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ERINさんの事情はとてもよくわかりました。 最善の事は分かっていても、どうしようもない事情でその選択ができない事もあります。 それどころか、お世話をする相手がまったく理屈が通じない相手である場合には、そんな事ばかりになってしまうかもしれません。 私はそれでも、自分の何かに折り合いをつけるため、課せられた義務をただ果たすために、自分のできることをやるのが、被介護者をもつ人の悲しい習性なのだと思います。相手を突き放せたら、こんなに楽なことはありませんが、とても、その選択肢を選ぶ勇気はありません。かといえ現実には、相手から拒まれれば手をこまねいているに過ぎない程度のことしか出来ないのもまた事実です。こんな感じの閉塞感は、わたしも介護生活が始まった直後に十分に味わいました。 私の父は、かなり酷い人間でしたが、その人の介護を続けている内に、なにか運命のようなものを信じるようになりました。 きっと、人が壊れて行くのも、その人の業が為せるわざなのではないかと、きっと、介護拒否さえも、その業のなせる運命の歯車の一つなのではないかと思うようにしました。 簡単にいえば、自分の家族の事を最優先に考え、相手のことはその中でできる範囲でしていこうと発想を転換しました。父がこわれていくのは私の能力では止められない、それもまた運命のうちなのだと諦観することにし、家族が、こんな父の悲惨な運命の渦に巻き込まれる事だけは防がなければいけないと思い、行動しました。 ERINさんも、もうこうなったら、自分達の家族の生活を健康的、衛生的に保つことだけを考えて、その前提に則って、おじいさんやおばあさんに、どうすればいいか協力を求めてみてはどうでしょうか。 医者はその本人が望まなければ、基本的に受診してくれませんから、できれば、ERINさんが付き添って、本人達が自発的に医師の元へ行ってくれるのが一番です。なんとか、頑張ってみてください。 でももしそんな事ができなければ、ただじっと見守り続けるという方法は、それはそれで勇気のいることだと思いますが、何もしなければ、今より事態が良くなる事はありません。大事な家族の幸福を、介護で犠牲にする事はないと思います。 私の経験からのお話ですので、御参考にしてもらえれば幸いです。長々、失礼しました。ERINさんを心より応援しております。 [No.280] 2005/09/13(Tue) 00:41:16 |
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