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バレンタイン IN リトルバスターズ! - ひみつ@激遅刻 - 2008/02/09(Sat) 06:36:52 [No.160]
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亡きコウモリからの手紙 (No.150 への返信) - ひみつ

 親愛なるおじい様へ


 明日の朝には私はもう修学旅行のバスに乗っているでしょう。日本に残るべきか、それともテヴアに帰るべきか――ここ数日間私を悩ませていた問いは、実のところ今も私を悩ませ続けています。修学旅行の準備が終わり、私はつい先刻まで、お母さんのドッグタグの冷え冷えとした感触を掌に感じながらベッドに寝そべって天井を見上げていましたが、その時にも思っていたのは、大使館のひとに貰ったチケットを返してはいけなかったのではないか、ということでした。そんな中何故こうしておじい様に手紙を書く為に筆(本物の筆ではなくてご覧の通りボールペンです。こんなことを言うとおじい様には怒られるかもしれませんけれど、ちゃんと手紙を書けるほど習字が上手くはないのです)を取ったのか、その理由は判然とはしません。お母さんが亡くなり、お父さんの生存も絶望的という状況下で、それでも日本に残った私はきっととても大きな間違いを犯している――修学旅行へ出発することで、いよいよその間違いが決定的なものになろうとしている、そんなふうに今の私が感じていることを、おじい様にだけは伝えておきたかったのかもしれません。或いは、ただの言い訳なのかもしれません。いずれにせよそうした理由は悲しいほどに無意味なものなのでしょう――私が幾ら私自身について書こうとも、そこに立ち現れるのは斯くある私ではなく斯くあって欲しい私でしかない為ですが、それ以上に、私は今とても酷いことをしているのだと思います。私の身を一番に案じたからこそ事故後の私のテヴア行きに真っ先に反対したおじい様に、そんな内容の手紙を送りつけるなんて、責任転嫁めいた呪詛を投げ付けるのと殆ど変わらない行いだからです。それでもこうして筆を先に進めてしまっていることをまずは謝ります。ごめんなさい。


 ロケットの打ち上げを見に来ないかという手紙がお母さんから私の元に届いた日、私がおじい様に国際電話をかけたことを、おじい様は覚えているでしょうか。あの時の私は、お母さんのところに行った方がいいか、おじい様に相談したかったというよりは、おじい様に決めて貰いたかったのだと、今となっては判ります。でもおじい様は色々と助言をしてくれながらも、結局最後は明言を避けました。それは私が決めなければ意味のないことだからです。そして私は、行かない、とエアメールでお母さんに返事を送ってしまいました。それが私の過ちの第一歩であることも知らずにです。
 正直に告白すれば、私は昔からお母さんに対して劣等感を抱いていました。お母さんが嫌いであるという訳では無論ありません。むしろ大好きな、自慢のお母さんでした。けれど同時にそんなお母さんのことを――たとえば言葉一つ取っても、日本語と片言じみたロシア語しか判らない私とは全然違って、日本語も英語もロシア語も完璧に話せるお母さんのことを、血が繋がっているとは到底思えない彼方の存在であると私が頭の何処かで常に感じ続けていたこともまた、紛れもない事実なのです。
 それが、私の足を踏みとどまらせた理由でした。
 つまらない理由だと、書いている私ですら思います。すべての源に私の弱さがあったのは間違いのないことです。しかしそうであったとしても、と言うよりも、そうであったからこそ、それはもう乗り越えがたい壁として私の前に立ちはだかっていたのです。そうして私はいつしか一つの問いの周りをぐるぐると旋回するようになりました。完璧すぎるほど完璧なお母さんの、どうしようもなく不完全な娘。どう見ても日本人ではありえない、しかし日本語が母語の女の子。そして今、唯一故郷と言えそうな地と、そこに住む家族すら失いつつある私。
 おじい様。私は一体、誰なのでしょうか。


