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No.206へ返信

all 第6回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/03/26(Wed) 23:51:21 [No.201]
頭が春 - ひみつ@ちこく - 2008/03/29(Sat) 04:38:49 [No.213]
それはとても小さな春 - ひみつ 甘@遅刻はしたけど間(ry - 2008/03/29(Sat) 02:03:12 [No.212]
春秋 - ひみつ@遅刻 - 2008/03/28(Fri) 23:46:30 [No.211]
葉留佳の春の悲劇 - ひみつ - 2008/03/28(Fri) 23:27:42 [No.210]
最後の課題 - ひみつ - 2008/03/28(Fri) 22:05:49 [No.209]
ほんの小さな息抜き - ひみつ - 2008/03/28(Fri) 21:58:39 [No.208]
宴はいつまでも - ひみつ - 2008/03/28(Fri) 21:57:58 [No.207]
はなさかきょうすけ - ひみつ - 2008/03/28(Fri) 21:57:57 [No.206]
春の寧日 - ひみつ - 2008/03/28(Fri) 21:56:39 [No.205]
春の朝 - ひみつ - 2008/03/28(Fri) 17:14:22 [No.204]
少年、春を探しに行け。 - ひみつ - 2008/03/27(Thu) 21:20:32 [No.203]
感想ログとか次回とかー - 主催 - 2008/03/30(Sun) 01:35:31 [No.216]


はなさかきょうすけ (No.201 への返信) - ひみつ


 ――俺たちの気づき上げてきた繊細微妙な関係を、ありふれた型にはめられてたまるものか。

 (新釈 走れメロス/森見登美彦)




