本はバラバラ、舞台は朽ち果て、
 残されたのはメモにも及ばぬ走り書き。

 しかして、開演の時間は来たり。

 開幕直後より鮮血乱舞。
 烏合迎合の果て名優の奮戦は荼毘に伏す。


 ――――さぁ、舞台を廻せ。


[No.505] 2013/02/10(Sun) 21:19:38
Red・T (No.505への返信 / 1階層) - アズミ

 覆水、盆に帰らず。

 かつて太公望呂尚が説いた因果の遡行の否定は、しかし現代の魔術師にとっては真理足り得ない。
 こぼれた水の一滴、否、分子一つとて残さず掻き集め、拾い上げ、盆に返す――という現象は、確かに自然にはあり得ない。
 が、膨大な労力と資金を投じれば周知の科学ですら不可能ではない。魔術においてもまた然り。
 因果の逆転は無論扱うに容易い術ではないが、しかしその存在自体は周知された神秘である。

 なればこそ、マリナ=エレノアールは水を戻そうとする。

 そこは深紅の部屋であった。
 六方全てを覆う薄い灰色の壁は投射される赤光により深紅に染め上げられ、本来なら橙の暖かな明かりを放っているはずのランプの灯火さえ鮮血じみた何処か冷たい紅に色を奪われている。
 光源は、床。より厳密に言えば床の中央に描かれた幾何学模様。

 魔術。
 端的に言えば――……そう、覆水を盆に帰すための魔術儀礼。
 因果を遡行し修正する魔術であり、過去を覆すための行動。

(――……愚行、なんだろうな)

 そう独りごちながら、少女は尚も儀礼を止めようとはしない。
 過去を見て足掻くものは、等しく未来を犠牲にする。かつて、友は彼女にそう言った。
 否定はしない。
 それでも、もう止められない。
 この行いを。この想いを。この、愚かしさを。

「昇れ」
(もどれ)

 流れ落ちた紅い雫にそう命じる。
 自然の理に逆らえ。因果よ逆行せよ。
 僅かに刺すような痛みと共に、体内の小魔力(オド)と周囲の大魔力(マナ)が床の文様に流れ込む。
 紅に満ちた部屋の中、神秘が駆動する。
 身に纏う衣類は深紅。彼女と最も相性のいい現時刻、西の空を染める夕陽もまた、深紅。
 紅は彼女に力を与える。それは生まれついての性。あるいは、起源と呼ばれるモノ。……もっとも、彼女は紅という色を単純に好きにはなれなかったが。

 目を苛む毒々しい紅に、意識を集中させる。
 身体から血液が滲むイメージ。それをトリガーとして、励起する彼女の35の魔術回路。同時に、意識が魔術師としての自分にシフトする。
 魔術師としての自分は簡潔だ。
 イメージするのは上に伸びていくような深紅の線、この世の断りに逆らい天に昇っていく深紅の水が引き伸ばす紅い道筋。
 ただそれだけをイメージして、全ての感情を排除し、五感の全て、いや、六感すら注ぎ込み集中する。

「昇れ」
(もどれ)

 その場の魔力の全てを注ぎ込むように、少女は自らの内の深紅の線に集中した。

「昇れ、昇れ、昇れ」
(もどれ、もどれ、もどれ)

 瞳は閉じている。
 部屋に満ち溢れる輝きは既に網膜を焼くほどの眩さ。
 のみならず、視界を閉じることでさらにマリナは己を魔術の鋳型に嵌めこみ、流し込む。

―――ドクン

 心臓が一つ、大きく脈打った。深紅の線が、螺旋を描き収束していく。
 額に汗を浮かべながらも術の行使を続ける。
 二度目は無いのだ、この術には。
 過去を覆すということは、即ち現在を保持しながら過去を観測し、さらにそこへ手を伸ばすようなもの。
 細緻にして強い力を問われる術式。彼女の――悲しいかな、才に恵まれているとは言い難い彼女の魔術では、この絶好の機会を逃せば二度目の好機はあり得ない。
 やがて深紅の線が――そう、水面に走る波紋のように円を描き、それが絞り上げられ渦となって紅の光を立体として立ち上げる。

 瞬間、炸裂。

「――――っ!!」

 物理的な衝撃は無い。
 濃厚に練り込まれた魔力が拡散しそれがさながら突風のように中心から拡散したものだから、堪らず少女は両手で我が身を護ろうとした。

(嘘ッ、しくじった!?)

 少女は身体にぐらり、と鈍重な重みが加わるような感覚を感じる。
 魔力を沢山使った時の反動だ、彼女にとってそう珍しいものではない。
 それは重要ではない―――問題はこの疲弊感は成功かの証か、失敗のそれか。
 意を決して少女は顔を覆うように交差させていた両腕を退け、目前を見据えた――そして。

「―――あ」

 目前に立つ男と目が合った。

「――――美しい」

 彼の瞳は、彼女のそれと対を成すように深い蒼。儀式の余波で軽く揺れる髪は金糸のよう。
 身に纏う鎧はその二つを映えさせる、磨き上げられた白銀。

「然り、然り。……物語には女優(ヒロイン)が必要だ。
 それも我が剣を捧げるに相応しい、美しく気高き乙女が」

 パンッ、と一つ、眼前の男が手を打ち鳴らす。
 その舞台がかった言葉通り、開演の合図さながらに。

「よろしい! 今再び、我が騎士道物語の開演と参ろう。
 答えは自明だが、これも様式だ――……」

 男は――騎士は、茫然と見るマリナに籠手に覆われた手を差し伸べた。


「サーヴァント、ライダー。召喚に応じまかり越した。
 問おう。――……汝が我がマスターか?」


[No.506] 2013/02/10(Sun) 23:05:21
開戦儀礼・T (No.506への返信 / 2階層) - アズミ

 ――……聖杯(Holy grail)。

 最後の晩餐において、救世主が弟子たちにワインを振る舞った杯。
 それは中世騎士道物語を経て、手にした者の願いをなんでも叶える万能の願望機として定義された。
 過去、数多の人間が聖杯を求め旅立ち、争い、破滅していったが――余人に隠された神秘を司る魔術師の世界においてすら真実の聖杯を手に入れた者はいない。

 魔術師たちの自衛・管理団体たる魔術協会の有史以来、発見された聖杯の候補物は西暦2015年現在、実に800余。
 その候補物の所有権を争い行われる、財、謀、武の全てをかけた魔術師同士の闘争――……それを、俗に『聖杯戦争』と呼ぶ。

 否、呼んだのだ。……かつては。





 ロンドン、時計塔。
 その、ある講師の薄暗闇に閉ざされた研究室において。

「かつて――……日本の冬木と呼ばれる土地において、聖杯戦争があった」

 ばさり、と机上に一まとめのカード群が広げられる。
 タロットに類似するが、その寓意は何れの版とも一致せず、枚数は僅かに7枚。
 描かれているのは、剣士(セイバー)、槍兵(ランサー)、弓兵(アーチャー)、騎乗兵(ライダー)、魔術師(キャスター)、暗殺者(アサシン)、狂戦士(バーサーカー)――……7種の英霊の鋳型(アーキタイプ)。

「聖杯を求める7人の魔術師と、それらをマスターとして契約する7騎の使い魔(サーヴァント)を以って覇権を争う……現在、冬木式と俗に称する決闘儀礼」

 広げた手が、そのまま順々にカードを捲り返していく。
 1枚、2枚、3枚……最後に残った剣士のカードを手に取り、こちらに向けて見せた後、それさえも裏にして机上に戻した。

「結局、聖杯の降臨を得ることなく冬木の聖杯は解体された。
 が、その儀礼術式のみは流出し、各地で冬木の粗悪な模倣が乱発――……今や、単に聖杯戦争と言えば冬木式の決闘儀礼を指す。
 もはや、聖杯の真贋さえ半ばどうでもよく――だ」

 本末転倒な話だ、と話者は肩を竦めた。
 伸びた手が、暗幕を払いのける。暗闇を切り裂くように外界の光が差し込み、室内の二人の男を照らし出した。
 一人はこの部屋の主、ウェイバー・ベルベット。
 通称をロード・エルメロイ2世。時計塔の――恐らくは現最優の講師にして、第四階位の魔術師。痩身ながら攻性の威厳を備えた、三十路前後の偉丈夫である。
 相対するのは、四谷想司。
 ロード・エルメロイ2世の教え子の一人にして、第七階位――……ようやく見習いを脱した程度の魔術師。こちらも負けず劣らずの巨躯の持ち主だが、表情は真逆に柔和で覇気が無い。

「クソ忌々しいことに」

 ロードは不機嫌そうに……もっとも、ここ数年彼の機嫌が良かったためしは無いが……眉間に皴を刻んで続ける。

「老人どもはお前に第826聖杯候補物による聖杯戦争への参加を打診してきた」

 冬木の聖杯が解体された西暦2012年以降、聖杯戦争開催の報せは散発的ながら珍しくはない頻度でやってくる。
 無論、最高位の聖遺物と疑われるような極上の魔術礼装がそうそう転がっているわけもなく、大概は贋作であるが――悪いことに、聖杯戦争が開催可能な程度には優秀な候補物はそれなりに存在した。
 魔術協会としては優れた魔術礼装であるそれらを放置するわけにはいかず、さりとて見返りの少ない殺し合いに有力な魔術師を参加させるわけにもいかず……結果として、組織的後ろ盾と魔術の蓄積に乏しい若い家の魔術師がやり玉にあげられる。いわば、生贄だ。
 かてて加えて。

「辞退は出来ないん……ですよね?」

「“それ”がお前の手にある限りはな」

 鼻を鳴らして、ロードが想司の右手の甲に浮かんだ文様を示す。
 刺青のようであるが、物理的に刻まれたものではない。染料にしては鮮明に過ぎる真紅が描く、ペン先で形作られた十字架の図案。
 令呪。聖杯戦争のマスター候補に分配される、サーヴァントに対する絶対命令権。聖杯を求め現界する英霊に交換条件として科される魔術的な頸木。
 聖杯戦争の条件が整った際、聖杯が選んだマスター候補に分配される……という。開催地にいる魔術師、あるいは参加の意思を積極的に示した者に優先的に分配される傾向があるが、稀に遠隔地の魔術師に先んじて顕れるケースもある。
 もっとも――冬木以外で聖杯戦争が開催されるようになって以降、実際のところは怪しい。
 聖杯戦争を管理する魔術協会か聖堂教会の干渉によるものなのではないかというのが、もっぱらの噂だった。ロード・エルメロイ2世の教え子がマスターに選ばれがちなのは、必ずしも彼が冬木の第四次聖杯戦争の参加者であった縁ばかりではあるまい。

「旅費程度は負担するそうだ。時計塔としても、聖杯戦争がいつまでも開催出来なくては困るからな」

「……拠点の設置は?」

「そこまで甘えるな」

「せめて宿泊費ぐらいは」

「出ない。……私がトイチで貸してやってもいいが」

 つまり、聖杯戦争の開催にさえ漕ぎ着ければ後は野となれ山となれ、ということ。
 想司は痛むこめかみを指で押さえた。

「逆に言えば、開催さえしてしまえば辞退も自由だ。適当なところで帰ってこい」

 命が惜しければな。
 そう、小さくしかし鋭く付け加える。
 射竦められて、思わず想司は背筋を正した。
 彼の記憶が確かなら、ロードの参加した第四次聖杯戦争の生還者は、彼を含めて僅かに3名。当時、時計塔有史以来の天才と言われた先代ロード・エルメロイも婚約者ともども死亡している。
 聖杯戦争は決闘だ。時として魔術師の合理さえ超越した、理不尽な殺し合い。
 それに自分が参加する。想司の胸に去来するその事実は、あまりに非現実的で、空寒い響きがあった。

「開催地は日本。某県、湖底市」

「――……こ、てい……し?」

 そうだ、とロードは頷く。
 で、あるならば。あながち、想司が選ばれたのは協会上層の嫌がらせというわけではないのかもしれない。
 なぜなら。

「里帰りというほど、悠長な旅にはならないだろうがな」

 そこは、彼の生まれ育った場所なのだから。


[No.507] 2013/02/11(Mon) 09:02:11
Red・U (No.507への返信 / 3階層) - アズミ

 「問おう。――……汝が我がマスターか?」

 少女の眼前に立つ男は静かに、だが妙に部屋に通る声で言った。
 印象的な蒼い瞳にざんばらに流した金髪、特徴は大雑把に白人のそれだが、より精緻な人種の別はさっぱりわからない。
 身に纏う白銀の甲冑もまた、然り。
 全身を覆い隠すようなフルプレート型のそれではなく、胸当てと篭手、脛当てといった要所のみ護り動きやすさを重視したもの、
 そういった出で立ちの男の体格は英霊と呼ばれるに相応しく、大きいが引き締まったものだ。ただ無闇に巨大な訳ではなく、ひたすらに実戦の為に鍛え上げられた騎士の身体をしている。
 
 「――――」

 「……どうした?」

 「あ、え、ごめんなさい、ちょっと呆けていたわ」

 少女が呆けるのも無理はない。
 眼前の英霊の勇壮たる姿も勿論だが、それ以上に彼女を呆けさせるのは魔術師である彼女を遥かに凌ぐ魔力量を男が持っているからだ。
 恐らく、少女が50年から一生修行を続けたとしても辿り着けぬ境地。マリナを軽自動車に例えるならば、重油タンカーに匹敵する容量差。
 目前に立たれただけで自覚する。自身が召喚したのは人を超えた存在、英霊なのだと。

(こんなに……凄いなんて―――)

 想像はしていた、理解もしていた、
 それでも尚、目前に立たれて圧倒されるその存在感に少女は惚れ惚れとした。
 だがこれ以上呆けている訳にもいかない。マリナは右手の甲を証として自らのサーヴァントの前に晒した。
 意匠化された血の滴る風車が描かれた、魔術紋様。

 令呪。
 
 サーヴァントのマスターたる証。
 本来は人の手に余る高次元存在である英霊を使い魔の枠に縛りつける束縛。

「マリナ=エレノアール。
 それがあなたと契約する魔術師の名よ。覚えておきなさいライダー」

「ほぉ?」

 マリナの名乗りに、ライダーは興味を引かれたように眉を上げた。
 名は魂を掴む一端である。魔術的には身体の一部に等しい重要な情報だ。
 それを敢えて、初見の相手に晒した。

「共に戦い抜きましょう。聖杯を得るために」

 マリナは、差し出された騎士の手を取った。令呪の刻まれた右手で、だ。
 己の急所を臆することなく晒し、信頼と豪胆を示す。堂々たる振る舞いだった。神話伝承に名を刻まれた英霊を前に、侮ることも侮られることも許さない、主君の所作。

「く、くはっ、はっはっは!」

 騎士がさも愉快げに哄笑する。
 ライダーはこの数瞬のやり取りで、マリナを痛く気に入った様子だった。
 特に好みなのは、この手だ。威風に満ちた態度とは裏腹に小さく、震えを隠す少女の手。
 虚勢!
 それは守るに値するか乙女の弱さであり、剣を捧ぐにたる貴種の誇りである。

