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all 第26回リトバス草SS大会(ネタバレ申告必要無) - 主催 - 2009/02/05(Thu) 21:25:32 [No.908]
死ねない病 - ひみつ@6617 byte まにあったきがする - 2009/02/07(Sat) 21:33:50 [No.925]
しめきりー - 主催 - 2009/02/07(Sat) 00:15:37 [No.923]
持たぬ者 - ひーみーつ@6144Byte - 2009/02/07(Sat) 00:05:34 [No.922]
[削除] - - 2009/02/07(Sat) 00:00:46 [No.921]
馬鹿につける薬はない - ひみつ@10133byte - 2009/02/07(Sat) 00:00:25 [No.920]
ガチ魔法少女 マジカル☆みおちん - ひみつ@13165Byte・作者は病気 - 2009/02/06(Fri) 23:58:32 [No.919]
桃缶はっぴぃ - ひみつ@9202 byte - 2009/02/06(Fri) 22:57:21 [No.918]
風邪をひいた日に - 秘密 @4507Byte - 2009/02/06(Fri) 22:47:32 [No.917]
手樫病 - ひみつ@9345 byte - 2009/02/06(Fri) 22:43:28 [No.916]
世界の卵 - ひみつ@19577byte - 2009/02/06(Fri) 19:16:02 [No.915]
pony症候群 - ひみつ@12934 byte - 2009/02/06(Fri) 18:04:37 [No.914]
一滴の涙 - ひみつ@14144 byte - 2009/02/06(Fri) 07:36:37 [No.913]
裏庭での一時 - ひみつ@17018byte(冒頭、若干修正) - 2009/02/06(Fri) 05:09:24 [No.912]
わらしべクドリャフカ - ひみつ@20356 byte - 2009/02/06(Fri) 00:01:36 [No.911]
父娘の平日〜看病編〜 - ひみつあーんど初 5810byte - 2009/02/05(Thu) 21:46:40 [No.910]


馬鹿につける薬はない (No.908 への返信) - ひみつ@10133byte

 僕は来ヶ谷さんに告白されて舞い上がっていた。数学の授業は来ヶ谷さんとの蜜月の時間、クッキーみたいに甘いひとときだった。僕が席を立ったとき来ヶ谷さんの姿はすでになく、テラスへ向かうと目隠し+背中の弾力という不意打ちを貰ったりする。お返しにクッキーを褒め称え、そんな来ヶ谷さんの女の子らしさを褒め称える。それから二人で赤面しながらお茶を飲む。
 僕が授業に出る日は、メールのやり取りをする。真人のパンツの写メを送ると、三十分くらいメールが返って来なかった。もうチャイムが鳴ろうかという時間になってようやく「これで我慢してくれ」とスパッツの写真が届く。
 休みの日。来ヶ谷さんにコーディネートしてもらった服を着て、まだ見ぬ喫茶店を探して歩く。よく晴れた暑い日にはレモンソーダを飲みに。冷たい雨粒の落ちる日には甘いココアを飲みに。来ヶ谷さんの唇は酸っぱかったり、甘かったりした。
 本当に本当に幸せだった。だからすっかり忘れてしまっていた。
 二年の冬、真人の留年が決まった。


 僕らの学校は単位制なんてあってないようなもの、出席さえ足り補習を受けていれば絶対に留年なんてありえない。
 でも、ありえないことを成し遂げてしまうのが真人だった。真人は僕がいない時間、机に伏してずっと頭を抱えていたんだそうだ。だから名前を呼ばれても返事をしなかった。それが積もり積もって出席不足。
 僕は自分の浅はかを呪った。大切なものの大きさは、失ってみないと気づけないのだ。僕と来ヶ谷さんがちゅっちゅしているあいだ、真人はずっと苦しんでいた。『来ヶ谷さん来るから謙吾の部屋泊まって』。そんなメールを真人はどんな気持ちで読んでいたんだろう。『おう、気をつけてな』と返事を打つとき、どんな顔をしていたんだろう。受信ボックスと送信ボックスが全く同じメールで埋め尽くされた携帯を、どんな想いで握り締めていたんだろう。
 そして真人は、僕に救いを求めようとさえせず、笑い続けていたのだ。自分ひとりで抱え込むため。
「ねえ、何か方法はないの?」
 真人の背中は逞しかった。僕の問いには答えようとせず、ひたすらにダンベルを上下していた。
「それはもう、どうしようもないの!?」
 その肩に取り付いて、僕はすがるように叫んでしまう。
「ああ……どうしようもねえ」
 真人はそれだけ答えて僕を振り払い、ランニングシューズを手にして部屋を出ていこうとする。その背中を追いかけないではいられなかった。
 でも、なんと言えばいいのかわからなかった。
「誰も悪くねえんだ……」
 シューズの靴紐を結ぶ背中は、丸まっているせいかやけに小さく映った。
「自分を責めるんじゃねえぞ……」
 真人は立ち上がる。
「待ってよ、話をっ……」
 硬く、ごつごつした厚い背中を、僕は抱きしめた。
「話をしてよ、真人っ」
 僕を引き離して真人はやっと、振り向いてくれた。
 真人はなんでもなかったように、豪快な笑みを浮かべて僕の頭に手を置いた。
「そんなので、これから先どうすんだよ」
「だって、こんなのってないよっ」
 廊下にみすぼらしい悲鳴が響いた。
「僕は真人がいたからここまで生きこられたんだっ」
 手が離れていく。滲んだ涙で、もう真人の顔は見えなかった。
「言ったろ。こればっかりはどうしようもねえんだよ」
 本当に、なにも出来ないんだろうか。
 僕は、真人のために何もしてやれないんだろうか。真人からはこんなに多くのものを貰っておいて?
「……なら、僕も留年する」
 そんな言葉が口を突いていた。
 真人が腕を振り上げるのが見えた。
 右肩から壁にぶつかって、電灯の光が揺れた。頬が熱かった。舌の上に、ぬらりとした鉄の味が広がる。舌を頬に押し当ててみると、ぽっかりと抉れていた。
 不思議と痛みは感じなかった。ただ溜まった涙が振り落ちて、真人の顔が見えた。
「馬鹿言え! 理樹、俺はもういいから、お前だけでも進んでくれよ! もう振り向くんじゃねえ!」
 真人は泣いていた。目を真っ赤にして。真人の泣き顔を見るのなんて生まれて初めてだった。
 思えば、真人に殴られるのも初めてだった。
「なんでこんなに理不尽なんだよ!」
 眠れないままベッドに入ると、真人の慟哭が聞こえてきて、僕は耳をふさいだ。