 はなさかきょうすけ




 直枝理樹は感奮した。彼が望むのならば何処までも共に走らねばならぬと決意した。
 桜もまだ咲いていなかった昨日、つつがなく卒業式が行われた。春の風物詩のようにも感じられる卒業式に、しかし桜は咲かない。雲間からわずかな太陽が顔を出しただけの『春の陽気』が祝辞の挨拶に謳われようと、春は決して訪れてはいない。寒々とした冬空は、惜しむように頭上に残っている。おそらく数週間後にやってくる入学式で、ようやくの春といったところであろう。
 冬ならば誰であろうと、寝起きの寒さの中で布団から抜け出すのは至難の業である。というのは寝坊した時の棗鈴の言い訳であるが、その早朝の極寒の中、理樹が布団から勢いよく飛び出ることが出来たのは、耳元で理樹の名を呼んで囁いた男が原因に他ならなかった。
「おはよ……」寝ぼけ眼をこすりながら理樹は言った。「どうしたの恭介?」
「理樹。俺の話を、聞いてくれるか」
「うん。聞く聞く。でも、ちょっと待ってて」
 理樹はそう言ってタオルを持ち、部屋を出て、冷たい水で顔を洗った。ぼんやりとした思考をきゅっと引き締め、水垂れ流しの蛇口も締め、部屋へと戻る。
 恭介は真人の壮大に過ぎるいびきの中に佇み、ダンボールのテーブルを前にして正座していた。反対側へと理樹も座る。
「おっけだよ。それで、恭介、話って?」
「お前も知っての通り、俺は昨日卒業式を終えて、今日卒寮式を迎える」
「うん……」
 瞬時、理樹の心はずんと深爪よりも深く沈んだ。決して避けられぬ別れ。明日にも恭介の姿はこの学校からなくなるのだ。
「そんな悲しい顔をしてくれるなよ。……なぁ、理樹?」
「うん……。ごめん」
「理樹」
 恭介は立ち上がって窓に近づき、そっと少しばかりの隙間を開けた。澄み切った朝の空気が部屋に満ちては頬を撫でる。
「出会いと別れは春のものだ。しかし、春はまだここには訪れていない。そう、理樹は、思うか?」
「そうだね。まだ、結構寒いし」
 理樹も立ち上がって隣に立ち、恭介を押しのけ、窓を閉めた。いきおい視線を隣へと投げやると、恭介は手を口にふふふふふと様になりすぎて気持ち悪く笑っていた。
「理樹、けどな、それは違う。春はいつでも俺たちと共にあった。お前もそれを、知っているはずだ」
 理樹はしばし考え、言った。
「いや、ほら、まだ寒いし。桜も咲いてないし。その内ちゃんと春も来るよ」
「だから、そういうのとは違うって言ってるだろうよぅ。……いいか、理樹、俺たちは常に青い春と――そう、『青春』と共にあった。なあ、そうだろう?」
「そう……なの、かも、しれない、ね」
 吐息が吹きつけ、唾がかかるほどの距離で熱弁する恭介から一歩離れる。
「俺は明日この学校からいなくなる。それは仕方のないことだ。だが、その前に、俺はこの学校に、みんなに、幸福な桜色に彩られた春を残したい。残された俺の青春で、一足早く、桜色をばらまきたい。桜はたとえ散るだけであろうと咲く。……残念だが、俺には桜のように何度も花を咲かすことは出来ない。だけどな、それならば一度きりでも、俺はここに永久に残る桜色を残していきたいんだ」
 ――それが、この俺の最後の青春だ。
 ルームメイトの筋肉の権化が筋トレ中にうっかり突っ込んで作られた、ドアの隙間から漏れ来る細々とした風が寒いわけではなかった。この時、確かに、理樹の心は震えていた。まくし立てられた言葉の意味するところは余りくみ取れてはいなかったが、それでも、感動に打ち震えていた。寒い朝早くから起こされて少々怒っていた気持ちも、半分くらいは何処かへと消えた。
「理樹、俺と一緒に走ってはくれないか」
「え、走るの?」
「ああ。マラソンや体育祭の最後を飾るリレー、そしてメロスにしろ、走ることは友情の証明であり、青春なんだ」
 そう言われればそんな気もするというのは得てしてあるものである。なるほどと応える理樹へ、びしゅりと無駄に空気を華麗に裂いた恭介の手が差し伸べられる。
「全力全開、いや、全力全壊でこの青春―イマ―を駆け抜けるぞ!」
 理樹は静かにその手を握りかえした。明日にはもう、しばらくは触れることがなくなる手なのだと思うと、握る力も一層に強くなる。青春や友情、そういったものをその手の内に掴んだ気がした。
 ――恭介。
 理樹が言葉をかけようとした瞬間、ぐるるるると間の抜けた音が理樹の腹部から響き渡った。
「腹が減っては戦は食えぬ」
 恥ずかしそうに身をかがめる理樹の上で、ぽつりと恭介は呟く。何かナチュラルに間違えているが理樹は恥ずかしさのせいで気づかない。「何か、ちがわねぇか?」と寝言で筋肉真人が突っ込んでいたが、これも気づかれることはなかった。
