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No.725へ返信

all 第22回リトバス草SS大会(ネタバレ申告必要無) - 主催 - 2008/11/26(Wed) 22:09:30 [No.720]
消臭剤の朝 - ひみつ@6.972byte@遅刻@再投稿 - 2008/11/30(Sun) 08:00:55 [No.755]
筋肉も荷物 - ちこく、ひみつ 6192byte - 2008/11/29(Sat) 12:55:17 [No.750]
[削除] - - 2008/11/29(Sat) 12:45:20 [No.748]
えむぶいぴーしめきり - しゅさい - 2008/11/29(Sat) 00:15:17 [No.744]
ひとりきり - ひみつ@20472 byte - 2008/11/29(Sat) 00:08:03 [No.743]
[削除] - - 2008/11/29(Sat) 00:07:24 [No.742]
さいぐさはるかのあるいちにち - ひみつ@3436byte - 2008/11/29(Sat) 00:01:52 [No.741]
[削除] - - 2008/11/29(Sat) 00:01:19 [No.740]
初雪 - ひみつ 15326 byte - 2008/11/28(Fri) 23:54:39 [No.739]
初雪(改訂版) - ゆのつ@16475 byte - 2008/12/17(Wed) 23:37:28 [No.809]
匂いは生活をあらわす - ひみつです 14055byte - 2008/11/28(Fri) 23:26:14 [No.738]
優しさの匂い - ひみつ 初@1516byte - 2008/11/28(Fri) 22:01:45 [No.737]
よるのにおいにつつまれたなら - ひみつ@8553 byte(バイト数修正) - 2008/11/28(Fri) 21:21:36 [No.736]
しあわせのにおいってどんなにおい? - ひみつ@11339 byte - 2008/11/28(Fri) 19:49:18 [No.735]
鼻づまり - ひみつ@3067byte - 2008/11/28(Fri) 18:01:23 [No.734]
こっちから負け組臭がプンプンするぜ! - ひみつ@10046 byte - 2008/11/28(Fri) 18:00:02 [No.733]
女の香り - ひみつ4050KB - 2008/11/28(Fri) 12:05:16 [No.732]
仄霞 - ひみつ@8109byte@若干エロティック - 2008/11/28(Fri) 03:09:32 [No.731]
フラグメント或いは舞い落ちる無限の言葉 - ひみつ 18428 byte - 2008/11/28(Fri) 01:14:07 [No.730]
夏の日だった。 - ひみつ 972byte - 2008/11/28(Fri) 00:22:23 [No.729]
類は恋を呼ぶ - ひみつ@13896 byte - 2008/11/28(Fri) 00:17:08 [No.728]
におい≒記憶 - ひみつ@10657 byte - 2008/11/27(Thu) 23:06:12 [No.727]
ぬくもり - ひみつ@19998 byte - 2008/11/27(Thu) 22:08:55 [No.726]
腐敗の檻 - ひみつ@7899byte - 2008/11/27(Thu) 19:39:06 [No.725]
永遠の一瞬に子犬は幸せを嗅当てる - ひみつ 10347 byte - 2008/11/27(Thu) 17:57:43 [No.724]
世界で一番君を愛してる - ひみつ 18,521byte - 2008/11/27(Thu) 02:29:00 [No.723]
こないの?リトルバスターズ - ひみつ 4807byte - 2008/11/26(Wed) 23:29:10 [No.722]
MVPとか次回とか - 主催 - 2008/11/30(Sun) 01:29:39 [No.753]


