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No.626へ返信

all 第19回リトバス草SS大会 - 主催 - 2008/10/15(Wed) 00:20:21 [No.621]
場所を変えてみたら - ひみつ@大遅刻の6575 byteorz ネタバレはありません - 2008/10/19(Sun) 22:53:04 [No.651]
over - ひみつ@4844 byte EXネタバレ パロディ注意 - 2008/10/19(Sun) 13:32:31 [No.650]
犯人はだれだ!? - ひみつ@EXネタはない@9,332 byte /超遅刻すみません - 2008/10/18(Sat) 16:23:16 [No.646]
変心の実 - ち゛こ゛く@≒2331bite EXネタバレ有り - 2008/10/18(Sat) 00:57:20 [No.641]
真説・本能寺 - ひみつ@EXネタ有 時間&容量オーバー 30419 byte - 2008/10/18(Sat) 00:11:35 [No.639]
「また」リコール隠し - ひみつ@6.824kb バレなし - 2008/10/18(Sat) 00:07:21 [No.638]
[削除] - - 2008/10/18(Sat) 00:03:23 [No.637]
仲間外れでも許せる理由 - ひみつ? 9207 byte - 2008/10/17(Fri) 22:45:54 [No.636]
変わるモノ - ひみつ@22437 byte EX微バレ 容量オーバー - 2008/10/17(Fri) 22:28:04 [No.634]
0:10えむぶいぴーらいん - しゅさい - 2008/10/17(Fri) 22:13:00 [No.633]
[削除] - - 2008/10/17(Fri) 20:52:28 [No.632]
焼菓子騒動 - ひみつ@13993 byte EXネタバレ0.1%くらい - 2008/10/17(Fri) 20:47:33 [No.631]
笑顔で - ひみつ@8673 byte EXバレなし - 2008/10/17(Fri) 04:59:11 [No.630]
わたしはあなたのゆめをみる - ひみつ@8940 byte 十七禁 - 2008/10/16(Thu) 21:16:14 [No.629]
繰り返しの中の小さな矛盾。 - ひみつ@6486 byte - 2008/10/16(Thu) 18:44:20 [No.628]
かわらないきみ と かわらないぼく - ひみつ@ネタバレなし 5382 byte - 2008/10/16(Thu) 12:10:36 [No.627]
視線の先には - ひみつ@15451 byte微かにEXネタバレ - 2008/10/15(Wed) 23:47:20 [No.626]
狂った天秤 - ひみつ@9504byte - 2008/10/15(Wed) 18:31:19 [No.625]
We don't forget our journ... - ひみつ 15332byte EXバレなしー - 2008/10/15(Wed) 13:45:10 [No.624]
ずっといっしょに - ひみつ@6817byte EXバレなしー - 2008/10/15(Wed) 03:18:29 [No.623]
感想会後半戦について - 主催 - 2008/10/19(Sun) 01:31:27 [No.647]


視線の先には (No.621 への返信) - ひみつ@15451 byte微かにEXネタバレ

 空虚な時間が流れていた。それは今という短いスパンと狭い範囲に限らず、ここ最近の学校全体が余りにも静か過ぎた。
 修学旅行、その行きの行程で起きた悲劇。一台のバスが崖下に転落し、生存者はたったの二名。直枝理樹、棗鈴。その両名を除いて生存者はいなかった。余りにも多い死者の数は、例え親しい人が死ななかった生徒にもその陰鬱な空気を伝染させる。学校全体が、緩やかに生きる気力を失っているようだった。