「然り、然り!
 それでこそ我が伴侶(ヒロイン)! それでこそ我が主君(マスター)!」

 笑みを収め、ライダーが膝をつく。

「委細承知した。このライダー、我が乙女マリナ=エレノアールに勝利を捧ぐとここに誓おう」

 ――騎士の誇りにかけて。

 そう結ぶライダーに、ようやくマリナは幾分か精神を弛緩させる。
 一先ず、聖杯戦争を戦うにあたって最初の難関は突破したらしい。
 確かにマスターはサーヴァントに対して令呪の強制力を持つが、決して絶対の保証のある主従関係ではない。力関係など何をか況や。
 ゆえに、サーヴァントとの関係構築はマスターの最初の関門となる。過去の聖杯戦争においてはサーヴァントとの関係構築を誤ったがために敗退したマスターもいるぐらいなのだ。
 まして、マリナは最悪己のみで戦い抜けると自負するほど自惚れてもいなければ、実力を備えてもいない。

「じゃあ、まず真名を教えて。それによってこれからの立ち回り方が変わってくるわ」

 英霊とは、神話や伝説の中でなした功績が信仰を生み、その信仰をもって人間霊である彼らを精霊の領域にまで押し上げた抑止力の一端、人類種の守護者である。
 例外なく人智を超越した能力を備えるが、一方で生前……人間であった頃の性質は確実に受け継ぐ。アキレウスは英霊に成り果ててすら、踵を弱点とするように。
 で、あるから真名はクラスに次いで重要な情報だ。得意とする戦術や保有するスキル、殊によれば致命的な弱点も含む。
 敵対者には極力秘匿しなければならないし、逆に自身のサーヴァントのそれは把握していなければ精細な戦術を構築できない。
 が、騎士は首を振った。

「無い」

「――……は?」

 一瞬、その言葉を理解しかねて、マリナは眉をひそめた。
 しかしライダーは気にした様子でもなく繰り返す。

「だから、無い。我が真名は無銘。我が人生は虚構。
 ――――我は“騎士”。それ以外の名など必要としない」

 呆然とする主に、騎士はしかし何一つ気負うところなく名乗りを上げた。





「――うむ、なかなか美味だった。ゴチソウサマ。
 ニホンは食事に関して煩い土地だと聖杯が寄越した知識で見知っていたが、流石だな」

 ハンカチで口元を拭きながらライダーが問う。
 その目の前……と、マリナが未だに啜っているのは、出前のラーメンどんぶりだ。召喚儀式でひどく消耗したので手っ取り早い小魔力の補給として事前に頼んでおいたのだ。
 英霊に食事は本来必要ないのだが一応ライダーの分も頼んでおいたところ、ライダー曰く「主君の厚意を無にはできん」とのことで、黙々とラーメンを食べ始めた。……フォークとナイフで。おまけにマリナより早く完食してしまった。
 あまりのシュールな絵面にマリナが絶句しているのをよそに、ライダーが次の話を切りだす。

「……で、聞く限りの状況からすると、この土地の聖杯は贋作の可能性が高いのだったか?」

 本来ならば魔術師の制御など到底受け付ける存在でない英霊がサーヴァントとして魔術師に使役されるのは、ひとえに彼らもまた聖杯を求めるがゆえだ。
 その彼らからすれば聖杯の真贋は無視できない関心事――――であるはずだが、不思議とライダーはそれを聞いても取り乱すことはなかった。
 まぁ、マリナとしても別に彼を落胆させる気は無いのだが。

「そうとも言えないのよ。
 この湖底の聖杯はある意味であるかどうかも解らない“本物”よりも“真作”なの」

「フム?」

 片眉を上げるライダーに、マリナはラーメンをもう一啜りして続ける。

「冬木の大聖杯は魔術協会のロード・エルメロイ二世とトオサカに解体された。
 彼らは大きな勢力と権勢、そして力を持っていたからその強行を時計塔は止められなかった。
 ――けれど、主流派というわけじゃないわ。だからこそ解体した術式の流出までは防げなかった」

「……成程。流出したのはサーヴァントシステムのみではなかった、ということか。
 “聖杯の本物”ではなくても、“聖杯戦争のオリジナル”ではあるからその機能は保証されると」

「そう――……」

 マリナは頷く。

「……――湖底の聖杯は、修復された“冬木の大聖杯”なのよ」


[No.508] 2013/02/11(Mon) 12:16:45
開幕 (No.508への返信 / 4階層) - アズミ


 つまり、これは因果を遡行する魔術儀礼であり、覆水を盆に帰す荒行なのだ。
 それはかの賢者が説いたように困難を極めるが、新たな奇跡を探し求めるよりは幾許か、目がある。

 かくて開幕、残骸を修復する物語。


『Fate/Re-Fiction』


 舞台は始まる。

 何もかもが抜け落ちたまま。


[No.509] 2013/02/11(Mon) 12:19:44
宣戦俯瞰・T (No.509への返信 / 5階層) - アズミ

 魔術協会の手が及ぶ地域の霊地には、必ずセカンドオーナーと呼ばれる管理者が存在する。
 魔術協会から霊地の管理を任されたいわば“領主”であり、例外なく名門魔術師である。
 その権勢は――畢竟、直接武力で覆し得るとはいえ――協会に属する魔術師には一定の効果があり、同じ土地に根を張る魔術師はまず彼らに挨拶に行き、工房建設の許可を得なければならない。


 夜半。

 湖底市中央部に広がる旧い住宅地、その一角に存在する戦前から存在する洋館。
 そこに、湖底市を管理するセカンドオーナー……霧積家の工房が存在する。
 地上3階、坪200。豪邸と呼ぶにはやや慎ましやかだが、下手に侵入すれば即座に攻性防壁が不埒者の魂までも焼却し、それをかわしても50を超えるゴーレムや悪霊が襲いかかり八つ裂きにする、セカンドオーナーの居城に相応しい魔術要塞である。
 ……が、実のところ地上部分は単なる居住区に過ぎず、霧積の魔術の秘奥、そしてその後継者たる当主はほぼ一年中、地下の書斎に籠り切りだ。

「お父様」

 重苦しい音と共に樫の扉が開き、書斎の入口に少女が立つ。
 数秒の沈黙の後、書斎の奥――明かりが少ないゆえ闇に包まれたそこから、落ちついた、抑揚のない声が返った。

「イライザか」

 イライザ=フランセス=霧積。
 霧積家の跡取りたる魔術師。時計塔における階梯は第一位。誰に問うても否定できぬ、正真正銘の天才である。
 巻いた金髪とエメラルドのような碧瞳、白磁の肌。いずれも日本人離れしているが、唯一、155cmに満たない小柄な体が彼女の血の半分がこの国のそれであることを示している。

「監督役から連絡がありました。……明日、全てのマスターがこの湖底市に揃うと」

 父は沈黙を以って先を促した。
 寡黙な彼が言葉を返すことは珍しい。ただの相槌ですら。
 気にした様子もなく……やや静寂に気圧された様子もあるが、イライザは続けた。

「我々が捕捉しているのはアイルランドはエレノアール家の当主、没落したシェイド家の後裔、アインツベルンが雇った“死神”、そして“異端”橋口凛土……」

 つらつらと読み上げて、監督役から渡されたメモを仕舞う。

「それと、三日前市内に入った“天川”が行方を晦ましています。死んだのでなければ、あるいは彼も」
 
「……魔術協会から来るという、最後の一人は」

 イライザは訝った。
 寡黙な父が彼女に問い返す、などというのはこの10年、3度あったかないかの珍事だ。
 加えて、その最後の一人は数合わせのようなもので……到底、彼の興味を引くような魔術師ではないのだが。
 かくいうイライザもその男の名を覚えておらず、慌てて仕舞いこんだメモを取り出して広げた。

「……ソウシ。四谷想司です」

「知らない名だ」

「それは、そうでしょう……まだ2代目、新興もいいところです。
 まぁ、あのロード・エルメロイU世の薫陶を受けている以上、凡骨ではないでしょうが――……」

 とはいえ、現在は第七階位の未熟な魔術師に過ぎない。
 聖杯戦争が始まる今日明日に突然、空前の熟達を見せる……などということはまずあるまい。脅威と取るにはあまりに矮小だ。

「…………志摩ではないのか」

「はい……?」

 その呟きを聞き取りかねて、イライザは眉をひそめる。が、父はそれきり、元の寡黙さを取り戻してしまった。
 数十秒ほど未練たらしく待ってみたが、やがてイライザは諦めて先を続けた。

「注意すべきは“死神”スー=シェン。元封印指定執行者たる彼本人もさることながら、その背後にあるアインツベルン。
 そして、“異端”橋口凛土――彼に関しては聖杯戦争、否、霧積家のみならず、協会そのものにとっても忌むべき問題です」

「手練と聞いている。……不安は無いのかね?」

 父の問いに、イライザは用意しておいた笑みを浮かべた。
 掲げた右手に風を纏う剣の意匠。
 令呪。

「――……もちろん」

 こつり、と背後の床を金属のブーツが叩く。
 イライザの傍に、影のように立つ人影は、騎士。
 頭から爪先まで、黒い全身甲冑に身を包んだ、年齢はおろか性別さえ定かならぬ、サーヴァント。

「如何なる敵であろうと、私とセイバーが打倒します。
 ……聖杯は、必ず我が霧積の下に」

 主人の宣言に、剣の英霊は黙してその剣を捧げ持った。





 依頼主の遣いが寄越した、重そうな……ともすればこのまま人を僕殺できそうなボストンバッグの口を開く。
 そこに満載された金のインゴットを呆れ半分で眺めて、スー=シェンは息を吐いた。

「もう少し、なんとかならなかったので?」

 概算して指定の依頼料以上は十分にあるが、だからといって今日びバッグに溢れるほどのインゴットを渡されても始末に困る。鋳造も自分でやったのか製造番号も入っていない。捌くのも一苦労だ。
 が、そんなスーの心中を知ってか知らずか、アインツベルンの遣いである少女は首を傾げた。
 ホムンクルス。北欧の魔術の大家アインツベルンがその錬金術を以って構築した人造人間。……あるいは、人間に似たパーツで構成された人形。
 さして手間をかけた個体でも無さそうだ。知能が無いのか、それとも喋る機能が無いのか。ともあれ、建設的な会話は見込めないようだと判断すると、スーは言葉を紡ぐのも億劫になったか、しっ、しっ、とジェスチャーでホムンクルスを追い払う。
 少女は特に気を害した様子もなく踵を返すと、路地裏の闇に消えていった。
 残されたバッグをさてどうしたものかと暫し眺めていると、傍らに霊体化していた、彼のサーヴァントが現れる。
 現代で言えばユダヤ系の印象を受ける、偉丈夫である。
 服装は豪奢だが機能美を感じさせ、一方で背に負った弓と矢筒は長く使いこまれた風格がある。王侯の気品と熟練の狩人が持つ鋭利さが同居した、不思議な男だった。

「――……私が運び推奨です?」

 その端正な外見に似合わぬ、文法が滅茶苦茶な日本語で言うサーヴァントにスーは「お願いします」と肩を竦める。

「アインツ、ベルン」

 数十kgはあるであろうボストンバッグを軽々と持ち上げて、その名を口にする。

 アインツベルン。
 ドイツに本拠を置く、かのラインの黄金を受け継いだという錬金術の名門。
 大本たる冬木の聖杯を構築した御三家のひとつでもある。
 長きに渡り聖杯に執着し続けた家でもあり、聖杯の解体と流出を内心苦々しく思っていたであろうことは想像に難くない。今次聖杯戦争の開催にあたり、聖杯の奪取、ないしは破壊がスーに持ちかけられた依頼なのであるが。

「信じる証明の有無ですか?」

 相変わらず混沌とした台詞だが、まぁ大意は「信じられるのですか?」といったところか。

「信じる? ……あなたの言葉とも思えませんね、アーチャー」

 スーのサーヴァント……アーチャーは、鳶色の瞳を巡らせて、主に向けた。

「姿を見せない、情報も寄越さない、戦力も機材も用意しない、ただ金だけ寄越して用件を突きつけてくる。
 自己強制証文があろうが統一言語で命じようが、信頼はおろか信用も出来る相手ではありませんよ。
 ……おまけに、評判も最悪だ」

 アインツベルンは非常に閉鎖的で、外部の人間を信用しない。
 スーが執行者時代から聞き及んでいたことだ。これまでの様子を見るに、間違った情報ではあるまい。
 バッグ一杯の黄金など、彼らからすれば端金もいいところだ。で、あるから彼らにとってスーの存在は、良くて捨て駒、悪ければ……。

「ま、金は受け取った以上、仕事はこなしますよ。……あなたも」

 懐から煙草を取りだし、箱から一本引き抜く。
 ライターを持つ手の甲に、鎌と塔を組み合わせた2画の紋様が赤く彩られていた。

「欲しいんでしょ? 聖杯」

「無論の結論です」

 こくりと頷くアーチャーを皮肉るように口の端を少し吊り上げる。
 コートの裾をはためかせて、白衣の死神は繁華街に向けて歩き出した。


[No.510] 2013/02/13(Wed) 23:44:33
宣戦俯瞰・U (No.510への返信 / 6階層) - アズミ

 幾重にも隠蔽の魔術が施された船舶が、湖底港に音もなく接岸する。
 小型とはいえ、24フィートに達する立派なヨットである。尋常ならば夜間に、それも無断で寄港して見咎められないはずがない。

「さすがは西欧財閥製、といったところか」

 ヨットから港に降り立ち、クルス=シェイドは独りごちる。
 黒髪黒瞳であるが、無論日本人ではない。彼が闇の中に映える白い肌の腕を上げて合図すると、ヨットは再び音もなく岸を離れ、沖合へと消えていった。
 神秘を一般社会に秘匿することに血道を上げる魔術師にとって、隠蔽に関する魔術は基本にして重要だ。
 とはいえ、魔術協会と距離を置く新興の団体がこれだけの――それも、時計塔の魔術師が気嫌いするであろう機械類と融合した魔術礼装を揃える。

 時代は変わりつつある。

 もはや家柄と歴史がモノを言う旧態依然とした魔術師の時代は、終わろうとしている。
 言わずもがな、聖杯戦争のためだ。表の歴史がそうであるように、武力の激突によって活発化した大きなうねりは魔術師の社会までも急激に変えようとしている。
 結果として、また戦禍は広がるのだろう。クルスの知る、幾つかの忌むべき前例の如く。

(……ここは、そうはさせないさ)

 昂る意識を努めて冷却し、クルスは街を目指し踵を返す。
 その傍らに、小さな靴音だけをさせて女が現れた。

「勝手に出るな、バーサーカー」

 狂戦士(バーサーカー)の名には聊か不似合いな、中世欧州風の豪奢なドレスを纏った貴婦人である。
 ただ、その衣装はティアラに嵌めこまれたルビーからドームのように広がったスカート、果てはハイヒールに至るまで全てが血で染め上げたように深紅。
 乱れた髪の奥に覗く瞳もまた紅で、そこに湛えた光は狂気に淀み、濁っていた。

「――――……においが、する」

 ルージュの引かれた唇から、くぐもった声が漏れた。

「におい?」

 訝しげに問うクルスに答えず、バーサーカーはその視線を街中へ向けた。

「惨劇のにおい。淫蕩のにおい。獣欲のにおい。……異教徒のにおい」

 男を前にした娼婦のように、あるいは獲物を前にした獣のように。三日月に吊りあがった口唇から漏れ出でる、吐息――――そして、火の粉。
 そう、火の粉。闇を照らすランタンのように、バーサーカーの口内に炎が揺らめいている。
 クルスは舌打ちを一つすると、バーサーカーを手で制した。