 でも、笑わないでくれたひとがいたのです。何気ない会話の中でふと漏らしてしまった、私のもう一つの名前を聞いても、決して笑わず聞いてくれたひとが。
 私のロシア語名が日本語の語感においては異常に大仰に聞こえることを、日本のひと以上に日本語に堪能なおじい様は知っている筈です。私の見かけとあまりにもかけ離れたその名前を、初めて聞いたひとはいつも笑いました。無論そうしたひとたちに悪意がある訳ではありません。それどころかひとのすることは何事も根っこには悪意はないと私は思います。でもそう判ってはいても笑われるのはつらくて、そんな体験を幾度かした後、私は決めたのです。この名を他人の前で口にすることは何があってもしないようにしようと。
 そんな固い決意があったにも拘らずその名を口にしてしまったのは、多分、私が彼のことを好きで、二人きりになって舞い上がってしまったからでした。ある晩春の日の夕暮れ時のことです。その頃私は毎日放課後に野球をしていて、その日も遅くまで練習をしていたのですが、片付けに手間取ってしまって、部室を出た時にはグラウンドは無人に近い状態でした。そこに偶々彼が残っており(彼も一緒に野球をやっていたひとたちの一人でした)、一緒に寮までの短い距離を歩くことになったのです。
 不用意にあの名を口にしてしまった後、私は酷い後悔の念に駆られました。私はこうして好きなひとにも笑われるのだ、と思いました。それなのに彼はその名前を聞いても全然笑わないで、そのことに慌ててしまった私の方が逆に、噛みそうな名前でしょう、なんて言って笑ってしまいました。笑われることが多いのであまり言いません、秘密にしておいてください、と頼むと彼はまたもや真面目な顔で頷いたものです。たったそれだけ――でも私は、それだけで嬉しかったのです。とても嬉しくて、嬉しすぎて俄には信じられなくて、わふー、といつまで経っても直らない例の口癖をいっぱい言って、そんな彼のことを私はもっと好きになって(でも私のこの気持ちは彼には伝わりません――彼の隣には、彼と小さい頃からずっと一緒だった素敵な女性がいるからで、それはとっくの昔に諦めたことです)、同時に、彼を慕って集まった沢山のひとたちともとても良い友達になれました。野球をしていたというのもこのひとたちとのことです。
 それが、第二の理由。離れたくありませんでした。彼と離れることなんてできませんでした。そうして私はお母さんの最初の手紙に、行かない、と返事を書き送り、お帰りなさいを待ってるわ、というお母さんが今までで唯一私に頼み事をした言葉にすら、応えないままでいます。


 そういえばおじい様には話したでしょうか。或いは私が言わずともお母さんから聞いたでしょうか。返事の手紙を送った後、お母さんとは電話で話をしました。お帰りなさいを待ってるわ、とはそこでお母さんが私に言ったことです。
 思えばお母さんは――私の自慢で、同時に劣等感の原因ともなっていたお母さんは、私に何一つ求めることをしないひとで、だからといって酷い母親だったという訳でもなく私にはいつも優しくて、私はそうしてお母さんがもたらしてくれた自由の恵みを存分に受け取って育ってきた筈でした。変な風に捻じ曲がった気持ちを抱く必要なんてまるでありませんでした。
 そんなお母さんがたった一度だけ私に投げかけた言葉は、今になって思えば、私が考えていたより何十倍も何百倍も重いものだったのでしょう。だとしたら私はやはり、あの優しいお母さんの娘に値しない、駄目な子であるに違いないのです。今度こそ、それは間違いのないこと。他の誰が否定しようとも、私自身が心の底からそう思い、己が身を責め苛みます――でも同時に考えもするのです。そのことに気付き、判っているのに、何故今こうして修学旅行に出発しようとしているのかと。
 私にはきっとなしうることがありました。お母さんのように立派でない私だから、それはお母さんがするような立派な行いでは決してありません。しかしそれでも世界を動かす歯車の一つになることは出来た筈ですし、またそうならなければならなかったのです。お父さんやお母さんの分まで、私がこの身に災いのすべてを引き受けなければならなかったのです。


