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   第11回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/06/04(Wed) 23:49:05 [No.321]
変態理樹 EX Edition - ひみつ@投稿規程大丈夫かな、これ - 2008/06/08(Sun) 15:05:29 [No.356]
セット - ひみつ 全SS作家にすみません - 2008/06/07(Sat) 21:15:19 [No.352]
僕は妹に恋をする - ひみつ@超遅刻 でも不戦敗とか冗談じゃねぇよ - 2008/06/07(Sat) 16:24:51 [No.347]
一人の妹、二人の姉 - ひみつ@微妙にエロ?・大遅刻 - 2008/06/07(Sat) 04:50:36 [No.341]
インスト - いくみ - 2008/06/07(Sat) 01:09:52 [No.340]
はるかな昔話 - ひみつ@原作との関連性ほぼなし…多分 あと遅刻 - 2008/06/06(Fri) 23:43:06 [No.339]
- ひみつ - 2008/06/06(Fri) 22:16:32 [No.338]
二人の妹、一人の姉 - ひみつ@微妙に鬱? - 2008/06/06(Fri) 22:15:33 [No.337]
私と彼女 - ひみつ@というかスルー推奨 - 2008/06/06(Fri) 22:02:18 [No.336]
遠回りして - ひみつ - 2008/06/06(Fri) 21:56:52 [No.335]
[削除] - - 2008/06/06(Fri) 21:49:40 [No.334]
Re: [削除] - ひみつ? なにそれおいしいの? - 2008/06/07(Sat) 13:12:19 [No.344]
[削除] - - 2008/06/06(Fri) 21:47:17 [No.333]
Re: [削除] - ひみちゅ - 2008/06/07(Sat) 14:50:38 [No.345]
LOG - ひみつ - 2008/06/06(Fri) 19:07:54 [No.332]
氷の仮面 - ひみつ@修羅場を書きたかった - 2008/06/06(Fri) 16:08:21 [No.331]
パーキング サイクリング - ひみつ - 2008/06/06(Fri) 15:19:40 [No.330]
Re: 第11回リトバス草SS大会(仮別にたいしたことで... - ひみつ@はっちゃけてません。 - 2008/06/06(Fri) 14:58:43 [No.328]
別にたいしたことでもない、ただの日常について。 - 題名入れ間違えました。 - 2008/06/06(Fri) 15:00:44 [No.329]
もしも代われるのなら - ひみつ@ごめんなさいごめんなさい(ry - 2008/06/06(Fri) 03:50:00 [No.327]
[削除] - - 2008/06/06(Fri) 03:21:37 [No.326]
水面の向こう側 - ひみつ - 2008/06/06(Fri) 03:00:43 [No.325]
Tomorrow - ひみつだよ - 2008/06/06(Fri) 02:05:09 [No.324]
[削除] - - 2008/06/05(Thu) 20:00:44 [No.323]
前半戦ログ - 主催 - 2008/06/08(Sun) 19:46:09 [No.357]
後半戦ログとか次回とか - 主催 - 2008/06/08(Sun) 23:44:24 [No.359]



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第11回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - 主催

 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「嫉妬」です。

 締め切りは6月6日金曜午後10時。
 厳しく締め切るつもりはありませんが、遅刻するとMVPに選ばれにくくなるかも。詳しくは上に張った詳細を。

 感想会は6月7日土曜午後10時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.321] 2008/06/04(Wed) 23:49:05
[削除] (No.321への返信 / 1階層) -

この記事は投稿者により削除されました

[No.323] 2008/06/05(Thu) 20:00:44
Tomorrow (No.321への返信 / 1階層) - ひみつだよ



 荒れ果てた地を臨み、直枝理樹は一歩だけ踏み込む。
 この地面に何か飲み物でも垂らせば雰囲気が出るだろうか、とも考えたが、今になって風紀委員の世話になるのはごめんだった。
 なにより、そんなものをわざわざ買いに行くのが面倒くさい。
 歩く。たぶん、すべてがはじまった場所へ。

「……みんな。いろいろ大変な事もあったけど……みんなのおかげで、卒業出来たよ」

 マウンドに卒業証書の入った黒い筒を置く。
 荒れた土の上には素直に立ってはくれなくて、だから少しだけ埋め込むように。
 1年半もの期間、ほとんど誰も使わず整備もせずで草は生え放題だ。さほど長くはなかったが本来の目的では――野球をするには――到底使えそうになかった。
 三塁側へ向かって歩き出す。木の下に座り込み、遠くからマウンドを眺める。

「卒業……か」

 それだけを口にすると、どうにも現実味のない薄っぺらい言葉のように思えてくる。
 進学先も決まり、アパートも決め、荷物を送る準備も終わった。
 しばらくは鈴の実家に世話になる予定だが、それも3月末まで。
 そして今日の夕方には、3年間過ごした寮を出て行く。
 だと言うのに。
 ……現実味がないのはきっとそのためだろうと気付く。
 真人と過ごした部屋。リトルバスターズで過ごした空間。
 それら失ってしまったものへの未練だけではない。3年もの間暮らした場所から離れる事に、妙に喪失感を抱いている。

「あら、珍しいですわね……ひとりで居るなんて」

 理樹が声のしたほうに顔を向ける。
 視線の先にはフリルのついた白いブラウスに空色のスカートの少女が居た。

「さしゅ……笹瀬川さん。卒業、おめでとう」
「そちらこそ。……と、そんなことで誤魔化せると思いまして?」
「駄目?」
「駄目に決まっていますわ……と、言いたいところですけど」

 言いながら佐々美は階段を下りる。
 風ではためくツインテールを抑えながら近付き、理樹の隣に座った。

「言ったところでどうにかなるなら、もうとっくに噛まなくなっていますわね」
「素敵な名前だと思うよ」
「わたくしもそう思いますわ」

 理樹が恥ずかしい台詞を冗談混じりの口調で、けれど真顔で言い、佐々美はそれに不敵な笑みで以って返した。

「ところで、棗さんはどうしましたの?」
「あぁ、寮母さんとか先生とかにお礼の挨拶。ひとりで回ってくるって」
「随分と変わりましたわね。事故の後なんて、直枝さんなしには外に出ませんでしたのに」
「……笹瀬川さんのおかげだよ」
「まさか。わたくしは、それまでと同じように張り合っていただけですもの」
「うん、だから笹瀬川さんのおかげ。二木さんとか他にも気を遣ってくれた人は居たけど、僕も、多分鈴も一番笹瀬川さんに感謝してるよ」

 理樹と鈴の周りにあった日常は事故を境に忽然と姿を消した。
 それはあの幾多の世界の終末の刹那に理解した事で、けれどどうしようもなくて。
 理樹は比較的早くに何の取っ掛かりもなく過ごしていける程度には馴染み、無理にでも受け入れたが、鈴は本当に危うかった。
 ギリギリの所で踏みとどまっている感じで、一歩踏み外せば底のない闇に堕ちてしまいそうなほどに、強制的に挿げ変わる、そうせざるをえない日常に馴染めずにいた。
 そんな中にあった。ぽつりと佇むように残った、リトルバスターズの外の日常。
 それが、笹瀬川佐々美という存在。

「ま、まあ……あなたがそう思うのは勝手ですけれど。棗さんがそう思っていらっしゃるかは……」
「思ってるよ。口には出さないけど、たまに態度に出すもん。それに、僕は鈴の恋人だからね」
「2つ目は確実に理由になっていませんわね……」

 呆れ気味に半眼で理樹を見た後、佐々美は溜め息を吐きつつ笑った。
 理樹に笑顔を向けながら佐々美は思い出す。あれは、いつだったか。

/

 とん、と肩がぶつかり、佐々美は反射的に謝罪の言葉を漏らした。
 そのまま、ぶつかった人物……鈴は歩き続ける。
 ――ちょっと、棗鈴!

/

 そんな些細な事。
 けれど何も言わず通り過ぎようとした鈴に、佐々美は強く声をかけた。
 事故から2ヶ月と少しがたった日の女子寮での出来事。
 これが事故後初めての、2人の会話。

「ま、我ながらあの時は大人気なかったと反省していますわ」
「そうかな? 笹瀬川さんは謝ったのに鈴は謝らなかったんだから、悪いのは鈴だよ」
「あら、こんな時、直枝さんは棗さんを擁護するべきでは?」
「過保護じゃないだけだよ」
「へぇー」

 事故前には見た事もなかった、3年になってからは何十回も見せられた、佐々美のにやにやとした意地の悪い笑み。
 普段は過保護なのに、とでも言いたげだった。
 なんとなくその笑顔から目を逸らす事が出来ず、理樹は気まずそうな笑みを返す。
 笑いあったまま、ふたりの視線は離れない。

/

 ――お前に、お前なんかに、あたしのなにがわかる!
 どこからか、喧嘩は発端とは関係のない言い争いに発展していて。
 ――わかりますわよ! 不幸なのも悲しんでいるのも自分だけじゃないのに、勝手に人の分まで背負い込んだ気になっている大馬鹿者ですわ!

/

 あの時。佐々美は、想いを寄せた人が――宮沢謙吾が――死んで、彼の生前に近付く事も出来なかった自分が悔しくて、悲しかったのだ。
 それだけではない。騒がしく楽しませていた彼らが、それどころかほぼひとクラスがこの世界から消えて泣いていたのは、理樹と鈴だけではなかったのに。
 なのに、周りの気遣いも無視して虚ろな表情をしていて、理樹が横にいなければ碌に喋りもしない鈴が、佐々美を常日頃から苛立たせていて。

「それにしても、まさか噛みつかれるとは思いませんでした」
「鈴も、まさか引掻かれるとは思わなかった、って言ってたよ」

 その苛立ちが爆発したのだ。鈴も、溜め込んでいたものを解放するみたいに暴れた。
 髪を引っ張って頬をつねって殴って蹴って涙を流しての大喧嘩。
 佐々美の取り巻きも過剰に鈴の事を気にかけていた女生徒たちもおろおろするばかりで、結局寮長と二木佳奈多が呼ばれて割って入るまで、2人は罵倒しあいながら廊下を転げ回っていたらしい。
 今になって理樹は思う。
 もし僕がその場に居たらどうしていただろうか、と。
 考えてもどうしようもない事だ。――あの事故がなかったら――そんな考えと同じくらいに。
 世間に与えた影響にどんなに差があろうともIfはIf。その思考の意味のなさは同じものでしかありえない。

 とにかく、きっかけはたったそれだけ。

 そこから少しずつ、鈴は距離を詰めていった。
 佐々美と、ではない。生きる事と理樹以外の全てを拒絶していた、現実の世界との距離を、だ。
 世界から離れて生きるのではなく、世界の中で生き始めた。そんな、当たり前のこと。

「でも、鈴も笹瀬川さんも傷が残らなくてよかったよ」
「……そうですわね」

 言い、軽く左手首――鈴に噛まれたところ――をさすった。
 同時、咆哮にも思える喧しいエンジン音が空から降りてきて、2人は話すのをやめた。
 高い空を横切っていく旅客機が置いていった一時の沈黙は、その後も流れ続ける。
 理樹が何気なく目をやったマウンド。そこに立てていた筒は風の所為だろうか、横たわり、転げていた。
 その理樹の横顔を見ながら、佐々美がゆっくりと口を開く。

「……ねぇ、直枝さん」
「うん?」
「……お願いしますわね、棗さんのこと」
「言われなくとも」

 鈴のために何かしようとしてしたわけではない。
 けれど間違いなくきっかけを与えた佐々美は、

「ソフトボールでの推薦だったよね。日本代表も視野に入ってるとかどうとか」
「その大学から過去に何人か選ばれているというだけで勝手に噂に尾ひれがつきまくっただけですわ。実際は、候補ですらありませんのに」
「それでも凄いよ」

 ここで、ふたりとは道を分かつ。
 目指すべきものを、目指したいものを、しっかりとその瞳に捉えて。
 伸ばした手の先にある夢の欠片を掴みかけている。

/

 ――なぁ。
 佐々美の進学先と経緯を知った鈴は、一言だけ。
 ――がんばれ。
 それきりで、以後その話をする事はなかった。

/

 生きているから、一生会えないわけではないだろうけれど。
 距離だって、悲観するほど離れてしまうわけではないけれど。
 でも、会う機会は確実に少なくなる。

「あと、ありがとう。鈴の事を気にしてくれて」
「……あんなでも、一応は大切な友人ですから。それに、直枝さんには何かを任せないと、潰れかねませんわ」
「確かに、ね。……それとさ」
「なんでしょう?」
「さっきの……『大切な友人』って、鈴に直接言ってあげると喜ぶと思うんだけど」
「嫌ですわ、恥ずかしい。棗さんも同じだと思っていますし……親しくしても、基本的には何かしらぶつかり合っているくらいが、わたくしたちらしいですもの」

 佐々美は頬を朱に染めて、ぷい、とグラウンドの外へ顔を向ける。
 そんな佐々美を見て、理樹は苦笑するしかなかった。

「難しいなぁ、女の子って」
「そう思うなら……棗さん以外の方とも付き合ってみてはいかがでしょうか?」
「うーん……考えた事もなかったなぁ、そういうの」
「棗さん一筋ですものね、直枝さんは」
「ん、まぁ」
「けど、……」
「ん?」

 佐々美が顔を向け、少し近付いた。
 風が頭上の枝葉を騒がせながら通り過ぎ、佐々美の髪から仄かに香水の香りが漂う。
 長い髪が風に舞い、理樹の視界に華麗で繊細な線を幾本も引いていく。
 理樹は動きを止めてしまい、佐々美もまた動こうとはしなかった。

「そうですわね。……例えば、」
「ぇ、と」
「わたくしとか、よろしいとは思わなくて?」
「ちょ、」

 先に動いた佐々美の顔がさらに近くなる。
 吐息がかかるほどに、その温度を感ぜられるほどに、綺麗な睫毛の長さがわかるほどに。
 体温が急激に上昇するのを感じて、しかし理樹は動けない。
 押さえつけられているわけでもない。ただ、地面に触れている左手に重ねられた佐々美の右手が、無性に心地よい。
 動きが封じられたのは、佐々美の細く白い指に絡めとられた指だけ。
 なのに、身体が動く事を拒絶しているみたいに、全てを佐々美の好きなようにさせて受け入れてしまおうとしているみたいに重い。
 佐々美が左手で、理樹の右頬に触れる。柔らかな感触が、理樹の火照った顔を撫ぜてゆく。少しひんやりとした指が気持ちよかった。
 ここまで来て鈴の顔が浮かんでなお、不思議と拒絶する事を躊躇う。その選択肢を選べない。
 佐々美の醸し出す色香に惑う。

「……なぁんて、冗談ですわよ」
「はぁー……!」

 ふふ、と淑やかに笑いながら佐々美は理樹から離れる。
 その頬はいくらか赤らんではいたが、理樹に比べれば余裕はあった。
 吹き続ける柔らかい風が体温を下げて行くが、まだまだ熱は残っている。ちょっとやそっとでは、抜けそうにもない。

「と、ところで、笹瀬川さんはどうしてここに?」

 話を逸らすべく、どうでもいい事を聞いてみる。
 偶然だとか、ソフトボール部の練習を見に行ったら見つけただとか、そんなところだろうと理樹は思っていた。
 だからこんな質問。

「偶然直枝さんを見かけたから……と言おうと思いましたけど。実は、探していましたの。色々、伝えておきたい事がありまして」
「伝えておきたいこと? ……さっきの、鈴のこと?」
「それもありますわ。ただ、それだけではなくて……」

 ふぅ、と息を吐いて一呼吸分の間を作り、佐々美は今度は真剣な目をして、理樹を見る。
 理樹はただ、ぼーっと見返すことしか出来なかった。
 その真剣な目を細め、表情も――まるで想い人を見る少女のような――笑顔に変えて、佐々美は口は開く。

「わたくし、結構」
「…………結構、なに?」
「直枝さんのこと、好きですわよ」
「あの、それ、は……」

 言葉だけを聞くと、若干遠回しな告白。
 理樹はおどおどしながら、緊張を隠せず、上がった心拍数によくわからない恐怖心と妙な期待を抱く。
 先ほどの熱も引いていないのに、こんな言葉。
 身体は自分のものかどうかも不確かなほどに熱くなり、気温は高くないのに汗が流れる。
 間違いなく、嬉しいと思っている自分がいる事を、理樹は否定出来なかった。

「もちろん、変な意味でとってもらって構いませんわ」
「……あんまりからかわないで欲しいんだけど」
「あら、心外ですわね? 先ほどのは冗談ですけれど……これは、本気でしてよ?」
「で、でも笹瀬川さんは謙吾のこと……」
「今はもう亡き人……なんて言えないほどに好きでしたし、今でもその想いは変わっていませんわ。
 ただ……直枝さんは、少しずつ宮沢さんとの差を詰めていますわね。こう言ってしまうのはなんだか悲しいのですけれど、生きている方の中で一番好きなのは、あなたです」
「で、でもさっきのはちゃんと冗談なんだよね?」
「えぇ。もっとも……もし直枝さんからも近付いていたら、冗談では済まなかったかも知れませんわね」

 「残念ですわ」と続け、なのにどこか楽しそうな佐々美の笑顔を見て、理樹は気付く。
 ――あぁ、僕は。
 この娘に惹かれていたんだ、と。
 だから近付かれると自分でもわけがわからないほどに緊張した。告白を聞くと嬉しく思った。
 鈴ほどではないのだろう。鈴がいるから、鈴がたまらなく好きだからなのかもしれない。
 だから気付かなかっただけで、心のどこかでこの威風堂々とした少女に、少なからず惹かれていたのだ。

 Ifを思考する行為にはやはり意味はない。
 けれどどうしても思ってしまう。もしもあの事故がなく、鈴への想いにも気付かずいたら……どこかで、いつの間にか、笹瀬川佐々美と言う少女と想いを交わらせる事があったかも知れない、と。

「…………もしかしたら」
「え?」

 思考の最中、佐々美の独り言にも近い呟きが理樹の耳を突く。
 目をやると、何かを絞り出すみたいに握り拳を胸に置いていて。

「あなたの事が気になったのは、想う人が側に居てくれる棗さんへの、嫉妬が始まりだったのかも知れません……けれど、今あるこの感情は紛れもなくわたくしの、直枝さんだけに対するものです」
「うん……」
「直枝さん」
「……なにかな」

 呼んできた佐々美は立ち上がり、右手を差し出していた。
 一瞬だけ、頭を過ぎる光景があった。
 ――……。
 その姿はいつの日か、手を差し出してきた誰かに似ていて。

「握手、しませんか?」
「なんで、また」
「なんとなくそうしたいと思っただけですわ」

 その言葉に笑みで返す。
 立ち上がり、佐々美の小さな手を握った。

「いつかまた進む道に交わる場所があったなら、その時はよろしくお願いします」
「うん、こちらこそ」

 互いに笑い、左手で照れくさそうに頬をかく。
 手を離し、静かな風の下りるグラウンドの隅で、相手の目を見て2人は立ち尽くす。
 端から見れば示し合わせたようにも見える行動、仲睦まじく見える少年少女――

「そこまでじゃぼけっー!!」

 に、まさに端から見ていた鈴が声を張り上げ、遊歩道から猛然と駆けて来る。

「あら、棗さん」
「り、りん!? えと、い、いつからここに……」
「『直枝さんのこと、好きですわよ』のあたりからだ」

 お約束通りとは行かず、また微妙なところだった。
 そうならず、佐々美が急接近して抵抗出来なかった所を見られなかったのは、理樹にとって幸いだったが。
 内心安堵した理樹の隣、佐々美は何やら瘴気でも吐き出しそうな面持ちで仁王立ちする鈴を見、頬に手を当ててほう、と微妙に色気さえ感じさせる息を吐いた。

「残念ですわ……折角これから、『理樹さん』と永遠の契りを交わすところでしたのに」
「ちょ、ささせが」
「り・き?」
「いやいやいや、嘘だからね冗談だからね、そういうのはないからねっ!?」

 焦って立ち上がり、あたふたと手を振って否定する。
 両の拳を握り顔を伏せた鈴の纏う威圧感はゴゴゴゴゴゴと擬音でも聞こえてきそうな勢いだった。
 だいたい聞いていたならわかるだろうに、鈴はどうにも熱くなっているらしかった。
 理樹としてはヤキモチを焼いてくれるのは嬉しいと言えば嬉しかったが、このまま突き進めば行く先は修羅場以外の何物でもない。

「握手くらいで嫉妬だなんて……付き合っているのは棗さんなんですから、もっと余裕を持ってはいかがかしら?」
「繰上げみたいなものでも、ささみにとって今は理樹が一番なんだろ。なら、さささはあたしの恋敵だ」

 だから余裕なんて持てないと。口にはしなかったが、そう言う事なのだろうと佐々美は思った。
 あっさりしているのにどうにも、この上なく一途で素直な想いの吐露だった。
 鈴に小さく笑いかけると、佐々美はすぐさま理樹の方を向く。

「…………どうですかしら直枝さん。こんな嫉妬深いうえに人の名前を間違えるような女よりもわたくしと」
「うっさい! 嫉妬から恋になるようなさささよりマシだ!」

 ギャーギャーと言い争いを始める。
 これからはあまり見られなくなるのかな、と考えるとこんな瞬間も特別に思えてくるから、不思議なものだった。
 でもやっぱり、止めには入る。こうやって止めに入るのだって、このちょっとだけ素直じゃない2人の関係には大事なものだから。
 自惚れかも知れないけれど、理樹はそう思う。

 止めに入った後、頭を撫でて鈴を落ち着かせた(怒ったが大人しくはなった)後で、ポケットから携帯電話を取り出す。
 2人の目が自らに向いたのに気付き、笑顔を作るとそのまま、

「写真、撮ろっか?」

 何の前触れもなく提案した。
 未来はどうなるか分からなくても、過去の悲しみが同居したままであっても、今この瞬間は疑いようもなく大切な一瞬で。
 だから、時を留める事は出来なくても、決して忘れはしないけども、今をわかりやすい形で残しておきたかった。
 ここに居る彼女とは違う『笹瀬川佐々美』が撮ってくれた、リトルバスターズ全員が揃った写真は崩れ去った世界のひとつに埋もれてしまったけれど。
 崩れはしないこの世界では、大切にさえすれば3人で撮った写真は残り続けるはずだ。

「構いませんけれど……わたくしたちの他には、ここには誰も居ませんわよ?」
「じゃあ、誰か呼んでくるよ」
「いやまて、理樹」
「え?」
「こっちこい」

 鈴は三角座りをして木に背を預けると、右側をポンポンと叩く。

「……えっと、どうするの?」
「いいから、座る。そんで、しゃしゃみはこっちだ」
「……こんな時くらいちゃんと呼べませんの、あなたは」

 佐々美が文句を垂れる間に理樹は鈴の右側に座り、佐々美も溜め息をひとつ吐いてからそれに倣うように左側に座った。

「うん、これでよし」

 かなり密着していた。満足したのか笑って頷くと、理樹に視線を投げる。
 鈴の言葉を待たず、理樹は理解した。このまま写真を撮ろうとしているのだ、鈴は。

「理樹、カメラ」
「これだとどう映ってるかわからないから、何度も撮り直さなくちゃダメかもしれないよ」
「じゃあ、なんども撮り直せ」
「はいはい、わかりましたよお姫様」

 呆れたのか佐々美が溜め息を吐く姿が見えた。理樹はその衝動を抑え携帯のカメラを起動して、持った右腕を空に向かって伸ばした。
 その状態からレンズを見て「このへんかなー」などと呟きながら腕を動かしている理樹を佐々美が数秒見つめ、何かに気付いたように口を開いた。

「ちょ、ちょっとお待ち下さい。さっきの話の後で棗さんが真ん中で、そ、その、わたくしと直枝さんが離れているのは、何か意図的なものを感じますわよ?」
「意図なんてない。ただ単にあたしが真ん中がよかっただけだ。なんか文句あるか」
「ああ……なんていうか……物凄く納得しましたわ……」

 やたらと偉そうに言った鈴の顔を見てその言葉が嘘ではない事を確信し、それはそれでげんなりして肩を落とす。
 そんなやり取りを耳にして笑ってから、未来にこの写真を見た僕はどう思うだろうか、と理樹は考える。
 懐かしむだろうか、悲しむだろうか。或いは、この幸せな瞬間に嫉妬してしまうかも知れない。今の自分が、リトルバスターズでの思い出を悲しみながらも、羨望を覚えてしまっているように。
 今の自分に、未来の自分自身の事などわかるはずもない。
 けれど、その時の自分がどうであれ、今左肩に感じる愛しい人の温もりと、その先で微笑む、愛しい人が世界の中で生きるきっかけを与えてくれた友人と。その未来には今と同じ幸福な時間がありますように、と心密かに願いながら、理樹は腕の動きを止めた。

「とりあえず、1枚目とるよー」

 理樹の合図に、鈴も佐々美もレンズを覗き込んだ。
 たったひとつの小さな透明の目が、3人を見下ろしている。


 それから十数分の間、荒れ果てたグラウンドの隅で無機質なシャッター音と賑やかな声が響き続けていた。


[No.324] 2008/06/06(Fri) 02:05:09
水面の向こう側 (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ

 生まれてきてからこれまで、楽しいことなんて何一つなかった。クラスには気の許せる友人などいない。範囲を学校中に広げたとしても同じことだ。授業をひたすら消化して、休み時間は一人で本を読む。学食の片隅で食事を摂り、息を殺して寮に戻る。相部屋はいない。去年の夏に退学届も出さずに脱走してそれきりだ。それ以来僕は一人で寮の部屋を使っている。この学校で唯一いいことがあるとしたら、それだけだ。
 まるで監獄にいるような毎日だった。顔を伏し、息を潜めて、高校生活という名の懲役が終わるのを、僕はただひたすらに待ち続けていた。

 修学旅行の朝、屠殺場へ向かう豚のように指定のバスの前に並べられていた僕は、一人の男子生徒が先生の目を盗んでバスに乗り込んだのを見た。その日の朝に僕が興味を惹かれた唯一の映像がそれだ。乗り込んだのは、確か、棗先輩とか言ったか。クラスにいる井ノ原や宮沢、それに直枝なんかとよくつるんでいる。ああ、そういえば、女子にいる棗さんの兄貴だったか。有名人らしいが、興味はない。基本的に騒がしい奴らは嫌いだ。いなくなればいい。
 バスに乗り込んでから、喧騒はより一層激しくなった。どうやら他のクラスの生徒が数人紛れ込んでいたらしい。どうでもいい。どこに潜り込んだのかは知らないが、棗先輩はまだ見つかっていない。
 バス内定番の鬱陶しいレクリエーションも終わり、弛緩した空気がバス内に流れていた。僕はぼんやりと窓の外を眺めていた。不安定な山道を、僕らを乗せたバスがおっかなびっくり抜けていく。運転手が未熟なのか、急ブレーキや急ハンドルがやけに目立っていた。
 周りの連中は誰かと話したり、スナック菓子を頬張ったり、手荷物から漫画雑誌を取り出して読んだり、これみよがしにiPodを取り出して聞いたりと、誰もが思い思いの時間を過ごしているようだった。これから始まる数日間の旅行に思いを馳せ、束の間の非日常を楽しんでいた。冷めているのは、僕だけのようだった。
 風に揺られた木々の間から、わずかに青空がのぞいた。薄暗い林道の陰気さを、かすかに差し込んだ光が一掃した。
 僕はこれから先、どこかに行けることはあるのだろうか、と思った。
 未来はいつも模糊として掴み所がなく、その不確定さはいつでも僕を憂鬱にさせた。こんな状態もいつかは変わるんじゃないか――そう思う裏側で、自分はきっと死ぬまで一人なのだろうという予感がいつだって渦を巻いていた。その渦は時に宿主の制御の手を離れ、宿主自身を飲み込んでしまうほどに肥大化した。陰惨な未来図ばかりが頭の中を埋め尽くした。朝目を覚まして、一日の労役に身を窶し、夜部屋に戻って明日の労役に備える。そんな緩慢な毎日が、現実的な厚みをもって僕を責め苛んだ。
 
 一際大きなブレーキ音と、前方にかかった重力が思考をどこかに吹き飛ばした。

 激しい衝撃が襲った。何が起こったのか、理解する暇すら与られえはしなかった。引き裂くような轟音と、叫び声。天が天でなくなり、地が地ではなくなった。昔、よく行った遊園地にあった、自由落下の遊具の浮遊感によく似ていた。
 転がり落ちる刹那、世界が乳白色に眩しく輝いた。何か得体の知れない世界から這い出した光は、じわり、じわりとその距離を詰めてきた。溢れ出した光すらスローモーションに見えた。
 ああ――僕は、ここで死ぬんだな。
 そう理解した瞬間、閃光が視界を支配した。



