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   第0回リトバス草SS大会(仮) - ひみつ - 2007/12/25(Tue) 23:04:22 [No.110]
夢、過ぎ去ったあとに - ひみつ 心弱い子 - 2007/12/29(Sat) 02:36:29 [No.119]
夢想歌 - ひ み つ - 2007/12/28(Fri) 22:00:03 [No.117]
前夜 - ひみつ - 2007/12/28(Fri) 21:59:21 [No.116]
夢のデート - ひみつ - 2007/12/28(Fri) 21:57:46 [No.115]
悪夢への招待状 - ひみつ - 2007/12/28(Fri) 21:52:10 [No.114]
思わせぶりな話 - ひみつ - 2007/12/28(Fri) 20:51:04 [No.113]
一応チャットでは名乗ったのですが - 神海心一 - 2007/12/30(Sun) 18:39:38 [No.121]
変態恭介 - ひみつ - 2007/12/28(Fri) 19:13:52 [No.112]
もしも恭介がどこに出しても恥ずかしくない漢(ヲタク... - ひみつ - 2007/12/28(Fri) 00:44:32 [No.111]
感想会ログとか - 主催っぽい - 2007/12/30(Sun) 01:14:54 [No.120]



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第0回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - ひみつ

 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html

 お題は「夢」です。

 締め切りは12月28日金曜午後10時。
 厳しく締め切るつもりはありませんが、遅刻するとMVPに選ばれにくくなるかも。詳しくは上に張った詳細を。

 感想会は12月29日土曜午後10時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.110] 2007/12/25(Tue) 23:04:22
もしも恭介がどこに出しても恥ずかしくない漢(ヲタク)だったら (No.110への返信 / 1階層) - ひみつ

【恭介、本を拾う】


「ねえ、昔みたいに、みんなで何かしない?」

 だから僕はそう提案していた。

「ほら、小学生の時。何かを悪に仕立て上げては近所をかっぽしてたでしょ、みんなで」

 恭介なら、そうしてくれるはずだ。
 十年という月日が経っても、僕と同じ気持ちでいたから。
 そして、今も、恭介は僕たちのリーダーだったから。

「じゃ……」

 恭介が屈んでいた。
 その手が何かを拾い上げる。

 ふと違和感が走る。
 この世界の正しさなんてものを疑うほど、僕は疑心に囚われてはいないはずなのに。なぜだろう。その時僕は、今目の前にある現実がどこか致命的な部分で間違っているように感じてしまっていたのだ。

「……同人誌を作ろう」
「「「「……はい?」」」」

 恭介以外全員の声がハモる。みんなの視線は恭介の手の中にある一冊の本に注がれている。あれは、間違いない。僕の目が急におかしくなったとか、そういうことでないのだとしたら、アレは――

「18未満お断りの同人誌ですね。しかも男性向け」
「西園さん、いつの間に」
「お気になさらずに」

 突然現れた西園さんは、白い日傘をゆらゆらさせながらまた去っていった。恭介は全く意に介さない様子で僕らに向き直り、決然とこう告げるのだった。

「同人サークルを作る。サークル名は――リトルバスターズだ」

 いやいやいやいや。
 高速で首を横に振る僕らに恭介が気付くのは一体いつになるのやら――

 ちょっと首が疲れてきましたよ?










もしも恭介がどこに出しても恥ずかしくない漢(ヲタク)だったら










【恭介、本を読む】


 朝の恭介の発言の意図を確かめるため、授業が終わると僕はすぐに恭介の教室に向かった。

「ちょっとー、見たー? あれ」
「見た見た。何なの? ちょっとキモいっていうか」
「ちょっとカッコよさげだったのにねぇ。ゲンメツー」

 三年の階はちょっと妙な雰囲気だった。あちこちで不穏なこそこそ話が繰り広げられているみたい。聞こえない。聞こえない。僕は何にも聞いてない。
 恭介は教室で大人しく読書をしていた。いつもと同じように、どこか神聖な雰囲気を醸し出す恭介。しかし、今日は全く別の意味で近寄りがたい存在となっていた。出来れば声をかけずにユーターンして教室に戻り、真人と謝筋肉祭の続きをしたい衝動にかられるが、なんとか意を決して声をかける。

「恭介」
「おう、理樹か」
「何、読んでるの?」

 僕の問いに教室全体がうんうんと頷いているのが如実に感じられる。それが聞きたかったんだ! という心の声が聞こえてくるようだ。
 そんな空気を読んでか読まずか、恭介はしれっと答える。

「いや、F○teのエロ同人だけど」

 言っちゃった――――っ!!
 はっきり! くっきり!
 え? 教室でエロ同人読んで何が悪いの? とでも言いたげだ!

「ほら理樹見ろよ。本編じゃ見られなかったイ○ヤの」
「ちょっと待って恭介! このままじゃ恭介のイメージが大変なことに!」

 僕はなぜか本気で恭介の肩を揺さぶっていた。慌てふためく僕を「ふん」と恭介は鼻で笑っているように見えた。こんなことでうろたえるなんて、理樹はまだまだ修行が足りないな――などと。

「じゃあ聞くが――理樹」
「うん」
「この世界に、ブルマっ娘とのエロの他に、どんな大切なものがあるっていうんだ」

 あーやっぱり恭介って(21)だったんだ――

 そんなことを思いながら、僕の意識は急速にこの世界を離れていくのだった。



 ちなみに、恭介とブルマの少女が花園で戯れている夢を見た。
 超スピードで目を覚ましましたよ?










【恭介、アニメを見る】


 寮にはテレビが三台しかない。食堂にあるのと、談話室にあるの、それに寮長室にあるの。生徒が見れるのは食堂にあるやつと談話室にあるやつなのだが、時間は決まっている。午後九時以降の視聴は一応規則で禁止されているのだ。

「でも、それじゃあ意味がないんだよぉ!」
「仕方ないよ恭介、規則なんだし」
「理樹! お前は何もわかっちゃいない!」

 憂いを帯びた笑みを浮かべる恭介。

「恭介がそこまで言うなんて……何か理由があるんだね」

 何か理由があるのかもしれない。恭介の考えは時として僕らには計り知ることが出来ない深度を持っている……こともある。最近ちょっと自信がない。

「ああ、そうさ理樹……こいつは俺の人生の問題なんだ」
「恭介……」
「今期ナンバーワンアニメ『くら☆など』が、俺はっ! どうしても見たいんだよおおおぉぉぉ!!」
「へっ?」

 呆気に取られる僕らを尻目に『くら☆など』の魅力を訥々と語りだす恭介。それを詳細に記述するのは紙面の都合上不可能なのでカット。

「――馬鹿だな」

 鈴の呟きが全てを代弁していた。

 まぁ、いくら恭介でも無理だろ――
 そう思っていた時期が僕にもありました。


  ☆  ☆  ☆


「おっす!」

 いつもと同じ恭介の朝の挨拶だったが、幸せが溢れんばかりに輝いた笑顔。

「おっ、今日はやけに元気だな恭介。今日はあれか、筋肉祭りでもやってんのか?」
「いや、今日も良い日だな諸君! 朝飯食って、元気に一日頑張ろうじゃないか!」

 真人を気持ちよくスルーするのはいつものこととしても、やけに元気だ。昨日は件のアニメのことで酷く落ち込んでいたというのに。

「まさか――恭介」

 謙吾も同じことを思ったらしく、疑いの目で恭介を見ている。

「お前、食堂のテレビ夜中につけてみたんだろ」
「ちっち、そんなことするわけないだろマイシスター。規則で決まってるじゃないか」

 もうそのレスポンスだけで引いてしまう鈴。鈴の後を引き継いで僕も聞いてみる。

「でも、見たんでしょ?」
「ああ、それはばっちり見たさ。いやぁ! 皆にも見せてやりたかったぜ!」

 見たのか。
 いい感じにテンションが上がって変な人になっていく恭介。だんごっだんごっと人目を憚らずに歌っている恭介から、僕らは半歩引いた。鈴なんか明らかに汚物を見るような目で見ている。
 そんな僕らの横を通りすがるある人物。

「おはよう」
「寮長! おはようございます!」

 いつも以上にいい返事をする恭介。
 ん?
 よく見ると恭介と寮長が何かアイコンタクト。「越後屋、お主も悪よのぉ」「へっへ、お代官様こそ」という感じの。

「恭介まさか」
「みなまで言うな理樹」

 どこか含みのある笑顔を浮かべる恭介。こうなると恭介はどうあっても口を割らない。どうやって寮長を仲間に引きずり込んだのか、僕らに知る術はなくなったわけだ。恭介は誰も聞いていないのに、饒舌に『くら☆など』の美点を語り続ける。どうにでもしてくれと、僕らは恭介の話を聞くことしか出来なかった。

「ま――何にでもどこかに抜け道があるってことだな」

 アニメ見たさに一晩で寮長まで抱き込む恭介。
 ジェバ○ニ先生も爆笑だっぜ!(やけくそ)










【恭介、ダンスの監督をする】


 放課後、練習に行く途中に通りかかった教室から聞こえてきたのは、やけに軽快な音楽とステップを踏むような足音、楽しそうな騒ぎ声。僕の耳が狂ったのでないのなら、この声にはばっちり聞き覚えがあったりします。

「葉留佳さん何やってるの」
「あっ、理樹く〜ん! やっほーっ!!」

 扉を開けるとそこには予想通りの人と――

「リキ、こんにちわなのです」
「理樹くん、こんにちわ〜」

 クドと小毬さんまで。

「こんなところで、何やってるの?」
「ちっちっち、分かんないなんて、理樹くん、そんなことでは駄目駄目ですヨ」

 葉留佳さんの言葉に教室を見回してみると、整然と並べられていた机は綺麗に寄せられていて、床にはラジカセ。

「ダンス、なのですよっ!」

 あ、なるほど。納得。

「楽しいよ〜」

 野球だろうがダンスだろうが、何やってても楽しそうなのは小毬さん。クドや葉留佳さんだって言うに及ばずだ。
 とりあえず、三人の練習を見学することにした。葉留佳さんたちのことだから割と適当なのかなぁと思ったら、割としっかり振り付けされていてびっくりした。

「へぇ、結構やるもんだなぁ」
「ふっ、これくらいで驚くのは早いぜ、理樹」
「うわっ」

 いつの間にか背後にいたのは、ミスター想定外の異名をほしいままにしている恭介。どこから入ってきたんだろう。窓からか。ここ三階なのに。

「やっぱりこれは恭介の?」
「もちろん。曲チョイス俺、振り付け俺、超監督俺」

 漫画雑誌らしきものを片手にこともなげに言ってのける恭介はやっぱり凄い、色んな意味で。

「完成形は、全員揃ってから、だぜ?」


  ☆  ☆  ☆


「というわけで全員集合してみました」

「あほだな」
「やあ理樹君ごきげんよう」
「これは羞恥プレイでしょうか……マニアックです」

 鈴に、来ヶ谷さん、西園さん。

「なんでわたくしまでこんなことを……ぶつぶつ」
「……」←赤面していて言葉にならず。

 笹瀬川さんに、なぜか二木さんまでいる。
 そして、これは特筆すべきことなのだが――みんな一部の隙もないチア姿なのだ。両手にポンポン、ミニスカ。白ソックス。
 壮観。
 これを壮観と言わずして、一体何を壮観と呼ぶのか。

「恭介」
「どうした、理樹」
「どうしてチアガールなの?」
「それはもちろん――萌えるからだ」

 ぐっと親指を突き出して、二カッと魅力的に笑う恭介。ごめん、恭介。僕、ついていけないかもしれない。

「ちなみに、チーム名はリトル・ラブラブ・アンデッドーズだ」
「恭介、まさか踊る時にゾンビのマスクつけたり、やたら動きにキレのあるリーダーがいたりしないよね?」
「……えらく具体的だな」

 そんなことを言いながらも恭介の額には一筋の汗が。
 誤魔化すように恭介はすっくと立ち上がり、居並ぶ団員達に向かって号令をかける。

「それじゃそろそろ行くぞ。準備はいいか?」
「おっけーですっ」
「どんとこいですヨ!」

 クドと葉留佳さんが元気一杯に答える。他の皆もすぐに集中していくのが手に取るように分かる。無駄に鍛えられた感があるのが凄いなと思ったりしちゃいました。
 恭介がおもむろにラジカセの前に立ち、再生スイッチに手を添える。高まる緊張感。

「ミュージック――スタート!」



 もってい〜け最後に笑っちゃうのはわたしのはず〜♪
 セーラー服だからです←結論〜♪



 ちなみに。
 小毬さんがいつも行ってる老人ホームの慰労イベントで披露するらしい。お爺さん達、ショック死しなければいいんだけど。結構本気で心配してますよ?









【恭介、思い出したかのように本を作る】


「オリジナルで行くべきです」

 僕らが夏コミで発表する本の方向性は決まったのは、ほとんど西園さんの鶴の一声のおかげと言っていい。
 当初、『かなぶんのなく頃に』で男性向け18禁を作ることを強硬に主張していた恭介だったが、同人サークル「リトルバスターズ!!」女性メンバー(実は男性メンバーもそんなに賛成してない)の必死の抵抗にあって、あえなく断念することになった。

「仮にも学生寮でエロ同人を本気で作ろうとしていた恭介氏の情熱には敬意を表しないでもないがな」
「そこ、感心しない」

 来ヶ谷さんと恭介は、やはりどこか通じるものがあるようだ。視線を交し合っていい笑みを浮かべる二人を見て、背中を戦慄が走る。この二人を野放しにしてはならない。他メンバーの暗黙の了解である。
 協議の結果、絵を描くのは小毬さん、来ヶ谷さん、西園さんを中心にしてその他のメンバーはサポート、ストーリーは全員で協力して作ることになった。どう考えても絵を描くほうに時間がかかるので、外部からも応援に来てもらった。

「なんでわたくしがこんなことを……ぶつぶつ」
「ざざみ、言ってることがダンスの時と変わらないぞ」

 だから、さ・さ・せ・が・わ・さ・さ・み、ですわー! と、始まるいつもの鈴vs笹瀬川さんのバトル。もう見慣れた光景である。

「でも、笹瀬川さんが絵描けるなんて、来ヶ谷さんよく知ってたね」
「少年、私にわからないことはないのだよ」

 来ヶ谷さんに限っては本当っぽいので笑えない。怒らせたらどんな目にあうのだろうか。ぶるぶる。

 そんなこんなで、夏を目指して、僕らの同人誌製作が始まったのだった。


  ☆  ☆  ☆


 後から聞いた話だが、コミケで本を出すのは恭介にとって一つの夢だったらしい。締切直前、完徹三日目の夜にぼそっと僕にだけ教えてくれた。

「鈴にはキモいキモい言われるけどな……」

 こう見えても恭介は、鈴の言葉にだけはショックを受ける。他の誰に何を言われても意に介さないが、鈴だけは特別。そういう恭介を見るのは、こう言っちゃ悪いが微笑ましい。

「笑うなよ、兵が見ている……」
「何かのネタだってことは分かるけど、それ以上は僕の突っ込みの許容限度を越えてるよ……」
「まぁ、なんだかんだ言いながら鈴も楽しんでやってくれたみたいだから、良かったよ」

 小毬さんや来ヶ谷さんに教えてもらいながら一生懸命絵を描いている鈴、という構図を制作期間中に何度も見た。その度に恭介は嬉しそうに笑っていた。恭介のそんな気持ちは僕にもわかる。本当に少しだけ、なのかもしれないけど。
 そんな話をしていたら照れくさくなったのか、「『くら☆など』の時間だ! 後はよろしく頼むぜ!」などと言って、さっさと部屋を出て行ってしまった。

