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No.226へ返信

all 第7回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/04/09(Wed) 22:56:46 [No.217]
猫は笑顔を求める - ひみつ 初、甘、遅刻 - 2008/04/12(Sat) 16:48:51 [No.235]
ある現実。 - ひみつ@初 - 2008/04/12(Sat) 14:30:58 [No.233]
私の幸せ - ひみつ@ちょいダーク - 2008/04/12(Sat) 05:43:01 [No.232]
幸薄い - ひみつ@ぢごく - 2008/04/12(Sat) 05:20:04 [No.230]
願い事ひとつだけ - ひみつ - 2008/04/11(Fri) 23:01:20 [No.229]
儚桜抄 - ひみつ - 2008/04/11(Fri) 22:15:05 [No.228]
幸多き妄想の海にて少女はかく語りき。 - ひみつ - 2008/04/11(Fri) 21:52:10 [No.227]
ただ「生きる」ということ - ひみつ@容量越えのため厳しくお願いします - 2008/04/11(Fri) 21:48:46 [No.226]
幸福論 - ひみつ - 2008/04/11(Fri) 21:05:59 [No.225]
恭介の一問一答 - ひみつ - 2008/04/11(Fri) 03:53:14 [No.224]
[削除] - - 2008/04/11(Fri) 03:51:42 [No.223]
個人の力は無力に近し - ひみつ - 2008/04/10(Thu) 23:03:31 [No.222]
棗家スタイル - ひみつ - 2008/04/10(Thu) 19:19:51 [No.221]
シアワセの在り方 - ひみつ - 2008/04/10(Thu) 11:56:52 [No.220]
[削除] - - 2008/04/10(Thu) 11:49:33 [No.219]
感想ログと次回と - 主催 - 2008/04/13(Sun) 02:33:14 [No.236]


ただ「生きる」ということ (No.217 への返信) - ひみつ@容量越えのため厳しくお願いします

 強さってなんだろう?
 そんな疑問を昔、抱いたことがあった。それを思う時、決まって僕の頭の中にはあの人の顔が浮かんでくる。棗恭介きっと僕にとっての強さの象徴は恭介だったんだろう。でも、その恭介はもういない。だから僕は、あの世界で託された手を決して離さないと誓った。その手を──鈴を、守ろうと誓った。笑わせようと誓った。皆のことを決して忘れないと誓った。そう、たしかに誓ったんだ──。