 秋の朝日がのぼる頃、一睡も出来なかった佐々美は静かに机をなでた。かつて友人が勉強していた無機質をただただなでる。
「…………」
 机の上にはぬいぐるみやら色鉛筆やら。引き出しの中には甘いお菓子がいっぱいに詰まっているだろうし、タンスの上の方には小学生がつけるような下着が、下の方にはフリルだらけの私服が入っている。そんな事は佐々美には見なくても分かる事、彼女たちはもう一年以上も同じ部屋で暮らしているのだから。いや、暮らしていたのだから。
 やがて机をなでるのをやめた佐々美はフラフラとベッドへ近づき、ボスンと体を投げたした。ゆっくりと息を吸ってみれば、微かに友人の匂いが鼻を刺激する。
「…………神、北さん」
 震える声に応えは無い。見た目の通りに子供っぽく、甘いお菓子が大好きでフリルだらけの服やバックプリントまで愛用していた小毬。しかし意外にも頭は良くて、特に英語なんかは学年でもトップクラスの成績を叩き出していた小毬。絵本を描くのが好きで、何冊も描いては佐々美に見せてくれた小毬。
 もうこの部屋に甘い匂いが漂う事は無いし、ブツブツと英語が暗唱される事も無いし、カリカリと色鉛筆が音をたてる事も無い。佐々美はそんな、もう何百となく繰り返した思考を飽きもしないでなぞる。
「…………朝、ご飯。食べませんと」
 やがてふらふらと佐々美が立ち上がる。もう朝の食堂が開いている時間だからと彼女は足をふらつかせて部屋を出る。バタンと閉まる扉、その誰も居なくなった部屋はいつもの通りに薄暗かった。

 部屋を出て慣れた廊下を歩き、向かう先は食堂。途中、何人かとすれ違ったりしたが、誰も彼もが佐々美と同じように陰鬱な空気を纏っていた。ただ一組、お喋りをしながら歩いている二人組が居る事には居た。無神経な喋り声が勘に障る、それ以上の感想が佐々美には抱けなかったけど。
 やがて食堂にたどり着くも、流れる空気はいつもと変わらない。大勢の人間が食事をとっているのにも関わらず、食器のぶつかる音が聞こえる程に声がない。まばらに聞こえる声も広い食堂に空しく反響して、むしろ寂しさを醸し出していた。だがそれでも今日はいい方だ。酷い時は言葉が全くない中で食事を強いられる日さえある。
 そんな日常をかえりみる事無く佐々美はカウンターに行き、朝食を受け取って席へ向かう。ソフトボール部の後輩とは最近一緒にいる事が少ない。気を使って貰っているのか、何時までも覇気が戻らないから見限られたのか。どちらでもいいと佐々美は機械的にトレイの上の食べ物を口に運ぶ。
 食事を始めてから三分、ガリと言う音と同時、口内に広がった苦みに佐々美は目の前にあるものを理解した。トーストにサラダ、牛乳にデザートの柿。どうやら今朝の食事はトーストセットらしい。そして手に持っているのは多少焦げたトースト、その黒い部分をかじっていた。
「ぅぇ」
 品のない声が聞こえたと同時、目の前のコゲが友人の最期の姿に重なる。もう見分けがつかない位に焼かれた全身はそうだと言われても友人と結びつける事は出来なかった。よく手入れをされていた髪はチリチリに、可愛らしい顔は無惨、白かった火に炙られて肌は黒。
「…………」
 食欲なんてきれいに消えた。朝食をしっかりとる事は美容と健康の為に必要な事。そんな一般論程度では目の前のコゲを口に運ぶ気力が戻るはずもなくて。
 無言のままトレイを片づける。残飯を捨てるポリバケツはいつも通りにいっぱいになっていた。

