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紅く染まる校舎、長く伸びる影。蝉時雨の降る夕暮れのグラウンドに二人。離れて立つ二人は向かい合って、土と汗に汚れた白球を放り合っていた。 小さいほうの人影は、唇をつんと尖らせ、むっつりと黙り込んでいる。そのくせコントロールは正確で、逆光になる相手の構えたグローブにも、いい音をさせてボールを放り込んでいる。たまに一際いい音をさせた時は、口元が微かに緩むが、相方の視線を感じてすぐに表情を改めてしまう。 もう一方の影は、相方よりは大きいものの、さほど大柄というわけでもない。体格も良くも悪くもなく、悪く言えば特徴が無い。こちらは時折投げ損なって、相方がそれたボールを難なくキャッチするたびに謝っている。夕日を背にしていてその表情が他者に伝わりづらくはあるが、この場所にやってきた時からずっと同じ表情を浮かべている。眉が下がり、笑っているような悲しんでいるような困り顔を。 昼間陽光に炙られてからからに干上がった水呑場は、今も横殴りの赤光に晒されている。上向けられた蛇口の先は、一日の狩りを終えた蜻蛉に休息の場を与え、蜻蛉は青い眼を光らせてあたりを油断なく警戒しながら着陸する。 「ねえ、そろそろ終わりにしない?」 球を放りながら、大きいほうの影が口を開く。「ごめん」以外の言葉は久しぶりだ。 「……」 対する少女は無言。返事の代わりに眉根が寄せられる。大きい影は、相方の機嫌が一段階マイナスに傾いたのを見ても、再び言葉を重ねる。 「ずっとやってたし、お腹もすいた――」 ばしんっ、という強い音に驚いたか、蜻蛉は不意に体を浮かせる。空中を跳ねるように、ほんの僅か斜め上方へ。場所を僅かに移して肢をつけた直後、鋭い漆黒の嘴が攫っていく。 「すいてない」 相手の言葉を遮るようにグローブを強襲し、ゆっくりと言い聞かせるように少女は言う。鋭く、硬く、脆い声。顔を伏せた少女がどんな表情を浮かべているかはわからない。 強い拒絶に口をつぐんだ影は、軽く息を吐き、困り顔に笑みを乗せてボールを投げる。 「そうだね、さっき一緒に食べたもんね」 緩く投げられたボールは少女の足元に転がり、少女は俯いたまま、つま先でかるくつついた。ややあって、蝉の声の合間を縫って、鈴の音が小さく聞こえた。 グラウンドの隅で、一羽の烏が嘴に蜻蛉を咥えたまま地を跳ねる。蜻蛉の体は潰され、ひしゃげ、それでも抜け出そうと翅を震わせる。止める事のできない羽ばたきが、自らの体を破壊していく。 二人はキャッチボールを再開していた。それは少女が帰るのを拒否したからでもあり、もう片方がそんな彼女ともう少しこのままでいたい、と思い直したからでもあった。 そんな二人のキャッチボールは、少女が愚痴をこぼし、もう一方が相槌を打ったり宥めたり、という形に変わる。 「この間なんか、あたしが大事にとっておいたモンペチの海鮮まぐろ丼味を食べたんだ」 「聞いたよ。『材料マグロだけで海鮮でなおかつ丼ってどうなってるんだ?くっ、これは挑戦だ!食べるしかないじゃないか!』だっけ?」 「……えらく物まねうまいな。しかも一缶じゃ分からないからって、買っておいた三缶全部食べた」 「……よくお腹壊さなかったよね」 「そのおかげでコイズミとアジモフがお腹すかせて鳴いてたんだ。かわいそうじゃないか!」 「あー、あの二匹はまだ小さいからね」 「そうだ、チャーチルがいつもあいつらの分まで食べちゃうから、新味はあいつらに食べさせてやりたかったのに」 鳴いていた子猫たちを思い出したのか、しょんぼりとボールを投げ返す彼女に、相方は宥めるように言葉をかける。 「でも、そのあと小毬さんにすごく怒られたんでしょ?反省したって言ってたし、許してあげなよ」 地雷を踏んだ。 「――っ、小毬ちゃんだけじゃなくてお前もきょーすけをかばうのか!悪いのはきょーすけなのにっ!!」 裏切られた。絶対に味方してくれると思っていたのに。幼い憤りを目尻に浮かべ、少女が大きく振りかぶる。 「待っ」 「りきなんか嫌いだっ!!」 「痛っ」 怒りの声とともに投げつけられたボールを取りそこね、弾かれた右手を押さえる。はっと我に返って駆け寄る少女を、大丈夫だからと笑顔で止める。 グローブを外し、異常がないことを確かめると、もう一度笑顔で無事を告げる。不安げに見ていた彼女が、ようやく安堵し、ごめん、とだけ呟く。 少女は俯いたまま、淡い黄色のキャミソールの裾をぎゅっと握る。 前の晩から少ない衣装をベッドの上に広げ、ああでもないこうでもないと一晩かけて選び、今朝は鏡の前で何度もおかしなところがないか確かめた。その裾はいま土と汗に汚れ、皺くちゃになるほど握り締められている。 かたく握り締められた小さなこぶしの上に、柔らかな手のひらがそっと添えられた。 「いいよ。それより、続けよう?まだ時間はあるよ」 消沈した少女をいたわるように声をかけると、りん、と涼やかな音色が、キャッチボールの再開を告げた。 ようやく落ち着ける場所を見つけたか、烏が足を止め、咥えた獲物を地面に放す。捩くれた体を横たえられた蜻蛉は、自由を得るため空に飛び立とうと、翅を打ち付けて地面をのた打ち回る。 