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   第10回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/05/21(Wed) 21:45:27 [No.290]
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第10回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - 主催

 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「筋肉」です。

 締め切りは5月23日金曜午後10時。
 厳しく締め切るつもりはありませんが、遅刻するとMVPに選ばれにくくなるかも。詳しくは上に張った詳細を。

 感想会は5月24日土曜午後10時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.290] 2008/05/21(Wed) 21:45:27
筋肉候〜それは偉大なる筋肉志〜 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ



 真人が部屋に帰ると、理樹がドアの前で膝を抱えて蹲っていた。
 それを確認出来たのは開いたドアの隙間から廊下の光が入って来るからであって、部屋には電気も点いていない。

「どうした、理樹」

 その、明らかに普通ではない雰囲気に不安になって、真人が静かに声をかける。
 パチッ、と音がして照明が灯される。
 それから、理樹はゆっくりと顔を上げて、今にも泣き出してしまいそうな哀しげな瞳で真人を見た。
 小動物のような、いじめt……ごほんっ、守ってあげたくなるような姿。
 あまりにも弱々しかった。

「鈴に……鈴に……」
「鈴が、どうかしたのか?」
「鈴に…………早いって言われた」

 何を、と真人は思った。
 だが、再び俯いた理樹の視線と手で抑えている位置を見て、理解した。
 あぁナニか、と。


 ミ☆ 筋 ミ☆ 肉 ミ☆


「なるほどな……」
「うん……」

 つまり、あれだ、行為だ。
 要するに、早いと早すぎると。
 鈴は慰めてくれたらしいが、どこか不満そうでもあったと言う。

「まぁ、俺だって理樹ほどじゃあないが鈴の事は大切に思っている……理樹の事はその3倍くらい大切に思ってるけどな。だから、なんとかしてやりてぇ」
「ああ、真人の筋肉が真っ赤に燃えているようだよ……」

 微妙に引き気味だった。

「しかし、なんで恭介じゃなく俺なんだ?」
「思ったんだ、筋肉が足りないんじゃないかって。主に下腹部の」
「そっか……筋肉についての相談なら、いつでも乗るって言ったもんな」

 真人は穏やかに笑い腕を組んだ。
 それを見て安心して、理樹も表情を少し和らげる。

「だがな、理樹。そいつぁ……筋肉じゃ解決出来ねぇ」
「え?」
「いや、筋肉に関係する事ではあるが……ただ筋肉をつけ鍛えればいい、というものじゃねぇんだよ」
「ど、どういうことなの? だって、真人は……!」
「俺の筋肉は強くなるための筋肉だ。だから鍛えるだけでいい。だが、理樹。お前は違う」
「なんで!? そんなはずはない、だって筋肉は! 昔の偉い人も言ってたんでしょ!? 筋肉あれば嬉しいな、って!!」
「馬鹿野郎理樹! 筋肉はなぁ、お前が考えてるほど簡単じゃねぇんだよ!
 お前のそれは筋肉に関係あるが……筋肉があれば解決するってわけじゃねぇんだ。冷静になれ、理樹」

 思わず膝立ちになった理樹の肩を抑え、真人は視線を鋭くする。
 力で逆らう事など出来るはずもなく、今の理樹の悩みを解決出来るのは恐らく真人しか居ない。
 だから理樹は大人しく座った。

 真人は理樹が落ち着いたのを確認し、また自身も筋肉に酸素を行き渡らせ気を落ち着ける。

「お前の筋肉は……鈴のための、愛のための、筋肉だろうが」

 理樹の筋肉にあるのは、真人の筋肉には備わっていないものなのだ。
 力と愛。筋肉はどれだけ通じてもこの2つは決して通じる事は出来ない。
 真人の必死の言葉が通じたのか、理樹は頭を抱えて蹲ってしまう。

「そうか……僕は……なんて勘違いを……」
「そいつを解決するためには……筋肉の歴史を結構古いところから説明する必要があるが……いいか?
 単純にそのための行動をすればいいんじゃない、何故その行動をするのか、理解しなくちゃいけねぇんだ」
「構わないよ! 鈴のためだもん!」
「よく言ったぜ、理樹」

 拳を握り、気合を入れるようにした理樹を見て、真人は少し頭を捻る。
 どう言った順で話せばいいかを考えているらしい。
 そしてひとつ、深めの息を吐くと、話し始める。

「まずは……ガリレオ・ガリレイの話からだ」
「ああ、それは僕にも分かるよ、真人。『筋動説』だね」
「知ってたのかよ」
「それくらい常識だよ」

 んなわけねぇよ。
 とまぁ、そんな冷静かつ野暮な突っ込みをくれてやる人物もこの部屋には今はいない。
 非常に嘆かわしい事ではあったが、これもまた運命であろう。
 そう思わないと色々と進まない。
 思え。
 いやむしろ、これこそがイエス・キリストや釈迦とも肩を並べうると言われる究極神、フリーダム・キングマッスライム(『新約・筋肉聖書−エターナル・デスティニー−』弟四百八十版より名称引用)の意思なのである。

「そもそも、奴の本名自体がガリレオ・マッスラー・ガリレイなんだよな。ミドルネームはほとんど知られていないが。
 こいつは、至って普通の体格ながら人類が築き上げた筋肉の歴史で最も筋肉に愛された男と言われている」
「……普通の体格なのに?」
「あぁ、なにせ筋肉だからな」
「そっか、筋肉だもんね……」

 筋肉だからである。
 それ以上の理由が、必要かい?

「地球は太陽の周りを回っているとする地動説と同時に唱えられた、地球は筋肉の力で太陽の周りを回っていると言う説……それが筋動説なんだよね、真人」

 これはすなわち、高熱高圧の地核もまたマントルではなく筋肉であるとするものである。

「すげぇじゃねえか理樹。隠された地球の真実をいったいどうやって調べた」
「インター筋肉ネットだよ。僕も最初は自分でどうにかしようとしたんだ……でも、無理だった」
「ちなみに補足だが、地震が起きるのは筋肉が痙攣しているからなんだぜ。地球が筋トレをすると天変地異が起こるとも予想されている」
「そうだったんだ」

 凄いや筋肉、と理樹は笑った。
 地殻変動も全て筋肉の痙攣。なんてスケールの大きい筋肉であろうか。
 だがしかし、これは筋肉のスケールの大きさと偉大さを示す上でのほんの一例である事を忘れてはいけない。
 この物語に置いて語る事が出来るのはほんの一部……筋肉の欠片に過ぎないのである。

「でも真人」
「ん? 何か気になる事でもあったか」
「うん……今のは、やっぱり僕のとは関係ない気がするんだけど……」
「まあ、まずはオレの話を聞けよ理樹。お前はまだ筋肉に関しては筋繊維の美しさに気付いた程度のレベルに過ぎねぇ……」
「筋肉で……筋繊維の絶妙で黄金的な絡み以上に美しいものがあるなんて……」
「その事について語るのはまた今度にしようぜ。今はお前のナニの方が大事だ」
「男に言われるとちょっとびくっとしちゃうね……」

 主にやらないか的な意味で、である。

「とにかく、この時代はまさに筋肉激動の時代でな……他には地球は幼女で回っているとする(21)動説なんてのもあったらしい」
「恭介が発狂して宇宙に飛び立ちそうだね」
「まったくだぜ」

 この時代にもやはりロリコンは居た。むしろロリコンこそが正義であったとすらされる(結婚適齢期が早い)。
 天動説たん萌え、地動説たん萌え、筋動説フゥハァー! でもロリで地球動いてた方がやはり最強に萌えるハァハァ。
 むしろ地球が幼女。地球こそが聖なるロリロリ。海は肌で陸は服で雲はゴスロリのフリルだったんだよ! な、なんだってぇー!?
 そんな信念と妄想と理想により、科学者である以前に人類を牽引する最強のロリコン(一説ではキリスト教徒である事を捨て幼女の姿をした悪魔と契約する者まで居たようだが、これはさすがに異端とされた)であったものたちが、この説を唱え始めたのだ。

「だが、その後アイザック・プロテイン・ニュートンにより否定され続けた地動説及び筋動説に置いて出た問題は解決されることになる」
「万有引力だね」
「いや、違う」
「え!?」
「万有……括約筋力だ」
「万有しりの……あな?」
「そう。重さがモノを引きつけるんじゃねぇ。筋肉が、肛門がものを引っ張ってるんだ」
「そんな……そんなだったら……地球はとってもくさくなっちゃうじゃない……」
「ちゃんと拭いてるじゃねぇかよ、雨で」
「ウォッシュレット……!!」
「そして、だ。理樹、よく聞いてくれ」
「え?」
「この先に、お前のSO☆U☆RO☆Uを直すための手段が隠れている」
「ほ、ほんとに!? これで鈴を満足させてあげられるんだね!?」
「それはお前次第だ……オレが与えてやれるのは、筋肉だけだからな」
「それでも十分さ! ありがとう真人!」

 真人の手を取り、目をきらきらさせて喜ぶ理樹。
 やっぱり筋肉の相談は真人にするべきだった、してよかったと思う。
 しかし理樹はすぐに落ち着き、最後の話を聞くべく、正座した。

「よし……。なぁ、理樹。おかしいとは思わないか?」
「なにが?」
「筋肉の力は人類には強力すぎる……地球ほどの大きさの筋肉が引っ張っていたら……地球は既に筋肉で滅びていてもおかしかねぇ」
「そう言えば……そうだね」

 割と色々ぶっ飛んでいるようではあるが、真人の言葉こそが今の理樹にとっての真実なのである。
 つい数十分前の理樹なら即座に突っ込んでいたであろう内容ももはやこの世界の真理として受け入れられるのだ。
 この時点でもう割と駄目っぽかったが、理樹も真人も真剣だった。
 だって、この世界はどうしようもなく筋肉で回っているのだから。

「そこで……月だ」
「月? 月も筋肉なんじゃ」

 だって、地球がそうならこの宇宙の星には全て筋肉が混じっているだろうから。
 それが理樹の考え。

「確かに月にも筋肉は混ざっている。だが月にはそれ以上に強力な……」
「強力な?」
「…………アンチ・マッスル・パワーが備わっている」
「アンチ・マッスル・パワー……」

 その音の響きに、理樹は冷や汗をかき目を見開いた。
 筋肉で溢れるこの世界には、あまりにも厳しすぎるワード。

「強力すぎる筋肉の力を抑制する……これは、主にブラックホールから発生しているらしい」

 だが、これこそが世界のバランスをとっているのだ。
 宇宙を巡り続けるあらゆる筋力を抑え付け、宇宙が存在出来るように。 
 それは神の意思か筋肉の意思かおっぱいの意思か、或いは何かの偶然なのかもしれない。
 しかし世界は……否、宇宙は間違いなく筋肉とそれに相反するアンチ・マッスル・パワーにより成り立っているのだ。
 真人曰く。

「我観測す、故に筋肉あり……」
「ああ、いい言葉だ理樹。筋肉がなければ人類は生まれなかった。しかし人類が生まれなければまた筋肉も筋肉と言う素晴らしく威厳ある名をつけられる事はなかっただろうからな……」

 でも哀しいけど、『筋肉』って日本語なのよね。
 他の言語では……ま、いっか。

「で、そのアンチ・マッスル・パワーが僕の×××とどう関係してるの?」
「えらく直接的になったな……いいか、またよく考えてみるんだ理樹」
「えーと……あ、そっか」
「わかったか?」

 に、と真人が笑う。
 理樹にはそのバックでも、超兄貴が笑っている姿が見えた。

「うん。……筋肉にも関係している器官に突っ込むんだから、その筋肉に対抗出来るパワーを身に付ければいいんだね!!」
「ふ、まぁそういうこった。さすが理樹、理解が早いな」
「真人の……いや、真人と筋肉のおかげだよ」
「よせやい、照れるじゃねえか」
「じゃあ真人、早速教えて欲しい。アンチ・マッスル・パワーを身に付ける方法を」
「ああ、任せろ。オレも鍛えすぎた筋肉をセーブするためその力は一応身に付けているからな。後は……理樹が耐えられるかどうかだぜ」
「耐えて見せるよ! 鈴のため! 愛のため!」
「よく言った! ついてこい、理樹ぃ!」
「うん!!」
「目指そうぜ! アンチ・マッスル・パワーを放ち続けるあの満月を!!」
「アヘッド! アヘッド! ゴーアヘッド!」

 そして2人は、ベランダから飛び降りた。
 春の終わりごろの、蒸し暑い夜の出来事である。
 この後、理樹は僅か数日でアンチ・マッスル・パワーを身に付けたそうだ。


 ミ☆ KIN ミ☆ NIK ミ☆


 理樹が適度な筋肉とその筋肉に相反する力とを身に付けてからまた数日。

 真人が部屋に帰ると、理樹がドアの前で膝を抱えて蹲っていた。
 それを確認出来たのは開いたドアの隙間から廊下の光が入って来るからであって、部屋には電気も点いていない。

「どうした、理樹」

 その、明らかに普通ではない雰囲気に不安になって、真人が静かに声をかける。
 パチッ、と音がして照明が灯される。
 それから、理樹はゆっくりと顔を上げて、今にも泣き出してしまいそうな哀しげな瞳で真人を見た。
 その姿は以前と同じで、あまりにも弱々しかった。

「鈴に……鈴に……」
「鈴が、どうかしたのか?」
「鈴に…………遅いって怒られた」

 アンチ・マッスル・パワーを完璧に身に付け、過度に使いすぎたか、と真人は思った。


[No.292] 2008/05/21(Wed) 22:03:16
代償 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ

『筋肉いぇいいぇーい!! 筋肉最高!! 筋肉いぇいいぇーいっ!!』

 学園中に、筋肉旋風(センセーション)が吹き荒れている。
 その勢いは収まるところを知らず、いずれ革命の波は外の世界をも飲み込んでいくだろう。
 だが、それにはもうしばらく時間がかかることになる。そう……この学園の中にたった一人、まだ筋肉に染まっていない者がいるのだ。





「待ちなさーいっ!! 筋肉筋肉―!!」

 クリムゾンレッドの腕章を腕に巻く風紀委員たちが追いかけるのは、例によって三枝葉留佳――ではなく、彼らの長であるはずの二木佳奈多であった。

「冗談じゃないわっ!」

 さすがの佳奈多も、今回ばかりは廊下を全力疾走せざるを得ない。
 最初、彼女をはじめとする風紀委員メンバーは、校内で唐突に「筋肉筋肉―!」と奇声を上げ始めた生徒らを取り締まっていたのだが……気付けば、このザマである。佳奈多を除いた風紀委員は敵勢力に取り込まれ、その尖兵として、たった一人生き残った佳奈多を追い掛け回しているのだった。

(く……このままじゃ、いずれ追いつかれる……!)

 日頃から三枝葉留佳の追跡任務で足を鍛えられている風紀委員、それも複数が相手ときては、さすがの佳奈多でも分が悪い。

(まさか、私がこれを使う日が来るなんてね……)

 佳奈多は走りながら無造作にポケットに手を突っ込み……中に詰め込まれていたビー玉を、盛大にばら撒いた。以前、三枝葉留佳から没収したものだった。

「うわあっ!? 筋肉―!?」

 ビー玉に足を取られた風紀委員たちが続々と転倒する。ひたすら前を向いて走り続ける佳奈多はその光景を目にすることこそ無かったが、耳に聴こえてくる情報だけでもなかなかの惨事になっているらしいことは分かった。
 だがそれでも、立ち止まるわけにはいかなかった。





「はあ……はあ……」

 体育館脇の自販機まで辿り着いたところで、佳奈多はようやく足を止めた。追っ手はどうやら振り切れたようだが、校舎のそこかしこから「筋肉いぇいいぇーいっ!!」とかなんとか、歓喜の叫びが漏れ聞こえてくる。事態が好転したわけではない。
 佳奈多を除いた生徒はすでに全員、筋肉旋風の洗礼を受け……筋肉ゾンビとでも言うべきものに成り果ててしまっている。校舎内を徘徊し、仲間を増やして行く……捕まったら最後、「筋肉筋肉ぅー!」と叫ばずにはいられなくなってしまう辺りが実にゾンビである。
 とにかく、自分までもがそんなことになるなど、御免被りたい。試しに、筋肉ゾンビと化した自らを想像してみる。

「…………嫌よ。絶対嫌!」

 だが、そんな佳奈多の願いも虚しく。

「えへへー。かなちゃん、見ぃつけた〜……筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「ッ!? か、神北さん!?」

 背後に、いつの間にか神北小毬の姿があった。佳奈多は慌てて距離を取り、改めて小毬の表情、様子を窺う。
 ……目がイってしまわれている。筋肉ゾンビだ!

「ねぇ、かなちゃん。この前言ってたよね? 学校指定のセーターでも、みんなが着てないんだから着てきちゃダメだって。ひとりだけ違ってたら、そのせいで風紀が乱れるって。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「え、ええ。言ったわね」
「……じゃあ、今のかなちゃんはどうなのかな? 筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「……っ!」

 みんなが筋肉ゾンビとなった中、ひとりだけそうではない佳奈多。

「……つまり。私が風紀を乱してると……そう言いたいわけね?」
「はい、よくできました〜。そんなわけで、かなちゃんも……れっつ筋肉! だよ〜。筋肉いぇいいぇーい! 筋肉いぇいいぇーいっ!!」

 腕を振り上げ、高らかに筋肉を叫ぶ小毬。そんな小毬を見て、佳奈多は――

「ふっ」

 小さく、笑った。

「ふ、ふはは、あはははは」

 やがてその笑いは大きくなっていき、それに気付いた小毬が振り上げていた腕を下ろした。

「……何が、おかしいのかな? かな? 筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「ふん、分からないなら教えてあげる。この際、風紀なんてもうどうだっていいのよ」

 豪快な開き直りだった。まあ、そもそもここまで逃げてくるまでの間にビー玉ばら撒きで大惨事を引き起こした佳奈多であるから、このような考えに至るのもさほどおかしいというわけでもない。

「私は、何をしてでも生き残ってみせる。そして――」

 佳奈多が、高らかに宣言する。

「私は、守り抜く! 私のキャライメージをっ!」
「……今さらだと思うけどなぁ。ほら、例えば――」
「他所は他所、ウチはウチよ!」
「う〜ん……じゃあ、往生際の悪いかなちゃんには、この称号をぷれぜんと〜。筋肉いぇいいぇーいっ!!」

 佳奈多は『本当ははるちゃんとクーちゃんのことが可愛くてたまらないかなちゃん』の称号を得た!

「いやぁああぁあああっ!?」
「うん、ぴったり〜。筋肉いぇいいぇーいっ!!」

 さっそく大ダメージを負った佳奈多である。実に恐ろしい刺客だった。
 だが。ここで屈し、筋肉の軍門に降るわけにはいかなかった。だいたい自分のキャラじゃないし。キャラじゃないんだよ。ないんだってば。

(……ま、まずいわね。武器になりそうなものはないし……)

 筋肉ゾンビ相手に戦いを挑んでも甲斐ないことだ。なんとかして逃げるしかない。相手が見るからにトロそうな小毬とはいえ、彼女はもうただの小毬ではない。筋肉ゾンビ小毬なのだ。油断はできない。
 とりあえず、ポケットの中を探る。ビー玉は……さっき全部使ってしまった。他に……他には何かないか。
 ――あった。

「神北さん」
「なぁに〜かなちゃん。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「このポッキー、一箱丸々あげるから、見逃してくれないかしら」
「う〜ん……おっけーですよ〜。筋肉いぇいいぇーいっ!!」

 あっさり成功して拍子抜けしながらも、佳奈多は小毬の気が変わらないうちにさっさと逃げに走る。
 だから、気付かなかった。

「えへへ〜」

 走り去る佳奈多の背を見やりながら、小毬がニヤリと笑みを浮かべていることに。





「とりあえず、敷地の外に出ないと」

 佳奈多が目指すのは校門である。筋肉ゾンビで溢れかえる校内に留まっていては、いつ餌食にされるか分かったものではない。
 幸いにも、校舎外に出ている生徒は少なかった。校門までの直線を遮るものは何もない。

「よし、このまま――」
「おおっと、そうは問屋が卸さないんですヨ!」

 声。
 校門の、向こう側から――

「待ち伏せ……!?」

 影が躍り出ると同時に、佳奈多は足を止める。
 その特徴的なツーテールを見るまでもなく、最初に声が聞こえた時点で新たな刺客の正体は分かっていた。だから佳奈多は内心の動揺を無理やり抑え込み、いつもどおり――そう、いつもどおりに表情と声を作って、投げかける。

「……ふん。やっぱり、あなたもこの馬鹿騒ぎに加担してたってわけね。三枝葉留佳」
「そりゃー私は騒がしいのが大好きですからネ」

 不敵に笑う妹に、佳奈多ははっきりとした違和感を覚える。
 その、笑み。あの子が私に、あんな顔を見せたことが一度でもあっただろうか……? 少なくとも、今のような関係になってからはない、というよりも、ありえないはずだった。ずっと、佳奈多は葉留佳に憎まれるよう努め、葉留佳は佳奈多を憎んできたのだから。
 だが、葉留佳の浮かべる笑みには欠片も邪気がない。久しく自分には向けられていなかった妹のそのような笑顔に、抑え込んだはずの動揺がぶり返してくる。

「……三枝葉留佳。そこを、どきなさい」
「だぁから、そういうわけにはいかないんですヨ。筋肉いぇいいぇーいっ!!」

 やはり葉留佳も筋肉ゾンビと化してしまっていた。それはもちろん嘆かわしいことではあるものの、佳奈多にはそれ以上に気にかかることがあった。
 葉留佳には、まったく臆した様子が見られない。それも筋肉ゾンビ化の影響と考えるならば、まあ納得できないこともないのだが……。探りを入れるために、もう一声放る。

「どけ、と言ったのが聞こえなかったのかしら、三枝葉留佳」
「や、もちろん聞こえてるんですけどネ。うーん、往生際が悪いというかなんというか……早いとこ諦めて、お姉ちゃんも筋肉を受け入れて楽になりましょうヨ。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「え?」

 最後の方、筋肉がどうとかというのは、佳奈多の耳には入らなかった。その直前、葉留佳の口から発せられた単語が、あまりにも衝撃的すぎて。
 ――お姉ちゃん。
 なにかよく分からない感情のために震え出しそうになる身体に、佳奈多は必死で言い聞かせる。ダメだ。見せてはいけない。あの子にだけは、絶対に。私は――憎まれていなければならないのだから。
 心を殺しているのはいつものこと。悲しいことに、それに慣れきってしまっている佳奈多の心身は、そう時を置かずに平静を取り戻した。

「……何のつもり、それは? 虫唾が走るわ」

 そうだ。こうやって、冷たく言い放つことだって平気だ。なんとも思わない。なんとも――

「……お姉ちゃん。もういいんだよ、無理しなくても」
「……ッ!」

 取り戻したはずの平静は、いとも容易く崩れ去った。表面にこそ出さずにいられているものの、内心受けた衝撃は計り知れないものだった。なにを言っている? 無理しているだって? 私が?

「な、何を言って――」
「隠したってダメ。そりゃ、目が曇ってた今までの私なら何にも分からなかっただろうケド……」

 動揺する佳奈多を他所に、葉留佳は胸を張って自信満々に言ってのけた。

「筋肉による救済を得た今の私になら、分かっちゃうんですヨ。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「…………」

 一瞬、思考が停止する佳奈多。何か、色々と台無しにされた気分である。
 葉留佳は、さらに言葉を続けた。

「お姉ちゃん、知ってた?」
「な、なにを」
「……私を見下すための表情を作るのも。私を罵るために口を開くのも。私を殴るために手を振るうのも。全部、筋肉さんのお仕事なんですヨ。筋肉いぇいいぇーいっ!!」

 当然と言ってしまえばそれまでなのだが、葉留佳の言うことは全て事実である。何だかんだ言っても、筋肉は偉大なのだ。試しに、筋肉が全く無い人間を想像してみればいい。それがもはや人間ではないのが分かる。
 まあ、ここまでは分かる。だからなんなんだ、というのが佳奈多の心境である。もっとも、脳ミソ筋肉な妹の姿は見るに堪えないものでもあるので、続きを催促するようなことはしない。そもそも、そんなことしなくても葉留佳は勝手に話を続けてくれるわけなのだが。

「私達は筋肉さんのおかげで生きていられるんだよ。それを踏まえて、思い返してみたんだ。今までの、お姉ちゃんの筋肉を。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「……ッ!?」

 ブルッと身体が震える。恐ろしいまでの悪寒。佳奈多は、この妹のことを初めて怖いと感じた。

「そうしたらね、聞こえてきたの。……お姉ちゃんの筋肉の、悲鳴が。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「……!」

 わけがわからない。わからないなりに、驚く。

「筋肉さん、叫んでましたヨ。嫌だ、こんなことしたくない、って……さっきのだって、そう。筋肉は嘘をつかないのデス。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「そ、それは……」

 筋肉は置いておくとしても、図星を突かれたのは事実だ。
 慣れはした。だが、いくら慣れたとしても、それを好き好んでやったことなど一度もない。
 佳奈多は半歩……たったそれだけ、下がった。経緯がどうであれ、葉留佳に知られてしまったことに、何なのかよく分からない恐怖を感じて。
 そのたった半歩が、すでに全てを決していた。
 葉留佳が一歩、前に出る。佳奈多が、今度は一歩、下がる。

「ねえ、お姉ちゃん」
「……やめて」
「さっきも言ったけど……もう、無理しなくてもいいんだよ?」
「来ないでッ!」

 佳奈多の悲鳴染みた声にも、葉留佳は歩を止めようとしない。

「どうして? やっぱり本当は、私のことキライ?」
「……そんな……そんなわけ、ないでしょ」

 もう、佳奈多の心は折れていた。絶対に見せまいと思っていた弱さが、涙になって零れそうになる。
 慣れることで負う傷は小さくなっていった。でも、いくら小さくなったとしても、完全に無くなることはない。癒えることもなく、ただ刻まれていくだけ……その、傷だらけの佳奈多の身体と心を、葉留佳はそっと優しく、それでいてしっかりと、抱き締めた。

「え、あ……」
「んー、筋肉が硬くなっちゃってますネ。ほらお姉ちゃん、リラックスリラックス。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「み、耳元で叫ばないで……」

 耳の奥で筋肉いぇいいぇーいっ!! が反響する。そのせいか、怖くて恐ろしくて、泣き出しそうだった自分がひどく滑稽に思えた。
 もしかしたら……そう、もしかしたら。たった一言さえあれば、やり直せるのかもしれない。最初はぎこちなくても、少しずつ、少しずつ、普通の姉妹になってゆけるのかもしれない。
 でも、同時に思う。それは、ムシが良すぎやしないか、と。好きでやっていたわけではないとはいえ、今まで葉留佳にしてきた仕打ちが帳消しになるわけではない。あれだけのことをしてきた私に、そんな資格があるのか――。

「おねえちゃん」
「…………」

 葉留佳の両腕にぎゅっと込められた力を感じる。
 ああ、そうだ。この温かくて優しい抱擁が、葉留佳の答えなんだ。なら、私は――

「……葉留佳。今まで、ごめんね」

 葉留佳は、笑顔でそれに答えた。





 今は青い葉の生い茂る校門脇の桜の木の下で、二人は寄り添いあいながら、今まで失ってきた長い時間を取り戻そうと、少しずつ、でも色んなことを、語り合っていた。

「でもやっぱり、筋肉は偉大ですネ! 筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「いきなりなんなのよ……」

 なんとなく良い雰囲気だったはずなのに、脈絡なくそれをブチ壊した葉留佳に、佳奈多は呆れたように溜息をつく。

「やー、でも私達がこうして仲直りできたのも筋肉大明神のおかげだしさー。筋肉いぇいいぇーいっ!!」
「改めて考えてみたら、ものすごく馬鹿馬鹿しいことをやってたような気がするわ……」

 気がする、ではなくて、まさしくそのとおりなのは佳奈多にも分かってはいるのだが、あくまでもそう言っておかないと、色々とマズい気がしたわけである。そんな佳奈多の物言いに、葉留佳は悪戯っぽく笑みを浮かべて、答える。

「じゃ、また喧嘩しちゃう?」

 それに対する佳奈多の答えは、当然決まっていて。

「絶対に嫌」
「ということは、やっぱり筋肉さんは凄いってことデスヨ」

 なんとなく、いいように誘導されている気がしないでもなかったが、気にしないことにした。それに……

「……まあ、そんなに悪くはないかもね。筋肉」
「でしょでしょ!?」

 目をキラキラと輝かせる葉留佳が、勢いよく立ち上がった。そのまま、佳奈多の腕を掴んで引っ張り上げる。

「ほらほら、お姉ちゃんも早く立って!」
「ちょ、ちょっと」
「こんな所でのんびりしてる場合じゃないんですヨ! さあ。お姉ちゃんも一緒に!」

 何を、とは聞かない。分かりきっている。嫌よ、とも言わない。……なぜだろう。でも、葉留佳が笑ってくれているのなら。それで、いい気がした。

「……まったく、仕方ないわね」
「さすがお姉ちゃん。じゃ、思いっきりいくよー! せーのっ」

 姉妹は、声を揃えて。

『筋肉いぇいいぇーい!! 筋肉いぇいいぇーいっ!!』









「これでみんな筋肉旋風(センセーション)に巻き込まれたね!!」
「ああ、ここから世界が変わっていく予感がするぜ!!」
「さあみんな一緒に!!」

 筋肉いぇいいぇーい!! 筋肉最高!! 筋肉いぇいいぇーいっ!!



                 ……こうして世界は筋肉に包まれた……

――――――――――――――――――THE END―――――――――――――――――――


[No.293] 2008/05/21(Wed) 23:03:12
嗚呼素晴らしき筋肉様 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ

 その日、珍しく僕は先に目覚めた。ナルコレプシーの影響なのか、いつも夢を見ないほどに眠りは深い。あるいは単純に覚えていないだけなのかもしれないけど、どちらにしろ記憶にないものを思い出せるはずもなく、まだ少し重い頭を軽く振って、とりあえず顔を洗うことにした。流し場で蛇口を捻り、勢い良く落ちる水を両手で受け止めてばしゃりと被る。
 何度かそれを繰り返すと、瞼がさっきよりはっきり開くようになった。備え付けのタオルで濡れた顔と手を拭き、一息。

「ふぅ……」

 枕元の携帯で時刻を確認してから窓際に寄り、カーテンを開く。途端、遮られていた朝の光が室内に入り込み、僕は微かに目を細めた。眩しくても、この明るさは心地良いものだと思う。網戸側の窓も開け、ちょっぴり熱が籠もった部屋の空気を入れ換えつつ、未だ寝ている真人を起こしに掛かる。
 ちなみにいつもなら、真人の方が起床は早い。だいたい僕がベッドから出る頃にはもう着替えも済ませていて、おはよう、なんて言いながら庭先でダンベルをぶんぶん振っている。だから正直こんな朝は久しぶりで、何となくいい気分だった。
 二段ベッドの上で今日もだらしなく掛け布団を蹴り飛ばしてる真人に声を掛けようと梯子を上り、

「…………え?」

 そこで僕は、有り得ないものを見た。
 薄手のシャツと短パン姿の真人は、仰向けになって手足を四方に投げ出している。それはいい。
 服の生地を激しく突き上げる何かが、胸の部分にあった。何か。張り詰めた衣服の圧力で柔軟に歪む、何か。
 その物体の名前を、僕は知っている。でも、おかしい。有り得ない。だって――。

「んあ……お、理樹。おはよう、今日は早いな」
「あ、う、うん。ふっと目が覚めちゃって、真人を起こそうと思ってたんだ」
「今何時だ?」
「六時、五分くらいかな」
「オーケイ、じゃあオレは起きるぜ。顔洗ったらちょっくら外走ってくる」
「わかった。僕も付いてっていい?」
「理樹がそんなこと言うなんて珍しいじゃねえか。何だ、ついに理樹も筋肉付ける気になったか?」
「違うよ。折角早起きしたんだし、たまにはいいかなって」

 ニカッと笑って言う真人にそう返し、小さな罪悪感を覚えた。
 梯子から下りる直前、最後にちらりと真人の胸部に視線を向ける。

 そこにある二つの膨らみ――即ち、おっぱいへと。





嗚呼素晴らしき筋肉様





 全身筋肉の塊みたいな真人は一見すると鈍重そうだけど、実際はそうでもない。足の速さでは恭介や鈴に及ばないし、瞬発力なら謙吾の方が上だ。けれどもその代わり、真人には驚異的な体力、持久力がある。毎日ランニングを欠かさず行っている成果だろう、一度走り始めると、寮からグラウンド辺りまでを往復する間、決してスピードは落ちない。
 今日は僕が一緒だからか、軽く流すくらいの距離だっていうのに、後を追うこっちは半分も行かないうちに息が苦しくなった。一応人並みには運動できるって自負もあるけど、真人のペースに合わせるのは至難だ。徐々に離されていき、結局折り返し地点で真人は立ち止まって待ってくれた。

「真人、は、速いよ……」
「そっか? これでもゆっくりめなんだけどな。理樹は筋肉が足りてないぜ」

 残念ながら反論の糸口がないので、頷くしかない。まあ、真人と比べれば誰だって足りてないだろうけど。
 荒れた呼吸を整えると、周囲の状況に気を配る余裕が出てくる。五月半ばとはいえ朝の大気はそれなりに涼しくて、流れた汗を吸ったシャツがすうっと冷えていくのを感じた。後で着替えなきゃと思いながら、お腹の辺りで腕を組んでいる真人……というより、おっぱいの様子を窺う。出かける前に頬を抓って確かめたところ、夢じゃないのは確かだった。
 とにかく、大きい。肩幅や体型の問題もあるのかもしれないけど、来ヶ谷さんにも勝るサイズだ。
 着慣れてくたびれたタンクトップに包まれたそれは、窮屈そうに己の存在を主張している。女性が身に着ければ充分過ぎるほど露出の高い服装のせいで、胸元の谷間も一目瞭然。張りのある肌は美しい曲線を描き、そこだけを見れば所有者が真人だとは到底考えられない。
 僕の記憶が確かなら、乳房というのは九割が脂肪だ。筋肉とは正反対の、いわば余分な肉。反発する二種の属性を無理に融合させたかのようなその姿は、どこかグロテスクですらある。
 ただ、現在真人の胸に付いているおっぱいが、抗い難い魅力を持っているのも事実。
 何故なら、それがおっぱいだからだ。他にどんな理由が必要だろうか。

「よし、今度は少し速度落としてみっから、理樹も頑張れよ」

 往路よりも僅かに遅いペースで再び走り出す真人を、僕も同じ速さをなるべく維持して追いかける。
 滑らかな手足の動きと、規則正しいリズミカルな呼吸。バランスが崩れるようなこともなく、なるほど真人も努力してるんだな、と身を以って実感した。……まあ、それはそれとして。
 音が聞こえてきそうなくらいに、おっぱいが弾んでいる。何かこう、すごい。よくわからないけどすごい。
 思わず「痛くないの? 重くないの?」と訊きかけ、慌てて口を真一文字に閉じた。こうもあからさまなのに、真人はいつも通り過ぎる。つまり、現状を変だと感じてないってことなんだろう。だとすれば、そんな質問をして疑われるのはむしろ僕の方かもしれない。どっちが普通でどっちが異常なのか。二人分の視点では、まだ判別できなかった。……とりあえず、重力に反逆するかのようなこのおっぱいはそこだけ切り取って脳内フォルダに百万回保存しておく。眼福眼福。

「今度はちゃんと付いてこれたな」
「あ、もう戻ってきたんだ」
「着替えたらさっさと食堂行こうぜ。時間的にも丁度いいしよ」
「そうだね。このままだとちょっと汗臭いし」

 部屋に到着してから、僕達はそれぞれ自分の衣服を取り出す。湿ったシャツは後で洗濯物としてまとめとかなきゃいけない。見られても別に困らないからと上を脱ぎ、制服に合わせた無地白色の物に首を通すと、すぐそばで真人が豪快にタンクトップを脱ぎ捨てた。当然、押さえつけられてたおっぱいは解放される。

「ん、どうした?」
「いや、な、何でもないよ」
「変な理樹だな。見つめられるとなんだか恥ずかしいぜ」

 生。生おっぱいだ。
 男だから真人は下着の類を着けていない。万が一ブラジャーがその胸を覆っていたら見かけた人が全員変態だと指を差すのは間違いないけれど、異常を認識してる僕からすれば、はっきり目の毒だった。小さな挙動でもふるふると柔らかそうに揺れる双丘はさっきから僕を誘い続けていて、舌が蕩けるほど甘い蜜を前にした蝶の気持ちになった気がする。
 あれは筋肉、筋肉なんだと自分に言い聞かせたけど、自分の中に眠る本能がそんな欺瞞を嘘だと切り捨てた。
 以前、真人に付き合って、テレビでボディービルダーを見たことがあった。最初僕は男だけが出てくるものだとばかり思っていて、だから筋骨隆々とした、ほとんど身体的には見分けがつかないような女性が画面に映った時にはびっくりした。肉の筋がくっきりわかるほど浮き上がった全身。肌を覆う僅かばかりの布さえも引き千切らんとする強靭な肉体は、スポットライトに照らされぬらぬらと妖しく光を反射し、画面越しでも一片の無駄もないことが窺える努力と研鑚の結晶は、気持ち悪くもどこか侵し難いものを備えていた。
 でも、そこにはおっぱいがない。鋼の強固さを彷彿とさせる大胸筋は無駄がない故に平たく、それはつまり、どれほど鍛えても、否、鍛えれば鍛えるほどにおっぱいという概念からは遠ざかっていく、ある意味絶望的なまでに悲しい現実が立証されたってことだ。筋肉とおっぱいは相反する。決して、その二つは両立しない。
 ――なのに今、僕の目の前には奇跡がある。

