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all 第1回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/01/09(Wed) 22:19:44 [No.124]
M - ひみつ@超遅刻ついでに半オリキャラ - 2008/01/13(Sun) 13:35:25 [No.132]
戦いの終わりは。 - ひみつ@大遅刻 - 2008/01/13(Sun) 00:36:13 [No.131]
馬鹿兄妹 - ひみつ - 2008/01/12(Sat) 22:01:01 [No.130]
夕焼けに赤く燃える男と男の友情 - ひみつ - 2008/01/12(Sat) 18:20:51 [No.129]
そこに○○○○がある限り - ひみつ - 2008/01/12(Sat) 02:35:57 [No.128]
対男子(一部女子含む)用殲滅兵器くどりゃふかまーく... - ひみつ - 2008/01/12(Sat) 01:51:58 [No.127]
感想会ログとか次回とか - 主催 - 2008/01/14(Mon) 00:35:04 [No.134]


夕焼けに赤く燃える男と男の友情 (No.124 への返信) - ひみつ

「ねぇテヅカ、今日は何して遊ぶ?」
 鈴が理樹君と一緒にどこかに行ってしまってからすぐ、イルファンがおずおずと脇から顔を出した。こいつはいつもそうだ。引っ込み思案というか、なんというか。
「そうだなぁ……」
 周りを見回すと、みんなわらわらとここから離れていくところだった。僕らは元々そこまで団結しているわけではない。鈴が僕らの前に顔を見せる時には必ず顔を見せること。僕らの中で暗黙の了解といえるものは、せいぜいそれぐらいだった。
 イルファンは僕の脇でびくびくと僕の方を見ている。まるで僕の顔色を伺っているように。僕は彼から見えないように溜息をつく。別に悪い奴じゃないんだけど、なぁ。
「天気もいいし……」
「うん」
 やっぱり、あそこがいいか。どうせどこへ行こうとみんな結局あそこに行くのだから、面倒がない。
 僕は、立ち上がって伸びをする。頭から尻尾の先まで。
「行こうか」
「どこへ?」
 決まってる。最近の僕らの溜まり場だ。
「野球場」






 野球場に着くと、そこには先客がいた。
「やー! テヅカー!」
 にゃあっ、と一声鳴いて、とっとことっとこ駆け寄ってくるのはシューマッハ。僕より先輩の牝猫で、僕が新入りの頃から何かと僕を可愛がってくれる。たまにお姉さん風を吹かそうとしてくるのが、どうにもうっとうしいような、くすぐったいような。まぁシューマッハも猫らしく飽きっぽい。結局長くは続かないので、気にならないといえば気にならない。
「今日はヒットラー、嬉しそうだったねぇ」
「ヒットラー、羨ましかったなぁ……」
 僕の斜め後ろからイルファンの呟き。イルファンは鈴に遊んでもらうのが、人一倍大好きなのだ。今日重点的に遊んでもらったのはヒットラーだったから、今日のイルファンにとって、ヒットラーは羨望の的というわけだ。しかし、イルファンのやつ、そう思うならもっと積極的に鈴によって行けばいいんだよ。いつもおどおど、みんなの後ろをうろちょろしてるから折角の構ってもらえるチャンスをみすみす逃したりするんだ。でも、鈴は普通の人とは違うから、そうやっておどおどしてるイルファンの心すら読み切ったかのように手を差し伸べてくれる。
「確かに、今日の鈴はいつもより長く遊んでくれたような」
「でもそのせいで理樹っちに、迷惑かけちゃってたみたいだね」
「あれ、理樹君はそんなに待ってたの?」
「うん。あたし見てたもん。理樹っち、けっこ前から見てた」
 シューマッハが言うなら間違いない。シューマッハは見てないようで周囲の様子を見てる。視野が広いっていうのかな。みんなのお姉さん猫としての自覚がそうさせてるのかもしれない。
「彼もさ、苦労人だよねえ……」
 他人事ながら、超同意。まぁ、僕らとしては鈴に遊んでもらったほうが楽しいに決まってるので、そんなに気にするわけではないんだけど。
「そういえば」
 シューマッハが思い出したように口を開いた。
「あの新入り君は?」
「レノン君のこと……?」
 珍しくイルファンが口を挟んだ。
 レノンとは、最近入った一番の白毛の新入りだ。イルファンにとっては初めての後輩で、一生懸命彼と話そうとしている彼女を何度か見たことがある。
「新入り君の尻尾に結ばれてた紙。鈴ちゃんは何やらそれに執着しているみたいだったよ」
「執着ねぇ……」
 そこまでとは思わなかったけど。鈴がその紙っきれを気にしているのは確かなようだった。
「イルファン、レノンはなんか言ってた?」
 ぷるぷる。首を横に振るイルファン。
「レノン、教えてくれなかった……」
「そっか」
 レノン。僕らの名付け親でもある恭介さんが連れてきた彼は元々孤独を好む傾向にあるのか、僕らの中にいまだ馴染まずにいた。もちろん僕らは猫だから、そういう性格をしている奴は珍しくない。僕らのように大勢でつるんでいる猫の方がもしかしたら少数派なのかもしれない。けど、恭介さんに名前をもらい、鈴に面倒を見てもらえば、どんな壁があろうとも僕らは仲間になれたはずなんだ。まるで、鈴たち五人のように。
 そんなことを話しているうちに、わらわらとみんなが集まってきた。
「もう時間みたいだね」
 ぴょんっと、シューマッハが立ち上がった。僕らもそれに倣う。けれど、僕の中にはどこか釈然としない気持ちがわだかまっていた。後でドルジのところにでも行ってみるか。彼なら、何か知ってるかもしれない。
「さ、今日もいっしょうけんめー遊ぼう! やー!」
 青空の下、グローブを手にした鈴の姿が瞳に映る。僕はさっきまでの気分を忘れたかのように、シューマッハの声に合わせて「やー!」と大きく声を上げた。



