第14回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/07/15(Tue) 20:52:50 [No.415] |
└ 魂の牢獄 - ひみつ@【規定時間外投稿】【MVP投票対象外】 5639 byte - 2008/07/19(Sat) 06:42:33 [No.434] |
└ ―MVP候補ここまで― - 主催 - 2008/07/19(Sat) 00:10:59 [No.433] |
└ 別れの季節 - ひみつ 9738 byte - 2008/07/19(Sat) 00:00:39 [No.431] |
└ 夏空の向こう - ひみつ@ギリギリすぎる 10710 byte - 2008/07/18(Fri) 23:54:35 [No.430] |
└ 夢の彼方 - ひみつ 5576 byte - 2008/07/18(Fri) 23:18:32 [No.429] |
└ 夏とのお別れの日にすごした暖かな日 - ひみつ@初なのです 19314 byte - 2008/07/18(Fri) 21:40:47 [No.427] |
└ 未完の恋心 - ひみつ 8824 byte - 2008/07/18(Fri) 21:31:52 [No.426] |
└ 吾輩は夏である - ひみつ@なんかまにあった 9877 byte - 2008/07/18(Fri) 16:02:46 [No.425] |
└ 暑い日のこと - ひみつ - 2008/07/18(Fri) 15:06:00 [No.424] |
└ 9232 byteでした - ひみつ - 2008/07/18(Fri) 22:30:25 [No.428] |
└ 百ある一つの物語 - ひみつ 12073byte - 2008/07/18(Fri) 01:57:20 [No.423] |
└ 8月8日のデーゲーム - ひみつ 16838 byte - 2008/07/18(Fri) 01:51:34 [No.422] |
└ なつめりんのえにっき - ひみつ 13162 byte - 2008/07/17(Thu) 16:00:32 [No.421] |
└ 私と彼女とカキ氷とキムチともずく - ひみつ 7099 byte - 2008/07/17(Thu) 01:28:50 [No.420] |
└ 夏色少女買物小咄 - ひみつ 18379 byte - 2008/07/16(Wed) 23:52:32 [No.419] |
└ 夏の隙間 - ひみつ 13724byte - 2008/07/16(Wed) 22:29:11 [No.418] |
└ 夏は人を開放的にさせるよね、というようなそうでもな... - ひみつ 9875byte - 2008/07/16(Wed) 20:32:19 [No.417] |
└ ログ次回 - 主催 - 2008/07/20(Sun) 23:45:40 [No.441] |
殺風景な放送室。 開け放たれた窓から、夏の香りを乗せた風が吹き込んでくる。 それと入れ替わるように、部屋から零れだす電子ピアノのメロディ。 願わくば、この音よ。風に乗り、空高く。 まだ知らぬ、まだ見ぬ彼へ、届いてくれ。 『未完の恋心』 優しい風に頬をなでられたような気がして目が覚めた。 もっとも、時計の針を確認してみてもそれほど時間は経っていない。 ほんの少しだけ、うとうとしてしまっただけだろう。 それなのに、ずいぶん長い夢を見ていたような気がする。 長い長い旅を終え、今まさに意識が此処へ帰ってきた、そんな感じ。 意識旅行の前に掛けておいた曲は、まだ続いている。 放送が途中で切れてしまう事態だけは避けることが出来たようだ。 もっとも、聴いている者なんていないだろうが。 曲はベートーベン作曲、「芸術は永く、人生は短い」。 ベートーベンの死後約180年が経過しているが、彼の残した音楽は未だに健在だ。 なるほど、この曲の主張は正しい、という事か。 起きぬけの頭で、ぼんやりとそんな事を思う。 では、‘生きる’というのは、どういうことなのだろう? そもそも、芸術が永く残り続けるのは、それが人の心を揺さぶるからであろう。 登場人物や描かれた世界、作者の想い。そういったものを読者や聴き手が感じ取り、自分の中の感情と重ね合わせ、自分もその世界の一部となる。そうすることで、芸術は新たな命を得て生き続けていく。 だが、私はその一部にはなれない。 感情それ自体は理解できる。