腐敗の檻 (No.720 への返信) - ひみつ@7899byte

 両目を覆うように巻かれた包帯にそっと触れる。指先にざらついた布の感触。これを取り払ってまぶたを上げれば、この瞳にかつて見た世界が映るのではないだろうか、なんて。僕はそんなことを夢想する。
 バス事故に巻き込まれた僕は、両目を潰して光を失った。先日、病室と思しき部屋のベッドで覚醒したとき、傍らにいてくれた鈴にそのような意味のことを告げられたのだ。視力を奪われた僕は、今となっては自らの置かれた状況すらもあやふやな言葉でしか表現することができない。
 耳を澄ませる。かすかな足音が聞こえる。僕は起こした体をベッドに沈め、狸寝入りをする。病室の扉が軋みを上げて、部屋の空気に人の気配が混じる。静かに歩み寄ってきた誰かが、僕の寝顔に視線を向けているのが何となく分かる。その双眸にどのような感情を宿らせているのかまで、窺い知ることはできないけれど。
 その誰かが顔を寄せてきたことで、僕の鼻腔を柔らかく甘い匂いがくすぐった。鈴、と思わず口を割って出た言葉に、そこにいる彼女が息を呑んだ。ごめん、起こしたか、と申し訳なさそうに鈴は言う。
 答える代わりに首を振り、鈴を抱き締めようと手を伸ばす。その手が温かな肉体を捉えるよりも早く、僕は彼女の唇で口をふさがれていた。
 その刹那、僕を取り巻く世界の時間は極限まで濃縮されて、残された五感が一つずつ閉じていく。静寂が満ち、命の匂いが霧散し、重ね合わせた唇の感触すらも失われ、何も映さない瞳が生み出す闇の向こうに僕たちだけが取り残される。
 深淵に沈み込んでいくような絶望は、今こうして鈴の存在を身近に感じているときにこそ色濃いものとなる。彼女と繋がり合うこの一瞬が、光を取り戻すことのない瞳のように、仄暗い永遠に届くことを思う。自他を区別する存在の輪郭線が、ぬらつく鈴の唾液のように、流れて溶け出し混じり合うことを思う。
 惜しむように離された鈴の唇から、熱っぽい吐息が漏れる。偽りの久遠は瞬く間に砕け散り、この身へと五感が乱暴に突き返される。正常に時を刻み始めた世界の中で、何の前触れもなく、あたしが理樹の目になると、鈴が漫画か映画でしか聞かないような台詞を大真面目に口にする。
 その言葉が脳に染み入ると、頭の芯が不思議と痺れた。頭蓋を切り開いて柔らかな脳を取り去り指先で弄ぶような快楽。噛み潰した血管から命を啜るような甘美。数多い血濡れの臓器を峻別していくような堕落。やがて僕の意識は自然と薄れ、思考は曇り硝子に似て散漫となる。その間隙を縫うように、鈴がまたしても僕の口を吸う。
 鈴の温かな唇から垂れ落ちた涎が、僕の手の甲に落ちる。彼女の皮膚から滲み出た生温い汗も重ねて落ちる。
 鈴はどんな表情をしているのだろうとふと思う。僕の心を占有する彼女によって、その思索は瞬時に押し流される。今なお脳は痺れている。寒空の下に神経を剥き出しにしたような、異常なほど鋭敏な五感が彼女の存在と直接繋がっている。僕は彼女を抱き締める。世界そのものを抱き締める。
 鈴の方から口を離す。弾みで二人分の唾液が糸を引く。それを感じる。ぷつりと切れて重力に引かれて落ちる。あたしが理樹の目になると、一度聞いた言葉を鈴が繰り返す。あたしが理樹の手になると、吐息混じりにそう続ける。あたしが理樹の足になると、静かに言葉を紡ぐ。あたしが理樹の全てになると、そう言い終えた直後にまた口づける。
 僕は見えもしない目を閉じる。闇が闇を塗り潰す。


 電気の切れた薄暗いバスに人の気配はない。窓から射し込む月明かりだけが、朽ちた内部を微かに照らし出す。足裏に触れるのは弾力のある柔らかな地面。見下ろせば、随所に血管の浮き出た脈打つ内臓の床がそこにある。
 車窓から見上げた空は低く、強烈な圧迫感に眩暈を起こす。黒檀の夜空に鎮座する満月は、縮尺が狂って異様なまでに大きい。彼方に屹立するのは骨の塔。野放図に組み上げられた廃墟の白刃めいた表面が、淡い月光を浴びて不穏に煌く。周囲に広がるのは虹の森。並び立つ七色の木々は、色彩から濃淡に至るまで一本とて同じものはない。天を突く幾千の槍のごとく、寂寞の森に根を下ろしている。
 バスの内部は窓も扉も閉じているのに何故か底冷えしている。僕はかじかむ手をすり合わせる。何気なく見上げた天井は闇の濃度が高い。しかし刻々と隆起と沈降を繰り返す様は、やはりそこもまた脈動する内臓の一部であると告げている。
 狭小な空間に息苦しさを覚えて、外に出ようと考える。閉じた扉を引くが反応はない。壊すつもりで手荒にやっても無駄だった。諦めて窓の鍵に手をかけるがこちらも動かない。錆びついているのだろうか。


