「ML新参者」さん、こんにちは。投稿を歓迎します。 ただ、このような「濃い」(^^;)話題は、ML本体か、あるいは、併設の「パティオ」で展開した方がよいかとも思いますが…。
ともあれ、レスを付けさせていただこう…というものの、実は、私は、この本を読んでいない…(^^;)。
ただ、ネット検索した限りの間接情報では、フロイト先生は、モーセの故事を「史実」として、エジプトの歴史(アテン一神教時代)にあてはめておいでのようで…。「トンデモ」とは言いませんが、いかに他の学問分野で世界的な権威者であっても、聖書学(ユダヤ教ベースにせよキリスト教ベースにせよ)や歴史学や宗教学をきちんと専攻なさっていない方が、そのような著述をするのは、いかがなものかと思います。
実は、旧約聖書(あるいはモーセ5書)の主役の一人であるモーセについては、エジプト人かパレスティナ人か以前に、その実在さえ、史実としてはきちんと確認されてはいないのですよ。モーセは「伝承」の人なのです。もちろん「ウソ」だなととは申しません。ただ、たとえば、複数の族長・リーダーの故事が、一人の英雄の物語としてまとめられた、というようなことは大いにあり得る。そして、その故事や業績も、多分に脚色がなされている…ということもあり得る。
なぜかというと、たとえば「出エジプト」については、エジプト側に、一切の記録がない。対比するなら「ナザレのイエスという人物が十字架で死んだ」という記録は、ほんの1行程度らしいが、ローマ側の記録に残っている。つまり、イエスの存在と十字架の上の死は、それをどのように解釈するにせよ「客観的な歴史(ヒストーリエ)」です。それに相当する「ヒストーリエ」が、モーセについては、どうも見あたらないらしい。
そういう状況下で「モーセが…」と、大上段に振りかぶられても、宗教的にそのような著述を見る限り、何だかなぁという気はします。ただ、これも間接情報ですが、フロイト先生の「遺書」として、フロイトの思想を分析するという資料としては、この書籍は、非常に有用だという話ですね。つまり、聖書学や宗教学の話ではなく、フロイトの精神分析(特に集団心理と民族の関係など)の「学問史」的な資料として読むべきだということではないかと思います。
[No.6] 2009/01/17(Sat) 23:11:19 |