 ふと気付くと、どこかの水辺に立っていた。
 ――どこだ、ここは。
 呟いたはずの言葉は言葉にならず、代わりに足元の水を揺らして波紋となった。
 ぶるりと身体が震えた。
 ――僕は、死んだのか。
 胸に手を置く。そこにあるはずの鼓動がない。熱もない。何も感じない。光を映さなくなった目は、代わりに闇を確かに捉えていた。
 自分でも不思議なほど気持ちは落ち着いていた。死が、こんなにも優しいものだとは知らなかった。先程まで自分が存在していた生の世界のことが、遥か遠い星のことのように感じられた。未練も浮かんでくることはなかった。こうして死の際に思い返しても、何の感慨すら浮かばないような、曖昧で薄弱な人生だった。そういうことなのだろう。このまま、未だ消えず残された意識を、ゆっくりと虚無に溶かしていけばいい。このまま、このまま――
 その時、不意に足元の水が揺らいだ。足元の水。そう認識した瞬間、にわかに天地の感覚が戻って来た。揺り戻されるように光を知覚し、かすかな痛みを取り戻した。そして僕はまた、時間を巻き戻したように、また水辺に立ち尽くした。
 安寧を奪われた敵意を込めて、水面をにらみつける。すると、そこには今まで見えていなかったものが見えた。
 ――これは、なんだ?
 始めは見間違いかと思った。反射的に目を凝らすと“それ”はゆっくりと動き出した。
 右へ、左へ。
 全部で九つの光の粒が水面を這うようにあちこちへと行き交っている。くっついて、離れて、またくっついて。まるで互いのぬくもりを確かめ合うように。
 いつの間にか僕は水のかかるかかからないかくらいの際で、膝を抱えていた。



 水辺に座り込んで行き交う光の粒を眺め始めてから、一体どのくらいの時間が流れたのか、僕にそれを知る術はない。何せここには太陽もなければ、月もなく、腹だって減りやしないのだ。
 水辺が映し出すのは、光のダンスだけではなかった。それはあまりに漠然としすぎていて、眺め始めた頃はそれが何なのか、僕にはわからなかったのだ。
 水の濁りのようなそれは、徐々に確かな輪郭を結び始めた。僕の目がより見えるようになっていったせいなのか、それとも水に浮かぶ映像がその鮮度を増していったせいなのかはわからない。どちらでもよかった。このまま行けば遠からず見えるようになることは分かりきっていたし、時間だけは腐るほどあった。
 映像が鮮明さを完全に手に入れた後、徐々に音声が聞こえてくるようになった。記録映像が元々の形を取り戻していくようにも見えた。
 ここにきて僕はようやくその映像について、いくつかの思索をめぐらせ始めた。
 まずこの映像は、僕が生活している学園の様子を映したものであること。
 そして、視点は僕のクラスメートである直枝のものであること。
 なぜ直枝なのか。この映像が死の間際に見るという走馬灯のようなものだとしたら、視点は僕のものであるはずなのに。誰とも話したことなどない僕は、当然のように直枝とも話したことなどない。彼に対する思い入れなど皆無だ。彼について知っていることと言えば、学園の有名人達と親交があるらしいということ。持病か何かのせいで、授業中に眠っていても先生に見逃してもらっていること。そのくらいだ。
 その映像が何なのかがわかってしまった途端に、好奇心にも似た映像への興味は薄れてしまった。もう見るのをやめてしまって、大人しく寝転がって終わりを待っていようかとも思った。だが、ここはあまりにも何も無さすぎた。不思議な光の粒が舞い踊る水面以外は全く、全く何も無いのだ。見るか死ぬかではなく、見るしかなかった。それしかないものから目を逸らすことなど、僕には出来なかった。
 直枝が送る学校生活は、一言で言えば騒々しかった。直枝自体はそこまで騒ぐ方ではないくせに、彼は常に喧噪の渦中にいた。喧騒に巻き込まれることも、それによって迷惑を被る事さえよしとする直枝の姿勢に首肯し難いものを感じた。
 自分ならば、距離を取る。距離を取って、冷静さを武器に半径何メートルかを俯瞰する。そして、自分にとって最もいいと思える空間を選択する。そこに他人は必要ない。自分さえいればいい。自分以外のものがいれば、それはいつか必ず傷を作る原因になるからだ。寂しさなど、耐えればよかった。だけど、傷を作ることだけはどうしても認めることは出来なかった。
 直枝は僕と似ている、と思った。しかし、彼の取る行動と僕が思う最善はいつも正反対だった。



 映像は続いていた。
 ある一定の場面まで進むと時間が巻き戻されるのか、何度も同じような場面を見る羽目になっていた。繰り返されるリピートの度に、どこかに変化が起こっていた。
 直枝は何回かに一回、傍にいる誰かと親密になった。同じクラスにいる神北さんや、西園さん、来ヶ谷さん。よく教室に遊びに来る三枝さん。誰かと仲良くなるたびに水面を走る光の粒が消えていった。もしかしたらカウントダウンなのかもしれなかった。
 直枝は一度だけ、棗さんを連れて学校の外へ出た。直枝と棗さんだけではどうすることも出来ないのはわかりきっていた。ままごとのような逃避行。辿り着いた一軒の薄汚れた家で二人の逃避行は終わりを告げた。幼さを露呈しただけの旅だった。
 それから、映像はどこかおかしくなった。あれほど仲の良かった彼らの間にはぎすぎすとした空気が流れていた。この世界がCDだとしたら、直枝と棗さんの逃避行はその表面に傷をつけた針だった。
 ほら、傷ついた。
 どこかから鉄のような匂いが運ばれてきた。風は肌には感じられない。淀みきった空気の隙間に滲んだように紛れ込んだそれは、どこか懐かしい匂いだった。ざり、ざり、と這いずるような音もしている。僕は慌てて振り返るが、そこには何もなかった。
 直枝は、崩れていく仲間達との関係を繋ぎとめようと、必死で奔走していた。狂ってしまった井ノ原を倒し、宮沢と闘い、闇の中で一人膝を抱えていた棗先輩を立ち直らせた。
 光の粒は一つ、また一つと消えていった。映像はどんどん薄れて、夕焼けのイメージを残して消えてしまった。代わりに、血の匂いが、焼け付くような熱が、何かが弾けるような音が、押し迫ってきていた。

 虚無の世界は侵食され、やがて鮮やかな色が戻って来た。

 耳元でパチパチと誰かの持って来た荷物が焼け落ちる音がしていた。顔を上げようとして首に激痛が走った。身体中が痛かった。身体を構成する一つ一つのパーツの中に、無事な部分は何一つなかった。瞳だけ動かして見ると、右腕と右の足首ががありえない方向に捻じ曲がっていた。辺りにはバスの残骸らしき鉄の破片が散乱していた。林の隙間から見える空は煙にまかれてどす黒い灰色に染まっていた。 声を出そうとしたら、喉が焼け付いた。周りでは、僕と同じようにバスに乗っていたクラスメイトのうめき声が聞こえてくる。
 僕には、何も出来ない。何も。
 誰か、助けて、と。
 声にならない声で叫んだ。
 何も望みません。何も要りません。ただ生きていたいんです。一人きりでもいいんです。地獄のような世界で構わないんです。死にたくない、死にたくないんです。誰か、助けて。誰か、ねぇ誰か、ねぇ、ねぇ、ねぇ――

「鈴っ! こっち!」

 誰かの声がした。人の声、傷ついていない、誰かの声。耳慣れた、彼の声。
 誰かが駆け寄ってくる。もう意識が保てない。ゆっくりと深い海に沈んでいく。棗さんの声、直枝の声。君達もあの夢を見たの? 答えはない。
 ブラックアウト。






 僕は教室の窓際の席に座り、窓から吹く風を感じている。真っ白いカーテンは風に舞い上がり、ぱたぱたと大きな音を立ててはためいている。校庭の向こうへと、駆けて行く彼らの姿がある。僕はただそれを眺めている。
 僕も含め、事故に遭ったバスに乗っていた人間は全て直枝と棗さんによって助けられた。あれほどの事故に遭いながらほぼ無傷だった彼ら二人は、事故の残骸から使えるものを有効に使い、極めて迅速に、そして的確に救助活動を行った。負傷者は多数いたものの、命に関わる怪我をした者はなかった。消防署の人が来て、全校生徒の集会で二人に表彰状を渡していた。壇上でコメントを求められて、真っ赤になって照れる二人がいた。
 あの二人がいなければ、僕はもうこの世にはいなかったのだ。
 今でも、あの何もない世界で眺め続けた映像を思い出すことがある。僕たちを救った英雄の日常と成長を映した記録映画のような、あの映像。今でも鮮明に思い出せる。
 直枝とその周りの連中は、今もあの映像と同じように、楽しく毎日を過ごしているようだ。井ノ原と宮沢は相変わらず喧嘩するほど仲が良いようだし、三枝さんは事あるごとにこの教室に来る。能美さんは相変わらず皆のマスコット的存在だし、神北さんはいつもにこにこと笑っている。来ヶ谷さんは数学の時間になるといつもサボるし、西園さんは日傘を置き、たまに体育に出るようになった。棗さんは相変わらず猫と仲が良く、直枝はいつも彼女の世話に追われている。
 あの水面でずっと、彼らのことを見てきた。
 でも、僕は彼らの日常の外側にいて、ただそれを羨ましそうに眺めるだけだ。

 生きていけるだけで、もう何も要らない。あの日、直枝に助けられる直前に思ったことは、今もずっと忘れない。何も要らない。望まない。その気持ちは今でも変わらない。

 だけど、僕は、僕だけが、どうして一人なんだろう。

 校庭の向こうから、キィンと乾いた金属音がする。
 僕は窓際の席で今日も一人、かさかさと渇いていく。


[No.325] 2008/06/06(Fri) 03:00:43
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[No.326] 2008/06/06(Fri) 03:21:37
もしも代われるのなら (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@ごめんなさいごめんなさい(ry

 鈴からパンツをもらった。





     もしも代われるのなら





 ……そんな風に言うと何だか物凄い誤解されそうな気がするけど、事実なんだからしょうがない。ただし、彼女自身がその場で脱いで手渡してきたわけではなく、戦利品という名目で僕は受け取った。いつも通り、夜の女子寮で戦ったらしい笹瀬川さんから剥ぎ取った、この下着を。
 今まで数度にわたり鈴と笹瀬川さんは拳を、あるいは足を交えてきた。それはメンバー探しの名目がなくなった以降も変わらず、最近じゃ昼夜問わず向こうの廊下ですれ違う度に争っては、大抵鈴が勝利してふらっと僕(と真人)の部屋に現れる。そうして言葉少なに笹瀬川さんの所有物だった何か――例えばリップクリームやら靴下やら体操着やら食べかけのお菓子やら使い古したジャージやらを、ポケットに入れたり小脇に抱えたりしてわざわざ僕のところまで持ってくるのだ。
 たまたま当人の懐にあったのならまだしも、どうやって、どうして体操着や食べかけのお菓子を入手してこられるのかはわからない。強奪してるのかもしれないし、もしかしたら交渉の結果得ている可能性もないとは言えないけれど、とりあえずはそういうものなんだ、と思うしかないんだろう。
 とにかく、僕の目の前には笹瀬川さんの下着が無造作に置かれている。綺麗に畳まれてはおらず、捩れて皺が窺える辺り、本当に穿いてたものを取ってきたようだった。

「……じゃあ、今笹瀬川さんは」

 ノーパン。その一語が頭に浮かんできて、心臓が跳ね上がる。
 これ以上ないほど頬を紅潮させ、羞恥に耐えながら必死にスカートの様子を気にして歩く想像の中の彼女は、日頃のお嬢様めいた言動や容姿も相まって、実に可愛らしく思えた。すぐにでもベッドに飛び込みたい気分になるも、ここは抑える。現在真人が謙吾と一緒に、匍匐前進で男子寮一周のトレーニングを敢行中だ。いつ帰ってくるかわからないのに、危ない橋は渡れない。万が一現場を目撃されたら、激しく気まずい状態になってしまう。
 というか、そもそもこの状況が既にアウトなことに気付いた。床に女物の下着を置いて眺める男子生徒一名。もし僕がそんな人間を見かけたら、あらゆる言い訳を封殺して変態扱いする。間違いない。
 急にありもしない誰かの視線を感じ、隠さなきゃ、と半ば強迫観念に近い思いで僕は笹瀬川さんのパンツを掴んだ。しかしそこで、予想外の感覚に戸惑う。……まだ、生温かい。外気に晒されていたはずの生地はほんのりと人肌の熱を残していて、これが脱ぎたてだという事実を改めて知る。
 一瞬捨ててしまおうかと考え、即座に脳内で否定した。部屋のゴミ箱じゃ発見される可能性がある。それに、後で「やっぱり返してくれ」と言われるようなことになったら大変だ。弁償するってわけにもいかないし。

「うん、一応捨てずに持ってた方が、いいよね」

 自分を誤魔化してると理解しつつも、握りしめたパンツは手放せなかった。
 時計に目をやる。真人達が外に飛び出してから十分ほど、あの二人と言えど、匍匐前進じゃまだまだ戻ってくるまで時間が掛かるはず。それでも危険の種は摘んでおくに限る、と判断し、まず僕はドアと窓を念入りに施錠した。開いてなければおもむろに誰かが入ってくることもない。頑張ってるだろう二人には悪いけど、カーテンも閉めさせてもらう。こうして僕の姿が人目に触れないような状況を作り上げた。
 ごくり、と生唾を飲む音。鼓動は喉元に響く激しさで、動悸のせいかやけに息苦しい。

「…………」

 手のひらでくしゃりと縮んだ下着の端を両の指で左右に引き伸ばし、しげしげと眺める。アダルティと表現するに相応しい、黒を基調としたレースの下着。肌に直接当たるものだからか、触り心地は思ったよりも滑らかだった。自らの好奇心に従い、クロッチの方にも指を絡めてみると、柔らかな感触が伝わってきて、僕を陶酔させた。
 凄まじい背徳感が身を震わせる。いけないことだと理解していながら、明らかに自身が興奮し高揚しているのがわかった。無意味に研ぎ澄まされた神経が触覚のみならず聴覚も鋭敏にし、扉一枚隔てた向こうの廊下を横切る生徒の足音、床の軋みさえも聞き取ってくれる。今なら、来客がノックをする前に反応できる気がした。
 周囲に意識をめぐらせ、恐る恐る拡げた下着に顔を近付ける。際限なく膨らむ欲望が理性を凌駕して僕の身体を動かし始めた。踏み込んではいけない領域に歩を進めている自覚はあっても、それで立ち止まれるかと言えば、否だ。人は容易く本能に屈する。そして大半の者がそうであるように、僕もまた己が内の獣に打ち克つ強靭な心を持っていない。
 もう戻れない、と頭の中で何かが囁いた。僕であり僕でない、得体の知れない何かが。

「ん、ふ」

 鼻先に触れるところまで来ると、洗いたての布には決してない汗の匂いを感じた。自分のそれは不快に思うのに、不思議と嫌ではない。本来股間を隠す、最も広い面積を持つ部分からは、仄かに甘酸っぱい香りが漂ってくる。錯覚かもしれない。でも、その瞬間思考にノイズが走り、脳が蕩けかけたのも確かだった。ベルトで固く締めたズボンの下がびくんと疼く。唇からこぼれた吐息にねっとりした熱が混じる。

「はぁ……っ」

 荒くなった呼吸を一旦鎮め、パンツと距離を置いた。僕はこんなに乱れてるのに、当然ながら下着には何の変化もない。無機物に対して欲情する虚しさを覚えもするけど、それなら妄想の中で他人を弄ぶのも同じことだ――と簡単な自己弁護を済ませ、緊張と興奮で浮いた額の汗を拭った。外に物音はなく、まだしばらくは心配する必要もないと思う。

「……よし」

 意を決し、再び頭を沈めた。今度はより深く、顔全体に下着が密着する形で。
 黒い生地に舌を這わせる。滲んだ唾液がじわりと染み込み、離れて見ればまるでおもらしでもしたかのような濡れ跡が残った。無味であるはずの股布は、僅かに含まれた笹瀬川さんの、女の子の匂いと相まって、直に僕の本能を揺さぶる味がした。……くらくらする。心臓がそれこそ破裂してしまうんじゃないかってくらいに働いている。
 夢中になって貪り続け、犬めいた鼻息を漏らして、僕は自分が一匹の浅ましい獣へ変じたようにも思えた。餌を前に、恥も外聞もなく涎を垂らして飛び掛かる畜生。なるほど、お似合いかもしれなかった。
 いっそ、堕ちるだけ堕ちればいい。どうせ誰も見ていないんだから。
 人目がないのをいいことに、大胆な手を試みる。ぴんと真横に広げたパンツを頭の上に掲げ、ゆっくり下ろしていく。それが視界を覆うのと同時、笹瀬川さんがこの下着を穿いていた、という事実を反芻し、どこに何が触れていたか、全てを想像し脳内で線を結んだ。細くくびれつつも肉付きの良いお腹から腰周りを軽く締めつける、上部のライン。かなりの運動能力を求められるソフトボール部の部長に相応しい、いつもはスカートに隠されている、柔らかくむっちりとした太腿が通る脚口。そして、未だ誰の侵入も許していないだろう花弁とお尻を優しく包む股間部と臀部。瞼の裏に浮かぶ笹瀬川さんの肌は薄く赤みが差し、言葉や表情によらない色香を放っていて――。

「んっ、あ、ぅ」

 下半身の昂りが限界近くまで来ていた。
 ほんの少し名残惜しさを覚えて下着を遠ざけると、見慣れた部屋が目に入る。時計の針が示す時間の経過は、たった五分。それだけしか経っていないことに驚きながら、焦れる気持ちを噛み殺してベッドに飛び込む。
 一秒でも早くとベルトに手を掛けるけれど、こういう時に限って上手く外れない。小さな金属音を響かせ、やっとのことでズボンから抜き取る。圧迫感が弱まり、押さえ付けられる苦しさも微妙に緩まった。
 後は留め具とチャックだ。でも、パンツを握りっぱなしでいるわけにもいかず、とりあえず枕の上に置こうとし、

 ……ふと、違和感が脳裏を過った。

 何だろう、大事なものを見逃しているような、そんなもどかしい感じ。
 さっきまであれほど猛っていた衝動はゆっくりと鳴りを潜め、あまりにも中途半端なところで萎えてしまったせいか、行き場を失った狂熱が身体の芯でぐらぐらと煮立っている。募る苛立ちの出所がどこなのか考え、特別意識せず手放した下着に目をやって――僕はようやく気付いた。気付いてしまった。
 鈴の言葉を鵜呑みにするならば、投げ捨てられたように転がったパンツは、彼女が持ってくる直前に笹瀬川さんが穿いていたものだ。微かな人肌のぬくもりの残滓、甘美な香り、刻まれた皺、全てがそれを裏付ける有力な証拠になっている。一度も足を通していない新品でも、薄汚れるほどに使い込んだ古着でもない。おそらく脱いで、もしくは脱がされてから今に至るまでは、一時間も経っていないはずだ。
 だからこそ。それが生々しい想像を可能にする要素を秘めていたからこそ。
 僕は、あろうことか、下着に嫉妬した。叶うのなら代わりたかった。物言わぬ布切れになってでもあの白磁の肌の艶を、太腿の感触を、お尻の柔らかさを、美しい花弁を、余すことなく堪能したかった。
 理不尽な感情だというのは、勿論理解している。無機物を妬むなんて正直かなり末期だとも思う。
 だけど、どうしようもなく羨ましい。当然とばかりに笹瀬川さんの下腹部を包み味わえる立場にあるのが憎い。手を伸ばせばすぐ届くほど近くに艶やかな花が存在してるにもかかわらず、愛でることさえしないその余裕が、傲慢さが腹立たしい。

「……ああ、そうか。そうだったんだ」

 笹瀬川さんと共にあった、一番そばにいるのを許されていた下着を見つめ、遅まきながらに知る。
 ――そんなものにも嫉妬心を覚えるくらい、僕は笹瀬川さんが好きだってことに。
 今ならわかる。みっともない独占欲を抱いてパンツに八つ当たりしても、何かが変わるわけじゃない。熱い猛りを代替物にぶつけるなんて以ての外。胸の奥底で吐き出されるのを待っている激情は、愛する人に向けるべきなんだ。
 転がるようにベッドから降り、解いたベルトも置きっぱなしの下着をさっと枕の下に隠して、僕は部屋から飛び出した。陽が落ちて大分経つし、鈴が笹瀬川さんと戦ったのは女子寮の廊下だろうから、もう自室に戻ってしまってるだろう。でも、関係ない。いざとなったらUBラインを越えればいい。迷う必要はなかった。
 最初から全速力で寮の廊下を駆け抜け、肩が当たった同級生に謝罪の言葉を告げつつも、歩は止めずに玄関で靴を履き替える。男子寮と女子寮は隣り合っていて、走れば三分も掛からない。窓を通して外に漏れる照明の光のおかげで、夜闇の深さを気にすることもなく、見張りの女子生徒が立つ入口に辿り着く。疲労以外のもので息を切らした僕の様子に、こちらを認めた子は驚きの表情を見せたけど、笹瀬川さんの名前を告げるとすんなり呼び出しに応じてくれた。
 僅かな待ち時間も勿体無く感じて、口の中で小さく歯噛みする。いっそ寮内に踏み込んで部屋の位置を訊ねようか、と考え始めた頃、左右に縛った長髪を靡かせ、優雅な立ち居振る舞いで現れた笹瀬川さんを前に、僕は一瞬言葉を失った。取り巻きが付くのもわかる。普段鈴に突っかかる姿しか見ないけれど、本来の彼女は気品に溢れ、ただ立っているだけでも美しい。鬱陶しげに軽く髪を払う仕草も、嫌味なく似合っていた。
 困惑の色を含んだ表情で僕に視線を向けた笹瀬川さんは、珍しいですわね、と前置きして、

「それで、何の用ですの?」
「話があるんだ」
「ここではできないような?」
「うん」

 対する僕は努めて冷静に答え、思案する彼女の手をおもむろに掴んだ。反射的に振り解こうとする動きをどうにか抑え、握り潰さない程度の力を込めたまま引っ張って玄関前から離れる。背後で抗議と糾弾の声が上がるのも気にせず、人気のない場所まで走って足を止めた。
 振り返れば、少し呼吸のリズムを乱した笹瀬川さんが鋭い瞳で僕を睨んでいる。常人なら萎縮してしまいそうな目で見つめられ、逆に胸が高鳴った。幸いと言うべきか、寝間着に着替えてはおらず(もしかしたら着替え直したのかもしれない)、腰下を包んでいるのは制服のスカートだ。それを確認し、逸る気持ちをぐっと飲み込んで、問う。

「その前にひとつ質問してもいいかな」
「……内容によりますわね。というか、いきなりこんなところまで連れてきて、あまつさえ、わ、わたくしの手を握るなんてどういうつもりですの? 返答によっては、ただじゃおきませんわよ」
「いや、どうしても伝えたいことがあって……なるべく冷静でいようと思ったんだけど、話してたら我慢できなくなったんだ」
「随分真剣な目で言うんですのね」
「嘘じゃないから。証明できないのは歯痒いけどさ」
「はぁ……わかりましたわ。とりあえずは信じましょう。それで、質問というのは?」
「笹瀬川さん、今パンツ穿いてる?」
「――は?」

 自分の耳の機能を疑ったらしく、首を傾げる笹瀬川さん。けど残念ながら聞き間違いじゃないし、僕は茶化して言ってるわけでもない。セクハラしてるつもりもない。至極真面目に、訊ねてる。

「今日の夜、鈴とバトルしたよね。その後に戦利品だってパンツを渡されたんだよ。だから、穿いてたのを無理矢理剥ぎ取られたんじゃないかなって」
「そんな心配なら無用ですわ。ちゃんと穿いてます……っていったい何を言わせるんですの!?」
「いや、別に僕が言わせたんじゃないと思うよ……」
「む……では、あなたはそれを返しに来たんですわね。返されても困りますけど」
「ううん。むしろ、パンツを穿かないでいてほしいってお願いしに来たんだ」
「――は?」

 一言一句変わらぬ声色で再度口を半開きにした彼女ににじり寄った。
 びっくりするのも、現実を疑うのも理解できる。僕だって正気の沙汰じゃないと自覚してる。
 しかしこれは、偽らざる僕の想いだった。

「僕は、笹瀬川さんが好きだ」
「な、直枝さん……?」

 じり、と彼女が一歩下がる。距離を狭める毎に遠ざかっていくも、やがて広場に生える木の幹まで追い詰めたことで、後ろには退けなくなった。膝の力が抜けたのか、腰から上が地面に近付き、自然僕が笹瀬川さんを見下ろす格好になる。

「鈴から受け取ったパンツ相手に、情けない話だけど僕は嫉妬した。何故かあんな布きれ一枚に笹瀬川さんが守られて、しかも安心してるだろうことが、すごく我慢ならなかった」
「安心するのが普通なのでは、」
「もしも代われるのなら、って思ったよ。不可能なのはわかってる。いくらパンツになろうと頑張っても、僕は僕以外のものに決してなれない。でも、それでも、僕は笹瀬川さんの下着になりたい。いつでもそばにいて触れ合える、そういう存在になりたい。……ねえ、笹瀬川さんは、僕のことが嫌い?」
「な……そっ、そんな質問を今されても……っ」
「嫌いじゃないっていうのなら、諦めないよ。別にすぐ答えを出さなくてもいい。何度だってこの気持ちをぶつけてみせる。僕が笹瀬川さんのことを好きなのは本当だから――いつか、謙吾より、パンツより、僕を選んでくれるように頑張るね」
「………………」

 ついに会話も満足に行えなくなった笹瀬川さんが尻餅を付くのと同時、その手を掴んでくいっと持ち上げる。
 彼女はしばし呆然と繋がれたそこを眺め、一拍遅れて顔を真っ赤に染めた。
 ただ、今回は振り解かれない。こっちが力を入れてないのもあるだろうけど、許して、もらえてる。

「ごめん。怖がらせちゃったかな」
「……正直に言えば、大声で叫ぼうかと思いましたわ。人の話も聞きませんし、勝手に自己完結はしますし」
「ほんとにごめんね。よかったら寮まで送ってこうか?」
「そこまで世話を焼かれる謂われはありませんわよ。一人で戻ります」
「そっか。じゃあ、また。鈴には明日それとなく釘を刺しとくよ」
「……全く、変なところだけまともなんですのね。怒るに怒れませんわ。では、おやすみなさいませ」

 去り際、苦笑して笹瀬川さんはそう告げると、後は振り返らずに歩いていった。
 僕の方は細い背中が見えなくなるまでその場から動かず、肺に溜まった息をゆっくりと吐く。
 色々伝え切ったことで、こころなしか胸の内が軽くなった気がした。

「うん、明日もアタックしてみよう」

 吹っ切れた、というのが一番近いかもしれない。結局鈴とパンツに振り回されたとも言えるけど、この想いに気付かせてくれたと考えてみれば、あれほど憎かったパンツにも少しは感謝できるものだ。
 きっと、何もかも上手く行く。根拠もなく、そんな予感を抱いた。



 それからしばらくして、僕と笹瀬川さんが付き合い始め、一緒にいる時はパンツを穿かずにいてくれる代わり、どんなことがあっても僕がそのスカートの下をあらゆる障害から守ってみせると約束したのは、また別の話――。


[No.327] 2008/06/06(Fri) 03:50:00
Re: 第11回リトバス草SS大会(仮別にたいしたことでもない、ただの日常について。 (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@はっちゃけてません。



 僕は、たいそうなものにたいした感情を抱いてしまったんだなぁ、と。
 そんなことを思った。
 
 
   別にたいしたことでもない、ただの日常について。
 
 
「理樹、おはよう」
「ふぁ…。ああ、鈴。おはよう」
 朝。
 いつもどおりの日常が始まった。
「朝ごはんは…」
「あたしが作っておいた」
「ありがとう、鈴」
 本当にいつもどおりで、それは、僕にとっての幸福なのだろうか、そんな疑問が浮かんだ。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
 そんなことは関係なく、僕はただ生きてゆかなければならないのだと思うけれど。
 
 
 
『…で、あるからして…』
 昼。
 大学で、いつもどおり、つまらない講義。
 僕はどんな大学に行っているかといえば、そこそこに良い大学なんだろうとは思うが。
 大学にいっておけばとりあえずは何とかなるだろう。
 …そんな考えで来たものだから、なかなかに真剣になれない。
「……」
 ああ、つまらない。
 つまらない日常だ。
『…では、これで終了…』
 いつもどおり、つまらない。
 そんな講義も終わったらしい。
 僕は、席を立った。
 
 
 
