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ある現実。 - ひみつ@初 - 2008/04/12(Sat) 14:30:58 [No.233]
私の幸せ - ひみつ@ちょいダーク - 2008/04/12(Sat) 05:43:01 [No.232]
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幸多き妄想の海にて少女はかく語りき。 - ひみつ - 2008/04/11(Fri) 21:52:10 [No.227]
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シアワセの在り方 - ひみつ - 2008/04/10(Thu) 11:56:52 [No.220]
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感想ログと次回と - 主催 - 2008/04/13(Sun) 02:33:14 [No.236]



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第7回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - 主催

 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「幸」です。

 締め切りは4月11日金曜午後10時。
 厳しく締め切るつもりはありませんが、遅刻するとMVPに選ばれにくくなるかも。詳しくは上に張った詳細を。

 感想会は4月12日土曜午後10時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.217] 2008/04/09(Wed) 22:56:46
[削除] (No.217への返信 / 1階層) -

この記事は投稿者により削除されました

[No.219] 2008/04/10(Thu) 11:49:33
シアワセの在り方 (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ

人気のないグラウンド

静まり返った中庭

ひんやりとした空気だけが漂う校舎

まるでここだけが世界から切り離されたような錯覚


「まぁ当然か。休みなんだしな」
平日ならまだしも休日の学校には、
部外者はもちろん生徒でさえよほどの用事でもない限り来たりはしない。
ましてやこの時期では尚更である。

「もうすぐここの学生でなくなるんだなぁ」
校内をぶらつきながらつぶやく。
3年間なんて月に換算すれば36ヶ月、日数にしたら1095(+1)日もある。
だがこうして過ごしてみると実にあっけなく感じてしまうのは何故なのだろうか。



しばらくぶらぶらとしていたら、いつのまにか理樹や鈴達の教室にたどり着いていた。
別段意識していなかっただけに苦笑してしまう。
「はっは、俺もまだまだ子供だったということか」
だがまぁ、今日ばかりはこんな俺でもいいだろうと思いつつ、
そろそろ歩くのも飽きたので教室に入ることにした。

・・・そういえばこの教室にドアから入るのって滅多になかったな。


とりあえず俺の席と同じ位置の席に座り、教室を見回す。
別にどうということはないが、他の場所よりも静けさが際立っているように感じた。
それは多分、ここが他の何処よりも幸せに溢れていたからだろう。

そっと目をつぶり、考え事にふける。
今ならば、この場所ならば、きっと答えが見つかると信じて・・・



                       それぞれのシアワセ



・・・理樹
お前は俺のミッションその全てを乗り越えてくれた
いつまでもそばにいなくても平気だよな?
これからはお前がみんなのリーダーとして
そして鈴を幸せにしてやってくれ

・・・鈴
お前も本当に強くなったな
もう背中に隠れなくてもいいよな?
あんまり理樹に迷惑かけないよう
二人で頑張ってくれよ

・・・真人
お前には本当に世話になったな
でもこれでお前も分かっただろ?
お前の馬鹿は世界を救うんだ
だからこれからもありのままのお前を大切にな

・・・謙吾
お前は最後まで泣き虫だったな
でもそんなとこも含めてお前のことも好きだったんだぜ?
確かに過去も大事だがそれよりも今をしっかりと見据えて
それともう少し自分に素直にな



・・・・・・俺は
俺は今幸せなのだろうか
そもそも俺の幸せとはいったい何なのだろうか

修学旅行のあの事件
本来ならば俺はあの時に死んでいた
みんなの思いの力を借りて作った世界で
やり残したこと やりたかったことを叶えようと思ったとき
俺の幸せは確かに存在していた

だがその幸せは予想を遥かに超え
俺でさえ出来ずに諦めていた場所に辿り着いた


叶ってしまった幸せは消えてしまう
ずっと叶えられないままだったならば
あの世界にずっといられたのならば
俺は幸せだったのではないのか
そんな事を思ったときもあった
無論そんなことは許されないことだ
確かにあの世界は温かく幸せに溢れていた
だが所詮は作り物にすぎない
そんなことを少しでも考えてしまったことを後悔したりもした


だったら俺の幸せとはいったい何なのだろうか
俺は・・・


『馬鹿兄貴こんなところにいたのか』


声がしたほうを向くと 教室の入り口に鈴がいた
ドアの開いた音がしなかったとこをみると どうやら閉め忘れていたらしい

『どうしてこんなところにいるんだ?おかげで探す羽目になってしまったじゃないか』





俺は今鈴と一緒に廊下を歩いている。
鈴曰く、現在食堂で理樹達が俺のためにパーティーの準備をしていて、
鈴は俺を探して連れてくるよう言われたらしい。
で、寮の部屋や3年の教室を捜したが見つからず、
通りがかった自分の教室で見つけ、今に至るというわけだ。


「なぁ鈴」
『ん?』
「今幸せか?」
『???それはどういう意味だ?』
「いや、なんとなくな」

言ってから少し後悔した。
この質問を鈴にしても、戸惑ってしまうだけだろう。
ならば何故?と自分に聞いてみれば、
・・・そう、なんとなく。
なんとなく今日の鈴が、ちょっとだけ頼りに思えたから。
でも流石に早すぎたらしい。
現にさっきから?がいくつも頭の上を飛び交っている。
俺が「何でもない」と話を切り上げようとしたとき、

『きょーすけの言う「幸せ」がどういうものかは知らんが、
あたしの「幸せ」は、振り返ったときに初めて気づくものだと思う』

意外にもまともな答えが返ってきて、正直びっくりした。

『たとえ何があったとしても今笑えるなら、きっとそれは「幸せ」なんじゃないのか?』

「・・・鈴?」

『あたしは今、理樹やこまりちゃんやクドやくるがややはるかやみおや馬鹿達と一緒にいることが、とても楽しい。
だからあたしは、今とても幸せだ』

そう言った鈴の笑顔は、これまで見たことないほどに温かいものだった。


振り返ったときに笑えるなら幸せ、鈴はそう言った。
・・・なら俺は?俺は今笑えるのか?
そんなことを考えようと思ったが、いつの間にか食堂前に着いていたらしく、
鈴は先に行ったのかその姿を消していた。

少し寂しかったが、仕方なく俺も中に入ることにした。
途端、クラッカーとみんなの笑顔が出迎えてくれた。

普段見慣れているはずのその笑顔。
そのはずなのに、いつもと違う感じ。
心の奥底から温かくなっていくような感覚。
気が付いた時には、俺もみんなに負けないくらいの笑顔になっていた。

・・・ああ、そうか。これが鈴の言っていた「幸せ」

過去に何があったかなんて些細なことだったんだ。
こいつらと一緒にこんなにも笑顔でいられる。
俺は今、とっても幸せなんだ。



ふと心の中で 何かが弾けた音が聞こえた
そうだ 幸せは「得る」ものではなくただ当たり前にそこに「ある」もの
最初から消えたり失われたりするはずがなかったんだ
ただそのことに気づくだけで こんなにも幸せになれる


だからもう 大丈夫

これから先 何があっても

たとえ越えられないくらいの壁に出合い

挫けそうな日が来たとしても

きっと 歩いていける

そこにある 「幸せ」を信じて


[No.220] 2008/04/10(Thu) 11:56:52
棗家スタイル (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ


「理樹」

突然、鈴が話しかけてきた。

「何? 鈴」
「こいつは何を言っているんだ?」

鈴が教科書の文を読みあげる。

「この文章を読み、皆さんにも人助けの精神をもっていただけると『ツラい』です」

人を陥れろってこと!!?

「ちょ、ちょっと貸して、鈴!!」

鈴から教科書を借り、読み返す。

『この文章を読み、皆さんにも人助けの精神をもっていただけると"幸い"です』

あれ? 普通だ。

「あれ、鈴。どこがおかしいの?」
「どこって、そりゃ作者が人助けする心を持つことを望んでないとこだろ。なんだ、正当なことなのか?」

ここで『うん』って答えたら鈴、信用しちゃうんだろうな。

「鈴、これ『ツラい』じゃなくて『サイワい』って読むんだよ」
「なに!? そうなのか!!?」

鈴は心底驚いたようだった。

そこへ……

「おう理樹、鈴。なにやってんだ?」

真人が来た。

「真人! これを読め!!」
「あ? なんだ急に」
「いいから読め!」
「んだよ、え〜っと? この文章を読み、皆さんにも人助けの精神をもっていただけると…え〜っと、これは謙吾に教えてもらったんだ、確かな〜」

緊張の一拍。

「そう! 『シアワい』だ!!」

微妙におしい気がするけど全然違う!!!

「真人、これ『サイワい』って読むんだけど…」
「なに!?」

驚きの表情を見せた後……。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーー!! また謙吾にだまされたーーーーーー!!!」

雄たけびをあげる。

「謙吾ーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

謙吾の名前を叫びながら教室を出て行った。

「えっと、よかったね、真人も漢字読めなくて」
「うれしくない」

確かに、嬉しくないだろう。


「じゃあ、他の人達にも聞いてみる?」
「そうだな」

僕は携帯で皆を呼び出した……。





「なに!? 鈴、こんな字も読めないのか?」

一番驚いたのは恭介だった。

「お前、俺の妹だったらこれくらいの字読めないとダメだろう」
「うっさい、バカ兄貴。じゃあお前は読めるのか?」
「もちろん」

そういって恭介は得意げに言う。

「これは『ツラい』だ」

鈴と同じ間違いをしたぁーーーーーー!!!

絶対棗家の人達全員『サイワい』を『ツラい』って読むよこれ!!!!

なんか鈴が落ち込んでる!!

「恭介、これ、『サイワい』だよ」
「なに!? そうなのか!!?」

鈴と同じ反応……。

鈴がさらに落ち込んでる!!!

「なんだ、恭介氏に鈴君。こんな字も読めないとは、まだまだだな」

横から来ヶ谷さんが言う。

「見分け方は『辛い』は『立』、『幸い』は『土』だ」
「なに!? そうなのか!!」

二人で同時に言う。

そして鈴。

「ん? ちょっとまて、『立』も『土』も両方に入るぞ?」

鈴が言う。

「…ホントじゃないか!!」

恭介が賛同。

「『辛い』には下の部分に『土』を逆さに向けたものが、『幸い』には真ん中に『立』が入っているじゃないか」

確かに入ってる!!!!

「む、漢字の上部分に『立』が『辛い』、『土』が『幸い』だ」
「わかりづらい」

え、鈴これわかりづらいの!?

「あぁ、俺もこの覚え方はまったくわからないぜ……」

恭介まで!?

「もう少し良い覚え方はないか?」
「いや、今のが多分一番覚えやすいと思うんだけど」
「もっといい覚え方があるはずだ」

そういって恭介は語りだす。


「ある日、立(りつ)君と土(つち)君がいました。

立君と土君はとても仲の良い友達でした。

ある日、立君は土君に『ひとつになろう』と提案しました。

ですが土君には実は土(ど)さんという彼女がいたのでした。

土君が立君の提案を受け入れ、土さんと別れてめでたくひとつになったのが『辛い』、

土君が立君の提案を受け入れず、土さんとひとつになろうとしたところを立君が無理やり間に割り込んできたのが『幸い』だ。

どうだ、良い考えだろう?」


なんか凄い画期的な考え方だ!!!
なのにかなり複雑だ!!!!

「わかりずらいよ恭介!!!?」
「…そうか!?」

なんか驚いている。
自信があったんだろう。

「立(りつ)×土(つち)…案外、いけるかもしれませんね…」

なんか西園さんがつぶやいてるし!!!?

「二人とも一文字ずつですし、覚えやすい漢字なので評価は高くもらえるかもしれません…」

ダメだ!! 変なスイッチ入ってる!!!!
ていうかこの会話アイドル目指すとかそういう会話じゃないからね!!!?

「それならこういうのもあるんじゃないか?」

西園さんにツッコむ前に鈴が話しだす。

「横にしたらバランスが良いのが『幸い』、悪いのが『辛い』」
「鈴、それいちいち横にしないとわからないってことじゃ……」
「もちろんだ!」

ダメじゃん!!!!
ってなんで自信あり気!?
だいたい横にするぐらいなら普通に見たほうが早いよ!?

「じゃあこいつはどうだ?」
「…どんなの?」


「あるところに、土(つち)王国と土(ど)王国がありました。

ふたつの国は友好関係にあり、国と国の境目にある谷を二本の橋で繋ぎました。

そして、それから友好関係が続いていったのが『幸い』、

友好関係は保っていたが土(ど)王国が核兵器実験をしていて、誤って土(つち)王国に核を落としてしまったほうが『辛い』だ。

これならどうだ?」


確かに友好関係続いてたら『幸い』だし誤って核落としたら土(つち)王国も土(ど)王国も『辛い』だろう。

「ってその考えなんか悲しいよ!!!」
「なに、これもダメなのか……」

なんか心底残念そうだ。

「これならどうだ!」

今度は鈴。

「180°回転させて似ていたら『幸い』、違ったら『辛い』」

確かに180°回転させても『幸い』には見えるし『辛い』は見えない。

「いちいち回転させないとわからないってことじゃ……」
「うん、そうだ」

ダメじゃん!!!
そもそもなんで向きにこだわるの!?

「もう普通に漢字の上部分が『立』なら『辛い』で『土』なら『幸い』でいいんじゃない?」
「それで覚えられたら誰も苦労しない」
「いやまぁ……」

ちょっと黙り込んで、

「それじゃあ、二人で出した案の中で覚えやすいのを選べば?」

多分、来ヶ谷さんの言うような覚え方には戻ってくることはないだろうし、
このまま討論されるとこっちまで頭が混乱しそうだ……。


「そうだな、よし。鈴、どれが良かったと思う?」
「う〜ん…。難しいな」
「皆、どれが覚えやすかった」
「う〜ん……」

皆でうなり始める。

ってなんで皆真剣に考えてるんだろう……。

「いっそのこと新しいのでこういうのはどうだ?」

来ヶ谷さんが提案を出す。


「兄が積み木をしていました。

兄はしばらくしてトイレに行きました。

兄想いの妹はその積み木の続きをしてあげようと思いました。

そして完成したは良いが勝手に完成させたことで兄に怒られて泣いたほうが『幸い』、

失敗して『こんなんできるかーーー!!』と蹴りを喰らわして積み木を壊してしまって(『辛い』の一角目相当。壊した欠片)兄に思いっきり怒られて泣いた方が『辛い』」


なんかどっちに向かっても悲しい!!!!?

しかも兄と妹って、来ヶ谷さん恭介と鈴を思い浮かべてない!!?

「それだ!!」

恭介と鈴が二人同時に言った。

「え、いいの!!!?」


結果、二人の意見が一致したため、(彼等だけの)『幸い』と『辛い』の区別の仕方が決まってしまった。


その翌日。


「理樹」

鈴が話しかけてくる。

「怒られて泣いたほうが『幸い』だったか?それとも怒られたて泣いたほうが『辛い』だったか?」

どっちも一緒じゃん!!!

「理樹」

今度は窓の方から恭介が声をかけてくる。

「怒られて泣いたほうが『幸い』だったか? それとも怒られて泣いたほうが『辛い』だったか?」

いや、同じだから!!!
ていうかやっぱり棗家はそういう種族なの!!?

「ん〜、なんかややこしいな、この覚え方」
「そうだな……」

今頃!!!?

「ッ!鈴、見ろ!」

『幸』と『辛』が書かれた字を指差す。

「漢字の上部分に『土』があると『幸い』、『立』があると『辛い』なんじゃないのか!?」
「ホントだ!」

えええええ!!!
昨日はそれで『わからない』って言ったよね!?

「大発見じゃないか、なぁ?理樹!!」
「え、いや、まぁ……」

まぁ、二人が納得したのならツッコむのは止めておこう。
ここで『昨日も出た』なんていえばきっと彼等はまた悩むだろう。
『昨日選ばなかったんだから覚えにくいんだろう、別の案を考えよう』なんてことになってまた変な案が飛び交うに違いない。

そんなことになれば、また恭介達は混乱してしまう。

それを避けるためには、なにも言わないでおくべきだ……。

「もっと簡単にすればだな……」

恭介が再び口を開く。

「上が『土』で『幸い』痛くなかった。もし上に人が『立』っていたら辛かっただろうな」
「名案だ、さすがあたしの兄だ」
「だろう?」

恭介の言葉に鈴が共感している…。

あぁ、駄目だ。
僕が何も言わなくても、恭介達はどんどん先へ進んで行ってしまう。
もちろん、間違った方向へ。

もう覚え方なんてどうでも良くなってきた。
大体、なんで漢字二つの見分け方だけでこんなに時間をかけてるんだろう。
っというかもう一番簡単な覚え方が昨日の初めに出てたのに……。

僕は恭介と鈴が次々に覚え方を出している場を後にして、ジュースを買いに行った……。





それから一週間が経って、ようやく二人は『漢字の上部分の違い』の覚え方に戻ってきた。
そのころにはもう、覚え方を使わなくても、ひと目で『幸い』と『辛い』の区別がつくようになっていた。


一週間で漢字二つ……。

小さかった頃は、もっと素直に覚えられていたはずなのに……。

高校生にもなると、余計な事を考えてしまうのだろうか。

いや、恭介達が特別なだけなんだろうな……。


きっと恭介達はこれからも、一週間に漢字を二つずつ覚えていくのだろう。

あぁ…なんか恭介達が哀れに見えてきたよ……。

でも、どんな些細な事にも真剣に取り組む姿勢は、僕は凄いと思う。

ただ、その姿勢が凄いだけで、取り組む対象はちっぽけなものなんだけど……。

きっと恭介達は、これからもそんな生き方をして行くのだろう。

それが『棗家スタイル』なのだから……。


[No.221] 2008/04/10(Thu) 19:19:51
個人の力は無力に近し (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ



「皆、今度の日曜日、釣りに行くぞ」
「また唐突に、なんで?」
「なんでってそりゃお前……海の幸だぜ?」

要するに思いつきなんだね…恭介。

「俺は面倒くさいから嫌だぜ。魚なんか誰が釣っても一緒じゃねえか」

真人が反対。

「もしかしたら筋肉もりもりの魚がつれるかも知れないぜ?」
「おっしゃ、今度の日曜だな」

転換はや!!!!
真人どんなに筋肉好きなの!?
ていうかそんな魚食べられるの!!!?

「あたしも嫌(や)じゃ」

今度は鈴が反対。

「新鮮な魚を猫達に食わせられるぞ?」
「行く」

転換はや!!!
鈴猫絡みだと即OKなんだ!!!?
ていうかいつもの魚は新鮮じゃないの!!!?

「他の皆は?」
「面白そうだ、いってやろう」
「お魚さん〜」
「釣って釣って釣りまくるのですっ!」
「俺はお前達と遊べるのならなんだって構わんぞ」
「その話ノッたーーーー!!」
「たまにはいいかも知れませんね」

どうやら全員OKのようだ。



っというわけで日曜日。
僕等は海にある魚釣り場に来ていた。

「よし、じゃあ始めるか!」

僕等は竿を持ち、釣りを始める。


数分後…。

「おし来たーーーーー!!!」

真人が叫んだ。

「でかい、でかいぜ!!! こいつはひょっとしたら例の『筋肉魚(きんにくぎょ)』かもしれないぜ!!!」

いや、ない!!! それは絶対ないから!!!!

けど、大きいのは間違いない。
竿が大きく曲がるほど引いている。

「ぅおぉぉぉぉぉ!!!! 筋肉ぅーーーーー!!!!」

その掛け声なに!!!?

「筋肉マックスパワーーーーーーー!!」

真人の筋肉が膨れ上がる。
ついでに真人の顔は赤く染まりあがる。

そして……


ザッパーーーーン!!!