    ☆    ☆    ☆



「うなぁ」
 ドルジはいつもと同じように地面に突っ伏したままで、およそ猫とは思えない唸り声をあげていた。本当にアザラシなんじゃないかと僕らの間でひそひそ話されたこともあるが、どうやら本当に猫らしい。
「ねぇ、ドルジは何か知ってる?」
「……うなー」
 ドルジは迷ってるのか、馬鹿にしているのか、それとも本当に僕の声が聞こえていないのか、判別がつかない。厄介な奴だ。しかし、間違いなく僕らの中では一番の年長者だ。しかも、彼だけは恭介が連れてきた猫ではなく、元々この学校に住み着いていた猫らしい。ドルジに次いで最古参のアリストテレスがそう教えてくれたことがある。
「うな、ごめんごめん。眠くて。うなぁ……」
「ドルジは一日中寝てるじゃないか。まだ眠いの?」
「うな」
 超スローモーションで頷くドルジ。
「それにね、わしも知らないよ。新入りのレノン君のことだったよね、確か」
「うん……そっか、ドルジも知らないんじゃしょうがないなぁ」
「彼、ちょっと変わってるよね」
 アンタがそれを言うかーと口に出そうになったが「なご」と言葉を濁しておく。
「実はね、君だけじゃなくて、ファーブル君やオードリー君も彼のことを聞きに来たんだ」
「えっ、いつ?」
「ついさっき」
「わしは話を聞いてただけなんだけどね、彼、あんまり立場が良くないみたいだね」
 はっとした。悟られないように頷いたつもりだったが、ドルジの目はきっと誤魔化せなかっただろう。僕は溜息をついた。
 ドルジの言うとおりだった。レノンは仲間内であまり良い評判を立てられてはいなかった。もっと言えば、嫌われていた。必要以上に鈴にべったりくっついて、時には鈴の行動を阻害しているようにも見える。まるで監視しているような。レノンが尻尾にくくりつけてくる謎の紙のことも、仲間内の空気を悪化させるのに拍車をかけたのかもしれない。
「正直、レノンの行動にも問題があると思うよ。僕や、イルファンなんかはそうでもないけど」
「君たちは、優しいからね」
 うなぁとドルジは興味なさそうにあくびをした。不思議と腹は立たない。ドルジはドルジなりに僕らのことを気にかけてくれている。そうでなければ僕のことなんか放っておいてさっさと昼寝を再開するはずなのだ。
「わしもね、彼のことはよくわからないけどね。けど」
「けど?」
「けどね、彼はけして悪い奴じゃないよ」
 ドルジはのっそりと立ち上がった。喧騒は遥か遠く、辺りには夕闇が近づいていた。ドルジはそろそろ自分の寝床に戻るつもりなのかもしれない。
「君は優しい奴だから、ひとつだけ」
「何?」
「彼のこと、少し気にかけてあげたほうがいいかもしれない。なんだか厄介なことになるかもしれないから」
 ドルジはそんな預言めいたことを僕に告げて、たるんだ身体をぷるぷると震わせながら去っていった。実は、同じ事を僕も思っていた。だけど、気にかけるにしても、僕はあの白毛の新入りのことをあまりにも知らなさ過ぎた。ドルジほどに、僕はレノンのことを信用は出来なかった。
 ドルジの預言が現実のものとなったのは、それから数日後のことだった。



