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No.456へ返信

all 第15回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/07/28(Mon) 21:23:02 [No.444]
月世界 - ひみつ 1419byte - 2008/08/02(Sat) 00:12:50 [No.462]
――MVP候補ここまで―― - 主催 - 2008/08/02(Sat) 00:11:39 [No.461]
ありのままに - ひみつ 4213 byte - 2008/08/02(Sat) 00:07:56 [No.460]
わんこと私 - ひみつ 10155 byte - 2008/08/01(Fri) 23:59:10 [No.459]
残響 - ひみつ 9602 byte - 2008/08/01(Fri) 23:55:48 [No.458]
それが本能だというのなら。 - ひみつ@9338 byte - 2008/08/01(Fri) 23:49:58 [No.457]
生の刻印 - ひみつ@4267byte - 2008/08/01(Fri) 23:30:13 [No.456]
NIKU ROCK FESTIVAL 2008 - ひみつ 2,036マッスル - 2008/08/01(Fri) 22:52:42 [No.455]
ある新聞部員による実態レポート『聞いてみた』 - ひみつ 8210 byte - 2008/08/01(Fri) 21:50:03 [No.454]
白紙に空はない - ひみつ 4609 byte - 2008/08/01(Fri) 17:31:14 [No.453]
ぜんぶこわれてた - ひみつ@だーく? 6561 byte - 2008/08/01(Fri) 16:46:30 [No.452]
ただし二次元限定 - ひみつ@6427 byte - 2008/08/01(Fri) 11:11:32 [No.451]
小次郎と夏の日 - ひみつ@5871 byte - 2008/08/01(Fri) 00:36:00 [No.450]
死というものと、となり合わせになったとき。 - ひみつ - 2008/07/31(Thu) 14:50:37 [No.448]
3,318 byteでした。 - ひみつ@ごめんなさい - 2008/07/31(Thu) 14:54:04 [No.449]
蒐集癖 - ひみつ4760 byteです - 2008/07/31(Thu) 00:34:44 [No.447]
抑えつける - ひみつ -1593 byte- - 2008/07/29(Tue) 07:30:50 [No.446]
前半戦ログとか - 主催 - 2008/08/03(Sun) 02:05:33 [No.467]
後半戦ログと次回以降について - かき - 2008/08/03(Sun) 23:53:59 [No.471]
小大会MVPについて - かき - 2008/08/04(Mon) 01:02:14 [No.475]


生の刻印 (No.444 への返信) - ひみつ@4267byte

 線香から立ち昇る煙が鼻腔を刺激する。
 僕は焼けた墓石に組み付くようにして表面に浮いた汚れを拭い取っている。この炎天下、最初の墓石を磨き終える頃には服が汗で濡れそぼっていた。流れる汗は今も止まることを知らず、地面に小さな染みを落としては消え、落としては消えを繰り返す。
 遠くの方から、鈴がおぼつかない足取りでバケツを運んできたことに気づいた。小さな体躯には不釣合いなほどに大きな麦わら帽子を被っているせいで、彼女の姿はよく目立つ。鈴が純白のワンピースに身を包んでいることと、今日の墓参にその服を選んだこととはおそらく無関係ではない。
 僕の傍らに並々と水の満たされたバケツを置いて、鈴は緩やかに息を吐く。何気なく視線を向けると、彼女の顔にも珠の汗が滲んでいるのが分かる。改めて全身を眺めてみたところ、綺麗だ、という飾り気のない称賛が思わず僕の口からこぼれ落ちた。それは今の鈴の服装が、僕に花嫁衣裳を想起させたからなのかもしれない。幸いにも鈴は身を屈めて墓石の一つに手を合わせていて、僕の呟きは届いていなかった。
 順々に墓石を磨いていく途中、僕はある人の墓前で暫し手を止める。献花の交換をしていた鈴までもが手を止めて、僕に訝しげな視線を送っているのを感じる。しかし僕は彼女の方を振り返らなかったし、彼女もまた僕に無粋な言葉を投げかけなかった。
 瞑目する僕の瞳の裏側、その闇の中に浮かび上がるいくつもの人型の影がある。闇と影とは本来溶け合う関係であるが、闇が薄いためか影が濃いためか、そこにある影絵たちは個々に明確な輪郭線で囲われている。彼らの輪郭線は、あの日を過ぎても薄まることも揺らぐこともなく自らの存在を声高に主張し、むしろ僕の心における比重を高め続けている。
 少なくとも僕の主観において莫大な時が流れ、彼らと生きた記憶は一方的な剥離を見せている。鮮烈な記憶は一枚の写真のように脳裏へ永久に残るものだと信じていたが、それは都合のいい幻想なのだと思い知らされた。僕の頭はもう彼らの笑顔を鮮明に映し出してはくれない。
 