海面から高く宙に上がったのは……


全長2メートルはあるかと思われる巨大魚だった。

「うわぁぁ!! 真人!! 凄い大物だよ!!!」
「おぉーーーー!! 俺ってすげぇ筋肉の持ち主なんじゃねぇか!!?」
「凄いな、真人」
「はいぱー・びっぐなのですっ!」

皆から歓声の声。

「これは何の魚なんだ?」
「マグロですね」

美魚さんが答える。

マグロってこんな魚釣り場にいるものなのだろうか……。
しかも全長2メートルもある巨大なマグロが。

まだ歓声の声があがる中、真人は……

「なんだ筋肉魚じゃないのか、じゃあいらねえな」


バッシャーーーーーン!!


真人が巨大マグロを海に返したーーーーーー!!!!

一同唖然。

「ん? どうしたんだよ皆。え、返しちゃ駄目だったのか? 」
「当たり前じゃこのボケェーーーーーー!!!!」


ガスッ!!


「ぐはっ!!」

鈴の蹴りが真人のいわゆる『弁慶の泣き所』に命中した。

真人はその場でうずくまってしまった。

真人脱落!!


「せっかくの大物だったのに」
「まぁまだ始まったばかりだ、また釣れるかもしれない。気を取り直して釣るぞ!」

気持ちの転換が早いのが恭介。

そして皆も恭介に吊られて釣りを再開した。


数分後。


グイッ


僕の竿が引いた!!

「来た!!!」

僕は叫んだ。

さっきの真人の時のまでとはいかないけどかなり大きい。

「お、重い……」
「がんばるんだ、理樹!」
「う、うん……!!」

僕は精一杯の力で引き上げようとした。


ググググ……


バキッ!!!!


「あ」

僕の竿が折れてしまった。

一同再び唖然!

「あはは、まぁ仕方ないさ」

恭介が苦笑いで言う。

「さ、気を取り直して釣るぞ」

さすがに二回も連続で大物を逃すと場の雰囲気も暗くなっていた。

でもその場の雰囲気をくつがえしたのが……


シュババババババババ……


来ヶ谷さんだった。

「来ヶ谷さん凄い!!」

来ヶ谷さんは目にも止まらぬ速さで魚を釣り上げている。

「すごいよゆいちゃん!」
「さすが姉御ですネ」
「うむ、まぁざっとこんなものだ」

場の雰囲気は一気に盛り上がった。

その雰囲気を保って僕は竿を……

しまった!!!
竿はさっき折っちゃったんだ!!!
でももう竿を借りるお金がない!!

結果的に僕も脱落してしまった。


仕方なく皆の釣りを見て回る事にした。

「来ヶ谷さん疲れない?」
「私を誰だと思っているんだ? 理樹君。」
「来ヶ谷さん」
「正解だ」

景品は出ないぞ、と来ヶ谷さんは小さく笑う。

「この調子だと今日のお昼は豪華になりそうだね」
「ふふ、まぁ楽しみにしておけ」
「うん」

そこでふと気付いたのが、バケツ。
そこまで瞬時に釣ってたら、バケツはもうバケツの意味を果たしていないだろう。
そう思い、バケツのほうに目をやる。


水が入っている……。


あれ!? バケツの役目果たしてる!!!!

そして……

水以外はなにも入っていない。

「来ヶ谷さん! 魚は?」
「釣っているぞ」
「いやそれはわかってるけど……」

僕は来ヶ谷さんの釣った魚の行方を追ってみる。


来ヶ谷さんが釣った魚……。

宙へ舞い上がる。

高く、高く舞い上がる。

僕の頭上を通り過ぎていく。

そのまま海へ……。


って足場通り越して海に戻ってるーーーーーー!!!

「く、来ヶ谷さん!!! 魚釣れてないよ!!!」
「む? なにを言っているんだ理樹君。ちゃんと釣っているぞ?」
「いや! 海に戻っちゃってるから!!」
「なに?」

来ヶ谷さんが後ろのバケツを見る。
……水だけが入っている。

「黙れこの非力フィッシングへたれ小僧」

えええ!!? 逆切れ!!!?

「い、いや、僕のせいじゃないから!!!」

ちなみに、一同唖然。
そして意気消沈。

「ほら! また皆やる気無くしちゃってるよ! 来ヶ谷さん、今度はちゃんと釣ろう!」
「あぁ、任せろ…と、言いたいところだが。」

来ヶ谷さんが座り込む。

「疲れた」
「来ヶ谷さーーーーーーん!!!!」

来ヶ谷さんも脱落……。


「ふ、俺に任せておけ」

謙吾がかなりやる気になっていた。

「お前等の仇は俺がとってやる」

そう言った後……

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


シュバッ!!


ビシャン!!!


鋭い音を立てて釣針は海の中へ。

「見えた!!!!」

何が!!? 魚が食いつくのが!!!?


ビシャーーーン!!!


釣りあがったのは……


『石』だった。


正確には釣りあがったのではなく、突き刺さったのだ。

っていうかえさは!!!?

「む、無念……」

謙吾はひざをついた。

「いやいや謙吾! その勢いで魚を突き刺したらいいじゃない!」
「そうか!!」

いや、なんか嫌だけどね……。

「よし! じゃあもう一度行くぞ!!」


シュバッ!


ビシャン!!


また鋭い音とともに海中へ。


「今だ!!!」

謙吾が言っているのはなんのタイミングなんだろう。
刺してるんなら別にタイミングいらないよね!?


バッシャーーーン!!


今度は大きい音がした。

「大きいぞ!!」

謙吾が喜びの声をあげる。


ズバーーーーーン!!!!


バシャーーーーン!!!!


バキッ!!!


謙吾が釣り上げたのは大きかった。
でもそれは大きくても『石』なわけで。

その大きな石は足場に穴を開け、海へ戻っていった。
そして振り上げたままだった謙吾の竿は折れてしまった。

「む、無念……」
「いやまぁ…」

謙吾脱落!!


主力部隊が次々と脱落する中……

「引いたよ〜!」

小毬さんの声。

のんきな声で言っているが、結構な大物のようだ。

「よ〜し、いくよぉ〜」

その掛け声と共に一気に釣り上げようと立ち上がる体勢になる。


が!!!!!


バサッ


小毬さんが立ちあがろうとした瞬間、小毬さんのそばにおいてあったお菓子袋に当たり、その袋は海へ落ちそうになる。

「わぁ!! 駄目ぇぇ!!!」

小毬さんは咄嗟にお菓子の袋を抱え込む。

そう、竿を離して。

離した竿は、当然魚に引かれ、海の中へ……。

「はわっ!!」

小毬さんが声を上げる。

そして一同唖然!!!

「うわぁぁん、ごめんなさいぃぃぃ!!」

小毬さんが泣きながら謝る。

小毬さん脱落!!


残るは、葉留佳さんと、クドと、恭介と、鈴と、西園さん。

ってあれ? 西園さんがいない?

辺りを見回すと、隅の方で傘を指して本を読んでいる西園さんを見つけた。

「西園さん、釣らないの?」
「いえ、ちゃんとそこに仕掛けは仕掛けてありますので」

っと西園さんが指を指す方向。
確かに、釣竿があった『痕跡』がある。
けど、今はない。
流されたのだろう。

「す、すみません……」
「いや、別に大丈夫…だよ、多分……」

何が大丈夫なのかわからないけど。

西園さん脱落……。


残るは四人……でもまだ一匹も釣れていない。
このままでは昼食が抜きになってしまう。
それだけは避けたい!
でも、正直不安になってきた。


「いっきますよーーーー!!!」

そんな僕の不安をよそに、クドが叫んだ。

そしてクドは大きく竿を振り上げる。


フュン!


ガッ!!


「あ、クド! 釣針が!!」


バキッ!!!


折れたーーーーーー!!!!


「わふっ!? 折れましたぁ!?」

クドが後ろに勢い良く振り上げた釣竿。
そしてえさのついた釣針が足場に引っかかった。
でもクドは気付かずに引っ張った…。
その結果折れてしまったんだ。

「わ、わふ〜、お役に立てずすみませんです〜・・・」

クド脱落!!


「やっぱりクド公は『だめだめわんこ』だね〜」
「わふ〜、すみませんです……」
「ここはこのはるちんに任せなさい!!」
「は、はいですっ!」
「いざ!」

そういってえさのついた釣針を海の中へ。

「見ておきなよクー公、魚釣りって言うのはコツがあってだね〜」
「は、はい! コツですか?」
「そそ、コツだよコツ!」

っと、葉留佳さんは身振り手振りをつけ、『バビューーーン!!』とか『ドシューーーーン!!』とか言いながらクドに説明していた。

ちなみに、魚は騒ぐとやってこない。

数分彼等を見守っていたけど、葉留佳さんの説明は終わりそうになかった。

葉留佳さん強制脱落!!


「皆だらしないなぁ」

今まで静かに釣りをしていた恭介が話しだす。

「恭介は何か釣れたの?」
「ぜんぜん」
「駄目じゃん!!」
「いや待て。これからが勝負だぜ?」

そういって取り出してきたのは……

「俺の愛用しているルアーだ」
「あれ、恭介ってルアー持ってたの?」
「あぁ、前に買ったんだ」

得意げに鼻を鳴らして、

「前はこれで錦鯉を釣った」

どこの池で釣りしてたの!!!?

「あとは出目金も釣ったんだぜ」

なんで微妙なものばっかなの!!!?

「ってことでみておけ、俺の釣り捌(さば)きを!!」

まぁ経験者だし、期待は持てるかな。

「よし来た!!」


バシャーーーン!!


「バケツ……?」

穴の開いたバケツだった。

「……いや、これはちょっとな。ちょうどバケツが欲しかったんだ」
「穴開いてるのに?」
「あぁ、穴が開いてたらドングリが探せるし、あわよくば皆には見えない猫のバスに乗れるぞ?」
「嬉しくないよ!!!」

いや、猫バスには乗りたい気もするけど……。

「まぁ落ち着けって。今のは軽い運動じゃないか。見ておけ、今度こそちゃんと釣ってやるからよ」

そういってまたルアーを海の中へ。



「お、今度は来たんじゃねぇか!?」


バシャーーーン!!


「…亀?」
「亀…だな」
「これは、当たり…なのかな」
「いや、どうだろうな…」
「魚を釣りに来たんだよね?」
「あぁ、じゃあはずれだな」

ぽいっと亀を海へ返す。

「さて、駄目だったな」
「あれ!? もう終わり!?」
「いや、だってルアーないし」

恭介のルアーは無くなっていた。

「あれ!? ルアーどうしたの!?」
「ん? いや、あの亀がな、竜宮城のお姫様が釣りをしたがってるって言ってきてな」

海の中でどうやって釣りするの!!!!?
ていうかいつ喋ったの!!!!?
それ以前にあの亀喋れたの!!!!?

「というわけで、今日は駄目だな」
「なにが『っというわけ』なのかわからないんだけど……ってまだ鈴がいるよ?」
「おっと、そうだったな」

鈴の方へ向かう。

「どうだ? 鈴、釣れたか?」

バケツには20匹ほど魚がいた。

「鈴! 凄いよ! こんなに釣ったの!?」


ちりん。


こちらを向いて鈴は頷く。

「これで今日の昼飯はありになったな!」

恭介が喜びの表情を見せる。

「いや、駄目だ」

けど鈴は否定して来た。

「どうして?」

驚いて恭介は尋ねる

「これは猫達の分だ」

あぁ、そうだった。鈴は猫達のためにここに来たんだった。

「いや、でもそれじゃあお前、俺達の昼飯はどうするんだよ」
「ぬけばいいだろう」

即答だった。

「鈴、俺達と猫達、どっちのほうが大事だ?」

恭介がそんなことを聞いた。
「猫達」

これも即答だった。

「……帰るか……」

肩を落とした恭介が暗い声で皆に告げる。



結局僕達は(鈴以外)一匹も魚を釣れないまま、帰ることになった。

もちろん、昼食はなし。

その日の夕飯、僕達は学食で『フィッシュフルコース』を注文し、釣れなかった魚を釣ったつもりで食べたのだった……。


[No.222] 2008/04/10(Thu) 23:03:31
[削除] (No.217への返信 / 1階層) -

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[No.223] 2008/04/11(Fri) 03:51:42
恭介の一問一答 (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ

 どうにもやりきれない時、あの場所に行く。それは学校の中にありながら、僕にとって、僕だけの秘密の場所のようなものだ。
 それはなんてことない普通の教室で、僕がこうして秘密の場所として使い出す前はどこか名前も知らないような文化部が使ってたらしいということだけは聞いている。校舎の最上階、それも一番端っこの方にある表示もない教室だ。まあ、学校の中にあるというだけで、僕だけの秘密の場所というには程遠いのだけれど、それはそれなりに僕以外の人間が足を踏み入れることは考えにくい場所ではあったわけだ。
 授業が終わり何をするでもない放課後に、どうにもやる気が出ない授業の合間の小休止に、窓際の机に腰掛けて、机に突っ伏したまま横目で窓の外を眺める。窓から見えるのは校庭の隅に立っている背の高い木と、空、白い雲。時折視界の端を小鳥が飛んでいく。木の葉の揺れ方で風の強さがわかる。これからのことを思ってため息をつこうと、買ってきた雑誌を読んで腹を抱えて笑おうと、何をしても何を見ても誰からも干渉されない、自分しかいない空間。

 その日、いつもの通りに教室に行くと、そこには先客がいた。男子生徒。よりによって、僕のお気に入りの窓際の席に座って漫画雑誌なんぞ読んでいやがる。おかしそうに、時折肩を小刻みに揺らして。よくよく考えてみれば自分だって何の断りもなく使っていたのだが、そんなことはお構いなしにちょっとムッとした気持ちになり、勢いのままに教室のドアをがらっと開く。
 扉の音に顔を上げた男子生徒を見た僕は「あっ」と、思わず小さな声を上げてしまう。見知った顔、いや、正確には、僕が彼の顔を一方的に知っていたと言うべきだろう。
 彼の名前は棗恭介。この学校に在籍している人間で校長の顔は知らない奴はいても、棗恭介の顔を知らない奴はいない。この春三年に上がる、学園指定名物お祭り男だ。
 当の本人は初対面だというのに、僕を一瞥して「よう」と、まるで十年来の友に会ったように笑った。その笑みにすっかり毒気を抜かれた僕は、ふらふらと吸い寄せられるようにすぐ隣の席に座ってしまう。
「悪い。邪魔してるな」
「は、はい」
「ちょっとワケありで教室にいられなかったから来てみたんだが、いやいや、どうしてどうして、いい場所じゃないか」
 漫画雑誌を手に、本当は屋上に行けたらいいんだけどなー、などとのたまう棗恭介。屋上は確か年中鍵がかかっていて入れなくなってるんだとどこかで聞いたような覚えがある。なるほど、そう言われてみれば、だ。ここは学校内では屋上に次いで空に近い場所だと言えるかもしれない。
「よし、田中。今度から俺にもこの場所使わせてくれよ。見た感じ誰も来ないみたいだし、サボタージュにはもってこいだ」
「ええ、構わないですけど」
「よっしゃ、次は田中の分の雑誌も調達してきてやるからな」
 次の瞬間、棗恭介はもう視線を漫画雑誌に戻している。眺めているだけでこっちまで楽しくなってくるような笑み。
「……あれ?」
「んー?」
 何かが変だ。おかしい。
 僕以外誰も来ることがなかった教室に学園の人気者がいて、漫画を読んで笑い転げている。そこまではいい。そんなこともあるかもしれない。そんな台詞で片付けられる程度の珍事だ。
 だが、今目の前にいる学園きっての変人が、ご丁寧に僕の名前を知っているのはなぜだ? 僕と棗恭介が口を聞くのは誓って今日が初めてで、この学園における僕の知名度など、棗恭介に比べたらミジンコのようなものなのだ。それに、僕がよくここに来ていることを知っているような彼の口ぶり。この場所のことは、けして多いとは言えない友人にすら話したことはない。ましてその他ならば尚更だ。
「棗さん、ちょっと聞いていいですか」
「おう、なんでも聞いてくれ」
「どうして僕の名前、知ってるんですか?」
 ふむ、と少し考え込む動作をして俯く棗恭介。その端正な横顔にサングラスをかけて、ダークのスーツを着せてBGMを鳴らせばもうそれで立派なスパイの出来上がりだ。煙草を持たせて煙でも燻らせるのも悪くない。
 棗恭介はちらっとこっちを見ると、意味ありげに笑ってこう言った。
「職員室にある生徒名簿で見たのさ」
「めちゃくちゃ普通じゃないですか」
「はぁ? どんなのを想像してたんだよ」
「そりゃあれですよ! ショーンコネリーで007にミッションインポッシブルな感じですよ!」
 自分で言っててわけがわからなかった。軽く混乱している。なぜか乱れた呼吸を落ち着ける。このわけのわからない状況に、脳が焼き付けを起こしたみたいだ。
「まあ、ショーンコネリーはともかくだ、それは結構いいな」
「何がですか?」
「その、ミッションインポッシブルってやつ」
 そして棗先輩は、はっはっと笑った。本当に子供のように。
「ミッションとは等しくインポッシブルであるべきなのさ。だがそれは不可能って意味じゃない。誰もやったことがないことだから、可能か不可能かなんてそもそもわからないんだ。前代未聞とか、前人未踏とか、聞いててすごくワクワクしてこないか? そういうものを、俺は等しくミッションと呼ぶ」
 僕はわけもわからずに「はぁ、そうですねぇ」と相槌を打った。その反応が棗恭介のお気に召さなかったようで、そこからたっぷり一時間、スリルだの、冒険だの、燃えだの萌えだの、その他諸々についての講義を延々と拝聴する羽目になった。もう黙って漫画読めよ、とその間に十三回は思った。結局僕が彼のお勧めの蔵書(もちろん漫画だ)を七泊八日でレンタルすることになり、その日はお開きとなった。帰る所は同じなくせに、僕らは別々に教室を出た。空はすっかり茜色に染まり、運動部の掛け声が遠くに聞こえていた。
 小さな疑問など、もうどこかに飛んでしまっていた。





