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No.135に関するツリー

   第2回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/01/22(Tue) 19:48:59 [No.135]
君の手 - ひみつ@激遅刻 - 2008/01/26(Sat) 01:47:47 [No.146]
普通よりも優しくない、他人よりも小さな世界の中で。 - ひみつ - 2008/01/25(Fri) 22:04:40 [No.145]
We've been there - ひみつ - 2008/01/25(Fri) 20:33:22 [No.144]
キャッチボール日和 - ひみつ - 2008/01/25(Fri) 15:01:42 [No.143]
冬休み - ひみつ - 2008/01/25(Fri) 05:47:08 [No.142]
えとらんぜ - ひみつ - 2008/01/25(Fri) 01:30:24 [No.141]
幸せへ向けて - ひみつ - 2008/01/25(Fri) 00:45:23 [No.140]
責任転嫁は止めましょう - ひみつ - 2008/01/24(Thu) 22:58:31 [No.139]
[削除] - - 2008/01/24(Thu) 05:55:13 [No.138]
[削除] - - 2008/01/23(Wed) 03:12:18 [No.137]
感想会ログとか次回とか - 主催 - 2008/01/27(Sun) 01:02:50 [No.147]



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第2回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - 主催

 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「冬」です。

 締め切りは1月25日金曜午後10時。
 厳しく締め切るつもりはありませんが、遅刻するとMVPに選ばれにくくなるかも。詳しくは上に張った詳細を。

 感想会は1月26日土曜午後10時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.135] 2008/01/22(Tue) 19:48:59
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[No.137] 2008/01/23(Wed) 03:12:18
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[No.138] 2008/01/24(Thu) 05:55:13
責任転嫁は止めましょう (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ

「やっぱり冬は炬燵だよね」
「はい〜、炬燵は日本文化の極みなのです〜」
 クドは気の抜けた声でそう言った。
 家庭科部の部室に置かれていたちゃぶ台が炬燵に変化したのは今朝の事だ。
 随分と冷え込みが厳しくなってきて、いよいよ恒例のテスト勉強にも苦労するようになっていた。
 ガタガタと寒さに震えながらじゃ進展するはずもない。
 肌をぴったりと寄せ合って凌ぐにも限度がある。
 なので、炬燵を引っ張り出してきたのである。
 けど……それでも勉強はいま一つ捗らないのだった。
「暖かいね」
「ぬくぬくなのです〜」
 蕩けた眠たげな声と瞳。
 クドは既に、言葉どおりの意味で夢見心地らしい。
 僕は炬燵の中で彼女の足をコンとノックした。 
「はぅわ!」
「こら、クド。寝ちゃ駄目だよ」
「ご、ごめんなさい、リキ」
 クドは自分の頬をペチペチと叩いた。
「そうですね! 頑張らないといけません!」
 ふぁいと〜、と気合を入れるその仕草も気だるげだ。
 その気持ちは痛いほど良く分かった。
 どうにも……炬燵の魔力は強大だ。
 下半身を重点的に暖められて、自然と瞼が重くなっていく。
 それは磁石みたいに逆らいがたいもので……。
 と、足に何かが触れた。
 撫でるような軽く柔らかい感触。
 クドの足だと気付いた。
「リキも寝ちゃ駄目ですよ〜」
 起こし返してやったと勝ち誇ったクドの顔が憎たらしい。
「う〜、よくもやってくれたな!」
「わわわ、リキが最初にやったのに、何故か怒られてしまいましたっ」
「そういう酷い事をするクドにはお仕置きだよ」
 僕はこちらに伸ばされていたクドの足の裏に自分の足の裏をぴったり合わせると、力を篭めた。
「わふ〜、押し出されそうなのです!」
 必死に炬燵に縋りつくが、力の差は歴然だ。
 じりじりとクドの身体は炬燵の外に押し出されていく。
「け、けど、負けません!」
 顔を真っ赤にして抵抗するそんな姿が愛らしい。
 好きな子を苛めたくなる衝動とはこういうものなのだろうか。
 凄くドキドキしていた。
 が、クドは「こうなったら〜」と身体を倒すと、触れていないもう一方の足を伸ばしてきた。
 狭い炬燵の中、精一杯小さな身体を伸ばす彼女の足が僕のお腹に触れる。
 足の長さの関係で押し出す力はなく、ただ触れるだけだ。
「んー、んー!」
 顔は見えないけど、伸ばされたつま先からクドの必死さが分かる。
 白いニーソックスに包まれた指を懸命に動かしている。
 僕はそれを掴んだ。
「ひゃわ!」
「こちょこちょこちょこちょ」
「#$%&#&$%&っっっっ!」
 声にならない悲鳴を上げて、炬燵の中でクドの身体が跳ね回る。
「リ、リ、リキ! ぎぶ、ぎぶあっ、あっ、あんっ、ぎぶあっぷです!」
 クドの言葉に僕は手を離した。
 逃げるようにして伸ばしていた身体を起こしたクドの瞳には大きな涙の雫が浮かんでいた。
 はぅはぅと荒い息を吐いている。
 呼吸だけじゃなく暴れまわった所為で髪も乱れていた。
「わふ〜、リキに苛められてしまいました」
「どう? 思い知った?」
「いいえ、このままでは不肖クドリャフカ! 収まりが付きません!」
 まだ何かやるつもりなのかな?
 少し楽しみに彼女の抵抗を待ち受ける。
 クドは炬燵布団を大きく捲った。
 すぐさま冷たい空気が侵略してくるが、それも一瞬の事。
 クドはそこから頭を突っ込むと、器用に身体を反転させて潜り込んできたのだ。
「ぷはぁっ!」
 クドの頭が僕の側に出てくる。
「これなら擽られません」
「あ、うん。そうだけど……」
「しかもこれならリキは押し返せません。まさにないすあいでぃ〜あです」
「けど、クド……その位置は」
 座っている僕の足の間から、這い蹲るような形で出てきたのだ。 
 なら、クドの顔があるのは……。
「はい? 何ですか、リキ?」
「いや、あの、その」
 ズボン越しでもまだ収まりきっていないクドの熱い息が感じられる。
 そうなってしまえばもう止まらなかった。
 クドもその変化に気付いたらしい。
 ボンッと何かが破裂する音と共に、
「わふ〜っ!」
 と身体を離そうとした。
 だが、そこは炬燵の中。
「痛っ!」
 炬燵の縁に後頭部をぶつけて、クドは再び倒れこんできた。
 そして今度は己の顔に触れる硬いそれに気付いて、
「わふ〜っ!」
 顔を上げて、
「痛っ!」
 また後頭部をぶつけて。
「わふ〜っ! 痛っ! わふ〜っ! 痛っ! わふ〜っ! 痛っ! わふ〜っ! 痛っ! わふ〜っ! 痛っ! わふ〜っ! 痛っ! わふ〜っ! 痛っ!」
 なんだろう、この永久機関は。
 何時までだって見ていたい気がする。
 けれど流石にこのままでは可愛そうだ。
「クド、ほら、落ち着いて」
 僕は彼女を胸の辺りまで引き釣り出してあげた。
「大丈夫?」
「すごく痛いです」
 柔らかい髪を掻き分けてぶつけた辺りを撫でてあげる。
 少し膨らんでいる。もしかしたらたんこぶになってしまうかもしれない。
「ごめんね、クド。意地悪しすぎちゃった」
「いいえ、リキは悪くないのです」
「まだ痛い?」
「ちょっと……だから、もう少し撫でててください」
「うん。痛くなくなるまで、いつまでだって」
 クドは僕の胸に顔を預け、僕はクドを抱くようにして頭を撫でる。
 しばらく、お互いに言葉もなくそうしていた。
「……リキの心臓が、ドクンドクンていってます」
「うん」
「あの、それから」
「なに?」
「お腹の、ところからも」
 あっ、と気付いた。
 クドのお腹に触れている部分が……まだそのままだったのだ。
「え、えっと。ごめん」
「い、いえ。こちらこそ……」
「…………」
「…………」
 お互いに顔を真っ赤に染めて黙りこくる。
 けどその沈黙は気まずいものではなくて、ただただ気恥ずかしかった。
 なのに身体を離す事も、眼を逸らす事さえも出来ない。
 違うかな。
 身体を離したくなくて、眼を逸らしたくないのだ。
 もっと近くでもっと見つめていたいんだ。
「リキ……」
「なに?」
「キスしましょう」
「うん」
 僕らはゆっくりと顔を近づけた。
 二人の唇は、まるでそのように作られていたかのようにピッタリと重なった。



 狭い炬燵の中、二人密着した状態で寝転んでいた。
「ちょ、ちょっと暑い、かな?」
「そうですね。べり〜ほっとなのです」
 とはいえ、今は炬燵から出たくない。
 先ほどから足で内部を探っているのだが、何処にもズボンがないのだ。
 たぶん、動いているうちに反対側に出てしまったのだろう。
「はぁ……どうしたもんか」
「こういう時はですね、必殺こたつむり作戦です」
「こたつむり? あぁ、このまま移動するのか」
「はい。それならの〜ぷろぶれむです」
「了解。けど……」
「はい〜。もうちょっと、このままで」
 火照った身体がもう少し冷めるまで。
 肌を触れ合わせたままでいたい。
 ずっとずっと、そうしていたい。
「あ〜、けど」
「どうしました、リキ?」
「いや……結局、全然勉強できなかったなってさ」
「そういえばそうですね」
 すっかり忘れていたけど、僕らはテスト勉強のためにここに来たのではないか。
 わざわざ寒さ対策のために炬燵まで出して。
 なのに何故こんな事になってしまったのだろう。
「これはやっぱりさ、アレだよね」
「はい、やっぱりアレです」
「炬燵は魔力だよね」


[No.139] 2008/01/24(Thu) 22:58:31
幸せへ向けて (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ

「これはいけます!」

 そのチラシを見た瞬間わたしは今コンビニにいるということを忘れて叫んでしまいました。店員や他のお客さんがこちらへ視線を向けたのを感じて、相手へ視線を返すと慌てたように目をそらされてしまいました。人は恥ずかしくなると顔が赤くなるというのは本当なのですね。冷蔵庫のグラスに映されたわたしの顔を見るとたしかに赤くなっています。当分はこの店に来られそうにありません。逃げるように店を出てわたしは今後のことを思案しました。





「お寿司……ですか?」
「はい、恵方巻きというそうです。もともとは関西で昔から伝わる風習だそうですが、最近は他の地域でもわりと行われるようになったようです」
「ああ、テレビで見たことあるな」

 ノリがいい皆さんのことですから突然言われても即座に参加すると思いますが、それでもこっそり計画するなどということはあまり良い態度とは言えないので、昨日考えたことをわたしは皆さんに相談します。

「まあ、いいんじゃないのか。お前らも特に問題ないだろ」
「いいけど俺料理なんか出来ねえぞ」
「実際その場に立てば何か仕事は見つかると思います」
「そうか。オーケー」
「謙吾君はお料理上手だよね」
「まあな。文武両道。力任せではなく頭を使うことも覚えないといけないからな」
「うわあ、最近は料理できる男の子ってもてるからね。それに比べて料理できない女の子は……」
「葉留佳さん。そういうことは数え切れないほど料理に挑んでから言って下さい。最初からできないとあきらめていたのでは少しも成長しませんよ」
「みおちんはきびしいな。でもちょっとそのお寿司がんばってみようかな」
「その意気です。今回はみんなで頑張っていくことですけど、翌週は流石に女の子同士戦わないといけませんよ」

 これは失言だったかもしれません。みるみるうちに女子メンバーの顔が赤くなっていきます。小毬さん、葉留佳さん、クドリャフカさん、来ヶ谷さんそして以前はそのようなイメージがまったくなかった鈴さんも。頬を赤く染めた顔でちらちらと直枝さんの方を覗いています。ところで直枝さん、直枝さんも顔を赤くしていますが、それはわたし達を意識してのことでしょうか。それとも自分が恭介さんに渡すことを意識してのことでしょうか……以前なら恭介さんに渡すことだけを思いついていたと思うのに。やはりわたしも変わっていっているのですね。きっと良い方向へ。





 小毬さんやクドリャフカさんそれに宮沢さんは料理の基本ができていますし、恭介さんと来ヶ谷さんは簡単な説明で理解できるほど飲み込みが早いですから特に問題はありませんね。問題は後の方ですね。

