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コンコン。 ノックの音がした。 「理樹、起きてるかー?」 新聞を畳んで布団の中に押し込むと同時、まだなにも言ってないのにドアが開いた。 「お見舞いに来てやったぞ」 いや、鈴もまだ退院してないでしょ。突っ込んで見せたら鈴は笑った。 「よし、変わってないな」 満足げに言って、隣のイスに腰掛ける。手すりのところにひじを乗せ、頬杖を突いて僕の顔を嬉しそうに覗き込んでくる。 「出歩いて大丈夫なの?」 「ちゃんと看護婦さんに言ってきた」 「あ、うん、それなら。……顔のとこ、治ったんだ」 鈴は頷いてかさぶたを掻く。 「あんまり触っちゃダメだよ、言われなかった?」 「なら思い出させるな!」 相変わらず無茶なことを言う子だった。 「で、なにしに来たの? なにかあった?」 「遊びに来た」 「あ、そ……果物でも食べる?」 お見舞い品の代名詞みたいなのが、たしかあったと思う。誰が持ってきたのか知らないけれど。 身体を起こそうとしたら、いきなり肩を押さえつけられた。 「理樹はまだ寝てろ。あたしがやるから」 気遣ってくれてるつもりなんだろうけど、背中の打ち身がものすごく痛んだ。 鈴が包帯に巻かれた手で、たどたどしく果物ナイフの鞘を抜く。誰が持ってきたのか新品らしく、銀色の刃が真っ白い蛍光灯をギラギラ反射していた。入院中に生傷を増やすなんてさすがに笑えない。 「青リンゴでいいか?」 どう見ても梨だった。 不安になって起き上がろうとすると、鈴は大層慌てて僕を制する。ナイフを持ったまま。みねが首に押し当てられて、諦めた。シャリシャリ見えないところで音がするのは怖いけど、ナイフの方がもっと怖い。 というか、お皿はいいにして、剥いた皮はどうするつもりなんだろう? 生ゴミ用のゴミ箱なんて病室に置いてあるんだろうか。 いい加減、寝返り一つ打てなくて苦しい。 やっぱり寝たきりっていうのも不健康だ。今度看護婦さんに頼んでみよう。長方形の梨を齧りながらそんなことを考えた。 「皮むくの上手いね」 食べ終えてから、当然の社交辞令。 言ってからすごい皮肉っぽいことに気がついた。 「そーだろそーだろ。……まえ、教えてもらったんだ」 でも、鈴は素直に笑ってみせる。これも鈴の美点なんだろうけど、僕には不安の種にしか映らない。 これからやってけるんだろうか? 歩き回れるようになったら、いろいろ考えなきゃいけない。 そう思っていたから、『お見舞』と書かれた封筒を差し出されたとき、すんなり受け取ることができた。僕の入院費だって馬鹿にはならないし、いくらあったって困るものじゃない。僕らが最初に考えなきゃならないことだ。 「この度は、大変なご迷惑をおかけしたことを、重ねてお詫び申し上げます」 白髪交じりのオールバック。額の皺が灯りに深く浮かび上がっている。この人もきっと大変なんだろうな、なんてことを考えた。 それからクラスメイトだった人たちの家族や、運転手さんの奥さんが代わる代わる訪ねてくるようになった。なんでも訴訟を起こすらしい。弁護士を名乗る人もいた。 「こんなこと、二度とあっちゃいけない。君の友達や、亡くなった人たちの無念を晴らすのが生きている者の務めだ」 力強く語られた。 そのまえに僕と鈴は生きてくことを考えなきゃいけないんで、とは思ったけれど、口には出さない。代わりに、僕はストレスを受けると眠ってしまう奇病を抱えている、そういう場所に出て行くことはできない、とだけ説明した。 生存者の証言が云々、と言っていたけれど、警察に話した以上のことはなにも言えない。ただ突然バスがひっくり返った。気づいたらベッドの上だった。運転手さんが本当に起きていたかどうかも僕には分からない。 それをどうして引っ張り出したがるのか。多分、印象操作というやつがしたいんだろう、と当たりを付けた。 僕が乗り気でないと知るや、今度は鈴を口説き始めたようだった。退屈になった分、新聞を読んで過ごした。 救助隊が夕闇の崖下に立ったとき耳にしたのは「大きな古時計」のメロディだった。安否を気遣う遺族の悲痛な呼びかけだった。誰一人として応じることはなかった。 