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チャイルドフッド (No.887 への返信) - ひみつ@9072 byteしめきられたのです

 海に来てしまった。





『チャイルドフッド』





「あっつ……」
 馬鹿でかいパラソルの下で、若干溶けた小さなアイスキャンディーを舐めながら、独り呟く。目の前では家族連れやカップルやらがわいわいがやがやとはしゃぎ回っている。ああ、なんであたしはこんなところにいるんだろう。真夏の太陽は、そんなこと知るかーっと熱光線をガンガンに浴びせてきていた。あちぃ。
 食べ終えたアイスの棒を砂浜に投げ捨てる。よく見ると「当たり!」と書いてあった。取りに行くのもめんどうだ。放置放置。ああ、だるぅ。
「お待たせ」
「とっととよこせ」
「キィーッ! いちいちむかつきますわね!」
「やかましい。余計に暑くなる」
 その後もしばらくウキィーッ! だの、ムキィーッ! だのと喚く佐々美の手からビールをかっぱらい、一気に喉に流し込む。サラリーマンがなんでビアガーデンに群がるのか少し分かった気がした。げっぷが出た。
「お行儀が悪いですわよ」
「寧ろこれが作法だ」
「まあ、真昼間からビール一気飲みする時点で完全に親父の仲間入りを果たしていることは間違いないですわね」
「黙れ貧乳」
「なっ! あ、あなただって大して変わらないじゃないの!」
「お前のほうが身長がちょっと高い。よってお前のほうが貧乳」
「スクール水着で海水浴に来る大学生にそんなこと言われたくないですわ!」
「これしか無いんだ」
「あなたが誘ったんでしょ。なんで買っていないの?」
「金が無いんだ」
「お酒ばかり飲んでるからですわ」
「ああ、さっきからうるさいなー」
 両手で耳に蓋をして聞こえないフリ。まあ、誘ったのはあたしで、完全にきまぐれ以外の何物でもなかったのだが。
 大学の掲示板にドカンと海のポスターが貼ってあった。あたしはそれを見た。そこに佐々美が通りかかったから「海行くぞ」とか言ってみたら、簡単に「よろしくてよ」とか気持ち悪い口調で返事してくれたので、佐々美のローン五年払いの軽自動車に乗っかって、そこそこ近い海水浴場に、翌日、馳せ参じてみた。今は激しく後悔している。水着は押入れの中を漁ってみたら高校時代のスクール水着があったので、それを持ってきた。佐々美は、やけに大人っぽい、ちょっとハイレグ入った黒のフリフリビキニを地味に着こなしていた。顔立ち自体は大人っぽいから、似合わないことは無いのだが、如何せん、身体の線が貧弱すぎて、かわいそうになる。ティッシュ詰めておけよと忠告しておいたのだが、無視されたようで。乳に関しては勝ってると思う。なんとなくだけど、そんな気がする。
「棗鈴」
「フルネームで呼ぶな」
「えっと、り、鈴」
「照れながら呼ぶな。きしょい」
「キィーッ!」
「なんだよ」
「何を怒っているの?」
「別に」
 怒ってない。
「なんとなく察しはつきますが」
「つくな」
「はいはい」
 流された。うざいな、こいつ。
 なんだかんだで、佐々美とはそこそこ長い付き合いになる。高校の時、先に突っ掛かってきたのは佐々美だった。それからも、いつだってあたしに佐々美は突っ掛かってくる。最終的に受験のことにまで突っ掛かってきた。どこも受けん、と言ったら、「逃げるのね! 敵ではないわ! おーっほっほっほ!」と高笑いして去っていったのがむかついて、軽く勉強してみたら、存外楽に受かってしまい、そのままずるずる今に至る。
「うざみ」
「誰がうざみよ!」
「うざこ」
「一文字も合ってないじゃない!」
「テンション下げろよ。血管切れるぞ」
「あなたはテンション上げなさいよ! 海よ! 海なのよ! どうなのよ!」
「ビールもう一杯買ってきて」
「はやっ!」
「とっとと酒持ってこい」
「性質悪っ」
「ここで寝てるから、早く持ってこい」
「はいはい」
「はい、は一回でいい」
「はいはいはいはいはいはい」
 諦めた顔で、はいはい言いながら去っていく。佐々美が持ってきた浮き輪を枕代わりに寝転がる。空はパラソルで見えない。それでも雲ひとつ無い快晴なのは間違いない。日焼け止めは買ってきていなかったが、佐々美の鞄を漁ってみたらあったので、勝手に使って、無くなって、砂浜に捨てたのは内緒。どうせ車に予備があるだろうから、気にしないことにした。タオルを腹に掛け、目を瞑る。パラソルも瞼も通り越して、日光が差してくる。それでもビールを一気飲みしたせいか、前日バイトで夜勤に入っていたせいか、まあ、眠い。眠い時、どうすれば一番いいかをあたしは知っている。
「おやすみ」
 そう、空の上の誰かに呟いた。