「井ノ原さんは後でうちわでごはんをあおぐのが大変ですからそれまでは休んでおいて下さい。葉留佳さんはクドリャフカさんと伊達巻卵をお願いします。直枝さんと鈴さんはキュウリを刻んで下さい」
「いいのか休んでて」
「あいよ」
「がんばってみるよ」
「わかった」

 まず手始めにわたしが二人に見本を見せます。とは言えキュウリ一本をそのままの長さで細長く切るなどということは、あまりしないことなので少し緊張しますね。手元が狂わないように落ち着きませんと。

「そうしてみると母親が子供に料理を教えているみたいだな」

 来ヶ谷さんが妙なことを言ってきます。実際の年よりも幼く見られることが多いのに、そのような母親役は無理がありますよ。でも言われて少し嬉しいとも思います。わたしも普段忙しいお母さんが休みの合間を縫ってわたしに料理を教えてくれた時は嬉しかったですし。料理を教えるというのは母と娘共通の喜びかもしれません。

「そしてそのついでに料理を教わっている父親が理樹君というわけか」
「ちょっと来ヶ谷さんそれは……」

 何ですかそれは。私と夫婦だといけないのですか。今だって痛い思いをしてあなたのために料理を作っているというのに……今何か不自然なことを考えたような気が。

「みお! 血が出てるぞ」
「真人ちょっとばんそうこうとか取ってきてくれ」
「わかった」
「私の一言が原因みたいだな、すまなかった」
「それにしても血を流した包丁を持ったままぼうとっとしていると、なんか怖いシーンを見てるみたいですね」
「ああ、リトルバスターズが愛憎劇の果てに崩壊なんて俺は死んでも嫌だ。気をつけろよ、理樹」
「なんでぼくに振るの」

 思わぬ醜態をさらしてしまいました。料理を慣れで行ってはいけないということですね……決して直枝さんを意識して失敗したということはありません。いったいわたしは誰に言い訳をしているのでしょう。





「今年は南南東の方を向いて食べると袋には書いているな」
「それじゃみんな」
「待って下さい」

 わたしの制止の言葉にみなさんの目がわたしに集まります。流れを止めてしまったのは心苦しく思います。でもこれからいう一言そのために私はこのイベントを企画したのですから。

「直枝さんこちらへ来て下さい」
「うん」
「それで恭介さんの前で跪いて恵方巻きを……」
「もういい、西園オチはもうわかったからこれ以上何も言わないでくれ」
「恭介さんのいる方角がいつだって直枝さんにとっての恵方です」
「いやいや、そんな目をきらきらして言われても騙されないから」
「すげえ、なんかこうして自信もって宣言されるとまるで名台詞のように聞こえる」
「……井ノ原さんは余った海苔でも食べておいて下さい」
「俺だけ扱い違い過ぎるだろ!」





 みなさんどうしてわかってくれないのでしょうか。その後もいろいろな言葉で止められて結局直枝さんは元の位置で食べることになってしまいました。

 モグモグ

 食べている間は無言でいるというのが決まりみたいですけれど、これは決まりとかに関係なく口がいっぱいになって食べられませんね。何か視線を感じたので見ると直枝さんが私の方をぼんやりと見ています。そうでした。直枝さんは人の食事風景を見て興奮する変態さんでした。こちらが今は言い返せないのをいいことにそのような態度に出るなんてずるい人です。これはお返ししませんと。来週はわたしがあなたの食べる姿を見て楽しみますからね。さて来週へ向けてしっかり準備しましょう。


[No.140] 2008/01/25(Fri) 00:45:23
えとらんぜ (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ

 どこか、懐かしい場所にいる。
 ここにはお母さんがいて、お父さんがいる。二人は寄り添って笑っている。ヴェルカとストレルカは私の周りを縦横無尽に駆け回り、そのあまりのスピードに、私は目を回してしまう。そんな私たちを、お祖父さんはただただ幸せそうに眺めている。どんな諍いも、そこには存在しなかった。懐かしさだけが、募っていく。そこで私はこれ以上ないくらいに幸せな笑顔を浮かべる。
 そして、これが夢だと気付く。
 気付いた瞬間、世界はあっけなく崩れていく。ゆっくりと数を数えるかのように、一つずつ幸せが消えていく。お父さんが消え、お母さんが消えた。お祖父さんが消え、ストレルカ、ヴェルカも。まるで、手に手を取って駆け出していくように、私だけを置き去りにして。最後に残された緑の風景すらも消えた時、私に残されたのは永遠のような常闇だけだった。
 さっきまで自分がいた場所が思い出せないんだ。あの懐かしい場所がどこだったのか、どこを目指せば辿り着けるのか分からないんだ。
 そして、私はようやくの気付きを得る。
 どこにもいることが出来なかった私には、最初から懐かしい場所などありはしなかったんだ。そんな当たり前のことに、今さらながらに気付いた。涙は流れない。あるのは、ただ茫漠とした虚無。鎖につながれた、私の抜け殻。

 でも。
 それでも、私は帰りたいと思った。
 それは今までいたどの場所でもなく、曖昧な記憶を残した祖国でもなく。母の胸でもなければ、お祖父さんの笑顔でもない。

 なら――どこに?

 私は、叫ぶ。
















えとらんぜ


















 それが黒い影だと気づいた時にはもう遅かった。踏み出す一歩、まさにその足が着地するべき地点にそれはあった。
 賞賛されるべきは、それが何かを判別するよりも先に回避を行った井ノ原真人の反射神経だろう。踏み出しの足を力尽くで方向転換した真人は悲鳴を上げる間もなく豪快にすっ転んだ。仰向けに転がった真人の目に映ったのは、暗闇と星屑。さっきまでそこにいた太陽はいつの間にか姿を消し、代わりに月が雲間から顔を出していた。どこからどう見ても夜にしか見えなかった。
「……すかー」
 間抜けな音を発していたのは、まさに真人をすっ転ばせた元凶であるところの黒い影。それが何であるかを認識した時、真人の中でふつふつと目覚めつつあった転ばされた怒りが、瞬時に呆れとため息に転化した。概して短気で喧嘩っぱやい真人だったが、その人物に対して怒りをぶつけても何にもならないむなしい行為である、というくらいの認識は持ち合わせていた。
「こんなとこで何やってんだクー公……」
「すかぴー」
 寝息で返事されても、悲しくなるくらいにどうしようもなかった。能美クドリャフカの行為が昼寝であると言い張るにはさすがに時間が遅すぎる。そんな冬の夕暮れだった。
「おーい、起きろー。風邪ひくぞー」
 ぴしぴしと平手で容赦なくクドの頬を叩く。安らかな寝顔が段々歪んでいく。途端に謂れのない罪悪感に苛まれていく。北風を妙に冷たく感じ始める。
 不意に、唇がかすかに震えた。
「――たい」
 ぱちりと、音がしたのかと思った。それは、大きくて不思議な色をした瞳が開かれた音だ。
「――ふにゃ?」
 びびって少し引いた真人の情けない顔を、寝惚けた眼に映した能美クドリャフカ。





「トレーニングがてら夕食前に一汗かこうと走ってたら足元でクー公が寝てて、あわてて避けようとしたら豪快に転びました」
 真人がそんな意味のことを至極簡単に説明すると、案の上すごい勢いで謝り倒すクドがいましたとさ。
「まぁ、いいけどよ」
「本当にごめんなさいでした……」
 しゅーんとしているクドを見ているとなんだか自分がいじめている気になってしまう真人だった。空気を変えるため、わざと陽気な声を出す。
「けどよ、クー公はなんであんなとこで寝てたんだ? 日も暮れちまってるし……だいち、寒いだろ」
 自分で口にしたら、寒さが思い出したように襲いかかってきた。かき始めの汗のしずくは冬の風に吹かれて、みるみるうちに体温を奪っていく。ぶるっと、真人は身体を震わせた。
 そして、真人はようやくきょとんとした顔をしているクドに気づく。
「いや、こんな所で寝てたら寒いだろって」
「ううーん……」
「寒くねぇの?」
「あんまり」
 そう言ってたははと笑うクドの顔にやせ我慢は見えない。どうやらクドは本当に寒さに強いみたいだ。実は寒さに弱い真人にとってそれは、小さな感覚の非共有。
「私のお祖父さんはとっても寒いロシアの人ですから、私もお祖父さんみたいに寒さに強いのかもしれないです」
「ロシアってそんな寒いのか?」
「そりゃもう! ここよりもっと、もーっと、寒いんですよっ!」
 ぐーんと腕を目一杯伸ばして振り回すクド。平均気温や気候など、はっきりしたことは何も分からなかったが、とにかく物凄く寒いのだということだけは伝わった。その土地の実際のことなんて、行ってみなければ分からない。ここまで実感の篭った説明をするのだから、きっとクドはロシアで長い間暮らしたことがあるのだろうと思った。
 予想はあっさりと裏切られる。
「でも、実はロシアにはたった一回しか行ったことがないのです……」
「は? じゃあクド公はロシアの人ってわけじゃないのか?」
「違いますよ」
 クドにしては鋭い口調だった。しかし、クドが浮かべているのは口調に似合わない笑顔。クドがたまに見せる、ふにゃっとした微笑みだ。
「私が生まれたのはテヴアっていう南の方にある小さな国です。ロシアみたいに寒くないですし、どっちかっていうと暑いです。私、暑いのは実は苦手です。だから、そこにいる間はちょっと大変でした……そんなに長い間いたわけではなかったので、良かったですけど」
 事も無げに、「良かった」というクド。
 クドの生い立ちは、どこかで小耳に挟んだことがあった。商社に勤めていた祖父に連れられて、クドは世界中を回ったという。どこか一箇所に留まることもなく、流れるように土地から土地へ。
「井ノ原さん、えとらんぜって何のことか分かります?」
「なんかの食い物か? ゼリーみたいな」
 真人がそう言うと、クドは笑った。
「私みたいな人のことをそういうんだそうです。どこかの言葉だったと思うんですけど、どこの言葉だったか忘れてしまいました」
「英語じゃね? クド公、英語苦手だろ」
「そーかもしれないです」
 風が吹いていた。風は冷たさを増し、夜がどんどんと深まっていくことを教えていた。もはや太陽の名残は空にない。二人の間に不自然な沈黙が流れた。そういえば、あいつらはもう飯食ってやがんのかな。いつでも一緒にいる四人のことを、不意に思い出した。けど、不思議とこの場を離れようという気にはなれなかった。
「井ノ原さんは、どうですか?」
 唐突にクドが口を開いた。
「私、自分の生まれた国の話しましたから、井ノ原さんの話も聞きたいです」
 悪戯っぽい目が、こちらを射抜いている。成長したなクド公。夏までの彼女なら、きっとこんな顔は出来なかったような気がする。春が過ぎ、夏が過ぎて、秋まで過ぎ去り、今がある。感慨深いものが無いではなかった。
 見ると、わくわくという擬音が聞こえてきそうなクドの顔だ。そんなこと話すのなんてガラじゃねえと、普段なら思ったかもしれない。だが、辺りはもう夜だった。夜は、下らないものや凄い物、その他色んなものを闇に覆い隠してくれる。少しくらい話してもいいかな、という気になった。あくまで、少しだ。自分の小さい頃にいいことなんて、一つもありはしなかった。
 あいつらに、出会うまでは。
「……オレのふるさとは、別に何にもねぇところだ。面白いもんも、楽しめる場所も、何一つありやしねぇ。こっからすぐ近くの駅から電車にのりゃ三十分もあれば行ける。つまんねぇ町だよ」
 苦いものを噛み下すように言葉にした。本当に言葉どおりで、思い返そうにも何もない。そんな町だった。
 それでも、言葉に出来ない思いもそこにはある。信じられないくらい愉快な奴らと出会った町だ。自分はここにいてもいいんだと、生まれて初めてそう思えた町だった。
 そんな思いが間違えて、表情に表れたのかもしれなかった。
「羨ましい、です」
「はぁ? 何がだよ」
 とぼけて見せるが、本当は見透かされていることも知っている。
 えとらんぜ。
 なぜかクドの言葉が頭に引っかかった。それがどんな意味を持つ言葉なのか、真人は直感でそれを知った。喜びと共に脳裏に蘇った、孤独だった自分の姿がクドとリンクした。えとらんぜ。
「戻りましょうか」
 そう言ってにぱっとほころんだクドの笑顔を見ることが直視出来なかったのは、なぜだろう。それは普通に普通すぎるほどにいつものクドで、それ以外の何でもない。「よいしょ」とクドは立ち上がり、スカートについた草のくずを払う。帽子もかぶり、愛らしい笑顔を装備する。そこにいるのは、それはもう完璧な能美クドリャフカ。
「――お腹すきましたっ! 井ノ原さん、行きましょ!」