「真夜中、男同士の語らい……ああ、萌えです」
「西園さん、誤解を招くようなことを呟かない」
「うふふふふ」

 駄目だ。完全に脳内薔薇の花畑状態に入ってしまわれた……と思ったら意外に早く帰還してくれた。

「恭介さんって、いいお兄さんですね」
「どうしたの、いきなり」
「鈴さんがあんなに懐くのも無理ないですね」
「懐いてる?」
「はい」

 鈴は部屋の隅の方に作った机(みかん箱机)に突っ伏して寝ている。まじまじとその寝顔を眺めてしまう。

「この年になっても、こんなに仲の良い兄妹……珍しいと、思います」
「そう……だね」
「私にもこんな兄がいたらなぁとか、時々思うことがあります」

 うん。
 それには素直に頷ける。

「突然ですけど、鈴さんの小さい頃の夢って、直枝さんはご存知ですか?」
「ううん」

 聞いたことがない。

「これ、内緒ですよ……来ヶ谷さんがやっとのことで口割らせたんですから」

 言いながらうふふふふと口の中で笑う西園さん。

「……お嫁さん、なんですって」
「へ?」
「恭介さんの」

 ――おにーちゃんの、およめさんになる。

 遥か昔、鈴は恭介のことを「おにーちゃん」と呼んでいた頃があったそうだ。鈴にいじめられた恭介が涙ながらに話してくれたことがある。真人と会った頃には既に「恭介」と呼び捨てだったそうだから、もっと前のことか。
 なんていうか、くすぐったいな。鈴にもそんな頃があったんだなぁと思うだけで。
 段ボールの机でよだれ垂らして眠る鈴が、急にものすごく可愛い女の子に見えてきた。守ってあげたくなる。恭介が鈴を見て思うように、僕も。

「うふふ」
「あははは」

 西園さんと声を殺して笑い合う。こんなこと話してるって鈴に知れたら、きっと怒るだろうな。相手が僕であることを差し引いても、ハイキック三発分くらい。いや、もっとかも。
 ひとしきり笑い合うと、どちらからとなく溜息をついた。

「あと、何ページかな」
「もう後少しです。頑張りましょう」

 三十分くらいで恭介は戻ってきた。なんかつやつやしてる。何してたんだか。


   ☆  ☆  ☆


 その後のこと。
 なんだかんだとあったが、無事に本は完成した。
 そして、これは最後に確認しなかった僕たちが悪いのだが、なぜか巻末に誰も書いていないBL系の小説が載っていた。誰もが知らないと言ったが、これを入稿しに行ったのは誰なのか、僕はしっかり知っている。犯人は誰なのか、あえて記述することでもないので、ここでは割愛。

 しかし、なんでモデルが僕と恭介なのかなぁ。
 僕らのことを、汚物を見るような目で見る鈴の視線が辛すぎるんですが、ねぇ?




    おしまい


[No.111] 2007/12/28(Fri) 00:44:32
変態恭介 (No.110への返信 / 1階層) - ひみつ

「理樹、俺は悟った」
 ある日、恭介が突然悟りを開いた。
「男には夢が必要だ。夢は男を大きくする。なぁ理樹、そうだろ?」
 爽やかに恭介は言った。
 恭介が無駄に爽やかを見せるそのほとんどの場合、最終的には理樹が何らかの形で苦労を被ることになる。みんな知っていることだった。でも止めようとする者はあまりいなかった。リトルバスターズのチームワークはいつだって抜群だった。
 そんなことしなくても恭介は十分に大きな男だよ。
 理樹は恭介にそう言ってやりたかった。だけどもちろんそれは叶わなかった。恭介は他人の話を待つのがあまり得意ではない。
「だから俺は大きな夢を持つことにした。聞いてくれるか、理樹」
「う、うん」
「オランダにマイホームを持つ。どうだ、すごいだろ?」
「す、すごいとは思うけど、でも、どうして?」
 何となく答えは分かっていたけれど、聞かないわけにもいかなかった。
「決まってるじゃないか」
 弾けんばかりの笑顔を見せて、恭介は言った。

「結婚しよう、理樹」


「死ね、この変態兄貴ーーーーーーーーーっ!!!!!」
 鈴は実の兄を実に激しく蹴った。蹴った。蹴った。蹴った。蹴った。
 恭介は鈍い音と共に宙を舞った。舞った。舞った。舞った。舞った。落ちた。
 理樹はため息をついた。

 最近、恭介がおかしい。











   変態恭介











 もやはツッコミの域を超えた殺人的なまでの蹴りから数秒も経たず復活を果たした恭介は、懲りることなく理樹に詰め寄ろうとする。
 鈴はそんな恭介を「ふかーーーーっ!!」と威嚇する。数多の困難を乗り越えて手に入れた恋人を、日常を、変態なんかに壊されるわけにはいかない。
 理樹は親友である真人と謙吾に助けてとアイコンタクトを送る。無駄だと知っている。しかし他にやりようがない。
 真人と謙吾は「さいきょうをしょうめいしてやる」とか言いながら殴り合いのようなことを始める。互いに理樹から目を逸らそうとあからさまに明後日の方向を見ている。それでは殴り合いにならない。傍から見て彼らが何をやっているのか分かる人間はきっといない。
 残るリトルバスターズの面子は少し離れたところでひそひそと話をしている。
 中心には美魚。頬をほんのりと赤く染めながら、「禁断の愛」やら「魔のトライアングル」やら「ヘタレ受け」やら物騒な単語を並べている。
 小毬とクドは真っ赤な顔に両手を当てながら「ほえほえ〜〜」「わ、わふ〜〜」と意味の無い言葉ばかり口に出している。手で視界を遮っているようで、その実、両人とも指の隙間はばっちり開いている。
 満面の笑みを浮かべて「うむうむ。眼福眼福」と呟く来ヶ谷の隣には、いつもと変わらない様子で「理樹くんファイトー」と声援を送る葉留佳。普段通りと見せかけて、来ヶ谷の目はこれでもかと見開かれているし、葉留佳の心中では恭介応援隊が今日もフル稼働している。

 リトルバスターズの中心は恭介だった。
 彼は誰もが認めるリーダーだった。
 だから、恭介の崩壊がチーム全体の崩壊に繋がるのは、極自然な流れだったのだ。











 兆候はあったのかもしれない。昔を振り返って、理樹はそんなことを思う。
 ただ、それに気づいたのは一人だけだった。
 西園美魚。
 そして彼女が気づいてしまったがために、事態はまこと恐ろし気なる様相を呈してしまったのだった。
「恭介さん、ちょっとこの本を読んでもらえませんか」
 よく晴れた日のことだった。美魚は恭介に一冊の本を差し出した。
「ああ」
 恭介は特に考えることなく受け取った。カバーが掛けられていてどんな本かは分からなかった。
「漫画か?」
「漫画です」
「燃えるか?」
「萌えます」
 ばっちりと噛み合った会話に美魚は勝利を確信する。
「オーケー。早速今日帰ったら読んでみよう」
「はい。きっと恭介さんも気に入ってくださると思います」


 そして恭介は変態になった。











「理樹、聞いてくれ」
「な、なに」
 プロポーズの翌日。恭介はまた理樹のもとを訪れていた。
「すまん、俺が間違っていた」
「え?」
 嬉しそうな顔を見せる理樹。ああ、ようやく恭介の目が覚め――
「……マイホームだなんて、俺は何て小さい男だったんだ。違う、違うよな、そんな誰でも叶えられるような常識的な夢、お前は望んでなんかいない。そうだろ? ああ、分かってる。分かってるさ、理樹。だから改めて聞いてくれ。新たな俺の夢を。理樹、俺はお前の子を産む。二人の愛の結晶を、形として、残したいんだ」
 ――るわけはなかった。
「できるかボケーーーーーーっ!!」
 鈴がどこからともなく飛んで来て、そのままの勢いで恭介に蹴りを食らわす。
 恭介は頭から壁に突っ込む。比喩でも何でもなく壁に頭が突っ込む。宙に浮いた形の首から下がぷらぷらと揺れる。ぷらぷら。
「恭介氏なら本当にやってしまいそうな気もするがな」
 いつの間にか現れた来ヶ谷が、冷静にコメントする。
 何といっても、理樹(+鈴)への愛で仮初とはいえ一つの世界を作り上げてしまった恭介である。男の体でもって身ごもるぐらいのことは平気でやってのけるかもしれない。
「う」
 と、鈴は少しうろたえてしまう。来ヶ谷の言葉を彼女はきっぱりと否定はできなかった。
 奴はただの変態ではない。
 奇跡を起こす変態だ。

 鈴の脳裏に思い浮かぶのは、恭介VS真人謙吾連合軍の勝負だった。
 真人や謙吾だって、最初から理樹を見捨てていたわけではない。彼らは理樹の親友だ。恭介が変態になった当初、彼らは理樹を守り、そして恭介の目を覚まそうと奮闘していたのだ。
 しかし、時が経つにつれ、恭介の症状は治るどころかむしろ加速度的に悪化していった。事態を重く見た真人、謙吾は決意する。
 すなわち、野球による勝負。変態になっても恭介は恭介だった。勝負を挑まれたからには逃げることなど考えようはずもない。
 話し合いのもとに決定したルールは、誰から見ても連合軍側に有利なものだった。サドンデス形式の一打席ホームラン勝負。ピッチャーは常に連合軍側。連合軍のピッチャー、バッターの交代は自由。恭介には厳しいボールを、味方には甘いボールを投げればいいし、疲れてくれば交替だってできる。
 彼らは、勝利を半ば以上確信していた。
 つまるところ彼らは、恭介の変態さ加減を未だ理解し切れていなかったのだ。
 プレイボール。バッター恭介。ピッチャー謙吾。第一球は打ち気を逆手に取った外角高過ぎクソボール。
 恭介のバットが動き出す。謙吾は内心ニヤリと笑う。届くわけがない。これで1ストライク――
 瞬間、恭介が飛ぶ。空中でバットが振られる。カキン、という心地よい音。
 まさか。謙吾はボールの行方を追う。フェンスを高々と越え、青空に消えていく白球。
 馬鹿な。そんなことは物理的に有りえない。恭介の両足は確かに宙に浮いていた。足が地に付いていない恭介(二つの意味で)にあんなバッティングができるわけがない。だとすればこれは
「ちゃ、茶番d」
「これが愛の力だっ!!!!!!」
 謙吾の怒声は更にどでかい恭介の声によってかき消された。
 決め台詞を発する機会を奪われ、謙吾はがっくりとうなだれる。
 その後も変態の力は絶大だった。本気で顔面を狙った真人のボールを避けながら打ち、ワンバウンドのボールをあっさりと打ち、背中の後ろ側に行ったボールを打ち、半ばやけくそ気味にころころと地面に転がしたボールを400ヤードぐらい飛ばした。
 そんな変態に勝てるはずもなく、真人謙吾の連合軍は惨敗を喫する。以後、恭介の邪魔はしないと誓わされた。
 変態相手とはいえ約束は約束、今に至るまで、真人と謙吾は恭介の邪魔をできないでいる。


 鈴はあの時の恭介を思い出す。
 確かにこいつなら理樹の子どもの一人二人簡単に産んでしまうかもしれない。何かよくわからん愛の力とやらで。
 でも、譲れない。譲るわけにはいかない。
 だって。
「理樹はあたしんだっ!」
 恭介がいかに理樹を愛していようと、これだけは揺るがない事実。
 理樹は言ってくれたのだ。
 そばにいてくれるって。
 鈴を守って生きるって。
 一緒に生きようって。
 絶対にいなくならないって。
「ふ」
 そんな鈴に、恭介は不敵な笑みで答えた。
「ふふ、ふふふ――そう、あれは5月22日火曜日のこと」
 理樹はとても嫌な予感を覚えた。
「お前たち女子連中は理樹を部屋に誘おうとした」
 理樹は頭を抱えた。
「しかし、理樹はそっちには向かわなかった。覚えているか?」
「そう言われれば、そんなこともあったような気がするな」
 鈴はおぼろげな記憶を手繰る。
 ニヤリ、と恭介が笑みを浮かべる。
「その時、理樹は何て言ったと思う? 思えばあれこそが、全ての始まりだったのかもしれない」
「り、理樹、お前、何を言ったんだっ」
 理樹は過去に戻って自分をぶん殴ってやりたくなる。
「俺のことが好きだと。まじだと。顔を赤く染めながら、理樹はそう言ってくれたんだ」
 ぽっと頬を赤く染めて、大切な思い出を語る恭介。
「う、嘘だよな、理樹っ!」
「嘘じゃないさ。真人や謙吾だって聞いていた」
 真人、謙吾、超明後日の方向見る。
 理樹、どこで自分たちは道を誤ってしまったのだろうと途方に暮れる。
 鈴、そんな三人の様子に恭介の言葉が事実だと知る。
「り、理樹なんて嫌いだーーーーーーーーーっ!!!!!」
 走り出す鈴。引きとめようとする理樹を更に引き止める恭介。
 やっと二人きりになれたな。恭介は耳元で囁く。
 どこをどう見ても二人きりじゃない。理樹は思う。
 残った女子連中、キャーキャー騒ぎ出す。
「どうして、こんなことに……」
 瞬間、襲い来るナルコレプシー。
 もういい、もう眠ってしまおう。

 理樹はゆっくりと意識を手放した。

















           ……いいよな……これで?