 起きたら、やたらと頭が痛かった。体がだるかった。所々黄ばんだ天井が見えた。
「起きた?」
「ん?」
「まだ寝ぼけてますのね」
「んー」
 ぼんやりする頭では状況を理解できないし、しようとする気さえ起きない。おでこに乗せられた佐々美の手がとてもヒンヤリしていて気持ちいい。それだけ分かれば十分な気がした。
「脱水症状に熱中症」
「ん?」
「まったく、人がナンパされて困っている間に呑気に昼寝なんてしているから、そういうことになるのですわ」
「んー」
「今はゆっくりお休みなさい」
「やだ」
「なんで?」
「まだ遊んでない」
「そんなの明日でいいでしょ? 宿泊費は払っておいたから」
「まだ遊んでない」
「だから」
「まだ足りない」
「足りないって、あなたはビール飲んで寝てただけじゃない」
「足りないんだ」
「お酒が? とんだ飲んだくれですわね」
「色々と足りない」
「あっそ。もう一度寝なさい。扇いであげるから」
「……ねる」
 おやすみなさい。耳元で囁く声に意識が流される。まるで催眠術みたいだ。なんとなく佐々美に介抱されているという事実が悔しいので、一言だけ言っておきたかった。
「ばか。あほ」
 二言になった。知らん。寝る。





 目を覚ますと、夕方だった。頭痛はしなかったが、代わりに頭は重くなっていた。隣では、あたしのことを介抱していたはずの佐々美が腹を出して眠りこけていた。蹴っ飛ばした。
「ふおっ!」
「よだれ」
「ふえ? はっ! じゅる」
「ささみ。出かける準備しろ」
「へ?」
「夕日、見に行くぞ。だから、とっとと準備しろ」
 絶対綺麗だ。間違いない。
「はあ。その言葉そっくりそのまま、あなたにお返しいたしますわ」
「なんでじゃ」
「上着ぐらい羽織りなさい」
 まだスクール水着のまんまだった。
 ピンク色の薄手のパーカーを上から羽織り、ホットパンツをそのまま履く。こうすれば、スクール水着も、ただのタンクトップに見えないことも無い。
「財布持ったか?」
「あなたは?」
「カメラ持ったか?」
「一応。で、あなたは財布は?」
「よし。出発」
「さ、財布はっ!?」
 財布財布とうるさい佐々美を無視して部屋を出る。諦めた表情で佐々美も次いで部屋を出てきた。歩いてみるとよく分かるが、やっぱり頭がやたらに重い。漬物石かなんかが乗っかったみたいでぐらぐらする。ていうか、髪が鬱陶しいなぁ。
 佐々美が鍵をフロントに預けている間に、旅館の前のコンビニで買い物をしようと思ったけど、金が無いことに気づいて、結局待った。
「さいふ、遅いぞ」
「気のせいかしら。財布と呼ばれた気がしますわ」
「さいふ、いくぞ」
「ああ、ああ、はいはい」
「コンビニで買いたいものがあったんだが、うっかり財布を忘れてきてしまった」
「うっかりなもんですか」
 グチグチ言いながらも律儀に財布を出す佐々美を見て、金は後で返そうと、素直に思った。コンビニででっかいビニール袋と散髪用の鋏を買った。
「こんなもの何に使いますの?」
 アホだろ。そう言う視線を送っておいた。言葉にせんでも伝わったはずだ。その証拠に、佐々美は地面をダンダン踏みつけていた。こんなもん、使い道は一つじゃないか
「髪、切るんだ」
 いいかげん鬱陶しいわ。