「ただいま」
「ん、理樹か。おかえり」
 夜。
 僕はいつもどおり家に帰った。
「夜は僕が作るね」
「ああ、たのんだ」
 鈴に任せてもいいのだが、朝食も鈴に作ってもらっているので、そこまで任せるのはひどいだろうと思う。
 朝食だって、パンを焼いただけなので、きっと料理は苦手なのだろうし。
「理樹」
「なに?」
「つまらん」
 その言葉だけで、今の日常が表現できてしまう。
 そんな毎日。
 
 
 
 ああ、つまらない。
 つまらなすぎて、つかれた。
「はぁ…」
 そういえば、そうだ。
 昔はこんなことはなかった。
 昔は、毎日が楽しくて、めまぐるしく過ぎていって。
 あれが、日常だったのに。
「……」
 彼らと出会ってから、ずっと。
 終わるはずがないと信じていた、そんな楽しかった毎日があった。
 でも、今はもうない。
 もう、目の前から消えてしまった。
 その事実だけが、悲しいという色を、つまらないいつもどおりの日常に、与えた。
 
 
 
「理樹、起きろ」
「…ん…?もう朝…?」
「遅刻する」
「…そう…。…って、もうそんな時間?!」
 朝。
 僕は飛び起きた。
「ご飯食べてくか?」
「いや、今日はいいよっ。ありがとね、鈴」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 そうしてまた、つまらない一日が始まった。
 多少の起伏はあれど、平坦な道であることに変わりはないのだ。
 
 
 
「はぁ…」
 昼。
 今は昼ごはんの時間。
 食べ物を、口へと運ぶ。
 出てくるのは、ため息。
「……」
 どうしてこんなに疲れているのだろう。
 …それは、生きがいがないから。
 …ただ、生きていくだけの日常に、疲れたから。
 僕は、前の世界のことを思った。
 あれは、虚構の世界。
 夢の中だけにある、まやかしの世界。
 でも、とても楽しかった世界。
 ああ、そこに戻ることが出来たら良いのに。
 この気持ちはなんだろう。
 それは、このつまらない世界の、まやかしの世界への、嫉妬。
 そして、そんな世界で生きゆく僕の、あの世界を作り出していた人への、嫉妬。
 
 
 
「ねぇ、鈴。楽しい?」
「そんなわけないだろ。つまらん」
 夜。
「いつもどおりに?」
「ああ、いつもどおりつまらん」
「そう…」
「どうしたんだ?理樹。なんかおかしくなったのか?」
「いや…」
 いっそ、おかしくなれたら良いのかもね。
 そんな言葉が浮かんできた。
 そうだ。
 こんな世界でも、楽しく感じられるくらいに、おかしくなれたらいい。
 でも、僕には度胸がない。
 この、安定した世界から離れる、勇気がない。
 そんなことは、到底出来ない。
「返事しろ」
「…ああ、ごめん」
 ただ思っただけで、この世界が変われば良いのに。
 
 
 
 この世界は、僕には永遠に近かった。
 いつまでも続いて。
 ずっと、抜け出せない。
 ただ、前へと進むだけの。
 いや、進んですらいないのかもしれない。
 ずっと、そこでとどまり続ける、永遠。
 そこから抜け出すためには、やはり。
 
 
 
「理樹」
「ん…?ああ、おはよう」
「今日は遅刻しないぞ」
「昨日も間に合ったよ」
 朝。
 また、いつもどおりの一日が始まる。
 
 
 
「はぁ…」
 昼。
「……」
 僕は、よくこんなにため息をついていられるな、と、他人事のように思った。
 実際他人事なのかもしれない。
 もう、自分の人生に何の関心もないのだから。
 僕は、鈴を守って、約束を守っていければ、それで良い。
 すべて、今の状態が続けば良い。
 それが自分の願望なのか、人生なのか、未来なのか。
 それとも、言われたからなのか。
 ただ、それだけ…?
 なんにしろ、自分の人生には空白しかないなと、思う。
 
 
 
「おかえり」
「ただいま」
 夜。
 また、同じように食事を取って、寝る。
 どうして、こんなにもつまらない一日なんだろう。
 そうして考えるのは、前の世界のことしかなくて。
「……」
 楽しかった。
 そんなことばかりが、鮮明に焼きついている。
 今すぐにでも、その中に戻れそうなくらいに。
 つらいこともあった。
 でも、それを乗り越えてゆけた。
 そして、その先には楽しいことが待ってると思っていた。
 待っていると、思ったのに。
 …何もなくなってしまった。
 何もかも。全部。全て。
 その世界には、空白しかない。
 そして、前の世界への、羨望しかない。
 いやだ。
 いやなんだ。
 こんな、毎日が。
 これまでのように。
 あの、すばらしい世界のように。
 すばらしい毎日がなければ―――
 
「だめなんだ」
 
 瞬間、僕は立ち上がっていた。
 どうして?
 どうしてだろう。
 ただ、僕は今の日常を変えたいと思った。
 そういうことだと思う。
「理樹…?」
「鈴も、つまらないんだよね」
「理樹っ?!どうしたんだっ?」
「鈴も、この毎日が、つまらないと思ったんだよね」
 僕は、目の前にいる鈴に話しかける。
 そうだ。
 今の日常がつまらないのなら、楽しくすればいい。
 そして、同じように感じている、鈴と一緒に。
「理樹、くちゃくちゃだぞ?!くちゃくちゃこわいぞっ!!」
「ねえ、鈴。どんな世界がよかった?」
 どんな世界に行きたいのだろう。
 僕は、そして鈴は。
 …僕は、楽しかった世界に生きたい。
「理樹っ!話を聞けっ!」
 鈴と一緒なら、きっとどこへでも行ける。
 そうして、それなら約束も守れる。
 ずっと、鈴を守ってゆける。
 そうだ。鈴と一緒に、この世界から、この永遠から抜け出そう。
「理樹!」
「きっと、楽しいよね」
 きっと、次の世界は楽しいよね。
 こんな、つまらない世界じゃないよね。
 つまらないだけの、永遠なんかじゃないよね。
 昔のように、楽しく過ごせるんだよね。
「鈴」
「りき―――」
 そうして。
 僕の目の前は、瞬間、真っ赤に染まった。
 顔が熱い。
 そして、同時に僕の体も熱くなる。痛くなる。
 焼けるように。
 僕の、この世界での最後の記憶は…
 次の世界への、望み。
 そして、前の世界への、嫉妬。


[No.328] 2008/06/06(Fri) 14:58:43
別にたいしたことでもない、ただの日常について。 (No.328への返信 / 2階層) - 題名入れ間違えました。






 僕は、たいそうなものにたいした感情を抱いてしまったんだなぁ、と。
 そんなことを思った。
 
 
   別にたいしたことでもない、ただの日常について。
 
 
「理樹、おはよう」
「ふぁ…。ああ、鈴。おはよう」
 朝。
 いつもどおりの日常が始まった。
「朝ごはんは…」
「あたしが作っておいた」
「ありがとう、鈴」
 本当にいつもどおりで、それは、僕にとっての幸福なのだろうか、そんな疑問が浮かんだ。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
 そんなことは関係なく、僕はただ生きてゆかなければならないのだと思うけれど。
 
 
 
『…で、あるからして…』
 昼。
 大学で、いつもどおり、つまらない講義。
 僕はどんな大学に行っているかといえば、そこそこに良い大学なんだろうとは思うが。
 大学にいっておけばとりあえずは何とかなるだろう。
 …そんな考えで来たものだから、なかなかに真剣になれない。
「……」
 ああ、つまらない。
 つまらない日常だ。
『…では、これで終了…』
 いつもどおり、つまらない。
 そんな講義も終わったらしい。
 僕は、席を立った。
 
 
 
「ただいま」
「ん、理樹か。おかえり」
 夜。
 僕はいつもどおり家に帰った。
「夜は僕が作るね」
「ああ、たのんだ」
 鈴に任せてもいいのだが、朝食も鈴に作ってもらっているので、そこまで任せるのはひどいだろうと思う。
 朝食だって、パンを焼いただけなので、きっと料理は苦手なのだろうし。
「理樹」
「なに?」
「つまらん」
 その言葉だけで、今の日常が表現できてしまう。
 そんな毎日。
 
 
 
 ああ、つまらない。
 つまらなすぎて、つかれた。
「はぁ…」
 そういえば、そうだ。
 昔はこんなことはなかった。
 昔は、毎日が楽しくて、めまぐるしく過ぎていって。
 あれが、日常だったのに。
「……」
 彼らと出会ってから、ずっと。
 終わるはずがないと信じていた、そんな楽しかった毎日があった。
 でも、今はもうない。
 もう、目の前から消えてしまった。
 その事実だけが、悲しいという色を、つまらないいつもどおりの日常に、与えた。
 
 
 
「理樹、起きろ」
「…ん…?もう朝…?」
「遅刻する」
「…そう…。…って、もうそんな時間?!」
 朝。
 僕は飛び起きた。
「ご飯食べてくか?」
「いや、今日はいいよっ。ありがとね、鈴」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 そうしてまた、つまらない一日が始まった。
 多少の起伏はあれど、平坦な道であることに変わりはないのだ。
 
 
 
「はぁ…」
 昼。
 今は昼ごはんの時間。
 食べ物を、口へと運ぶ。
 出てくるのは、ため息。
「……」
 どうしてこんなに疲れているのだろう。
 …それは、生きがいがないから。
 …ただ、生きていくだけの日常に、疲れたから。
 僕は、前の世界のことを思った。
 あれは、虚構の世界。
 夢の中だけにある、まやかしの世界。
 でも、とても楽しかった世界。
 ああ、そこに戻ることが出来たら良いのに。
 この気持ちはなんだろう。
 それは、このつまらない世界の、まやかしの世界への、嫉妬。
 そして、そんな世界で生きゆく僕の、あの世界を作り出していた人への、嫉妬。
 
 
 
「ねぇ、鈴。楽しい?」
「そんなわけないだろ。つまらん」
 夜。
「いつもどおりに?」
「ああ、いつもどおりつまらん」
「そう…」
「どうしたんだ?理樹。なんかおかしくなったのか?」
「いや…」
 いっそ、おかしくなれたら良いのかもね。
 そんな言葉が浮かんできた。
 そうだ。
 こんな世界でも、楽しく感じられるくらいに、おかしくなれたらいい。
 でも、僕には度胸がない。
 この、安定した世界から離れる、勇気がない。
 そんなことは、到底出来ない。
「返事しろ」
「…ああ、ごめん」
 ただ思っただけで、この世界が変われば良いのに。
 
 
 
 この世界は、僕には永遠に近かった。
 いつまでも続いて。
 ずっと、抜け出せない。
 ただ、前へと進むだけの。
 いや、進んですらいないのかもしれない。
 ずっと、そこでとどまり続ける、永遠。
 そこから抜け出すためには、やはり。
 
 
 
「理樹」
「ん…?ああ、おはよう」
「今日は遅刻しないぞ」
「昨日も間に合ったよ」
 朝。
 また、いつもどおりの一日が始まる。
 
 
 
「はぁ…」
 昼。
「……」
 僕は、よくこんなにため息をついていられるな、と、他人事のように思った。
 実際他人事なのかもしれない。
 もう、自分の人生に何の関心もないのだから。
 僕は、鈴を守って、約束を守っていければ、それで良い。
 すべて、今の状態が続けば良い。
 それが自分の願望なのか、人生なのか、未来なのか。
 それとも、言われたからなのか。
 ただ、それだけ…?
 なんにしろ、自分の人生には空白しかないなと、思う。
 
 
 
「おかえり」
「ただいま」
 夜。
 また、同じように食事を取って、寝る。
 どうして、こんなにもつまらない一日なんだろう。
 そうして考えるのは、前の世界のことしかなくて。
「……」
 楽しかった。
 そんなことばかりが、鮮明に焼きついている。
 今すぐにでも、その中に戻れそうなくらいに。
 つらいこともあった。
 でも、それを乗り越えてゆけた。
 そして、その先には楽しいことが待ってると思っていた。
 待っていると、思ったのに。
 …何もなくなってしまった。
 何もかも。全部。全て。
 その世界には、空白しかない。
 そして、前の世界への、羨望しかない。
 いやだ。
 いやなんだ。
 こんな、毎日が。
 これまでのように。
 あの、すばらしい世界のように。
 すばらしい毎日がなければ―――
 
「だめなんだ」
 
 瞬間、僕は立ち上がっていた。
 どうして?
 どうしてだろう。
 ただ、僕は今の日常を変えたいと思った。
 そういうことだと思う。
「理樹…?」
「鈴も、つまらないんだよね」
「理樹っ?!どうしたんだっ?」
「鈴も、この毎日が、つまらないと思ったんだよね」
 僕は、目の前にいる鈴に話しかける。
 そうだ。
 今の日常がつまらないのなら、楽しくすればいい。
 そして、同じように感じている、鈴と一緒に。
「理樹、くちゃくちゃだぞ?!くちゃくちゃこわいぞっ!!」
「ねえ、鈴。どんな世界がよかった?」
 どんな世界に行きたいのだろう。
 僕は、そして鈴は。
 …僕は、楽しかった世界に生きたい。
「理樹っ!話を聞けっ!」
 鈴と一緒なら、きっとどこへでも行ける。
 そうして、それなら約束も守れる。
 ずっと、鈴を守ってゆける。
 そうだ。鈴と一緒に、この世界から、この永遠から抜け出そう。
「理樹!」
「きっと、楽しいよね」
 きっと、次の世界は楽しいよね。
 こんな、つまらない世界じゃないよね。
 つまらないだけの、永遠なんかじゃないよね。
 昔のように、楽しく過ごせるんだよね。
「鈴」
「りき―――」
 そうして。
 僕の目の前は、瞬間、真っ赤に染まった。
 顔が熱い。
 そして、同時に僕の体も熱くなる。痛くなる。
 焼けるように。
 僕の、この世界での最後の記憶は…
 次の世界への、望み。
 そして、前の世界への、嫉妬。


[No.329] 2008/06/06(Fri) 15:00:44
パーキング サイクリング (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ

 今日、ウチの娘が大人に近づくための通過儀礼を行うことになる。
 と言えば、何やらいかがわしいものを想像してしまいそうだけど、勿論違う。……でも、いずれは本当にそういうことしちゃうんだろうなぁ。僕と鈴がそうだったように。それが正常で、そのことに対して、拒絶反応が出そうになる僕の方が異常なんだってことは分かってるけど、心に浮かぶ嫌悪感は誤魔化せない。「一緒にお風呂入る?」と聞くと「入るー!」と答えるような娘が、男女の恋愛をすること自体が想像し難い。都市伝説ではないのかと疑った辺りで、自分が相当親馬鹿と化していることに近頃気がついた。まぁ、それはいいさ。遠い未来の話だ。今は捨て置こう。
 昨晩、家族全員でテレビを見てる時に娘の理恵が、ふとこんなことを言ってきた。

「ねぇ、パパぁー。やっぱり、自転車に補助輪ついてるとカッコ悪いのかなぁ?」

 隣に座る理恵が小首をかしげながら、僕を見上げる。僕は玉石のようにキラキラと輝く穢れない瞳を見返しながら、問い返す。

「そんなことないと思うけど……どうして?」
「今日ね。皆で遊びに行ったら、補助輪ついてるのあたしだけだったの。皆から子供っぽいって言われちゃった」

 ソファーに座って足をプラプラさせながら、理恵は唇を尖らせた。しょげているようだった。子供っぽいねぇ……確かに補助輪をつけてるのは子供っぽいだろうけど、それは当たり前な気がした。理恵はまだ子供なのだから。その程度のことで悩んでること自体が子供らしく、また可愛らしい。が、それは大人の見方だ。当人は真剣に悩んでいるのだから、それをそのまま突き付けるのはあまりに思いやりがない。

「それじゃ――」
「よし、じゃあ、今度の休みに補助輪無しで乗れるように練習しよう。あたしが教えてやる」

 番組がCMに入った瞬間、テーブルの向こう側に座っていた鈴が振り向き、言った。

「ホント! やったー。わーい、ママ大好きー!」

 理恵はピョンと飛びあがるように万歳して立ち上がると、タッタとテーブルを迂回し、鈴に体当たり、もとい抱きついた。グリグリと鈴のお腹に自分の頭を擦り付けてる姿は、どことなく自分の匂いをマーキングする猫みたいだった。「うわわ、突然なんだ! びっくりするだろ!」とか最初は驚いたものの、鈴は慈愛に目尻を緩めると髪を梳くように撫で始めた。何て微笑ましい母子のワンシーンだろう。
 ……でもさ、今のは微笑ましい父子のシーンになるはずだったんじゃないのかな、とかちょっと思った。うん、母子じゃなくて父子ね。ここ大事、すごく大事。

「あのさ、鈴。それ、今、僕が言おうとしてたよね?」

 語気から、ちょっとは父親らしいことさせてくれてもいいんじゃないかというニュアンスが伝わっただろう。しかし、鈴はキョトンとした面持ちで切り返す。

「ん? だって、お前、自転車乗れないだろ?」
「ちょっ、乗れるよ。自転車ぐらい!」
「でも、あたしはお前が自転車に乗ってるの見たことがないぞ?」
「いやいやいや、何年の付き合いだと思ってんのさ。鈴が忘れてるだけで、一回ぐらいあるでしょ?」
「いや、ない。小中高、大学と合わせてない。確実にな」

 あんまり自信満々に言うもんだから、自分でも振り返ってみる。……確かに、ない。いや、ないかもしれない。

「でも、乗れるよ、僕? 鈴が知らないだけで」
「嘘だな。小学校の時分、皆で自転車でどっか行く時、お前いつも誰かの後ろに乗せて貰ってたじゃないか」
「うっ……いや、そうだけどさ」

 それにはちゃんと理由がある。僕たちが出会った時、僕は既にナルコレプシーという病にかかっていた。いつ発症して、突然意識を失うとも知れないこの病のせいで、僕は自転車に乗ることができなくなってしまった。単純に危ないから。だから、皆で自転車でどこかに行く時は、恭介や謙吾、真人の自転車に二人乗りする必要があった。しかも、荷を括るゴム紐で結んで固定する必要があったから、恥ずかしかったのを覚えている。中学以降、皆で遠出する時はバスに乗ったり、電車に乗ったりと公共の移動手段を利用するようになったから、そういう経験もなくなったけど。

「理恵はどうだ? 自称、自転車に乗れるパパと確実に自転車に乗れるママ、どっちに教えてもらいたい?」

 ちょっと、何さ。その泥船と大船みたいな例え。そんなこと言ったら……。

「ママがいいなぁー」

 ですよねー。誰だってそーする。僕だってそーする。

「じゃあ、もしパパもホントに乗れるとしたら、理恵はどっちに教えてもらいたい?」
「んー、それでもママかな」

 ……僕はここにいてもいいのだろうか。
 鈴はいつだってそうなんだ。流石に安月給だなんだとあからさまに理恵の前で僕を貶めるようなことはしないけど、別段、立てることもない。気がついたら、貶めてたってことが多い。まぁ、僕も鈴にそんな細やかな配慮は期待してない。共同生活には妥協と我慢が必要なのだということを高校での寮生活、というか、真人の図々しさが教えてくれた。
 嗚呼、それにしても羨ましいなぁ。僕も娘と和気あいあいと戯れたい。こっちは理恵が生娘になる頃には中年オヤジになってて、気持ち悪いだなんだ言われて、洗濯機で一緒に下着を洗わせてくれないかも知れないんだから、今の内に目一杯戯れさせてくれたっていいじゃないか、全く。
 そんな不満があったせいか、その夜、僕は鈴に対してちょっぴり意地悪だった。



 そして、次の日の日曜日。
 戦隊シリーズと仮面ライダー、プリキュアという子供向け番組三連ちゃんを朝ごはんと共に娘と視聴した後、僕たちは補助輪を外したピンクの自転車を持って、近場の駐車場へ向かった。そこは普段、クリニックの来客駐車場として利用されているけど、今日はそのクリニックの休業日なので一台の車もない。あまり広くはないが、子供が自転車の練習をする分には十分だ。

「別に家でゆっくりしてても良かったんだぞ?」

 その一言を「お前邪魔だから家で寝てろ」と解釈するのは邪推が過ぎる所だろう。昨日夫婦の営みを仕事の疲れを理由に中断したから、多分、それを思っての発言だったと信じたい。

「いや、大丈夫だよ。ほとんど見てるだけだろうしね」

 そう言って、僕は車輪止めのコンクリート塊に腰掛けた。
 実の所、ちょっとだけ疲れてた。仕事の疲れは寝たら取れたけど、朝の子供向け番組の後、理恵のプリキュアごっこに付き合った結果だった。勿論、僕が敵役で一方的にやられるだけなんだけど、最近、理恵の攻撃が……特にキックが鈴を彷彿させるような鋭いものになってきて、敵役を演じるのが辛くなってきていた。掛け声こそ「てーい!」というような可愛らしいものなんだけど、その攻撃たるや、全盛期のアーネスト・ホーストの如き鋭い蹴りを膝裏に的確に叩きこんでくるというものだ。「ふんぐっ!」とかなり本気目の苦悶の声が上がってしまったことも一回や二回じゃなかった。娘の成長をこういう形で知るというのは、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、ちょっと反応に困る。
 本当に家で休んでても良かったけど、どうせ、家に居ても無趣味だし、退屈を持て余すに決まってるのでついてきた。別に、僕の知らない所で二人がさらに仲良くなってるかと思うと、悔しかったり、寂しかったりするからじゃない。うん、断じてない。

「よし、じゃあ、いつもみたいに乗ってみろ。最初はあたしが後ろを持っててやる」
「うん、分かった」

 鈴がちゃんと荷台の部分を持ってるのを見た後、理恵は自転車に跨った。その時点でオタオタしてたけど、漕ぎ出すと更にブレが酷くなる。不安に駆られて理恵は下を向いたまま、何度も後ろの鈴に呼びかけていた。

「持ってる!? ママ、ちゃんと持ってる!?」
「持ってる。ちゃんと持ってるぞ」

 と同じやり取りを三回ほどやった後、鈴は手を放し、腕を組んだ。相変わらず、理恵は後ろに呼びかけているが、必死のためかそれに気付かない。二、三メートル進んだ辺りで、臨界を迎えて横倒しになった。ガシャンと派手に自転車が倒れる音と娘の悲鳴がセットで響く。イタタと呻きながら、理恵が身を起こす。

「あれぇ? おかしいなぁ。ねぇ、ママ、ホントにちゃんと持って――」

 振り向いた時の理恵の表情を、僕は一生忘れないような気がする。あれこそ心の底から信頼していた人に裏切られた人間がする表情なのだろう。くりくりと円らな瞳をこれ以上ないくらい理恵は広げていた。自分から離れた場所にいる鈴、その意味する所を察したのだろう。目の端にうるっと涙を浮かべると、理恵は口をへの字に曲げた。

「ママが放したー! 持つって言ったのに放したぁ―!!」
「い、いや、放さないと意味無いだろ。それに最初はってちゃんと言っただろ」
「だったら、放した時に言ってよぉー! 理恵、ずっとママが持ってると思ってたのにぃー!!」
「いや、放したって言ったら、その時点で倒れそうだったし……」
「うっさい言い訳すんなボケー! アホー! 嘘吐きー!」
「お前な! 母親になんて口聞いとるんじゃボケー! それでもあたしの娘か!」
「いやいやいや、口の悪さは間違いなく母親譲りなんじゃない?」
「そういう意味じゃなくて、ガッツの無さを言ってるんだ!」

 ふかー!と何故か僕が威嚇された。しまった。藪蛇だったか。時に自分のツッコミ属性が恨めしい。

「子供と同じレベルで話ができる鈴は凄いよ。けど、時には親として全てを受け入れた上で、導かないとダメなんじゃない?」
「ん? うーむ、なるほどな。そうかもしれん」

 微妙に貶してんだか誉めてんだか分からない発言だったけど、鈴はそれで納得したらしい。鈴は何やら腕を組んで悩んだ後、ポンっと手を打った。

「――理恵、人はこうやって他人を疑うことを覚えていくんだぞ」
「いやいや、そういう導き方はちょっとやめて欲しいんだけど……」

 せめて、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすとか、そういうこと言って欲しかった。

「もういい! ママなんか嫌い! パパに教えてもらうもん!」

 プリプリとふくれっ面で土を払うと、倒れた自転車を起こして、僕の方へやって来る。傍まで来るとスタンドを立てて、僕の腰元に抱きつく。

「何ぃ!? ちょっと失敗しただけで、もう鞍替えか! 色々納得できんぞ!」
「だって、ママ教えるの下手だもん。パパなら、もっと優しく教えてくれるでしょ? ね、パパ?」

 何とも頷きにくい同意を求めてくるなぁ。しかし、理恵の言も一理ある。鈴は性格は不器用ながらも運動系に限っては所謂、天才型で学ぶ気になれば、割と何でもそつなくこなす。そういうセンスのある人間は、逆にできない人間に教えるのが往々にして下手だ。できない、ということが理解できないせいだろう。……まぁ、鈴の場合、理解できても、教えるの下手そうなんだけどね。

「まぁまぁ、鈴もそんな怒らなくったっても。理恵のことなんだから、理恵のしたいようにさせてあげるが一番いいんじゃない?」

 腰元を握り締める理恵の手を包み込みながら、擁護する。それほど大きいわけでもない僕の手でも、十分包み込めるような小さい手だった。若干、庇うように理恵を後ろに隠すようになってしまったのは致し方がない。今の鈴はちょっと理恵には恐いだろうし。

「……おい、理樹。お前、何かやけに嬉しそうだな」
「え、そりゃ娘に好かれて嬉しくない父親なんていないでしょ?」
「いや、そーゆー笑い方じゃないな。何かこう、ざまーみろって感じの嫌な笑い方だ」
「ハハ、そんなことないって。やだなー、変な言い掛かりしないで欲しいよね〜?」
「ね〜?」

 理恵は僕と同じように首を傾げた。ホント可愛いなぁ。地上に舞い降りた天使だよ、この子は。

「何だお前ら! 仲良しなのはいいが、あたしも混ぜろやコラー!」
「キャー! ママ恐ーい!」
「恐い恐ーい! ほら、理恵。アッチで練習しよ、アッチ!」

 ふざけ半分に騒ぎながら、鈴から離れて、再び僕たちは練習を再開した。
 鈴の失敗は初っ端から手を放したことだ。もっと補助輪無しで進むという感覚に慣れてから放せば、理恵の愛を失わずに済んだに違いない。僕は同じ轍を踏まぬよう、駐車場の端から端までを三往復ほど僕が後ろを持ったまま慣れさせた。

「じゃ、そろそろ、一人でやってみようか? 最初は持ってあげるけどね」
「うーん、ホントにあたし一人で大丈夫かなぁ?」
「大丈夫大丈夫、理恵ならすぐに乗れるよ。パパが保障する」
「えー、ホントかなぁ? 不安だなぁ……」

 で、結果どうなったかっていうと。

 ガッシャン!