    ☆   ☆   ☆



 昼食後に中庭隅のひだまりでぼんやりと惰眠を貪っていた僕は、シューマッハらしくない狼狽した声にたたき起こされた。
「テヅカっ! 起きてテヅカっ!」
「にゃい……どうしたのシューマッハ、もんぺちの新味が当たったの……?」
「んなわけないでしょっ! ああんっ、もうっ! 早く起きて! 寝ぼけんな! 行くよ早くっ!!」
「んあっ!?」
 カプリと僕の耳を噛むシューマッハ。痛い。痕になったらどうすんだーと抗議しようとした僕の声を彼女の切羽詰った声が遮った。
「イルファンが大変なのっ! 早く来てっ!」
 イルファンの名前で僕の頭は完全に覚醒した。ちっぽけな脳みそが高速で回転を始める。
「どこっ!?」
「ついてきてっ」
 言うが早いか、疾風のように彼女は駆け出した。シューマッハの名は伊達じゃない。仲間内で最速の足を持つ彼女だ。僕は必死で疾走する彼女のあとを追った。


 状況は最悪というには足りなかったが、目を覆わんばかりだった。
「イルファンっ!!」
「テ……テヅカ……?」
 イルファンは倒れていた。傍らには明らかに狼狽した仲間たち、それに普段よりは冷静さを失ったように見えるレノンの姿があった。
「おいっ、イルファンっ! 何があったっ!!」
「ボクは別に大丈夫だよ……それより、レノンが、いじめられて」
 どう見ても、いじめられていたのはレノンではなくイルファンにしか見えなかったが、まぁそんなことはどうでもいい。とにかくこれは、ドルジが危惧したことが現実になったということなのだろう。仲間の不義に対する粛清。急進派が動き出してもおかしくはないタイミングだ。仲間になってからまだ日が浅く、まだ僕以外の猫と親交を深めていないイルファンがわけもわからずに間に入ってとばっちりを食ったのだろう。
「やったの、誰だよ」
「テ、テヅカ……そんなに怒らなくても」
「ゲイツ、お前は黙ってろ。多分お前じゃないだろ、やったのは」
 気が小さいゲイツがそんな攻撃的なことをするとは思えない。
「俺らだよテヅカ」
 ずいっと一歩前に出たのは、ファーブルとオードリー。仲間内でも運動神経に優れた二人組み。僕が行く前にドルジのところにレノンのことを相談に行ったという話だったが。比較的話が通じそうなファーブルに向き直る。
「ここまですること、ないんじゃないか」
「……イルファンのことに関しては謝る。彼女がまさかあんなに強引に割り込んでくるとは思わなかったんだ」
「イルファンのことだけじゃないよ。レノンに対しても、だ」
 僕とファーブルを遠巻きに見ているレノンがぴくっと身体を震わせた。視界の隅にいる彼は、どこかうろたえているように見えた。
「そいつは……疫病神だ」
 穏やかでない言葉に、ぎくりとする。隣にいるオードリーも「お、おいファーブル」といさめるようなそぶりを見せる。
 シューマッハ。
 僕は彼女に目配せをした。敏い彼女はそれで全てを了解したようだ。
「さ、みんな。もう時間だから野球場に行こう。イルファンちゃんも。ね、立てる?」
「う、うん……」