「直枝、おい、直枝っ!」
「は、はい!」
 僕は、突然聞こえてきた怒鳴り声に椅子から転がり落ちそうになった。バクバクと少しだけうるさい胸に手を当てながら声のほうに振り向くと、そこには呆れ顔でたっている先輩の折原さんがいた。
「どうした。居眠りでもしてたか?」
「いえ、そういうわけじゃないです」
 椅子座りなおしながら曖昧な笑みを浮かべて答える。そんな僕の様子に折原さん「ふーん」もらすと隣のデスクに腰掛けた。それを横目でちらりと眺めた後、目の前にあるディスプレイへと視線を移す。
「直枝がうちに来て、もう……半年ぐらい経つか?」
「そうですね。ちょうどそれぐらいだと思います」
「早いよなー。時間が経つの」
 その声と同時に隣からギィという椅子の軋む音が聞こえてきた。そちらをちらりと見てみると、折原さんが椅子に盛大に凭れかかっていた。
「たしかに早いですよね」
「初め、おまえ、使い物になるのかどうか不安だったけど、いや、頼りになる後輩になってくれて俺はうれしいね」
「あ、ありがとうございますっ」
 僕は、その言葉を聞いて頬が熱くなっていくのを感じた。折原さんにはおそらく入社以来、多大な迷惑を掛けて来た。僕は昔からわずらっているナルコレプシーのせいで折原さんには、多分相当な苦労をかけただろう。嫌な思いをすることだってあっただろうに、それでも何も言わず僕をここまで育ててくれたことに深く感謝していた。そんな折原さんに認められているということが、素直に嬉しかった。
「おう、俺にもっと感謝しろ。……ああ、そういや奥さんは元気か?」
「はい? ええ、元気ですよ。どうしたんですか?」 
「いや、うちのカミさんがな。また会いたいってよ」
 その言葉を聞いて、以前見た折原さんの奥さんのことを思い出す。柔らかそうな笑顔をした優しそうな人だった。
「そうなんですか?」
「ああ、どうもおまえの奥さんのこと気に入ったらしい。まぁ、あいつ一人っ子だから、妹みたいに思ってるんだろう」
「……妹」
 その単語を聞いて、僕の脳裏に恭介の顔が浮かぶ。
「大学卒業して、すぐ結婚したんだよな」
「はい、そうです」
「新婚真っ只中だな。大事にしろよ。奥さんのこと」
 折原さんは言いながら僕の肩に腕を回して髪をガシガシと撫で回す。その顔は、ニヤニヤと笑っている。もういい歳なのに(本人の前では口には出さないが)折原さんは、こういう子供っぽい所があって、いつでも隙あらば僕をこうしてからかって来る。僕は折原さんに抵抗しながら、心の中で強く頷いた。だってそれが──鈴を幸せにすることが僕の生きる意味なのだから。
 大学を卒業して、すぐ鈴と籍を入れて二人で暮らし始めた。その毎日は充実していると言っていいと思う。鈴と鈴の拾ってきた猫に囲まれてすごす日々は、僕に力をくれる。だから、誰に言われるまでもなく僕はその暮らしを守ろうと思った。仕事をこなしてクタクタの体で、鈴の待つ家に戻る。そこには鈴の笑顔がある。それは僕にとって掛け替えの無いものだったから。だから、守るためなら、どんなことでもすると決めた。でも。
 でも、時々怖くなることがある。振り返ることを許さない多忙と充実の毎日は、僕の記憶をすり減らしていく。僕の中であの時の記憶が、ドンドン朧気になっていく。それが堪らなく嫌で怖かった。
 でも、その思いすら僕は忘れていく。その気持ちすら忘れて、僕は前を向いて生きていく。
 