「拠点の構築が先だ。抑えろ」

「おさ……える?」

 あからさまに不満そうに眉をひそめる。炎が蛇の舌のようにちろちろと外気を撫でた。
 クルスはそれを予測していたのか、制した手を翻して甲を見せる。
 そこに描かれているのは、炎と時計を組み合わせた意匠の赤い紋様。

「令呪を使われたいのか?」

 令呪。三度のみ使える、マスターのサーヴァントに対する絶対命令権。
 が、その効果はサーヴァントの命令を強制するのみならず、サーヴァントが同意するならばその命令を実行するための助力ともなる。
 いわば、サーヴァントにとっても切り札。浪費するのは面白くない。

「ウゥゥ……」

 燻ぶる火種を噛み殺すように、バーサーカーが口を閉じる。
 クルスはやれやれとばかりに一つ息を吐くと、先刻バーサーカーが視線を向けた市街地を見る。

「そうがっつくこともないさ。……どうせ、すぐに嫌でも戦わなければならなくなる」


 ――そう。
 今次聖杯戦争、その開戦の時は……刻一刻と迫っていた。





 天川希は、茫然と“それ”を見上げた。

 肺を刺すような鋭い夜気を掻き混ぜるように、9本の白尾が揺れ動く。
 その一本一本が希の身長の2倍ほどもあり、根元にそびえる胴体の大きさたるや、一軒家ほどもある。
 それほど熱心に学んだわけでもない希ですら、一目で“それ”が何であるかに気付いた。
 幾つもの国を呑みこんできた滅びの化身。混血たる己では遠く及ばぬ幻想。天川たる己でも到底敵わぬ、形ある絶望。

 だというのに。
 月明かりを照り返し、黄金に輝くそれに――――

(――……きれいなの……)

 希はただ、見蕩れた。




 銀光が、夜闇を切り裂いた。

 天川勇治が振り抜いた刀によって胴体と泣き別れした魔術師の首が、工事現場に転げ、恨めしい視線を仇に向ける。

「……貴様のような奴が他人を恨める筋合いか」

 刃を一振るいし血糊を払い落すと、勇治はそれきり首にかかずらうこと無く、彼が今まさに行わんとしていた魔術儀式のほうに注意を移した。
 床に――おそらくは鶏の血で描いた魔法陣。彼の魔術知識は本職のそれに比べればお粗末な物だが、それでも事前情報から何を目的としたものかは見当が付いていた。

「サーヴァントの召喚……まだ始めてはいなかったようだな」

 もしこの魔術師が既にサーヴァントを従えていたなら、殺されていたのは勇治のほうだったろう。
 かつて人ならざる者と交わった人間の後裔――俗に“混血”と称される一族の出である勇治は、無論のこと常人を凌駕する卓越した身体能力を持つが……それでも、抑止力の一端にまで上り詰めた英霊と比べれば聊か以上に分が悪い。
 そしてこのような儀式が行われるということは、必然、ここ湖底市で聖杯戦争が開催されるという噂は、確定情報となる。

「迷惑な話だ」

 天川は人ならざる力を以って、人ならざる理法で人間社会に仇成す者を狩る、“魔術師狩り”の血族。
 その彼らにとって、聖杯戦争はおよそ考え付く限り、最悪の厄種である。
 魔術師は魔術が衆目に触れることを忌み、慎むが、それは周知されることで魔術が神秘を喪うことを忌避しているのであって、一般社会に配慮しているわけでは決してない。
 であるから、バレさえしなければ幾らでも人的被害を出すし、時に隠蔽に失敗して街一つが壊滅することも……特に聖杯戦争においては、ままある。
 勇治は聖杯戦争を阻止すべく、天川からこの街へ派遣されてきたのだが……。

「この調子なら既に2、3体は呼ばれていると覚悟すべきか……」

 それは取りも直さず、今後サーヴァントを相手取る可能性が高いということ。
 今回、見習いとしてまだ幼い彼の妹、天川希を連れてきているが――到底、“現場の空気を感じさせる”などという余裕はあるまい。今日のうちに家に戻らせるべきだろう。
 勇治はリノリウム張りの上に描かれた魔法陣を靴裏でこそぎ消すと、妹の姿を探して視線を巡らせた。
 荒事になったため隠れていろ、とだけ言っておいたのだが……ここは改装工事中で放棄された百貨店跡、小柄な希が隠れようと思えば場所はいくらでもある。

「希!」

 声を張り上げる。人目につくと困るので、幾分か控えめであるが。
 それが木霊となって工事現場に反響すること、たっぷり十数秒。勇治がもう一度呼ぼうと思ったその時、闇の奥から応える者がいた。

「お呼びかな、兄上様」

 希の声――……

(……では、ないな)

 声質は確かに希のものだが、妹の言葉ではないと、勇治は瞬時に確信した。
 我知らず、右手が刀の柄にかかる。

「誰だ」

 勇治の誰何に、“声”は呵々と笑った。

「これは冷たきこと。血を分けた妹に、まるで怨敵のような扱いよのう」

「お前は、妹ではない」

 明らかに口調が違う。否、口調以上に言葉の奥に見える人格が違う。
 声は……あぁ、そして。闇の奥から現れたその姿は、明らかに天川希、本人であるというのに。
 顔も、身体も、まさしく勇治の妹のもの。しかし、纏った服は別れる直前に見た霊服ではなく、やたらに露出度の高い漢服で、手には幼い彼女の身体には聊か大き過ぎる扇を抱えている。
 希――の姿をした何かは、笑みを収めて口を尖らせるように勇治を糾弾した。
 

「だとしても、そう邪険にすることはなかろうよ。――……妾は他ならぬ、お前様の呼び出した従僕なれば」

「なに?」

 狼狽すると同時に、右手の甲に鈍痛が走った。
 眼前の何者かへの警戒は緩めぬまま、視線を向ける。

 そこに浮かんだのは、鳥居の狭間に揺れる炎をあしらった魔術紋様。

「令呪……!?」

「おうとも。
 アサシン、彼岸へ至るその呼び声に応じ、ここに参上した。よろしく頼むぞ、主様や」

 ――儀式は、完成していたのか。
 勇治は 唇を噛んだ。
 おそらくサーヴァントの召喚が行われた、まさにその瞬間に勇治が魔術師を絶命させたのだ。
 マスターの選定は召喚の儀式とはまた別に、聖杯の術式そのものが行うという。
 支配権の宙ぶらりんな状態になったアサシンのマスターとして、手近にいて素養のある勇治が選ばれた。そういうことか。
 ならば。

「……ならば令呪を以って命じる! アサシン、自が――……!」

「その先は言わぬ方が良いぞ、主様。妹の命が惜しくばな」

 その言葉に、思わず出しかけた自害の命令を詰まらせる。

「…………希に何をした」

 はっきりとした敵意と憎悪を込めて問う勇治に、しかしアサシンは柳に風といった様子で、何処からか取り出した扇で口元を隠す。

「であるから、言ったであろ? 血を分けた妹に、と」

「まさか――……」

 想像に難くは無い。そういった魔術は存在するし、魔の類にも超抜能力としてそれを行う個体がいるし、対抗策もまた天川は幾らか保有する。
 だが。だが、よりにもよって。
 サーヴァントが、それをしたのか。

「妾は霊体として存在できぬ。“そういう存在である”ゆえに。
 であるのでな。気の毒ではあるが、妹御の身体は預からせてもらった。この身体は……」

「希に、憑依したのか……っ!」

 勇治の激昂を、しかしアサシンは薄い笑みで肯定した。


[No.511] 2013/02/14(Thu) 15:12:32
宣戦俯瞰・V (No.511への返信 / 7階層) - アズミ


 ――同刻。

 湖底港へ向かうフェリーのキャビンに、時計塔を発った四谷想司の姿があった。
 その日の最終便、時刻は既に23時を回りつつあったため、周囲に人はまばらだ。僅かな乗客さえ揃って仮眠しており、人目は無いに等しい。
 それを確認してから、想司は懐から小さな小箱を取り出し、幾重にもかけられた厳重な錠前を外して開いた。

「まったく、ロードもあれで面倒見がいいんだから」

 そこに入っていたくすんだ輝きを放つ小さな金属片を眺めて、想司は嘆息した。





「今さら説明するまでも無かろうが――英霊は完全なランダムで呼ばれるわけではない」

 デスクの下から小箱を取り出して、ロードが言う。
 無論、想司もそれは心得ている。
 召喚される英霊の選定には幾つかの条件があるが、省約するならばそれは「縁に引っ張られる」と纏める事が出来る。
 何の準備も行わなければマスターに似た要素を持つ英霊が選定されるし、何らかの媒介……お目当ての英霊に縁のある物品を用意すればその英霊が召喚されやすくなるわけだ。

「ただ、前者はリスクが大きい」

「そう……ですか?」

 聖杯戦争も二桁を数える現在、サーヴァントとマスターの相性は無視できないウェイトを占めることは(少なくとも時計塔では)周知されている。
 自分自身を縁として呼び出した英霊ならば、きっと相性も良かろうというのが想司の……まぁ、素人考えなのだが。

「自分の似姿に必ずしも好感を抱くとは限るまい。同族嫌悪で信頼関係がガタガタになる可能性もある。
 また、英霊と一口で言っても星の数ほどいる。“相性がいいだけの山火事を消火した原始人”でも呼ばれたらどうする?」

「あー……」

 英霊は生前偉大な功績をあげ、死後においてなお信仰の対象となった英雄がなる存在だが、その“偉大な功績”は絶対評価ではなく社会の大きさ、文明の成熟度に比した相対評価で決定される。
 現代においてアマゾンの密林伐採を止めた事業家がいたとしよう。
 規模で言えば彼は“地球を救った”のかもしれないが、それが死後に至るまで信仰を集めるかといえば否だ。英霊足り得る存在ではない。
 逆に原始時代において山火事一つを止め、周囲の村々救った男がいたとしよう。
 その当時の“人類の生存圏、その最大単位”を救った彼を周囲の人々は祭り上げ、死後もなお信仰し、あまつさえその一生をさらに脚色するだろう。そうしたものこそが英霊となる。
 ……が、それがあまりにもローカルであったり、戦闘力に欠けるものであった場合、英霊としての価値はともかく聖杯戦争では役に立つまい。

「そうした事態を避けるための、媒介というわけだ」

「はぁ……それで、その箱は?」

 説明はわかったが、今ひとつ話が見えない。
 ロードは「クソ(ファック)、これだからジャップは」、と一言悪態をつき小箱を突き出した。

「察しの悪い奴だ。お前が使う媒介だよ」

「……え、でも拠点も宿泊費も出ないんじゃ!?」

「媒介も貸し出さんとは言っていない」

 しれ、と言う。

「いいか、貸し出すだけだ。必ず返却しろ、いいな?」

 身長180を越える偉丈夫で、しかも彫りが深く終始不機嫌な男が返却だの貸し出すだの言うとどうにもヤクザに絡まれたような圧迫感を感じるのだが……。

「ご、ご厚意、痛み入ります」

 ……厚意、なのだろう。恐らく。
 とりあえず礼を言うと、ロードは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。
 許可を得て錠前を外し、小箱を開くと――……そこに入っているのは金属片。
 魔術礼装の素材として貴金属は見慣れているので、すぐに黄金だろうとあたりはついた。

「ロード、これは?」

「ロンバルディアの鉄王冠から剥がれおちた金属片だ」

「ロッ!?」

 ロンバルディアの鉄王冠。
 イエスを磔刑にした聖釘を潰して作った鉄製の王冠であり、イタリアはランゴバルド王国、後に中世イタリア王国の王権の象徴とされた品だ。
 言わずもがな、値のつけようもない国宝、否、人類史に残る宝である。
 確かに過去2度、表面の黄金片を紛失したため大きさを詰めているという記録があるが……。

「こ、こんなものどこから!? っていうか、こんなの貸し出していいんですか!?」

「倉庫に死蔵されていたものだ。後で返却すれば老人たちもとやかくは言わん」

 それは気づかれない内に、という但し書きが入らないだろうか。

「返せなかったら……」

「その時はお前は死んでいる。いずれにせよ気にすることじゃない」

「は、はぁ……」

 このロード、見た目通りに肝が太い。伊達に一度聖杯戦争を戦い抜いていないということか――……いや、そもそも確かその第四次聖杯戦争で師から媒介を盗み出したのだったか?
 ともあれ今さら辞退するわけにもいかず、想司はその小箱を受け取ることになった。
 ごくごく小さな黄金片だけに、手の上に乗せたそれはとても軽い……はずだったが、なぜか想司にはそれが百貫もあるように感じられた。





 適当なところで帰ってこい、と言ったのに、渡してきたのはこれである。

「ひょっとして期待されてるのかな……?」

 で、あれば素直にすぐ帰るのも悪い気はする。
 だいたいにして、聖杯戦争の敗退はイコール、サーヴァントの死である。
 なにせ一度死んでいる英霊なので、死自体はそれほど重大事でないかもしれないが……それでも彼らは例外なく聖杯に託す願いを持っているわけで、想司の辞退はそれを棒に振らせるに等しい。おとなしく辞退すると言って聞いてくれるかは甚だ怪しい。

「ロンバルディアの鉄王冠っていうことは、呼ばれるのはコンスタンティヌス帝か、シャルルマーニュか、ナポレオンか……」

 なにせ4世紀頃から地中海世界の覇者に綿々と受け継がれてきた王冠である。今挙げた何れ劣らぬ大英雄の他にも、赤髭王を始めとした歴代神聖ローマ皇帝とも縁深い。
 彼らは基本的に魔窟の如き中世欧州の丁々発止を生き抜いた英傑である。想司が「怖いからやめます」と言って大人しく帰ってくれるような連中では、まず無い。
 かといって、ロードの言った通り完全な相性で召喚するのは危険すぎる。
 こんな臆病な自分に引かれてやってくるような英霊では、監督役に保護を求める前に他のサーヴァントに諸共殺されかねない。

「…………どうしよう」

 頭を抱える。
 胃も痛くなってきた。神経性の胃炎なぞ受験の時以来だ。 

「……トイレ行こう……」

 蒼い顔で席を立つ。
 トイレに向かう途中、席にもたれて仮眠している客にぶつかった。

「あ、すいません」

 起こしてしまったか。そう思い、小声で謝罪する、が――その客は、起きるどころか首が落ちていた。

「――――――……え?」

 ごろん、と床に転がった生首と眼が合う。
 が、その視線は虚ろ。よく見れば、マネキン並にお粗末な造形のそれは、人形だった。

「……これって」

 拾いあげる。
 似たようなものに見覚えがあった。……人形師と言われる類の魔術師たちが、偵察などに使う低級の魔術人形である。
 嫌な予感がして、周囲を見回す。
 いくらなんでも、“キャビンにいる乗客が自分以外全員仮眠している”などという事態は、おかしくはないか……?
 だとすれば――