「ねえ、真人。真人の大胸筋、触っても、いい?」

 気付けば、そんなことを口にしていた。
 初め不思議な顔を見せた真人は、ほんの少し考える仕草をし、

「今日の理樹は本当に珍しいな……。ま、いいぜ。ようやく筋肉の魅力を理解してくれたみたいだしな」

 ごくりと唾を飲む。一歩近づく毎に、手の震えを自覚する。学生としてはほとんど極限まで鍛え抜かれた胸板の上に付く、豊満な乳房。女性らしさと全く無縁な真人にはまるで似合わない、だけどもそれ単体で見れば美しいことに変わりない、人体の神秘。そう、真人と分離して考えるならば、理想的なおっぱいだった。
 ――ふと思い出す。昨日教室で真人と遊んだ時、僕は何と口にしていただろうか。

『真人、そういえば今日は筋肉曜日だよ』
『なんだとぉ!? なんだかさっぱりわからねえが、聞くだけで興奮するぜっ』
『謝肉祭……いや、謝筋肉祭が始まるよ』
『内容は全くわからねえが、望むところだぜ……』
『じゃ、行くよ。はぁ〜、筋肉様よ、鎮まりなされえぇぇぇーっ!』
『う、うわああぁぁぁー!!』

 貧乳がいた気がしたけどそれはどうでもいい。筋肉様、筋肉様だ。
 もしかしたらこの状況は、筋肉様が齎したのかもしれない。だとすればあのおっぱいは、筋肉をひたすら鍛え、敬意を払い続けた真人に対する、心ばかりの贈り物ということになる。すごい。真人は筋肉様に認められたんだ。きっと今もどこかで筋肉様がみてる。ごきげんよう筋肉様。ありがとう筋肉様。僕はこれから毎日あなたに祈りを捧げます。
 ということで、いざ。

「……っ」
「どうだ、すげえだろ?」

 手のひらで触れた瞬間、背筋に甘い痺れが走った。尋常じゃなく柔らかい。力を入れて滑らかな肌に五指を沈めると、優しく跳ね返そうとしてくる。淡く吸いつく絶妙な触り心地。こうしてるだけでも、何時間だっていられると思う。
 男同士が友情を深めるためのスキンシップ。だから問題ない、と一人頷き、夢中で揉み続けた。ここで喘ぎ声が聞こえたりなんかしたら萎えた可能性もあるけど、真人には普通に触られてる感覚しかないらしい。好都合だと割り切り、さらに強く揉んでみる。限界まで食い込んだ指に伝わる、至高の手触り。理性をあっさりと失わせかねない幸福感に、くらくらした。

「……うん、真人、本当にすごいよ」
「へへ、理樹に褒められると嬉しいもんだな」

 撫で擦れば極上のシルクにも似ていて、好奇と期待の感情は際限なく膨らんでいく。もっと、もっと弄ってみたい。手指で触れるだけじゃなく、思うがままに蹂躙して味わいたい。だけどそれがどれほどリスクの高いことかくらいは理解してるし、今しているのは結局代替行為に過ぎないというのも、わかってる。僕だって男だ、素敵なおっぱいを見れば揉みたくもなるし、色々やってみたいと考えるけど、恋人でもない人間にいきなりそんなことをしたら、殴られるか蹴られるか、あるいはもっと酷い仕打ちを受けるかだろう。目も当てられない結果が待ってると知りながら実行する勇気は、僕にはない。
 なら、妥協したって構わないはずだ。例え相手が真人であっても、おっぱいには変わりない。罪もない。みんなおっぱいは生まれてくる子供のためのものだと言うけれど、違う。
 生物学的にはそうかもしれない。でも、全てのおっぱいは、自分以外の誰かに揉まれるために存在してるんだから。

「僕も……頑張れば、こんな風になるのかな」
「ひょろっちい理樹にはまだ遠い先の話かもしれねえけどよ。オレはいつか理樹もこの高みに辿り着けるって信じてるぜ」
「……これからも、こうやって触ってもいいかな。真人を感じたいんだ」
「おう、オレとしても理樹が確かめてくれるなら安心だ」

 もう戻れない、人間的な袋小路へ踏み出してしまったことを自覚しながら、それでも僕は幸せだった。
 いつでも手の届く位置におっぱいがある。遠巻きに眺めて羨まずとも、彼女たちとの関係が壊れるのを恐れなくとも、真人は、真人だけは僕を受け入れてくれる。ささやかな欲望を、満たしてくれる。
 それで、いいじゃないか。
 何故か廊下の方から泣き叫んで走り去っていく鈴とクドの声が聞こえたような気がしたけど、それもどうでもよかった。



 →筋肉エンドへ続く





 嘘次回予告


「大変だ、理樹が、理樹が筋肉馬鹿にべったりなんだっ!」
「このままではリキもいずれ井ノ原さんみたいにムキムキに……わふーっ! それは嫌ですーっ!」

 さり気ない、しかし明らかな異変に気付けない少女達は、予想だにしなかった勢力の登場に危機感を隠し得なかった。
 その情報は些か曲解されて走り回る。鈴とクドのみならず、他の四人にも。

「そんな馬鹿な……少年は私のおっぱいよりも暑苦しい筋肉の方がいいというのか」
「おおっ、姉御が珍しくうろたえてるっ!?」
「……葉留佳君、今すぐ小毬君を呼んできてくれ。理樹君を正しい道に戻すためにも、皆の力が必要だ」

 かの筋肉に対抗するには、あらゆるおっぱいを総動員しなければならない。
 豊満なだけでは駄目なのだ。悔しくも、来ヶ谷唯湖は冷静な自己分析の下に動き出す。

「な、なんだかよくわからないけど、理樹君のためならがんばるよ〜」
「少年をめぐるささやかな争いは一時休戦と行こう。私はここに、おっぱいバスターズの結成を宣言する」
「くるがや、その名前はしょーじきどうかと思う」
「何、これくらい直接的なら効果もあるかもしれないだろう? それに、私の勘が告げている」
「わふ? 何をですか?」
「少年はおっぱいに並々ならぬ興味を示している。……ならば、付け入る隙もそこにあるはずだ」

 そして、もう一人――
 誰より現状を認めぬ少女が、立ち上がる。

「直枝×井ノ原……あまりにも美しくないです。わたしはそれを、許すわけにはいきません」

 それぞれに思惑を抱き、筋肉対おっぱい、相容れない二者間で激しい戦いが始まる……!



 次回『おっぱいのためなら死ねる』



 注:公開は永遠に未定です


[No.294] 2008/05/22(Thu) 04:18:07
幻想《筋肉》小説 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ

 主治医であるタンパクシツが言うには、それは筋肉痛と呼ばれる現象であるそうだ。染み入るような痛みの流れは重く行動を束縛し疲弊を誘う。だがそれは甘い痛みでもあった。ア・デュームペル(バラ科の花の糖蜜煮パイ)に似た香しい喜びの味である。だから彼はその痛みに一つ頷いて、受け入れる事にした。
 彼は宙へと浮き上がり、不自由なその繊維の一本一本を慈しんだ。かつての雄姿見る影もなく、無残に断裂した己の身体に恥はない。敗走の果てに弱りきり砕け散ったのなら恥辱によって死に絶えようものだが、傷つきながらも守り通せた事実をとても誇らしく感じられたのである。
「しばらくすれば痛みは治まる事でしょう」
「何だって。それは恐ろしい話だ。私からこの痛みを奪おうというのか!」
「お気を確かに。痛みはいずれ消えるのです。それこそが神の御心」
「何たる事。神には逆らえぬ。しかし私はこの痛みを愛しておる」
「将軍閣下。恐れながら今の言葉はわたくしの耳に届くより前、赤き濁流によって消え去りました。ですからどうか、もう二度とは口になされませぬよう」
 彼は主治医の理智を褒め称え、暗雲とした面持ちで館を後にした。
 そこには草原が無限に広がっている。遠くアレイテツ山の悠然たる姿を望む広大な草原地は彼の故郷でありレテ・リューク(愛の大地)である。愛の大地とは即ち母となるもの。国家の中に刻まれる一文、『我等は愛しいこの地が枯れ果て潰える時まで共に歩まん』から取った言葉であった。
 彼はその言葉を頻繁に口にした。師団への入団式、帯剣を許されたあの幼き日にも、見守る無数の筋肉(ともがら)を前にして、『コルポルハ・×××・エム・レテ・リューク!(我が全ては神と愛の大地のために)』と高らかに宣誓した。宣誓の言葉は個々に違っており、神の名を口にするものは多く居たが、大地を愛したものは少なかった。
 その事からも彼がどれ程、この大地を愛していたかは推して知るべきだろう。師団として戦に駆り出される事も彼にとっては栄誉な事だったのである。
「将軍、傷の手当は済んだのかね?」
「これはこれは、上腕二頭筋閣下。貴公こそ酷い手傷を負ったと聞きました」
 同じように館から出てきた同僚に、彼は朗らかに笑いかけた。同じく方面軍司令部長として先のフーア(大戦。ここでは『おおいくさ』と読む)に立ち向かった間柄だ。
「エキパンスダー湖の防衛、ご苦労だった」
「なに、こちらはまだマシというものでしょう。閣下が担当されたベルダン砦の防衛戦に比べれば、そよ風のように穏やかなものでしたとも」
「世辞は無用だよ。それに、実質的には私は敗北したのだ。君や各方面が耐えてくれたからこそ、なんとか維持する事が出来たのだから」
「閣下。お互いに礼は全てが終わった後にしようではありませんか。今もまだ最前線では我等が同輩が戦いを続けているのですから」
「その通りだな、将軍閣下」
 上腕二頭筋は首肯した。それから彼と同じように遠いアレイテツ山へと視線を向ける。そこには死守した砦があり、今も断続的に恐ろしい敵兵の脅威に曝されているのだ。
「だが、早々に復帰しようにも、この身体ではまともに戦えん」
「その点は安心してよろしいかと。我等は初戦に耐えました」
「結果として当てのない消耗戦を続けておるではないか」
「ですが、諦めぬ限り光は見つかりましょう」
 少なくとも心筋皇帝は継戦路線を守っている。戦い続けるならば何時の日か再生の時を迎える事が出来るだろう。恐るべき闇の集団の猛攻に耐え抜く事が出来たならば、あるいは。
「まさか君も英雄を望んでいるのかね」
「英雄は無用です。必要なのは希望かと」
「それらは同義に思えるよ。ペエ・トーア(筋兵、兵士)の一部には、英霊である仙尾筋の再来を望む声もある。確かに彼の方はケフリウ族とのフーアを勝利に導いた英雄ではあるが、今更過去に縋っても仕方あるまいて」
 その通りであった。少なくとも、最早絶して久しい前後仙尾節大将軍の逸話を持ち出したところで大勢は変わらない。メネ(戦神)の御伽噺など何の意味もない。しかしそれが士気の支えとなっているのなら話は別だ。彼の種族は何ものかに頼らねば成り立たないが、自己努力を惜しむ事もない。そのようにして発展してきたのではないか。
「英雄がいないのならば、誰かがそうなれば良いのです」
「それが君だというのかね?」
「分かりません。ですが私はこの痛みを苦としておりません」
 上腕二頭筋閣下は「そうか」とだけ答えた。
「閣下。私は神に必要以上のものを望んではおりません」
「将軍、それは恐ろしい言葉だ」
「では、どうかお忘れください。今、私は物言わぬ脂肪細胞に向って話しておりますゆえ」
「いいだろう。では私は風の音を聞いているのだ」
 閣下の好意を受けて、彼は己の思いを語った。
「神は我々に多くのものを与えてくださいます。それは我々が生きる上で不可欠なもので、即ち力であります。ですが私は思うのです。それで十分なのではないかと。希望は我々が生み出さなければならないのではないでしょうか。そう、それは決して与えられるものではないと、考えるのです」
「……将軍、これは風の音だ。耳を澄ませ良く聞き取りなさい」
「えぇ、私の耳は常に大地の声を志向しております」
「私も同じ意見だよ」
「我等が愛の大地よ、ありがとうございます」
 彼は感謝の言葉を感動をもって口にすると、緩やかに自らの戦場へと向う。不自由な痛みは、自由への証なのだ。彼にとってそれは苦痛ではなく、喜びであり誇りだった。恐るべき闇の軍勢は際限知らずに襲い掛かってくるだろう。しかし踏み出された彼の一歩は何よりも強く、やがて未来を切り開き、希望へと辿り着くだろう。
 そうして彼は戦場へと舞い戻った。守るべきものを守るために。圧倒的な物量によって押し寄せる敵を、少しでも抑えるために。その先に生まれる希望を待つために。当てのない消耗戦の果てに、その栄光が見えていたのだ。
 つまり、命とはそういうものなのである。



「という夢を見たんだ」
 何を深刻な顔をして話し出すのかと思えば、夢オチという最低最悪の結末だった事に絶望し、理樹は掛ける言葉を失った。代わりに隣に座る鈴が、彼女らしい率直な意見を口にする。
「理樹、見ろ。馬鹿がいるぞ」
「鈴、お願いだから皆分かりきってる事を今更のように口にしないで」
「ってお前ら! 人の話を真面目に聞けよっ!」
「唾を飛ばすな、馬鹿あああああああああっ!」
 鈴の鮮やかなドロップキックが真人の鼻面を打ちのめした。
「いてて、くそっ! こっちは真面目な話をしてんだぞ!」
「真面目成分がどこにあったのか、具体的に教えて欲しいんだけど……」
「具体的? えっと、そうだな……なんとなく、ニュアンス的に」
「理樹、行こう。コレはもう駄目だ」
「コレ呼ばわりかよ! あ〜、とにかく聞けって。この夢を見てな、俺は思ったんだ」
 胡散臭げな両名の視線を感じもせず、真人は言った。
「俺は何となく分かるんだ、この筋肉の気持ちが。こいつはちゃんと、守るべきものを守れたんだってな」
 呆れるほどの筋トレはいったい何のためなのか。
 膨れ上がる筋肉は、何を守るためのものなのか。
 手にした力は、誰かを傷つけるためのものじゃない。
 並みの相手なら好き放題に無理を押し通せるこの力は、そんな暴力のために欲したわけじゃない。最初はそうだったとしても、少なくともここに居る自分は。
「もしかしたら、夢の中の筋肉は俺だったのかもしれない」
 守りたいと思うものを守るために戦えた。いや、違うか。真人の立場で言えば、守りたいものを守るために使えたのだ。だが不思議な話、そこには境界が存在しない。戦えたのか、使えたのか。夢の中の自分は戦い、夢から覚めた自分は使えた。そのどちらが正しいのかは、本人にしか判断できず、また、本人にさえ判断できない。つまり何が何処まで夢であったのかは、少なくとも観測者本人にとっては不確定なのである。
 ただ、迫り来る闇の軍勢から彼らを守れた事は確かだったのだ。
「気をつけろ、理樹。コイツ、脳までっ」
「鈴。だからそんなの今更だってば」
「真面目に聞けよお前ら!」
 真人菌がうつるぞと逃げ出す二人を追いかける事はしなかった。菌ではなく筋なら幾らでもうつしてやりたい気分だったが、それを望む事も出来ない。
 一人残されて……真人は何時もどおり筋トレを始めた。
「おぉっ! 上腕二頭筋が猛烈に膨らんでいくぜ! 筋肉最高ぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 彼は何時だって誇らしげだった。自らの肉体を誇っていた。
 何故ならその筋肉こそが、彼が守りたいと思った、弱くて幼くて、けれど何時かは輝くだろう希望を、どうしようもなく訪れる闇から守ったのだから。だから、真人は今日も筋トレを続ける。

 私の筋肉は。筋肉の私は。
 その痛みに誇りを持ち続けているのだ。


[No.295] 2008/05/22(Thu) 05:16:09
女王ネコの憂鬱 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ

「……ううっ」
「あっさーちゃん気がついた」
 ええっと何があったのでしょうか。少しづつ自分の状況を確認してみます。今は何一つ身に着けておらず、神北さんの膝の上で寝てうちわであおがれていますがこれは一体……
ああ、そうだ、風呂につかりながら今日の試合のことを考えていたはずでそれで……思い出せない。
「湯あたりしていたのですか」
「びっくりしたよ。部屋に帰ってさーちゃんいないと思って先にお風呂入ろうかなと思ったら、お風呂でさーちゃんぐったりしてたから」
「ごめんなさい、あまり風呂場で考え込んではいけませんね」
 意識を失ってから発見されるまでどれぐらいかかったのでしょうか。若く健康とはいえかなり危険な状態だったのですね。
「ありがとうございます、神北さん。もう大丈夫ですから」
 お礼を言い立ち上がろうとしたところ、神北さんにぐっと手をひっぱられます。
「だめだよ、さーちゃん。急に立ち上がったりしたら」
「でもいつまでもそんなことをしていたらあなたも疲れるでしょう。それにこんなところにいつまでもいても仕方がないでしょう」
「うーん、それもそうだね。じゃあ私が連れてってあげる」
 そう言い神北さんはわたくしを抱き寄せるとそのまま立ち上がり、お姫様だっこの状態で歩き始めます。
「ちょっと、神北さん。何をしているのですか!」
「ああん、さーちゃんそんな暴れたりしちゃだめだよ」
「歩けますから。だから降ろして下さい」
「だいじょうぶだよ。私結構力もちなんだよ」
 結局わたくしの抵抗もむなしくそのままベッドまで運ばれました。こんな辱めを受けるなんて責任を取ってください。





 ベッドの上で着替え渡された水を飲み干す頃には、頭がはっきりしました。そうした頭に浮かんでくるのは今日の試合のこと。何があったのか心配する神北さんにわたくしはぽつぽつと語りました。
「そっか、試合負けちゃったんだ。ごめんね、応援行けなくて」
「別にいいですわよそんなこと。それにあんな姿見られたくありませんし」
「さーちゃん一生懸命頑張ってるんだし、負けたって何も恥ずかしがることないよ」
「普通ならそうかもしれません。でも今日の敗北は明らかに私のせいです」
 得点差は一点差。9回2アウトで私の打席。相手のピッチャーの出来からすれば確かに連打は難しかったかもしれません。でもランニングホームランに賭けたりせず、次のバッターを信じていれば同点さらには逆転していたかもしれません。ほかの部員を信じることができなかったなんてわたくしはキャプテン失格です。でもそのことよりもわたくしの頭を占めるのは、本塁クロスプレイで相手のキャッチャーに力負けした悔しさです。
「もう少し体が大きければ相手のキャッチャーをはじいて同点していたかもしれないのに」
 筋肉をつけるために毎日トレーニングを積み重ねています。でももうわたくしの小さな体ではもはや新たに筋肉を入れるためのスペースが残っていません。一見きゃしゃに見える神北さんだってさっきわたくしを運んだように意外と腕力があるようです。せめてわたくしも神北さん並みの体格だったら、今日の試合だって力負けしなかったかもしれないのに。過去一体どれほど多くのスポーツ選手が体格という努力でどうしようもできない部分で、その競技から去っていったというのでしょうか。
「あきらめたくない……」
 わたくしの眼から涙がこぼれてきます。今日泣くのは二度目。今日はただの練習試合。まだ引退までだいぶ間があります。それなのにわたくしは泣いてしまった。それも自分の判断ミスで負けたからという理由ではなく、自分の選手としての限界を感じたからという自分勝手な理由で。
「だいじょうぶだよ。さーちゃんはこんなにもがんばってるんだから次はきっとうまくいきますよ。だからね今日はちょっとだけ休もう、ね」
「うう……うわああああんっ」
 抱きしめられてわたくしははばかりなく泣き出してしまいました。わたくしはもう選手として限界に達したのかもしれません。それでもわたくしはキャプテンとして途中で投げ出すわけにはいけません。だからお願いです神北さん、わたくしを信じてくれる部員の前で弱さをさらけ出さないように、今だけは少し神北さんに甘えさせて下さい。





「はあ……はあ……はあ……あんっ」
「どう、さーちゃん、気持ちいい」
「あっ神北さんそこは」
「あれ、さーちゃんここ触られるのいや? だったらやめるけど」
「……やめないで……そこ……もっとぉ」
「おっけーですよ、もっとしてあげるね」
 流石に得意と言うだけあって神北さんのマッサージの腕前は見事なものです。今まで相当自分の筋肉に無理をさせていたのですね。一回揉むごとに体の疲れが信じられない早さで取れていくようです。いや、体だけではありませんね。神北さんの優しさが手から伝わり体の疲れだけではなく心の疲れまで取れていくようです。世界一のマッサージ師のマッサージよりもわたくしには神北さんのマッサージの方が効くでしょう。
「ねえ、さーちゃん」
「はい」
「さーちゃんの体とってもきれいだね」
「な、何を言っているのですか神北さん。どれだけケアしても追い付かないほど日に肌はやられてますし、胸もお尻も全然肉が付いていません。女性らしいふくよかな体つきで肌もきれいな神北さんと違って、まるで男の子のような体つきではないですか」
「ううん、とってもきれい。だってそれはさーちゃんが誰よりも努力している証だから。そうしてできた体だから輝いて見える」
 この方は一体何を考えているのでしょうか。時々まったく予想しないタイミングで、このような直球ど真ん中の言葉でわたくしのことをほめるのですから。わたくしは学校の中でかなりもてる方だと思います。直接にせよラブレターにせよ告白された回数は軽く2ケタに上ります。でもその時のどんな言葉よりもずんとくるような言葉を、当たり前のように言うのですから困った方です……わ、わたくしは何を女性にときめいているのですか。
「どうしたのさーちゃん。何を考えているの」
「な、なんでもありませんわ。それよりもこれ以上はあなたの方が疲れてしまうでしょう。もうよろしいですわ」
「だいじょうぶですよ。さーちゃんが気持ちよかったら私も気持ちいい。気持ちいいスパイラルですよ」
 それがその、あ、あなたは気づいていないのでしょうけれど、あまりに気持ち良すぎてショーツのあたりが……
「許して下さい」
「ふえ? 何を?」
「それは、その、聞かないでください」
 わたくしはふしだらな人間なのですね。わたくしのためを思ってマッサージをしてくれているというのにそれで興奮してしまうなんて。こんな気持ちになるなんて神北さんの友情を裏切る行為ですわ。こんな優しさを受け取る資格なんてないはずなのに、全身くまなく揉みしだかれていく気持ちよさに抵抗できなくなってしまいます。安楽と興奮という相反するものを一度に受け取りわたくしは段々陶然としていきます。だんだん考えるのがつらくなって……だんだん……だんだん……










 時計を見るともう朝の6時になっています。昨日はあのまま夕食も食べないまま眠ってしまったのですね。普段は体育会クラブに所属しているにしてはあまり食べられない方ですが、流石に昨日の昼食から食べていないとなるとお腹がすきましたね。それにしてもわたくしが眠った後も続けていてくれたのですか。上に覆いかぶさるようにして寝ている神北さんに少し呆れてしまいます。でもそのおかげで全身久しく感じたことがないくらい軽く感じます。しばらく身支度していると神北さんも目を覚まされました。
「おはようございます。昨日はわたくしの上でよく眠れましたか」
「うーん、おはよう、ふえっ! わたしあのまま寝ちゃったの」
「ええ、まったく大変ですわ。あなたとまだ1年以上も同じ部屋で過ごさなければならないなんて」
「ええっさーちゃん私といるのいや? 私は楽しいのに」
「だ、誰も嫌だなんて言ってませんわ。わたくしだって楽しんでいますから」
「えへへ」
「そ、それと昨日はありがとうございました」
「よかった、またするからね」
「それは……」
 そこまで言って遠慮しますの言葉が出てきません。神北さんの優しさにわたくしはすっかり溺れてしまったのでしょうか。










「……というわけなんだけど真人くんどうしたら筋肉付くのかな?」
 朝方昼食を一緒に食べるよう誘われてやってみると、二人で食べるものだと思っていたら宮沢様達もこの場に居合わせています。一体何をするのかと思えば昨日の件についての話。改めて神北さんの口を通して聞くと鏡を見ずとも顔が赤面しているのがわかるくらい、何か怪しげな雰囲気を感じてしまいます。心なしか近くにいる主に男子の目が私たちの方を向き聞き耳を立てているような気が。明らかに昨日神北さんにされたことは女友達の関係ではないと思います。
「……なあ理樹、俺は小毬から筋肉についての相談があると言われたとき心の底からうれしかった。けどよ、話聞いてても何か妙に恥ずかしくなるだけで全然わからねえんだが」
「だ、大丈夫だよ真人。絶対今の話筋肉についての相談じゃないから」
 井ノ原さんでしたっけ。まるで油の切れたロボットのようなぎこちない動きで横にいる直枝さんの方を向きましたが、その顔はまるで理解できない体験をしたかのような混乱が浮かんでいます。まあ、当然と言えば当然でしょうか。今のは確かに相談ではありません。あえて言うならばのろけ……一体女同士で何を考えているのですか、わたくしは。
「ええーっ!真人君どうすればいいかわからないの」
「うっちくしょう、筋肉でみんなの役に立てないんだったら、俺は一体何で役に立てばいいんだっ!」
「ちょっと、真人落ち着いて」
「くそ、答えがわからないのは俺の筋肉がまだ足りねえからだ。俺はしばらく山へこもる。そして必ず相談に答えられるだけの筋肉をつけてやる。あばよ」
「行っちゃダメだ、真人! それ答えから遠ざかるから」
 瞬く間に食堂から消え去ってしまいました。今まで井ノ原さんのことは宮沢様に迷惑をかけてばかりの変な人という印象でしたが、少し話してみると大変いい人みたいですわね。頭の方は考えてた以上によろしくないようですが。
「こまりちゃん」
 先ほどから一言も言わずに様子を見ていた棗さんが、神北さんの腕を掴んで何か考え込むような顔をしています。
「よくわからないけれど今のこまりちゃんの話聞いてて何か嫌な気分になった。こまりちゃんはささみといつもあんなことしているのか」
「いつもじゃないけど、さーちゃんはルームメイトさんだし」
「じゃあ、きょうからあたしがこまりちゃんと一緒に住む。ささみお前はどっか行け」
「何を言っているのですか。神北さんはわたくしと一緒にいるのがいいに決まっていますわ。あなたなんかが入る余地はどこにありません」
「うう、こまりちゃんはどうなんだ。あたしと一緒の部屋になりたくないのか」
「ううん、あのね、りんちゃん。さーちゃん頑張り屋さんだから私側にいて色々応援したいの。だからごめんね」
「うう……」
「おー、ほっほ! だから言ったでしょ、棗さん。神北さんはわたくしが一番ですわ」
 そうです。何か最近はリトルバスターズの面々と一緒に過ごすことも多いですけれど、一年以上も同じ部屋で過ごすわたくしとの絆の方がずっと上ですわ。今回はたまたまわたくしの方が助けられましたが、最近治ったみたいですが血を見ると様子がおかしくなる神北さんをずっと支えてきたのはわたくしですわ。そんな神北さんが他の人と一緒の部屋になりたいなどと望むわけがありません。
「さあ、自分の立場がわかったら邪魔ですのでさっさとその手を放しなさい! この泥棒猫!」
「さーちゃんそんなこと言っちゃダメだよ。りんちゃんもさーちゃんもケンカばかりしてる嫌いになっちゃうよ、めっ」
「やだ、こまりちゃん、ささみと仲良くするから」
「そんな! わかりました。ケンカはもうしませんから。だから嫌いにならないで」
 知りませんでした。神北さんがわたくしと棗さんのことでこんなに心を痛めていたとは。誓います、もう二度と棗さんとケンカなどしません。
「……そんな怖い顔しなくてもいいよ。二ひ……二人とも私のとっても大切な人だから」
 その一言で棗さんの顔に安堵の顔が浮かびました。わたくしの方も緊張が一気にほぐれました。なにか奇妙なことを言いかかってたような気がしますが。
「じゃあ、仲直りのために今日はりんちゃん私たちの部屋に泊まりにおいで。りんちゃんも野球で疲れてるでしょ。りんちゃんにもマッサージしてあげる。もちろんさーちゃんも。それで一緒にお風呂に入っていっぱい遊んで一緒に寝よ」
「わかった、そうする」
「ええ、ぜひそうしましょう」
 一瞬棗さんと目があったときに対抗意識らしきものを感じました。大方今日のお泊まりで自分の方が神北さんと仲がいいことをアピールしたいのでしょうけれど、返り討ちにしてくれますわ。










 ――のちに直枝理樹は語る。二人をなだめる前の一瞬小毬の顔にノートを取り戻した新世界の神のような邪悪な笑顔が浮かんでいたと――


[No.296] 2008/05/22(Thu) 23:40:53
例えばこんな筋肉の使い方 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@全年齢対象仕様でお送りいたします

 放課後、僕らのほかには誰もいない『筋肉!』での『筋肉!』。
 『筋肉!』を離すと、鈴は『筋肉!』そうに俯く。これが『筋肉!』というわけでもないのに、鈴はいつまで経っても慣れることがない。もっとも、僕も鈴のそうした『筋肉!』な仕草に飽きるなんてことはないんだけど。

「む……なんだ理樹、なに笑ってるんだ」
「いや、鈴は『筋肉筋肉!』だな、って」
「…… べ、別にそんなことない。場所が悪いんだ、場所が」

 そう言って鈴は、ぷいっとそっぽを向く。そんな鈴の様子が微笑ましくて、僕は小さく笑った。
 まあ、鈴の言い分も分からないでもない。確かにシチュエーションというのは大事だ。一応は勉学の場である『筋肉!』で、風紀委員に見つかったら不純異性交遊だのなんだのでしょっぴかれるようなことをしている僕ら。『筋肉!』、とでも言うのかな、こういうのは。
 まあ、それはともかく。最近気付いたんだけど、困ったことに、僕は鈴のそういう、『筋肉いぇいいぇーい!!』ところを見るのが好きみたいなんだよね。

「じゃあ、ここじゃなかったら『筋肉筋肉!』ないんだね?」
「もちろんだ。あたしは理樹と違って『筋肉!』だからな」
「つまり、ここでも慣れちゃえば別に大丈夫ってことだよね」
「うん? ……まあ、そうなるな。なるのか?」
「なるさ」

 というわけで僕は、もう一度鈴を抱き寄せて、何か言われる前に、『筋肉!』の『筋肉!』な『筋肉!』を塞ぐ。

「『筋肉!』っ……『筋肉!』ー、『筋肉!』ーっ!」

 まあ当然、鈴は『筋肉!』するわけで。
 もっとも、その『筋肉!』も、僕が鈴の『筋肉!』に『筋肉!』を『筋肉筋肉!』やると途端に弱くなってしまう。頭を離して逃れようとするのも、回した腕で抱きかかえるようにしてしまえば、もう脱出の手立てはない。ここまでやってようやく鈴は諦め、僕に身を『筋肉!』くれる。

「『筋肉!』ぅ……ん……『筋肉!』……んん……」
「『筋肉!』っ……『筋肉!』〜ぅ……『筋肉!』ぁ……」

 まずは、鈴の『筋肉!』い『筋肉!』を『筋肉!』う。『筋肉!』って、『筋肉!』て、強く『筋肉!』て。うん、ちょっとだけど昼に食べたらしいカップゼリーの味がする。とっても『筋肉!』。
 そうやって思う存分鈴を『筋肉!』ってから、僕は『筋肉!』を離す。鈴の目は『筋肉!』としていて、いつものスイッチがもう入っていることを窺わせた。

「鈴、どう? 『筋肉筋肉!』った?」
「ん……うん、そうだな……」

 そのまま鈴は、ぼくに『筋肉!』ってくる。これも毎度のことだけど、ちょっとした『筋肉いぇいいぇーい!!』ぐらいで『筋肉筋肉!』になっちゃうのはどうなんだろう。いやまあ、そういうところも可愛いんだけど。
 抱きとめた鈴の身体は、服越しでも『筋肉!』っているのがわかった。

「……あいかわらず、理樹は『筋肉!』な」
「鈴だってそうでしょ」
「あたしは……理樹のせいでこうなってるんだから、やっぱり理樹が『筋肉!』」
「じゃあ、『筋肉筋肉!』、しない方がいい?」
「…………『筋肉!』」

 今度は、鈴の方から『筋肉!』きた。
 身長差のある僕らにとって、立ったままの『筋肉!』というのは互いに疲れる。だから僕は『筋肉!』を重ねたまま鈴の『筋肉!』に手を回してその身体を抱き上げると、近くの椅子に腰かけて、『筋肉!』の上に鈴を下ろした。
 そうすることでお互い距離が少しばかり近くなって、鈴は僕の首周りに『筋肉!』を回して『筋肉!』ついてくる。こうしていると本当に、子猫とじゃれあっているみたいだ。

「ん、ふ……『筋肉!』……」
「んっ……『筋肉!』……『筋肉!』あ……『筋肉!』う……『筋肉!』、んん、『筋肉!』……」

 鈴からの『筋肉!』だったはずだけど、気付けば『筋肉!』を握っているのは僕になっていた。僕はちょっと調子に乗って、鈴の慎ましやかな『筋肉!』に手を伸ばす。

「『筋肉!』っ!?」

 『筋肉!』っ、と身体を揺らす。何か言いたいことでもあるのか、『筋肉!』も離してしまった。

「ば、『筋肉!』! そ、その、いくらなんでも……ここ、『筋肉!』だぞ。あたし、こんな所で『筋肉!』になりたくない」

 ちょっと『筋肉!』触ったぐらいでそこまで発想が飛躍してしまう鈴は、じゅうぶん『筋肉!』な女の子だと思うよ。いやまあ、もちろん『筋肉!』まで『筋肉筋肉!』つもりだったけどさ。
 とりあえず、言っておくことがある。

「なら、『筋肉!』着たまましちゃえばいいじゃない」
「……まあ、それなら問題ないな。ないのか?」
「ないさ」

 というわけで僕は、両手で『筋肉!』への『筋肉!』を開始した。
 正直、ただでさえ幸薄い鈴の『筋肉!』は、服越しとなってはその感触は全くわからない……なんてことはない。僕の両手の『筋肉!』センサーは、鈴の『筋肉!』をしっかりと感じ取っている。
 男という生き物は等しく『筋肉!』が好きだ。可愛い子の『筋肉!』なら尚更だ。違いがあるとすれば『筋肉!』の好みぐらいのものだろう。僕? 僕は好きな子の『筋肉!』なら『筋肉!』なんて問題にしないよ。こうやって『筋肉!』続けた結果、鈴の『筋肉!』が成長したとしても、僕にはそれを受け入れる覚悟がある。いやむしろ、喜ばしいことじゃないか。
 というわけで、『筋肉筋肉!』。

「んっ……『筋肉!』……なんか、『筋肉!』ったいな」

 と言いつつも、しっかり『筋肉!』くれてはいるらしい。その証拠に、僕の『筋肉!』の上で鈴は『筋肉!』を『筋肉!』合わせて『筋肉筋肉!』し始めている。僕は『筋肉!』を左手に任せ、早速右手をそちらの方に伸ばした。
 まずは、『筋肉!』を阻むかのように『筋肉!』っている太股を、そっと優しく『筋肉!』やる。

「『筋肉!』ぅ……なんか『筋肉!』が『筋肉!』な」
「随分と今さらだね」

 僕は鈴の『筋肉!』に『筋肉!』を寄せて、その『筋肉!』そうな『筋肉!』を『筋肉!』するついでに『筋肉!』。

「ね、鈴。そろそろ『筋肉!』なってきちゃったんじゃない?」
「そ、そんなこと……『筋肉!』っ!?」

 さて、いつもならこのあたりで道が開けてくれるはずなんだけど。今日の鈴は、なにやら『筋肉!』している様子だった。

「鈴?」
「ん、『筋肉!』……ばか理樹、もっかい言うぞ。『筋肉!』、『筋肉!』……っ、ここ、『筋肉!』。誰かに見られたら……『筋肉筋肉』!」
「まあ、そんなことになったら二人揃って停学……とか、そんなことになっちゃうかもねぇ」
「だ、だったら……」
「でも、そしたらさ。一日中、ずっと二人でいられるね」

 まあ、最悪の場合退学ってこともあり得る……というか、その可能性はけっこう高いと思うけど。ここは、あえて考えないでおく。いつか恭介が言っていた。男には、後先考えずに突き進まなければならない時がある、と。僕にとって今がその時なんだ。
 だって。『筋肉!』で、『筋肉!』着たまま、だよ?