だが、何処でそれを感じるべきなのかが分からない。 私は私でしかない。誰かに、何かを能動的に与えたりは出来ないのだ。 それは即ち、与えられることもまた然り、という事だ。 故に、周囲から孤立して生きてきた。 それが一般的に不幸な事なのか、それすら理解できないでいる。 人に与え、取り込むことで命を繋ぎ続ける‘芸術’。 他者に与えず、輪から外れたまま生きていく‘私’。 これは果たして、どちらも‘生’と定義付けられるのか。 曲が終わる。この旋律の中には、私の探し物はなかった。 時計を確認する。この時間だと、もう2曲は掛けることが出来るだろう。 「次は・・・、もう一曲ベートーベンにするか」 ふと目に留まった曲。それを掛けてから、曲紹介に移る。 「ただいまお送りしている曲はベートーベン作曲、バガテル『楽しい−悲しい』です」 今まで、何かを楽しいと思ったことはない。悲しいと思ったことも。 孤立しようとも。些細な事で嫌がらせを受けたとしても。 何処吹く風で笑っていられた。いや、笑っているフリをしていた。 それは強がりなどではない。笑い方すら分からない、その結果だ。 明るいハ長調と不安げなハ長調のメロディが印象的な曲。 まだ、曲は半ばといったところ。それでも解かってしまう。 このメロディの中にも、私の求める答えは見つかりそうもない。 当たり前だ。期待はしていない。容易く見つかるものなら、欠陥品の烙印は押されていないのだから。 答えを探すのはやめた。取り留めのない、答えも出ない命題に時間を裂くことは無駄でしかない。そう思い至ったのは、少ししてからだった。 曲紹介を終えたら、後は特にすることもない事に初めて気付く。 手慰みに電子ピアノでも弾いてみようか。 フタを持ち上げて目に入る鍵盤は、当然白と黒。 そのモノトーンが何となく自分に重なって、自嘲気味に小さく笑った。 「‘諸君、喝采を。喜劇は終わった’、か」 ベートーベンの臨終間際の言葉。自分という存在が、もしも劇や物語、あるいは絵画のような芸術として例えられるなら。それは多分、すぐに消えていくものだろう。 観衆たりうる誰かが、重ね合わせるべき感情がないから。 私という芸術は、例えるならば、きっとモノクロの絵。水墨画のように、作者がその想いを込めたようなものとは比べられない。私のそれは、空っぽなのだ。 だからあるいは、そんな芸術は初めから存在しないのかもしれない。 ‘この地上には成すべき事が実に多い、急げ’。 自分というものを大成させるのが‘成すべき事’ならば、私はこのベートーベンの言葉に異を唱えねばならない。 常に探し続けてきた。 私は何処だ?色鮮やかに塗られた自分は、何処にある? そうして探し回って見つけたものは、いつもの色の無い世界。 書き上げてきた絵は、白と黒の、輪郭だけの自分。 それ以外に存在しないのなら、急ぐ必要はない。人生はきっと、長すぎるくらいだ。 あるのだろうか、こんな私にも。作り上げるべき、私という芸術が。 曰く、欠陥だらけの頭の持ち主。 曰く、ロボットみたいな女。 曰く、何をされても平気な人。 そんな私が――― ―――来ヶ谷さんはロボットでもないし、何をされても平気じゃないって僕は知ってる。 ―――それって、すごく人間らしい事じゃないかな。 声が聞こえた気がして、部屋を見回す。・・・誰も居ない。 聞いた事もないその声は、でもひどく懐かしい。 さっきの夢。長い長い旅の、その最後まで一緒にいた誰か。 そしてもう一つ。微かにだが、確かに聴こえた曲。 目を閉じる。そうすることで、遙か遠くから、あるいは自分の内深くから聴こえてくる音を掴み取ろうとする。 ―――まだ足りない。意識を深く沈みこませろ。もっと、もっと深く。 どの文献にも、偉人の音楽や言葉にさえなかった、私の求めたもの。 それが見つかるかもしれないんだ。持っていたのかもしれないんだ。 やがて聴こえだす音。耳だけじゃない。身体が、五感全てで感じ取れる音、旋律。 それに意識を重ねる。 浮かぶ音符の上を滑るように、指を動かす。 右手は‘シ レ ファ♯’の分散和音を。左手は‘レ’から始まる和音を5つ――― ―――なんだ、この曲は。 自分で奏でながらも、笑えるほど不思議な曲。 調は、―――そう、一番近いものを挙げるとすれば、ニ長調か。もっとも、調から外れた音が多すぎるのだが。 迷いの中を歩いているように、蛇行するメロディ。 それが不安定な感情を示唆しているように思えてならない。 平穏、悲哀、安堵、不安、とか、そんなの全部詰め込んだような。 この不安定な気持ちは・・・、そこまで考えて思い当たる。 