「――……マズい!?」

 次の瞬間、窓の外から眩い光が迫り、キャビンを炎で埋め尽くした。





 フェリーの現在位置から100mほど。
 海上に、それと並走するように浮かぶ円盤があった。
 空飛ぶ円盤、だ。そうとしか表現できない。それ自体が仄かに輝いており実像が掴みづらく、構造はおろか素材さえ不明。
 その上に、キャスターとそのマスター、“異端”橋口凛土はいた。
 何処にでも居そうな、日本人男性である。もし然るべき立場の人間であれば加えて、学者……それもフィールドワーク中心の学者特有のラフさ知性の同居を感じとれるかもしれないが。

「フェリーひとつの乗客乗員をまるまる人形とすり替えるってのはねぇ……なかなか難儀だったよ」

 嘆息気味にそういう凛土に、キャスターはなぜかドヤ顔で満足げに頷く。

「アテンは平和を尊ばれる。流血は極力避けねばな」

 ネメスを被りウアスを携えた、中年手前の男である。
 恰好はあからさまに古代エジプト王朝のファラオのそれだが、特徴的なのはその身体。
 指が異常に長く、顎が尖り、後頭部が大きい。胴体のバランスも脂肪の付き方が特殊で、有体に云ってバランスが悪かった。
 一昔前に流行った宇宙人を彷彿とさせる有様である。
 キャスターの言うアテンとは古代エジプトの太陽神……あるいは、太陽そのものを指す。彼の言に違わず平和と恵みの神であり、流血を好まない。

「時計塔のマスターは死んだかな?」

 凛土の問いに、キャスターは否定で応じる。

「火加減は落としておいた。余程当たりどころが悪くなければ死にはすまい」

 言って、くいと指でフェリーを示すと、円盤はそれに従って甲板に接近し始めた。

「降伏勧告に行く。念の為ここを動くなよ、マスター」

「別に殺したいわけじゃないけどね。もう一撃放り込んだほうが確実じゃないかい?」

 凛土の意見は尤もであったが、キャスターは聞かずに甲板へ降り立つ。
 令呪が出現し、かつサーヴァントをまだ召喚していないのは調査済みだ。狙うならば絶好の機会ではあるが、それでも魔術師には違いない。
 念を入れてアウトレンジから焼き尽くすのが安全なのは間違いないのだが……。

「ファラオにしてアテン第一の信徒たる我がそのような狭量をして何とする」

 キャスターは頑として受け付けない。
 わかっていたので、凛土もそれ以上は続けなかった。
 キャスターの信仰は筋金入りだ。それがゆえに歴史の敗者となったほどに。今さら三十路にもならない若輩の、それも学者風情に窘められて宗旨替えなどするはずもない。

(なんとなれば、令呪を使って命じればいいか)

 それきり円盤に引っ込んだのを見て取ると、キャスターは瓦礫を蹴散らしてキャビンへ踏み入った。


[No.512] 2013/02/14(Thu) 21:01:40
開戦儀礼・U (No.512への返信 / 8階層) - アズミ


 四谷想司は、“戦い”を愉しめない子供だった。


 両親は健在……であるはずだが、顔もろくに覚えていない。
 魔術師の祖父に引き取られ、その後継者として育てられてきた。
 魔術刻印の継承など、その生活には幾許かの苦痛が伴ったものの……祖父は概ね優しく、想司の子供時代は人並みに、あるいは魔術としては破格に、幸福なまま過ぎ去った。

 ただ一つ、特筆すべきことがあるとすれば。
 四谷想司は、“戦い”を愉しめない子供だった。

 喧嘩が嫌いとか、競争を厭うとか、その程度では収まらなかった。
 絵空事、フィクション、漫画やアニメやゲーム、果ては童話の中の戦いすら愉しむことが出来なかった。
 勇猛さに対する憧れだとか、力を誇示する欲望だとか、そういった普通の子供……特に男の子が備えている精神的特質が絶無に等しかったのだ。

 初めて『桃太郎』を読んだ時に思ったのは、「なぜ鬼は退治されなければならなかったのか」だった。
 “悪い鬼”であると明言されるが、その悪徳は作中に示されない。車に満載するほどの財宝が描かれるが、それを奪われた人々は物語に全く現れない。桃太郎はそれまで幸福に育ち、そこに彼を戦いに駆り立てる差し迫った事情は見当たらない。
 攻め入り、殺し尽くし、富を奪う。めでたしめでたし。
 その流れに、暴力の気配に、わけもわからず怯えた。誰もが持っているはずの野蛮さが、闘争本能が、彼には全くなかった。

 そんなことを祖父に言うと、祖父は優しく微笑んだ。

「それでいいのだ、優しい想司。そんなお前でこそ、私の跡を継げるのだ」

 当時、その言葉の意味はわからなかった。今以ってもわからない。
 ただ、魔術師ならずとも生きにくくなるであろうそんな想司の軟弱さを、祖父は決して叱らなかった。
 ただ、一つだけを厳命した。

「どれだけ戦いを恐れ、厭うたとしても……生きることだけは放棄するな」

 それはお前を愛する者、愛した者たちへの背約だ。
 たとえ誰かを傷つけ、あるいいは殺めるとしても。


「生きてさえいれば、意志を捨てなければ、いつか答えには辿り着けるのだから」

 私がダメでもお前が。お前がダメでもその後継者が。
 目指している限り、いつか答えには辿り着ける。そのために道を歩み、血を繋ぐのが魔術師なのだから。
 ゆえに――……

「生きることだけは、やめてはならないよ」

 思えば。
 魔術の継承さえ強制はしなかった祖父の、それは唯一の“命令”だった。





「……がっ、あっ……!」

 果たして、当たりどころは最悪に近かった。
 足が酷い火傷で動けない。左腕は明後日の方向に折れ曲がっており、脇腹には砕けた座席の一部が刃となって突き刺さっている。
 瀕死だ。数秒で死ぬことはないにしろ、数時間……少なくとも、救助が来るまで保ちはすまい。

「フム――? 運が無いな、小僧」

 瓦礫を踏み砕いてキャビンに入ってきた男が、事も無げに言う。
 まるで犬の糞でも踏みつけてしまったかのような、そんな気安さで。
 魔力など察しなくとも解る。この超然とした精神性、間違いなく――……

「さァ……ヴァン、ト……!」

「如何にも。キャスターである」

 鷹揚に頷いてみせる。
 まさか、湖底市に辿り着く前に襲ってくる前に襲ってくるとは予想していなかった。
 令呪が現れた時点で参加者には違いないが、サーヴァントが揃っていなければ聖杯戦争は始まらないのに。
 だが、それは全て己が迂闊さであったと想司はすぐに気づく。

「少々脅しが効きすぎたようだが、まぁよい……小僧、令呪を寄越せ」

「な――に……?」

「お前の如き凡夫が参陣したとて、無為に死ぬだけだ。今のように。
 ゆえにその令呪と未だ呼ばぬサーヴァント、我々が有効活用してやろう。
 その傷は治してやるゆえ、令呪を寄越せ」

 そう。
 サーヴァントがいなければ、倒しても聖杯戦争は進行しない。だが、令呪が存在しているなら、それを奪うことはできる。実質、一人脱落と同じことだ。

「我は霊媒治療に然程の心得が無いため、右腕ごと引き抜くことになるが――まぁ、命までは取らぬ」

「じょ……」

 冗談じゃない。
 命まで取らないというキャスターの言も、正直なところ信用ならなかった。
 ここまで人を殺しかけておいて、命までは取らないなど尋常な人間でも信用ならない。まして――まして、ここまでしておいて「少々やりすぎたか」程度にしか思わないような手合いの言葉など、何の信用にもなるまい。
 右腕一本で手打ちというのもぞっとしない。時計塔の上位魔術師ならば本物と寸分違わぬ義手を用意することもできようが、想司にそんな伝手はない。令呪を無理矢理引っこ抜かれれば魔術回路にも恐らく異常が出る。

 それは、ダメだ。

 ……それだけは、ダメだ!

「よせ、無為だ」

 こちらの意図を悟ったか、右手に輝く円盤を生み出して、キャスターが制止する。
 だからといって、素直に止まってやる義理はない。
 懐に入っているのは、粘土板だ。本来ルーンを彫り込んで使う為の。予め、そこに術式が全て刻みこんである。

『――告げる
  (セット)

 素に霊と魂。礎に牙と爪の天使。祖には我が大師クロウリー。
 降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ

 巡れ。巡れ。巡れ。巡れ。巡れ。
(まざれ。まざれ。まざれ。まざれ。まざれ)

 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。』

 字の表面を撫ぜることで、術式が起動する。
 想司は一般的な元素魔術(フォーマルクラフト)に関しては全くの凡夫であった。
 が、ロード=エルメロイU世の教え子の類に漏れず、ただ一つ異才があった。“書き記す”という工程を持つ魔術に関してのみ、超抜した才能を発揮したのだ。
 長い魔術史の中にも特異な、ある種の特化型の天才。ゆえに、キャスターも反応が遅れた。
 所詮、現代の魔術師の行使する魔術など自分ならば容易く防ぎきれるとたかを括っていた。さらには、筆記を用いるがゆえに無音。ゆえに、その術式の内容を察することが出来なかった。

『――……告げる!
     (セット)

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ』

 況や、それが“サーヴァント召喚”であろうなどと、推測さえ出来なかった。
 本来ならば綿密なスケジュールの元、最高の条件で長大かつ複雑な儀式を以って行われる術だ。
 こんな土壇場で、魔法陣も描かずに行うなど。当の想司にさえ成功するかは賭けだった。

『誓いを此処に。
 我は常世総ての善と成る者、
 我は常世総ての悪を敷く者』

 懐に収まったままの媒介が、燃えるように熱い。
 もはや止まれない。最後だけは、言葉に出す。
 編み上げられた術のトリガーを、全力で引く!

「……! 貴様、何を――!?」

 もう遅い!

「汝三大の言霊を纏う七天、
 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」


 そして、想司とキャスターの間に輝きが満ちた。





 最初に視界に飛び込んできたのは、長大な十字架だ。
 陽光の如き眩い輝きを背に、十字架がそびえ立っている。

「――……ご無事ですか、マスター?」

 それを捧げ持つ、女がいた。
 青いチュニックの上から深紅のヒマティオンを纏った、青髪の女。

「……君が……僕の、サーヴァント……?」

 想司の問いに、女は頷く。

「ランサー、召喚に応じここに参上しました」

 ランサー。槍兵の英霊。
 全クラスで最も敏捷性に優れる、“最速”のサーヴァント。

「チィッ!」

 キャスターの反応は迅速だった。
 生み出した光熱の円盤を、躊躇うことなく全力で投擲する。

『アテンの円盤よ!』

 太陽神アテンの姿を模した攻撃魔術。
 一工程(シングルアクション)で成立する速射型だが、神代の魔術――『高速神言』を修めるキャスターのそれの威力は大魔術に匹敵する。まさしく極小規模の太陽と呼ぶにふさわしい。
 だが。

「主の恵みあれ!」

 ランサーが朗々たるソプラノで聖句を紡ぎ、十字架を一閃する。さながら、それこそ槍のように。
 どう見ても木製のそれは、太陽の表面並の熱量――摂氏6000℃に及ぶ高熱の火球を真正面から受け、そのまま打ち砕いた。

「な――にィッ!?」

 流石に予想外だったか、そのまま突進する女の一撃を、辛うじて飛び退き回避する。
 ランサーは深追いせず、十字架をキャスターに突きつけるように掲げた。

「――――立ち去りなさい、キャスター。
 マスターの治療をしなければなりません。ここで退くならば追うことはしないと誓いましょう」

「退け、だと……? 女が、王(ファラオ)に指図するか!」

 アテンは平和と恵みの神。その信徒たるキャスターは流血を好まないが、しかしそれは必ずしも温厚であることを意味しない。
 その手を血に染めることはなくとも、彼は敵には一度として容赦しなかった。
 王に刃向かう者は、これを必ず征服してきた!

「東の地平より美しく現れ出でる、生きるアテン、生命を生み出したる者よ――……」

 先刻とは異なる長大な詠唱。十以上の小節を以って簡易儀式と成す瞬間契約(テンカウント)。
 しかし、ランサーは微塵も態度を揺らがせず、静かに言った。

「やめなさい、無為です」

 奇しくも、それは先刻キャスターが想司に言った台詞の焼き直しだった。

「ッ……灼き尽くせ!」

 生み出された大量の円盤が、余熱でキャビンを焼き焦がしながらランサーに迫る。
 その全てが轟音を上げて直撃し、そして――……

「……だから言ったでしょう。無為だと」

 “無傷”で、黒煙の向こうから現れた。

『――退け、キャスター!』

 驚愕するより先に飛んできたのは、凛土の念話だ。

『対魔力だ! 三騎士クラスと正面戦闘はリスクが高すぎる!』

 セイバー、ランサー、アーチャーの三騎士クラスはクラススキルとして対魔力と呼ばれる魔術抵抗スキルを高い水準で持つ。
 その防御力たるや、事実上魔術では傷一つ付かない英霊も存在するほどだ。
 ランサーの対魔力レベルは不明だが、諸々の条件を加味してAランク相当の魔術防御を得ていることはもはや確定である。
 魔術師(キャスター)とはあまりにも相性が悪い。

「だが!」

『令呪をこんなところで切らせるな! 退け!」

「……チ――……ィィッ!!」

 キャスターが地を蹴り、キャビンから飛び出すとそれを空中で凛土の乗った円盤が拾う。

「貴様はいずれ必ず誅滅する! それまで命運は預けておくぞ、ランサーッ!」

 その捨て台詞には返すことなく、ランサーはただ油断なく十字架を構えることで応じた。

 一刻に満たない沈黙。

 輝く円盤が地平線の向こうに去ったのを確認して、ようやく想司は深く息を吐いた。

「助……かった……」

 と、同時に急激に視界が暗転し、身体がまるで床に抱き寄せられるように引き倒される。

「マスター!」

 駆け寄ってくるランサーを視界に収めたのを最後に、想司は意識を手放した。


[No.513] 2013/02/14(Thu) 23:33:43
戦決の朝・T (No.513への返信 / 9階層) - アズミ

 波の打ち寄せる音に、想司は目を覚ました。
 そこは薄暗い、四方をコンクリートで囲まれた空間。光の漏れる半開きのシャッターから、港湾倉庫の一つだろうと当たりをつけた。
 目の前にある、青い塊だけは何かわからなかったが。

「う――……?」

 意識が覚醒するにつれて、茫洋とした視界に焦点が戻ってくる。
 思考が緩慢で、前後の記憶さえ曖昧だったが……それも、目の前の青い物体が、ランサーの頭であることに気づくまでの話だった。

「わ、わぁっ!?」

 慌てて後退しようとして、コンクリートの壁に阻まれる。
 ランサーは特に気にした様子もなく、想司の頭をむんずと掴むと、顔を至近距離からまじまじと見つめた。

「聖杯から渡された知識で知ってはいましたが」

 髪と同じ、深い藍色の瞳。
 “青”は自然の正常作用、惑星の代弁たる神や精霊の領域を示す。自然界の異端たる魔を象徴する“赤”の真逆だ。
 
「な、なに……?」

 端正だが色気より母性を感じさせる、そんな容貌。
 香油だろうか? 甘い薔薇の香りが、鼻をくすぐった。
 どぎまぎしながら――同時に、自分で女性への免疫の無さに辟易しながら――、想司が問う。
 ランサーはたっぷり数十秒、想司の顔を眺めてから、こう言った。

「……本当に平たい顔をしているのですね」

「はい?」





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 1st Day.
 Log in/The opening smeared with blood

 英雄譚の開幕は常に血で彩られる。
 夢見る愚者よ、剣を磨け。
 いつか、全てが虚偽であったと悟る為に。

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「で、今後の方針はどうする、マスター?」

 召喚から一夜明け、マリナも魔力、体力共に万全に戻った。
 いよいよ今日から聖杯戦争の勝利に向けて動き出すわけであるが――表社会の戦争ですらあるように、当然、聖杯戦争にも相応の作法というものがある。

「まずは教会に行きましょう。監督役に挨拶ぐらいはしておかないと」

 聖杯戦争は人類の常識外の魔術対魔術、神秘対神秘、超現象対超現象の戦いとなる。
 必然的にその戦いは激しく、無制限に争いを始めてしまえば一つの街など簡単に滅んでしまうだろう。
 そうならない為に、本来は魔術協会とは対立関係にある聖堂教会、その聖遺物管理を司る第八秘蹟会が監督役を務め、その為の人員を送り込むのである。
 ……最も、これは建前上聖遺物である聖杯の真贋の見極めと所有権を定める上で、政治的折衝の末に定められた妥協点でもあるが。

「監督役は霊器板でサーヴァントの召喚を把握しているから、ライダーが召喚されたことも知ってはいるでしょうけど……
 開戦の布告や敗者の保護、ある程度の神秘秘匿も彼らの管轄だから、顔ぐらいは通しておいた方がいいわ」

「心得た。決闘(フェーデ)を前に布告を行うのは騎士の作法であるからな」

 鷹揚に頷くライダーを見て、マリナは気づく。
 
「あぁ、それと…貴方、霊体にはなれるわね?、さすがにその格好は目立つわ」

 本物の金属製の甲冑とあっては、コスプレというのも苦しい。
 彼に限らずサーヴァントは現代社会では総じて目立つし、物体のすり抜けや省魔力化など利点が多いため、有事以外は霊体化するのが普通だ。

「うむ、移動の間は姿を消しているとしよう」

 身体を霊体とし、姿を消したライダーを付き従えてマリナは家を出た。
 教会は街の中心部。マリナの家は東側の新市街区であるため徒歩だと少し遠く感じる距離だが、ライダーに街の様子を伺わせる目的もあったのだ。

(どう、街の様子は?)