「とりあえず、学食に行くか」
「う、うん。ごめん。そういえば、まだ朝ご飯も食べてなかったよ」
「では理樹。この部屋から出る前に、俺たちのラスト・ランの為のユニフォームに着替えよう」
 ドアノブに手をかけ、半分ほど戸を開いていた理樹の手が止まる。振り返り見た先には、漫画やアニメの如く恭介の制服の上着が宙を舞う。ものの数秒程度、停止した世界のベールをくぐって、恭介は現れた。
「行くぞ、理樹」
 ――理樹の手の内から、青春や友情が飛散した瞬間である。
 後光すら差しそうな空気を纏ったその顕現は――ブリーフ一丁であった。しかも桜色。何も恥ずべきところはないと訴えるように、桜色ブリーフ一枚、恭介は一人、胸を張る。
「俺の『桜色』を、この学校中に咲き誇らすぞ!」
 述べながら一歩踏み出した恭介の体は軽く宙を飛び、部屋の中へと叩き戻された。これまでの生涯の中でも最大級の蹴りをくれた理樹は、何事にも目をくれず廊下を走り出す。
 追っ手となるはすがるような恭介の声。
「り、理樹っ。待つんだ! お前の走りたいその衝動はわかるが、お前はまだこの桜色ブリーフをはいていないじゃないか!!」
「違うから! 断固違うから!」
 前を向いたまま叫び理樹は疾走する。走りたい衝動って何だ。走っているのにそんなものわかりもしない。ああ、そうなのだ。――逃げたい。ただ、それだけだ。
 駆ける理樹がはっと気がついた時には、廊下の終わりが見えていた。学食の入り口の先。少し中に入ったところでお盆を抱え、こちらに気づいたようにしている少女と目が合う。
「鈴!」
「どうした理樹。朝からそんなに血相を変え、て……うにゃあああああ!!」
 咆吼と共に投げられたお盆を間一髪避け、振り返った数秒の景色の中に理樹は見た。わけのわからぬほど頬を緩め、頬を染め、大きく右手を振りながら駆けてくる、まがうかたなき桜色の変態。
「いっやほぅっ! 恭介、最っこ――んぶっ!」
 お盆が直撃する。言葉も途中で途切れ意味がわからない。変.態.恭介は昆布なのか?
「理樹っ。なんだあの変態は!」
「鈴のお兄さんだと思うよ」
「……お前はあたしにこれ以上生きるなと言いたいのか?」
「強く。強く、生きてよ」
 むりっぽい……。悲痛な鈴の呟きが食パンと共に学食の床に零れ落ちる。
「どうしたんだ? 朝から騒がしいな」
 いつの間にか姿を見せていた謙吾が話に加わる。ひょいと覗かせた視線の先で恭介は大の字に、破廉恥きわまる桜色ブリーフを咲かせていた。
「いや……すまない。『どうしたんだ?』ではないな。これは何事もなかったことにすべきなんだな」
「謙吾ぉぉおおっ!」
 どうやら復活したのか、恭介は手招きしながら謙吾を呼びつけた。どう考えても行ってはならない暗黒面からの招待。しかし引き留めようとした理樹に親指を突き出し、清々しい夏の蒼穹を思わせるような笑顔を浮かべ、謙吾は一歩踏み出す。
 ――謙吾が道着を空中に投げ、桜色のフンドシ一丁となったのは、恭介と会話を始めて一分と立たない間の出来事であった。
「理樹ぃぃいいっ!」
 もはや破廉恥の遙か彼方に存在する二つの生物に同時に名を呼ばれ、思わずびくりと全身が震える。
 足が竦み、周りの視線に痛みすら感じた。それでも立ち止まるわけにはいかなかった。振り絞るように自らの足を叩き、転びそうな足取りで駆け出す。
「走れ、理樹!」
 彼は己を叱咤した。
 降り注ぐような視線の網を突き抜け、走った。生まれて初めての変態を目撃したが如く、未だ信じられぬ、いやなぜ僕まで走らなくてはならない、しかしやはり逃げなければ――様々な思いがくちゃくちゃに駆けめぐって涙を浮かべながら、走った。迫り来る恐怖はほぼ全裸体。むしろそれよりも破廉恥きわまる桜色一丁。謙吾に至ってはどこからか取り出した竹刀を、脇差しのようにブリーフに挟み込む有り様である。何事も考えながら走れるわけもなかった。振り返れば片手を振りながら、狂気の桜色前線が上昇してくるのだ。
 気づかぬうちに逃げ込んでしまった教室棟で、勢いよく曲がり角を曲がった先、誰かと衝突してしまう。立ち止まるわけにはいかず、というかそんなことを考える暇もなく、無我夢中で止めた足を理樹は再び動かす。一瞬見た視界の中には、転んで尻餅をつき黒いショーツを覗かせる少女と、上手いこと避けたらしい少女が立っていた。
「ちょっと、何なんですのっ。一言くらい謝ったらいかが!?」 
「宮沢さんの噂に聞き惚れてぼーっとしていて、避けられなかった佐々美の不注意ではないの?」
「みゆき、あなたは黙っていなさい! ああ、そう、それよりその噂本当なのかしら。あの宮沢様がそんなことぅお――」
