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Beautiful world 1 (親記事) - アズミ

 彼女はこの暗黒の宇宙に独りきりだった。
 過去は抹消され、現在を知らず、未来は閉ざされるばかりだった。

 で、あるから。彼女の始まりは、間違いなくあの瞬間なのだ。

 ラグランジュ4宙域に浮かぶ、あの廃墟の扉が抉じ開けられた、あの日……。





 音も無く――そもそも宇宙空間では音が伝播しない――焼き切られた隔壁が宙を漂いだすのを確認して、セイリはレーザートーチを切った。
 隔壁をマグネットで捉え、傍にワイヤーで固定する。流してデブリを増やす愚を犯してはジャンク屋の名折れだ。

「開いたぞ、ミシェル。カーゴを寄越してくれ……ミシェル?」

 この先にあるのが宝であれガラクタであれ、船が無ければ運び出せない。
 母船で待機する仲間に通信を開くが、返ってきたのはノイズだけだった。
 こんこん、と2、3度ヘルメットの側頭部をノックするが、変化は無し。

「チッ、調子が悪いな。こんなところ、ジャマーは撒かれてないはずなんだが」

 孤立した時はその場を動くな、というのが宙間作業の鉄則だ。が、本当に身動き一つせずに待つほどには状況は切迫していない。

「先にお宝とご対面、といくか」

 黙っていても酸素(エア)は消費する。万一を考えてバーニアの推進剤は節約しなければならないが、徒歩で行ける範囲ならば行動しても問題はあるまいと踏んだ。
 隔壁の枠を踏み越え、壁を蹴って廃墟の中へ進む。
 無人の廃墟にぽっかりと開いた闇は、まるで悪魔の顎のように不気味で。一つ息を呑んでしまってから、幾ら歳を重ねても、克服できない恐怖は厳然と存在するのだとセイリは自分に弁解した。

 が、果たして。
 中に踏み入り周囲を調べるにつけ、彼の不安は助長される一方だった。

「……なんだ、こりゃあ」

 それほどまでに、その廃墟は不自然だったのだ。

 端的に言えば、来歴が見えない。
 およそ人工物であれば、然るべき知識を持つ者が見ればその存在自体で来歴を知ることが出来る。何時、何者によって、如何なる目的で作られたのかを。
 だが、この施設は偏執的なまでにそうした来歴が消されていた。
 いずれのシステム、部品も長期に渡り、全人類圏レベルで広範に普及したものが厳選して使用されている。年代のジャンプもお構いなし。最新の循環システムがあったかと思えば、それに半世紀前のフィルターが備え付けられていたりする。

 極めつけは、“沈黙”。
 普通、どんな機密施設でも人が使用する以上は案内図なり、非常時用のガイドなり存在するものだ。そこには必ず言語があり、未だ人類が統一言語を獲得していない以上は使用されている言語で施設の背景を知ることが出来る。
 だが、この施設にはない。
 案内図も、ガイドも、一切の言語が存在しない。
 その有様から、顔を焼き潰された死体を想像して、セイリは我知らず身震いした。
 思わず引き返したくなる衝動に駆られるが、そんな内心を嘲笑うように直接的な危険は一切存在しない。自然、吸い込まれるように足は奥へと進んでいく。

 そして、まるで謀られたようにセイリは施設の最奥に辿り着いた。

「コイツが中心部、ってことになるはずだが」

 ライトで照らされたそれの第一印象は、“棺”だった。
 人間一人が横たわるのにちょうどいいサイズ。それでいて居住性はまるで考えられていない閉鎖性。
 ……人体を収める、函。

「循環システムが集中して……あっちのが生命維持系、とするとコールドスリープシステムか、何かか……?」

 そう当たりをつけてみる。この周辺の宙域では昔、生化学研究が盛んだったという知識に照らし合わせれば尤もらしい推論だとも思う。
 だが、ここでも“沈黙”は徹底されていた。

「後生大事そうに奥に仕舞いこんであるくせに、注意書きも無しってのはどういうことだ、おい」

 言語どころか、警告や操作方法を示すマーキングの類さえない。工場で組み立ててその場に放置したような、全くの無垢な鉄塊。

「ん――……?」

 いや、一つだけ。
 “棺”をまさぐるセイリの目に、一つだけ文字が飛び込んできた。
 黒い地金に白く、そっけなくプリントされた4文字。

 N E M O

「ニ、モ……?」

 数字やアルファベットの羅列……コードに相当しそうなものは何もない。恐らくはこの“棺”、あるいは“棺”の主を示すであろう一語だけが、そこにあった。
 Nemo。
 ラテン語だ。今や母語として使用する者のいない、学者と宗教家の言葉。
 意味は――――“誰でもない者”。

「……冗談」

 思わず乾いた笑みが出る。
 誰でもない者などこの世に存在するものか。
 同時に、それは内心の恐怖を紛らわせるための笑いでもあった。
 ジャンク屋の勘が告げている。これは、何かマズいものだ。
 過去を消す者は、つまり後ろ暗い者だ。軍のウェットワーカーがそうであるように。犯罪組織の上役がそうであるように。
 仲間との通信は未だ途絶したまま。
 これは本当に、通信状況が悪いだけか?
 何か、もっと致命的な事態が今も進行しているのではないか?

「……ミシェル……おい、ミシェル」

 囁くような声で、仲間を呼ぶ。応えるのはノイズだけ。
 思わず通信機を内蔵した側頭部に触れた、その瞬間……気づいた。
 “棺”の上部。それが本当に棺だったとしたならば、顔を覗き込むような位置。
 その部分の外装が、スライドすることに。

 窓だ。中を覗き込める。

「……」

 まるで繰り糸に操られるように、自然とその窓に手をかけた。
 やめろ、と心臓が叫ぶ。
 かけた手を右に。
 見るな、と本能が喚く。
 ゆっくりと、開いた窓に頭を近づけて。

 そして、見た。

 窓の向こうから、こちらを覗いている少女を。

「――っ!」

 内容は覚えていないが、反射的に叫びを上げかかった機先を制して少女は言った。
 簡潔に、静だがはっきりと届く声で。


『おまえは、だれだ』


 その時ようやく、セイリは魂ごと吐き出すかの如き絶叫を上げることが出来た。


 そして――…………


[No.596] 2014/08/23(Sat) 01:00:13
Beautiful world 2 (No.596への返信 / 1階層) - アズミ

 そして――…………悪夢の闇に、目覚めの鐘が鳴り響いた。

「おーきろー」

 ごぃんごぃんと、重くかつ歪な響き方をする金属音と共に、あの声がセイリの意識を覚醒の世界に呼び戻す。
 瞼を開くと、彼女はそこにいた。

「ニモ」

 名を呼ぶと両手に打ち鳴らしていたフライパンと鍋を持ったまま、ニモはにこりともせずくり、と首だけを傾げた。
 愛想は無いが、愛嬌はある。そんな印象を抱かせる動作。

「おはよう、セーリ」

 頭から爪先まで、ガラスを編み上げて作ったような少女だ。
 腰まで伸びる真っ直ぐな髪はファイバーの束のように銀色で、瞳は南国の海のように薄い青。肌は白磁のように色素が薄い。
 テントの入り口から漏れる日光で、ニモの髪が煌いた。
 眩さに目を細めながら、セイリは寝袋から身を起こす。
 と、同時に急に襲ってきた冷気に身震いした。

「今――何時だ、ニモ?」

 問いながら入り口の天幕を捲る。
 そこはラグランジュ4の廃施設ではなく、リビア砂漠のど真ん中だった。地平線の彼方に、未だ昇り切っていない朝陽が顔を出している。
 ……昇り切っていない朝陽!
  寒いわけだ、湿度の低い砂漠は保温性が悪く、昼夜の気温差が極めて大きい。日中の暑いイメージばかりが先行するが、リビア砂漠の夜は夏場でも20度を下回るのだ。

「えーと、4時」

「早過ぎる! 仕事は9時からって言っただろ!」

 暢気に時計を示すニモに、悲鳴染みた抗議を送る。
 が、彼女は何処吹く風と言った様子で傍らに置いてあった本を手に取った。日本……今はもう国としては存在しない、セイリの母の故郷の書籍だった。

「“早起きは三文の徳”。本に書いてあった」

 諺だ。英語圏で言う“早起きの鳥は虫をつかまえる”と同義。
 彼の母の口癖でもあった。セイリもその意味するところはよく知っている。だからこそ、反論した。

「お前、三文って幾らか知ってるか? 今の価値だとたった50ワースだぞ」

 そこらのダイナーでハンバーガーを一つ頼んで100ワース(=1ワード)のご時勢である。少なくとも砂漠の早朝に身を震わせるだけの価値があるとは到底思えない。
 が、ニモは悪びれもせず応じて見せた。

「じゃあ1年早起きし続ければ185.5ワードの徳だな。旧式の携帯端末が一つ買える」

「……そうだな、値切れば家電もいけるかもな」

 よかったな、と言わんばかりの……それも皮肉や当て付けではなく本心で……ニモに、セイリは反論を諦めて寝袋を被りなおした。
 すると、ニモはトコトコとセイリの傍まで近づくと、何の遠慮もなく同じ寝袋に潜り込んできた。

「なんだよ」

「さむい」

 ニモは山吹色とブラウンのツートンのタンクトップの下にスパッツというラフな格好の上に同色のだぶだぶのコートを羽織っている。本人の要望に従ってセイリが買い与えたものだ。暖色で纏めているのは彼女の非生物的な白さに対する彼のせめてもの抵抗。
 暑がりなんだか寒がりなんだかよくわからない格好だが、彼女はどういうわけだかこういう珍妙な服装を好む傾向があった。が、今現在の気温からすれば明らかに薄着に過ぎる。
 巣に篭る兎のように首だけ出してこちらに向けてきたニモに、セイリは大きくため息をついた。

「……なんなんだよお前は、もう……」

 もう一眠りするには、目はすっかり覚めてしまった。



 セイリ=ナバ=カンヤがあの廃墟で彼女……ニモと出会ってから、3ヶ月が過ぎた。
 結局、通信はたまたま調子が悪かっただけでミシェルとは問題なく合流し、施設を解体して金になりそうなシステムを二人で山分けした。

 問題はニモだった。

 結局、彼女が何者か、彼女を納めていた“棺”がなんだったかも解らず仕舞いだ。何せ当の本人が何も“知らなかった”。
 覚えていないの間違いではないのかと何度も確認した。“棺”がコールドスリープ装置だったとして、杜撰な管理と覚醒で記憶障害が起きる事はそう珍しい症例ではない。
 が、彼女は断固として言った。“知らない”と。
 彼女は何も知らなかった。
 一般常識、世界情勢、自分の来歴、何も、何もだ。
 自分が何者かどころか、服の着方さえセイリがいちいち教えてやらなければならなかった。
 言語も同様だった。あの『おまえはだれだ』も、何の事はない、セイリが上げかかった叫びを聞いて鸚鵡返ししただけらしい。

 扱いかねたと見えて、ミシェルはニモのことをセイリに一任し逃げるように去っていった。

 セイリは頭を抱えたが、この少女を無体に扱うことも見捨てることも出来ず、とりあえず生活の世話をすることにした。
 果たして思ったほどの苦労は無かった。
 彼女の学習能力は恐ろしく高く、一通りの会話を一時間足らずセイリと会話しただけで習得してしまったのだ。服の着方、金の使い方、生活に必要なこと全般を習得するのに一週間もかからなかった。
 医者にも見せてみたが、少なくとも医学的にはごく普通の人間……らしい。年齢は医者の見立てでは16歳。150cmそこそこの身長はそれにしては低いように感じたが、特別発育不全というわけでもないらしい。痩せ気味な印象を受けるが、間近で見ると頬はふっくらとしているし、全体のシルエットは年頃の少女らしい柔らかいラインをしている。
 結局のところわかったのはそのぐらいで、セイリの元にはこの白紙のような、あるいは空っぽの瓶のような少女が残された。

 書き付けるものも、中に注ぐものも思いつかず、セイリはニモと一緒にいる。
 これから彼女をどうするか、まだ答えが出ていないまま、3ヶ月。

 惰性で過ぎ去った奇妙な共同生活は、まだ当分続きそうだった。


[No.597] 2014/08/23(Sat) 16:28:27
Beautiful world 3 (No.597への返信 / 2階層) - アズミ

「よーし、作業開始だ! 各機起こせーっ!!」

 今回の仕事を取り仕切るジャンク屋のリーダーの掛け声に従って、巨大な機械の群が砂漠から身を起こしていく。
 砂上用のクロウラーやホバーを備えた重機車両の姿もちらほら見えるが、大半はMS(モビルスーツ)だ。
 MSとは、身の丈18m前後の人型兵器だ。
 ……そう、兵器だ。少なくとも国際法上はそう扱われるとニモは本で読んだし、本来は人を殺傷するためのものなのだとセイリも言っていた。
 だが、その兵器史上特異なフォルムはとても器用で、往々にして戦闘以外にこそ便利なのだとも。
 何処ででも人の思いつくことを実行してみせるスケールアップされた人体は、極めて限られた車両しか活動できないこんな砂漠の真ん中でもまさしく百人力で働いてみせるのだ。

「来い、ニモ!」

 自分のMSが立ち上がるのを待って、セイリがニモを呼ぶ。
 彼女の目の前に差し出された巨人の大型車ほどもある掌に乗ると、その無骨な外見からは想像もつかないほど優しく包み込み、コックピットまで運んでくれる。
 セイリのMSは『アストレイ』と呼ばれている。MSはすなわち巨人だが、より人間らしいフォルムというならこのアストレイが一番だとニモは思った。
 そうセイリに伝えると、セイリは長々とこのアストレイの特徴的な関節駆動構造と人体に近い可動域の因果関係について説明してくれたのだが、ニモが人に近いと思ったのは単純に“顔”だった。
 なにせ目が二つある。口部のインテークは鼻かヒゲのようだし、顎のセンサーは紅を塗った唇のようだ。
 それを聞くと、セイリは釈然としないような苦笑するような、微妙な表情をした。

「ちゃんとベルト締めろよ」

「ん」

 コックピットに辿り着くとニモはセイリの膝の上に座り、無理矢理増設したシートベルトを締める。
 MSはごく一部の機種を除いて、基本的に単座だ。如何に小柄なニモでもコックピットに専用のシートを作るだけのスペースは無く、仕方なくこうして甚だ安全面で問題のある体勢で乗り込んでいる。
 セイリがそうまでしてニモをMSに同乗させているのは、偏に彼女の安全のためだ。
 別に過保護というわけではない。この場に集まっているジャンク屋のMSの大半が何かしらの武装を備えていることからも解るとおり、彼らの活動は事故という要因を度外視してすら常に危険と隣り合わせなのだ。
 また、ニモもただセイリの膝の上に座っているだけではない。懐から出した情報端末をアストレイのコックピットコンソールに繋ぐと、慣れた手つきで手製のオペレーションソフトを立ち上げる。