「田中は誰か好きな奴とかいないのか」
「なんですか急に」
「いや、なんとなく」
 教室に男が二人、ひっそりと恋バナなんて、考えただけでも背筋が凍る。いくらこの空間に慣れたからと言って、越えられない一線はあるのだ。恭介さんはそんなことお構いなしに、楽しそうに窓の外を指差す。
「ほら、見てみろよ。あの子なんかどうだよ。あれ、あの髪の長いツインテールの」
「ソフトの笹瀬川さんじゃないですか」
「なんだ、知り合いか?」
「いえ。全然」
 そんな他愛もない話をしながらも恭介さんの指は猛スピードで携帯を操作している。何をしてるのかはわからない。どこかにメールしてるのか、はたまたゲームでもしてるのか。恭介さんの行動を僕ら凡人の脳みそで量ろうとすること自体がそもそも無駄な行為なのだと最近ようやくわかり始めたところだ。
 恭介さんは大体週に一、二回の割合でこの教室に顔を見せる。僕だってそんなに暇じゃないので、いつもかもここにいるとは限らない。そう考えると、週に一、二回とはいえ結構な確率でバッティングしているような気がする。
 そんなこんなの全く自然な流れで、僕は彼のことを恭介さんと呼ぶようになった。漫画の貸し借りもかなりのハイペースで進んだ。だが、不思議なもので、この教室以外で僕らが会話するようなことはなかった。僕らの関係はこの教室の中でだけのこと。そんな暗黙の了解が形成されつつあった。まぁ、恭介さんの仲間同士で行われる喧嘩の武器調達(?)に呼び出されることはたまにあるんだけど。
「そういえば恭介さん、それ。何してるんですか?」
 恭介さんは「これか?」右手の携帯をくいっと持ち上げる。
「ふっふっふっ、知りたければここにアクセスしてみろ」
 ポケットから小さな紙を投げてよこす。見ると、それはQRコードとかいう奴だった。確か携帯のカメラで読み込むと良かったんだっけ。恭介さんのことだからきっとろくでもないことなのだろうと、おっかなびっくり読み込んでみる。
「…………」
「どうだ? 面白いだろう」
 恭介さんは言葉を失っている僕を見て満足そうに踏ん反り返る。
「一体なんなんですかこれは」
「見てわからないか? 結構でっかく『棗恭介の一問一答』って書いてあると思うんだが……そうか、これじゃ小さすぎるか。帰ったらもっと文字でっかくしといてやるよ」
「いや、そんなことしなくても十分見えますから。十分でっかいですから」
「そうかぁ?」
「僕が言いたいのは、いきなりこんなコーナー設立して、一体恭介さんは何がしたいんだよってことですよ」
「どれも等しくミッションさ!」
「いやいやいや! そんなわざとらしく歯光らせてスマイルったって騙されませんから! 騙されませんから!」
「ちぇ、理樹はこれでころっと騙されてくれたのになぁ。そのおかげで、たまに更新手伝ったりしてくれんだぜ? 田中、お前スレすぎだぞ」
 誰のせいだ、誰の。ていうか理樹って、あの直枝理樹か。あんなに純真そうな奴と並べられたら誰だって多少はスレて見えるんじゃないか。不公平だ。
「何がしたいか、かー。んな大層な理由があるわけじゃないんだがなあ」
「僕だってそんな大層な想像はしてませんて」
「つまんない奴だなぁ、田中は。夢はもっとでっかく持とうぜ」
 別に大きな夢を持っているわけではないが、この話題に夢関係ねぇよと思う奴はきっと僕だけじゃないはずだ。
「んー、まあ単純にだ。この学校にいる連中の質問に答えてみようかと思ってな」
「と、言いますと?」
「考えてもみろよ。俺は見ての通り三年だ。留年でもしなけりゃこの学校にいられるのは今年限りだろ」
「まぁ、そうですね」
「それなのに、だ。俺はこの学校にいる生徒大多数と親密な交流を持てずにいるわけだ。このままじゃ俺は同じ学校で学んだそいつらと何の関わりも持たずに卒業することになる。そういうのって、結構寂しいことだとは思わないか」
「まあ確かに……でもそれって普通のことじゃないですか。三年間っていう制限時間があるのに、すれちがった全員と友達になんてなれっこないですよ」
 言いながら、それは僕だって同じことだと思った。恭介さんが偶然この教室に来ようと思い、これまた偶然僕もその日にこの教室に来たという二重の偶然があったからこそ、僕とこの変人の交流が生まれたのだ。彼と何の関わりもないその他大勢の一人の僕は、三年の卒業に際して何の感慨も持たなかったに違いない。きっかけ。あの、些細なきっかけがなかったなら。
 恭介さんはそんな僕の思考を読み切ったように「そこで、これさ」おもむろに携帯のディスプレイを突き付けてくる。
「これなら手軽に誰でもコンタクトが取れるし、俺も気軽にレスポンス出来る。技術の進歩は有効に使わないとな」
「携帯持ってない人だって結構いますけど」
「それはおいといてだ」
 あ、額に冷や汗。
「ともかく! やらないよりはやったほうが面白いじゃないか! ほら見てみろよ。もう百はメッセージが届いてるんだぜ! どうだ!」
「いや、どうだ!と言われましても」
 確かにすごいことはすごいけど、一般の人々に言わせれば「だから何?」の一言で済まされてしまうような気がしないでもない。世間ってやつは、何の役にも立たない非生産的なことを嫌うものだと思うし。大抵の人間は常識とか、良識なんかに縛られながら生きている。そういう様々なしがらみから自由になりたくて、僕は誰もいないこの場所に来るようになったのかもしれないとも思う。
「……ん? どうしたよ田中」
「別に」
 非生産性の権化のような男が、よりにもよってこの教室で、こんな僕の目の前で小首を傾げている。人生わからないものだ、と思った。
「そうだ、田中も何か投稿してくれよ。何か俺に聞きたいこと、ネタでも何でもいいからさ」
 恭介さんに聞きたいこと、か。たくさんあるような気もするし、何もないような気もする。まぁ――
「また今度何か考えてみますよ。今色々やることあるから」
 そういうと、恭介さんは残念なような、納得したような、後が楽しみなような、何とも言えない複雑な表情をした。

「まぁ、修学旅行終わった後――ですね」





 そして、僕は今日もこうしてこの教室にいる。窓からは衰えることを知らない初夏の日差しが降り注ぐ。時折吹く風に白いカーテンが舞い上がり、僕は相も変わらず一人だ。
「――――」
 机に足を舟漕ぎをすると椅子の金属がきしんできぃきぃと嫌な音を立てる。何度も、飽きるまで何度も繰り返し、視線はいつだって扉の方に向かっている。その扉を開ける誰かを、僕はずっと待ち続けている。

 凄惨な事故だった。修学旅行中のバスが転落、そして炎上。死傷者は数知れず、楽しいはずの修学旅行は一瞬の内に血に染まった。幸い、というかなんというか、事故にあったバスとは別のバスに乗っていた僕は、休憩のために入ったサービスエリアでその一報を受けた。当然、修学旅行は中断、事なきを得た残りの生徒たちはすぐさま寮に帰された。学園は一時休校状態となり、寮に暮らす生徒も何人かは実家に帰っていった。
 ただ呆然としていた僕の耳に、事故を起こしたバスの中に三年の棗恭介が乗っていたという信じられない事実が飛び込んできたのは事故が起こってから一週間後のことだ。バスが炎上する直前にその場を離れることが出来た直枝理樹と、棗恭介の妹である棗鈴の証言が得られたためだ。確かに棗恭介はそのバスに乗っていた、と。二年の修学旅行の朝に姿を消しそのまま行方不
明になっていた矢先、誰よりも彼の近くにいたあの二人の証言だ。あの事故の犠牲者、身元不明の死体の山の中に、彼の身体が積まれているということはほぼ確定的になった。そんな知ら
せを、僕は休校中に暇をもてあました級友の口から聞いた。

 休校中も実家には帰らなかった僕は、足しげくこの教室に通った。事故以前よりも確実にその回数は増えていた。休校が解け、学園全体があの事故を忘れようとしていた時も同じだ。授業が終われば毎日この教室に来て、日が暮れるまでの時間を潰す。漫画を読んだり、ゲームをしたり、机の上に突っ伏したり。
 誰かを待っているのかもしれない。あの扉を開ける、来るはずのない誰かを。
 僕には彼が死んだなんて、とても信じられなかった。あんな、殺しても死なないような人間が、バスの事故なんかでくたばるわけはない。口に出すことはなかったが、無神経な級友が彼のことを話題にするたび、心の中でそう叫んでいた。
 そうさ、恭介さんが、死ぬはずなんかない。あんな事故なんかで。そう、あんな誰かも分からないような奴の証言一つで死んだことにされるなんて、不条理じゃないか。まったく、不条理じゃないか――
 だけど、本当はわかっていた。正しいのは周りの人々の方なんだって。恭介さんは、本当に死んだんだって。わかっていたけど認めたくなかった。認めたくないから、僕は何度もここに来て、来るはずのない恭介さんを待ち続けた。無駄なことだとはわかっていた。まったくの非生産性の極みだ。誰の役にも立たない、何を生み出すこともない、繰り返す日々の浪費だ。

『そうだ、田中も何か投稿してくれよ。何か俺に聞きたいこと、ネタでも何でもいいからさ』

 あの日恭介さんは確かにそう言った。僕は『修学旅行が終わってから』と答えた。
 僕は結果的に恭介さんに嘘をついた形になった。実を言うと、修学旅行に行く前にもう投稿は済ませてしまっていた。
 修学旅行に行く前日のことだ。兼ねてから恭介さんに聞きたかったことを書いてメールにした。他はふざけた内容の質問ばかりだったので、空気読めない奴みたいになりそうな気がしたが、そんなのでも恭介さんなら上手くさばいてくれるに違いないと、構わず送った。修学旅行から帰ってきた時にその答えを読むつもりだった。メールを送ってからサイトに掲載されるまでのタイムラグを計算すると、大体そのくらいが妥当なように思えた。そして、短すぎた修学旅行の後、その答えはもう二度と手に入れることは出来なくなってしまった。
 僕はあの時質問を出したことを後悔さえしていた。答えが返って来ないのなら、最初から質問など出したりはしなかった。サイトを覗いたのは恭介さんに教えてもらった時と、投稿した時の二回きりだ。もういない恭介さんの言葉を読むことに、僕はきっと耐えられないと思った。
 眠ってしまおう。僕はまた腕の中に顔をうずめる。恭介さんがいた時と同じように、グラウンドからは金属バットがソフトボールを叩く音がしている。

 携帯が震えた。

 僕は気だるくメールを開く。知らないメアドからのメール。少し苛つきながらメールを開く。書かれていたのは短い一文。

『田中さんへ。更新しました。見てください』

 咄嗟にあのサイトのことが頭に浮かんだ。メールにはそれ以外何も書かれていない。誰が送ってきたのかもわからない。でも、まさか。もしかして。震える手で、履歴に残されたURLを選択する。
 そこにあったのは、あるはずのない114番目の質問。



  いつでも脳天気に悩みのない毎日を過ごしておられる棗先輩に質問です。
  棗先輩のように毎日を楽しく、幸せな気持ちで過ごすにはどうしたらいいのですか?

                                               HN:田中



 僕は窓を開け放ち、叫んだ。

「ああああぁぁぁあぁぁああぁぁ――――――――――――――――っっ!!!!」

 肺活量の限界まで行く。
 グラウンドにいる連中が何事かとこちらを振り向く。

「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁあぁああぁ――――――――――――――――っっ!!!! あああああああああぁぁぁぁぁぁ――――――――――――――――っっ!! ぁぁぁぁああああぁぁあぁぁ―――――――っっ!!!」

 空は青く、夏の雲が風に流れていた。
 叫びは遠くまで届いたようでもあり、雫になって階下に零れたようでもあった。どちらにしても僕の内から溢れたものであることに違いはなかった。
 数分と持たず僕の喉は枯れ、後には空だけが残された。ここから見えるのは校庭の隅に立っている背の高い木、時折小鳥が視界を横切っていく。木の葉の揺れ方で風の強さがわかる。これからのことを思ってため息をつこうと、買ってきた雑誌を読んで腹を抱えて笑おうと、何をしても何を見ても誰からも干渉されない、自分しかいない空間だった。
 先生が数人、こっちの校舎に走ってくるのが見える。とりあえず、捕まる前に逃げなくちゃいけない。この場所を離れなくちゃいけない。しばらくこの場所は使えなくなるかもしれない。それでも構わないと思った。僕はこれからもしばらくはこの場所に居続けるだろうけど、扉の向こうにいる現れない誰かを待ち続ける必要はもうないような気がした。これが彼の言葉である保証はどこにもないけれど、僕がそう感じたのだからそれでいいのだと思う。理屈を考えるのは、現実的な連中に任せておけばいい。嘘ならば嘘でもいい。僕がそう思えたものが真実なのだから。
 だが、これを僕に見せた人間の名前だけは分かる。
 とりあえず、僕はそいつに会って、礼の代わりにこの教室のことを教えてやらなくちゃいけない。恭介さんと過ごしたような時間を過ごせるようになるかもしれないと、僕の心は久しぶりに躍る。そういうものをミッションと呼ぶのだと、僕に教えてくれた彼のお気に入りの場所にしばしの別れを告げて、僕は教室の扉を開いた。









  恭介からの返答

 まず言おう。
 田中……お前はぶっちゃけ鬱入っている。
 だからまたお前が元気にポポペプ語をぶちまけられるようになるために、一つ棗家に伝わる秘伝の方法を伝授しよう。本当だ。嘘だと思ったら我が妹に確認してみるといい。まぁ、あいつはシャイだから、素直に肯定はしないと思うがな。

 まず、部屋の窓を開く。
 息を腹に思い切り吸い込んだら準備完了だ。
 声の限りに思い切り叫べ。
 手加減するなよ。手加減したらこの方法は失敗だ。第一工程からもう一度やりなおすこと。窓閉めなおしってことだな。
 叫び始めたら、もう振り返るな。何も考えずにただただ叫び続けろ。
 喉が枯れてまともにしゃべれなくなったらOK。お前はもう脳天気なことしか考えられない、どこに出しても恥ずかしくない脳天気人間になっているはずだ。
 ちなみに俺も何回かやったことがあるが、「なんで俺こんなことしてんだろ……」と、やってる最中は逆に鬱入ったりもしたが、終われば必ず爽快な気分になる。おそらく声を出している最中の羞恥心とか、呼吸困難な感じから解放された感じが重要なんだろうな。

 まぁ、色々あるかもしれんが、頑張れよな、田中。


[No.224] 2008/04/11(Fri) 03:53:14
幸福論 (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ

『幸福論』





 見事に盛り上がりに欠けた入学式は、淡々とスケージュールを消化していき、そのまま山場も無く終了した。大学といってもやることは今までと大して変わらないようで、安心したというか失望したというか。僕は席を立った。出口に向かいながら、早速ネクタイを緩める。息苦しい。この短い時間でこれだ。将来が少し不安になった。
 ふう、と息を吐く。式場の外はサークルの勧誘で一杯だった。それはもう。これは帰るのも一苦労だな、とそう思い落ち着くまでこの場に居ることにした。
 運良く空いていた傍のベンチに腰を落とす。行き交う人々を見て、とりあえず四年間よろしくと心の中で告げた。皆、笑顔で返してくれた、気がした。
 誰も知らない。そんな街で僕は大学生になった。逃げるように勉強をした。必死というのは、つまり、あの時の僕を指すのだろう。そのおかげで随分ランクの高い大学に入学することが出来た。ある種の強さを手に入れたんだ。未だに根強い学力社会の中を生き抜くためには必要なことだから。
 グッと両手を伸ばしストレッチをする。だるいだけの式で疲労感は一杯なのだ。順番に身体をほぐしていく。肩、肘、手首。
 ごちゃごちゃと動いていると、隣からの視線を感じた。鬱陶しかったんだろうか? そっとここから離れようと思い腰を上げた。
「ねえ」
 ふと、掛けられたその声に懐かしさを感じた。
 振り返ることに心が抵抗した。それでも身体は本能に従うように、反対に向き直る。そうした先で見た姿は、やはり心が拒否しただけはあるなと感じさせる人物だった。
 神様の悪戯、にしてはこの人選はどうかと思う。少し笑ってしまった。
「やっぱり」
 はあ、とため息を吐かれた。気の強そうなその目は健在だ。真っ黒なパンツスーツに身を包んでいて、パッと見では分からなかっただろうに。化粧も少しだけどしているみたいだ。大人っぽくてびっくりした。
「なんでいるのよ」
 ため息混じりにそんなことを言われた。
 それはこっちの台詞だ、と思ったけど、口には出せず「なんでだろうねぇ」と目を逸らしながら言うのが精一杯だった。
「まあいいわ。あなたもこの大学だったのね」
 頑なに無表情で淡々と喋る彼女は、少し大人っぽくなっていても、やっぱり二木佳奈多なのだろう。
「まあ」
「ふーん」
 じろじろと値踏みするように僕の身体を頭からつま先まで一通り見てくる。少し恥ずかしい。
「な、なに?」
「ああ。思ってたよりも悪くないわね」
 何がだ。
「あぁ、頭じゃなくてその格好よ」
 それはそれで失礼じゃないかな。
「褒めてるのよ。素直に受け取りなさい」
「……ありがとう」
「それでいいのよ」
 ふっ、息を漏らす。その仕草は学生時代に見せたそれとなんら変わらないものだった。
 服装だけで違う印象を受けたが、中身は相変わらずのようだ。皮肉ったらしい彼女の言い草に安心感を覚えてしまった僕は決してマゾヒストという訳ではない。久しぶりに知り合いに会った時、変わらないなぁって感じたら誰でも郷愁の念を抱くはずだ。つまり、そういうことだね、うん。決してマゾヒストという訳ではない。本当に。
「ああそうだ」
 僕が自分に言い訳をしていると「あなたの飼い猫は元気?」と思い出しように問いかけてきた。
「鈴のこと?」
「そうね」
「うん。元気だよ」
「そう、それはよかった」
「うん。まあ」
 ふと思い浮かぶのは家でごろごろしている鈴。きっと今もごろごろしているだろう。フカーとか、うにゃーだとか、うがーなんて叫びながら。微笑ましいというか何と言うか。
「元気すぎて困ってるぐらいなんだけど」
「ふふふ。何となく想像できるところが、あなたらしいわね」
 クスクスと笑う。初めてかもしれない、と思う。彼女の笑顔を見たのは。
 僕は馬鹿みたいに口を開けてその顔を見ていた。
「ん? どうしたの?」
「いや、二木さんも笑うんだなって……」
「はあ?」
 高校時代、彼女は風紀委員だった。だからだろうか。厳格でいようとしていたのか、彼女の笑顔を僕は見たことが無かった。笑えない人だと思っていた。
「なるほどね。あなたが私のことをどういう風に見ていたかは分かった」
「えーと、いやいや」
「まあ、そう思われても仕様が無かったんだろうけど」
 そう言って、彼女は視線をこちらに移した。二人で喋っていたのに今までお互いに目すら合わせていなかったことに今更気づく。見つめる彼女の目は、まるで僕自身じゃなくて、僕の中に何かを探してるような、そんな目だった。
「そろそろお昼ね」
「そうだね」
 さてと、と彼女が立ち上がる。
 久しぶりに会ったというのに淡白だ。それが、らしい、と言えば彼女らしい。
 そんなことを考えていると、くるりと彼女が振り返った。
「早く帰ってあげなさい。待ってるんでしょ?」
 何を言っているのか分からなかった。少し考えて、鈴のことを言っていると理解した。
「うん。早く行かないと怒られそうだ」
 ニヘラと笑う僕。呆れたような表情で見る彼女。相変わらずな関係。変わらないこと。それがひどく切なかった。
 じゃあ、と僕。
 じゃあ、と彼女。踵を返す。長い髪が、僕の前を横切る。ふわりとシャンプーのいい匂いがした。
 彼女の後姿が人ごみに消えるまで、僕はそれを眺めた。彼女の姿が見えなくなった後も僕はベンチに縛り付けられたように動かなかった。余韻に浸っていたかったんだ。久しぶりにあの頃を知っている人に会えたことが嬉しかった。
 周りに誰も居なくなって、やっと僕は立ち上がった。
 家に帰った後、鈴に容赦無く引っ掻かれた。





***





「直枝理樹」
「人違いです」
 まあ、彼女と入学式で会った時から薄々そんな予感はしていた。僕も彼女も文系の専攻で、彼女が文系学部で選ぶとすればこの学部しかないだろう。
「あなたも法学部だったなんて、意外ね」
「そうかな?」
 自然に僕の横に着席し、荷物を机の上に置く。バッグではなくクリアケースというところが彼女らしい。透けて見える中身は、筆記用具とノートだけ。不必要なものは一切持ち歩かない主義なんだろう。たぶん。そういう僕も、今日は大して荷物を持ってきていない。まだ授業は始まっていないからだけど。今日はカリキュラムの説明を学部ごとにするだけで、明日から授業が始まるそうな。実際、授業が始まったところで、この荷物が増えるかどうかは疑問だけど。
「二木さんは似合ってるよ」
「ありがとう」
 皮肉のつもりで言った言葉は軽く受け流された。
 それから僕たちは特に話すこともなかったので黙っていた。別段、無言が続くからといって気まずいと言うこともなかった。彼女と話をしていることのほうが事態としては異常だったんじゃないかと思うくらい、この沈黙は自然なものに思えた。
 と、説明員らしき人が講義室に入ってきた。周りの喧騒もシンと静まる。教壇に立ち、とつとつと説明を始める。
 隣の存在が気になり、ちらりと横目で覗き見すると、彼女は説明を聞く素振りも無く、つまらなそうな顔で窓の外を見ていた。つられて僕も外を見ると、特に変わらない、見ていてもおもしろくもない日常風景が広がっていた。
 というわけで、説明の内容は何も聞いていなかった。覚えていることは、最後に配られた冊子に今日話したことが全部書いてある、ということだけだった。それなら最初にこれ配ってくれたらよかったのにね、と僕が言ったら、彼女は、日本人は無駄に美徳を感じるのよ、とそれらしいことを言って帰っていった。
 僕は無気力感に苛まれながら家路に着いた。
 家に帰ると鈴は寝ていた。そっと、布団を掛けた。





