ひょんなきっかけから気付いたのだが、私の中にはずっと 「自分は穢れている」 という意識があったらしい。 そういう意識を持つようになった大きな原因の一つはおそらく「カナリア事件」。 (そう言えば以前やっていた『毒母用語集』にも書いたエピソード) 私が10歳ぐらいの時、母親が 「カナリアの爪を切るから手伝え。お前がカナリアの体を持て」 と言った。私は言われた通りにした。 爪を切り終えてカナリアを籠の中に戻すと、カナリアは毛繕いを始めた。すると母親はニヤニヤ笑いながら 「(お前が触ったから)穢れた、って(鳥が)言ってるわ」 と言った。カナリアは単に毛並が乱れたのを整えていただけだと思われるのだが。 要するに母親は私を「穢れている」と日頃から思っていたらしい。 この出来事を思い出して、改めて怒りを覚えた。 と同時に 「母親自身が自分のことを『穢れている』と思っていたのでは。おそらく、未だに?」 と直感した。 それを私に対して投影していたのだ、と。 哀れなBBA。 あの生き物は救いを求めているのかもしれないが、私があれを「救う」のは無理だ。 過去には無意識のうちにそうしかけたことが何度かあったかもしれない。 その度に私の気持は踏みにじられ、私の心はどんどん「絶望」に支配されていった。 「人に優しくしてもどうせ利用されるだけだ」というような意識も芽生えてしまったかもしれない。 (今はそこからはかなり解放されているが) 二度とそうならないためには、引き続きあの生き物とは距離を置き続けるしかない。 [No.670] 2019/09/02(Mon) 04:30:05 |
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