 姿は見えないがライダーがあちこち物珍しそうに見回しているのを感じ取って、念話で話しかける。
 マリナは戦う上での地理的条件について尋ねたつもりだったのだが、返答は観光客さながらのものであった。

(知識として与えられてはいたが、やはりこの眼で見てみるものだな。
良い時代だ。洗練された武勲は平和な中にあってこそ生まれ出でる文化。こうした時代は私と相性が良い)

(……そうじゃなくて、これから戦場になる場所としてどうかってこと。
 真面目にやりなさいよ)

 呆れて言うが、ライダーは口を尖らせて――見えないのだが、恐らく――反論する。

(真面目だとも。後で……この時代ならば書店、か。書店を案内してくれ。図書館でも良い)

(書店〜?)

(これから戦い抜く上で重要なことだ)

 訝るマリナも、そう言われては頷くしかない。
 そうこうしている内に、丘の上に白亜の壁と十字架が見えてきた。

(あそこが?)

(そう、あそこが第八秘蹟会から派遣された監督役の――……?)

 思わず念話を中断する。
 鼻孔を突く、不快な臭い。鋭く、それでいて粘つくような鉄の臭い。

 ……血の、臭い。

「ライダー」

「うむ……用心しろ、マスター」

 呼びかけると、即座に傍らに完全武装したライダーが出現する。
 腰に差したレイピアを引き抜き、油断なく意識を周囲に巡らせ始めた。

「――――此処は既に、鉄火場だ」





 時間は少し、遡る。

 ランサーが言うには、船上でキャスターを撃退したあとフェリーが止まってしまったため、救命ボートを調達して湖底港まで想司を運んだそうなのだが。

「あれ、僕の怪我は……?」

「治しておきました。僅かながら、秘蹟の心得がありましたので」

「秘蹟の?」

 一般的に言う秘蹟とは、聖堂教会が認める神から与えられる七つの恵みである。すなわち洗礼、堅信、聖体、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚だ。
 が、魔術師がそれを言う場合、聊か異なる意味を持つ。
 そもそも聖堂教会の教え、聖言は現在世界に存在する人々の信仰……魔術基盤のうち最も強力なものとされる。
 しかし、聖言に基づく魔術の行使は主の御技を模倣する行為である。
 それは原初の魔術師シモン・マグス以来聖職者にとって禁忌であり、ゆえに教会は唯一、洗礼詠唱のみ習得を許している。
 が、もちろんサーヴァントとなる英霊には例外もある。
 未だそうした禁忌が定められる以前、原初の聖堂教会に縁の者。……あるいは、信仰の果てに自然に聖霊に力を授けられた者。

「ランサー、ええと、あなたは……」

 おそらく想司が所持していたロンバルディアの鉄王冠の破片を媒介として召喚された英霊なのだろうが、事前に予測していたいずれとも異なる英霊に見えた。
 英霊の性別が歴史に伝わるものと異なった、という例は幾らか聞いているが、性別を度外視してもコンスタンティヌス帝には見えないし、況やナポレオンやシャルルマーニュにも見えない。
 となると――……

「申し遅れました」

 想司の訝りに、ランサーは気づいたようにローマ式の礼をする。

「召喚に応じ、ランサーのクラスで罷り越しました。フラウィア・ユリア・ヘレナ・アウグスタと申します」

「フラ……って、ことは……聖ヘレナ? 亜使徒聖太后?」

「東方教会ではそちらの方が通りがいいかもしれません」

 ローマ皇太后フラウィア・ユリア・ヘレナ・アウグスタ。
 帝政ローマにおいてキリスト教を初めて公認した聖大帝コンスタンティヌス1世の母。
 私財を投げうちキリスト教の為に尽力し、イエス没後200年以上所在が不明になっていたゴルゴタの丘を比定し、聖墳墓教会の下地を作った人物。
 その功績から正教会によって亜使徒(十二使徒に次ぐ功績を持つ聖人)に列せられた女性である。

「……そうか、ロンバルディアの鉄王冠を作ったのは聖ヘレナだったっけ。
 あんまり英霊、って感じがしなくて失念してたけど……あ、いやすいません」

 相手は人類史に名を刻んだ偉人である。礼を失したかと思い謝罪するが、ランサーは苦笑してそれを制した。

「お気になさらず。今はあなたのサーヴァントでしかありません。畏まった態度も結構です」

 それから両手を胸の前で組み、思案する。

「実際――……私自身、呼ばれるとは思いませんでした。戦はおろか、武器を取ったことさえない私が。
 おそらく、あなたによほど強く私を引きつける縁があったのでしょう」

 媒介を使用した場合、英霊はその媒介に強く関わる者が呼ばれる。だが、もし媒介で召喚しうる英霊に複数の該当者がいたら?
 その結果が、これらしい。“媒介で呼びうる候補者の中から”“最も縁の強い者を引き寄せる”。そういうこと。

「せめて帝国を再統一した息子ならば、もっとお力になれたと思うのですが……。
 召喚された以上は微力を尽くす所存です。どうか、お許しを」

「そ、そんなことないって! 」

 深く礼をするランサーに、慌てて想司は頭を上げさせる。

「むしろ武張ったサーヴァントが出てくるより安心したよ。
 見ての通り僕は覇気の無い男だからね。そういう英霊だったら、あっという間に愛想を尽かされちゃったかも。
 ……ともあれ、その、これからよろしく頼むよ。僕は四谷想司。……マスターとかじゃなくて、名前でいいから」

 ランサーは想司の差し出した手をしばし不思議そうに見ていたが、やがて優しく握り返した。

「――こちらこそ。よろしくお願いします、ソウシ」

 その真っ直ぐな態度に、想司はどうしても言いだせなかった。
 この聖杯戦争を、すぐに棄権するつもりだと。


[No.523] 2013/02/15(Fri) 21:11:52
戦決の朝・U (No.523への返信 / 10階層) - アズミ


 霊体化したランサーを連れて街を抜け、教会が建つ丘の麓まで来ても、想司の心は決まっていなかった。

 棄権すべきだ。
 結論は出ている。ロードは何がしかの期待をかけてくれている。ランサーには恐らく聖杯に託す望みがある。
 それを断ち切る行為ではあるが……しかし、聖杯戦争に参戦するということは、取りも直さず命のやり取りをするということだ。
 あの船上でそうなりかけたように、死ぬことも大いにあり得る。
 否、それ以上に想司が忌避するのは。

(戦えば、相手を殺すことだってあり得る……)

 他人のそれを糾弾する気はない。まして、ランサーを貶めるつもりはない。
 自分が死んでも叶えたい願いもあるだろう。他人を殺しても縋りたい望みもあるだろう。……それさえ否定するほどの権限を、想司は己に認めない。
 ただ、そんな願いも望みも想司自身には無い。根源への到達を求めていないわけではないが、他者を傷つけ殺めてまでも求めるものでは無いと思っている。
 ならば。

(降りるべき、だよな)

 第八秘蹟会から派遣された聖杯戦争の監督役の仕事には、脱落したマスターの保護も含まれる。
 そこで、棄権を告げよう。

(教会に到着したら、ランサーとちゃんと話そう)

 令呪を使ってでも彼女を自害させればいいことではあるが、それだけはしたくなかった。
 だから、ちゃんと話そう。
 あまりにも不義理で、都合がよく、冷淡な判断ではあるが。
 だからこそ、罵倒も誹りも真っ向から受け入れねばならない。

(――――ソウシ)

 そんな考えを巡らせているうちに、彼らは丘の上まで到達していた。
 朝日を受けて白亜の壁が輝くように照り映える。
 戦後すぐに建てられたらしい教会は宗教施設特有の威圧感を以って想司らを出迎えた。

 と、同時に。

「ランサー?」

「止まってください、ソウシ」

 想司の前に、庇うようにランサーが出現する。
 その手には昨夜の戦いでも使用した、長大な十字架。完全に戦闘態勢である。

「……血の臭いがします」

 言われて、鼻の奥を突く不快な臭いに気づく。嗅ぎ慣れていないため、それと理解するのが遅れた。 
 だが……血の臭い?

「まさか、サーヴァント? そんな馬鹿な、ここは――……」

 監督役が詰める教会は、聖杯戦争通しての中立地帯である。
 ここで戦闘を行えば、以後監督役のバックアップを受けられないどころか、聖堂教会を――魔術師の天敵に等しい、世界最強の宗教組織を敵に回す。
 そんなことが、ありえるのか?

「退がって!」

 しかし、飛来した一条の矢が想司の疑念を打ち砕いた。
 ランサーに促され、すんでのところで飛び退いてかわす。

「――……命令は、ただ監督役の殺すでしたが」

 続いて響く男の声に、教会の屋根の上を見上げる。
 鐘楼の頂点、十字架の脇に立つのは……男。簡素な鎧を身に纏い、背に矢筒を背負う偉丈夫。
 状況からして、間違いあるまい。この男も、サーヴァントだ。

「この上、非存在の好機ですから、見逃すのはとても間違っている、違いない」

「――……?」

 侮っていい相手でないのはその物腰から明白であるが、口から紡がれる台詞はいちいち珍奇だ。
 サーヴァントは例外なく聖杯から現代社会に関する知識を渡されているはず。日本語に関しても例外ではないのだが……それが上手くいっていないのだろうか?

「私、謝罪を。あなたがた――……」

 サーヴァントが背中の矢筒から一本、矢を抜き放ち番える。

 ――来る。


「――……ここで、死んでもらいます」


 短い宣告と共に、先刻とは比べ物にならない剛弓で矢が想司たちへ向けて放たれた。





Sword, or death
―――――――――――――
with What in your hand...?

Flame dancing,
Earth splitting,
Ocean withering...





 生前、戦争はおろか戦闘さえ行ったことのないランサーであるが、さすがに真正面から飛来した矢をかわす程度は難なく出来た。

「ソウシ、何処かに隠れてください!」

 それだけ残して、金属のサンダルでアスファルトを踏み抜く。
 同時に吹き荒れる魔力の奔流に圧されるように、爆発的な速度で突撃していく。

 魔力放出。

 全身から純然たる魔力を高圧で噴き出すことで、物理的な運動能力を補助する単純明快なスキル。いわば、魔力のジェット噴射である。
 見た目には到底武芸者と並ぶとは思えぬランサーであるが、このスキルの補助により少なくとも人域にはない近接戦能力を確保しているのだ。
 壁を蹴り、バルコニーの手摺を踏み台にしてさらに跳躍。

「白茨の功徳は魔を退ける――……」

 敵サーヴァントと視線を並べ、右腕を突きだす。
 刻む聖句により基盤に接続、魔力回路が立ち上がり、魔力が荒れ狂う。

『第一苦難・白茨!』
(アルバシュパイン!)

 何もない空間から茨が生まれ出で、敵サーヴァントを拘束せんと襲いかかる。

「むぅっ!?」

 さすがに直撃は避けたが、伸びた蔦が弓に絡みつき、その使用を封じる。
 恐らく内容からはイエスにかけられた茨冠に由来する秘蹟なのだろうと想司はあたりをつけた。
 と、同時に思う。

(どこが“僅かながら”だよ……!)