    いい
  ⇒  よくない
















               ……何が不服だ













 全部。
 もろもろ全部。

















              ……無理だ
              ……逃がさない














 可能性はある。
 僕が、あの日をやり直せばいい。















                 ……無理だ














 無理じゃない。僕は強くなる。
















               ……そうか……
               ……ならば、あがいてみろ……

















 大丈夫だよ。
 世界は、僕が切り開く。
 待ってて、鈴――


























 僕は……どこまでいこう?
 僕自身のことだ。どこまでだって遡れる。
 そう、あの日まで――


























              5月22日 (Tue)














「とにかく来て〜」
「え? ちょ……」
「まあ、よくわからんが行ってこいよ」
「えー、僕ひとり?」
「たまにはいいだろ、俺たちと遊ぶより楽しいかもしれないぜ?」



















    恭介たちと遊ぶ
     恭介だけと遊ぶ
   ⇒  Let' play the 恭介(恭介を奏でる)















「え、ええええええええええええええええええええええ」

 理樹の悲鳴。



「はれほれうまうー」

 奏でられた恭介。















          ……だから言っただろう? 無理だって……












 恭介 mad end


[No.112] 2007/12/28(Fri) 19:13:52
思わせぶりな話 (No.110への返信 / 1階層) - ひみつ

 耳元で囁かれる。その言葉に僕は何故かどきりとして、僅かに身を引いた。
 けれどそれに構わず、こちらを見下ろすような高い背が近付き、顔が触れそうな距離まで迫って――



「……さん、直枝さん」
「ん……」

 背中を小さく揺さぶられる感覚。
 ぼんやりと霞掛かっていた意識が緩やかに晴れてきて、僕は小さな呻き声と共に瞼を開いた。
 まず視界に入ったのは、見慣れた机と自分の腕。頭を上げてみれば、そこは教室だった。

(あれ、どうして僕、ここに……)

 寝起きでまだしっかり思考がまとまらないまま、眠気の残った目を擦り辺りへ視線を向ける。
 と、右側に僕を見つめる人影があった。宙に浮いた、伸ばしていたらしい手をすっと戻し、

「ようやく起きましたね」
「あ、西園さん」
「何度も揺すったんですが、全く目覚める様子がなかったので……ちょっと心配しました」

 言葉とは裏腹に、ほとんど表情を変えずそう呟く。

「ごめんね。でも大丈夫、体調が悪いわけじゃないから」
「では、普通に居眠りをしてたということですか?」
「……うん、まあ」
「珍しいですね。井ノ原さんならともかく、直枝さんが授業中にそんな不真面目な態度を取るとは」
「いや、そんなつもりはなかったんだけどね……」

 確かに真人はよく寝てるけど……。

「昨日は夜遅くまで起きてたんだ。恭介達がなかなか寝かせてくれなくて」
「そ、それはまさか……」
「僕は何度ももう止めようよって言ったんだけど、三人とも何故か乗り気だったから、仕方なく……」
「仕方なく……何ですか?」
「六時間耐久トランプ百本勝負を」
「…………期待したわたしが間違いでした」
「え?」
「いえ、何でもありません。しかし……なるほど、それで朝から眠そうにしていたんですね」
「結局四時くらいまで続いたからさ。お昼まではどうにか持ったんだけど、ご飯食べたらすごく眠くなっちゃって」

 当然、ノートは取っていない。
 後で誰かに見せてもらわなきゃなぁ……。

「……そういえば、西園さんはどうしてまだ教室にいたの?」

 ふと疑問に思い、僕はそれとなく訊ねてみた。
 黒板の上に立て掛けてある時計を見ると、ホームルームが終わったのはもう一時間以上も前のことで、教室には僕と西園さん以外誰もいない。鞄はいくつか残っているみたいだけど、部活に行った人達が戻ってくるのはしばらく後だろう。別に何か探し物をしてたわけでもないようだし。

「直枝さん、どうやらまだ寝惚けているらしいですね。今日は野球の練習ですよ?」
「……あ」
「すっかり忘れてた、という顔です。わたしが残って正解でした」
「じゃあ、西園さんはわざわざ僕にそれを伝えるために?」
「はい」
「メールで言えばよかったと思うんだけど……」
「それは未だに携帯を上手く扱えないわたしに対する嫌味ですか?」
「そ、そんな気はないって! でも、恭介辺りに言ってメール送ってもらえば……」
「直枝さんの貴重な寝顔がじっくり眺められるいい機会でしたので」
「…………」
「可愛らしかったですよ?」
「全然フォローになってないよ……」

 つまり、一時間弱もの間、僕は西園さんに無防備な姿を見られ続けてたってことで。
 うわ、恥ずかしい……! 自分じゃどんな顔してたのかとか全くわからないから余計に……!
 羞恥のあまり俯くも、それで状況が好転するはずもなく、西園さんは僕が立ち上がるまで梃子でも動きそうになかった。
 深い溜め息を一つ吐き、椅子から腰を持ち上げる。机の横に掛けてあった鞄を手に取り、

「ここでじっとしててもしょうがないし、行こうか」
「はい。そのためにわたしは待っていましたから」

 苦笑と共に告げる。
 西園さんはこくりと頷き、歩き出した僕の隣へ自然に付いた。

「寝不足の方はもう大丈夫ですか?」
「うん。不謹慎な話かもしれないけど、不真面目にぐっすり寝たから頭はすっきりしてるんだ」
「安らかな表情をしてましたしね」
「う、僕そんな顔緩んでたの……?」
「いえ、緩んでたというより、何というか、幼い印象を受けました。無垢な子供のような寝顔でした」
「どう反応すればいいのか、複雑だなぁ……」
「悪夢を見て顔を歪めるよりはよっぽどいいかと」
「そうだね。……あ、そういえば何か、妙な夢を見た気がする」
「……妙な夢、ですか」
「いまいちよく思い出せないんだけど……うーん、僕の知ってる誰かが出てきてたような」

 目覚めた瞬間ははっきり覚えていたはずなのに、夢の内容はもうおぼろげにしか脳裏に浮かばない。
 握った砂がさらさらとこぼれ落ちていくみたいで、久しぶりに見たからか、特別もどかしく感じる。
 そうして悩んでいるうちに、いつの間にかグラウンドの目の前まで来ていた。
 最初に僕達二人を見つけたのは、投球練習をしていた鈴。

「理樹! みお!」
「お、ようやく来たな」

 僕の代わりに鈴の球を受けていた恭介も振り返る。
 それを皮切りに、外野側で、内野周辺で、あるいはバッターボックスで思い思いに練習していたみんなが気付いた。
 キャッチボールをしていた小毬さんと葉留佳さん、そんな二人を眺める来ヶ谷さん、ストレルカと走り回るクド、素振り中の真人に物凄い勢いでグラウンドを全力疾走している謙吾。遅刻をしたことなんてまるで気にせず、手を振ったりして迎え入れてくれる。

「……では、わたしはマネージャーらしく控えていますので」
「僕は遅れた分も練習を頑張るね」

 向かい合い、西園さんと一緒に小さく笑って、部室まで道具を取りに走った。
 ここは本当にあたたかい場所だと、改めて思った。



「ということでだ、理樹。今回は新しい特訓を始めるぞ」
「全然前後が繋がってないよ……。で、何をするつもりなの?」
「まあその前に、怪我をすると一大事だからな。先に柔軟体操をしておこう。二人一組になるんだ」

 僕が来てから十分くらいして、恭介はいきなりみんなをマウンドに集めた。何かまた思いついたみたいなんだけど、とりあえず散々動き回っておきながら今ここで柔軟体操をする必要はあるんだろうか。
 ささやかな疑問は口に出さず、みんな近くにいる人とペアを組む。

「りんちゃん、よろしくねー」
「うん、がんばろう、こまりちゃん」

 鈴と小毬さんの組。

「ふむ、私は葉留佳君とか」
「よろしくお願いしますネ、姉御っ」

 来ヶ谷さんと葉留佳さんの組。

「……どうしてわたしも参加することになってるんでしょう」
「わふー、西園さん、お手柔らかにお願いしますっ」

 西園さんとクドの組。

「何でオレと理樹じゃねえんだよっ!」
「それはこっちの台詞だ! 何故俺が筋肉馬鹿と組まねばならん!」

 真人と謙吾の組。……ここはちょっと不安だ。色々な意味で。

「よし、みんな準備はできたな」
「あのさ、別に僕と恭介が組まなくてもよかったんじゃないかな」
「じゃあ理樹は他に誰かと組みたかったのか?」
「あ、ううん、そういうことじゃないんだけど……」

 発案者の恭介は、真っ先に僕を捕まえてペアになった。真人と謙吾があんな調子だし、たぶん波風を立てないようにするためだと思うけど……何だろう、恭介の隣にいると、妙にドキドキする。
 ちらっ、と僕がその顔を覗き見ると、恭介は凛々しい表情を浮かべた。
 今からやろうとしていることを横に置いとけば、そんな姿はすごく恰好良い。

「それじゃまず、片方が座って前に出した足を左右に広げる」
「恭介氏、キミは今ナチュラルにセクハラ発言をしているぞ」
「年頃の女性に足を開けとは、どう考えても変態の台詞です」
「ちげーよ! 言っとくがそんなつもりは全くなかったからな!」
「別に足開くくらいいいじゃねえかよ」
「うわ、真人くん最低ー! デリカシー無さ過ぎー!」
「私もちょっと今のはどうかと思うです……」
「ちょっと待て、何で俺が文句言われてんだ!?」
「自業自得だと思うよ……」

 いつの間にか矛先は真人に変わっていて、僕は少し離れた場所にいる謙吾と顔を見合わせ、苦笑した。
 結局男四人が女子六人とは反対の方を向くことで妥協し、恭介が一通り柔軟のプログラムを説明したところで、それぞれが自分達のペースで動き出す。もっとも、後ろのみんなの様子は声だけでしかわからない。振り向くわけにもいかないし。
 隣の二人はどうなんだろう、と視線を移すと、

「お、謙吾、お前身体柔らかいな」
「当然だ。前屈なら額が地面に付くぞ。ほら」
「うおっ、すげえ! じゃあもっと押してみるぜ!」
「いやこれ以上は曲がらっ、ぐああああ!」

 ……見なかったことにしよう。

「ほれ理樹、ぼんやりしてないで行くぞ」
「あ、うん」

 窘めるような言葉と同時、後ろからぐっと力が掛かった。
 僕の肩に置かれた恭介の両腕が、上半身を前に押していく。
 それを受けるこっちは余計な身体の力を抜いて、手を頭の前に投げ出し地面めがけて倒れればいい。
 四十五度に達した辺りで、股関節が軽い痛みを訴えてきた。無視してさらに続けると、グラウンドの砂が一気に近くなる。

「いい調子だな。まだ行けるか?」
「もう少しなら平気だよ」
「わかった。きつかったら言えよ?」

 不意に声が耳元で聞こえ、僕は思わずドキっとしてしまった。
 幸い背後の恭介には悟られず、顔が見えなくてよかったと心の中で安堵する。

「く、うぅ」
「あとちょっとだ、頑張れ」
「うん……っふ、う、んんっ」
「……よし、最後まで行ったぞ。よくやったな」

 足の付け根辺りがかなり痛いけど、何とか額が地面にくっついた。
 じゃりっとした砂でおでこを一瞬擦り、僕は跳ね上がるように上半身を戻す。
 深く息を吐き、しばし身動きを取らず休憩。

「昔よりも柔らかくなったな」
「正直、ここまで行くとは思わなかったよ」
「そうか? 俺は理樹ならきっとできると信じてたぞ」
「恭介……」

 あれ、僕、どうしたんだろう。何か勝手に頬が熱くなって――

「理樹、どうした? 顔が赤いぞ?」
「え、あ、ううん、何でもないよっ」
「そんなわけあるか。ほら、頭出せ」

 言うや否や、恭介は首だけで振り向いた僕の額に、こつんと自分のおでこを当てた。
 鼻先が今にも触れそうなほどの近さ。どくん、と心臓が跳ね、その時脳裏に映像が流れる。

「……っ!」

 ――思い出した。
 西園さんに教室で起こされる前、僕が見ていた夢に出てきてたのは、恭介だ。
 廊下の壁に追い詰められ、引け腰になってた僕の耳元で許可を求める言葉を囁いて。
 こっちを見下ろす顔が徐々に近付き、そして恭介の唇が、

「うわあああ! 何想像してるんだ僕は!?」
「お、おい理樹、いきなり動くな、っ!」

 鈍い音を立てて、僕達は盛大に額をぶつけ合った。
 痛みと驚きで互いの距離が広がるのと同時、後ろの方でどさっと何かの倒れる音が聞こえる。

「大変だ、みおが鼻血をふいてたおれたっ」
「に、西園さーんっ!?」
「うむ、では私が介抱するとしよう」
「……姉御、手がわきわきしてますヨ?」
「ゆいちゃんはみおちゃんに触っちゃだめえー!」

 まあ……何というか、そっちを見なくてもだいたい状況がわかるなぁ……。

「……お前、マジで大丈夫か? 熱でもあるんじゃないのか?」
「いやいやいや、本当に平気だから。それより、向こうは放っておいていいの?」
「あいつらなら俺が手貸さなくても自分達でどうにかするだろ。来ヶ谷もいるし」
「その来ヶ谷さんが一番危ない気もするけどね……」

 我慢できなくなったのか、息ぴったりな動きで振り返ろうとした真人と謙吾が来ヶ谷さんに目潰しされて絶叫する様子を眺めながら、僕は勘のいい恭介に赤い頬の理由を悟られず済んでよかった、と心から思った。



「もう寝てなくてもいいの?」
「……はい。ご心配をお掛けしました」

 結局恭介がやろうとしていた新しい特訓がいったい何だったのかわからないまま、陽が暮れた辺りで練習は終了した。
 バットやボール、グローブを片付け終え、大事はなかったものの念のためと気遣われて手持ち無沙汰な西園さんに声を掛けてみると、小さく俯いて恥ずかしげにそう呟く。そしてふっと目を閉じ、

「直枝さん、ひとつ訊きたいことがあります」
「え、なに?」
「恭介さんを見ると、胸が高鳴ったりしませんでしたか?」

 告げられた言葉に、僕は思わずびくっとしてしまった。
 遅れて取り繕うも西園さんには今の反応で充分だったらしく、返答するよりも前に、そうですか、と頷かれる。

「それで、恭介さんとはどこまで行ったんでしょう」
「どこまで……?」
「柔軟の時には、キスをしていたようですが」

 物凄い誤解が生まれていた!

「ち、違うよっ! 勢い余っておでこをぶつけただけだって!」
「ムキになって否定するところが怪しいです」
「僕と恭介は断じてそんな関係じゃないからねっ!?」

 もしそんなハプニングがあったら、西園さんより先に僕が卒倒している。
 声を荒げたことで、丁度道具を片付け戻ってきた来ヶ谷さんがこっちを見たけれど、意味深な表情を浮かべてそのまま歩いていった。……もしかして全部聞こえてたんだろうか。後で顔を合わせるのがちょっと怖い。
 そう考えて僕が軽く頭を抱えていると、隣で西園さんがくすくすと笑みを漏らし始めた。

「……ふふ、冗談ですよ。ちゃんとわかってますから」
「そっか。よかった……」
「お二人はプラトニックな関係なのですね」
「全然わかってないでしょ!?」
「冗談です」
「………………」

 普段真面目に見える人ほど冗談かどうかわかりにくいって言うけど、なるほど確かにその通りだった。
 はぁ、と重い溜め息を吐いたところで、横からお茶が差し出される。
 複雑な気分になりながら一口。ほっとするような温かさに、正直ちょっと泣きたくなった。

「……あのさ、ここに来る前、夢の話をしたのは覚えてる?」
「知ってる誰かが出てきてた、と言っていましたね」
「うん。それが恭介だったんだ」
「夢の内容はどういったものでしたか?」
「えっと……」

 言おうとして躊躇う。
 いやだって、夢の中の恭介は――

「強引な攻めの恭介さんと、嫌がりつつも抵抗できない受けの直枝さん……」
「不穏な想像しないでよ、っていうかどうして西園さんが僕の夢の内容を知ってるのさっ」
「直枝さんは、睡眠学習というものを知っていますか?」
「え、まあ、一応知ってるけど……」

 唐突な単語が出てきて僕は面食らった。
 そういえば昔、真人がどこかから睡眠学習セットなる物を貰ってきたことがあったなぁ。勉強したいところは自分で録音しなきゃいけないって気付いて、一度も使わず捨てちゃったんだったっけ。

「具体的な効果があるかは立証されていませんし、睡眠のメカニズムが解明された今ではむしろ記憶の整理を阻害するとして逆効果だと言われていますが……直枝さんが見た夢の内容は、私が耳元で囁いたものです」
「……ちょっと待って、それってつまり」
「まさか本当に夢に見るとは思いませんでした」

 どう考えても西園さんが原因だった!
 恭介の言葉や顔にドキドキしたりしたのも、全部夢の所為で……安心した途端、膝から力が抜ける。

「じゃあ、僕は正常なんだよね……。よかった……」
「……そこまで喜ばれると、少し複雑です」
「あはは、期待に添えなくてごめんね」

 むすっとした表情に、苦笑を返す余裕すらできる。
 と、不意に西園さんは真面目な顔になって、

「直枝さん。実はもうひとつ、見ていただきたかった夢があったのですが」
「え?」

 声を上げた時には、既に西園さんの顔がすぐそばまで近付いていて。
 耳に流れ込んだ微かな吐息と、その唇からこぼれた言葉に、僕の頬は一瞬で真っ赤に染まった。
 そんなこちらとは対照的に、平然とした西園さんは、それでは、と言い残して去っていく。