 病室の扉が軋む。途端に食欲を刺激する匂いが部屋に充満する。ご飯持ってきた、と弾んだ口調で言葉を落とし、鈴がこちらに寄ってくる。思わず身を起こそうとするが、叶わずに背中からベッドへと沈み込む。理樹、とまるで自分のことであるかのように彼女が悲痛な声を漏らす。
 無理するな、と甘くとろけるような声で鈴は言う。ほら、あーんしろ、とそのままごく自然に言葉を継いだ。僕はそれに従う。スプーンが口に差し込まれる。
 痛むか、とひどく心配そうに問いかけられ、大丈夫、と普段通りに返して笑う。うまく笑えただろうか。鈴が、包帯の巻かれた僕の腕を優しくさする。肘から先のない腕を、彼女の熱が包み込む。僕はバス事故に遭って、両目と両腕を失った。二度と治ることのない傷痕。それでも生きていられたのは僥倖だ。鈴がここにいてくれたから。
 食事を終えた僕の体に、鈴が体を寄せてくる。僕を見上げる彼女が、その瞳を飴細工のようにとろかせていることを思う。密着した肉体と肉体が、離せば糸を引く粘着質の境界を持つことを思う。漂い始める甘い腐臭に鼻の奥が痺れる。プルースト効果というやつか、唐突にいつか見た夢、あるいは過去の記憶が呼び起こされる。だが、それが明確な形を成す前に僕は口を吸われる。想起した感情が、風景が、鈴の存在に圧されて消えていく。その快感に身を震わせる。
 僕は自らが蜘蛛に絡め取られる虫けらとなることを思う。粘つく糸に束縛されて感覚は麻痺し、一切の抵抗を許されないまま四肢を順にもがれていく。そうして生きながら身を喰われる様を想像してみて、それが存外に堕落にも似た快楽を呼び覚ますことを知る。
 僕の頬に触れる鈴の小さな手が、ぬめりを帯びているように感じられた。絡み合い、浮き出た汗に濡れているのかもしれない。彼女の妖艶な吐息が、僕の肌を刺激する。触れ合う全ての場所が熱を帯びている。
 耐え切れず、僕の方から深く鈴の存在を求めて再び身を起こそうとする。叶わないと知りつつ行った僕の愚鈍な本能を見透かしたように、彼女は激しく身悶えする。その行為に根ざした感情は、魂を揺さぶるほどの征服感か達成感か。あるいは。


 雨音が聞こえ始めた。閉ざされた車窓から外を見ると、幾条もの雨粒が地上に降り注いでいる。それは蛍火に酷似した輝きを纏い、大気を鮮やかに彩る。地に落ちた雨は寄り集まって水溜まりを作る。すると水は蛍火から、魂を思わせる燐光へと色を変える。
 視線を空へと転じれば、雨風を切って舞い飛ぶ鳥の姿が捉えられる。肉も皮も削ぎ落ちている骨格標本めいた鳥だ。空洞だらけの翼が激しく揺れ動いている。甲高い鳴き声が雨粒の隙間を縫い、硝子窓を突き抜けて僕の耳に届けられる。
 横殴りの豪雨が窓に映る世界を滲ませる。間断なく叩きつけられる雨粒が硝子窓に当たって何度も弾ける。もはや骨の塔も虹の森も見えない。僕は静かに視線を切ると、先程よりも明度の落ちた車内を振り返る。
 不自然に雨音が強まった途端、頭上にある天井が破れて大量の雨粒が僕の体に降り注ぐ。全身が濡れそぼるのに数秒とかからなかった。今や世界と繋がる抜けるような天を仰ぐ。見ていて吸い込まれそうな程に壮大な満月がそこにある。僕は片手を空へと掲げる。すると五指が音も痛みもなく溶けるようにもげ落ちる。手首、肘、肩と順々に雨の勢いにさらわれ流れ落ちていく。
 急に足から力が抜けて倒れ込む。気がつくと僕には足がない。脈打つ地面に取り込まれているのだ。どこまでも落ちていくような浮遊感の只中で、それでも聞こえ続けた雨音が緩やかに収束し、消えていく。五感が鈍りつつあるからだろうか。分からない。空が遠い。


 目が見えず、四肢すら動かない僕の世界には、もうずっと音がない。事故で鼓膜でも破れたか、しかし僕は誰かにそれを問い質す術がない。現状が何一つ分からなかったから、誰か、と僕は他人の温もりを求めて声を上げる。耳が正常に機能していないから、声が出ているのかすら不明だった。
 すると誰かが僕のおとがいをそっと持ち上げて、甘く痺れるような接吻をする。そうしてから、出来の悪い恋人をたしなめるように唇を甘噛みしてきた。
 そこにいる気配は伝わるのに、その誰かはすぐに口を離してしまい、再び僕に触れようとしない。見捨てられるのではないかという恐怖が湧いてきて、それと同時に心の深層から溢れ出てきた、たった一つの切実な言葉を口にする。
 鈴、と。
 それが正解だと教えるように、彼女は僕に長く深く口づける。彼女の体から染み出す甘い香りが、僕の脳を侵すように染み入る。直後に漂い始めた腐臭は、溶け始めた僕の脳が発するものか、彼女の存在が発するものか、あるいは別の何かなのか、僕には分からなくなっていた。だが、その疑問も口を吸われることで溶けるように消えていく。押し流されていく。闇のみを映し出す瞳の奥で、彼女が満足そうに笑っているような気がした。


[No.725] 2008/11/27(Thu) 19:39:06

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