***





 学校では基本的に二木さんと一緒に居た。
 特に話をする訳ではない。一緒に居て面白い訳でもない。ただ、たまたま顔見知りがお互いにしかいなかったことで、そういう関係になっていった。
 朝、最初の講義を一緒に受け、その次の講義も一緒に受け、学食で一緒に食事をとり、図書室で隣同士で本を読んだ。その間交わした会話は、挨拶とノートの貸し借り(主に僕が借りるだけ)についてだけだった。
 僕は、この関係を不思議に思いながらも、嫌という感情は浮かんでこなかった。どちらかといえば、心地よいとさえ思えるほどだった。
 そんな風に時は過ぎていく。満開だった桜は、緑色に芽吹き、長袖だった服装は半袖になり、昼間は汗が出るほどの。
 季節は夏になっていた。





***





 僕は学校を休んだ。
 天気予報を見ると今日は晴れだそうだ。降水確率0パーセント。この梅雨時に大胆な数字である。
 簡単に身支度を整える。日差しが強いということで、帽子を被った。タオルも2枚バックに詰め込む。ペットボトルを2本取り出し、そこに昨晩作り置いていたお茶を入れる。まあ、腐らないでしょう。こういう小さな節約が下宿生活では重要なのだ。
 鈴はまだ寝ていた。しょうがないので叩き起こすと、フカーッと引っ掻かれた。ねむい。いやいや。そして、二度寝を始めた。もう一度身体を揺すると、しょうがないなぁという風に欠伸をしながらも朝ごはんを食べた。
 家を出て、最初に僕を歓迎してくれたのは半端無い紫外線を撒き散らす日光だった。目を細め、空を仰ぐ。半端無かった。
 駅までは歩くことにした。バスが少ないこともあるが、こういう小さな節約が下宿生活では重要なのだ。暑さに弱い鈴はへたれていた。しょうがないなぁ。駅まで背負っていくことにした。
 駅に着いて切符を2枚買う。それをそのまま通し、ホームへと向かう。平日ど真ん中ということもあり、田舎へと向かう電車を待つ人々はまばらだった。これなら確実に座れそうだ。五月蝿いサイレントともに電車が到着した。僕らはそれに乗り込み、席を確保するや否や、眠りに落ちた。
 目を覚ますと丁度良く目的地の駅だった。慌てて立ち上がる。鈴も起こそうとするが、全くといっていいほど起きる気配が無い。しょうがなく担いで、滑り込みセーフとばかりに駆け込み降車を決めた。
 ホームに降り立ち、最初に深呼吸をする。荒くなっている息を整えるために。懐かしい匂いがした。
 鈴も目を覚ましたようで、自分の足で地面に立つ。ふぁ、と欠伸をひとつ。
 改札を抜け、駅前の花屋に寄った。予約をしておいた花がある。墓参りにどういった花がいいか分からなかったので、僕はイメージだけで菊を頼んでいた。それを受け取り、僕らはバスに乗った。また、席に着くとすぐに眠りに落ちた。でも、今回は安心だ。行き先は終点だから。





***
 




 バスを降りる。
 快適に冷房が掛かっていた車内に比べ、外は猛暑と言っても過言ではない暑さだった。帽子を被ってきて良かったと一安心。バッグからタオルを出し首に掛ける。おっさん臭いな。うるさいよ。
 この墓地にいるのはリトルバスターズのメンバー全員ではない。それぞれの家でお墓を持っているのだ。当然、違う霊園もある訳で。順番に回る上で、最初になるべく遠くのお墓から行こうと決めた。
 三枝葉留佳。
 最初は、彼女のお墓の場所すら分からなかった。何故だか、理由は分からない。担任に必死で懇願した結果、担任も必死で保護者の方に聞いてくれたようで、やっとその場所は分かった。
 墓標に刻まれた、『三枝葉留佳』の文字。ここには家族ではなく、彼女一人で眠っていることを示していた。そういえば、僕は葉留佳さんの家庭の事情とかを何一つ知らない。ただ学校で会って、一緒に遊んで、馬鹿みたいに笑っていただけだった。
 ふと、違和感を覚える。墓標が濡れている?
 だが、梅雨だといっても今日は雲ひとつ無い晴天である。昨日、雨が降っていたとは言え、乾いていないはずがない。まあ、ご家族の人が来ていたのかもしれない。なんせ、今日は彼女の、彼女達の命日なのだから。
 濡れた形跡を見ると、まだ近くにいるような。いや、それどころかついさっきまで居たのだろう。周囲を見渡す。人影は無い。
 お線香は上げていないようで、まるで僕の姿を見て逃げたような。そんな気がした。気のせいだろ。そうかな?
 一輪、花を供える。先ほど、売店で買ったお線香に火を点ける。白い煙が空へとゆらゆら舞い上がる。
 僕は目を閉じて手を合わせた。瞼の裏では、楽しかったあの頃が再生されていた。笑顔、笑い声、拗ねた顔。周りを驚かしたり、悪戯には定評のある葉留佳さん。僕は思わず笑ってしまった。楽しかったんだ。やっぱり、あの頃は、本当に、楽しかった。
 もう戻れない。
「うっうっ」
 そう思うと、涙が止まらなかった。一人目でこれでは先が思いやられる。でも、思う存分泣こうと思った。今日だけはいいよね。後は、笑って過ごすから。僕は笑って生きるから。皆が笑えなかった分、全部全部、僕が笑ってあげるから。
 ジャリ。
 後ろから音がした。涙も拭かずに、僕は後ろを振り向いた。
 そこには、最近では馴染みの顔になった彼女が立っていた。
「情けない顔」
 そう言って、彼女はハンカチを差し出した。僕はそれを受け取らず、肩に掛けたタオルで涙を拭いた。
 鈴がフカーッと彼女を威嚇する。僕はそれをドウドウと宥める。
「私のこと嫌いなのかしら?」
「いや、人見知りしてるだけどだよ」
「どちらにしても少しショックね……」
 はあ、とため息。その仕草は余りにも彼女に似つかわしすぎる。少しだけ、現実に引き戻された。そんな気分になった。
 だからだろうか。僕は不躾過ぎる質問を彼女に投げかけた。
「なんで?」
「何が?」
「なんで二木さんがここにいるの?」
 僕の質問に、彼女は答えない。ただ、僕の後ろの墓標を見つめていた。見たくないけど、見ないといけない。そんな目で。
 僕たちは、こんなところで会ってもいつものように沈黙している。蝉の声だけが五月蝿く響く。
 そっと彼女が屈んだ。そして、手を合わせる。僕ももう一度手を合わせて、目を閉じた。
「クイズ」
「え?」
「つまらないクイズを出してもいい?」
「どうぞ」
 目を開けずに僕は返事をした。
「私には妹がいた」
 初耳だった。
「その妹は私を憎んでいた。だから、私も憎まれる対象でいようとした」
「……」
「その内に妹は死んだ」
「……」
「さて、私達は幸せだったでしょうか?」
 どう答えればいいんだろうか。僕には分からない。だから、僕はヒントを貰おうと思った。
「その関係は辛かった?」
「そうね」
「二木さんは、その妹のことが嫌いだった?」
「嫌いじゃなかった」
「好きだった?」
「……好きだったわ」
「じゃあ、幸せだよ」
 僕は彼女の方に笑顔を向けてそう答えた。二木さんは粟を食ったような顔をしていた。
 そして、「そんなことあなたに分かる訳無いでしょ」と怒っていた。じゃあ、そんなクイズを出すなと思う。思うだけで口には出さないけど。
 彼女がため息を吐く。最近、聞きなれたその声。「帰るわ」と一言呟いた。その後、小さく「ありがとう」という声が聞こえた、気がした。
「ああ、そうだ」
「なに?」
「クイズ」
 まだあるのか。
 それよりも、今度の民法のノートを貸してください、と僕は言いたかった。
「あなたは今幸せ?」
 即答出来なかった。
 彼女は、じゃあ、と去っていった。去り際に、民法のノートは今度学校で貸してあげるわ、と一言付け加えてくれた。
「ありがとう!」
 僕の声に、手をひらひらするだけで答えた。
 僕は考える。彼女のクイズ。僕は、今、幸せだろうか?
 答えが分からず、僕は土に眠る葉留佳さんに聞いてみた。返事は無かった。あるはず無いよ。
「ねえ、鈴」
 隣に座る鈴に、僕は問いかけた。
「僕は今幸せ?」
 未だ眠そうな顔でいる鈴は、首を傾けた後、欠伸交じりに答えた。
「ふにゃー」
 それ以上の返事なんてあるはず無いのに。僕は太陽が真上に昇るまで、その場に立ち尽くしていた。
 答えが欲しくて待っていた。


[No.225] 2008/04/11(Fri) 21:05:59
ただ「生きる」ということ (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ@容量越えのため厳しくお願いします

 強さってなんだろう?
 そんな疑問を昔、抱いたことがあった。それを思う時、決まって僕の頭の中にはあの人の顔が浮かんでくる。棗恭介きっと僕にとっての強さの象徴は恭介だったんだろう。でも、その恭介はもういない。だから僕は、あの世界で託された手を決して離さないと誓った。その手を──鈴を、守ろうと誓った。笑わせようと誓った。皆のことを決して忘れないと誓った。そう、たしかに誓ったんだ──。




「直枝、おい、直枝っ!」
「は、はい!」
 僕は、突然聞こえてきた怒鳴り声に椅子から転がり落ちそうになった。バクバクと少しだけうるさい胸に手を当てながら声のほうに振り向くと、そこには呆れ顔でたっている先輩の折原さんがいた。
「どうした。居眠りでもしてたか?」
「いえ、そういうわけじゃないです」
 椅子座りなおしながら曖昧な笑みを浮かべて答える。そんな僕の様子に折原さん「ふーん」もらすと隣のデスクに腰掛けた。それを横目でちらりと眺めた後、目の前にあるディスプレイへと視線を移す。
「直枝がうちに来て、もう……半年ぐらい経つか?」
「そうですね。ちょうどそれぐらいだと思います」
「早いよなー。時間が経つの」
 その声と同時に隣からギィという椅子の軋む音が聞こえてきた。そちらをちらりと見てみると、折原さんが椅子に盛大に凭れかかっていた。
「たしかに早いですよね」
「初め、おまえ、使い物になるのかどうか不安だったけど、いや、頼りになる後輩になってくれて俺はうれしいね」
「あ、ありがとうございますっ」
 僕は、その言葉を聞いて頬が熱くなっていくのを感じた。折原さんにはおそらく入社以来、多大な迷惑を掛けて来た。僕は昔からわずらっているナルコレプシーのせいで折原さんには、多分相当な苦労をかけただろう。嫌な思いをすることだってあっただろうに、それでも何も言わず僕をここまで育ててくれたことに深く感謝していた。そんな折原さんに認められているということが、素直に嬉しかった。
「おう、俺にもっと感謝しろ。……ああ、そういや奥さんは元気か?」
「はい? ええ、元気ですよ。どうしたんですか?」 
「いや、うちのカミさんがな。また会いたいってよ」
 その言葉を聞いて、以前見た折原さんの奥さんのことを思い出す。柔らかそうな笑顔をした優しそうな人だった。
「そうなんですか?」
「ああ、どうもおまえの奥さんのこと気に入ったらしい。まぁ、あいつ一人っ子だから、妹みたいに思ってるんだろう」
「……妹」
 その単語を聞いて、僕の脳裏に恭介の顔が浮かぶ。
「大学卒業して、すぐ結婚したんだよな」
「はい、そうです」
「新婚真っ只中だな。大事にしろよ。奥さんのこと」
 折原さんは言いながら僕の肩に腕を回して髪をガシガシと撫で回す。その顔は、ニヤニヤと笑っている。もういい歳なのに(本人の前では口には出さないが)折原さんは、こういう子供っぽい所があって、いつでも隙あらば僕をこうしてからかって来る。僕は折原さんに抵抗しながら、心の中で強く頷いた。だってそれが──鈴を幸せにすることが僕の生きる意味なのだから。
 大学を卒業して、すぐ鈴と籍を入れて二人で暮らし始めた。その毎日は充実していると言っていいと思う。鈴と鈴の拾ってきた猫に囲まれてすごす日々は、僕に力をくれる。だから、誰に言われるまでもなく僕はその暮らしを守ろうと思った。仕事をこなしてクタクタの体で、鈴の待つ家に戻る。そこには鈴の笑顔がある。それは僕にとって掛け替えの無いものだったから。だから、守るためなら、どんなことでもすると決めた。でも。
 でも、時々怖くなることがある。振り返ることを許さない多忙と充実の毎日は、僕の記憶をすり減らしていく。僕の中であの時の記憶が、ドンドン朧気になっていく。それが堪らなく嫌で怖かった。
 でも、その思いすら僕は忘れていく。その気持ちすら忘れて、僕は前を向いて生きていく。
 






 それから月日は滞りなく流れていっていた。僕は、今の生活に何の疑問も持っておらず、ずっとこんな生活が続いていけばいいのに、と本気で思っていた。頼りになる先輩。やりがいのある職場。それから……まだちょっと照れるけど……可愛い奥さん。もし世界が大きな歯車で僕たちが小さな歯車だとしたら、僕の毎日は世界とうまく噛み合っているように思えた。順風満帆。だから僕は、あの時の気持ちすら忘れていることにも気づいていなかった。
 そんなある日、いつものように会社に出社してきたあくびをかみ殺しながらドアを開けた。
「おはようございます」
 その挨拶を聞いて、既に会社に来ていた人たちがまばらに挨拶を返してくれる。僕は、それにもう一度挨拶し直しながら自分のデスクへと向かう。ふと、その途中折原さんの姿が見えた。その隣には、折原さんより少しだけ年上に見える男性が並んで話をしていた。よくよく目を凝らしてみると、その男性はこの事業部のリーダーを任されている人だった。僕は、そちらへ歩いていくと二人に挨拶をする。
「おはようございます。折原さん、リーダー」
「ん? ああ、直枝か。おはようさん」
「直枝君、おはよう」
「……どうかしたんですか?」
 二人は、挨拶をすると僕から視線を外して前方にあるホワイトボードを渋い顔で見つめた。僕の声を聞いたリーダーが困ったような顔になって「うん、ちょっとね」と言ってくる。そのリーダーの言葉を聞いて、隣にいた折原さんが盛大なため息を吐いた。
「あのな。この前漸く、納品が済んだ仕事覚えてるか?」
「あ、はい」
 この納品が済んだ仕事といえば、かなり大掛かりなプロジェクトだったはずだ。たしか終わった時には皆で喜びあったので覚えてる。
「それがな。どうも先方で不具合が見つかったらしい」
「え? それじゃぁ」
「ああ、手直しせにゃならん。しかも納期も明日の夜までときてる。最悪だ」
「……あの、僕に何か出来ることありませんかっ」
 気がつけば僕は、折原さんにそう尋ねていた。まだ入社して半年の僕に出来ることなんて高がしれているけど、なんとか会社の役に立ちたかった。きっと僕は早く一人前になりたかったのだ。早く一人前になって、大人になって、鈴を幸せにしたかった。
「いいのか。そんなこといって。正直、かなりの強行軍だぞ。最悪明日の夜まで家に帰れないかもしれないぞ」
 折原さんは、意地悪そうな顔になって僕にそんな脅しをかけてくる。そんな折原さんを見すえながら「かまいません」と答えた。そうかまわない。キツイのも、辛いのも承知の上だ。僕は強くならなければならないのだ。鈴を守れるぐらい。そう誓ったのだから。その僕の意気込みが伝わったのか、折原さんはふぅっと短く息を吐き出すとポンと僕の肩に手を置いた。
「よし、んじゃ頼んだぞっ!」
「はいっ」
 それからの時間は、折原さんの言葉通り地獄だった。休憩を取る時間もなければご飯を食べる暇すらない。部署全体にカリカリとした雰囲気が漂い、皆愚痴をいいたそうにしながらも、結局その時間すら惜しいとディスプレイを睨みつける。それは僕だって例外じゃなくて、出来ることがあればどんなことでもやり目の回るような忙しさだった。だから、それに気づいたのは深夜と言っても差し支えない時間帯になってからだった。
 作業がとりあえずの一区切りを迎えた夜23時。皆で出前を頼んでいる時、僕は何気なしにデスクに置いていた携帯電話を手に取った。そして、液晶画面に浮かんだ着信20件という数にギョッとした。慌てて携帯を操作して着信履歴を見てみると、全て同じ発信者──鈴から掛かってきていた。その時、ふいに携帯が震え始めた。液晶画面には鈴の文字。多少、驚きながら通話ボタンを押すと、電話口から怒り心頭といった怒鳴り声が聞こえてきた。
『はよでろやぼけーーーーーーーーーーーーーー!!!』
 そのこちらの鼓膜を破りかねない声量に、僕は思わず携帯を耳から離す。その間も、鈴の怒鳴り声が聞こえてきている。そこで漸く鈴に遅くなると連絡することを忘れていたことに気づいた僕は、頭を抱えたくなった。
「り、鈴、その……ごめん。謝るから落ち着いて、うん、このままだと耳キーンで話せないから」
『うるさいっ! そんなことはいいから早く帰って来いっ!』
「む、無理だよっ! あのね。ちょっと今納期が明日までの仕事してて今日は帰れそうにないんだ。伝えるのが遅くなってごめんっ」
 ああ、我ながら凄く言い訳臭い。こんなんで鈴が許してくれるわけないな、なんて思いながら携帯越しに聞こえてくるであろう怒鳴り声に、体を硬くして身構えた。けど、怒鳴り声はいつまで経っても聞こえてくることはなかった。その変わりに受話器は鈴の息が震える音を伝えていた。
『──いやだ』
 少しの沈黙の後、鈴のそんな言葉が聞こえてきた。僕はその言葉に、ぐっと胸を掴まれたような気がした。その声色は、まるで──昔に戻ってしまったかのように、どうしようもなく弱かった。
「鈴?」
『いやだ! 理樹、頼む。お願いだ。もう我侭だって言わない。理樹の言うことなら、これからなんだって聞く。だからお願いだ。帰ってきてくれ。だって今日は──』
 その後に続いた言葉を聞いて、僕は頭をハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。