「…………うわぁ」

 僕はしばらく頭が真っ白になって、ぼけっと突っ立っていたのだった。
 見なくてよかったような、でもちょっとだけ惜しかったような、恥ずかしい内容を思い浮かべて。


[No.113] 2007/12/28(Fri) 20:51:04
悪夢への招待状 (No.110への返信 / 1階層) - ひみつ

 リキは今日もその扉を開く。
 駄目だと頭では思いながらも、身体の疼きが抑えられない。
『なんだまた来たのか。エロティックだな、リキは』
『そんなこといわないでよ』
 屈辱と歓喜に打ち震えながらリキは上着を脱いだ。
『キョウスケがこんな身体にしたんじゃないか』
 やがてリキは生まれたままの姿になると、ベッドに座るキョウスケに身体を預けたのだった。


「ふむ、流石にこれはちょっとベタすぎないだろうか」
「いいえ。むしろ出だしはこれくらいの方が」
「なるほど、これからという事だね」
「ありゃ〜、姉御とみおちん。何してんの〜?」
「夢を、描いているんです」
「というよりは夢を喰っているんだな。獏のように」
「なんだかぜんぜんさっぱりですけど、面白だからいっか!」


 リキは正面から歩いてくるその男を見つけて顔を俯けた。
 眼を合わさないようにして、無視する。
 だがリキは急に腕を捕まれて立ち止まった。
『……何か用?』
『また、キョウスケの部屋に居たのか』
『どうでもいいでしょ』
『よくねーよ』
『いいじゃないか! どうせマサトだってケンゴと一緒だったんでしょ!』
『馬鹿やろう! 俺にはリキ、お前しかいねぇ!』
 マサトはそう言うと、リキを硬い胸へと抱き寄せた。
『そして、お前にも俺しかいねぇ。この俺の大胸筋を忘れたとは言わせねぇぜ』
『あぁ……筋肉センセーション……』
 リキは甘い吐息で呟いた。


「何故だか途中から変な方向に走ってしまいました」
「いや、こっち見ないでクダサイヨ」
「だが筋肉に溺れる理樹くん……ではなく、実在の人物とは一切無関係なリキというのも悪くないだろう」
「そうですね。ただし、最後の筋肉センセーションは消しましょう」
「いやいや、だからこっちを見ないでクダサイヨ」
「わふ〜、皆さんで何を話しているのですか?」
「なんだかとっても楽しそうだよ〜」
「クドリャフカ君に小毬君か。ちょうどいい所に来た、君たちも手伝ってくれ」
「はい! 何をすれば良いのでしょうか!」
「うん、何でも手伝うよ〜」


 マサトの大胸筋にもたれながら気だるくも心地良い疲労感に身を任せていたリキ。
 だがその幸せは長続きしなかった。
 扉を蹴り破って入ってきた男はいきなり木刀を振り回した。
『ケ、ケンゴ!』
『マサト、リキっ! お前達はっ!』
『待って、ケンゴ!』
 リキの叫びは届かなかった。
 怒り狂ったケンゴは止める間もなくマサトに襲い掛かる。
 流石のマサトも木刀を持ったケンゴには適わない。
 たちまち打ち倒されてしまった。
『俺の純愛を裏切った罪は重いぞ、マサト』
『待って! お願いだから止めてよ、ケンゴ。悪いのは僕なんだ』
『なんだと?』
『僕から誘ったんだ。だからマサトをこれ以上責めないで。責めるなら僕にしてよ』
『……そうか、分かった』
 ケンゴは木刀の先端をリキへと向けた。
『ならお仕置きだ。まずは、舐めろ』
 リキは涙ながらに従った。


「はうはうはう〜」
「わ、わふ〜、これはなんだか分かりませんがとってもだめな感じなのです!」
「う〜ん、こまりんとクド公はショート寸前かぁ。お子ちゃまにはちょっと刺激が強すぎたみたいっすね」
「確かに、木刀プレイとはなかなかにマニアックだな」
「はい、ですが一つくらいは器具を使ったプレイがないと盛り上がりませんから」
「なるほど、器具……良い言葉だ」
「はい」
「あの〜、みおちんに姉御。なんか笑顔がすっごい怖いですよ〜」
「こらっ! こまりちゃんを困らせるな!」
「ありゃ、鈴ちゃんまで来ちゃった。これで全員集合〜!」
「ところで鈴君、それは洒落のつもりなのかい?」
「違うわっ!」
「まあいいです。ちょうど鈴さんの出番ですから?」
「出番? 何の話だ?」


 ケンゴのお仕置きはリキの身体を汚しつくした。
 マサトを守るためとはいえ、それは重い傷だった。
 傷ついたリキは一人夜の道を歩く。
 マサトの元へは戻れない。キョウスケのところへも。
『リキ……』
 その声はとても懐かしく感じられた。
 目の前に立っていたのはリンだった。
 何時からこうなってしまったのだろう。
 幼い頃、まだ恋も愛も肉欲もしらなかった頃からあまりにも変わってしまった。
 しかしそんな中でも、リンだけは変わっていない。
 あの日のまま、穢れないままだ。
 思わず泣き出してしまったリキの頭をリンは優しく撫でた。 
『大丈夫だリキ。リキには私が居る』
『ありがとう、リン。だけど僕はもう……男しか愛せないんだ』
『問題ない』
『え……?』
 リンはそう言うとスカートを捲り、そして……その下のモノを曝け出した。
『そ、そんな……』
『ずっと黙ってた。ごめん』
 なんと、幼い頃男の子だと思っていたリンは……本当に男の子だったのである!
『あぁ……リン!』
『リキ。これからもずっと一緒だ』
『うん、うん。リン、ありがとう!』
 そうしてリキはリンの猫(ペット)となり、幸せに暮らしのでした。
 めでたしめでたし。


「素晴らしい! まさかリンが男だったとは!」
「すっごい超展開っすね〜」
「わ、わふ〜! まさにきょうがくの新事実なのです!」
「ええええ、りんちゃん、男の子だったの〜?」
「違うわボケ!」
「如何でしたでしょうか?」
「うん、これは実に見事だよ。こうして二人は結ばれたわけだね!」
「はい。ハッピーエンドです」
「おめでとう! リン×リキ!」
「おめでとうございます、リン×リキ」
「とりあえずおめでとー、リン×リキ」
「良く分からないけど、ハッピーならオッケーだよ、リン×リキ」
「こんぐらちれいしょんなのです、リン×リキ」
「馬鹿だこいつらっ!」

 ☆ ☆ ☆

「なぁ、理樹よ」
「……真人」
「さっきからあいつ等、お前の名前を呼んでるんだが」
「真人、お願いだからその事は言わないで」
「あ、ああ。分かった。悪いな」
「ううん。良いんだ。良いんだよ、僕は」
「……何がなんだか分からんけど、大変だな、お前も」
 理樹は机に突っ伏して耳を塞いでいた。
 あぁ……今晩はきっと、悪い夢になるだろう。


[No.114] 2007/12/28(Fri) 21:52:10
夢のデート (No.110への返信 / 1階層) - ひみつ

 これはいつも通り何だよね。西園さんと二人並んで歩く……ちょっとまだこの言い方をするのは恥ずかしいけれどデートする。それはもう珍しくないはずなのにどこか違うような気がする。本屋へ行って新刊本を選んで嬉々としているのも、その後ごはんを食べに行き、意外と子供っぽい味覚なのに意地を張ってちょっと辛いものを注文するのも、いつも通りの西園さんのはずなのにどうして素直に楽しめないのだろうか。
「どうしましたか直枝さん」
 穏やかな口調。柔らかい物腰。誰がどう考えたって西園さんだ。でもそれだったらどうして悲しい気分になるのだろう。目の前にいるはずの人がなぜか誰よりも遠くにいるような気がする。そんなありえない体験のはずなのにいつかどこかで体験したような気がする。一体どこで……ああ、そうだ。思い出した。こんな不思議な体験をどこでしたのか。そしてその体験をした時に誰がいたのか。
「ごめんなさい。約束を破って」
「直枝さん? 何の話ですか?」
「もうそんな風に喋らなくていいよ。忘れててごめんね……美鳥」
 その一言に目の前の少女はさびしく笑った気がする。少しずつ今まで普通だったファーストフード店の景色がグニャリと溶けていった。



「もうつまんないな、理樹君たら。せっかくデート楽しんでいたんだから最後まで気付かなければいいのに」
 美鳥のその言葉は本心なのだろうか。憶えているというたった一つだけ……けれど何よりも大切な約束を忘れていたのに本当にデートを楽しんでいたというのだろうか。文句を言われても嫌われてもおかしくないはずなのにどうしてそんな笑顔でいられるのだろう。無理して笑っていないのだろうか。そして僕はどうなんだろう。忘れたいたことの心苦しさもあるけれど、それと同時に美鳥に会えた嬉しさもある。現実には会えない美鳥に。現実には会えない人に会えるってことは……
「美鳥、ここは夢の中なのかな」
 夢の中ではっきり自分が今夢の中にいると自覚する。珍しい体験だと思うけど、そういうことが時々あるということは聞いたことがある。今の僕の状況はそんな状況が一番合ってると思う。
「そんなこと言われてもね。もしこれが理樹君の夢だったとしたら、夢の登場人物に聞いてもちゃんと答えてくれないのじゃないかな。だって全てを決めるのは理樹君だし」
「いまいちわからないのだけど」
「だからこれが本当に理樹君の夢だとして、それであたしがこれは現実ですって答えたら、それはきっと理樹君が現実であってほしいって願っているから。ねえ、理樹君は今何を考えているのかな」
 美鳥は僕の質問に明確な答えを与えてくれなかった。それは本当に美鳥がそう思っているからなのだろうか。それとも明確な答えを与えてくれないことの方が僕にとって都合がいいと僕が考えているからなのだろうか。
「じゃあ、今度はあたしから質問。現実って何?」
「僕にとっての現実はリトルバスターズのみんながいて、恭介が何かを思いついてそれで多少戸惑いながらも楽しく過ごしていくことだよ」
「本当に楽しそうだよね。でもね、それは本当に現実なのかな。ひょっとしたら理樹君の考える現実は実は理樹君が見ている夢で、あたしと一緒にいる今だけが現実ってことはないかな」
「そんなことはない! みんなとのかけがえのない時間が作りものってことはそれだけはない」
 思わず怒鳴ってしまった。リトルバスターズが存在しないなんて言われることは僕にとっては何よりも許せないことだけど、それでも女の子にこんなきつい言い方をしたことはちょっと後悔してしまう。けど美鳥はまるで何もなかったかのように余裕の表情をしている。
「ねえ、理樹君、次の質問いいかな。あたしは今理樹君を怒らせるようなことを言ったのかな。それとも理樹君が夢の中であたしに自分を怒らせるようなことを言わせたのかな」
 背筋が凍りついたように寒くなった。一つ疑問に答えてもそれはまた新たな疑問を生むきっかけになってしまう。永遠に抜け出すことができたい底なし沼に落ち込んだような気がする。ここは夢なのか現実なのか。それとも夢でもなく現実でもなく、同時に夢であり現実でもあるあの不思議な世界にまた迷い込んだのだろうか。
「理樹君、そんな怖い顔しない。考え過ぎなんだって。もっと単純に考えればいいのに」
「単純にってどんな風に」
「こんな美少女がいるのだからウハウハヤッホーって」
「……僕はそんなキャラじゃないけど」
「ええーっ、よくその口でそんなこと言えるわね。あたしの体をさんざんなめたりしたそのく・ち・で」
 一音ずつ強調するように美鳥はそう言った。その言葉に僕は頭を深々と下げることしかできなかった。



 ようやく少し落ち着いてきた。ここが夢なのかどうか気にするよりも、美鳥が言うように単純に会えてうれしいと考えた方がいいのかもしれない。それでも最初にわいた疑問について尋ねずにはいられなかった。
「怒らないんだね。僕はあれからずっと忘れていたのに」
「許さない……あたしのことを忘れて他の女と付き合うなんて! 理樹君なんて死んじゃえ、グサリ……こういう風な展開の方が理樹君よかったの。ちょっとそれ趣味悪いよ」
 美鳥の鬼気迫る表情とは苦心の演技に思わずのけぞってしまった。そう言えば西園さんも芝居がうまいし、やっぱり重ならないようで重なっているのかな。
「仕方ないよ。あたしは人の夢の中でしかいられないような存在なんだし。すぐに消えちゃうようなあやふやな存在……人の夢と書いて儚い。誰なんだろうね。こんな寂しいこと考えた人って」
 どうして美鳥はこんなに笑顔でいられるのだろうか。あの時の美鳥だってそうだ。あの時は僕は西園さんが戻ってくることだけを考えて美鳥の顔がただ癇に障るものだと感じていた。でもあの時だって美鳥は今同様自分が必ず消える存在だってわかっていたはずなのに。西園さんのために、僕のために自分の寂しさとかは決して表さなかった。
「ねえ、理樹君。さっきから夢の話をしているけれどあたしはどうせだったらもう一つの夢の話をしたいな。すぐに消えてしまう方の夢ではなくて、いつか現実になるかもしれない方の夢の話を」
「美鳥にも夢ってあるんだ」
「そりゃあ、あたしだっていろいろと考えているよ……理樹君の周りには素敵な子が何人もいるけれどそれでも理樹君は美魚のことを選ぼうとする。美魚はそれを見て戸惑ってしまうけれど理樹君はそれをやや強引に抱きしめて唇を奪ってしまう」
 今の関係があまりに楽しいから僕は多分逃げているのだろう。みんなから少なからず好意を寄せられているのは正直うれしく思う。だからこそ僕は一人を選ぶことから決して逃げたりしてはいけないのに。当然かもしれないけれど美鳥は僕が西園さんを選ぶことを望んでいるんだね。
「そんな理樹君に美魚はもうメロメロ。みんなに祝福されながら理樹君と結ばれる。そしてしばらく経ったある日美魚は自分の中にもう一つの命が宿っていることに気付く。美魚の中で育ったその命はやがて二人が結ばれた日以上の祝福の中この世に出てくる。二人とも予想はしていたけれどその子の顔を見てそれが現実になったことを知る。美魚そっくりのかわいい顔を見て、別に示し合わせてなかったのに声を重ねてその子の名前を呼ぶ。美鳥って」
「僕と西園さんの子供に生まれ変わりたいんだ」
「どうなのかな。そもそも最初から生まれていないあたしに生まれ変わりって言葉が使えるのかな」
「でも美鳥はここにいるよ」
「……続けるね。優しい両親や楽しい両親の友人に育てられたその子はすくすくと育っていく。そんな美鳥の一番大好きな人はパパ。あまりにパパベッタリで、パパも甘いからその様子に思わずママはやきもちを焼いてしまう」
「そんなこと絶対しないと思うけど」
「理樹君てほんと女心がわからないな。女の子は一番身近な女の子でも好きな男が絡むとその瞬間ライバルになるのに」
 それはそれで間違った女の子像だと思うけど。でもそんなちょっと騒々しいだろう日々はとても楽しそうに思えてくる。その子は美鳥ではないし、美鳥の代わりにしてもいけないと思うけれど、それでも西園さんと美鳥、二人が一緒にいられるのはきっと幸せだと思う。
「やがて美しく成長した美鳥には次々と告白が舞い込むけれど、それらをすべて断ってしまう。なぜなら美鳥にはずっと想い続けている人がいるから。美鳥には父親以外の男性を愛する気にはなれなかった」
 ちょっと、流石にそれは。
「そんなある日ついに美鳥は一糸纏わぬ姿で父親に言う。『ねえ、パパ。私はパパのことを男性として愛してる。お願い私を抱いて』出会った頃の妻のような美しさと若さを兼ねそろえた娘に父親は思わず……」
「ちょっと待ってぇぇぇっ!」
「何よ理樹君、いきなり大声出して」
「それって父親僕ということになっていたよね」
「そうだけど」
「僕は娘とそんなことしないよ」
「えええーっ」
「えええーっじゃないって」
 途中まではわりといい話かもと思っていたのに。別に美鳥のためにするわけじゃないけれど、西園さんを選ぶべきじゃないかと思えてきたのに、そんな気持ちが一瞬で吹き飛んでしまった。
「どうしてそんなオチを付けるかな」
「オチってむしろここからが盛り上がるところなのに」
「盛り上げなくていいから」
「もう理樹君たら……ほんとあたしにつっこむの好きなんだから」
「それはどういう意味でのつっこみ」
「たぶん理樹君が今考えている意味」
 うん、そうだね。たしかに僕は西園さんのことを忘れて美鳥と……その色々としちゃったよね。さっき美鳥は生まれ変わりがあるかないかわからないみたいなこと言ってたけれど、もし生まれ変わりがあるとしたらどうしよう。一度は引っかかった……いやその言い方は悪いな。あれは僕の迷いが一番悪かったんだし。迷った末美鳥を選んでしまった。現実とあの世界を一緒に扱ってはいけないかもしれないけれど、やっぱり一度あんなことしたから現実では大丈夫だと言える自信をなくしてしまう。



