うちの親が私にした虐待の一つが「教育虐待」。 私は当然「大学に行くもの」とされ、私自身が「行きたいかどうか」は一切、問われることはありませんでした。 小学校高学年の時、私が理科の問題集に全問正解できなかった時、母親は 「勉強ができないならあんたは女中さんだ!」 と言って台所の手伝いをさせました。 私は正直、勉強なんて好きではありませんでしたが、とにかく毒実家を出たかったので、そこそこの偏差値で学費安めの大学に合格し、その交換条件として、毒実家を出て一人暮らしをする了解を何とか取り付けました。 親の望むような進学先に行けたのだから、もう「親が私に口うるさく言ってくること」から解放されるかと思ったらさにあらず。 大学教師である父親は、大学のシステムについて自分が詳しいのをいいことに、私に授業の時間割だったか単位取得表だったかを強制的に提出させ、 「留年しないで学部に上がれるためには一年のうちに何単位、二年のうちに何単位取らなければならないぞ」 などといちいち介入してきました。 私はその状況に耐えきれなくなり、勉強へのやる気をすっかりなくしてしまい、不登校になり、その結果留年して退学しました。 それが初めての、親に対する「反抗らしい反抗」でした。 それは親に対して少なからずダメージを与えたようではありました・・・が、結局親は私の反抗に真正面から向き合うことをせず、「できるだけ事態を無難に済ませる」ことにありとあらゆる手を使ってきました。 その結果、私は親に対して中途半端に反抗したまま、半ば馴れ合いみたいな状態で数十年が過ぎました。 今思えば親が「事態を無難に済ませようとした」(私に対して『勘当する』というようなことを言わなかった)のは要するに、私を「老後の介護要員」としてキープするためだったのだと、ここ最近の母親を見ていてわかりますw もし二〇代前半に私が「とことん反抗する」ことができていたら、母親も八十過ぎになって娘から介護放棄されることもなかったでしょうにw そして未だに娘を当てにしてしつこく電話をかけ続けるという虚しいことをする必要もなかったでしょうにw 哀れなBBA。 [No.584] 2019/04/02(Tue) 21:21:51 |
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