別スレで「毒母のオトモダチの(と言うか、その人が私に影響力を及ぼすことを許可してしまっていた)せいで2か月間、携帯の電源を切りっぱなしにせざるを得なかった」ことを書きましたが、基本的に「毒な方々」からの電話は固定電話にかかってくるので、未だに固定電話そのものに苦手意識があります。 まるで固定電話機に「毒な方々」の生霊が取り憑いているかのごとく(イヤ〜〜〜!!!)
うちの固定電話機(こちらも別スレに書いたように、常に留守電&サイレントモードにしている)は着信があると青いランプがつくのですが、それがついているのを発見するとまず私は 「うへっ、誰だよ?毒親?毒弟?」 と思います。で、 「このランプ、うっとうしいからとりあえず消しとこう」 と思い、とりあえず受話器を上げて、受話器に付いている「切」ボタンを押します。 (電話機にもその機能にも何の罪もないのに、毒な方々のせいでそうさせられてしまっている) そして 「とりあえず一週間ぐらい放置しようか」 と思います。 その後、よほどエネルギー的に余裕のある時があれば着信履歴ぐらいは確認します。 母親だったら「ゲッ」と思い、メッセージが入っていても聞かずにそのまま放置。 セールスの電話(メッセージなしのガチャ切り)だったら即、その番号を迷惑電話リストに入れます。 毒弟に関しては数か月前に 「お電話いただいても出られない場合が多いので、ご連絡はメールでお願いします」 と「通告」したのでかかってこなくなりました(笑)
そもそも、この「電話に対する苦手意識」が始まったのは大学生時代かもしれません。 私が大学に入学して一人暮らしを始めた頃から、なぜか弟が「毎晩、しかも深夜に」電話をかけてくるようになりました。しかも、ものすごくくだらないことを私に質問するために。 「なぜこんな夜遅くに電話をかけてくるのだ」 と聞くと 「お父さんが『他の用事が全部終わってから電話しろと言うんだもも〜ん(気色悪い甘え声)」 とのこと。 おそらく父親は「私が夜、出歩いていないか」を探るために弟を「使っていた」のでしょう。きしょっ。 鬱陶しいので電話の線を抜いておいたら、ある日私が外出から帰ってくると机の上に父親の字で書かれたメモが。 「電話に出ろ。○○(弟)が△△(いつもの、大したことのない用件)のことで質問できなくて困っている」 と書かれていました。 どうやら合い鍵を使って勝手に部屋に入ってきていた様子。 (合い鍵と言えば引っ越しの時、親は私の同意を求めることもなしに勝手に合い鍵を作り、なんと元の鍵を自分達が持って合い鍵の方を私に渡してきた)
私は激怒し、父親に電話をかけて 「勝手に部屋に入ったな!!!」 と言うと父親はすっとぼけたような口調で 「まあまあ、怒らんと」 などと言いました。 (今の私だったらその時点で電話番号を変えたり、親と縁を切ったりしていたかも)
更に電話が苦手になった出来事は、大学を中退してしばらく無職状態だった頃。 母親が毎日のように電話してきては 「仕事まだ決まらんのか!!!まだ決まらんのか!!!」 と怒鳴りつけてきました。 そんなわけで私にとって電話はすっかり「鬱陶しいもの」「怖いもの」になってしまいましたとさ。
そう言えば市川拓司さんの「いま、会いにゆきます」という小説にこんなくだりがあります。
----- ぼくらは電話が嫌いだった。 電話は不躾で横柄で押しつけがましかった。そしてよく、不躾で横柄で押しつけがましい人間とぼくらを繋ぐことがあった。それはセールスだったり、選挙の票集めだったり、たいして親しくもない友人からの代返の頼みだったりした。電話とそういった人間とは、とても親和性が高かった。 だいたい、世界で最初に電話で発せられた言葉だって、ずいぶんと横柄だった。 『ワトソン君、すぐ来てくれたまえ!』(もちろん、グラハム・ベルの言葉だ) のちの電話のありようを暗示している。 とにかく、ぼくらは電話ではなく、手紙による交信を好んだ。 -----
「毒な方々」ってまさしく「不躾で横柄で押しつけがましい人間」ですよね〜。毒親も毒弟も「毒母のオトモダチ」もことごとく「電話好き」だわ〜w
>電話とそういった人間とは、とても親和性が高かった。
まさに「そういった人間」どもwww
[No.580] 2019/03/21(Thu) 23:29:52 |