「ソナー頼む、範囲は半径50、深度は……20でいいだろう」

「わかった」

 ニモがキーを打つと、画面上のアストレイを示すマーカーからソナー波を示すシグナルが広がる。
 今回の仕事は地下に埋設された通信ケーブルの修復だ。
 1年前の戦争で地球上にばら撒かれたニュートロンジャマーは核分裂反応の抑制によって地球のエネルギー生産と核兵器の仕様を抑制するのが目的のものであったが、副次的効果として電波撹乱効果もあった。結果として地上は一時通信網が寸断され、大混乱に陥ったのである。
 そこで対抗策として急ピッチで整備されたのが地下埋設ケーブルによる有線通信網だった。
 一世紀以上前から使われてる甚だ原始的な技術だが、だからこそ緊急時には強い。今やこの通信網は地球上を比喩表現抜きに網の目のように覆っており、地球上の通信状況は民生に限っては戦前とさして変わらないレベルにまで回復している。
 が、物理的にケーブルが存在する以上、メンテナンスに手間がかかるのは回避しようのない弱点の一つだった。
 今回は修復というよりは補填、というのがリーダーからの事前の説明だったが……

「来た」

 しばらく前進すると、反応が返ってきた。
 南北に蛇行しながら貫くように細長い反応。通信ケーブルだろう。だが、途中できっかり50mほど反応が途絶している。

「1ユニット分ぴったりか。こりゃ盗まれたな」

「盗む?」

「そこそこ高く売れるんだ、通信ケーブルは。日銭欲しさの野盗が掘り出して持っていくことがたまにある」

 セイリのアストレイが合図すると、ジャンク屋のMSたちは要所にスケイルモーター(振動によって地上を意図的に液状化させる装置)を設置し、起動させる。すると、さながらモーセが海を割ったように砂漠に流砂が生まれ、ケーブルを設置する予定の部分に沿って溝が出来た。

『よーし、交換用のケーブル持ってこい! 足の軽いMSを中心に3機降りるぞ!』

 リーダーの指示に従い、次々とMSが溝の底に飛び込んでいく。
 アストレイはMSの中でも抜群に軽量で運動性が高い。セイリも後に続こうとするが、そこでニモが口を挟んだ。

「なぁ、セーリ。私、考えたんだけど」

「うん?」

「ケーブルを盗んだのが泥棒なら、そいつらにとってこの状況って」

 ニモが言葉を結ぶ前に、爆発音でセリフが遮られた。
 出所は見回すまでもなかった。視界の端を飛来した迫撃砲で吹っ飛んだ重機が転がっていく。

「“鴨が葱背負ってくる”ってヤツじゃないか? 本に書いてあった」




 1年前、大きな戦争があった。地球圏を事実上二分する、人類史上最大の戦禍だった。
 数多の兵器が製造され、破壊され、大地に、宇宙に、その屍を晒した。
 デブリを回収する個人事業主でしかなかったジャンク屋たちが、国際条約に保護されるジャンク屋組合という業界団体を作るまでに至ったのも、その回収・再生事業を代行するようになったからだ。
 が、同時に大戦の混乱は地球圏の秩序を急速に奪い去った。
 特に先述したニュートロンジャマーによる電波撹乱の影響は大きく、通信網の寸断と交通の不安定化は縮まった世界を急速に広大化させ、国家の制御下を離れ、結果としてごく一部の無政府地域に限られていた盗賊行為が世界中に偏在化し、戦禍と合わせて人々の生活を脅かした。
 そして、それこそが現在ジャンク屋の活動が危険と隣り合わせである大きな要因なのである。
 世界中、それも貴重な資材や金銭を扱うジャンク屋はその標的になることが多く、ジャンク屋組合の形成も事業の拡大より不安定化した社会における自衛のためという側面が強い。

『撃ってきたぞ!?』

『西だ、反応3! 武装しているMSは前に出ろ!』

 飛び交う通信を尻目に、セイリは既に動いていた。
 OSのモードを戦闘用にシフト、ジェネレーターの出力を上昇させ火器管制を開放する。

「敵性反応は西北西距離300、数は3、識別はTMF/A−802」

 索敵と同期した情報端末を見て言うニモに、鼻を鳴らす。

「“犬ころ”か」

 拡大表示されたその全体像を見て、ニモはその表現に得心した。
 大方が人型をしてるMSの中では特異なことに、敵は四つんばいで地面を走る四足獣……ちょうど犬のような姿をしている。
 TMF/A−802、ザフトの開発した地上用MS、『バクゥ』だ。

「装備は?」

「レールガンが2、ミサイルが1。もうビーム・ライフルの射程に入ってるけど」

 ロックオンサイトにグリーン(攻撃可)で表示されている敵反応を指差して言う。
 が、セイリは渋い顔で首を振った。
 
「持って来てないからダメだ。だいたい、半年は整備してないから撃てるかわからん」

 アストレイの基本装備であるものの、MS本体のエネルギーを大きく消費する上に威力が高すぎるビーム・ライフルはジャンク屋の自衛用としてはあまりに過剰武装だ。今も肩にマウントしてあるビーム・サーベルも同様。起動はするだろうが、割合デリケートな機械なので出力が安定するか自信が持てない。
 今背中のハードポイントに装着している射撃武装はM68キャットゥス500mm無反動砲だが……

「キャットゥスは弾頭が排障用の発破のままだし……コイツでやるしかないか」

 アストレイが腰から長大な“刀”を抜き放つ。
 刃渡り9.1mに及ぶ、対艦刀だ。巨大な構造物の外装を破壊するために作られた実体剣で、ビーム・サーベルに比べて切れ味は鈍いが戦闘以外にもいろいろと便利なので普段から手入れがしてある。信用だけは置けた。

「ニモ、かなり揺れるぞ。しっかり掴まってろ」

「ん」

 ニモが端末を仕舞い、セイリのズボンをぎゅ、と掴む。

「俺が前に出る、後から当てるなよ!」

 セイリは通信機越しにジャンク屋たちに叫んで、西に向けてアストレイを跳躍させた。


[No.598] 2014/08/24(Sun) 00:29:55
Beautiful world 4 (No.598への返信 / 3階層) - アズミ

 戦端を開いて約20秒。
 ミサイルの弾幕を回避しながら空中から強襲し、まず突出していた一機を背中から串刺しにした。
 アストレイは同世代のMSの中では特筆するほど機動力に優れており、かつ短時間だが飛行能力も備える。推力最大で肉薄すればそう止められるものでもない。
 恐らくパワーパックを破壊したのだろう、バクゥの四肢から力が抜け、その場に崩れ落ちる。
 軍ならば上出来、と評される手際。

(もっとも、ジャンク屋としちゃ褒められたもんじゃないな)

 そう独りごちる。
 上方からの強襲で、コックピットを避けて一撃で無力化するとなると他に確実な選択肢が無かったのだが、MS用のパワーパックは比較的高価な部品なのだ。出来れば無傷で確保したかった。

「レールガン!」

 ニモの警告が飛ぶ。
 反射的にアストレイを跳躍させると、バクゥの背を掠めるように狙った電磁加速砲の弾丸が爪先数mを灼きながら通過した。
 次の標的は攻撃してきたレールガン装備のバクゥ……ではなく、後方のジャンク屋たちにミサイルを向けている方!

「敵砲身の熱放射に気を配れ! 収まるまで次は撃たない!」

 ニモに指示して、ミサイル付きのバクゥに肉薄する。
 標的が泡を食った様子でミサイルを発射するが、遅い。
 測距も済まないままマニュアルで放ったのだろう、無秩序に広がり弾幕を形成しかけたミサイルに頭部バルカン……“イーゲルシュテルン”を斉射し、撃墜する。CIWSとしての実戦での信用度は気休め程度だが、こういう状況では効果は覿面だ。

「変なトコ当たるなよっ!」

 着弾煙に隠れたバクゥに向けて、目測で対艦刀を薙ぐ。
 狙い違わず、刃はミサイルとMSの接合部に当たり、ミサイルランチャーが砂漠に落ちた。と、同時にジャンク屋が反撃に放った砲弾がバクゥの頭部を吹き飛ばした。
 さし当たってはこれで無力化できただろう。

「ラストッ!」

 ほとんど反射的に、セイリはアストレイを反転させて対艦刀を真下から掬い上げるように振るった。
 その峰が、アストレイに格闘戦を敢行しようと飛び掛っていたバクゥの上半身をカチ上げる。
 バクゥはバランスを取り戻そうと空中でよたよたともがくが、結局重力に引っ張られて仰向けにその場に倒れた。

「――――ふぅぅぅぅ……」

 残心の呼吸と共に、アストレイが対艦刀をひと振るいして鞘に収める。
 バクゥは無傷に近かったが、身体を揺すったりじたばたと足を動かしてどうにかひっくり返ろうともがくばかりで攻撃してこない。そして、それが成功する前に他のジャンク屋がワイヤーで縛り上げてしまった。

「亀?」

 ニモが素直な感想を述べた。
 足は犬並みに長いが、あまり器用に動かないらしい。おまけに背中も動物に比べて平坦なので、ひっくり返った体勢のまま安定してしまう。恐らくメンテナンスや製造時にはそのほうが都合がいいのだろうが。

「こいつらはひっくり返されるとなかなか起き上がれないんだ。バクゥ乗りは地雷を最も恐れる、って昔知り合いに聞いたことがある。それに……」

 アストレイを拘束されたバクゥに近づけ、拳で腹をノックする。

「出て来い。MSを捨てれば命は助けてやる」

 どうやらそこがコックピットらしい。なるほど、無傷で鹵獲するのにもひっくり返すのは都合がいいということか。
 程なく、中からパイロットがひぃひぃ言いながら這い出してきた。

「リーダー、被害は」

『重機とMSが合わせて4機やられた、怪我人はいるが死人はいないのが不幸中の幸いってとこか』

「この3機で補填できる損害だといいんだがな。作業はどうする?」

『次のバカが来ないとも限らん、今の内にやっちまおう』

「了解だ」

 転進し、放置されたままの溝へMSを進める。
 背後では残ったジャンク屋たちが盗賊を拘束し始めていた。

「こんなの、よくあるのか?」

 ニモの問いにセイリは肩を竦めた。

「いつものことさ」



 その後は恙無く作業も終わり、夕刻には一行はテントを構え野営の準備を終えた。
 砂漠での夜明かしは快適とはいえないが、この後このまま次の作業地へ向かう者もいるため、報酬の山分けや損害の補填はこの場で済ませなければならないのだ。

「よぉっす、お疲れさん!」

 また目覚まし時計を4時にセットしようとしているニモをセイリが牽制しているところに、その男は来た。
 筋骨隆々とした、ヒスパニック系の中年男だった。
 短く刈り上げた髪とタンクトップにデニムのパンツという井出達だが、顔立ちは整っており着飾ればさぞ伊達男ぶりを発揮することだろう。
 見覚えはあった。

「確か、リーダーの傍にいた……」

「あぁ、リーダーは兄貴のペドロだ。野盗退治の功労者に兄貴に代わって挨拶しとこうと思ってヨ」

 そう言って、ごつい手をずい、と差し出す。

「俺はホセ=デ=ラ=カルデロン=ウルタード。よろしくな」

 ヒスパニック系の名前は長くて覚えにくい。
 セイリが「ホセでいいか?」と問いながら差し出された手を握ると、ホセは「もちろんだとも」と頷いて握った手をぶんぶんと振った。

「セイリ=ナバ=カンヤだ。こっちはニモ。あー、俺の……」

 次に継ぐ言葉が思いつかず、暫し逡巡する。
 ニモを紹介しようにも、彼女に関して語れるのはその名前にもなっていない名前だけだ。
 苗字どころかその素性も定かならず、セイリとの関係性すら定まっていない。
 そんなセイリの心中を知ってか知らずか、ニモはセイリの顔をじっと見上げている。
 が、やがてホセの方が我が意を得たりという様子でニモの手を取った。

「オーゥ、そうか! 噂の幼な妻ちゃんだな」

 あまりといえばあまりに予想の斜め上の言葉に、思わず噴出す。
 当のニモは不可解な様子でくり、と首を傾げたままホセの握手にされるがままになっていた。

「よろしーく、ミセス! いやぁ、別嬪の嫁さんで羨ましい限りだ!」

「ちょちょ、ちょっと待て! 違う! っていうか噂ってなんだ!?」

「皆そう言ってたが、違うのか?」

 そう言って他のジャンク屋を示すホセ。
 なんて無責任な与太を広めてくれるのだ、とセイリは思ったものの、関係を説明もせずに16の少女を連れまわしている彼に非がないとも言えない。

「とにかく、違う! コイツは……」

 慌てて否定するものの、時既に遅し。
 背筋に走る嫌な予感に隣を見ると、他称幼な妻は相変わらずにこりともせず視線を他称旦那様に向けていた。
 そして、無知という名の処刑鎌を振り上げる。

「セーリ、オサナヅマってなんだ?」

 今度こそ、セイリはぱくぱくと口を開け閉めしたまま言葉が出なくなってしまった。



 結局、ホセにはニモを拾った経緯を全て話すことにした。
 ニモをあそこに置き去りにした何者かが来歴を抹消するような素性であることに変わりはない。あまり吹聴するのもどうかとは思うが、とはいえ幼な妻呼ばわりはともかく何も説明しないといらない勘繰りを受けかねない。
 幸いにしてホセは誠実で善良な男に見えた。一先ず彼に話してしまう分には構わないだろうと踏んだのだ。

「あの曰く付きのL4宙域に由来の知れない廃墟、中には記憶の無い謎の少女が一人……か」

 煙草を一つ吹かして、ホセは笑う。

「映画の予告編としちゃありきたりだなァ。本編を見るかはちょっと考えちまうぜ」

 そう言うが、信用していないわけではないらしかった。
 曰く付きのジャンクを拾って厄介事に巻き込まれる経験は、この稼業を続けていれば誰しもある。
 彼らは戦場に放置された兵器を回収、再生する。元の持ち主である軍もその活動を大筋では容認しているが、中にはかなりデリケートな軍事機密を含むものが混じっていることもある。そうしたババを踏んで軍に追われたなんて話は少なくない数、セイリも聞いた。

「だから予算が落ちなかったのかもな。本編は何時まで待っても始まりやしない」

 映画と違ってニモを狙って謎の男たちが襲ってくることもないし、正体不明の美女が警告しにすることもない。謎の少女は今日も隣で自分の謎など興味もないように夕食の黒パンを頬張っている。

「いいじゃないか、本編は制作上の都合でホームコメディに変更だ」

 ホセがニモの食事風景を観察して言う。
 正直褒められた味ではないそれを黙々と愛想なく、しかし小動物じみた愛嬌のある動作で食べ続ける彼女が面白いらしい。

「スペクタクルは無いが主演女優は一級品。KAWAIIは正義だぜ?」

「殺伐ともしてないしな。……タダ見なら俺も迎合してたところだが」

 物語はいつまで経っても始まらない。
 きっと面白くはないしひょっとすると不利益さえ被るかもしれないが、それにどこかヤキモキしているのは、入場料が高くついたからだ。

