![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
「理樹、明日墓参りに行くぞ」 そんな声が耳に飛び込んできたのは、仕事で使う記録書式の作成をしていた時だった。使いやすいように、後で見たとき分かり易いようにと、そんな簡単なようで、やってみるとまったくうまくいかない無理難題を上司に吹っかけられて、半ば諦めて退職願でも書こうかと考えてしまうほど疲れていた僕は、これ幸いと仕事を放棄した。 「明日?また唐突だね」 「時間は取れそうか?」 「うん。話していた通り、明日は休みだからね」 今年は諸事情がありお盆に訪れることが出来なかったから、その行動自体は僕らにとっては唐突でも何でもない。八月も残すところ二日にはなってしまったけれど、そろそろ行かなくては、とは僕も思っていた。ただ、なぜ明日なのかと質問すると、返ってきた答えは「明後日以降は気温がぐっと下がるらしい」、との事。 「体調は大丈夫そうなの?」 「うん、大丈夫だ。むしろ明日行かないと、行けなくなりそうだな」 数ヶ月前から新たに増えた、鈴の体調という心配事が今の僕の大部分を占めている。行くのは恭介のところだけ、という僕の妥協案には同意してくれたものの、他の意見は頑なに拒否された。かなり不安な面があるのは確かだが、「何かあっても理樹が助けてくれるだろ」という一撃必殺の言葉を持ち出されたからには、どうにかしない訳にはいくまい。 結局、鈴に押し切られるような形で、翌日の墓参りが決定していた。 『Primal Light』 僕らの予定を遮るように夜半から降り出した雨がようやく上がったのは、夕方近くのことだった。晴れることを信じて疑わず、昼過ぎからせっせと大して多くもない荷物を用意して空を睨み付けていた鈴に、例えばトラロックのような雨の神様も根負けしたのかもしれない。 天候不順による気温低下、それに加えてお盆を過ぎてから急激に寒くなってきた事を考えると鈴の体調が懸念されたが、今回もやはり「行く」の一点張りで押し通された。そんな鈴のわがままという一言で片付けられてしまいそうな事でも、ほぼ容認してしまう僕自身の甘さに苦笑し、そして一緒に居たいと思える僕自身の鈴への想いを再確認する。僕らは望んで共に居る。雨の日には濡れて、晴れた日には乾いて、寒い日には震えて、雪の日には凍えて。そうやって一緒に過ごしてきた日々は、決して傷の舐め合いなんかじゃない。 日が傾きかけたころ家を出発した僕らを、澄んだ青い空が出迎えた。本当に先ほどまで降っていたのだろうか、そう疑問に思うほど雨の気配は残っていない。湿度が高いためだろう、この時期にしては少しむっとした熱気を感じながら、墓地までの道程を二人で歩く。 鈴は少しゆったり目のワンピース。七分程度の長さの袖で若干寒そうに見えなくもないが、この陽気ではちょうどよいかも知れない。未だ不安はあるものの、心配しすぎるのも返って良くないのも解っている。特に今の時期、鈴に余計なストレスを与えないことが最優先事項な訳だが、この付かず離れずの匙加減が未だに僕の課題だったりする。 供えるべき花は、鈴の手の中に。そして僕はと言えば。 「ねえ鈴?」 「どうしたんだ?」 「女物を僕が持っていたら周囲からの目線が痛いと思うんだけど」 「お前は女顔だから大丈夫だ」 僕の当然の主張を、何を今更、と言わんばかりの目線を送りながら答える鈴。そんな心に軽く傷の付くやり取りの末に持たされた、外出時の鈴愛用の手提げバッグを一つ。そして、上着のポケットにもう一つの持ち物。 「これ、どこから出てきたの?」 「確か、押入れ漁ったら出てきた。最近部屋を片付けただろ。その時にな」 ポケットを押さえながら尋ねた僕に「そこにあった経緯はまったく知らん」、そう返しながらも、やはり思うところがあったのだろう。僕の「どうして持ってきたの」という質問に、ただ一言ポツリと漏らしたのは。 「なんとなく、恭介のところに持って行かないといけない気がした」 * 寺と、それに隣接した墓地は閑散としていた。お盆には遅すぎる、でも彼岸には早すぎる中途半端なこの時期、墓参りをする人はほとんど見当たらない。ジジジッ、というアブラゼミの独唱だけが、この空間を包むように響いている。 時期外れの孤独な蝉。それが、今の僕らの境遇と重なる。その声を聞きながら、遠い日を少しでも今に近づけたくて、目を閉じる。 暗闇に浮かぶのは、忘れられない、忘れたくない、忘れちゃいけないみんな。名前も、顔も、覚えている。でも、それでも。透明なガラスで遮られているように、その世界は、無音だった。風化してしまったのは、声と知った。どんなに耳を澄ませても、聞こえてくるのは‘こちら側’の蝉の声。二つは重ならない、そんな当たり前を少し寂しく思う。 「行こう」 立ち止まるのは、少しだけ。この記憶は僕にとって、ほんの一瞬の救いや慰めに過ぎない。それでも、これがあるから、僕はここにいる。ここで生きていける。それはずっと前から繰り返してきた、もう言い聞かせる必要もないほど自分に染み込んでしまった事実。 目を開けて、前を見て。