 語る少女、笹瀬川佐々美の口を巻き舌にしたのは他でもない、噂のそのまさに対象が、桜色フンドシ一丁という囁かれていた勇姿そのままに現れたからであった。おまけに竹刀のオプション付きである。
「み、宮沢様」「み、宮沢さん」
 呼びかけにほんの一瞬、謙吾が振り返り、桃色の笑みを二人に送る。
「そ、そんな」
「す、素敵ですわ……」
 二人の少女は奔走する桜色双璧の片翼、宮沢謙吾をつてに親密となった間柄である。一瞬顔を見合わせた後、恍惚とした表情でダブルノックダウン。廊下にはじわじわと、桜色よりも遙かに濁った、(鼻)血の海が広がっていった。
 ――さておき、逃げる理樹である。
 彼とて血の涙を流したくて仕方がないが、やはりそういうわけにもいかない。うっかり逃げ込んだ教室棟で、もしかしたらと頼りにしていたリトルバスターズの面々も、全く役には立たなかった。
「葉留佳君、今日は何かのお祭りなのか?」「いや姉御、理樹くんの表情を見るとそうじゃあないんじゃないかなぁと思いますヨ?」「わふー、ファイトですっ」「クドリャフカ。あなたは誰の応援をしているの?」「……もしもこの後、直枝さんがあの二人に捕まったら……」「わわわっ、みおちゃん、大丈夫?」「すみません、神北さん。……少しばかり、桃源郷の空気に眩暈がしただけです」
 好き勝手な言葉を聞きながらも、理樹には休む暇などない。理樹は自分の限界を超える走りをみせていたが、相手はあの恭介と謙吾、普通に走っても理樹よりは素早く、おまけに今日は変態ブースター付きである。転がるように逃げ出た中庭で、ついに理樹は追い詰められた。
「どうしちゃったんだよ、謙吾ぉ!」
 理樹の悲嘆な叫びが響く。
「お前も、恭介の話を聞いたんだろう?」
 理樹が思い出したのは、あの一時の自分であった。たとえ僅かな時間であろうと、何処までも共に走らねばならぬなどと決意した自分を猛烈に後悔する。
「謙吾、恭介の姿を見て目を覚ましてよぉ!」
「お前だって、理樹、恭介の言葉に胸が震えただろう! さあ、共に桜色をこの学校に咲かそう。友情も青春もここにある。このフンドシやブリーフだって、恭介が夜通し染め上げたものなんだぞ?」
 よせやい、などと照れたように頬を掻くほぼ全裸の男の姿に、理樹はほとほと絶望した。この世界の諸々全てに絶望した。ああ、もう自分はどうしようもないのだろう。このまま桜色ブリーフを身に纏い、猥褻物陳列罪となるよりほかないのだ。夜っぴて自らの手で染めてこのようなブリーフを準備する変態を、どうして自分が止められるだろうか。
 理樹が思考を手放しかけ、覚悟を決めたその時であった。
 眼前の謙吾の首が、鈍い音と共にほぼ直角に折れ曲がる。謙吾の倒れて開けた視界には、肩を上下させて怒り心頭といった様子の鈴がいた。
「どうした、鈴」やんわりとした口調で恭介が言う。
「――は、そうか。そうだな。お前だけ仲間はずれには出来ないな」
 ちょっと待っていろとブリーフの中に手を突っ込みかけた恭介に蹴りが飛ぶが、すんでの所で受け止める。
「鈴、兄妹とはいえ、お前とじゃれ合っている時間はないんだ。俺たちは一刻も早くこの桜色で学校を駆け抜けなければならない。みんなの心の桜として、散るよりも早く、少しでも咲き誇るために」
 ああ良い事を言ったと、まるで自分の言葉に酔いしれたように恭介は目を閉じ、そしてそのメンバーにすでに含まれているだろう事実に、理樹の心持ちはますます暗澹へと沈んでいく。
「あほか」
 心底あきれ果てたような口調に、さながら空気が固まり、理樹も恭介も瞼をからりと開け放って鈴を見る。
「そんなに走ったら、枝が揺れたり風が出たりで逆に桜の花散るだろうが!」
 驚愕の新事実といわんばかり、恭介たちは顔を見合わせる。
 ――嗚呼、そう言われればそうか。
「いや、突っこみどころそこなのか?」
 むきむきと現れたのは筋肉達磨こと寝坊していた真人であった。落ち着け鈴、と小さく呟き、至って冷静に、むしろ若干引き気味に指を指し、
「こいつら、怖いぐらい、変態だぞ?」
 今更のように、男たちは自分の姿を鑑みる。
 生まれたままの姿の上半身。
 若干の盛り上がりを持つブリーフ。
 おまけに桜色。
 変態。
 ――嗚呼、そう言われればそうか。
 勇者たちは酷く赤面した。その色はブリーフの破廉恥色よりもまして、美しい桜色であったという。







 おわれ。






【参考・引用元】
『新釈 走れメロス』 / 森見 登美彦


[No.206] 2008/03/28(Fri) 21:57:57

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