「食い扶持ぶんぐらいは働いてくれるようになったんだけどな、偽造戸籍がちょいと高くついた」

 如何に秩序の崩壊した世界でも、国境を跨いだり公共サービスを受けようと思ったら戸籍は必要になる。ジャンク屋組合に登録していれば元の国籍問わず天下御免で地球圏を移動できるが、そもそも組合に登録するのにも前歴一切不詳では話にならない。

「今後を考えると何時までも偽造ってわけにいかないし、せめて組合への登録ぐらいは……なんだ?」

 ニヤニヤとしてこちらを見るホセに気づき、気味悪そうに見返す。

「いや、善い奴に拾われてお嬢ちゃんは幸せだなって思ってな。ほれ、俺のぶんも食べるか?」

 そう言って黒パンを差し出すと、ニモは「ん」と頷いた。……どちらに対してかはわからないが。

「ありがと」

「どういたしまして。黒パン、旨いか?」

 ホセの問いにニモはくり、と首を傾げたまましばらく黒パンを租借した。
 やがてごくん、と飲み込むと口を開く。

「栄養の味がする」

 それの何がツボに嵌まったのか、ホセは人目も憚らず爆笑した。


[No.603] 2014/09/24(Wed) 17:09:03
Beautiful world 5 (No.603への返信 / 4階層) - アズミ

 夜半。
 セイリはアストレイのコックピットの中にいた。
 仕事は片付いたが、砂漠に留まる限り野盗の襲撃の恐れは常にある。戦闘能力のあるMS乗りは交代で見張りに当たっていた(当然、そのぶんの手当ては出る)。

「ふぁー……あ」

 とはいえ、見張り自体はセンサー任せだ。有事に備えてコックピットに座っているだけなので、酷く退屈な仕事である。思わず欠伸が漏れた。
 居眠りするわけにはいかないのが辛いところだった。
 ニモはハッチから身を乗り出して砂漠をずっと眺めている。
 何が楽しいのかわからないが、にこりともしないまま視線を外す様子もない。
 沈黙に耐えかねて、セイリは口を開いた。

「今度から助手ってことにするか」

「なにが」

 ニモは振り返りもしない。

「お前の立場だよ。そのー……不名誉な勘繰りを受けないためにもはっきりさせとかないとな」

 口に出すとまた「オサナヅマってなんだ」が始まりかねないので、敢えて暈す。
 実際、よくよく考えればやっていることは助手と言って差し支えない。少し若いが今時働き始める年齢としては早過ぎるほどではないし、余計な詮索は回避できるだろう。
 ニモは興味もなさげに「ん」とだけ返して、そのまま。口調にも感情は表れない。ただ了解の意を示しただけ。
 ふと、ずっと気になっていたことを聞く気になった。

「……なぁ、お前は不安じゃないのか」

「不安?」

「自分が何者かわからない、なんてさ。想像するだにケツの据わりが悪くて仕方ない」

 ジャンク屋は自由な職業だ。公的庇護は最低限だが、その代わりに制限も最低限。
 何処にいこうと何処で生きようと自由。何処で野垂れ死ぬのも、自由。それを望んで、ジャンク屋になった。
 だがそんなセイリでも、色々と抱えている過去はある。
 生まれた国、生きている母、彼女への仕送り、死んだ父、彼が遺したもの。故郷の友人、ジャンク屋としての友人。人として生きている限り捨てられないしがらみ。友誼、憎悪、執着……。
 だが、それらが全て無くなってしまったら。最初から無かったとしたら。
 それは宇宙から地球が消えてなくなるぐらい、不安で恐ろしいことだと思う。
 だが、ニモは首を振った。

「別に。私は私だ」

 回答は簡潔で、しかし欺瞞は無かった。
 過去は無い。だから幸福も不幸もわからない。
 だから未来が解らない。どうなっても構いはしない。
 ゆえに現在はあるがまま。過去への評価と、未来への展望を決めるために全てを見て、知っていく。
 不安は、感じるとすればその先の話だと。彼女は相変わらず何の感情も篭っていない声音で言った。
 いつもこんな調子なので、彼女との間で突っ込んだ会話は続いた例がない。
 が、その日は少しだけ違った。

「……セーリは何者がいい?」

 不意にニモが振り向いて、そう聞いた。
 唐突すぎる質問に困惑していると、ニモは言葉を継いだ。

「私はただ“私”でいい。でも、セーリが決めたほうがいいと思うなら、決める。……助手か? オサナヅマか?」

「お前、実は意味わかってて言ってるだろ」

 半眼を向けると、ニモはしれ、と言った。

「知ってる。さっきホセに聞いた」

「知っててそれかよ。からかってんのか」

「なぜ? 私は別にいい」

 ニモはやはり、にこりともしない。

「助手でもオサナヅマでもただの“私”でも、今の私にとって良いも悪いもない。全部おんなじ」

 特に望みも欲もなく。護るべきプライドもアイデンティティもなく。資産は僅かに出来る機械の扱いと、女であることだけ。
 ならば妥当な選択肢だと、彼女はこともなげに言った。
 善悪も禍福も知らない彼女は、後悔することも知らない。命に直結しない、文化的余禄は平気で棒に振ってしまう。……その、貞操とか、恋愛観とか、そういう類のものも。

「助手は、まぁともかく……その、そういうのはだな、好きな相手に言うもんだ」

 セイリは柄ではないことを重々承知で、教え諭すように言う。
 しかし、ニモの返答は剛速球、かつ抉るような際どい変化球だった。

「好き」

「あ?」

 あまりに間もなく、抑揚なく言ったので、その言葉の意味を一瞬解りかねた。

「セーリのことは好き」

 ニモはもう一度、しかしそれ以上は何も言わなかった。
 弁解染みた理由はつけなかった。量るような虚飾や比喩もつけなかった。
 あまりに簡潔な好意に、思わずしどろもどろになりかけて、スクールの子供じゃあるまいし、と自分に呆れる。

「そ、そうか」

 いきなりものを口に突っ込まれたようなマヌケなかおで目を白黒させ、視線は地に落とし、次に天を仰ぎ、ようやくそれだけ口から搾り出した。
 そしてニモはもう一度だけ、問うた。

「セーリ。私は、何者であればいい?」

 何の感情も篭っていない表情。視線。言葉。
 だからこそ、その問いは真っ直ぐだった。
 機械の愚直さでも奴隷の卑屈さでもない。大地に立とうとする、赤子の無垢さ。生のままの命が問う、最初の疑問。

 ――――己は、何者であるべきなのか。

 それに対して、欺瞞や韜晦で応じるのは憚られた。己の本心で応じねばならないと、セイリは思ったのだ。
 だから…………



「L4宙域に詳しい奴、ねぇ」

 翌日、報酬を受け取りがてらホセに問うと、彼は腕を組んで考え込んだ。
 
「どんな方面でもいい、情報が無さ過ぎて今のところそれぐらいしか絞りようがないんだ」

 あの、ニモを拾った廃墟にも、ニモ自身にもその素性を探る手がかりは全くなかった。であれば、他所から当たるしかあるまい。あの廃墟を作った誰か、ニモを置き去りにした誰かを直接探すしか。

「L4宙域の廃墟コロニー群は、今やジャンク屋の定番ルートだが……それも『新星攻防戦』以来の話だからなぁ。それ以前となると、組合結成以前の古参のジャンク屋か東アジア共和国を当たってみるしかないんじゃないか」

 新星攻防戦は2年前の6月、ザフトが東アジア共和国所有の資源衛星『新星』を襲撃、奪取した大規模な会戦だ。L4に存在したコロニー群も多くが被害を受け、放棄。廃墟と化したコロニー群は現在、ジャンク屋が回る定番ルートの一つに数えられている。
 あの廃墟がその際に放棄されたものだとするなら、その素性を探るには新星攻防戦以前のL4に詳しい人間を当たらなければならない。

「東アジア共和国か」

 旧中国と朝鮮半島を中心とした地球連合に属する極東の国家だ。セイリの母の故郷である旧日本地区もこの一部になっている。日本地区にはツテもなくはない。
 また、カオシュンまで行けば宇宙港もある。宇宙に上がることも視野に入れられるし、ともあれ一先ずはそこを目指すのもいいかもしれない。

「東アジアに行くなら俺たちの艦に乗ってけよ。うちもカオシュンに行く予定だからな」

「いいのか?」

「他にも何人か乗ってくしな、旅は道連れってヤツさ。……飯代分は働いてもらえるんだろ?」

 ウィンクしてホセはいう。ちゃっかりしている、とセイリは笑んで頷いた。
 合流の予定を打ち合わせて、自分のMSに戻る。
 コックピットまで登ると、シートでニモが待っていた。

「私は、別に自分が誰でもいい」

 座ったままセイリを見つめてそう言うニモに、首を振った。

「俺は、お前が誰なのか知っておきたい」

 ニモは、自分は自分だと言う。自分が何者でも、セイリがそれでいいというなら何者でもない自分でいいのだと。過去など要らないと。
 だが、セイリはそうは思わない。過去があって、今があって、その延長にこそ未来がある。ありのままのニモを受け入れることと、彼女に何かを望むことはまた別なのだ。
 ニモという人間を識って、ようやく理解できる。自分にとって何者なのかを定めることが出来る。
 そう言うと、ニモはようやくシートを明け渡した。

「次は何処に?」

「その本の国に」

 言って、ニモが傍らに持っている本を示す。
 母の故郷の言葉で書かれた本。
 ユーラシア大陸を越えた果てにある、日の出ずる国。

「行こう、東アジア共和国へ」


[No.604] 2014/09/24(Wed) 22:18:01
Beautiful world 6 (No.604への返信 / 5階層) - アズミ

 ニモの余暇は基本的に読書に費やされる。
 どういった理由か、このご時勢に電子書籍ではなくハードコピーに拘る。現在の地球圏において知的財産権の保護は十全とは言いがたく、大概の知識はネットワークに溢れているし逆に電子書籍でなければ存在しない本も数多いのだが。
 基本的に旅の空なので、持ち歩ける本は少ない。街で10冊ほど購入しては仕事の間に読破し、次の街で売り払ってまた10冊購入する、の繰り返しである。
 
「とはいえ暫く海上暮らしだからな、今回の10冊はゆっくり読めよ」

「ん」

 セイリの言葉に、ニモは本の紙面に視線を落としたまま生返事を返した。
 飛行中のアストレイのコックピットはそれなりに揺れる(推力重量比が1以上なので短時間飛翔出来るというだけで、安定翼が存在しない)のだが、一向に酔う様子はない。
 足元のリュックには前回の仕事のあとトリポリで購入した9冊の本がぱんぱんに詰め込まれている。
 ニモの読書は基本的に“学習”と同意義だ。文芸書や哲学、啓蒙などは皆無で、ほとんどが技術書や教科書である。
 先述した通り、彼女の学習能力は埒外に高い。現在、遺伝子操作によって人為的に優秀な頭脳を持つ人間を作ることは可能だが、こと学習能力に限っていえばその最高位の個体であっても彼女には及ばないかもしれない。既に彼女は博士課程までの機械工学全般とMS運用概論、ジュニアハイまでの一般教養、英語、日本語、北京語、アラビア語、ドイツ語を習得している。
 もっとも、では彼女が“頭がいい”のかと言われれば、それはノーだ。
 彼女は知識を記憶し理解するだけで、応用力が致命的に乏しい。機械的なのだ。セイリは製造直後の量子コンピューターの学習に立ち会ったことがあるが、ちょうどそれに近い感覚を覚えた。
 そろそろ何か文化的な趣味を与えないと不健全かもな、とセイリは考えている。

「今度は何読んでるんだ?」

「オーブ軍士官学校のMS戦術論の教科書」

「……、残りもそんなのか?」

「んーん。次からはハイスクール課程の近現代史と公民。東アジアとオーブと汎ムスリム会議の」

「……あ、そう」

 なんでわざわざ同じ課程のを数カ国分読むんだ、と自国の、それも学校の授業で読んだだけで頭が痛くなったセイリは疑問を禁じえない。
 ニモにしてみれば主観性が強く出る分野なので数カ国分併読し内容を吟味するのは当然の行為なのだが。欲を言えば大西洋連邦とプラントの教科書も欲しかったが、残念ながらハードコピーが手に入らなかった。

「目的値までどのぐらいかかる?」

「そろそろ着陸して……そうだな、歩きで半刻ぐらいか」

 ニモの問いに、ナビを立ち上げて大雑把に答える。
 目的地は地中海に面したリビア最大の貿易港の一つ、ラスラヌフだ。そこでホセらと合流し、彼らの船で地中海からスエズ運河を渡ってインド洋周りで東アジアを目指す。

「わかった、それまでにこれを読み終わる」

「ゆっくり読めっつーに」

 心なしかふんす、と鼻息を荒くしたように見えるニモに、セイリは呆れてそう言った。



 誘導に従い、港湾部に停泊した艦船の甲板にアストレイを着艦させる。
 ザフトのボズゴロフ級潜水艦だ。
 同軍では数少ないMS運用能力を持つ水上艦で、戦時中多数の艦艇が衛星軌道上で建造され、海上に投下、運用された。
 先の停戦に際しザフトは地上から大幅な撤退を余儀なくされたため、その際に引き上げられなかった損傷艦が多数、機密対策を施した上で放棄されている。恐らくこのボズゴロフ級もそうした一つを回収して修復したものだろう。

『よーし、オーライオーライ! そのまま3番のハンガーに入れてくれ、そうだ!』

 アストレイをハンガーに固定すると、下でホセが出迎えてくれた。

「ようこそ、『ワイナプチナ』へ! 歓迎するぜ、二人とも」

 ボズゴロフ級の艦名は火山の名が多い。この艦の名はペルーの活火山から取られたらしい。

「すまんな、厄介になる」

 言って、ニモの頭をくしゃ、と押さえながら一礼する。ホセはにっと笑ってそれを辞した。

「いいってことヨ。前も言ったとおり飯代ぶんは働いてもらうしな」

 実のところ、こうしてジャンク屋同士が寄り合い所帯を形成することはさして珍しくはない。
 ジャンク屋は多くが組合成立以前の時代と同じく個人事業者だが、その仕事は組合の主導によって近年大規模化が著しい。そうした場合、こうした艦艇を運用するグループに近隣の個人事業者が乗り合い、現地に輸送するのが一般的だ。気が合えばそのままグループに加入するケースも少なくない。

「もちろん、食い扶持ぐらいは自分で稼ぐさ。……他にも乗り込んでるんだったか?」

「あぁ、まぁ後で顔合わせといてくれ。それなりに長旅になる。……それと」

 ホセはあー、こほん、と一つ咳払いし、ばつが悪そうな顔で続けた。

「悪いがー、個室は割り当てられん」

 それはある程度予測されたことだった。軍艦、とりわけ潜水艦はとかく艦内スペースの確保にナーバスだ。
 個室は地球連合軍をはじめとした旧来の軍隊なら士官用に限られるが、ザフトは所属国家たるプラントの正規軍ではなく、義勇軍であるのが問題だった。
 兵・下士官・士官の別がなく、個室が優先されるのは機密を扱う責任者、管理者のみである。なので、相対的に個室の数は少なくなる傾向があった。
 まぁ、別にそれは構わない。そもそもニモとは今までもテントなどで一緒に雑魚寝していたのだ。いまさら気にすることもあるまい。
 何か、大事な感覚が麻痺しているような気がしないでもないが。