「ああ、これは恋を描いた曲なのか」 恋。様々な文献で見かけたそれは、幸せだったり、とてつもなく不安だったり、安らぎを得る事が出来たり、時には悲しかったり、あるいは狂気と表現されたり。相反する様々な感情を全て内包したかのような、不思議な感覚を指すものだ、とそう示されていた。 そこまで考えて苦笑する。 年頃の少女が、文献上の恋を語る。それは、一般的には酷く滑稽な姿ではなかろうか。 「一般的には・・・か」 自分には訪れるのだろうか、その感情は。 曲は続いていく。 調の決められた枠の中に納まらず、五線譜上を駆け巡る音符。 そこに、 世間でいう‘一般的’の枠組みから外れている自身を見つけて、何となく笑えた。 気まぐれな旋律。クラシックでいう‘カプリース’と形式付けるのが適当だろうか。 曲が後半に差し掛かる。 変調。今度は、・・・変イ長調か。 左手で奏でるアルペジオから、臨時記号が消える。 穏やかに続く優しい音。幸せな時の継続を表現しているのか。 フィナーレまであと少し。 頭に響く旋律がそれを伝えている。 この平穏を壊さぬよう、壊れぬよう。 祈りにも似た気持ちで、白と黒の上に指を走らせる。 ―――あと二小節。 ・・・‘シ ソ♭ シ ミ♭ シ ミ♭’――― ・・・? 演奏が終わる。同時に不透明な気持ちを抱いた。 最後の二小節。決定的な不自然さに気付く。 私は音を間違えたわけではない。イメージにあるメロディと綺麗に重なった。 だからこそ存在する、大きな違和感。 調に対して、この小節の音は不安定すぎる。 変調後の穏やかさから考えて、この音で終わる必要はないはずだ。 物語の最後は、未来への希望を残してそのままのハッピーエンド。それでいいはず。 それなのに。 幸せだったんじゃないのか?何故その理想郷は、最後に崩壊する? まるでフェードアウトでもかかったかのように、静かに消えていく。 そこに残された未練や望み、そういったものには手が届かないと思わせるように。 まるで抗えない大きな‘何か’に、かき消されてしまうように。 かみあわないはぐるま。くるっていたのは、いつからだった? ―――きっと何も残らないよ。 ―――さよなら、・・・。 不意に頭をかすめた言葉。 悲しかった気がする。涙も零れた気がする。 悲しさも楽しさも、幸せや不幸だって分からない、いや、分からなかったはずの私が。 ―――ああ、きっと続いて欲しかったんだ。この作曲者は、私は。 だからこの終わりは、道が閉ざされる事への絶望ではなく、道が続く事への切望。 まだメロディが続く事を願ったが故の不安定な終わり。 そして、この曲こそ他でもない、私自身だったのだ―――。 大好きな物語がある。 それを読み終えた時、何故この物語は終わってしまうのだろうと思ったことがある。 私は、それがきっと寂しいと思った。 だから、その物語の続きを、自分で書いてみようと思う。 そうしたら、今度はその物語を自分の手で終わらせないといけない。 終わらない物語なんて、何一つとしてないから。 夢だって分かったらそこで終わってしまう物語に、先なんてあるはずがない。 でも。 夢じゃない。私の求める誰かは、きっと現れる。 何の根拠もない、それこそ夢のような話だけれど。 だから、私はこの曲の続きを作ろう。 この、‘誰か’に捧げられるべき私の恋心を描いた、この曲を。 今はまだ無理。大事なピースがまだ足りていない。 ここから先を作るには、調が必要となる。 でも、それはきっとニ長調とかイ長調とか、そんな音楽的なものじゃないと思うのだ。 足りないキーは、彼。顔も名前すらも知らない、彼。 この曲のタイトルにも、きっと彼の名前が入るだろうから。 それまではこの曲の仮題は、・・・そうだな、『無題‘恋心を奏でる綺想曲’』とでもしておこうか。 だから。 「―――待って、いるからな」 窓から見える景色は、色づいた世界そのもの。 空の青、雲の白、木々の緑。太陽は陰る気配もなく照らし続けている。 私は一人殺風景な放送室の中で、このモノトーンの世界に身を置こう。 いつか輝く世界のため。私に色を付けてくれる、そんな‘誰か’に出会う日まで。 この未完の恋心を奏で続けよう。 願わくば、この音よ。風に乗り、空高く。 まだ知らぬ、まだ見ぬ彼へ、届いてくれ。 携帯電話からのメロディが、私にメールの着信を知らせていた。 [No.426] 2008/07/18(Fri) 21:31:52 |
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