 何故そうしようと思ったのかは、真人自身にもわからない。

 とりあえず、走っていこうとするクドの細い足首をヘッドスライディング気味に払った。
「とうりゃ!」
「ぎゃんっ!」
 情けない声を出してすっ転ぶクド。さきほどクドのせいで豪快にクラッシュしたことを都合よく思い出す。わはははいい気味だー、とおもくそ笑い飛ばしてやる。
「クー公!」
「ははははいっ!」
 気合を入れて名前を呼んだら、なぜかクドが敬礼してた。気をつけ! の状態。
 そんなクドをびしりと指差し、言ってやる。
「オレが思うに、お前に足りないのは――筋肉だ」
 真人は堂々と世界の真実を宣言した。誰が見ても明らかな真理だ。それを真実と呼ばずに、なんと呼ぶ。
「だからお前は弱っちいんだ。だから、三枝葉留佳なんかにひんぬーわんこなどと呼ばれるんだ」
「す、すみましゅしゅ」
 悲しくなるくらいに言えてなかった。
「だが、安心しろ! そんな貧弱なお前だって鍛えれば筋肉はつく! トレーニングによって育まれた筋肉はお前を裏切らない! いついかなる時にもだっ! クー公、きいてんのか!」
「きーてますっ!」
「うおおおおっしゃあああぁぁぁ―――――っ!!」
 担いだ。
 真人の頭の上で、はわはわわと慌てまくる。とったどー! とばかりに真人は獲物・クドを頭上に抱えてるんたったー、るんたったーと暴虐の限りを尽くして暴れまくる。不幸にもその狂気に巻き込まれた男子学生は、後にその様子を「あああれはこの学校に代々語り継がれる伝説の筋肉旋風(マッスル・センセーション)っス! 先輩の、そのまた先輩から話だけは聞いてて、初めて見たけど間違いないっす! マッスルっす!」と、トラウマ気味に語った。

 筋肉いぇいいぇい!
 筋肉いぇいいぇい!

 クドを肩の上に担いだまま、高らかに歌い上げるは歓喜の歌。時にはスキップで、時には駆け足で、またある時にはサンバのリズムで。歌えば喜びの代わりに筋肉が溢れた。
 真人の熱は、頭上に伝導する。クドは担がれながら、自分の身体の奥からふつふつと溢れ出す筋肉の波動を感じた。溢れる脳内麻薬で、なんでも出来そうな気がした。具体的に言えば、腹筋背筋腕立て伏せとか、そういった類のものだ。

 筋肉いぇいいぇい!
 筋肉いぇいいぇい!

 くるくると回りながら、筋肉が傍にある喜びに二人は酔いしれた。いつの間にか川原まで来ていた。左のちょっとした林の向こうには野球場が見える。叫ぼう、高らかに。踊ろう、軽やかに。今宵この場は筋肉祭だ。よっく見とけやお嬢さん、そこのけそこのけ真人が通る。そして、真人の足下にはちょうどいい大きさの石が転がっていた。
 踏んだ。
 コケた。
「わふ―――――――ッ!!!」
 悲鳴の一秒後には、見事な水柱が二つ上がった。
 冬の空はこうして束の間の狂騒を忘れ、静寂を取り戻した。




「さむいでふ」
「寒さには強いんじゃなかったのかへっきゅしょいッ!」
「これは流石の私でも我慢できないレベルの寒さですっくしゅん!」
 ようやく共有できた「寒い」という感覚に、真人は内から漏れる笑いをこらえることが出来なかったので容赦なく笑ってやった。さすがのクドも一瞬むくれそうになるが、その表情はすぐにくしゃみでかき消された。
 頭からつま先までびしょ濡れになった二人は仲良く岸まで上がって、二人一緒にくしゃみをした。身体は心底冷え切っていて、明日使い物になるのか疑問なほど真人の学ランは絶望的にびしょびしょだった。
「これが水もしたたるいい男ってやつか……」
「自分で言ってますっ!?」
「はぁ……」
「ため息……」
 そして、くしゃみをした。へっくしゅん。
「……帰りましょうか、井ノ原さん」
 今度は素直に頷いた。

 月明かりの下、さっき馬鹿騒ぎしながら通った道を肩を並べて歩く。二人とも食事はまだだったが、ここまで濡れ鼠となってしまっては、もう食事どころではない。早々に濡れた服を脱いで温かいシャワーを浴びなければ風邪をひく。というか、もうひいてるかもしれない。
「なぁ、クー公。一つ聞いていいか?」
「はい。なんですか?」
「お前、あそこで寝てる時、なんか夢見てただろ」
 びくっと、分かりやすい反応をするクド。
「聞くつもりじゃなかったんだけどよ。お前、なんか変なこと言ってたから」
「私、なんて言ってました……?」
 恐る恐るこちらの表情を伺っている。クドは自分がどんな夢を見ていたか、鮮明に覚えていた。修学旅行に行く前から見始めた、自分が全てのものからおいてけぼりを食らう夢。
「『はやくどこかにかえりたい』」
 辺りには二人の足音だけが響いている。くしゅくしゅ、と水を吸った靴が立てる水の音。背後に連なっていく足跡。
「どこかって、どこだよ」
 はたと、クドは足を止めた。風が濡れた服を叩く度に、凍えそうになった。
「わかんないです」
「わかんないのに、帰りたいのか」
「はい」
「そか」
「はい」
 このまま外にいたら凍えてしまいそうだった。いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。そんなことはわかっていた。結局、足を動かすしかないのだった。クドは真人の少し後ろを歩いていた。理樹ならばもっと優しいやり方で、クドと話してやることが出来たのかもしれないなんて、らしくないことを思った。
「実はそれ、漫画の台詞です」
 ぽつりと、背後からもれた言葉。
「西園さんに貸してもらったんです。結構前の漫画だったんですけど、すごく面白くて一気に読んでしまいました。主人公の男の子が格好いいんです。影を背負った恭介さんみたいな感じです。『はやくどこかにかえりたい』って、その男の子の台詞なんです。男の子の生まれたところは、色々あってもうなくなってしまって、それでもその男の子は優しさとか、家族のあったかさが欲しくて、でももうその場所はなくなってしまってて、それでもその子は帰りたいんです。もう自分の帰る場所はなくなってしまったから、その場所に帰ることはもう出来ないけど、それでもその子は『どこか』に帰りたいんです。言ってること、わかりますか」
「ああ」
「その子は『えとらんぜ』なんです。私とおんなじに、どこに行っても変わらずに『えとらんぜ』だったんです」
 少し先に女子の寮が見える。絶対防衛ラインをUBラインと呼んだのは、一体誰だっただろうか。気まずくなってしまったのか、クドは駆け足でUBラインの向こうへとその姿を消した。

 結局、オレがしたのはクー公をずぶ濡れにしたことだけだったな。

 一瞬女子寮の方を振り返る。クドが歩いた後には、川の水に濡れた足跡がぽっかりと浮かび上がっている。
 帰りたい、とクドは言った。
 きっといつか、彼女にも帰る場所が出来るだろうと思う。一人きりだった自分に仲間が出来たあの日のように。いつか、きっと。彼女がその思いを忘れなかったなら。今はまだその時ではないのだろう。時が全てを解決するのかもしれない。長い長い、時が。
「はやく、どこかにかえりたい」
 もう一度それを口にして踵を返す。今度はもう振り返らない。まっすぐに自分のいるべき場所を目指して、真人は歩いた。



 コスモナーフト、クドリャフカ・アナトリエヴナ・ストルガツカヤの母が暴徒に処刑された日から数えてちょうど半年が過ぎた、冬の日の夜のことだった。


[No.141] 2008/01/25(Fri) 01:30:24
冬休み (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ

 「う〜みゅ‥‥‥」
 あたしはいま自分の寮にいる。始業式まであと、‥‥何日か後だ。日にちは自分で考えろバーカ。教えない
時間は朝だ。もういいな。
 寒い、もうとにかく寒い、どれくらい寒いかといえばもうくちゃくちゃ寒い。
とにかくコタツから出たくない、いやだ。
こまりちゃんは寒いのにお買い物にいった。私はモンペチも冬を乗り越えるための分はまとめて秋のうちに買っている。
計画通りだ。こうしてコタツでゴロゴロしていられる。
 「ふーん、ふ、ふーん♪」
幸せ。

 「おい、鈴。」
 「おはよう、鈴」
 理樹と恭介だ。
 「帰れ、馬鹿兄貴」
 こうやって最近毎日やってくる。
 「おいおい、いきなり『帰れ』はないだろ。来たばかりだぞ。それに‥‥」
 「なんで俺だけなんだよおおおおおおお。理樹も一緒にきたじゃねえかああ」
 「ちょっと恭介?冗談だから落ち込まないでよ、鈴もほらなにか言ってあげて」
 「玄関はあっちだぞ」
 と、玄関を指さす。
 「ううおおおおおああああああああ」


 五分ぐらい経ってから、やっと立ち直った兄貴が
 「たまには外にでたらどうだ?いい気分転換になるぞ」
 なんて言ってくる
 「だが断る」
 「どこで覚えたのさ、そんなセリフ」
 「くるがやがいってたぞ。どうだ」
 「別にえらくねえよ」
 早く帰ってほしいなぁ。じゃないと‥‥‥
 「鈴、最近ずっと寮からでてないよ、猫たちだってご飯もらうだけじゃ寂しがってるよ。」
 「ああ、そうだな」
 う、どうしよう
 「そうだな、鈴どうだ久しぶりに」
 馬鹿兄貴がいやな事を言ってくる
 「だが断る」
 「それ気に入ってる?」
 でも、早くしないと‥‥‥
  にゃ〜
 「ふにゃ!!」
 しまった!
 「ん?なんだ?」
 「猫近くにいるのかな?だったら早くいこうよ鈴」
 「っそ、そ、そ、そうだな。」
  にゃ〜、にゃ〜、ぬあ、ゴソゴソ
 「「鈴」」
 2人が睨んでくる。
 「‥‥う」
 「うな」
 ドルジがのそのそとコタツから出てきてしまった。もういいのがれ出来ない
 「「「「にゃ〜にゃ〜」」」」
 ヒョードル、レノン、ヒットラー、ファーブル‥‥ぞくぞくと私や理樹や恭介のところへ散らばる
 「全員いるのか?鈴」
 「‥‥‥いる」
 「全員!?すごいね」
 「感心してる場合か」
 「うう」
 「寮は動物は入れちゃいけないのは知ってるな?」
 うなずく。もうどうしようもない、みんなでぬくぬくコタツもきょうまで、
 「どうりで最近猫たちを見ないとおもったら案の定か」
 「うん、鈴が寒いのは苦手なのは知ってたけど、猫たちをほおっておくとは思えなかったからね」
 やっぱりだ、わかっててきたんだな、理樹たち
 「もとのところに戻しに行くぞ」
 「‥‥うん」
 

 
 「行くぞ、お前たち」
  な〜、にゃ〜
 ぞろぞろとレノンを先頭に一列に並んであたしの後ろについてくる、もちろん理樹たちも
 途中で他の寮生がなんども振り向いて笑っていたがなにが面白かったんだ?
 また恭介がへんなことをやっていたのか?
 
