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No.248へ返信

all 第8回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/04/23(Wed) 20:37:59 [No.239]
さいぐさはるかが大学でぼっちになっているようです。 - ひみつ - 2008/04/25(Fri) 22:04:52 [No.250]
Invitation to Hell(原題) - ひみつ   グロ注意 - 2008/04/25(Fri) 22:00:53 [No.249]
虚構世界理論 - ひみつ - 2008/04/25(Fri) 21:55:39 [No.248]
誰かが何かを望むと誰かがそれを叶えるゲーム - ひみつ - 2008/04/25(Fri) 21:12:18 [No.247]
Engel Smile - ひみつ - 2008/04/25(Fri) 18:30:18 [No.246]
笑顔(SSのタイトルはこちらで) - ひみつ - 2008/04/26(Sat) 08:41:43 [No.251]
夏祭りトーク - ひみつ - 2008/04/25(Fri) 18:30:17 [No.245]
小さな頃の大切な想い出 - ひみつ - 2008/04/24(Thu) 20:17:47 [No.244]
笑う、ということ - ひみつ@初 - 2008/04/24(Thu) 18:57:03 [No.243]
笑顔の先に - ひみつ@甘 - 2008/04/24(Thu) 10:56:09 [No.242]
遥か彼方にある笑顔 - ひみつ@長いですスミマセンorz 初めてなので優しくしてもらえると嬉しいかも - 2008/04/24(Thu) 02:49:25 [No.241]
感想会ログー次回ー - 主催 - 2008/04/27(Sun) 01:58:36 [No.253]


虚構世界理論 (No.239 への返信) - ひみつ

 棗恭介失踪の報せが世界中を駆け巡った八月の日曜日、僕は昼まで寝ていてしばらくそのことに気が付かなかった。鈴に叩き起こされ、「なんかきょーすけがどっか行ったみたいだ」と言われてよく状況の掴めないままテレビを付けると、報道番組で若き数学者の蒸発が大々的に取り上げられていた。五日前から姿が見えなくなっており、五日間いなくなることくらい珍しくもないと放置されていたら、同僚が彼の研究室で遺書めいた短文を発見した為に警察へ通報、発覚の運びとなったという。
「何これ」
「知らん。馬鹿兄貴がまた馬鹿やったんだろ」
 鈴の言う通りなのだろうと思う。遺書と言うがあの恭介がそんなものをマジになって残す訳がなく、携帯電話に電話してみると案の定死んでもおらず普通に出た。
「一体どうしたの?」
「研究の日々に疲れたのさ。だから俺は旅に出る。真実の俺を探す旅にな」
 発言者の文学的感受性の欠如が明瞭に読み取れるあまりにもあんまりな発言だが、問題はそんな理由で実際に旅立つ奴は初めて見たという点にある。しかし恭介が旅に出ると言うのならとめる理由もさしあたり存在しない。「行ってらっしゃい」と言って僕は電話を切った。切ってから、鈴に替わった方がよかっただろうかと思ったけれど、その旨申し出ると「いらん」と言われた。素っ気ない妹である。
 ちなみにニュースによると恭介の残した文章は以下の通りだ。
「しかし、もう出て行かなければならない時間だ。この俺は死ぬために、お前らは生き続けるために。しかし、俺たちのどちらがより善いもののほうへ向かっているのかは、神にさえ明らかではない。」
 何処からどう見てもプラトンの『ソクラテスの弁明』のパクリだが、実は一点、決定的な改変が加えられている。オリジナルは「しかし、我々のどちらがより善いもののほうへ向かっているのかは、神以外のだれにも明らかではないのです」だ。ソクラテスの死から二千四百年余りの月日が流れ、僕達は遂に神にすら匙を投げられた世界を生きるようになったらしい。
 恭介の行方は現在に至るも明らかでない。