 砂浜に着くと、そこら辺に折りたたみのイスとかが無いか探してみた。流石に夕暮れ時と言うこともあり、真昼間の時間よりかは人が随分と減っていた。これなら注目されんで済むだろう。
 イスが見当たらなかったので、適当な岩を見繕う。ビニール袋に指で穴を開けて、頭からすっぽり被る。中々いい出来じゃないか。鏡が無いのは不安だが、多少バランスが悪くなろうと、あたしは気にしない。
「よし、切れ」
「いや、そんなこと言われましても」
「別に失敗したっていいぞ」
「でも、折角伸ばしているのに」
「髪を伸ばしたのは恭介の趣味を押しつけられただけだ。あたしは本当は短い方が良かった」
「じゃあ、尚更切る訳には」
「いいから、切れ」
「出来ませんわ」
「わかった。貸せ」
 渡しておいた鋏を、佐々美の手からかっぱらう。そのまま、髪を結んでいる辺りをふん掴み、ジョキンと鋏を入れた。唖然とする佐々美に切った毛を渡す。
「いい毛並みだろ」
「ああ、本当に切るなんて」
「後は、適当にそろえてくれ」
「はあ」
 それから、佐々美は無言で作業に取り掛かってくれた。手櫛で髪を触れるのは、気持ちいい。何故か、昔を思い出した。
「いつも、髪は恭介が切ってくれてたんだ」
 あたしの言葉に佐々美はジョキジョキと鋏の音で返事する。
「たまに理樹も切ってくれた」
 ジョキジョキ。
「お返しに切ってやるって言ったら拒否された」
 ジョキジョキ。
「ムカついたから筋肉馬鹿の髪を切って、あたしがうまく切れることを証明してやろうとしたんだが」
 ジョキジョキ。
「見事に失敗した」
 ジョキン。
「今度ささみもお返しに切ってやろう」
「遠慮しますわ」
 そう言って頭をポンポンと叩かれた。
「出来たのか?」
「ええ、一応は。でも、家に帰ったら、一度美容院に行くことをお勧めしますわ」
「ありがとう」
「いえいえ」
 あたしの周りには、たくさんの毛が落ちている。浜辺に大量の髪の毛が落ちているという異様な光景が広がっていた。
「こわいな……」
「そうですわね……」
「埋めておくか」
「そうですわね」
 二人で浜辺の砂をいそいそとかけていく。
「なあ」
「ん?」
「似合ってるか?」
「ええ、結構悪くありませんわ」
「そうか……」
 首のあたりがスースーする。こんなに短くしたのは生まれて初めてかもしれない。生まれた時はハゲか。じゃあ、生まれて二度目だ。
 一通り見えなくなったので、作業を終了する。もう十分だろう。ふう、と一息。ぺたんと座る佐々美。休む暇なんてあるか。
「おい、写真とるぞ」
「はあ?」
「記念撮影だ」
「はあ、まあいいですけど」
「お前も一緒に写るんだ」
「はあ、まあいいですけど」
「あそこのおっさんに撮ってもらえるよう頼んできてくれ」
「自分で行きなさいよ」
「いやじゃ、ボケ」
「はいはい」
 たらたらと歩いていく。気の良さそうなおっさんが、気の良い返事をしてくれているのが遠目にも分かる。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
 えい、と佐々美の腕を抱く。いきなりのことに戸惑っている様が面白くて声を出して笑う。
「はいはい、笑ってね。いい笑顔だねー。いくよー」
 笑ってるのか。泣いてるのかもしれない。よく分からない。でも、きっとこれが、あたしの。
「ハイ、チーズ」
 二度目の産声。


[No.901] 2009/01/24(Sat) 00:59:18

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