 それから月日は滞りなく流れていっていた。僕は、今の生活に何の疑問も持っておらず、ずっとこんな生活が続いていけばいいのに、と本気で思っていた。頼りになる先輩。やりがいのある職場。それから……まだちょっと照れるけど……可愛い奥さん。もし世界が大きな歯車で僕たちが小さな歯車だとしたら、僕の毎日は世界とうまく噛み合っているように思えた。順風満帆。だから僕は、あの時の気持ちすら忘れていることにも気づいていなかった。
 そんなある日、いつものように会社に出社してきたあくびをかみ殺しながらドアを開けた。
「おはようございます」
 その挨拶を聞いて、既に会社に来ていた人たちがまばらに挨拶を返してくれる。僕は、それにもう一度挨拶し直しながら自分のデスクへと向かう。ふと、その途中折原さんの姿が見えた。その隣には、折原さんより少しだけ年上に見える男性が並んで話をしていた。よくよく目を凝らしてみると、その男性はこの事業部のリーダーを任されている人だった。僕は、そちらへ歩いていくと二人に挨拶をする。
「おはようございます。折原さん、リーダー」
「ん? ああ、直枝か。おはようさん」
「直枝君、おはよう」
「……どうかしたんですか?」
 二人は、挨拶をすると僕から視線を外して前方にあるホワイトボードを渋い顔で見つめた。僕の声を聞いたリーダーが困ったような顔になって「うん、ちょっとね」と言ってくる。そのリーダーの言葉を聞いて、隣にいた折原さんが盛大なため息を吐いた。
「あのな。この前漸く、納品が済んだ仕事覚えてるか?」
「あ、はい」
 この納品が済んだ仕事といえば、かなり大掛かりなプロジェクトだったはずだ。たしか終わった時には皆で喜びあったので覚えてる。
「それがな。どうも先方で不具合が見つかったらしい」
「え? それじゃぁ」
「ああ、手直しせにゃならん。しかも納期も明日の夜までときてる。最悪だ」
「……あの、僕に何か出来ることありませんかっ」
 気がつけば僕は、折原さんにそう尋ねていた。まだ入社して半年の僕に出来ることなんて高がしれているけど、なんとか会社の役に立ちたかった。きっと僕は早く一人前になりたかったのだ。早く一人前になって、大人になって、鈴を幸せにしたかった。
「いいのか。そんなこといって。正直、かなりの強行軍だぞ。最悪明日の夜まで家に帰れないかもしれないぞ」
 折原さんは、意地悪そうな顔になって僕にそんな脅しをかけてくる。そんな折原さんを見すえながら「かまいません」と答えた。そうかまわない。キツイのも、辛いのも承知の上だ。僕は強くならなければならないのだ。鈴を守れるぐらい。そう誓ったのだから。その僕の意気込みが伝わったのか、折原さんはふぅっと短く息を吐き出すとポンと僕の肩に手を置いた。
「よし、んじゃ頼んだぞっ!」
「はいっ」
 それからの時間は、折原さんの言葉通り地獄だった。休憩を取る時間もなければご飯を食べる暇すらない。部署全体にカリカリとした雰囲気が漂い、皆愚痴をいいたそうにしながらも、結局その時間すら惜しいとディスプレイを睨みつける。それは僕だって例外じゃなくて、出来ることがあればどんなことでもやり目の回るような忙しさだった。だから、それに気づいたのは深夜と言っても差し支えない時間帯になってからだった。
 作業がとりあえずの一区切りを迎えた夜23時。皆で出前を頼んでいる時、僕は何気なしにデスクに置いていた携帯電話を手に取った。そして、液晶画面に浮かんだ着信20件という数にギョッとした。慌てて携帯を操作して着信履歴を見てみると、全て同じ発信者──鈴から掛かってきていた。その時、ふいに携帯が震え始めた。液晶画面には鈴の文字。多少、驚きながら通話ボタンを押すと、電話口から怒り心頭といった怒鳴り声が聞こえてきた。
『はよでろやぼけーーーーーーーーーーーーーー!!!』
 そのこちらの鼓膜を破りかねない声量に、僕は思わず携帯を耳から離す。その間も、鈴の怒鳴り声が聞こえてきている。そこで漸く鈴に遅くなると連絡することを忘れていたことに気づいた僕は、頭を抱えたくなった。
「り、鈴、その……ごめん。謝るから落ち着いて、うん、このままだと耳キーンで話せないから」
『うるさいっ! そんなことはいいから早く帰って来いっ!』
「む、無理だよっ! あのね。ちょっと今納期が明日までの仕事してて今日は帰れそうにないんだ。伝えるのが遅くなってごめんっ」
 ああ、我ながら凄く言い訳臭い。こんなんで鈴が許してくれるわけないな、なんて思いながら携帯越しに聞こえてくるであろう怒鳴り声に、体を硬くして身構えた。けど、怒鳴り声はいつまで経っても聞こえてくることはなかった。その変わりに受話器は鈴の息が震える音を伝えていた。
『──いやだ』
 少しの沈黙の後、鈴のそんな言葉が聞こえてきた。僕はその言葉に、ぐっと胸を掴まれたような気がした。その声色は、まるで──昔に戻ってしまったかのように、どうしようもなく弱かった。
「鈴?」
『いやだ! 理樹、頼む。お願いだ。もう我侭だって言わない。理樹の言うことなら、これからなんだって聞く。だからお願いだ。帰ってきてくれ。だって今日は──』
 その後に続いた言葉を聞いて、僕は頭をハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。