「船医もいないから、アレだ。……対策はしっかりな」

 何のだ。


[No.605] 2014/09/25(Thu) 23:53:39
Beautiful world 7 (No.605への返信 / 6階層) - アズミ

 人類はその歴史において、幾度も異なる基準において自らを分か断ち、相争ってきた。
 住む町。髪や瞳の色。肌の色。経済の形態。
 そして、その最新の要因が、遺伝子調整の有無だ。

 ナチュラルとコーディネイター。

 それが現在の人類を大きく二分し、その史上未曾有の大戦を生み出した元凶である。

 C.E.15年。今を遡ること半世紀以上前。
 万能の天才ジョージ・グレンが自らが遺伝子操作されて誕生したデザイン・ベイビーであることを告白し、己を生み出した遺伝子調整技術を全世界に公開したのが事の発端である。
 彼は自らに続く遺伝子調整者を来るべき新たな人類と現生人類の橋渡しとなるべき進化の調整者(コーディネイター)と期待した。もっとも、現在多くの人間は遺伝子を調整(コーディネイト)するからコーディネイターだと思っているし、実情として彼の理想を肯定するコーディネイターは非常に少ない。
 遺伝子調整によって子孫に与える恩恵と是非はそれこそ旧世紀から論議されてきたが、具体的な方法論を示すことでそれは一気に先鋭化した。
 社会は無用の混乱を起こしかねない遺伝子調整の利用に非を突きつけたが、なればこそ己の子孫を他者より優れた存在にするチャンスに一部の人間は飛びついた。
 遺伝子調整された人間……コーディネイターは社会の裏で増え続け、C.E.45年には実に一千万人を突破。
 気がつけば、一つの国を形成しうるほどの人口に膨れ上がっていた。

 生まれながらに己より優れていることを約束された隣人など、常人ならば容認できようはずもない。
 コーディネイターは社会から排斥され、プラント(砂時計型の新世代コロニー群)へ移住、亡命。事実上の棲み分けが行われることになった。

 だが、平和的不干渉で終わるには地球圏は狭きに過ぎた。
 この棲み分けはそのまま“相手を遠慮なく叩き潰せる構図”となり、幾つかの痛ましい惨劇を経てC.E.70年……先の大戦、『ヤキン・ドゥーエ戦役』へと繋がることになる。

 この人類史上未曾有の戦禍は数多の死者を生み出した後、C.E.72年3月10日、ユニウス条約の締結を以って停戦という形で一先ずの幕を下ろす。
 無論、それはナチュラルとコーディネイターの対立の最終解決を意味しない。
 停戦から数ヶ月が経つ現在でも、お互いの憎悪は厭戦ムードに隠れて燻り続けている。

 しかし、この物語の始まりである男と少女は、その二分された世界のどちらにも与しない。
 少女は、どちらでも無いがゆえに。
 そして男は、どちらでもあるがゆえに。



 地中海の旅が始まり2日間は、何事もなく経過した。
 その間にニモは3冊の本を読破。この世界の現状を大雑把には理解したらしい。
 そして、セイリも予想していた質問を口にした。

「セーリは、ナチュラル? コーディネイター?」

 セイリは街で仕入れた壊れた加速チップの修復作業を止め、居住まいを正してニモに向き合う。

「ニモ。余程のことがない限り、その質問は他人にはするな」

 ニモはくり、と首を傾げる。彼女は驚くべき速度で知識を増やしているが、社会常識に欠けるためこういう機微には疎く、想像することも難しい。
 ゆえに、セイリは一つ一つ、教え諭すように続けた。

「理由は二つ。一つは、危険だからだ」

 ニモに向けて掲げた2本の指の片方を曲げる。

「その質問は往々にして流血を招く。未だにナチュラルもコーディネイターも、相手がそうであるだけで殺傷も辞さない連中が世界には山といる」

 ブルーコスモスと呼ばれるイデオロギーがある。
 主体は自然保護団体を母体として宗教組織が合流することで誕生した思想団体であり、“青き清浄なる世界のために”をスローガンとしてコーディネイトとその結果生み出されたコーディネイターを生命倫理を冒す存在として否定している。
 単なる思想集団ではなく武装を伴う(あるいは連合軍自体が影響下にある)場合も多く、往々にして血生臭い手段に訴える、危険な集団である。ナチュラル側がコーディネイターを害する事案はその大多数がブルーコスモスの影響下にあるとする説もあるほどだ。
 が、コーディネイター側も負けてはいない。ナチュラルに対する悪感情は必ずしも先に排斥されたという被害者感情のみから来るものではなく、能力的に劣る“劣等人種への蔑視”も含まれる。
 ナチュラル殲滅すべし、と臆面もなく言ってのけるコーディネイターは実は少なくはないのだ。

「そしてジャンク屋は中立だ、ナチュラルもコーディネイターもいる。往々にして事情があって母国を離れてここにいる。彼らにしてみればそういうデリケートな問題だ、触れられていい気はしない。不用意にその質問はするな」

 続けて、残った指を曲げる。

「もう一つは、無意味だからだ」

「無意味?」

「ナチュラルもコーディネイターも、本質的には同じだからだ。安易なヒューマニズムじゃない、生物学的な話としてな」

 いくら遺伝子を調整しようが、コーディネイターも生物学的にはホモ・サピエンスである。
 砕いていえば遺伝子調整は人為的に天才を作る技術であるが、裏返せばそれはその能力の全てが人間の才能の範疇に収まるということだ。
 理由は単純、人間の範疇を外れたならば、当然人間としての生殖能力も完全に喪失するからである。それはもはや生物種たりえない。

「だから、コーディネイターとナチュラルを判別する手段は厳密には存在しない。コーディネイターが日常でナチュラルの振りをするのは至って簡単だし、コーディネイターの持ち得る能力はナチュラルもまた才覚として持ち得るからだ。理論上はな」

 実際には、ほとんどのコーディネイターは概して万事ナチュラルより優秀だしナチュラルにとって致死的な疾病を遺伝子調整で克服しているため、能力を隠そうとしなかった場合やそうした病の流行や疾病耐性に関する遺伝子調査でほとんど割り出す事は可能だ。が、それも精度として100%ではありえない。
 おまけにコーディネイターと一言でいっても、遺伝子調整の度合いは十人十色だ。容姿が美しいだけとか、運動能力だけ優れているとか、果ては単に一部疾病に耐性を持つだけで能力的にはナチュラル並というコーディネイターも幾らでもいるし、そもそも遺伝子調整技術も完全ではないため、誕生前に企図した遺伝形質がうまく現出しないケースも少なくない。

「それが証拠に……ニモ。お前はナチュラルかコーディネイターかわからない」

「私?」

 急に水を向けられて、ニモは目をぱちくりとさせる。

「お前はナチュラル離れした学習能力を持ってるが、しかしコーディネイターの多くが持っている身体的な頑健さはない。つまるところ、天才的な頭脳を持つナチュラルなのか、身体の耐性を弄っていないコーディネイターなのか判別がつかないってことだ」

 少なくとも、ニモを診た医者はそう言った。これもニモの謎の一つである。
 容易に国籍を取得できない理由でもある。地球側の国家は押し並べてコーディネイターをよく思っていないし、プラントは逆にナチュラルの国民がほぼ絶無だ。

「そうか……」

 ニモはそのこと自体に別段ショックを受けた様子もなかったが、セイリの話自体は理解したらしくこくりと頷く。
 その上で、セイリは一つ咳払いをし、部屋のドアや全体……監視カメラの類がないことを確認してから、続けた。

「で、俺がナチュラルかコーディネイターか、って話だがな。これも出来れば他所では話すなよ」

 その前置きをニモは訝ったようだった。
 セイリも我ながら回りくどいと思ったが、彼にとってその質問は下手をすれば世界中の誰よりデリケートな問題なのだ。

「いいか、俺は……」

 肝心の内容を話そうとしたその瞬間。
 艦がくぐもった轟音と共に大きく揺れた。

「……何?」

「雷撃……!? 直撃はしてないらしいが」

 艦に命中したならば、破壊音はもっと鋭く、大きい。のみならず、こうして暢気に警戒している暇もなく浸水に呑まれているだろう。
 程なくドアが開き、泡を食った様子でホセが顔を出す。

「悪い、トラブルだ! 手伝ってくれセイリ!」



 潜水艦の廊下は非常に狭い。艦後部にある船室区画から、MSを搭載している前部のドライチューブまで移動するのも一苦労だった。
 壁を掻いて移動しながら、ホセが現状を説明する。

「敵はこっちと同じボズゴロフ級、既にジン2、グーン1を展開し終わってる」

 ニモは器用に走りながら携帯端末を起動し検索を完了する。
 UMF−4Aグーン。イカの頭と人間の下半身を組み合わせたような奇異な体型が特徴的なザフトの水中用MSだ。
 ジンはザフトが開発した史上初の量産型MSだが、状況を鑑みれば水中哨戒型のジン・ワスプか。こちらは見慣れた人型で、センサーアレイを内蔵した大きなトサカとモノアイが目を引く。

「海賊か?」

「向こうさんはザフトを名乗ってるがね。ザフトの資産であるこのボズゴロフ級ワイナプチナを速やかに返却せよだとさ」

 艦名まで割れているということは、恐らく元は本当にザフトだろう。
 先に述べたとおり、ザフトは大半が地上から撤退しているため正規の部隊とは考えがたいが、一部の兵がナチュラル憎しの一念で本隊を離脱し反連合ゲリラに身を投じているという話を聞いたことがあった。そういう手合いか。

「やってることは海賊と50歩100歩だがヨ、問題は」

「全員が軍の訓練を受けたコーディネイターってことだな」

 以前リビアで戦った盗賊たちはナチュラル用に調整されたOSで無理矢理バクゥを運用しているだけの、素人同然の現地民だった。が、そういうお粗末な連中とは練度も土台の能力も違うということ。
 翻ってこちらはジャンク屋の集まり、戦闘に関しては大半が素人だ。装備の上でもこちらは自衛程度の戦闘能力こそあるものの、逆に言えば(整備は万全とはいえないだろうが)まがりなりにも軍組織の制式装備を使用している敵には確実に劣る。

「こっちで出られるのは?」

「ここまでが穏やかな航海だったからな。半分はバラしちまってて、使えるのは俺のジンとお前のアストレイだけだ」

 おまけに数まで劣っているときた。

「スケイルモーターをピカピカの新型に取っ替えたばっかだからな、船の足はこっちが上だ。追いかけっこを続けりゃ振り切れると思うが」

「MSはそうもいかんか」

 つまるところ、ジンを2機とグーン1機はどうあってもセイリとホセでどうにかしなければならないということ。
 どうにも分が悪い。
 ハンガーに辿り着き、各々のMSに搭乗する。
 が、セイリは一緒に乗り込もうとするニモを制止した。

「今回は留守番だ。あの急拵えのタンデムじゃガチンコの戦闘はキツい」

 強烈なGがかかった際に、膝の上にニモ一人分の重量が乗っているだけでも命取りになりかねない。
 今回は艦の中にいればとりあえずは安全だ、ハンガーで預かってもらったほうがいいだろう。

「ん」

 ニモもそれは理解したのか、特にごねることもせずに整備員についてアストレイから離れていく。
 それを見届けて、セイリはMSを起動した。
 格納庫内の景色を映し出すモニターを見回すと、隣のハンガーに固定していた作業用のジンが動き出す。これがホセの機体か。
 ホセのジンが腕を掲げた。接触通信を求める合図だ。アストレイの腕でそれを掴む。

『コイツは接触通信だ、他には聞こえねえ。コッチの手札を確認しておく』

 いつものどこか軽薄な感じのするそれとは違う、重い口調。慎重に言葉を選んでいる気配が感じられた。

『……俺ァコーディネイターだ、生まれてからコッチ、ジャンク屋生活で従軍経験はねえけどな。そっちは?』

 ニモに不用意に問うな、と言ったばかりだが、今この瞬間は必要な情報に違いなかった。お互いのMSの性能は諸元を見れば事足りるが、人間としての技能は実際に見るまではその経歴から推し量るしかない。
 自ら申告したのは、デリケートな話題に触れるがための彼なりの礼儀だろう。驚きはしなかった。顔立ちが端整だしそうかもな、程度には思っていたのもあるし……セイリがそれほど調整の有無に拘らない生まれと育ちだったせいもある。
 セイリは応答した。

「オーブの本土防衛軍に71年の1月までいた。俺は……」

 そこから先の躊躇いは一瞬だった。ホセは信用できる人間だ。
 むしろ、そのホセだけが聞いているこの瞬間ですら、口に出す一瞬の躊躇を要したことにセイリは自分で呆れた。

「……俺は半分だけ、だ。こっちが打って出る、ディフェンスは頼んだぞ」

『お前……』

 ホセは何か言いかけたが、すぐに頭を振る。

『いや、わかった。頼むぜ相棒』

 頷いて通信を切る。
 それぞれのMSを前進させ、艦上部甲板へ繋がるリニアカタパルトに乗り込ませた。


[No.606] 2014/09/26(Fri) 17:56:44
Beautiful world 8 (No.606への返信 / 7階層) - アズミ

 甲板に上がると、既に視界の端、ワイナプチナの後方300mほどにまでMSらしき航跡が迫っていた。
 不意に海面下が光る。

『なんか撃ってきたぞ!?』

 水中用MSの武装……スーパーキャビテーティング魚雷やフォノンメーザー砲は艦載のそれに比べて火力が小さいが、基本的に超音速ないし音速であるため艦船には回避できない。
 何せソナーで拾う音と同じかそれより早く命中するのだ。撃ってきた、と気づいた瞬間には既に命中しているのだから回避行動もへったくれもない。
 だが、音速はMSによる陸戦においては遅い部類だ。対処する時間も方法も十分にある。

「ソナー手、耳を塞げ!」

 セイリは通信機ごしにワイナプチナのブリッジに指示を飛ばし、アストレイの腰からグレネードを引き抜いて後方に投擲する。
 直後、先刻を遥かに上回る光と轟音が海面下で巻き起こり、MSから伸びる光と航跡が強引に遮ぎられた。

『ヒュウ♪』

 ホセが口笛を吹いて賞賛に代える。
 不意に巻き込まれた戦闘から逃げるために用意してあった、特製のスタングレネードだ。
 スタングレネードと言っても、MS一個小隊を一時的に無力化するほどの閃光と爆音を放つシロモノである。生身で食らえばショック死する可能性すら十分にある。
 水中であれば凄まじい振動を発生させる。魚雷やフォノンメーザーが通り抜けるには聊か分厚すぎる音の壁を形成するというわけだ。