 食堂を出る。時間を持て余した佐々美は、とりあえず教室に向かおうと支度を整えて渡り廊下にさしかかった。教室に行き、いつもの通りに意味無く静かな時間を過ごすのだろうと、佐々美はそう思っていた。
「こらっ、ヒトラー。アガサのご飯をとっちゃ、めーだ!」
 そんな大声が聞こえてくるまでは。佐々美がのろのろと声のした方に向くと、そこには二つの人影と多数のネコの姿が。鈴と理樹、あの事故の生き残りの二人が和気あいあいとネコ達にエサをやっている姿が飛び込んできた。目に映ったその映像が体が凍りつかせる。
「鈴、ネコなんだから言ったって分からないと思うよ」
「そんなことない。ほら見ろ、ヒトラーはちゃんとアガサのご飯から離れたじゃないか」
「代わりにレノンのご飯を食べてるけどね」
「ふかー!」
 鈴の威嚇で、ようやく一匹のネコがすごすごと引き下がる。代わりにそのネコは鈴に近づいて、足に首をすり寄せてきた。
「ん、何だ? 遊んで欲しいのか?」
 鈴は寄ってきたネコの顎をくすぐると、そのネコはゴロゴロと気持ちよさそうな声を出し始めた。
 その光景を、佐々美は信じられない気持ちで眺める。
「なん、なんですの…………」
 学校全体が沈んでいる。あの事故で親しい者を失っていない者でさえ。けれど、あの二人だけは事故の前となんら変わりない生活を送っていた。一番今まで通りでは居てはいけないはずの二人だけが今まで通りだった。
「棗鈴!!」
 叫んでいた。叫ぶまでは凍りついた様に体が動かなかったのに、叫んでからは一気に状況が進んでいく。
 まずはネコが一斉に逃げていった。次には鈴と理樹とがびっくりした顔を佐々美に向けて、次の瞬間には二人の前に仁王立ちしている佐々美がいた。
「ささせがわささみっ!」
「あなた……何をしていらして?」
「ネコにご飯をあげていた」
 敵意と呼ぶには生ぬるい、もはや悪意と呼べる感情を振りまきながら鈴につっかかる佐々美。鈴の方も憮然とした態度で佐々美に相対する。
「よくも……そんな事が出来ますわね!」
「いつもやっている」
「だから、よくもいつも通りの事が出来ますわねと言っているのです!」
 佐々美の悪意が空気をピンと張り詰めさせ、それがますます鈴の顔を険しくさせた。
「ちゃんとご飯をあげないと可哀想だろ。あいつらにはあたし達の事情なんて関係ないんだから」
「開き直って…………!」
 佐々美は鈴のあっけらかんとした態度が気に障り、鈴は佐々美に悪意をぶつけられるのが気に食わない。
「そもそもノラネコにエサをあげる必要もないでしょう、何を勝手な事をしているのかしら?」
「あいつらはあたしの友達だ。友達を大事にして何が悪い」
「そう、ネコが友達ね。ネコは大事にするのに人間は見殺しにするのかしら?」

 パンッ!

 それは、鈴が思いっきり佐々美の頬をはたいた音。
「もういっぺん言ってみろささせがわささみっ!!」
 佐々美は一瞬の忘我を経て、沸き上がる激情のまま拳を握り、それを鈴の体――胸に叩きつける。
「何度でも言って差し上げますわ! ネコはそんなに大切にしてるくせに、人間は炎の海の中に置き去りにしますのね!」
 肺の中の空気を押し出された鈴は少しだけ苦悶に顔を歪めると、右足を力いっぱいに振り上げる。脇腹に突き刺さる爪先。
「したくてしたんじゃない!」
「ならなぜ皆さんを助けなかったのです、この偽善者!」
 佐々美のヒザが鈴の太股に。
「助けられなかった、助けたかった!」
 鈴のヒジが佐々美の肩へ。
「助ければよかったんじゃありませんか! 勝手に逃げて、勝手に見殺しにして! それでお友達を大事にする? よく言えたものですわね!!」
 踵が足首に。
「行けばあたし達も死んでた! みんながあたし達を巻き込んで喜ぶはずがないだろ!」
 髪を引っ張り。
「それで、生き残ったあなた達はのうのうと今まで通りに? 死んだ皆様が報われませんわ!」
 服に爪を立てて。
「黙れ、お前に何が分かる!」
「分かりますわよ、あなたこそ神北さんや宮沢様の何が分かって!?」
「謙吾はあたしを庇って死んだんだぞ、勝手な事を言うな!」
「ならあなたも命を懸けて宮沢様を助けなさいよ、神北さんを助けなさいよ! 勝手な事を言っているのはあなたでしょう!」