僕より少し体温の高い鈴の手を引いて歩き出す。 この先で、恭介が待っている。 * 軽く掃除をして花を供えた後、手を合わせる。何度も訪れてはいるけれど、それでも伝えたいことは山ほどある。あの事故からここまで歩いてこれた、恭介が見ることのできなかった僕らの事とか。いや、例え恭介も知っている話だっていい。一度聞かせた事だって、時が過ぎればまた違ったものになるから。それでも結局はいつものように、僕は口を開かなかった。それはきっと、言葉にはできないからでも、それができたとしても、どんなに叫んだって届きやしないことを解っているからでもあるんだろう。 隣で手を合わせている鈴を横目で盗み見る。毎年のように繰り返す「あたしは泣かないからな」の誓いは、今年も果たされないようだ。 鈴の脳裏を、どんな思い出が駆け抜けていったのかは分からない。あの一学期のことか、それとも恭介と二人で手を繋いで歩いてきたことか。それを理解してあげられなかった自分が、悲しいような情けないような、そんな気持ちを抱いたこともあった。悲しみや痛みの共有は、きっと本当の意味ではできないのだろう。 人はみんな独りで、それでも生きていく、いや生きていけてしまうのかもしれない。それが酷く悲しいことだと知ったとき、僕らは手を繋いだ。それは弱さではないと僕らは知っている。 身体の震えと涙は、見なかったことにしてあげよう。ここを出たら、抱きしめてあげればいい。鈴は僕が守る、それは恭介に毎年のように立てる誓い。今年は、それに加えてもう一つの報告がある。これだけは、はっきりと口に出して言わなければならない。 自分を鼓舞するよう握り締めた僕の左手に、重ねられる温もり。小さくて、でも優しい、鈴の手。「あたしから、伝える」、蝉の声にかき消されそうなほどか弱く、それでも確実に僕の耳に届いた言葉に頷く。 「聞いて驚け、馬鹿兄貴」 いつもの口調、でも先ほどの涙の後遺症だろうか、わずかに声が震えていた。 僕は目を瞑り、あいた右手をポケットの中に入れる。指先にある硬い感触を確かめながら、黙って鈴の言葉を聞いていた。 「あたしにな、子供ができたんだ。もちろん、理樹との子供だ」 大切な報告。これこそが、いつもの時期に来られなかった理由。妊娠初期の心身不安定な時期を漸く過ぎ、もともと細身な鈴のお腹の膨らみも目立ち始めた。自然、僕らの目線はそこに集まる。確かな命の存在を確認できるその部分を恭介に教えるように、優しく撫でた。 言葉が切れ、繋がる手に力が込められる。もしかしたら不安なのかも知れない。それが解らないことは、少しもどかしいけれど。大丈夫、僕はここにいるよ、その想いを込めて優しく手を握り返した。 「見せれないのが残念だが。きょーすけは、喜んで、くれるよな?」 もういない人からの返答はない。きっとその決定権は、生きている僕たちにあるのではないだろうか。死者の感情を生者が決する、なんて傲慢な事だとは思うけど。 それでも、恭介なら絶対に喜んでくれるだろう。諸手を上げて、叫んで。みんなを呼び寄せて、新たなミッションを始めてしまうんだ、きっと。鈴も同じ考えに至ったのだろう、僕らは思わず笑ってしまう。直後、さっきはどうしても思い出せなかった、「当たり前だろ」という嬉しそうな恭介の声が、記憶の奥から聞こえた気がした。 「ともかく、元気にやってる。今のあたしたちがあるのは、お前のおかげだ」 隔絶された世界、永遠の一瞬。その中で、自分の足で歩く強さを教えてくれた事。そこから送り出してくれた事。あの日々の形なき想いは、僕らの中に、確かに、ある。 「だからな、・・・ありがとう」 頭を下げる鈴。僕も万感の思いを込めて、それに倣う。 ありがとう、恭介。 僕らに始まりを、ありがとう。 ポケットに入りっぱなしだったものを取り出す。これは僕らの過去、そして今ここにいる僕らの原点。「もって行かないといけない気がした」、そう言った鈴の想いが今、理解できた気がした。 僕の右手には、始まり。 そして僕の左手には、未来。 ゆっくりと右手を差し出し、墓に供える。 決別のつもりではない。忘れない、ずっと。これは、僕らなりのけじめ。今度は僕ら自身が、始まりになるんだ。生まれてくる僕らの子供のために、道を示してあげられるように。だからこれは、そのために、ここに置いていくよ、恭介。 * 太陽は沈みかけている。ヒグラシの物悲しげな鳴き声が聞こえている。 「じゃあ恭介、僕らもう行くね。また今度、来るからさ。新しい家族も連れて、ね」 冷たくなってきた風は、身重の鈴の身体に障る。名残惜しさを感じつつも、いつまでもこうしては居られない。鈴の手をゆっくりと引いて、その場を後にする。いつかのように、恭介に見送られながら。 一度だけ振り返る。 黒い墓石に捧げられた花。 その中央に置かれた、薄暗くなってきた辺りに溶け込まず輝く、くすんだ白球。 始まりの光に見送られ、さあ、未来を目指そうか、鈴。 [No.521] 2008/08/29(Fri) 23:15:20 |
この記事への返信は締め切られています。
返信は投稿後 30 日間のみ可能に設定されています。