 敵がかわした茨が教会の壁面を強かに打ち、深々と抉っている。
 対魔力を加味しなければ如何にサーヴァントとはいえ食らって無事でいられる威力ではない。真名を考慮に入れると、恐らくキャスタークラスに適合しうるほどのランクである。

「……中立地帯で襲いかかるとはどう云う了見です?」

 弓を絡め取ったまま屋根に降り立ち、ランサーが問う。
 サーヴァントは表情を微塵も揺らがせずに応じた。

「中立と決める、誰の権限です? 加えて述べます――」

 サーヴァントは弓を取り戻さんと引き寄せたまま――……唐突にそれを手放した。

「――私は、お前たち神の下僕が嫌いです」

「くっ!?」

 反動で体勢を崩したランサーに、一足で距離を詰める。
 同時に、腰から抜き放った剣が空を切り裂いた。ランサーは辛うじてそれを十字架でいなすが、何せ長物である。近接戦では取り回しで圧倒的に劣る。

「シィィィッ!!」

 一合、二合――計七合。
 弓が地面に落ちるまでの刹那にそれだけ打ち合い、競り負けたのはランサーだった。
 返す刀がその首を刈り取らんと――

「させるかっ!」

 想司が地面に鉄筆でルーンを刻み、魔力を流す。
 施したのは棘を意味するスリサズと、口を意味するアンサズ。
 スリサズは試練……転じて行動の障害を表し、アンサズはそれを知らしめる力を持つことで遠隔発動を可能とする。

「――――ッ!?」

 結果として、弓に絡みついた茨から棘が急激に伸び、ランサーに迫る攻撃を阻んだ。

「ランサー!」

 想司の声に応じて踏み切り、跳躍。
 縦に一回転し、そのままの勢いで十字架を振り下ろす。

「ハァッ!!」

 長大な鈍器と化したそれが、破壊の権化となって敵サーヴァントに襲いかかった。
 そして――……





 少しだけ時間は遡る。

 警戒しつつ、無人の礼拝堂を抜けて母屋にまでやってきたマリナとライダーを出迎えたのは、監督役と思しき神父の死体だった。

「――……これは」

 魔術師とはいえ、死体をそう見慣れているわけでもない。眉をひそめて足を止めたマリナをよそに、ライダーが進み出て検分する。

「鉛の破片で頭部が砕かれている。……銃、というのだったか?」

「銃ですって?」

 魔術師は科学の産物を軽視する傾向がある。
 魔術師として優秀とされる者ほど顕著で、この21世紀に携帯電話さえ使えないような時代錯誤な者が時計塔にはごろごろいる。
 武器にしたところで同じだ。銃火器の方が破壊力とコストのバランス的には魔術より優秀なのだが、魔術師は敢えてそこで魔術で火を起こしたり、呪いを放ったりする。
 で、あるから。この惨状を起こしたのは、明らかに聖杯戦争の関係者でありながら魔術師で無い者、ということになる。

「でも、一体誰が――……?」

――パシュッ。

 言葉の結びは、気の抜けるような音に遮られた。

 一瞬遅れて、金属音。
 マリナの頭部目掛けて放たれた銃弾をライダーが叩き落としたのだと気づいたのは、さらに刹那の後だった。

「――ッ、誰!?」

 誰何の声には応じることなく、闖入者は舌打ち一つ残して礼拝堂へと走り去る。

「ライダー!」

「心得た!」

 マリナの命に従い、ライダーが弾かれるように人影を追跡し始めた。


[No.524] 2013/02/16(Sat) 00:04:46
戦決の朝・V (No.524への返信 / 11階層) - アズミ


 ――不可思議な光景だった。

 ランサーの十字架は杭の長さが約4m、腕木の長さが1.75m。
 恐らく聖十字架の縦8キュビト、横3キュビト半の寸法にあやかっているのだろうが、これはパイクやサリッサなど集団戦術で使用する長柄武器に匹敵する長大さだ。
 当然、通常ならば格闘戦に使用できるサイズでは無い。が、ランサーは魔力放出による人間離れした動きで無理矢理打ち合いを演じているわけである。
 その無茶な大きさだからこそ、一度命中すれば破壊力は大きい……ハズだ。尋常な物理法則で言えば。

 しかし、敵サーヴァントはその十字架の、それもランサーの全体重と膂力をかけた一撃を長剣一本で受け止めていた。
 あまつさえ、打ち込んだ体勢のままランサーを宙に持ち上げたまま静止さえしていた。

「――……なるほど」

 得心したように言って、剣を振るう。
 弾き飛ばされて、ランサーはトンボを切って屋根の上に着地した。

「くっ……」

「その武器は力で打つの違う道理。そうですか?」

 文法は滅茶苦茶だが大意は解る。そして、どうやらこのサーヴァントはランサーの十字架の術理を悟ったらしかった。
 ランサーの十字架は、彼女を象徴する聖遺物、聖十字架の破片を埋め込んだ“天命”の概念武装である。
 即ち寿命の来ていない生きている人間ならばその傷や病を治癒し、逆に死徒を始めとした既に死んでいるべき存在は強制的に昇天させる。既に天命尽き、鬼籍に入った人間である英霊は無論、後者だ。
 逆に言えば、この十字架の破壊力は物理力に拠ったものではないのだ。
 サーヴァント本体に命中しない限り……つまり、武器や盾で受ける限りにおいて脅威度は著しく低下する。
 で、あれば。

「打ち込み続けるのこと、すなわちあなたは私に勝利不能」

 サーヴァントが再びランサーに打ちかかる。
 その剣、刃渡りおよそ40cm。サクスと呼ばれる紀元前から使用されている短剣に近い。

「そう、易々と――ッ!!」

 その間合いに入れてなるかと、ランサーの十字架が唸りを上げる。
 幾度か、その腕木が背や肩を強か打ち据える。
 戦いの経験に乏しい英霊である上に、得物も本来武器とは言い難いランサーだが、相対するサーヴァントもまた近接戦闘は専門ではなかった。彼の本領が手放した弓であろうことは、ランサーも想司も概ね見当が付いている。
 が、それでも。戦士かそうでないかという差は、あまりにも大きい。

「ぁうっ――……!?」

 幾許かのダメージを覚悟で懐まで飛び込んだサーヴァントの剣が、ランサーの細い肩を抉る。
 このまま格闘戦を続行するのは、マズい。
 ランサーは辛うじて敵の身体を蹴り、その反動で中空に飛び出した。
 サーヴァントは敢えて追撃はせず、屋根に転がった弓を拾い上げる。

「トドメを――……」

 刺そうとしたその時。
 背後からかかった主人の声が、それを制した。

「時間切れです、アーチャー」

「マスター?」

 鐘楼から、男が現れた。
 年の頃は三十路半ば。纏う衣服から肌、果ては頭髪まで全てが白づくめの……表情こそ柔和だがある種の剣呑さを常に湛える男。
 一目で“死神(スー・シェン)”を連想させる男だった。

「あなたは――……」

 どうにか体勢を立て直して着地したランサーを気遣いながら、想司が誰何する。
 スーはそれに対しただ口の端を吊り上げるだけで応じ、アーチャーに向き直った。

「仕事は済ませました。予定通り撤収しましょう」

「ここで討滅可能の理ですが?」

「もう一組、中で遭遇しました。
 いつでも討てるというなら、全て情報が出揃ってからの方がいいでしょう」

 スーがそう言うと、もはやアーチャーは異論を差し挟まなかった。
 主人を連れてこの場を離脱すべく、その細身の体を掴む。

「ま、待ってください! ここで何を――」

「監督役は殺害しました」

 想司の問いに、スーは静かな、しかし鋭い口調を以って返答した。

「なっ……」

「聖杯戦争に関係する者は全て始末せよ、というのがクライアントの依頼でして。
 あなたも、この戦争の間に確実に死んでいただきます。
 サーヴァントを自害させて逃げ帰る……というのはお互い無駄ですし、面倒だ。しないことをお勧めしますよ」

「――――……!」

 絶句する想司に、一方的にそう布告してスーとアーチャーは跳躍。
 教会を囲む森の中に姿を消した。

「逃がすわけには――!」

「ダメだ、ランサー!」

 追撃しようとするランサーを、即座に制す。
 この場でランサーは討てる。“確実に”討てる。アーチャーの口振りはそうしたものだった。
 単純な力量差では無い、と想司は直感した。
 先刻の打ち合いはそこまで圧倒的ではなかったし、無為に虚勢を張るタイプとも思えない。
 弓兵(アーチャー)のクラスは宝具が強力な傾向がある。あるいは、何か必殺の奥の手を隠し持っているのか。
 いずれにせよ、無策で戦うべき相手ではない。
 今はともあれ……。

「中を確認しよう。監督役を殺したって言ってたけど……」

「――……事実よ」

 不意にかけられた応答に、想司はぎくりとして振り向く。
 重い足音を響かせて、礼拝堂から現れたのはサーヴァントらしき騎士を連れた赤髪の少女。

「監督役のみならず、この教会に詰めていた第八秘蹟会の人員は皆殺しにされたわ」

「そんな――――!?」

 聖杯戦争の開催数が2桁をとうに超えた現在でさえ、そうは見ない大暴挙だ。聖堂教会は聖杯戦争において中立とはいえ、そこまでされて黙っているほど穏健な組織ではない。すぐに代行者が派遣されてくるはず。
 アーチャーがいる今、如何に代行者とて容易く仕留められるものではないだろうが、それにしたところで限界はある。有体に言って自殺行為だ。

「彼らの心配より、自分たちの心配をすべきだと思わない?
 監督役がいない今、どのサーヴァントが現界していて脱落しているのかもわからない。
 隠蔽工作一つとっても私たち自身が行わなければならない。
 アーチャーたちのような参加者がどんな乱暴な手に出たとしても抑止する存在はない。
 そして――……」

 少女の放つ気配が変わる。硬質で鋭い――そう、これは敵意と呼ぶのも生温い、殺気。
 ランサーは無言で、主を庇う位置に立った。

「サーヴァントを失っても、身柄を保護してくれる相手はいない」

 想司の心臓が跳ね上がる。
 まさか――……戦る気、なのか?

「挨拶が遅れたわ。
 私はマリナ。マリナ=エレノアール。はじめまして、ね。“志摩のマスター”」

「志摩……?」

 聞き慣れない名にランサーが訝る。否、ランサーのみならず当の想司さえも。
 が、その疑念を問い質す前にマリナはサーヴァントを前に出した。

「そして、ここでさようならよ。……ランサーを倒しなさい、ライダー」

「マリナ?」

 マリナの命に、ライダーはレイピアを抜きつつも訝しげな顔をする。

「敵同士が相対した以上、ここはもう戦場だわ。そうでしょう?」

「騎士の決闘には布告が必要だと言ったはずだがな」

 言いながらも、ランサーは既に臨戦態勢にある。視線を外すわけにもいかず、ライダーから主の表情は窺えない。
 ただ――……

「……布告なら済んでるわ。十年も前にね」

 ……――その声音は、先刻までのマリナとは似ても似つかぬほど、低く重かった。





 高層マンションの一室。二人の男がコンビニの袋を広げ、侘しい食事をしていた。
 フェリーでの戦闘から生還した、キャスターとそのマスター、橋口凛土その人である。

「……実質、負けたね」

「敗北はアテンの恥ではない」

 凛土が出した結論に、キャスターはそう返答した。
 が、苛立たしげに鮭おにぎりを食いちぎったあたり、忸怩たる思いが無いわけでは無いらしい。 

「圭司くんから聞いてはいたけど、まさかあそこまで圧倒的とはねぇ」

 魔術師(キャスター)はサーヴァント基本7クラス中、最弱のクラスとされる。

 理由は無論、対魔力スキルの存在だ。
 対魔力をクラススキルとして備えるのはセイバー、ランサー、アーチャー、ライダーの4クラス。
 これがDランクですら一工程(シングルアクション。単純な動作や一節の詠唱で発動するもの)の魔術を無効化する。
 この時点で現代の魔術師、それも戦闘向きの手合いですらほぼ歯が立たなくなる。猛獣以上の速度で襲いかかるサーヴァントを相手に目視距離で立ち合うとなると、二節以上の詠唱を要する魔術は実用的でないからだ。
 キャスターのサーヴァント、それも強力な部類ならば一工程で現代の魔術師が十節使うような大魔術の威力を叩き出すこともあるし、凛土のキャスターもその領域にはある。
 が、それにしたところでランクB以上にはほぼ通用しないし、たとえ通用しても直接的な武力に劣るキャスターは射程内に収められた時点でほぼ、詰みだ。
 ランサーは見た限り、決して接近戦で強い部類のサーヴァントではなかったが、それでもあのザマである。

「ともかく、直接戦闘はダメだな。少なくとも三騎士クラスに仕掛けるのはやめておこう。あと、ライダーも」

「敵を選ぶ贅沢が戦場にあるものか」

 ことほど左様に、凛土らの置かれた状況は芳しくない。
 が、ではキャスターを呼んだ時点で絶望的かと言えばそれは違う。

「あるさ」

 腐るように言うキャスターに、凛土はきっぱりと言って床に地図を広げた。

「結局、奇策になんて頼らずに定石を踏めっていうことだ」

 湖底市内の幾つかの建築物……多くは家賃の安い賃貸物件に印をつけていく。

「まずは、拠点構築だ。小さく目立たず、それでいて堅固なものを幾つか作る。
 得意だろう、そういうの?」

「無論だ」

 周知のことだが、古代エジプト文明は極めて建築技術、治水技術に優れていた。
 それは魔術的な側面においても例外ではなく、エジプト儀礼を系統とする魔術師は概ね魔術陣地の構築に長ける。
 ましてキャスターのサーヴァントたる彼はスキルとして『陣地作成』をA+ランクで備えるのだ。その気になれば一昼夜で『大神殿』クラスの要塞を組み上げる。

「魔力を貯めこみ、罠を張り、軍団を組織する。
 準備が整ったら、次は情報戦だ。全てのサーヴァントの能力を把握し、勝算のある相手だけを誘い込んで各個撃破する」

 魔術師(キャスター)はサーヴァント基本7クラス中、最弱のクラスとされる。
 しかし、それには実は戦術レベルでは、という但し書きがつく。
 陣地を構築し、弱点を容易に突くキャスターは戦略的な見地からみればむしろ最強と言って差し支えないのだ。

「戦争をするんだ。個人戦で無双の英雄たちに、戦闘ではなく戦争を強いる。
 そうすれば僕らにも勝ち目はある」

「アテンの信徒に戦争をしろ、と言うか」

「計略で勝て、と言い換えてもいい。直接の戦火を極力交えるのは少なければ少ないほどいいんだ。
 ――……得意だろう、そういうの?」

 凛土の言葉にキャスターは……かつて、政敵を一滴の血も流すことなく弾圧し尽くしたファラオは、口の端を吊り上げた。

「……無論、大得意である」


[No.525] 2013/02/16(Sat) 22:13:58
戦決の朝・W (No.525への返信 / 12階層) - アズミ

「ゆくぞ、ランサー!」

 地を蹴り、ライダーが間合いを詰める。
 全身を覆う甲冑ではないが、歩兵の装備としては十分以上に重装。に対して携えるのは中世のおいて決闘などに使用された細身の剣、レイピア。
 想司の認識からいうと聊かちぐはぐな組み合わせであったが、物腰からしても生前、戦闘を経験しなかった手合いではあるまい。
 で、あるならば先刻のように、正面からの打ち合いになればランサーの不利となる。

「ランサー、近づけるな!」

「我が主の苦難をここに――……」

 主の忠言に応え、ランサーが聖言を紡ぐ。
 
『第二苦難・甘茨!』
(アンナ・バルバリン!)

 イエスがアンナの庭園に引き出された際にかけられたという、二つ目の茨冠に由来する秘蹟。
 地面から茨が沸き立ち、低く生い茂るとライダーの足を絡め取り、その突進を食い止めた。

「なんのっ!」

 が、そこはランサーに次いで機動性を信条とするライダーである。
 茨が足に食い込む前に跳躍。
 同時にレイピアをその場に捨て、右腕を虚空に伸ばす。

『――……おお、この太陽! あぁ、この真昼! あぁ、この歓びの満ち溢れた真昼!』
 (O diese Sonne! Ha, dieser Tag! Ha, dieser Wonne sonnigster Tag!)

 歌劇の台詞を口ずさむような詠唱。――……と、同時に虚空から弓が現れ出でた!

「“投影”!? いや……」

 想司が訝る間もなく襲いかかる矢を、辛うじてランサーは回避する。
 無から有を生み出す、という現象は単純に見えて非常に不安定だ。
 術者の既知の物体を模倣し出現させる投影という魔術が存在するが、せいぜい外見と若干の性質を真似た程度の粗悪な劣化コピーであり、しかも何もしないでも1分と保たずに瓦解してしまう。
 まして、実用レベルの武器を生み出すのは相当の離れ業だ。
 一般的なサーヴァントの装備のように、霊体化していた武装を実体化させたと見るのが無理がないが……だとすると、この騎士はライダーでありながらレイピアに加えて弓までも標準装備として信仰されるほどに愛用していたことになる。

(トリスタン卿――?)