 罵り合いは途切れ途切れ。二人はもう地面を転がりながら怒りと言葉を叩きつけ合っていた。スカートをはいている事も忘れ、白やら黒やらを晒しながらそれを気に止めもしない。
「あそこにいなかったお前がよくもそんな好き勝手な事を…………!」
「命惜しさにお友達を見捨てる人にはお似合いの言葉ですわ! あら、お友達だけじゃなくてお兄さまも含まれてましたっけ?」
「! お前に、きょーすけの何が分かる! あたしがどうきょーすけを想っていたのか分かるのかっ!?」
「分かりたくもありませんわね、あなたみたいな人の心なんて!」
「コラァ! 何をしてるっ!?」
 怒号。寮から学校への渡り廊下のすぐ側でこんな大喧嘩をしていれば、考えるまでもなく人目につく。渡り廊下にはギャラリーが集まっていたし、その中の誰かが呼んだであろう生活指導の教師が姿を現していた。
「笹瀬川に棗! 何をしてるかっ!」
 その声にも関わらず、二人は取っ組み合いと罵り合いを止めない。人混みをかき分けて二人に近づく教師。そして人の壁を乗り越えた先で、理樹が立ちふさがっていた。
「直枝、どけ」
「嫌です」
 端的に言う教師に、端的に返す理樹。
「どけえぇぇぇ!!」
 思わぬ人物の思わぬ返答に、教師の沸点は容易に超えた。ビリビリと、声が届く範囲の世界を揺るがす。
「どきません」
 それでも理樹は揺るがなかった。淡々とその言葉を繰り返す。少しだけの、教師が理樹の言葉を理解する為の空白の時間。教師の声の届かなかった佐々美と鈴の声が空しく響いていた。
「っ!」

 バキィ――

 感情のままに教師が理樹を殴打した。たたらを踏み、よろける理樹。けれど教師と二人の間には意地でも体を入れ続ける。目は、教師から決して離さない。
「…………」
「…………ッ!」
 その視線に今度は教師がひるんだ。元々、感情に任せて理樹を殴ってしまった負い目もあったのだろう。それ以上手も声も出せずににらみ合うだけの教師と理樹。そしてその間、佐々美と鈴の喧嘩はますますヒートアップしていく。
「だまれ、だまれだまれだまれだまれ!」
「こっの、よくもよくも……」
「あのバスに乗っていなかったお前に――」
「ただ、後から事故の事を聞かされただけの私達の気持ちが――」
「お前に友達も見殺しにしなくちゃいけなかった気持がわかるかぁ!!」
「あなたに友達が苦しんでいる時に何も出来なかった気持ちが理解できましてっ!?」
 パァンという音が重なった。二人が同時に頬を平手打ち、体の動きが止まる。周囲にいた人間は、その光景に言葉を失っていた。
 ハァハァハァという荒い息使いだけが響く。それを見届けた理樹はようやく二人と教師の間から体を外した。そして我に返る教師。
「コラァ! 棗に笹瀬川、何をしているかぁ!!」



