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「おぐぅぉえっ、っぁ、かはっ!」 トイレに顔を突っ込むようにして、こみ上げてくるものを吐き出す。涙が一緒にぽたぽたと水面に落ちる。鼻水まで出てぐしゅぐしゅだ。 今日は髪、お団子にしてきて良かった。家にいるときは大ざっぱにまとめてるだけだから、おとついなんかうっかり水につけてしまってえらいことになった。家ならすぐお風呂で洗えるけど、今日はそうもいかないし。 いっそのこと切ってしまおうかと思ったけれど、あいつが止めるからしかたなく諦めた。まったく、気軽に言ってくれるな。大変なんだぞこっちは。まあ、どうせあと少ししたら切らなきゃいけないんだから、それまでは付き合ってやろう。 「りんちゃーん、大丈夫?」 吐き終わってからもまだ少し気持ち悪く、トイレにしがみついたままのあたしの様子を見に、小毬ちゃんがドアから顔を覗かせた。 「うぅ、あたしはもうだめだ。うちの猫とおっとを頼む……ぱたり」 「ふ、ふええ!?り、りんちゃんしっかりして〜っ!」 「あー、ごめん。ウソだ」 起き上がるのが面倒だからちょっとふざけただけなのに、真に受けてあんまり慌てるものだから、さすがに悪い気がしてすぐに取り消した。 本当は、もっと小毬ちゃんに意地悪してやるつもりだったけど。 「ひどいよー、りんちゃんっ。すごく心配したよー。でも、本当に駄目なときはすぐに言ってね?もうりんちゃんひとりの身体じゃないんだから。ね?」 「ごめん……」 トイレから身体を起こしたあたしを、小毬ちゃんはそっと抱きしめてくれる。本気で心配してくれたんだな、と胸が少し痛む。 「こまりちゃん、服よごれる……」 まだ綺麗にしてない口元が触れそうになって離れようとしたけれど、小毬ちゃんはなかなか離してくれない。 「大丈夫、みんなも、私もついてるから。元気な赤ちゃん、産もうね?」 赤ちゃん。気が付くとあたしは自由に動く手でおなかをゆっくりなでていた。 「……うん」 * 二週間くらい前、急に気持ち悪くなって、吐いた。寄ってくる猫を追い払いながら洗濯物を干していたので、目が回ったんだと思った。今までそんなこと一度もなかったけど。 次の日は昼ごはんを食べた後。晩ごはんもあまり食べられなかった。心配されたが、おやつの食べ過ぎだということにしておいた。 その次の日吐いたとき、あたしは耐え切れずに電話した。誰にかけようとかは考えていなかった。ただ、小毬ちゃんの声を聞いて、あたしは声を上げて泣いた。 少しして、あたしがぐずりながらの説明を終えると、小毬ちゃんは一言「おめでとう」と言った。 小毬ちゃんに説得されて、その日のうちに産婦人科に行った。正直、くちゃくちゃ恥ずかしかった。診療所に付くまで、周りの人がこっちをえっちぃ目で見てるんじゃないかとか、アホなことを考えてなかなかたどり着けなかった。 現実味がなかった。とりあえず、信じられなかった。待合室でお腹が大きいひとたちを眺めながら、自分も同じなんだと思えなかった。検査を受けて、自分のお腹の中を映されて、「これが赤ちゃんですよ」と言われても、まだ。 まあ、もちろんそういうことをしてたわけだし、「子供をつくろう」と言われたし。あたしももちろん欲しいと思って頷いたわけだけど。 でも、これが大きくなってひとの形になるなんて信じられるか?しかも生きて動くんだぞ?子供なんだぞ? ……まあ、小毬ちゃんに電話したとき、ほんとうは自分でも解ってはいたんだ。 * 病院を出て、あたしは真っ直ぐ帰らずに小毬ちゃんの家に行った。小さな庭のある二階建ての家。小毬ちゃんの家に行くのは卒業して以来だけど、変わったのは花壇に植えられた花の種類くらいだ。 インターホンを押してから、小毬ちゃんが出てくるまでの間、あたしは妙にどきどきしていた。、だって、小毬ちゃんとはあたしが結婚してから会っていなかったから。一年以上会っていなかった。電話やメールはしていたから会っていたつもりになっていたけれど。 自分の格好を確かめる。いちおうお出かけ用の格好だから変じゃないと思う。見た目はあまり変わっていないから、久しぶりでもわからなかったりはしないだろう。小毬ちゃんはどうだろう。変わってないといいな。そんなことを考えていたあたしの頭は、ドアの開く音で元に戻った。 「いらっしゃい、りんちゃん!」 一年ぶりに会った小毬ちゃんは、 「……太った?」 