「『筋肉!』ぅん、理樹と、一日中ずっといっしょ……授業中も……?」
「そりゃ、停学になったら授業に出られないからね」

 謹慎ってことでそもそも部屋から出られないと思うけど、そんなもの守る気は毛頭ない。

「ん……そうか……それは、いいな。いいのか?」
「もちろん、いいさ」

 というわけで僕の手は、少しガードが緩くなった鈴の『筋肉!』、その『筋肉!』へと突き進んでいく。

「『筋肉!』っ……り、りき、やっぱり、その……」
「今さら遅いよ。それにほら、鈴だって『筋肉!』できないでしょ? もう、こんなに『筋肉!』」
「『筋肉!』、は、『筋肉!』っ……ば、『筋肉!』ぁ……」

 鈴の『筋肉!』な部分は、『筋肉!』越しにでもはっきり分かるほどに『筋肉!』してしまっている。それはつまり鈴が『筋肉!』くれているということで、僕にはそれが嬉しかった。鈴にとっての『筋肉!』、僕にとっての喜び。その証明だった。

「鈴、『筋肉!』ちゃうから、ちょっと『筋肉!』浮かしてくれる?」
「……う、『筋肉!』……『筋肉!』……」

 鈴は素直に頷いてくれた。




















「も……もう限界だ……」
「……しっかりするんだ、来々谷……」
「ふふ……そういう恭介氏も、今すぐにでも息絶えそうじゃないか……」
「そりゃあ……あれだけ『筋肉!』連呼されたら……なぁ……」

 暗い部屋の中、唯一光を放つパソコンのモニターの前に、屍が二つ転がっている。
 モニターの中には、そんな死者たちを嘲笑うかのように、無駄に丸っこくて可愛らしい文字が躍っていた。





 この度は、「リトルバスターズ! エクスタシー」の体験版をプレイしていただき、まことにありがとうございます。
 この続きは、7/25発売の製品版「リトルバスターズ! エクスタシー」でお楽しみください。


[No.297] 2008/05/23(Fri) 17:12:03
理由があるからそこにある。 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ




『いずれ、必要になる』
 ああ、その言葉はなんて重いのだろう。
 僕に、もう少し力があれば。
 
 
   理由があるからそこにある。
 
 
 いたい。
 とてもいたい。
「……」
 その感覚はとてもリアルで、泣きそうになった。
 手を握る。
 手を開く。
 動く。
 なにも、問題はない。
「…よし…」
 それなら、僕は動かなくてはならない。
 そうして、僕は、僕自身の世界を守らなくてはならない。
 僕は、歩いた。
 
 
 
『真人』
『ああ、なんだ?』
 僕はいつか、聞いたことがある。
『何でそんなに鍛えるのかなーって…気になってさ』
 ものすごくいまさらかもしれないけど。
 僕は何気なく。何の気もなしに聞いたんだ。
『そういうことか。…そうだな…俺に言えるのは…』
『うん』
『いずれ、必要になる。
 それだけだ』
 僕にはその意味が分からなかった。
 なにも、知らなくて。
 まだ、無邪気に守られた世界で遊んでいて。
 そうして、僕は弱くて。
 そう。まだ、弱かったんだ。
 
 
 
「…りき…」
「鈴…。心配しないで。大丈夫…」
 正直、とても心配だった。
 目の前には、とても直視できないような凄惨な。
 それこそ、ドラマか何かの場面のようで。
 僕は、認識できなかった。
「……っ…!」
 
 ドクン。
 
 心臓が鳴る。
 うるさいくらいに。
 目の前には、血。
 おびただしいほどの血が、流れている。
 まさに、流血、という表現が正しいかのような。
 
 ドクン。
 
 それでも、僕は進まなくてはならない。
 この中には、僕の守るべき人がいる。
 こんな状況の中でも、僕らを助けようとして。
 なんて、なんていう人達なんだろう。
 僕はその人たちに、精一杯の感謝…そして、その倍の物を、返さなくてはならない。
 返すものとは、すなわち努力。
 そして、結果。
 
 
 
『理樹ー…やっぱり筋トレだよな、そうだよな!』
『いや…多分筋トレして楽しいのは真人だけだと…』
 いつだって言っていた。
 その世界だけではなく、昔からだったけど。
 昔から、真人は言っていた。
『筋肉はあったほうが良いぞ。…なんたって、役に立つからな!!』
 そのときは話半分に返事をしていたが、今となっては、その言葉の意味が…痛いほどに分かるんだ。
 ああ、僕はなんておろかなことをしたのだろう。
 
 
 
「……」
 救出作業はとても大変で。
 やはり、力がないととても出来ないと、実感した。
 
 ドクン。
 
 心臓が張り裂けそうなほどに鳴る。
 痛い。
 いたい。
 視覚、聴覚、感覚…全てが…いたくて。
 僕は何も感じたくないと、思う。
 それすらいたい。
 
 ドクン。
 
「…りき、終わったぞ」
「…うん…」
 そうだ。
 僕は、頑張らなくてはいけない。
 鈴のためにも、みんなのためにも。
 そのために、僕は力を振り絞る。
 
 ドクン。
 
 
 
『お前にこれ、やるぜ』
 授業中のこと。
 真人は、よく僕にアイテムをくれた。
 いつも、真人の使っている筋トレの道具。
『…ありがとう』
 何に使って欲しいのか、僕に何をして欲しいのか。
 …そのときは、分からなくて。
『…やっぱ筋肉は大事だからな』
 それしか言うことないのか。なんて。
 
 
 
 ドクン。
 
 熱い。
 ふらふらと、視界が揺れる。
「…りき…っ」
 鈴の不安そうな声。
 僕は、意識を浮上させる。
「…じゃあ、次はバスの奥、だね」
「わかった」
 
 ドクン。
 
 もう、僕の体力は続かないかもしれない。
 そんなこともおもった。
 でも、進まなくては。
 愛する人々に、感謝の念をこめて。
「…っ!」
 奥はものすごく熱かった。
 そこに、二つの見間違うはずのない姿。
 
 ドクン。
 
 本当に、僕らは大変なものに巻き込まれていると実感した。
 どうして、こんなことになってしまったんだろう。
 何をうらめば良いんだろう。
 …何も、悪くない。
「…鈴」
 鈴は、鈴の音だけを鳴らして僕にうなずく。
 
 ドクン。
 
 僕は謙吾の体に触れる。
 体が熱い。
 それでも汗は出ていなくて…いや、きっと出てはいるのだろう。
 すぐに蒸発しているだけで。
「りき、運ぶか?」
「うん…そうだね」
 
 
 
『やっぱ、筋肉がそばにあるってのは、頼もしいもんだからな』
 そんな言葉を、聞いたような気がする。
 やっぱり、僕はおもうんだ。
 …真人は一番、大人なんじゃないかって。
 
 
 
 ドクン。
 
 心臓が痛い。
 僕は今、またバスの中にいる。
 今度は、真人の番。
 助け出さなければ。
 そう思う。
 
 ドクン。
 
 僕は考える。
 もし助け出せなかったら。
 もし僕がここで倒れてしまったら。
 もし鈴を一人でおいてゆくことになったら。
 全てが僕の妄想でしかないはずなのに、嫌な現実味を持って僕の頭の中で繰り返される。
 
 ドクン。
 
 僕は真人の体に触れた。
 とたん。
 視界が反転した。
 上下、左右。
 明暗、そして色までもが。
 僕は…前。いや、果たして前なのかは僕には判別しがたいが。
 倒れていった感覚は、僕にも分かった。
 
 ドクン。
 
 ああ、いたい。
 何がいたいかといえば、なんだろう。
 助け出せなかったこと。
 もう会えないのだということ。
 残していってしまうこと。
 成し遂げることが出来なかったこと。
 
 ドクン。
 
 そんな、強い、力強い音を聞いて。
 僕の意識は。
 光の中へと溶けていった。


[No.298] 2008/05/23(Fri) 18:33:18
Muscle of friendship (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@普




 修学旅行の時、皆が危ない目にあったのは、きっと僕のせいだ……。もっと僕がちゃんとしていれば、きっとあんなことにはならなかったはずだ。
 だから僕は、これから強くなる。皆を守れるように、強くなるんだ……っ!







Muscle of friendship








「ふっ……ふっ……ふっ……」
「……」
「ふっ……ふっ……ふっ……」
「……お、おい、理樹……」
「あ、真人、おはよう」
「あ、あぁ、おはよう……」
「どうしたの? そんなに、びっくり、したような、顔して」
「いや、お前、何してんだ?」
「何って、筋トレだよ、筋トレ」
「は? なんでんなことしてんだよ?」
「僕も、筋肉に、目覚めたんだっ!だめ、かな?」
「い、いや、いいけどよ……」
「ほら、真人、早く朝の筋トレしないと、学校、始まっちゃうよっ!」
「そ、そうだな。せっかく理樹が筋肉の良さに目覚めてくれたんだからな、よしっ! いくぜぇーーっ! 筋肉筋肉ぅーーーーっ!!」
「筋肉筋肉ーーーーーっ!!」

 僕と真人は並んで筋トレを始めた。



 10分後。

「ィヤッホーーーー、筋肉最高ーーーーっ!!」
「理樹が俺のようになるまで俺は見届けてやるぜぇーーーーっ!」
「頼んだよ真人ぉーーーっ!」
「オーケーオーケー、任せとけ相棒っ!」

かちゃり……

 僕たちが腕立て伏せをしながら魂の共鳴を繰り広げていると部屋のドアが開いた。

「お前等、まだ寝てんのか? 朝飯早く食わ……」

 ドアノブを持った状態で恭介が固まった。

「やぁ恭介おはようっ! 今日も良い天気だねぇっ!」
「……いや、今日は雨降ってるぞ……」
「いーや良い天気だぜ恭介、俺と理樹の筋肉は晴れ晴れしてるぜっ!」
「……」
「どうしたんだ? 恭介」
「い、いや、謙吾……お前は見ないほうがいいと思うぞ……」
「はっは、なんだ、また真人が何かやってるのか?」

 謙吾の声がしたと思ったら恭介の後ろからひょこっと顔を出してくる。

「まったく、今度はなんの遊びだ? まさt……っ」

 笑顔のまま謙吾が硬直した。

「やぁ謙吾もおはよぅっ!」
「……ん、あ、あぁ、お、おはよう……」
「おう謙吾っち、お前もやろうぜ、筋トレっ!!」
「そうだよ謙吾っ! 一緒にやろうよっ!!」
「な、なんだ? なにかの遊びか? 理樹……」
「そうだね! 題して『筋肉さんが盛り上がりました』遊びだよっ! ねっ、真人っ」
「おうっ! 理樹はネーミングセンスあるなぁ!! カッコ良い遊びだぜっ!」
「あ、遊びか……遊びなのか……くっ……」
「お、おい謙吾、お前まさか……」
「ちくしょーーーーっ!! 遊びなのなら付き合うしかないじゃないかぁぁーーー!!」
「謙吾っ!」

 謙吾が僕の隣に来て一緒に腕立て伏せを始める。

「ふっ、ふっ! おぉ!! こいつは面白いかもしれないっ!」
「でしょっ! さぁ皆で共鳴だぁ!!」

「「「筋肉いぇいいぇーーいっ!! 筋肉いぇいいぇーーーいっ!!」」」

 僕たちは繰り返しそう叫んだ。その間恭介は呆然と僕たちを見ていた。

「さぁ! 次は恭介の番だよっ! さぁ一緒にっ!」
「い、いや……」
「なんだ恭介、こんなミッションもこなせないのかお前はっ!」
「恭介! それでも俺達リトルバスターズのリーダーかっ!」
「な……っ」
「さぁっ! このミッションは僕たち皆が集まらないとできないんだっ! だから早くっ! 恭介っ!」
「……」

 恭介が後ろを向いた。

「鈴、お前の携帯で、皆を呼んでくれ。そして、俺達を……救ってくれ……」
「お前らバカだろ?」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!! 筋肉いぇいいぇーーーーーーーいっ!!」

 恭介はそう叫びながらヘッドスライディングで僕たちの方へ来て、そのまま腕立て伏せを始めた。

「「「「筋肉いぇーーーーーーーーーーーぁっ!!」」」」

 そう雄叫びをあげたあと、僕たちは鈴の方を見る。

「さぁっ、鈴っ! 来るんだ鈴っ!!」
「いやじゃっ!」
「「「「来るんだぁぁぁぁーーーっ!!!」」」」

 皆で一斉に叫びながら、腕立て伏せのスピードを急激にあげる。

「め、めちゃくちゃこわいぞお前ら……いや、もうくちゃくちゃだ。くちゃくちゃ恐いぞお前ら……」

 おびえながらも鈴は恭介に言われたとおり携帯で皆に知らせているようだ。どんとこいっ! 皆筋肉の虜だっ!

「鈴ッ! 筋肉がついたら猫達大喜びだぜっ!」
「なんでじゃ!」
「そうだよ鈴っ! 実は猫は筋肉に弱いんだっ! 筋肉があったら猫達いまよりもっと寄ってくるよっ!」
「それなら真人や謙吾にだって寄って来るだろうがっ」
「いや、猫は女の人の筋肉を好むんだっ! 知らなかったのかい!? そうだよねっ、皆!」
「「「あぁそうだっ! その通りなんだっ!!」」」
「……な、なに……そ、そうだったのか……?」
「当たり前じゃないか鈴っ! 猫は筋肉にメロメロさっ!」
「ほ、本当なのか!?」
「本当だよっ! 嘘だったら僕たちが怒るよっ!!」
「そうかっ! そうだったのかっ! じゃああたしもまぜろっ!!」

 鈴が僕たちの中に飛び込んできて、腕立て伏せを始める。

「「「「「筋肉いえいいえーーーーーーいっ!!」」」」」



 数分してから皆がやってきた。

「「「「「…………」」」」」


 ただ、皆部屋の外から白い目でこっちをみているが……。

「やぁ小毬さんおはよぅっ! 今日も良い筋肉だねっ!!」
「ほぇ!? え、えっと、理樹くん、私はあんまり筋肉ないけど……?」
「そんな小毬さんには筋トレだよっ!!」
「へ!?」
「考えてみなよっ! 筋肉があると……っ!!」
「……あると?」
「ポケットの中のビスケットを叩くと増えるんだっ!!」
「ふぇぇ!? そうだったのぉっ!?」
「そうだったんだ! ねっ! 皆っ!!」
「「「「そう、筋肉でお菓子食べ放題だっ!!」」」」
「すごーーいっ! もっと早く言ってほしかったよー!」

 とてとてと小毬さんは僕たちの方へ来て、腕立てを始める。

「ふぁいとぉーーー、ですよーーーっ!!」
「……こまりんが腕立て伏せを始めましたよ姉御っ!」
「あぁ……それはそれで……なんだかいいな……」
「姉御ぉぉ!?」
「そうだ、葉留佳君、君の腕立て伏せも見てみたい」
「えぇ!?」
「そうだよ葉留佳さんっ! カムヒアーーー!!」
「え、遠慮しときますヨ……」
「何を言ってるんだ葉留佳さんっ! 筋肉があれば風紀委員から逃れられるんだよっ!」
「えっ!!」
「今こそ葉留佳さんのイタズラ魂を見せる時なんだ!!」
「「「「「イタズラ名人に、君はなるっ!!」」」」」
「そこまで言うならなってやりますヨーーーっ!!」

 ぅわちゃーーーっ、と言いながら僕たちの近くによって来て腕立て伏せを始める。

「は、葉留佳さんも堕ちてしまいましたぁ!?」
「うむ、この筋肉集団、なかなか厄介だな……」
「そうですね……これでは負けてしまいます」
「やられる前に立ち去るか」
「そうですね」

 そう言って来ヶ谷さん、クド、西園さんの三人は僕たちの視界から消え去った。
 でも、このまま逃げさせるわけには行かないっ!!

「皆っ!!」

 皆は僕の気持ちを察したのか、うなずいた。

「「「「「「「We are speaking English very well now! 訳は『私たちは今とても上手く英語を話している』っ!!」」」」」」」

ダダダダダダダ……

「一緒にやれば英語がうまくなるんですかっ!?」
「当たり前じゃないかクドっ! どんな英語もたちまちcoolなEnglishに早変わりさっ!」
「「「「「「You can speak English well! 訳は『あなたは英語を上手く使える』っ!! 」」」」」」」
「本当ですかぁ!!」

 気付いた時にはクドは腕立て伏せを始めていた。

「の、能美さん……」
「あぁ……頑張って腕立て伏せをしようとしているクドリャフカ君萌え……」
「来ヶ谷さん、楽しんでますね……。なんでまた戻ってきたんですか?」
「あんなに可愛い反応をされると最後まで見届けたくなるじゃないか……」

 来ヶ谷さんたちが戻ってきているっ! 今がチャンスだっ!

「いやぁっ、筋トレしてると僕たち分かり合えた気がするよね、真人、謙吾、恭介っ!」「あぁ! 男同士の友情が芽生えてくるぜ!!」
「このまま――――なことや――――なことにいってしまいそうだっ!!」
「……っ!」

 スススス……っと西園さんが部屋の中に入ってきて腕立て伏せを始めた。

「仕方がありません、ここは皆さんの成り行きを見届けて差し上げましょう……」

 これであとは来ヶ谷さんただ1人っ!

「さて、そろそろ学校が始まる頃か……」

 しまったっ! 来ヶ谷さんが行ってしまう!!
 でも、僕は何も良い案が思いつかなかった。それは皆も同じらしく、腕立て伏せをしながら首を横に振った。

 でも、そのときだった。

ピンポンパンポーーン

『全校全寮生徒にお知らせします』

 聞き覚えのある声の放送。


『筋肉いぇいぇーーーーーーーーーーーーーいっ!!!』


スピーカーが音割れするかと思うほど大きな声。

『以上っ、朝の筋肉の挨拶でした』

ピンポンパンポーーン

「はっはっはっは、私も加わらせてもらうぞ」

 気付くと、すぐ後ろには来ヶ谷さんが腕立て伏せをしていた。

「ナイス! 来ヶ谷さんっ!!」

 そして僕たちリトルバスターズは懸命に腕立て伏せを続けた。
 勿論、学校には行かずに……。





 そろそろ日が沈もうとする頃。

「楽しかったなぁっ!」
「あぁ、凄い楽しかったぜっ!!」
「よし、今日はこのくらいにしておこうかっ!」

 僕たちが立ち上がろうとした次の瞬間。

「「「「「「「「「「っっっ!!」」」」」」」」」」

 足に激痛が走り、僕たちは倒れこんだ。

「い、いたい!!」
「お、おい、見ろ、足が痙攣起こしてるぞ……っ!」

 確かに、僕たちの足は痙攣を起こしている。そして力が入らない。

「皆っ! 僕、わかったよ!!」
「俺もわかったぜっ!」
「私もわかったぁ!」

 皆が皆、『わかった』と口にする。
 それから、僕たちは皆で口を揃えて、言った。

「「「「「「「「「「これが『筋肉さんがこむらがえった』なんだっ!!」」」」」」」」」」

「僕、間違ってたよ、『筋肉さんが盛り上がりました』じゃなかったよ、これが、これが真の『筋肉さんがこむらがえった』だったんだね真人!」
「俺も今知ったぜ理樹っ! お前のおかげだ! お前が俺に教えてくれたんだ!!」
「そうだよ理樹くん! 『筋肉さんがこむらがえった』がこんなに楽しいなんて知らなかったよっ! これも理樹くんが誘ってくれたから知れたんだよっ!」
「そうだ、全ては理樹のおかげだっ!」

 皆が僕をほめたたえてくれる。
 最後に、恭介が提案した。

「こんなに皆を上手く引っ張ってくれるとは、思いもよらなかったぜ。つい俺も引っ張られちまったぜ……。そこでだ、理樹」

 さわやかな汗を流しながら、僕を見つめる恭介。

「今日から、お前がリトルバスターズのリーダーだっ!」
「えっ!」
「皆も異論はないだろうっ!」

 皆がいっせいにうなずく。

「よしっ! 全会一致で理樹がリーダー決定だっ!!」

 パチパチパチ……と、僕の周りから拍手喝采が沸く。

「みんな、本当に、こんな僕でいいの?」
「あぁ、もちろんだ! お前はもう十分に強くなったっ! 今のお前なら、俺達を守る事ができるはずだ! 俺にもできないことをやってのけたお前ならなっ!」
「……ありがとう、みんなっ!!」

 皆でなにかをやり遂げると、友情が芽生える。
 もとよりあった友情なら、更に深まる。
 僕たちの友情は、新たに筋肉で硬く、厚く、みっちりと結ばれた。
 もとよりあった友情は、更に筋肉でもっちりと、むっちりと、暑苦しいほどに深まった。


[No.299] 2008/05/23(Fri) 21:07:58
世界の果ての野球 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ

 世界の果てで野球を続けている。どれ程の間こうしているのか、記憶は最早定かではない。一説によれば二〇〇七年の七月二十七日かららしいけれど、その日付の正しさがどのように保障されるのかは全く不明だ。しかし世界の果てで野球を始めることになった経緯についてなら、僕は僅かなりとも語ることが出来る。今こうしてこの文章を書き起こしているように。
 或いはまた、僕達の至った一つの結論について僕は書く。それはこれから訪れる未来の話でもなければ、既に訪れた過去の話でもない、この一瞬を生きる僕達のこと。「虚構」と「現実」とを巡る、僕達の生き方と幸せについて。だから僕は直枝理樹であり、物語の主人公であり、直枝理樹でなく、物語の主人公でない。要するにこれは僕の物語であると同時に、僕という鏡に写し出されたあなた自身の物語なのだ。僕達のお話を最初から規定していたメタフィクショナルな性質を鑑みれば、それは当然のこととして理解されると僕は信じている。
 僕は何処にも行かない。僕はここにいる。
 恐ろしく前向きとも馬鹿みたいに後向きとも見える、しかし実のところ前にも後ろにも碌なものが存在しないからこそのこの言葉を、僕が吐き出すまでのお話として以下を読んで頂ければ幸いだ。


 手始めにこの世界の起源を書き記すとすれば、それは修学旅行へ向かう最中に起きたバス事故ということになる。既に忘却の彼方に遠ざかりつつある事柄ではあるけれど、折に触れて思い出すようにはしている。なんと言ってもそれは今の僕達の起源だからだ。あの瞬間、恭介の手によってこの「虚構」の世界は形作られ、僕達は永遠の一学期を幾度となく繰り返し、無数の物語を体験し、真の強さを身に付け、遂には「虚構」を脱して「現実」へと帰還出来ない。
 ええー。
 ええーと僕は何度も言ったけれど、事実なのだから仕方ない。恭介との感動的な別れを感動的に演じ、手を繋いで感動的に走り出し、「虚構」の世界を感動的に去ろうとした僕と鈴の眼前に立ちはだかったのは、感動的なまでに固く閉ざされた校門だった。押しても引いても叩いても爆破しても開かなかった。世界の崩れ去る前兆たる揺れが治まっていることに気付いたのはその直後のことだ。「なんか急がなくても大丈夫っぽいな」と鈴が言った。その通りだった。僕達はグラウンドに引き返した。門を開く為に恭介の協力を仰ごうとしたのである。恭介は校舎に入ろうとしているところだった。その背に声をかけるとゆっくりと振り返り、台無しだよお前ら、という顔を露骨にした。感動的な別れから僅か十分後の、それは感動的も糞もない再会だった。
 その後の展開は凄惨を極めたと言ってよい。待ち草臥れた真人と謙吾が戻って来た。屋上で待機していたものの一向に出番のやって来ない小毬さんが涙目で姿を現した。向こうの世界に帰った筈のクドが空から落下してきて鈴の頭部を直撃し、日傘を差した西園さんが空中を悠々と歩いて再登場し、倒れて縺れ合っている鈴とクドを見て「ロリに百合、眼福眼福」と呟く来ヶ谷さんはいつ帰って来たのかさえ判然とせず、余りの惨状に呆然としている恭介の目を葉留佳さんが「えーいはるちんエターナルフォース目潰しー!」「ぎゃああああああああああ!!」。そうして一頻り騒ぎ回った後、一堂を正座させて恭介は言ったものだ。
「お前ら台無しだ。何もかもが台無しだ。それと目痛え」
 誠に遺憾ながら全面的に同意せざるをえない意見である。勿論目の痛みは別にしてだ。


 そうして僕達は「虚構」の中に閉じ込められた。如何なる手段を用いても門を破ることは叶わなかった。乗り越える、地面に穴を掘ってくぐり抜ける、ハリアーで空へ飛び立つ、などの迂回も一切通用しなかった。では別の出口はないのか、との疑問に対しては、「最初は屋上にあったんだが、こそこそと別の出口を用意するなんて卑怯だから俺が埋め立てた」という、前髪を風に躍らせながら恭介が爽やかに言い放った言葉を引用することで、その回答とさせて貰いたいと思う。発言の直後、恭介がフルボッコにされたのは言うまでもない。
 翌日より四十日と四十夜に渡って繰り広げられた校門突破作戦は悉く失敗に終わった。その無数の脱出の試みを詳細に書き記すことは――とりわけ、思い付く限りの常識的な試みが全て挫折した後の、傍目にはギャグにしか見えない阿鼻叫喚の試行錯誤について詳説することは、紙幅の節約の為にも僕達の名誉の為にも絶対に避けたい。気になるので是非とも書いて欲しいとする向きには、例えば頑なに閉じる門扉の前で漫才を披露して、門を大いに笑わせ、誤魔化し、有耶無耶の内に通して貰おうといった作戦であると答えることでなんとか満足して頂きたい。その立案および実行の際、果たして門は笑うものなのだろうかという疑問を誰も呈さなかった事実をもって、当時の僕達の大変な錯乱振りを窺うことが出来るとする意見は概ね正しい。一言で言えばこうだ――大丈夫かお前ら。
「駄目だ」
「堂々と答えないでよ、鈴」
 一つ付け加えると、こんな試行錯誤の末に脳自体が錯誤をきたしているような状況にあっても、作戦の立案および実行に際しての作戦会議は一応存在した。前夜の会議において提出された第百二十一次校門突破作戦の候補案は次の三つであったと会議録は記録している。一、とても馬鹿馬鹿しい作戦。二、凄く馬鹿馬鹿しい作戦。三、余りにも馬鹿馬鹿しい作戦。提案者はそれぞれクド、西園さん、小毬さんである。採用に至った件の漫才作戦がどれに当たるのかはご想像にお任せするが、他の二つとて、トンネル効果で門を難なくすり抜ける、真人のもみあげを半分献上することで門との和解を試みる、という内容だった為、どれを選んだところで大差はなかった筈であるとは指摘しておきたい。


 ところで「虚構」の中に閉じ込められるという謎すぎる事件に見舞われたせいですっかり忘れていた疑問が一つある。この世界は崩壊するのではなかったのか。僕がそれを恭介に訊ねたのは二十日目が過ぎた頃のことだ。回答は以下の通りだった。
「ん? ああ、お前と鈴を追い出す為に壊れる振りしてただけ。本当はアンインストールでもしない限り壊れないんだ、この世界は」
 アンインストールという不用意な言葉が出てくるのは致し方ない。登場人物の心理を再現的に描写する類のフィクションにおいて第四の壁を破るのはご法度であることを、歩く非常識たる恭介が理解している訳は当然ないからだ。ともあれこの世界が壊れないものであるとの発言は、現にびくともしていない以上まあそんなところじゃないかなあと考えたことはあったにせよ、実際に恭介の口から聞くと実に身も蓋もなさ過ぎた。しかし僕が、正直あんまり訊きたくないかなあという本心を宥めつつ続けて発した、ではバス事故はどうなるのか、との質問に寄越された返答に比べれば、これはまだ生温い発言ではある。第二の質問に恭介は自信満々にこう答えたのだ。
「ああ、あれは大したことないな。俺以外皆軽傷だし、お前と鈴が少しやる気になればすぐに皆助かって万々歳で、ついでに次元階梯が一個上の連中も一緒に万歳するくらいだから、どうにでもなるだろ」
 幾らなんでもぶっちゃけすぎだよ、恭介。
 おまけに、どうしてもやる気が出ない時にはこれを使うといい、と言って恭介が僕に手渡した紙切れには、次のような文字列が記されていた。

よくない
冷静になる
枝を折る
後回しにする
荷物を調べてもらう
何かを考える
恭介を助ける

 ルール違反にも程がありすぎるだろと僕は思った。恭介は「ここを出た後その選択肢選べば皆助かるから。簡単だろ?」と絶望的な説明を付け加えてくれた。ありがとう恭介。


 そんな狂騒とぶっちゃけ話の只中にあって唯一冷静を保っていたのが来々谷さんである。来々谷さんは僕達とは別行動を取り、戦車の砲撃による測量でこの世界の広さを割り出していた訳では無論なく、計測機器をかついで門を調査したり、図書室に篭って資料を漁ったりして、なぜ校門が閉ざされたのか、その原因を探っていた。閉ざされた門に関しての重大な発表があると言って来々谷さんが僕達全員を図書室に呼び出したのは、作戦開始から四十日が経過した朝になる。だが集まったのは僕、鈴、謙吾、小毬さんの四人のみだった。残りの五人は門の前で踊念仏をおこなうのに余念がなかったのだ。人数の少なさに来々谷さんは一瞬眉を顰めたけれど、まあいつものことだと納得した、或いは諦めたらしい――畏まって着席した僕達の前で、何処から調達してきたのかよく判らない演壇に登った。重大発表と聞かされていたので僕は少なからず緊張していた。
「筋肉だ」と来々谷さんは言った。
 大丈夫かこいつ、と僕は思った。
 なお来々谷さんの第一声に対する各人の反応を記しておくとこうなる――鈴は「筋肉言うな、きしょい」と切り捨て、小毬さんは「ほえっ!? 筋肉??」と呆気に取られ、謙吾は「成程筋肉か!」と無駄に納得した。ここから差し当たりはっきりするのが謙吾はもう駄目だという事実であることは論を待たないが、そもそも筋肉発言の主である来々谷さんは正気なのか。正気だった。極めて正常かつ真面目だった。来々谷さんによれば校門が閉ざされた理由は次の通りであるという。
 かつてこの世界が筋肉に包まれたことがあった。それも繰り返しだ。そう言えばそんなこともあった、つい物理ではなく筋肉を選んでしまった、今は反省している、と僕は心の中で呟いた。直枝理樹――より正確に言えば、その背後にひそむ次元階梯における上位存在が、面白がって何度も何度も物理ではなく筋肉を選択しまくった結果、この世界が部分的に異様な筋力をつけることになってしまった、と説明は続いた。つまり校門はその筋力によって頑なに開閉を拒んでいる訳だ。校門に筋肉なんてあるのだろうかという当然の疑問がここで浮上するが、無論存在する、名を括約筋と言う、という定番過ぎるボケの後、調査の結果、門の材質であるスチールに筋原繊維が認められたし、付着した錆からはアデノシン三リン酸も検出された為、些か信じ難いことではあるが筋収縮は問題なく可能だと来々谷さんは述べた。
 絶望的な結論だったと言ってよい。何せ相手は真人の筋肉だ。そんなもの、どうしようもないではないか。
 重大発表が終わり、皆で改めて校門の前に集まった。その時の光景はよく覚えている。鈴が顔を合わせるなり真人を全力で蹴り飛ばした。「来々谷から聞いたぞ。原因は真人の筋肉だってな」と僕に肩を並べて言ったのは恭介だった。僕は頷いて、高く聳える門を見上げ、「どうしようか」と小さく言った。それは酷く漠然とした問いかけだ。本当にどうしていいか判らなかったのだ。恭介は何か吹っ切れたような表情で、都合よく足元に落ちていた白球を拾い上げ、僕の眼前に突き出した。突然、何処からとも知れぬ緑色の逆光が差した。まるで夏のように蝉時雨が響き出した。恭介は力強く言った。
「野球チームを作ろう」
「え?」
「チーム名は――リトルバスターズだ!」


 一人がーつらいから二つのー手を繋いだー二人じゃー寂しいから以下略。
 と言う訳で再びの野球やる宣言である。早い話が門の開かないのはなかったことにして野球をやろうということだ。現実逃避にも程がある。しかし見るも無惨に疲弊していた一堂は、とりあえず門と関係ないことならなんでもよいと言わんばかりに、門を離れて野球の準備を開始した。
 こうして始まったのだ――終わりがなく、始まりも忘却され、ただ無限に、永久に続く僕達の野球が。「現実」から遥かに隔たった「虚構」で繰り返される、無窮の日常が。些かの凡庸な詩情を込めてこれを「世界の果て」或いは「世界の果ての野球」とありふれた言葉で表現しても、ありふれているが故に生じる他のテクストへの参照のし易さを鑑みれば、褒められはしないにせよ、許しては貰えるだろう。
 僕達の日常は以前と同じように続いた。驚く程に昔の日々と変わりなく続いた。数え切れないくらいの季節が過ぎ去った。寮で寝泊りし、食堂で食事をし、グラウンドで野球をした。鈴の球は相変わらず恐ろしく速かったり、変なふうに捻じ曲がったりした。恭介の安定感は抜群で、来々谷さんの動きは常軌を逸していて、猫が邪魔だった。別に野球でなくても良かった。すべきことは山のようにある。永遠に続くこの世界においてさえ時間が足りない程、無限に存在する。
 それでもやはりこの世界の果てには野球が似合うと僕は思う。
 バッターボックスに立つ。風が強い。夏だった。真上から射し込む陽が熱かった。バットを構える。鈴が振りかぶる。ライジングニャットボール。振り抜いた。カキン!と気持ちのいい金属音が響いた。ボールは空の青の中を何処までも、僕達の望みうる地平を遥かに越えて飛び、彼方へと消え去った。この世界に――ひとの手によって作られた「虚構」の中に、こうして無限に留まり続けることとは一体何かと僕は稀に考える。ボールの消えたあの地平からエンドロールが昇り、物語が完結する日は来るのだろうかと夢想する。そんな終焉を、僕達はやはり迎えなくてはならないのかと思い悩む。しかしそれはどういった理由によってか、と考えて、思考が同じ場所に戻っていることに、驚く。


 メールで恭介に呼び出された。冬のように冷え込んだ夜半の出来事だ。鈴も同じく呼ばれたらしかった。女子寮の前で合流して二人で校門に向かった。恭介は既に門の前にいた――ポケットに手を突っ込んで、物憂げな顔で独り立ち尽くし、月の明るい夜空へと白い息を立ち昇らせていた。その如何にも絵になっていますという感じの立ち居を見て、しまったと僕は思った。メールなぞ無視してさっさと寝るべきだったのだ。油断していた。即刻引き返さねばならない。屋上にある出口の掘り起こしに成功したとか、そんな碌でもない話が始まるに違いない。
「来たか」と恭介がこちらに気付いて言った。「なんだ、こんな時間に」と鈴が眠たげに悪態をつくと、すまないと小さく、素直に言った。この世界に閉じ込められて以来殆ど初めてと言っていいシリアスな雰囲気だ。僕はああこんなところで会うなんて奇遇だね恭介それじゃあおやすみ良い夢をと言って帰る気満々だったけれど、「門の閉ざされた原因は、筋肉だった」と逃げ道を封じるように、シリアスな空気を纏ったまま恭介が口を開いた。諦めて聞くことにした。
「原因が筋肉だったら仕方ないと一度は思って、俺は野球を始めた。だが俺は今日ある発見をした。原因が筋肉であるが故に、門を突破する手段はまだ残されていた。それが、これだ」
 そう言ってポケットから薄い銀紙のようなものを取り出し、僕に手渡した。鈴が横から覗き込んだ。錠剤だった。銀色の硬いシートに十粒が封入されていた。
「筋弛緩剤。これを校門に投与すれば、門は開く」
 これは酷いと僕は思った。屋上にある出口などと生温い予想を立てていた僕は甘かった。永久に甘いままでいいなあと心の底から思う。筋肉が原因で門が開かなくなっただけでもギャグなのに、言うに事欠いて門に筋弛緩剤を投与するとは一体どれだけ馬鹿馬鹿しい事態なのか。相手は悪の看護師に密殺されかかっている入院患者でもなければ胃痙攣の患者でもない――門なのだ。口も消化器官も持たぬ門に如何に錠剤を飲ませるのかがそもそも謎だ。そして謎であるにも拘らず、実際にやればなんだかんだで出来てしまいそうないい加減さが更に頭痛の種だ。
「こんなん何処で手に入れたんだ」と鈴が訊いた。
「寮の部屋に転がってた。胃痙攣の持病を持つ生徒がいたらしい」
 入手方法までいい加減である。僕達の物語を吊り支えている創作法について言いたいことは日頃から山のようにあるけれど、伏線もなしに必殺アイテム或いはそれに類する事物を持ち出して全てを解決するのはやめてくれ、とはその最たるものだ。他にも序盤の長々とした人物同士の掛け合いを少しでいいから短くして欲しい、唐突に過去のトラウマを告白し出さないで欲しい、などと色々ある。
「理樹、鈴」とシリアスな口調のまま恭介は言った。「この筋弛緩剤で、外に出られる」
「なんかあんまり真面目な話に聞こえないな」と鈴は首をひねり、僕の服の裾を引っ張って訊いた。「これはひょっとしてギャグなのか?」
「ギャグにしか見えなくても真面目に聞くところなんだと思うよ、多分」
「なんだ、そうなのか」
 なら先にそう言え、とでも言いたげに鈴は頷いた。空気を読まない妹にめげることもなく、「この物語は、この「虚構」の世界は、もう終わる時なんだろうと思う。少し、長居しすぎた」と恭介は語り出した。