以下、延々被害者遺族のコメントが続く。修学旅行を楽しみにしていた、将来の夢はなんだった。云々。 ヘタクソな小説みたいだと思った。 『「また」リコール隠しか』 何月何日どこどこの、カーブが連続する見通しの悪い坂で観光バスが横転、ガードレールを超えて数十メートル転落したのち、炎上した。この事故で乗っていた高校生ら四十四名のうち四十二名が死亡。警察は当初、ブレーキ痕が無いことや目撃者の証言などから、死亡した運転手がなんらかの理由で運転を誤ったものとみていた。 しかし調べを進めるうち、今回事故を起こしたものと同様の車種について、過去にも運転中ブレーキがかからなくなるトラブルが九件報告されていたことが判明した。警察は大破したバスを引き上げて詳しく調べている。 こんな感じで、事件は日増しに大きくなった。 退院するのはほとぼりが冷めてから、とお願いしていたけれど、この分じゃいつになるかわかったもんじゃない。 結局鈴と手を繋ぐ時間もなくなってしまった。 それでも僕らは恵まれている。死んだ人は僕らのようにはいかない。 僕らにできることといえば、なんとか二人、強く生きていく、というそれだけだ。みんなの代弁や、みんなの家族を助けることなんて無理に決まってる。だいたい、生き残った僕らが言えることなんてあるわけがない。 鈴と話して、退院する日を決めた。状況が変わらないなら早い方がいいと思った。 屋上にはぐるりと高い、頑丈そうなフェンスが張り巡らされていた。風が吹いて鈴は寒そうに肩を震わせたけど、僕にはむしろ暑いくらいだ。 鈴がサンダルを鳴らしてフェンスに歩み寄っていく。僕も後に続いた。 「なんかここ、嫌いだ」 そう言って鈴は金網を蹴る。予想に反して音はまったくしなかった。 「まあそう言わないでさ。他にゆっくり話せる場所ってないでしょ?」 黙ったままで頷く。 「明日、退院するよね。それから鈴はどうしたい?」 「どーいうことだ?」 「つまり、学校とかさ。多分、僕らはよくても、通いづらくなると思うんだ」 鈴は答えない。眼下に広がる街灯りを、じっと見つめている。 僕も鈴の答えを待つ間、鈴と同じ風景を眺めた。あいにく空は曇っていて、星のひとつも見えないけれど、町並みの電灯は明るい。ずっと向こうの幹線道路をヘッドライトが流れていく。路面バスだって走っていた。その一つ一つに人が乗っているというのが、僕にはまだ実感できない。 「じーちゃんち思い出すな」 鈴がようやく口を開いた。 「すんごい田舎だったでしょ、あそこ」 「馬鹿、違う」 鈴はまた震える。 汗ばんでて悪いけど、と前置きしたら殴られた。気を取り直して、鈴の肩を抱き寄せる。 「なんか、じーちゃんちで見た蛍みたい」 鈴はそう言って、光の群れを指差す。 点いたり、消えたり。記憶の中に、本当にうっすらと残る姿と、目の前の景色を比べてみた。 「それよりは星の方が近いんじゃない?」 幾千の星。なんてベタなフレーズを連想する。遠いし、手が届かない。 鈴は首を捻った。 「かんせーのそーいだな」 譲る気はないらしい。 そのうち僕らもあの中の一つになるのだ。どちらがいいか、と聞かれれば、星のほうがいい、と思う。まあ、意見を戦わせる気はないけれど。 「それで、鈴はどうしたい?」 もう一度訊ねた。 「あたしにはわからない。なんか、考えられない」 そう言って、おなかにまわした僕の腕を抱きしめた。 「怖いんだ。いろんなことが」 今にも泣き出しそうな声だった。慰めなんてなんの解決にもならないと知っていたから、僕はなにも言わなかった。 「理樹は、怖くないのか?」 怖がってる余裕なんてない、というのが正しい。 これからは強く生きていかなきゃいけない。泣き言なんて、僕はひと言も口にしたりはしないだろう。そうでなきゃ鈴は守れない。 この先なにがあっても、目は背けないでいられる自信がある。多分、鈴が死んでも。 正しく生きる、強く生きるっていうのは、きっとそういうことなんだ。恭介に誓った。 鈴にもいつか伝えなきゃいけないだろう。 [No.638] 2008/10/18(Sat) 00:07:21 |
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