 これは増殖しすぎた愛についての物語。或いは失われた孤独についての。
 こう格好つけて語り起こすのも悪くはないと思う。しかしごく散文的に述べれば、今から十二年前に恭介の手によって発見された虚構世界理論のお話ということになる。斯くの如き文章を僕が書くに至った経緯については、二年程前に僕と鈴と恭介との間で交わされた以下のような会話がその説明になる筈だ。
「理樹、お前を俺の伝記作家に任ずる」
「毎回のことながら意味不明だね」
「きょーすけの言うことなんか気にするな」
「いやいや、俺の伝記を書ける人間はそうはいない。事故と子供の頃の俺の両方を知っている奴となるとお前ら二人の他に謙吾と真人だけだが、剣道馬鹿と筋肉馬鹿に伝記は無理だ。鈴にも無理だ。何故なら鈴だからだ」
「うっさい!」
「甘い!」
 そう言って鈴のハイキックを左腕で打ち払った筈の恭介だったけれど、そのまま空中で体を地面と水平に回転させて逆の足を延髄に叩き込むという鈴の神業の前に、次の瞬間悲鳴を上げながら真横に吹っ飛んだ。あまりにも重力を無視した所業だったのでさすがに反応できなかったらしい。鈴が如何にしてそんな技を体得するに至ったかの説明は多くの紙面を必要とするので差し控えよう。とにかくこのようにして僕は恭介の伝記作家に任命された、というのは勿論その場限りの冗談だったには違いなく、僕も今の今まで忘却していたのだけれど、こうして恭介が失踪してみると思わないでもなかった――恭介の言う通り、何か書き起こしてみようと。
 増殖しすぎた愛について。或いは失われた孤独について。
 棗恭介(日本、1989―)は数学者である。一般に虚構世界理論と呼ばれる高次元虚構空間理論および自己増殖高次元虚構空間理論の発見とその諸性質の研究、また高次元虚構空間におけるデータベース構造の発見がその主な業績として知られる。
 虚構世界理論の始まりは高校時代に恭介が巻き込まれたとあるバス事故による。修学旅行に向かう最中のバスが、運転者の不注意によって突如として横転、ガードレールを突き破って崖から転落。自らの死を悟った恭介は、せめて僕と鈴だけでも強く生き延びさせたいとの切なる願いから、無意識の内に虚構世界を作り上げた。永遠に続く一学期。そこで僕と鈴は無数の世界を体験し、そのことで強くなり、遂には恭介の思惑さえ超えて、恭介達全員を助けるという感動的な結末に至った。喜ばしいことだ。
 時は流れる。夏休みが過ぎ去り二学期の初め、怪我から快復し、ついでに普通自動車免許まで取得して帰還した恭介の提案によって、修学旅行のやり直しが決行される。ところが海に向かう最中のワゴン車が、三速から四速に入れようとしたら二速に入ってしまったという初歩的にも程があるミスによって突如として減速、後続車に追突され崖から転落。自らの死を悟った恭介は、せめて僕と鈴だけでも強く生き延びさせたいとの切なる願いから、無意識の内に虚構世界を作り上げた。永遠に続く夏休み。そこで僕と鈴は無数の世界を体験し、そのことで強くなり、遂には恭介の思惑さえ超えて、恭介達全員を助けるという感動的な結末に至った。喜ばしいことだ。
 時は流れる。夏が過ぎ去り二学期の終わり、怪我から快復し、ついでに新しい車まで購入して帰還した恭介の提案によって、修学旅行のやり直しのやり直しが決行される。ところが飽きもせず海に向かう最中のワゴン車が、発車に際してクラッチを離し過ぎてエンストという初歩的にも程がありすぎるミスによって突如として停止、後続車に追突され崖から転落。自らの死を悟った恭介は、せめて僕と鈴だけでも強く生き延びさせたいとの切なる願いから、無意識の内に虚構世界を作り上げた。永遠に続く二学期。そこで僕と鈴は無数の世界を体験し、そのことで強くなり、遂には恭介の思惑さえ超えて、恭介達全員を助けるという感動的な結末に至った。喜ばしいことだが、ちょっと待て。
 何やら恐るべき無限の連鎖に取り込まれているような気がその時したものだが、無限とまではいかず後二回で済んだのは幸運と言えるのかもしれない。ここに至って恭介は虚構世界の構築が妄想などでは決してなく、偶然の結果でも無論なく、意図的に反復しうる事象であることに完全に気が付いたばかりか、その成り立ちを直観しさえした。
 高次元虚構空間理論、通称虚構世界理論の誕生である。