※ 

 裏庭についた、やっぱりさむい、猫たちはこんなとこで冬をこすのだろうか?
 ふと、見ると馬鹿兄貴が紙袋を持っていた。なんだろう? 長いぞ理樹
 「うう〜〜、さむい」
 凍って死ぬ。あたしはもうだめだ‥‥理樹‥‥
 「凍って死ぬにはまだ早いな」
 そうやって笑いながら恭介が紙袋から電気ストーブをとりだしてなぜか近くまで伸びていたコンセントにさして電源を入れた。
 数十秒たって金属の部分が赤くなっていく
 あったかい
 「でも恭介?こんなの勝手に学校の電気つかっていいの?裏庭にまで延長コード引っ張ってきて」
 「大丈夫だ、来ヶ谷に許可はとった」
 「なるほど」
 くるがやにとったなら安心だ
 「納得できちゃうんだ!?」
 「なあに、心配はいらん。うまくやってあるから安心したまえ、少年」
 「うわぁぁ!!」
 一体いつからそこにいたのか、
 そういって理樹に抱きついていった
 「ふむ、理樹くんはあったかいな。報酬として少し君で暖をとらせてもらおう」
 「ちょ、ちょっと」
 理樹が顔を真っ赤にしてもがいている
 ‥‥‥‥なんだか不愉快だった
 ドルジと電気ストーブで暖をとりつつ背中を向けた
 

 
 十分くらいして来ヶ谷もどこかにいってしまった。そのころにはストーブのおかげでほとんどさむくなかった。そろそろめんどくさい。
 「おーほっほっほっ。あら、棗鈴じゃありませんの」
 猫たちのケアも終わった頃、突然、うしろから甲高い笑い声が聞こえてきた。
 「!!ささささささささ!!」
 「さ・さ・せ・が・わ・さ・さ・み、笹瀬川佐ヶ美ですわ!年を越してもまだ覚えていらっしゃらないの!」
 すこし、ほんのすこしだけ声が上ずっていた
 「ああ、そんな名前だったな」
 悪いことをしたかもしれない。でも
 「あら、猫たち戻ってきていたのね。最近見かけなかったから心配していましてよ?」
 一匹抱え上げて笑顔
 佐ヶ美が猫を好きなのはしってる、前にねこじゃらしをもってねことあそんでた
 「そうか。あのな、よく聞け」
 「なぜ上から言うかは知りませんけど、なんですの?今までねこがいなかった事と関係ありますの?」
 「実は‥‥‥」
 いろいろはなした。さむくて外にでたくないから寮に全員もっていったこととか。ストーブをもらったからまた外であそぶとかいろいろ
 
 
 ※

 「‥‥‥あなた」
 「なんだ」
 また、けんかになりそだ。身がまえた
 「そうだったんですの。猫たちが元気ならかまいませんわ」
   それ、いかがです?
 子猫のおなかをなでながら 
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥なんだ、いい奴じゃないか
 「?なんですの?さっきから私をみていますわよ」
 「お前はいい奴だ」
 佐ヶ美の顔が赤くなる。たぶんあたしも
 「唐突になんですの?」
 「だったら友達になってやらんこともない」
 「だからなんで上から目線なんですの!」



 本当は今日はしないつもりだったブラッシングとかを2人でした。
 なんだかやりたくなったからだ。悪いか?
 佐ヶ美はだいぶなれているみたいでなかなかうまかった。もちろんあたしほどじゃなかったけどな。どうだ
 馬鹿兄貴、理樹、たぶん友達になった。いわゆるキャッ友だ。
 冬休みはたのしかったぞ

        棗鈴


 教室、
 「なぁ理樹、なんだこりゃ」
 真人は疲れ果てていた
 「さぁ、でも一生懸命書いたんじゃないかな?」
 一通り読み終え、僕たちはため息をついた。
 「私としてはなかなか興味深かったが」
 長い黒髪を揺らしながら来ヶ谷さんがうなずいている
 「特にある一日の行動や心情を書く『冬休み感想文』のはずなのに書いているときの気持ちまで書いている
 所がすばらしい感性だとお姉さんは思うぞ」
 意味ありげな笑みをうかべ優雅に言った
 「やっぱりこの」
 文章の一部を指差し
 「『日にちは自分で考えろバーカ。教えない』『長いぞ理樹』『そろそろめんどくさい。』とかってそうなのか‥‥」
 「最初に読んだとき、なんだ?とおもったけど今見るとそうとう
 嫌だったんだね。感想文書くの」
 そう、僕たちは鈴が書いた『冬休み感想文』を読み終わったところだ。
 これは日ごろからあまり綺麗な言葉づかいの出来ていない鈴に
 恭介がだしたミッションだ
 題して『子供感想文でうはうは賞状ゲットだぜ』(by恭介)
 でもこれじゃだめだ。これを書き終わったのは一月30日、すでに応募は終了している
 しかも原稿用紙ではなく
 おそらく原稿用紙をなくしたのだろう、ルーズリーフ7枚で手渡された。
 せめて一枚の紙で最後まで書いてくれれば‥‥‥
 「お前ら揃ってなに暗い顔してんだ」
 いつものように窓から恭介が降りて
 「これ、鈴の感想文」
 「お、ついに出たか」
 
 

 読み終わった恭介の額には汗がにじんでいた
 「今までになかった考えだ、書くことに対して言っている文句をそのまま文章に起こすとは」
 現在鈴は感想文から解き放たれ、幸せそうに寝ている
 「でもさ。鈴に新しい友達ができたんだよ」
 本当に嬉しかった。
 幼馴染として
 鈴の彼氏としても
 鈴が自分で誰かと友達になろうとしたなんて
 今でも鈴は鈴のままだけど、だんだん変わっていって大人になっていく
 そんな嬉しさが
 「そうだな」
 「しかも、自分から!ほらここ『だったら友達になってやらんこともない』って」
 恭介は声を上げて笑った
 「っはははは、あいつらしいや」 


[No.142] 2008/01/25(Fri) 05:47:08
キャッチボール日和 (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ

 月明かりすらない冬の夜だった。引き絞られた電灯が僅かに勾配となった夜道を点々と照らしていて、その明かりの下にさしかかると、隣を歩く鈴の横顔が暗がりからゆっくりと浮かび上がり、束の間白い光の中を泳ぐように横切ってまた濃い闇へとゆらりと沈んでいく、その繰り返しがまるで夢か幻覚めいて理樹には見えた。乗用車が低いエンジン音を響かせて二人のすぐ横を通り抜けて行った。鈴が排気ガスの臭いに顔をしかめるのがわかった。
「煙たい。臭い。気持ち悪い」
「まあ仕方ないよね。道狭いし」
「外なんか出歩くからこうなるんだ。家で将棋差してればこんなことにはならん。インドア万歳だ」
「見たい映画があるからDVD借りに行こうって言ったのは鈴だと思うけど」
「それはあれだな」鈴は一人でうんうんと頷いた。「理樹の勘違いだな。そろそろぼけてきたんじゃないか?」
「えー」
 何も悪いことをしてないのに酷い言われようだった。
 唐突にマフマルバフの『パンと植木鉢』が見たくなったから借りに行くぞ、などと夕食も済んだ夜十時に言い出したのは無論のこと鈴のほうで、近くのレンタルビデオ店に歩いて行って散々探し回った挙句目的のDVDが見付からず、同じ監督の別の映画を借りて帰路に着いた今はもう十一時半だった。車とすれ違うたびに轢かれるんじゃないかと心配になる、両脇を石塀で固められた狭苦しい道を辿ってようやくアパートに帰り着いた。長い長い夜の中をひたすら歩いてきた気分で、ちょっと近くの駅前まで行ってきただけとはとても思えない疲労感があった。しかもコートを脱いで崩れ落ちるように座った理樹に鈴は言ったものだ。
「疲れてるところ悪いんだが」
「うん」
「なんか映画見る気がなくなった」
「ええー」
「元から見たいのじゃないしな、これ」と言って、鈴はDVDの入った青いケースをテーブルの上に放り出した。かと思ったら、「というわけで――」と部屋の隅から大きな将棋盤を両手で抱えて持ってきて、理樹の目の前にどんと置いた。「もう一回勝負だ!」
「明日一限から講義あるって覚えてる?」
「忘れた。今回こそは平手で勝つ」
「仕方ないなあ、もう」と理樹は笑った。


「なんだかな」
 このままだとたぶん負けるなあと理樹が思っているところへ、追い討ちをかけるように銀将で王手をかけた鈴が言った。理樹が淹れてきたココアを飲んでいるせいで、盤を挟んで対峙する鈴の息はびっくりするほど甘かった。
「最近、運動不足な気がするんだ」
「まあ最近は、座って将棋やってるか、学校の人たちと飲みに出かけるかだよね」
「そう」
「でも仕方ないんじゃない? 大学に体育の授業があるわけでもないし」
「野球やってたときはいい感じに運動できてたんだがなー」
 そう言って鈴は首をひねった。理樹はその言葉にどきりとした。鈴が野球のことを躊躇なく口にしたからだ。普段は二人とも、禁忌というわけではないにせよ、事故以前のことを話題にするのはできうる限り避けていた。しかし鈴はそれから何度か、野球、野球、とココアを飲みながら小さく呟いた。今日の鈴はちょっと変だと理樹が思っていると、突然また変なことを言った。
「確か押入れにグローブとボール入ってるな。出すか?」
「出してどうするの?」
「どうもできない」
「僕もそう思う」
「ところで理樹」と鈴は盤上を指差して言った。「勝ち目なさそうだし、これはそろそろ投了したほうがいいんじゃないか?」
「うーん」
「というかむしろしろ。そうすれば平手初の勝ちであたしは嬉しい」
「でもここに角を置くと結構いいんだよね」
 そう言って理樹は持ち駒から1二角を打った。ぱち、という木と木のぶつかるいい音が響いた。唐突に攻めに転じられて鈴はしばらく固まっていたが、やがて少し迷いの残る表情で2三の竜王を2二へ移動させた。次の手で理樹の銀将が歩兵を取って鈴の玉将に肉薄した。つい先程まで鈴の圧倒的優位で進んでいた勝負が、僅か二手で完全に覆った瞬間だった。鈴は「うがー」と意味不明の唸り声を上げ、齧り付かんばかりの勢いで将棋盤とにらめっこを開始した。
「1一竜で香車取って王手――それともここはむしろ角――いやいやいや落ち着けその前に銀をなんとかしないと――」
 物凄い速さで独り言を言っている。そんな鈴の姿を見ていると、鈴がここまで真面目に将棋をやっているのが改めて不思議なことのように理樹には思われてくる。そのきっかけは今から半年ほど前、と言うと大学生活の幕開けと共に同居を始めて二ヶ月が経った頃になるが、二人で一晩中家の中で寝転がっていても暇すぎるという話になったことだ。そのとき鈴はおもむろに古めかしいボードゲームを取り出して言った。
「ここに人生ゲームがあるんだが」
「二人で人生ゲームやるの?」
「あれ?」鈴は目を丸くした。「ひょっとしてあんまり面白くないか?」
「とっても面白くないと思うよ」
「だがしかしここに野球盤があるんだが」
「とっても面白くないと思うよ」
「もちろん南海はあたしんだ」
「誰も訊いてないから」
 その後も続々と押入れから出てくるボードゲームたちに、なんでこんなわけのわからないものがいっぱいあるんだ、という質問が口から出かかったが、直前で思いとどまった。高校の頃幼馴染みに、さして面白くもないボードゲームに夜を徹して付き合わされたことがあったのを不意に思い出したからだ。つまり鈴が持ち出してくるそれらのゲームは、亡き兄の持ち物だった。
「ん? これはなんだ?」と言って鈴は、四角い模様の刻まれた安っぽい板を裏返した。受け取ってみると将棋盤だったのでそう説明した。
「ああ、丸い白黒を並べるやつか」
「たぶん囲碁と勘違いしてる」
「うーん、まあいい。やってみよう」
 そのときは駒の動かし方を覚える前に絶対飽きるだろうと思っていたけれど、駒の動きと禁じ手を苦もなく記憶すると、鈴は意外にも楽しそうに駒をぱちぱちと前へ進め出したものだ。それを見て理樹が思わず瞬殺してしまったところ、「練習じゃぼけー!」ということになり、理樹の六枚落ちというとんでもない手合割からの特訓が始まったのだった。今では理樹の二枚落ちで互角に近い勝負が繰り広げられるまでになっている。