 シューマッハはみんなを連れて野球場の方に歩いていった。イルファンだけは心配そうにこちらをちらちらと振り返るが、早く行けと前足で合図してやると、すごすごとシューマッハが連れた一団に加わった。後に残されたのは、僕とファーブル、それにレノン。
「お前だって気付いてるだろ、テヅカ。そいつが来てから、どんなことが起こってるか」
 分かっている。レノンが来てから、何かがおかしい。鈴は前ほど一緒に遊んでくれなくなった。放課後だって、前までなら僕らと遊んでくれていたはずなのに、野球なんてスポーツを始めてしまうし。妙な紙を見て理樹君と何かしてるんだとして、そのせいで鈴が遊んでくれなくなったとしたら、全ての原因をレノンという新入りが運んできたのではないか。そう、考えるのは別に不思議なことではない。僕だって、そう思ったことがないわけじゃない。実際に実行するか、そうでないかの違いでしかない。
 僕の迷いを見て、ファーブルの昂ぶりが若干冷めたのかもしれない。少し落ち着いた口調で
「レノン、お前が悪いわけじゃないのかもしれない。もしもそうなら今やったことも全て謝ろう。本当の所、どうなんだ? あの紙は、一体何なんだ」
 レノンは答えない。見ると、尻尾の先がぶるぶると震えている。何かを知っている。そう確信させるに十分な反応だった。しかし、レノンはぎゅっと口を結ぶと決然とこう言った。
「言えない……!」
「なんだと?」
「言えないって、言ったんだ。ファーブルさん。私は言えない」
 ファーブルの頭にかっと血が上るのが視認できるようだった。危ない。ファーブルはこのままだと彼にまた暴力をふるう。そんなことは認めるわけにはいかない。僕らは仲間だ。仲間は仲間に暴力などふるわない。喧嘩することくらいはあるかもしれない。だけど、これは喧嘩じゃない。
「テヅカ、どけ」
 言われてから僕ははっとした。僕は無意識のうちにレノンをかばうように立っていた。僕の背後から息を呑む様な声がした。
『けどね、彼はけして悪い奴じゃないよ』
 僕は、ドルジの言葉を思い出していた。僕はドルジの言うことが不意にわかったような気がした。
「レノンは、僕らの仲間だ」
 ドルジが僕に言いたかったのは、そういうことじゃないのか。こいつがどんなやつか、僕はまだ知らない。けれど、こいつは恭介さんからレノンという名をもらい、鈴に面倒を見てもらい、一緒に遊んだ。そういう猫のことを、僕らは仲間と呼ぶ。
「ファーブル、勝負だ」
「なんだと?」
「君が勝ったら、レノンのことは君に任せる。でも、僕が勝ったらレノンのことは僕に任せてくれ」
 ファーブルは無言で僕を睨んだ。彼は今、僕の言葉を吟味している。僕の言葉がどういう意味を持つのか、どういう結果を生むのか。彼をその先を思っている。
「わかった。それで、どうする」
「ついてきてくれ」
 僕は二人を先導して歩き出した。
「テヅカさん」
 不意に隣に並んだ影。レノンだ。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
「別にお前のためじゃないよ、レノン。それに謝る必要もない」
「……え?」
 僕はそれ以上口にせず、レノンを置き去りにして歩みを少し速めた。
 目指すは――野球場だ。