「手筈通りにいく、抜けたのは任せるぞ!」

『あいよ、任された!』

 アストレイが跳躍し、飛翔。後方に展開するMSの機影に肉迫する。
 水中用MSが得意とする水面下に付き合う必要はない。アストレイは短時間とはいえ飛行能力があるのだから、空対潜攻撃に徹するのが常道だった。
 片腕に保持したのはキャットゥス500mm無反動砲だ。ビームは水中においては減衰が著しいため、しばしば陸戦MSが海上戦に巻き込まれた際、短魚雷代わりに使用することもある。
 キャットゥスを構えたこちら目掛けて、グーンがフォノンメーザー砲を発射する。が、これは難なく回避。空中にも撃てる、というだけで対空兵装と呼ぶのもおこがましい性能だ、脅威に値しない。
 向こうもそれは承知だったのだろう、ジンの一機が思わぬ行動に出た。
 海面からジャンプし、こちらに格闘戦を挑んできたのだ。

「なにっ!?」

 機体設計上はもちろんのこと、動作プログラムとしても想定外の運用だろう。そもそもジン・ワスプには格闘武器が装備されていない。
 恐らくこちらがアストレイであるのを確認した段階で急遽プログラムを組んだのだ。戦闘中に、しかもこの短時間で。こういうことをやってのけるのがコーディネイターの兵士である。少なくともセイリには出来ない芸当だった。
 対艦刀のロックを解除するが、既に間合いの内側である。抜刀する時間がない。
 ……だが同じ事は出来ないというだけで、実のところセイリもまた並のパイロットではなかった。

「ンの……」

 逆噴射し迫るワスプから離れる。当然、ここまでの勢いがあるため振り切るには届かない。一瞬、僅かに距離を稼げただけだ。ロックが外れた対艦刀だけが鞘からすっぽ抜けて、その場に取り残される。
 だが、次の瞬間。

「野郎っ!!」

 破壊され、海面に落下していたのはジンの方だった。
 アストレイの左手には逆手に構えた対艦刀。
 そう、すっぽ抜けたのではない。抜刀したのだ。刀を鞘から抜くのではなく、鞘を刀から切ることで間合いを創出してみせたのである。
 いわゆる居合いの術理だ。動作単位で見れば難しいことは何もしていない。既存の動作プログラムを凄まじい反射神経と判断力で組み合わせて“技”に昇華した。
 これもまた、相手に負けず劣らずの人間離れした所作であった。

「次っ!」

 さらにそのまま空中で宙返りし、キャットゥスを発射。横をすり抜けていったグーンの背に命中し、小破させる。
 撃墜には及ばないが、常に水圧に晒される水中用MSはフレームの破断に殊更ナーバスだ。戦闘の継続を諦めたか、前進をやめて浮上を始めている。

「ホセ!」

『ワイナプチナは安全圏だ! こっちは……クソッ、離れろ!』

 ホセのジンは接近するワスプを体当たりで止めたのか、海中で取っ組み合いになっている。
 当然、作業用と水中用では海中におけるアドヴァンテージが違いすぎる。ホセの旗色は悪い。ワイナプチナが安全圏まで逃れたのは幸いだが、一刻も早く救援に行かねばならないが――……。

「コイツを何とかしていかなきゃならんか……!」

 飛来した対空ミサイル群を辛うじて回避する。
 敵の母艦たるボズゴロフ級だ。MSと戦闘している間にこちらに追いついたらしい。
 アストレイの滞空時間もそろそろ限界だ。ボズゴロフの攻撃を回避しながらワスプを仕留め、ホセを連れてワイナプチナまで帰還するというのはあまりにも現実的ではない。

「仕方ない、やるか!」

 セイリはアストレイの高度を落とし、海面まで浮上したグーンに“着地”する。

『踏み台にした!?』

 接触回線でグーンのパイロットの悲鳴が聞こえたが、無視。グーンの機体を蹴って体勢を整え、再度上昇。
 ホセやワイナプチナのいる後方ではなく、よりにもよって追ってくるボズゴロフに向けて跳躍した。

『セイリ!?』

「ホセ、もう少し持ちこたえろ!」

 迎え撃つ対空ミサイルの弾幕は、従軍経験のあるセイリから見れば随分と控えめなものだった。
 ミサイルというのはあれで消耗品のくせに高価なのだ。、相手は正規軍を離脱したいわば脱走兵。十全な補給を受けられない以上出し惜しみをするのはさして不思議なことではない。

「だが、ケチったのが命取りだ!」

 余力を温存して致命的な現状を看過するのは明確な判断ミスだ。少なくとも軍人であれば叱責に値するレベルの。
 跳躍による限界高度までスラスターを温存、自由落下が始まると同時に最大噴射。ベクトルをボズゴロフに向けて集中し、弾丸の如く加速する。
 ミサイルによるホーミングには限界がある。前方を塞ぐ弾頭のみをイーゲルシュテルンで排除。そのままミサイルを発射するため海面下ギリギリまで浮上していたボズゴロフの甲板へ向けて――

「おぉ――……」

 ――対艦刀を突き立てた!

「りゃあっ!!」

 根元まで突き刺さったそれを、強引に薙ぎ払う。まるで熱したナイフでバターを切るように、容易く船殻が大きく破断した。9.1m“対艦”刀の面目躍如である。
 さらにダメ押しで破断面に向けてキャットゥスを2発見舞う。上部甲板に大穴が開いた。
 もはや航行能力は維持できない。慌てて浮上したボズゴロフのブリッジに次弾を装填したキャットゥスを突きつける。

「MSを退かせろ!」

 海賊紛いの行動を取る連中に、命を楯に取られてなお突っ張る胆力があろうはずもない。
 ボズゴロフのクルーは一も二も無く従った。




 ザフトを撃退したセイリにリーダーのペドロを始めとするワイナプチナのクルーは感謝を示し、機体の修理と補給の全額補償を願い出た。
 ありがたく厚意に従うことにし、ハンガーにアストレイを固定して格納庫に降り立つ。

「セーリ」

 ニモはずっと格納庫にいたらしく、とことことセイリに寄って来た。
 その頭をくしゃりと撫で、ニモと共にドライチューブの片隅に放置された資材の上に座る。
 その間、セイリは一言も発しなかった。
 さすがに戦闘の疲労があったのだ。一介のジャンク屋には過ぎた仕事をした。
 ニモもまた何も話さなかった。元より、こちらが話しかけなければ何時まででも黙っている。セイリの疲労を慮った可能性も、なくはないが。

「よぉっす、お疲れさん」

 ややあって、先に艦に辿り着いていたホセが以前と同じような声をかけた。
 持っていた缶ビールを投げて寄越す。

「俺の奢りだ」

「悪いな」

「お前がいなきゃ俺ァ海の藻屑だったんだぜ? 命の恩人にするにはお粗末すぎるぐらいさ」

 肩を竦めるホセに、苦笑する。
 彼の態度に、どことなく余所余所しさを感じた。恐らく、戦闘前の“質問”のせいだろう。
 コーディネイターかナチュラルか。不用意にはしてはならない問い。だが、セイリの回答はコーディネイターとナチュラル、そのどちらよりもなおデリケートなものだった。
 セイリの素性そのものに思うところはないだろう。ただ、それを聞いてしまったことにばつの悪さを感じている。ホセはそういう男らしかった。

「気にするなよ、ダチ公。俺が自分の口で話したんだ、そういうことさ」

 ダチ公、という言葉は、彼に対してかなりの効果を発揮したようだった。
 セイリ自身が、秘密にすべきことを語るに値する相手だと判断したのだと。そういう免罪符である。

「……おう」

 ようやくいつもの笑みを取り戻して、照れくさそうに頭を掻く。

「ま、ゆっくり休んでくれ、ダチ公。細々した事は俺等がやっとくからヨ」

 そう言ってその場を辞するホセを姿が見えなくなるまで見送り、セイリはビールを開けた。

「……ニモ」

「セーリがナチュラルかコーディネイターかって話」

 呼んだだけなのに、察しがいいのかそれともマイペースなのか。
 苦笑して、ビールを一口、喉に流し込んだ。

「あぁ、それの続きだ」

 格納庫はMSの整備で喧騒に満ちている。こんな片隅の会話に聞き耳を立てている人間はいないだろう。
 セイリはそれを確認してから、口を開いた。

「俺は、ハーフコーディネイターだ」


[No.607] 2014/09/26(Fri) 17:57:45
Beautiful world 9 (No.607への返信 / 8階層) - アズミ

 ハーフコーディネイターとは、読んで字の如くナチュラルとコーディネイターの間に生まれた混血児である。
 コーディネイターの優秀な形質は遺伝子を改竄したものなので、当然その子にも受け継がれる。片親がナチュラルであっても、概算で半分は遺伝することになる。
 大雑把に半分くらいコーディネイターなのだ。ただそれだけの存在だ。
 ナチュラルもコーディネイターもそうである以上、ハーフコーディネイターもやはり生物学的にはホモ・サピエンスに過ぎないし、コーディネイターですら超人ではないのでハーフはなおのこと超越的な存在ではない。

 が、ナチュラルとコーディネイターの対立構造が多分に心理的・倫理的な要因に起因するように、ハーフコーディネイターの社会的な扱いもまた生物学的平凡さとは無縁に悪い。

 ナチュラルからすれば半分でも調整された遺伝子を持つ時点でコーディネイターと同類項だし、コーディネイターからするとハーフの存在は自分達の優生学的な志向に真っ向から対立する……彼らのよく使う表現を借りるなら“ナチュラル帰り”だ。それは決して認められない禁忌であり、往々にしてナチュラル以上の侮蔑の対象となる。
 結果的に、ハーフコーディネイターはナチュラル、コーディネイター双方から社会的、私生活的に孤立ないしし迫害される。
 ナチュラルが劣等人種でコーディネイターが化け物なら、ハーフは劣等な上に化け物の、人でなしの亜人種なのだ。

 聊か悪意に満ちた表現だが、世間の認識としてはたぶん間違ってはいないだろう。

「なんせアレだ、俺がガキの頃、近所のガキにそのまま言われたし」

 今となってはすんなりと言えるが、まぁ当時は随分と落ち込んだものだった。
 手酷く人間性が歪まなかったのは……親の教育が良かったからというのもあるだろうが……彼の育った環境が、この地球圏に存在するハーフとしては望外にマシな部類だったからに他ならない。

「俺の親父はオーブの下級氏族の出でな。代々軍人をやってる家系だった」

 オーブ連合首長国は旧時代、南太平洋ソロモン諸島に入植した日系人たちが建国した島嶼国だ。
 一応は民主制だが形骸化しており、世襲制の氏族によって国の機能の多くを運営する、アラブ諸国に近い体制を取っている。

「オーブってのは……まぁお前にとっては今更だろうが、ナチュラルとコーディネイターを表向き受け入れてる数少ない国でな。旧日本生まれで世間に隠れて生まれた第一世代コーディネイターのお袋はカンヤの家に呼ばれて親父と結婚したんだ」

 それはオーブがコーディネイターを受け入れている事実と同じく、決して美談ではない。
 代々一定の役割を担うオーブの氏族制とコーディネイト技術は非常に相性が良く、オーブの上級氏族の中には氏族の役割に合わせて最適に調整されたコーディネイターを後継者として生み出すという試みが為され始めていた。
 下級氏族であるカンヤ家には後継者をコーディネイターにするだけの経済的余裕がなかったが、妥協点として戦闘向けの遺伝子調整がなされたコーディネイターを次世代の母体にする、という方法を思いついた。
 そして、生まれたのがセイリ=ナバ=カンヤである。

 恐らく世間一般からすれば同情に値する出生だろう。
 だがセイリはニモに同情を期待したわけではないし、ニモもまた口にしたのは憐憫ではなく疑問だった。

「それで、セーリはなんで今、オーブにいない?」

「要らなくなったからさ」

 セイリは短く、そう言った。

「俺が5歳のときに家にツテが出来てな、もっとガチガチに戦闘用の調整がされたコーディネイターの弟が生まれたんだ」

 コーディネイターの調整は必ずしも結実するとは限らないが、彼の弟は幸か不幸か期待値を満たす程度の性能は発揮した。

「ハーフなんて世間体が悪いうえに性能が半分じゃ意味ないってことらしくてな。親父とお袋は反対したが、氏族の意向で俺は廃嫡された」

 あんまりと言えばあんまりの経緯だ。いっそ出来の悪いコントのような。
 両親は彼のために大層憤ったが、当のセイリは呆れしか感じなかった。

「そんな家にいてもしょうがないからな、一人で生きるのに十分な程度の金と技能を頂戴してからオーブを出た。まぁオーブを出たってハーフである以上、いける先、なれるものなんて限られてるからジャンク屋にでもならざるを得なかったと、まぁこういうわけだ」

 思えば、いろんなものを押し付けられてきた生まれだった。
 半分はナチュラル。半分はコーディネイター。そのどちらでもないはぐれ者。氏族の後継者。その出来損ない。両親の息子。家のお荷物。様々な、それでいて個々に矛盾する強制。そこに自分の意思は微塵も介在しない。
 そして、今は押し付けられたものたちに否定されてここにいる。
 いやあるいは、だから故国を出てジャンク屋になったのかもしれない。
 押し付けられた全てのものを、自分の意思で投げ捨てる。
 否定されたのではなく、こちらから否定したのだという体裁を守ることで生まれて始めて行使した、ちっぽけな自我の発露。

「……なんだよ?」

 ニモはセイリを見つめていた。
 相変わらず表情は動かない、が。……その視線に初めて感情のようなものを読み取って、思わず狼狽する。

「わかった!」

 唐突に、叫ぶ。整備員の何人かが何事かと此方を振り返った。
 ニモは慌てるセイリの両手を掴み、ぴょん、ぴょんと飛び跳ねる。

「セーリがわかった! 私の中の、セーリがわかった!」

 ヘウレーカ!
 風呂から飛び出したアルキメデスの如き興奮。セイリも初めて見る姿だった。

「私と一緒だ! 誰でもない! セーリもニモだ! ニモのセーリだ!」

 その叫びはあまりに端的ではあったが、セイリにも理解は出来た。

 Nemo。
 ラテン語で、“誰でもない者”。

 過去を持たない少女。
 過去に否定された男。

 なるほど。セイリはNemoだった。
 ニモと同じ。誰でもない。

「私たちは、一緒だ!」

 この少女の、同類。

「……そうか。そうだな」

 ニモは自分の中のセイリを理解したという。
 セイリもまた、自分の中のニモを少しだけ理解した。
 この少女を見捨てなかった、哀れみ以外の何か。この奇妙な少女にどこか肩入れしてしまっている、自分の中の何かに。

「俺たちは、同類なんだ」

 身体に残る戦闘の疲労の中、少し晴れやかになった気がする心持で、セイリは自分たちを見下ろす鉄の巨人を仰いだ。


[No.608] 2014/09/26(Fri) 18:00:03
設定資料1 (No.608への返信 / 9階層) - アズミ

●サブタイトル
PHASE-1:誰でもない者(Beautiful World 1)
PHASE-2:過去のない少女(Beautiful World 2〜5)
PHASE-3:過去に否定された男(Beautiful World 6〜9)