「がーんっ!?」 話はほとんどあたしの身体のことに終始した。今の時期気をつけたほうがいいこと。つわりがひどいときにどうしたらいいか。小毬ちゃんは詳しく教えてくれ、それで不安は少しやわらいだ。 その日は、日が暮れる前に小毬ちゃんの家をあとにした。小毬ちゃんとはまた近いうちに会うことにして。家で大事なミッションが待っているから。 家について、晩ごはんのしたくをする。赤飯を炊こうかと思ったけど、材料がないし、作ったことがないから、おいしくできるかもわからない。今は味見もしたくないので、簡単にできるものですませる。あたしの分はさっぱりりんご味のカップゼリー。しばらくはこんな感じだ。いつか普通の食事ができるようになるんだろうか。 ……その後のことについては多くはかたるまい。報告はした。喜ばれた。以上!……いーじょーう!っ恥ずかしいんじゃぼけぇ! * そんなわけで、その報告をかねてあたしはまた小毬ちゃんの家に来ているんだが。 「ほわぁっ、り、りんちゃんくすぐったいよっ!」 あたしは小毬ちゃんに抱きしめられながら、そのお腹を両手でじっくりと撫でていた。 「あたしもこんな風になるんだな。もううごくかな?」 「そうだね、この間からちょっとずつ動いてるよ。お皿洗ってるときとか急に動くからびっくりしちゃうけど」 きっと父親に似たんだな。相手の都合にお構いなしなところなんかそっくりだ。そんなことを考えながら、お腹の中の赤ちゃんが動くまでずっと触っていた。 お母さんか。自分がそうなることに、まだ実感はわかない。でも、あたしはきっと大丈夫、だ。 でも、 「こんなときに何をやっているんだ、あのばか兄貴……」 * 「ちょっと出かけてくる。行き先は……そう、アフリカ」 昼間からそんな寝言を吐いて、本当に恭介が旅立ったのは三ヶ月前。あたしは始め、また出張にでも行くんだろうと思っていた。 学歴はないが実力で係長になったらしく、あちこち飛び回ってはちょくちょく土産を送ってきたからだ。 だからそんときも、どこかの部族の変な仮面とか送ってきたらどうしてくれようとか、そんなことしか考えていなかった。 一週間位して、まだ土産が届かないから催促の電話をかけたら、繋がらなかった。 そこでようやく、恭介が消息不明になっているのを知ったんだ。 * 「そっか、心配だよね。でもきっと、大丈夫。恭介さんは、りんちゃんのお兄さんだもん」 小毬ちゃんがあたしの背中に手を回して、ぽふ、ぽふと叩いてくれる。あたしのばか、慰められてどうするんだ。 「ちがう、そうじゃないんだ。小毬ちゃんは不安じゃないのか?ひとりで、」 「大丈夫、だよ。お父さんもお母さんもそばにいるから。心配することなんか、ないよ」 あたしの言葉を遮って、小毬ちゃんは笑う。 子供を産むのはすごくすごく不安だ。あたしなんかのお腹の中でちゃんと育ってくれるのか、無事に出てきてくれるのか。あたし自身は無事でいられるのか。 小毬ちゃんがいてくれて、あいつがいるから頑張れる。 なんで大丈夫って笑えるんだ。小毬ちゃんだって不安なはずなのに、怖いはずなのに。あいつは、あのばかは。 「あ、でも。一緒に喜べないのは、残念、かなぁ」 「残念?」 「うん。赤ちゃんが私の中で少しずつ育っていくでしょう?大きくなって、元気に動いて。 毎日、少しずつだけど成長してくれてるって分かるのが、嬉しくて。 そして、赤ちゃんが私たちの世界に、おぎゃあ、って出てきたときにね、『ようこそ、始めまして!』って、お祝いしてあげたいんだ。 もし恭介さんと一緒に、早く会いたいね、って笑えたら。そして、産まれてくる赤ちゃんに二人で『ようこそ』って言えたら。 そしたらきっと、すごく幸せ」 幸せ、と呟くように言った小毬ちゃんは、笑っていたけど少し寂しそうだった。 なんだか腹が立ってきた。ここにいたらぼこぼこにしてやるのに。……よぅし。 「恭介を連れてくる。あたしたち、リトルバスターズが連れてきてやる」 携帯を取り出して、かたっぱしから電話をする。 舐めるなよ。あたしたちももう大人になったんだ。いつまでも兄貴面させてやるもんか。 地の果てまで追いかけて、絶対に捕まえてやる。 ミッション・スタートだ。 [No.500] 2008/08/10(Sun) 17:02:56 |
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