「これで物語は元通りになる。俺達とお前達はこの「虚構」の世界で別れ、お前達は「現実」へと脱出し、「現実」を強く生きていく。今なら、その通りになる」
 もしかしたらこのままシリアスを装ったギャグで終了し、ああこんなところで会うなんて奇遇だね恭介それじゃあおやすみ良い夢をと言って帰れるのではないかと一寸期待していたのだけれど、無駄だった訳だ。いやまあ期待していたとは言い過ぎで、そうだったらいいなあ、でも無理かなあ、くらいの気持ちだったと言うのが正しくて、つまり筋弛緩剤が出てきた辺りで覚悟は出来ているつもりだった。しかし実際にこの手の話を聞かされるとなるとやはり勘弁願いたかった。馬鹿馬鹿しいし、下らないし、聞き飽きた。
「お前達二人だけで、決定的な喪失を引き受けながら、それでも生きていく。「虚構」ではない「現実」を。つらく厳しい、「現実」を」
 恭介、その選択肢は駄目だ。この物語の全てを「虚構」と弾劾し、厳しく過酷な「現実」へ旅立つなんて御免に決まってる――そんなことを強引にしたところで、僕達は「現実」の何もかもに耐え切れず自壊していくだけで、幸せに生きることなど少しも出来やしないからだ。僕達の目的が幸せに生きることならば、だって「虚構」なんだから「現実」に帰らなきゃ駄目だろ、とするその単純な意見は、「虚構」を「弱さ」や「幼さ」と短絡するその論法ごと、徹底的に退けておく必要がある。
「或いはもう一つの物語がありうる。俺達をも救い出して、今この「虚構」で野球を続けているのと同じ「現実」を実現する。そんなこともまた、お前らには可能だ」
 恭介、それも駄目だ。この物語を僕のビルドゥングスロマンとして完結させ、「虚構」を「現実」にそのまま持ち帰るなんておぞましいにも程がある――その時には多分、一つ上の次元階梯に住むそんなこと到底出来っこない人びとに、束の間の逃避の道を与える多幸症的な幻想としてしか、僕達の物語は機能しないからだ。僕はきっと幸せになれるだろう。僕は満足だ。しかしそれでは肝心の彼らが、「虚構」を「現実」であると嘯き、「現実」へ脱出出来ると勘違いし、少しも本当でない幸せを握り締めて離さない、欺瞞と怠惰に陥ると僕は思う。
 だから僕は「ばーか」と言って、恭介に筋弛緩剤を投げ返した。


 恭介は黙り込んだ。申し合わせた訳でもないのに鈴が声を合わせて「ばーか」と言ったのは意外ではなかった。捕り損ねた筋弛緩剤を拾い上げて、説明を求める表情を恭介はした。勿論ここはこの文章のクライマックスに当たるのだけれど、やり取りされるものが筋弛緩剤なので緊張感に欠けることこの上なかった。僕は静かに告げた。
「僕は何処にも行かない。僕はここにいる」
 僕達には――そして冒頭でも述べたように、僕という鏡に写し出された次元階梯における上位存在たるあなたには、最早多大なる倫理をもってこの永遠の「虚構」を選ぶしか道はないのだ。「現実」へ旅立つことも「現実」と「虚構」をすり替えることもせずに、この「虚構」が「虚構」でしかないという事実を――「現実」とは似ても似つかぬ「虚構」の中でしか今や僕達は生きられないのだという事実を、その苦難と孤独ごと認め、引き受け、そして誇るしかないのだ。
 だから僕は何処にも行かない。僕は、ここにいる。
 僕は「虚構」にしか生きることの出来ない今の自分の生を、全力で肯定してみせる。
「そうか」と逡巡の末に頷いた恭介の声に含まれていたのが、納得なのか諦めなのか、或いはもっと別の何かだったのか、それは僕には知りようもないことだ。


 そんな訳で僕達は今日もまた野球をする。「虚構」という名の世界の果てで。
 実際のところ、これから先どうなるのか僕には判らない。恭介の手の内にある筋弛緩剤を使って、ある日ふらりと「現実」に帰ることになるかもしれない。それはそれで構わないと思う。未来の僕達の自由だ。
「そうだよね、鈴」
「うーん、まあそうだな」
 けれども差し当たり僕の目の前にあり、僕の守りたいと思うのは、僕がカキン!と球を飛ばし、鈴がふかーっ!と悔しがり、センターを守る恭介が高く飛んで捕球する、そんな光景だ。来々谷さんがレフトで遠景を望み、葉留佳さんは無意味にスライディングを繰り返し、クドは犬と遊んで、西園さんは木陰で本を読み、小毬さんが何もないところで転んでいる。グラウンドの隅で筋トレを繰り返す謙吾と真人は気にしないことにしよう。季節は夏。風はなく、空は晴れている。遥か彼方へ飛翔するボールのやがて消えた地平から、エンドロールが昇ることは今はない。


[No.300] 2008/05/23(Fri) 21:51:14
筋肉と巫女、どっちがいい? (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ

 ある日、いつものように部活を終え、自室に戻った。三年になり、主将を任された。そうなった以上、俺は後輩の範とならねばならない。正直、少し息苦しい。――いっそ、全く違う人間になりたい。と、そう考えることもあるが、それは誰しもが考える逃げに過ぎないし、本当に剣道を投げ捨ててしまえば、彼女……古式に対して、失礼だ。剣道ができなくなったわけでもないのに、無価値と思って捨てることは、彼女が生きていた人生をも否定することになる。それだけはしたくなかった。

 要は息抜きの問題なのだ。
 剣道家、宮沢謙吾という衣がきついのであれば、それを脱いでいられる時間があればいい。そんなわけで俺は早速、理樹と真人の部屋を訪れた。ノックもせずにノブを回す。

「入るぞ」

 最低限の礼儀として一声断ってから、部屋に入った。しかし、中は無人だった。

「何だ。二人ともいないのか?」

 返事はない。一瞬、俺に内緒で抜き打ちかくれんぼでも開催されたかと思ったが、それにしては気配がなさすぎる。どうやら、ただ単に留守のようだ。しかし、不用心なことだ。もしも、俺が何かを盗むつもりで入ったとしたら、盗まれ放題じゃないか。無論、そんなつもりは皆無だ。俺は真人の椅子に腰掛けて、携帯電話を取り出し、理樹に所在を尋ねるメールを打った。
 数十秒後に着信。どうやら、真人はロードワークに出かけており、理樹は鈴に連れられてモンペチを買いに行ってるらしい。もうすぐ、寮に着くので部屋で待ってて欲しいとのこと。待つのはいいとして、それまでの暇潰しをどうしたものか。

 部屋をぐるりと見回して――俺は見つけてしまったのだ。

 真人の机の上のボストンバッグ、その大半は男臭い、というか見る気も失せるような暑苦しいマッチョが載っている雑誌だったが、三冊ばかし明らかに毛色の違う雑誌があった。ロリ雑誌とメイド雑誌、そして……巫女雑誌。かつて、何故かその場にあり、恭介がロリータではないかという議論にまで発展したきっかけがそこにあった。真人は掃除、整理といった言葉とは縁遠い人間だ。きっとあの時のまま、本人はこんな雑誌が残ってることすら忘れ去っているのだろう。俺は「あぁ、確かそんなこともあったな」と懐かしさに囚われ、巫女雑誌に手を伸ばしていた。ぺらぺらと特に興味もなく捲る。

「ん?」

 どんな下らない雑誌でも面白い部分はあるものだ。
 俺はほんの少し興味を覚えて巫女雑誌を見ていた、その時だった。

「ただいまー」

 人の声がして俺はビクッと全身を震わせ、その……咄嗟に巫女雑誌を道着の懐に入れてしまった。何故そんなことをしたのか分からない。友人の居ぬ間に巫女雑誌を読みふけっていたと思われるのが嫌で、気が動転してしまったのだろう。言うなれば、家族でドラマを見ている最中、何の脈絡もなく男女の濡れ場に突入してしまった時のような気分だ。

「な、何だ理樹か。驚かすなよ。ノックぐらいしたらどうだ」
「いやいや、自分の部屋なのにノックする人なんていないんじゃない?」
「あ、あぁ、そうだな。確かに自分の部屋にノックする人間はいないな」

 まだ少し気が動転していた俺の受け答えは、しどろもどろとして変だった。それもこれも懐に仕舞いこんでしまった巫女雑誌のせいだ。何度も元の位置に戻そうと理樹の隙を窺ったが、その後、ロードワークから帰って来た真人と猫たちにモンペチをあげ終えた鈴が合流し、俺への監視の目――当人たちはそんなつもりはないのだろうが――が増え、結局、元の位置には戻せなかった。



「さて、一体どうしたものか……」

 俺は冷汗で若干表紙がふやけてしまった巫女雑誌を片手に自室で悩んでいた。
 一度は単純に捨ててしまおうと思ったが、それだと真人なり理樹なりがあのバッグの中を見た時に巫女雑誌だけがないことに気付く恐れがある。順当に推理すれば、俺が持っていったと分かってしまう。流石に盗んだとあいつらが思うことはないだろうが、俺が興味故に巫女雑誌を持ち去ったと誤解されるのは甚だ迷惑だ。また誰もいない間にこっそり返しておこう。

 対処法を考えた俺は――再び巫女雑誌を紐解いた。

 ち、違う! 違うんだ! 別に巫女装束を纏った女性に興味があったわけじゃない! 興味があったのは、巫女装束の製作方法が図解されているページだけだ! 俺はこう見えても裁縫が得意だ。道着のほつれは自分で直すし、リトルバスターズジャンパーを作ったりもした! それは趣味というよりただの特技だが、自分の知る分野の物が目の前に現れると、人は誰しも興味を覚えるだろう!? 登山家が山を見て、登るつもりがなくとも自分なら登れるだろうか、登るとしたらどういったルートで登るだろうかと想いを馳せるように、俺は巫女装束の製作方法が載ったページを見て、自分の実力でも製作可能かどうか気になっただけなんだ! そうだ! あくまで己を高めるハードルとして、巫女装束製作図解ページを注視していただけなんだ! そこには何ら疚しい想いはない! あるのは、ただただ己を高めようとする崇高な意思だけだ!

 ……俺は一体誰に対して、必死に弁解を述べているのだろう。訳が分からん。
 皆にバレれば変態道まっしぐらだとか言われそうだが、バレなければいいことだ。幸い、俺は一人部屋でルームメイトはいない。密事を行うには自室は絶好の場所だった。しかし、巫女装束とは案外複雑な着物なのだなぁ。これは腕が鳴る。




       ◆   ◆   ◆




 俺はその日から毎日、就寝前の一、二時間を巫女装束製作に当てた。
 最初こそ手間取ったものの、コツを掴んでからの製作は順調だった。いつしか、俺はミシンが奏でる無機的な駆動音が好きになっていた。着々と完成に近づいていく巫女装束。ただの一枚の布切れに過ぎなかったものが、人の手で衣服へと昇華されていく。創造とはかくも充実感の伴うものだったのかと目から鱗が落ちる思いだった。リトルバスターズジャンパーの時は作ったというか、元からあるジャンパーに猫のワッペンを貼り付けて、ロゴを刺繍で描いただけだったしなぁ。全くの無からではない分、充実感も違う。

 ――巫女装束……うん、いいじゃないか。

 手間暇かけて、一から作った物というものは、それがどんなものであれ、愛着を抱くものだ。
 そして、それを着用する巫女という職業に対して、俺は些か偏見を持ち過ぎていたのではないだろうか。




       ◆   ◆   ◆




 ついに巫女装束が完成した。
 流石に儀式で使うような豪奢な千早は作れなかったが、白衣、緋袴は作ることができた。ぶっちゃけ、剣道より頑張った。そして、作った物が衣服である以上、それを誰かに着て貰いたいと願うのはある意味、必然だったと言える。着て貰えない衣服に意味はあるだろうか? 無い。着られない衣服はただの布だ。手塩にかけた巫女装束がただの布切れ扱いされるなど、到底耐えられない。
 さて、一体誰に着て貰うべきなのだろう。図解通り作った結果、俺が作った巫女装束のサイズは165cmだ。約165cm前後の女性で、俺の知り合いとなると、神北か三枝、来ヶ谷ぐらいしかいない。……神北だな。三枝と来ヶ谷は正直色々と頼み辛い。しかし……神北でも不満はある。

 だって、神北は茶髪じゃないか! しかも、髪の長さもショートカット!
 ダメだダメだ! やはり、巫女は黒の長髪でなければ! 目の覚めるような緋袴と清楚な白衣には、やはり黒が似合うんだ! 赤、白、黒! この三色こそ、光の三原色ならぬ巫女の三原色なんだ! 嗚呼、画竜点睛を欠くとはこのことだ! 長い黒髪を水引きで結わえ、整える! それでこそ、真なる巫女となって、神に仕えるに相応しい形容となるんだ! ぬぅぅ、やはり髪のことも考えると来ヶ谷に頼むしかないのか。だが、あいつは帰国子女だ。幼少からアメリカで過ごしてきた人間に巫女装束を着て貰うということは、西洋の蝋人形を雛壇に加えるような違和感を覚えてならない。そう、最も重要な“和”の雰囲気を持つ人間がリトルバスターズにはいない! 誰かいないものか! 長髪且つ、黒髪で165cm前後の和風な雰囲気を漂わす女性は!

 そこで俺はハッとした。
 いるじゃないか。……いや、いたというべきなのだろう。――古式みゆき。俺の知り得る範疇で、彼女以上にこの巫女装束が似合う女性はいないだろう。むしろ、逆なのかもしれない。この巫女装束は、俺の心底に潜む古式への想いが発露したものなのではないだろうか。俺は最初から古式に捧げるべく、巫女装束を作っていたのではないだろうか。そう思うと胸を突き上げるような衝動を感じた。

「……ぅ……っ……古式ぃ……」

 出来上がったばかりの巫女装束をひっしと抱きしめ、俺は泣いた。
 皺になってしまったのでアイロンをかけて、大切に仕舞った。この巫女装束は誰にも着せまい。俺が墓まで持っていくことにした。そして、あの世で古式に着て貰うのだ。




       ◆   ◆   ◆




『古式、今日はお前に渡したいものがあるんだ』
『渡したいもの……ですか?』
『あぁ、これだ』
『え! そ、それ……巫女装束じゃないですか!』
『そうだ。お前なら似合うと思ってな。作ってみたんだ。どうだ。――着 て み な い か ?』
『み、宮沢さん……ポッ(///)』




       ◆   ◆   ◆




 ……何かとても良い夢を見た気がするが忘れてしまった。だが、夢とはそんなものなのだろう。
 その日は日曜だと言うのに剣道部の主将である俺は、道場へ向かわなければならない。日曜に朝練などと言う苦行をしようと決めたのは誰なのだろうか。俺だった。ちくせう。やや寝ぼけたまま、寝巻き代わりのジャージを脱ぎ、いつものように袴を履く。こんなややこしい物を日常的に着ようと決めたのは誰なのだろうか。俺だった。ちくせう。

「んん?」

 何かおかしかった。目を擦って姿見に映る己の姿をもう一度よく見る。昨日はラストスパートをかけて巫女装束を完成させたので、俺の目は充血していた。だからといって、袴の色まで赤くなってしまうものなのだろうか。それに俺のものにしては、異様に丈が短い気がする。というか、これ緋袴じゃないか!

「うぉぉぉ! 間違えた!」

 緋袴がスカート型の行灯袴ではなく、ズボンタイプの馬乗袴だったせいで着るまで気がつかなかった! 誰にも着せないと誓っておきながら、俺自身が着てしまうとは何たる失態だ。嗚呼、すまない古式。寝惚けていたとはいえ、自ら、しかも、誓った翌日に破るとは自分で自分が情けなくなる。俺は上に何か着ることもなく、四つん這いになってしばらく鬱になっていた。が、朝練がある以上、いつまでもそうしてはいられない。立ち上がり、帯の結び目に手をやった。その時、俺はふと思ったのだ。

 む? 意外と……似合ってないか、俺?

 それはある種、盲点だった。巫女装束は女が着るものだという固定概念に囚われ、俺自身が着るという選択肢を見過ごしていた。俺は今まで生きてきた時間の大半を、袴姿を過ごしてきた。和服の着こなし具合には自信がある。そう、何を隠そうリトルバスターズの中で最も和の雰囲気を持つ人間は……俺だったのだ。

「なんということだ……」

 もはや、朝練どころの話ではない。
 部活を休む旨を遠藤先生に伝えると、俺は部屋に引き籠ってもう一着作り始めた。――俺専用巫女装束を。あまりに集中し過ぎたせいだろう。夕陽が射し、カラスが鳴くまで、自分が上裸であることを忘れていた。




       ◆   ◆   ◆




「……パーフェクトじゃないか」

 夜の帳も降りた頃、俺専用巫女装束が完成。姿見に自分の姿を映しながら、身を捻ってひらりひらりと袖を振ってみる。うむ、似合ってる。俺の目に狂いはなかった。惜しむらくは、髪の一点のみだが、あれは女が着用する際の条件であって、男が着る場合にはおいては問題無し、と俺は考える。
 しかし、質素だな。いや、巫女装束とはいえ、普段着の和服なのだからそうあるべきだとは思うが、イマイチ意外性が無い。そう、剣道着にリトルバスターズジャンパーを足したようなインパクトに欠けている。何かアクセントになるようなモノはないだろうか。……ハッ、ちょっと待て。
 俺は身を翻すと自分の机へ足を進めた。二番目の引き出しの取っ手を掴み、引く。あった。神北が調理実習で作ったクッキー。お裾わけで俺も貰ったが、その時は食べる気がしなくて、後で食べようとこの中に入れておいたのだ。が、用があるのはクッキーではなく、それを装飾しているものだ。俺は躊躇なく、袋の口を括っているそれを引き抜いた。――レースひらひらのリボン。

「……よりパーフェクトになったじゃないか」

 姿見に映る己を見て、俺は感嘆せずにはいられなかった。
 レースひらひらのリボンを頭で蝶々結び(いやむしろ、更に和風にテフテフ結びと言うべきか)した俺には、更に神北のような可愛さまで加味されてしまった。もう向かう所、敵無しって感じだ。男では長髪を水引きで結わえることができない、という唯一の欠点もこれによって解消されたと言っても過言ではない。
 更に俺は外掃除の際にこっそり拝借しておいた竹箒を装備した。おぉ、これぞ鬼に金棒ならぬ巫女に竹箒か。このまま最寄りの神社へ行って、境内で掃除していても宮司さんに気づかれそうにないじゃないか。
 その後、魔法少女の要素を加えることで、西洋の魔性と東洋の神性、二つの異なる文化の融合を試みようと思い、竹箒にまたがり……。

「マハリクマハリタァァァァー!」

 唱えた瞬間だった。ガチャリと扉が開いた。

「あのさ、謙吾。数学のここん所が分からなくってさ。ちょっと教えてほしいん……だ……け……ど」

 教科書に目を落としながら、部屋に入って来た理樹は俺の姿を見ると、パサリと教科書を取りこぼした。

「はぁ!? えー!? はぁ!? はぁぁー!? えー!? ちょ、な、何で、えー!? いやいやいや、何で謙吾、はぁ!? み、巫女姿ぁ!? それに頭……リボン!? えー!? はぁー!? わ、わけが分からない!」

 理樹の「えー」と「いやいやいや」は「はぁ!?」と同義語なので、いきなり、10わけ分からんポイントをゲットしたらしい。くっ、まさかマハリクマハリタが理樹召喚の呪文だったとは、迂闊だった! 仮にも呪文なのだから、意味も知らずに唱えるもんじゃないな。
 この失態は後学にするとして、今はこの緊急事態を収拾せねば。俺は未だ混乱状態の理樹に一歩歩み寄る。すると、理樹も恐怖に顔を歪ませながら一歩退いた。

「う、うわぁぁぁ! く、来るな来るなぁ!」

 腕を振るって理樹が叫ぶ。
 ……幼い頃からの心友にバケモノを見るような目で見られるのは流石に堪えるな。俺はこれ以上刺激しないように近づくのを止め、手を伸ばして静止を呼びかけた。

「待て、理樹。慌てることはない。実はこれが俺の2Pカラーなんだ」
「は? 2Pカラー?」
「そうだ。誰かが俺を選択した時にXボタンで決定したらしい。おかげでこんな有様だ」
「あ、そうなんだ。ふぅ、何だ。ただの2Pカラーか。――って、そんなわけあるかあぁぁぁぁーっ!」

 む、流石に真人のように丸めこめないか。しかし、素晴らしいノリツッコミだな理樹。

「謙吾、一体どうしちゃったのさ! そんな巫女装束なんか着て!」
「巫女装束なんか……だと? 理樹、俺が巫女装束を着てるのがそんなに変だというのか?」

 眉がピクリと動いていた。理樹の発言に侮辱の意を感じたからだ。

「変に決まってるよ! 巫女装束を着てる謙吾なんて、ただの変態だよ!」

 言い放った後、理樹は身を翻した。バタンと扉が閉められる。俺はただ茫然と立ち尽くしていた。
 俺が、変態だと? こんなにも似合っている俺が変態ならば……巫女装束を着た人間全てが変態ということか! 所詮、巫女装束など、変態プレイを楽しむための変態グッズの一つに過ぎないと! お前はそう言うつもりなのか、理樹!
 そう思った瞬間、プツリと何かが切れた気がした。俺のあまり大きくはない堪忍袋の緒だった。俺は竹箒を投げ捨てると、タンスからもう一着の巫女装束を脇に抱えて、廊下へ躍り出た。理樹と真人の部屋は俺の部屋と正反対の位置にある。寮の廊下を端から端まで全力疾走して、理樹たちの部屋のドアノブを握る。

「真人、起きてよ、真人! 謙吾が、謙吾がまたおかしくなっちゃ――ッ!?」

 真人を起こそうとしている最中だったのだろう。理樹はベッドで眠る真人の肩を掴んだまま、しまったとばかりに瞠目し、顔を青くした。慌てふためく余り、鍵をかけ忘れたようだ。

「理樹」

 一声かけて、にじり寄る。それだけで理樹はヒッと短い悲鳴を上げ、腰が抜けたように尻もちをついた。

「お前も……お前も着れば、俺の気持ちが分かるから!」
「う、うわぁぁぁぁぁーっ!」

 身を捻り、クラウチングスタートのような態勢から、理樹が窓に向かって駆け出そうとする。が、身体能力では圧倒的に俺が勝っている。一歩踏み終わる頃には、背後から理樹の腰に目がけてタックルをかまし、押し倒した。ドスンと物々しい音が響き渡る。ここが一階で良かった。隣部屋の奴が何事かと思うかもしれないが、ここは何時も騒がしい俺たちの部屋だ。抗議に来ることあるまい。
 草食動物が肉食動物に捕われれば、どうなるか。後は蹂躙されるだけだ。背後からでは脱がしにくいのでひっくり返す。すかさず、理樹の上に跨り、マウントポジションを取ると制服のつなぎ目に両手の指を突っ込んで左右に引き裂く。

「イヤァァァァーッ!」

 絹を裂くような理樹の悲鳴。全てのボタンが引き千切れ、二、三個俺の顔にぶつかった。下のワイシャツまで一緒に裂かれたらしい。好都合だ。続いて俺は襟元を掴むとバナナでも剥くように左右に開いた。そして――。

「何やってんだ。おめぇ?」

 ギョッとして振り返る。ベッドの上の真人が身を起して、こちらを見ていた。

「ま、真人……お前一体いつから起きていた?」
「いや、何かでっけぇ音がしたから起きたんだけどよ。もしかして、オレはまだ夢の中なのか? オレには巫女服を着て、おまけに何でか頭にリボンまで付けた謙吾が理樹を襲ってるように見えるんだが?」
「お、襲っているだと? 俺はただ理樹に……」

 巫女装束を着せようとしているだけだ、と言おうとして、目を落として愕然とした。
 理樹は両手で顔を覆い、シクシクと泣いていた。ハッとして立ち上がり、理樹から離れる。そこに至って、ようやく俺は冷静に理樹の全体像を見ることが出来た。剥き出しになった白い肩、薄い胸板、小さなヘソ、内股になった脚に、脱げ落ちてかたちんばになったスリッパ。周囲に散らばるボタンの数々。な、何だこれは……これでは、まるで俺が……理樹を……。

「酷いよ、謙吾ぉ……」

 理樹の涙声、その一言で俺はすっかり打ちのめされてしまった。
 よろめき、傍にあった理樹の机に手を着かなければ、俺もまた座り込んでしまっていただろう。

「いや、だから何がどうなってんだって! 誰かオレにちゃんと説明しろ!」

 陰鬱な雰囲気の中、真人の馬鹿でかい声が轟いた。



「なるほどな。つまり、頭が春になっちまった謙吾はわけが分からねぇが、巫女服を作って」
「巫女装束だ」
「細けぇこと言ってんじゃねぇよ! で、わけが分からねぇが、それを自分で着て、わけが分からねぇが、理樹にも着そうとしたと。何だよ、結局話聞いても、半分以上わけ分からねぇじゃねぇか。まぁ、別にいいけどな。たとえ、謙吾が巫女マニアの女装好きで、ホモ野郎の強姦魔だとしても、オレは別に気にしねぇぜ」
「いやいやいや、真人は度量が広すぎるよ! そんな変態・ザ・変態が友人だなんて認めたくないよ!」

 今の俺は変態・ザ・変態なのか。そんな風に称されると流石にショックだ。

「なぁ、理樹」
「何? 話しかけないでよ、ゴミ虫」

 うっ! 更にゴミ虫のレベルにまで下げられた。もはや、俺は人間扱いすらされてないのか。
 これ以上、俺の株が暴落したら、精神的に立ち直れないので素直に謝ることにした。

「すまなかった、理樹。もう巫女装束のことは忘れるから、さっきのことは水に流してくれないか」
「えー、でも、制服のボタンとか取れちゃったし」
「も、勿論、直すさ。ワイシャツもまとめて、俺が一晩かけて直すから」
「いいよ、別に。そんなバイキンの触った服なんか着たくないし。っていうか、さっさとそのふざけた格好とリボンやめろよ、バカ。さっきからリボンが顔に当たってウゼェんだよ」

 うぅっ、暴落が止まらない! もうバイキン扱いか。流石の俺もいい加減泣きそうだ……。

「うっ……っ……謝るから、許してくれよぅ……ひっ……」

 というか、もう泣いていた。悲しみが溢れてしょうがない。
 長年育んだ友情が、まさか一夜で崩れるとは。如何に大事な物だって壊れる時は一瞬なんだ。

「なぁ、もういいだろ理樹。いい加減許してやれよ、謙吾だって反省してるみたいだしよ。こんなのつまんねぇよ。そうだ。皆でアレでもやって、仲直りしようぜ!」
「アレ? 何のことだ?」
「決まってるじゃねぇか、謙吾。コレだよコレ!」

 言うなり、真人は二の字を斜めにしたような構えを取る。それの意味する所は一つだ。

「筋肉筋肉ー! 筋肉いぇいいぇ〜い! 筋肉いぇいいぇ〜い!」
「いや、僕はいいよ。気分じゃないし」

 気乗りしなさそうな理樹だったが、俺はもう正直それしかないと思った。
 たとえ、頭で否定しても、筋肉は覚えているはずだ。――俺たちが心友として付き合っていた頃を。
 理樹に思い出してもらうため、俺は全力で筋肉した。

「筋肉筋肉ぅぅぅー! 筋肉いぇいいぇぇぇぇ〜い! 筋肉いぇいいぇぇぇぇ〜い!」
「お、流石だな、謙吾。すげぇ筋肉だぜ! オレも負けられねぇな!」

 俺と真人は更にヒートアップした。むしろ、ビルドアップした。

「「筋肉筋肉ー!」」
「いや、だからさ……」
「「筋肉いぇいいぇ〜い! 筋肉いぇいいぇ〜い!」」
「そんな気分じゃないんだってば」
「「筋肉筋肉ー!」」
「…………」
「「筋肉いぇいいぇ〜い! 筋肉いぇいいぇ〜い!」」
「はぁ、もういいよ。しょうがないなぁ。やればいいんでしょ、やれば」
「「「筋肉筋肉ー! 筋肉いぇいいぇ〜い! 筋肉いぇいいぇ〜い!」」」

 こうして俺たちの友情の絆は筋肉によって、修復された。いや、むしろ、以前より強まったかもしれない。さながら、超回復によって切れた筋繊維が修復されたように。嗚呼、素晴らしいな、筋肉というのは。巫女装束の次に素晴らしい。
 理樹の機嫌も治ったことだし。今日は良い夢見られそうだ。




       ◆   ◆   ◆




『謙吾ー!』
『ん、理樹か? って、どうして、お前が巫女装束を!?』
『あの時は、一方的に偏見を持った目で見てごめんね。僕も真人みたいに理解しようと思って、せっかくだから、あの時の巫女装束着てみたんだ。えへへ、これって意外と動きやすいんだね♪』
『理樹……いや、もういいんだ。済んだことだ。その気持ちだけ十分だ』
『あ、そう言えば、さっき古式さんに会ったんだけど、これ謙吾にだってさ』
『古式が? 何だこれは? 手紙……?』


     浮気者
             あなたの一生
                        呪われろ


『何か古式さん、ロウソク二本、角みたいに生やして五寸釘とか持ってたけど、何するんだろう?』
『……理樹。すまんが、それ。今すぐ、ここで脱いでくれないか』
『え、何で? やだよ。寒いじゃない』
『いいから、脱げと言ってるだろうがぁぁぁぁぁー!!!』
『ちょっ! 謙吾、いきなり何す……らめぇ! そんな、強引に――アッー!』


  終われ


[No.301] 2008/05/23(Fri) 21:56:25
筋肉を止める手だてなし (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ

『筋肉を止める手だてなし、至急救援求む』
 2003UB313ラインからこの要請が届いたのは5月25日黎明の事であった。
 その防衛隊は精強をもって鳴らし、さらに、風紀委員長兼寮長となった二木佳奈多が指揮をとって以来、その防御は鉄壁を誇っていた。その防衛線が救援を求めてきたのである。
 本来指揮を執るはずの佳奈多はあいにくと就寝中であったが、たまたま飼い犬の散歩に出かけつつあった能美クドリャフカ以下二頭がこの急報に接し直ちに出動、これを撃滅せんとした。
 後に言う、大筋肉戦争の勃発である。



「わふ……変なヒトタチなのです」
 それらの集団を見たときのクドリャフカは、呆然とそう呟いたという。
 いや、そう呟くしかなかったのだろう。この日は霧が濃く、視界は20mを切っていたが、そのもやをついて、一人、また二人と『筋肉〜筋肉〜』などと叫びながら怪しげな男達が出現する様は異様としか表現しようがなかった。
 一方、風紀委員他からなる防衛隊は、その異様な光景に気圧され戦わずして後退を続けている。常識という世界から逸脱した光景であるというのも一因だったが、この日の当番は新入生が多く、適切な防御戦闘を行う事ができなかったのであろう。
「能美先輩っ! 助けて下さいっ!!」
「わ、わふっ!?」
 だが、呆然としていたクドリャフカは、すがりつくような下級生の声に我を取り戻した。一人の少女が尻餅をついたままこちらを見ていた。先輩と言われたのは初めてで、頼られたのも同様だった。勇気百倍したクドリャフカは、三度手を振る。
「それ以上の侵入は許さないのですっ!! ここの通行料は高くつくのですっ!!」
 その声と同時に二本の矢が放たれ、さらに突撃するクドリャフカに、体勢を立て直した風紀委員とこの騒ぎを聞きつけて飛び出してきた女子達が加わった。たかが筋肉の10人や20人、何を恐れる事があろう、文字通りの朝飯前の仕事であった。ここは難攻不落の女子寮なのである、突破を図る男子共はその恐ろしさを身をもって知る事になるだろう。
 時に5月25日午前4時23分、大筋肉戦争の、最初の戦闘が開始された。







「防衛線が崩壊? クドリャフカが筋肉されたっ!?」
 息を切らせてかけつけた風紀委員に、佳奈多は思わず怒鳴り返したという。何やらうるさいと起きて来た彼女にとって、強烈すぎる目覚ましであった。
 彼女の周囲には、風紀委員とその他女子寮の面々が集まり、不安そうに顔を見合わせる。佳奈多がやたら可愛い犬柄パジャマのままで来た事に突っ込んでいる者などだれもいなかったし、無論壁にめり込んでいる葉留佳が何を言ったか気にする者もいなかった。
 この時、屋上望楼は、筋肉達を連綿として絶えざるが如しと報告したが、その表現は的確で、そして、その筋肉の大海にクドリャフカ以下の風紀委員と風紀犬達は飲み込まれたのである。全員が未帰還であった為、詳しい戦況は不明であるが、全滅するまでそうかからなかった事だけは確かだった。
 もはや鉄壁を誇った2003UB313ラインは全面に渡って崩壊し、各所で逃げ遅れた部隊が捕捉、筋肉されていた。だが、あまりに信じ難い事態に、寮内の各隊は編成すら終える事ができず、右往左往するばかりであった。
 寮規も乱れに乱れ、上級生に後退を止められたある一年生は「うるさい、私の尻の穴を舐めろ!」と怒鳴り返し、そのままあらぬ道に走ってしまったし、正面玄関付近では、必死に後退してきた寮生らが恐慌状態の味方からバケツと大皿の集中砲火を浴びせられて全滅していた。女子寮前は魔女の大鍋だった、誰も他人を救えない。その中で、少女達は次々と筋肉されていた。
 一方、最前線で絶望的な防御戦闘を行っていたある隊は、クドリャフカ隊の突撃と全滅、それに続く戦線の崩壊を詳細に報告し続け、周囲を筋肉に囲まれた時、以下のメールを送った『さようなら、次は我々の番だ。風紀第3班一同より』

 極限の状況下で、様々な人間ドラマが繰り広げられている中、総司令部が置かれた寮長室の状況はどうだったのだろう?
 あーちゃん先輩から寮長を引き継いだ佳奈多は流石だった。彼女は、クドリャフカ達の事など気に止めていないかのように冷静かつ的確な指示を出し、無秩序な敗走を秩序だった後退へと変化させた。そして、さらには正面玄関戦線への各隊の収容に成功したのである。
 だが、彼女は戦線の整理が一段落ついた時、外を見てこう呟いたという。
「……こんなにたくさんの筋肉共、一体どこに埋めてやろうかしら?」
 静かな言葉は、周囲の空気を一瞬にして凍らせたという。もはや、逃げだそうとする者はいなくなった、佳奈多に逆らうより筋肉された方がましなのである。





「後続は?」
「筋肉よ」
 駆け込んできた寮生と守備隊の短い会話の後、正面玄関が閉じられた。たちまちその背後には机や椅子などが積み上げられ、封鎖される。窓、裏口、換気口に至るまで進入路は全て閉じられ、女子寮は要塞と化した。
 一体何が起きているのか、それがわかるまで防御に徹する作戦計画であった。だが、それは早々にして判明する事となる。
 正面玄関が封鎖された直後、この騒ぎの首謀者とおぼしき男が現れたのである。彼の名は井ノ原真人、通称筋肉である。
 彼の登場で一瞬辺りは静まりかえり、静かな朝の景色が戻る。一方、佳奈多もベランダに出て彼を見下ろした。緊張感が周囲を包んだ。
 佳奈多を見て、真人が言った。

「理樹を返せ、断るなら筋肉だ」
「はぁ? 馬鹿じゃないの」
「ま、まぁ待て、人の話を聞け。何も毎日とは言わない、たまにでいいんだ。最近理樹の奴そっちに泊まってばかりじゃないか、このままじゃあいつの筋肉が不足して、筋肉不足による禁断症状が……」
「失せなさい、直枝理樹は渡さない。彼の為ではなく、恫喝に屈するのは女子寮の名誉と将来に関わるからよ。そもそも、禁断症状が出るような危険なもの、勧めるわけにはいかないわ。伝染性もあるみたいだし」

 佳奈多はそう言って眼下を睨む、周囲にはうつろな目をした者達が集まり、おのが筋肉を誇示していた。しかも気付けば男ばかりではなく女も混じり、同様に筋肉を誇っているのである。
 それは一種異様な光景であり、悩むまでもなく異常な事態であった。