 ──だって今日はアイツらの命日じゃないか──


 僕らは前を向いて生きていくと決めた。強く生きていくと決めた。僕は、普段皆の話をあまり口にしない。だからこそ、皆の命日には昔のことを一杯話そう、感情の赴くままに笑い涙しようと決めていた。それは別に話し合って決めた訳ではないけど、僕の鈴の中で暗黙の了解として取り決めされていた。それなのに……ああ、なんで忘れてしまっていたのだろう。忘れないと誓ったはずなのに。今からでも遅くない。まだ日付が変わるまで少しだけど、時間はある。けど……。
「直枝、なんか怒鳴り声が聞こえてたような気がしたが……どうした?」
 いつの間にか隣に来ていた折原さんが、心配そうな表情で僕のことを見ていた。僕はその折原さんを見つめた後、その背後に視線を送る。そこには出前を待ちながらも仕事を続ける職場の皆の姿があった。一区切りをしたと言っても、未だ残っている仕事は山盛りで、皆一様に疲れた表情をしている。僕は、皆のそんな様子を見て、ぐっと奥歯をかみ締めた。ギリっという嫌な音が頭の奥で響く。
「鈴、ごめん」
『!? なんでだ! 今日ぐらいいいじゃないか!? 理樹、おまえはもう皆のことがどうでもいいと思ってるのか!?』
「そんなわけない。そんなわけないけど……でも──仕方ないじゃないか」
 今まで電話というのは、とても便利なものだと思っていた。でも、その時になってはじめて知った。相手の表情が見えない。それ故に、取り返しの付かない言葉さえ平気で口から出てしまうものなのだと。受話器越しに、鈴が息を呑む音が聞こえてくる。次いで必死に嗚咽をかみ殺している声が漏れてきて、僕の鼓膜を打つ。それを聞きながら自分のバカさ加減を呪った。仕方ないなんて、言ってはいけないことだったのに。
『……理樹』
 鈴はポツリとか細い声で僕の名を呼ぶ。その声はどうしようもなく弱くて、まるで迷子の言葉のようだった。そんな鈴に何か言おうとするけど、どれもただの弁明臭くて喉に引っかかり、声にはならなかった。
『……理樹、お願いだ。皆を殺さないで』
 その言葉と共に着信は終了した。僕は、鈴の声が聞こえなくなってからも呆然と携帯を耳に当て続けていた。やがて、もう鈴の声を拾うことはないことに気づくと携帯をデスクの上に投げ出す。
 ああ、僕は何がしたかったんだっけ。
 考えが纏まらない。
 鈴が泣いていた。
 なら傍に言ってあげないと。
 思考が散り散りになる。
 なのに、なんで僕はここに残っているんだっけ?
 ああ、そうだ。仕事だ。仕事をしないと。
 漸く、そんな結論を導き出すと僕はディスプレイへと視線を向けようとした。けど突然、肩を掴まれ体を横へ向けられた。そこには折原さんが見たこともないような真剣な顔をして僕のことを見ていた。
「直枝、どうした? 何があった?」
「なんでも……ありません」
「なんでもないことないだろ。さっきの怒鳴り声、鈴ちゃんだろ?」
 鈴。その言葉を聞いて、頭がズキリと痛む。
「なんでもないです。仕事しないと。強く……強くならないと。そう誓ったんだから」
 まるで熱病に浮かされているように、そんなことを口走っていた。でも、こんなのが僕の求めた強さなんだろうか。ねぇ、教えてよ。ねぇ、恭介──。その時、ふいに頭上でゴンっという音がした後、鈍い痛みが走った。突然の痛みに驚いて辺りを見渡すと、隣にいる折原さんが手をヒラヒラと振っていた。
「直枝、おまえ意外と石頭なんだな」
「お、折原さん、何するんですか!?」
 頭を押さえながら声を上げたけど、折原さんは動じるでもなく一度、深くため息をついた。
「あのよ、直枝。おまえさっき強くならないと、とか言ってたけど、なんだそりゃ?」
「え? それはだって……僕はまだまだ未熟だし、早く仕事を覚えて大人になって、強くならないと」
「纏まってねぇな。よし、んじゃ俺がきっちり纏めてやるよ。なぁ、直枝、なんで強くならなきゃいけない?」
「え?」
 その質問に僕はギクリとした。思えば、そんなこと考えたこともなかった。ただ、強く、強くならないと僕はそれだけしか考えていなかった。
「俺も偉そうなこと言えるほど、大した奴じゃないけどよ。強くならなきゃいけない理由。それはさ、大切な人を守るため。その人と笑い合うため。つまり、幸せになるために皆強くなろうとするんだと、俺は思ってる」
 折原さんは、僕を射抜くように見つめながら訥々と言葉を吐き出す。そう、そんなことはわかってる。僕は繫いだ手を離さないよう強くなろうとしたんだ。でも、それなら今の状況は、全然、まったくなってない。それなら──。
「……なんだ。納得言ってないって顔だな?」
「……それなら皆を置いて一人だけ帰るのが、大人だって、強さだって言うんですか?」
「おまえ、アホだろ?」
 僕の言葉を聞いて折原さんは、そういいながらまたため息を吐いた。
「なんのために皆がいると思ってんだ? 半人前の癖に調子にのってんじゃねぇよ。相談しろよ。頼れよ。俺らに! どうしようもないことなら、おまえの穴ぐらい塞いでやる。たしかに俺らは会社ありきではある。ダチではねぇよ。それでもな。一緒に仕事をしている以上、同志ではあるんじゃないか」
 そこまで一気に言い切ると折原さんは、僕の頭に手を置いて乱暴に撫で回した。
「それでも納得できないってなら、先輩命令だ。さっさと奥さんのケツを追っかけにいってこい」
 折原さんはそう言いながら、ドアを指差した。その顔は、子供のように笑っている。何故だろう。その時の折原さんが、全然似てないのに恭介とダブって仕方なかった。僕はギュッと拳を固く硬く握る。それから勢いよく立ち上がると、折原さんに深く礼をした。
「すみません。お先に失礼しますっ!」
「おう、とっとといけ!」
 その言葉を背に受けながら僕は走り出した。