 渇いた喉を唾でなんとか繋ぎ留め、もう放っておいて欲しい、とだけ口にした。
 風が吹くいて、落ち葉が転がるささやかな音だけが聞こえた。
「理樹君。その……気持ちはわかるんだ」
 来ヶ谷さんが、泣きそうな顔をしていた。辛くなって僕は足元の敷石を見た。冬の寒々しい日差しが、淡くおぼろな影を落としていた。
「理樹君……」
 来ヶ谷さんの声。
 道端に、どこで迷ってしまったのか、一匹の黒い蟻が弱々しく這っていた。踏み砕かれた枯葉がレンガの隙間を埋めていた。ぽつりと一つ、水滴が落ちてきて染みを作った。顔は上げなかった。日差しはあるけど気温は低くて、いつまで経っても乾かない染みを、僕はいつまでも見つめていた。
 僕は真人のためにあった。
 できることはない。運命なんだ。なんて悲しいことだろう。
 そんなんじゃダメなんだ。自分にできることを、死に物狂いで探し出して、何もかもかなぐり捨てて解決しなきゃ、未来は変わりはしない。僕はそのことを知っていた。だから必死で走り回った。
 数学教師は呆れたように僕の顔を見、鼻の奥を刺すような煙を吐いた。
「もう決まったことだぞ」
 油の切れた椅子が耳障りな音を立てて、数学教師は僕に背を向けた。
「でも、真人は問題だって起こしてないし、真面目な子なんです」
「問題だって起こしてないし」
 僕の言葉を繰り返して、教師は笑う。
「一番の問題はこの成績だな」
 ははは、と他の席からも笑い声が上がった。自分の顔が紅潮するのがわかった。握ったこぶしの震えを抑え、声色を押し隠し、僕は言う。
「真人は進学希望なわけでもない。それに、数学だけなんですよね?」
「就職ねえ。最近増えたが、誰の影響なんだか」
 めんどくさそうに、顔だけ回して僕を見る。
「直枝。じゃあ他の就職組みで、井ノ原以上に真面目にやってる連中に馬鹿を見ろって言うのか? どんな点数だって関係ない。お前らの頑張りは無意味だって?」
 言い返さなければ、と思った。
 でも、無理だった。教師の言うことは正論だったから。
「……授業には、出ていたはずなんです。返事をしなかっただけで」
「奴の馬鹿はもう病気だな」
 教師はまた机に向き直って、二度と振り向かなかった。
 できることを全力でやってダメだったら、諦めるしかないと知った。


