今日は。お久しぶりです、tomo1979です。
今朝母親から、新型コロナウイルスの危険があるので、実家に帰って来ないかと言う電話をもらった。
でもそこに帰るのは、父親の事もあるから、気分が重くなって、エネルギーを大量に削り取られる気がするので、あまり気が進まない。
父親は、私が若い時、夜に体を触って来たり、セクハラまがいの事をしてきて、私は父親専属の風俗嬢みたいな感じだった。 もし私が風俗業で働くとしても、昔家でやられていたことの延長だから、別にいいや、と言う気がしている。 そして、性的な漫画が沢山載った雑誌や、性的な記事・情報が沢山載ったスポーツ新聞を、家の中に平気で持ち込むような人間だった。 (母親は、私が思春期の頃、私と父親が一緒の部屋で寝るのを、別に構わないだろうと、当然の事としていた)
私が十代後半の時、特定の地域の人々とか、外国人と結婚するなと、平気で言うような男だった。 私はその時嫌な思いがして、顔を歪めたと記憶しているが、そこには差別問題、人権問題も絡んでいるので、 「お前はちゃんと反論できず、きちんと闘えなかった勇気の無い奴」というお叱りを受けることは覚悟している。
そして父親が、ヘイトスピーチまがいの聞くに堪えない汚い雑言を、ゲタゲタ笑いながら電話で友人と話していたり、 正月なのに(いや正月以外でも駄目だけど)、差別的で胸糞の悪い内容の話を、平気で友人と電話で話していたのを覚えている。
(母親はそういう言動をする父親に対して、毅然とした態度で一喝するとか、激怒するとか、そういう事は無かった。 かえって、父親のそれらの言動に対して嫌だといった私に、怒りを示したり、逆ギレしたり、 <お父さんの事を理解してあげなきゃ>という意味の言葉を言う事が多かった。
男尊女卑の旧弊な土地柄だから、仕方が無い面もあるのだろうが、それにしたって訳が分からない。 父親に何か弱みでも握られているのか、又は自分の家族幻想のために 父親にすがり付いている状態なのかと、いぶかしく思った。 自分の大きなより所を確保するのと引き換えに、色々の歪な部分を受け入れてしまったのかと思うと、もう色々な意味で恐ろしかった)
それに、私の事で気に食わない事があった時、私の事を「お前は○○な【女】だ!」 (○○の部分は、場面によって違う言葉が入ります)という事があった。
だけど最近は、部落差別問題、沖縄の基地問題、旧植民地の国々からの、日本の戦争責任を追及する声について 理解を示す言葉、そしてその他のリベラルな内容の話を口に出すようになった。
今まで私が、差別的な言葉、ヘイトスピーチまがいの酷い言葉に蒼くなったり、赤くなったりして、苦しんだり、振り回されたり、怒ったり、精神的に壊されたのは、一体何だったの!? 最初からそのように、意識高いように振舞って、まともな言動をしてくれなかったんだよ!! ひどいよ!!ひどいよーーーーー!!と、叫びたい思いがした。
(私は父親の排泄用便器か、汚物袋になって、汚いものや汚点を放り込む容器にされ、父親だけ綺麗になったんだろ) という思いが強くある。 心がズタボロに引き裂かれ、「ギャー、ギャー」とか、訳の分からない言葉を絶叫したい気分に、何度もなってしまう。
あの家の平和が、見せ掛けの薄っぺらなものだって分かってる。 明治・大正の時代の家の、悪いところを重く引きずった家なんだと思う。
母親は家の内実がどんなにグチャグチャでも、その「家が存続すること」がより所なんだよな。 中身がどれだけ腐ってカビだらけになっても、外箱とか包装紙がキラキラして綺麗であれば良い、みたいな感じなんだろうか。
私は弟だけ残して、自分だけが良い環境に安住し続けていると言う罪悪感を持ち続けている。 弟には、どれだけ憎まれ、軽蔑されても、文句なんか言えない。
落とし前をつけるために、始末をつけるために、いつか帰らなきゃいけないのは分かってる。 でも、まるで毒ガスが充満した(それは私が生み出したものも確実にある)空間に、防護服とガスマスク無しで行かなければならないような感じがしている。
どんな滅茶苦茶な人生になっても、狂人になっても、おかしくないと思ってる。私の人生なんか、もう無いんだから。 私は何の因果で、こんな重くて暗い闇を背負わされないといけなかったんだろう。
私は、あんな家、もう放火してしまっても良い、逮捕されてしまっても良いとさえ思った。
長文失礼いたしました。うまくまとまらなくて、すみません。 ここまで読んで下さって、有難うございました。
[No.695] 2020/04/12(Sun) 11:42:23 |