「やっぱり美鳥は僕が西園さんを選ばなかったら嫌かな」
「うん、別に」
「あの無理してそんなこと言わなくても」
「いや、本当に大丈夫だけど。あの夢は2番目だから」
「そうなんだ。じゃあ一番は」
 一瞬美鳥の唇が動いたけれど言葉は発することはなく、その代りに僕の首筋に抱きつかれた。
「ちょっと美鳥」
「ねえ、理樹君。このまま一生目を覚まさないでくれる。女の子ってやっぱり好きな男の子とずっと一緒にいられるのが一番の夢だと思う」
 髪の毛が邪魔をして美鳥の表情がわからない。こんな密着するほど近くにいるのに少しも様子がわからない。いつもと同じような表情をしているのか、それとも今まで決して見せなかった寂しそうな表情をしているのか。それでも僕は美鳥にさらに苦しい思いをさせないといけない。僕の居場所はここではないんだ。
「……ごめん」
「……そう……お願い、あたしがいいっていうまで目をつぶってくれる」
 わずかな嗚咽が聞こえる。想像すらできなかった美鳥の泣き顔がすぐそばにはあるんだろう。でもその顔を見るわけにはいかない。美鳥は自分の気持ちを押し殺しても僕につらい表情を見せなかった。だから僕は何があってもみてはいけないんだと思う。
「……もういいよ。それじゃそろそろお別れかな。もう目を覚ましても」
「待って、ねえ、今からそのデ、デートしない」
「ちょっと理樹くーん。今振ったばかりの女を普通デートに誘う。いくらなんでも節操無いよ」
「ご、ごめん。でも、最初のデートは美鳥とのデートじゃなかったから。だからもう一度最初からやり直したいんだ」
「はあ……やっぱり恋愛って頭で理解しても全然ダメね。どんだけ恋愛の駆け引き知ってても、理樹君みたいな女の子とっかえひっかえの本物の外道には何の役にも立たないんだから。ああ、初めて好きになった男の子がそんな人だったなんて。あたしはなんて不幸な少女何だろう」
「お、女の子とっかえひっかえってひどいよ」
「そうだった。理樹君の場合は男の子もだっけ」
「もっとひどいよ」
 すっかりいつもの余裕がある表情と口調に戻っている。これが本当の姿なのかはわからないけれど、どこか笑顔でいてほしいと願っている。どうかこの笑顔が自分を偽っていない笑顔でありますように。
「それじゃあ哀れな子羊らしく悪い狼さんに食べられましょう」
「しないってそんなこと」
 見ると歪んだ景色が形を取り戻している。いつの間にかいつもの町並みができていた。ここは初めに見かけた場所か。ここから二人始めていきたいんだね。僕にどれだけのことができるかはわからないけれどできるだけがんばって本当の笑顔にしたい。
「何からしようか」
「基本は映画かな」
「わかった」
 本当の街にはこのあたりには映画館はなかったはずなのに、なぜか小さな映画館ができていた。そこで上映されているのは昔見たアクション映画。やっぱりここは僕の記憶をもとに構成されているのだろうか。



「そろそろおしまいかな」
 どれだけの時間が流れているのだろうか。よくわからない。これが夢の中なのかそれともあの世界なのか。現実にはほんのわずかの時間なのだろうか。美鳥が望む全てをこの時間でかなえられたのだろうか。
「また、会えるかな」
「どうだろう、理樹君のがんばり次第かな。会えただけどうれしく思ったけれど、なんだか一つ願いがかなうとどんどん欲張りになっちゃったかも」
「憶えておくって約束忘れたから信じてもらえないかもけれど、必ずまた会いに来るから」
「期待しないで待っておくから。じゃあ、最後の締めにキスしようと思ってたけれどそれは次回にお預けね」
「うん」
 ようやく本当の笑顔をみられた気がする。誰かのための笑顔ではなくすべて美鳥自身のための笑顔に。そんな笑顔を僕が生み出すことができたのなら少し誇らしい。
「それとあたしだけじゃなくて美魚も大事にしてね。美魚ったらあれだけ強力なライバルが何人もいて何遠慮してるのかしら」
「でもそう言うのも西園さんらしいけど」
「甘いって。美魚ったら口先ばっかりで行動に移せないんだから。あんなんじゃ一度理樹君ゲットしても簡単に盗られちゃうのに」
「盗られるって、もし僕と西園さんの子供に生まれ変わっても、さっき言ったように僕を盗ろうとかそんなこと考えちゃダメだからね」
「あっひどい。理樹君たら。あたしがそういう人間に見えるわけ」
「だってさっきそんなこと言ってたじゃない」
「もうだからさっきつっこむのが早すぎたんだって。あたしが考えてるのはあの後紆余曲折会った末にみんなで和解し最後は親子3人で3ピ」
「だめえぇぇぇー!」
 もう既に手遅れかもしれないけれどそれども叫んで言葉を遮らずにはいられなかった。西園さんと美鳥が二人一緒にいられるのは幸せなことだと思う。それでもこんなこと考える娘なんか絶対欲しくないよ。
「ところで最初に今のあたしが言うことはすべて理樹君が望んでいることかもしれないって言ったよね。じゃああたしが今言ったようなこと理樹君は望んでいるのかな」
「ちょっと」
「またね」
 お願い、最後の言葉を取り消してよ。今の一言で自分がものすごく信じられなくなってしまった。ああ、美鳥と話した全てをすぐに忘れ去ってしまいたい……





「……」
 光が飛び込んでくる。何か夢を見ていたような気がするけど思い出せない。変だけどとても大事な夢だったような気がするけど、どんなのだったろう。
「大丈夫か、理樹。随分眠り込んでたけど」
「うん、ちょっと夢見てただけだから」
「へぇどんなだ」
「おぼろげなイメージしか残っていないけど、全体的には少し悲しい夢なのにそんな印象が薄れるほどわずかな変な部分の方がはるかに残るようなそんな夢」
「……なあ、理樹。俺はやっぱり馬鹿なのか。お前の説明聞いても全然どんな夢だか想像できねえんだが」
「ごめん、僕も自分で言っていて本当にそんな夢があるのか疑問がわいてきた」
「まあ、そんな変な夢見たことはとっと忘れちまった方がいいぞ」
「いや」
 真人が心配してくれているのはわかる。でもたしかにところどころ変で悲しい部分もあったと思うけれど、どこか忘れたくないという気持ちがわいてくる。きっと悲しいけれどそれでも見たい夢、見なければいけない夢だったのだと思う。
「憶えておくよ。また見ることができるから憶えておくよ」
 なんとなく夢の中で誰か会った気がする。そのおぼろげにしか残っていない人に会うことを僕は固く誓った。


[No.115] 2007/12/28(Fri) 21:57:46
前夜 (No.110への返信 / 1階層) - ひみつ

 初めて会ったとき、理樹、おまえはあたしのことを男の子だと勘違いしていた。以来女の子らしく扱ってもらったことはあんまりない気がするけれど、それはあたしがそんなことを一切望まなかったからだし、今現在の話をするなら、十何年間かずっとそうして続いてきた理樹との間柄が、「同棲」やら「結婚」やらといった言葉をまじえながら将来について話すようになったくらいでいきなり変に互いを意識したものに変わるのも、なんだかとてもばかばかしいことだ。
 理樹。今となってはおまえとはきっと体のどこかで血管でもつながって、溶け合った同じ血を体の中に循環させているんだろう。今更離れたらぶちぶちといろいろな場所の血管が千切れて血が次から次へと溢れ出し、致命傷を負って理樹もあたしもそのまま死んでしまうんだろう。
 オレンジジュースを飲みながらそんなことを考えた。それから不意に、自分がずいぶんとわけわからん想像をしているのに気が付いた。きしょい。グロテスクだという意味でも、一歩間違えればストーカーであるという意味でもだ。


 時刻が夜中の十二時になろうとする頃、それまで元気に喋っていた――と言うより、元気に喋るあたしの話をうんうんと聞いてくれていた理樹は、急にうつらうつらとし始めた。「もう寝たらどうだ?」とあたしは言った。よくは知らんのだが、ナルコレプシーの治療の関係で規則正しい生活をしなきゃいけないらしいからなおさらだ。「そうさせてもらおうかな。ごめんね鈴」と言って、理樹はオレンジジュースがまだ半分ほど残っているグラスをあたしに渡すと、背後のベッドに這うようにもぐりこんで、すぐに寝息をたて始めた。
 飲みかけを渡されても。
 その飲みかけを飲み干しながら、血管が云々という例の気持ち悪い想像をした。こと、と音をたててグラスを床に置くと、微かに聞こえる寝息以外、音という音がまったく絶えて、代わりにまどろむような静かさが下りてきた。ずっと座っていたので腰が痛かった。立ち上がって背伸びをすると、肘の関節がばきばき鳴った。これって運動不足か? 二年生の春に野球をやって以来、運動らしい運動をしていない。なんとなく思い立って、球を投げる動作を腕だけでしてみたが、一年半以上も前になるあの感触が掌の中に甦ることはなかった。それになにより、バットを持つべきひとはいても、打った球をキャッチするべき連中が、ただの一人もいやしない。ピッチャーとバッターだけでどうやって野球やれって言うんだ、ばーか。


 あの夏以降の日々は、決して受け入れたくはないことを、ひとつひとつ受け入れていくための時間だったようにも思う。理樹がいてくれたから、理樹だけはいなくならないでくれたから、たぶんあたしは今もこうして生きている。
 あたしがいくら泣こうとわめこうと、あたしと理樹の退院したその日から、日常はつつがなく進行した。それはもうびっくりするぐらいなんの問題もなく進行して、ただあたしたちだけが中州みたく、その流れの真ん中に取り残されていた。いつ頃から流れに乗るようになったのかはわからない。乗らざるをえなかったのかもしれない――生きていく限りは。ともかくあたしたちはだんだんと受け入れていった。馬鹿兄貴とか真人とか謙吾とか、こまりちゃんとかはるかとかくるがやとかみおとかクドとか、まあそんなひとたちがいないことをだ。ひとが一度にそんなにたくさん死ぬとかわけわからんが。
 だけどそれでも、この学校や寮を――みんなと野球やらバトルやらといったばかなことをして過ごしたこの場所を、去らなきゃいけない日が来るとは、ちょっと前までは想像してもみなかった。昨日が卒業式で今日が卒寮式。そして明日、あたしたちはこの寮を出る。まるでみんなとの思い出そのものを取り上げられるような気分だ。しかも三年に上がったらあれよあれよと言う間に受験勉強が始まり、理樹に付き合ってたらなんかそれなりに成績上がってて、先月おんなじ大学に受かったはいいけどそれは東京の大学だった。学校どころかこの町まで離れなきゃいけないのか。
 なあ理樹。どうして大事なものに限ってなくなってしまうんだろう。なんでなにひとつ思いどおりにならないんだろう。いつまでも明るく楽しく幸せにやっていけないのはなぜなんだろう。
 眠っている理樹が答えてくれるはずもない。質問に答えて欲しいのに。どうして肝心なときに寝てるんだ、おまえ。


「お疲れさま会でもしようか」
「お疲れ? 理樹は疲れてるのか?」
「別にそうじゃないけど――ほら、明日もう出てかなきゃいけないからさ」
 卒寮式の始まる前、そんな会話を交わして、なるほど打ち上げみたいなもんかとあたしは納得した。すぐにお菓子とか飲み物とかを買いに出かけ、夕食を兼ねた食堂での卒業式の後、理樹の部屋に集まって二人でお喋りを始めた。前は理樹と真人の二人部屋だった部屋は今では理樹一人の部屋になっていて、あたしは、今日もそうするつもりだけど、たまに泊まりに来る。二人部屋を一人で使うことも、あたしが出入りすることも、どういうわけか黙認されている。ただ二人生き残った生徒の扱いには、学校側も困ってるんだろう。
 夜になってからも同じ部屋にいて、あまつさえ同じベッドで寝ていて、そういうことがまったく起こらないのもどうかしている、とちょっと顔を赤らめながらあるときあたしに言ったのは、ざざざざざざざみ(言いやすさを追求したらこうなった)だ。でも、まったく起きないとまでは言わないが、あたしたちはいつもそんなものである。周りからは変に見えるらしいんだが、どうする、理樹? 寝ている理樹の代わりに答えておいてやろう――別にどうでもいいんじゃないの。
 残ったポテトチップスをぱりぱりと食べていると、カーテンの隙間から、窓の外の暗さが垣間見えた。


 それにしてもなにもない部屋だ。本棚の中も机の上もまっさら。カーペットもない。蜜柑の箱すらない。小さなストーブだけが、内側で赤々と炎を灯しながら、部屋を控えめに暖めている。殺風景にもほどがある。もっとも、あたしの部屋もほとんどおんなじだった。二人とも、ここ何日かで荷物は全部実家に送るか捨てるかしてしまったのだ。
 あたしたちがもう既に、跡を濁さずに立つべき鳥なのだと、嫌でも感じざるをえない光景だ。
 そんな中、備品でもないのに、一昔前のラジカセが二つの机の間に置かれていた。その脇にはCDが何枚か積み上げられている。明日持ち出す最後の荷物なんだろう。理樹が寝てしまって寂しいので、一番上のをセットして、小さく、本当に小さく再生してみた。クラシックっぽい音楽だった。理樹は最近よくこういうのを聞いている。
 からっぽの部屋に、夜のようにやわらかく、どこか寂しげな旋律が満ちていく。