 ひばりが空を行き交い、桜が一斉に香りを放ち始めた。クラス名簿に真人の名前はなかった。みんなは泣いたり笑ったり希望に胸を膨らませたりしながら、僕の部屋の前を通り過ぎていった。力強い若葉が花を追いやり、雨に打たれてその生気をますます漲らせた。木々の作る濃い影が人や動物や虫、とくに蝉たちの安息の場となった。皆が木陰から立ち上がると、葉は力を失くしたように地面を覆い、虫たちの亡骸を隠した。やがて冬の雲がみんなの頭上を覆った。微かに舞う雪が舗道に染みを残し、やがて薄れていった。時間は進んでいたが、僕の時計の砂は閉じられたガラスの中を行き来するだけだった。自分の行く大学がどこなのかさえよく知らなかった。蟻たちが砂を密かに掘り進めるころ、何気なく耳を傾けたホームルームで、明日が卒業式だと知った。でも僕は、卒業式が出席日数に影響しないことを知っていた。
 部屋の隅にうずくまり、楽しい空想を巡らせていた。この絶望に打ち勝とうとする僕たちの姿だ。真人が頑張って秀才になる。隣には……僕を置こう。直枝先輩! と真人が僕の肩を叩く。振り向くと逆光の中に白い歯が浮かび、分厚い胸板が歓喜に打ち震えている。
「理樹君……聞こえているかい?」
 ドアの向こうから、毎日のように顔を合わせていたはずの、懐かしい声が聞こえた。僕はその声に応えたいと思った。けれど声は出なかった。
「私は、理樹君と一緒に過ごせれば、それだけでよかった」
 真人と一緒に過ごせればそれだけでよかった。
「楽しくて楽しくて、理樹君だけ見ていたいと思った」
 楽しくて楽しくて。
「でもそれじゃ、ダメだったんだな」
 ダメだったんです。
「もう、遅いかもしれないけれど」
 手遅れだけれど。
「すまなかった。……ほんとうに、ごめん」
 僕も、ごめん。
 来ヶ谷さんの声はそれきり聞こえなくなった。もう行ってしまったのだろうか。
 それとも、僕の空想だったんだろうか。
「似合わないって、笑う、かもしれないが」
 空想の続きなのか、本当に聞こえているのか、分からなかった。
 かすれた、詰まるような、絞るような声だった。
「好きな人と……、理樹君と一緒に、卒業、したいよ……」
 それきり来ヶ谷さんの声は、いくら耳を澄ませても聞こえては来なかった。日が昇ったとき気がつけば、卒業式に出てもいい、という気持ちになっていた。
 体育館に暖房はなく、底冷えするような空気が充満していた。多くの女子がしくしくと、あるいはさめざめと泣いていた。
 校長らの挨拶が終わり、僕の名前が呼ばれるまでの、長い時間。卒業のなにが悲しいんだろうな、と考えてみた。
 新しい環境に出て行くのが不安なんだろうか。そんなことでいちいち泣いてちゃどうにもならない。
 知り合いともう会えなくなることが悲しいんだろうか。でもそんなの、会おうと思えばいつでも会えるのに。会う気があるなら悲しむことじゃないだろう。ずっと一緒にいたかったなら、ずっと一緒にいられるように努力すべきだったんだよ、みんな。
 僕から言わせれば、そんな人たちはみんな馬鹿だ。びょーきに違いない。なのになんで。
『直枝、理樹』
「はい」
 立ち上がるとフラッシュが焚かれた。膝先が冷たく痺れていて、歩くのも億劫だった。これが済めば僕の仕事は終わりだと奮い立たせて、ステージに上った。銅像よりも不恰好な顔をした理事長が、恭しく卒業証書を差し出した。僕は形式どおり受け取って、来賓に向けてお辞儀をし、ステージを降りて席に着いた。あとは時間が過ぎるのをただ待つばかりだった。
『在校生送辞』
 マイクから声がする。
 立ったとき、在校生席を見たけれど、あの赤いTシャツはどこにも見当たらなかった。少し悲しくなったが、馬鹿にはなりたくなかったので、鼻をつまんで涙を抑えた。つまらない、学年主席の美辞麗句で泣いてるような、そんな風には思われたくなかった。


『在校生代表。二年E組。井ノ原、真人』


「はい!!」


 懐かしい、声がした。
 周りのみんながざわめき出した。
 輝くような光沢の制服が、一歩一歩、ステージへの階段を昇っていった。
 そして、壇上で制服を着こなし、手元の紙に目をやるでもなく、真っ直ぐに僕らを見据える巨漢。
 ああ、誰が見間違えるものか。
『梅の香りに包まれて、卒業していく皆さんを、心から、お祝いいたします』
 野太い声が、体育館の強張った空気を打ち据えて、遠く強く響き渡った。
 小学校の卒業式のパクリだった。
 誰が忘れるだろう。盛大に先生の名前を読み間違った馬鹿のことを。
『私たちは、先輩方から多くのことを学びました』
 真人の言葉が、凍りついた僕の胸を、容赦ない力で殴りつけてくるように思えた。
『諦めない強さを教えられました』
 僕は、諦めてしまったじゃないか。
『皆さんが振り向かず、進む勇姿を、ずっと見てきました』
 僕は立ち止まってしまったじゃないか。
『皆さんはこれから、幾千の星々の海に飛び込んで行かれます』
『皆さんなら、どんなに荒れた海も、その知恵と勇気で渡っていけることを信じています』
 僕は、僕は――
『私は皆さんに、そんな皆さんに、貰ったたくさんの贈り物を、決して忘れません』
『いつか皆さんに追いつき、そしていつか振り返るその日が来るまで、振り向かず歩いていくことを誓います』

 僕は、涙をこぼしていた。
 悔恨の涙だった。惜別の涙だった。素晴らしい友達への感謝の涙だった。
 涙の雫はズボンの膝で跳ね、床に落ちた。俯くと、とめどなく床に滴り続けた。僕はその涙が乾くまで、ずっと見つめていたいと思った。


[No.920] 2009/02/07(Sat) 00:00:25

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