 ──だって今日はアイツらの命日じゃないか──


 僕らは前を向いて生きていくと決めた。強く生きていくと決めた。僕は、普段皆の話をあまり口にしない。だからこそ、皆の命日には昔のことを一杯話そう、感情の赴くままに笑い涙しようと決めていた。それは別に話し合って決めた訳ではないけど、僕の鈴の中で暗黙の了解として取り決めされていた。それなのに……ああ、なんで忘れてしまっていたのだろう。忘れないと誓ったはずなのに。今からでも遅くない。まだ日付が変わるまで少しだけど、時間はある。けど……。
「直枝、なんか怒鳴り声が聞こえてたような気がしたが……どうした?」
 いつの間にか隣に来ていた折原さんが、心配そうな表情で僕のことを見ていた。僕はその折原さんを見つめた後、その背後に視線を送る。そこには出前を待ちながらも仕事を続ける職場の皆の姿があった。一区切りをしたと言っても、未だ残っている仕事は山盛りで、皆一様に疲れた表情をしている。僕は、皆のそんな様子を見て、ぐっと奥歯をかみ締めた。ギリっという嫌な音が頭の奥で響く。
「鈴、ごめん」
『!? なんでだ! 今日ぐらいいいじゃないか!? 理樹、おまえはもう皆のことがどうでもいいと思ってるのか!?』
「そんなわけない。そんなわけないけど……でも──仕方ないじゃないか」
 今まで電話というのは、とても便利なものだと思っていた。でも、その時になってはじめて知った。相手の表情が見えない。それ故に、取り返しの付かない言葉さえ平気で口から出てしまうものなのだと。受話器越しに、鈴が息を呑む音が聞こえてくる。次いで必死に嗚咽をかみ殺している声が漏れてきて、僕の鼓膜を打つ。それを聞きながら自分のバカさ加減を呪った。仕方ないなんて、言ってはいけないことだったのに。
『……理樹』
 鈴はポツリとか細い声で僕の名を呼ぶ。その声はどうしようもなく弱くて、まるで迷子の言葉のようだった。そんな鈴に何か言おうとするけど、どれもただの弁明臭くて喉に引っかかり、声にはならなかった。
『……理樹、お願いだ。皆を殺さないで』
 その言葉と共に着信は終了した。僕は、鈴の声が聞こえなくなってからも呆然と携帯を耳に当て続けていた。やがて、もう鈴の声を拾うことはないことに気づくと携帯をデスクの上に投げ出す。
 ああ、僕は何がしたかったんだっけ。
 考えが纏まらない。
 鈴が泣いていた。
 なら傍に言ってあげないと。
 思考が散り散りになる。
 なのに、なんで僕はここに残っているんだっけ?
 ああ、そうだ。仕事だ。仕事をしないと。
 漸く、そんな結論を導き出すと僕はディスプレイへと視線を向けようとした。けど突然、肩を掴まれ体を横へ向けられた。そこには折原さんが見たこともないような真剣な顔をして僕のことを見ていた。
「直枝、どうした? 何があった?」
「なんでも……ありません」
「なんでもないことないだろ。さっきの怒鳴り声、鈴ちゃんだろ?」
 鈴。その言葉を聞いて、頭がズキリと痛む。
「なんでもないです。仕事しないと。強く……強くならないと。そう誓ったんだから」
 まるで熱病に浮かされているように、そんなことを口走っていた。でも、こんなのが僕の求めた強さなんだろうか。ねぇ、教えてよ。ねぇ、恭介──。その時、ふいに頭上でゴンっという音がした後、鈍い痛みが走った。突然の痛みに驚いて辺りを見渡すと、隣にいる折原さんが手をヒラヒラと振っていた。
「直枝、おまえ意外と石頭なんだな」
「お、折原さん、何するんですか!?」
 頭を押さえながら声を上げたけど、折原さんは動じるでもなく一度、深くため息をついた。
「あのよ、直枝。おまえさっき強くならないと、とか言ってたけど、なんだそりゃ?」
「え? それはだって……僕はまだまだ未熟だし、早く仕事を覚えて大人になって、強くならないと」
「纏まってねぇな。よし、んじゃ俺がきっちり纏めてやるよ。なぁ、直枝、なんで強くならなきゃいけない?」
「え?」
 その質問に僕はギクリとした。思えば、そんなこと考えたこともなかった。ただ、強く、強くならないと僕はそれだけしか考えていなかった。
「俺も偉そうなこと言えるほど、大した奴じゃないけどよ。強くならなきゃいけない理由。それはさ、大切な人を守るため。その人と笑い合うため。つまり、幸せになるために皆強くなろうとするんだと、俺は思ってる」
 折原さんは、僕を射抜くように見つめながら訥々と言葉を吐き出す。そう、そんなことはわかってる。僕は繫いだ手を離さないよう強くなろうとしたんだ。でも、それなら今の状況は、全然、まったくなってない。それなら──。
「……なんだ。納得言ってないって顔だな?」
「……それなら皆を置いて一人だけ帰るのが、大人だって、強さだって言うんですか?」
「おまえ、アホだろ?」
 僕の言葉を聞いて折原さんは、そういいながらまたため息を吐いた。
「なんのために皆がいると思ってんだ? 半人前の癖に調子にのってんじゃねぇよ。相談しろよ。頼れよ。俺らに! どうしようもないことなら、おまえの穴ぐらい塞いでやる。たしかに俺らは会社ありきではある。ダチではねぇよ。それでもな。一緒に仕事をしている以上、同志ではあるんじゃないか」
 そこまで一気に言い切ると折原さんは、僕の頭に手を置いて乱暴に撫で回した。
「それでも納得できないってなら、先輩命令だ。さっさと奥さんのケツを追っかけにいってこい」
 折原さんはそう言いながら、ドアを指差した。その顔は、子供のように笑っている。何故だろう。その時の折原さんが、全然似てないのに恭介とダブって仕方なかった。僕はギュッと拳を固く硬く握る。それから勢いよく立ち上がると、折原さんに深く礼をした。
「すみません。お先に失礼しますっ!」
「おう、とっとといけ!」
 その言葉を背に受けながら僕は走り出した。







 僕は、走っていた。会社から飛び出して、こっち走り通しで体は重く、息は苦しい。それでも僕は、走るのをやめなかった。僕は、走りながら手に持ったものを見る。それは写真だった。夕焼けの川原でリトルバスターズの皆が写っている写真だった。会社を出て、アパートに帰りつくと、そこに鈴の姿はなかった。ライトがついたままのリビングの机に、この写真が置いてあった。それを見つけた時、僕は胸が詰まった。それを振り切るように写真を掴むと、僕はアパートから駆け出した。その時のことを思い出して、また胸が苦しくなる。唇が震えて呼吸が乱れ、足が止まりそうになる。
【止まるな。そんな暇があるなら足を動かせ!】
 ふいにそんな声が聞こえた気がした。その声に「わかってる」と答えながら足に力を込める。鈴の居場所なんて考えるまでもなかった。今はもう敷地内に入れるかどうかさえわからないけど、それでもきっと鈴はその場所にいる。あの皆の思い出が集まる場所に。

 
 やがてその場所についた僕は、荒い息を吐きながら手を膝についた。そのまま視線だけで前を見てみると、そこには当たり前のように鈴の背中があった。鈴は、普段よりも空が近いその場所──学校の屋上で、夜空に浮かんだ空を見つめていた。本当だったら、ここで鈴の名前を呼びながら後ろから抱きしめられればいいのかもしれないけど、残念ながら息が上がって言葉さえ喋れなかった。こんなことなら真人の持っていたアブシリーズで鍛えておけばよかった。そう思った同時に真人の顔が浮かんできた。その表情は、不適にニヤリと笑っている。僕は、心の中で「わかってるよ」と返しながら、震える足を引きずって鈴へと近づいていく。
「理樹か?」
 その僕の気配に気づいたのか。鈴は空を見つめたまま、話しかけてきた。僕はそんな鈴に、どう話しかけようかと頭の中で言葉を色々と並べてみる。けど、どれも言い訳臭くって結局、僕はシンプルに行くことに決めた。
「鈴……ごめん」
 荒く呼吸を吐き出しながら、それだけの言葉を搾り出す。少しの間、鈴は何も答えずただ空を見ていた。耳に自分の呼吸の音だけが、うるさく響く。
「考えた」
「え?」
「あたし、あんまり頭は良くないが、くちゃくちゃ考えた」
 鈴は、尚も振り向かず離し続ける。僕は、鈴に近づきながら相槌を打つ。
「うん、何を?」
「色々だ。初めは帰って来れない理樹にムカついて、ここまで走ってきた」
「うん、ごめん」
「走ってきて、ここで星を見ながら考えた。そしたらこまりちゃんとここで話したことを思い出した。なぁ、理樹」
「うん?」
「皆のことを、ずっと思い続けて生きる。それは無理なことだと思うか?」
 その問いかけに進んでいた足が止まる。その僕の気配に気づいたのだろうか。鈴は、振り向いて僕のことを見つめた。その瞳は、どこまでも澄んでいる。その瞳を見るのが辛くて、目を逸らしそうになる。けど、すんでの所で思いとどまることが出来た。その目を見つめたまま僕は、止まってしまった歩みを再び動かす。
「そう……だね。それは理想だと思う。でも僕らは前に進まなくちゃならない。でも、進めば進むほど色々なことに精一杯になっていって、後ろを振り返ることを忘れてしまう。変わりたくないと思っていることでも、いつかは変わってしまう。僕らは生きてるんだから」
 言葉を吐き出す胸が痛む。ギシギシと世界とかみ合って回る小さな歯車の僕は、大きな歯車の流れには抗えない。当然だと念じてきたものは、いつしか実行することが困難な理想に成り果てる。形に残らない記憶という思い出は、いつしか色あせていく。
「そうか」
 気がつけば僕と鈴の間にある距離は、ほとんど開いてなくて手を伸ばせば簡単に触れることが出来た。鈴は、僕の瞳を見つめたまま一歩、僕のほうへと近づいてくる。
「理想でいいじゃないか。理想にして思い出していけば、それが何かいけないことなのか?」
「いけなくはない。いけなくはないけど、僕は強くならないと。強くなって鈴を幸せにしないと。そう誓ったんだ……恭介と」
「……そうか。うん、ならいい。なら、おまえは忘れろ。おまえの理想は、あたしが貰ってやる。そんでいつでも思い出させてやる。今日みたいに怒って思い出させてやる。だから……」
 鈴の手が僕の頬に触れる。ひんやりとした感触が頬に広がっていく。けど、すぐにそのひんやりは暖かなものに変わっていった。目の前には、強い輝きを宿した二つの瞳。
「だから──泣くな、理樹」
「……うん」
 その言葉を聞いて自分の頬に涙が伝っていることに、初めて気がついた。
 怖かった。鈴を失うことが。皆のことを忘れていくことが。それに疑問を持たなくなっていく自分が。ただ、怖くて悲しかった。忘れることで恭介達を、僕自身が殺してしまうことが許せなかった。当たり前だと誓ったことが当たり前じゃなくなっていることが堪らなく嫌だったんだ。僕は、目の前にある鈴の体を抱きしめる。心地よい柔らかさと温もりが体にじんわりと広がっていく。それはまるであの学園生活での日々に似ている気がした。
「ごめん。あの頃と、まったく変われてないね。僕は弱いまんまだ」
「違うぞ、理樹。あたしはそれは違うと思う。恭介達があたし達に望んだのは、その……言うのは少し恥ずかしいが、二人で一つの強さなんじゃないか?」
 鈴は、僕に抱きしめられたまま体をモジモジと揺すると、そう言った。きっとその顔は、少し赤く染まっているのだろう。そんな鈴が、とても可笑しくて僕は思わず噴出してしまった。耳元で「わ、笑うなぼけー」という言葉が聞こえてくる。それに僕は、声を押し殺して笑う。
 ああ、きっとそうだ。鈴の言うとおりだ。僕は、一人ではとても弱い。でも隣には鈴がいる。僕の理想を貰ってくれると言った。なら大丈夫だ。もう忘れてしまうことに恐れる必要はない。忘れてしまった時は、鈴が思い出させてくれる。この先、僕の中で皆の記憶がどんなに朧気になってしまっても、そんなこともあったと鈴と一緒に笑いあうことができるだろう。古臭くて手垢に塗れた言葉だけど、皆は僕らの中で生き続けるだろう。
「ねぇ、鈴」
「ん? なんだ」
「今度の休みに恭介達のお墓参り行こうか」
「うん、いいぞ。行こう」
 僕らはお互いの体温を感じながら、そんなことを約束し合う。
 強さってなんだろう?
 ずっと昔、そんな疑問を持ったことがあった。
 ねぇ、恭介。
 強さって、やっぱりまだ良くわからないけど、でも僕らは忙しない流れの中で理想を語り合いながら、ただ強さを目指していくよ。そうしたら、またどこかで会えるかな?
 会えるよね、きっと。その時には聞いてほしいんだ。僕らが成し遂げたミッションを。ただ「生きる」というミッションを。これからも僕らは喧嘩もするだろう。時には全部、投げ出してしまいたくなる時もくるかもしれない。でも、そのミッションは必ず成功させる。

だって僕らはリトルバスターズなんだから。


[No.226] 2008/04/11(Fri) 21:48:46
幸多き妄想の海にて少女はかく語りき。 (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ

 幸多き妄想の海にて少女はかく語りき。
 ―ある一般行為において百聞は一見に勝らぬ事を体感した私の記録―







 これはある澄み渡った夕暮れ時の出来事を、家政婦が如く垣間見、聞き耳立ててしまった私の記録でございます。徒然のままに書き込むべきである雑記帳を切り離し、こうしてみょうちくりんな勢いを持って記すのも、偏に私の持ち合わせる精神力が脆弱に過ぎ、とても平素のままに書いては文章が地で暴れふためく大根ミミズのようになってしまうと危惧したからなのです。とはいえ、人伝に知った最終的事実として、当時の私のか弱き心情の荒波は、私が妄想幻想を目を瞑ったままにいきおい走り抜けてしまったせいに他ならないらしいのですが。
 私が彼らを「偶然」にもこの眼に納めてしまったように、この文章をもしや誰かが目にとめててしまうのも、大変酷く困りはしますが世の必定というものでしょう。
 うっかり目にとめてしまわれた、貴方。
 願わくは自己想像以上に心打たれ弱くも、流血沙汰まで納豆よろしく粘り続けた私に声援を。そして彼らには、目を瞑る私の言葉に惑わされることなく正しき見解を。 



   ○



 ぱたりと、私が携帯していた文庫本を閉じた時でありました。暑苦しいまでの太陽の熱視線を受け、長くマウンドに伸びる影二つ。姿をはっきりと見ることは出来ませんでしたが、私がマネージャーを務めている野球チーム「リトルバスターズ」において、マウンドで練習をしているのは鈴さん以外に思いあたりはありません。そうなれば、もう一つの影はバッテリーとして共に練習を繰り返す直枝さんと私が決定づけるに問題は全くなかったのです。
 二人はなにやら話し込んでいる様子で、鈴さんが耳に手を当てたり頭を忙しげに振り回すのが覗えました。しばらく反復して行っていたようですが、直枝さんが何事かを提案したようで、二人はぽつりぽつり歩いてグラウンドを横切り、部室の中へと吸い込まれてゆきました。
 思案した私が辿り着いたのは、鈴さんが何処かお体の調子が芳しくないのではという想像でした。そうであるならば、このチームのマネージャーである私が行動を見せるのはあまりに当然であり、鈴さんが心地よく練習する手助けをすることもやぶさかではございません。
 そこで私は、ひょいひょいと二人の後について部室に向かったのです。
 しかし、のらりと歩いて着いた部室の扉を前にして私の手は虚空に澱み、その扉を開くことが出来ずにいました。無論、手足同じく思考も絶賛停止中。嘆かわしき我が弱き心。
 即効性の麻痺毒でも注入したかのように私の全てを止めたのは、室内から零れてきたか細い、私にとってはしかし雷鳴が如く轟々とした破壊力を持った、鈴さんの切ない声だったのです。
「あっ――いたっ……。り、理樹、いきなりそんな奥までいれちゃ、だ、だめだろぉ……」



   ○



 えっと、こんにちは。あれ、こういう時って挨拶するものなのかな?
 まぁ、いいか。
 ともかく、目玉が飛び出てしまいそうな驚きを伴うとんでもない何かの本のページを「このエロエロ少年め」という一言と共に渡されてしまったので、物語の途中のようだけれど少ないスペースに無理矢理でも割り込みさせてもらうことにします。
 正しき事実をこの文章に。


 あの時、太陽光線のど真ん中に立っていた鈴が不思議そうに首をかしげ、マウンドの上から僕を手招きして呼びました。耳に手を当てたり、僕の目の前で耳から頭の中の何かを振り出すように髪を振り回したりします。
「どうしたの?」
「理樹。少し離れてあたしのことを呼んでみてくれ」
 返答としては五十点がつくことすらかなわないであろう意味不明な言葉に従い、僕は少し離れて鈴を呼んでみました。改めて名を呼ぶのはどうにも恥ずかしいなんて思っている僕をよそに、不可解といった様子でやはり鈴は首をかしげます。
「どうしたの?」
 再度、僕は鈴に同じ言葉を訊ねてみました。
「何か、耳の調子が悪くてよく聞こえてない気がするんだ」



   ○



 私は、自分の耳の調子がどうかしてしまったのではないかという不安に襲われました。幻聴を聞き届けるなど、この年端、若さにおいてあってはいけませんし、ましてその相手が友人ともなれば尚更のことです。
 深呼吸を一つ二つ、三つ四つ五つ。何とかして荒ぶる心拍を宥めようとする私でしたが、その努力全てが無に帰す追撃が入ったのはすぐのことでした。
「り、りき。こら。ただでさえ恥ずかしいんだから、そんなに見るな」
「無茶言わないでよ。……万が一、傷つけちゃったらどうするのさ」
 私の深呼吸二回分の理性が吹っ飛んだ気が致しました。
「――あっ。理樹、そこ、そんなに押しつけられると痛い」
「ちょ、ちょっと待って。……動かないで。も、もう少しだから」
 な、何が「もう少し」だというのでしょう! 深呼吸三、四回分の理性も為す術もなく散りゆきます。
「うん。後はこれでいいかな」
「あ、それ気持ちいいな……」
「しっかり濡らしたから痛くもないでしょ?」
「ああ。最初からそれでやればよかったのに、全く、理樹は」
「これだけじゃ、する意味あんまりないからね」
 純情咲き誇る乙女である私には、壁一つ向こうの桃色を考えれば、とてもそのドアを開くことなどできません。一体、直枝さんは何を用いたというのでしょうか。しかもたっぷりと濡らしたようでもあります。しかしそれだけでは「する」意味がない……。その用いたものの方が「気持ちいい」といわれてしまった直枝さんへ、かける言葉は私には到底見つかりません。
 ――こうして、深呼吸五回分の私の理性は見事、雲散霧消と相成ってしまったのです。



   ○



 再びこんにちは。物語を断ち切ってまた僕が割り込ませて頂きます。何だか読者諸賢の方々の怒りを向けられているような気がして恐怖を感じますが、この誤解道中を走る皆様を正しき道に僕は誘わなければなりません。
 もちろん、僕と鈴の名誉のために。


「耳のせいで、理樹の声とか聞こえ難い気がする」と不満を満面に押し出した鈴に、僕はとある提案をし――これこそが誤解の根本です――僕たちは部室へと向かいました。
 なければ諦める。そしておそらくはないだろう、と思っていた必要な道具が意外にもあっさり見つかり、僕は不思議を感じずにはいられませんでした。現状、こんな妙な事態に発展しているくらいですから、この時きっと運命の神様とやらが酷く退屈だったのやもしれません。
 多くの方々が耳の調子が悪い時、耳の病気か何かであると考えるよりも先に、まず耳掃除を実行しようと思うのではないでしょうか。僕が鈴に提案したのもまさにそれでした。探していたのは耳掻きだけでしたが、誰かしらの用意周到なおかげで綿棒と耳用ローションまでもを発見することに成功しました。
「何でこんなのあるんだろ……」
「まあ、ないよりいいだろ?」
 気楽な口調で鈴が言い、そういわれればそうだと僕も思わざるを得ません。
 そして「じゃあ、理樹、頼む」と鈴が言ったところで、僕ら二人は漸くその行為の気恥ずかしさを覚えました。
 ――膝枕?
 十中八九、二人揃ってこの言葉が頭をよぎったように思います。しかしここまで来て断念するわけにもいきません。僕は余計なことで頭が膨らみ過ぎた風船のようになるのを阻止するため直ぐさま床に正座し、鈴はおずおずを十回重ねた程の緩慢な動きで僕の太ももに頭を乗せました。
「だ、誰かに見られたら恥ずかしすぎるぞ」と鈴は言いました。「理樹、出来る限り早くだ」
「う、うん」
 鈴に急かされるがまま僕は耳掻きを手に取り、鈴の耳掃除に取りかかりました。僕には耳掻きをされた記憶はあっても、耳掻きをしたことなんて一度たりともありません。そのくせ急かされるままあたふたし、鈴の体温が太ももの上になんていう幸福の権化のような情景にテンパっていたこともあり、僕の耳掻き捌きは粗悪に過ぎたようで、「あっ――いたっ……。り、理樹、いきなりそんな奥までいれちゃ、だ、だめだろぉ……」と鈴が文句をたれるのも仕方のないことだったのです。