 CDをかけっぱなしにして窓を開け、小さな前庭に素足で下りた。冬枯れした芝草が足の裏につんつんと当たった。空にはまん丸に近い月がよく見えた。窓から漏れ出した音楽が、夜気の中に溶けていくようだった。
 以前は外に出ると自然と猫が後をついてきたものだったけど、いつの頃からか一匹ずつどこかへ行ってしまって、最近ではときどき草むらで姿を見かけはしても、昔のように親しく近寄ってきてはくれなくなった。原因はわからない。そのことを受け入れている自分もいた。今も猫はどこにもいない。誰もいない。寝てる理樹はいる。それで十分だ。
 ゆるやかな旋律だけが澄んだ空気を振るわせる、静かな夜。
 絞られた灯に幻のように照らされて、渡り廊下の屋根と、北校舎と、中庭の端の芝生が、暗がりの中にうずくまっているのが見えた。校舎の三階の左から五番目が、二年のときの教室の窓だった。前の日に野球のメンバー集めだとか言ってひと通りばかをやって、翌朝寝坊して遅刻しかけて、あの窓に向かって謙吾と真人に投げ飛ばされた、忘れがたい体験を思い出す。見事に外れて、あたしは渡り廊下の脇の植木に突っ込んだ。――遠い、遠い昔の話。


「夢」
「夢?」
 なにが。明後日の方向へぶん投げられたことや、神なるノーコン呼ばわりされたことや、屋上でこまりちゃんと甘い甘いお菓子を食べたことや、クドと和室で向かい合って書道しながらお茶飲んだことや、それ以外にもいっぱいあった、ささやかだけど大切な記憶が?
 そんなことはない。
「この曲の名前。ドビュッシーの「夢」」
「すまん、起こしたか」
「いや、トイレに行ってきただけ」
 いつの間に起きたのか、理樹が窓から足を踏み出して、隣に立った。空を見上げて、「あ、星が凄いね」と言った。夜空には月と一緒に、水晶を掻き砕いたような光が散らばっている。ドビュッシーのピアノ曲は一瞬途切れたかと思うとまた滑らかにつながって、月夜の天球にその曲名どおりの夢のような音色を刻んでいく。
 あたしは思わず言った。
「もう日付も変わったのに、まだ全然実感湧かない。ここを離れるなんて」
「僕も」
 それから少しの間、黙って星空を見上げた。


 実感が湧かなくとも、朝起きて夢から覚めるように、明日の朝、あたしたちはもうこの寮を出なければならない。一晩だけうちの実家に二人で泊まって、それから東京に向かうことになる。馬鹿兄貴は馬鹿なので歩いて行ってたが、あたしたちは電車でだ。広々とした河岸段丘の真ん中をまっすぐに突っ切る線路の上を、物凄いスピードで走っていく電車に揺られて、あたしたちはこの学校から、この町から、たくさんの大切なものに満ちたこの場所から、どうしようもなく、取り返しのつかないくらい遠く離れ去る。――泣きたかった。さっき口にしかけた質問も今理樹の前で吐き出してしまいたかった。けれど、やめた。泣くのは弱さとおんなじことだし、あの質問は質問ではなくて、文句とか愚痴とか、その類のものだと思ったからだ。
 理樹、おまえは優しいから、あたしが泣きたいって言えば、我慢できないなら泣いてもいいんじゃないかな、とかなんとか言ってくれるんだろうし、あたしが愚痴を言い出せば、嫌な顔ひとつせずに聞いてくれて、慰めてくれもするんだろう。でも肝心の理樹は、なにがあっても泣かないし、愚痴もひとつも言わないに違いないんだ。だからあたしも、泣いたりなんかはしないことにしようと思う。ひょっとしたら理樹もいつかどこかで決心したかもしれないように、あたしも強くなるって決めたんだ。理樹と一緒なら、こんななにもない、誰もいない世界でもたぶんなんとかなるんだ――なんとかしてみせるんだ。


 沈黙を破ったのは、理樹の「僕はそろそろ本当に寝るね」という言葉だった。「ああ。おやすみ」と返した。あくびをしながら小さく手を振って、理樹は部屋に帰っていった。その後姿を見送ってから、またしばらく空を眺めていた。理樹がとめたのか、月の夜によく似合っていたドビュッシーの「夢」が途切れて、質量でも持ってそうな静かさが暗くのしかかってくる。ねむねむ。そろそろあたしも眠い。この学校の生徒として、この寮の住人として過ごせる最後の夜なのだから、中庭でも散歩してこようかなとも思ったけれど、もう寝ることにして部屋に引き返した。
 理樹。今となってはおまえとはきっと体のどこかで血管でもつながっているんじゃないか、とそう思い描いたのは、きしょくてもやっぱりあたしにとっては正しかったのかもしれない。こんなあたしでも昔に比べればきっと少しは成長していて、他人ともちょっとはまともに付き合えるようになっているはずで、理樹の助けの要る機会は減ってはいる。でもそれとこれとは別問題で、理樹のことはやっぱりどうしても必要なのだ。この際諦めて、同じ血を体の中に流してでもいるみたいに、これからもずーっとあたしと一緒にいろ。
 元から狭いベッドは、理樹に半分占領されているから更に狭い。理樹の体を押し退けるようにしてもぐりこむ。ベッドは上下ふたつあるのにいつもこうやって寝る。もう少し詰めてくれないか。無理か。というかもう寝てるのか。うー、となにを言ってるのかわからない寝言が掛布団の中から聞こえて、少し笑った。それから急速に眠気が下りてくる。すぐ近くに理樹の吐息を感じる。静かだ。暖かい。おやすみなさい。また明日。


 今日まで理樹と一緒に生きてきたように、明日からも、あたしは理樹と生きていく。


[No.116] 2007/12/28(Fri) 21:59:21
夢想歌 (No.110への返信 / 1階層) - ひ み つ



 いろいろあったが、計画通り。けれど、なかなか、切り出すタイミングは見つからなかった。
 仰向けに寝転がった状態で、雲の流れる先を追いかける。蝉や鳥、校庭で活動しているらしい何かのクラブの掛け声、いろいろな夏の喧噪が耳に届いてくる。太陽が眩しくてずっとしかめっ面だけれど、それでも嫌な気持ちにはならず、何も考えられない。
 見ている。ただ、それだけで思考の歯車が一つたりとも回らないくらいに、開けた空。まるで宙に浮いてどんどん昇っているようにさえ感じる。
 開放的ってこういう事なのかもねと、隣で同じように寝転がる鈴に言ってみる。鈴は答えず、うみゅーと意味のわからない声だけ出して、繋いだままでいる理樹の手を握った。たぶん、声を出すのも億劫なのだろう。本当に、気持ちがよくて。
 今寝転がっているこの場所に、二人が息切れしながら着いたのは一時間ほど前のことだ。朝と昼の中間ぐらいの時分に理樹は鈴と大学で落ち合い、学食で昼食を済ましてから電車に乗った。空いていたシートに座ると、お腹もふくれていたせいか、鈴は理樹の肩によりかかりながらこくこくと揺れていた。理樹が訊いてみると、何だか興奮して昨日はよく寝られなかった、ということらしい。子どもみたいだ、と理樹は笑ってやるが、もちろん、理樹だって昨日はよく寝れてはいない。
 結局は二人して眠りこけてしまい、一つ多く駅を過ぎてしまったが(鈴は、理樹も子どもじゃないか、と妙に得意げに言った)、何とか目的の駅に着くことは出来た。しばらく懐かしさを感じる道を歩いて、目指していた場所を目の前に立ち止まる。
「理樹」校舎を見たまま、名前を呼ぶ。「困った、かもしれない」
「何が?」
 わからないのかとでも言いたげに、不服そうに鈴は言う。
「夏休みなのに、まだ生徒がいっぱいいるじゃないか」
「それは、部活動もあるし仕方ないでしょ」
「それに教室の方にも結構いる気がする」
「そっちは、補習、かなあ?」
 通知票が返されると同時に、補習に代わりに出てくれ! と補習の意味を全く理解していない真人から全力で頼まれたことを覚えている。見返りは斜腹筋を二割という事だったが、丁重にお断りをした。
 うーん、と鈴は唸り「これは、困った」と同じ言葉をもう一度呟いた。
「それでどうして困るの?」
「侵入できない」
 あっけらかんと鈴は言い切る。
「いや、ね、鈴。僕らは卒業生だから、普通に教務室に挨拶すれば大丈夫だよ」
「え、そうなのか」
 頷いて肯定する。「少なくとも、すぐに追い返されるようなことはないと思う」
「昔、真人の馬鹿が『間違えて小学校に行った時すぐに追い払われた』とか言っていた気がするんだが、嘘だったのか」
 今度蹴ってやる、と小さく鈴が決意する。
「いや……それはいろいろあったんだろうけど、真人だからそうなったって事で忘れてよ」
 一体何を間違えてそうなったんだろうとか、存在がそのまま理由になるのはどうなんだろう等々、思い浮かぶ疑問を片っ端から遠くへと投げ捨て、真人だから、それ以外の理由はいらない、と結論づける。
「それじゃ、取り敢えず教務室に行こう」
 言いながら鈴の手を弾いて歩き出そうとすると、強い力で引き戻される。踏み出した一歩を戻し、「どうしたの?」と訊いても、鈴は思案顔で顎に手を当て、返事をする気配もない。
「鈴?」
「理樹」問い掛けに応えるように、鈴は言った。「それじゃ、面白くない」
 満足そうに鈴は言い切ったけれど、理樹には意味がよくわからなかった。
 どうやら表情に出ていたらしく、鈴はもう一度、先ほどより詳しく繰り返した。
「普通に、挨拶して中に入っても面白くないだろう」
「ここで面白さを求められても困るんだけど」
「だから、行くぞ、理樹」
 静かに、それでいて跳ねるような鈴の口調に、どきりと鼓動が高鳴る。緊張とは違い、期待とも違う。昔、悪巧みを企んだときのあの波打つように寄せる昂揚に、それは似ていた。
 目的地は屋上。条件は誰にも見つからないこと。ささやくように理樹に告げて、心底楽しそうに笑顔を見せてから、鈴は言った。
「ミッション、スタート!」