「ふかーっ!」
 深夜二時、自身の敗北――それも頓死で幕の下りた盤上を猫化して睨みつける鈴は、普段なら蹴りの一発でも食らわせながらする仕草を将棋盤の前で律儀に正座しながらしているせいで、見ていてなんだかとても面白い。将棋盤は三回忌に帰省したとき鈴の実家から貰ってきた柾目盤で、鈴のお父さんの話によれば値段は六桁で、理樹は殆ど反射的にそれは何処の国の通貨に換算しての価格ですかと訊ねてしまったものだが、普通に日本円だった。そのため普段は後先考えない鈴も、不用意に蹴り飛ばしたり張り倒したりすることができない。
 数分後ようやく立ち上がった鈴は、うーん、と背伸びをした。
「あー疲れた」
 それから角が云々とか銀がどうこうとか呟きつつ台所に行き、しばらくしてからカップを二つ持って出てきた。ココアを淹れ直してきたらしかった。もしかしてこれは持久戦の構えで、今からもう一局やるつもりなのだろうか。しかし鈴は理樹のカップを渡すと立ったままカーテンを開け、窓も開け、冬の冷たい空気が吹き込んでくるのもかまわず外を見た。理樹も歩み寄って一緒に窓を覗いた。アパートの隣の公園や、その向こうの家並み、遠くに建つ明かりを灯した高層ビルなどが、夜の闇の中に消え残るようにして浮かび上がっていた。ココアは温かかくて、飲むと甘さが舌に沁みるような心地だった。
「さっきも言ったけど」と鈴は言った。「運動不足だと思った。最近は本当に外に出てない。こんな近くに公園があるのにな」
「うん」
「野球やるかー」
 やっぱり変だ、と思いながら理樹は「無理でしょ」と返した。すると特に反論もせず「うん。無理だ」と鈴は言った。それからココアをゆっくりと一口飲み、少しの沈黙を挟んだ後、独り言のようにぽつりと呟いた。
「野球、やりたいなあ……」
 酷く幼い口調だ――かなわぬ願い事を言うのには、まるで似合わない。言い終えるや鈴は、まだココアの残っているカップをテーブルに置くと、押入れから段ボール箱を引っ張り出してきて、「理樹も手伝え」と言って箱の中身をひっくり返し始めた。人生ゲームや野球盤など、あの頃の記憶の染み付いたさまざまな品が床に乱雑に広がった。何を探しているのかは訊くまでもなかった。ボールとグローブだ。けれど、出してどうするの、とつい先程訊いたとき、どうもできない、と他ならぬ鈴自身が答えたはずだった。それは本当にもうどうにもならないことだ――野球でなくてもまったくかまわないし、ましてや運動不足だなんてそんなことはどうでもよくて、ただあの日々みたいにみんなで何かに一生懸命打ち込むことなんてもう金輪際できない、その事実にちょっと心が折れそうになっただけだからだ。そしてそのことに特別な理由もなかった――まるで袋小路にでも立たされたように、理由は二人の生の中に消しがたく遍在しているからだ。
 箱の底にボールとグローブを発見すると、迷わず手に取って鈴は立ち上がった。
「それ、どうするの?」手伝わずに、夜に向かって開かれた窓辺に立ったままでいた理樹は、静かに訊いた。「投げるの?」
「そうするか」
 鈴は投球の構えをしかけた。でも本当に投げるわけには勿論いかなくて、右手のボールをじっと見つめた後、箱に戻した。そして毎日練習していた頃からは二年以上のブランクがあるはずだけど、それを思わせない滑らかな動作で再びすっと構えた。その立ち居と視線は、まるであの試合の日にグラウンドの真ん中に立ったときのそれと同じようで、理樹が思わず息を飲んだ次の瞬間、鈴は手の内にある見えないボールを、窓の外に広がる黒い濃密な闇夜へ向かって、一気に投げた。


 カキン!と気持ちのいい音がして、理樹の打ったボールは、雲一つない青空へ吸い込まれるように大きく飛んでいった。
「飛ばしすぎじゃぼけーっ!」
「ごめんごめん」
「あーもう、何処に飛んでった?」
「向こう」
 理樹がバットで指した方向へ鈴は走っていった。ソフトボール部が練習しているほうまで飛んでいったので大変そうだった。長い髪の毛を内側に巻き込んだ白いマフラーの、肩口から背中へと垂れた先端が、脚を動かすたびに上下に揺れていた。昨日運動不足だとか言っていたのが嘘のような元気さだ――球速も、練習開始早々に三桁に達した。すぐに息を切らし始めた理樹とは雲泥の差で、何処にそんな体力があるのだろうと改めて不思議に感じられた。鈴はボールを拾って戻ってくると、「暑い」と言ってマフラーを足元に置き、コートの前を開けた。ああ帰ったら洗濯しなきゃ、と理樹は砂で汚れたマフラーを見て思った。冬の空気は身を切るような冷たさなのに、陽射しが強いためか、体を動かしていると夏みたいに暑かった。
「まったく、理樹が下手すぎて守備練習にならん」
「そもそも守備練習を兼ねようという発想が間違ってると思うよ」
「でも理樹がノックしてあたしが取るだけじゃ面白くないぞ」
「じゃあもう全力で投げて全力で打てばいいんじゃないかな」
「よし、それでこそ理樹だ!」
 顔付きが変わったかと思うと、かつて珍妙な名前の付いていた魔球が次々とバッターボックスに投げ込まれ、三十分後には理樹はおろか鈴もへとへとになっていた。グラウンド脇の木陰にふらふらと座り込んだ理樹の目に、黄色く繁った葉の向こうに広がる鮮やかな青空が映った。
「本気で投げすぎ」
「ちょっと反省してる」
 鈴も理樹の隣に腰を下ろして後ろに寝転がった。しかし一分もしないうちに「キャッチボールにしよう。二人でやるにはそっちのがいい」と言って勢いよく起き上がり、校庭の隅に建つ野球部の部室に向かった。何をする気なのかと心配していると、程なくして、追いすがる部員を振り切り、グローブを奪取して部屋から出てきた。できればもう少し穏当に借りてきてほしかった。理樹にグローブを投げ渡すと、ボールを拾い上げて「行くぞー!」と投球の構えを見せた。
「もう少し休もうよ」
「却下」
 やれやれと思いながら立ち上がり、かつてのノーコンぶりが嘘のように正確に投げ込まれたボールを、強い手応えと共にキャッチして投げ返した。すぐさま飛んでくる低めの球を再び捕る。鈴は「いい感じだー」と手を振りながら言った。元気がいいことこの上ない。
 風が強く吹き寄せて、理樹の投げたボールが大きく逸れた。校舎裏の並木道で落ちかかったイチョウの葉がざわざわと鳴った。鳥の鳴き声や部活の熱心なかけ声まで聞こえてきて、冬だというのにとてもにぎやかだった。風の中を駆け出した鈴は強く地面を蹴ると、光に満ちた空へ高く跳び上がり、弾けるような音と共に捕球した。コートの裾を透明な陽射しの中にふわりと浮かせて着地し、理樹のほうを振り返った。何処からか風に流された雲がやってきて、グラウンドに大きな影を落としたかと思うと瞬く間に去っていった。髪を焦がすように再び照り始めた陽光はきらきらと輝いて見えた。その光を負いながら鈴はアンダースローでボールを投げた。理樹がキャッチした後、左手で理樹を指さして誇らしげに言った。
「どうだ、今のはなかなかのファインプレーだっただろう」
「それは認めざるをえない」
 鈴のそんな楽しげな姿を見て、別にキャッチボールをするだけなら近くの川原でもかまわなかったけれど、一年前に卒業したこの高校まで、急すぎる提案に戸惑う鈴を促してわざわざやって来てよかったと思った。新幹線で半日かかるし大学をサボることにもなるけれど、それでいて試合もまともな練習も全然できないけれど、でもこうして思い出の場所でキャッチボールをするという、小さくささやかなことくらいならできる。それも、望めばいつでもだ。だから、と理樹は鈴に向かってボールを投げながら言った。
「だから――」
「ん?」
「そんなに寂しそうにしないでよ、鈴」
 ぱん、と球を捕る音がグラウンドに響いた。頬を紅潮させた鈴は、投げるのをちょっと躊躇ってから、「うん」と珍しく素直に頷いて、再び投球の動作に入った。光を眩しく反射させて、真っ白いボールがまた二人の間を行き来し始めた。風が冷たかった――まるで夏みたいな空の下で、まるで夏みたいに元気にキャッチボールをしていて、けれど今は、間違いなく冬だった。


 それからしばらくキャッチボールを続け、帰りの新幹線の時間が迫る頃になって、鈴は「理樹ー! バットを取れー!」と大声で言った。
「あたしを打ち取れたら、帰りの新幹線での勝負は平手にしてやる。だがあたしが勝ったら理樹は飛車落ちだー!」
「たぶんどっちでも勝てるから問題ないよー」
「うっさい! 今度こそぶっ倒してやるー!」
 理樹はバットを構える。鈴が振りかぶり、投げる。かなりの速球だ。思い切り振り抜く。
 カキン!と気持ちのいい音がして、ボールは遥か彼方へと飛んでいった。これで帰りの将棋の勝ちは貰ったようなものだ。太陽が低くなり始めていた。驚くほど濃く深い青になった空が、遥けさを増しながら高々と広がっていた。その遠い青の中を突き進んでいく白球を、二人で長々と見晴るかした。ずっと向こうの地面に音を立てて落ち、転がっていって、やがて草叢に消えた。勝負に負けた鈴の表情は悔しそうだ。


 たとえ何処にも行けない袋小路のような場所に立っていても、その足元を光で照らす程度のことはきっとできるはずだと理樹は思い、そして、信じる。


[No.143] 2008/01/25(Fri) 15:01:42
We've been there (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ

「歌を覚えるといい」
「……わふ? 歌、ですか?」

 十二月、期末テストが終わって次の週。帰ってきた英語の答案を見て、クドが嘆いたことが全ての始まりだった。
 毎日ちゃんと勉強はしてるし、小毬さんや来ヶ谷さん、ルームメイトの佳奈多さんにもよく教わってるらしいから、成果が少しも身に付いてないってことはないんだろうけど……僕も見せてもらったその点数は、正直言って中間テストの結果に毛が生えたくらい。
 特に、リスニングが壊滅的だ。記述問題は割とできてるのに、聞き取りの部分はほとんど真っ赤な字で手直しされている。

「本当に、どうして私はこんなにもだめだめワンコなのでしょう……」
「そんなことないよ。クドは頑張ってるじゃないか」
「でも……」

 クドが努力を怠っていないことは、僕が一番よく知っている。
 どうにかならないか、そう考えて考えて、結局誰かに相談することくらいしか思いつかなかった。
 そうして来ヶ谷さんに声を掛けてみたところ、おもむろにさっきのひとことが出てきたのだ。

「勉学に限った話ではないが、人間は基本的に、興味のある物に対しては相当な集中力を発揮する。好きな物こそ上手なれ、というやつだな」
「だから歌なの?」
「無意味に英文の羅列を丸暗記するよりは遙かに有意義だろう。クドリャフカ君は、歌は好きかね?」
「はい、よくおじい様にも故郷の歌を教わりましたし、楽しいものだと思いますっ」
「そうか、なら丁度良い。明日にでも一曲持ってこよう。もちろん、理樹君もやるんだぞ」

 僕は一瞬口篭もったけど、クドの期待の視線を受けて、頷く以外の選択肢を持てなかった。
 満足そうにうむ、と呟いた来ヶ谷さんが話を切り上げ、その時はまあ、明日になればわかる程度の考えでいたんだけど。



 次の日。
 何故か、僕達はクリスマスの日に、小毬さんがよくボランティアに行く老人ホームで合唱をすることになっていた。





 We've been there





「ちょっと来ヶ谷さんっ」
「どうした少年、私のおっぱいでも揉みたくなったか」
「ならないよっ! というか、何でこんなことになってるの!?」

 朝、幼馴染四人を置いて教室にダッシュで向かい、来ヶ谷さんを見つけてすぐに問い詰めた。
 周りは何事かとこっちを見るけれど、今は構ってられない。足を組んで座っている来ヶ谷さんの正面に立ち、机を挟んで僕は対峙する。飄々としたその表情の裏は、全然読めない。

「それは、私が恭介氏に連絡したからだ」
「合唱をしてみるのはどうだろうか、って?」
「期末が近い所為で野球の練習も長らくしていなかったしな。何かをしたかったんだろう、軽く話を持ちかけたらすぐに色良い返事が来たぞ。明日にでも早速全員に伝えておく、と」

 確かに、すごく恭介らしくはある。おそらく来ヶ谷さんの思惑も理解した上で乗ったんだと思うし、これだけ手回しが早いってことは、元々クリスマス用の企画を練っていたのかもしれない。細かい内容を決めていたのかはともかく、狙い澄ましたかのようなタイミングで来た発案だ。僕が恭介の立場なら、採用しない手はない。

『なんで合唱なんだ?』
『みんなで力を合わせる代表的なものだろう? 最近身体を使う遊びや競技ばっかりやってたしな、たまにはリトルバスターズも文化的な活動をしてみるべきじゃないかと思ったのさ』
『文化的、か……。そこの馬鹿にはまるで似合わない言葉だな』
『何だとぅ? お前こそ合唱なんてできんのかよ?』
『自慢じゃないが、剣道で鍛えた俺の声はかなり良く通るぞ』
『オレだって、全身の筋肉を駆使した大声なら得意だぜ』
『ほう……ではどっちの声が大きいか、勝負だ』
『望むところだっ!』
『お前ら騒がしい、迷惑になるだろうがーっ!』