 黙々と裏庭の草むしりをする三人。
「…………」
「…………」
「…………」
 太陽はもう中天を過ぎて、もうしばらくすれば赤くなりそうな時間。お昼を食べる時間を除いて最終下校時間まで草むしりをし続ける事が喧嘩をした少女たちと、喧嘩を助長させた少年に対する罰だった。
「…………」
「…………」
「…………」
 その間に交わされた言葉は零。理樹と鈴も一切口を開く事は無く、佐々美に至っては言わずもがな。食事の為に休憩する際にも誰ともなしに立ち上がり、黙々と食事をとって、そしてまた草むしりに戻る始末だ。
「…………」
「…………」
「…………」
 嫌な沈黙。最初の方は険悪といった雰囲気だったのが、昼休みを挟んだくらいから気まずさのそれに変わりつつある。その原因は沈黙の時間、それが二人に冷静さを与えていた。あの殴り合い、罵り合いの最中に相手が何を言っていたのか。そして自分はそれを今まで理解していたのか。二人の頭はそんな事がグルグルの駆け巡っていた。
 しかし今まで殆ど喧嘩友達だった二人、どうしたらいいのか分からないというのが態度だけでよく分かる。
「…………」
「…………」
「…………」
 無言で作業を続ける三人。と、
「つぅ!」
「どうかいたしましたか、直枝さん!?」
「大丈夫か、理樹!」
 理樹の声を皮切りに沈黙が破れた。
「うん。ちょっと草で手を切っちゃっただけだから」
 少しだけ情けない顔で軽く切れた手を見せる理樹。それでも理樹の側に寄ってくる二人。
「血、血が出てるっ! 保健室に行かなくちゃ!」
「い、いや。このくらい…………」
「それに第一関節が切れてますわよ? 早く治療しないと後が辛いですわ!」
「だ、だから…………」
 話も聞かずグイグイと引っ張る二人に何かピンとくる理樹。気まずい空気から逃げたいというのも大きいだろうが、これはもしかしたら――――
「…………ねぇ、二人とも。もしかして僕の怪我を草むしりをサボる口実にしてようとしてない?」
 ピタッと止まる二人。理樹からは二人の背中しか見えないが、どんな表情をしていそうなのかはなんとなく分かる。
「…………君たちね」
「だって…………」
「…………飽きましたわ」
 気まずそうな鈴に佐々美。喧嘩ばかりしていた二人が今は仲良く叱られる悪戯友達のようである。
「く、くくく…………」
 それがおかしくて理樹は思わず笑ってしまう。もちろん二人がそれを嬉しいと思うはずもなく。
「笑うなっ!」
「直枝さん、失礼ではありませんこと?」
「ご、ごめん。くく、はは、あははははははは」
 それでも理樹は耐えきれなくてお腹を抱えて笑い出す。
「…………ぷ」
「…………くす」
 余りにも愉快気に笑う少年に、少女達もつられ笑い始める。そして――
「あははははははははははっ!」
 理樹が笑う。文字通り、お腹を抱えて地面を転げて。土が体についたとしても、それは全く気に止まらない。
「あは、あは、あははははははは!」
 鈴が笑う。笑いすぎてヒザまで笑い、倒れそうになるのを必死になってこらえている。
「あはは、あははははははは…………」
 佐々美が笑う。楽しそうに楽しそうに満面の笑みで。
 笑う、笑う、笑う。