「ちっ、それなら筋肉だ」
「望むところよ」
 
 短い会話の後、二人は袂を分かった。和平交渉は決裂した、もはや両者には全面衝突の道しか残っていなかったのだ。



 引き返した佳奈多は「お姉ちゃんは筋肉するのを望むんデスか?」などとほざいた葉留佳を階段から蹴り落とすと、直ちに作戦会議を開いた。敵兵力は予想を遙かに上回っており、正面玄関の防御陣地が突破されるのは時間の問題と考えられていた。
 正面玄関が破られる前に、速やかに爾後の対策を考えねばならなかったのだ。一つでも判断を誤れば、一瞬で寮内が筋肉に蹂躙されるのは目に見えていた。
 尚、招集されたのは戦力となりうるリトルバスターズメンバーの他、風紀委員、寮生代表達であった。
 ちなみに余談であるが、この時、渦中の人物たる直枝理樹は会議に呼ばれず、戦力外と見なされていた小毬とのんびりお菓子を食べていた。例によって遊びに来ていたのである。
 この二人は、外の騒ぎなどまた筋肉が騒いでいる程度にしか考えていなかった。だが、事態は二人の想像を超えた速度で進んでいた。



「普通にあいつに帰ってもらえばいいんじゃない?」
 会議の冒頭でこんな事を言った者がいたが、彼女は「理樹をあんな中に放りだせっていうのかーっ!?」と叫んだ鈴に蹴り飛ばされ、葉留佳の用意したゴミ袋に詰め込まれると、美しくないですと言う美魚の冷笑を浴びながら、部屋の片隅に放り出された。彼女は、来ヶ谷に嫌がらせをした時の事を思い出しつつ、あらためてリトルバスターズに逆らう愚かさを知る羽目になった。意思の統一はなされた。
 このような椿事が起こりつつも、会議は進行する。途中、美魚が「恭介さんに飲ませるはずだったのに何故でしょう、しかも筋肉……美しくないです」と意味不明の発言をするなどの出来事があったのだが、以後の作戦行動については以下のようにする事で意見の一致をみた。

・要求は拒否
・外泊中の来ヶ谷他に救援要請
・騒ぎを大きくしないため、学校側には伝えない(美魚が強硬に主張)
・美魚隷下の科学部部隊に動員をかけ、予備戦力となす
・増援が来るまでは防御戦闘に徹し、各階に防衛線を構築。遅滞行動をとり、時間を稼ぐ
・筋肉は美しくない

 尚、科学部からの情報提供によれば、この異常事態は真人の筋肉と理樹に対する純粋な想いが肥大化し、それがあらぬ電波となって周囲に影響を与えてしまった以下略云々という事であったが、その場にいた誰もが理解できなかったし、しようともしなかった。重要だったのは、ともかく霧が晴れるまで持ちこたえれば、お日さまマジックで全てがなかった事になるであろうという事だけであった。
 また、この時美魚の思考を妨害電波として使うという案も出されたが、これは却下された。実現すれば、寮内初の電波戦だったと言われるが、それがなされなかったのは正解だった。BLと筋肉の電波戦が行われれば、甚大な被害が発生するのは目に見えていたからである。

 この作戦は当初順調なように見えた。
 科学部は何故か既に動員を終えていたし、佳奈多からの電話を受けた来ヶ谷は、皆で『ちたい』行動をすると聞き、興奮して急行を約束した。正面玄関をはじめとする一階陣地群は、急造にも関わらず筋肉の侵入を断固として阻止した。
 だが、戦場では思いがけない事から事態が進展する事がある。その事件は午前5時12分に起きた。



「何っ!? 馬鹿兄貴がいるだと!?」
「健吾様がいらっしゃるのですか!?」
 寮長室にもたらされた報告は、室内で飽きもせず張り合っていた鈴と笹瀬川の様子を一変させた。
 彼女らはたちまち疾風と化して走り出し、驚嘆すべき速度と無謀さをもってベランダへと突進した。途中、数名の寮生が轢かれ、その風圧によりそれ以上の被害が発生した。正面玄関に移動中の杉並以下の第七寮生隊もその突進の犠牲となり、二人と廊下ですれ違ったばかりにその戦力の過半を喪失する羽目となった。
 そして、大損害を味方に強いながらベランダに到達した二人の目に映ったのは、爽やかな笑顔を見せる兄と、思い人の姿だった。

「おお、妹よ。俺の胸に飛び込んでこい! 兄と共に筋肉しよう!!」
「誰がするかボケー!!」
 熱弁をふるった恭介は、鈴の二階からの跳び蹴りにより沈黙した。
「笹瀬川、お前もこちらへ来ないか? 俺と共に筋肉しよう」
「はいっ! 喜んでっ!!」
 歯を光らせた謙吾は、笹瀬川のカミカゼ抱擁ライナーにより撃沈した。飛びついた笹瀬川も沈黙し、最後には鈴が残っていた。

「しまった、囲まれた」
 鈴が呟くが、飛び出す前に気付けと誰もが思った。
 眼前の二人は倒したが、周囲は筋肉に包囲されていた。振り返っても、正面玄関は完全に封鎖されている。
「鈴、諦めて筋肉するんだ。楽しいぞ、筋肉は」
「誰がするかっ! ふかーっ!!」
 両腕をわきわきとする真人を威嚇した鈴であったが、戦況は絶望的であった。迂闊にとった行動により、彼女は敵中に孤立する羽目となったのである。
「うう……謙吾様?」
 その時笹瀬川が目を覚ました、意外と打たれ強いのが強みだった。
「謙吾様っ! 誰がこのような事をっ!?」
 目覚めた彼女は悲痛に叫ぶ、自分に都合の悪い事はすっかり忘れていた。そんな彼女に鈴は言った。
「しゃしゃみ川、みんなあの筋肉のせいだ」
「佐々美川ですわ! じゃなくて笹瀬川ですわっ!! ともかく、みんなあの筋肉が悪いんですのね」
 立ち上がった笹瀬川が周囲を睨む。筋肉側にも声を大にして叫びたい事があっただろうが、事態の原因を作ったという意味では、ある意味鈴の発言も正しかった。
「謙吾様の仇っ! 覚悟っ!!」
「謙吾踏んでるぞ佐々美川……」
 佐々美川は左右に構わず突進し、筋肉の群れを切り裂く。それに続く鈴も、文字通り敵を蹴散らして進み続けた。まさに無人の野を行くが如しである。



「あの二人はもう……」
 戦況を望見した佳奈多はため息をつく。
 彼女は難しい判断を迫られていた。正面玄関を開き、打って出れば逆撃を被る可能性もある。一方、予想外の奮戦を見せる二人の戦力を失うのは惜しい。あの二人は現在女子寮最強の戦闘集団なのである。
 だが、その間に、事態は更に予想外の方向へと進み出した。佐々美親衛隊が待機命令を無視し突出、二人に向け猛進し始めたというのである。
 この期に及んではもはや手は一つしかなかった。

「総員突撃! あの筋肉馬鹿を懲らしめなさい!!」
 午前5時15分、佳奈多の号令と共に女子寮守備隊は出撃した。
 先頭には風紀委員副委員長。もし可能なら実行する、不可能でも断行するがモットーの、風紀委員最精鋭である。
 同時に、女子寮付近に展開を終えていた科学部部隊も各種新式器材を投入して支援にあたる。周囲には爆音と怒声が響き渡り、たちまちにして凄惨な光景が現出した。
 これを迎え撃とうとした真人ら主力部隊も、不意をうたれた上、科学部の放つ鳥もち弾その他に足を止められ、行動不能に陥る。
 その中を、風紀委員以下の女子寮守備隊は突き進む。目標は筋肉馬鹿。戦況は女子寮守備隊に傾いた。
 


「うわきしょい寄るな!?」
「な、何ですのあなた達は……きゃ!?」
「佐々美様!?」
 だが、5時35分頃、戦況は再び一変した。
 敵中で奮戦を続けていた鈴と佐々美がついに捕捉され、よってたかって筋肉されたのである。十数名に取り囲まれ、きしょい寄るなと叫び続けた壮烈な最期であった。
 二人を筋肉し終えた者達は転進し、佐々美親衛隊をも筋肉する。突出していた風紀委員部隊は包囲殲滅された。さらに、ようやく鳥もちの罠から脱した真人らは、科学部部隊に接近筋肉戦を挑み、これを粉砕、以後軽快な運動に移った。
「全員後退っ! 急いでっ!! 正面玄関の封鎖を急ぎなさい!! 」
 だが、佳奈多の指示は遅すぎた。
 後退する女子寮部隊より速く、筋肉達は寮内になだれ込む。先の攻勢により、強力な打撃部隊である鈴と佐々美、さらに風紀委員部隊のほぼ全てを失った女子寮側は、その侵入を止める手段を持たない。散発的な抵抗は無意味だった。
 
 混乱する寮内を筋肉達は猛進する。命令は簡単、強引に前進理樹を獲れ。



「なんか本当に騒がしいね、小毬さん」
「でも佳奈ちゃんが出ちゃダメって言ってたから、出ちゃダメなんだよ」
「そうだね、佳奈多さん怒ると怖いしね」
「わ、酷いんだ理樹君。そんな事言う人は悪い人ですよ?」
 そんな騒ぎなど知らず、幸せそうに話す理樹を一人の少女が見ていた。彼女は杉並、名前はまだない。
「あ、直枝君、神北さん。風紀委員長が屋上に来るように、だって」
「何だろう?」
「ほぇ? はーい」
 彼女は、二人を見送ると、その背中に呟いた。

「……理樹君、さよなら」
 あえて名を呼んだのはせめてもの自己主張だったのか。5時40分、既に壊滅状態になっていた自隊を率い、彼女は一階階段へと向かった。
 筋肉側の記録には、5時41分、一階階段付近にて敵小部隊と遭遇、5時43分にこれを撃破とある。もはや、遅滞行動を行うだけの練度を持った部隊がいないのは明らかであった。



「来ヶ谷さんの到着は? 科学部部隊の移動はまだ?」
 5時47分、佳奈多の質問に、側にいた書記は青ざめたまま黙って首を振った。
 来ヶ谷は既に敷地付近に達していたが、復活した恭介と謙吾との戦闘に巻き込まれ、当分行動不能と思われた。科学部部隊は廃部を待たずして全滅していた。
 階下からは、既に筋肉筋肉という声が響いている。外の霧は当分晴れそうになかった。
「クドリャフカ……ごめんなさい、あなたの好きな人を守れなかった」
 佳奈多は呟くと、手近な自在箒を手に取り、歩き出す。だが、その前に立ち塞がった者がいた。
「葉留佳? あなたも屋上に……」
 そう言いかけた佳奈多は、ハンカチで口を塞がれた。
「葉留佳……何故?」
 急速な眠気に襲われ、崩れ落ちる彼女に、葉留佳は言う。
「ごめんねお姉ちゃん、まーほらあれですヨ。これからは私の時代って奴なのですヨ」
「葉留佳……まさ……」
 佳奈多は、その言葉を最後に眠りにつく。葉留佳は、呆然と立っている書記も眠らせ、廊下に出た。 

 風紀委員による最後の戦闘は、この直後に行われたとされている。二木佳奈多直率の部隊が、2階踊り場付近においてビー玉、まきびし等を用いた巧みな防御戦闘を繰り広げ、なんと30分以上に渡って筋肉を足止めしたのである。
 風紀委員の掉尾を飾る、見事な戦いぶりであったが、最後には彼女らも力尽き、一人残らず筋肉された。
 葉留佳が行方不明であった為、これにより女子寮の主力部隊は全滅し、もはや寮内は筋肉による残敵掃討戦の様相を呈していた。




「筋肉筋……何だ?」
 だが、楽しげに前進を続けていた真人が、一瞬にして真顔に戻ったのは、まさに先程まで理樹達がいた、小毬の部屋に来た時である。
 くわあああああああああああっという叫び声と共に、強力な筋肉を持つ柔道部部長らがまとめて吹き飛ばされたのだ。見れば、その部屋の前面は、筋肉死屍累々といった有様である。
「何者だ?」
 その問いに答えるように、さらにラグビー部主将らをまとめて放り出し、一人の老人が歩み出た。
「ふん、こわっぱどもめ。お前らに名乗る名などないわ」
 何故浴室から出てきたのか、手に持っているやたら可愛い下着はなんだ。口々にそういう質問が乱れ飛んだが、老人はそれらを全て黙殺し、言った。
「孫の成長を見に来てみれば、臭い筋肉どもがたかっておるわ」
「臭い筋肉だと? じいさん、このかぐわしい筋肉の匂いを臭いとは鼻がおかしいんじゃないのか?」
 傲然と言う老人に真人は言ったが、だが老人はあざ笑うかのように答えた。
「ふん、筋肉如きが。二度の大戦を生き抜いたこの儂の精神力に敵うと思うてかっ!!」
 再び「くわあああああっ!」という大音声に、真人の周囲にいた筋肉は吹き飛ばされる。立っていたのは真人だけだった。
「ふん、少しは根性があるようじゃな、かかってこい小わっぱ」
「悪いなじいさん、これからは筋肉の時代なんだ」

 6時32分、大筋肉戦争最後の激戦が開始された。





「なんか下から筋肉筋肉っていう声が聞こえるけど気のせいかなぁ」
「うーんそうですね、でもきっと気のせいですよ。ほら、ドーナツ食べましょう」
 階下で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図など露知らず、二人は屋上でお菓子を頬張る。
 霧は徐々に晴れはじめ、今日はきっと晴れ。太陽が空に昇ったら、さぞかし楽しい日になるだろう。
 二人はそんな事を話ながら、霧の中から徐々に顔を出す朝日を眺めていた。

 それは、科学部が強制廃部となり、美魚に追っ手がかかり、神北翁に『勇敢な変態』の称号が与えられる日の朝の出来事であった。
 そして、この戦いの後、女子寮側と男子寮側(というか真人側)の間に、理樹平和条約が結ばれ、直枝理樹が平等に両者の間で寝泊まりする事が約束された。
 ささやかな幸福は、時として膨大な犠牲の上に成り立っている場合もある。理樹と小毬がそれを知るのは、ほんの少し先の事だった。


[No.302] 2008/05/23(Fri) 22:19:19
真人の馬鹿 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@遅刻…

 最強か。いい夢だな。先生も昔はキン肉バスターの練習したよ。布団でな……知ってるか? キン肉バスター。
 誰もいなくなった職員室で、先生は俺にそんな話をした。知らない、と答えると、先生は少しだけ笑った。
「中学に入ったらさ、井ノ原はなにか運動するのか?」
 首を振る。
「じゃあ、どうやって最強になるんだ?」
 そんなの決まってる。俺は二の腕に力こぶを作って見せた。
「うん、すごく立派だ。先生な、井ノ原は将来大物になると思う。力だって強いし身体も大きい。……それに、友達のために本気で怒れるなんて、すごいことだぞ。井ノ原なら、最強になれる」
 大きな手に両肩を掴まれた。
「でもな、その力で人を殴ったりしちゃ、絶対ダメだ。おまえがやったことは、悪いことなんだぞ」
 メガネの奥から先生の目が俺を睨んだ。俺は正面から睨み返した。頷くもんかと思った。理樹を馬鹿にしたあいつが悪いんだ。
「お前の力はそんなことのためにあるんじゃないだろう?」
 俺は馬鹿だったけど、なにを言っても分かってもらえないことは知っていた。だから俺はずっと黙っていた。
 しばらく時間が経って、先生は手を離してくれた。
「……向こうも謝ってる。ごめんってさ。もう遅いから、帰りなさい」
 話が終わったらしいから、立ち上がって先生に背中を向けた。
「一度誰かから借りてさ、キン肉マン、読んでみてよ」
 俺は職員室を出た。暗くなった廊下には目を赤くした理樹と恭介たちが待っていた。一緒に日が暮れた道を帰った。
 理樹は俺の隣を少し離れて歩いた。
「僕のために真人が叱られることないよ。僕は大丈夫だから」
 別れ際、理樹がそう言った。俯いて、俺の目も見られないままだった。
 俺が殴るのは仲間を馬鹿にした奴だけだった。俺の強さは仲間と俺の居場所を守るためにあった。
 理樹たちが頑張って俺を高校に入れてくれたように、俺も筋肉を鍛え続けた。
 学年が上がるたび俺の出る幕もなくなったが、それでも鍛えた。
 いつか役に立ちたいと思った。
 あくる日、恭介がこんなことを言い出した。
「野球チームを作る。チーム名は、リトルバスターズだ」
 恭介ファンの理樹は目を輝かせた。
 そのせいで俺は今恭介とキャッチボールしていた。
「よーし、いっくぞー! ちゃんと捕れよーっ!」
 腹立つくらいいい笑顔でグローブを掲げて、大きな山なりのボールを投げてよこす。適当に受けて、適当に返した。
 内野を見るとマウンドに鈴が立っていて、理樹はホームベースの後ろに構えるボール拾いになっていた。驚くことに一球も理樹の守備範囲に投げていなかった。
「キャッチボール、なかなか楽しいなっ」
 鈴は満足げで、全身真っ黒の理樹も嬉しそうだった。
 メンバーなど増える気配もなかった。恭介は二人に任せるつもりらしい。多分、今年いっぱい四人で野球をするんだろう。そう思うとやるせない。
 そもそも、恭介は最近おかしい。前までの五倍増しくらいでおかしい。色々理由をつけていたが、負けず嫌いの恭介が鈴をピッチャーにするだなんて言い出したのがまず信じられん。
「俺の筋肉を頼る気はないってのか?」
 恭介に訊ねてみたことがある。
「いやなに、鈴や理樹にもこういう経験をさせといてやろうと思ってな」
 その考えがわけわからん。
「経験させようにも、四人じゃなにもできないぜ」
 理樹はともかく、鈴に人集めなんて無理に決まってる。
「心配ない。あいつらならやってくれるさ。休み時間いつも一目散に教室を出て行ってるじゃないか」
「鈴は猫と遊んでるだけだがな」
「……じゃあ、理樹が」
「鈴にくっ付いてってるだけだろ」
「くっそ! あいつらやる気あるのかよ! あと一週間だぞ!?」
 珍しく慌てていた。
「こりゃ、俺たちがなんとかするしかねえだろ」
 恭介は腕を組み黙り込んでいたが、腹を括ってほふく前進のためのウォームアップを始めると、
「それでも待つ! こんなこともできないで、野球ができるか!」
 そう言って立ち去ってしまった。
 いや、できるんじゃねえの?
 ツッコミも待たなかった。
 それから、恭介の読みが冴えたのか理樹の頑張りが通じたのか。一向にチームの筋肉量は増えないものの、なんのかんのとメンバーは集まった。8人だったが。
 ともかく人数を揃えて当日を迎えた。
 朝、鈴が逃げ出した。
「この期に及んで往生際の悪い奴だな」
 驚くでもなく恭介は味噌汁を啜った。
「お前に似たんじゃないのか。他人の迷惑を顧みないところなど、瓜二つだぞ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか、謙吾よ」
「皮肉に決まってるだろうが」
「そうじゃなくて、探さなきゃ!」
 焦ってるのは理樹一人だった。
「……そうだな。理樹の言うとおりだ」
 恭介はおしんこを齧り、少し黙ってから、身を乗り出して理樹の肩を掴んだ。
「お前に緊急ミッションを与える」
「いや、そうなるとは思ってたけどね……」
「よし。それでこそ理樹だ。ただ説得は難しいだろうからな、これをやろう」
 鞄に手を突っ込んで、袋詰めのカップゼリーとモンペチを取り出した。
 ため息をひとつ、理樹は駆け出した。
「やけに準備がいいじゃないか」
 恭介は不敵に笑って見せた。
「大丈夫なのかよ、あれ」
「なぁに、鈴は理樹にラブラブぞっこんだからな。なんとかなるだろ」
「ダメだったらどうすんだよ」
「そんときはそんとき、兄である俺が責任を取ろう」
 任せとけ、と胸を叩く。その仕草が頼りない。
「7対9じゃ試合になんねえぞ」
「そうだな。今日だけでも、どこかに助っ人がいてくれればいいんだが」
 恭介はそう言って謙吾の顔を見た。
「俺はもう行くぞ。二人とも頑張れよ。理樹と鈴にも言っといてくれ」
 謙吾はさっさと席を立ち、歩いていってしまった。
「……まずい、予想外だ」
 恭介が頭を抱えた
「お前最近なんか変だよな。行き当たりばったりというか」
「……先のことなんてそうそう分かってたまるかよ」


 理樹が授業にも出ず、どうにかこうにかなだめすかして、予定より一時間遅れて試合が始まった。始まると同時にメンバーがマウンドに集まった。プレイボールの5秒後だった。
「ほら、謝れ」
 恭介が鈴の頭に手を添える。バッターボックスでは陸上部のキャプテンがそりゃ痛そうにもんどりうっていた。
「どうした。お前がやったことだぞ」
 頭を下げさせようとするが、鈴はうんうん呻くばかりで、口を開こうとしない。
「いや、棗、いいよ。いきなりで驚いただけだから」
 陸上部は白い歯を覗かせて一塁に歩き出した。結局鈴はなにも言えず、理樹も申し訳なさそうに俯くばかりだった。鈴は恨めしげに理樹や俺の目を見るが、いったいどうしろってんだろう。
 あとは散々だった。
 次打者の初球、ワンバウンドしたボールを理樹が弾いた。二進するランナーを刺そうとボールを投げると、来ヶ谷の頭上を越える暴投になった。無人のセンターをボールが転がった。必死で追ったが筋肉の出番さえなかった。
 フォアボールでランナーを溜めて、暴投か長打で返した。守備なんていないも一緒だった。マウンドに集まろうとするメンバーを鈴が威嚇し、理樹にも声は届かなかった。
 向こうが三つ、糞ボールを空振りしてくれて、やっと守りが終わった。
 二人はもう声も出せなかった。輪にも入らないで木陰に座り込んでいた。
「この回三点取れば、とりあえずコールドは免れる」
 理樹たちには見向きもせず、恭介は話す。
「今は点を取ることに集中しよう」
 恭介を囲む全員が無言で頷いた。
 みんな理樹と鈴を元気づけたいと思っていた。
 粘りに粘って、ツーアウト、一塁三塁。凡退して肩を落とす理樹とすれ違いながら打席に向かった。
 今こそ、俺の筋肉の出番だった。
 他の奴が言うとおり、俺は筋肉馬鹿だから、慰めとか励ましなんてできやしない。だからせめて、この筋肉で伝えられたらと思った。
 プレッシャーも不思議とまるで感じなかった。試しに素振りをしてみると、まるで重さを感じない。
「それ、小毬のだぞ!」
 三塁から恭介が声を出した。
 バットを持ち替えて打席の一番前に立った。先輩だかなんだか知らねえが、構わず睨みつけた。俺の雰囲気に圧倒されていた。
 ベンチでは、理樹と鈴が怯えるように戦況を見つめていた。いかにも弱っちい姿だった。ガキの頃となにも変わらなかった。
 俺の筋肉は奴らを守るためにあるんだ。
 二人のためなら、なんでもできる気がした。
 初球、全身の筋肉を総動員して、バットを振り抜いた。

 あと二回変化球を空振って、ピッチャーが軽くガッツポーズした。
 試合が終わった。
「……うおお、俺の馬鹿っ!」
 頭を抱えた。
 バットで頭をバコバコ殴りつけていると、神北たちがなにか話しかけてきたが、全く耳に入らなかった。
 筋肉馬鹿からただの馬鹿になってしまった。
 今更になって、本当に今更、馬鹿というのは糞の役にも立たないと知った。
 屁で空を飛ぶヒーローも、もう時代遅れだった。

 試合後、二人は部室に顔を出さなかった。みんな落ち込んでいて、二人がこの場にいないのを気にしてるのは馬鹿でもわかった。
「落ち込むなよ。お前らしくないぜ」
 恭介の手が肩に置かれた。
「俺みたいな馬鹿はほっといて、あいつらを慰めてやってくれ……」
「そんな自虐すんなって。スポーツなんてこんなもんさ」
 恭介は軽い調子だが。
「んなこと言ってもよ、無理やりやらせたのは俺らだろうが」
 申し訳なかった。頭の悪さは人を傷つけると知った。
 それを、恭介は鼻で笑った。
「最終的に打たれたのも打てなかったのもあの二人だろ。だいたい、慰めようにもここにいないんだから、ほっとけってことだ」
 ……恭介の態度が頭にきて。
 その頭が悪いもんだから、ついいらないことを言ってしまう。
「最近お前、妙に冷たくねえか?」
 お前が守ってやらないで、誰が守ってやるんだよ、と。
 俺は馬鹿で、謙吾も馬鹿で、だったら守ってやれるのは恭介だけだろう。そう詰め寄った。
「今まで甘くしすぎただけだ。あと、あいつらが甘えすぎた」
 意にも介さず、恭介は解散を宣言した。
「甘やかしてもいいことないからな。たまにはこういうことも大事だ」

 部室を出て、俺は二人を探した。
 二人が弱っちくても、俺たち三人でずっと守ってやれると思ってたし、ただ強ければ守ってやれると思ってた。
 それが馬鹿の馬鹿らしいところだった。
 あちこち走り回るが、馬鹿だから二人がどこにいるかも分からなかった。屋上にもよじ登ったし、体育館の床下も覗いた。女子寮の防衛線も突破した。それでも二人は見つからなかった。
 学校中走り回って、ちょっと息が切れた。こんなときの筋肉だろうに、鍛え方が甘かった。
 このまま、二人が俺たちの輪から外れっぱなしになるんじゃないかと思った。怖い想像だった。俺が今そうなったら、なんて考えることもできねえ。だから二人の側にいてやりたいと思った。
 そうでないと、二人はどこかに消えちまうんじゃないかと思った。
 最後の最後、俺の部屋を覗いた。
「あ、お帰り、真人」
 ベッドに二人が座っていた。
「お帰りじゃねえよ!」
 思わず怒鳴ると、鈴がびくりと肩を震わせた。理樹も気まずそうに目を伏せた。
 ……さて、ここからどうすんだ、俺。
 二人を見つけたはいいが、どうしていいか分からなかった。
 普通友達ってのは、漫画でもなんでも、どんな馬鹿でも、こういうとき言葉が出るもんだった。
 だが俺は究極の馬鹿だった。
「さっきは、ごめん。みんな怒ってるよね」
 理樹が呟く。
「……わるかった」
 理樹の陰に隠れながら、鈴も。
「そうじゃねえよ。そうじゃなくて……」
 自分の馬鹿さ加減が恨めしく思えた。
 こんな馬鹿とみんなよく一緒にいてくれたものだと、また今さらありがたかった。
 だから、なにか言ってやりたかった。
「そうじゃなくてだな……」
 言葉が見つからない。
 それでもなにか言いたかったから。
「筋トレしようぜ!」
 最初に思いついた言葉を、口に出していた。
 二人が馬鹿を見る目で馬鹿を見た。
 自棄になって、その場で指立て伏せを始めた。せめて二人に笑って、馬鹿にして欲しかった。
 二人は俺の馬鹿な行いをぼやっと見ている。俺は一心不乱に腕を動かした。頼むから笑って欲しい。そう思う分、いつもより背中が重かった。

「……な、なんでこの状況で筋トレなのさ!」

 理樹のツッコミが入った。
 ツッコんでから、理樹は吹き出した。鈴も釣られて少しだけ笑った。
「こいつ、馬鹿だな」
 その言葉に、身体が軽くなった。筋肉にフルスロットルで酸素が巡った。俺は勢いを増した。
「理樹! 鈴! お前らも鍛えて、リゾンベだっ!」
「リゾンベってなにさ!」
「ほんとに馬鹿だな」
 二人は声を出して笑った。


 ボールが俺の頭上に舞った。
 犠牲フライには十分。誰もがそう思ったことだろう。
 だが、この俺様に常識なんざ通用しねえ。
「バックホームだ!」
 鈴の声。理樹も大きく手を上げて返球を待つ。
 ボールが落ちてくる。助走をつけ、受け止める。ランナーがタッチアップする。
「いっくぜええええええええ!!!」
 矢のような返球。
 一直線に理樹のミットに伸びた。
 乾いた音を立てて、理樹のミットがバックネットに突き刺さった。
「強すぎじゃぼけーっ!」
 鈴が外野まで駆けてきて、思い切り蹴られる。
「うっ! つ、次は加減します……」
「鈴ちゃん、わざとじゃないんだからそんな怒っちゃだめだよ〜」
 神北が寄ってきて、鈴の怒りをなだめた。
 内野ではみんな、苦笑いで俺を見ていた。三枝が俺の方を指差しながら、理樹になにか耳打ちしていた。それから二人で笑い合っていた。

 こうしていると、馬鹿も悪くなかった。
 きっとこの先、なにがあっても、俺はずっと馬鹿のままなんだろうと思った。


[No.303] 2008/05/23(Fri) 22:32:21
二人のクリスマス (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@ちこく

 重く曇った空から、真っ白な雪が降り始めた。
 ホワイトクリスマスだな、と、そんなことをぼんやりと思いながら、時計をみると時刻は午後8時。僕は恋人である鈴と、薄ぼんやりとした街頭の下、二人っきりで公園のベンチに座っていた。鈴は相変わらず何も言わず、ただ僕の手を離すまい、と強く、強く握っている。鈴の表情は顔を伏せていてよく見えないが、泣いているのかもしれない。しかし僕は、鈴に――僕の恋人であるはずの鈴に、ただ手を握ることしか出来なかった――「初めてだからしょうがない」そんな言葉では鈴を慰めることは出来なかったから。そんなことしか出来ない僕を情けないと思いながら、街のほうを見る。相変わらず街はにぎやかだった。ネオンサインに包まれた街にはクリスマス・ソングが鳴り響き、少しはなれたところにあるこの公園にもその雰囲気が十分伝わってくる。きっと今もカップルが楽しそうにしながら街を闊歩しており、降り始めた雪に「ホワイトクリスマスだね」なんて会話が繰り広げられているのだろう。僕たちも本来ならその輪の中にいたはずだったのに、僕たちは、こんなところにいた。
「ねぇ、鈴」
 鈴に、声をかける。鈴は相変わらず、沈黙を保ち続けていた。この公園にきてからずっと。まだ鈴が立ち直るには時間がかかるみたいだった。




『二人のクリスマス』




 昔からなんどかこんな物語をみたことがある。
 あるところに一組の男女がいた。二人は幼馴染だった。幼いころから仲良しだった二人は、当然のように恋人同士になった。時は流れ、クリスマス・イブ。高校二年生の二人は、クラシックのかかっている、ちょっと高級な感じのフランス料理店にいく。二人が食事している横には、雪の降っている街。ネオンサインの光が幻想的な雰囲気をつくりだし、そんな街をみながら、どちらからでもなく微笑みあう。
 二人は食事を終えると、そのまま部屋に行き、はじめて結ばれる。


 細部は違うけど、今までにこんな物語は何度かみたことがあった。それは漫画だったり、小説だったり、ドラマだったりしたけど。今言ったストーリーは一週間前恭介が僕に貸してくれた漫画の内容だった。そして、今日、12月21日。恭介が商店街の福引であてたというトリトンホテルのディナー券を二枚くれた。トリトン・ホテルというのは駅前にある、13階建ての最近できたホテルの名前だ。
 僕がチケットを受け取ると恭介は「がんばれよ」といった。その意味がわからないほど、僕は鈍感ではなかった。
 なんていっていいかわからない僕に恭介はもう一度、「がんばれよ」といった。
「いいの?」と聞いたとき、恭介は「鈴を幸せにしてくれると信じているからな」と恭介は僕に答えた。
「男になって来い」そういわれたとき、僕はどう答えていいのかわからなかった。
 そんなことがあって僕は、鈴と――鈴と初めて結ばれる云々は別にして、トリトンホテルでクリスマス・イブをすごすことになった。
 僕はそのときは無意識にきっといつものデートのようにクリスマスの時のデートもうまくいく、と信じていた。
 だけど現実は、甘くはなかった。



 クリスマス・イブ当日。二人でレストランに行く前、二人の間に会話はなかった。
 鈴と数時間後、結ばれるかもしれない、とそう思いだしたら、鈴に話せばいいのかわからなかった。鈴は鈴で緊張しているのか、何も話さなかった。
 食事をすれば、何かが変わるかと思ったんだけど、そんなことはなかった。
 レストランについただけで、思わず後ずさりたくなった。あまりにも場違いな感じがして。ウェイターにあうとますますそんな感じがした。そのウェイターに――黒服に蝶ネクタイ、頭はなでつけたウェイターだ――席を案内され、席に座る。
「アペリティフはいかがなさいますか?」
「あ、アペリティフ?、り、理樹アペリティフってなんなんだ?」
「え…えーー…と?」
「食前酒、のことでございます、お客様」
「つ、つまり飲み物ってことだな、コ、コーラで!」
 そんなことがはじめにあった。そのあとも会話がはずむなんてことはなく、お互い緊張しっぱなしだった。恭介がよませてくれた漫画のようないい雰囲気も何もあったものじゃなかった。食事がくるまで何をしていいのかわからず、ふと、メニューを見ていると一番安いコースが6000円するのがわかりますます緊張した。
 そんな中、料理がきた。鈴は、緊張のあまりフォークをおとし、それをみたウェイターが――やっぱり黒服に蝶ネクタイ、頭はなでつけた、ウェイターだ――新しいフォークを持って近づいてきたとき、どうすればいいのかわからなくて鈴がてんぱったり、そのまま今度は料理の皿を落としてしまったり、出されたフィンガーボウルを飲んでしまい、ウェイターに微妙な顔をされたりと散々だった。かといって僕にも余裕があったわけじゃない。本来ならこういう場合、僕がエスコートしないといけないのだろうけど、エスコートなんて出来ず、ただ僕がしっているマナーを鈴に教えることしかできなかった。フィンガーボウルを思い出すのに時間がかかり、鈴に教えることができなかったので、それもどこまで出来たのか、かなり怪しい。料理の味なんて全然わからなかった。きっと鈴はもっと酷かっただろう。
 食事の前、なんとかなる、きっといい雰囲気になる、と無意識に信じていた僕がいかに甘かったのか、思い知らされた。
 結局最後までそんな感じだった。最後のほう、鈴の顔は泣きそうになっていた。だけど、僕は鈴を慰める余裕さえ、なかった。今思い返しても、本当に情けない。
 食事を終え、ホテルのレストランを出た後、僕たちの間に会話はなかった。そのまま逃げるようにホテルを出て、会話が本当にないまま、公園につき、そして現在にいたっていた。

 ――そこには、昔からよんだような、ありふれた物語のような風景はなかった。




 雪はだんだんと強くなり、時計をみると、8時30分になっていた。街は相変わらず煌びやかな雰囲気で、僕たちも相変わらず無言だった。鈴を、慰めないといけないのに、鈴にこんなふうになってほしくないのに、僕にはどうすることも出来なかった。
 まだまだ僕は子供だといやというほど痛感した。このまま、ここにいても仕方がない。今日のことは早く忘れよう、そんなことを思いながら、僕は鈴に告げた。
「帰ろうか?」
 もう、ここにいてもしょうがない。そうおもって僕がいうと、鈴の体がびくっと震えた。
「鈴?」
 そういった、次の瞬間だった。鈴が、僕を真正面から見据えた。
 突然のことで驚く。鈴の顔は真顔だった。
「な、何……?……………………んんっ!?」
 鈴がいきなり、唇を合わせてきた。
 こういうことをする鈴はほんとに珍しかった。
 たっぷり、20秒はあわさって、僕たちは唇を離した。僕は鈴のほうをみる。しかし鈴はいつも見せてくれるような笑顔は見せてくれなかった。さっきまでの真顔でもなく、ただ泣きそうな鈴の顔があった。
「理樹…」
 そういって、鈴は僕に抱きついてくる。そして鈴がいった、この言葉に僕は耳を疑った。
「あたしのこと…嫌いにならないでくれ」