●登場人物

・セイリ=ナバ=カンヤ
人種:ハーフコーディネイター
国籍:オーブ連合首長国
所属:ジャンク屋組合
物語の主人公。
オーブの武門を司る下級氏族のカンヤ家の生まれ。
氏族の後継者として当主と戦闘向けコーディネイターの間にハーフとして生み出される。
そのため戦闘への高い適正と能力を示すが、5歳のときに不意に氏族が得たツテでより性能の高い戦闘用コーディネイターである弟が生まれ、廃嫡。C.E.71年1月までオーブ本土防衛軍に籍を置くも、出奔しジャンク屋となった。
C.E.72年1月、L4宙域の廃墟にてニモを発見し、以後行動を共にしている。


・ニモ
人種:カーボンヒューマン
国籍:無し
所属:無し
物語のヒロイン。
L4宙域の廃墟の最奥で、謎の装置に収められていた少女。
名前は装置に唯一記載されていた「Nemo(ラテン語で“誰でもない者”の意)」から取られた。
セイリに拾われ、以後彼と行動を共にしている。
色素の薄い独特な風貌と人間離れした学習能力を持つ。
拾われた当初は言葉さえろくに話せなかったが、僅か3ヶ月で博士課程までの機械工学全般とMS運用概論、ジュニアハイまでの一般教養、英語、日本語、北京語、アラビア語、ドイツ語を習得しており、ジャンク屋の助手として能力に不足は無い。
一方で知識の応用や一般常識は大変疎く、浮世離れした性格をしている。表情がほとんど動かないため、その内心を推し量ることはセイリにすら難しい。
趣味は読書だが、電子書籍ではなくハードコピーを好む、薄着の上に防寒着というファッションを好むなど奇異な言動が多い。


・ホセ=デ=ラ=カルデロン=ウルタード
人種:コーディネイター
国籍:南アメリカ合衆国
所属:ジャンク屋組合
セイリがリビアで出会ったジャンク屋。
コーディネイターだが、生まれが宇宙で両親が苛酷な環境下で生き抜く補助として遺伝子調整を施した第一世代コーディネイターであるため、身体の頑健さを除けばそれほど高い能力は持っていない。なお、地球で生まれた兄はナチュラルである。
両親もジャンク屋であり、現在は両親のジャンク屋グループを継いだ兄ペドロの補佐を行っている。
快活で鷹揚、ともすれば軽薄な生活に見えるが本質的には誠実で思慮深い人物である。


●登場兵器

M1アストレイ“影打”
型式番号:MBF-M1
主な武装:
 75mm対空自動バルカン砲塔システム イーゲルシュテルン×2
 9.1m対艦刀
 キャットゥス500mm無反動砲
セイリが搭乗するM1アストレイ。
C.E.71年1月に本土防衛軍を離れた彼が所有していることから解る通り、正規の量産品(C.E.71年3月量産開始)ではなく1月時点で完成していたナチュラル用OS未実装の試作品である。
ハーフコーディネイターであるセイリは旧来のOSで問題なく運用できたため、オーブを離れる際にデータをオーブに送ることを条件にモルゲンレーテ社から極秘に譲渡された。
その素性からモルゲンレーテの技術者からは“影打(カゲウチ)”の愛称で呼ばれるものの、機体性能的には後の量産品と様変わりするものではなく、むしろソフト面を中心に幾らか粗がある。
本量産が始まった現在はデータを送る義務もないため、セイリが使いやすいように作業用の改造が幾らか施されている。
一方で戦闘能力は重視されないため、ビーム・ライフルやビーム・サーベルなど、幾つかの武装が整備不良で使用できない状態にある。


ワークスジン(ホセ機)
型式番号:ZGMF-1017
主な武装:
 レーザートーチ
ホセが使用するワークスジン。
アストレイR劇中でリーアムが使用したものと異なり、外見は通常のジンに近く、背部ウィングバインダーのみが廃されている。
あくまで作業用なので武装らしい武装はない。


ボズゴロフ級ワイナプチナ
分類:潜水母艦
主な武装:
 前部魚雷発射管×8
 後部魚雷発射管×4
 対空ミサイルポッド×12
 作業用アーム多数
ペドロのジャンク屋グループが運用する潜水母艦。
ユニウス条約締結に際し、破損していたため機密保持工作を施されて地上に放棄されたボズゴロフ級をレストアしたもので、艦名も当時からのもの。
ホセ曰くスケイルモーターがピカピカの新型とのことで、本来のボズゴロフ級より足が速い。


[No.609] 2014/09/26(Fri) 22:41:10
Beautiful world 10 (No.609への返信 / 10階層) - アズミ

 旧時代から交通の要衝であったスエズ運河は、現在も地球連合の重要拠点である。
 ここの通過はワイナプチナにとって不可避の道程であると共に、最大の懸案でもあった。
 ジャンク屋は建前上、地球圏ならばどこでも天下御免で活動出来ることになっているが、実際のところ、軍にとっては現場の裁量次第でどうとでも出来る存在だ。連合軍は先の戦争からピリピリし通しであり、ジャンク屋であろうがコーディネイターならば難癖をつけて嫌がらせや足止め、酷ければ逮捕・拘束されることすらざらにある。
 ペドロらのジャンク屋グループは元ザフトのボズゴロフ級を使用しているし、メンバーにコーディネイターを含む。難癖をつける隙は大いにあるわけで、すんなりとは通れない可能性が高いと踏んでいたのだが。

「予想外にすんなり通れたな」

 ワイナプチナの甲板の上。
 もはや遥か後方に過ぎ去ったスエズ基地を眺めて、セイリは呟く。

「ザフトとやりあったのが好印象だったらしいぜ。連中、随分このへんを荒らしまわってたらしい」

 ホセが言って、手に持ったハンバーガーをひと齧り。
 実際、スエズの通過は地中海でのザフトとの戦闘データを提出後、驚くほどスムーズに進んだ。
 連合兵の態度は終始高圧的だったし戦闘での損耗を補償などはしてくれなかったが、それだけでも望外の厚待遇と言えただろう。

「まったく、連中の仕事を代わりに片付けてやったんだから謝礼に金一封ぐらいは寄越してもいいだろうにヨ」

 ジャンク屋にしてみれば、盗賊行為の標的になることはそれだけで大損害だ。
 無事、逃げおおせて上等、撃退できれば万々歳だが、戦闘を経ればそれだけでMSは傷つくし、弾薬や燃料は消費する。それはそのまま赤字に繋がるのだ。

「どうせならジンかグーンの一体ぐらい確保しとけばよかったかな」

 結局、MSを退かせ、ホセがワイナプチナに辿り着いた時点でセイリは一目散に逃げ帰っている。
 ボズゴロフの航行能力こそ奪ったが火器は未だ健在だったし、ジン一体は無傷。グーンも水上戦闘なら問題なくこなせる状態だった。なおも戦闘を続ければこちら側が圧倒的に不利だったはずだ。
 あれだけの大立ち回りをしてなお、かなりの危ない橋を渡ったのである。ジャンク屋が軍人を敵に回すというのはそういうことだった。

「勘弁してくれ、命が幾つあっても足らん」

「ハ、違いねぇ」

 手をはたはたと振るセイリに、ホセはくつくつと笑う。
 ニモはそんな二人の傍で、甲板にペドロからもらった地図を広げて眺めていた。

「次に寄る街は?」

「サファガだ。こっからもう少し南にいったところだな」

 言って、セイリは地図のエジプト紅海沿岸を指差す。

「今、バザールやってんだ。インド洋の船旅はさらに長くなるからな、補給しとかねえと」

 ホセは平らげたハンバーガーの包み紙をくしゃくしゃと潰し、ポケットに仕舞った。海に放り捨てると兄にこっぴどく叱られるのだという。

「バザール?」

「組合とその街が共催するジャンク市だよ。家電からMSまで何でも並ぶ」

 ジャンク屋の主な収入源は戦場跡で回収した兵器を修理し軍に有償で引き渡す再生業だが、先のユニウス条約においてリンデマン・プランの採択が決まったことで急激に状況が変わりつつある。
 リンデマン・プランとはスカンジナビア王国外相リンデマンが提案した軍縮策で、連合、プラント両国の兵器保有数を各国の規模(人口、GDP、失業率などからパラメーターを算出する)に合わせて制限する、というものだ。
 結果、大量の兵器を破棄解体することになるため、それを委託される組合にとっては相当なバブルが期待できるが、兵器の絶対数が減るのだから従来の再生業においてはその後の市場縮小は不可避となる。
 そのため組合が乗り出したのが、民生品の開発・販売だ。
 今もって地球圏の民間は戦禍によって疲弊しており、機械製品の需要は非常に多い。資材はリンデマン・プランで出た大量の廃棄兵器を解体すれば格安で得られるため、リスクも少ないと言える。
 バザールはそうした今後の事業のための販路獲得の意味合いがあり、最近は地球圏のあちこちで開催されていた。

「街で生活必需品の買い足しなんかもあっからな、ワイナプチナは3日は滞在する予定だ。お前さんら、どうする?」

 ホセの問いにセイリはフム、と腕を組む。

「そろそろいいかげん、M1を本格的に弄ろうと思う」

 M1、とは彼の乗るMS、アストレイのことだ。M1アストレイと続けて呼ぶ場合もある。
 正式なペットネームはアストレイなので他所の国では単に「アストレイ」と呼ばれることが多いが、アストレイには技術実証機に近い試作ナンバーが存在し、そちらもアストレイと呼ばれるためオーブ出身の軍人や技術者には区別のため量産型1号機を意味するModel 1……M1の異称で呼ばれる。

「んじゃあ、合流は3日後にサファガ港で。乗り遅れんなヨ、置いてっちまうからな」

 茶化すホセに、セイリは肩を竦めて応じた。



 サファガに滞在する3日間、セイリはアストレイをバザールのすぐ傍に設置された仮設ハンガーに移動することにした。
 その方がバザールで購入したパーツで改造するのに便利だし、ワイナプチナも大規模な補給品の搬入がある以上、置いておくと邪魔になるだろうとの配慮からだ。


「レンチ取ってくれ、8番な」

「ん」

 コックピットのシート下に頭を突っ込んだまま手を差し出すセイリに、ニモは本に視線を落としたままレンチを手渡す。
 仮設ハンガーにアストレイを停めるや否や、セイリはコックピットを解体し始めたのだ。

「どこを弄る?」

「いいかげん、急拵えのタンデムはなんとかしないとマズいだろ。ここらで本格的にサブシート作っとこうと思ってな」

 MSは外宇宙探査船に搭載されていた外骨格補助動力装備の宇宙服……いわゆるパワードスーツの一種をルーツに持つ兵器であるため、(一部の哨戒専用機など例外はあるが)基本的に単座式である。
 そのため複座式への改造は非常に難しく、完全なものとなるとメインフレームにまで手を加えなくてはならない。土台、スペースが狭すぎるのだ。
 たった3日でそこまで弄るわけにはいかないので、とりあえずしっかりしたサブシートの追加だけでも行おうというのがセイリの考えである。

「折り畳み式のアームと……Sサイズのシートを買ってきて据え付けるか。チャイルドシートみたいでちょいと不恰好だが、今までよりマシだろ」

 きちんとしたシートを追加するだけで位置関係的には今までと大差ない。膝の上に座るような形だ。
 結局のところ、コックピットブロックの限られた空間で操縦に影響なく人間一人を詰め込もうと思えば、どうやってもシートとハッチまでの間しかないのである。

「よっし、バザールに行くぞ。部品を買い集めてこなきゃな」

「本、買ってもいい?」

 トリポリで買った10冊はもう読破したらしい。
 電子書籍ならともかく、ハードコピーとなるとバザールで手に入るかは怪しいのだが。

「まぁ、街まで足を伸ばせばいいか……お前さ、そろそろ別のも読めよな」

「別の?」

「絵本とか小説とか、そういう情操教育に良さそうなヤツだよ」

 もっとも、今更そんなものを読んだところでこの少女が歳相応に感情豊かになるかと言えば、甚だ怪しいものだが。

「……わかった」

 ニモはそんなセイリの心中を知ってか知らずか、こくりと頷いて応じた。


[No.610] 2014/09/27(Sat) 13:30:59
Beautiful world 11 (No.610への返信 / 11階層) - アズミ

 バザールはさながら祭の様相を呈していた。
 港湾区から商業区まで大通り沿いにMSや車両が立ち並び、その足元では細々とした部品や家電が露天売りされている。人が集まる以上便乗しなければ損ということなのか、本来の趣旨を外れてファーストフードを売っている露店や路上で大道芸を始める者、果ては風俗の呼び込みらしき姿まであった。
 その混沌とした有様はさすがに興味深いのか、ニモは物珍しそうにきょろきょろと周囲を見回している。

「セーリ、セーリ」

 さっさと購入したSサイズシートと折り畳み式のアームを抱えて難儀しながら人込みの中を進むセイリの服の裾を、ニモがちょいちょいと引っ張る。

「あれ、何だ?」

 指差す先に視線を向けると、倉庫の壁に真新しいポスターが貼られていた。
 ジンを連合の量産MS、ストライクダガーが素手で殴り倒しているイラストが描かれている。遠目には連合のプロパガンダの類かと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「『挑戦者求ム! 紅海の女豹、破竹の快進撃!』……あー、つまりこれは、あれか。MSでストリートファイトをやってるのか」

 港湾部の放棄されたエリアを使って、MSによる格闘戦を見世物にしているらしい。
 MSは戦闘兵器であるが、さすがに素手による攻撃では早々、パイロットが危険に晒されることはない。少なくとも人的被害は出なさそうだし、全高18mの巨人が殴り合う様はそれだけでさぞ見応えがあるだろう。
 エンターテイメントとしてはなかなかいい企画に思える。面白いことを考えるものだ。

「見たいのか?」

 セイリが問うと、ニモはこくこくと頷いた。
 そろそろ何か趣味なり遊びなり覚えさせるべきかと思ってはいたが、意外なものに興味を示したものだと複雑な気分になる。
 MSの殴り合いの鑑賞なぞ健全な趣味とは言いがたいかもしれないが、ニモが読書以外に興味を示したのはこれが初めてだし、コックピットの改装は自体はそう時間はかからない。戦闘機動中のMSの稼働時間を考えればそう長い出し物でもないだろう。

「OK、OK。見に行こう。……コイツをハンガーに置いてきてからな」

 セイリは荷物を抱えなおして、ハンガーに向けて歩き始めた。



 興行は盛況なようだった。
 バザール自体、人がごった返していたが、この港湾部は取り分け密度が濃い。
 比較的背が高く、顔が出せるセイリですら息が詰まりそうなほどだ。小柄なニモなど人込みに押し潰されかねない。

「これじゃ近づけないな……」

 半分諦めた様子でセイリが呟くと、途中でポップコーンとソーダを買って準備万端のニモは我に秘策あり、と言わんばかりに胸を張った。

「セーリ、あれだ!」

 その指差す……否、ソーダのストローで指す先には子供を肩車している父親の姿。

「いや、あれだ、ってお前……」

 ニモが如何に小柄といっても、10代半ばである。ハーフコーディネイターであるセイリは筋力も体力もそこらの一般人の比ではないため、やる分には無理ではない。無理ではないが……。