   ○



 仕方がないもへったくれもなく、私の理性の小舟は荒れる心の海に転覆寸前、ライフポイントというものが存在しうるならばほとほとゼロ、舵捌きなど今更しても意味がないという趣でありました。けれど、私の置かれた瀕死の状況をお二人がわかるはずもありません。この後五分としない内に、私は物語の舞台から消え去ります。
 それでは、私を七転八倒させ退場に追いやった、記憶の断片に残る最後の言葉たちを。
「理樹が早かったおかげでまだ時間あるな」
「そうだね。鈴、そんなに溜まってなかったし」
「よし。じゃあ、ほら」
「え、鈴。もう一回するの?」
「今度はあたしじゃなくて理樹がされる番だ」
「いや、僕は遠慮しとくよ」
「あたしがしてやるって言ってるんだから、素直に喜べばいいじゃないか。理樹だってきっと溜まっているだろ?」
 残念ながら私の記憶にある会話はここまでです。なぜなら私は倒れてしまったらしいのです。
 私に残された最後の情報をまとめると、直枝さんのプレイスタイルは早さを武器とする速攻の体術であり(誰でも体術なのだとは思いますが)、どうやら速さで攻めを積み重ねるのか、回復力は抜群。そしてすぐに二回戦へ! しかも誘いは鈴さんから。
 ――私の心にこれらの衝撃の負担は重過ぎたようです。嗚呼、重要な時になんと弱き私の心!
 後に目を覚ました時、近くにいた神北さんや能美さん、三枝さんに聞いたところお二人は「耳掃除」をしていただけとのことでしたが、私の耳に残る二人の言辞はそれをそうそうと信じさせてくれません。
 あの時、ほんの僅かでも扉を開いて中を見ていれば。
 そんな私が、最後に記せる言葉は一つだけ。

 百聞は一見に如かず。



   ○



 そんなことを言われても、信じてもらわなければ僕らは困るので、こうして少しでも書き連ねます。僕の耳がじんじんする理由と、物語の方では描かれていない結末までも。
 鈴に文句を言われてから、僕はまじまじと鈴を見つめ失敗しないようにしようとしました。するとちらりといった具合の鈴の視線と重なりました。
「り、りき。こら。ただでさえ恥ずかしいんだから、そんなに見るな」
「無茶言わないでよ。……万が一、傷つけちゃったらどうするのさ」
 先ほどの失敗のこともあり、鈴も渋々頷いてくれました。僕は耳掃除を再開しますが、鈴の耳にこれといって汚れは見あたりません。しばらく探り、ほんの少々の汚れを発見し掬い取りにかかりました。
「――あっ。理樹、そこ、そんなに押しつけられると痛い」
「ちょ、ちょっと待って。……動かないで。も、もう少しだから」
 危うく零れるところだった汚れを何とか耳の外に出し、綿棒に耳用ローションを垂らして僕は最後の仕上げにかかりました。
「うん。後はこれでいいかな」
「あ、それ気持ちいいな……」
「しっかり濡らしたから痛くもないでしょ?」
「ああ。最初からそれでやればよかったのに、全く、理樹は」
「これだけじゃ、する意味あんまりないからね」
 濡らすだけ濡らしてもゴミはあんまり取れません。
「理樹が早かったおかげでまだ時間あるな」
「そうだね。鈴、そんなに溜まってなかったし」
 というか、汚れなど殆ど皆無でした。
「よし。じゃあ、ほら」
 鈴がなぜか先の僕と同じように正座し、太ももをぽんぽんと叩いています。
「え、鈴。もう一回するの?」
「今度はあたしじゃなくて理樹がされる番だ」
「いや、僕は遠慮しとくよ」
「あたしがしてやるって言ってるんだから、素直に喜べばいいじゃないか。理樹だってきっと溜まっているだろ?」
 妙な自信と剣幕を持って言う鈴の意志は梃子でも動きそうになく困ったものでしたが、さりとて、僕も健康的であり健全な趣向を持った男性です。鈴に膝枕してもらえ挙げ句に耳掻きなど、先ほどの幸福の権化を通り越して身に余る至福の顕現。僕が幸多き山の天辺にずんずんと登りつめ、有頂天になるのも容易なことなのは、皆さんにもきっとわかっていただけるだろうと思います。
 そうして僕が大人しく鈴に膝枕され、幸福絶倒とでも言うべき耳掃除開始のちょうどその時でした。部室の入り口で大きな物音がし、続いて小毬さんや葉留佳さん、クドの声が聞こえてきました。
 僕ですら驚いたのですから恨むことはしませんが、鈴は驚いた拍子に耳掻きの捌きを誤り――僕の耳がじんじんじんじんとする結果に至るわけです。今でもじんじんじんじんとしています。
 僕らが部室の扉を開けると、みんなに支えられる西園さんがいました。その鼻からは、綺麗な一筋の鼻血が垂れていました。その時はともかく、今となっては勘弁してほしい気持ちでいっぱいです。
 僕らが一緒に出てきたことを怪しんだ葉留佳さんやついでみんなにも、適当にテーピングやロージンパックを探していたとでも言えばいいのに、鈴が「理樹に耳掃除してもらってただけだ」と言い放ってしまったので、妙に冷やかされることになりました。


 これで物語は締めくくりですが、その当日何か用事でいなかった来ヶ谷さんがこの物語の紙を持ち、どうしてかコピーの方を僕に手渡してきたのが非常に気がかりです。嫌な笑みが、僕の勘の警鐘を酷く打ち鳴らします。
 たぶん、持ち合わせる面白いことセンサーのようなもので来ヶ谷さんはこの紙を手に入れたんだろうと思います。もしこれがあの人の当日いなかった事への憂さ晴らしだとしたら、ちょっとシャレで済まな事態が待っていそうです。僕もこれから全力で来ヶ谷さんを追いかけようと思いますが。
 うっかりこれを目にとめてしまった、貴方。
 願わくは、惑わされることなく正しき見解を。


[No.227] 2008/04/11(Fri) 21:52:10
儚桜抄 (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ

 天高くから撫でるような優柔な風の旋律に乗せて、雲雀の鳴き声が二人の耳に届いた。顔を見合わせふいと見上げた晴れ空に、現れては消える羽ばたきの軌跡が描かれていく。それがまるで雲雀が鳴き声のメロディーを五線譜にして残していっているように思われ、むやみに楽しくなってしまった少女、神北小毬。ボールを投げようとした腕を止め、向かいで未だ空を見上げたままでいる相方へと声をかける。
「クーちゃん」
 夢の境界でも渡ってしまったように呆けっとし尽くす能美クドリャフカの視線が、自分へと確かに向けられたのを認めてから、小毬は言葉を紡いだ。
「綺麗な鳴き声だねぇ」
「本当に、そうですねぇ」
 のほほんここに極まれりといった口調でクドリャフカが言う。キャッチボールのため開いていた距離――会話をするには些か離れすぎだった――を埋めていく最中「ふぃーる、るっきんぐ、どりーむ」と、風音にすら隠れる声でクドリャフカが呟いたのをちゃっかり聞いた小毬は、夢見心地とでもいいたいのだろうかと見当をつけながら更に歩みを進める。
 直訳すれば「夢に見えている感じ」といったところ。妙な具合に意味の枠の中に言葉が飛び込み、あながち間違いとも言い切れない。いや、間違いだろうか。
 一歩ごとにうんうん頭を捻るも、結局は訂正は入れないことにし、小毬の頭に思い浮かんだ「dreamily」という単語も再び記憶の隅へとしまわれる。
「さて、クーちゃん」
「はい。なんでしょう?」
「突然ですが、問題でーす」
 わふーと身構えるあまりに愛らしいクドリャフカに、はからずも笑顔が零れる。
「雲雀は、どーして、雲雀というのでしょう?」
 回答選択肢の提示もなし。ヒントは聞かれれば答えるつもりでいたが、おそらくはわからないだろうと思っていた小毬の瞳に、思いがけないクドリャフカの笑みが映った。
 ――べりーべりーべりー、いーじーなのです。
 気のせいかもしれなかったが、そんな訴えをする微笑みに見えた。
「晴れた日にさえずるから、ひばり、ですっ」
「すごーい、クーちゃん。大正解」
 えっへんと胸を張るクドリャフカだったが、しばらくして照れ隠しのようにぽりぽりと頬を掻く。
「……実は、つい先日のおじい様の手紙に書かれていたから分かっただけなんですけれど」
 ちょっぴり反則なのですーと囁く姿は何故だか幼く見えて、淡い不思議に包まれる小毬の頭上で再び雲雀が鳴き、また二人の気は空へと捕らわれる。見上げれば雲雀は先ほどよりも遠く翳み、鳴き声だけが二人の耳に擦りつけられるように響いた。二度三度と旋回し、天蓋の縫い目を思わせる雲間に姿は飲み込まれ、もとよりぼんやりとしていた影が視界からすっと消える。残された鳴き声だけが届くが、それもやがてゆっくりと消えていった。
 一足先に視線を戻した小毬の目に、クドリャフカ以外の人影は映らない。いつもならばグラウンドを走り回るのは自分たちだけではないのだが、今日は休日、さすがに休み返上の練習まではそうそう行う人はいない。二人とて、決して本来の狙いは練習にはない。
 気づくとクドリャフカの視線も戻ってきていて、舞い散る春の日差しが薄らに陰の化粧をクドリャフカにかけていた。
「そろそろ、行きましょうか」と小毬は言った。
「行きましょう」とクドリャフカも頷く。
「それでは、出発進行ー」



              ◇



 高く澄んだ音色で、立ち止まる足音が鳴った。人波の溢れかえる景色こそが普通の場所で、息づかいすら聞こえる二人きりの景色に、一瞬、小毬は圧倒されるような心持ちになる。ずるずると椅子を引く音が響く。知らず息を止めていたのか、浅く吐息をつきながらクドリャフカが向かいへと座る。
「まずは、食堂に来てみましたー」
「誰もいないと、何だか不思議な感じなのです」
「おばさんたちもいないねぇ」
 厨房の中にも人のいる気配はなかった。口を閉じれば瞬く間に染み渡る静寂に、自分たちの声だけが不格好に浮かび上がる。
「ここはどっちかっていうと、みんなでいたイメージの方が強いね」
「そうですねぇ」
「ホットケーキパーティとかしたよね」
「是非是非、また小毬さん主催で開いてくださいー」
「えへへ、おっけーおっけー。きっとね」
 笑い声と共に会話が途切れ、聞こえてきた足音に耳を傾ける。現れたのは調理師のおばさんで、不思議そうに二人を見つめた後、厨房の中へと入ってゆく。機会とするにはそれで十分で、これ以上いたところで何の変化が望めるというわけでもない。二人も立ち上がり、食堂を後にした。
 次に訪れたのは教室だった。誰か先に人がいたのか、ちょうど入り口の真正面に位置する窓が全開にされ、煽られたクドリャフカの長い髪が小毬の鼻先に春めいた甘い薫りを残した。空は変わらず澄んだ青空のままだ。
「ここも、みんなでいたイメージの方が強いですねぇ」
「そうだねぇ」
 吹き入る風を背に、窓枠へ並んでもたれかかる。舞い上がるチョークの匂いが淡々しく届く。
「あーっ」
 と小毬は突然に声を上げた。とてとてと走って机に近づき、一冊のノートと英語の教科書を取り出す。
「英語、週末課題出てるの今思い出しちゃったよぉ」
「それ、範囲が広くて大変だったのです……」
 苦々しい表情でクドリャフカが呟く。
「うーん、どうしよ」
「こればっかりは、やるしかないと思うのです。……提出しないと評価下がってしまいますし」
「……そうだ」と何か名案でも思いついた雰囲気で、明るい口調になる。
 ノートと教科書を押しだし、クドリャフカを指さし、一言。
「見なかったことにしよう」
 今度は自分を指さし、
「思い出さなかったことにしよう」
 おっけー? と訊ねられるも、流石に頷けないクドリャフカ。「往生際が悪いです、小毬さん」とむしろ一言窘める。「うー、教室、こなければよかったかも」と顰め面で言い放って、ノートと教科書を片手にそのまま教室を後にする。しかし三歩進んだところで窓を閉め忘れたことを思い出したクドリャフカが、律儀に窓を閉めに戻った。全ての窓の施錠まで確認し、そして今度こそ教室を後にした。
 かつりかつりと足音が波音となって反復するノリウムの廊下。窓から誘い込まれた陽光が床の色と混ざり合い、歪んだ輝きとなって然も海にあるかのように歩く先へ先へと連なる。階段を上る音は不思議なほどに隅々へと響き渡った。数回繰り返して、もうこれ以上進むところのない行き止まりへ。
 小毬さん鍵が――、ドアを数度引っ張り、やはり開かないことを確認した上でのクドリャフカの言葉は、けれど発せられることなく噤まれる。見えたのは翻ったスカートから覗いたアリクイの姿。無造作に放置されたドライバーを見つけ、これで開けたのかと驚きながらも納得する。「こっちだよー」と自分を呼ぶ声に従って、クドリャフカもその穴をくぐった。
「ここは、私の秘密のスポットでありまーす」
 得意げに胸を反らせ、小毬は言う。
「というわけで、クーちゃんもここのことは心の中でこっそりの秘密にしてください。じゃないとかなちゃんに怒られちゃうよ?」
 小毬の言うかなちゃんとは、風気委員長の二木佳奈多のことだ。妹の葉留佳がはるちゃんであるから、姉の佳奈多はかなちゃん。安直さの権化が如き名付け親だ。
 クドリャフカはその同居人に怒られる様を想像したのか、わふーわふーと数回鳴き、「ラジャー!!」と勢いのよい返事を返した。
「でもここは」くるりと辺りを見回してから、クドリャフカは言った。「みんなで一緒にいたって言うイメージはないのです」
「ここはね、クーちゃん。私の、始まりの場所なのです」
「始まり、ですか?」
「うん。ぜーんぶ、ここからだったんだよ」
 それだけ話すと、小毬はごろりと横になった。クドリャフカも倣って横になり、それ以上何か訊こうとはしない。二人にとって、そんなことは訊く必要も訊かれる必要もなかったのだ。
 グラウンドで見ていた時よりも確かに距離は縮まっているはずなのに、近づくほど瞳に納めきれなくなる空の大きさは、埋まることのないその久遠を二人に教えた。目を瞑れば瞼越しにも光が届き、薄紅色の世界が茫洋と広がる。陽を浴び続けたコンクリートの熱を感じる。うとうとと瞼は重くなるが、その重みもいつの間にか意識から忘れ去られる。光がそこにあって、空は隣にいて、自分たちは寝ころんでいた。不思議なほどに乾いた世界を感じていた。



              ◇



 目覚めると、屋上には夕暮れの気配が近づいていた。頭上には昼が名残惜しむように残っているが、遠くの空の際にはやはり夕色が滲み始めている。
 上体を起こし、そのままの勢いで一気に立ち上がる。不意に感じた目尻から頬にかけての違和感を、人差し指で拭い去る。予期していたほどの冷たさはなく、ぱらぱらと罅割れた砂色の音が聞こえた。
「よーし。クーちゃん、行くよー」
 振り向き声をかけると、クドリャフカもすでにそこに立ち上がっていた。
「あれれ、起きてたの?」
「少しだけお先、だったのですー」
「起こしてくれてもよかったのに」
「いえ、その、何だか起こし難かったので」
 困ったように呟くクドリャフカに、小毬もまた、似たような笑顔を返すことしかできなかった。



 今までいた場所とは違い、部活帰りらしい数人のグループの姿が、寮へと続く道には見て取れた。春とはいっても夕方になればまだまだ寒い日が多かったが、今日はいつもよりも日中の暖かさが多く残っていた。
 足音と風の音と見慣れた景色を肴に会話もなく歩いていると、「小毬さん」とクドリャフカが小さく口を開いた。小毬は声で返事はせず、視線を向けることで先を促す。
「そのですね」一呼吸置いて、クドリャフカは言った。「私の始まりは、この道なのです」
「……そっか」
 あの日、前も見えぬほどの荷物を持ってこの道を歩いていた自分の姿が、クドリャフカの脳裏に鋭く蘇る。思い出してみればあの時もちょうど夕暮れ時で、出来過ぎな景色が目の前には広がっていた。色褪せた夕焼けの記憶が目の前にゆっくりと帳を降ろし、にわかに今と過去の境界線が曖昧になる。隣を歩く小毬の気配に振り返ると、景色は明滅するように今に戻った。
 門限は近かったが、二人は寮を過ぎ、道を曲がって更に歩いた。目的地は決まっている。夕暮れの光がどんどんと濃くなり、二人の影もその背を伸ばす。昼時よりもざわめいて聞こえた草の擦れる音の中に、やがて質の違う、重量感を持ちながらも涼やかな音色が混ざり始める。いつもより暖かいこともあり、人がいてもおかしくはないとも思ったが、目的地に二人以外の人はいなかった。川の流れる音がすぐ傍で響く。川面に映る夕日と共に、紅色の陽を帯びた桃色の姿が揺らめいていた。
 河原に一本だけある、知る人ぞ知るという文句の似合う可憐な桜の木。昨日も訪れていたその根元まで二人は近づき、ゆっくりと腰を下ろした。見上げたそばから花弁が舞い散り、風の吹くたび休みなく二人へ降り積もる。桜が散って降りてきているというよりも、自分たちの方が昇っているような奇妙な感覚に襲われる。
「クーちゃん。やっぱり、桜は綺麗だねぇ」
「ちょっと、綺麗すぎるくらいなのです」
「昨日も見たばっかりなのにね」
「そう、ですね」
「今頃、二人とも何してるかなぁ」
 小毬のその一言に自然と言葉が止まり、知らぬ顔の桜だけがただひたすらに舞い落ちる。
 昨日この場所に肩を並べ座っていたのは、決して小毬とクドリャフカではなかった。夕暮れ時にあの二人がこの桜に辿り着くよう、二人を除くみんなで綿密に練った計画。周りの男性が逞しすぎるせいか、普段は少し優柔そうに見えた彼も、ここまで条件が揃えば告白することに問題なんて何もなかった。
「でも、あの後キスしちゃうのは予想外だったなあ」
「飛び出すタイミングがわからなくなってしまいましたからね」
 その後、固まった全員から先駆けて来ヶ谷が飛び出し、魔法が解けたようにみんなもその後に続き、二人の元へ雪崩込んだ。目を見開いたあの時の二人――理樹と鈴の表情は、きっと誰も忘れることはできないだろう。
「今思うと、ちょっとお邪魔だったかもしれないのです」
「うーん、幸せそうだったから、おっけーにしよう」
 おっけーおっけー、繰り返し呟きながら小毬は後ろへと仰向けに倒れ込む。覆う桜の所々の隙間に、紅く焼けた空を望む。どさり、と音が聞こえて、クドリャフカも隣に倒れ込んだのが知れた。
「そういえばクーちゃん」
「なんでしょうか?」
「桜の木の下で死にたいって思って、本当にその通りになった人って何ていう人だったかなぁ?」
「あー、えと……誰だったでしょうか」
「覚えてないよねぇ」
「申し訳ないのです……」
「ううん、いいよ。――あ、花弁が口の中に入った」
「私の口の中にも入りましたぁ」
「ね、クーちゃん。桜って、結構落ちるスピード速いね」
「あ、それはですね、確か秒速五センチメートルって、誰かから聞いたことがあるような気がします」
「クーちゃん」と、クドリャフカの方に顔を向けてから、小毬は言った。
「それはきっと、理樹くんから教えてもらったんだと思うよ」
 私も理樹くんから教えてもらったから。そう呟いて、また視線をただ真っ直ぐに空中に向ける。
 ―― 一瞬、ほんの僅か視線をずらした間に、違う桜の元に移ってしまったのかと思ったが、それは違った。濡れたレンズ越しのように、ぼやけた薄紅が視界中に満開になる。そうする意外に思いつかなくて、腕を自分の視界に押しつけた。
「こ、小毬さん。どうかしたのですか?」
「……えへへ。何だか、目にゴミがはいちゃったみたいだよ。しみるよー」
 安っぽい嘘が飛び出る。でも、これ以外の上手い嘘なんてとてもじゃないが考えられそうになかった。
「そ、そうですか。私も、今気をとられたら桜が目に入っちゃったみたいです」
「そっか。また、おそろいだね」
 ですね、とでも返事をしようとしたのだろう。クドリャフカの言葉はしかし声にならなくて、霞むような一筋の噛み締めた声だけが届いた。張り詰めていた糸がつられて解け、ほころびから溢れそうになるあらゆるものを、小毬も何とか噛み締める。
 昨日、あの時、飛び出すのが遅れた、あの一瞬。確かに驚きで遅れたが、二人の行動に驚いたわけではなかった。ただ、気づくのが遅すぎた。その事実に、驚いて、呆れて、足が動かなかった。自分自身も蕾だったのだと、咲いた花を――自分たちで咲かせた花を見て漸く気づき、今更のように自分も咲こうとしたところで、花弁は散っていくだけだ。
 幸せな景色は、あの時、確かに目の前にあった。二人の幸福。そこに自分がいないだけ。今更のように追いかけても、決して追いつかず、仮に追いついたとしても、それはその幸せの崩壊だ。
 腕を払い、滲んだ視界に全てを委ねる。滴る桜色の中を彷徨い歩く。入り口。出口。今はまだ、森の中。
 やがてこの桜の根元から立ち上がる時、動くことのない時の箱に、二人はそっと蕾を押し込めるだろう。夕焼けの朱色と桜の桃色の中に埋もれたこの時を、きっと、忘れはしない。
 さくら、舞い散る。