  
「え……?」
 その言葉に僕は戸惑ってしまう。
「どうして、そんなこと、いうの?」
「だってあたし、ちゃんとできなかった」
「初めてなんだからしょうがないよ」
「――でも、漫画のあいつらはちゃんとできていた」
 その言葉ではじめて気づく。ああ、そうか、恭介が3日前、読ませてくれた漫画は鈴とのデート中、鈴が何度か言っていた漫画の話だったか。はじめて鈴がその漫画の話題を口にしたのは夏くらいの教室で、だっただろうか。そこまで思い出して、ふと気づいた。
 ――と、いうことは、ひょっとして、鈴も僕と同じよいうに……。
「あたしは悔しいけど、馬鹿兄貴の言うとおりなにも出来なかった、ちゃんと食事をすることすらできなかった」
 鈴はさらに言葉を続ける。さっきまでの沈黙がうそだったかのように。
「部屋から出る前、来ヶ谷に「鈴くんは魅力的だからきっとうまくいくさ」っていわれて、これを渡された――だけどそんなことにはならなかった」
 そういわれ、鈴の手に握られていたものに、思わず顔を覆いたくなったが、はっきりした。 鈴は、食事がうまくいかなくって、落ち込んでいたんじゃなくて、僕と一緒に、漫画の二人のような雰囲気ですごせなかったから落ち込んでいたんだ。
 気づかなかった僕を本当に情けなく思い――鈴にこんなことを言わせてしまった僕を本当に情けなく思った。
「ねぇ、鈴」
 僕はなるべく優しい声で鈴に言う。
「ごめん」
「なんで、理樹が謝るんだ?謝るとしたら、あたしのほうじゃないか」
「だって、鈴の気持ちにぜんぜん気づかなかったから」
「あたしの、気持ち?」
「鈴が今いった気持ち」
 僕がそうつげると、鈴はぽかん、とした顔をした。そして、数十秒後、自分が何をいったのかようやく自覚したらしく、顔を真っ赤にした。やっぱりあまり意識してなかったのか…。
 そんな鈴をかわいいと思いながら、でも僕は鈴に告げた。
「でもさ。今日は帰ろう」
「え――?」
 僕のこの言葉で鈴の顔が再び不安に包まれる。
「だって、今日の鈴とそういうことをするのは卑怯だから」
 こんなことをいったと来ヶ谷さんが知ったらヘタレだと思うのだろうけど、やっぱり僕は卑怯だと思った。
「それに鈴は、本当に心のそこから、僕とそういうことしたいの?」
 そういうと、鈴は少し考えて。
「よくわからん…だけど。クリスマス・イブっていうのはそういうもの、なんだろう?」
 と告げる。その言葉で気づく。ああ、そうか、鈴はいうならクリスマス・イブの幻影に取り付かれている。
 今思い返せば、恭介もそうだったかもしれない。いつもどおりの恭介が「男になって来い」なんてセンスのないことをいうはずがない。
 恭介はきっと、妹が抱かれる、とおもって戸惑っていたんだとおもう。だけど鈴に幸せになってほしい、っておもったんじゃないだろうか。ついでにいうなら。いつもどおりの恭介が、こういってはなんだけどあんなところで鈴がまともに食事をできると思うだろうか。
 こんなことにいまさら気づくあたり、僕もきっと幻影に取り付かれていたんだろうけど。
「なんだ、ニヤニヤして気持ち悪い、あたしは何もできないっておもっているのか?」
 その言葉をきいて、ああこれが鈴だな、と思う。
「いや、なんでも。ただ、さ」
「ん?わっ」
 鈴の顔が驚きに包まれた。
「鈴のことをきっとこれからも嫌いにならないだろう、っておもったんだ」
 僕がそういって鈴をなで、唇をあわせる、今度、唇を離したときには、鈴の幸せそうな顔がそこにはあった。


「とりあえず、今日はくちゃくちゃ楽しくなかった、明日仕切りなおしだ、明日、今日食べたのより、10倍はおいしい料理つくってやる」
「えーー」
 僕がそういうと鈴は不満気に顔をゆがめた。
「なんだ、そのいやそうな顔は」
「だって、この前の鈴の料理、いまいちだったし」
 料理をつくる、そういって鈴が以前つくったカレーライスは駄目にもほどがあった。じゃがいも一個がそのまま鍋に入れられていたり、カレールーがまったくといっていいほどとけていなかったり、たまねぎの皮がむかれていなかったり。とても食べられる代物ではなかった。
「心配するな、クドにちゃんと教えてもらった。理樹の大好物つくるから期待しててくれ」
 そういって笑顔でつげる。その反面、僕はやっぱり不安になる。そんな僕に鈴は「明日、見てろ」と自信満々にいった。
「そういえば、さ」
「ん?」
「鈴が僕を休日にデートに誘ったのってはじめてじゃない?」
「…そういえば、そうだな、うん」
 そういって僕たちは微笑んだ。クリスマス・イブの幻影がとけて始めて僕たちはようやく微笑んだ。



 二人寄り添いながら、寮に帰る。
 リトルバスターズのメンバーは僕の部屋でクリスマスパーティをやっているので僕たちは僕の部屋に戻った。本来なら、男子と女子が一緒の部屋ですごすのはご法度だけど、今日は終業式ということもあり、許可がおりればOKということになっていた。
 僕らはドアをあけた。
「葉留佳ぁ、大好きよぉ、葉留佳ぁ…今まで冷たくしてごめんね」
「お、お姉ちゃん、わかってデスから少し離れてさすがにちょっと暑苦し……って、あ、姉御、お姉ちゃんに何か変なの、飲ませました!?お姉ちゃんがなんか暴走していますけど!?」
「別になにも変なのは飲ませていないが」
「……そういいつつ姉御の手に握られているウィスキーのビンがすごく気になるんデスが?」
「葉留佳くんがいうとおりウィスキーのビンだ。しかし、佳奈多くんを見る限り、どうやら私のあずかり知らぬところで誰かがウィスキーにアルコールを仕込んだらしい、誠にけしからんことだが、不可抗力だ、あきらめろ」
「あ、姉御ーーっなんなんですかそれーー!?」
「ちなみに全員に飲ませたのだが、葉留佳くんと西園くんは酒に強いようだな」
「葉留佳、今の来ヶ谷さんの言葉はチャーチルの言葉でね……」
「わふー、ふわふわしてきもちいいのですー」
「あークーちゃんが11にんいるよーしあわせー」
「俺の筋肉は世界一ーーーー!」
「リトルバスターズは不滅だーーっ」
「鈴、いまごろどうしているんだろうな」
「またその話題ですか、恭介さん、なるようにしかなりませんよ」
「鈴、鈴、鈴ーー!?理樹にへんなことをされていないかーー!?」
「自分でやっておいていまさらそういう心配しないでください。しかし、妹さんを思うあまり、直枝さんを襲う恭介さん、そしてつむがれる、恭介×理樹の関係と、理樹×鈴の関係。どっちをとるか悩む直枝さん…アリです」
 部屋の中はさんさんたる有様だった。だれも僕たちの帰ってきたのにきづいていない。
「うっさい馬鹿兄貴ーーー!」
 そういって鈴が「鈴、鈴」と叫んでいる恭介に蹴りをいれたところで、ようやく、僕たちがもどってきたのに、気づいたらしい。
 そのあと、「少年はヘタレだ」とか来ヶ谷さんにいわれて、散々だったけど。



 ☆ ☆ ☆
「朝、か」
 目が覚めた。懐かしい夢をみた。今から3年前のクリスマス・イブの夢だ。
 今日は12月25日。大学2年生のクリスマスの日。普通の恋人同士のクリスマスはもうおわっているのだけど、僕たちのクリスマスは今から始まる。隣に鈴はいないことを確認すると僕は服を着て、台所にいった。
「おきたか」
 そういって、鈴は僕を出迎えた。あれから3年たって、僕たちは同棲している。
「まってろ、昨日小毬ちゃんたちが食べたのよりおいしい料理つくってやるからな」
 鈴の言葉で思い出したが、僕たちがいったところは案外家庭的なところだったらしい。コースで6000円って知ってあの時はすごく驚いていたけど。どうしてそういうことを知ったのか、といえば小毬ちゃんが昨日、恭介と一緒に一人5万円もする料理を食べにいくと知ったからだ。小毬ちゃんはうれしそうに話していたけど、恭介が「さらば11人の諭吉ぃっ」っていってちょっとないていたのを僕は知っていた。
「昨日、3年前の夢を見たよ」何気なくそう告げると、鈴が「…今日のか、昨日のか?」と聞いてきたので「昨日の」と答えた。 そういうと、鈴はすねた声で、「なんで今日の夢じゃないんだ、くちゃくちゃ、恥ずかしいじゃないか」といった。「まぁ、みちゃったもんはしょうがないよ」そういうが鈴の機嫌は直らなかった。
 微笑みながら席に着き10分ほどしたら皿に盛り付けられた料理がやってくる。
「来年は、今日の夢をみせてやるからな、こんなおいしいの食べればインパクト抜群だ」
 そういって、鈴は、3年前の、クリスマス・イブのときだしてくれたメニューと同じものを出した。3年前からずっとこれはかわっていない。これを食べると、ああ、クリスマスだな、と思う。こんなカップルは珍しいだろう。そう思いながら、料理に箸をつける。
 うん、糸こんにゃくやにんじん、じゃがいもに味が十分にしみこんでいておいしい。
「あ、今回は紅しょうがいれているんだ」
「ああ、そっちのほうがおいしいって思ってな、どうだ?」
「うん、ぴりっとした辛さがあっておいしい」
 そういうと鈴は満足し、機嫌もなおったみたいだ。3年前のクリスマスもそうだった。おいしかったはずのホテルの料理より、この鈴がつくってくれた料理のほうが何倍もおいしかった。
 3年前のクリスマス、鈴の料理を食べたとき、料理の腕が以前より格段にあがっていて、驚いて、二人微笑んで――クリスマス・イブより数十倍楽しいときをすごせた。雪も降っていなかったし、街はクリスマス・ソングがかかるどころか正月へと風景がかわっていったけど、本当にその日は楽しく過ごせた。それ以来、クリスマスのこの料理を食べることは定番になっている。
「おいしいか、理樹?」
 もう一度、鈴はこんどは鈴も食べながら聴いてきた。「うん、ほんとにおいしいよ」と理樹が鈴にいうと鈴は笑顔で「そうか」と返す。僕たちは、箸を二人でつついていた。本当に幸せに。――こんな風にすごせるのは間違いなく、この料理のおかげだ、と僕思った。鈴がつくったこの――『牛筋肉(ぎゅうすじにく)の煮込みもの』の。
「この筋肉、おいしいね」
「そうだな」
 そういって二人微笑んだ。


[No.304] 2008/05/23(Fri) 23:14:31
つかれた笑顔 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@遅刻orz

 始まりは、野球の練習の休憩中、鈴さんがかけてきた言葉だった。

「みお」
「なんでしょう」
「みおは、笑わないのか?」
「……はい?」

 唐突な言葉に面食らう。笑う? 突然何を言い出すのだろうか。意図が掴めず困惑する私に、彼女は言葉を続ける。
  
「みおだって楽しんでるのはわかる。ときどき笑ってるのも知ってる。でも、もっと笑えないか? さっきのみんなみたいに」

 その言葉でようやく合点がいった。先ほどの練習中のことだ。
 『ははっ! すげえな、理樹! 五十七コンボとは驚いたぜ!』そう言ってやんちゃ坊主のような笑顔を浮かべる恭介さんを筆頭に、誰もが笑顔ではしゃいだり、直枝さんを褒めたりしていた。
 けれど彼女の発言から考えると、私は、私だけは、笑っていなかったのだろう。私も感心してはいたのだが……それが表情に出てはいなかったらしい。
 彼女はさらに言葉を続ける。

「こまりちゃんが言ってた。笑うとちょっとだけ幸せになれるって。誰かを幸せにすると自分も幸せになれるって。だったら、みおが笑えばあたしは幸せになれる。そしたらみおももっと幸せになれる」

 ちらりと神北さんの方を見やる。何がそんなに楽しいのか、笑顔で鼻歌を歌っている。実に彼女らしい言葉だと思う。

「あたしはみおにもっと笑ってほしいんだ」

 その、取りようによってはとても恥ずかしい言葉にどう答えたものかと思案していると、横から三枝さんが茶化してきた。

「おお、なんか愛の告白みたいな台詞ですネ」

 三枝さんの言葉にびくんと反応し、一歩後ずさる鈴さん。その仕草は敵を警戒する猫のようだったが、その表情はやはり人間のものだ。自分の言葉の恥ずかしさに気付いたのか、僅かに顔が赤らんでいる。

「あ、あい!? んなわけあるか、ぼけーっ!」
「いいじゃんいいじゃん。照れなくてもさ。愛ってのとはちょっと違うけど、鈴ちゃんだってみおちんのこと好きっしょ?」
「う……それは……」
「それとも実はみおちんのこと嫌いだったり? そんなことないよね?」
「そんなわけないだろっ! あ、あたしは、みおのことが……す、好き、だ」

 即座に否定したものの、途中から照れが入ったのか、こちらにちらちらと視線を向けながら言葉を紡ぐ。悪い気はしないのだが、なんとも返答に困ることを言ってくれる人だ。
 返事に窮していると、またしても三枝さんが茶々を入れる。

「や、なんか見てるこっちまで恥ずかしくなってしまいますヨ」
「うっさい! はるかが言わせたんだろうがっ!」
「やはは。もー鈴ちゃんってば可愛いなぁ」
「かわいくなんかないわ、ぼけーっ! 笑うなっ!」
「あはははははっ!」
「ふかーっ!」

 顔を真っ赤にして威嚇する鈴さんと、それを見て楽しそうに笑う三枝さん。
 なるほど、鈴さんの言いたいことも少し分かる。感情を率直に表情に出す二人のやりとりは、見ていて清々しくもあった。喜んでいるのか悲しんでいるのかも分からないような微妙な表情では、こうはいかないだろう。
 けれど、だからと言って私が目の前の二人のように感情を表情に出すというのは……随分と難しい話だ。
 そんなことを考えていると、三枝さんがこちらに向き直り、両手を伸ばし……私の頬をつまんできた。

「ほらほら、そんな難しい顔してないで。鈴ちゃんも言ったじゃん。みおちんも笑って笑ってー」
「……ひゃめてくだふぁい」

 やめてください。そう言ったつもりだったが、頬が引っ張られているのでうまく発音できない。三枝さんは(痛くない程度にではあるが)私の頬をさらに引っ張り、上へ下へとやっている。もっとも相手が三枝さんではうまく発音できたところで聞き入れるとも思えなかったが。

「ぷ、ぷふっ、みおちんってば変な顔ー! あははははっ!」

 失礼な。誰のせいで変な顔になっていると思っているのだろう。とりあえず、憎ったらしいほどの笑顔で笑い転げる三枝さんは。

「……かたじけのうござる」
 すぱーーーんっ!

 ……新聞紙ブレードの錆にしておいた。





「やってしまいました……」

 寮の自室に帰ってきた私は、ため息と共に言葉を吐いた。今日の野球の練習の後、商店街に赴き、書店で一冊の本を買ってきた。胸に抱く紙袋の中の一冊の本。そのタイトルは『すぐ始められる表情筋トレーニング』。
 余談だが、この本のタイトルを見たとき、『筋トレ』の部分で何故か、異様な動きで腕を振る巨大な肉塊が頭に浮かんだ。が、あまりにも美しくなかったのですぐにかぶりを振り、思考から追い出しておいた。

 表情筋。
 顔の目や口、鼻などを動かす筋肉。
 人間の顔には三十種類以上の筋肉があり、それらが相互に作用することによって複雑な表情を作り出している。
 身体の筋肉は骨と骨をつないでいるが、顔の筋肉は骨と皮膚につながっているため、細かな表情まで滑らかに作り出すことができる。
 表情筋は通常の生活では全体の三割ほどしか使っておらず、加齢、あるいは普段から無表情で表情筋を使わずにいることなどによって衰え、うまく表情を作れなくなる。
 また、愛想笑いなどの不自然な表情をするのも良くない。それは表情筋を疲れさせ、やはり表情筋が衰える原因となる。
 そして、衰えた表情筋は今まで保っていた顔のハリなどのバランスを崩しシワやたるみの原因にもなる。
 そこで、この表情筋トレーニングを一日数分行うことにより、表情豊かな美顔を作ることができる。
 ――以上、序論として書かれていた内容の私なりの要約。

「別に鈴さんや三枝さんに感化されたわけではありません。これはあくまでも美容のためです」

 部屋には自分ひとりだというのに、我ながら誰に言っているのだろうか。考えても答えは出ない。考えるのはやめて、鏡に向かい、本の内容に沿って表情筋トレーニングを始めた。

 表情筋トレーニングメニュー、その@。
 顔全体を縦に思い切り引き伸ばし、今度はクシャクシャに縮める。これを繰り返す。
 むにゅり。

「……美しくないです」

 思わず口にしてしまった自分の言葉に落ち込む。しかし実際、美しくないとしか言いようのない顔だった。本に書かれていた一行の注意書きが頭を過ぎる。
 『くれぐれも、人前ではやらないで下さい。頭がおかしいと思われること間違いなし。』
 まったくもってその通りだ。こんな顔、とても人には見せられない。きょろきょろと室内を見回し、改めて一人であることを確認した後、ドアの鍵をかけた。その上で表情筋トレーニングを再開する。ええと、次は……と。

 この後、トレーニングメニューの数だけ私は美しくないと口にした。





 色々と思うところはあるが、何とかひと通り表情筋トレーニングのメニューをやり終えた。本には最後のメニューの後、こう書かれていた。『ひと通り終わったら、鏡に向かってにっこりと笑いかけてみましょう。ほぐれた表情筋のおかげで、きっと素敵な笑顔ができます。』
 なるほど、これなら安心だ。やってみよう。にっこり……にっこり……。

 ニタリ。

「……失敗しました」

 はっきり言って怖かった。お前はどこの悪の女帝か、と。
 ここに来てようやく気付いた。表情を作るために表情筋トレーニングをするのはいいが、それだけでは足りないと。そもそも表情を作ること自体、私は苦手だったのだと。
 思い返してみれば、私は昔から表情を作るのが苦手だった。小学生の頃のクラス写真撮影で写真屋さんに『そこの子、もっと笑って』と言われたことも一度や二度ではない。私はどうにか笑おうとするもののうまくいかず……苦笑する写真屋さんが『しょうがない』と言って切り上げるのがいつものパターンだった。現像された写真の中で、当然私は笑ってなどいなかった。
 中学校での三年間では、私に友人といえるような相手はほとんどいなかった。僅かな友人とも、そこまで親密でもなかった。今ではもう連絡も取っていないくらいだ。本が一番の友達とでも言うべき状態だった。本を読みながら笑ったり泣いたりするのは傍から見ればただの変人だ……と思ったが、現在身近に漫画を読みながら少年のように笑い、悲しみ、泣く人間がいることを思い出した。
 ……まあ、あの人は変人か変人じゃないかと言われれば間違いなく変人だし。
 とにかく、友人もろくに居らず本ばかり読んでいた中学時代の私は、表情を作ることなどなかった。それはこの学校に入ってからの一年と少し、リトルバスターズの皆さんと知り合うまででも同じことだった。
 鈴さんによると、今の私はいくらかは笑えているらしい。以前は意識して笑おうとしても笑えなかったのに、だ。きっとそれは、リトルバスターズの皆さんのおかげなのだろう。だったら、鈴さんや三枝さんの期待に応えたいと思う。そして、それ以上に、私自身の意志で、もっと笑えるようになりたいと思う。そうすれば、あの眩しい笑顔の人たちに一歩近づける気がする。
 けれどそれはやはり難しい。そもそも、私は私の笑顔を知らない。写真に写った自分の笑顔も、鏡に映った自分の笑顔も見たことがない。ある程度は笑えていても、それは無意識のものなので、その時自分がどんな顔で笑っていたか分からないのだ。本来なら、その無意識の笑顔こそが正しいもので、意識して笑顔を作ろうという事自体間違っているのだろう。けれど、それでも笑えないよりはずっといいはずだ。
 とにかく、私は私の笑顔を知らない。笑いたくとも、どう笑えばいいのか分からない。これではいくら表情筋トレーニングをしても意味がない。どこぞの筋肉馬鹿が言うように、筋肉は万能であったりはしないのだ。

「……はあ……」

 こつん、と鏡に額を当てて、ため息をつく。息のかかった部分が白く曇る。曇った鏡に映る私の顔は、私と似た顔の、けれど私ではない誰かの顔のように見えた

「……っ!」

 がばりと顔を上げる。気付いた。私は私の笑顔を知らないが、私と同じ顔で作られる笑顔を知っていることに。
 全ての始まりもこうだった。鏡と向き合う私。その中から話しかけてきたあの子。友達もほとんど居らず、両親も忙しかった私にとって、唯一と言える笑い合えた相手。美鳥。
 すっと目を閉じる。瞼の裏にあの子の笑顔をイメージする。快活な笑顔、悪戯っぽい笑顔、どこか寂しそうな笑顔……。
 自分の笑顔は一切イメージできなかったくせに、あの子の笑顔ならこんな簡単に思い浮かべることができた。

「あなたの笑顔、貸してくださいね、美鳥」

 言ってから、そっと目を開けた。瞼を開くと目に映る鏡。その中には私の顔、いや、美鳥の顔。ふっ、と自然に表情筋が緩んだ。

「うん、いい笑顔だよ、美魚っ」

 ふと、そんな声が聞こえた気がした。
 鏡の中の美鳥は、穏やかな笑みで笑いかけてくれていた。





 その日以来、私は以前より笑うことが増えたらしい。あの子を思えば、自然と笑顔になることができた。最初は皆さん驚きはしたが、概ね好評だった。そんなある日の一幕。

「みおちんって最近よく笑うようになったよねー」
「そうだな」
「うむ。おねーさんとしては非常に好ましい」
「笑うことは素敵なことなんだよ〜」
「はいっ! 西園さんの笑顔、とっても素敵なのですっ」

 離れたところで、リトルバスターズの皆さんが談笑している。普段なら話の輪に加わるところだが、今は話題が話題なので入っていくのが気恥ずかしい。手元の小説に夢中なふりをする。ただし、耳はそちらに傾けて。その耳に、やや潜めた三枝さんの声が届いた。

「けどさ、みおちんの笑顔ってたっまーにえっちくない?」
「えろいな」
「うむ、エロい」
「みおちゃん、えっちだよぉ〜」
「わふー…… えろいのです……」

 ぴしり。
 私の体は固まった。本を掴む両手に力が篭もる。
 私の笑顔が……エロい? 心当たりは……あった。美鳥は時折、そういう笑顔も見せていた。
 けれど、いくらあの子のを参考にしているとは言え、結局表情を作っているのは私で、私はそんなつもりではなかったはずなのに……。
 ぽん、と肩に大きな手が置かれた。見上げると、いつになく神妙な顔をした井ノ原さんが立っていた。どこか迷いを感じさせる様子で、彼は口を開き、言葉を紡いだ。

「なあ、西園……お前の表情筋、何かに憑かれてないか?」


[No.305] 2008/05/23(Fri) 23:59:57
ひとつの友情 (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@2時間遅刻


 ある日の日曜日の食道で、真人は謙吾と喧嘩をした。
「納豆(のうとう)だろうが、納豆(のうとう)!」
「バカ、納豆(なっとう)だ、納豆(なっとう)」
 『納豆』をどう読むかの討論。そんないつもの他愛もない喧嘩のはずだったんだ。
 でも、真人のミスが、ひとつの亀裂を産んだ。
「あっ」
 真人が手に持っていた納豆が、謙吾の方へ落ちる。
 その納豆が、謙吾のリトルバスターズジャンパーにかかった。それだけのことだ。
 でも、謙吾はそのミスを許さなかった。
「真人っ! お前、どうしてくれるんだっ!!」
「わりぃ」
 真人が謝っても、許さなかった。
「表に出ろっ!」
「あぁ? なんでお前そんな怒ってんだよっ」
「お前には……お前にはわからないのか……これだから、筋肉バカは……」
「なにぃ?」
「バカなお前にもわかるように教えてやる、このジャンパーはな、俺にとって大事な物なんだ、リトルバスターズの一員として、かけがえのない宝物なんだ、なのに、お前と言うバカはそれを汚したっ!」
「あぁ、はいはい、バカで悪かったな、それでいいかっ」
「……表に出ろっ! お前の大切なもの、俺が打ち砕いてやる」
「はっ、やれるもんならやってみろよ」
「ふ、二人ともっ! 止めなよっ!」
 席を立ったところで声をかける。
「理樹は黙ってろ、これは俺達の勝負だっ」
「そうだ理樹、お前に俺達の気持ちはわからないだろうっ」
「そ、そうかもしれないけど、でも……っ!」
 立ち上がって二人を止めに入ろうとした時、袖を捕まれた。
「え、恭介……?」
「止めとけ、理樹」
「どうして?」
「今回は、好きにやらせてやれ、あれは、あいつらが始末をつけなくちゃいけない戦いだ」
「どういうこと?」
「お前も、大切なものを汚されたりするのは、気分悪いだろ?」
「うん……」
「今の謙吾は、まさにそれなんだ。見ただろ? あいつ、ジャンパー汚された時、一瞬だが、悲しい顔しやがった」
「そう、かな? 僕にはわからなかったけど……」
「そうなんだよ、わからなかったんなら、今のお前にあいつらのことをどうとか言う権利はない、今はそっとしておいてやれ」
「……う、うん……」
 納得はいかなかったけど、恭介の言っている事は、なんとなくわかる。
 だから僕は、おとなしく恭介の言ったことを守る事にした。





 二人は中庭にでた。その二人に僕と恭介はついていく。
「お前の宝である筋肉は、俺が叩き潰させてもらう」
「おい、ちょっと待て。それじゃあ不公平じゃねぇか? 俺の宝はお前はボコボコにできる。だが俺はお前の宝物に手ぇ出せねえじゃねぇか」
「ふん、それもそうだな、少し待ってろ」
 鼻で笑いながらも、謙吾はジャンパーを取りに行く。そういう律儀なところを見る限り、いつもの喧嘩となんら変わりない。
 でも、やっぱり二人は殺気づいていて……。
「心配か、理樹」
「心配って言えば、心配だけど……いつもの喧嘩なのなら、大丈夫かな……」
「本当にいつもの喧嘩のように見えるか? 理樹」
「……あんまり……」
「あぁ、これはいつもの喧嘩とは違う。あいつらは、本当に本気で互いを潰そうとしている……」
「そ、それって、やっぱり止めるべきなんじゃ……っ!」
 恭介の言葉で僕の不安は急激に増幅した。





「待たせたな」
 そう言って、謙吾は持ってきたジャンパーを羽織る。
「……納豆の匂いがこびりついたか……」
「……あれ……」
 今一瞬、謙吾が悲しそうな表情をした気がした。
「わかったか、理樹、あいつは今、悲しんでいるんだ。大切なジャンパーを汚されて、世界にひとつだけの宝物を汚されて。きっと、今のあいつは泣きだしたくなるくらい、悲しいんだ」
「……うん……」
 誰だって、大切なものが傷つくと、悲しいものだ。それくらい誰だってわかる。
 なら、なら真人だって、それくらい、わかってるんじゃないのかな……?





「容赦しないぜ?」
「それはこっちの台詞だ」
「はっ、いつまでんなこといってられるかなっ!」
 真人がそう言っている間に謙吾が真人の背後に回っていた。

ブンッ!

 謙吾が素早いジャブを繰り出す。それを咄嗟に避ける真人。
「なんだ、お前は大切なジャンパーを汚された時に出せる力はそんなものなのか?」

ブンッと真人はパンチを繰り出すが、謙吾は華麗にそれを避ける。

「そういうお前はどうなんだっ! お前はただ筋肉が全てだと言って鍛えてるだけじゃないか、それを失った時、お前はどうするんだっ!」

ブンッ

「俺は失わねえ、どんなことがあっても、筋肉で俺は最強の座を取る。 お前がどんなに強くても、俺はお前を倒すっ! この筋肉でっ」

ブンッ

「その筋肉が、今無くなろうとしているんだぞっ!」

ブンッ

「なら、無くならないように大切にしていれば良いっ」

ブンッ

「なら、何で俺は大切なものを汚してしまったっ!」

ブンッ

「お前は、守る力が足りなかったんだよっ!」

ブンッ

「なら、お前にはあると言うのかっ!」

ブンッ

「少なくとも、お前よりはある。俺はこの筋肉を命がけで守る。だから俺は、この筋肉を失くさないように、日々トレーニングを積み重ねているっ」

ブンッ

「俺だってそうだっ! 俺だってお前のように毎日、手入れをしていたっ!」

ブンッ

「なのに何故守れなかったってか?」

ブンッ

「あぁそうだっ! 何故俺は、大切なものの1つや2つ、守る事ができない……」

ブン……

「それはお前が弱いからだっ」

バシッ!

「……っ」
 真人の強烈な一撃が、謙吾の頬に当たる。
「俺は弱いのか……? 今までどんなに楽しそうなお前達の姿を見ても、見ないようにして、剣道に打ち込んできたというのに……大切なものを守る力が欲しくて……やってきたのに……。なのに、なのに、それは、無意味だったとでも言うのか……お前は……?」
「いや、無駄じゃなかったさ。それは、絶対に無駄じゃなかった。それは俺が保障してやる。なんていったって、お前はこの俺よりも強いんだからな」
「だったら、どうして俺は守れないんだ……」
「お前は仲間の大切さを知らなかったんだよ」
「なに……?」
「俺は、この筋肉のおかげで、仲間の大切さを知ったんだ……」
「筋肉の……おかげだと?」
「あぁ、俺は、あそこにいる恭介達に助けてもらったんだ。子供の頃、皆から除け者にされてた俺は、最強を示してやるために、筋肉を鍛え始めたんだ。鍛えて、他の奴等を皆ぶっ潰して、最強を示し続けてたんだ。それから恭介に出会ったんだ。勿論闘った。でも、あいつは力じゃなくて、頭で勝負してきたんだ」
 いつのまにかふたりの拳は止んでいた。それどころか、二人の動きすらも、止まっていた。
「俺は負けた。それこそ、完敗だった。それからあいつは俺を仲間にならないかと誘ってくれたんだ。心が荒んでいた俺に、手を差し伸べてくれたんだ。その時、やっと俺の居場所ができた。やっと、最強を示さなくて良いようになった。あいつは、学ばせてくれたんだ。力が全てじゃない、他人から教えてもらえる事もたくさんあるんだって。この筋肉があったから、学べたんだ。もし、あのとき俺が筋肉で最強を示してなかったらどうなってた? 多分、俺は何も学べなかった。だから俺はこの筋肉を大切にする。失わないためにも、命がけで守ってみせる。っと、くだらない事しゃべっちまったな」
「いや、くだらなくなんか、ない……」
 謙吾はすでに、涙声だった。
「そうか……俺は、間違っていたんだな……。俺は、力だけを求めて、他のものを見向きもしなかった、バカだったんだな……」
「いや、お前はバカじゃない。ちゃんと、間違いに気付いたんだからな」
「だが、もう、今となっては、手遅れじゃないか……」
「遅れた分は、取り戻せば良いだろ、今からでも遅くはないぜ」
「もっと、もっと早く……お前のように、もっと早く、気付いていれば、俺も……こんな思い……しなくて済んだのにな……」
 謙吾の頬からぽとり、ぽとりと雫がしたたり落ちる。
「……ぅっ……くっ……」
「ほら、俺の筋肉に入って来い。この中でなら、いくら泣いたって大丈夫だ」
「……すまない……」
 真人は謙吾を包みこむようにして、手を背中に回した。
「お前も俺と同じように、筋肉を鍛えてきたんだろ? なら、お前の宝は筋肉だ。ジャンパーは、お前の宝物じゃない。俺達の宝物だ」
「あぁ……あぁ……」



「さ、理樹、退散するぞ」
「う、うん、そうだね、今は二人きりの方がいいだろうしね」
「あぁ、そういうことだ……」
 僕たちはその場からの退散を決め込んだ。





 数十分後、僕達の部屋に真人達が戻ってきた。
「よし、皆っ! これから何して遊ぶっ!」
「え、いきなり!?」
「当たり前だろうっ! せっかくの休みだ、遊ばなきゃ損だろう」
「うし、じゃあ筋肉さんがこむらがえったでもしようぜ」
「さっそく筋肉遊びか、ナイスだ、真人。 っで、どうやって遊ぶんだ?」
「まず上腕二頭筋をだな……」
 僕はなんとなく嫌な予感がしたから、退散を決め込もうとしたが、恭介に止められた。
「せっかく謙吾が積極的に遊ぼうとしてるんだ、たまにはいいじゃないか」
 確かに、さっきのやり取りを見ている僕達にとっては、謙吾が皆で遊びたいということは、百も承知のことだ。
 でも、なんとなく……嫌な予感が……。
「……わかったよ」
 それでもやっぱり皆と遊びたいと思う気持ちには敵わないわけで。
「次に筋肉を全体的に鍛えるためにこう……」





「……っで、この状況、どうするんだ? 真人」
「ん? 慣れるまで待つ」
「そうか、俺はもう慣れてきたぞ」
「い、いや……無理、無理……っ!」
「真人、こんなことしてたらお前、死ぬぞ……。あと謙吾も」
 僕達は、どう表現していいのかもわからないほどの状況になっていた。1つ言えば、動けない。全身の筋肉がこむら返りを起こしている。文字通り、『筋肉さんがこむらがえった』だった……。
「はっはっは、これはこれで楽しいじゃないか、なぁ? 理樹、恭介」
「え? あ、いや……うん……」
「……そ、そうだな……」
 謙吾の宝物が筋肉になったのなら、これから僕達は毎日こんなことを付き合わなければならなくなるのだろうか。
 謙吾が強くなった時、気付いてくれる事を願う。
 仲間のことを考えることも、大切だと言うことを……。
 真人は持っているのに、真人が一番その考えを持っているのに、そのことに本人は気付いていない……。
 結局は真人も、まだ弱いのかもしれない……。
 いや、きっと皆、弱いんだ……足りないものはいくらでもあるから……。


 ちなみに、リトルバスターズジャンパーは今も僕達の部屋の壁に飾ってある。勿論、納豆の匂いが染み付いたままだ。
 きっとその匂いのついたジャンパーは、彼等にとって、筋肉の次に大切な宝物なんだろう……


[No.306] 2008/05/24(Sat) 00:46:43
ライアー (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@4時間遅刻

「あにきとはぐれた」

 迷い込んだ薄暗い路地で一人途方に暮れていると、シャツの裾をくいくいと引っ張る小さな手があった。なんと反応したものか、と考えあぐねている間に、「あにきとはぐれた」と、彼女はもう一度同じ言葉を繰り返した。

「迷子か?」

 散々迷った挙句、口にした言葉に彼女はこくりと首を縦に振った。頭の横できゅっと結んだ短めの髪が揺れている。

「奇遇だな」
「きぐう?」
「偶然だなってこと」
「……ぅん?」

 きょとんとした顔で小首を傾げる。

「俺も迷子なんだ」
「おじさんも?」
「ああ、おじさんも」
「おじさんも、まいごなのか?」

 そう言って彼女はどこか嬉しそうな顔をした。仲間を見つけた。そんな感じだ。目の端に溜まっていた涙を服の裾でごしごしとこするのを、俺はなんとなく眺めてしまう。
 小さな身体、小さな頭。セミロングの髪を強引に横で結んでいる。飾り気のないゴムの髪留め、折れてしまいそうなくらい細い首筋。男の子のように見えるが、女の子だろう。なんとなく、そう感じる。目をごしごしとこすりながら、油断なくこちらを伺っている猫のような瞳。意志が強そうで、それでいてどこか頼りなげで、守ってやりたいと、庇護欲をかきたてられる瞳だ。

「一緒に行くか?」

 手を差し伸べると、彼女は伏し目がちにその手を眺め、掴もうとして小さな右手を伸ばし、すぐ我に返ったように引っ込めた。ついていきたい気持ちと、ついていってはいけないという気持ちが、彼女の中でうろうろと堂々巡りをしているようだ。視線はあっちへふらふら、こっちへふらふら。最初に声をかけたのは自分だということを、彼女はすっかり忘れているのではないだろうか。

「……ん」

 蚊が鳴くようなか細い声とともに、小さな頭がこくりと沈む。
 人見知りで、意地っ張り。
 臆病なのに、どこか人恋しい。
 子供とは、皆こうなのだろうか。

「おにいちゃん、お前のことを見つけてくれるといいな」
「……あにきはばかだから、きっとあたしのことなんかわすれてる」

 きゅっと、不意に握られた右手。意外なほどその力は強く、少し長めの彼女の爪が俺の手の平に食い込んだ。そんなことない、と言う代わりに、俺は強くその手を握り返した。





 




「おじさんはだれとはぐれたんだ?」

 彼女にとって俺はすっかり“おじさん”になってしまった。少しむっとしたが、彼女くらいの年の子から見たら、大人の男は誰だっておじさんだろう。

「誰とでもない。一人で歩いてたんだ」
「おじさんもともだちいないのか?」
「さぁ、どうだろうな。お前はどうなんだ? ともだち、いるのか?」

 握られた右手が少し緩んだ。

「うん、いっぱい、いる。いっぱい、いっぱい」
「そうか。そりゃ、いいな」
「うん」

 歩き出してから結構経つのに、一向に知ってる道に巡り合わない。何らかの国道っぽいところに出ればある程度わかるのだろうが、行けども行けども夕暮れの住宅街だ。彼女にこまめに「家はこの辺りじゃないのか?」と聞いてはいるが、答えはいつも「知らない」の一言でおしまい。
 舗装された狭い道路に二人の影が長く伸びている。夜が、近づいてくる。

「家、この辺りでもないのか?」
「たぶん」
「ひょっとしてお前、自分の家がどこにあるか、わからないのか」

 彼女は申し訳なさそうに俯いた後、「……ん」と、小さく頷いた。

「じゃあ、どうやってここまで来たんだ?」
「あにきに、つれてきてもらった」
「もしかして、いつもそうなのか?」
「……ん」

 また、小さく頷いた。

「いいおにいちゃんじゃないか」
「ちがう。あいつはただばかなだけだ」
「遊びに行く時いつも君をつれてってくれるんだろう? そんなお兄ちゃん、中々いないぞ」
「…………」

 そんなことないとでも言いたげに、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

「きっとお兄ちゃん、お前のこと必死で探してるぞ」
「…………」
「おーい、どこだー、俺の可愛い可愛い妹はどこだー、ってな」
「…………」
「きっと見つけてくれるから、もう少しの辛抱だな」
「…………ん」

 やれやれ。素直にならせるのも一苦労だ。きっとこの子のお兄ちゃんも苦労してるんだろうなと、俺は不意に笑い出したいような、泣き出したいような気持ちになった。










 歩き回るのにも疲れたので、偶然見つけた公園に入り休憩することにした。彼女は公園の中に入った途端、新しい電池を入れられたばかりの玩具のように駆け出してブランコを一つ陣取った。苦笑しながら彼女の方に向かって歩いていくと、立ちこぎ用のブランコにデンと座って「おしてくれ」なんて言いやがった。

「自分でこげよ」
「やだ。つかれる」
「お前、子供だろうが……ってまさかお前、ブランコまでお兄ちゃんに押してもらってるんじゃないだろうな」
「うん」

 彼女はしれっと頷いた。

「で、俺にも押して欲しいと」
「うん」
「お前、大物だわ……」

 苦笑すると、彼女は何が楽しいのか、突然花が咲いたように笑った。

「何がおかしいんだ?」
「あにきも、よくあたしのこと、そうゆう」
「大物だって?」
「うん」
「そうか」
「おしてくれ」
「まだ言うか」
「おじさんがおしてくれるまでずうっとゆう」
「……わかったよ」

 また彼女はにかっと笑った。
 俺は横から彼女の背中に手を添えて、ゆっくりと押してやる。本当なら真後ろから押してやるのがいいんだろうが、それをやるには彼女の背はあまりにも小さく、そして俺の身体はあまりにも大きかった。力は入れにくいが、彼女の身体は軽く、片腕の力だけでも十分勢いをつけてやることが出来た。
 十分に勢いが付いてきて、ようやく俺は彼女の背中から手を離す。思ったよりも重労働で、腕の筋肉がぎしぎしと悲鳴を上げている。その甲斐あって、揺れるブランコの上、彼女はとても楽しそうに笑っている。

「わあ! わあ!」

 やがて彼女は、全身のバネを使ってブランコを漕ぎ出した。自分で漕ぐのは面倒くさい、疲れる。そう言っていた彼女はもうどこにもいない。ここに至って、もう彼女は俺の手助けを必要としてはいなかった。自らの力で、ぐんぐん空へと近づいていく。

 ぶん、ぶん、ぶん、ぶん!