 説明の必要はないと思うけれど一応簡単に述べておけば、虚構世界理論とは即ち、望む通りの虚構世界を望む通りの人間を巻き込んで、事故などによらず安全に作り出す為の理論である。
 誕生と書いたが、実際にはそれが理論として体系化されるまでに五年が費やされた。高次元虚構力学系を直観的に把握しうる、当時において、また現在に至るもただ一人の人間である棗恭介には、その成績が十段階評価において四という落第ギリギリの数字であることによって端的に示されるように数学的素養がまるでなく、直観的には理解しているその存在を論理的に証明することが全くできなかったからである。しかし彼は事故を起こしすぎて元よりご破算になっていた就職を投げ打ち、大学受験に邁進した。その驚異的と言っていい努力が実を結び、翌年見事に第一志望の大学の理学部に潜り込むことに成功する。
 しなければよかったのに。
 学部どころか博士課程にまで居残り、そのまま研究職に付いてしまった恭介だが、少し前まで勉学になど少しも頓着しなかった彼をそこまで突き動かした原動力とは一体何か。僕がそう訊ねると、今のところ望み通りの虚構世界を作り出す安全な方法は確立できていないのだと前置きした上で、恭介は晴れ晴れとした笑顔で答えたものだ。
「お前が隣の家に住んでて毎朝起こしに来てくれる女の幼馴染みで、鈴が俺を上目遣いでお兄ちゃんと呼んでくれる、そんな世界を作るのが俺の夢なんだ――」
 壊れてしまえそんな夢。
 普通のひとなら冗談となるところだが恭介なのでマジである。こうして僕と鈴は毎朝欠かさず恭介の家の方角へ向けて呪詛を送るようになった訳だが、その努力も虚しく、「高次元虚構力学系の模型の厳密解」と題された論文によって、虚構世界理論はその華々しい第一歩を数学界に印してしまったのだった。ところで僕は今数学界と書いたけれどこれは恭介の自己認識の上では正しくない――恭介は量子脳機能力学の専攻であると自称していた為であるが、そんな物理学なのか生物学なのかさえ判然としない怪しげな学術的分野の存在など当然のように誰も聞いたことがなく、高次元虚構空間が多くの場合複雑な数学的構造物として扱われることから、彼は自称はともかくとして数学の世界に収まっている。だからこそ僕は何度か数学者と書いている訳だ。ちなみにここまでに登場した専門用語について、数学の得意でない僕は一切責任を持たないと断っておきたい。以降も同様だ。してみるに恭介は伝記作家の人選を間違えたとしか言いようがない――当該人物の専門分野に少しも明るくない伝記作家など存在しうるのか。尤も僕が今ここに書いているのは、伝記とはとても呼べないささやかな文章であるのだけれど。


 虚構世界理論における虚構世界の成り立ちの説明は、僕の乏しい知識を総動員すれば次のようになる。
 一、車に乗る。
 二、事故る。
 三、完成。
 これは勿論冗談で、いや冗談でなかったことが五度あったのは既に書いた通りだけれど、恭介の理論に則ると事態は加速度的に複雑さを増す。虚構世界は高次元空間に浮かぶ滑らかな高次元多面体として想定される。多面体は平面として一般に想像される環境基盤構造と、自然言語によるテキストとして一般に想像される言語基盤構造とからなり、実際には存在しない根を存在するように偽装した上で構造全体に遍在させた擬似的なツリー構造――敢えて例えるならばクラインの壺とリゾームの相の子のような形に組み立てられる。その組み立てをおこなうのは虚構世界に参与する人間の現象的意識である。現象的意識の虚構世界へのアクセス方法については、説明に日本語ではなく数式を――かの複雑な棗方程式を必要とするのでここには書けない。恭介曰くオイラー方程式を縦に三つ積み上げて螺旋状に捻じ曲げたような数式だそうだ。なおこれらはオートポイエーシス的に作動する為、その挙動は形式的、理論的に把握しうる範疇を些か超えている。
 なんのことやらまるで判らないという苦情があると思うけれど安心して欲しい。僕にも全く判らない。