 あ、さっきのこと思い出したらちょっと頭痛くなってきた……。
 結局食堂で張り合おうとした二人は鈴の蹴りで強制的に大人しくなり、今頃首の辺りを押さえながら教室を目指してるはずだ。他のメンバーにも連絡が行ってるのかどうかはわからないけど、来ヶ谷さんが既に知ってるってことは、たぶん恭介がメールで伝えてるのかな、と当たりをつける。そうでなかったとしてもここで言うんだろうし。
 僕は深く溜め息を吐き、あれこれ悩むのを止めた。恭介がやる気になった以上、頑張るしかない。
 それに、

「……何だかんだで、クドのためにやってくれてるんだよね」
「舌足らずで棒読みなクドリャフカ君も素敵だが……困っている子を眺めて嘲笑うような趣味は、私にはないさ」
「うん。ありがとう」
「何、礼は要らんよ。これで手取り足取り腰取り、じっくりと指導できるからな」
「いやいや、変なことだけはしないでよ……」

 仲間と一緒に頑張れるなら。
 勉強だって、合唱だって、きっと楽しいものになる。
 予鈴の時間が近くなり、詳しい話を聞くために、誰からともなくこっちへ集まってきたみんなの顔を目にして。
 僕はそこに混ざったクドと、隠れて小さく笑い合った。



 放課後を使って会議した結果、おおまかなパート分けが決まった。恭介と来ヶ谷さん、クドは勿論、鈴に真人に謙吾、小毬さん、葉留佳さん、西園さんも今回の件については概ね好意的で、中でも小毬さんはすごく嬉しそうだった。
 僕達が合唱を披露する予定の老人ホームでは、毎年クリスマスにボランティアの有志がパーティを催すらしく、要するにちょっとした余興だ。何か賞がもらえるわけでもない、ただ純粋に喜ぶ顔を見るためだけの出し物。
 けれど、おじいさんやおばあさん達にとってはそれで充分なんだよ、と小毬さんは言った。

「みんな寂しい思いをしてるから。だから、私達がちょっとでも楽しくできるといいよね」
「そうですね。人前で歌うのは恥ずかしいですが……頑張ってみましょう」
「ここはエンターテイナーはるちんの出番だねっ!」
「三枝さんは当日椅子に縛り付けておいた方がいいかもしれません」
「みおちん酷っ!? えー、私そんなに信用ないー?」
「皆無ですね」
「ないな」
「鈴ちゃんまでっ!?」
「普段の行いが物を言うのだよ」
「三枝も来ヶ谷にだけは言われたくないと思うが……」
「何か言ったか、謙吾少年」
「……なあ、さっきから全然話が進んでないように見えるのはオレの気のせいか?」
「そうか? みんな息ぴったりじゃないか」
「恭介、冷や汗掻いてるよ……」

 相変わらずびっくりするほどまとまりがないメンバーだけど、何とかその日のうちにパート分けはできた。
 指揮は恭介で、伴奏が来ヶ谷さん。ここは本人の申し出にみんなが賛成した形だ。
 女性陣は、ソプラノが小毬さん、葉留佳さん、鈴、あとはクド。自己申告で、声の高さを考えてこうなった。とはいえ、葉留佳さんと鈴は、下手に難しいアルトパートをやらせても釣られそうだから、って理由が大半なんだけど。クドはまた少し違っていて、一応今回の主役みたいなものだし、と来ヶ谷さんが強く推した。
 人数比の少ないアルトは、西園さんと伴奏を兼ねて来ヶ谷さんの二人。恥ずかしい、なんて言っていながらも西園さんは楽譜を見てそつなく歌ってみせたし、来ヶ谷さんは言わずもがな。自分で選んできた歌というのもあり、完全に暗記しているみたいだった。
 僕達はまとめてテノールパート。メインのソプラノパートとほとんど同じだけど、微妙に違う箇所もあって、結構難しい。
 ほぼ全員楽譜が読めないから、各パートのピアノサンプルを来ヶ谷さんが作ってきてくれた。メロディはそれを覚えればよく、となると問題は歌詞。当然ながら全部英語で、とりあえず読みを頭に入れても、発音に気を付ける必要が出てくる。
 案の定、そこはクドが一番苦戦していた。

「あーいわーんす、わーずろーすと……」
「クーちゃん、そこはもっとこう、流れるように、だよ。私に続いてみてー」
「は、はいっ」

 拙い英語の歌声を聴きながら、僕は本当に間に合うのだろうか、と思った。
 元々練習に充てられる時間はあまり多くない。始めてからクリスマスまで二週間弱、クドには少し、厳しいかもしれない。

「浮かない顔をしているな」

 離れた場所からクドを見つめていると、不意に横から声が掛かった。
 振り向けばそこには、楽譜を片手に持った来ヶ谷さんの姿。

「恋人の様子が心配か?」
「いや、その……ちょっと」
「フフフ、照れる必要はないだろう。誰に責められるわけでもないのだから、胸を張って言えばいいと思うぞ」
「それはどうかなぁ……」
「もっとも、恥ずかしそうにする少年も嫌いではないがな」

 そんな言い回しに、僕は苦笑で返すしかなかった。

「……ほら、クドって、英語ができないのをコンプレックスに感じてるところがあるでしょ?」
「うむ」
「どうにかしたいっていっつも考えてるのに、なかなか努力が実らないところを見てると……不安にもなるんだ」
「その気持ちは察せないでもない――が、理樹君、ひとつ大事なことを忘れていないか?」
「え?」

 思わず間抜けな声を上げる。
 向かい合った来ヶ谷さんは、うっすらと口元を緩めながらも、真剣な色を瞳に灯していた。

「キミは不安がらず、ただ、クドリャフカ君を信じていればいい。恥ずべきことがないのなら、後ろ向きな気持ちのままでいるのはむしろ、信頼をしていない証左になるぞ」
「……うん、そっか、そうだよね。ごめん、変なこと言っちゃって」
「構わんよ。悩める若者を導くのはおねーさんの務めだ」
「来ヶ谷さん、僕と同い年だからね……」
「はっはっは、気にするな。さあ少年、練習の続きをするとしよう」

 華奢な、でも頼れる背中を追って、僕は思う。
 目に見えなくても、頑張った分は必ず結果に出るのだと――
 そう信じてさえいれば、例え口にはしなくたって、クドの力になるのかもしれない、と。



 本番直前。僕達は会場の外で呼ばれるのを待ちながら、次第に緊張を募らせていた。
 恭介と来ヶ谷さん、それに謙吾と西園さんも涼しい顔をしているけれど、他のみんなはいつも通りとはいかないようだった。

「さすがに、いざ本番! となるとドキドキしますネ」
「ここまで心臓がバクバク言いやがるのは、カツ丼のカツが一枚抜けているのを見つけた時以来だぜ……」
「心底どうでもいい話だな……」
「馬鹿はほうっておこう。こまりちゃんは大丈夫か?」
「こういう時は、深呼吸だよ〜。さあみなさん御一緒に、すぅー、はぁー」
「小毬君、次は二回短く息を吸ってから吐いてみるといい」
「ひっ、ひっ、ふぅー」
「……それは出産時によく使われる、ラマーズ法の呼吸法ですよ」
「ほわぁっ!?」
「おいおい来ヶ谷、あんまり小毬で遊ぶなよ」
「あんまりにも小毬君が愛らしかったものでな。だが、今のでだいぶ緊張はほぐれてきただろう」

 確かに、一連のやりとりを見ていたらかなり気が緩んだ。
 でも絶対本気で遊んでたよね、と思っていると、右腕に何かが触れる感覚。
 見れば、浮かない表情をしたクドが小さく僕の裾を摘まんでいた。

「……リキ」
「どうしたの?」
「たくさん練習してきました、けど……私は、ちゃんと、歌えるでしょうか」

 俯き呟くクドの手は微かに震えていて、それが服を通し伝わってくる。
 不安を胸に抱える姿は、本当に弱々しくて――だから僕は、ぽん、と帽子の上に手のひらを置いた。
 そのままそっと、頭を撫でる。むずがるように身じろぎしたけど、クドはこちらの動きを受け入れてくれた。

「大丈夫。みんなが、僕がここにいるから」
「わふっ……あの、もうちょっとこのままでいてくれますか?」
「いいよ」
「さんきゅー、です」

 ……いつの間にか、全員の視線が僕達二人へ向いていた。
 途端恥ずかしくなり、でも我慢して、クドが落ち着くまではずっと撫で続ける。
 見守られてる、という実感。少しだけむずがゆくて、嬉しい。

「次、お願いします!」

 出番だ。
 僕達は揃って歩き出し、すぐ舞台に立つ。といっても、急拵えの簡易ステージだ。立派さなんてどこにもない。
 けれど、そこには確かに、歌を待ち望む人がいた。僕らを待ち望む人の、笑みがあった。
 恭介が代表者として曲名を述べる。来ヶ谷さんがピアノの前に座り、恭介は並ぶ僕達の前に立つ。
 がんばって、と、観客席側から優しい声が飛んできた。みんなで顔を見合わせ、頷く。

 指揮棒が、振り上げられた。



『Amazing grace。直訳すれば、驚くほどの神の恵み、という意味だ』
『賛美歌なんだったか?』
『うむ。クリスマスの時期にはよく巷で流れる曲だが、元々はイギリスで奴隷貿易船の船長だった男が作詞したのだよ』
『……ですが、一度乗っていた船が嵐に遭い沈みかけたそうです。人生で初めて、心の底から神に祈ったためかどうかはわかりませんが、結果的に難を逃れ、船員や奴隷共々生還しました。以来、彼はそれまで人間として扱っていなかった奴隷達への待遇を改善し、後に牧師となり、奴隷貿易に関わっていた過去の自分に対する、悔恨と贖罪の念を込めて書いた詞が、この曲のものです』
『注釈感謝しよう、美魚君。さて、人数分の原詞と訳詞を用意しておいた。意味を知れば、英詞がわからずとも理解は深められるだろう』

 そうして渡された紙を眺めていると、ふと僕の目にひとつの言葉が留まった。


“When we've been there ten thousand years”


 何万年経ったとしても、僕達はここにいる。
 かけがえない絆を、いつまでも残る思い出を感じさせる、そんな一文。
 ――ああ、来ヶ谷さんがどうしてこの曲を選んできたのかわかった。
 驚くほどの恵みがあったからこそ、多くの過酷を乗り越えて、今、誰一人欠けることなくこんなことができるんだ。

 祈りの果てに、立てる舞台。
 そこに響く合唱は、どこかちぐはぐで、調子外れで、おまけにちょっと歌詞も間違えてるけど。
 拙い発音で懸命に歌う、クドと、みんなの楽しげな声に、僕もその喜びを讃えていた。

 ……歌が終わり、ピアノの音色もふっと消えて。
 僕らに背を見せ観客に向けて恭介が礼をした瞬間、全ての人から拍手が贈られた。

「リキっ! やりましたっ!」

 揃った礼の後、舞台を下りようとした僕に、小さな身体が飛び掛かってくる。
 それを少し仰け反りながらも受け止め、胸に顔を埋めるクドのことを、囃し立てられるのは承知で抱きしめる。

 祝福の音は、しばらく鳴り止まなかった。


[No.144] 2008/01/25(Fri) 20:33:22
普通よりも優しくない、他人よりも小さな世界の中で。 (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ

 ふと目が覚めた。
 カーテン越しの淡い光に気づいた僕は、枕もとの携帯電話を開いて時刻を確認する。五時三十四分。布団に入ったのは確か一時も過ぎた頃だったか。思い出すと、途端に眠気が強くなった。
 昨夜は結構な量のお酒を飲んだ。だからだろう、すごくトイレに行きたいのだけれど、でも僕はなかなかそれを実行に移すことができなかった。今朝は特に冷え込んでいるように思う。温かい布団の中から外に飛び出すのには相当な勇気が必要だ。
 三分ぐらいの間、僕は勇気を溜め続けた。そうして、何とか布団からの脱出に成功した。
 震えそうになりながら事を済ませ、床へと戻る。布団の中から、何となくカーテンを少しだけ開けて、曇った窓ガラスを手でこする。
 普段とは違う、白く染まった風景が僕の目に飛び込んでくる。そういえば、週末に雪が降るという予報をテレビか何かで見たような気がする。
 鈴も、起きたらびっくりするだろうな。
 僕は隣の布団に目をやる。うすぼんやりとした部屋の中でも、気持ちよさそうな鈴の寝顔は僕の目にはっきりと映る。すーすーと静かな寝息。たったそれだけのことに、何か心が満たされるような気持ちになる。
 今日は特に予定も無い。ゆっくりと眠ろう。
 おやすみ、鈴。心の中で声をかけて、僕は再び眠りにつく。