 また倒れた。

「所詮、人間など信用ならぬ生き物よ……」

 いきなり娘が倒れた姿勢のまま、そんなことをのたまった。多分、アニメの悪役か何かが言ってたセリフだろう。ウチの娘に限って、悪魔がとり付いたとか実は腹黒だとかそんなのありえない。

「まぁ、何だ。くちゃくちゃ無様な結果に終わったが、理樹。お前にしては良く頑張ったとあたしは思う」

 慰められてるはずなのに何か無性に腹が立つ。ぶんなぐっちゃうぞ♪ このあま〜☆ と、ちょっとムカっときたけど、僕はほがらかに微笑み返すことに成功した。



 父と母、両方の信頼を失くし、また上手くいかないことにすっかり不貞腐れてしまった理恵は僕たちから離れた車輪止めに座っていた。さて、どうしたものかと思っていたら、鈴が「お前何か言ってやれ。父親だろ」と背中を押してきた。いやぁ、こういう時に限って、出番を譲ってくれるなんて、僕の奥さんはなんて心優しいんだろ。逆らうと、今日の食事が危ぶまれるので、僕は理恵の傍へ赴いた。
 僕が近づくと、理恵は木の実をくわえたリスのようにほっぺたを膨らませたまま、プイっとあらぬ方へ体ごと向いた。割り込むように理恵と同じ車輪止めに座る。少々狭いが、文句はないので、そのまま語りかける。

「ねぇ、理恵。ちょっと話があるんだけど」
「……」
「人の話を聞く時は、相手の目を見ろって、ママに言われなかった?」
「……」

 我が家のお姫様は、思った以上にご機嫌斜めでいらっしゃいます。不貞腐れても可愛さは全く損なわれていない。ちょっとした悪戯心がむくりと鎌首をもたげる。トントンと指先で理恵の肩を叩く。二度三度と理恵が振り向くまで続けた。根負けした理恵がついに振り向く。

 ポヒュっ

 人差し指が理恵の頬に刺さり、膨らんだ頬から空気が漏れた。

「あはは、引っ掛かった引っ掛かった!」
「……」

 その後、ゴガっと重々しい音が鳴った。理恵のミドルキックが僕の顎を捉えた音だった。あまりの痛さに思わず可愛い奥さんの元に駆け寄る。

「蹴られた。すごく痛かった。ミドルキックって中年のメタボな腹を蹴るから、そう名付けられたんだ。つまり、ダブルミーイングだったんだよ!と哲学的に考えさせられるぐらい痛かった」
「知るか。自業自得だ。もっかい行ってこい」

 ゲシリと尻を蹴られ、突撃を再度命令される。もし、鈴が世の一般的な男性と結婚していたら、その人を尻に轢いたに違いない。幸い、僕は性格が非常にお淑やかなので、尻を蹴られる程度済んでいる。どっちが幸せか言うまでもない。勿論、僕だ。鈴に尻を蹴られることで便秘が解消がされるからだ。んなわけないよ、バーカ。……ごめん、家族に冷たくされて、ちょっとヤサぐれた。これからは強く生きる。もしくは浮気する。
 佳奈多さん、近くに住んでるけどまだ独身だったよねとか思いつつ、僕はもう一度、理恵の元へ赴いた。

「ごめんね、理恵。さっきのはパパが悪かったよ。でも、理恵に伝えたいことがあるんだ。聞いて欲しい」

 言ってから、まるでライブで歌手が次の曲を紹介するようだなと思った。

「理恵もママとキャッチボールしたことあるでしょ?」

 こういう部分でも鈴は父親ポジションを華麗に攫っていく。男の子が生まれたら、譲るというけど、家族旅行でレンタルカー借りた時もナルコレプシーの既往歴を理由に運転席を強奪した鈴が、果たしてホントに守るかどうか怪しい所だ。思い出したら、何かまたちょっと腹立ってきた。やっぱりここは、佳奈多さんとイラブるしかないかもしれない。ちなみにイラブるってのは、イチャイチャラブラブするの略称だ。僕が決めた。今年の直枝家流行語大賞はこれで取る。取れなかったら、もっと強く生きる。もしくは浮気する。

「キャッチボール? うん、あるよ?」
「今じゃ、ママも理恵の所に優しく放り投げるなんて器用な真似ができてるけど、昔は酷かったもんだよ。猿が投げた方がまだ上手く投げるんじゃないのってぐらい下手っぴだったんだ。けれども、何度も練習して少しずつ上手くなっていったんだ」
「ふーん、そーなんだー」

 ハッ、しまった。何やら理恵が鈴を尊敬の眼差しで見ている。下がった僕の株を上げるつもりが、鈴の株を上げてしまった。もう不必要なぐらい高まってんだから、ちょっと父親として落ち目な僕の株が上がってもいいじゃないか。

「ちなみに僕も高校生の頃、恭介……理恵の伯父ちゃんが唐突に始めた野球のメンバー探しを頑張ったんだよ。意味不明な時期に始めたもんだから、全然集まらなくって、結局、僕が足りない人数全員揃えたんだ」
「あ、それ知ってるよ。ママが言ってた。パパは凄いって」
「え、そうなの?」

 ちょっと鈴のことを見直した。

「連れてきた人が全員女の人で、凄い女ったらしだったって」

 見直して損した。印鑑持ってこ〜い。離婚じゃ〜離婚祭りじゃ〜。これからは佳奈多さんとイラブる。もしくは浮気する。あ、意味一緒だった。
 どうしようもなく凹んでいたら、パッパーと車のクラクションが鳴った。顔を上げると駐車場手前の道路で、一台の車が止まっていた。位置的に丁度、僕たちが進行の邪魔をしているとも取れる。今日、クリニックが休みだということ知らないで来た患者さんなのだろうか。わざわざ言いに行くのも面倒だけど、今日の駐車場は理恵の自転車練習のためにある。お引き取り願うべく、腰を上げた。

「あ、そうだ。理恵、座る時は足閉じないとダメだよ。正面からだと、パンツ見えちゃうからね」

 忠告すると慌てて、膝を閉じた。「むーっ」と唸りながら、気付いてたんなら早く言えとばかりに睨まれるけど、別に見てたわけじゃないし、気づいたのはついさっきだ。理恵は可愛らしい少女なので、色々と心配だ。疚しい変態ロリータが今も何所かで虎視眈眈と狙っているかもしれない。
 パワーウインドウが下がり、運転手がそこをひじ掛けにして顔を覗かせる。

「よぉ、お前らこんな所で何やってるんだ?」

 あ、変態ロリータ……じゃなくって、運転手は僕の義理の兄となった棗恭介だった。



 事情を説明すると恭介は「ちょっと待ってな」と一言残して去っていった。再び現れて、駐車場に車を止めると、降りてくる。その手には錆付いた工具箱のようなものが握られていた。

「何だ。理恵の自転車にジェットエンジンでも付けるのか?」
「付ける付けられない云々の前に付ける意味が分からんな。これは理恵が自転車に乗れるようになるための工夫さ」
「恭介伯父ちゃん、何するの?」
「まぁ、任せときなって。伯父ちゃんが理恵を自転車乗れるようにしてやっから」

 いつもの子供っぽい笑みを浮かべながら、理恵の頭をポンポンと叩くと、くすぐったそうに目を細めた。未だ未婚のロリコンめ、人の娘に気安く触るな。理恵の伯父じゃなかったら、その場でドロップキックの刑に処している所だ。
 一体何をするのかと見守っていると、恭介はペダルを外し、サドルを少し下げた。これが恭介の言う所の工夫らしい。

「よし、理恵。ちょっと、これで乗ってみな」
「でも、これペダルないよ? 伯父ちゃん?」
「あぁ、だから、地面を蹴って進むんだ。三輪車に乗ってた時はそんな風に乗ってたじゃないか」
「あたし、そんな子供じゃないもん!」
「ハハ、伯父ちゃんから見たら、理恵なんてまだまだ子供さ。ま、ともあれ、足がすぐに着けられるんだ。恐いことなんて何もないだろ?」

 実際、それで乗ってみると大して怖がってるようには見えなかった。最初は同じようにフラついていたけど、恭介が「もっと強く蹴れ!」と呼びかけると勇気を出して、アスファルトを蹴り、勢いをつけた。すると、何かしらコツを掴んだのか、スイスイと進み始めた。いつものように補助輪がつけたまま走ってるのと相違ない姿だった。

「一番大切なのはスピードが出れば、安定するってことを体験的に理解することさ」

 そう言った恭介はまるで種明かしをするマジシャンのようだった。一往復して帰って来た理恵も何だか興奮気味だった。

「見てた、ねぇ、見てた!? 今、あたし、自転車に乗ってたよ!」
「あぁ、見てた見てた。じゃ、今度は外したペダル戻して乗ってみよう」
「えー、ペダルついたらまた乗れなくなっちゃうよ……」
「大丈夫だ。理恵ならすぐに乗れる。伯父ちゃんが言うんだから間違いない」
「うん、そうだよね!」

 あれー? 僕ん時と似たような会話なのに、何か反応が違うぞー? 騙されちゃいけないぞ、理恵。そいつの正体はただの変態ロリータなんだ。長年、一緒にいる僕が言うんだ。間違いない。

「ふん、調子に乗ってるがまた失敗するに違いない。何故なら恭介だからだ」
「いや、全くそうだね。恭介だもんね」

 いつの間にか、蚊帳の外としてしまった僕と鈴は肩を揃えてそんなことを言っていた。現実を考えれば、成功しそうだなという考えが脳裏を過ぎらないでもないけど、やはり、成功するわけがないと結論する。何故なら、おかしいからだ。理恵の両親である僕たちがカカシのように突っ立っているというのに、その伯父が自転車の練習に付き合い、乗せることに成功するなんてこと――。

「やったー! 見て見てー! 理恵、自転車に乗ってるよー!」

 ひぃぃぃ〜! 何か乗ってるぅぅぅ〜! 思いの他、あっさり成功してるぅぅぅ〜。

「乗れるとは思ってたが、こんなに早く乗れるとはな……。運動神経バツグンじゃないか」

 その運動神経バツグンの娘を指導するのに四苦八苦してた両親は何なんだろう……。自転車の乗り方一つ満足に教えられない親に意味はあるのだろうか……。

「フッ、流石だな、馬鹿兄貴。このあたしが直々に見守ってやったとはいえ、こうもあっさり理恵を自転車に乗せられるようにするとは」
「全くだね。両親である僕たちが見守っていたとはいえ、流石だよ、恭介」

 さりげなく自分の功を主張する辺り、鈴は天才だと思った。僕も便乗する。

「何か釈然としないモンがあるが、喜んどくよ。ありがとう」
「所で今日は理恵が自転車に乗れるようになった記念日にしたいんだが、何か良いお菓子を持ってないか?」
「いや、持ってないが。買いに行けばいいだろ? 何なら乗せてってやるけど」
「そうか、是非そうさせて貰おう。いや、しかし、こまりちゃん家から朝帰りしてきたお前なら何か持ってると思ったんだが」

 ……空気が凍てついた。チャリンチャリーンと理恵が鳴らしたであろう自転車のベルが嫌に大きく聞こえた。

「何を言ってるんだ。我が妹よ。兄はさっぱり理解できんぞ?」
「いや、さっき暇だったから、こまりちゃんとメールしてたら、そんなことを言ってたからな」
「何ぃっ、あいつ言ったのか!? お前に!?」
「いや、言ってなかったが」
「え? じゃあ……ハッ!?」

 鈴は鎌なんてかけてこない。そう思ってた時期が僕にもありました。

「へぇ、小毬さん家から朝帰りついでに姪を自転車に乗れるようにするなんて、やっぱり恭介は凄いなぁ」
「当たり前だろ、理樹。こいつはあたしの兄だぞ。こまりちゃん家から朝帰りついでに理恵を自転車に乗れるようにするなんて、朝飯前だ」
「あはは、朝飯前に小毬さんも食べてたりして?」
「そんなオヤジみたいなこと言ってるとホントにオヤジになるぞ。いくら、こまりちゃん家から朝帰りついでに理恵を自転車に乗れるようにしたとはいえ、そんなことをする馬鹿兄貴じゃない」
「うぉぉぉぉぉー! 何だお前ら、イジメか! 兄貴イジメてそんなに楽しいか!?」

 絶叫する恭介を余所に、遠くから理恵が「伯父ちゃん、ありがとねー!」と自転車に乗りながら、叫んでいた。

 今日も世界は平和である。


[No.330] 2008/06/06(Fri) 15:19:40
氷の仮面 (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@修羅場を書きたかった

○月×日
 あれから、1週間が経った。葉留佳に『お姉ちゃん』と呼ばれるのは、未だに照れくさい。
 葉留佳と直枝理樹の仲は、うまくいっているようだ。葉留佳の笑顔から幸せが溢れている。
 でも、2人を見ていると……何故だろう、胸の奥がチクりとする。

○月△日
 気がつくと、2人の姿を探している。用事があるわけではない。
 姿を見つけたとしても、胸が苦しくなり、その場を逃げ出してしまう。苦しみは、日に日に大きくなっている。
 私はいったい、どうしてしまったのだろうか?

○月◇日
 きっかけは、放課後の空き教室での出来事だった。見てしまったのだ、2人のキスを。鈍器で殴られたような、体の芯にまで響く衝撃が私の中を駆け巡った。いつもの私なら……風紀委員長の二木佳奈多なら、割って入ってでも止めただろう。しかし、あの時の私は、ただの『二木佳奈多』だった。人間の私には、2人の世界に土足で踏み込む勇気などなかった。
 そして、気づいてしまった。これは『恋』なのだと。禁断の恋。許されざる……。
 こんな姉を、葉留佳はどう思うだろうか?軽蔑するかもしれない。
 でも……でも、気づいてしまったからには止められない。燃え盛る愛に、理性の『たが』は役目を果たさないだろう。
 触れていたい。ぬくもりを感じたい。
 私は決断した。なんとしても手に入れる、と。

 * * *

 あれから、もうすぐ2週間が経とうとしている。お姉ちゃんと教室で話すことも増えた。お姉ちゃんのさっぱりした物言いは相変わらずだけれど、言葉にトゲは感じない。そのおかげか、クラスの居心地もだいぶ良くなった。それでも、今でも休み時間の大半は他のクラスで過ごしている。そこには、『彼』がいるから。私には居場所がある。私は、とても幸せだ。
 でも……気のせいだろうか?ここ数日、お姉ちゃんの様子がおかしい。理樹くんと2人でいると、必ずと言って良いほど私たちの目の前に現れる。そして、何かしら文句をつけて去っていく。しかも、文句を言われるのはいつも理樹くんだ。その時、私と目が合いそうになると、辛そうな顔をして目をそらす。その姿は、まるで……いや、私の考えすぎだよね?

 放課後。授業が終わると同時に教室を飛び出した私は、すぐに彼の元へ向かった。
「やほ〜、理樹くん。会いに来ましたヨ〜」
「放課後はいつも早いね、葉留佳さん。ちゃんと授業に出てる?」
「酷いナ〜。はるちんがこんなにも会いたがっているのに、理樹くんは授業のほうが大事なのカナ?」
 頬を膨らましてそう言うと、理樹くんは困った顔をする。
「そ、それは、葉留佳さんのほうが大事だけど……授業はちゃんと出ようよ」
 だんだんと頬が赤くなる理樹くんを見て、自然と頬が緩む。彼のそばにいると、不吉な考えなど吹き飛んでいく。
「冗談ですヨ。マメなはるちんは、ちゃんと授業が終わってから教室を出ているのです。えへへ、褒めて褒めて〜」
 触りやすいように頭を傾けると、苦笑いしながらも頭をナデナデしてくれる。彼のこういった優しさが、ぬくもりが、私を支えてくれているのだ。


 野球の練習が終わると、理樹くんと共に、私の忘れ物をとりに教室へ足を向けた。
 夕焼けに照らされた校舎の中で聞こえる音は、廊下に響く2人の足音だけだ。

「お、あったあったー」
 机の中を覗き込むと、目的のものはあっさり見つかった。
「すぐに見つかってよかったね」
「うん、良かったですヨ」
 あはは、と二人で笑いあう。その笑い声は、どちらからともなくフェードアウトしてゆく。
「「……」」
 そして、訪れる沈黙。二人の瞳が、お互いの姿を映しだす。
 閑散とした教室には、窓から差し込む赤い光が、二つの影を浮かばせている。影と影は動き出し、互いの距離を縮める。徐々に、徐々に。二つの影が、一つになろうとした、その時──

「そこまでよ」

 ひどく無表情な声が、影の動きをを止めた。誰もいなかったはずの教室の入り口には、よく知る人物が立っていた。
「お、お姉ちゃん!?」
「校内での不純異性交遊は処罰の対象よ?」 
「待ってよ、二木さん!僕たちはまだ何も……」
「黙りなさい、直枝理樹。今日だけじゃないわ。ここ何日かの目撃情報も、入ってきているの」
「そ、そんな……」
「直枝理樹の処分は任せます。連れて行きなさい」
 その言葉に答えるように、数人の生徒が現れて理樹くんを連行していった。
「お姉ちゃん……どうして?どうして、私たちを陥れるような事をするの?」
「私は、私の仕事をしたまでよ」
 だったら、なんで視線をそらすの?どうして、そんなに苦しそうなの?
「ホントに……それだけ?」
「それだけよ」
「嘘……」
 もう分かっている。この学校の風紀委員長は、頭でっかちだし、融通が利かない人物だ。でも、人を騙すようなことはしない。
 もう分かっている。私の目の前にいるのは、一人の女だ。『二木佳奈多』という人間だ。だから私は……

「嘘だ!!!」

 叫んだ。ここ数日の不安を、不満を、不信を、その言葉に乗せて。 
「知ってるんだよ?ここ数日、お姉ちゃんが私たちを監視してたこと」
「……」
「私に、何か話があるんだよね?だから、ここまでして二人きりの状況を作った。どうせ、私に説教するとでも言って、教室に人を近づけないようしてあるんでしょ?」
「察しがいいのね、葉留佳」
「伊達に17年も、双子をやってませんヨ」
 通じ合った期間が限りなく短い、17年。
「それで……話って、何?」
 この先を聞けば、お姉ちゃんと今とは同じ関係ではいられなくなる。せっかく、分かり合えたと思ったのに。
 でも、これは義務だ。理樹くんの恋人としての。

 数秒とも数分とも取れる時間の末、答えが紡ぎだされた。
「あなたと、直枝理樹の関係について」
 やっぱり。
「私……恋をしてしまったの」
 お姉ちゃんがゆっくりと近付いてくる。
「ずっと我慢してたわ。許されざる恋だって分かっていたもの」
 ゆっくりと、確実に。
「でもね、好きになりすぎてしまった。もう耐えられない。二人を見ていられないの」
 私の予想は、確信へと変わっていた。
「だから私は、決断した。二人を引き裂いてでも手に入れると」
 お姉ちゃんは……
「やっぱり、お姉ちゃんは理樹くんのことが、す……!!」


 それはまるで、マシュマロのような、甘くふんわりとした感触。それを通して伝わった熱は、私の血を沸騰させ、鼓動を一気に加速させる。そう、優しく愛でるように、それでいて求めるように、唇と唇を……

「……って、ちょっ、なにやってるんですカぁぁぁぁっぁぁぁぁ!」

 机と椅子を盛大に倒してあとずさる。あまりの出来事に、一瞬意識が飛んでしまった。
「何って、愛を表現したまでよ?」
「いやいやいやいや、意味わかんないですヨ!」
「そう、まだ分からないの……それじゃあ、もう一回」
 ゆらり、ゆらりとゾンビのように近付いてくるお姉ちゃんに、両手のひらを見せながら後ろに下がる。
「あのー、お姉ちゃんは理樹くんのことが好きなんじゃ……」
「どうして私が直枝理樹を好きになるのよ」
「いや、だって……」
 なるほど。やたら私たちの前に現れるのも、理樹くんにばかり文句を言って追い払おうとしたのも、私と二人っきりになるためと考えれば納得でき……って、納得しちゃダメでしょ!はるちんのバカー。
「お姉ちゃん、ちょっと考えさせてくれないかな?」
「ダメよ、私もう我慢できないの」
 いやいやいや、何を口走ってるんですカ。
「私たち、姉妹だよね?」
「そうね」
「しかも、双子だよね?」
「そうね」
「二人とも、女だよね?」
「そうね」
「お姉ちゃん、どっかで頭でもぶつけた?」
「そうね」
 もう、この人ダメだ。私の言葉が耳に入っていない。
「!!」
 背中に軽い衝撃。壁が、これ以上の後退を許してくれない。
「さぁ、私たちのサタデーナイトフィーバーを始めましょうか」
 こんな時に『今日は土曜日じゃないゾ☆』とか突っ込みませんヨ?
「お姉ちゃん、さっき不純異性交遊はダメって……」
「私たち、二人とも女よ?『異性』じゃないわ」
 うわー、目が本気ダァ……
 どうにか逃走経路を考えるも八方塞。背中を教室の角に向けていたのが災いした。
「観念なさい、葉・留・佳」
 ごめんね、理樹くん。私、汚れちゃうみたいだヨ……

「ギャアァァァァァァァァッ!」

 罪悪感によって薄れゆく意識の中、教室の入り口に青い妖精を見た……気がした。


 * * *

 後日。

 放心状態で廊下を歩いていると、みおちんに呼び止められた。
「三枝さんたちのおかげで、自分の中に新たな世界が開けました。これは、お礼です」
 恍惚とした表情で一冊の薄い本を私の手に押し付けると、『ごちそうさまです』と呟いて去っていった。

 この本が後に、校内全体に響き渡る悲鳴とトラウマの再発をもたらした事は、言うまでもない。


[No.331] 2008/06/06(Fri) 16:08:21
LOG (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ

 鉛筆を削るように少しずつ削ぎ落としていく。曲線を描く肌に沿って、刃を進めていく。出血は限りなく薄く、痛みも柔らかだ。その時点では、少なくとも。まだ肉体的な痛みを与える段階ではない。恐怖は純粋な痛みを超える。傷つける事と傷つけられる事と傷つけられる過程を認識させられる事とは別であり、徐々に皮膚を削がれて行く一分一秒こそ必要とされる。
「私達の関係、リトルバスターズはとても楽しく理想的とさえ思えるが、それだけが全てではない。全体としての好意が表出していたとしても、その内側に悪意や敵意、嫉妬や憎しみを排除しきれない。そうだ、それが正しいものだから正しいのであると自己を確定する事なんて人間には不可能なんだよ。幸せの中に辛い現実があるんじゃない。これは繰り返してみれば良く分かるよ。全て同じものなんだって」
 柔らかい脂肪を包む乳房は特に難しい。アンダーと呼ばれる底辺に形に沿って刃を入れていく。続いて乳首の外周に沿って切り目を作り、そこから下へと向って皮を剥がしてゆく必要がある。乳房を果実と評する事もあるがまさにその通りだろう。もちろん、そのものをスライスする事も可能であり、その場合も命に別状はないが、ここでは皮を剥ぐという作業が優先された。
「まったく良く出来た構造だ。嫌味なほどにね。その中で喜びは十分に得たよ。私は最高に幸せだ。苛立ちはあっても、ずっとここで生きたいと思うほどには。けれど、その苛立ちが消えない。無限の今日の中で消費されるべき感情が、何時まで経っても消えないんだ。これは致命的だよ、本当にね」
 頭部は複雑な形状だが頭蓋骨という非常に硬い土台があるため剥ぎ易い。だが神経の数が多いため剥き出しになった肉は僅かな涙にさえのたうつ程に痛みを生み出す。その痛みが生理現象としての涙を誘い、また苦しみ涙を溢れさせる。だからこそ、まず瞼より下の頬を優先する。
「鈴くんに恨みがあるわけじゃない。恭介くんでも別に構わないんだ。それ以外の誰だって、たぶん同じだろうと思う。誰もが相対的に良好な関係を維持し続けている。ただ、溜め込んだままにしておくのは良くないだろう」
「要するにストレス解消っすよね〜。鈴ちゃんに八つ当たってるだけっす」
「葉留佳くん、君にしては非現実的なほどに的確な表現だね」
「はるちん、ちょびっと涙が出ちゃったのですが、これって嬉しさでしょうか、悲しさでしょうか」
「けど、それは個人のストレスじゃない。この最高に幸福で恵まれた世界を継続するための必要悪なんだよ。溜まりに溜まったキャッシュをクリアするんだ。糞詰りを起こしかけてる下水掃除だ。ホメオスタシスとまで言ってしまえば誇張しすぎかな、いやこれもまたそうなのかもしれない。そう思えば何となく許せる気がするだろう? ならそれで良いだろうさ」
「なんで投げやりなんすか。あと、サラッとスルーするのやめてくださいヨ」
「投げやりというわけじゃない。単純に語る言葉がないだけだよ。ヒューマンエラーに対応するのはエンジニアの役割であって、私達じゃない。構造上そのように出来ているのだから、止むを得ない。実際、だからこそ恭介くんはこうやって私たちが私物化する事を許容しているんだろう?」
「そうなんでしょうけど、それなら姉御、その語り癖止めません? 葉留佳さんはすっかり耳にタコなのですよ。だいたい、鈴ちゃんはもう鼓膜潰されちゃって全然聞こえないぢゃないですか」
 鼓膜はもちろん爪も最初に剥がされ、歯もまたペンチを利用し砕かれている。故にここから先は肉を傷つけるより他になかった。皮膚と爪を失った指を見てある種の食物を連想する事は容易い。硬質の刃を用いて先端から一ミリの部分を削ぎ落とす。指先には神経が密集し、薄く切断されただけでも激しい痛みを訴える。しかしそれは生理的な現象であって生命的な危険信号とはならない。神経伝達の破綻による繰り返されるエラーでしかなく、痛みは決して命を奪わない。
「これはきっと言い訳なんだよ。憎んではいない相手を憎しみを持って殺害する事に対する自己弁護なんだろうね。だが、それはやはり私達の責任ではないと思う。そもそも、こんな世界が善意のみで成立すると信じる方が馬鹿げているんじゃないか? 終らない密室ではたまにはこういう事もあるものだ」
「ま、みんなやってる事っすからね。どんなのやってるのかは知んないっすけど。でも、だったらちゃんと鼓膜あるうちにしましょうよ」
「万が一にも記憶に残っちゃ拙いだろう、こんなの。彼女は、彼は、優しさの中で育てなければならないのだから」
 硬い刃は骨に当たり一度止まる。勢い良く振り下ろしたならば容易く切断は可能だが、抉れば痛みは倍増する。骨に沿うように肉を削ぐと引き裂かれる神経が耳に届くほど悲鳴を上げた。スーパーに行けば切り落としと書かれた肉が売られている。それは、肋骨などの周りにこびり付いた肉を削ぎ落としたものだ。同じ要領で骨を露出させていく。血脂と落としきれない肉に汚れたそれは標本で見るほど鮮やかな白さは持ち合わせていない。根元まで露にしたところで、消毒液と歯ブラシで洗い、初めてその色を知る事になる。それでも湧き出す赤い液体がすぐさま隠してしまう。そのため、四肢の根元をチューブできつく縛り付ける必要があった。
「でも、どうせ全部消えちゃうんでしょう? アイーンストールですよ」
「何故そこで志村。いや、それとも本気で間違えているのか? ともかく確かに消えてしまうし、消えるべきものだろうさ。こんなもの、残るべきじゃないだろうし、残っていて欲しいとも思わない。私達の良く出来た人生の一片にこんなものは残っていちゃいけないんだ」
「空しいっすね〜。私らのこの感情は全部なかった事になるわけですし」
 出血はチューブによってやがて薄くなる。そこからが本番だった。失血死の危険性が弱まった事で、より深く肉を裂く事が可能となる。指の肉を削ぐ前に予め止めないのは鬱血し圧力の高まった血液が噴き出さないようするためである。二の腕を強く握り締めれば凝固しかかった血液が五つのホースから溢れ出す。その様は必見だろう。
「それで良いじゃないか。私はそう思うよ。鈴くんにもそう思って欲しい。ここであった、もしくはあったかもしれないあらゆる出来事を記録する必要なんてないんだ。人はもっと悪意に対して鈍感であるべきなんだと思う。周囲を見回せば何処にだってそれは潜んでいて、誰も露骨に表さないまでも常に傍に寄り添っている」
「ですねぇ。嫌になっちゃいます」
「実感が篭った同意だな。そうならないために、善意に満たされているべきなんだよ。せめてこの世界は」
 ここから先の骨を断つ事は難しいため、肉だけを傷つける作業が続く。むき出しの肉に刃を入れ、明らかにされた繊維の一本一本を優しく撫でる指には心地よい感触。骨の硬さも悪くない。刃先を使いなぞる度、人体の美しさを思い知る。だが、急がなければならない。止血しているとは言え、それは完璧には程遠く、確実に死へと向っているのだから。
「でも手は止めない、と。さっすが姉御です」
「君だって。それに仕方ないじゃないか。私は人間だ、神様じゃあない。誰だって憎むし、誰にだって嫉妬する。ふとした事で苦しむし悲しむし、怒るし喜ぶ。それは別に不自然な感情じゃないだろう?」
「う〜ん、はるるん的にはちょびっと幻滅っすけど……ま、普通すっよね」
 既に痛みを口にする事はない。死んだように無反応になるか、死に掛けたように熱い息を吐くか、死んでしまったかの三種のみである。その合図を見逃さず、適時対応する必要があった。呼吸が小さく激しくなるのは血圧が低下しているためであり、脳への血液循環に異常をきたしている証拠である。十分な酸素供給を失った脳は痛みに対しても正常な反応をしなくなる。故に、ここからは時間との勝負だ。
「そう、普通だ。幻滅する事も含めて、ね。だけれど、それは消えるべき感情なんだろうさ。次に目覚めれば何もかも忘れて、誰もが楽しく少しだけ不愉快な、とても暖かい世界に戻る。記憶は継承されるべきじゃない。こんな醜い記憶なんて。我らがリトルバスターズに悪意は不要だ。全員が幸せな日々へと回帰するという結末へ至る過程としての乗り越えるべき苦悩さえあれば良いんだ。本当に、笑ってしまうくらい単純な構図じゃないか」
 腹を割く。胸部、横隔膜の僅かに下辺りから下腹部まで。淡く萌える陰毛の根元まで進めば十分であり、そこからまず子宮を摘出する。目の前に曝し人としての尊厳を徹底的に踏み躙る。白目を剥く。壊れていく。ここからはもう人ではない。ただ解体する。腸を引きずり出す。幼い肉体の内側にこれほどのものが詰まっていたのかと感動する。内臓を次々に摘出する。痛みは限度を超えている。意識は既に失われている。だが、死なない。人間はそれでも死ねない。痛みは継続する。
「もしかしたら何処か世界の片隅に記録として残ってしまったりするのかもしれないが、きっと大丈夫だろう。恭介君がきっと上手くやってくれると信じよう。ではそろそろ、今回の幕が下りそうだ」
「んでは、はるちんはお先に。姉御も鈴ちゃんも、またよろしくっす」
「まったく、何時までこんな事が続くんだろうね。何時まで続いてくれるんだろうね」
...
..