 ひとしきり笑った三人は、結局全員で保健室に行った。全員で行ってしてもらったのは絆創膏を一つはった程度だけど、ついでに軍手を三つ貰ってきた。これで短い時間とはいえ草むしりで手を切る事はなさそうだ。
「あはは、物凄く笑ったね」
「全く。失礼な方ですこと」
 保健室からの帰り道、まだ笑い足りないといった理樹を佐々美がたしなめる。けれどもやっぱりその顔は笑顔。
「……でも、久しぶりに大笑いさせて頂きましたわ。棗鈴、早く行きますわよ!」
 そして機嫌も悪くないらしい。にこりと人のいい笑みで締めくくる。そして少し遅れて歩いていた鈴の方を振り返って声をかけた。その鈴の方はと言うと、丸まった軍手を持って何かを考えこんでいる。
「鈴、どうしたの?」
 心配そうな理樹の声。それに反応したのかしてないのか。理樹が声をかけてから数秒経って、鈴は顔をあげる。
「キャッチボールをしよう」
「「は?」」
 言い方まで恭介に似て、唐突に鈴がそんな事を言った。
「えっと、鈴、何?」
「キャッチボールをしようと言った」
 丸まった軍手をボールのようにポンポンと上に投げる鈴。
「そういえば、事故からボールに触ってない。ちゃんと今まで通りの生活をしないと、みんなが心配する」
「あなたねぇ…………」
 さっきとは一転、苦虫を噛み潰したような顔になった佐々美の言葉。
「そんな無理をしても、皆様は喜びませんこと?」
「だからお前に何が分かるんだささせがわささみ」
 一気に機嫌が悪くなる鈴。大方、先程の喧嘩を思い出したのだろうが、あくまで佐々美は冷静だった。
「だからあなたのお友達は、無理をして今まで通りのあなたを見てて喜ぶような人なのですの?」
「ぅ…………」
 そして鈴もまだ冷静だったらしい。佐々美の正論に情けない表情を作る。
「…………まあ、分かったらよろしいのです。いつかやりたくなったならば以前言った通り、グランドの隅っこでキャッチボールをする程度ならばお目こぼしして差し上げますわ」
 照れくさそうに顔を逸らす佐々美。そして驚いた顔をする鈴。
「ささみ…………。お前は実は、いいヤツだったんだな」
「それはどういう意味ですの?」
 半目になって睨む佐々美。そんなネコ達のじゃれあいを、理樹は一歩離れた所から微笑ましく二人を見守っていた。

 最初とはうって変わり、赤い太陽に照らされながら雑談を交えて雑草を引き抜いていく三人。だけどもう、いくらこの三人でも体力の限界だった。
「うぅ…………」
「全く。一日中草むしりなんて、体罰の一種ではありません…………?」
「は、はは」
 腰をさすっている鈴、大きく伸びをしている佐々美、地面に体を投げ出している理樹。制限時間までは後一時間程だが、その全体の何分の一かの時間が最高に辛い。各々が軽く体を休めているとき、ガサガサと人が歩いてくる音がした。教師が監視に来たのかと慌てて作業に戻る三人だったが、
「「「佐々美さまっ!」」」
 三者三様の声色で動きを止める。直後、特に強く反応したのはもちろん佐々美。
「あなたたち!?」
「申し訳ありません、佐々美さま」
「佐々美さまが草むしりなどなされているとは露知らず」
「もし知っていればもっと早く来たのですが」
 顔を向けてみれば、もうすでに佐々美の取り巻きの三人が草むしりを始めていた。
「ちょ、止めなさいあなたたち。これはわたくし達の罰ですのよ!」
「止めません」
「佐々美さまの罰は私たちの罰です」
「せめて、お手伝いをしたいんです」
 佐々美の制止の声なんて聞きもしないで、せっせと草をむしる少女達。しばらく呆然としていた佐々美だったが、やがては諦めのため息をつく。
「ならせめて保健室で軍手を借りていらっしゃい。草で指を切りますから」

 理樹はその光景をただ見ていた。鈴と佐々美、そして佐々美の取り巻きの少女達が和気あいあいと草むしりに興じる姿を。
 事故の後の陰鬱な空気、それがここには無い。彼女たちはきっとたくさん傷ついたのだろう。けれども今は確かに笑いあえていた。昔とは確かに違う、だけど変わらない世界がそこにあった。
(…………)
 恭介の視線の先にはこんな光景が映っていたのか、これがみんなの望んでいた世界なのか。それはもう分からない。理樹の目に映る世界が薄く歪む。
「理樹っ! 一人だけサボるなっ!」
 鈴の叱責が飛んでくる。理樹は誰にも気がつかれないように目をこすり、
「ごめん、今行くよ!」
 そして自然に浮き出てきた笑顔をみんなに向けた。
 理樹の視線の先には、歪んでいない世界が広がっている。


[No.626] 2008/10/15(Wed) 23:47:20

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