「おい理樹、そろそろ起きろ」
 そんな声に目蓋を開けると、目の前に鈴の顔があった。お腹の辺りに感じる重み。どうやら、鈴は僕の上に乗っかっているらしい。
 何て言うか無防備だよなあ、相変わらず。僕はそんなことを思う。もちろん僕と鈴はそういう関係をとっくに持ってはいるのだけれど、普段の様子は昔と何も変わらない。
「おはよう、鈴」と、僕は言った。幸い、二日酔いにはなっていないようだ。
「うん。理樹、おはよう」
「今、何時?」
「十時だ」
「そっか」眠気はまだ多分にあった。でも、僕は素直に鈴の言葉に従うことにする。「うん、起きるよ」
 鈴が僕の上から降りる。僕は上半身を起こして、うーん、と大きく伸びをした。
「雪が降ってる。外は積もってるぞ」
 窓ガラスを手で拭いて、鈴はその景色を僕に見せてくれる。
「ほんとだ」
 朝方起きた時にそのことは既に知っていたけれど、僕はそう言った。
「雪だるまでも作る?」
「やだ。こんなに寒いのに、外になんか出てられるか」
 猫はこたつで丸くなる。
 鈴の言葉にそんな言葉を思い出して、僕はくつくつと笑う。
「何だ、どうかしたのか?」と、鈴は怪訝そうに言う。
「何でもない」僕は話題を変えることにした。「それより、何か食べようか」
 休日の午前はこうやって始まることが多い。どちらかがどちらかを起こして、食事。平日は朝、昼、晩と三食きっちり取っているけれど、休みの日には朝と昼を兼用で済ませることがほとんどだった。
「お腹ぺこぺこか?」と、鈴は僕に聞いた。
「そうでもないかも」まだぼんやりとする頭で僕はそう答える。起き抜けであることを考慮しても、そんなにお腹は空いていないように思えた。
 まあ、それはそうだよな。僕は思う。昨日は二人でハンバーグを焼いて、力いっぱい食べて飲んだのだった。「どうせならいっぱい作ろう。ハンバーグ、お腹いっぱい食べたことないんだ」という鈴の言葉に乗せられたのだった。丁度、合挽き肉が安くなっていたことがそれに拍車を掛けた。グラム78円。1キロ買っても780円。かといって、本当にそれだけ買ってしまうのもどうかと思うけれど。
 二人で暮らしていると、たまにそういう無茶をやってしまう。昔はそれを止めるのが僕の役目だったのだけれど、最近はそのまま流れに乗ってしまうことも少なくない。
「鈴はお腹減ってるの?」
「うん、少し。でも、肉はもういいな」言って、鈴は小さく笑う。
「そうだね」僕も笑って、言う。「あっさりしたものが食べたいな」
「昨日の食パンが残ってる。サンドイッチでも作るか?」
 僕も鈴も基本はご飯だから普段は家にパンを置いていない。が、昨日はハンバーグを作るために食パンを買っていたのだった。三枚入りの一番安いのでいいと僕は言ったのに、鈴は六枚入りを二つも買い物籠の中に入れていた。レジの前で僕がそれに気づいた時には手遅れだった。
「いいね、それ。コーヒーも淹れようか」
「決まりだ。ほら、理樹、さっさと布団を片づけろ」
 未だ下半身を布団に突っ込んだままの僕に鈴はそう言う。
 そうして、僕が立ち上がるのを見送ってから、コーヒーメーカーの準備を始めた。
「コーヒーは任せろ」と、鈴は言った。「だからサンドイッチを頼む」
「ちょ、ちょっと、鈴」
「ほら、理樹、急げ」
 はぁ、と僕はため息をつく。もしかすると、このために食パンをたくさん買っていたのかもしれない。
「サンドイッチ、食べたかったの?」
「……実は、少し」
 ちょっと照れるに鈴は言った。「昨日、パンを買う時に、ぱっと思い浮かんだんだ。何でかわからんが」
 そんな鈴を可愛く思う僕は、多分、もうどうしようもなく鈴に入れ込んでいるのだろう。
 まあそれもしょうがないか、と僕は思う。
 あの時から、僕らは二人になってしまったから。
「ダメか?」と、鈴が言う。
 悪戯のばれた子供みたいに、許しを請うような上目遣い。僕はこれに弱い。
「うー」と、恥ずかしそうに鈴は続けた。「あたしが初めて作る料理はだいたい失敗する。理樹も知ってるだろ?」
 サンドイッチは、料理なんて大したものでもないけど。口には出さず、思う。
 僕はまた小さくため息をついてから、言った。
「分かったよ。鈴はコーヒーをよろしくね」
「うんっ」喜びを隠そうとせずに鈴は言った。「やっぱり、理樹はいいやつだな」
 鈴の声を聞きながら、サンドイッチの準備に取り掛かる。


 昼を過ぎて、少し勢いを弱めながらも雪はまだ降り続いていた。
 白銀世界というのは少し格好つけ過ぎだろうか、見慣れた窓からの景色は白い雪を纏うことで全く違ったものになる。それを奇麗だと感じるのは僕も鈴も同じようだったけれど、窓から来る冷気に二人とも耐えられず、結局カーテンは閉めてしまった。
「こたつでも買う?」と、僕は言った。何の気なしの、適当な話題振りだった。
 食事をしてから、僕らはだらだらと時間を過ごしていた。僕は文庫本を、鈴は漫画をそれぞれ読んでいる。どちらも、先々週、中古で買ったものだった。
「それはいいな。うん、買いに行こう」
「そうだね」と、言ってから、僕は鈴の言葉をもう一度思い返した。「って、鈴、もしかして今から行くつもり?」
「善は急いで回れ、だ」
「善は急げ、だよ」
 それじゃあまるで真人だ。もちろん、声には出さなかった。
「とにかく行くぞ、理樹」
「え、本当に?」
「こたつは待ってくれないんだ」
「普通に待ってくれると思うけど」
「ほら、理樹」
 立ち上がって、鈴は僕に手を伸ばす。
 それを、僕が拒否できるはずなんてなかった。当たり前のことだった。
「よし、目指すはこたつだ」
 僕の手を引いて、鈴は歩き出す。


「やっぱり止めだ」
 玄関のドアを開けた瞬間、鈴はそう言った。
「諦めるのはやっ」
 僕がそう言うのよりも早く、鈴はドアを閉めた。
「何だこれは」と、鈴は言った。「めちゃくちゃ寒いじゃないか。いや、もうこれはくちゃくちゃだ。くちゃくちゃ寒いぞ」
「しょうがないよ、だって雪降ってるんだし」
 寒いから絶対に外に出たくないって言ったのは鈴なのに。きっと、自分がそう言ったことなんて覚えていないのだろう。
「うー」鈴は悔しそうに口を尖らせる。「でもこたつは欲しい」
 そんな鈴に僕は苦笑する。
 そうして、思う。やっぱり僕は鈴に甘いみたいだ。自覚していながらそれを治す気がないんだから、全く、仕方がない男だ、僕は。
「いいよ、鈴。僕が行って、買ってくるから」
「ホントかっ」
 と、一瞬、鈴は嬉しそうな顔を見せて。
「……うー、それは凄く嬉しいけど、でもダメだ。理樹だけが寒いなんて、そんなのダメだ」
 僕はもう一度苦笑して、言う。
「大丈夫だよ。僕は鈴よりも寒さに強いからね」
 鈴はうーうーと唸りながら、僕を見て、それから何かを決意するように目を瞑って頷いた。
「あたしも行く。理樹が一緒なら、寒くてもがんばれる」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だ」
「外、寒いよ?」
「うん」
「くちゃくちゃ寒いよ?」
「う……だ、大丈夫。大丈夫だ」
 決意は固いらしい。
 二人一緒の方が嬉しいのは、もちろん僕だってそうだった。僕は鈴の手を取って、言った。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
 鈴は頷いて、僕の手を握り返した。


 雪の降る中、僕たちは二人で歩いていた。僕はこたつの入った大きな段ボールを背負って、鈴はそんな僕に雪が当たらないよう傘を差してくれている。
 無計画に思いつきのまま家を飛び出した僕たちだったけれど、こたつを売っていそうな店には心当たりがあった。バスで三十分程揺られたところにある、小さなショッピングセンター。近くのスーパーなどではできない買い物をする時、いつもお世話になっている場所だった。
 降雪によるバスの運休の可能性に気づいたのは、バス停に着いてからのことだった。何とも間抜けな話だと思う。幸い、バスは問題なく動いていたようで、僕らがバス停に着いてすぐに来てくれた。
 更に大きな問題に気づいたのは、当該の店に着いてからのことだった。こたつのような大きな荷となるものを買う時、普通は家までの配送を頼むか、あるいは自家用車でそれを運ぶだろう。僕らはそういったことを全く考えていなかった。鈴とあれこれ言いながらこたつを選んで、レジに並んだ時にそのことに気づいたのだった。
 結局、こたつ布団は配送で、こたつ本体は気合で持って帰ることにした。折りたたみ式を選んでいたのがせめてもの救いだった。こたつ布団が届くまでは、家にある布団で何とかなる。きっと。バスの中で少し注目を集めていたのは、ちょっと恥ずかしかったけれど。
「理樹、大丈夫か?」
 傘を差したまま、僕の顔を覗き込むようにして鈴は言った。
「うん、大丈夫」と、僕は言う。多分に強がりが入っていた。
「代わるか?」
 下手をすれば僕よりも鈴の方が力があるのかもしれなかった。でも、やっぱり僕だって男だから、こんな重いものを鈴に持たせるわけにはいかなかった。
「平気だよ」と、僕は言った。「それより、鈴こそ大丈夫? 寒くない?」
「寒い。くちゃくちゃ寒い」
 鈴は正直にそう言ってから、続けた。「でも、理樹と一緒だから、大丈夫だ」
「そうだね」と、僕は言った。「僕も、鈴が傘を差してくれてるから、大丈夫だよ」
「そうか」
「うん」
 バス停から家まで、普段なら五分ぐらい。荷物を背負っている今なら、その倍ぐらいはかかるだろうか。
 さすがに雪の日に外を出歩く人はそう多くないらしい。普段よりもずっと静かな町並みを僕たちは二人歩く。雪は音を吸収するという。そういえば、色々な店などから聞こえるはずの音楽も普段より小さいような気がした。
 世界に僕たちは二人きりだなんて、そんな大それたものではないけれど、でも、僕たちの世界がある日を境にとても小さなものになってしまったのは間違いのないことだった。それはとても悲しいことだった。とても寂しいことだった。
 それでも僕たちは生きていかなければならなかった。仲間たちが救ってくれたこの命で、僕たちは精一杯生きていかなければならなかった。彼らの想いを、精一杯受け止めなければならなかった。
 今ではこうして、二人、そこそこに楽しく、幸せに生活できている。
 僕も鈴もあまり交友関係が広いとは言えないけれど、それでも大学に通い、バイトをして、ちょっとした楽しみを拾い集めるようにして、二人、暮らし続けている。他の人よりもきっと小さな世界の中だけれど、僕らは確かに現実の中で、生きている。
「帰ったら、お風呂入れようか」
「うん。あたしも理樹も、くちゃくちゃ冷えちゃったからな」
「久しぶりに一緒に入る?」
「う」
「鈴?」
 僕は隣に視線をやる。
 予想した通り、そこには頬を赤く染めた鈴の顔がある。
「うー」鈴は僕の顔を一度見て、それから俯いて、言った。「理樹がどーしてもって言うなら、入ってやらんこともない」
「じゃあ、どうしても」
「……分かった」と、鈴は言った。「理樹はがんばってくれたからな。背中ぐらい、流してやる」
「うん、期待してるよ」
 僕は、よいしょ、と背中の荷物を一度背負いなおす。
「……理樹」
「うん?」
「ありがとう、な」
 今度は俯かずに、前を向いたまま鈴は言った。
「サンドイッチも作ってくれたし、こたつ運んでくれてるし。……はっ」鈴は驚いたように、息をのむ。「もしかして、あたし、凄くわがままなやつか?」
「あれ、今気づいたの?」
 僕は小さく笑う。
「うー」
「まあ、鈴のためならね」
「う……そ、そうか」照れたのか、やっぱり鈴は俯いてしまう。
「僕も」
 と、僕は言う。
「僕も、鈴に感謝してる」
 もしも――
 考えたくもない、もしも、だけれど。
 あの事故で鈴までいなくなってしまっていたら。僕一人が、鈴を含むリトルバスターズのみんなの力で助かっていたのだとしたら。
 きっと、僕は、こうして笑ってなんていられなかっただろう。そう思うから。
「ありがとう、鈴」
「……理樹は、ずるい」
「ずるい?」
「だって、あたしの方が絶対くちゃくちゃありがとうなのに、そんな風に言われたら、もうどうしたらいいかわけわからんくなる。理樹はずるい。ずるっ子だ」
 ずるっ子って言われてもなあ。
 相変わらずな鈴に、僕はくつくつと笑った。
「別に何もしなくていいよ。今まで通りにいてくれれば」
「うー」
 世界は決して優しくない。
 僕たちは一度にたくさんの大切なものを失って、多分、今でも僕たちはそれの大きささえ理解できていない。大切なものが収まっていた場所はとても大きくて、きっと、それがこの先埋まることもない。
 幸福と不幸を天秤に乗せれば、幸福なんて何処かに飛んでいくのだろう。それらは平等ではない。少なくとも、僕らには、絶対に。
 でも。
 それでも。
「分かった。よくわからんが、今まで通りだな?」
「うん」
「じゃあ、理樹、お前も今まで通りか?」
「そうだね。二人で、今まで通り」
「そうか。それはいいな」
「うん」
 僕たちは、これからも生きていく。
 二人一緒なら、大丈夫だから。
 ちょっとした幸せを拾い集めながら、生きていけるから。
 この、普通よりも優しくない、他人よりも小さな世界の中で。