[No.332] 2008/06/06(Fri) 19:07:54
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[No.333] 2008/06/06(Fri) 21:47:17
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[No.334] 2008/06/06(Fri) 21:49:40
遠回りして (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ

『遠回りして』

 戸口が開くと花の香が漂ってきた。季節の移りを知らされた。小僧が似合わぬ花を抱き、締まらぬ笑みを浮かべていた。
「花は、好かん。見舞いならもっと気を利かせんか」
 小僧は黙殺し、窓に歩み寄った。初めて訊ねてきたのは夏の盛りのことだ。あれから随分馴れ馴れしくなったものだった。
 日除けが解かれ空が広がった。鰯雲が街の向こうまで続いていた。目を下ろせば庭で手伝いが白い洗濯物を取り込んでいた。芝の照り返しが幾分弱くなっていた。
「なんの用だ?」
「今日は、約束を叶えてもらおうと思いまして」
 小僧は勿体つけて唇の端を釣り上げ、廊下を覗いた。淡い桜色の服が隙間から覗いた。
「え、えぇ〜っと、初めまして、神北小毬ですっ!」
 はにかんで、頭を下げる。星の髪飾りが揺れる。その微笑は無垢で、触れれば傷がつくような、脆弱な硝子細工を思わせた。
 わしが睨みつけると小毬はたじろぎ小僧に縋った。
「そんないきなり威嚇しなくてもさ……」
 小僧が苦笑して、間に入ってくる。大人げない、とでも言いたげだった。
「……小次郎だ」
 また窓を見る。通りでは幾人かの男が街路樹の枝を切り落としていた。
「ふえ? 小次郎……さん?」
 小僧に肘で小突かれた。こんな扱いをされる謂れは無い。だが、約束は約束だった。
「神北小次郎。おまえの祖父だ」
 小毬は分からないような顔をして、それから、目を輝かせた。
 外から小毬を呼ぶ声がした。慌しく出て行くと、部屋にはわしと小僧が残された。
「行かんでいいのか」
 頷いてみせる。似合いもしない真剣な目だった。
 二人が深い恋仲であることは一目で知れた。小僧に、小毬の伴侶が務まるとは思えなかった。
「覚悟はできたのか?」
 問うてはみたが、わしはもう小僧を見ていない。敷石に落ちた葉が、熊手でかき集められてはごみ袋に押し込められていく。
「小毬さんは、……小毬は、もう、大丈夫です」
 切り落とされた枝が束ねられ、収集車の刃に飲み込まれる。たわみ、折れ、砕かれてその奥の暗がりに消える。その音まで耳に届く気がした。
「興が乗らん。出て行け」
 少しの間を置いて、足音が離れていった。
 小僧はどんな顔をしていたのだろう。わしは記憶を辿る。こまりの連れになると誓った日、どんな顔をしていただろうか。
 思い出せなかった。絡みついた絹糸を辿るような行いに思えた。解いていくには糸はもう重なりすぎた。先端さえ、容易には見つからぬ。
 小僧は日除けを下ろさずに出て行った。わしは身体を起こし、紐に手をかけた。舗道を歩く二人が見えた。枝を切り落とされた木立に比べても、酷くか細い二条の影が、地面に並んで伸びていた。
 幾日かして隣のヨネさんが死んだ。転んで足を痛め、三日風呂に入れなかった。包帯が取れた秋口の冷えた日、ぬるま湯に長く浸かっていたそうだ。その晩熱を出し、肺炎になった。元気なジジイと学生の手伝いが代表して葬式に出ることになった。見知らぬ学生に引き出しの奥から香典袋を探して署名し預けた。いつも折り目をつけたピン札の五千円を入れている。
 じじばばの茶飲み話を墓石の話題が占めて、退屈だった。
 そんなとき小毬の友人だという若い娘が代わる代わる訊ねてきて、少し救われた。中でもけったいな羽織り物の小僧には見所があった。彼ほど剣客に精通した若者というのはそうざらには居まい。
 彼らの誰ひとりとして、小僧と小毬の話はしなかった。
 とどのつまり、無理だったのだ。一度正気を取り戻させたにしても、誰もこまりの苦しみを肩代わりすることはできないし、理解してやれない。以前のように、わしのところに現れないのを見ると、小僧は逃げ出してしまったのだろうと思う。人好きのする顔ではあるし、若者らしい実直さのある男だから、すぐに連れも見つかるだろう。そうしたほうが幸福であろうし、賢明だ。
 おそらくは血がこの苦しみを産んでいるのだろうと思う。一本の縦糸が幾多の横糸を絡めとり、今日まで脈々と生き延びてきたのだ。神北家の血筋が絶えれば、それももう終わることだろう。
 こまりたちの病はその目にあった。凡人なら見過ごしてしまう路傍の石のような闇にまで、彼らは気がついてしまう。他人は、並んで見つめていても、その奥を見通すことができない。
 だからこまりは孤独であった。
 二人の安息を求めた旅だった。奇異の目から逃れるための旅だった。
 こまりは今わの際で兄を呼んでいた。わしはこまりの手を握り続けていた。皮肉なことに、その手が力を失って、わしは初めて安息を得た。
 こまりは兄に会うことができたのだろうか。わしはそれを願う。現世では得られなかった安息を、来世で手に入れてくれていたなら。ただただ明るく照らされた道を、僅かでも歩めているならば。
 旅路の果てに見ゆるはまた孤独なり。
 小毬は、いつか拓也と会えるのだろうか。
 だが、雨の降る午後、小毬が部屋を訪ねてきた。
「えへへ、お久しぶりです……おじいちゃん?」
 小毬はわしを覚えていた。手には赤い傘と、雫を湛えた造花の籠を提げていた。
「もうすぐ理樹くんが、みんなを代表してお見舞い持ってくるからね」
 そして小毬は小僧を覚えていた。
 両手一杯にビニールで包まれた紙袋やらを抱えた小僧が、顔を出した。
「お、遅くなりました……」
 息を切らして、小毬に差し出された椅子に掛ける。
「退屈してたって聞きましたから、みんながその、小次郎さんにプレゼント、って」
 包みを解いて、中身を取り出す。人形やら食い物やら小説やら木刀やら。雑多に積み上げられていく。
 小毬が手拭いで小僧の髪を拭う。小僧が困惑して振り返ると、小毬は笑う。照れくさそうに、小僧も笑う。
 目を逸らしてしまいたい思いに駆られた。
 綿の薄い布団の中で、とめどなく泣き続けるこまりを抱きながら、ずっと祈っていた姿だった。
 頬に冷たい滴が垂れていた。
「ほ、ほぇぇっ!? ど、どうしたの、おじいちゃんっ?」
 小毬に肩を支えられる。真新しい服の裾がわしの汚れた頬を拭う。拭われど拭われど涙が伝い落ちた。
 わしや、こまりの父や祖父たちの人生は無意味だったのだろうか。なぜわしは、小僧のようにしてやることができなかったのだろう。なぜこまりの笑顔を受け取れなかったのだろう。それは自分自身の弱さのせいであることは、何度でも噛み締めてきた。こまりには詫びても詫び足りぬと思った。
 こまりは不幸だった。もしこまりが小僧のような男に好かれていれば、明かりに満ちた生涯を終えられたに違いない。こまりの不幸が不憫でならない。
 わしの手にまた滴が落ちた。枯れ果てたと思っていた涙が、いくらも、溢れた。
「……ごめんね」
 小毬の上ずった声がした。
 しわがれた手に落ちたのは、小毬の両の瞳からこぼれた涙だった。
「……なにを謝ることがある」
「私が、ずっと迷惑かけてきたんだよね。それなのに、私だけ……」
 先が続かず、小毬は泣いた。
 そうではないと言いたかった。小毬やこまりが泣くことなどないのだ。もちろん小僧だって、本当は違う。ただわしだけが愚かだったのだ。
 そう伝えようとした。だが、わしも声が詰まった。
 こまりは優しい娘だった。食うものにも困るのに、好物だったはずなのに、ふかした甘藷を平気で他人に譲っていた。いつも損をするのは自分だった。自分が一番損をするなら、それでいいと本気で思っていた。
 小毬は、確かにこまりの孫だった。別の涙が溢れた。
 棒立ちしていた小僧が、目を腫らしてわしの手を取った。
「小次郎さんが居てくれたから……」
 こまりに伝えてやりたいことが初めてできた。滲んでなにも映らぬこの目が、七十年生きて、初めて見えた。



 久々に筆を手にした。書き慣れぬ字で、勝手が掴めず随分紙を無駄にした。だがその甲斐あってなかなかの出来に思える。
 さて、どのくらい包むか。
「小次郎さん、来ましたよ」
 戸口が開いて、饅頭かなにかを抱えた小僧が入ってくる
「なにやってるんですか?」
 小僧が肩口から、わしが手にしている熨斗袋を覗き込む。
「……ちょっと! な、なに書いてるんですかっ!!」
 顔を高潮させて、わしの手から奪う。
「こんにちは〜……って、なにやってるの? 二人とも」
 小毬の姿を見て、小僧が熨斗袋を慌てて隠す。
「わっはっはっはっは! 年寄りのやることじゃ! そうむきになるな!」
 願わくば、わしが生きているうちに手渡したいものだ。
 こまりへの格好の土産話にもなるだろう。
 小僧の手から、また取り上げ、その字を眺める。
 『出産祝』
 改めて見ても、我ながらなかなかの字だった。


[No.335] 2008/06/06(Fri) 21:56:52
私と彼女 (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@というかスルー推奨




 私には嫌いなものがある。
 それはチーズとか納豆とか、特殊な味覚に関係するものではない。
 蛇とかゴキブリとか、そんな見た目で嫌悪するものでもない。
 そもそも、そんな物理的なものではない。
 私が嫌いなもの、それは――。





「やっほー理樹くん」

 彼女はいつもどおり元気な明るい声で、彼女が好きな相手を呼ぶ。
 彼女は傍目から見ればひたすら明るく、ひたすら元気で、いろんなことに周りを巻き込んでいくトラブルメーカー。
 何が性質悪いってそのどれもが作られたものであること。
 ひたすら明るいのも、ひたすら元気なのも、周囲を巻き込むのも、理由がしっかりとあった。それはとても簡単な理由。

 彼女は人の暖かさを求めていた。彼女は誰かに構ってほしかった。

 誰だってそうじゃん。彼女は私にそう言っていた。
 しかし、彼女のは普通の人と比べて度を越していた。

「あ、葉留佳さんおはよう」

 彼は元気良く返事を返す。今、彼女のその欲望を満たせるのは彼だけだった。
 理由、それは世界を敵に回したから。
 一般的にいえば世間なのだろう、彼女の父親が殺人を犯していたという事実が学校でばれてしまった。それで学校の人たちは彼女を見捨てた。
 しかし、世界という言葉は間違ってもいない。この空間は私の知っている世界とは似て非なるものなのだから。
 世界を敵に回した彼女に手を差し伸べてくれる存在は、この世界では彼しかいない。
 そう、彼女が周囲との触れ合いでなんとか抑えていた欲望を彼はただ一人で請け負わなければいけないのだ。
 果たして彼に勤まるのか、私の中で疑問が募る。
 しかし、彼でなくてはならないのだ。
 なぜなら、この世界は私のものではなく、彼のためのものなのだから。

「今日も頑張ろうよ」

 彼は彼女を励ましてくれる。彼女はその一言で心の隙間を埋めていく。
 しかしそのたびに彼女の中の比重が大きくなっていく。今現在、既に彼女は彼が少しでもいなくなっただけで発狂してしまいそうなほど。
 夜はつらそうだった。闇が襲い掛かってくるのだ。闇には罵詈雑言が詰まっていて、一つ一つが身をひきさいていくような感覚を与える。
 彼女はひたすら布団にくるまりながら朝が来るのを待つ。朝になれば彼に会える。彼に会えば闇は完全に消え去る。
 それはまるで麻薬。最初は快楽だけだったものがいつの間にかそれがなくてはならないものに変わってしまっているのだ。麻薬と呼ばずしてなんと呼べばよいのだろう。

「うん」

 彼女はただ一言そう返事を返した。
 その一言にはいろんなものが詰まっている。いろんなものが。
 その後話しをたくさんする。少しでも多く隙間を埋めるよう、悲しみによって開かれた傷口をふさぐよう。しかし、時間は無限ではない。
 彼が時計を確認した。それはもうすぐチャイムが鳴る合図。それは彼とは別のクラスである彼女にとって別れの合図。

「それじゃあ、また後でね」

 もちろん、彼女にとってつらい一言であるのは容易に察することができるだろう。
 できることなら彼女はずっと傍にいたい、それは例え、周囲にいる皆を殺してでも。

 どうせリセットされるのだから――。

 しかし、モラルという、人間が生まれつき持っているだろう感情がそれを邪魔する。
 普通の人よりも過酷な生活を送ってきた彼女にとって、それはごくわずかなものではあったが、普通の人にあこがれもしている現状、その感情は簡単に切って話せないものだった。

「うん、また」

 彼女は彼に一言告げると彼のいる教室を立ち去ろうとする。

『おい、あれだぜ……』
『また来てるわよ……』
『怖いわよねー』

 彼と話をやめた瞬間、周囲の彼女に対する言葉が彼女に突き刺さってゆく。
 静かな空間では時計の針の動く音が聞こえるように、彼と話をやめた空間では世界の言葉が聞こえてくる。
 その言葉に耐えられなくなり、彼女は逃げ出すように走りながら教室を出た。



一言言い返せばよかったのに。

 私は彼女に語りかける。

うるさい。
どうして、あなたは皆より遥かに大変な人生を歩んでいるんですよって。同情してもらえるかもしれないわよ。
うるさい。

 彼女はうるさいとしか答えない。
 私はその理由を良く知っている。

そうよね、そんなの自慢にもならない。だからどうしたって、それだけ。
うるさいうるさい。
あなたは普通の人をうらやんでいる、普通に両親がいて、普通に育てられて、普通な人生を歩んでいる。それに嫉妬している。
うるさいうるさいうるさい。

 彼女の鼓動が強く、早くなる。興奮している証拠だ。

普通に友達ができて、普通に恋人ができて、そんな普通の幸せをただひたすらに望んでいる。
うるさいうるさいうるさいうるさい。

 彼女が胸を押さえる。苦しいのだろう。しかし、これで最後だ。彼女はきっとうるさい以外の答えを出す。
 そして、私の名前を呼ぶだろう。


それを、直枝理樹ただ一人に押し付けている。


うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい――――――黙れ私の劣等感。



 そう、私は彼女。彼女は私。
 私は彼女の劣等感。彼女のもっとも、もっとも大きな心の隙間。
 私が嫌いなもの、それは――





そんな、私が支配している私自身。


[No.336] 2008/06/06(Fri) 22:02:18
二人の妹、一人の姉 (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@微妙に鬱?

 その日、私は夢を見た。
 懐かしい、夢。
 まだ私が……私たちが小さかった頃の夢。

『ねえねえおねえちゃん、はやくいこうよっ!』
『はいはい、わかったからあんまりせかさないで』

 まだ、“あいつ”のことを姉と呼んでいた頃。

『ほらほらはやくはやくっ!』
『ちょ、ちょっと、そんなにひっぱらないでよっ』

 幼い私はあいつの手を取り、走り出す。

『もう、しょうがないわね、はるかは……』
『あははははっ、ごーごー!』

 呆れたように言いながらついてくるあいつ。その手を引き、はしゃぎながら駆けていく私。
 二人で出かけるのがそんなに嬉しいのか、我ながら本当に屈託の無い笑みを浮かべていた。
 その、かつて自分が浮かべていた笑顔が、どうしようもなく悲しかった。

 私は、今見ている光景が夢であることを理解していた。
 これは、夢。
 これは、過去のこと。
 もう二度と戻れない、過去のこと。
 こんなこと、もう二度と現実になるわけが無いんだから……。



 寝覚めは最悪だった。頭の奥が重い。胸の中がもやもやする。なんとなく全身がだるい。それらを押して体を起こせば、あくびをしたわけでもないのに目尻から涙がこぼれ落ちてきた。

「馬鹿だなぁ、私……」

 涙を拭うと、自然と言葉が出た。今更、あんな夢を見てどうなるって言うんだろう。そりゃあ、私だってあいつとの殺伐とした関係を望んでるわけじゃない。今の関係よりは昔みたいな関係の方がずっといいに決まってる。
 でも、でもだ。あいつはこれまで散々私に酷いことしてきた。例えあいつが謝ってきたって、はいそうですかと許せるわけがない。あいつも同じような目に合わせてやりでもしないと気が済まない。そもそもあいつが謝ってきたりなんかするわけがないし。

「はぁ……」

 ため息をつきながら時計を見れば、まだ随分と早い時間だった。普段なら二度寝するところだけど、なんだかそれさえも億劫だった。何より、今寝直したらさっきの夢の続きを見てしまいそうで、それがたまらなく嫌だった。私はのろのろと立ち上がり、朝の支度を始めた。





「三枝葉留佳、あなたも懲りないわね。また自販機を叩いて不正に缶を出したわけ?」

 ……ほらね。こいつが謝ってきたりなんかするわけがない。
 昼休み、自販機でジュースを買ったら、ルーレットで当たりが出てもう一本貰えた。もともと買った分と当たりで手に入った分の二本のジュースを抱えて廊下を歩いている私に、あいつが刺々しい声をかけてきた。

「……前にも言ったじゃん。当たりが出ただけだって。自販機叩いたりなんかしてない」

 前にもこんなことがあった。ルーレットの当たりで貰ったのに、それを自販機を叩いて出したとか何とか言いがかりつけられて、結局当たった分のお金まで払わされてしまった。

「はっ、そう何度も何度も当たりが出るわけないでしょう。するならもっとマシな言い訳をすることね」

 そして今回も、私の言葉は鼻で笑い飛ばされる。確かにそんなしょっちゅう当たるものではないんだろう。でも、私は間違いなく当たりを出していた。前回も、今回も。それがどんなに珍しくても、実際に当たったんだから仕方ないじゃないか。
 そんな私の考えをよそに、あいつは私の腕の中の二本の缶をすっと取り上げた。当たりで出た一本だけでなく、ちゃんとお金を払ったもう一本まで。

「あっ! な、何するのさ!」
「何って、没収よ。不正に出したんだから当然でしょう?」
「そんなことしてないって言ってるじゃん!」
「どの口が言うのかしらね。信用されたければ、普段の行いをどうにかしなさい。あなたはただでさえ厄介者なんだから」
「……っ!」

 言って、蔑みの目で見下してくる。その目を見て、ようやく気付いた。
 目の前にいるこいつは、“かなた”じゃない。“ふたき”なんだ。親戚のやつらと一緒。馬鹿みたいな掟に踊らされて、わけの分からないことを押し付けてきて、出来なければ酷い目に遭わせてくる腐った連中と同じだ。
 もう、“かなた”はいないんだ。そう気付くと、昨夜見た夢も、今ここでこうしていることも、何もかもが馬鹿らしく思えてきた。

「どうしたの? いつもみたいに噛み付いてこないわけ? それともただ単に反論の言葉さえ思いつかないのかしら?」

 嘲りの笑みを浮かべ、挑発してくる。確かにいつもだったら、何か言い返し、食って掛かっていただろう。でも、今はそんな気になれなかった。こいつと同じ空気を吸っていることさえ嫌だった。
 目を合わせないまま、くるりと背を向ける。

「……お昼ご飯食べる時間なくなるから。もう行く」
「あら、逃げるの? さすがはゴクツブシのロクデナシのヤクタタズね」
「……っ!」

 それ以上言わずに走り出した。早くここから立ち去りたかった。廊下を走るなとか言われるかと思ったけど、後ろから聞こえてきた言葉は違っていた。

「最低ね……最低」

 両手で耳を塞ぎ、更に足を速め、全力で駆け出した。確かな行き先も無いまま走る私の胸に、今更一つの思いが浮かんできた。

 ……もう、あの優しかった“かなた”はどこにもいやしないんだ……。





 ……なのに……。

「クドリャフカ」
「あ、佳奈多さんっ」
「口の横にご飯粒が付いてるわよ」
「えっ、どこですかっ」
「ああもう、じっとしてなさい、取ってあげるから」
「ん、んっ……ありがとうございます、佳奈多さん」
「まったく、しっかりしなさいよね……」

 空き教室で一人、味のしないパンだけのお昼ご飯を済ませて戻ってきた私が見たのは、ほっぺたにご飯粒を付けたまま、ぱたぱたとあいつに駆け寄るクド公と。
 そんなクド公にやれやれと言いつつも世話を焼く、姿こそ大きくなっているものの、夢で見た“かなた”とまったく同じ表情を浮かべたあいつの姿だった。
 飲み物もなしにパンを食べたりしていたからか、どうしようもなく胸がむかついた。クド公とあいつは、距離があるせいか私に気付かないまま何やら話し込んでいる。話の内容は耳に入らなかった。けれど、クド公が満面の笑みであいつに話しかけ、あいつがたまに呆れながらも相槌を打っていることだけは遠目にでも分かった。ほんの十数分前のあいつとはまるで別人だった。

 ……なんで?
 “かなた”はもういないんじゃなかったの?
 なんで、“かなた”がそこにいるの?
 なんで、その隣にいるのはクド公なの?
 どうして、私じゃないの?
 どうして、クド公には変な言いがかりつけないの?
 どうして、クド公にだけは優しいの?
 なんで。どうして。なんでなんでなんでなんでなんでどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

「……そろそろ昼休みも終わりよ。教室に戻りなさい、クドリャフカ」
「はいっ。佳奈多さん、しーゆーれいたー、なのですっ」

 クド公とあいつがそこからいなくなっても、私はそこを動くことができなかった。ただただ、呆然とそこに立ち尽くすばかりで……私がようやく我にかえったのは、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったときだった。そんなだから、午後の授業は当然遅刻してしまって、後でまたあいつに嫌味を言われた。





「バッティング練習スタートだ!」

 放課後、リトルバスターズでの野球の練習。ライトの守備についた私は、恭介さんや理樹くんの掛け声をどこか遠くに聞きながら、クド公の様子を見ていた。
 小さな体で一生懸命にボールを追い、グラウンドを駆け回り、たまに失敗してボールにぶつかっているクド公の姿は、姉御じゃないけど素直に可愛いと思えた。
 けど……どうしてだろう。クド公が可愛いのはいつものことなのに。あんな風に頑張ってるのを見ると、いつもならなんだかほのぼのした気持ちになれるのに。今日に限ってそうは思えなかった。むしろその反対だった。クド公が頑張っていれば頑張っているほど、可愛ければ可愛いほど、胸の中になんだかもやもやしたものが積み重なっていった。そのせいか、ちっとも練習に集中できなくて、何度もエラーをしてしまった。

「葉留佳さん、ちょっといい?」

 休憩時間になってすぐ、理樹くんが話しかけてきた。

「ん、いいけど、何?」
「葉留佳さん、どこか具合悪いの? 今日はこっちのクラスに来なかったし、口数も少ないし、練習でも調子出てないみたいだったし」

 そんなにいつもと違っていただろうか。自分ではよく分からなかった。とりあえず、いつもの調子で答えてみる。

「やはは、なんか昨日は夢見が悪くってさ。はるちんちょっぴり本調子じゃなかったりするわけですヨ。ごめんごめん」

 嘘は言ってない。変な夢を見たせいで、朝からどうも調子がおかしいのはほんとの事だ。

「そう? それならいいんだけど……」

 理樹くんはちらりと当たりを見回し、声を潜めて言った。

「……クドと、何かあったの?」
「……え?」
「葉留佳さん、さっきからずっとクドの方を見てたよね? 今日の葉留佳さんがクドを見る目……何ていうか、ちょっと恐いよ。クドと喧嘩でもしたの?」
「……別に、クド公と喧嘩なんかしてないよ」

 驚いた。クド公を見てたのを気付かれたことに。クド公を見る目が恐いと言われたことに。そしてそれ以上に驚いた。自分でも驚くほど冷たい声が出たことに。

「いや、でもさ……」

 理樹くんは納得できてない様子だ。それはそうだろう。急にあんな冷たい声出されて何もないなんて、信じる方が難しい。でもそれは本当のこと。別にクド公と喧嘩なんかしてない。
 そのとき、理樹くんの後ろから小さな影が覗いた。近づいてきた影の持ち主は、おずおずと言葉を発した。

「あ、あの、三枝さん……ひょっとして私、何か失礼なことをしてしまったのでしょうか?」

 それは、クド公本人だった。

「クド公は別に悪いことなんかしてないよ」

 そう。クド公は何も悪くない。悪いのはあいつなんだから。でも、その思いとは裏腹に、私の声はさっきよりさらに冷たかった。

「で、でも、その、やっぱり私……」

 おどおどと視線をさまよわせ、時々こっちをちらちらと見てくるクド公。その煮え切らない態度に、なんだか腹が立ってくる。胸にたまったもやもやがイライラに変わっていく。
 私はなんとかイライラを抑えようと努めながら、もう一度言った。

「クド公は、何も悪くない」
「で、でも……」

 尚も何か言おうとするクド公に、イライラが頂点に達した。

「クド公は何も悪くないって言ってんじゃん! もういいからほっといてよっ!」

 思わず大声を出してしまう。クド公も、理樹くんも、離れたところにいたみんなも、誰もが驚いた瞳を私に向けていた。それがどうにもいたたまれなくて。

「……っ!」

 私はみんなに背を向け、そこから逃げ出した。





 みんなから逃げ出した私は、中庭のベンチに一人腰掛けていた。そっとベンチの背もたれを撫でる。このベンチは私にとって思い出深いものだった。入学して間もない頃は、何をすればいいかも分からなくて、日がな一日このベンチに座っていたものだ。

「なんか、懐かしいや……」

 みんなにも嫌われちゃっただろうか。だとしたらまたあの頃みたいに、ここで日がな一日すごすのだろうか。

「馬鹿なことやっちゃったなぁ……」

 自分で自分が嫌になる。何も悪くないクド公に当り散らして。ふと、あいつの言葉が頭を過ぎった。『ゴクツブシのロクデナシのヤクタタズ』。『最低ね……最低』。……その通りかもしれない。
 きっと、あいつだって私なんかよりもクド公みたいな妹が欲しかったんだ。もし妹がクド公なら、あいつだってあんな風にならなかったんだ。

「私、最低だ……」

 俯いて呟く私に、意外なところから声が返った。

「三枝さんは、最低なんかじゃないですっ」

 振り向くと、そこには他でもないクド公が立っていた。

「三枝さん、ごめんなさいっ!」

 クド公はいきなり頭を下げてくる。

「何でクド公が謝るのさ! さっきも言ったじゃん、クド公は何も悪くないって!」
「私、三枝さんに嫉妬したんです。リキに心配されて、声をかけてもらってた三枝さんに」

 思わず声を荒げる私だが、クド公はさっきみたいに臆することなく、きっぱりと言葉を紡ぐ。
 クド公が理樹くんのことを好きなのは知っていた。というより、リトルバスターズのメンバーで気付いてないのは理樹くん本人と、あとはせいぜい鈴ちゃんぐらいだろう。
 だったら、嫉妬したというのもまあ分かる。けれど、それなら……。

「だから、リキの前でいい格好しようと、よくわかりもしないまま謝る形だけして、それで逆に三枝さんを傷つけてしまって……本当にごめんなさい、三枝さんっ!」

 そう言ってクド公は深々と頭を下げる。けれど、それは……違う。

「違うよ! クド公は何も悪くない! 嫉妬してたのは私の方! あいつが私には辛くあたるのにクド公には優しくて、それで……ただの私の八つ当たりだったんだよ!」

 そう、最初に嫉妬したのは私の方。私には辛く当たるあいつに優しくしてもらえるクド公。そのクド公に、私が嫉妬した。それがそもそものはじまり。
 クド公は顔を上げ、驚いたような目を向けてきたが、やがて一つの疑問を投げかけてきた。

「……三枝さん、あいつというのは、誰のことなのですか?」
「それは……ごめん、言えない」

 当然の疑問だと思う。でも、それに答えちゃいけない。あいつと私のことは誰にも言っていない。リトルバスターズのみんなにも、だ。もしかしたら恭介さんや姉御あたりは薄々気付いてるかも知れないけど、クド公は知らないはずだった。