 そうして、教室の中から見られないように腰をかがめ、誰かの足跡がする度に廊下を端から端へと走り回り、掃除ロッカーの中に隠れたり、トイレへの緊急脱出などを繰り返して、二人はようやく学校の頂上――屋上に辿り着いていた。
 おおよそ一時間前のことなのだが、それでも理樹には未だに息切れしている感覚が消えていない気がする。隣の鈴をちらと見てから、ゆっくりと上体を起こす。理樹が起きたのに気づいた鈴も、倣うように同じ体勢を取った。
「久しぶりだね」
 この景色、と言葉にしないで付け足す。「なんだか懐かしい」と鈴が頷き、大学とは全然違うな、と聞かせるつもりもないような微かな呟きが続いた。
 二人とも、同じ大学に進学していた。揃って学生寮に入寮し、講義の行われる場所もほぼ同じだったせいか、一緒にいた時間は酷く長い。理樹が遅く帰れば鈴がすでに理樹の部屋でくつろいでいて、早く帰ったら帰ったで、ノック無しにドアを開け放って、後から鈴が訪れてくるのだ。
 寮は一、二階で男女別になっていて、一応は規則で異性のフロアに入ることは禁止されている。ただ鈴がそれでも毎日のように理樹の部屋にいたのは、部屋が個人部屋で、場所も階段近くで出入りがしやすかったからという条件と、一人では退屈だったからという理由からだろうと、理樹は思う。食事にしろ何にしろ、基本的に二人でいることが多かった。
 だから、なのかもしれない。付き合い始めたのはいつの間にかで、今になっても明確なはじまりを見いだせないことが、不思議なようにも当たり前のようにも思われた。無理矢理にでもスタート地点に印を付けようとすれば、大学の友人に鈴とキスをしているところを目撃され、その関係を事細かに訊かれた時に、恋人以外の言葉が当てはまらなそうだったから、としか言えそうにない。
 ちなみにその時、質問攻めにあった鈴は耳まで真っ赤だった。おまけに、滅多にキスをしてくれなくなった。
 考えてみれば、はっきりと好きといった試しすらないような気もする。そんなに曖昧なままでいいのか、と思わないわけではない。つい昨日始まったばかりのような大学生活すら、もう少しで終わってしまうのだから。
 視線だけで鈴の方を見ると、なぜだか軽く頬を膨らましていた。先手を打って謝りながら訊いてみると、名前を何度も呼ばれたのに気づいていなかったらしい。
「何か、遠い目してたな。考えごとか」
 ううん、と頭を横に振って応える。「考え事って程のものじゃないよ、ただ何となく思い出してただけ」
「思い出してた?」珍しそうに目を丸めて、鈴は尋ねてくる。「何をだ?」
「それは、まあ、いろいろだね」
「ふむ。……何だか、理樹は乙女なんだな」
「いやいやいや」
「あたしなんて滅多な事じゃ悩まないぞ」
「それは嘘でしょ」
「うん。嘘だ」
 これでも結構悩むこともある、と鈴は胸を張る。
「どうしてそんなに誇らしそうに言えるかな……」
「すごいだろ」
「良い意味かはともかく、そうかもしれないね」
 くだらない掛け合いを幾つかこなすと、鈴がひょいと立ち上がる。理樹も遅れて付いていこうとしたが、足がもたついて一発で上手く立ち上がる事が出来なかった。結果的に、鈴に手を引いてもらった形になる。
 さっきのミッションが響いているなら、歳をとってしまったようで嫌だなと考えたところに、「理樹、もしかして疲れてるのか?」と鈴の妙に鋭いつっこみが入る。くつくつと笑っているあたり、鈴もわかって言っているらしい。
「あのミッションは唐突すぎるし、かなり難題だったと思うけど」
 せめて校門に付くまでの間に言っておいてもらって、心の準備をする時間が欲しかったと心の底から思う。
「それにしたって、何で急にあんな事言い出したの」
 鈴は不思議そうに首を傾げ「その方が、きっと面白かったから」と言った。「理樹だって楽しかっただろ?」と尋ねられると、頷かざるを得ない。実際、鈴と汗だくになって校舎を走り回っている間は、不思議なほど楽しかった。
「それにな」
 と、鈴は続けて言おうとしたが、適当な言葉が見つからないのか、しばらく考えてから言葉を紡いだ。
「校門に着いた時にな、何か、こう、したいと思ったんだ」どうやら、言葉の最後にその一言付けるかどうかを悩んでいたらしい。逡巡した末に、「……昔みたいに」と小さくその言葉を零した。
 ああ、と口からは漏らさず、心の中で理樹は息を吐く。
 鈴の言いたいことを、ほぼ完璧に理解していたように思う。その自信が、あった。
 鈴と二人、ほとんどいつだって一緒に入れたことも、確かに夢のような時間だった。ただ、鈴が傍にいたなら、その周りにはいつだって三人がいて、五人が集まっていたなら、そこにはどんな時だって五人が――リトルバスターズが、いるはずなのだ。
 誰かが馬鹿をするのなら、どうせならみんなで思いっきり。みんなで何かをするのなら、それはもう、飛びっきり馬鹿なことを。
 ふと、今この場にみんながいないことが、あまりにもおかしな事のような気がした。連絡は取り合っているし、繋がっていないわけじゃない。けれど、不思議だった。
 もちろん頭では理解しているし、受け入れていた。いつまでも子どもではないし、子どもではいられない。こんなふうに急に後ろを振り向くことがあっても、そんなことで、歩くのを止めてはいけない。
 ふと鈴と目があって、鈴は小さく笑い返してくれた。間違いなく気のせいなのだが、大丈夫、と言われた気がした。
 ――何となく、切り出すのなら今だろうか、と思った。
 今日、この高校に来ようと言い出したのは理樹だし、何の目的も無しにそんなことを企んだわけでもない。ついこの間、電話で連絡を取ったばかりの恭介の言葉が、思考の隙間を突くように頭の中に蘇った。
『もちろん、鈴がいいと言えば、俺が言うことなんてない。鈴の自由だし、俺だって理樹なら何の問題もないさ』
 恭介の言葉に、夢で終わらなければいいけど、と思うと、理樹はつい、それをそのまま言葉にしてしまっていた。けれど恭介は迷うこともなく、その言葉に対して、『理樹、夢は見るものでも終わらせるものでもなくて、叶えるものだ』と、どこかの少年漫画で使ってそうなフレーズをささやき、じゃあなと電話を切った。もしかすると、本当に何かの漫画の台詞だったのかもしれない。
 目を瞑って、出来る限りで最大の深呼吸をし、思考に最後の踏ん切りを付ける。
 何かよくわからない。よくわからないけど、やっぱり、切り出すのなら今だ。
「いいかな、鈴」呼吸を整えて、上擦る言葉を何とかなだめる。「僕はたぶん、これから鈴が恥ずかしがるような、凄くくさい台詞を言うかもしれないけど、頑張って聞いて。蹴りは……そうだね、言い終わってからの返事でならいいよ」
 蹴られたらおしまい、実にわかりやすい。あまりにも明快な形に思わず笑いがこみ上げる。
 鈴はゆっくりと、身構えるようにして、理樹の方を向いた。まるでこれから出陣でもするかのようだったが、まあいいかと、理樹は小さく笑った。
「鈴、僕は鈴のことが好きだよ。本当に」この時点で鈴が若干赤くなっているのが理樹にはわかったが、気づかないふりをして続けた。「だから、鈴とずっと大学で一緒にいられたのは夢みたいだった。でも夢じゃ困るし、折角のいい夢なら僕は見続けたいし、叶えたい。僕は、鈴とずっと一緒にいたい」
 今からほんの少し先に待つ大学生活の終わりは、そのまま今の夢の終わりの場所を示していて、ずっと一緒、なんていう言葉の幼さなど十分に理解していた。それでも、好きな人にはっきりと告白もせずに一緒にいた今までより、それはどれほどいいことだろう。
「鈴、さっき僕言ったよね。返事としてなら、蹴りを使ってもいいって。だから、この言葉の返事にそれを使うかは、鈴の自由だよ」
 一つ間を置いて、息を整える。鈴の目を見ながら、はっきりと、理樹は言った。
「大学が終わったら、僕と一緒に暮らそう。同じ部屋で、頑張って猫を飼えるような所を探して、ずっと一緒にいよう」
 理樹は言い終えて、足腰に力を入れたが、鈴の蹴りは飛んではこなかった。鈴は若干俯いていて、耳が赤いことだけはわかったが、他の様子は窺い知ることが出来ない。
 少しして、不意に鈴は顔を上げた。
「理樹は、ずるい」深呼吸を一つして、鈴は言う。「今更にこっ恥ずかしいこと言うから思い切り蹴ってやりたいけど、蹴るとダメだから、蹴れない」
 鈴は一度理樹に背中を向け、肩越しに窺ってから、言葉を続けた。
「あたしも、理樹のことは好きだ。その、本当に。……というか、理樹。あたし達は付き合ってるんだろ?」
 不意を衝かれながらも、理樹はしっかりと頷いて返した。
「だったら、やっぱり今更じゃないか」
「鈴、よくわからないんだけど、今更、って?」
「あたしは、大学が終わっても、ずっと理樹と一緒にいるつもりだった。理樹は違うのか?」
「いや、僕もそう思ってたけど……え、鈴、そうなの?」
 うん、と鈴は頷いて返す。「だから、今更なことを理樹にまじまじ言われて恥ずかしかったんだ。やっぱり、ちょっと蹴ってやる」
 鈴がゆっくりと蹴り出した足を理樹がバックステップで避け、そのまま二人で屋上中を走り回る。あっという間に汗だくになり、また着いたときと同じような、手を繋いで寝転がった形に二人は戻った。
 だいたい、好きな人と一緒にいない方が変だろ、と空にでも聞かせるように、見上げたまま鈴が言う。
 そうだね。と理樹は答えたかったけれど、何だか可笑しくて、笑いが止まらない。いったい何をしていたんだろうと思う。一人だけ気を張って、言葉を悩みまくって。乙女、なんていうついさっきの鈴の言葉が蘇り、その通りじゃないかと思うと、また笑いがこみ上げて止まらなくなる。
「ねえ、鈴」鈴の視線がふいっと向けられたのが、理樹にはわかった。「今さ、ここにみんながいないのが凄い不思議な気がする」
 みんな、が誰かなんて、鈴がわからないわけがなかった。鈴は小さく頷いて「あたしもそう思う」と応えた。
「みんな、何してるかな」
「小毬ちゃんは、おかし食べてるな」
「じゃあ真人は筋トレしてるね」
「来ヶ谷は、うーん、想像しにくいな」
「あー、確かに。でもあの人は想像できないところがそれらしい気がする」
「葉留佳は、取り敢えず何か騒いでる」
「謙吾は竹刀でも振ってるかな」
「美魚は、きっと本でも読んでる」
 次々と名前を呼び上げて、残るは最後の一人。その顔を思い浮かべて、鈴を見る。言うまでもない、答えだった。
「絶対」と鈴が言い切る。「何か企んでるな」
「うん。それも、飛びっきり馬鹿なことをね」
 言い終わるやいなや、見計らっていたかのように、理樹のポケットの携帯が鳴る。もしもし、と尋ねると、今し方想像したばかりの、聞き慣れた声だった。
『理樹、結果はどうだった』
「あ、うん。これからも、二人で一緒にいるよ」
『そうか、そいつはよかった』
 そう言って携帯を離したのか、少し声が遠くなった。何か周りに合図を出したようにも聞こえ、幾つか返事が返ってきていたような気もした。
『理樹、校庭を見ろ』
 最後にそう一言だけ告げて、電話は切れた。何だかよくわからなかったが、理樹は内容を鈴にも伝え、揃って校庭側のフェンスへ近づいた。――その時、だった。
 心地よい爆音を鳴らして、それは夏空に散った。暗くないせいではっきりと見ることはできなかったが、間違いなく、花火の音だった。
 校庭を見下ろすと、クラブをしている生徒の姿は全く見られず、入れ替わるように、懐かしい顔が手を振っていた。数えてみても、間違いなく理樹と鈴を除いた全員が校庭に姿を現していた。続けて、二人の携帯がどちらとも鳴り出し、「結婚おめでとー」やら「婚約おめでとー」など、ともかく飛躍した祝いの言葉が途切れることなく溢れてきた。たぶん、恭介が今日の理樹の計画をみんなに伝えるときに、話を大きくして伝えたのだろう。
 やっぱり、と思う。恭介はいつだって何か企んでいるのだ。それも、飛びっきり、馬鹿なことを。全員で待ち伏せしてるなんて、どんな反応すればいいのかも思い浮かばない。
「ねえ、鈴」
「なんだ、理樹」
 自分の顔がこれ以上ないくらい笑みを作っていることに気づく。鈴を見てみると、鈴も全く同じ顔をしていた。
「こんなの、夢みたいだ」
 歩くことはやめれないし、子どものままでだっていられない。そんなのはわかってる。けど、それでも、大丈夫。
 たとえ、歩き続けて、子どもじゃなくなっても。
 いつまでも、いつだって、リトルバスターズのままで、歩いていける。
 行こう、と理樹が鈴を促す。みんなの場所へ、二人は一気に階段を駆け下りていった。


[No.117] 2007/12/28(Fri) 22:00:03
夢、過ぎ去ったあとに (No.110への返信 / 1階層) - ひみつ 心弱い子

 一月十五日、成人の日。
 世間一般的では、成人式はこの日に執り行われることが多いらしく、僕たちの市もその例に漏れることはなかった。特に参加したいとは思ってなかったけれど、鈴の実家に一緒に帰省したところで、何もすることがなかったので、僕と鈴はそれに参加することにした。その旨を鈴のお母さんに伝えると「じゃあ、羽織袴と振袖用意しないとね」と至極当然のように提案された。一瞬だけ想像してみた。謙吾なら兎も角、僕にそんな和服姿が似合うとはとても思えなかったので、スーツで行きますと丁重に断った。念の為、鈴と住んでいるアパートから持って帰っておいて良かった。鈴のお母さんはしぶしぶ引き下がってくれたけど、「あたしも振袖なんかいらん」と言った鈴に対しては、強硬な姿勢を崩すことはなかった。

「せっかくの成人式なんだから着なさい。振袖なんて人生でそう何度も着る機会があるわけじゃないんだから。たまには母さんに女の子らしい格好見せてくれたって罰は当たらないでしょうに」

 鶴の一声とはあのことを言うんだろう。「そう言えば、母さんは酉年だったなぁ」と言った鈴のお父さんの声に耳を傾けながら、僕は助けを求めてくる鈴の視線に気づかない振りをし続けていた。その時のツケは夕食前の羽付き勝負で、顔を真っ黒にされることで払わされた。しかも、墨じゃなくってマジックペン。落ちなかったらどうしようと思ったけれど、鈴の最後の良心だったのか、油性じゃなく水性だった。

 翌日、鈴は呉服屋にて、着せ替え人形と化していた。
 成人式の振袖は借りるらしい。そもそも、着る機会は少ないので、買うより借りた方が安上がりだし、保管について考えなくていい。忙しなく動いているのは鈴のお母さんと従業員だったのに、疲れ果てていたのは鈴の方だった。ちなみに僕も結構疲れた。逐一、鈴のお母さんが僕に振袖を試着した鈴の感想を求めてきたからだ。最初は「綺麗ですね」とか「似合ってます」とか言っていたけれど、それだけじゃ満足し切れなかったのか、鈴のお母さんに「直枝君、貴方本当に鈴のこと綺麗だと思ってるの?」と怪訝そうに眉を顰められてしまい、僕はより具体的にどこがどう良いのかなど言わされることになった。
 実際、振袖を着た鈴は綺麗だったけど、普段から誉めることに慣れてないし、歯が浮くような台詞なんて僕には言えないので、精神的に酷く疲れてしまった。

 そして、成人式当日。
 成人式会場に向かう前に写真屋で鈴の振袖姿を撮影することになった。「笑って下さい」とか「猫背にならないで、胸張って下さい」とか「もう少し自然に笑って下さい」とか「こっち見て下さい」とか「フラッシュで目を瞑ったんでもう一回」とか、些細なミスで何度も取り直して時間が掛った。特に笑って下さいという要求は鈴に対しては最大の試練だったようで、「面白くもないのに笑えるか!」と目を三角にしていた。最終的にOKが貰えたのは、この一言によるものだった。

「じゃあ、このカメラが恋人さんの顔だと思って笑い掛けて下さい」

 それで一発成功する辺り、すごく恥ずかしかった。
 後日、郵送されてきた写真に鈴の両親は大層満足気だった。

「これで夢が一つ叶ったわねぇ……せっかくだから七五三の写真の隣に入れておきましょうか。小さい頃は可愛くて、成長したら美人だなんて、流石は私の娘ね」

 鈴のお母さんは頬を緩ませながら、鈴の振袖写真を眺めた後、アルバムの中に加えていた。勿論アルバムに入れたのは個人的に撮ったやつで、写真屋に撮って貰った奴は立派な額縁に入っている。しばらく、鈴のお母さんはアルバムを床に広げたまま動くことはなかった。何となく気になって、横目で盗み見て僕は少し後悔した。その目尻に光るものを見たからだ。鈴の成長が嬉しいのだろうか。そうであって欲しい。けれども、その視線は確実に七五三を迎えた鈴ではなく、その隣に立つ男の子を見つめていた。丸くなったその背に投げかける言葉なんて見つかりはしなかった。

 成人式そのものは、つつがなく終了した。
 当たり年だったのか、壇上の知事に野次を飛ばしたり、暴れ出すような問題のある新成人はいなかった。式場に入っても携帯電話でメールをしたり、電話をするようなマナーの悪い人はいたけれど、逆を言えば、その程度のものだった。何の面白みもなかったけれど、儀式とは得てしてそう言うものだと高を括っていたので、大した失望感はなかった。ただ小学校、中学校の頃のクラスメートとかに見つかるのは少し困った。一言二言、世間話をすると必ずと言っていいほど、彼らは口にする。

「あれ? 他はどうしたんだ?」

 こういう問い掛けが一番対応に困る。無邪気で悪意がない分、余計に性質が悪い。運が良ければ、言って来た人のグループの仲間が気を利かせて、話を早々に切り上げて退散してくれるけど、そういう楽なケースばかりあるもんじゃない。故意ではないにしろ、人を不快にしてくれた礼に冷たく真実を突き付けて、気不味い雰囲気にしてやろうかと魔が差すこともあったけれど、「忙しいから出ないんだって」と適当にあしらった。真実を伝えた所で、彼らにとって、それはちょっと驚く程度の出来事なのだろう。同窓会とかでよくある話だ。あれ、○○君は? アイツ、交通事故で死んじゃったんだって。えー、何で何で!? 飲酒運転が原因らしいよ。ある意味自業自得だよなぁ。きっとそんな風に酒の肴程度に扱われるんだろう。
 ――僕には、それが酷く我慢ならなかった。
 鈴も同じ……かどうかは分からないけど、僕と似たり寄ったりな気分だったんだろう。

「おい、もう成人式は済んだんだ。とっと帰るぞ、理樹っ」

 毛を逆立てた猫のような不機嫌さで、鈴はズンズンと歩を進めていた。
 ちなみに僕と鈴は同窓会には出なかった。どうせ、五分とせずに居た堪れなくなるに違いないからだ。



 こっぽりこっぽりと駒下駄を鳴らしながら、鈴は肩で風を切るように歩いて行く。

「ねぇ、鈴。ちょっと、鈴ってば!」

 その背に呼びかける。町中を歩いているせいか、何人かがこちらを振り返る。彼らから見て、僕はどんな風に見えているのだろう。多分、機嫌を損ねた彼女を何とか宥めすかそうと腐心している恋人に見えるんだろうな。……まぁ、そんなに的外れじゃないけど、原因は僕じゃないんだぞと心の中でだけ訂正しておいた。僕はしばらく、鈴の歩調に合わせていた。早足で歩いていると言っても、振袖でそんなに大股で歩けないみたいだし、駒下駄が歩きにくそうだから、後ろに尾いて行くのは簡単だった。
 車が車道を通る風切り音や、ゲームセンターの電子音に紛れて、歩道で駒下駄がこっぽりこっぽりなり続ける。聞き心地がいい。これで歩調が緩やかなものだったら、もっと雅なものになってただろうけど、鈴はそういうことに一切気を配るつもりはないらしい。

「あっ!」

 鈴が短い悲鳴を上げて、何かに蹴躓くように姿勢を崩す。

「うわっ――と!」

 咄嗟に鈴の腕を掴んで引き寄せる。勢い余って背後から抱き寄せるような形になってしまった。

「大丈夫?」
「下駄が壊れた……」

 鈴が右足を上げる。真っ白な素足が裾から姿を覗かせてきて、ちょっとドキリとする。振袖の露出度が殆どないせいか、妙に色気があった。チラリズムという奴かもしれない。……って、何考えてるんだ、僕は。咳払いを一つして妙な気分を振り払い、もう一度目を落とす。白足袋を履いた足先には、駒下駄がぷらんとぶら下がっていた。