「えいっ!」

 掛け声とともに彼女の身体は空を舞った。
 雲を掴んでしまうんじゃないかというくらい、高く、高く。
 数秒の滑空の後、すとんと、不気味なくらい小さな音を立てて着地した。
 ばっと、こちらを振り返り、会心の笑みとともに、Vサインをした。

 かちりと、パズルの最後のピースがはまったような音が、俺の中で確かに、した。










 その後、彼女は何度も何度も空を飛び、その度に俺は何度も何度も彼女の背中を押した。彼女が飛べなくなるよりも先に、俺の腕の方が参ってしまい、彼女のダイブは打ち止めとなった。いつの間にか日はとっぷりと暮れ、オレンジ色の空を暗い青が侵食し始めていた。

「よるに、なった」

 感慨深そうに、彼女は言った。俺は「そうだな」とだけ口にした。

「おひさまがしずんで、よるがきて、またあさがきて」

 彼女はまるで歌うように言葉を口ずさんだ。

「あしたはまたはれ、か?」
「さあな」
「はれじゃないのか?」
「俺は天気予報士じゃないからな」
「わかんないのか?」
「そうだな」

 足でブランコを軽く揺すってやると、ぎしぎしと錆びた金属がきしむ音がした。

「あしたって、ほんとうにあるのか?」

 先ほどまでの天気の話題のような口ぶりに、俺は何も言えなくなる。
 二人して黙り込む。
 先ほどまでそこにあったオレンジ色が段々と薄くなって、今にも消えてしまいそうだ。

「なぁ」
「なんだ?」
「お前のおにいちゃん、結局探しに来なかったな」

 残酷なことを言ってしまった、と思った。
 お前のお兄ちゃんは、来なかった。
 どんなに否定しようと、それは現実だったから、俺はそれを口にするしかなかった。

 茶番だと、あいつは笑うだろうか。

「いや、来てくれた」
「は?」

 思わず聞き返す。
 彼女は軽くブランコを揺すりながら、とても幸せな事実を口にするように、こう言った。

「ばかあにきはあたしをみつけてくれた」
「いや、来てない」
「ばかあにきはあたしのせなかをおしてくれた」
「押してないって」
「ばかあにきはあたしをとばせてくれた」

 俺はもう何も言えなくなった。
 全ては茶番だった。
 世界は崩れてしまった。
 彼女を傷つける全ての物に蓋をして、優しい嘘で塗り固めた嘘の世界の嘘は、とっくの昔に見破られてしまっていた。
 崩れゆく嘘の世界と世界の狭間で、俺は俺に一つの嘘をついた。
 すぐに見破られてしまう、自分すら騙せない、子供のような嘘。
 それでも俺は彼女といたかった。
 子供のような彼女を見守ってやりたかった。
 もう兄貴としてはいられない俺でもいい、それでもいいから、と。

「んっ!」

 彼女は自力でブランコを揺すり、勢いをつけ、ブランコの周りに張られた小さな柵をひょいと飛び越えていった。
 着地し、しゃがんだままの彼女の小さな背中。
 手を伸ばしても、もう届かない。

「帰るのか?」
「うん」
「そうか」
「うん」
「一つだけ、聞かせてくれないか」
「なんだ?」
「お前の馬鹿な兄貴の名前、なんていうんだ?」

 彼女は立ち上がり、こちらを振り返る。幼い姿の彼女はもうそこにはなく、美しく成長した彼女の姿があった。子供のようだった彼女はもういない。
 彼女の長い髪が風に揺れ、彼女の表情を一瞬覆い隠した。
 はっきりとした口調で、彼女は言った。

「なつめ、きょーすけ」

 それだけ告げると、彼女はくるりと俺に背を向けて、どこか遠くへ走っていった。

 俺は一歩も動けないまま、ぎしぎし、ぎしぎしと、ブランコの鎖がきしむ音だけを聞いていた。
 目を閉じると、暗闇は瞬く間に世界を覆いつくした。
 最後の最後に見た幸せな夢を焼き付けて、光はどこかへ走り去ってしまった。

 ただ一つ、彼女の背中を押し続けた右腕の痛みだけが、嘘で紡いだ世界と自分とを繋いでいた。


[No.308] 2008/05/24(Sat) 02:06:34
たまにはこんなのも (No.290への返信 / 1階層) - ひみつ@ふはははは! 見ろ! まるで遅刻のようだ!



「うみゅー、りきー」
「どしたの、鈴」
「なんでおまえはへいきなんだー」
「いや、別に平気ではないけど」





―― たまにはこんなのも ――





 理樹と鈴の住むアパート。
 その一室で、笹瀬川佐々美は床に横たわったなんだかいまいち気力の感じられない生き物を見下ろしていた。
 そして、一言。

「……この醜態。惨めですわね、棗鈴」
「うるさーい」
「だいたい、なんでわたくしを呼びましたの?」
「ひまだったからだ」

 佐々美の目の前には、ぺちぺちと畳を叩きながら寝転んでいる三毛柄のパジャマを身に着けた鈴。
 丁度、大学での講義が終わった頃合で何やらメールで呼び出されたので来てみればこの言い草にこの態度。
 動いているのは手首から先だけで、腕――特に右腕――を動かすとかなりの激痛が走るようだ。
 ついでにだるそうでもある。
 歩くのも苦痛なのか、先ほどなどもそもそと匍匐前進していた。
 鈴の自己申告によると腰も足も相当キているらしい。

 まぁ、要するに。

「それにしても筋肉痛ぐらいでこの有り様……惨めプラス無様ですわね」
「ぜんぶ理樹がわるーい」
「……直枝さん、夜の営みはもう少し自重したほうがよろしいのではなくて?」

 鈴の言葉を聞いた佐々美が理樹に目をむけ、そんな事を言う。
 理樹はジュースの入った、夢の国の住人たちが描かれたグラスを乗せたお盆を持ってやってくると、「いやまあ」と返しながら佐々美の前にことんと置いた。

「そっちじゃなくてね」
「違いますの?」
「違いますよ」
「いいや違わない。どーだうらやましいか今年もクリスマスをひとりささみ過ごす予定の寂しく」
「なんか今めちゃくちゃムカつくこんがらがり方しましたわね……ええい、この口、この口ですかしらそんな戯言を言うのは」
「よへいいひゃふなるからやめんかー!」
「……口まで筋肉痛ですの?」
「まさか」

 座りながら、呆れ気味に理樹が返答する。
 自分の分のジュースを口に含み、ほふぅーと一息。
 続けて、「あーいたたた」などと言いながら自らの右の二の腕をふにふにした。

「棗さんに比べれば軽いようですけど……」
「うん、僕も筋肉痛」
「で、なんでわたくしを呼びましたの?」
「ひまだったから?」
「ひまだったからだ」

 確認するように目を向けた理樹に鈴が頷く。
 その後で腰から下にタオルケットを巻いてちゃぶ台の下までころころ転がった。
 理樹はひとつ溜め息を吐くと鈴に近付き、手を伸ばす。

「ほら鈴、パジャマはだけてる」
「理樹は見ていいぞ。ざざみは見るな」
「見せ付けておいてよく言いますわ。そもそも普通逆じゃありませんの? ……それに」

 鈴の……特に胸元あたりに目をやった後で口元に手をあて、ふ、と小さく笑う。
 ぴしっ、と空気のみならず光ですらその動きを止めてしまったかのような沈黙。
 しかし臆せず躊躇わず、佐々美は口を開いた。

「そんな貧相なもの見る価値は…………」
「お前もそんな変わらんだろー!」
「あら、それでも棗さんよりはありましてよ?」
「あたしだって成長してるんだ! なんたって理樹が」
「はいはいストップストーップ!」

 なにやらやばい発言が――今更かもしれないが――出かけたところで、理樹が割って入る。
 いくらなんでも呼び出しておいてそんな惚気にしかならない会話に突入してしまうのは失礼にも程がある。
 と言うか気まずいし、逆に鈴と佐々美の2人に弄られかねない。

「筋肉痛の原因は……あれでしょうか」

 言い、古ぼけた箪笥(引っ越しに際し鈴の実家の倉庫から引きずり出したもの)の脇に置いてあるものを指差す。
 薄茶色の真新しいグローブと小さなネットに入った2つの硬球が、使って欲しいとばかりに窓から差し込む日差しと環形蛍光灯の光を反射していた。

「ん、笹瀬川さん正解。はい、記念品」

 そそそ、と理樹がジュースの入ったグラスを移動させる。
 すすす、と佐々美はそれを押し戻した。

「飲みかけなんていりませんわよ」
「んー、じゃあ鈴ので」
「嫌だ。これはあたしんだ」
「わたくしも嫌ですわ」
「なら、冷蔵庫にあるポーションとペプシキュウリを……」
「……いりませんわよ、そんな一過性の話題にしかならなかった微妙なもの……」

 含有される成分が健康的である分だけ、青汁あたりの方がまだありがたいというものである。
 もっとも、今のノリの理樹と鈴にそんな事を言えば即座にドラッグストアに駆け込んでまで青汁を渡してきそうなので、佐々美は何も言わなかったが。
 沈黙は金雄弁は銀、である。

「それにしても、あのグローブとボールはどうしましたの?」
「ん、なんか3連戦の結果予想してハガキ送ったら当たった」
「プロ野球中継見てたらプレゼントのお知らせがあってさ。実は温泉旅行狙いだったんだけど」
「またジジババくさい理由……で、なんとなくそれを使って久しぶりに野球したら筋肉痛、と。……相当鈍ってましたのね」
「ささみみたいに毎日筋肉筋肉言いながらきたえてないからな」
「……ただ単に現役と言うだけですわよ。別に筋肉を鍛えるためにやっているわけじゃありません」
「まああれだ。あたしに1ヶ月くらい練習を続ける根気があればまたざざみくらい簡単に打ち取れるようになる」
「またそんなびみょーにネガティブな宣戦布告をされましても……」

 呆れて深い溜め息を吐き、ストローを口に含んだ。
 少し薄くなったそれを飲み込んでから、ふと視線を感じて、佐々美はそちらに目を向ける。
 案の定と言うか何と言うか、理樹だった。

「…………」
「…………」
「……なんでしょうか」

 ニヨニヨとしていた。
 その表情のまま同じ姿勢で居るときついのだろうか、理樹は足を崩した。
 ちょっと女の子っぽい座り方ですわね、と思い、しかし佐々美は口に出さない。
 佐々美がそんな風に思ったことなど知りもしないまま、理樹は嬉しそうに言う。

「いや、仲良いなと思って」
「……まぁ、そう形容するのは可能かも知れませんけど、素直に受け入れたくありませんわね」
「なるほど、これが最近よく聞く『つんどら』だな」

 ……仰向けで寝転んでいるため顔の向きが逆さまだったから間抜けなことこの上なかったが、一応は真面目な顔で鈴がそう言った。

「つんどら?」

 鈴の言った用語の意味がわからず、佐々美は少し間の抜けた声で返す。
 言うまでもなかろうが、そのまま受け取るとこれは永久凍土が広がる地域の事である。それだけを聞くとこの上なくお寒い人間のように思える。
 今の流れでまさかそんな事を言いたかったわけではあるまいと佐々美は思ったが、何と間違えたのかわからず、首を捻るばかりだ。
 理樹は理解し、そのどことなく可愛らしかった佐々美の仕草もあって、口を押さえて小さく笑っていたが。
 と、佐々美が理樹の動きに気付き、少し不満そうに顔を向ける。

「直枝さん、気付いているなら棗さんが何を言おうとしたのか教えて欲しいですわ」
「そんなことより、ねぇ笹瀬川さん。来月の宝塚記念どうなると思う?」
「……まるで普段から競馬の話をしているかのような自然さでそんな話を振られても……わかりませんわよ、競馬なんて」
「うん、僕もさっぱり。……交流戦の話題の方が良かったかな?」
「どちらにせよ、はぐらかそうとしているのだけはよぉくわかりましたわ」

 目を細め眉を釣り上げて威圧するかのような声で返す。
 後頭部を掻き、これは言うまで引き下がらないなぁ、と理樹は観念した。

「まぁ、意味は後ほど……」
「ん? なんだ。あたしもしかして間違えたのか?」
「かわいい間違いだったから、鈴はそのままでいてよ」
「ぅ、うみゅ……そうか」

 鈴が顔を真っ赤にして、しかし寝転んで顔を上向けているため隠すこともしない。
 理樹が鈴の前髪を梳くと、鈴は余計顔を赤くして、しかし気持ち良さそうに目を閉じた。

「こほんっ」

 そんなふたりの横から、咳払いがひとつ。

「あの……一応客人がいるところで惚気ないで下さいません?」
「客人? だれだ?」
「わたくしですわよ!」
「……あ。うん、あー、うん、客だ、ささこは客だな」
「わたくし本当に暇潰しに呼ばれたんですのね……」
「まぁまぁ。鈴はこんな風に言うけど、晩御飯くらいはご馳走するよ。1日じっくり寝かせたカレー」
「要約すると『昨日の余りもの』と言う事でしょうか?」
「ざんねんだったな! あたしと理樹は自分たちで作ったカレーは必ず1日寝かせてから食べる!」
「あなた方のこだわりはよくわかりましたけれど、特に残念だとは思いませんわ」

 ぺちぺちぺちぺちと畳を叩いて言った鈴に下目をくれてやる。
 鈴はそれに臆せず、ぺちぺちとやはり畳をたたき続ける。
 うるさいよ。
 注意するつもりでだろうか、鈴の額をこてんと軽く押してから、太もものあたりに触れて「あいたた」とぼやきながら理樹が立ち上がった。
 台所へ行き、ジュースの半分残ったペットボトルを手に戻ってきて、また座る。

「はじめからこうしてればよかったんだけどね」
「まったくですわね。……いただきますわ」

 理樹の差し出してきたペットボトルに、グラスを寄せる。
 注がれたジュースを口にする前に、佐々美は鈴の方を見ると、諦めの混じった口調で声をかけた。

「あと、棗さん」
「にゃう?」
「さっきから思っていたのですけど……せめて起き上がったらどうです?」
「筋肉いたい……」
「もはや半分以上は怠惰ですわね……。直枝さん、これは甘やかしすぎじゃ」
「まぁ、今日は特に予定もないし。動くべき時に動いてくれれば」

 理樹の言う動くべき時とやらがいつなのか訝しく思いながら、佐々美は溜め息を吐いた。


  *


 夜。
 部屋の中にはテレビもラジオもつけず、開け放った窓から吹き込む風の音だけがあった。
 そこに、プルを開ける音と空気の抜ける音が響く。

「ごめんね、笹瀬川さん」
「……今更ですわね」

 カン、と軽く缶を合わせて乾杯し、2人とも一口だけ口に含んだ。
 舌に苦味が広がり、胃が僅かに熱くなる。

「にしても、棗さんが寝入った後にビール……アルコールだなんて。何をなさるおつもりかしら」
「いやまあ、別になにも」
「それはそれでちょっと気に入りませんわね」
「笹瀬川さんに魅力がないって言ってるわけじゃなく」
「ええ、わかっていますわ」

 くすくすと小さく、少し意地悪く笑った佐々美に、理樹は苦笑で返す。
 先ほどより少し多めに煽り、一気に胃の中に流し込んだ。

「ふぅー」
「……それにしても。どういう風の吹き回しですの?」
「え? いや、なんとなくお酒が飲みたいなぁと」
「そのことじゃありません。……棗さんと、その……野球をした事ですわ」
「ああ」

 理樹の返事は短く、また特別深い感情も含まれてはいなかった。
 だからとて、軽いものでもなかったが。
 2人で出来る事なんてせいぜいキャッチボールから、投球練習に軽いノックくらいだ。
 なんとなく手にした硬球を指先で弄び、佐々美は疑問に思う。
 あの事故以来、せいぜい見るくらいしかしなかった――そこに至るまでも随分かかったが――野球を、何故自ら。それも、酷い筋肉痛になるまで。

「どちらから?」
「鈴から。あれが届いた時に、しばらくグローブを眺めてからやろうって言ってきたんだ。理由は、わからないけど」
「…………」
「懐かしんで、少し浸って。でも楽しんで出来たよ」
「やっぱり、悲しみなんて薄まるものですわね」
「うーん、そうじゃなくて……昔みんなでやった事を思い出して落ち込むんじゃなく、そうやって懐かしむ事が出来るようになったんだと思う」
「いずれにせよ、時の流れ、ですか」
「……かな」

 佐々美の言葉に頷いて、理樹は笑う。
 あのあと、やっぱり簡単には立ち直れなくて、苦労して。
 でも結局のところ、一番の薬は時間が経つことだったのだと鈴とボールを投げ合って気付いた。
 思い出して悲しみに暮れるのではなく、思い出して懐かしむ事が出来るようになるのは、果たして進歩なのだろうかと僅かは悩みもした。
 けれど、こうやってなんの取っ掛かりもなく話せるこの瞬間があるからには、間違いなく進歩なのだろう。
 力強く踏み出した一歩ではなく、摺り足で進んだ数ミリであっても。

「……笹瀬川さんは」
「…………」
「笹瀬川さんは、どう?」
「それを」

 ……あの日、好意を抱いていた人がこの世界からいなくなって。
 佐々美は視線を逸らしてから缶の中身を少し多めに喉に流し込み、短くはない沈黙を作り出す。
 理樹もまた、その沈黙を長引かせるためにしばしアルコールに浸った。
 掛け時計が連続秒針だったため、秒針の動く音すらもせず、また風の音だけになる。
 遠くから犬の鳴き声が聞こえたあたりで、全ての音を小さな声で裂いて、佐々美が続きを紡ぐ。

「あなたが聞きますの?」
「あいたたたた」
「忘れる気はありませんわ。けれど、まぁ……執着する気もありません。最初から」
「そっか……」

 理樹は視線を伏せ、小さく笑う。
 それから十数秒して、意を決したかのように佐々美に声をかけた。

「ねぇ」
「はい」
「今度さ……一緒に、野球しない?」
「……どうしましょうかしら」

 ソフトボールをまだ現役でやっているのだから、負ける気はさらさらない。
 けれどやはり、これはそんな矜持だけの問題ではないから、佐々美は返答を躊躇った。

「ぅ……みゅ」

 と、思考の最中、奥の部屋から気の抜けそうな声が聞こえて、襖が開いた。
 がたん、と襖にもたれかかり喧しい音を響かせながら、ボサボサ頭の鈴が顔を出す。

「あら、起きましたの?」
「アルコールのにおいがした……」
「いやいや」

 まるでアルコール中毒患者みたいな台詞を吐いた鈴に理樹が短く突っ込む。
 どちらかと言うと弱いから嗅ぎ取ったのだろうが、酒自体は嫌いではないのだから困りものではあった。

「鈴も飲む?」
「のむー」
「筋肉痛は大丈夫?」
「あんまだいじょうぶじゃない。まだ足も腕も頭もいたい……」
「頭の方はただの寝すぎですわよ、確実に」

 佐々美の至極真っ当な指摘はスルーして、鈴が理樹に近付き、きんにくいたいうみーと鳴きながら背中から抱きついた。
 そのまま手を伸ばしてちゃぶ台の上の缶ビールを取ろうとしたが届かず、理樹の手から奪い取って飲み始めた。
 動きからして、大分よくなってはいるらしい。

「鈴、そのビール落とさないでよ?」
「……理樹。もしものときは、あたしのすべてを受け止めてくれ」
「いつからビールは鈴の全てになったのさ……」
「だから客人の前で……」

 何やらイチャつき始めた2人を視界から外すべく目を閉じ、微妙に震えた声で佐々美が呟く。

「まあまあ」
「まあまあ」
「なにかこう2人に揃って宥められるとわたくしが悪いみたいじゃ……ああもう、いいです、いいです、お好きにどうぞ」

 はぁ、と溜め息を吐いて苦笑すると、またビールを煽る。

「なんだかんだでそれなりに楽しそうだぞささみ」
「まぁ、そこそこには。ちょっと自重していただきたいですけれど」
「そうか、足りないか、じゃあこうしよう」
「? ……ちょっと、なにを、ひゃっ!?」

 鈴が理樹から離れ、佐々美の背後に回って抱きつく。

「にょーし、きょーは3人であさまでのむぞー」
「や、さけくさ……って、棗さんもう酔い始めてますの!? あなた半分くらいしか飲んでませんわよね!?」
「きにするなさしみ!」
「わたくしはなまものじゃありませんわ!」
「……えっと、……ごめんね、笹瀬川さん」
「…………まあ、いいですわよ。たまになら、こんなのも」

 諦めの混じった口調で言い、抱きついた鈴の腕を取り、「うにゃー!?」と痛がることも構わずふにふにと強めに揉んでやる。
 仕返し兼マッサージだ。

「じゃあ、次のたまの機会にさ」

 佐々美の目を見て、やっぱり笑顔のまま、理樹は続ける。

「さっきの返事、聞かせてくれると嬉しい」

 一緒に、野球を。

「その次のたまの機会、そう遠くないうちにやってきそうですわね……」
「かもね」

 せめて、筋肉痛でぐだぐだしているところに呼び出されないことを祈るのみである。


[No.309] 2008/05/24(Sat) 02:52:33
前半戦ログですね (No.292への返信 / 2階層) - 主催

 MVPはみかん星人さんの「つかれた笑顔」に決定しました。
 みかん星人さん、二連覇おめでとうございます。
 感想会前半戦のログはこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little10-1.txt


 後半戦は明日5/25日曜 20:00より開始致します。
 時間に注意してね!! 22:00じゃないよ!! 20:00だよ!! 21:00でもなくて20:00だよ!


 次回のお題は「嫉妬」
 日程については明日!


[No.312] 2008/05/25(Sun) 02:04:23
改行訂正しましたorz (No.304への返信 / 2階層) - ひみつ@ちこく

すみません、改行がおかしなことになっているのに気づきませんでした。気づくの遅れて申し訳ありません。
…ネカフェではちゃんとなっていたのですが(汗


[No.313] 2008/05/25(Sun) 13:42:56
『筋肉バグ』 (No.312への返信 / 3階層) - ひみつ@日曜投稿…アリです。

『こうして手紙を書くのは初めてね、葉留佳。今更こういっても、信じてもらえるとは思わないけど、私は、あなたのことが大好きだった。本当に大好きだった。酷いこと、たくさんしてごめんなさい。だけど、もう、私に会わないで――私を、助けようとしないで。もう私は私じゃなくなっているから』
 もう、なんども、なんども、何度もよんだ手紙をさらに何度も読む。姉からもらった初めての手紙は、段をもっているほどの腕前とはとても思えないほど、汚い字だった。
 世界はすっかりかわってしまったけど、私はきっとがんばれる。
 現在、6月20日12:00。――あと12時間くらいは。




『筋肉バグ』



「「「「筋肉イエイイエイ」」」」
「「「「筋肉イエイイエイ」」」」
「「「「筋肉イエイイエイ」」」」

 ウサギ飛びで道路をすすんでいる軍団にみつからないようにしながら、私はコンビ二を目指す。最後の食料調達のためだ。いつもいっていたコンビニもまた酷い惨状だった。あちこちの窓という窓がわられ、室内もめちゃくちゃ荒らされていた。自動ドアは「これが筋肉というものだ、クドリャフカ君!」と姉御がいって、数日前にふっとばした。そういった姉御は全身筋肉に包まれており、自動ドアをぶっこわしたのを感心しながらみていたクド公も、全身筋肉になっていた。そのあとクド公は、コンビ二のレジをまっぷたつにわっていた。以前を考えると信じられない光景だが、しかし、それが現状だった。
 私は大量のおかしとアクエリアスだけもつと、急いで部屋に逃げた。
「はぁ…」
 ため息をつく。
「なんでこんなことになっちゃったんでしょうネ?」
 外に出ると、わけがわからなくて、泣きそうになる。もうなんども泣きたくなったが、しかし。
 手紙をぎゅっと握り締める。がんばらないと…。
 そう気合を入れなおす。

 世界がおかしくなり始めたのは、もう一週間以上、前のことだった。私はそのときのことを思い出す。



「何をしているんデスか」
 目の前にいる人間をきっとにらむ。しかし、相手はなにもいわず、ただ、そこにいた。それがますます、私をいらただせる。
「何をやっているんデスか…今度は何をたくらんでいるんですか」
 そういって目の前にいる相手をにらむ。目の前にいる人物は、『私』だった。 私はここにいるのに『私』が目の前にいる。
 そんなことが実際にあるわけがないのはもちろんわかる。ということは目の前にいる人物は、あいつだ。
 大方、なにかをする前にみつかってバツが悪くてなにもいえないんだろう――なんて最低なヤツ。しかし、ここまでするか、こいつは。――二木、佳奈多は。
「葉留佳…」
 そう、あいつがつぶやいた次の瞬間だった。
「な、なにするんデスか!?」
 いきなり、だきついてきた。予想外にもほどがあった。
「は、はなしてください、あんたなんかにだきついてもらいたくなんか」
 そういって腕をふりほどこうとするが、力強く抱きしめており、振りほどけそうになかった。
「葉留佳ぁ…」
 気がつくとあいつは泣いていた。始めてみる光景にびっくりするが、すぐに思い直す。
「今更、泣いて許してもらおうなんて…」
 そういった私がいった次の瞬間だった。
「葉留佳…これを、葉留佳の親にとどけて、今すぐ!」
 そういって、封筒を取り出す。
「え…?」
「早く!あいつらの狙いはあなた、早く離れないととんでもないことになるわっ」
「は、はいっ」
 あまりの迫力に思わず頷いてしまうと、私は校門に全力で走った。走って、走って、校門からでて、気づく。
「って、なんであいつのいうことを聞いてやらないといけないんデスか」
 しかも手紙をとどけろという、ふざけている。用があれば自分でいけばいいのだ。
 大体何が書かれているのだろうか、この手紙。そう思いながら、封筒をあけると鍵と、手紙がはいっていた。手紙にはこう、書かれていた。
『こうして手紙を書くのは初めてね、葉留佳。今更こういっても、信じてもらえるとは思わないけど、私は、あなたのことが大好きだった。本当に大好きだった。酷いこと、たくさんしてごめんなさい。だけど、もう、私に会わないで――私を、助けようとしないで。もう私は私じゃなくなっているから』
 ――なにこれ?
 私宛の手紙で…まさかあいつはこれくらいで、許してもらおうと思っているのだろうか。
 ふざけているのにもほどがある。手紙をつきかえそうと、校舎に入ろうとしたときだった。

「「「「筋肉イエイイエイ」」」」


 そういった軍団が、校舎からでてきたのは。
 そこには理樹くん、恭介くん。 真人くん、謙吾くん、鈴ちゃん、小毬ちゃん、姉御…みんないた。
 手紙を渡し、私に変装したあいつもその輪にまざっている。あまりの不気味さに私は急いでその場を離れた。




 次の日、世界はすでに筋肉に包まれていた。みんな筋肉でおかしくなってしまった。街は酷い惨状だった。
 車という車はニュースのデモ映像で見るように、こなごなにこわされており、道路にもひびが入っていた。「筋肉最高!」そういった軍団が道路にひびを入れたのだ。スポーツジムは常に満員で、筋トレにみな励んでいる。
 公園の鉄棒にはつねに誰かがぶら下がっており、スパイダーマンのようにビルをのぼっている軍団もいた。たまに筋肉筋肉いっていない人間をみつけると、皆で襲い掛かり、筋肉、筋肉といわせるように洗脳していった。誰か他の人が助け出そうとしても、それはかなわず、常にやられていた。
 私はそれからばるべく外に出ずに、ずっと、”お姉ちゃん”の部屋にいた。
 私の部屋はすでに安全地帯ではなかった。筋肉、筋肉そういった軍団が、私の部屋に襲撃に入ったのだ。私が部屋にもどったときには酷い惨状だった。”お姉ちゃん”の部屋に逃げられたのは封筒の中に入っていた鍵のお陰だ。ここには今も誰も入ってきていない。
 ここから推測するに、多分もうすでにお姉ちゃんの正体はばれており、私がまだ筋肉にされていない事に気づいているのだろう。”お姉ちゃん”を嫌っていた私がこんなところにいるはずがない、そのおかげで私は助かっているのだろう、と思った。
 私はあと数時間の暇をなんとかつぶすために部屋の中を見回る。すると、ベッドの下に一冊の本があるのに気づいた。
 それは姉が書いていた日記だった。その日記には、お姉ちゃんが私を守るためにどんなことをしていたのか、事細かに記されていた。
 どんな虐待を受けてきたのかも。
 何もしらなかった自分が恥ずかしくなる。……いや、本当は気づいていたのだ。
 お姉ちゃんがたまに疲れた表情を見せていたのに気づいていた。
 お姉ちゃんの体に傷があるのに気づいていた。
 お姉ちゃんが本当は幸せではないのに、私は実は、この日記を見る前に知っていた。
 私は日記を見ながら、何度も何度も涙を流した。


 6月20日午後6時。あと、6時間。後6時間すれば世界はループする。この狂った世界は終わる。それがこの世界のルールだった。
 私はずっと正常のまま、この世界を終えられる、そうおもっていた。 だけど、現実はそう甘くはなかった。
「ここにいたのか、葉留佳君、筋肉筋肉」
「あ、姉御!」
 そういって窓ガラスをわり姉御がはいってきた。
「いやいや、まさか君がこんなところにいるとは思わなかったよ、なかなかやるではないか、筋肉、筋肉〜♪さぁ、君も筋肉革命に入るんだ」
「嫌です、姉御の頼みでも」
「なんでだ?筋肉、筋肉♪そんな葉留佳くんは嫌いだな、筋肉、筋肉♪」
「だって――だって――、お姉ちゃんが、私を守ってくれたから!」
 そういうと、胸の中がほわっとした。初めて味わう感覚に戸惑う。
 …なきそうに、なる。感情の波が押し寄せる。
 それはうれしいという気持ちを何倍にもしたもの、言葉に、出来ない気持ち。
 ああ――、私は――ずっと誰かに、いや、きっとおねえちゃんに。愛されたかったんだ――。
 満たされる、心が。気がつくと、私は涙を流していた。
「ほぅ。しかし、なら力ずくでいかせていかせてもらうぞ!」
 そういって姉御が急いで私のところに来る。こぶしを握り締めて。私はドアをあげて急いで走った。


「筋肉、筋肉」
「筋肉、筋肉」
 ゾンビのように私のところにあつまってくる。どうやら結構囲まれていたらしい。
 だけど――。全然怖くなかった。お姉ちゃんが私を好きだった、その気持ちがすごくうれしくて世界が変わって見えたから。
 全力で走っていても全然疲れない。むしろだんだんまだまだ走りたくなってくる。
「「筋肉、筋肉」」
「「筋肉、筋肉」」
 次々とおそってくる筋肉軍団。しかし、誰も私に追いつかない。
 だって、彼らが愛しているのは、所詮は自分の筋肉だけだから、だから、今の私は負けない、きっと。
 バトルアニメのような状況に、笑っている場合じゃないのに、笑いたくなってくる。
 そして――世界はループした。


 ――お姉ちゃん、私、やったよ…。



=========
虚構世界のループのハザマで。
「これは困ったことになったぞ」
「何かあったんですか、恭介さん」
「ああ」
「……なんでそこで私をにらむんですか?」
「三枝が理樹の助けなしに最後の夢をおわらせてしまった、誰かに愛されたい、その気持ちが満たされてな」
「それが何の問題があるんです?」
「これじゃ理樹が成長できない」
「まだ5人もいるじゃないですか」
「一人減ったから予定の83%しかつよくならない。責任とってほしいんだが」
「葉留佳があんな筋肉、筋肉いうようになるのをだまってみていてほしかったと?」
「そうだ」
「…勝手ですね、大体神北さんのループを何度も経験させればいいじゃないですか。「理樹君とだったらなんど恋人になってもいいよぉ、もちろんどんなことされてもおーけーだよぉ、いきなりおそわれてもそれはそれでぇ」とかいっていましたし」
「小毬のだけ何度経験させてもそんなに意味が…」
「だったらなんで神北さんのルートだけ何度も入れるようにしているんですか」
「そうするよう、お願いしたときの小毬の目がこわかったからだ」
「…つまり、別のルートを用意すれば問題ないのですね」
「佳奈多、お前がルートになってくれるのか」
「まさか、葉留佳以外とラブラブしたくはありません、こんなときのために適役がいます」
「適役?」
「今呼びます」
「…なぁこの目はガムテープでふさがれ、ロープでぐるぐる巻きにされた長い髪をした金髪の少女って…」
「適役の『CV風音』(仮名)です。温泉でのラブシーンもOK、といっていますのでぜひ起用を」
「佳奈多よ、マテ、激しくマテ」
「あなたがどう思おうと、この人が了承すれば問題ないでしょう?やってくれますよね?」
「んーーーっ、んーーーっ」
「やってくれるそうです」
「なんかものすごく抵抗しているようにみえるんだが」
「私の親戚をねらうようにいっていたのですが、その射撃をはずすようなスナイパーに用はありません。本当は死ねばいいとおもっていたんですけどね」
「お前が学園に親戚が来たとき、死ねばいいのに、っていっていたのはこいつのことか」
「まぁそういうことです。で、起用を」
「……ルール違反じゃないのか?……その……いろいろな意味で」
「名前を出さない限り、ルール違反にはなりません。まさか神北さんのお願いをきいて私のお願いを聞かないなんて、そんなことはありませんよね?い・い・で・す・ね?」
「はい…」




==========

※リトルバスターズ!のバグについて※
リトルバスターズ!初回版にて、葉留佳シナリオ未プレイの状況で筋肉エンドをみると葉留佳シナリオをプレイできなくなり、変なキャラが出てくるというバグがありました。
修正バッチにより修正をお願いします。

http://key.visualarts.gr.jp/product/little/kakisannnoyomehayunotsusann/shuusei.zip
 


[No.314] 2008/05/25(Sun) 16:27:24
[削除] (No.290への返信 / 1階層) -

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[No.316] 2008/05/25(Sun) 19:02:41
大切な何かに気付くため (No.312への返信 / 3階層) - ひみつ@暑苦しい筋肉が通ります。

 人は見た目で判断する。
 それが本当は違うものだとしても、見た目が本物のようならば、疑いもしない。
 どれだけ大切に思っているものがあったとしても、それは形だけを見たもの。
 中身がわからなければ、それは本当に大切なものかどうかすらも、わからないというのに――




