DELICOさん
いつも、カフェ避難所ありがとうございます。 以下、長文ですみませんが、自分の経験から思うことです。
無職男性は、多分、「引きこもり」で、その流れとか体裁的に、介護をしていた…となったように思います。
自分は19歳の動けなかった頃、出来ることをしようと、祖父の介護をしている祖母を、しんどい体で手伝いました。でも、そのうち、それも出来なくなりました。
当時は、「鬱」という言葉もなかったように思います。
自分が動きたいのに動けない、大学に行きたいのに行けない(当時、休学中だった)、そういう体でいることが、何故なのか、分かりませんでした。
働けと、弟には思いっ切り蹴られたし、姉や祖母や親戚には腫れ物扱い、近所からも白い目で見られていました。父や母は仕方ないという感じでしたが、優しく寄り添っていてくれる感じでもなかったです。酷かったです。一人で神棚の下、仏壇の前に、苦しく横になっているしかありませんでした。中学の頃から苦しくて、両親の反対を押し切って、地元の◯十字病院の精神科に行っても、行政の相談機関など、どこに相談に行っても、安心、安全、健康的に納得ゆく答えは全然得られませんでした。
それなのに、その後、死神劣悪病院に、いきなりな任意入院になって、トラウマ恐怖が上塗りされました。精神保健福祉士のテキストに、患者の人権剥奪している病院と例示されていたり、医師から患者への性暴力事件含む、多くの報道事件を起こしている病院です。
大学は退学して(後で編入し卒業はした)、でも、働こうとしても、ビクビクッと体のうちではすごい対人関係に、萎縮・恐怖・拒否反応が起こって、働くことが、何故か出来ませんでした。幼少期の性暴力のみならず、小学校1〜3年まで、弟の保育園の送り迎えを、周囲の大人や子どもの冷たい目や、イジメをされながらしていたことや、死神劣悪病院で、強い薬で眠ったらナースサンダルを叩きつけられるという、すごい恐怖の下、必死に眠らないように、労働奉仕したことなど、萎縮の原因になりました。
事件の無職息子も、同じように、働きたくても働けない、トラウマ経験を負っているように思います。 働きたくても働けない…が、全然理解されない日本の現状で、精神科医療なんですが、針先の点のように、理解と解決・治癒方法に努力している人達もいる、という印象です。
自分は、出来るところで社会の繋がりは持ちたかったので、学校に通いました。 義務教育とか、子供の頃の辛い中でも学校に通って学ぶことが救いだった…という、その救いの感覚を繋げてきた、という感じです。DELICOさんと逆で、ウチの親は大学とか学問とか、反対する人間だったので、ご高名な先生方(一人は仁医のお医者さん、一人は戦場サバイバーの国会議員さん)の両親へのお言葉なくしては、今に至る救いの道は絶対にあり得ませんでした。
でも、トラウマ恐怖記憶、トラウマ症状負ったまま、解放、解消されない限りは、トラウマ症状は良くならないのだと、カミホトケにすがって、漸く・奇跡的に得られた回復の縁と学びから、理解しました。治療者、セラピストの側も、ちゃんとセラピー受けてある程度は治癒されていないと、他者のセラピー、治癒は出来ない、ということ、先進国では、必須、義務、推奨されていることも、学びを通して知りました。
鬱も、引きこもりも、ニートも、パラサイト寄生虫も、症状は同じだと思います。
トラウマ恐怖記憶が脳の可塑性という性質で、脳に残されたままあり(トラウマでなくても、傷付きやショックな経験はいつまでも脳に残るように)、
それが全身の神経系に、特に自律神経系に影響を及ぼし続ける、
・動きたいのに(交感神経系…なんとか日常を保とうとする)、 ・動けない(副交感神経系…トラウマ負っているしんどい体は癒しや解放を求めて休みたがっている)
という感じに。もちろん、血液や内臓機能もろもろの、免疫系や、ホルモン分泌の内分泌系にも影響を及ぼすし、 自律神経系の安定を脳から保てない、こんな相反するような状態でいるから、仕事も、勉強も、食も、趣味も、ギャンブルや嗜癖、投薬も薬物も、暴力も各種ハラスメントも、アルコールも、性依存も、買い物も、いろんな状態の依存、アディクションを生みやすいし、
加害者か被害者か、そういう傾向にいつもあるし、 特に、酷いトラウマ負って無力感が強いと、常にターゲット標的にされ続け、日常でただトラウマ症状、PTSD反応強化されてゆく、という感じです。
そして、やがて鬱、引きこもり、ニート、パラサイト…とまるで抽象的に差別的に分類というか、診察され、指さされるように言われるようになる。今の生活習慣病が、かつて成人病と言われたように。 *自分の回復の学びでは、未処理のトラウマ記憶(トラウマ感情、感覚)による、自律神経系の調整不全状態だと、学んでいて、これに添った治療法で治療しています。花園でもアウトプットに書いている、ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)と、身体的なアプローチケアを伴うモノです。
祖母と息子が日常でどんな関係で、どんなやり取りしていたか、当人でなければ、世間話しや噂話し程度にしか、自分を含めた周囲もメディアも分からないことだと思います。 自分も、故祖母はとてもいいおばあちゃんだったと、周囲は言っていたけれど、性暴力や病院トラウマで苦しかった私が、私が死神劣悪病院でされたように、家族や身近な人達が侮蔑し、人間剥奪されないようにと、いろいろ気遣いしたからこそ、そんな美談に言えるのだと、私の存在を軽んじて美談に言う人達や、自分も同じように介護してもらえると、図々しくなる人達のことも、ちゃんと見抜いていました。
何か傷付きやトラウマ負い、覚醒亢進のままその職に就いたような、無自覚なトラウマ脳の持ち主は、白黒凹凸激しく、敵対関係を生むだけにしか考えないし、安心、安全、健康な解決の方法も言えないし、言わないことを、回復作業や学びを通して思います。
介護の為に職に就いていなかったのではなく、その為に自分の人生を犠牲にしたのではなく、
自分の人生を両親や祖父母の為に、または、教師や周囲のイジメやハラスメント、性暴力や虐待など、や、その家族の対応も含めて、
既に長い間、犠牲にされ続けてきた、そのほんの末端的な結果に過ぎないように、自分の経験からは思います。 個人もそうだし、個人のちょっとずつが重なってある、社会や国全体としてもそうなんだろうと思います。
DELICOさんも、お母さんの毒対応や毒介護に関するご心労、日常のサバイバルやトラウマ症状など、大変なことも多々あるかと思いますが、お仕事出来るご心身のご状態や、施設対応出来たことは、ご賢明で尊いことだと思います。
お互い、自分の人生を大事に生きましょうね。
[No.628] 2019/05/06(Mon) 10:17:30 |