 恭介が三本目の論文を書き上げる頃、虚構世界は工業製品として日の目を見ることとなった。これが今から三年前の自己増殖高次元虚構空間理論の確立を経て、今日僕達がドラッグストアやネット上のダウンロード販売で簡単に購入できる、虚構世界パック学園編、妹編、幼馴染み編、とかその手の商品の発売に繋がる。
 自己増殖高次元虚構空間理論とは、文字通り放置しておいても自己増殖していく虚構世界についての基礎理論である。厳密には、その最底部において人間による意識的な支えを必要とした現行の虚構世界に対し、一度組み上げさえすれば後は何処までも勝手に挙動してくれる虚構世界を指す。この発見によりひとは虚構世界の中の無数の他人、町並み、風、物音といった瑣末な細部の維持に力を注がなくてもよくなった。気を抜くと空が落ちてくるなんて事故もなくなった。自己増殖というよりは自己拡張か自己生成といったところなのではないかと門外漢の僕は素朴に思う。
 これら虚構世界の商品化が、人びとを一挙に虚構世界へと向かわせる社会現象を国内外問わず生み出したことは論を待たない。手短に言ってしまえば、多くの個人が個人の欲望を自在にかなえうる虚構世界を持つことが可能になり、都合の悪い現実世界でわざわざ苦労をする必要が殆どなくなった、といったところだ。また虚構世界の普及は個人利用に留まらない。たとえば企業の所有する虚構世界を介した在宅労働の確立で、人びとの生活様式は大きく変化した。理想的な実験環境を虚構世界に求めた研究機関は多かったし、虚構世界それ自体を計算と捉える虚構世界演算の発明とその並列化は計算の概念を根底から覆した。僅か数年で、虚構世界は社会の不可欠な一部を形作ったと言ってよい。
 さて僕と鈴はと言えば丁度その頃に結婚して、それまでも一緒に暮らしていたのだから生活はまるで変わりなかったが、虚構世界にまつわる商品は可能な限り拒んだ。特に嫌と言う訳ではなかったけれど、好ましいともまた思ってはいなかったからだ。
「馬鹿兄貴も偉くなったなー」
 ある休日、恭介の顔写真が一面に載った新聞を読みながら鈴がそう言ったのを覚えている。虚構世界理論の発見者であり、虚構世界の全貌を把握しうる頭脳を持った唯一の人類たる恭介は、メディアへの露出を通じ、その若すぎる年齢と容姿とで理論それ自体には全く興味のない層にも爆発的な人気を博していた。CDデビューを持ちかけられたんだが、と僕のところに相談に来たこともある。とある国立大学に教授職を得てから僅か五日後の出来事になる。無論僕と鈴が全力で制止した。したがって恭介のCDは歴史に登場しない。


 虚構性同一性障害という精神疾患が報告され始めたのがいつのことなのか僕は知らない。米国精神医学会によるDSM-VI-TR(『精神障害の診断と統計の手引き』第六版修正版)において初めて病名を与えられたその解離性障害は、自分が虚構世界内で作られた登場人物であり、内面を一切持たない哲学的ゾンビであると感じる、という僕にはちょっと理解しがたいものである。大方の脳科学者は、自分を哲学的ゾンビと感じるその「感じ」がクオリアに相当する為患者は哲学的ゾンビでは多分ない、と尤もすぎる見解を示したが、それが患者に信用された例は少ない。現実世界が実は知らぬ間に作られた虚構世界であると感じることに起因する、現実感の強烈な喪失を多くの場合併発する。患者が自らをデータベース構造の産物と位置付ける症例も存在する――ただしごく稀である。棗恭介の業績の中に、高次元虚構空間のデータベース構造の発見、およびその総数を巡る棗予想があることは、虚構世界理論それ自体の発見という華々しい仕事の影に埋もれて一般には忘れられがちである為だとされているが、ここはデータベース構造論そのものの怪しさを含めて議論の紛糾する点らしいので、素人の僕は深入りを避けたい。
 話を虚構性同一性障害に戻せば、数十万とも数百万とも言われる患者数の爆発的な増加は、棗恭介という固有名がそのトリガーとなって発生しているとする、主に社会学的な側面からの研究が実は多い。高次元虚構空間を理論的なツールなしに直観的に把握しうる唯一の人間というカリスマ性が、あらゆる虚構世界は恭介の意思を介在させたものであると人びとに何処かで認識させた、とそれらの研究は述べる。つまり虚構性同一性障害とは、棗恭介という人物にすべてを操られているように感じられる精神疾患、と言い換えることができる。
「え? 俺?」
 うん。
「んなことある訳ないじゃないか」
 僕は恭介のその意見には全面的に賛成するし、世の多くの人びともおそらくは賛成してくれるに違いない。だがそこに一抹の割り切れなさが残るのも事実であるようで、その結果現に虚構性同一性障害が実在する。二十一世紀の新たな病理としてせっせと患者数を増やしている最中だ。