-----------------------------------------------------------------------


大切な何かに気付くため


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「い、いってぇーーっ!」
 急に部屋の窓から外に出て走っていた真人が叫んだ。
 見ると、そこには大きな筋肉の塊が転がっていた。
「いてぇ、いてえぇぇーー!」
「……ど、どうしたの!?」
「あ、足吊っちまった……」
「そんな筋肉筋肉言ってるからだよ」
「なんだとぉ? 俺の筋肉がいつつ……」
「一体何時間走ってたのさ? ボクが起きる前から走ってたよね?」
「に、2時からだ……」
「……は?」
 今は午前10時。そして真人が走り出したのは午前2時。つまり、8時間もの間走っていたことになる。
「その間水分補給は?」
「汗を、飲んでたぜ……はは、さわやかにしょっぱかったぜ、いつつ……」
「……あぁ、そう。他には?」
「唾を……」
「他は?」
「あくびからでる涙を……」
「もう良いよ、真人」
 要するに水分補給はしていないと言うことだ。
「とりあえず、入りなよ」
「おう、って動けねぇんだが……」
「頑張って起きなよ」
「り、理樹、手を貸してくれ……」
「仕方ないなぁ」
 宿題をしている手を止め、ボクは椅子から降りた。
 それから外に出て、真人に手を差し出す。
「ほら、捕まって」
「あ、あぁ、すまねえな」
「うん、いいよ、これぐらい」
 ぺちゃりっと真人の手がボクの手に触れる。
「……ごめん、やっぱ無理」
「は?」
 パッと真人の手を振り払う。
「なんでだよっ!」
「だって、真人の手、ベタベタだし」
「いいじゃねえかよ別に!」
「いいけど、ボクは嫌だ。これから半日間真人のベッタベタの汗のこびりついた手でご飯食べたりするなんてごめんだよ。」
「理樹! お前は俺を見捨てるのか! このさわやかな汗にまみれた俺を見捨てるというのか! 理樹ぃぃ!」
 そういった真人は顔を手を覆った。
「……うぉ、くっせーーーっ!!!」
 真人は驚いて顔から手を離した。
「なんだよこの臭さは……」
「ね、触りたくないでしょ?」
「あぁ、これだけ臭かったら俺でも無理だぜ、悪かったな、理樹、こんな臭い奴に手を貸させようとしちまって」
「うん、いいよ、わかってくれれば」
 でも真人、それは自分で自分を傷つけてるようなものなんだよ……。
「だが、これからどうするか……」
「足が吊ってるんなら、逆立ちで入ってくれば?」
「おぉ、そうか、その手があったかっ!」
 さっそく真人は逆立ちをする。
「よし、行くぜっ! 理樹!」
「うん、頑張って!」
 真人は逆立ちのままどんどん部屋の窓に近づいてくる。
 だけど、そこでボクは気付いてしまった。
「まった、やっぱやめて」
「は?」
 ゲシッとボクは足で真人を蹴り返した。
「いつつ、何すんだよ理樹!」
「ごめん、だって、真人、そのまま入ったら部屋に汗の匂いがつくよ」
「いいだろそれぐらい! ファヴリーヅ使えよ! ファヴリーヅ!」
「そんなことしたら、真人の匂いが消えちゃうよっ!」
「そ、そうか、そうだったか、じゃあダメだな……」
「でしょ」
 真人、それは真人の匂いは汗の匂いであって、真人の匂いは臭いってことなんだよ……?
「じゃあ、じゃあ俺はどうすれば……」
「そうだ、真人、脱水症で吊ったんだから水があればきっと大丈夫だよっ!」
「そ、そうかっ! よし理樹、もって来てくれ!」
「わかったっ!」





「おまたせっ!」
 ボクはバケツいっぱいの水を真人に手渡した。
 そう、手渡したんだ。手渡したと言う事は、勿論、『手が触れ合った』わけで……。ペチャリという感覚があったわけで。
「うわぁっ! 真人、触れないでよ!」
「おぉ、わりぃ、理樹」
「まったく、汚いなぁ」
 そう言ってボクはバケツの水で手を洗う。
「うぉぉぉ、理樹ぃぃぃ! 何してんだ!」
「何って、手を洗ってるんだけど」
「それじゃあ俺が飲めないだろ!」
「走ってる時だって汗飲んでたんだから平気でしょ?」
「……はっ!! そうだったぁ! おぇぇぇ……吐き気が……」
 真人が地面に向かって吐き気を催している。
「ほら、飲んで」
「いや、飲めねぇ……」
「それじゃあまたボクが汲んで来いって言うの? 面倒くさいなぁ」
「すまねえな」
「あぁ〜、でも面倒くさいなぁ……このバケツ重たいし」
「頼むぜ理樹」
「ん〜、あ、そうだ、真人、そのバケツ貸して」
「ん、あ、あぁ」
 ボクは真人のバケツを受け取り、そして――。

 真人にバケツの水をぶっかけた。

「うぉぉぉっぷっ! り、理樹、何しやがる!」
「ほら、これで水分補給できたし、おまけに体も洗えて一石二鳥じゃないか」
「おぉ、それもそうだな、さすがは理樹だぜ」
「まぁね」
「さて、そんじゃ体も洗えたことだし、入っていいか?」
「まさか、そんなびしょぬれで入ってくる気?」
「なんだ、わりぃか?」
「悪すぎだよっ! ボクをなんだと思ってるんだよ! びしょぬれの女の子を入れる趣味はあっても、びしょぬれの筋肉マンを入れる趣味はないんだ!」
「そんな理樹! 非道いぜ! 濡れた筋肉もまたいいものだぜ!?」
 真人は捨てられた犬のような目でボクを見ている。
「ボクはそんなに筋肉好きじゃないんだ」
「うぉぉぉーー!! そんなぁぁーーー!!」
 真人は足に負担がかからないようにしながら地面を右へ左へ転がっている。
「さて、そろそろいいか」
「うぉぉぉぉーー、理樹ーーー!!」
「真人、これくらいも見破れないんじゃ、お前もまだまだ理樹を知らないままだな」
 ボクは少し白みがかった色の肌を引き裂いた。
「な、理樹! 何してやがるっ……ってあれ? 恭介じゃねえか」
「よぉ」
「あれ!? 理樹は!?」
「お前もバカだよな、このくらいの変装も見破れないなんてよ」
「なにぃぃぃーー!?」
「真人って、結構恐いんだね……」
 ベッドの下から理樹が出てくる。
「はは、そうだな、こんなやつが一緒の部屋に住んでると恐いな。だけど見ただろ? 真人(こいつ)の反応」
「うん、確かに凄かったね」
 俺達は盛大に笑った。
「理樹……お前まで俺をだましたのか!」
 真人の顔は見えない、だが声は相当に怒っている。
「あ、ご、ごめん、そんなつもりじゃ……」
 それに感付いてか、理樹が咄嗟に謝った。
「理樹……」
「ま、真人、べ、別に悪気があってやったわけじゃ――」
「ありがとよっ!!!」
「「は?」」
 真人が俺を跳ね除け、理樹に抱きつく。
「ありがとよ理樹! 俺にお前のことがわかってないと気付かせてくれて!!」
「ちょ、真人、何言って――」
「これからはずっとお前のそばにいるからなぁ!!」
「えぇ!? やめてーーーー!!」
 理樹がどれだけ嫌がっても、真人は理樹を離さなかった。それだけ、理樹の大切さがわかったということだろう。
 俺じゃなくて良かった。俺は心からそう思う。

 それからと言うもの、真人はどんな時でも、理樹のそばにいるようになった。でも理樹はそれを嫌がりながらも、楽しそうに笑っていた。


 筋肉は世界を救う。
 それはあながち間違いではないのかもしれない。
 筋肉のある奴に悪い奴はいない。ただ、見た目が恐いと言うだけで、案外そう言う奴は良い奴で、面白かったりする。
 俺達はまた、真人にそれを気付かされたのかもしれない。
 なら真人、俺達に気付かせてくれたように、お前達筋肉マンはみんな良い奴だってこと、皆に証明してみせろ。それがお前に課せられたミッションだ……。


[No.317] 2008/05/25(Sun) 19:03:53
筋肉を止める手だてなし(加筆版) (No.302への返信 / 2階層) - ひみつ

『筋肉を止める手だてなし、至急救援求む』
 2003UB313ラインからこの要請が届いたのは5月25日黎明の事である。
 その防衛隊は精強をもって鳴らし、さらに、風紀委員長兼寮長となった二木佳奈多が指揮をとって以来、その防御は鉄壁を誇っていた。
 だが、その防衛線が救援を求めてきたのだ。防衛指揮所を兼ねる寮長室は俄然慌ただしくなり、寮内に警戒態勢が敷かれた。
 この時、本来指揮を執るはずの佳奈多はあいにくと就寝中であったが、たまたま飼い犬の散歩に出かけつつあった能美クドリャフカ以下二頭は、この急報に接し直ちに出動、これを撃滅せんとした。
 後に言う、大筋肉戦争の勃発である。



「わふ……変なヒトタチなのです」
 それらの集団を見たときのクドリャフカは、呆然とそう呟いたという。
 いや、そう呟くしかなかったのだろう。この日は霧が濃く、視界は20mを切っていたが、そのもやをついて、一人、また二人と『筋肉〜筋肉〜』などと叫びながら怪しげな男達が出現する様は異様としか表現しようがなかった。
 一方、風紀委員他からなる防衛隊は、その異様な光景に気圧され、戦わずして後退を続けている。常識という世界から逸脱した光景であるというのも一因だったが、この日の当番は新入生が多く、適切な防御戦闘を行う事ができなかったのであろう。
だが、それでも隊列を崩さないでいるのは、奇跡的な風紀委員的英雄精神の賜物と言えた。

「能美先輩っ! 助けて下さいっ!!」
「わ、わふっ!?」
 呆然としていたクドリャフカは、だがすがりつくような下級生の声に我を取り戻した。一人の後輩が尻餅をついたままこちらを見ていた。先輩と言われたのは初めてで、頼られたのも同様だった。勇気百倍したクドリャフカは、三度手を振る。
「それ以上の侵入は許さないのですっ!! ここの通行料は高くつくのですっ!!」
 その声と同時に、風紀犬であるヴェルカとストレルカが侵入者を駆逐すべく吶喊する。霧を震わすその雄叫びは、筋肉達に小さな恐怖と、そして風紀委員に大きな勇気を与えた。クドリャフカから放たれた二本の矢は、真っ直ぐに筋肉へと突き刺さった。
 そして、さらに突撃するクドリャフカに、体勢を立て直した風紀委員とこの騒ぎを聞きつけて飛び出してきた女子達が加わった。たちまち守備隊の顔に生気が戻る。
 たかが筋肉の10人や20人、何を恐れる事があろう、文字通りの朝飯前の仕事であった。ここは難攻不落の女子寮なのである、突破を図る男子共はその恐ろしさを身をもって知る事になるだろう。
 時に5月25日午前4時23分、大筋肉戦争の、最初の戦闘が開始された。







「防衛線が崩壊? クドリャフカが筋肉されたっ!?」
 息を切らせてかけつけた風紀委員に、佳奈多は思わず怒鳴り返したという。何やらうるさいと起きて来た彼女にとって、強烈すぎる目覚ましであった。
 彼女の周囲には、風紀委員とその他女子寮の面々が集まり、不安そうに顔を見合わせる。佳奈多がやたら可愛い犬柄パジャマのままで来た事に突っ込んでいる者などだれもいなかったし、無論壁にめり込んでいる葉留佳が何を言ったか気にする者もいなかった。
 この時、屋上望楼は、筋肉達を連綿として絶えざるが如しと報告した。
 その表現は的確で、そして、その筋肉の大海にクドリャフカ以下の風紀委員と風紀犬達は飲み込まれたのである。全員が未帰還であった為、詳しい戦況は不明であるが、ただ一つ確かなのは、クドリャフカの隊は5分と持たずに全滅したという事だった。
 もはや鉄壁を誇った2003UB313ラインは全面に渡って崩壊し、各所で逃げ遅れた部隊が捕捉、筋肉されていた。だが、あまりに信じ難い事態に、寮内の各隊は編成すら終える事ができず、右往左往するばかりであった。
 寮規も乱れに乱れ、上級生に後退を止められたある一年生は「うるさい、私の尻の穴を舐めろ!」と怒鳴り返し、そのままあらぬ道に走ってしまったし、正面玄関付近では、必死に後退してきた寮生らが、恐慌状態の味方からバケツと大皿の集中砲火を浴びせられて全滅していた。女子寮前は魔女の大鍋だった、誰も他人を救えない。その中で、少女達は次々と筋肉されていた。
 一方、最前線で絶望的な防御戦闘を行っていたある隊は、クドリャフカ隊の突撃と全滅、それに続く戦線の崩壊を詳細に報告し続け、周囲を筋肉に囲まれた時、以下のメールを送った『さようなら、次は我々の番だ。風紀第3班一同より』

 極限の状況下で、様々な人間ドラマが繰り広げられている中、総司令部が置かれた寮長室の状況はどうだったのだろう?
 あーちゃん先輩から寮長を引き継いだ佳奈多は流石だった。彼女は、クドリャフカ達の事など気に止めていないかのように冷静かつ的確な指示を出し、無秩序な敗走を秩序だった後退へと変化させた。そして、さらには正面玄関戦線への各隊の収容に成功したのである。女子寮戦線の破局は救われ、ようやく編成が済んだ防衛隊はモップや箒を手に正面玄関に集結した。
 各階から投下されるゴミや不要品は強烈な阻止弾幕となり、筋肉達の足を止める。その間に、寮外の部隊は撤収に成功した。
 唯一の失敗は、投下物体の消費量があまりに多く、以後の支援投射が先細りになってしまった事だけであったが、その時点でその事を考える余裕がある者はおらず、そして、考えていたら正面玄関は筋肉に突破されていただろう事もまた、明白だった。

 指揮を執っている間、佳奈多はクドリャフカの事など一言も話さなかったが、戦線の整理が一段落ついた時、外を見てこう呟いたという。
「……こんなにたくさんの筋肉共、一体どこに埋めてやろうかしら?」
 静かな言葉は、周囲の空気を一瞬にして凍らせたと言われている。
 もはや、逃げだそうとする者はいなくなった、佳奈多に逆らうより筋肉された方がましなのだ。





「後続は?」
「筋肉よ」
 駆け込んできた寮生と守備隊の短い会話の後、正面玄関が閉じられた。たちまちその背後には机や椅子などが積み上げられ、封鎖される。窓、裏口、換気口に至るまで進入路は全て閉じられ、女子寮は要塞と化した。
 一体何が起きているのか、それがわかるまで防御に徹する作戦計画であった。だが、それは早々にして判明する事となる。
 正面玄関が封鎖された直後、この騒ぎの首謀者とおぼしき男が現れたのである。彼の名は井ノ原真人、通称筋肉である。
 彼の登場で一瞬辺りは静まりかえり、静かな朝の景色が戻る。一方、佳奈多もベランダに出て彼を見下ろした。緊張感が周囲を包んだ。
 佳奈多を見て、真人が言った。

「理樹を返せ、断るなら筋肉だ」
「はぁ? 馬鹿じゃないの」
「ま、まぁ待て、人の話を聞け。何も毎日とは言わない、たまにでいいんだ。最近理樹の奴そっちに泊まってばかりじゃないか、このままじゃあいつの筋肉が不足して、筋肉不足による禁断症状が……」
「失せなさい、直枝理樹は渡さない。彼の為ではなく、恫喝に屈するのは女子寮の名誉と将来に関わるからよ。そもそも、禁断症状が出るような危険なもの、勧めるわけにはいかないわ。伝染性もあるみたいだし」

 佳奈多はそう言って眼下を睨む、周囲にはうつろな目をした者達が集まり、おのが筋肉を誇示していた。しかも気付けば男ばかりではなく女も混じり、同様に筋肉を誇っているのである。
 それは一種異様な光景であり、悩むまでもなく異常な事態であった。

「ちっ、それなら筋肉だ」
「望むところよ」
 
 短い会話の後、二人は袂を分かった。和平交渉は決裂した、もはや両者には全面衝突の道しか残っていなかったのだ。
 交渉の行方を固唾を呑んで見守っていた者達は、その予想通りの結末にあるいは落胆し、あるいは発憤した。
 だが、そのどちらにしても、次に行うべきは同じだった。究極の外交手段、つまり、武力を持って自らの意志を相手方に強要するのである。



 引き返した佳奈多は「お姉ちゃんは筋肉するのを望むんデスか?」などとほざいた葉留佳を階段から蹴り落とすと、直ちに作戦会議を開いた。敵兵力は予想を遙かに上回っており、正面玄関の防御陣地が突破されるのは時間の問題と考えられていた。
 正面玄関が破られる前に、速やかに爾後の対策を考えねばならなかったのだ。一つでも判断を誤れば、一瞬で寮内が筋肉に蹂躙されるのは目に見えていた。
 尚、招集されたのは戦力となりうるリトルバスターズメンバーの他、風紀委員、寮生代表達であった。
 ちなみに余談であるが、この時、渦中の人物たる直枝理樹は会議に呼ばれず、戦力外とみなされていた小毬とのんびりお菓子を食べていた。例によって遊びに来ていたのである。
 この二人は、外の騒ぎなどまた筋肉が騒いでいる程度にしか考えていなかった。だが、事態は二人の想像を超えた速度で進んでいた。



「普通にあいつに帰ってもらえばいいんじゃない?」
 会議の冒頭でこんな事を言った者がいたが、彼女は「理樹をあんな中に放りだせっていうのかーっ!?」と叫んだ鈴に蹴り飛ばされ、葉留佳の用意したゴミ袋に詰め込まれると、美しくないですと言う美魚の冷笑を浴びながら、部屋の片隅に放り出された。彼女は、来ヶ谷に嫌がらせをした時の事を思い出しつつ、あらためてリトルバスターズに逆らう愚かさを知る羽目になった。意思の統一はなされた。
 このような椿事が起こりつつも、会議は進行する。途中、美魚が「恭介さんに飲ませるはずだったのに何故でしょう、しかも筋肉……美しくないです」と意味不明の発言をするなどの出来事があったのだが、これから行うべき作戦行動については、以下のようにする事で意見の一致をみた。

・要求は拒否
・外泊中の来ヶ谷他に救援要請
・騒ぎを大きくしないため、学校側には伝えない(美魚が強硬に主張)
・美魚隷下の科学部部隊に動員をかけ、予備戦力となす
・増援が来るまでは防御戦闘に徹し、各階に防衛線を構築。遅滞行動をとり、時間を稼ぐ
・筋肉は美しくない

 尚、科学部からの情報提供によれば、この異常事態は真人の筋肉と理樹に対する純粋な想いが肥大化し、それがあらぬ電波となって周囲に影響を与えてしまった以下略云々という事であったが、その場にいた誰もが理解できなかったし、しようともしなかった。重要だったのは、ともかく霧が晴れるまで持ちこたえれば、お日さまマジックで全てがなかった事になるであろうという事だけであった。
 また、この時美魚の思考を妨害電波として使うという案も出されたが、これは却下された。実現すれば、寮内初の電波戦だったと言われるが、それがなされなかったのは正解だった。BLと筋肉の電波戦が行われれば、甚大な被害が発生するのは目に見えていたからである。

 この作戦は当初順調なように見えた。
 科学部は何故か既に動員を終えていたし、佳奈多からの電話を受けた来ヶ谷は、皆で『ちたい』行動をすると聞き、興奮して急行を約束した。正面玄関をはじめとする一階陣地群は、急造にも関わらず筋肉の侵入を断固として阻止した。
 だが、戦場では思いがけない事から事態が進展する事がある。その事件は午前5時12分に起きた。
 寮長室に、ある報告が届けられたのである。



「何っ!? 馬鹿兄貴がいるだと!?」
「健吾様がいらっしゃるのですか!?」
 寮長室にもたらされた報告は、室内で飽きもせず張り合っていた鈴と笹瀬川の様子を一変させた。
 彼女らはたちまち疾風と化して走り出し、驚嘆すべき速度と無謀さをもってベランダへと突進した。途中、数名の寮生が轢かれ、その風圧によりそれ以上の被害が発生した。正面玄関に移動中の杉並以下の第七寮生隊もその突進の犠牲となり、二人と廊下ですれ違ったばかりにその戦力の過半を喪失する羽目となった。
 そして、味方に大損害を強いながらベランダに到達した二人の目に映ったのは、爽やかな笑顔を見せる兄と、思い人の姿だった。

「おお、妹よ。俺の胸に飛び込んでこい! 兄と共に筋肉しよう!!」
「誰がするかボケー!!」
 熱弁をふるった恭介は、鈴の二階からの跳び蹴りにより沈黙した。
「笹瀬川、お前もこちらへ来ないか? 俺と共に筋肉しよう」
「はいっ! 喜んでっ!!」
 歯を光らせた謙吾は、笹瀬川のカミカゼ抱擁ライナーにより撃沈した。飛びついた笹瀬川も沈黙し、最後には鈴が残っていた。

「しまった、囲まれた」
 鈴が呟くが、飛び出す前に気付けと誰もが思った。
 眼前の二人は倒したが、周囲は筋肉に包囲されていた。振り返っても、正面玄関は完全に封鎖されている。
「鈴、諦めて筋肉するんだ。楽しいぞ、筋肉は」
「誰がするかっ! ふかーっ!!」
 両腕をわきわきとする真人を威嚇した鈴であったが、戦況は絶望的であった。迂闊にとった行動により、彼女は敵中に孤立する羽目となったのである。
「うう……謙吾様?」
 その時笹瀬川が目を覚ました、意外と打たれ強いのが強みだった。
「謙吾様っ! 誰がこのような事をっ!?」
 目覚めた彼女は悲痛に叫ぶ、自分に都合の悪い事はすっかり忘れていた。そんな彼女に鈴は言った。
「しゃしゃみ川、みんなあの筋肉のせいだ」
「佐々美川ですわ! じゃなくて笹瀬川ですわっ!! ともかく、みんなあの筋肉が悪いんですのね」
 立ち上がった笹瀬川が周囲を睨む。筋肉側にも声を大にして叫びたい事があっただろうが、事態の原因を作ったという意味では、ある意味鈴の発言も正しかった。
 笹瀬川の気迫は周囲を呑み、じりじりと包囲環を狭めていた筋肉達は一瞬停止した。そして、その貴重な瞬間を二人が見逃すはずはなかった。

「謙吾様の仇っ! 覚悟っ!!」
「きしょいわっ馬鹿どもっ!! あと謙吾踏んでるぞ佐々美川……」

 二人の声を合図として、たちまち激しい戦闘が繰り広げられた。
 佐々美川は左右に構わず突進し、筋肉の群れを切り裂く。それに続く鈴も、文字通り敵を蹴散らして進み続けた。まさに無人の野を行くが如しである。



「あの二人はもう……」
 戦況を望見した佳奈多はため息をついたが、それは責められることではなかっただろう。
 彼女は難しい判断を迫られていたのだ。正面玄関を開き、打って出れば逆撃を被る可能性もある。一方、予想外の奮戦を見せる二人の戦力を失うのは惜しい。あの二人は現在女子寮最強の戦闘集団なのである。
 そしてまた、あの二人が筋肉達の内部を攪乱し、筋肉達の主戦力である恭介と謙吾が倒れている今ならば、筋肉を打倒しうる可能性は高かった。来ヶ谷らはまだ到達していないが、佳奈多の手元には風紀委員の最精鋭、3年生部隊と、葉留佳らの隊があった。戦力は十分に思えた。
 一方で、慎重な佳奈多の性格がその判断を鈍らせる。無理に攻勢を行う必要はない、来ヶ谷の支援を待ちながら防戦する、あるいは、二人を救援する為の限定的攻勢という手段もあった。
 佳奈多は逡巡したが、それはやむを得ない事だった、なぜなら、彼女は10分で戦闘を敗北に終わらせる事の出来る唯一の人間だったからである。

 だが、その間に、事態は更に予想外の方向へと進み出した。加藤多香子以下からなる佐々美親衛隊が待機命令を無視し突出、二人に向け猛進し始めたというのである。この報を受けた佳奈多は、思わず「何考えてるのよあのお馬鹿トリオは!」と叫び、側にいた葉留佳の首を締め上げたと言われるが、それもまたやむを得ない事であっただろう。
 もっとも、首を締め上げられた葉留佳が「お姉ちゃん……なんで私……」と言って危うく昇天しかけたのは、危うく女子寮側に大きな打撃を与えかねない危険な事態であった。
 何はともあれ、この期に及んでは手は一つしかなかった。佳奈多は全部隊に指示を発する。

「総員突撃! あの筋肉馬鹿共を懲らしめなさい!!」

 午前5時15分、佳奈多の号令と共に女子寮守備隊は出撃した。
 先頭には風紀委員副委員長。もし可能なら実行する、不可能でも断行するがモットーの、風紀委員最精鋭である。
 同時に、女子寮付近に展開を終えていた科学部部隊も各種新式器材を投入して支援にあたる。周囲には爆音と怒声が響き渡り、たちまちにして凄惨な光景が現出した。
 出撃した風紀委員部隊の士気は非常に高く、猛烈な勢いで筋肉部隊に突入する。その衝撃力は凄まじく、たちまちにして筋肉の前衛部隊を吹き飛ばした。筋肉達の戦線には30mに渡って大穴が空き、そこから風紀委員部隊がなだれ込んだ。『風紀の楔』と言われる、風紀委員最強の戦術である。
 これを阻止しようとした2−Aの相川君が率いる第3筋肉班は、その勢いにまともにぶつかる羽目になり、ものの3分で文字通り全滅した。彼は最後に「笹瀬川さん、僕と一緒に筋肉を……」と言ったとも言われるが、筋肉する佐々美様なんて見たくないと叫ぶ佐々美親衛隊の面々により袋だたきにされ、悲惨な最期を遂げた。
 そして、戦線の穴を塞ごうとした真人ら主力部隊の頭上に、お、科学部部隊からの鳥もち弾が降りそそぐ。その威力は極めて大きく、真人らの筋肉をもってしても、容易には抜け出せないのは明らかであった。
 その中を、風紀委員以下の女子寮守備隊は突き進む。目標は筋肉馬鹿。戦況は女子寮守備隊に傾いた。
 


「うわきしょい寄るな!?」
「な、何ですのあなた達は……きゃ!?」
「佐々美様!?」
 だが、5時35分頃、戦況は再び一変した。
 敵中で奮戦を続けていた鈴と佐々美がついに捕捉され、よってたかって筋肉されたのである。十数名に取り囲まれ、きしょい寄るなと叫び続けた壮烈な最期であった。
 これにより戦術的フリーハンドを得た筋肉達は、佐々美の復仇戦を挑むべく尚も前進してきた佐々美親衛隊を包囲し、短いが激しい戦闘の末に筋肉する。女子寮側の勢いは停止した、予備兵力はどこにもない、攻勢限界点に達したのである。
 それに続き、突出していた風紀委員部隊が包囲殲滅され、風紀の楔は阻止された。さらに、ようやく鳥もちの罠から脱した真人らが科学部部隊に接近筋肉戦を挑み、これを粉砕、以後軽快な運動に移った。

「全員後退っ! 急いでっ!! 正面玄関の封鎖を急ぎなさい!! 」
 佳奈多が叫び、女子寮部隊は後退を試みる。だが、その指示は遅すぎた。
 後退する女子寮部隊より速く筋肉達は追撃し、後退は敗走に変わり、それが潰走に変わるまでに時間は要さなかった。
 もはや各部隊とも組織的抵抗は不可能であり、階上から降り注ぐ阻止弾幕は、物資不足の為小規模なものとならざるを得なかった。
 微弱な抵抗を排した筋肉達は、その勢いのまま寮内になだれ込む。先の攻勢により、強力な打撃部隊である鈴と佐々美、そして風紀委員部隊のほぼ全てを失った女子寮側は、その侵入を止める手段を持たない。散発的な抵抗は無意味だった。
 
 混乱する寮内を筋肉達は猛進する。命令は簡単、強引に前進理樹を獲れ。



「なんか本当に騒がしいね、小毬さん」
「でも佳奈ちゃんが出ちゃダメって言ってたから、出ちゃダメなんだよ」
「そうだね、佳奈多さん怒ると怖いしね」
「わ、酷いんだ理樹君。そんな事言う人は悪い人ですよ?」
 そんな騒ぎなど知らず、幸せそうに話す理樹を一人の少女が見ていた。彼女は杉並、名前はまだない。
「あ、直枝君、神北さん。風紀委員長が屋上に来るように、だって」
「何だろう?」
「ほぇ? はーい」
 彼女は、二人を見送ると、その背中に呟いた。

「……理樹君、さよなら」
 あえて名を呼んだのはせめてもの自己主張だったのか。5時40分、既に壊滅状態になっていた自隊を率い、彼女は一階階段へと向かった。
 筋肉側の記録には、5時41分、一階階段付近にて敵小部隊と遭遇、5時43分にこれを撃破とある。もはや、遅滞行動を行うだけの練度を持った部隊がいないのは明らかであった。



「来ヶ谷さんの到着は? 科学部部隊の移動はまだ?」
 5時47分、佳奈多の質問に、側にいた書記は青ざめたまま黙って首を振った。室内には他に人影はない、全戦力は前線に投入され、そして消滅していた。
 この時、来ヶ谷らからなる外泊部隊は既に敷地付近に達していたのだが、復活した恭介と謙吾との戦闘に巻き込まれ、その動きを封じられていた。科学部部隊はこれより先、真人らの部隊との接近筋肉戦において蹂躙され、廃部を待たずして全滅している。来援する部隊はどこにもいなかった。
 階下からは、既に筋肉筋肉という声が響き、外の霧は当分晴れそうにない。佳奈多は、自らが戦いに敗れた事を知った。

「クドリャフカ……ごめんなさい、あなたの好きな人を守れなかった」
 佳奈多は呟くと、手近な自在箒を手に取り、歩き出す。だが、その前に立ち塞がった者がいた。意外な人影に、彼女は足を止めた。
「葉留佳? あなたも屋上に……」
 そう言いかけた佳奈多は、ハンカチで口を塞がれた。
「葉留佳……何故?」
 急速な眠気に襲われ、崩れ落ちる彼女に、葉留佳は言う。
「ごめんねお姉ちゃん、まーほらあれですヨ。これからは私の時代って奴なのですヨ」
「あなた……まさ……」
 佳奈多は、その言葉を最後に眠りにつく。笑顔のまま、葉留佳は呆然と立ちすくむ書記も眠らせ、廊下に出た。 



 風紀委員による最後の戦闘は、この直後に行われたとされている。二木佳奈多直率の部隊が、2階踊り場付近においてビー玉、まきびし等を用いた巧みな防御戦闘を繰り広げ、なんと30分以上に渡って筋肉を足止めしたのである。

「出て行きなさい、寮内に許可無く立ち入る者は排除します」
 絶望的な戦況の中で、尚も敢然と立つ佳奈多の姿に、残存する風紀委員は発憤し、絶え間なく押し寄せる筋肉達の攻撃をはね返した。
 駆け上がる筋肉は、降り注ぐまきびしに勢いを止められ、転がり落ちるビー玉によって足をすくわれた。さらに、容赦なくゴミバケツ、机、その他不要品が叩きつけられる。見事なまでのワンサイドゲームであった。
 この時の筋肉側の被害は、おそらくこの戦い始まって以来最悪のものであっただろう。
 彼女らが防いだ攻撃は六波に及び、さしもの筋肉達も、この小さな拠点を攻めあぐねた。いかに数が多くとも、狭隘な階段ではその数を生かせない。もはや、女子寮階段は古の千早城に勝るとも劣らぬ、難攻不落の様相を呈していた。

 これは、風紀委員の掉尾を飾る、見事な戦いぶりであった。だが、その勇戦も6時20分、ついに終焉を迎える。雨樋を伝い、侵入してきた筋肉が、背後から風紀委員を攻撃したのである。

「筋肉筋肉!」
「回り込まれた!? 防いでっ!!」

 佳奈多が気付いた時には遅かった。
 度重なる攻撃に消耗しきっていた風紀委員達に、もはや彼女の指示に応えるだけの体力も戦力も残っていなかったのだ。
 戦線後方が崩壊した直後、これに呼応して階下からも第七次、そしてこれが最後となる攻勢が開始され、佳奈多らの必死の抵抗を排し、ついに2階踊り場に達した。理想的な挟撃位置から攻勢に出る筋肉に対し、今度は風紀委員達が一方的に攻め立てられる。背後に回り込まれた時点で退路は断たれ、踊り場は死地と化していた。
 そして6時25分、佳奈多を除く全ての風紀委員は筋肉された。残るは、孤高の風紀委員長のみである。

「残るはお前だけだ風紀委員長! おとなしく筋肉せよ!!」
 筋肉側の降伏勧告に、佳奈多はこう応じたという。

「ふん、笑わせないで。風紀委員長が筋肉する? そんな事は、この私が許さない。何があっても、風紀委員長が筋肉する事なんてないわ」
 彼女の発言は負け惜しみであったのか、その真意を理解した者は、筋肉の中に誰一人としていなかった。
 6時26分、2階踊り場失陥。守備隊の全員が筋肉される、文字通りの玉砕であった。

 葉留佳が行方不明であった為、これにより女子寮の主力部隊は全滅した事になる。もはや、大筋肉戦争は、筋肉による残敵掃討戦の様相を呈していた。





「筋肉筋……何だ?」
 だが、楽しげに前進を続けていた真人が、一瞬にして真顔に戻ったのは、まさに先程まで理樹達がいた、小毬の部屋に来た時である。
 くわあああああああああああっという叫び声と共に、強力な筋肉を持つ柔道部部長らがまとめて吹き飛ばされたのだ。見れば、その部屋の前面は、筋肉死屍累々といった有様である。
 女子寮側に有力な打撃部隊が残っていないはずである。二木佳奈多が筋肉された時点で、もはや筋肉を防ぎうる部隊など、幻想と化していなければおかしかった。
 来ヶ谷は未だ外にあり、謙吾及び恭介と、ちたい行動と筋肉行動の優劣を競い合っている。考えられるとしたら、未だ所在がつかめぬ葉留佳と美魚だが、その攻撃方法は明らかに異なる。
 
 だが、現実には、目の前には倒れ伏した筋肉の山が出来ていた。
 古代中国では、勝利を示す為、相手方の死体を積み上げ、山とする習わしがあったというが、この時の状況はそれを彷彿とさせるものであったであろう。

「何者だ?」
 真人の問いに、緊張感を含んだ空気が動く。
 そして、さらにラグビー部主将らをまとめて放り出し、一人の老人が歩み出た。
「ふん、こわっぱどもめ。お前らに名乗る名などないわ」
 何故浴室から出てきたのか、手に持っているやたら可愛い下着はなんだ。そもそも何で女子寮にじーさんがいる。口々にそういう質問が乱れ飛んだが、老人はそれらを全て黙殺し、言った。
「孫の成長を見に来てみれば、臭い筋肉どもがたかっておるわい」
「臭い筋肉だと? じいさん、このかぐわしい筋肉の匂いを臭いとは鼻がおかしいんじゃないのか?」
 傲然と言う老人に真人は答える、だが老人は彼をあざ笑うかのように言った。
「ふん、筋肉如きが。二度の大戦を生き抜いたこの儂の精神力に敵うと思うてかっ!!」
 再び「くわあああああっ!」という大音声に、真人の周囲にいた筋肉は吹き飛ばされた。立っていたのは真人だけだった。
「ふん、少しは根性があるようじゃな、かかってこい小わっぱ」
 尚も見下すように話す老人に、真人も自信溢れる態度で応じる。
「悪いなじいさん、これからは筋肉の時代なんだ」

 6時32分、大筋肉戦争最後の激戦が開始された。





「なんか下から筋肉筋肉っていう声が聞こえるけど気のせいかなぁ」
「うーんそうですね、でもきっと気のせいですよ。ほら、ドーナツ食べましょう」
 階下で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図など露知らず、二人は屋上でお菓子を頬張る。
 霧は徐々に晴れはじめ、今日はきっと晴れ。太陽が空に昇ったら、さぞかし楽しい日になるだろう。
 二人はそんな事を話ながら、霧の中から徐々に顔を出す朝日を眺めていた。

 それは、科学部が強制廃部となり、美魚に追っ手がかかり、神北翁に『勇敢な変態』の称号が与えられる日の朝の出来事であった。


 
『完』


[No.318] 2008/05/25(Sun) 19:59:19
後半戦ログ+最強SS結果発表中ログ+次回日程 (No.314への返信 / 4階層) - 主催

 感想会後半戦のログはこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little10-2.txt


 同日に行われた最強SS結果発表中のログはこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little-saikyou.txt



 次回 お題『嫉妬』は2週間後の
 6/6金曜締切 6/7土曜感想会
 でございます。
 6月第1週ですのでお間違えのないように。


[No.319] 2008/05/26(Mon) 00:20:14
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