 ルールは簡単。鈴たちがやってる練習に混じっていつも僕らがやっていること。飛んできたボールをキャッチして、守備に取らせないように妨害する。これは、遊んでくれない鈴に対するいやがらせとして、シューマッハが考え出したことだ。まったく子供じみていて、笑える。ボールを取られた時の理樹君の顔と鈴の怒りっぷりが傑作なんだ。
 つまり、こういうことだ。
 僕とファーブルで、多く球をキャッチした方の勝ち。他の猫がキャッチした分はカウントせず、自分の身体で止めたボールだけをカウントする。
 野球場についた僕は早速シューマッハに事情を説明する。他の猫全てに説明する必要はない。これは僕とファーブルの間の勝負なのだから。全て理解したシューマッハは球のカウントとジャッジを担当してくれることになった。
 勝負は二十球の間に決する。僕とファーブルの間の緊迫した空気を嗅ぎ取ったのか、みんな僕らから一歩引いた位置取りをする。
「それじゃ、はじめるぞ!」
 恭介さんの声が野球場に響き渡る。
 僕らの勝負が始まった。


 所詮僕らは猫、僕らの守備範囲などたかが知れている。自分のところに飛んできたボールをいかに取りこぼしなくキャッチするか。前に守り過ぎても頭を越されるし。後ろに守りすぎても、こちらまで飛んでこない。
 敵はファーブルだけではない。他の猫たちもそうだし、守備要員だって僕らの敵だ。彼らに取られたら一応ラリーは続くことになっているが、それは確実ではない。理樹君が打ち漏らすこともあるし、次に飛んでくる球は僕の居るほうに来ないかもしれない。あさっての方向に飛ぶならまだいい。それなら取れないから、僕とファーブルはイーブン。しかし、次に飛ぶ方向が間違ってファーブルの守備範囲にあったとしたら、それはもう既に失点なのだ。
 つまり、この勝負は好球必捕と、理樹君の打球予測、それに則したポジション取りが明暗を分ける。

 僕は理樹君の最近の傾向と打力を考えて、ショートに位置する来ヶ谷の少し前にポジション取りすることにした。サードには恭介さんがいて、理樹君にとって、この三遊間は取りこぼしのない区間である。わざわざ流してライト方向に打球を飛ばすメリットは少ないはず。
 ファーブルは僕のポジション取りを見て、セカンドの少し後方に位置した。ライトにはそこそこ守備に信頼感のある三枝葉留佳がいて、鈴の投球にさしこまれた理樹君が苦し紛れに狙いそうなところ。僕よりも身体能力が高く、守備範囲の広いファーブルならではの選択だった。

 勝負は概ね互角に進んだ。僕とファーブルの選択は間違っていなかったらしい。他の猫にはほとんど触れさせることもなく、長くラリーを続かせることもなかった。
 勝負が動いたのは十八球目の前。今までセカンド付近にいたファーブルは突如僕の前を横切り、サードにいる恭介さんの前に位置した。今のところ点差はない。あと三球で決着をつけなければならない。一球目に最も信頼感のある恭介さんの方向を理樹君は狙う。そう判断したということか――
 キィン!
 僕がファーブルの行動に気を取られている間に理樹君が打った。打球は見事サード正面。ファーブルはジャンプ一番、難なくそれを捕球した。
 これでファーブルが一点リード。勝つためにはもう一球も逃せない。ファーブルが取った球を無視するように鈴のモーションが始まる。
 その時鈴のグラブの内側が僕の目に入ったのは幸運だった。あの握りは4シーム、ライジングニャットボールの握り――
「うおおおぉぉぉ――――っ!!」
 考えるよりも先に身体が反応する。重力に反して浮力を得る鈴の魔球、理樹君のバットはかろうじてとらえるも、打球は力なくセカンド方面への凡フライになる。僕はその球を滑り込みでキャッチする。
「ラスト一球っ!!」
 シューマッハの声が聞こえるよりも早く、僕は駆け出していた。最後は恭介さんのところへ。考えていたことはファーブルも同じだった。ファーブルはもう三塁正面で構えている。僕は必死で走るが間に合いそうもない。鈴のモーションは始まっている。
 ちくしょう、これで終わりか――
 そう思ったその時、僕の頭の中に響いた一つの声があった。


 ――違う、そこじゃない! お前が今いるところ、そこにいろ!