「じゃあ、質問を変えます。三枝さんにとって、その人は大切な人なんですよね?」

 冗談じゃない。なんであんな奴のこと。そう答えたかった。けれど、クド公の真っ直ぐな目を見てしまうと、そう答えることができなかった。

 思い返してみれば……。
 昔の私はほんと、あいつにべったりで。
 あいつとまた仲良くしたいという思いをどこか捨てきれなくて。
 あいつが優しかった頃の夢を懐かしく思って、でも辛く当たられる今を思い出すと悲しくて。
 あいつから酷いことを言われるのは、同じことを他の誰から言われるのよりも苦しくて。
 あいつに優しくされるクド公がどうしようもなく羨ましくて、クド公は何も悪くないのに勝手に八つ当たりをして。
 それは、つまり……。

「……ぅん……」

 こくりと首を縦に振る。認めたくなかったけど……クド公の言うとおりなんだろう。

「だったら、お互い様ですねっ」

 頷いた私に、クド公はにぱっと笑いかけてくる。

「その人のこと、そんなに大切に思ってないのに嫉妬されたら、それは不公平だと思います。けど、三枝さんはそうじゃない。その人のことを大切に思ってる。だったらしょうがないです。大切な人のことで、他の誰かに嫉妬してしまうのは仕方のないことなのです」
「クド公……」
「だから三枝さん、仲直りしてもらえますか?」

 そう言って、手を差し伸べてくるクド公。いつもはちっちゃいわんこにしか見えないクド公だけど、このときばかりはなんだかクド公が大きく見えた。
 私は両手で差し出された手を取った。

「うん、ごめん、ごめんね……っ!」

 俯いて何度もごめんねと繰り返す私に、クド公は優しく声をかけてきた。

「三枝さん。二つ、約束して欲しいのです」
「うん、何……?」
「一つ。もし三枝さんに辛く当たっている人が三枝さんにちゃんと謝ったら、そのときは許してあげること。二つ。その人と仲直りできたら、そのことを教えてくれること」
「それは……」

 約束する意味が無いんじゃないかと思う。あいつが謝るなんて、考えられない。だから仲直りすることもあり得ない。
 だけど……もし、万が一、あいつが本心から謝ってきたなら……そのときは許してあげてもいいかなと思う。朝はそんなこと出来ないと思ったけど、今、こうしてクド公の小さくて温かい手のひらに触れていると、許してもいいような気がしてきた。
 だから、私ははっきりと頷いた。

「うん、約束する。あいつがちゃんと謝ってくれたら、そのときはあいつのことを許す。仲直りできたら、今回のことも含めて、全部クド公に話す」
「はいっ。約束ですよっ」

 クド公が、屈託の無い笑顔で笑いかけてきた。


―――
――



「……と、いうことがあったのです」

 私は、ルームメイトの佳奈多さんに、以前の三枝さん……じゃなかった、葉留佳さんとの出来事を話していた。
 二学期に入って、葉留佳さんは佳奈多さんが自分の姉であるという事を教えてくれた。いろいろな事情があって仲違いし、そしてまた仲直りするまでの経緯も話してくれた。葉留佳さんはあのときの約束を守ってくれたのだ。

「まったく、あの子はしょうがないんだから……」
「佳奈多さん、呆れたみたいに言ってますけど、頬が緩んでいるのですっ。本当は嫉妬してもらえて嬉しいんじゃないんですか?」

 にやけながらため息をつくという奇妙な行動をとる佳奈多さんに指摘する。

「な、何を言ってるのよ。そんなわけないでしょう」
「なんなら、鏡見てみますか?」

 佳奈多さんは否定するが、構わず鞄から手鏡を取り出し、手元でちらつかせて見せる。

「……クドリャフカ、あなた性格悪くなってない?」
「それはきっと、佳奈多さんに似たのですっ」
「……ほんと、言うようになったわね」
「まあまあ、今日は折角の姉妹水入らずでの買い物なんですから、楽しんできてくださいっ」

 今日、佳奈多さんと葉留佳さんは二人で買い物に出かける。なんでもこれが、仲直りして初めての二人での買い物らしい。それ自体は結構なことだが、昨日からの佳奈多さんの浮かれっぷりと来たら、酷いものだった。着ていく服を選ぶためにうんうん呻るわ、時々鼻歌を歌いだすわ、不意に緩みきっただらしない顔になるわ、今だって普段より気合入れて化粧してくるわ。
 姉妹での買い物というより、意中の男性とのデートを控えた恋する乙女のような浮かれっぷりだった。
 今のやりとりも、そんな風に辟易させられたことに対する意趣返しのつもりだった。

「お姉ちゃん、準備できたー?」

 ノックもなしに突然ドアが開かれた。入ってきたのは案の定、葉留佳さんだ。

「葉留佳、何度も言ってるでしょう。部屋に入る前にノックぐらいしなさい」
「えー、いいじゃんいいじゃん。ノックしてる間があったらドア開けて、早くお姉ちゃんの顔見る方がいいもん」
「な、何を言ってるのよ、この子は……」

 これが、現在の佳奈多さんと葉留佳さんの二人だ。数ヶ月前までの二人からは想像もできないだろう。葉留佳さんはこれまでの分を取り戻そうとするかのように佳奈多さんに甘える。佳奈多さんは小言は相変わらずだけど、なんだかんだで葉留佳さんに甘くて、人前じゃなければかなりデレデレだったりする。
 本人達は幸せなのだろうから結構なことだが……正直、まわりは辟易するばかりだった。



「んじゃクド公、お姉ちゃん借りてくね」
「クドリャフカ、行って来ます」
「お二人とも、行ってらっしゃい、なのですっ」

 パタンと音を立てて、ドアが閉じられる。

「ねえねえお姉ちゃん、早く行こうよっ!」
「はいはい、分かったからあんまり急かさないで」
「ほらほら早く早くっ!」
「ちょ、ちょっと、そんなに引っ張らないでよっ……もう、しょうがないわね、葉留佳は……」
「あははははっ、ゴーゴー!」

 ドア越しでくぐもった二人の声が、遠ざかっていった。



 一人部屋に残されて、ポツリと呟く。

「借りていく、ですか……」

 ……本当に借りていたのは、私の方だ。佳奈多さんは厳しいけど、それでも肝心なときにはとても優しくて。まるで、本物のお姉さんみたいだった。
 私は一人っ子だったから、ずっと兄弟に憧れていた。ストレルカたちがいたから寂しくはなかったけど、その思いが消えることはなかった。
 だから、佳奈多さんに優しくしてもらって、本当に、嬉しかった。
 だけど、その優しさは私ではなく、葉留佳さんに。本当の妹である、葉留佳さんだけに向けられるべきだ。

「だから……」

 言葉につまり、下を向く。そこには、先程の手鏡があって。鏡の中には、寂しそうな笑みを浮かべた自分がいた。

「だから……っ!」

 ぎゅっと目を閉じる。これで、自分の顔は見えなくなった。
 これでいい。
 きっと、これから私は酷い顔になるから。

「私は、姉離れを、します」

 覚悟を決めて、口にした。
 これからも、佳奈多さんの友達では、ルームメイトでは在り続けるつもりだ。けれど、これまでのように、必要以上に佳奈多さんに甘えるようなことはしない。それをしていいのは、葉留佳さんだけなのだから。

「さんくすまいしすたー、ぐっばい、なのですっ……!」

 ……ぱた、ぱたっ……
 水滴が二滴、手鏡の上に落ちた。


[No.337] 2008/06/06(Fri) 22:15:33
(No.321への返信 / 1階層) - ひみつ

「けっこう降ってますネ」
「久しぶりに練習できるかなと思ってたんだけどね」
「予報では20パーセントでしたけど」
 6月に入ってからもう一週間たったけれども、その間わたしたちは一度も練習できないでいた。久しぶりに今日は曇りという予報だったけれども、昼前から雨雲が広がりだし今ではすっかり土砂降りの雨が降っている。
「ふむ、俺は室内での練習だから関係ないがな。じゃあまた明日」
「謙吾君部活がんばってね」
「ああ」
「あっちょっと待った、謙吾。わりいけど傘貸してくれねえか」
「おいおい、そうしたら俺が帰る時傘がないではないか。悪いがあきらめてくれ」
「井ノ原さん傘忘れたんですか」
「梅雨の時期は傘は常に用意しておくものだぞ」
「どうもな、朝雨降ってないと傘持ってくるとか思いつかないんだよな」
「しょうがないな。真人、入れてあげるからちょっと狭いけど我慢してね」
「あんがとよ、理樹」
「……」
「どったの、みおちん」
 相合傘。傘は少し不思議なアイテムだ。なんともない空間でも傘をさした途端そこはその人以外は入れない特別な空間に変わる。そして普通は入れない空間だからこそそこに入るのは特別な存在と言うことになる。井ノ原さん、どうして理樹の特別な空間に入るのがわたしじゃなくあなたなのですか。





「真人、肩だいぶ濡れてるよ。もうちょっと入ってよ」
「いや、これ以上入るとお前の方が濡れちまうじゃねえか」
「そんなの気にしなくていいよ」
「けど……」
「じゃあ、こうしよ」
 そうして理樹は井ノ原さんの前にすっぽり埋まるような形になった。わずかに触れるように当たっている手、後ろから抱き締めるようにも見える姿、身長差のせいで後ろを振り返ってしゃべりかけるたびに上目使いになってぶつかる視線。どれもこれも愛し合う二人の姿じゃないですか。
「西園さん、どうしたんでしょう。なにか恐ろしいおーらが出ているんですけれども」
「自分の過ぎたる妄想力のせいで苦しんでいるところだ。人と違う趣味を持った人間は大変だな」
「なんですか、それではわたしの反応がおかしいみたいじゃないですか」
「ええーっだって絶対普通そんな風に思わないよ」
「では聞きますけれども、恋人が自分の目の前で誰か別の人を傘に入れてても平気なのですか」
「うーん、そりゃ女の子入れてたら嫌だけど男の子だったら別にいいんじゃない」
 三枝さんの返答に皆さん一様にうなずいた。そんなはずはありません。理樹の場合女の子よりも男の子の方が危険です。
「皆さんももし理樹の恋人だったら今頃やきもち焼いてるはずです」
「焼かないって。そんなのみおちんだけだって」
「いや、意外とそう言う趣味を持った人間は多いからな。10人に一人ぐらいはいるんじゃないか」
「なあ、みお。理樹と一緒の傘に入ったらみおは嫌か」
「は、はい」
「わかった、何度か入ったことあるけどこれからは入らない」
 鈴さんの言葉を聞いたあとほんの2、3秒だけ来ヶ谷さんの足が止まって理樹の方をぼんやり眺めた。すぐに歩き始めたけれどもその表情はさっきまでと比べて寂しそうだ。鈴さんの方は子供のころのことだろうけれども、来ヶ谷さんもいつか理樹と一つの傘に入ったのでしょうか。





 楽しい時間と比べてどうしてつらい時間と言うのはこんなに長く感じるのだろうか。学校から寮までいつもはすぐそばに感じるのに今まで一度も感じたことがないくらい遠くに感じる。だいたい理樹も理樹です。恋人がすぐそばにいるのですからもう少しわたしの方を意識してくれもいいのに。それなのに井ノ原さんばかり。これでは誰がどう見たってわたしの方が愛し合う二人に割って入るお邪魔虫ではないですか。
「みおちん、そんなに理樹くんと相合傘したければ今度傘忘れてくれば」
「わたしがですか。似合いませんよ」
「何が似合わないんだ」
「キャラがです。わたしがドジっ子キャラ化してもわざとらしさしか感じられません」
「ためしにやってみてくれ」
「ためしにですか。気がのりません……あれーっ今日傘忘れちゃった。もうわたしったらほんとドジなんだから。コツン……これを見てどう思いますか」
 最後に舌を出しながら自分の頭を小突いてみましたけれど、どう考えてもわたしはこんなキャラが似合う子ではない。一応感想を聞いてみたけど、答えは聞かなくてもわかる。唖然とした表情をし、何人か傘を落とすくらい驚いている。こんな演じたキャラでかわいいとか思う人がいるはずがない。
「うーむ、人には向き不向きというものがあるな」
「いつもの西園さんとぎゃっぷがあります。西園さんはいつものしっかり者な西園さんがいいです」
「そうですね、ドジっ子キャラはわたしより似合いそうな子はいくらでもいますよね」
「でもさ、そう言うかわいこぶった子って案外計算して自分をかわいらしく見せたりしてるんだよね」
 神北さん今目をそらしましたけれど、まさかそんなことないですよね。





「先ほどのキャラの話ですけど」
「君も引っ張るな」
「何かこう、しっかり者キャラというのは損しているような気がするのですか」
「なんだそりゃ」
「さっき鈴さんは理樹の傘に入れられたことがあるって言ってましたけど、忘れ物したりするような子の方がかわいらしくて、しないわたしみたいなのはあまりかわいげがなくて人気がないような気がして」
「鈴ちゃん、ほんと守ってあげたくなるくらいかわいいよね」
「わっちょっとこまりちゃん」
「ふむ、一理あるな」
「でも私は来ヶ谷さんや西園さんはしっかりしてかっこいいと思いますけど」
「女性同士ではそうでも男性からはかっこいい女よりかわいい女の方が好かれていると思います」
 それなりに男性向けのゲームとかの知識もあるけれど、それに出てくるヒロインはどこか守りたくなるような弱さを持ったかわいらしい女の子ばかり。ツンデレキャラにしたって最終的には弱さを見せるから人気なので、最初から最後までツンツンしてるだけだったらたぶん嫌われるだけ。男性に人気なのは二次元だろうと三次元だろうと強い女性ではなく弱い女性。がんばればがんばるほど人気がなくなるなんて絶対に損している。
「普段はドジばっかりして好きな男の子に迷惑をかけたりするけれど、いざとなると好きな男の子のために信じられないくらいすごいことをする。そういう子が一番愛されると思うのです」
「ねえ、みおちゃん。それって真人君だよね」
「あああああああああっ!?」
 わたしが出した素っ頓狂な叫び声に少し前を歩いていた二人が振り向いた。やっぱりわたしといる時よりもよっぽど恋人っぽいじゃないですか。
「ダメです、理樹のバカ! そんなにわたしより井ノ原さんの方がいいのですかっ!?」
「いやいや、何言ってるのさ。僕が誰よりも好きなのは美魚に決まっているよ」
「そ、そうだよな。理樹が一番好きなのは西園何だよな。俺はガマンしなきゃなんねえんだよな」
「真人くんも微妙な発言しますネ」
「なあ、美魚君聞きたいのだがこれは真人少年だから嫌なのか? これが恭介氏や謙吾少年だったらどうなのだ?」
「えっ!?」
 来ヶ谷さんの変な発言で少し考えてみる。恭介さんの一緒に傘に入っている理樹は簡単に想像できるくらいぴったりはまっていると思う。それこそわたしよりもずっと合っていると思うくらい。でも前はそれを望んでいたはずなのに今はそれで少し胸が苦しくなる。わたしの中に理樹の一番近くを誰にも渡したくないという独占欲を強く感じる。
「……わたし以外の人はみんな嫌です」
「ああーっその何だ、西園すまん。理樹、もうあとちょっとだから走って帰るわ」
「そんな真人、美魚はちょっと興奮してるわけだから気にしないで」
「けどよ……」
「真人君、私の傘に入るのはどうだ」
「はあっ」
「はあっとは失礼だな。これだけの美女の誘いがあったら転がり回って喜ぶのが礼儀であろう。これ以上真人君が理樹君と相合傘をすると美魚君の精神が持たないだろうし、かといってこのまま雨の中走らすのも忍びない。どうだ?」
「ああ、あんがとな」
「これにて一件落着ですね」
「というわけにはいかないな。日ごろ見せつけられている仕返しに美魚君をからかい過ぎた。すまなかった」
 その言葉を聞いて次々と頭がさげられていく。先ほどまでの会話に特にからかってるような発言がなかった神北さん、鈴さん、能美さんまで。ただつられただけですか、それとも内心腹が立っていたのですか。
「でも、みおちん大変だね。理樹くんはライバル多いから」
「ふーっ仕方ありません。男の子にも女の子にもモテモテ、そんな大変な人と付き合っているのですから」
「安心してよ、美魚。僕は美魚のこと大好きだから」
「理樹……」
「だからさっきみたいに無理してキャラ作らなくていいよ」
「キャラ?」
「さっきやってたでしょ。ドジっ子キャラのふり。僕はあんな似合わないキャラじゃなくいつものしっかりした美魚が好きだから」
「……聞こえていたのですか。先ほどの恥ずかしい演技」
「ばっちり。ああいういかにもかわいいキャラなんて美魚じゃないよ」
 何をさわやかそうな顔をしながらわたしを叩きのめすようなこと言っているのですか。それだとわたしはかわいくないと言っているようなものじゃないですか。皆さん空気を読んだのかわたしたちを無視して再び寮へ向けて歩き始めた。そして残ったのはわたしと空気を全く読めない男だけ。
「理樹」
「美魚」
「嫌いですっ!」
「ええーっ! 何でっ!?」





 私の心の中の天気は、太陽が差しかけたと思ったら一瞬のうちに土砂降りに変わった。そんな私の心の雨を避ける傘はない。


[No.338] 2008/06/06(Fri) 22:16:32
はるかな昔話 (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@原作との関連性ほぼなし…多分 あと遅刻

 これはほんの少し前の、ちいさな昔話。





   『はるかな昔話』







「見て見て、100点取ったんだーっ」
「お、佳奈多は偉いな、よし、今度なにか買ってやろう、何がいい?」
「お母さんからもなにかプレゼントしてあげるわ、ほしいものを言ってみなさい、佳奈多」
 お姉ちゃんはお父さんとお母さんに学校のテストを見せていた。そしてお父さん達はそのテストを見て、お姉ちゃんを褒めていた。勿論、お姉ちゃんはずっと笑顔だ。本当に嬉しそう。
 お姉ちゃんのテストの点数は100点。でも、私の点数はと言うと……見るに堪えない……。
 遠くからその光景を見ていると、お父さん達が近づいてきた。
「お前はどうだったんだ」
 お父さん達は佳奈多の事は名前で呼ぶのに、私の事はいつも『お前』と呼んでいた。
 その時点でもう、端から私への期待はないと言う証拠。きっと、私をけなして、死へと誘うために、訊いているんだ。
「……三十……二点……」
 俯きながら力無く答えた。その瞬間、その場の空気が変わったのを感じる。
 お父さんは私からテストの答案用紙を奪った。
「なんだお前は、こんなテストもろくに解けないのか?」
「佳奈多は満点で帰ってきたと言うのに……」
「こんな点数で、よく家(ここ)に帰ってこれたものだな、このロクデナシが」
「まったく、この家の面汚し以外の何者でも無いわ。なんでお前は産まれてきたのか……」
 いつもそう。
 二人して、私のことをロクデナシだとか、面汚しだとか、邪魔者扱いばっかり。
 その言葉達を、私は歯を食いしばって、ずっと堪えていた。
 二人の私に対する悪口は、数十分間続いた。


 お父さん達二人がその場を立ち去った後も、私はずっとその場で俯いて立っていた。手には握り締めてくしゃくしゃになったテスト。そのテストを、私は見つめた。
 32点……。
 お姉ちゃんは100点を取った。でも、私は32点。
 この違いは何? どうして私は、こんな点数を取って、怒られてるのかな。私もお姉ちゃんみたいに、100点を取れば、褒めてもらえるかな……。
 そんな小さな希望にすがりつきたくなるほどに、両親の私への扱いはひどかった。
 今までだって私は頑張ってきた。テストだって、頑張って98点をとったこともあった。でも、結果は今と同じ。お姉ちゃんは100点で、私は98点。
 たった2点の違い。たった1つだけの間違い。ほんの小さな小さな差。
 なのに、その時もお父さん達は、お姉ちゃんはべた褒めされて、私はけなされた。ロクデナシといわれた。面汚しといわれた。お姉ちゃんはご褒美にと、お父さん達から好きな物を買ってもらっていた。でも、私は何も買ってもらえなかった。
 その時は、どれだけ頑張っても褒めてはくれないんだと諦めた。
 でも、諦め切れなかった。何度も何度もお姉ちゃんの幸せそうな笑顔を見るたびに、どうしても、無視することができなかった。
 はっきり言ってしまえば、羨ましかった。
 私も褒めてもらいたい、いい子だって言われて、欲しい物をいっぱい買ってもらいたい。ずっとそう思っていた。あんな親にでも、褒めてもらいたかった。
 だから私は、もう一度頑張ることにした。


 私は毎日部屋にこもって勉強をした。
 その結果、その次のテストで100点を取ることができた。
 これできっと、褒めてもらえる。そんな淡い希望を持ち、私は家へ帰った。
「お、お父さん、お母さん……私……」
 玄関で、お姉ちゃんがお父さんとお母さんに、小さな声で話しかけていた。
 手には紙を持っている。
「どうしたんだ、佳奈多、そんなにしょげた顔をして」
「あの、あのね、私……テスト……」
 お姉ちゃんは素早くお父さん達に紙を出す。
「これは……」
「ご、ごめんなさいっ!」
「今回は難しかったのか?」
「う、うん、それに、勉強あんまりしてなかったの……」
「そうか、だが、よく頑張ったな、偉いぞ、佳奈多。がんばった褒美に、何か買ってやろう」
「こんな難しい問題、お母さんには解けないわ。それなのに佳奈多は解いちゃって、凄いわ佳奈多」
「今度はもっと頑張りなさい」
 そう言って、お父さんはお姉ちゃんに紙を返した。その時、チラリと見えた。
 32点。
 そう、それは今回のテストの答案用紙だった。
 お姉ちゃんが32点。お父さん達の態度は、私が取った時とは、凄い違いだった。
 ずるいや、お姉ちゃん……。私、そんな点を取っても、そんな風に褒められたこと、一回も無いのに……。
「ん……?」
 お父さんが、私の存在に気付いたようだ。
「お前はどうだったんだ」
 明らかに怒気を帯びて、私に近づいてくる。そして私からテストを奪い取った。
「……」
「どうしたの? ……」
 お父さんとお母さんは無表情のまま、固まった。
 そんな事も気付かず、私は俯いた状態で待った。勿論、褒めてもらえると信じて。
 でも、結果は違った。
 お父さんの手が震えだす。
「……お前はぁぁ……」
「え?」
「この恥曝しが!」
 お父さんは思いっきり私の頭を殴ってきた。
「いつっ!」
「どうせ0点だったんだろうっ!」
 何度も何度も殴ってくる。
「それでお前は恐くなって付け足したんだろうっ!」
「ち、違う、違うよ……」
 流れ出る涙と痛みを必死でこらえながら、私はそう答えた。
「ならなんだ、どうやってこんな点数を取ったんだ?」
「あなた、きっとカンニングしたのよ」
「っ! あぁそうかそうか、そう言うことだったんだな」
「え、ち、ちがっ……」
「学校に電話だ、こんなインチキな点数は即刻修正しなければなっ!」
「ち、違うっ! お父さん!! お母さん!!」
 私の呼びかけにも応じず、お父さんは私の髪を掴み、電話の元へ向かう。
「いたいっ、いたいよお父さんっ!」
「なら早く本当のことを言え、カンニングでもしたんだろうがっ」
「ちがう、ちがうよっ! ちゃんと勉強して――」
「まだ嘘をつくのか、お前はっ!」
 また殴られる。
 違う、違うのに……私はちゃんと、努力して取った点数なのに……。
 私の涙で滲む視線の先には、お姉ちゃんがいた。
 お姉ちゃんは楽しそうだった。私とは反対側を向いているから、表情はわからないけど、楽しそうな後ろ姿。お母さんから与えられたのか、お菓子を食べながら、遊んでいる。
 どうして、どうして私ばっかりこんなに邪魔者扱いされて、どうしてお姉ちゃんばっかり、褒められたりして、幸せそうなんだろう……。私だって、お姉ちゃんみたいに、楽しそうに、お父さん達と笑っていたいのに……。
「おら、行くぞ」
 学校に電話をしていたお父さんは、突然私の髪を引っ張った。
「学校へ謝りに行け」
「で、でも私、なにも悪いこと――」
「お前はカンニングが悪いことじゃないと言いたいのかっ!!」
 頭を殴られる。
「私、なにも、なにも――」
 言う前に、殴られる。
「早く行けっ」
「うっ……ぅ……」
「早く行けっ!」
 今度はお腹に蹴りが入る。
 それでも私は行こうとしなかった。とめどなく溢れ出る涙をそのままにして、私は玄関の前で留まっていた。
 どうしても、どうしても、私の努力を認めてもらいたかったから。
「お前は俺達が連れて行かないと駄目なのかっ! まったく、佳奈多なら親の言うことはよく聞くと言うのにな、ホントにお前はロクデナシだ」
 どういわれようとも、私は一歩も外へ出ようとはしなかった。
 ずっとずっと、堪えてみせた。堪えていれば、いつかきっと、本当に私が努力して取った点数だってことを、認められる。
 でも、私が抱いた希望は、すぐに打ち砕かれる。
 お父さんは私の髪を引っ張る。
「この恥曝しがっ」
 そう呟きながら。結局私は、お父さんに髪を引っ張られ、無理矢理学校へ連れて行かれた。
 玄関のドアの閉まり際、お姉ちゃんの姿を捉えることができた。
 やっぱりお姉ちゃんは笑っていた。隣には、お母さんがいた。勿論、お母さんも笑っている。私には見せてくれたことのなかった笑顔を、お姉ちゃんには見せている。
 私だってその笑顔が欲しいのに、こんなにひどい親でも、私はその笑顔を追い求めているのに……。
 私の欲しいものは全て、姉の佳奈多が持って行ってしまった。


 学校で私はお父さんに頭を床に押し付けられ、無理矢理謝らされた。
 どれだけ私がやってないと泣き叫んでも、誰も信じてくれなかった。先生すらも、怪しんでいたんだ。
「謝れっ!!」
「やってない! 私はカンニングなんて、やってない!!」
「嘘をつくなっ! 先生だってこの点数は怪しいと言ってるだろうがっ!」
「でも本当にがんばって取っただけだもんっ!」
「だから嘘をつくなっ!!」
 そう言って、床に顔を押し付けられる。
「やって、ない!! やってない!!」
「……っ」
 ついに怒りが頂点に達したのか、いや、頂点を越したのか、お父さんは私の顔を思い切り蹴り、そして顔を何度も床に叩き付ける。
「いっ……っ……」
「早く謝れっっ!!」
 涙と共に、赤い液体も流れ出はじめる。
 もう、いやだ。こんなの、堪えられるわけ無い。きっと、認められるはずも、ない……。
「……ごめん……な……さい……」
「もっとはっきり言えっ!!」
「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
 私はボロボロの体で、顔を床に押し付けられた状態で謝っていた。なにもしていないのに、なにも悪くないのに、謝っていた。
 もう、どうだっていい……。きっと私は、何を望んでも叶わないんだ……。
 それから私は声が枯れて出なくなるまでずっと、謝った。