 竪琴の名手にして必中の弓を持つ円卓の騎士。
 先刻のライダーの詠唱はまさしく歌劇『トリスタンとイゾルデ』の一節だ。しかしかなり後世に著された歌劇の台詞を詠唱にするという点に違和感を感じる。
 そんな疑念をよそに、ライダーは茨を一足で踏み越えてランサーに飛びかかる。

『俺のケツを舐めろ!』
 (Leck mich am Arsch!)

 その詠唱と共に、今度はライダーの右腕がまるまる鋼鉄の義腕と化す。

「腕がすげ変わった――!?」

 もはや、霊体化を解いたというレベルではない。
 メカニズムはともかく、これは恐らく宝具――ないしは、固有のスキルだ。
 そして、驚愕する間もなく迫る、太く重い鉄塊の拳!

「くっ……あぁぁっ!?」

 辛うじてランサーは十字架で受け止める。が、跳躍の勢いもあり、そのまま強引に殴り切られた。

「ランサー!」

 想司は思わず駆け出し、飛ばされてきたその身体を受け止める。
 ボールのように跳ね飛んできた人体は、それだけで凶器だ。諸共に地面に叩きつけられ、想司の身体から鈍い音が響く。

「ぐあっ……!?」

「ソウシ!」

 だが、主を気遣う間はない。ライダーはそのまま追撃をかけてくる。

「――美しき木よ。輝ける木よ。
 (――Arbor decora et fulgida,)

 王の紫に飾られたる木よ。
 (ornata regis purpura,)

 その木は選ばれて杭となり、聖なる御手、御足が触るるに値したるなり!」
 (electa, digno stipite tam sancta membra tangere! )

 しかし図らずも間合いは稼がれた。
 ここを逃すなとばかりにランサーは十節に及ぶ大規模詠唱を完遂する。
 大魔術である。
 いかに対魔力を備えていようと、特に魔術に抵抗の高い類の英霊でなければ牽制には十分なはず!

『主、憐れめよ!』
(キリエ・エレイソン!)

 ライダーの鋼腕を、十字架を以って全力で迎え撃つ。
 同時にその十字架、否、十字架に内蔵された聖十字架から天命履行の概念が迸り、ライダーを強制的に昇天させんと霊核目掛けて駆けのぼる!

「チ――ィィィッ!!」

 これは放置できぬと判断したか、ライダーが義腕を切り捨てて後退する。

 両者の位置は奇しくも戦端を開いた間合いへ。
 ランサーは油断なく十字架を構えるが……。

「――……やめだ」

 ライダーは、構えを解いた。

「ライダー!」

「これ以上を望むなら令呪を寄越せ、マリナ」

 叱責する主に、逆に叱るようにライダーが言う。
 マリナは言葉を詰まらせた。

「こちらも準備不足だ。この場でこの英霊を仕留めようと思うなら令呪の一つも切らなければ勝算は無い。
 そして何より――……」

 演劇じみた、大仰な仕草で肩を竦める。 

「手負いの女を初見で討ち取るなぞ、騎士として余りにも“映えぬ”」

 その、一見して不真面目な仕草にマリナは毒気を抜かれた。

「…………そうね。私が焦り過ぎたわ」

 マリナはライダーと共に、想司らと相対したまま円を描くように教会の敷地の出口へ歩を進めた。

「――追いたければ追ってもいいわよ、志摩のマスター」

 挑発なのだろうが、想司に乗る余裕も気もありはしない。
 代わりに口を突いたのは、問いだった。

「なぜその名前を知ってるんだ? その名前は、十年前に――」

「家名を変えても、宿命は変えられない」

 想司の言葉を遮って、マリナが断じる。

「この聖杯戦争に在る限り、あなたは“志摩”なのよ。
 『志摩康一』の後継者、想司」

「――……、」

 その迫力に気圧されて、想司は押し黙った。
 それを見てもはや用は無くなったのか、マリナとライダーは去っていく。
 ランサーは、追撃を提案しなかった。
 その余裕は、想司にも彼女にもありはしなかったから。





「……で、我に陣地構築を任せてお前は何をしているのだ、マスター」

 安い賃貸アパートの部屋の隅々にまで術式を敷設しながらのキャスターの問いに、凛土は古ぼけた本を閉じて、表紙を叩いた。

「お勉強、さ。……僕は聖杯戦争に関しては素人も同然だからね」

 装丁は頑丈だが、厚さはそれほどでもない。
 さもあらん、それは日記だ。それも、せいぜいが10年前につけられた。
 筆者は――……表紙に書かれている限りでは、『橋口圭司』。凛土が幾度か口にした、甥っ子の名だとキャスターは記憶している。
 そして、タイトルは……

「『湖底聖杯戦争全記録』……?」

 今まさに行われている最中だというのに、『全記録』?

「……つまるところ、“第一次”の、ということさ。公式には時計塔にさえ伏せられているが――」

 凛土は裏表紙を捲り、末尾のページを見せる。
 何枚かの写真と名前の走り書きで構成されたページ。
 『橋口圭司』、『パトリツィア=エフェメラ』、『七貴心』、『加賀弓』、『霧積如月』、『サティアス=アール』……そして、『志摩康一』。

「……以前にもあったんだよ、湖底の聖杯戦争は」





「――はい、では教会への連絡はそちらからお願いします。
 すいません――いえ、大丈夫です。それでは」

 通話を終えて、携帯電話を畳む。
 時計塔の魔術師の大半は未だに携帯電話さえ使いこなせず遠距離通話を使い魔に頼る手合いが多いが、想司は師の影響で特に偏見なく機械を使う。
 ……そう、通話相手は師。ロード=エルメロイ2世。

「ここのことは魔術協会に伝えたよ。ロードが時計塔経由で教会に連絡するから、遺体回収ぐらいはすぐに来るって」

「そうですか――……良かった」

 想司の言葉にランサーは組んだ手を解いて立ちあがる。
 その目の前にはきちんと棺に収められた神父らの亡骸が並べられている。一見して、傷は無い。ランサーが何らかの秘蹟を以って銃弾に砕かれた頭部を修復したのだ。……彼女らにとって、身体は最後の審判の後に蘇るものであるから。
 のみならず、彼女は自身の傷は癒えきらぬままに亡骸たちの塗油と聖体拝領を済ませ、聖水により聖別し、納棺までした。……想司の報告が終わるまで、祈りさえ捧げ続けた。

「あとは教会の人に任せよう。時期が時期だから、礼拝堂なら傷みはしないはずだ」

「はい」

「……その、やり方とかわからないんだけど……僕も祈った方が?」

 ランサーにおずおずと問うと、彼女は深く頷いた。

「お願いします。彼らが天に備えられた住処へ逝けるように」

 携帯電話を懐に戻すと、想司は彼女の隣に跪いた。
 正直なところ、想司はクリスチャンでもなければその教えに殊更関心を抱いたこともない。ただ、ランサーの祈りにはそんな彼でさえ、何か感じ入るところがあった。
 上手く表現できないが――“祈ること自体を目的にしていない”と感じたのだ。

「――……私は生前の彼らを知りません」

 その内心を知ってか知らずか、ランサーが口を開く。

「ですが鉄火に倒れ、このような無惨な目に遭って“然るべき”人間など居はしないはずです」

 如何な戦場に立つ人間であろうと。仮に悪人であろうと。あるいは、多くの人間の死を踏み躙ってきた者であっても。
 酷いことは、少ない方がいい。死んで当然などということは、あるはずがない。
 ……せめて、捧げる祈りぐらいは万人にあるべきだと。ランサーはそう言った。

「……そうだね」

 想司は腕を組んだ。
 見様見真似で、聖句も作法も知らないが……気持ちぐらいは、本物を捧げよう。
 どうか、安らかに。あなたの魂が目指した場所へいけますように。

「――そう、ありますように」
 (――――Amen.)





 二人が教会を出ると、既に日は傾き始めていた。
 結局、死体の回収と葬送、魔術協会への報告で半日使ってしまった。

(――ロードが知ったら悠長な奴だって叱られるな)

 実際、悠長な話ではある。
 半日あれば魔術陣地の構築ぐらいは済ませられるだろう。偵察用の使い魔を作ることだって出来る。
 その時間を――聖杯戦争以外のことに使ってしまった。不思議と、“無駄にした”という表現には抵抗があったが……。

(監督役だってもういないんだ)

 あの死神は、聖杯戦争に関わった者を全て殺すと言った。教会の惨劇を見るに、恐らく本気だろう。
 マリナ=エレノアールも……なぜか、想司に恨みや憎悪めいた感情を持っているようだった。
 スーが釘を刺した通り、もう棄権は出来ないだろう。保護してくれる監督役はいない。……サーヴァントが、ランサーがいなければ生き残ることさえ難しい。

「ランサー」

「はい」

 丘を出ながら、想司はランサーに……躊躇いは感じつつも、全てを正直に述べることに決めた。

「……僕を助けて欲しい」

「無論です。私は――……」

「違うんだ。僕はここで――聖杯戦争を棄権するつもりだった」

 それは取りも直さず、ランサーを自害させることに等しい。
 ランサーの願いを放り投げることに等しい。
 告解の言葉は淀みなく出たものの、彼女の顔を見る勇気はどうしても、なかった。

「僕には、聖杯に託す願いはない。
 渇望する欲求も、縋りたい願いもない。名誉なんて要らないし、根源への到達だってそこまで急いじゃいない。
 ――……少なくとも、人を殺し殺されてまでは」

 足を止める。
 彼女の顔を見ろ。頭を下げて懇願しろ。
 そうする義務が、自分にはある。

「でも、もうそれは出来ない。あの白いマスターは僕を殺すと言った。降りることは出来ないと。
 僕は、死にたくない。他の何を譲れても、この命を差し出すことだけは出来ない。
 だから……」

 ランサーの顔を見る。
 表情は逆光で窺い知れない。

「――お願いします。助けてください」

 頭を下げた。深く。
 自分が助かるために見捨てようとした相手に。自分が助かるために、命を懸けてくれと。
 なんと自分勝手で、都合のいい人間だろうか。
 正直なところ、想司はここでランサーに切り捨てられることも覚悟していた。そうされるだけのことはしていると自覚していた。
 それでも、彼女を頼る以外にこの命を守る方法はなくて。全てを打ち明け頼む以外に、彼女と向き合う手段はない。

「……顔を上げてください、ソウシ」

 ランサーは想司の肩をとって、優しく助け起こした。
 逆光が外れ、彼を見下ろす彼女の柔和な表情が目に入る。悪戯小僧の告白を受け入れる母や教師のような、少し苦みの入った微笑み。

「主は仰られました。“自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい”と」

 新約聖書マタイによる福音書22章39の言葉。
 教会に置いて“主を愛せよ”と並び最も重要とされる戒律である。

「あなたが他者の死を厭うあまり己の命を捨てたとすれば、それは誰も愛していないのと同じことです。なぜなら、それはすなわちあなたを愛する者への裏切りなのだから。
 あなたは自分を愛している。自分の命の重さを知っている。なればこそ他者の命の重さを知り、それが喪われることを厭うことが出来る」

 想司を立たせて、視線を並べる。あくまで対等に扱うために。

「私もまた、あなたを愛しましょう。自分を愛するように。
 この地で懸命に生きている誰かを殺め、求める願いなど私にもありません。
 そして、助けを求める死に瀕した誰かを見捨て、縋る望みなど私にもありません」

 そして、ランサーは言った。

「――あなたを救います、ソウシ。
   同じ祈りを胸に抱く、対等な人間として」


[No.526] 2013/02/16(Sat) 23:48:16
宣戦俯瞰・W (No.526への返信 / 13階層) - アズミ

 湖底の西に、日が沈む。

 それを湖底グランドホテルの3階からクルスは眺めていた。

「一日目が、終わる」

 正規の手続きで取った普通のホテルであるが、この一日をかけてどうにか大規模な結界を施した。
 加えて、魔術以外の警報やセントリーガン、クレイモア地雷などによる罠も十重二十重にクルスの拠点を守っている。
 過去、冬木の聖杯戦争においては参加者が工房をこさえたホテルを丸ごと爆砕するという強引な手法も使われたらしいが、その点もサーヴァントを用いれば容易に脱出可能、かつ一般客が同階に宿泊している階層に敷設することでクリアしている。

「……とはいえ、守りに入るのは巧くないな」

 彼が契約したのは狂戦士(バーサーカー)。
 全クラス中“最強”と称されながらも、未だかつて最終局面まで生き残ったことのないクラスである。
 要因は、その“最強”の力に比してあまりにも重すぎる代償。
 全能力の強化と引き換えにサーヴァントから理性を奪う狂化によって令呪を用いてすら制御に問題を残すばかりか、その維持に莫大な魔力を必要とする。
 クルスのバーサーカーは英霊自体の格が低いおかげで消耗はさほどでもないものの、性格的に非常に扱いづらく、篭城戦にはまったく向かない。
 また、他のサーヴァントとの相性によっても大きくその強さを変えるため、情報収集は必須だ。
 よってクルスの方針は既に定まっている。

「明日は出陣するぞ、バーサーカー」

 呼びかけに応じ、深紅の貴婦人が傍らに現れる。
 主に向けるその双眸に湛えているのは憎悪と狂気であって、決して忠誠と勇猛ではない。

「お望み通り、好きなだけ暴れさせてやる」

 が、その言葉にバーサーカーは唇を三日月型に裂けさせる。
 バーサーカーの名に恥じぬ、猛獣を思わせる狂暴な笑みであった。

「――――ク――……クク、ククク……」

 耳障りな哄笑がホテルの一室に響く。
 それは、西の空を朱に染める夕陽が完全に沈み切るまで続いた。





「どういうつもりだっ!」

 偵察から戻った工事現場に広がる惨状に、勇治は激怒した。

「どういう、とな?」

 何を怒っているのか本気で解らない様子で、アサシンは首を傾げる。
 身体の持ち主である希が愛嬌のある方なので、小動物的な可愛らしささえあるが――服を肌蹴て浴びるように酒を飲み、食べ散らかした食料の上で乱交に耽る一般人と思しき男女らを眺めているとあってはそんな感想は一瞬で吹き飛ぶ。
 ややあって勇治が震える手でそれらを指しているのに気づいたか、ぽんと手を叩いた。

「……あぁ!
 どういうも何も、見ての通り。酒池肉林であるぞ」

 はしたなく過度に贅沢な放蕩を行う様を示す故事成語であるが、もともとは司馬遷が編纂した『史記』で紹介される、殷王朝最後の王、帝辛が開いた宴に由来する。曰く、『酒をもって池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸ならしめ、あいその間に逐わしめ、長夜の飲をなす』。酒色にふける放蕩の極地。
 彼女は魔術的にこの宴を処理し、性交から漏れ出でる小魔力を己がモノとしているらしい。

「なにせ、アサシンとして呼ばれたゆえ魔力が足らぬ。
 魂喰いは許さぬとお前様が言うから、妾なりに工夫したまでのことよ」

 暗殺者(アサシン)は『気配遮断』をクラススキルとして持つ、その名の通り奇襲に特化したサーヴァントである。
 しかし適合する英霊は大きく分けて二種類存在する。
 一つは、武芸や戦術の境地として奇襲の名手となった武人。
 そして今一つは、如何なる英雄も毒一匙ナイフ一本で死に至らしめ、如何なる大国も一夜にして傾ける毒婦。