 僕は唐突にいつかの夏休みを思い出す。宿題の自由研究のため、僕は山林を駆け回って捕まえた昆虫で標本を作った。色鮮やかな昆虫たちを空き箱とビニールを組み合わせて作った標本箱へと収めたときには、えも言われぬ充実感に満たされたものだ。あのとき僕は、自作の稚拙な小箱の中に夏の記憶を形ある確かなものとして閉じ込めていた。両手で持てるほどの小さな小さな空間に、あの莫大な夏を僕は標本として保存していた。
 僕はきっと生きた標本箱なのだろう。僕の中には身に余る多くの思いが針で留められている。だけど僕は出来損ないの器だ。時間と共に劣化し、磨耗する運命から逃れられない。輝かしい標本たちは僕の中であてどなくさまよい、やがては僕と共に朽ちていくだろう。

 墓参の帰り、僕らは通りがかりの古ぼけた喫茶店に寄った。僅かに吹く風で断続的に店先の風鈴が鳴るものの、鳴き止まない蝉の鳴き声の前には微塵の涼しさも与えてはくれない。お盆に載って運ばれてきたアイスコーヒーに口をつけながら、僕はどうして生きているのだろうと陳腐な問いを自らに投げかける。
 しかし答えは至極単純なことで、僕には決して消えることのない生の刻印があるからだ。僕に生存本能があるかは甚だ疑問であるし、少なくとも生への執着や渇望は既にない。僕を生へと突き動かすものは、生きなければならないという義務感だけだ。
 恭介は虚構の世界を創り出し、僕の精神の奥深いところにお前は生きなければならないと念入りに刻み込んだ。弱かった僕が恭介の言う強さを手にし、現実に戻ってもその強さを手放してしまわないように。その刻印は順調に機能し、僕は鈴を守りながら今でもこの世界を生きている。真摯な生を叫んで疼き続けるその印が、恭介の刻んだ福音なのか呪詛なのか、僕にはもう判断がつかない。
 数多の世界で僕は恋をしたけれど、それは虚構でしか成就しない想いだった。繰り返される世界に僕の記憶と経験は消費され、上書きされた。恭介は最初から、奪うためだけに彼女たちを僕に与えたのだ。僕の前に鈴と歩む以外の道がないことを知りながら、現実を受け入れる強靭さを僕に持たせるという名目の下、僕の与り知らないところで恭介は全てを成したのだ。
 僕は今でも彼らと、そして彼らが遺してくれた生とどのように向き合えばいいのか分からない。何を怒り、何を悲しめばいいのかも不明瞭なままだ。
 ふと顔を上げて鈴を見つめると、彼女は一瞬の戸惑いの後に柔らかな笑顔を返してくれる。僕は頬を緩めてそれに応え、自然な動作で視線を下げていく。鈴の大きな瞳が視界から消え、アイスコーヒーの注がれたグラスに焦点が合わされる。
 黒々とした液体の中に沈殿する透明な氷を見つめながら、暗闇の中で身動き一つ取れないそれを見つめながら、僕は、先ほどから鳴き続けていたはずの、しかし何故か今になってようやく聞こえ始めた蝉の鳴き声に耳を傾ける。そのとき不意に奏でられた風鈴の音は、これまでの弱々しさを少しも脱していないはずなのに、蝉の声をかき消すほどに強い調子をもって僕の耳に届けられた。


[No.456] 2008/08/01(Fri) 23:30:13

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