 私の人種やお父さんとお母さんの職業を考え合わせた時、Кудрявкаという名前が殆ど不可避的に指示してしまうある史実を、おじい様はよくご存知の筈です。世界で初めて地球の衛星軌道を回った生き物。大気圏再突入が不可能な片道切符のСпутник‐2に乗って打ち上げられ、そのまま宇宙で孤独に死に、Спутник‐2と共にやがて空の果てで燃え尽きた犬。
 先日偶然にも、友人(このひとも一緒に野球をやっている友人たちの一人です)の書いた童話を読む機会がありました。『鳥さん村と獣さん村のお話』と題されたそれは、鳥の村と獣の村の仲たがいを治める為に自ら進んで双方に嫌われ、裏切り者扱いされることとなった蝙蝠の話でした。だから蝙蝠は、せめて皆が寝静まった後の音のない夜空を――あのとても暗く綺麗で、深い青を溶かし込んだ銀幕のような空をだけ独り飛ぶのだ、とその話は結ばれています。獣と鳥の、いずれの特徴をも持つが故に、どちらにもなり切れなかった蝙蝠。彼が獣や鳥たちにしてあげられるのは、そんな風に生贄めいた形で、世界が上手く動いていくようにその歯車となることのみなのでしょうか。
 それしかないのだと、そう思えてなりません。
 とはいえ夜空は美しいものです。蝙蝠は元々暗いところが好きだった訳で、夜空を自由気侭に飛び回ることができるなんて実は案外幸せだったりするのかもしれません。ところで、おじい様は覚えているでしょうか――私の愛用する髪留めが、蝙蝠を象ったものであることを(全然関係ありませんが、日本では蝙蝠は珍しい生き物なのでしょうか。日本に来てから何度もこの髪留めについて訊ねられ、そのたびに、日本ではどうかは知らないですけど他の国には蝙蝠はいっぱい居て、身近な生き物で、私は可愛いと思います、などと答える機会がありました)。私はどうしても、チケットを返さずにテヴアに赴いて、蝙蝠のように居場所のない、蝙蝠のように中途半端な私が、蝙蝠のように生贄になればよかったのではないかと思ってしまうのです。そのままの意味でのНи пуха,ни пераという訳です。そうすれば蝙蝠のように、歯車の一つとして世界を平穏に保つことの役に立てます。お父さんとお母さんは死なずに済んだかもしれません。お父さんとお母さんを救うことができなくても、それ以外の多くのひとを救えたかもしれません。それはおそらく、私にとっても、みんなにとっても幸せなことです。
 Кудрявка、私の名に刻まれた運命と共にこの身が朽ち果てれば。


 私は想像します――事故発生の一報と共にテヴアに入国した私は、瓦礫の山と暴徒と化した人びとと血の海の中を彷徨います。その間、送信制限をかいくぐって、日本にいる好きなひとや仲の良い友人たちに、何度かメールを送るかもしれません。可能なら電話もかけるでしょう。やっぱり声を聞きたいからです。やがて私は、追っ手から逃げながらなんとか生き延びていたお母さんと再会します。再会を喜びあい、お父さんも無事だとお母さんから聞かされて、私は殆ど泣きそうです。しかし私たちは捕まってしまいます。お母さんのせいだとひとは言います。事故の理不尽さや、皆の失ったものの大きさを考えれば、もうどうなっても仕方ないのかもしれません。だから私は神に捧げられる生贄――神様ならばなんとかしてくれるかもしれない、何処かにいる神様がきっと助けてくれるに違いない、そうひとが祈り願う為の人柱の役割を担います。地下牢に閉じ込められ、折れ曲がって痛みも感じなくなった血塗れの腕を錆びた鎖に吊るされ、擦り切れた背を硬い石の壁に押し付け、頭を上げる力すらなく項垂れて、足元からひたひたと上昇する水位をただじっと見つめるだけの存在になります。それから随分と時間が経ち、感覚の殆どが消えて体内時計も狂い切ったある時のことです――外が晴れたらしく、高みの天窓から縞模様の光が眩しく射し込みます。胸まで上がっている水を濁らせていた金色の砂は、青い水底にゆっくりと沈み始めます。すると次の瞬間、鏡のように、硝子のように、水晶のように冷たく透明に漲り、静かに波紋を沸き立たせていた水面が、不意に陽の光を鮮やかに照り返して、きらきらと、とても綺麗に輝き出すのです。まるで銀を掻き砕いたみたいに綺麗に輝くのです。それはそれは美しい光景です。そして私はそこにくっきりと映し出された自らの顔を眺めながら、嵩を増す水に飲み込まれて溺れ死ぬのです。
 それできっと、私は満足です。


 しかし現実の私はそんな道は断固として辿らなかった私で、修学旅行を明日に控える身です。悔やんでも悔やみ切れない気持ちと、好きなひとの為に何もかも見捨ててしまった罪とを抱え込んだ、自分勝手で役に立たない子です。修学旅行から帰ってきて、今度こそテヴアに行きたいと私がもし言ったら、おじい様はどんな顔をするでしょうか。尤もこれも意味のない問いかもしれません。その覚悟と決意とがなかったからこそ、修学旅行に旅立とうとしている今の私がいるからです。
 この手紙は明日、バスに乗る前に校門の傍のポストに投函します(できなかったら修学旅行二日目の自由行動の日にポストを見付けます)。だからおじい様がこれを受け取った時、私は既にあの事故を前にして遂に何もできなかった人間として存在しています。ごめんなさい。私はもうどうすることもできません。


 それではおじい様、お元気で。乱筆の程をどうかお許しください。


 Кудрявка Анатольевна Стругацкия


[No.157] 2008/02/08(Fri) 21:38:30

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