「あー、鼻緒が切れちゃってるね。あんな早足で歩くからだよ」
「うぅ……早く着替えたかったんだ。この振袖、重いし、動きにくいんだぞ」

 不満半分、困惑半分と言ったむくれっ面で唇を尖らせた。装飾性よりも機能性を重視する辺りが鈴らしい。僕は苦い微笑みを零しながら、鈴の前に回って、しゃがみ込む。

「肩に手、置いてくれる?」
「ん? 何だ直せるのか?」
「まぁ、やってみるよ」

 自分の肩を貸して、鈴を片足立ちにさせると、鼻緒の切れた駒下駄を足から抜き取った。とは言ったものの下駄の直し方なんて知ってるわけじゃない。ビーチサンダルの要領で、切れた鼻緒をハンカチか何かで接いで結べば応急処置になるだろうという程度の浅知恵だ。僕はしゃがみ込んだまま、尻ポケットに手を突っ込んだ。あっ、と思わず声が漏れた。ハンカチがないことに気がついた。そう言えば、大学の入学式の後、スーツをクリーニングに出した時に、抜き取ったまま、戻すのすっかり忘れていた。鈴の顔を見上げながら、問いかける。

「ねぇ、鈴。ハンカチ持ってる?」
「ん? あたし持ってないぞ?」
「えっ、何でさ!?」

 仮にも――なんて口に出したらブッ飛ばされるけど――女性なんだから、間違いなく持ってるだろうと思ってた分、ビックリした。

「あたしは、手を洗った後は自然に身を委ねる主義なんだ」
「いやいやいや、カッコよく言った所でそれってただの自然乾燥だし。ずぼらなだけだから」
「失礼だな、お前。ジェットタオルとかあったら、ちゃんと使うぞ。むしろ、すかさず使う」
「誰だってそうだと思うよ」

 しかし、困った。これじゃ応急処置すらできない。僕はしょうがないと内心嘆息を吐く。しゃがみ込んだ姿勢のまま、鈴に背を向けた。首だけ振り返って言う。

「乗って。呉服屋まで負ぶさってあげるよ」
「何だ。結局、直せないのか。役に立たない奴め」
「はいはい、そーですね。期待させて、すみませんでしたー」

 意図せず真人みたいな口ぶりになってしまった。解決策も何処となく筋肉頼りの力技だ。

「ぅにゃっ!」
「うぐっ!」
「…………」
「…………」

 鈴に猫の鳴き声みたいな掛け声と共に飛び乗られた直後、微妙な沈黙が広がった。

「うぐ、って何だ?」
「あー、それはつまりアレだよ。今日は雲行きが怪しいから、雨具(うぐ)が必要だなって……」
「おい、理樹。それは『うぐ』じゃなくて『あまぐ』と言うんじゃないのか?」
「うん、そうだね。多分、そう読むのが正しいんだろうね」
「しかも、今日はめちゃくちゃ天気良いぞ。むしろ、くちゃくちゃだ。くちゃくちゃ天気良い」
「うん、そうだね。気象予報士の人も今日は一日中晴れだって言ってたね」
「…………」
「…………」
「ごめんなさい」
「許さん」

 制裁が開始された。

「あだだだ! 痛い痛い! 下駄で殴んないで! それ、底が木製だから凄く痛いんだってば!」
「うっさいボケー! 誰がお餅食べ過ぎで3キロも太ったって言うんだ!?」
「そんなこと一言も言ってないし! っていうか、3キロってどれだけお餅好きなのさっ!」
「何でお前、あたしが3キロも太ったって知ってるんだ!」
「いや、さっき自分で言っ――ででで……ぐ、ぐび、締めばいで……」

 呉服屋に到着するまでの間、延々と制裁を加えられ続けた。こっちは鈴を背負うのに両手とも使っているので全くのノーガード。あっちは左手で僕の首を締めあげ、右手で駒下駄による凶器攻撃。こんな酷いマウントポジションは他にないと思う。でもまぁ、鈴の絶妙な力加減によるものか、奇跡的にタンコブとか怪我はできていなかった。

 呉服屋で鈴が元の普段着に戻った後、今度は家路を二人並んで歩く。
 駒下駄の弁償しなくちゃいけないかなと薄ぼんやりと考えていたけど、幸い、それはなかった。逆に怪我はなかったか心配された。むしろ、非はこちらにあると罪悪感があっただけに曖昧な返事しかできなかった。またのご贔屓をと頭を下げた姿に、これは鈴が大学卒業する時に利用する羽目になるだろうなと思った。あるいは、店側は何もかも見透かした上で言っていて、損して得取るという奴を実行しているのかもしれないなと邪推してしまった。

「あっ」

 隣の鈴がふと立ち止まる。僕も一歩遅れて、振り返った。鈴は困ったように柳眉を八の字にしていた。

「何? 呉服屋に忘れ物でもした?」
「違う。いや、確かに忘れ物に違いないが荷物とかそういうのじゃなくてだな……」

 言い淀んで俯いた後、鈴はおずおずと上目遣いで僕を伺いながら、口にした。


「――タイムカプセルのこと、覚えてるか?」


 一瞬何のことか分からなかったけれど、記憶の中を検索するとコンマ数秒で思い至った。僕は「嗚呼……」と返事なのか、感じ入った声なのか、どっちか分からない声を喉の奥で鳴らしていた。

 それは僕たちがまだ小学生だった頃の話。
 一足先に恭介が卒業したその日、彼は言った。俺たちだけのタイムカプセルを埋めないか、と。恭介にしては無難な、けれども王道めいた提案だった。そして、僕たちは各々の宝物を持ち寄って、埋めた。シャベルで地面を一しきり叩いて慣らした後、真人が問いかけた。

『タイムカプセルってよぉ。一体何年後ぐらいに掘り返すものなんだ?』
『特に決まってないと思うが……そうだな。――俺達が大人になった時にでも掘り返すか』

 あれは、一体どこに埋めたんだっけ……。僕は、一体何を埋めたんだっけ……。

「なぁ、理樹。掘り返してみないか? あたしたちのタイムカプセル」

 鈴の申し出に僕は頷いた。

 近場のホームセンターでシャベルと軍手を購入して、僕と鈴は母校へ向かった。
 当然のように正面の校門は施錠されていたので、仕方なく外を回りこみ、裏門を乗り越えて侵入した。良心の呵責が僕の心をつんつん刺激してくるが、タイムカプセルへの想いがそれを塗り潰していた。もし誰かに見つかっても、事の詳細を話せば分かってくれるだろう。そう、自分に言い聞かせてもいた。
 どの辺りに埋めたか、僕はうろ覚えだったけど、そこは意外にも鈴が覚えていた。裏門近くの用具室、その背後に植えられている木の辺りだと鈴は告げた。

 鈴の記憶を頼りに穴を掘り続けること十数分。
 スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを外し、Yシャツを袖まくりしてまで、何をやっているんだろうと、何度かふと我に返った。冬の地面は凍っていて、硬くて掘り辛かった。しかも、鈴ときたら、こっちが汗水流してる時に「あ、すまん。やっぱり、この辺かも知れん」と訂正してくる。タイムカプセルを埋めた記憶はあれど、ここである保障などない。僕は何度か鈴を疑った。ねぇ、ここじゃないんじゃない? 何だあたしの記憶を疑うのか。いや、だってこれでもう五ヶ所目だし……。うっさい、さっさと掘れ。ここ掘れニャーニャーだ。それは犬のセリフだよ、鈴……。タイムカプセル捜索隊の現場監督は大変厳しかった。隊員も僕一人しかいないので、人海戦術だなんて効率の良い方法は無く、全ての負担は僕一人にかかるのだった。

 断言できる。
 こんな鈴と交際できる根気を持つ男は世界で僕だけだと。

 過酷な苦行末、遂にシャベルの先にカツンと何か固い物が当たる感触があった。待ちに待った瞬間だった。反応があった周囲を丁寧に掘り返していく。気分は化石を発掘した恐竜学者だ。しばらくすると白い物が見えた。それがビニール袋であることに気がつくと、後は結び目を見つけて、引っ張り上げた。周りをほとんど掘っていたので、抵抗は無かった。タイムカプセルは平べったい円筒形をしていた。半透明ではっきりしないけど、多分、蓋の図柄からしてクッキーの箱だった。

「おい、理樹! 早く開けよう!」
「ちょっと待ってってば。この結び目、固結びにしてあるから、解きにくくって……」
「そんなもん、こうしてしまえばいい!」

 何故だか軽くハイになっている鈴は、僕からタイムカプセルを奪い取ると、ビニール袋を引き裂いて、本体を取り出した。

「うわ、強引だなぁ……」
「開かぬなら、引き裂いてやれ、ビニール袋」
「川柳みたく言っても、それじゃただのせっかちな人だよ」

 鈴は急きながらも、開封という名誉ある権利は僕に譲ってくれた。頑張ったのは理樹だしな、とのこと。

「じゃあ……開けるよ」

 固唾を一つゴクリと呑んで、僕はゆっくりとクッキー箱の蓋を開けた。

 ――ふわり、と。クッキーの甘い残り香が鼻腔をくすぐった。

 僕は、何故だか魂が抜かれたようにぼうっとしていた。

「おい、理樹。何が入ってたんだ?」

 トンと肩を叩かれてようやく正気に戻った。肩から覗きこんでくる鈴に一度視線をやり、その後、クッキー箱の方へ目を落とした。そして、僕と鈴。二人っきりの品評会が始まった。

「これ、間違いなく鈴でしょ?」

 手にとって掲げる。

「うん、多分そうだ。よく分かったな」
「いやまぁ、鈴しか考えられないし」

 手の平に収まる程度の大きさのそれは、猫缶。モンペチだった。

「何でまたこんな物を……」
「こんな物とか言うな! これはモンペチゴールドだぞ! そうだ。思い出してきた。確か皿洗いだなんだ家事のお手伝いしながら、小遣いちょっとずつ溜めて、ようやく買った奴だ。猫たちに食べさせようと思ってたけど、勿体なくて結局この中に入れたったんだな」
「……凄いね。賞味ならまだしも、消費期限が切れた缶詰とか初めて見るよ」
「ある意味、この缶詰がタイムカプセルみたいなモンだな。プチタイムカプセルだ」

 続いて取り出したのは、何かのキャラクターだった。材質はゴム製で、数は五体あった。

「理樹、何だそれは? 何かどいつもこいつもムキムキだな。真人のであることは間違いないな」
「えーと……真人、何て言ってたっけなぁ」

 そうだ。確かクッキー箱に入れる前、謙吾も分からなくて真人に聞いていた気がする。

『おい、真人。何なんだその物体は?』
『何ぃっ! やい、謙吾! てめぇ、キン消しも知らねぇで今まで人生送ってきたのかよ!』
『まるで知らないと人生を損するような言い回しだな』
『あぁ、大黒字さ! アイドル超人は別格だからなぁ。全員集めるのにどれだけ大枚叩いたことか……』
『奇跡的に文章の意味が正しくなってしまったな。流石は真人だぜ!』

 そんな馬鹿な会話を、彼らは繰り広げていた。

「ん? 何だこのメダル?」
「それは……謙吾のだね」

 メダルの色は、金だった。全てのライバルを蹴散らし、掴み取る栄光と勝利の色。

『謙吾。てめぇは何入れんだよ?』
『俺は……こいつだ。全日本選抜少年剣道個人錬成大会の優勝メダル』
『おいおい、そんな大事なもん入れていいのか? そんな大仰な奴じゃなくてもいいんだぜ?』
『良いんだ、恭介。トロフィーはウチにあるし。……今まで剣道のみをやってきた俺にはこんな物しかない』

 つまらなそうに言っていた謙吾の顔が、脳裏に蘇った。

「この野球ボールは……馬鹿兄貴だな」
「……うん、そうだね」

 ただの野球ボールではなく、サインボールだった。それについて恭介は熱く語っていた。

『恭介、お前それ……ボール?』
『はっ、こいつをそんじょそこらの野球ボールと一緒にしてくれんなよ!』
『見た所、プロ野球選手のサインボールのようだが?』
『その通りだ! こいつぁ、何と今年メジャーへ渡った、イチローのサインボールなんだぜ!』
『誰だそいつ? 筋肉あんのか?』

 暢気に言った真人は小一時間ほど恭介の話を聞く羽目になった。しかし、野球界に疎い真人は結局、よく分からないが凄い人という程度の認識しか得られず、恭介は酷く落胆していた。更にそれが直筆ではなく、印刷であることを謙吾に指摘され、何所か遠い空を見つめていた。何見てるのと聞いたら、「メジャーへ行ったイチロー選手に想いを馳せてるのさ……」と言っていた。ちょっと泣いてた気がする。

「で、理樹。お前は……それか?」
「うん。我ながら、面白み無いの入れちゃったなぁ」

 しばらく、ジッとそれを見つめていた。
 僕がタイムカプセルの中に入れたもの、それは写真立てに入った僕たちの写真だ。蜂退治で撮った僕たち五人の集合写真。カメラマンの人が記念にと、わざわざ送ってきてくれた奴だ。どうして僕はこんな物を入れたんだろう。その答えはあまりに簡単だった。

 ――僕にとって、本当に大切な物は、リトルバスターズ以外にありえなかったからだ。

 今も昔も、そして……これからだって。ポタリ、と写真立ての上に雫が一滴落ちた。

「あー、雨降り出してきたな。ちょっと雨具(うぐ)買ってくる。その間に穴埋めておいてくれ」

 ……下手な気の回し方だ。でも、そういう不器用な所も僕は好きだけど。

「鈴、『うぐ』じゃなくて『あまぐ』だよ。それに――今日は一日中晴れだよ」

 空を見上げる。その青さは『あの世界』と何ら変わらない。そう、変わらないんだ。



 穴を埋めた後、僕と鈴は校庭の隅でキャッチボールをした。
 使うのは、恭介が残したサインボール。これが、僕たちにとって、真の成人式だった。
 西日で校舎が燃え上がるように赤くなった頃、僕たちはどちらからともなく手を止めた。
 予めそう決めていたように、お互い口に出さずとも、そうすることは分かっていた。
 何故なら、リトルバスターズは夕暮れと共に解散していたから。

 一月十五日、成人の日。
 リトルバスターズ/子供時代/夢のような時間は、こうして静かに終わりを告げた。


[No.119] 2007/12/29(Sat) 02:36:29
感想会ログとか (No.111への返信 / 2階層) - 主催っぽい

 MVPはおりびいさんの「夢のデート」に決定しました。
 おめでとうございます。
 感想会のログはこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little0.txt


 次回のお題は「戦い・バトル」
 締め切りは1/12 感想会は1/13
 みなさん是非是非参加を。


[No.120] 2007/12/30(Sun) 01:14:54
一応チャットでは名乗ったのですが (No.113への返信 / 2階層) - 神海心一

『思わせぶりな話』の作者は私、神海心一(片深悠)なのでした。
自己採点すれば甘めに見て40点行くか行かないかの微妙な内容ですが、それでもMVP票が二票も集まったことにびっくりしました。え、いや、そこまでちゃんと書いてないよと。ちなみに真人と謙吾の柔軟シーンも、特に笑わせようとか意識せずに流した箇所で、あそこに妙な評価をいただけたのも嬉しいやら何やら、ちょっぴり複雑な気分になったりもしたのでした。
まあそんな感じで、ありがとうございました。


[No.121] 2007/12/30(Sun) 18:39:38
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