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もう5年ほど前のことですが、おばの肺癌4期の治療のための入院の準備を期におばとおばが介護していた祖母が実家の母のもとにやってきました。父もいましたし娘である私と妹も近くに嫁入りしていたので頼まれたことなどをしていました。母は医師に告知について聞かれたとき、おばが4期だと知ったら落ち込んで耐えられないのではと告知しないことを決めました。それでもどんどん悪くなる状態におばも誤診だったのでは?良性なのにどうして?と言っていたようですが悪性であることは告げず一緒にどうして悪くなる一方なのだろう医師も一生懸命やってくれているなどと話していたようです。倒れる前、介護が終わればハワイに行きたいとよく言っていました。母が看ててあげるから骨休めに行っておいでと言っても断ってました。今ならわかります。弱った祖母を誰かにまかせて休むことに抵抗があったのだと。介護が終わった自分へのご褒美だと思ってがんばっていたこと。最期の数か月は病院はさみしいというので在宅になりましたが毎日医師の往診、訪問看護をお願いしていました。余命半年といわれていましたが一年六ヵ月、泣きながらも笑いあうこともある日々でした。レスになってなかったら長文でごめんなさい。。。ほんとに心が自然に感じることだけど自分を責めたりせず無理しないように気を付けてくださいね。 [No.421] 2006/09/01(Fri) 17:00:00 |
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