 僕は、走っていた。会社から飛び出して、こっち走り通しで体は重く、息は苦しい。それでも僕は、走るのをやめなかった。僕は、走りながら手に持ったものを見る。それは写真だった。夕焼けの川原でリトルバスターズの皆が写っている写真だった。会社を出て、アパートに帰りつくと、そこに鈴の姿はなかった。ライトがついたままのリビングの机に、この写真が置いてあった。それを見つけた時、僕は胸が詰まった。それを振り切るように写真を掴むと、僕はアパートから駆け出した。その時のことを思い出して、また胸が苦しくなる。唇が震えて呼吸が乱れ、足が止まりそうになる。
【止まるな。そんな暇があるなら足を動かせ!】
 ふいにそんな声が聞こえた気がした。その声に「わかってる」と答えながら足に力を込める。鈴の居場所なんて考えるまでもなかった。今はもう敷地内に入れるかどうかさえわからないけど、それでもきっと鈴はその場所にいる。あの皆の思い出が集まる場所に。

 
 やがてその場所についた僕は、荒い息を吐きながら手を膝についた。そのまま視線だけで前を見てみると、そこには当たり前のように鈴の背中があった。鈴は、普段よりも空が近いその場所──学校の屋上で、夜空に浮かんだ空を見つめていた。本当だったら、ここで鈴の名前を呼びながら後ろから抱きしめられればいいのかもしれないけど、残念ながら息が上がって言葉さえ喋れなかった。こんなことなら真人の持っていたアブシリーズで鍛えておけばよかった。そう思った同時に真人の顔が浮かんできた。その表情は、不適にニヤリと笑っている。僕は、心の中で「わかってるよ」と返しながら、震える足を引きずって鈴へと近づいていく。
「理樹か?」
 その僕の気配に気づいたのか。鈴は空を見つめたまま、話しかけてきた。僕はそんな鈴に、どう話しかけようかと頭の中で言葉を色々と並べてみる。けど、どれも言い訳臭くって結局、僕はシンプルに行くことに決めた。
「鈴……ごめん」
 荒く呼吸を吐き出しながら、それだけの言葉を搾り出す。少しの間、鈴は何も答えずただ空を見ていた。耳に自分の呼吸の音だけが、うるさく響く。
「考えた」
「え?」
「あたし、あんまり頭は良くないが、くちゃくちゃ考えた」
 鈴は、尚も振り向かず離し続ける。僕は、鈴に近づきながら相槌を打つ。
「うん、何を?」
「色々だ。初めは帰って来れない理樹にムカついて、ここまで走ってきた」
「うん、ごめん」
「走ってきて、ここで星を見ながら考えた。そしたらこまりちゃんとここで話したことを思い出した。なぁ、理樹」
「うん?」
「皆のことを、ずっと思い続けて生きる。それは無理なことだと思うか?」
 その問いかけに進んでいた足が止まる。その僕の気配に気づいたのだろうか。鈴は、振り向いて僕のことを見つめた。その瞳は、どこまでも澄んでいる。その瞳を見るのが辛くて、目を逸らしそうになる。けど、すんでの所で思いとどまることが出来た。その目を見つめたまま僕は、止まってしまった歩みを再び動かす。
「そう……だね。それは理想だと思う。でも僕らは前に進まなくちゃならない。でも、進めば進むほど色々なことに精一杯になっていって、後ろを振り返ることを忘れてしまう。変わりたくないと思っていることでも、いつかは変わってしまう。僕らは生きてるんだから」
 言葉を吐き出す胸が痛む。ギシギシと世界とかみ合って回る小さな歯車の僕は、大きな歯車の流れには抗えない。当然だと念じてきたものは、いつしか実行することが困難な理想に成り果てる。形に残らない記憶という思い出は、いつしか色あせていく。