「30近い男が? 16の女の子を? 肩車しろって?」

 絵面的にアウトというレベルではない。

「あれ!」

 ニモはあくまで退かなかった。
 セイリはたっぷり3分は渋ったが、根負けして已む無くニモを担ぎ上げる。
 騒ぎに紛れて目立ちはしないことを祈るしかなかった。

「ん」

「……どーも」

 懐柔のつもりなのか、肩の上からニモが差し出してきたソーダのストローを加える。

『レッディィィス・アンド・ジェンットルメンッ!!』

 観衆のざわめきに負けない大音量で、司会が興行の開始を告げる。

『皆様大変長らくお待たせしましたァ! 選手入場です!』

 大仰な身振りで示した先、西側のゲートからMSが姿を現す。
 黒地に白いワンポイントで塗装されたジンだ。ポンチョのように砂上迷彩用のマントを羽織っており、何の意味があるのか鎖つきのMSサイズの棺桶(恐らくコンテナを改造したものだろう)を引き摺っている。
 如何にもキャラクター性を押し出した無意味な装飾だ。これも興行のギミックか。

『挑戦者! 復讐のマリアッチ! ホセ=デ=ラ=カルデロン=ウルタァァァァドッ!!』

 ぶー。

「セーリ、つめたい」

 思わずソーダを噴出したセイリに、太股にかかったニモが抗議する。

『南アメリカ侵攻時、住民諸共ザフトを吹き飛ばす連合の卑劣な作戦で家族と同僚を喪った悲劇のメキシカン! 血祭りに上げた連合軍の悲鳴は死んだ恋人へのセレナータ! 今宵も弔いの時が来たァ!』

 ジンが天に拳を突き上げると、観衆が割れんばかりの歓声を送る。合わせてコクピットが開き、パイロットがそれに応えた。
 間違いない。綿のマントに麦藁のソンブレロというベタなマリアッチスタイルだが、ホセだ。

「ホセにそんな過去があったのか」

「いやいやいやいや、ペドロ普通に生きてるだろ……」

 丸きり信じたらしく呟くニモに、セイリは呆れて言う。
 まぁ、要するにそういう設定、筋書きなのだろう。
 どうやらガチンコの殴り合いではなく、プロレスのような娯楽重視の見世物らしい。

「しかし何やってるんだアイツ……」

 訝るセイリをよそに、対面のゲートが開く。
 中から現れたのはニモは初めて見るMSだった。
 全体的に曲面で構成されるジンと対照的に、箱を積み上げたようながっちりとした巨体。顔はジンともアストレイとも異なる、ゴーグルをかけたような面構えである。

「ストライクダガーだ、連合の量産MS」

 いつもの携帯端末の代わりにセイリが説明する。

『対するは防衛戦12連勝、紅海の女豹!』

 ストライクダガーが、両腕を天に突き上げる。後から追加したらしきナックルガードには、艶かしいポーズを取る豹が描かれていた。

『ディナ=カンタァァァァルッ!!』

 観衆が沸き立つ。
 だが、先ほどのホセを出迎えたそれと違い、歓声ではない。
 ディフェンディングチャンプだというのに、観衆から巻き起こったのは盛大なブーイングだった。
 コックピットが開き、中からパイロット……ディナ=カンタールが姿を現す。
 肩書きのイメージに反していたって普通の女性だった。いや、少女と表現してもいい。
 歳はまだ20か、もう少し前だろう。長いサイドテールに纏めた蜂蜜のような濃い金髪といい、際どいミニスカートとチューブトップという井出達といい、快活な印象はあるがストリートファイターよりはダンサーといったほうが納得がいく外見だった。

『カワイイ顔に似合わずかつて連合軍パイロットとして12のMSの首を狩ったトリプルエース! アタシを好きにしていいのはアタシより強い男だけ、と公言して憚らない! 今日こそその鉄壁のガードは打ち崩されるのかァ!』

 司会の向上が終わるや否や、しなを作って小悪魔じみた艶やかな笑みを浮かべてウィンクを飛ばし、ミニスカートの端を摘んでちらりと上げてみせる。どっと沸く観衆。

「なるほど、そういう悪役(ヒール)か」

「ひーる?」

 得心した様子のセイリに、ニモが頭上で首を傾げる。

「今は分裂してるが、この辺りは元々アフリカ共同体だ、親プラントなんだよ」

 アフリカ共同体とは北アフリカ、西アフリカ地域の国家が形成していた経済・軍事同盟だ。先の戦争では親プラントの姿勢を貫いたが、ザフトが撤退するや否やアフリカ共同体も体制が揺らぎ、現在は各自治区ごとに分裂してしまっている。

「ああやってヘイトを稼いで負けを期待させるんだ。勝ち続ける限り、観衆は“もしかしたら今度こそは”と思ってやってくる」

 あの扇情的なパフォーマンスもその一環だろう。
 なんとも品には欠けるが本格的な“つくり”だ。裏方にそういう経験のあるブックメーカーがいるのかもしれない。

「じゃあ、これはお芝居なのか」

 ニモの声音は平坦ではあったが、心なしか残念そうにセイリは聞こえた。
 が、彼は首を振り断言する。

「いや、ホセがやってる時点でそれはない」

 MSの格闘戦でそれとわからないように手を抜くというのは非常に難易度が高い。コーディネイターとはいえ練習したわけでもないだろうホセには出来ない芸当だと踏んだ。

「背景は茶番でも、ファイトはガチンコだ」

 ジンとストライクダガーが中央の線まで進み、思い思いのファイティングポーズで構えた。
 ホセのジンの構えはボクシングのそれ……に見えないこともない。恐らくホセはそれを意識したのだろうが、セイリが見る限り、人間のそれに比べると腕が開きすぎている。ジンの関節の構造的限界だ。あれでは構えの意味を為さない。
 一方のストライクダガーは引いた右拳を腰だめに構え、左腕を楯を構えるように前方に掲げている。人間の格闘技ではまず使用されない、奇異なスタイルだった。
 
『レディィィ…………ファイッ!!』

 そして、ゴングがサファガの港湾区に、高らかに鳴り響いた。


[No.611] 2014/09/27(Sat) 20:30:13
Beautiful world 12 (No.611への返信 / 12階層) - アズミ

 その場でステップを踏みながら、ジンがシャドーボクシングをしてみせる。
 如何にもホセらしい所作だ。MSは人型だけに、動作にパイロットのクセや性格がよく出る。
 一方のストライクダガーは、不動。僅かにすり足で両足を広げただけで、ジンを待ち構えるようにその場で待機している。

「どっちが勝つ?」

 ニモの率直な問いに、セイリは「フム」と顎を撫でた。

「普通に考えれば、ホセだ」

 それは取りも直さず、彼がコーディネイターだからだ。
 ナチュラル用OSが普及した今、MS戦の趨勢ではナチュラルとコーディネイターにそれほど顕著な差は無い。
 が、単純な殴り合いとなると話は聊か変わってくる。

 祖先であるパワードスーツと異なり、モビルスーツは車両のように機械的操縦によってコントロールするのだが、直接的なフィードバックシステムが絶無になったわけではない。
 MSは基本的にシナプス融合による神経接続で操縦を補助しており、コーディネイターの優れた身体能力がダイレクトにコントロールを支えている。この部分がザフトがパイロットの質の上下にさほど影響されず押し並べて連合を押し続けた原因であり、ナチュラルが長らくMSを扱えなかった最大の要因である。
 ナチュラル用OSはイオンポンプの神経接続速度をナチュラルの能力に見合うよう落としてやることで一先ず操作を可能としているわけだが、こと「動作の精度と反射速度」においてはそれでもコーディネイター用のそれに劣る。連合のMSがザフト側に比べて防御に工夫を凝らす傾向があるのはこれによって回避に抱える宿命的なハンディを軽減するためだ。

 なので、(実戦ではさほど想定できない状況だが)武装もなければ戦術もない純然たる殴り合いをするならばコーディネイターのほうが基本的に有利といえる。

「だが、あの女は普通じゃないな」

 ナチュラルであっても、当然“天才”と呼ばれる人々はいる。
 コーディネイターはその才覚を人為的に再現しているのだが、如何せんその遺伝子調整は完璧ではなく、それなりの率で劣化があるため本当の、人類の限界ギリギリの領域にある真の天才には叶わない。
 MSの操縦に関してもそうだ。
 ごく限られた数だが、ナチュラルにも戦争初期からMSをコーディネイター並に扱って見せた例が確かに存在する。
 あの少女がそうした手合いならば、あるいは……

『おっと、ここでホセが動いたァーッ!』

 実況のシャウトに見上げると、焦れたのかホセのジンが構えたまま突進を敢行していた。
 拳を繰り出す。肘関節のみを用いたジャブ。チャンプのダガーは僅かに身体を傾がせてかわした。
 2発目、3発目、それ以降も同じく回避。埒が明かぬとジンが一歩踏み出す。そのまま抉るような左フック。
 ここで初めてダガーが防御を使った。左腕で外側に払うようガード。

『ホセ、息もつかせぬラッシュ、ラッシュ、ラッシュー! だが女豹の鉄壁の護りは打ち崩せない!』

 だが、恐らくホセはそれを狙っていた。空いた右で渾身のストレートを繰り出す。

「巧い」

 フックを払われた勢いを円運動に変換しストレートにそのまま乗せている。ホセもジャンク屋としてMSを扱って長いのだろう、その経験を伺わせる技巧だった。
 だが悲しいかな、格闘戦の駆け引きの経験は乏しかった。恐らくチャンプの方もこれを狙っていたのだ。

『な、なんとォー!?』

 撃音を立てて、ダガーの踏み込みが港湾部の地面を踏み抜く。
 と、同時にジンが後方に吹っ飛んでいた。

『攻めていたハズのホセのジンが吹っ飛んだァー! 一体何が起こったのか!? まさに目にも留まらぬ閃光の如きカウンター!』

 何をしたのか――恐らく、ホセですら何をされたのか理解できなかったに違いない。ただ腰を落としショルダータックルの姿勢を取っているダガーの姿から、ストレートを潜って当身を食らわせたのだろうとセイリは推測した。
 ホセもさるもの、ウィングバインダーの噴射で衝撃を相殺したらしく、速やかに立ち上がり構えを取る。
 追撃を入れる隙は十分にあったが、ダガーは動かなかった。代わりに、腕を掲げ指をくいと上げて挑発する。
 手早く終わらせては見世物にならないということか。
 それを見たホセは、起き上がった機体を寝そべらんばかりに沈み込ませた。ウィングバインダーが合わせて起き上がり、展開している。これは――

「タックルか」

 打撃では分が悪いと見たのだろう。間合いを詰めてグラップルに移る腹積もりだ。
 轟音と閃光を残してジンが走る。

『ホセ、決死のタックルを敢行! チャンプに一矢報いるか!』

 ジンの全力の突撃は、その質量と推力だけで十二分に暴威である。
 来るとわかっていてもそう容易く対処できるものではない。 
 だが、ここまでで解るとおり、あのチャンプは“容易い相手”ではなかった。

『と、跳んだ!?』

 司会もつくり抜きで驚愕したらしい。観衆からも大きくどよめきが上がった。
 ダガーが、跳んだ。軽くジャンプして姿勢の低くなったジンを踏みつけ、そのままトンボを切って後方に着地する。
 セイリが目を見張ったのは、その間スラスターが全く光らなかったことだ。元よりストライクダガーはジンに比べスラスターが小型なのだが、これを全く使用していない。重心移動と体捌きだけでMSを宙返りさせたのだ。

「神業だぞ、オイ」

 さすがに度肝を抜かれた。
 観衆へのウケは十分、そろそろケリをつけにかかるだろう。
 2機のMSが同時に――……いや、ダガーが一瞬だけ早く振り返った。
 構えは最初と同じ、左腕を掲げ右拳を腰だめに引いた型。さながら弓を引き絞る姿に見えた。

 強烈な破壊音。一瞬遅れて、ジンの遥か後方の洋上に上がる水柱。

 インパクトの瞬間、認識できたのはそれだけだった。
 とはいえ、何をしたのかは明快だ。引き絞った右拳から放たれた、電光石火のジョルト・ブローがジンの頭部を打ち抜いた。
 後方で上がった水柱が、ちぎれた頭部が落ちたものだとすると……ゆうに50m以上は吹っ飛ばしたことになる。

『決着ゥゥゥ〜〜〜〜ッ!!!』

 ゴングが打ち鳴らされる。
 頭部を失ってもMSは戦闘を続行できなくはないが、さすがに見栄えが悪いということなのだろう。
 その場に崩れ落ちたジンを尻目に、ダガーが拳を突き上げて勝利を宣言する。
 観衆は盛大なブーイングでこれに応えた。



「っだぁ〜〜〜っ! 負けた、完っ璧に負けた!」

 ゲートの中に拵えられたハンガーに戻ったジンから、地面に転がるように降りたホセが喚く。
 吹っ飛んだり殴られたり、コックピットも随分と揺られたはずだがどうやら然したる怪我も疲労もないらしい。さすがにその辺りはコーディネイターなだけはあるということか。

「武器無しならイイ線いくと思ったんだけどなァ」

「ありゃしょうがない、向こうさんは本物の天才だ」

 ホセが放り出したソンブレロを拾い上げて、労いに来たセイリが言う。

「んあ? なんだ、見てたのか」

「ニモがどうしても見たいって言うんでな」

 ついてきていたニモはとことことホセの傍まで来ると、「ん」と途中で買ったドリンクを差し出す。
 彼女なりの労いのつもりだろうか。

「そうか……悪いな、ニモ。せっかく見に来てくれたのにカッコイイとこ見せられねえでヨ」

「気にするな、ホセにしては頑張った」

 よくよく考えると全然慰めになってない慰めなのだが、ホセはそれでも感動したらしく男泣きに泣いた。
 まぁニモの慰めはともかく、実際ホセは健闘したと言える。
 地中海での戦闘の様子を見るに、MS戦そのものに慣れていない様子だった。生まれてこの方ずっとジャンク屋稼業という言からすれば不思議ではない。一方で、ホセの戦い方にはMSの構造を熟知したジャンク屋ならではの工夫があった。武器無しならイイ線いくと思った、というのはそういうことだろう。
 だが、相手が悪すぎた。あれは天才だ。
 コーディネイターが与えられた最大99.999……%の才覚を凌駕する、完成された1。本物の天才。
 ナチュラルには稀にああいう尖った怪物が現れる。

「しかし、なんでまたストリートファイトなんかやってたんだ?」

 セイリが問うと、ホセは気を取り直して答えた。

「オウ、主催者が俺の昔馴染みでヨ。予定してた相手がビビッて降りちまったってんで、ピンチヒッターってわけだ」

 ホセの説明するところでは、あの司会が主催者であり、彼の馴染みのジャンク屋仲間らしい。
 この手の興行には賭け事がつきだが、賭博の運営は組合や街に睨まれる可能性が高い。そこで選手ののMSに使用した改造パーツを試合後に販売することで収益を得ているとのこと。
 まぁ、パーツよりあのチャンプのブロマイドのが売り上げがいいらしいのはご愛嬌だ。