キャッチボールは、静かに再開された。今度は相方の方が積極的に話しかけ、少女はぽつりぽつりと会話に参加した。 今の二人の会話の内容は、今日の出来事について。二人で巡った店のことや食事中の出来事、途中で見かけた景色のことなど。互いに笑顔を浮かべ、次第に声も弾む。 「映画はぐっすり眠ってたね。かなりうるさかったのに」 「ああ、あの映画はつまらなかったな。あのくらいならうちの馬鹿ふたりがいつもやってることのほうがすごい」 「いやいやいや、あの二人は規格外だから比べちゃ駄目だよ。あと、いい加減名前で呼んであげないと可哀想だから」 会話につられるように、グローブの奏でる音も軽快になっていく。 「何でだ。あいつら本当に馬鹿だぞ。このあいだうちのビニールプールで、人間スプラッシュマウンテンとか言ってはしゃぎすぎて壊してた。 馬鹿としかいいようがないだろ?」 「うわぁ、それは馬鹿としか言いようがないね。うん、馬鹿と呼ぼう」 大の男が子供用のプールではしゃぐ様は馬鹿以外の何者でもない。フォローを諦めた相方は、次いで残念そうな表情を浮かべた。 「でも、そっか。壊れちゃったんだね、プール。僕も入りたかったな」 浮かんだ表情が妙に儚くて、少女は投げかけた手を止めて、息を飲む。 「……ごめん」 「どうして謝るの?りんは悪いことしてないのに」 少女にも分かっていないのだろう。理由を問われて首を傾げた彼女は何か伝えたいのに言葉にならない、そんなもどかしさを顔に浮かべて奇妙な動きを繰り返す。 「次はプールに行こうか。大きいやつ。きっと楽しいよ」 見かねた相方は、努めて明るい声で少女に提案する。その努力はそれなりに効果を発揮し、少女は途切れながら言葉を紡ぎだす。 「次、もあるのか?」 「うん」 恐る恐るの問いに、間を入れずに頷く。考えるまでもないと。それが伝わったと感じてから、左手を胸に添えて、ゆっくりと説く。 「もう、大丈夫だから。来年はもう、行かなくてもいいんだ」 「――――っ」 極まって、声を出せない少女の方へと足を踏み出す。離れた距離を詰めていく。やがて残された距離が一歩だけになって、少女は半歩だけ後退る。 一歩半の距離は華奢なその腕が零にした。 悶絶する蜻蛉の体に、漆黒の杭が突き立てられる。柔らかな胴体を啄まれ、衝撃で翅が破れ、頭がちぎれ落ちる。地に堕ちた狩人の首は、烏が胴体を嚥下するまでの間、重なり合う影を虚ろに眺めていた。 二人は地面に腰を下ろし、少女は腕に抱かれたまま、「次」の話に夢中になっていた。行きたいところ、やりたい遊び。食べたいもの、食べさせたいもの。 「そう、コロッケも作れるようになったんだ?」 「うん、うまいぞ。ちょっとだけひき肉を入れるのがうまさの秘密だ」 「そっか、楽しみだなあ」 細い指が少女の髪を撫でる。無造作に短く切られた髪がさらさらと指を通るたびに、少女がくすぐったそうに身じろぎする。 「……髪、伸ばそうかな?」 少女が自分の髪をひと房摘み、しげしげと眺める。 「どうしたの、急に」 髪を梳くのを止めて覗き込むように顔を寄せると、ミルクのような少女の匂いと微かな汗の匂いの混ざった、甘酸っぱい香りが鼻をくすぐる。 頬に息遣いを感じて髪をいじる手を止めた少女は、今にも触れそうな距離に気付いて慌ててそっぽを向く。それでも耳が赤く染まっているのは隠せない。 「別に、なんとなくだ」 そう、と微かに笑ってまた髪を梳き、少女も目を閉じて身を委ねる。川を渡る風が二人を撫でる。 「あの、な」 ぽつり、と。ちゃんと相手に聞こえただろうかと心配そうに顔を上げる。目が合って思わず逸らしてしまったけれど、聞いてくれているようなので、続きを口にする。 「さっきの、は、嘘だ」 ぶつ切り。首を傾げた気配、さっき、と繰り返す声。伝わっていない、足りていない。 「嫌いだ、って」 言葉が喉に引っかかる。囁くような声。あと少しだ、頑張れ、と自分を叱咤する。 「ほんとは、大す――」 最後まで言わせてもらえない。 やっぱり大嫌いだ、と。少女はまた嘘をついた。 夕日が熔けた鉄のようにぐずぐずに崩れて沈む頃、小腹を満たした烏が地面を蹴り、その翼を羽ばたかせてねぐらへと飛んでいく。 その羽音を見送って、二人の影は家路につく。 「お腹すいたね」 「うん」 「今日の晩御飯は何かな」 「理希が帰ってくるからごちそうだって言ってた」 「甘いものばっかりじゃないといいけど……」 「そうだな……まあ、馬鹿どもも来てるから、大丈夫だ」 「僕たちの分がなくなる心配をしなきゃいけないね」 しっかりと手をつないで。 「頼みがある」 「何?」 「宿題、手伝ってくれ」 「……全然やってないの?」 絡めた指は離さずに。 「でも、とりあえず帰ったらお風呂かな」 「そうだな、汗でべたべただ」 「一緒に入ろうか?久しぶりに」 「なぁっ!?」 「いいじゃない、凛がどれだけ成長したのか見せ――」 「お前も馬鹿親父と一緒かっ!」 姉妹の影は寄り添って、どこまでも伸びていく。 [No.514] 2008/08/28(Thu) 23:21:27 |
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