「うっ……ぅ……ぅぁぁっ……っ……」
 家に帰った私は、部屋の隅で1人、泣いていた。
 それでも、お父さん達は何も声をかけてくれない。
 聞こえてくるのは『あいつはロクデナシだ』とか、『ヤクタタズだ』とか、私の存在を否定するような言葉ばかり。
 でも、そんな親の言葉が聞こえる中、ひとつだけ、今までとは違う言葉が聞こえてきた。
「葉留佳……」
 久しぶりに聞く自分の名前……。その声に、私は思わず振り返る。
「お、ねえ、ちゃん……」
「葉留佳、大丈夫?」
 お姉ちゃんからそんな言葉が聞けた。それはとても嬉しかった。
 でも、いつもお姉ちゃんの幸せな姿を見てきた私には、同時にそれは腹立たしくも思えた。
「……うぶじゃない……」
「え?」
「大丈夫じゃない……大丈夫じゃない……っ!」
 少しだけ、強めに言った。お姉ちゃんはそれに驚いたのか、少し後ずさる。
「は、葉留――」
「どうして、どうしてお姉ちゃんはいつも幸せそうなの? どうして、私はいつも幸せになれないの……?」
 お姉ちゃんの言葉を遮り、私は訊いた。
 私はずっとお姉ちゃんを羨ましく思ってきた。いつも優しくされて、欲しいものいっぱいもらって、幸せそうなお姉ちゃんが、羨ましかった。
でも、どうしてお姉ちゃんばかり優しくされて、私はこんな目にばかり遭うのだろうって、考えてきた。でも、何故かは始めからわかっていた。
 それは私が産まれてきてはいけなかったからなんだって。
 でも、私はそれを認められなくて、ずっと探し続けた。結局、それ以外、見つからなかったけど……。
 でも、私が見つけられなくても、なんでもできるお姉ちゃんなら、なにかわかるんじゃないか。そう思った。
「今が幸せじゃなくても、きっといつか、幸せになれる時が来るよ」
 笑顔でそう答えてきた。
「……嘘……」
「え?」
「嘘……だ……。そんな、そんなの来るはず無い……。きっと、きっと今の状態が続いていくだけだよ、きっと、きっと……お姉ちゃんは幸せで、私は不幸でっ! これからもきっとそうっ! 私の幸せは皆お姉ちゃんが奪い取る!!」
 あれ、私、何を言ってるんだろう……。別にお姉ちゃんにそんなこと言おうとしてるわけじゃないのに……。
「お姉ちゃんはいいよね、いつも幸せそうでさっ! 私なんて見てよ、もうボロボロだよ、あはは、笑っちゃうよねホントっ!! あは、あはははははははは」
「葉留――」
「うるさい黙れ!! お前なんかになにがわかる! 幸せなお前なんかに、私の苦労がわかってたま――っ!」
 その時、一瞬にして、口の中にオレンジの香りが広まった。
「……」
「葉留佳、知ってる? 飴を舐めると、幸せな気持ちになれるんだよ」
「え……」
「これからは、二人で幸せを分け合っていこ、葉留佳っ」
 笑顔でお姉ちゃんは自分の口にも、飴玉を一つ、投げ入れた。
「……ん……っ」
 なんだか鼻がツンとする。でも、私の口の中ではオレンジの味が広がっている。
「あ、葉留佳は薄荷系駄目だったかな」
「……んっ、うん……」
 顔を伏せて鼻を押さえながらも、返事をする。
「あはは、鼻を押さえてる葉留佳可愛いわね」
「へ!?」
 驚いてお姉ちゃんの方を見る。
「顔真っ赤だよ、葉留佳」
「っ!?」
「もっと赤くなった〜、葉留佳」
 楽しそうに笑いながらそう言う。
 それから、お姉ちゃんは笑顔のまま、誘ってくれる。
「遊びにいこ、葉留佳っ!」
「……」
「葉留佳っ!」
「……」
 お姉ちゃんは私を呼んでくれる。けど、それには私は答えられなかった。
 この期に及んで、私はまだ、お姉ちゃんは情けで、私を誘ってくれているんじゃないかと思っていたから。

「……葉留佳、私の部屋で、待ってるからね……」
 少しして、お姉ちゃんはそう言ってから自分の部屋に向かった。
 私は必然的にその場に独りになる。
 あるのは、私の大好きなオレンジ(柑橘)の味。そして、大嫌いな薄荷の匂いだけ。
 その中で、私はさっきまでのことを思いだしていた。
 お父さんの仕打ちのことではなくて、お姉ちゃんとの会話のこと。
 お姉ちゃんは、情けで私に話しかけてくれたわけじゃなかったのだろうか。
 私と話してる間、お姉ちゃんはずっと笑顔だった。お父さん達がいつもお姉ちゃんにするような笑顔。その笑顔に、偽りは無い。
 だって、私の見てきた。お姉ちゃんに対する、お父さんやお母さんの笑顔は、心からお姉ちゃんを大切に思っているような、そんな笑顔だった。
 だから、さっきのお姉ちゃんの笑顔も――
 気付くと私は走り出していた。目指すは勿論、お姉ちゃんの部屋。


 『かなたのへや』と書かれたプレートの掛かったドアを開ける。
「あ、葉留佳っ!」
 そこには、お姉ちゃんがいた。
 笑顔で、私の名前を呼んでくれる。
「さっ! あそぼっ! ほら、ここに座ってっ!」
 そう言って、床をポンポンと叩く。
「ほら、葉留佳っ!」
「……うん」
 私はお姉ちゃんの隣に座る。
「よし、じゃあまずは積み木をしよう!」
「……うん」
「どっちが高くまで積み上げられるか勝負しましょ!」「……うん」 それから、私達は積み木を始めた。


「そーっと、そーっと……」
 お姉ちゃんが私の隣で積み木を積み上げる。
 その瞬間、がしゃがしゃーっと積み木が崩れる。
「あー……」
 お姉ちゃんは項垂れた。でも、すぐに立ち直り、そして私の方を見る。
「わっ! 凄い葉留佳!」
 私の積み木は、お姉ちゃんの2倍ほどの高さまで積みあがっていた。
「どうやったのそれ!」
「下を安定させただけだよ」
 お姉ちゃんは直線状にずっと積み上げてたけど、私は土台となる部分をしっかりと組み、それから積み上げていったから、かなりの高さまでいった。
「すごーい、私にはそんなの思いつかないよっ!」
「そ、そうかな……」
 正直、照れた。
 そんな言葉、言われたことなかったから、なんだかむずがゆい。
 でも、悪い気は、これっぽっちも湧かなかった。
 これが、幸せと言うものなのだろうか。
「ねぇねぇ葉留佳! それ、やり方教えてよ!」
 興味深々の様子で、お姉ちゃんは言ってきた。
「うん、いいよ……」


 ずっと、指を加えて見てきた幸せが、今、私の手の中にある。
 その幸せがこぼれ落ちないように、しっかりと守れる力が、私にはあるのだろうか。それは私にはわからない。
 でもきっと、お姉ちゃんと二人でなら守れるよね。





 それ以来、私達は毎日、二人で楽しく遊びはじめた。
 今はまだ、親の目を盗んでだけど、いつかきっと、そんなこともせずに、本当の本当の幸せにめぐり合えると信じて、私達は今日も、無邪気に二人で遊ぶ。


 これはほんの少し前の、ちいさなちいさな昔話――







The End...


[No.339] 2008/06/06(Fri) 23:43:06
インスト (No.321への返信 / 1階層) - いくみ

 唄の無い、歌を詠う。





『インスト』





 おはよう。そんな言葉が私を現実に引き戻す。左手を挙げて、下手糞な笑顔で返す。静かな朝だった。
 時計を見ると、もうすぐ八時を回るところだった。私はいつも朝は早めに来てしまう。理由は特に無い。それが習慣だから、としか言いようが無い。誰も居ない静かな教室に一人で居ると、なんだかそれだけで切なくなって、泣きたくなる。それでも、朝一番に教室に着いてしまうのは、その生活に慣れきってしまったからなんだろう。どんなことが起きても、人間そう簡単には変われないらしい。それを身を持って実感する。少しずつ教室に人が増えていく。一人、二人。寂しかった教室が少しずつ人で満たされていく。私の心の寂しさも少しずつ薄れていく。静かな朝だった。
「杉並、おはよう」
「あ、うん、おはよう。高宮さん」
「おはようー」
「勝沢さんも、おはよう」
 二人に笑顔で挨拶をしていても、私の意識は違うところに向いていた。同じタイミングで、もう一人登校してきた人物に、私の意識は釘付けになってしまったから。彼は今日も、一人で登校してきた。誰にも挨拶せず、誰にも目を向けず、一直線に自分の席を目指し、着くとすぐに机に突っ伏していた。彼の周りには誰も居ない。誰も近づけない。世界を拒絶するように、それでも、生きなければならない義務を背負い、死んだように息をする。
「その三角巾も見慣れたね」
「え?」
 高宮さんの言葉に、意識を二人の方へと戻す。
「うん。最初はさ、どう接していいか分からなかったんだけど」
「そんな、気にしなくてもいいのに」
「だから、気にして無いじゃん」
「あはは、そうだね」
 私の右腕は動かない。医者が言うには、靭帯だか神経だかがもうダメなんだそうな。詳しい説明は覚えていない。聞いたところで、どうせ元には戻らないのだから。とりあえず、まだ怪我も完治していないので、三角巾で吊るして経過を見ている途中なのだ。元々右利きなので、非常に不便になってしまったが、命さえあればなんとでもなるし、まだ左腕があるのでなんとかなるだろう、と自分でも意外なほどに楽観視している。
「まあ、困ったら呼んでよ。助けるからさ」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、そろそろ先生来るっぽいし」
 そう言って二人は自分の席へと戻っていった。と、同時に担任が教室に入ってくる。教壇に立ち、出席をとる。少しだけ欠けたパズルのピース。今はもう見慣れてしまった幾つかの空席。とても静かな朝だった。





 彼を初めて意識したのは、入学して間もない頃だった。リトルバスターズと公言している五人組。非常に傍迷惑な軍団なのだが、そんな中に彼はいた。一見地味で、気弱で、貧相で。他の四人とは違い、平凡な存在だった。何故そんな彼が、こんな変態軍団に身を置いているのか。不思議でたまらなかった。気になり、自然と彼を目で追っていた。始まりは、そんなところだ。観察しているうちに、時折見せる儚い表情や、遠くを見る姿に、普通じゃない何かを感じた。私はそれに、惹かれていった。こうやって思い返すと、存外単純な自分に呆れる。恋ってのは、陳腐で滑稽なものなんだな。そんなものに、夢中になっている。今もずっと。
 まあ、フラれたんだけど。





 いつも通りの授業が始まり、そして終わる。それを繰り返し、昼休みになった。変わらない日常がもどかしい。
 誘われて、いつも通りお昼は学食でとることになった。私が教室を出る時も、彼はまだ机にうつ伏せになっていた。あれから変わってしまった彼がもどかしい。
 どうでもいい話を笑顔でしながら、学食へと向かう。すれ違う人だって笑顔だ。世界はこんなに笑顔で溢れている。私は笑顔をうまく作れているだろうか?
 無駄に混雑した学食に到着する。私は、皆の分の席を確保するためにテーブルに向かった。ひとつだけぽっかりと空いたエリアがある。五人分の席。これほど人でごった返していると言うのに、そこだけは誰も近づこうとしなかった。そこから少しだけ離れた場所に席が空いたので、私はすかさずそこに座った。化粧ポーチや携帯などで、残りの二人の分も確保する。待っている間、あの席を眺めていた。一際騒がしくて、一際明るくて、一際目立ったあの席を。主を待つ椅子は、まだきっと知らない。そこに、もう、誰も座ることの無いことを。
 少し待つと、二人分のメニューを持った勝沢さんと、笑顔の高宮さんがやってきた。適当にお願いしておいた私の今日の献立は、カレーだった。右手の動かない私への配慮だろう。スプーンで掬って食べられるようなものを、彼女はいつも持ってきてくれる。
 やたら大きなじゃがいもを頬張る。嫌いな人参も食べる。変わらなくちゃいけない気がした。




 私たちを助けてくれたのは、彼と棗さん、二人だった。手際よく救助していたと聞いたが、普段の二人からその姿は想像できない。少しだけ私も意識はあったが、あの事故の詳細についてはよく分かっていない。覚えているのは、彼が私を救ってくれたこと。ありがとう、という言葉に力強い笑顔を見せてくれたこと。彼が突然倒れたこと。棗さんが、一人であのバスへと向かっていくところ。そして、途轍もない爆発の音。熱風。次の瞬間には、私は病院のベッドの上に居た。左腕から管が生えていた。身体中に包帯が巻かれていた。右腕が動かなかった。
 クラスの約半数ほどが助かったそうだ。あれほどの事故で、それだけの数が助かったことは奇跡だ、と誰かが言っていた。そんな奇跡を起こした張本人は、あれから一度も笑顔を見せない。
 誰かが助かった中で、誰かはいなくなった。犠牲の上に成り立った奇跡の上で、私は今日も生きている。





 カレーを食べ終わり、口元をティッシュで拭き取る。白いティッシュに茶色の汚れが着く。いつもカレーを食べ終わると思うことがある。食べている間の私の口には、こんれだけのカレーが着いていたことになるのだが、もしかして結構ヤバイことになっているのではないかと。人が食べている間に盗み見してみても、それほどではない辺り、まあ大丈夫なんだろうけど。三人とも食べ終わり、揃って手を合わせる。軽くなったトレーを片手で返却口へと持っていく。最初は、代わりに持つと言ってもらえたのだが、これぐらいしないと、今後人に頼ることを覚えてしまいそうで、それがなんだか嫌だった。
 学食を出て、まだ少し時間があったので、私は中庭の自販機へと向かった。二人は先に教室戻って宿題をやると言っていた。そういう辺り、相変わらず過ぎて、少し本当に笑ってしまった。
 百円を自販機に入れてからしばらく悩む。特に買うものを決めていなかったので、どうしたものかと一頻り考え、結局無難なオレンジジュースを買った。一人になるためにここまで来たのだ。すぐには教室に戻らず、そこらに横たわるベンチに腰を落ち着けた。パックにストローを挿しいれ、一口飲む。すっぱいんだか甘いんだか、オレンジジュースの独特な味が口の中に広がる。なんだか人生みたいだと思った。
 一人になると寂しい。それでも一人になりたい時がある。私は欲張りだ。
 あれ以来、色々と一人で物思いに耽ることが多くなった。あの時のことを。私は死ぬはずだったのだ。それが、今こうしてオレンジジュースを飲んで一服している。乗り物酔いしやすい体質だった。だから、私はバスの一番前の席に座っていた。助かった理由はそれだけのことだろう。死んだ人と私とで差があったわけではない。私が生き残る理由だって無い。たまたま、偶然、運が良かった。
 過ぎたことを考えても仕方が無い。だけど、考えてしまう。変わらないといけない。だけど、変われない。色んな矛盾が私の中を駆け巡る。空を見た。真っ黒で分厚い雲が、一面を覆っていた。雨が降りそうだ。パックのジュースはまだ半分以上残っている。残りは授業中に飲むことにして、私は教室へと戻ることにした。
 途中、渡り廊下を横切った。なんとなく遠回りしたかったから。ふと、猫の鳴き声がした。それも複数の。興味を引かれ、私は鳴き声の方へとフラフラと近づいていった。





 びっくりなんてものじゃない。なんだろう。驚愕? 仰天? よく分からない。とにかく震えた。そこには、十数匹もの猫が軍団になって、もっさりどっさりと居た。何故学校に? どこに隠れていたの? 色々と考えるが、はじめて見る光景に、にゃあにゃあ鳴く猫の鳴き声に、私は癒されてしまった。どうでもよくなった。撫でられるかな? オレンジジュース飲むかな? そんなことを考えて、私は少しずつ近づいた。急にでは、猫も驚いて逃げてしまうかもしれない。気配を消し、にじり寄る。
 だけど、もう少しというところで、私は動けなくなってしまった。猫の中心に人がいたから。そして、その人に目を奪われてしまったから。彼が居た。笑顔で猫に餌をやっていた。
 気づかず、私の頬を涙が伝う。それはきっと、彼の姿が余りにも儚かったから。彼の笑顔が余りにも空っぽだったから。猫が誰の代用品か分かったから。自分が何も出来ないと痛感させられたから。感覚の無い、右腕が痛む。
 彼が求めているのは私なんかじゃない。もういなくなってしまった彼らで。どうしようもなく憎らしくて、ぶつけようの無い怒りとか、悲しみとか。混ぜこぜになった感情で、立ってる位置さえ分からなくなる。
 本当は言いたかった。私は、あなたのおかげで助かったよって、救われたよって。だけど、そんなこと言ったってどうしようもないことが分かってるから。だから、私は何も出来ずに動けない。
 チャイムが鳴った。彼が立ち上がる。ハッとして、慌てて逃げるように教室へと走った。涙は止まらない。オレンジジュースは、どこかに落としてしまった。





 一度トイレで顔を洗ってから教室に戻った。当然、授業には遅刻した。教師は、赤く腫れた私の目を見て、何も言わなかった。彼は、相変わらず机に突っ伏していた。また、泣いてしまいそうになった。席に戻り、教科書を取り出す。淡々と、冗談も交えない授業が進んでいく。だけど、何も頭に入らない。真っ白なノートが、机の上に広がっていた。
 彼と同じようにすれば、彼の何かが分かるだろうか。そう思って、私も机に顔を埋めた。
 真っ暗で、何も見えなかった。


[No.340] 2008/06/07(Sat) 01:09:52
一人の妹、二人の姉 (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@微妙にエロ?・大遅刻

「姉御、姉御っ」
「何だね、葉留佳君」

 放課後、野球の練習の帰り道。いつものように葉留佳君は私の隣に寄ってきて、話に花を咲かせる。話題は専らリトルバスターズのメンバーについて。例えば、理樹君を女装させたときに最も似合う服はどんなものか。例えば、恭介氏の(21)疑惑は真実か否か。例えば、筋肉馬鹿は死ねば治るか、あるいは死んでも治らないか。
 話題を振るのはほとんど葉留佳君で、話す量も葉留佳君のほうが多い。私はどちらかというと聞き手に回っているが、それは決して話が退屈だというわけではない。むしろ、私はこの時間を楽しみにしていた。
 ……しかし。

「……ありゃ?」
「む、どうした?」

 歩きながら話していた葉留佳君が突然、足も口も止める。さらに目も止め、離れたある一箇所を見つめている。視線を追うと、クリムゾンレッドの腕章を付けた生徒の一団。そしてその先頭に立つ佳奈多君。風紀委員だ。
 葉留佳君がにやりと悪戯っぽい笑みを浮かべたのが分かった。

「姉御、私はちょっとヤボヨーが出来たんで、先に帰っててくださいっス!」

 言うが早いか、風紀委員達の方へ走って行く。また何か悪戯をしかけるつもりなのだろう。
 野球の帰り道、葉留佳君と取りとめのない話をする時間を私は楽しんでいる。しかし最近、その時間がすっかり減ってしまっている。原因ははっきりしていた。我々の練習が終わるのと同じ時間帯に校内を見回る風紀委員……と言うより、そのトップ、佳奈多君だ。
 修学旅行の後、紆余曲折を経て和解した葉留佳君と佳奈多君。それ以来、葉留佳君の行動パターンは随分と変わった。
 まず、私達のいるE組に顔を出すことが減った。それでもやはり他クラスの人間にしてはE組にいる頻度が高く、疎遠になるようなことはなかったが、それでもどこかE組が静かに、そして物足りなくなったのは確かだ。
 また、悪戯の仕方が変わった。以前の葉留佳君は時も場所も選ばず悪戯を繰り返していたが、今の葉留佳君はリトルバスターズ内、あるいは風紀委員の近く以外ではあまり悪戯をしなくなった。結果として、風紀委員の周辺こそが騒ぎの発生場所有力候補となっている。また、悪戯の内容も相手をからかうようなものに偏ってきた。
 そして何より、佳奈多君に甘えようとするようになった。以前はあんなにも憎んでいた相手だというのに、だ。まあ、今にして考えてみれば、あの憎しみも甘えたい気持ちの裏返しだったのかもしれないな。とにかく、これが一番の葉留佳君の変化だ。というより、先の二つはこれによる副次的なものとさえ言えるだろう。E組にあまり来なくなったのは、自分のクラスで佳奈多君と一緒にいたいが為。風紀委員相手にからかうような悪戯を繰り返すのは、そうやって佳奈多君に構ってもらいたいが為だろう。
 一般的な考えで言えば、二人が和解できたことは喜ばしいことなのだろう。二人の友人として、祝ってやるべきなのだろう。だが私は、そうすることができずにいた。
 葉留佳君は私に、姉に接するように慕ってきてくれた。その葉留佳君が今はそばにいないことが寂しかった。今、葉留佳君のそばにいるであろう佳奈多君に嫉妬した。
 葉留佳君。私をこんな風にしたそもそもの原因は、君なのだぞ……。

 葉留佳君と初めて出会ったのは、一年の五月のことだった。飲み物を買おうと自販機の前に立ったとき、隣の自販機に向かっていた少女が財布から十円玉を一枚落とした。側溝に落ちたそれを見て、彼女は大げさに嘆いた。たかが十円玉一枚ごときにそこまでこだわる理由が分からなかった。理由は分からなかったが、酷く興味を覚えた。もしここで側溝から十円玉を拾ってやれば、またえらく大げさに喜ぶのだろうか。

『おい』
『へ、私?』
『そうだ。硬貨を拾ってやる、少し離れていろ』
『う、うん……』

 そうして拾ってやれば、予想通り、いや、予想以上に大げさに少女は喜んだ。瞳を輝かせ、手を叩き、しきりにすごいすごいと口にした。少女の反応に、むず痒いような、しかし不快ではない奇妙ななにかを感じたことは、今でも覚えている。
 その、たかが十円ごときにやたらと大げさに嘆き、喜ぶ奇妙な少女こそ、葉留佳君だった。
 それ以降、葉留佳君は休み時間のたびに他のクラスから私を訪ねてくるようになった。私に取り入ろうとする女子はこれまでにもいくらかいた。それらと同類なのではと最初は葉留佳君を疑いもしたが、疑念はすぐに晴れた。他の連中とは違い、葉留佳君からは魂胆のようなものが感じ取れなかった。
 ただ、私が手慰みに習得した特技を見せてやれば大げさに喜び、私がからかってやると凹んでみせる。そんな彼女の姿に、私は何か尊いものを感じていた。

 当時の私が自覚することはなかったが、今なら分かる。曰く、“感情の無い、ロボットのような女”である私の目には、どこまでも感情豊かな葉留佳君が眩しく映ったのだ。不謹慎だとは分かっていたが、やがて知った葉留佳君が佳奈多君に向ける深い憎しみでさえ、私にとっては羨ましいものだった。
 そして、今にして思えばそれこそが、私が生まれて始めて持った感情だったのだろう。
 今の私には、人並みとは言わずとも、それなりに感情が備わっているという自負がある。それはきっとあの繰り返す世界での日々、リトルバスターズのメンバー達……特に、理樹くんのお陰だ。あの世界が私の感情を育んだ土壌であり、理樹君の存在が太陽であったとするなら……最初に私の感情の種を蒔いたのは、葉留佳君だった。
 それまで感情を持たなかった女が初めて抱いた感情。それが、どこまでも感情豊かな少女への羨望だったとは……なんとも皮肉な話だ。



 翌日の朝、私が教室に入るとすでにそこには葉留佳君がいた。私の姿を見たとたんに、ぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる。

「姉御、姉御ー、おはようございまっす!」
「うむ、おはよう」
「姉御〜、聞いてくださいヨ、お姉ちゃんってばひどいんですヨ〜」

 朝の挨拶もそこそこに、佳奈多君のことを話し出す。話の内容は、昨日ちょっとした悪戯をしただけなのに随分怒られただとか、小言が多いだとか、説教が長いだとか、葉留佳君の好きなみかんを粗末に扱うだとか、割とどうでもいい不満だった。特に最後とか。
 それに何より、言っている内容は佳奈多君に対する不満のはずなのに、それを語る葉留佳君の表情はむしろ嬉々としていて……まったく深刻そうには見えない。というよりむしろ、惚気にしか見えない。
 昨日のことにしたってそうだ。葉留佳君は昨日、私との会話を中断して佳奈多君にちょっかいをかけに行った。それはつまり、葉留佳君の中で私の優先度は佳奈多君より低いという事で。
 当然かも知れないが、所詮『姉御』では本物の姉には勝てないということか。以前の私なら、負けを悔しがることも、寂しがることも、嫉妬することも知らなかったというのに。葉留佳君はそれらを私に植え付けておいて、その上で敗北を突きつけてくる。しかも、本人にその自覚はないままに。本当に残酷だな、君は……。
 そんなことを考えていると、ふと葉留佳君の言葉が耳に入った。

「あーあ。姉御も私の本当のお姉ちゃんだったら良かったのになー」
「なん……だと……?」

 想定外の言葉に、思わず聞き返す。

「やー何て言うかですネ、折角仲直りしたんだからはるちんとしてはもっと楽しくいきたいわけですヨ。けどお姉ちゃんってば頭固いからなかなかそうは行かないんですヨ。もし姉御もほんとの姉妹だったら、その影響でお姉ちゃんもちょっとは頭柔らかくなりそうだし。それにその方が楽しそうだし」

 つまり、葉留佳君は……どちらか一方ではなく、両方を選ぶ、ということか。それは、勝ち負けに目をつけている限り気付くことのできない、欲張りな第三の選択肢。

「ふ……フハハハハっ!」
「え、姉御? どうしたんですカ?」

 こらえきれずに笑い声を上げる。突然笑い出した私に、葉留佳君が怪訝そうに声をかける。

「ハハっ……いや、けしからんな」
「あ、でしょでしょ? もっと言ってやってくださいヨ、姉御」
「ああ、まったくもってけしからんな……葉留佳君は」
「へ? わ、私? お姉ちゃんじゃなくて?」
「うむ。被告、三枝葉留佳。判決、極刑」

 葉留佳君はまったくもってけしからん。私に感情を植え付けておきながら、自覚もなしに私をやきもきさせ、自分はお気楽に過ごしているのだから。おねーさんがちょっとオシオキしてやろう。
 判決を下し、葉留佳君の頭を抱き寄せる。そのまま葉留佳君の顔を胸の谷間に埋め、抱え込んでやった。

「んぶっ!? むー、むーーっ!」
「フハハハハっ! おねーさんのおっぱいに溺れて悶え果てるがいい!」

 抜け出そうともがく葉留佳君。私の体を前に押し、谷間に挟まれた顔を後ろに逸らそうとするので、自然、葉留佳君が両手で私のおっぱいを鷲掴みにする形になる。

「ん、うむっ……なんだ、葉留佳君はそんなに私のおっぱいを揉みしだきたかったのか。まあ相手が葉留佳君なら吝かではない。存分に堪能するがいい」
「むーんむーむーー!」

 私達がそんな微笑ましいやり取りをしていると。

「来ヶ谷さん! 葉留佳! 何をしているんですかっ!」

 葉留佳君の姉にして、目下私の最大のライバル、佳奈多君がいた。妹のピンチにどこからともなく参上、と言ったところか。

「何って、スキンシップだよ。見て分からんかね、佳奈多君」

 平然と答え、葉留佳君を解放してやる。

「ぷはっ! し、死ぬかと思いましたヨ……」
「うむ、天国が見えただろう?」

 荒い息をつく葉留佳君は足下がフラフラしている。今度はそっと、葉留佳君の体を支えてやる。葉留佳君も今度は大丈夫だと判断したのか、少しばかり体重を預けてくる。うむ、役得役得。
 そして、その私達の動作を見た佳奈多君の眉がぴくりと動いたのを、私は見逃さなかった。

「……来ヶ谷さん、以前から思っていたのですが、あなたのスキンシップとやらは行き過ぎなんじゃありませんか?」

 佳奈多君の声は普段のものに輪をかけて冷たい。何とか平静を装っているが、内心では随分と苛立っているのだろう。更に神経を逆撫でしてやる。

「まあ最愛の妹を思う存分ハグしたいと思いながらも素直になれない佳奈多君にしてみれば、私達のスキンシップに嫉妬する気持ちも分からんではないが、このぐらいは普通だぞ」
「ひゃっ、ぁ、あねごぉ……」

 佳奈多君の目の前でこれ見よがしに葉留佳君の体をべたべたと触る。まだ酸欠から回復しきってない葉留佳君が、妙に艶めかしい声を上げた。

「来ヶ谷さんと一緒にしないで下さいっ! 私はそんなこと思ってません! おまけに言ってる側から何をやってるんですかっ! さっさと葉留佳を離しなさいっ!」

 うむ、苛立ってる苛立ってる。葉留佳君がやたらと佳奈多君にちょっかいをかける気も分かる。佳奈多君の平静の仮面を引き剥がすのは楽しかった。

「まあ落ち着け、佳奈多君。葉留佳君は何やら君に不満があったようでな。私はそんなことを言うものではないとオシオキしていたのだよ」
「ちょ、ちょっと姉御っ!?」
「へぇ…… それは本当なの、葉留佳……?」

 佳奈多君の注意が葉留佳君に向く。葉留佳君がびくりと震え上がるのが分かった。

「ね、ねぇ、お姉ちゃん……?」
「なぁに、葉留佳ぁ……? うふふふふふ……」

 幽鬼のような足取りでこちらに近づいてくる佳奈多君。もはや佳奈多君の目には葉留佳君しか映っていない。
 ……それこそが、私の狙っていた状況だ。

「だがな、葉留佳君に佳奈多君流のオシオキをされると主に私が困るのだよ。なので渡すわけにはいかんな」

 言って、葉留佳君をひょいと抱え上げる。右手で葉留佳君の肩を抱き、左手は両膝の裏を支える。いわゆるお姫様抱っこの形だ。
 180度回転し……一気に駆け出した。

「あっ! ま、待ちなさい、来ヶ谷さんっ!」

 我にかえった佳奈多君が慌てて声を上げるが、待てといわれて待つ馬鹿はいない。構わずトップスピードへ。

「『いやーっ、たすけてーっ!』勇者かなたんの善戦も空しく、魔王アネゴリオンに攫われてしまった王女はるちん! 王女はるちんの運命はいかに!? 続くっ!」

 ついさっきまで佳奈多君に怯えていた割りに、随分と芝居がかった口上をノリノリで述べる葉留佳君。

「……意外と余裕なのだな、葉留佳君」

 葉留佳君は暴れることも無く私に抱かれており、さらにしっかりと私の首に両腕を回している。

「いやーこういうのもヒロインっぽくてちょっといいかなーとか思いまして」
「なるほど、では大人の世界では囚われのヒロインがどういう目に遭うのか、たっぷり教えてあげよう」

 葉留佳君に顔を寄せて囁きかけ、足を支えている左手をずらす。短いスカートとオーバーニーソックスに挟まれた絶対領域、肉付きのいい葉留佳君の太ももを撫で上げる。

「ひゃあっ!? あ、姉御、どこ触ってんデスカっ!?」
「太ももだが?」
「当たり前のことのように答えないで下さいヨっ!」

 葉留佳君の突っ込みは無視して、さらに左手を動かす。ぴらり。

「……ふむ、白と水色の縞々か。いいチョイスだぞ、葉留佳君」
「って何を見てるんデスカっ!?」
「ぱんつだが?」
「だから当たり前のことのように答えないで下さいヨっ!」

 走りながらも、馬鹿な会話の応酬を繰り広げる。ああ、やはりこの娘は私が生まれて初めて手にした、感情そのものなのだ。葉留佳君が姉である佳奈多君と同等に自分を必要としている。そう言って貰えただけで、柄にもなく浮かれている自分がいる。
 背後から、佳奈多君の怒鳴り声が響いてきた。普段なら撒くのも容易いところだが、さすがに葉留佳君を抱えたままではそうはいかないようだ。

「葉留佳を解き放ちなさいっ! その子は私の妹なのよっ!」

 必死でこちらを追っているためだろうか、佳奈多君もいい感じに仮面がはがれ、言動が壊れだしている。負けじとこちらも後ろに向けて怒鳴り返す。

「黙れ小娘! お前にこの娘が救えるかっ! ……あと、女の嫉妬は見苦しいぞ、佳奈多君っ!」

 ……佳奈多君。君にとっての葉留佳君が、複雑な環境の中でも長年守ろうとし続けてきた、大切な妹であることは承知している。だが、葉留佳君は私にとっても大切な妹分で……そして、私が生まれて初めて得た、感情そのものなのだ。
 たとえ君にであろうとも、易々と譲り渡しはせんぞ。

「そ、それで姉御。このままどこへ逃げるつもりっスか?」

 手でスカートの裾を押さえながら葉留佳君が遠慮がちに聞いてくる。

「うむ。ちょうど、『相手と二人きりで体育倉庫に閉じ込められるおまじない』なるものを仕入れたばかりなのでな。折角だから試してやろう」
「何なんデスかそのピンポイントなおまじないは……」
「まあ気持ちは分かるが……実際あるものは仕方ない」
「なーんか、怪しいですネ……閉じ込められてそのまま出られないとかなりそうですヨ」
「なに、ちゃんと解呪の方法もある。安心しろ、出られるさ。……たっぷりと楽しんだ後で、だがな」 

 言って、口の端を吊り上げて見せる。葉留佳君の大きな瞳が怯えに彩られる。

「あ、姉御……本気っスか?」
「うむ、本気だ」

 きっぱりと肯定する。葉留佳君はしばし、私の目をじっと覗き込み……。

「た、助けてぇー! お姉ちゃーーん! 姉御に犯されるーーー!」

 声を上げ、じたばたと暴れだす。私は腕に力を込め、しっかりと葉留佳君の体を抱きしめなおす。
 ……手放してやるものか。

「フハハハハハっ!」

 高らかに笑いながら廊下を駆け抜ける。私の胸の中では、感情が騒いでいた。


[No.341] 2008/06/07(Sat) 04:50:36
Re: [削除] (No.334への返信 / 2階層) - ひみつ? なにそれおいしいの?