[No.228] 2008/04/11(Fri) 22:15:05
願い事ひとつだけ (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ

あの子はずるい。
ずるい。
もう一度繰り返して、彼女は唇を尖らせる。
あたしのためなんて言っておいて、全部あたしに厄介ごとを押し付けた。
彼女の表情に浮かぶものは、苦さと、怒りと、苛立ちと、そしてわずかな笑み。顔というパレットに溶かして、深みの増した色を作り出す。
彼女は手を伸ばす。 
そこには男の子がいて、女の子が一人いた。
幸せを望んでいたはずなのに、女の子は男の子から姿を消した。
あたしのため。
彼女はため息とともに呟いた。
嘘ではないことは分かっている。あの子はあたしに対して嘘をついたことはない。
「西園さん」
「はいはい」
あの子のクラスメートはあたしのクラスメート。
笑顔のやり取り、あの子はこんな笑顔を誰かに見せたことがあるのだろうか。
決してできないはずはないのに。
傘を通してでしか見ていなかった世界。それも自分のせいなのだろうかと、何者かに与えられた日々に、彼女はそれでも精一杯生きようとしていた。
しかし。
「理樹くーん」
『西園さん』
その響きには明らかな拒否。世界が彼女の存在を認めていても、頑なに彼は認めようとしない。
ピースが一欠けら足りないパズル。
空の青。
海の青。
彼はどちらにも染まらない鳥のよう。
こんなところまであの子に似ていなくてもいいのに。
彼女の心にまたひとつ新しい感情が生まれる。
ああ、そうか。
彼女とひとつであったのだから不思議ではない。そう思うと、すとんと心に落ちていくように彼女には感じられる。
だからこそあの子は彼に惹かれたのだと。
そして、きっとおそらく……。
ずるい。
再び彼女は繰り返す。
あの子は逃げたはずではなかったのか。
拠り所を彼に残して置き、また彼もそれを拠り所に。
言葉を形に残される。
それはまるで絆とも言うべき、強固な繋がり。
初めから勝ち目なんてなかった、そう自覚するまでに時間はかからなかった。
だから、あたしは幕を下ろさないといけない。
彼女は決意する。
あたしは『ミドリ』。
青のようで青ではない存在。
海の底深くから空を見上げる魚の目に何が見えているのか分からないけど。
あの子はずるい、そう思うけど、結局あたしはあの子が好きなんだと。
あっけないほど短い物語がつづられた本をゆっくりとめくるように、日々を楽しんで。
彼女は彼をあるべき場所へと導く。
美しき魚が潜むその場所へと。
現実と幻の狭間から彼女は生まれた。
だから、彼女は翼を翻して、あるべき場所へと還っていくのだ。
一つの願いを残して。
幸せでありますように、と。
だけど、彼女は引き止められた。
彼女の半身もまた、幸せを願っていた。
「「ありがとう」」
ふたりは初めて心から分かり合えた、そう思えた。
小さな、小さなふたりだけの物語はこうして終わりを告げる。


[No.229] 2008/04/11(Fri) 23:01:20
幸薄い (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ@ぢごく



「あ」

 はらり、と視界の端を白が舞う。

「どうした、理樹」

 後ろで危なっかしく食器類の整理をしていた――はずだが、いつの間にか先日拾った猫にミルクをやっている――鈴が、不意に上がった理樹の声に反応した。
 舞った白い紙は、理樹が手にしていた漫画本に挟まっていたものらしい。
 春。大学への進学を決め、2人は新しい生活を始めた。かつて暮らした町から遠く離れた大学に通う事は、リセットは出来なくても、心を切り替えるにはいい機会でもあった。
 引っ越し。大抵のものは順次揃える事にしていたが、それでも最低限必要なものや持って来るものはある。
 その中の一つが……恭介の遺品である漫画本だった。これと言って大した趣味の無い理樹と鈴が、時間が合わずアパートで1人で居る時の暇潰しになればと読めそうなもの、或いはかつて読んだものを選んでいくつか拝借してきたのだ。

 鈴がフローリングの床の上に落ちた紙を手に取る。2つ折りになっていた。

「紙……中になんか書いてあるな」

 比較的薄い紙で、中に何かが書かれている……と言う程度の事は簡単に分かった。
 理樹が鈴の隣にしゃがみ込み、覗き見るように顔を寄せた。

「なんだろう、これ」
「面白かったページのメモ書きじゃないのか? 或いはえろいページの」 
「いやまあ、……うん」

 ありそうだけど、と言いかけて理樹は飲み込む。
 本当にえろいシーンのページがメモしてあったとしたら鈴に内緒で……なんて事は無い。絶対に無い。
 だいたい一応一般誌に分類される漫画でそんな所業が出来るほど子供ではないのだ、理樹は。もっとこう過激な……なんの話だ。
 鈴が折ってあった紙を開き、目を通す。

「うん、やっぱりきょーすけの字だ」
「すごいね……パッと見でわかるんだ」
「うんにゃ、小学生のころ、あたしが提出した夏休みの日記を書いたのが実はあいつだと見破った教師のほうが多分すごい」
「それ胸張って偉そうに言う事じゃないからね」
「な、なにぃ……今のあたしは物凄く謙虚だったと思うぞ」
「とりあえず鈴は謙虚の意味を学ぶべきだと思う……。……ところで、なんて書いてあるのかな?」
「えっと……『最近、気付いた事がある。」

 ……そこには、恭介が見た理樹と鈴の距離……と言えるものが書いてあった。
 明らかに互いに気のある2人。けれど近付かない距離。その事に気付きすらしない2人。
 けれど2人なら幸せになれると、理樹なら最愛の妹を、鈴を任せられると。
 まだまだ弱い2人を強く出来るか、そうなればいいとは思っても恋心など押し付けられるものではないから、放っておくべきか……など。
 それは、恭介が他人に漏らす事の出来なかった不安を、独り言のように書き綴ったものだったのだ。 

「……まだ時間はある。卒業までに、2人に出来る限りの事を』」
「恭介……」

 淡々と読んでいた鈴の方が震え始め、理樹はそれに触れる。
 けれど理樹の肩も震えていて、その震えは指先まで伝わっていて、何の意味も成さなかった。
 卒業までは叶わず、それでも恭介は2人を強く、強く生きられるようにしたのだ。

「……ずっと、事故に遭うよりずっと前から恭介は僕たちの……ううん、もしかしたら全員の幸せを願っていてくれたのかな」
「かもしれない。あの……ばか、あにき」

 次第に、鈴の声には嗚咽が混じる。
 傍らの猫が見上げ、なにごとかとばかりににゃーと鳴いた。
 鈴の手から紙を取り、理樹も直接目を通す。……と、隅に小さな字で、付け加えるように何か書かれていた。
 文量はそれなりにあり、普通に気付けるものだが、鈴はここまで読んで気付く余裕をなくしていたらしい。
 なんだろう、と理樹は思う。なんとなしに、読み始める。

「『だが理樹だって男だ。周りには魅力的な女性もたくさん居る。今は大丈夫だろうが、やはり今のままの鈴では不安だ。』」
「続き……か? あたしのこと?」
「みたいだね……えっと、『鈴には今ひとつ魅力が足りない部分がある。意外とモテるし、その事は兄として誇らしい……だけど足りないんだ。圧倒的に」

 理樹は一息入れ、動揺しかけた自分を落ち着かせる。
 そんな事は無い、そんな事は無いんだと自身に強く呼びかけ、そして、続きを読みきる。

「……まぁ、何と言うか胸が【  幸  薄  い  】。うん、薄い。能美は論外にしても西園とは戦力的に同等……他とは、比べ物に(;;』」
「………………」
「………………」
「………………だれの胸が幸薄いって?」
「…………ねぇ、り」
「あたしの胸が不幸の産物だとでもいいたいのか!? 今すぐぶっ殺してやるから出て来いこの馬鹿兄貴ー!!」
「……いや、落ち着いて。既に死んでるから」

 台無しだ。感動が台無しだ。さっきと同じ『馬鹿兄貴』と言う呼び方なのに、180度回転してギロチンで切断してしまったくらいの勢いで篭っている感情が違う。
 でも躊躇無く頷いてしまった自分自身が一番台無しだ、と理樹は自嘲した。

「……死んでもなお失礼なやつだな。しかもなんだこれ、めったに使わない顔文字まで入れてかっこでおおって思いっきり字と字の間が開いてるじゃないか」
「それだけ不安だったんじゃないかな……」
「理樹……お前はどう思う? あたしの……その」

 腕で胸を隠し、目を逸らし頬を染めて鈴は問うた。
 その仕草に興奮を覚え、しかしそれを隠して。
 理樹は……しばし逡巡し、返した。

「もちろん大好きだよ」
「手をわきわきしながら鼻血だされたらしょうじき嬉しくないな。むしろ全力でキモい」

 立ち上がった鈴が足を上げ、低姿勢のままにじり寄って来る理樹の頭頂部目掛けて振り下ろした。
 理樹は頭を抑えて蹲り目玉だけを動かし、珍しく私服でスカートをはいている鈴を絶妙な角度から見上げる。
 三毛猫風味だった。白も縞々も越えた新領域。実に新鮮である。

「じゃあ理樹、もうひとつ聞いていいか」
「うん、何なりと」
「理樹は胸がちっさくてもあたしのなら、満足してくれるのか?」

 ぴしっ、と音がしてもおかしくなさそうな雰囲気で、周囲の空気ごと理樹が固まる。
 表情を変えず、しかし返答に窮し、そのまま短くは無い時間が流れて行く。
 あらゆる思考の末に何とか結論を導き出した理樹は、腕を組んで真剣な表情を作り、正面に居る鈴に答えを返した。

「そりゃ、大満足だよ」
「理樹、すごくいいことを教えてやろう……あたしは今、こいつとの散歩からもどってきたところだ」

 にゃーご、と鈴の足元の猫が鳴いた。
 猫って散歩に連れて行くモンじゃないよなぁ、と思いつつも笑顔を作る。
 だいたい、まだ引っ越してきたばかりでろくに道も知らないはずだ。
 まぁせいぜいアパートの周りをゆっくりと10分くらいかけて回ってきたのだろう。

 なぁに10分くらい。
 辛い過去を乗り越え紆余曲折の末に同棲と相成った可愛い恋人のおっぱいから連なる脳内世界のおっぱい真理について考えるなら許容範囲、むしろ早いくらいである。
 おっぱおー。世界は胸で出来ていた。
 そうか、つまり、と理樹は思った。

「ねぇ鈴、僕、いいこと思いついたんだ」
「うん?」
「その猫に、色んな願いを込めて『おっぱい』と言う名前をへぐぅ!?」
「ふざけんなこのエロ魔人!!」
「この子メスなんでしょ!? ならこれ以上に相応しい名前は!!」
「というかまず落ち着け。理樹は普段そんなこといわないじゃないか」
「ハッ!」

 我に返った理樹ではあるが何故か鼻血が垂れていた。
 もう色々とダメっぽい見た目ではあるが、その分だけ冷静さは取り戻したのか、鈴に一言声をかけるなり布団を引っ張り出す作業に戻っていた。
 真昼間である。と言うか先ほど理樹がしていたのは引っ越しに際し持ってきた本の整理である。
 客観的に見て脳内は全然冷静じゃなかった。きっと、今の理樹の脳内では理性と本能がせめぎあい、その隙に勝手に身体が動いているに違いない。

「さぁ、鈴、用意出来たから一緒に寝よう」
「だからおちつけ理樹」

 にゃご、と猫が面倒くさそうに鳴いた。

「でも、僕は、今、僕の中の真実を確かめたいんだ!」
「あたしには理樹が何を言っているのかわからない」
「これだけじゃ足りなかったね。……鈴が大好きだから、その胸の真実を確かめたい」
「ようするにエロいことしたいんだな」
「鈴だって嫌じゃないでしょ。この前、こうしてると幸せだって言ってたじゃない」
「しちゅえーしょん、とかそういうのがある」

 鈴だって女の子である。
 こんなはちゃめちゃな展開からそういうのも嫌なのだ。
 思えばこの状況は、恭介が生前に書いたメモから招かれたもの。
 死して尚、メモ1枚で2人にこれほどの影響を与える恭介、恐るべしである。

「鈴」

 理樹が優しく、呼ぶ。

「理樹?」

 だから、鈴は優しく返す。

「安心して、鈴。恭介やみんなが僕たちを強く育ててくれたように…………もし鈴が望むなら、僕が育ててみせる」
「あたしは……別にこのままでいい」

 そう言いつつも、鈴の表情は僅かに陰った。
 先ほどメモで怒った事と言い、多少は気にしているようだ。
 でも、

「それならそれで」
「いいまとめ方しようとしたけどようするにあたしとエロいことしたいってことだよな」
「うん。育てるには、揉むしかないから」
「いや、あるだろ他にも。…………多分」
「そうだとしても、2人で頑張りたい」
「理樹の、エロ大魔王」

 幸薄かろうが、そんなのは胸だけの話だ。
 2人はきっと、幸せになれる。エロくとも。


 ぎしぎし。


[No.230] 2008/04/12(Sat) 05:20:04
私の幸せ (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ@ちょいダーク

「誰かが幸福になれば誰かが不幸になるゲーム」
 世界をこう評した誰だっただろうか。哲学者、だったのか小説家だったのか、それとも、うちの親戚の誰かがどこかで言っていたのか。それはどうしても、思い出せない。
 だけど、もし、この言葉が正しいのだとしたら。
 私は幸せでなくったっていい。葉留佳が幸せで私が不幸なら、それでいい。
 この言葉を知って以来、これが、私の願いだと、ずっとそう、思っていた。そのことを私は、疑いもしなかった――。



『私の幸せ』



 夢をみている。本当に、嫌な夢を。
 あまりにも嫌で、本当に何度も見た夢だから、今見ている光景が、夢だとわかってしまう夢を。

「酒に、なったか?」
 雨の中、葉留佳の頭を鷲づかみにし、泥にたたきつけながら、叔父がいう。
 この日は、年に一度の斎場で儀式の日だった。何の意味がわからない、鈴を祀った小さな社に、三枝家が戦後勝手につくった斎場で一年の感謝を述べたりする日だ。この年は叔父が事業で大失敗し、その失敗が事件を起こした三枝晶の娘である葉留佳に押し付け――葉留佳を神に赦してもらうため、無理やり土下座させているのだ。「ごめんなさい、ごめんなさい」何度、葉留佳はそういっただろう。
 服はぐっしょりとぬれ、たたきつけられた顔はすでに傷だらけになっていた。それなのに、
「酒に、なったか?」
 下卑た笑みを浮かべながら、叔父はやめない。赦してもらったら、酒になる。そう、葉留佳に言い聞かせ、何度も何度も土下座させている。この社には泥水を、お酒にしたという伝説があるらしく、それを実現させようとしているのだ。……そんなどこにでもあるような逸話を本気でやろうとしているのだ。狂っているとしかいいようがない。
 私は何も出来ず、ただ、祈るしか出来なかった。「はやく、こんなことやめてください」と。本当にただ、私は祈ることしか出来なかった――。
 


 そこで、目が覚めた。あの夢をみたあとはいつも気分は最悪だ。たしかこのときは、ふと鳴った鈴の音により、神が赦した、として終わりになったのだったか。そんなことをうすぼんやりと思い出す。
 私はぼんやりとした頭であたりを見渡す。相変わらず、私はここにいた。8畳ほどの大きさで、畳張りの何もない、がらんとした部屋に私はいた。押入れの中には何かあるのかもしれないが、のぞく気にもなれなかった。唯一ある入り口には鍵がかけられ、出ることはできない。そう、私は、今座敷牢に閉じ込められていた。もう、ココに閉じ込められて、何日たっただろうか。
「反省、したか?」
 そんなことを考えているとドアをあけ、いつもどおり叔父が入ってきた。私は何もいわず、ただ、叔父をにらんだ。
 叔父はそんな私に腹をたて、いつもどおり、ベルトで私をたたく。何度も、何度も。あれほど、痛かった、痛くて痛くて泣いたこともあるのに、もうすっかり、慣れてしまったのか、感覚がないのかわからないけど、本当に痛みをほとんど感じなかった。
「死にたくなかったら、さっさと反省するんだっ」
 何度も革のベルトでそう叫んで、出ていった。
 それと同時に食事が入ってくる。たっぷりの、玉子焼き。
 私が卵アレルギーだと思い込んでいる叔父が、こんなことをする理由は明らかだ。
 こんなことで、昔卵アレルギーだと嘘をついたのが、役にたつとは思わなかった。玉子焼きを口にする。
「…!?けほっ、けほっ」
 水もここ数日、ほとんどのんでいないため、吐き出してしまった。私はこのまま死ぬのかな、そんなことをぼんやり考える。
 しかし、それもいいかもしれない。だって――。葉留佳はもう、いないのだから。


 修学旅行のときのことを思い出す。楽しいはずの修学旅行はあるときを境に一変した。葉留佳がのっていたバスが、がけから落ちたのだ。
 葉留佳を助け出そうと、私は、急いでバスを降りた。「葉留佳、葉留佳っ」と、何度も叫びながら。でも私は、先生に取り押さえられた。「妹の、葉留佳がのっている」そう何度いっても、離されることは決してなく――バスが爆破して、助けだすことは出来なかった。
 修学旅行はもちろんその場で中止。帰りのバスの中、バスに乗っていた全員が死亡した、と聞かされた。私はぼんやりと、その話を聞きながら学園にもどり、そして、ここに閉じ込められた。
 二木家の名誉を傷つけたとして。
 私の妹が葉留佳だとしられてしまったから私は閉じ込められた。私の様子が、二木家に連絡がいき、私は閉じ込められた。「お前は葉留佳を見下しているんじゃなかったのかっこの大嘘つきがっ」そう何度も罵られ皮のベルトでたたかれた。
 そして現在にいたる――というわけである。



 …気がつくと、葉留佳がまた、雨の中、土下座していた。ああ、また私は夢を見ている、と気づく。
 また、この夢だ。ということは、いつの間にか、気を失ったのか、そう、ぼんやりと思う。
 また、夢の中で葉留佳はなんどもたたかれていた。