 アサシンは、無論のこと、後者である。
 キャスターやバーサーカーにも適合し、もっぱら魔術を本領とするのだが……アサシンのクラスで現界したゆえに、その卓越した魔力や宝具を起動するだけの魔力がプールできていないのだ。キャスターとして現界すれば陣地作成スキルによって霊脈から魔力を集積出来るのだが。

「ともあれ魔力は必要じゃ。勝って妾がこの妹御の身体から出ていかねば困るのであろ? 主様は」

 アサシンの言葉に勇治は口惜しそうに頷く。
 彼女の聖杯に託す望みは、受肉。聖杯の魔力を用いて新たな身体を構築しない限り、希の身体は解放されない。

「本来なら魂喰いのほうが容易いのじゃがのう。他ならぬお前様の命とあっては妾も慮らぬわけにいかぬ。
 これでも夫に忠節を尽くす妻を自認しておるゆえ」

「誰が夫だ」

 即座に突っ込むが、それさえ何が愉快なのかアサシンはくすくすと笑って流す。
 魂喰いとは、文字通りサーヴァントが人間を殺害し、その小魔力を丸ごと食らう手段だ。莫大な魔力を比較的効率的に賄えるため、聖杯戦争においては度々行われる。
 もっとも、そうした惨劇を食い止めるためにここにやってきた勇治には、もちろん許容できる手段ではないが。

「なに、気にするな。いずれも艶宿に足を向けていた“あべっく”である。
 放っておいてもずっこんばっこんお愉しみであったのだ、ご相伴に預かるぐらいは構わなかろうよ。
 後で記憶もきちんと弄っておくゆえに」

 そういうものなのか?
 明らかに相手も構わずまぐわっているし、身体を壊しかねないほどの暴飲暴食ぶりなのだが。
 糾弾を躊躇する勇治に、アサシンはそそと歩み寄り、人差し指でぐりぐりと胸を突く。

「ま、しかしこれも気に入らぬというのなら仕方ない。
 何となればぁ、主様が直接滾りを妾にぶつけてくれてもぉ……構わぬのだぞ?」

 希の身体ゆえまだ11歳にも関わらず、その仕草から出る艶気はまさしく傾国の美女と表現して差し支えない。相手が他の男であったなら恥も外聞もなく朝まで肉欲を貪ったことだろう。
 が、勇治にとっては血を分けた妹の身体である。

「妹の身体で兄を誘惑するな」

「あ痛ぁ!?」

 かなり本気のぐーのゲンコツで、アサシンは制裁された。





 日が完全に沈んでから、イライザは再び父の書斎を訪れた。

「――……監督役が殺害されました」

 沈痛な表情でイライザが報告する。
 差し当たり今日は使い魔を街に放ち、偵察に徹したのだが……夕刻、一番安全であるはずの教会に向かわせたところ、監督役を含む第八秘蹟会の聖職者全員が死亡しているのを発見したのだ。
 痛恨事である。
 敗退マスターの身柄保護の件もあるが、問題は聖杯戦争の隠蔽だ。
 セカンドオーナーたる霧積家にとっては無視できないため、監督役亡き今、彼女らがその任を負わなければならない。聖杯戦争を進行しながらとあれば、決して軽い負担ではないだろう。

「そうか」

 しかし、父の返答はそれだけだった。
 幾分戸惑って、イライザは続ける。

「丘の周辺でサーヴァントらしき対象を2組発見しました。どちらかの仕業と考えられますが……」

 言って、父の手元にある水晶に使い魔を繋げ、映像を投射させる。
 映っているのはランサーと想司、そしてライダーとマリナの2組。

「捨て置きなさい」

 父は淀みなく、そう述べる。

「しかし」

「報復と捜査は聖堂教会が行うだろう。
 それより、自分の身を案ずることだ……イライザ。お前は聊か、自分の足元を疎かにしがちな傾向がある」

「私の?」

 父の忠告に、ぎくりとする程度には自認があった。
 自分の身を案ずるという意味は掴みかね、問う。

「監督役を殺すような手合いだ。手段も外聞も気にはしないだろう。
 で、あるならば次に狙うのは――」

「……セカンドオーナーである、この霧積」

 ようやく思い至り、イライザは自身の肝が冷えるのを自覚した。



 そして、湖底の聖杯戦争、その一日目が終わる。


[No.527] 2013/02/17(Sun) 11:41:24
介悟の庭・1 (No.527への返信 / 14階層) - アズミ


 その日帰ってきた祖父は、ひどく小さくなっていた。

 胴体は胸から下、右手は肩から下、下半身は丸々無く、左目は無惨に潰されている。
 そんな状態でもなお、生きて家に帰りつけたのは魔術師であったがゆえだ。
 それは決して幸福なことではなかったと想司は思っているが。

「――……想司」

 目と口を僅かに開いて紡いだ声は、存外にしっかりしていた。

「ここにいるよ、お爺ちゃん」

 その老魔術師の最期を看取ったのは、想司だけだった。
 否、今やこの“志摩”家の工房に住まうのは。老魔術師の家族と言えるのは、想司だけであった。

「私は、しくじった」

 それは――……今以てなお、想司の知る限り最も無念な人間の表情だった。
 人生をかけた意味の全てを、最後の最後で喪ってしまった男の貌。

「誰も傷つけまいと思った――誰も傷つけずに済む生き方を、ただそれだけを、探していた……」

 知っている。
 祖父が生涯をかけて探したもの。世界中の、どの魔術師も――否、どの魔法使いも至れなかった、それはきっと最後の魔法。
 想司には根源を探求する意味もわからなかったし、それに熱意を燃やすことも出来なかった。
 ただ、祖父のその言葉だけは幼心に“正しい”と信じられたし、そのためになら自分も魔術師になろうと。生涯を捧げてもいいと思っていた。
 しかし。

「それが間違っていた」

 祖父は、この末期に至ってそれを否定した。

「誰も傷つけない生き方なんて、そんなものを探し出した時点で――……私は、傷つけてでも守りたい何かを失っていた。
 全てを愛したつもりで、誰も愛せなくなっていたんだ」

 口の端から一条の血が流れ落ちる。
 喀血するだけの機関さえ、もう揃っていないのだ。
 身体が壊れ、壊れて。壊れ果てて血になって。口からただとめどなく流れ出ていく。

「お前は、私の轍を踏んではならない。お前は、誰かを――愛して……」

 祖父の言葉はショックだったが、それでも不思議と。自分でも驚くほど、想司は冷静だった。
 しっかりと祖父の残った左手を握り、こう応えたのだ。

「愛してるよ。……お爺ちゃんだって、愛してくれたじゃないか」

 全てが間違ってるなんて、そんなことはあるはずがない。
 生き方全てが間違っているなら、ここまで歩き続けることも……想司という後継者を得ることもなく、無為に終わっていたはずだ。
 誰も愛せなくなんて、なっていない。ただ、祖父は末期に心の眼が盲いているだけだ。

「僕を、愛してくれた。……たった一人の家族じゃないか」

 祖父が見つけられなかった答えは、自分が探す。
 同じ間違いなんか犯さない。いや、そもそも祖父は間違ってなんかいない。
 そう伝えると、祖父は――まるで、親を見つけた子供のように、泣いた。
 渇いた片眼で、一筋だけ涙を流した。

「……ありがとう――……想司……」

 その言葉を最期に、祖父……志摩康一は逝った。

 視界を埋め尽くす絶望と、ただ一筋の希望を胸に抱いて。





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 2nd Day.
 system error/The original sin

 過去は常に負債であり、思い出は常に呪いである。
 呪いあれ、現在。呪われてあれ、愛しき子らよ。
 ――それでも、眩き未来を望むのならば。

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 窓から射す日差しに、眼を覚ました。

「――……、ここは」

 幾分か記憶より薄汚れてはいたが、“志摩”家の、見慣れた和室。
 夢から地続きの風景。

「そうか、帰ってきたんだ」

 あちこち破れたソファから身を起こして、時計を確認する。
 午前9時。特に予定を決めているわけではないが、少し遅い。よほど2戦の疲労が溜まっていたのか。

「……ランサー?」

 霊体化してすぐ傍にいるのかと思ったが、それにしては気配がしない。

「はーい……!」

 一つ呼んでみると、果たして返答は部屋の外……というか、廊下から返ってきた。
 訝りながら古く頑丈な樫のドアを開け、廊下に目をやる。
 10年近くも放置していたせいで昨夜見た限りでは廊下が白く見えるほど埃が降り積もっていたのだが、それがすっかり取り払われ木目が確認できるほど綺麗になっていた。
 その、奥。

「目が覚めましたか、ソウシ」

 雑巾と水の入ったバケツを両手に、ランサーが立っていた。
 深紅のヒマティオンと茨を模した冠は昨日のまま。ただ、その上から手ぬぐいとエプロンに身を包んでいる。

「……、ランサー。ひょっとして、掃除を?」

 歴史に名を残した英霊に廊下を雑巾がけさせてしまったと思うと、畏れ多いやら何やら、酷く居心地が悪い。
 が、そんな想司の内心を知ってか知らずか、ランサーは素朴な笑みでそれに応じた。

「ええ、こういった仕事はなれておりますので」

 英霊は最盛期の姿で呼ばれる。彼女の見る限りの年齢は高く見積もっても三十路前だが、現在の格好はひどく――その、所帯じみていて。失礼ではあるが、ベテランの掃除婦のような風格さえ漂っていた。

「ついでに邸内の“結界”の状態も確認してきました。
 長い間放置していたとのことですが、状態は良好です。魔術防御に関しては聊かの不足も無いでしょう」

「お爺ちゃんの友人が保存だけはしておくって言ってくれてたからね」

 言って、想司は懐かしげに部屋を見回す。
 こうして一通り掃除してみれば、その様相は10年前と聊かの変わりもない。

 ……それが、少し物悲しくもあった。





 昨日。
 教会での戦闘の後、想司とランサーはひとまず拠点を確保するため、“志摩”の屋敷へ向かった。
 かつて、“志摩”想司がその祖父、志摩康一と共に暮らしていた家。

 10年前。
 何らかの理由で志摩康一は他の魔術師と闘争し、死んだ。
 別段、魔術師の最期として珍しいことではない。
 魔術師はあくまで根源への到達を目指す学徒であるが、表社会の秩序に対する遵法意識は低く、目的のためならばしばしば血生臭い手段に訴える。
 その研究を狙って、あるいは危険視されて……魔術師は屍血山河に沈み果てる。

 恐らく志摩康一がその今際の際に想司を没落し消滅しかかっていた魔術師の家、“四谷”に想司を養子に出したのも、彼に闘争の累を及ぼさないためだったのだろう。
 名目上義父であった魔術師は彼と顔を合わせることもなく病没し、その遺産には魔術刻印の一つさえ含まれておらず……結局、想司が受け継いだのは“四谷”の名だけであった。
 魔術師として0からのスタートを余儀なくされた彼は幸か不幸かロード=エルメロイU世の目に留まり、現在に至る。

「とはいえ、志摩の資産は法に則って僕に相続されたからね。この屋敷だけは残ったってこと」

 志摩の屋敷は祖父の友人が保全していてくれたため、老朽化はしているもののひとまず寝床としては十分な状態だった。
 もともと簡易な結界が施されただけの屋敷であり、聖杯戦争における陣地としては甚だ脆弱であるが。

「今後は此処を拠点に?」

 問うランサーに、想司は暫し黙考してから頷いた。
 ライダーのマスターは、想司の祖父を、あるいは志摩の家のことを知っていた。少なくとも彼女にはこの場所は露見していると思うべきだが……。

「幸い、僕の魔術は防衛向きだし、ランサーも秘蹟に長けてる。
 下手に身を隠すより、屋敷の守りを固めた方がかえって敵を遠ざけられるかもしれない」

 屋敷の周囲に民家はないが、位置だけで言えば住宅街の一角である。大規模な魔術や対城宝具で拠点ごと吹き飛ばすには聊か人目に付き過ぎる場所だ。
 防御を固め、敵に攻城戦を強いる体制を整えればおいそれと襲撃はかけられないだろう。
 唯一、あの監督役を惨殺したアーチャーたちだけは斟酌せず攻撃をかけてくる可能性がある(特に、アーチャークラスは宝具に長ける)が、あれに関してはそもそもランサー単独で戦って勝てるかがまず怪しい。

「今日、半日かけて屋敷の防備を補強する。その後は、セカンドオーナーに接触を取ろうと思う」

「セカンドオーナー?」

「この土地の魔術的な管理者だよ。聖杯戦争に参加しているはずだから、一応敵ってことになるけど……」

 監督役がいなくなった今、聖杯戦争進行上に起きる魔術の隠蔽作業などは土地の管理者たるセカンドオーナーが行わざるを得ない。
 うまくすれば状況が収拾するまで停戦も可能だろう。極論すれば聖杯戦争の進行自体を停止すべきなのだが……そこは他の参加者が首を縦に振るとは考えづらい。

「何せ監督役が殺されるなんて不測の事態だ、話は通しておいた方がいいんじゃないかな、って」

 どう思う?と振ると、ランサーは頷いて返した。

「私に戦の機微は解りかねます。判断はマスターに委ねる他ありませんが……ともあれ、この屋敷を難攻の拠点にすることは可能でしょう」

 聖堂教会の秘蹟の中には建造物の聖別も当然含まれる。
 魔術陣地の構築はキャスターの領分だが、想司のルーンと合わせれば如何にサーヴァントといえども攻めあぐねる程度の要塞化はできるはずだった。

「で、そのセカンドオーナーには面識が?」

「直接の面識はないけど、名前は聞いてる。おじいちゃんはこの街に工房を構えてる以上、付き合いもあったはずだしね。確か――……」

 言い掛けて、鳴り響いた古い呼び鈴の音に言葉を切る。
 ランサーと顔を見合わせ、慎重に廊下から玄関に向けて視線を送った。
 魔術師は文明の利器を軽んじる傾向があるが、この点においては想司の祖父も例外ではなかった。この家にインターフォンなど便利なものはない。
 代わりに配された遠隔視の限定礼装を介して、来客の様子を探る。

「……女の子?」

 小柄な、ゲルマン系の少女だ。
 “女の子”、と思わず口に出したものの、すぐに心中でその評を改める。身長こそ低いがその物腰から感じる年齢はもう少し年嵩だ。10代は抜けないが、20手前ぐらいか……と大雑把に値踏みする。
 ランサーが視線を送ってきたが、首を振って返した。見覚えはない。

「――……失礼。四谷のお屋敷はこちらで間違いない?」

 少女がこちらに――……つまり、礼装に視線を送って口を開く。
 礼装の外見は何の変哲もない古臭いランプだ。間違ってもカメラやマイクには見えるような代物ではない。
 つまり……この少女は、魔術師。

「どちら様?」

 想司はそれだけを短く問うた。この状況で屋敷を訪ねてくるのだ。とりもなおさず、それは聖杯戦争の参加者――……つまり、敵だ。
 即、襲撃と判断するのは早計であるが、緊張を走らせずにはいられない。
 だが、返答は想司を驚かせるものだった。

「湖底市のセカンドオーナー、霧積が次期当主イライザ。聖杯戦争の参加者たる四谷想司殿に停戦の交渉に参上したわ」


[No.528] 2013/04/02(Tue) 19:42:09
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