「そうか」
 気がつけば僕と鈴の間にある距離は、ほとんど開いてなくて手を伸ばせば簡単に触れることが出来た。鈴は、僕の瞳を見つめたまま一歩、僕のほうへと近づいてくる。
「理想でいいじゃないか。理想にして思い出していけば、それが何かいけないことなのか?」
「いけなくはない。いけなくはないけど、僕は強くならないと。強くなって鈴を幸せにしないと。そう誓ったんだ……恭介と」
「……そうか。うん、ならいい。なら、おまえは忘れろ。おまえの理想は、あたしが貰ってやる。そんでいつでも思い出させてやる。今日みたいに怒って思い出させてやる。だから……」
 鈴の手が僕の頬に触れる。ひんやりとした感触が頬に広がっていく。けど、すぐにそのひんやりは暖かなものに変わっていった。目の前には、強い輝きを宿した二つの瞳。
「だから──泣くな、理樹」
「……うん」
 その言葉を聞いて自分の頬に涙が伝っていることに、初めて気がついた。
 怖かった。鈴を失うことが。皆のことを忘れていくことが。それに疑問を持たなくなっていく自分が。ただ、怖くて悲しかった。忘れることで恭介達を、僕自身が殺してしまうことが許せなかった。当たり前だと誓ったことが当たり前じゃなくなっていることが堪らなく嫌だったんだ。僕は、目の前にある鈴の体を抱きしめる。心地よい柔らかさと温もりが体にじんわりと広がっていく。それはまるであの学園生活での日々に似ている気がした。
「ごめん。あの頃と、まったく変われてないね。僕は弱いまんまだ」
「違うぞ、理樹。あたしはそれは違うと思う。恭介達があたし達に望んだのは、その……言うのは少し恥ずかしいが、二人で一つの強さなんじゃないか?」
 鈴は、僕に抱きしめられたまま体をモジモジと揺すると、そう言った。きっとその顔は、少し赤く染まっているのだろう。そんな鈴が、とても可笑しくて僕は思わず噴出してしまった。耳元で「わ、笑うなぼけー」という言葉が聞こえてくる。それに僕は、声を押し殺して笑う。
 ああ、きっとそうだ。鈴の言うとおりだ。僕は、一人ではとても弱い。でも隣には鈴がいる。僕の理想を貰ってくれると言った。なら大丈夫だ。もう忘れてしまうことに恐れる必要はない。忘れてしまった時は、鈴が思い出させてくれる。この先、僕の中で皆の記憶がどんなに朧気になってしまっても、そんなこともあったと鈴と一緒に笑いあうことができるだろう。古臭くて手垢に塗れた言葉だけど、皆は僕らの中で生き続けるだろう。
「ねぇ、鈴」
「ん? なんだ」
「今度の休みに恭介達のお墓参り行こうか」
「うん、いいぞ。行こう」
 僕らはお互いの体温を感じながら、そんなことを約束し合う。
 強さってなんだろう?
 ずっと昔、そんな疑問を持ったことがあった。
 ねぇ、恭介。
 強さって、やっぱりまだ良くわからないけど、でも僕らは忙しない流れの中で理想を語り合いながら、ただ強さを目指していくよ。そうしたら、またどこかで会えるかな?
 会えるよね、きっと。その時には聞いてほしいんだ。僕らが成し遂げたミッションを。ただ「生きる」というミッションを。これからも僕らは喧嘩もするだろう。時には全部、投げ出してしまいたくなる時もくるかもしれない。でも、そのミッションは必ず成功させる。

だって僕らはリトルバスターズなんだから。


[No.226] 2008/04/11(Fri) 21:48:46

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