 バシンッ
 革のベルトでたたかれているらしい感触で私は目を覚ました。いつの間に入ってきたのか、目の前をみると、叔父がいた。
「昼寝とは結構な身分じゃないか」
 そう叔父いうが、そんな叔父に私は何もいわない。無視するとたたかれる、としっていて。
 本当に、どうでもよかった。想像通り、叔父はベルトを振り落としたが、私は何も言わなかった。
 反応のない私に業をにやしたのか、いつもより、さらに力を込めているらしく、顔を真っ赤にして、ベルトでたたいた。
 それでも私はなにもいわなかった。
「次はもっと強力なのをもってくるからな」
 そういって叔父はさっていった。体を見ると、また傷が増えていた。本当に強くたたかれたらしい。しかし、そんなこと、どうでもよかった。
 葉留佳は、もう、いないのだから。
 ……私が葉留佳を殺したのもおなじなのだから。 そう、私が葉留佳を殺したのは間違いない。
 あの子がクラスで浮いている存在なのは前から知っていた。誰もクラスで葉留佳に話しかける人間なんていなかった。
 ほかのクラスでもきっと彼女は受け入れられてなかっただろう。そして、同じクラスに彼女の嫌いな私が同じクラスにいたのだ。
 だから私は、葉留佳を学園から追い出すべきだったのだ。
 それができなかったから――、葉留佳は死んでしまった。
 私が葉留佳を――。
 だから私は今しんでも。



 いい加減にして。



 ふと、声が聞こえてきた。


「はる…か?」
 目の前をみると、葉留佳がいた。いるわけが、ないのに。ましてやこんな座敷牢に入ってこれるはずがない。
「葉留佳、なの?」
 もういちど聞く。葉留佳は私をにらみつけていた。葉留佳は私の問いに答えずいう。
「何、悲劇のヒロインきどり?自分が世界でいちばん可哀想だとおもっているんでしょ?あんたはそうおもう資格なんてあるの?大体あなたは私を追い出すなんてできない。あんたは私がどんなに不幸でも、関係ないんでしょ?」
 違う、そんなことはない。信じてもらえないかもしれないけど、私はこれでも葉留佳の幸せを、
「祈ってないでしょ?あんたも二木家のほかの人間と同じ。あんたは、自分の幸せしか考えていない。だから私がどんなに不幸でも関係ない」
 葉留佳はそういうといっそう私のほうを強くにらむ。
「あんたの望みはただ、私が近くにいてほしかっただけ、あなたはただそれだけで良かった。いや、私がいれば、私がどうであろうと関係がなかった、それはあんたにとってどうでもいいことだった」
 どうでもいい、なんておもっていない。だって、自分が好きな人の幸せを祈る事は当然でしょ?
「普通なら、そう、でもあんたはちがう、だって、あんたは最低だから、本当に、最低だから、だからあんな――私がたたかれる夢をこんな場所で、みる。これがあなたの強烈な思い出だから。私とのある意味、一番の思い出にすがっている。私の存在を強烈に確認したくて」
 そんなことはない、そんなことは、ない、そうおもったが口が動かなかった。そうだ、私はなんであんな夢をこんな場所でみている?
「そもそも、あんたは本当に死のうとおもっている?助け出される、とおもっていない?」
 え?
「私を両親に引き取ってもらったとき、いつか、助け出してやる、そう両親が言った言葉が本当は希望なんじゃない?あなたは私のためじゃなくて、あくまでも自分のために両親を探し出した。だからあなたは本当はまったく死にたくない。死にたいっておもって、自分をかわいそうがっているだけ、そうおもうことがあなたの最高の快楽、あなたは徹底的なマゾヒスト、だから」
 そんなことは、ない。
「だったら、証明してみせて押入れの中にナイフがあるから」
 そう、最後に葉留佳はいった。


 そこで、目が覚めた。さっきまでみていたのは夢だったことを今更ながらわかる。
 ちがうちがう、ちがう。
 うわごとのように私はつぶやく。
 私は間違いなく、葉留佳の幸せを祈っていた。間違いなく祈っていた。葉留佳が大好きだった。
 私は、本気で葉留佳が幸せなら私が不幸でいい、そうおもっていた。
 そう、おもっていた。
”だったらどうして、死なないの?”
 頭に響いたその言葉で、ふらふらと押入れの中を開ける。
 そこには、確かにナイフがはいっていた。しかし、そこで立ち止まる。
 死ねない、たしかに、死ねない。
”最低、だからね”
 そんな声が聞こえてくる。いえ、私は死ねる。本当に、死ねる。
 私はナイフで手首を切った。
 血が出た。それでもかまわず、なんどもなんどもきった。痛みは感じない、まったく、感じない。それどころか、気持ちよかった。
 その感覚に、戸惑う。
”本当は死にたくないから”
 葉留佳のそんな言葉が頭の中にひびく。ちがうちがうちがう!
 私はあなたのためなら――死ぬことが、できる。あなたがそれを望んでいるのなら、こんな葉留佳がいない世界から死ぬことが出来る。
 私は意をけっして、首をきった。
 ――そこで私は意識を失った。
”よく、出来ました”
 葉留佳はそういうと――髪飾りをほどき、頭を後ろからたたいた。そこに、たっていたのは――自分だった。
”――ほんと、最低のマゾヒストね”
 にやっと想像の中の私は笑っていた。そこにたっていたのは葉留佳ではなく、自分だった。私は声のない、悲鳴を叫んだ。



 薄れゆく、意識の中で私は思う。本当に自分はダメな姉だったと。
 葉留佳のために、何もしてやれなかった。
 ねぇ神様。
 もしいるとしたら。
 私がいい、姉であることを証明させてください。
 お願い、します。




『だったら、証明してみせろ、そのチャンスをやろう』
 え?
 そんな声が突然聞こえ、
 チリン。
 ふと、鈴の音がなった気がした。



 気がつくと、私は学園にいた。
「それでは、整備委員会は風紀委員会に統合ということでよろしいでしょうか」
 生徒会長のそんな声が聞こえてくる。ここは、どこだろう? そしてどういう状況なんだろう?
 カレンダーを見ると、5月だった。 そしてこの議題。
 私は夢をみているのか。
 ふと、外を見ると、葉留佳が歩いていた。
 ここはいったい、なんなの?
「風紀委員長?意見をお願いします」
 ぼーーっとしている私をみて生徒会長がいう。そうだ、私はこのとき反対したんだ。葉留佳がいたから。 でも、今は。
「賛成です」
 この私の言葉を皮切りに統合賛成、となった。実際は、存続したのに。
 

 そうだ、私は、これくらいできる。それを証明していこう。この夢の中で。

―――
――
 一ヵ月後。そう、この世界にきてから一ヶ月がたっていた。
 冗談みたいだが、夢が一ヶ月続いている。
 校門で葉留佳が髪をほどき、直枝理樹に何か言っていた。葉留佳が、退学届けをだしていることは確認済みだった。
 これが、最後の別れ、ということか。ああ、私は、出来た。妹を追い出すことが出来た。
 それが出来て本当に、よかった。
 私は、良い姉だった。


 そう証明できて、私は幸せ、だった。


[No.232] 2008/04/12(Sat) 05:43:01
ある現実。 (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ@初

この世界のすべてが終わりを告げる。Happy End。
皆を助け、幸せを手にした理樹達。
そしてリトルバスターズはこれからも続いていくのだろう。


でも…

たとえ、続いていったとしても。
なぜ、おれはそこにいないのだろう。




ある現実。





いつもの電車に揺られながら、いつものように会社に出勤。
いつものデスクワーク、いつもの会議、いつもの…
そしてまたいつもの電車に揺られながら…ふと思い出す。変わることのない世界。
その中で奔走する理樹。世界の秘密、個々の感情。

幻想的で、きれいな世界。でも、現実 -ここ- じゃ無い。

辛くなる。俺は本当に望んでいた。そんな世界で生きたいと。


家に帰り起動する。Episode:little busters...


はかなく、消えゆく世界。その中で、恭介は何を思っただろうか?


涙が止まらない。何が悲しくて泣いているのだろう。

そこに、俺はいないんだ。
そんなことは当たり前だ。
これは物語で、作られた世界だから。

何がそんなに俺を震わすのだろう。

おれは今、不幸せなのか?そこに「生きたい」と願うほどに。
そんなことはない。生活にも満足しているし、人にも恵まれている。
じゃあなぜ、こんなにも辛いのだろう?
そこにいないことが。


あぁ、そうか。

それは奴らが、あまりにも輝いて見えたから。

自分にはない別の幸せを持っていたから。

その幸せが、あまりにも…美しかったから。
只々、うらやましかったのかもしれない。


俺は変なんだと思う。
これは単なる物語。
一時の感情を与えられ、
ひと時の鑑賞を、楽しむ。

それだけのことなのに。

こんなにも、痛む、心が。





ふと、思い出す。
俺には、馬鹿をともにできる親友たちがいただろうか。
少なくとも一人。頭に浮かんだ。
大人になってから、暫く会ってはいない。


たまには電話でもしてみようか…。
そう思い俺は携帯電話をたぐり寄せた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
締切が昨日と知らず…(汗

リトバスSSではないのかもしれない。
でも、思いついたのがこれで、文章にしたかった。なので反省はしていないy=ー( ゚д゚)・∵. ターン
文章は足らず、初のSSなのでうまく書けてるかはわかりませんが・・・ってなんか問題点が次々と(滝汗

もしそれで内容が合わないということがあったら消しといてください。


[No.233] 2008/04/12(Sat) 14:30:58
猫は笑顔を求める (No.217への返信 / 1階層) - ひみつ 初、甘、遅刻

「ちょっと、鈴!!」
「うるさい!うるさい!!」
「鈴っ!!」

大好きな人、いつも仲良しな人達が怒鳴りあっている
彼女は彼の声を無視して走り去っていく
彼はそこに立ち尽くしていて、僕達はそれを悲しい気持ちで見つめていた


           

            猫は笑顔を求める


今日の昼ごろ、リンとリキが喧嘩した。
そして、今の現状がこうだ

「はぁ〜」

さっきからため息ばかりついているのはリン。
彼女・・・・リンは僕の命の恩人だ
今年の夏、僕が飢えで死に掛けていた所を助けてくれたのだ
そんな訳で僕はリンが大好きだ
そして今その命の恩人は

「うぅ〜・・・なんであんな事言ったんだ」
「でもあれは理樹が・・・・」

ひどく落ち込んでいた。
さっきからずっと一人ごとを呟いている
リキとリンが喧嘩をしたのは僕が知る限りでは初めてだ。
最古参のドルジにも話を聞いてみたけど、喧嘩をしたのは今回でまだ2回目らしい
そもそもが不器用で純粋なリンだし、喧嘩の相手があのリキだ
ここまで落ち込むのも納得はできる。

ふと彼女がジッと一方向に視線を向けているのに気づいた
彼女の視線の先を見てみると
リキが赤いヒラヒラを頭につけた女の子と話していた
たまに僕達に

「ほわぁ〜!!? ポテチが〜」

とか言って倒れながら美味しいものをくれる良い人だ
その子とリキがそれはとても仲がよさそうに喋っていた
リンの顔が寂しそうに歪む
リンは彼女たちの方をしばらく見ていたけど彼女達が喋りながら去っていくと

「理樹なんて、・・・・・大嫌いだ」

ポツりとそう呟いた
とても寂しそうな声だった

「・・・・・・・・・・・」

僕たちはリンが大好きだ
そして大好きな人の寂しそうな顔なんてのはもちろん見たくない。
なのでそれを見て、僕は周りの猫に合図を送る

コクッ
周りの猫たちが一斉にうなずく

(本当にリンに対しては犬以上の統率力を発揮するなぁ、僕たち)

とりとめのないことを考えているうちに、それぞれがポジションに着く
リンは僕たちと遊んでる時はいつもとても楽しそうだったから
だから彼女に僕たちと遊ばせるために

「はぁ。
 ・・・・ん?なんだお前ら距離なんかとって・・って!?」


とりあえず彼女に四方八方から飛び掛った。
総勢13匹の猫の群れが。

「う、うにゃぁぁぁぁぁぁぁ〜!?」

後には彼女の悲鳴が響く
・・・・・・・・・・って作戦失敗じゃん!!?







数日後



「本当にやるのかシャモン?」
「・・どうして?シューマッハ」

透明な壁・・・人間でいう窓を必死に開けようとしていると、後から名前を呼ばれた
あれから数日がたったがリンはずっと落ち込みっぱなし
どうしたものかと、恋愛事情に詳しいメス猫に尋ねてみたところ
こういうのは何日かたってしまえばお互いの頭も冷えて誠心誠意込めて謝れば大丈夫とのこと
リンはもう随分と反省?してるだろうし、とりあえずリキに無理やり会わせてやれば
事態は進展するだろうと、判断してリンを連れ出しに来たのだ
既にリキが河原で密かに野球の練習をしているのは確認済みである。

ちなみにシャモンとは僕の名前だ
キョウスケが僕に名づけた
なんでも雪国の由緒正しき名前らしい。

「ここに入ると、ストレルカに怒られるぞ」
「知ってるよ」

シューマッハと話しながらも必死に窓を開けようとする

「リキとの事ならほっとけよ、人間同士のことは人間に任せとけばいいんだ」
「そうだけど・・・でもじっと待ってるだけなんて僕は嫌だよ」
「リンの悲しい顔なんて見たくない」
「・・・・リキが戻ってきたらまた時間が少なくなる」

時間・・それは僕達がリンと遊ぶ時間のことを指す
今年の春以降、僕たちがリンと遊ぶ時間は随分減った
それを悲しむ仲間はたくさんいる、もちろん僕もそうだ
だからシューマッハは少しでもそれを取り戻したいんだろう
でも・・・

「確かにリンとリキが喧嘩してから、リンは僕たちとよく遊んでくれるようになったよ
 でもそれってこっちに逃げてきてるだけだろ?
 リンと遊べるのは嬉しいけど 
 リンに・・・僕たちと遊ぶ時間をそんなふうには作って欲しくないよ」

 リンと遊ぶ時間は僕たちにとって神聖でとても大事なこと
 だからその時間を逃げることなんかにして欲しくは無い
 とういうか・・・

「そもそも、ため息だらけのリンと遊んでも楽しい?」
「それは・・・・」

確かにリンと遊ぶ時間は増えたけど、リンはずっと暗い顔だ
これじゃあ、時間が増えて楽しみが減ったで、プラスマイナスゼロだ



カタッ
やっと窓が開いた

「僕は行くよ、シューマッハ」
「・・・・・」
シューマッハは答えなかった


彼女の部屋に入る
リンは・・・・ベッドの上に寝転んでいた
そしてその手には綺麗な石がついたもの・・・・たしかペンダントとかいうものだ
いつの日かリンが僕たちに見せて言ってたっけ

「ほら、見てみろお前ら」
「綺麗だろ?理樹がくれたんだぞ、お弁当作ってくれたお礼にって」

そう本当に楽しそうな笑顔で。
だけど、今の彼女はあの時の表情とは正反対だ。
それを見て僕はなおいっそう決意を固くする

(だけど、どうやってリンを連れ出そう?)

問題はそこだ。
猫の僕にできることなんてたかが知れている
リンがペンダントを弄繰り回しているのを眺めながら作戦を考えていると
不意に昔のことを思い出した

(そうか、アレを盗ればいいんだ!!)

昔、お腹が空いて本当にどうしようも無かった時に一度だけ人間のお店とやらで魚を盗ったことがある
その時の人間の怒りようはすごく、鬼の形相で追いかけてきたものだ
正直、リンにそんな風に怒られるのはとても嫌だけど仕方が無い。
僕は覚悟を決めた
ならばあとはチャンスを待つだけ。






じっと待つこと数十分。
まさかこんな所で鼠取りの基本、待ち伏せがいかされるとは思わなかったが、ついに
チャンスは訪れた

コンコン

「ん?」

部屋に響き渡るドアをノックする音
そして赤いヒラヒラが入ってきた

「鈴ちゃん、いる〜?」

リンの意識が彼女の方へ向く
その隙をついて僕はペンダントへ飛び掛った

「なっ!? なにぃ!!」

いきなり現れ、ペンダントを奪った僕に仰天の声を上げるリン
だけど、そんなことは気にしてられない

「ほわぁ!!?」

入ってきた彼女の足の間を通る。
・・・・・・・今日はカエルだった
全速で廊下を疾走する
目指すはリキがいる河原だ

「待て!! シャモン!!」

(待てと言われて待つ奴なんかいないよ)

僕は後を振り返りリンが追ってきているのを確認して走り続けた







息も絶え絶えで河原に着く
あとはリキを見つけてそこまでリンを誘導すればいい
リンは一つのことに集中すると周りが見えなくなるから簡単に誘導できるだろう

(さて、リキは・・・っと)

追いかけてくるリンを意識しつつ、斜面を下る
だけど、そこで誤算が三つ
リンが思いのほか素早くて全速力で逃げていたために僕の速度はとても速かったこと。
そして、昨日の雨のためにとても滑りやすくなっていたこと。
最後に川の水は増水し流れも普段より遥かに速くなっていたことだ。


車は急には止まれない
猫に対する都会の恐ろしさを一言で表現したこの名言のとおり
僕は河におもっいっきりダイブした

「シャモン!!」

リンの声が聞こえる
でも駄目だ、リンの今いる場所からじゃ間に合わない

(あぁ、ろくに泳げない猫の体が恨めしい。)

鈴を笑顔にするはずなのに逆に泣き顔にさせてどうするんだ
薄れ行く意識の中、僕が耐え難い自己嫌悪と猫嫌悪に陥っていると
一人の男が川に飛び込んだ








理樹side

「・・・危なかった」

自分の濡れて重くなった服を見てそう呟く
もう少し遅ければ間違いなくシャモンは溺れ死んでいただろう。
鈴の足元でグデ〜となっているシャモンを見てそう思う。

乱れた息を整えていると鈴がこちらに顔を向けてきた。
あの日喧嘩をして以来まったく顔を合わせていないだけに少し気まずい
だけど鈴は気まずそうにしながらも僕に声を掛けてきた。


「ありがとう、理樹。お前のおかげで助かった」
「う、うん」
「そ、それと」

そこで鈴は言葉を止めて顔をうつむかせた
そして・・

「それとごめん・・・・理樹」
「え・・・」
「あたしがつまんない意地をはったから・・・・」
「ごめんなさい」

そう言って鈴は深々と頭を下げた。
正直、驚いた
今まで鈴と喧嘩した時は必ずといって良いほど僕のほうから先に謝っていたから

 「「・・・・・・・」」

まだ僕の心情は複雑だけど、喧嘩の原因は些細なものだし
あの喧嘩の原因については二人でゆっくり話すことが大切だと、事情を知った西園さんも言っていた。
それにあの鈴が、頭を下げてまで謝ってくれたんだ。

だから、だから僕は笑顔で鈴に声をかけた。







猫side




「鈴、風邪ひかないうちに帰ろっか」

そういって手をさしだすリキ

「・・・・うん。」

リンはそれを見て照れくさそうにして、それでもしっかりと手をつなぎあわせた。

水びたしの僕たちの頭の上でつながれる手。
ちょっと予定外のことになってしまったけど
とりあえず・・・これで良しかな


なぜなら
彼女は今とても綺麗な笑顔を浮かべていて
それを見られる僕もまたとても幸せだから


[No.235] 2008/04/12(Sat) 16:48:51
感想ログと次回と (No.219への返信 / 2階層) - 主催

 MVPはえりくらさんの「恭介の一問一答」に決定しました。
 えりくらさん、MVPおめでとうございます。
 感想会のログはこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little7.txt


 次回のお題は「笑い」
 締め切りは4/25 感想会は4/26
 みなさん是非是非参加を。


[No.236] 2008/04/13(Sun) 02:33:14
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