 今や虚構世界は現実世界を覆い尽くし、その恩恵なしには社会は最早立ち行かない。一方で虚構性同一性障害という形で具体的に現れたような病巣をもまた社会は抱え込む羽目になったが、それは今更引き返しえぬ進歩の、ささやかすぎて気にもならない代償でしかない。いずれにせよ世の中はよい方向へ進歩している筈である――とこれが世間一般の考えであり、僕も大筋で異論はないと言っておく。
 しかしそれでもなお僕の抱えている釈然としない思いを吐露すれば、それはやはり増殖しすぎた愛について。或いは、失われた孤独のこと。
 今やあらゆる事柄は虚構世界によって理想的に、円滑に解決することが可能になった。それ自体は極めて喜ぶべきことだ。しかしその完璧すぎる虚構は、完璧すぎるが故に何処かでディストピアへと姿を変えるものではないか。いずれ独りで死ぬべきである人間が最低限背負わなければならない孤独さえも消え失せ、理想的な世界を苦もなく生み出しそこでやすらかに生きていくことのできる、愛に満ち溢れた世の中。そんな壮大な楽園を前にして、僕は間違いなく立ち竦む。
「研究の日々に疲れたのさ。だから俺は旅に出る。真実の俺を探す旅にな」
 発言者の文学的感受性の欠如が明瞭に読み取れるあまりにもあんまりな発言が、しかし僕達の中で切実なものに響きうるとしたらそれは「真実の俺」など最早何処にも存在しないことを知っている為だ。愛が増殖しすぎ、孤独が失われたから。僕達は何者にでもなれるし、何をも愛することができる。したがって僕達は本当のところ、何者にもなれないし、何をも愛することができない。
 この見解を笑い飛ばすひとはいるだろう。世の中の動きについていけない古い感性の持ち主の、反動的なノスタルジーに過ぎないという訳だ。それは多分その通りだ。最初のバス事故の際に僕達の前に現れ、僕と鈴を育み、僕と鈴と皆を救ったあの虚構世界を、その時一度限りの輝きとして僕はいつまでも胸の内に閉じ込めておきたかった。僕には全く理解できない数式と言語で記述された、データベース構造を背景とする環境基盤構造と言語基盤構造の重ね合わせとしての自己増殖高次元虚構空間などではなく、自然科学の対象が常にそうであるように同じ環境下ならば反復が確実に可能な事象でさえなく、ただ一度の奇蹟として、思い出の中にだけあって欲しかった。それは極めて個人的で、感傷的で、救いがたく愚かな思いだ。
 ここまで書いて僕は、恭介の残した文章の意味に辿り着いたように思う。
「しかし、もう出て行かなければならない時間だ。この俺は死ぬために、お前らは生き続けるために。しかし、俺たちのどちらがより善いもののほうへ向かっているのかは、神にさえ明らかではない。」
 虚構世界の普及は人びとに多大な幸福をもたらした。それはどう考えても肯定されるべきことであり、その事実を認めず「真実の俺」を探す旅に出た恭介は僕と同じ古い人間でしかないけれど、しかし虚構世界を尊ぶひとと虚構世界に背を向けるひと、「どちらがより善いもののほうへ向かっているのかは、神にさえ明らかではない」。虚構世界に浸り切った生は肯定されるべきなのだろうか。或いは否定されるべきなのだろうか。それともそのどちらでもない何かなのだろうか。
 僕達は、より善いものの方へ向かっているのだろうか。
 この問いが困難なのは、善いものの方へ向かうとは何か、という問いそのものへの問いを必然的に含むからであり、それに対して社会が一応の回答をひとに与えてくれていたのが近代であるとすれば、僕らはもうそんな時代に生きてはいない。乱立する虚構世界が現実世界を侵蝕し、刻み尽くし、ひとの心を悉く奪い去った瞬間に、最早終わりかけていたそんな時代は今度こそ決定的に終焉を迎えた――その筈だ。