[No.145] 2008/01/25(Fri) 22:04:40
君の手 (No.135への返信 / 1階層) - ひみつ@激遅刻

 今、ふと思い出したあの日も雪が降っていた。もう何年前のことになるんだろう。少なくとも、思い出そうとしてもすぐには思い出せない白い記憶の海にその日は浮かんで、こうして時たまにぽつりと僕の記憶に蘇る。
 リトルバスターズがまだ五人で、僕が輪の中に飛び込んだ頃のことだ。僕らは今にも雪の降り出しそうな寒空の下でかくれんぼをしていた。雪のよく降る町だったせいもあって、暇があればしていた体力をやたらに使う雪合戦や、無駄に大きな雪だるま作りに飽きてのことだった。
 いや、かくれんぼをするきっかけを作ってしまった僕自身は飽きていなかったのだから、決して飽きての結果ではなかったのかもしれない。ほとんど毎回、恭介が何かしらの新しいルールや遊び方を思い付いたから、何だかんだでやり始めてしまえば面白かったのだ。
 ただ、その日は妙に真人が「飽きちまった」とうるさくて、僕が「かくれんぼとか、普通のことすると案外面白いかもね」と言ってしまっていた。あくまでそれは真人に調子を合わせていっただけのものであり、僕にその気など全くなかった。
「いいな、それ」
 目を光らせ、僕の発言を拾い上げたのは恭介だった。
「よし。今日はかくれんぼをしよう」
「ちょっと待って恭介。言い出したのは僕だけど、面白くはないと思うよ」
「そんなの、まだやってもないんだからわからないだろ?」
「それはそうだけどさ」
 じゃあいいじゃないか、と恭介は言い、周りにも一応といった感じに確認を始めた。僕だって試しに反論してみただけであって、みんなも恭介が言い始めたら決して意見を変えないことは十分に承知していたから、「いいんじゃないか」と鈴は答え、「俺は別にかまわん」と謙吾も簡単に頷いた。
 なりゆき言い出しっぺになってしまった僕が、妙に不敵な笑顔で振り返る恭介に、引きつった笑いを返すこと以外の何ができただろう。
「今回も、何かルールはあるのか?」
 ぽつりと、謙吾が背中越しに恭介に尋ねた。嫌々と言うよりは、どうにも普通に出た質問だったようで、案外に謙吾は乗り気らしかった。
「そりゃもちろん」
 どんと右手で胸を叩いて、誇らしそうに恭介は応えた。
「ややこしいのは勘弁してくれよ。筋肉がこんがらがっちまう」
「大丈夫。ルールは簡単だ」
 な、と同意でも求めるかのように恭介は僕の方を見るが、僕には何の予想も出来なかった。恭介の思考を予想できる人なんて、この世にいはしないだろう。
「ルールは一つ。何もかもを『普通に』かくれんぼすること」
「それって、ルール?」
 つい口から疑問が飛び出た。
「俺たちの間なら十分ルールになるだろ? 毎回俺が変なルールとか作ってるからな」
 恭介自身にも、あれがおかしなものであることはわかっていたらしかった。
「ま、たまには普通に遊ぶのも、逆に刺激があっていいはずさ」
 僕、鈴、謙吾の三人には、端から恭介に反する気はなく、恭介の妙に力の入った説明に真人が納得して、かくれんぼは始まった。
 ひとまずは提案者がやるということで頷かせられて、鬼は僕がやることになった。「ないと雰囲気が出ないだろ」と、絶対にやるように言われた大きな声での三十秒の数え上げが妙に辺りに響いた。もういいかいと訊いても返事は帰ってこず、みんなの全力具合にはため息をつくしかなかった。
 空からは始めてから五分と経たないうちに、ちらちらと雪が降り始めていた。僕の頭上からは寒さのかたまりが降り注ぎ、目前ではむさ苦しさの化身がいた。今でも思うが、何でだったのだろう。どうしてかくれんぼなのに、隠れもせずに堂々と腕立て伏せだったのだろう。
「真人」
 あまりの熱心さに気は引けたけれど、名前は呼んだ。熱心すぎてその周りだけ雪がとけていた。
「へ?」
「へ、じゃないよ。へ、じゃ。何してるのさ」
「筋トレ?」
「疑問系にされても困るんだけどね……。いや、とりあえず筋トレは止めて」
 ロスタイムでもあったのか、もう十数回腕立てを繰り返してから、真人はゆっくりと立ち上がった。とても見つけたとは言えないのかもしれないが、四人中一人はこれで確保した。
「探しに来たらちゃんと隠れようと思ってたんだけどなあ」
「おとなしく隠れてようよ……かくれんぼなんだからさ」
「性に合わねえんだ。筋肉はいつだって流動してるんだぜ?」
 真人の骨格筋は一般の人たちとは完全に種類を別としているらしかった。正直、どうでもいい。
「ん、ちょっと待てよ」
 待ちたくなかったけれど、梃子でも動かなそうな真人を待ち、数十秒ほど。真人は急に顔を振り上げた。
「もしかして俺は、これから一人でぼーっとしてなきゃならないのか!?」
 真人内部での驚愕の新事実に、あっさりと僕は頷いた。
「やっぱ、ちょっと待て。今から気合い入れて隠れるから」
「もう見つけたって。あと、筋肉での取引は不可能だから」
 おもむろに上着を脱ぎ始めた真人に釘を刺し、次の目標を探そうと歩こうとした時だった。歩けない。後ろを見ると、何故か真人に肩をがっちり押さえられていた。意図の掴めない僕を横目に追い越し、真人は自分が筋トレをしていた近くにあった木に近づいた。
 割に驚いたシーンだったこともあり、衝撃は感覚が覚えている気がする。真人はゆっくりと足を振り上げ――そのまま、思いっきりその木を蹴った。凄い勢いで積もっていた雪が降り、ついでに……ついでにと言っていいのかはわからないけれど、謙吾も降ってきた。頭から。落ちる最中に一瞬、目が合ってしまった。
「……真人?」
「カブトムシはいねえなあ」
「謙吾は見つけたことになるからさ、早いとこ雪から引き抜いて二人で大人しくしててね……」
 おうよ、と元気よく応える真人の声を背に僕はその場を後にした。後で聞いた話だと、流石の謙吾も雪で辺りがよく見えなくなって、体勢を取り直す前に地面に着いてしまっていたらしい。



 残すは二人。ある意味この二人だけが最初からターゲットだったのかもしれないと、そんなことを思えるほどに、探し出す困難は予想がついた。
 ただ、その時の僕は、スタート地点から二人の雪上の足跡を辿り、『森』と僕らが呼んでいた、木々の密集していた場所へと足を踏み入れることしかできなかった。
 足元を確かめながら進んで数十歩ほどだったろう。僕の記憶はそこで一度途切れる。思えばこの日の記憶で心の底から楽しさだけがあったのは、数分前までの真人達との一時だけだったのかもしれない。
 ナルコレプシー。僕がどれだけ望んで思い出そうとしようと、彼の現れた一時は記憶の海に飲み込まれ、決して見ることのかなわない暗い海中を彷徨ってしまう。
 崩れる視界の最後は、雪に阻まれた真っ白な世界だった。倒れたはずの雪の感触は覚えていない。
 ナルコレプシーの目覚め方は、夜に寝て朝に起きる、あの感覚とほとんど変わらない。だから寝覚めはいい時もあるし、悪い時もある。この時の寝覚めはいいでも悪いでもどちらでもなく、驚きに近かったかもしれない。
 呼び声が聞こえた気がする、というのが記憶の内にはいるなら、僕の記憶はここから蘇る。段々とその声は僕の耳に鮮明に届き、大きさを増した。
 目を開けると鈴の顔が見えた。イマイチ頭がぼんやりとしていたけれど、鈴の顔を見て、すぐに自分がナルコレプシーで倒れたということを理解した。
 鈴の泣き顔を見たのはその時が初めてだった。鈴の口癖を借りれば、本当にくちゃくちゃな顔をしていた。
「鈴?」
「……理樹?」
「その、ごめん。驚かせちゃったみたいだ……よね?」
 一つだけこくりと頷いた鈴に対して、次に掛ける言葉が僕には皆目見当が付かなかった。僕の中で、鈴へのスタンスが決まっていなかったということもある。恭介と大概一緒にいるかと思えば、真人へ首が直角を描いてしまうような蹴りを入れることもあるのだ。仕方のない反応だったように思う。
「だから、寝てるだけだって言っただろ?」
 聞こえたのは恭介の声だった。鈴の肩の上に顔を覗かせ、片手を上げて僕にスマンのポーズをよこしていた。この時、僕はまだナルコレプシーのことを恭介にしか教えていなかったのだ。
「雪に俯せでぶっ倒れる奴が、『寝てるだけ』なんて、信じられるわけ、ないだろ、ばかやろー」
 今になって気になることなのだけれど、涙を拭いながらの「ばかやろー」の言葉の行き先が、果たして僕に向けられたものだったのか、恭介に向けられたものだったのか、今でもその答えはわからない。言葉と同時に僕の胸に振り下ろされた、鈴の右拳にでも訊けばわかるのだろうか。



 視界ギリギリのうんと遠くに、走っている鈴の姿が映り込んでいた。携帯を開くと待ち合わせ時間から三十分。僕は五分前に到着して記憶の海を泳いでいたのだから、合計では三十五分だ。雪だって頭や肩に積もってる。
 さっき記憶を漁っていた時に、またふと思い出したことがある。感覚に薄く蘇った心臓の鼓動が確かなら、たぶん、僕が鈴を女の子としてみたのは、くちゃくちゃの泣きっ面で、あの右手で叩かれたのが最初の時だ。
 こうなると気になるのは、鈴の右手に訊かなければならない問いのことなのだけれど、その右手をつないで歩ける今の僕なら、少しは答えに近づけるかもしれない。
 ちらりと鈴を窺うと、視線が合い、あちらもこっちを発見したらしいことがわかった。毎度毎度「男を待たせるのは女の特権」云々といった何かしらの受け売りらしい言い訳をしてくる鈴は、今日はどんな言い訳をするつもりなのだろう。
 りーきーという呼び声が遠くから聞こえて、一瞬デジャブを感じる。遠くから僕を呼んでくれるのはいつもこの声だ。ふにゃあ、と全力で走った足が雪に取られてすっ転ぶ、あの頃と変わらないお姫様を、僕は右手を伸ばして受け止めた。


[No.146] 2008/01/26(Sat) 01:47:47
感想会ログとか次回とか (No.137への返信 / 2階層) - 主催

 MVPは大谷の「キャッチボール日和」に決定しました。
 大谷さん、おめでとうございます。
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 次回のお題は「水」
 締め切りは2/8 感想会は2/9
 みなさん是非是非参加を。


[No.147] 2008/01/27(Sun) 01:02:50
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