「で、あの復讐のマリアッチとか家族と同僚を喪った悲劇のメキシカンとかいうのは?」

 ホセはう、と呻き、ややあって拝むように手を合わせた。

「兄貴には内密にしてくれ、頼む! 台本とはいえ勝手に殺したなんて知られたら兄貴にシメられっちまう」

「まぁ、そりゃ構わんけどな……」

 セイリは心底呆れて嘆息する。
 ゲートの外の喧騒はだいぶ小さくなっていた。集まった観衆も三々五々、他の区域に散っていったらしい。
 入れ替わりに、あの司会……いや、主催者か……がやってくる。

「よーよーホセ、お疲れちゃん」

 主催者の名はヨセフ、と言うらしい。ホセがこちらを紹介すると、陽気に片手を挙げて挨拶した。

「ナイストゥーミーチュー、お友達。ヨセフだ。こんなナリだが、本業はアンタらと同じジャンク屋。ま、今後ともヨロシクな」

 じゃらじゃらとつけた飾りと仮装染みた服装に染めた髪、日焼けした肌のおかげでぱっと見た限りでは国籍不詳に見えるように工夫されていたが、僅かに混ざるアメリカ訛りと従軍経験者特有の背筋を伸ばした歩き方をセイリは見逃さなかった。
 恐らくは軍人、それも大西洋連邦の出身だろう。試合のギミックから本職のブックメーカーがついているのかと思っていたが、あるいはこの男、諜報員崩れかもしれない。民衆の意識操作は彼らの得意分野だからだ。

「いい仕事だったぜ、ホセ。チャンプも引き立てられたし、意外と女受け良かったぞ。こんなことならもうちょい二枚目系の演出にしとくんだったかなァ」

 ホセはこれで顔立ちは十二分に二枚目だ。飾り気が無い(恐らく本人の洒落っ気よりジャンク屋の業務との兼ね合いが問題だ)のと、言動で損をしている部分が大きいのだろう。
 演出次第では確かに人気を取れそうだとは思えた。

「うん、いいかもしれん。亡き恋人に100の連合兵の首を捧げると誓ったホセ=デ=ラ=カルデロン=ウルタードの復讐の旅路! なんかこう、楽器とか十字架っぽいパーツをウィングの代わりにつけてだな――」

『あら、そんじゃアタシはもうお役御免ってワケ?』

 ゲートを潜って、チャンプのストライクダガーが入ってくる。
 ジンの隣に立膝をつかせると、軽業師さながらの動きでコックピットから飛び降りてきた。
 履いているのはミニスカート、おまけにこちらはほぼ真下にいたのに絶妙に中身は見えない。やはりああいうパフォーマンスをやっている以上、何かコツでもあるのだろうか。

「散々稼がせてやったのに、薄情なスポンサー様ですコト」

「そりゃ感謝はしてるけどよぅ、ディナ。お前はちっと強すぎるぜ」

 ぼやくようにヨセフは言う。
 ザフト贔屓のアフリカの観衆たちは小生意気な女連合兵が無残に敗北する様を期待して幾度も興行に足を運ぶ……という仕組みも、そろそろ鮮度が切れつつあるらしい。
 ディナはここまで磐石に勝ちすぎたのだ。観客も彼女の敗北に諦めを感じ始めている。ファイト自体を筋書き通りに動かせれば度々ピンチを演出してもう少し延命できるだろうが、MSの格闘戦でそんな小器用なことが出来るパイロットなどそうはいない。
 
「じきに此処のバザールも終わるし、お前も本業がある。花道を飾る引退試合を考えにゃならん頃合だろ?」

「本業?」

「傭兵よ。幾らなんでも、こんなお祭り騒ぎだけで食ってけはしないしね」

 傭兵はその字義通り金銭で雇われ、直接利害関係のない戦闘に参加する非正規兵である。
 もっとも、正規軍同士の大規模な戦闘で基幹戦力を務める時代は近世に終わりを告げたままだ。現在は人類の生活圏の拡大と先の戦争がもたらした混乱による秩序の低下に伴い、盗賊やテロリストなど非正規軍から民間を保護する警察活動の類が主流である。
 大勢からなるPMCや数名からなる傭兵チームなど、多くは集団を形成しているがMSという一人で運用できる戦力(メンテナンスや補給などのバックアップはジャンク屋に外注すればいいのだ)が普及した今、個人で活動している者も決して珍しくはない。

「悪いが俺ァこんなおっかないの、二度とゴメンだぞ」

 ホセが震える身振りをして言う。

「『クビキリ・ジョルト』をまともに食らったときなんざチビるかと思ったぜ、前の奴がビビって降りるわけだ」

 最後のジンの首を吹っ飛ばしたジョルトのことだろう。どうやらあれがディナ得意のフィニッシュ・ブローらしい。
 コックピットは胸なのでパイロットに危険はないのだが、メインカメラに向けて真っ直ぐに迫る神速の拳は、モニター越しに見ればさぞ迫力満点だろう。想像しただけで股間が縮み上がる程度には。
 と、そこで黙っていたニモがセイリの服の裾をくいくいと引っ張った。

「セーリ、GO」

 GOってなんだ。

「オ、いいね。仇取ってくれよダチ公」

「あら、お兄さんやれるクチ?」

「腕に覚えがあるなら是非お願いしたいね、もう一試合ぶん対戦相手を見繕わなきゃならねえんだ」

 ホセまで乗っかってくる。当然、ヨセフたちまで興味を示した。
 セイリは両手を挙げて勘弁してくれ、の構えを見せる。

「戦いを見世物にしたなんてお堅い実家に知られたら刺客が差し向けられかねん」

 さすがに刺客は冗談だが、当分オーブの敷居は跨げなくなりそうではある。
 カンヤ家は下級氏族とはいえ、建国以来故国を護り続けた尚武の家なのだ。少なくとも当人たちの気位は非常に高い。

「障りがあるならマスクでも被りゃいいさ。どうだ兄ちゃん、報酬は弾むぜ」

「金払いは本当にいいぞ。俺、このジン修理してそのまま貰えるしヨ」

「MSを? そりゃあ、確かに豪儀な話だな」

 モノが溢れているため兵器としては安い部類だが、MS一機の値段は決して安くはない。とっくに型落ちしたジンやザウート、しかもジャンクからの再生品ですら大都市の一等地に一軒家が建てられる程度の値はする。
 それを修理した上でまるまる一機譲渡とは、確かに好条件だった。戦闘とはいえ、火器を使わないぶん通常の模擬戦より危険は少ないのだ。破格の報酬といってもいい。
 あいにくと、今のセイリはリビアの時の報酬がまるまる残っているため金には困っていないが……。

「……いや、そうだ。ヨセフ。報酬はMS以外でもいいのか?」

「あぁ、現金が良けりゃ100万ワードは出すぜ。MAや重機なら2体、艦となるとだいぶモノが悪くなるが」

 まぁ概ね、金額的にはMS1機に吊り合うところだろう。
 だが、セイリが欲しかったのはそのいずれでもなかった。

「俺が欲しいのはツテだ。情報屋を紹介して欲しい」


[No.612] 2014/09/29(Mon) 18:42:43
Beautiful world 13 (No.612への返信 / 13階層) - アズミ


 結局、ディナとのファイトは2日後の午前に組まれ、セイリは急ピッチでアストレイを格闘戦に対応させることになった。
 といっても、機体そのものを弄るには時間も予算も足りなすぎる。夜半までコックピットに篭って続けているのは、格闘用にOSを調整する作業だ。
 もともとセイリのアストレイは製造元のモルゲンレーテからデータ取得用に、OSの完成前に譲渡された機体であるためOSの完成度は非常に低い。未経験の状況に適合させるには一からプログラムを組み上げなければならない面倒さがあった。
 言いだしっぺゆえか、ニモも進んで手伝ってくれている。既に彼女のMS工学関係の知識はジャンク屋として一端のレベルに達していた。……たまに「あちょー」とか言いながら武道の構えっぽく見えなくもないタコ踊りをしているが、本人的には必要な作業なのだろう。たぶん。

「楽しいか? ニモ」

 問われて、ニモは「ん?」とこちらを向く。

「正直、意外なんでな。お前がこういうのに興味を持ったのは」

 格闘技の鑑賞というのは(これをニモに問うのは不毛かもしれないが)あまり女の子らしい趣味ではないし、昨日まで余暇を全て学術書の読破に費やしていた娘である。学習以外に初めて興味を持った対象としては正直なところ意外という他ない。
 ニモはこくりと頷いた。

「楽しい」

 とん、と一つステップを踏んで五体を振り回すような動きでその場で跳躍してみせる。
 動かし方は滅茶苦茶だが、運動神経も悪くはないらしい。

「どういうところが?」

 くるりと一回転して、意味はまるでないがとりあえず格好だけはそれらしい構えを取る。

「人間がわかる」

「人間がねぇ」

 古来、武術は学問に繋がるという考え方も多々あった。実際、人間工学に始まり医学や力学、栄養学など本職の格闘家は驚くほど多くの知識を要求される。MSの格闘であればそれをMSに落とし込む機械工学もか。
 とすれば、ニモが興味を持ったのはそれほど突飛なことではないのかもしれない。

「明後日、勝てそう?」

「総じて見れば勝ち目は薄いな」

 開脚倒立しながら問うニモに、セイリは正直に答えた。

「身体的条件で言えば俺はホセと50歩100歩だ。MS戦の経験でもまずチャンプには敵わないだろうな。機体は――……」

 アストレイの装甲を拳でとノックする。発泡金属装甲が独特な反響を返した。
 明後日の興行でも修理は向こう持ちでこのアストレイを使用することになっている。ヨセフ側でファイト用の機体を用意する申し出もあったのだが、これは固辞した。格闘という微妙なテクニックを要求される戦闘では駆動系の微妙なクセだけでも大きな影響を受ける。乗りなれた機体のほうがいい。

「……まぁどっこいどっこいよりマシってところか」

 生まれたばかりの兵器であるMSには、まだ技術的な世代分けはない。が、敢えて称するならばアストレイやダガーは2世代目、ということになる。ジンよりは確実に高性能な、携行ビーム兵器を標準的に装備・起動出来るヤキン・ドゥーエ戦役後半の機体だ。
 ダガーは戦況の問題で本来の仕様をかなり省略した簡易量産機だが、アストレイは試作機の仕様をほぼそのまま受け継いでいる。ポテンシャルだけを問えばほんの僅かに上と言えるだろう。

「勝つには“工夫”が必要になる」

「工夫?」

「自分の弱さを自覚してるなら、奥の手の一つぐらい持っておくもんさ」

 実際、それなりに策は用意してある。
 敢えてぼかした言い方をしたのは、誰かがハンガーの外で聞いているのを察していたからだ。

「へぇ、そりゃ楽しみだわ」

 端から盗み聞きをする気はなかったのか、その人物が中に入ってくる。

「チャンプ」

「ディナでいいって。ええっと――」

 そういえば、昼間は自己紹介もしていなかったか。

「セイリ=ナバ=カンヤだ。セイリでいい。そっちはニモ」

「ディナ=カンタールよ。まぁ、知ってるだろうケド」

 ディナは昼間の格好の上に、地球連合軍のロゴの入ったピンクのジャケットを羽織っていた。士官候補生用の制服だ。レプリカではなく本物に見える。地球連合軍出身というのはギミックではなく本当なのだろう。

「……怖い顔、しないんだ?」

 ディナは意外そうに言った。
 セイリは意図を掴みかね、怪訝な顔をする。

「オーブの人っぽいからさ」

 あぁ、とその言葉でようやく得心した。
 先の戦争で、セイリの故国であるオーブ連合首長国は地球連合の侵攻により一時占領の憂き目にあっている。オノゴロ島での戦闘では国の首脳たる五大氏族首長をはじめとして、多くの死者が出た。
 恐らく、一般的なオーブ国民は連合に恨み骨髄なのだろう。……あるいは、彼女はその侵攻に参加していたのかもしれない。
 だが、セイリは肩を竦めた。

「こんな稼業してるんだ、わかるだろ? 捨てた故郷なのさ。怒ったり恨んだりは筋違いだ」

 当の連合侵攻時、セイリは何もしなかった。
 既にジャンク屋組合に籍を置いていた以上、たとえ故郷とはいえ特定の国家に加担するわけにはいかなかったがゆえだが、それにしたところで今以って復興にさえ力を貸していないのだ。どの面で恨み言など口に出来よう。
 何もセイリに限ったことではない。大方のジャンク屋は故郷を飛び出すなり、そもそも根無し草として生を受けたクチだ。その恩讐に拘らないのは一種の不文律でもあった。
 ディナは頭を掻いてから、軽く頭を下げる。

「ン……ゴメン」

 謝ったのはオーブ侵攻についてではなく、それに触れたことに対してだろう。
 同時に、これ以上過去の話はしないという意思表示でもあった。
 途切れた話題を継ぐように、ニモがディナに問う。

「それで、何の用だ? 敵情視察か?」

 倒立からひらりと身を翻して着地し、ディナに向けて怪鳥のポーズを取る。
 ……威嚇してるつもりだろうか、まさか。
 ディナはそれに毒気を抜かれたのか、ぷ、と噴き出した。

「ま、そんなとこ。やる気がなかったらハッパかけてやろうかと思ってさ」

 実際のところ、セイリにしてみれば勝つ必要は必ずしもない。
 ヨセフが約束した報酬……L4宙域に詳しい情報屋の紹介は、ファイトに参加する時点で支払いが約束されている。勝った場合、興行が盛り上がった場合にはさらに追加で報酬を払うと言っていたが、まぁ内容も明言していない口約束であるし、それは余禄だ。

「ハッパ?」

「昼間言ったでしょ。アタシは一切、台本(ブック)なしってコト」

 そう言って、昼間のようにミニスカートの裾を摘んでみせる。言わずもがな、自分を好きにしていいのは勝った男だけ、というあれだろう。
 熟れているとは言い難いが、ディナは掛け値なしに魅力的な女性ではあった。実際、そう言えば10人の男が9人はその気になるだろう。
 だが。

「間に合ってるよ」

「あら、ゴアイサツ。プライド傷つくわー」

 ディナは口を尖らせるが、ニモに視線を送ると何かを察したように手を叩いた。

「あぁ、そういうコトか!」

「どういうことだ」

「ゴメンねー、ニモの男にコナかけるようなことして」

 構わず拝むように頭を下げるディナに、ニモは首をくり、と傾げた。

「男?」

「好きなヒトってこと」

「あぁ、ならそうだ」

「いやそうじゃないだろ」

 半眼で抗議するセイリに、ニモは抑揚こそなかったが不満を表すような被せる口調で断固主張した。

「私はセイリが好きだ」

 有無は言わせない、とばかりの言い方に思わず返す言葉に詰まったセイリを、ディナがにやにやと観察していた。


[No.613] 2014/10/03(Fri) 22:41:23
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