 僕と鈴と謙吾と真人でささやかな忘年会を催した。昨晩のことになる。恭介が失踪してから既に半年が経過していた。社会的には完全に姿を暗ましており、その結果虚構世界理論の整備が百年分は遅れるとする向きさえあるけれど、僕達には一ヶ月に一度くらいの割合で連絡があるので失踪したという感じは余りしない。
「恭介と言えば、前に酷いこと言ってたなあ」
 一軒目の居酒屋でふと昔を思い出し、口にした。
「どうしてそんなに熱心に勉強するのって訊いたら、僕が女の幼馴染みで隣に住んでて毎朝恭介を起こしに行って、鈴は恭介をお兄ちゃんって上目遣いで呼ぶ世界を作りたいからだって」
「思い出したくないから言うな、そんなこと」
 鈴に脇腹を突かれる。
 真人は「うわー」と素で引いていた。テーブルの端で目を瞑り、瞑想するようにしばらく黙っていた謙吾が、やがて目を見開いて真顔で問うた。
「その世界では俺と真人はどうなるんだ?」
「知らないよそんなの」
「そんな馬鹿な……俺は……俺は何処に行けば……」
 どんよりとした影をまとって床に手を付き、勝手に落ち込み始めた謙吾を横目で見て笑うと、真人は「へっ。俺はどんな世界であろうと筋肉担当だからな!」と頼んでもいないのにスクワットを開始する。それなら俺だってとばかりに立ち直って、謙吾は素振りを始める。一体その竹刀は何処から出てきたのか。
「あー! 暑苦しいからやめんかぼけーっ!」
「他のひとに迷惑だしね」
 そう言いながら僕は笑っていた。久しぶりに、心の底から笑ったように思ったものだ。何処かに行ってしまった恭介を含めて、このひと達がいれば僕は大丈夫だと確かに感じられた。それからまた僕は考えた――恭介は、自らの力で作り上げた自己増殖高次元虚構空間理論で、望み通りの虚構世界を、好き勝手に、理想的に組み立てたのだろうかと。つまり口にすれば今度こそ鈴にぶん殴られるに違いない、僕が女の幼馴染みで鈴がお兄ちゃんと呼ぶあれを実現したのだろうか。
 正答は次の二つの内にあると僕は確信している。
 一、欲望に打ち勝ち実現しなかった。
 二、欲望に負けて実現してしまったけれど、その虚構世界のあまりの底の浅さに絶望してすぐに返ってきた。
 より可能性の高いのは二だろう。恭介が一を選べる程に倫理的な人間であることはさすがにない気がするからだ。そして二を選んで味わったその絶望が、恭介を旅立たせた遠因のそのまた遠因の一つくらいにはなっているのではないだろうかとも僕は考える。考えながら、仲間達の馬鹿馬鹿しい発言の一々に笑い、そうして笑いあえるこの場所を、ここは確かに現実世界なのだと感じ、信じる。


 以上が、虚構世界理論を巡る僕のお話の大体だ。語り続ければ切りがない。この辺りでやめておくのが賢明だろう。
 締めくくりの光景はだからこうなる――十二月半ばの東京には雪が積もっていた。夜を徹して飲みすぎたせいで店を出る頃には朝だった。視界の果てまで続く、雪に埋もれた片側三車線の道路の向こうに、赤い朝焼けが別世界のように静かに照っていた。真人がタクシーを捕まえ、謙吾が始発に乗ると、僕と鈴は街へ足を踏み出した。寒さからか酔いからか、鈴の頬は僅かに紅潮していた。
「きょーすけがいないのにもなんか慣れたな」
「いなくてもいるみたいな存在感があるからね」
「そんなんいらん」
「確かに」
「いらんから、だからさっさと帰ってこーい」
 頬を白いマフラーに半分埋め、コートのポケットに手を突っ込みながら、空を見上げてそう言った。


[No.248] 2008/04/25(Fri) 21:55:39

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