今になって投稿規程読み直してみたら続きものはダメって書いてあったorz
というわけで削除。
すでに投票してくださったいくみさん、本当にごめんなさい。


[No.344] 2008/06/07(Sat) 13:12:19
Re: [削除] (No.333への返信 / 2階層) - ひみちゅ

まあ大丈夫じゃね?と思ったけどやっぱダメなんじゃね?と思い直した。
というわけで削除。
お騒がせして申し訳ないです。


[No.345] 2008/06/07(Sat) 14:50:38
僕は妹に恋をする (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@超遅刻 でも不戦敗とか冗談じゃねぇよ

「なあ理樹。女の子らしくて、かわいい妹になるにはどうすればいいと思う?」

 二人きりで話たいことがあるからって校舎裏まで連れてこられてもしかして愛の告白とかされちゃうんじゃねヒャッホウ、と一人で浮かれていた僕は、鈴の打ち明けたわけのわからない悩みのせいで一気にテンションが下がる羽目となってしまった。しかも向こうは真顔なのが始末に負えない。

「いったいどうしたのさ、いきなり」
「あの馬鹿兄貴のことだ」

 いやまあ、それはわかるけど。

「一度、どうしてもぎゃふんと言わせてやりたくてな。そんで、なにか恐いものはないのか、って聞いてみたんだ」
「恭介本人に?」
「そうだ。そしたら」



『俺が恐いもの? そうだな……女の子らしくて、かわいい妹が恐い』



 饅頭食べてお茶飲んで、恭介はそう答えたという。
 大丈夫だよね? わかるよね? いやまあ、目の前にわかってない子が一人いるわけだけどさ。ほら、「ここらで一杯、アニメ化が恐い」とかいうアレだよ。ちなみに最近、僕は18禁化が恐い。ああ、もう発売日まで決定してたっけ。いやぁ、恐くてしょうがないよ、ははは。
 まあここまで解説すれば大丈夫だろう。話を進める。

「本気で女の子らしくてかわいい妹になりたいの?」
「そうだ。本気だ」
「……よしわかった、協力するよ」

 まあ見てるぶんには面白そうだし。

「でもそれなら、僕よりももっと頼りになる人がいるよ」



「妹ときたら私ですヨネ!」
「私もいるよ〜」
「やっほー理樹君」

 そんなわけで、葉留佳さんと小毬さんの二人。
 というか、声かけたのは葉留佳さんだけのはずなんだけど。小毬さんはほら、色々と。要らぬ気遣いだったということかな。まあ、何も言ってないはずなのにここにいる謎は解明されないわけだけど、どうでもいいよねそんなことは。
 とにかく、ホンモノの妹キャラが二人。僕よりもよっぽど鈴の力になってあげられるだろう。

「ねーねー理樹君、さっきからなんだか私のこと無視してない?」
「小毬さん、葉留佳さん、鈴のこと、頼むよ」
「ひどいよひどすぎるよー! この鬼畜!」

 ああ、僕には何も見えないし聞こえない。

「理樹くん。女の子をいじめたら、めっ、だよ〜」
「しょうがないデスヨ、こまりちゃん。なんたって理樹君は」
「鬼畜だもんねーっ」

 見えない聞こえない。というか、こんなくだらないことで見えたり聞こえたりしたら色々と台無しだから気を遣っているというのに、どうしてわかってくれないんだろう、この子は。

「もうどうでもいいから、尺も無いしさっさと話を進めちゃってよ」

 なにやらもじもじしてた鈴の背中を押して妹トリオの前に立たせる。

「う、うみゅ……みんな、力を貸してくれ」
「おっけーですよ〜」
「はるちんにお任せあれっ!」
「まあ暇潰しにはちょうどいいかなー」

 恥ずかしそうな鈴と、三者三様に頷く助っ人たち。これぞ、リトルバスターズが誇る妹カルテットである。クドも呼ぶべきだったか、と僕は少し後悔する。クドはストレルカやヴェルカのおねーさんだって? いやいや、誰がなんと言おうと妹でおっけーだよ。ねえ?
 まあとにかく、鈴を女の子らしくてかわいい妹にするための、しょうもない会議が始まった。

「女の子らしくてかわいい妹か〜。りんちゃん、女の子らしくてかわいいよねぇ?」

 よしよしいい子いい子〜、と鈴の頭を撫でながら小毬さんが言う。鈴はやっぱり恥ずかしいのか顔を赤くして俯いてはいるけれど、逃げようとするわけでもなく、されるがままになっている。
 まあ、こういうのを見てると確かに女の子らしくてかわいいんだけど。

「今回の場合、恭介に対してそうじゃないのが問題なんだよ」
「あ、そっかー」
「じゃあ、猫耳つけてみるとかはどうですかネ」

 葉留佳さんの提案はいつもどおり脈絡がない。

「や、男が猫耳付けてたらキモいっしょ?」
「だから女の子らしい、と?」
「うんうん。それにかわいーじゃん」

 まあ、言いたいことは分かる。だけども、今回に限っては重大な欠点が一つだけある。それは――

「なに言ってるのよ、はるちん! 理樹君なら猫耳も似合うって!」
「西園さん2Pキャラバージョンの戯言はおいといて」
「理樹君、ほんと容赦ないね……私のこと、嫌いなんだ……」
「鈴は自前で猫耳装備だから、葉留佳さんの案じゃ問題は解決しないよ」
「無視!?」

 いや、だからさ。……もういいや、どうでも。

「じゃあ美鳥、何かいい案でもあるの?」
「ふふふ……とうとう認めちゃったね、私の存在を……」
「さっきからあれだけアピールしてたのはどこの誰なのさ」
「というわけで鈴ちゃんには、巷でエロいと評判の私の笑顔を伝授してあげようっ!」
「却下」
「鬼畜ー!」

 なんだか人選をあきらかに間違えているような気がしてきたけど、そもそもまともな候補なんていやしないんだから、しょうがない。

「むー。じゃ、さっきから文句ばっか言ってる理樹君。理樹君には何か、いいアイデアはないわけ?」
「それを思いつかないからみんなを呼んだわけなんだけど」
「まあまあ、モノは試しに言ってみてくださいヨ」
「そうだねぇ……」

 いや、本当にろくな案を思いつかないけど、何も言えずに馬鹿にされるのも癪だし。うーん……。

「……お兄ちゃん、って呼んでみるとか?」
「「 そ れ だ ! 」」

 葉留佳さんと美鳥が声を揃えて言った。え? というかいいの、これで? 僕の提案で解決しちゃったら呼んだ意味がないよね。役立たず確定じゃないか、これじゃ。

「ささっ、鈴ちゃん試しに理樹君に言ってみて! おにいちゃん、って!」

 美鳥が鈴の背中を押して僕の前まで連れてくる。え、というか僕が練習相手なの? いやまあ、ここには男は僕しかいないけどさ。

「り、理樹にか?」
「そうそう。ほら、練習しないとダメだし」
「む……練習か。練習なら仕方ないな。…………おにいちゃん」
「違う違う! もっと! もっと愛を込めて!」
「う……お……おにい、ちゃん」

 ガチガチで不自然極まりなくはあったけど、顔を赤くして恥ずかしそうに「おにいちゃん」なんて素敵ワードを口にする鈴は……その、なんていうか……いい。

「おおっと、みどりちん! まだまだですネ!」
「むむっ、はるちん!? どうでもいいけどみどりちんって語呂悪くない!?」
「ほら鈴ちゃん、こうして、こうして、こうすれば、もーっと破壊力が増しますヨ」

 葉留佳さんが鈴にいろいろとポーズやら何やら指導をしていく。最後に耳元でゴニョゴニョと何か言って、葉留佳さんは行ってこーい、と鈴を僕の前に押し出した。
 上目遣い。潤んだ瞳。上気した頬。胸の前で祈りでも捧げるかのように組まれた手。
 そして、どこか甘えた声で。

「……おにい、ちゃん……」
「うわあああああああああっ!! うわあああああああああっ!?」
「ほわあっ!? ど、どーしたの理樹くん!?」

 や……やばいって! やばいってこれ! 何か新しい世界が見えたよ!? 役立たずなんて言ってごめんなさいぃぃぃっ!!

「くっ……負けた。さすがはるちんね」
「やはは。まあ、私がいつもお姉ちゃんに使ってる手をそのまま教えたんですけどネ。まったく、仲直りした後のお姉ちゃんの扱いやすさったらもうね」
「でもさ、もうちょっとなんか欲しくない?」

 み、美鳥……これ以上、まだ何があるって言うんだい……? そんなに役立たずを撤回したいのか……まったく、しょうがないな……。
 いいぞー、もっとやれー!

「飾りみたいなのが欲しいのかなぁ。ねーねー小毬ちゃん、何かいいもの持ってない?」
「ふえ? 私? えっと〜……これとかどうかな?」
「……さすがネ申だね」
「いやはや、まったくですヨ。こまりんには敵いませんネ」

 な、なんだ。小毬さんはいったい何を持ち出したというんだ。

「じゃ、鈴ちゃん。はいこれ」
「ん……これは、どうすればいいんだ」
「あー、さっきと同じポーズで、これをこうして」
「ねぇ、膝立ちの方がよくない? シチュエーション的に考えて」
「おおっ、みどりちん、いい所に気がつきますネ!」
「ま、それほどでもあるよ」
「よーし、これでおっけーですヨ。さあ鈴ちゃん、理樹君を血の海に沈めてくるのだァーッ!」
「わかった」

 鈴が再び僕の前にやってくる。
 まず、膝立ちになる。元々ちっこい鈴だけど、そうしていると頭の位置はちょうど僕の腰と同じぐらいになってしまう。そして、鈴が取り出したのは――





 魚肉ソーセージだった。
「……おひいひゃん」





 その魚肉ソーセージの使い方、YESだね!
 葉留佳さんの言葉どおり(鼻)血の海に沈みながら、僕はそんなことを思った。





 そんなわけで、僕を練習相手とした鈴が女の子らしくてかわいい妹になるための訓練は一週間ほど続いた。
 訓練の終盤では、鈴は日常会話の中でさえ、つい僕のことを「おにいちゃん」と呼んでしまうまでになった。無意識なので、周りに人がいても関係なく、だ。その度に僕らは慌てて誤魔化してはいたけど、僕は自分の頬が緩むのをどうしても隠すことができなかった。
 なんなんだろう、この気持ちは……鈴が僕のことを「おにいちゃん」と呼ぶ度に、鈴のことをたまらなく愛おしく思ってしまう。これは、まさか――





 そしてついにやってきた、恭介との決戦の日。

「どうした鈴、いきなり呼び出して」
「ふっふっふ。その余裕も今のうちだ。今日こそぎゃふんと言わせてやる」

 鈴の台詞に自分が言ったことを思い出したのか、恭介は口元に小さく笑みを浮かべた。
 ……なんだろう、これ。なんというか、こう……イラっとくる。
 そんな僕の様子には気付かず、鈴は恭介に向かって歩いて行く。手を、ポケットに突っ込んでいる。その中には、小毬さんから授かった神器が眠っているのだろう。
 葉留佳さんがどこからか持ち出してきたビデオカメラに収められた、僕らの練習風景を思い出す。

『おひいひゃん』

 その映像の中の僕を、恭介に置き換えてみた。
 軽く殺意が湧いた。
 気付けば、僕は駆け出していた。そのまま、鈴を背中から抱きしめるようにして引き留める。
 僕の突然の行動に恭介が驚くような素振りを見せていたけど、そんなものどうだっていい。僕はただ、鈴を離さぬよう、強く強く抱きしめる。

「うにゃー!? い、いきなり何すんじゃぼけーっ!? 放せおにいちゃんっ、じゃなくて理樹!」

 その鈴もじたばたと暴れている。はは、わざわざ言い直したりしなくたっていいのに。照れてるのかな。まったく、どこまで愛らしいんだ。

「お、おにいちゃん……だと……?」

 鈴の発したたった一言。恭介は、驚愕に打ち震えていた。
 恭介ですら一度も呼ばれたことのないその呼び名で呼ばれる僕。ははっ、なんだか今は恭介がとっても小さく見えるよ。

「ねえ、鈴。もう、わざわざ言い直さなくたっていいよ」
「い、いきなり何言い出すんだ、おにいちゃん。じゃなくて、理樹」
「だから、言い直さなくたっていいのに……照れてるのかな? ふふ、可愛いなぁ鈴は」
「う、うみゅ……」
「…………おい、おまえら。イチャつくなら余所でやっててくれ。それより、さっきの……お、お、お、おにいちゃん、ってのは、どういうことだ」
「どうもこうもない。そのままの意味だよ、恭介」

 僕の言葉が気に入らないのか、恭介が鋭い目つきで睨んでくる。フフッ、恐い顔だ……でも、今の僕を恐れさせるには足りないね。ああ、足りない。

「鈴、恭介と僕……どっちがおにいちゃんの方が嬉しい?」
「いきなり変な質問だな」

 そう言いつつも、鈴はうんうん唸りながら考え始める。
 きっかり十秒後。僕と恭介が見守る中で、鈴は、恭介からすれば早すぎるぐらいに、僕からすれば遅すぎるぐらいに、答えを出した。

「理樹……おにいちゃんの方がいいかもしれん」
「ぬおおおおおおおっ!?」

 恭介は絶叫しながら、頭を抱えて地面をのた打ち回る。

「ははっ、不様だねぇ、恭介」
「り、理樹……おまえ……!」
「そういうわけだから。今日から鈴は、僕のモノだ。僕の妹だ」
「というか、いいかげんにはなせぼけー」

 高らかに宣言する僕と、その僕の腕のなかでもがく鈴。でもね鈴。全然力が入ってないよ? それじゃ、いくらやったって抜け出せやしない。まあ、僕も我が妹君が恥ずかしがりやなのは十分承知しているけどさ。まったくもう……鈴かわいいよ鈴。

「……ふ、ふふふ……」

 そうやって鈴を愛でている最中、不快な笑い声が聞こえてきた。
 なるほど……すっかり失念していたよ。この男の、諦めの悪さというものを。

「俺は認めない……認めないぞ、理樹……」

 ゆらり、とまるで幽鬼のように立ち上がる恭介。その様は、あたかも何か悪いものにでも取り憑かれているかのようだ。

「俺だって、おにいちゃんなんて呼ばれたことないのにぃっ!」
「野郎の嫉妬は見苦しいよ、恭介」
「黙れ理樹! 鈴は俺んだ!」
「いーや、僕のだね」
「俺の!」
「僕の!」
「あーもう、うっさいぞおまえら!」

 鈴の一言で、僕らは言い争いを止めた。
 確かに不毛でしかない。もはや鈴が恭介ではなく僕の妹であることは世界の真理であると言っても過言ではないほど自明のことであり、加えて我らが女神にあらせられる神北小毬様も「うん、いいと思うよ〜」とニコニコ笑顔で口添えしてくださったのだから、恭介などが割って入るような余地など猫の額どころかノミの額ほどもありはしないのだけど、どうやら(21)であると同時にシスコンでもあったらしいこんちくしょうは、何を説いても聞き入れようとしないだろう。

「……おい、理樹。おまえ、一つ忘れてやしないか」

 (21)兼シスコンが不敵な笑みを浮かべて言った。

「何を」
「ふっ、わからないなら教えてやろう!」

 恭介が、ばばっとわけのわからないポーズを取る。一つ言えるのは、恐ろしくバカっぽいということだ。
 そのバカっぽいポーズのまま、恭介が叫ぶ。

「おまえら、血の繋がりもなければ義兄妹だとする法的根拠すらないじゃないかぁーッ!!」
「なんだ、そんなことか」

 恭介はガクッと態勢を崩した。

「そ、そんなことって、おい……」
「そんなもの、すぐ手に入るってことさ」

 僕は、名残惜しくはあったけど鈴の身体を放す。

「ちょっとだけ待ってて、鈴。すぐに終わらせてくるから」
「り、理樹おにいちゃん……」

 不安そうにしている鈴の頭を、そっと優しく撫でてやる。それから、恭介に向き直って……一歩ずつ、その距離を詰めていく。恭介は身構えているみたいだったけど、もちろん殴り合いなんてする気はない。
 手を伸ばせば届く位置まで来たところで、僕は恭介の顔を見上げる。

「恭介」

 さあ……トドメを刺してあげるよ。




















「オランダに移住して僕と結婚しよう、恭介!!」
「ってなんでじゃ、ぼけーっ!!」
 鈴の強烈なハイキックが僕の後頭部を直撃した。


[No.347] 2008/06/07(Sat) 16:24:51
セット (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ 全SS作家にすみません

私はあいつとセットになるために生まれてきた

私はあいつに負けるために生まれてきた

あいつは多くの人から求められる

私を選んでくれた人も次にはあいつを選ぶ

私たちは一緒でありながら一緒でない

誰よりも近くにありながら私たちには決して越えられない差がある

最近私たちのすぐそばに現れた人がいる

でもまたあいつが選ばれる

ときどき気まぐれのように私を求めてくるけれど次はまたあいつを選ぶ

もう疲れた

信じることに疲れた

期待を裏切られ続けることに疲れた

今日もまたあの人が私たちの前に現れた

お願い何も言わないで

どちらも選ばれなければまだ希望が残る

ほんのわずかの希望でも私に残して










「クドリャフカ、醤油とって」

「はいなのです」










なぜ、私の中にいるのは醤油でなくソースなの

なぜ、セットで売ってあったのに私でなくあいつが醤油さしに選ばれたの

憎い、あいつを選ぶあの女が憎い

憎い、選ばれるあいつが憎い

憎い、あいつを求める全てのものが憎い










 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い


[No.352] 2008/06/07(Sat) 21:15:19
変態理樹 EX Edition (No.321への返信 / 1階層) - ひみつ@投稿規程大丈夫かな、これ

「どうしてだっ! どうしてだ理樹っ!!」
「いや、どうしてと言われても」

 ひたすら悔しがりうにゃーぎにゃーと暴れる鈴だけどもう少し状況を考えて行動してほしいと僕は思うわけで、その理由の一つはここが女子寮であるということ、もう一つはまだ一般的な起床時間にはだいぶ早い頃合いだということであり、最後の一つは鈴が胸元で押さえている布団の陰からチラチラ見え隠れする綺麗な桜色が僕の欲情を無性に掻き立てるということで、要するに騒がしいわよ時間を考えなさいと踏み込んできた某風紀委員長様によって退学させられたら洒落にならないからである。でもまあ、本当にそんなことになったら某風紀委員長様が特定の女子数人としっぽりむふふといっている証拠写真を学校側に突き付けて二人揃って退学そのまま駆け落ちすりゃいいやと僕は結論づけ、極めて冷静かつ正常な理性に従うまま鈴の桜色に手を伸ばした。

「にゃっ!? こ、こら、やめ、ひゃうっ!?」

 がおー。










「どうしてだっ! どうしてだ理樹っ!!」
「いや、どうしてと言われても」

 ひたすら悔しがりうにゃーぎにゃーと暴れる鈴だけど別にもう特に状況を考慮する必要もなく、それはすでに真昼間であり、今日が休日で出かけている人が多いので特に近所迷惑にもならず、何より鈴が服を着ているからだった。ちくせう。

「おまえはっ! おまえはどうしてっ!」

 鈴がなぜ怒り狂っているのかといえば、されるがままの自分に対して僕があまりに上手すぎるもんだから、嫉妬しているのだ。ははっ、テクニシャンは辛いなぁ。

「あたしのセリフ勝手にモノローグにすんなボケーッ! というか誰が嫉妬なんかするかボケーッ! 自分でてくにしゃんとか言うなボケーッ!」

 まあ、僕だって驚いてるさ。僕らのはぢめてはつい一週間前だったわけだけど、僕ってばその時からアクセル全開だったからなぁ。なんというかこう、何をすればいいのかがわかっちゃうんだよね。きっと前世の記憶だよ。もしくは恭介あたりが夜な夜な僕の耳元でそういう知識を囁き続けていたに違いない。睡眠学習って恐ろしいね。

「ふかーっ!! 無視すんなボケーっ!」

 でもね、鈴。僕にだって言いたいことはあるんだよ。

「ねえ、鈴」
「う、うにゅ……なんだ、どーした。なんか目が恐いぞ」
「鈴は僕が上手すぎるからって文句を言うけどさ……鈴の方こそ、感じすぎじゃないの?」

 いやまあ、それは別に文句を言うべきことではないはずで、むしろ鈴がそんなだから僕もハッスルしてしまうんだけどね、ありえないとも思うわけだよ。ぶっちゃけてしまえば、はぢめての子がそんな『筋肉!』なわけないじゃん、と。あれだよ、「ふふ……鈴、はぢめてなんだよね? なのに、こんなに……こんな『筋肉!』な子だなんて思ってもみなかったよ」みたいなセリフが吐けるのはエロゲの中だけだから。現実はそんなに甘くないから。
 でも、ちゃんと血は出てたし鈴のはぢめてが僕だっていうのは間違いないはずなんだよね。となると、考えられるのは三つだ。
 ひとつ。最後までいくことこそなかったものの、どこぞの某(21)兼シスコンから悪戯されていた。ふふふふふ、あの時、後回しにしてそのまま忘れてた方がよかったような気がしてきたよ。
 ふたつ。鈴は実は『筋肉!』大好きなイケナイ子猫ちゃんだった。ブラボー。それ以上言うべきことがない。
 みっつ。小毬さん。まあ小毬さんならいいよ。むしろ僕も混ぜて。

「で、鈴。結局さ、恭介なの? 『筋肉!』なの? 小毬さんなの?」
「わけがわからんぞ。というか二つ目はなんだ、二つ目は」

 なんかどれも違うっぽい。ということは天然か。天然なのかっ! うひょー、テンション上がってきたああああああああああっ!!

「理樹の戯言はどーでもいい。あたしの質問はどうしたんだ」
「え? なんだっけそれ」
「どうしてだっ! どうしてだ理樹っ!」
「ああ、思い出した」

 うんうん、僕がテクニシャンな理由についてだったよね。

「あたしは、実は理樹はけーけんほーふ、なんじゃないかと睨んでいる」

 ふっふっふ、と自信ありげに言う鈴。意味わかって言ってるのかな。

「って、ふざけんなボケーッ!」

 わかってなかったらしい上にセルフツッコミだった。

「さあ理樹吐け、吐くんだ! こまりちゃんか!? はるかか!? クドか!? くるがやか!? みおか!? かなたか!? させ子か!? 名前がむだにむずかしい上にあたしとの絡みがあるかどうかも怪しい新キャラか!? それとも全員か!? 全員か、そうか全員なんだな!?」
「いやいやいや、落ち着いてよ。それじゃ鬼畜だよ。そんな鬼畜は断罪されるべきだと思うよ。生きているべきじゃない、そんな鬼畜なんて」

 不思議と自分の首を絞めてるような気がするのはなぜだろう。
 でもかわいいなぁ、鈴は。自分が僕のはぢめてじゃなかったのかもしれないって、嫉妬してるんだね。鈴かわいいよ鈴。
 だから、少々興奮気味な鈴を落ち着けるために、僕は鈴を可愛がってあげることにしようと思う。あ、別の意味で興奮しちゃうよね、それじゃ。ははは、僕としたことがそんなことにも気付かないなんて。てへっ☆(こつん)
 というわけで。りぃ〜んちゅわ〜ん。(某三世的に)

「うわあっ!? ――んんっ!」
「大丈夫……僕は、鈴だけだよ」

 考えてみたらさ。服着てる→ちくせう、ってどう考えてもおかしいよね。むしろテンション上がるじゃないか、これは。ついでに言えば今なら近所迷惑にもならないし。うん、なんでこんなことに気付かなかったんだろう、僕は。てへっ☆(こつん)

「こ、こら、やめろっ! やめないとひっかくぞ!?」
「何言ってんのさ。僕の背中はもう引っ掻き傷だらけじゃないか」
「うにゃー!! にゃー! みゃあ−。みぃ……んあ『筋肉いぇいいぇーい!』っ!!」

 というわけで、今日も元気に。
 がおー。


[No.356] 2008/06/08(Sun) 15:05:29
前半戦ログ (No.323への返信 / 2階層) - 主催

 MVPは「パーキング サイクリング」に決定しました。
 残念ながら、お名乗りはありませんでした。
 感想会前半戦のログはこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little11-1.txt


 後半戦は6/8日曜 21:00より開始致します。
 時間に注意してね!! 22:00じゃないよ!! 21:00だよ!!


 次回のお題は未定。
 作者さんのお名乗りがこのまま無ければ、主催が決めちゃいます。


[No.357] 2008/06/08(Sun) 19:46:09
後半戦ログとか次回とか (No.357への返信 / 3階層) - 主催

 後半戦ログです。
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little11-2.txt


 MVP「パーキング サイクリング」の作者はぴえろさんでした。おめでとうございますっ。
 次回のお題は「宝」
 6/20金曜22:00締切 翌21土曜22:00感想会
 皆様是非ぜひご参加くださいませ。


[No.359] 2008/06/08(Sun) 23:44:24
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