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どうも、反論先の大谷です。 「醒めない夢はないからこそ二次を書く」というのは正しいと言えば正しい話で、それそのものに反論する気はありません。ただし私が述べた、「醒めない夢はないんだったら君なんで二次創作書いてるの?」という「極論」は、リトバスの持つ「虚構世界/現実世界」という極端な二分法が必然的に要請するものであることは確認しておく必要があると思います。 リトバスは「虚構世界」と「現実世界」のいずれか一方を選択するようにしか作られておらず、前者を選択することは幼児的で駄目な振る舞いであり、後者を選択することは倫理的な素晴らしい行ないであるとするゲームでした。その二分法的な枠組みに従う限りにおいて、虚構(「現実に帰らずずっとゲームやってりゃいい話」)と現実(「醒めない夢はないならプレイ後リトバス封印」)を往還するという中間的な回路(「「寂しくなったらいつでも戻ってこいよ、うまうー!」な超絶後ろ向きな希望」、「醒めない夢はないからこそ二次を書く」)は成立しません。リトバスにあってその往還は、一方で「現実世界」へ帰還する選択を称揚しておきながら、しかしその称揚の背後で、二次創作という名の「虚構世界」へとこそこそ舞い戻っている、という矛盾としてしか存在しえないでしょう。「醒めない夢はないんだったら君なんで二次創作書いてるの?」という私の言葉はその矛盾の指摘です(「折角夢見てるんだから、興醒めする様なもん書くなよ」とか割とどうでもいい言明として受け取られてしまったようなのでそれは同時に否定しておきます)。 無論その矛盾を乗り越えて「醒めない夢はないからこそ二次を書く」とし、虚構を選択することや二次創作を書くことを肯定しようとするSSはありうるでしょうし、私もそんなSSを読んでみたいですが、「夏の終わる日。」がそのようなものであったかと言えばそうは読めなかったと言わざるをえません。 最後に。「結局は個人の感性次第で、「二次を書く」事に正しい定義などないというのが真実かと」とはこれもまた正しいと言えば正しい話です。が、そうした相対主義は往々にして、他人との正常な会話さえ不成立にさせてしまうことには注意を払っていいと思います。「個人の感性次第」という魔法の言葉であらゆる反論を回避することになりかねないからです。 [No.716] 2008/11/19(Wed) 14:16:44 |
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