 瞬間、僕は金縛りにあったように動けなくなった。足が止まったのは来ヶ谷よりも三塁よりの少し後方。
 理樹君が打った。真っ直ぐ僕の方を目掛けて飛んでくるライナー。ファーブルの位置からでは反応しきれない球速、しかし恭介さんなら容易に届く。打球は無情にファーブルの横を駆け抜け、僕の視界は恭介さんのグラブで遮られる。引き分けが頭をよぎる。そして、僕はまたあの声を聞いた。


 ――よくやったな。お前の、勝ちだ。


 そして、視界が開けた。
 恭介さんのグラブに収まるはずのボールはそれをすり抜け僕の身体を直撃した。
 ゲームセットと僕の勝利を告げる鈴の怒声が響き、僕は意識を手放した。



      ☆   ☆   ☆



「恭介さん、あの球捕れたんじゃないかな」
 帰り道、シューマッハがぽつりと呟いた。
「どうなんだろうね」 
「何よテヅカは当事者でしょー、どうなのよ、本当のところ」
「さぁ」
「むぅ、手ごわい」
 シューマッハがまたぶちぶちと僕に文句を言う。イルファンはしきりに僕の身体を心配していた。レノンはそんな僕らの一歩後ろを申し訳なさそうに歩いていた。
 そう、あの球、恭介さんが『わざと逸らした』と考えるなら、全ての説明がつく。他にあそこで恭介さんが球を逸らす理由がなかった。『僕を勝たせようとした』とするなら。しかし、僕とファーブルの勝負を人間である恭介さんが知っていたなんて、あり得るのか。いや、恭介さんなら、いやいやそんなはずは――
「どしたのテヅカ、痛む? 痛むの?」
「いや、大丈夫。ありがとイルファン」
 相変わらずイルファンは心配性だ。ていうか、元はといえば、こいつが変な男気だすからいけないのか。牝なのに。
 そう考えて、そもそもの元凶のことを思い出した。
「あー、そうそうレノン」
「は、はいっ」
「これで君の身柄はめでたく僕のものになった。というわけで、だ」
 レノンは表情を堅くした。こうしてみると、みんなに馴染めずにいたレノンだが、実際のところイルファンなんかとそんなに変わらないように見えた。フィルターを通して他人を見るって、こういうことなんだろうな。
「君は今まで通りにしていいよ。言いたくないことは言わなくていいし、別に無理して皆とつるむ必要はない。君の好きにやんな」
 レノンは驚きで目を丸くした。
「あ、あの。テヅカさんは、何も聞かないんですか……?」
「だって、言えないんだろ?」
「う……は、はい……」
「なら、余計な詮索はしないよ。誰だって秘密くらいあるものだし、ね。君が言いたくなったら、言えばいいさ」
「あ、ありがとうございましたっ!」
 レノンは急に改まって僕らに一礼した。僕らはその姿に、一様に目を見合わせ、そして笑った。
「な、なんでしょう……?」
「いやぁ、ちょっと面白かっただけ。気にしないで」
「そうですか?」
「あーあー! 思い出した思い出した! 君に一つだけ注文があったんだ」
 そう言って彼の目の前にびしり! と前足を突き出して言ってやる。
「僕たちはもう既に仲間なんだ。仲間に対して遠慮はなし! 必要以上に感謝するのも謝るのもなし! わかったか? わかったら返事!」
「は、はいっ!」
「よおし! 男と男の約束だっ! 忘れるなよっ!」
 そうして、僕らはかんらかんらと笑い転げた。
 夕焼けに染まる無人の野球場はがらんとして、なんだか寂しい光景だった。誰かがいるっていうのは、なんて幸せな光景なんだろう。そしてそれが仲間だったとしたら、もう言うことはない。仲間に言えないことはある。仲間だから許せないこともある。けど、ただそこに居てくれるという、それだけのことが、きっと誰にとっても救いなのだ。
 オレンジ色の太陽が沈んでいく。一人ぼっちの太陽。背後で聞こえてきた「私、牝なんですけど……」という小さな呟きは僕らの笑い声と一緒に風景に溶けていった。


[No.129] 2008/01/12(Sat) 18:20:51

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